第一六章 玉ノ井の宮〔一一六〕
 玉ノ井の邑は、玉ノ井の湖の中央に浮かべる清き一つ島なり。玉ノ井湖の水は深く清く、常に紺碧の波漂ひ、金銀色の諸善竜神の安住所なりと伝ふ。湖の外は、大小高低、千変万化の霊山をもつて囲らされ、万寿山は東方に位し、霊鷲山は西方に位し、その他の山々には諸々の神鎮まり、春は諸々の花咲きみだれ、山は雲か霞かと疑はるるばかり。夏は新緑諸山に栄え、老松処々に点綴し得もいはれぬ風景なり。秋は諸山錦の衣を織り、冬は満山銀色に変じ、霊鳥は四季ともに悠々として舞ひ遊び、山々の谷を流るる大河小川の水清く、玉ノ井の湖水に潺々として注ぎをれり。 国治立命は世界の中心に地の高天原を建設し、今また東方の霊地を選み、この地点を第二の高天原となし、東西相応じて、陰陽のごとく、日月のごとく、経と緯との神策を定められたるなり。常世姫は地の高天原なる蓮華台および竜宮城を占領せむとして、千変万化の奸策を弄し、苦心焦慮すれども、神威赫々として冒すべからざるに落胆し、第二の経綸なる玉ノ井の湖を占領せむとし、大自在天にその意を通じ、東西呼応して大神の経綸を破壊し、盤古大神の神政に覆へさむと焦心せり。 万寿山は第二の地の高天原に擬すべき霊地にして、玉ノ井の邑は竜宮城に比すべき大切なる霊地なり。ゆゑに万寿山を占領するに先だち、玉ノ井湖を占領するの必要起りしなり。玉ノ井湖は前述のごとく四方霊山に囲まれ、神司の守護強く容易にこれを突破すること能はざる要害堅固の霊地なり。 ここに大自在天の部下蟹雲別は、あまたの神卒をことごとく蟹と化せしめ、東南の山々の谷をつたひて玉の井湖に這ひ込みきたり、また牛雲別は、数万の部下を残らず牛に変化せしめ、東北の山々の谷をつたひて湖水に近寄り来たり、また蚊取別は数万の魔を幾百万の蚊軍と化せしめ、西南より山々の谷をつたひて玉ノ井の邑にすすましめ、玉取別は数万の魔を、残らず瑪瑙の玉と化せしめ、西北の山の頂に登り、玉ノ井の邑を目がけて雨のごとく降り下らしめたりける。あまたの蟹はたちまち悪竜と変じ湖水に飛び込みしが、ここに湖水の諸善竜神と悪竜とは、巨浪を起し、飛沫を天に高く飛ばし、死力をつくして争ひ、さしもに清き紺碧の湖水の水もまたたくうちに赤色と変じ、得もいはれぬ血腥き風は四方に吹きまくりける。一方牛雲別の部下は、たちまち水牛と変じ湖水に飛びいり蟹雲別に加勢し、戦闘はますます激烈となり、湖水はすでに敵軍のために、占領されむとしたりけり。 ここに真道姫は玉ノ井の宮に、敵軍降伏の祈願をこめられしが、三ツ葉彦命は旗輝彦、久方彦を部将とし、湖水の敵軍に向つて天津祝詞を奏し、金色の大幣を打ち振り打ち振りおほいに敵を悩ましゐたる。時しも西北の高山より石玉の雨しきりに降りそそぎ、味方の神軍の頭上を目がけて打ち悩ましたり。西南の敵軍は、億兆無数の巨大なる蚊群となりて、味方の身体に迫り、その声は暴風の荒れ狂ふがごとく、咫尺を弁ぜざるばかり立塞がり、暗黒無明の天地と化しぬ。三ツ葉彦命は天にむかつて救援の神軍を遣はされむことを祈願しけるに、たちまち天上の三ツ星より東雲別命、白雲別命、青雲別命の三柱の軍神、雲に乗りて万寿山に降りきたり、大地を踏みたて、三柱一度に雄健びしたまへば、玉ノ井の湖水の水は一滴も残らず中空に舞ひのぼり、遠く東西に分れて降りきたり、一大湖水を現出したり。このとき石玉も、蚊軍も、共に湖水の水に浚はれて中天に舞ひのぼり、影を潜めけり。 東に分れし湖水の水は地上に停留してふたたび湖水を形成したり。これを牛の湖水といふ。今日の地理学上の裏海にして、また西に分れ降りて湖水を形成したるを、唐の湖といふ。現今地理学上の黒海なり。ここに東雲別命、青雲別命、白雲別命は、湖水を清め、新しき清泉を湛へられ、永遠に玉ノ井の湖の守護神となり、白竜と変化したまひぬ。かくして三ツ葉彦命とともに神政成就ミロクの世を待たせたまひける。
(大正一〇・一一・一七 旧一〇・一八 河津雄録)

