霊界物語二巻

第四五章 天地の律法〔九五〕
 地の高天原に宮柱太しき立て千木高しりて鎮まりゐます、国治立命、豊国姫命の二神は、神界のかくまで混乱の極に達し、収拾すべからざるにいたりしは、諸神人に対し、厳格なる神律の制定されざるに基づくものなりとし、ここに天道別命とともに律法を制定したまうた。 その律法は内面的には、「反省よ。恥ぢよ。悔改めよ。天地を畏れよ。正しく覚れよ」の五戒律であつた。また外面的律法としては、「第一に、夫婦の道を厳守し、一夫一婦たるべきこと。第二に、神を敬ひ長上を尊み、博く万物を愛すること。第三には、互ひに嫉妬み、誹り、偽り、盗み、殺しなどの悪行を厳禁すること」等の三大綱領である。 この律法を天下に広むるに先立ち、まづ竜宮城および地の高天原より実行し、これが模範を天下万神人に伝示し堅く遵奉せしむることと定められた。これより高天原は規律正しく、ことに一夫一婦の道は厳格に守られてゐた。 竜宮城も地の高天原も、天使大八洲彦命、大足彦らの機略縦横の神策により、常世姫の魔軍を伐ちはらひ、平穏無事に治まり、諸神司は太平の夢に酔ひ、花に戯れ、月を愛で、荘厳なる神楽を奏上して神の御祭を盛大に挙行し、舞ひ遊ぶ黄金時代となつた。 しかるに遠き国々はいまだ泰平ならず、したがつて大神の律法もゆきわたるまでに至らなかつた。茲において稚桜姫命は天上および天下泰平の御喜びに、盛装を凝らして諸神司の遊楽場へ出場遊ばされ、高座より愉快気にこれを眺めてをられた。このとき、眉目清秀なる年若き男神司は、長き袖の錦衣を着し中央に立ち、音楽につれて淑やかに舞ひはじめた。実に万緑叢中紅一点の観があつた。時に稚桜姫命は、にはかに顔色蒼白となり、吐息をつき、その場に倒れ伏したまうた。 大八洲彦命以下の神将は驚いて介抱し、奥殿へ送りたてまつり、柔かき夜具を八重に重ね、その上に命を安臥させたてまつり、いろいろと介抱に余念なかつた。神司はめいめいに病床を訪ね、いろいろの薬草を遠近の山々より求め来つてこれを勧めた。されども命は御首を左右に振つてこれを拒絶したまひ、命の様子は日をおふて疲労を増すばかりであつた。神司は種々と手をつくし、心をつくした。されど、命の病気にたいしては何の効能もなかつた。このとき命は思ひ切つたやうに、神楽の舞を見せよと仰せられた。直ちに諸神司は準備に取りかかり、命の御前に神楽を奏上した。音楽につれて数多の乙女は長袖をひるがへし、淑やかに舞ひはじめた。諸神人の歓呼の声、拍手の響きは天に轟くばかりであつた。 稚桜姫命はその舞曲を一心に眺め、眼を諸方に配り、また「あゝ」と吐息をもらして床上に伏したまうた。大八洲彦命は御病のかへつて重らむことをおそれ、舞曲を中止し、自分はただ一柱枕頭に侍して看護に余念なかつたのである。夜中稚桜姫命は、『あゝ玉照彦、玉照彦』と連呼された。大八洲彦命はあわてて、『玉照彦は如何にいたせしや』と問ひたてまつつた。命は何の返答もなく、すやすやと眠らせゐたまうのであつた。 大八洲彦命はただちに玉照彦を招き、命の看護を命じた。それより稚桜姫命の御病は日に日に恢復し、玉照彦は命のそば近く奉仕することとなつた。雨の夜も風の荒き日も瞬時も御傍を離したまはず、玉照彦を掌中の玉のごとくに愛されたまうた。
(大正一〇・一一・八 旧一〇・九 桜井重雄録)

