第一六章 天降地上〔一九七二〕
 葦原比女の神の一行は、朝香比女の神の一行を送りまゐらせつつ、忍ケ丘の山麓に春の永日は黄昏れければ、ここに一夜の露の宿りを定めまし、常磐樹生へる丘の上に各自登らせ給ひ、葭葦をもて国津神の編み作りたる清畳を、いやさやさやに敷き並べ、御空の月のさやけさに溶け入りながら、各自に生言霊を宣り、或は御歌を詠ませつつ暁の至るを待たせ給ひける。 天の一方を眺むれば、一塊の雲片もなき紺青の空に、上弦の月は下界を照し給ひ、月舟の右下方に金星附着して燦爛と輝き渡り、月舟の右上方三寸ばかりの処に土星の光薄く光れるを打ち眺めつつ、三千年に一度来る天の奇現象にして稀有の事なりと、神々は各自御空を仰ぎ、葦原の国土の改革すべき時の到れるを感知し給ひつつ、御歌詠ませ給ふ。 葦原比女の神の御歌。
『澄みきらふ御空の海を照らしつつ  月の御舟は静かに懸れり
 よく見れば月の真下にきらきらと  光の強き金星懸れり
 月舟の右りの上方に光薄く  輝く土星の光のさみしも
 天界にかかる異変のあるといふは  葦原の動くしるしなるべし
 光り薄き土星は天津神にして  金星即ち国津神なり
 上に立つ土星の光は光り薄し  月の光に遮られにつつ
 下に照る金星の光はいと強し  月の御舟の光支へて
 葦原の国土に天降りし天津神の  心をただす時は近めり
 朝香比女神の神言よ月と星の  今宵の状を言解き給はれ』
 朝香比女の神は御歌もて詠ませ給ふ。
『天津神の言霊濁り水火濁り  光の褪せし土星なりけり
 国津神の中より光り現はれて  世を守るてふ金星の光よ
 月舟の清き光は葦原比女の  神の御魂の光りなるぞや
 此処にます天津神等心せよ  朝な夕なに神を斎きて
 天津神は神を認めず国津神は  真言の神を斎きまつれる
 千早振る神は光に在しませば  神にかなへる魂はかがよふ
 神を背にし信仰の道欠くならば  神魂の光り次ぎ次ぎに失せむ』
 葦原比女の神は御歌詠ませ給ふ。
『有難し光の神の神宣を  宜よとわれは頷かれける
 二十年を曲津の神に艱みしも  神に離れし報いなりける
 主の宮居に仕ふる天津神等は  心を清め魂を磨けよ
 主の神は天津御空に奇なる  兆を見せて警め給ふも』
 真以比古の神は驚きて御歌詠ませ給ふ。
『知らず識らず心傲りて主の神に  仕ふる道を怠りにけり
 朝香比女神の神言の御教に  わが魂線は戦きにけり
 国津神の艱みを思ひて朝夕に  主の大神に祈りまつらむ
 葦原比女神の御魂は御空行く  月の光と輝き給へる
 かくの如輝き給ふ葦原比女の  神とは知らず過ぎにけらしな
 光薄き土星の魂を持ちながら  月の光の上にのぼりつ
 貴身小身の道を乱しし報いかも  今まで曲津の猛びたりしは
 葦原の国土の守りの吾にして  御樋代司をうとみけるかも
 御樋代神よ許させ給へ今日よりは  真言をもちて仕へまつらむ』
 御樋代神は御歌もて答へ給ふ。
『汝こそは真言をもちて大前に  仕へまつらむ御名なりにけり
 曲津見に清き御魂を曇らされ  土星の如く薄らぎて居り
 とにかくに土星の光出づるまで  地に降りて世に尽せかし
 金星は国津神等の仰ぎつる  野槌の彦の御魂なりける
 今日よりは野槌彦をば天津神の  列に加へて司となさむ
 真以比古その他の神々悉く  地に降りて魂を清めよ
 野槌彦は今日よりその名を改めて  野槌の神と仕へまつれよ』
 野槌彦は答ふ。
『国津神賤しき吾は如何にして  国土の宮居に仕へ得べきや
 如何に吾金星の光保つとも  一柱もて仕へむ術なし』
 葦原比女の神はこれに答へて、御歌詠ませ給ふ。
『天津神の野槌の神よわが宣れる  言霊謹み国土に仕へよ
 国津神の清き正しき魂選りて  天津神業を言依さすべし
 葦原の国土のことごとまぎ求め  清き御魂を選びて用ひむ』
 朝香比女の神は、葦原比女の神の大英断に感じて御歌詠ませ給ふ。
『葦原比女神の神言の雄々しさよ  天と地とを立替へ給ひぬ
 光なくば黒雲包む葦原は  黒白も分かぬ闇の世なるよ
 常世ゆく万の災群起きるも  曇れる神のたてばなりけり