第一七章 岩窟の修業〔一一七〕

 万寿山は前述のごとく、神界の経綸上もつとも重要なる地点なれば、これを主管する八王神は他の天使八王神に比してもつとも神徳勝れ、かつ神界、幽界の大勢を弁知し、大神の神慮を洞察せざるべからずとし、八王神なる磐樟彦は、単独にて万寿山城をひそかに出城し、霊鷲山の大岩窟にいたりて百日百夜、すべての飲食を断ち、世染をまぬがれ一意専心に霊的修業をはげみ、つひに三ツ葉彦命の神霊に感合し、三界の真相をきはめ、天晴れ万寿山城の王たるの資格を具有するにいたりける。
 磐樟彦は、霊鷲山の大岩窟を深く探究したるに、数百千とも限りなき小岩窟ありて、大岩窟の中の左右に散在して、それぞれ受持の神守護されつつありき。この岩窟はいはゆる宇宙の縮図にして、山河あり、海洋あり、種々雑多の草木繁茂し、禽獣虫魚の類にいたるまで森羅万象ことごとくその所を得て、地上の神国形成されありぬ。
 三ツ葉彦命の霊媒の神力により、数十里に渉れる大岩窟の磐戸を開き、現はれいでたる気品高き美しき女神は、数多の侍女とともに出できたり、磐樟彦に向ひ軽く目礼しながら、
『汝は神界のために昼夜間断なく神業に従事して余念なく、加ふるに百日百夜の苦行をなめ、身体やつれ、痩おとろへ、歩行も自由ならざるに、どの神司も恐れて近付きしことなき、この岩窟の神仙境にきたりしこと、感ずるにあまりあり。妾はいま、汝の熱心なる信仰と誠実なる赤心を賞でて、奥の神境に誘ひ、坤の大神豊国姫命の御精霊体なる照国の御魂を親しく拝せしめむとす。すみやかに妾が後にしたがひきたれ』
といひつつ、岩窟の奥深く進みける。磐樟彦は女神の跡をたどりて、心も勇みつつ前進したりしが、はるか前方にあたりて、眼も眩きばかりの鮮麗なる五色の円光を認め、両手をもつて我面をおほひながら恐るおそる近付きける。女神はハタと立留まり、あと振かへり命にむかひ、
『汝の修業はいよいよ完成したり。ただちに両手をのぞき肉眼のまま、御神体なる照国の御魂を拝されよ。この御魂をつつしみ拝せば三千世界の一切の過去と、現世と、未来の区別なく手に取るごとく明瞭にして、二度目の天の岩戸開きの神業に参加し、天地に代る大偉功を万世に建て、五六七の神政の太柱とならせたまはむ。神界の状勢は、この御魂によりて伺ふときは、必然一度は天地の律法破壊され、国治立命は根の国に御隠退のやむなきに立いたりたまひ、坤の金神豊国姫命もともに一度に御退隠あるべし。しかしてその後に盤古大神現はれ、一旦は花々しき神世となり、たちまち不義の行動天下に充ち、わづかに数十年を経て盤古の神政は転覆し、ここに始めて完全無欠の五六七の神政は樹立さるるにいたるべし。汝は妾が言を疑はず、万古末代心に深く秘めて天の時のいたるを待たれよ。神の道にも盛衰あり、また顕晦あり。今後の神界はますます波瀾曲折に富む。焦慮らず、急がず、恐れず、神徳を修めて一陽来復の春のきたるを待たれよ』
と懇に説き諭したまひて、たちまちその気高き美しき女神の神姿は消えたまひける。
 磐樟彦は天を拝し、地を拝し、感謝の祝詞をうやうやしく奏上したまふや、今まで光の玉と見えたる照国の御魂は崇高なる女神と化し、命の手をとり、紫雲の扉をおし明け、宝座の許に導きたまひける。
 夢か、現か、幻か。疑雲に包まれゐたるをりしも、寒風さつと吹ききたつて、肌を刺す一刹那、王仁の身は高熊山の岩窟の奥に、端座しゐたりける。

(大正一〇・一一・一七 旧一〇・一八 土井靖都録)