第四六章 天則違反〔九六〕

 ここに天稚彦は唐子姫の妖魅に誑らかされ、諸方を流転し、山野河海を跋渉し、雪の朝霜の夕に足を痛め、風雨に曝され、晩秋の案山子の如きみすぼらしき姿となりて万寿山の城下に現はれ、神司の門戸をたたき、乞食の姿となつてあらはれた。
 たまたま吾妻別の門戸をたたく者がある。その音はどこともなくことなれる響きであるを感じ、吾妻別はみづから立つて門を開きみれば、一個の賤しき漂浪神が立つてゐて、命の顔を眺め、
『汝は吾妻別に非ずや』
といつた。命の従臣滝彦は走りきたり、その神司にむかつて、
『汝はいづれの神司か知らざれども、吾門戸に立ち、吾主人にむかつて名を呼捨てになす不届者、一時も早くこの場を立去れ。否むにおいてはこの通り』
といふより早く棍棒をもつて頭上を殴打した。そのはづみに急所をはづれて笠は飛び散つた。漂浪神は眼光烱々として射るごとく、言葉するどく、
『無礼者』
と罵つた。
 吾妻別は始めて天稚彦の成れの果てなることを覚り、従臣の無礼を謝し、ねんごろに手を引き万寿山城内に迎へたてまつり、新しき神衣を奉つた。今までの案山子のごとく窶れたる神司は、たちまち豊頬円満なる天晴勇将と変りたまうた。吾妻別は信書を認め、滝彦を使者として竜宮城につかはし、稚桜姫命に、
『天稚彦、万寿山に還りたまひ、しばらく休養されしのち、ふたたび竜宮城に帰還したまはむとす。すみやかに歓迎の準備あらむことを乞ふ』
といふ意味の文面であつた。
 大八洲彦命はまづこの信書をひらき、一見して大いに悦び、稚桜姫命は定めて満足したまはむと、みづから心中雀躍りしながら、稚桜姫命の御前に出で、委細を言上した。
 命はさだめて御喜びのことと思ひきや、その御顔には怪しき雲がただようた。側近く仕へゐたる玉照彦は、にはかに顔色蒼白となり、唇はぶるぶると震へだした。
 大八洲彦命は合点ゆかず、その場を引退つた。このとき滝彦は、天稚彦の今までの御経歴を語り、かつ稚桜姫命にたいし、大なる疑を抱き給ふことを述べた。大八洲彦命は一室に入りて、双手を組み思案に時を移し、この度の命の態度といひ、玉照彦の様子といひ、実に怪しさのかぎりである。しかし律法厳しき竜宮城の主神として天則を破りたまふごとき失態あるべき理由なしと、とつおいつ煩悶苦悩してゐた。
 しばらくあつて城内はにはかに騒がしく、天稚彦の御帰城なりとて、右往左往に神司は奔走しはじめた。ここに花森彦は大八洲彦命の前に出で、夫君の御帰城なり、一時もはやく稚桜姫命みづから出迎へたまふやう、御執成しあらむことをと、顔に笑みを含んで進言した。
 花森彦はすでに善道に復帰り、律法をよく守りつつあれば、唐子姫を奪はれしことは、少しも念頭にかけてゐなかつた。ここに稚桜姫命は周章狼狽のあまり、袴を前後にはき、上着の裏を着るなどして、あわてて出迎へられた。しかして玉照彦は相変らず、御手をひき命を労りつつ迎へた。
 天稚彦は、いきなり物をもいはず鉄拳を振りあげ、玉照彦を打ちすゑた。稚桜姫命はおほいに驚き、玉照彦を抱きあげむとしたまうた。
 玉照彦は息もたえだえに、
『われは厳重なる規律を破り、天則に違反し、ここに命のために打たれて滅びむとす。これ国治立命の御神罰なり。許したまへ』
と真心より大神に祈りを捧げ、たちまち城内の露と消えた。
 諸神司はこの光景をながめ、二神司の間をいかにして宥め奉らむやと苦心した。
 このとき国治立命は神姿を現はし、二神司の前に立ち、
『夫婦の戒律を破りたる極重罪悪神なり。天地の規則に照し、天稚彦、稚桜姫命は、すみやかに幽界にいたり、幽庁の主宰者たるべし』
と厳命された。地上を治め、その上天上にいたりて神政を掌握さるべき運命の神、稚桜姫命は、やがては天より高く咲く花の、色香褪せたる紫陽花や、変ればかはる身の宿世、いよいよここに、二神司は地獄の釜の焦起し、三千年の、忍びがたき苦しみを受けたまうこととなつた。

(大正一〇・一一・八 旧一〇・九 外山豊二録)