 御樋代神の上に輝く神々の  土星の御魂を浄めさせ給へ
 今すぐに金星の如光らねど  倦まずば遂に御楯とならむ
 久方の空に奇瑞の現はれしは  我国土生かさむ御神慮なりける』
 成山比古の神は驚きて御歌詠ませ給ふ。
『桜ケ丘の宮居に二十年仕へ来て  わが魂線は世を濁らせる
 今となりうら恥づかしく思ふかな  御空に魂の性現はれつ
 御樋代の神の言葉を畏みて  吾今日よりは地に降らむ
 国津神の列に加はり斎鋤を  持ちて田畑を耕し生きむ
 葦原の国土に涌き立ちし黒雲も  吾等がためと思へば恐ろし
 天地の神の御恵深くして  わが過を許させ給ひぬ』
 霊生比古の神は御歌詠ませ給ふ。
『吾もまた土星の魂となり果てて  この国原を乱しけるかも
 これよりは土星の性にふさはしき  地に降りて田畑を拓かむ
 地の性持てる賤しき魂線の  如何で御空に光るべしやは
 今迄は真言の天津神なりと  心傲りつつ年を経にけり
 わが魂の曇りは土星と現はれて  忍ケ丘の地に墜ちける
 御樋代の神の言葉は主の神の  御水火なりせば背かむ由なし
 国津神の照れる御魂を引き上げて  豊葦原の国土守りませ
 御供に仕へまつるも畏しと  思へばわが身戦き止まずも
 久方の天津空より荒金の  地に降りし今宵の吾かも
 知らず識らず御魂曇りて天津神の  位置は地上にうつらひにけり』
 栄春比女の神は御歌詠ませ給ふ。
『栄春比女神と仕へて朝夕に  御樋代神の御魂汚せし
 主の神の尊き御前を知らず識らず  礼なく仕へしわが罪恐ろし
 鷹巣山に雲わき立ちて葦原の  この稚国土は風荒びたり
 野槌比古神の清しき魂線は  御樋代神の司となりませり
 今日よりは野槌の神の御光の  隈なく照らむ葦原の国土に
 曇り果て乱れ果てたる国原を  救ふは野槌の神の功よ』
 八栄比女の神は御歌詠ませ給ふ。
『東の国土の果てなる桜ケ丘に  仕へし吾の終りは来にけり
 おほけなくも女神の身ながら宮居の辺に  仕へまつりし事を悔ゆるも
 今となりて何を歎かむ村肝の  心の曇りの報いなりせば
 朝夕に神の供前に太祝詞  吾怠りつ今に及べり
 主の神の御水火になりし葦原比女の  神さげしみし罪を恐るる
 吾なくば葦原の国土は治まらじと  思ひけるかな愚心に
 愛善の神は今までわが罪を  許させ給ひし事のかしこさ
 畏しと宣る言の葉も口籠り  わが胸の火は燃え盛るなり
 今宵限り天津神なる位置を捨てて  野に降りつつ田畑を拓かむ』
 朝香比女の神はまたもや御歌詠ませ給ふ。
『天の時地の時到りて葦原の  国土の光は現はれにけり
 葦原の国土の標章と今日よりは  ◎の玉の旗を翻しませ
 ◎の玉を並べ足らはし十となし  真言の国土の標章と定めよ』
 葦原比女の神は御歌詠ませ給ふ。
『有難し国土の始めの旗標まで  賜ひし公の功は貴し
 万世に吾は伝へてこの旗を  国土の生命と祀らせまつらむ
 天津神の野槌の神は国の柱  定めて吾に奉れかし』
 野槌比古の神は御歌詠ませ給ふ。
『有難し葦原比女の神宣  吾選ぶべし四柱の神を
 天津神の列に加はる神柱は  高照清晴彦を選ばむ』
 葦原比女の神は御歌詠ませ給ふ。
『高彦を高比古の神照彦を  照比古の神と名を改めよ
 清彦は清比古の神晴彦は  晴比古の神と名乗り仕へよ』
 野槌比古の神は感謝しながら御歌詠ませ給ふ。
『有難し天津神の位置に選まれし  吾等五柱は身をもて仕へむ
 今宵すぐに駿馬使を馳せにつつ  四柱神を招き仕へむ』
 葦原比女の神は御歌詠ませ給ふ。
『一時も早くこの場に招き寄せて  この葦原の神柱たてよ』
 かくして、四柱の神は小夜更くる頃、駿馬に鞭うたせつつ、此処に集り来り、葦原比女の神の宣示のもとに、かしこまり天津神の列に加はり給ひぬ。 夜は森々と更け渡り、暁近く百鳥の声は爽かに響き、春野を渡る風は、かむばしき梅ケ香を送り田鶴は九皐に瑞祥をうたひ、鵲は常磐の松の梢に黎明を告げて寿ぐが如し。 ああ惟神恩頼ぞ畏けれ。
(昭和八・一二・二二 旧一一・六 於大阪分院蒼雲閣 林弥生謹録)