主神「神素盞嗚大神」の存在証明、そしていかなる神かノアとナオの方舟 『霊界物語』の口述台から
出口和明大阪中央分苑 出口 恒
ノアとナオの方舟・言霊学の黙示 ノアとナオの方舟は、出口王仁三郎聖師が『いろは歌』で掲載し、出口和明がその著、『出口王仁三郎となおの預言確言』(みいづ舎で再発行)で新解釈を発表、『預言と神話』八幡書店でさらに深めて掲載したものです。私はこの方舟が『霊界物語』の口述台ではないかと考えています。まず和明の見解である『預言と神話』の「ノアとナオの方舟・言霊学の黙示」より引用します。(引用)宇宙は言霊によって創造されたと王仁三郎はいい、「宇宙の実在は神であり、この世のあらゆる現象は神の意志の発作、神の意志の表現だ。神の意志とはコトバであり、すなわち神は言霊である」と教えています。だから神名に、大国主命とか須佐之男命の「ミコト」の文字が使われるのは、「御言」・「神言」の義です。 コトバを伝達するのは声ですが、声は「心の柄」であり、嬉しさ、悲しさなどの思いは、まず声に表れます。進め、退け、起きろ、寝ろなど、人間の一挙一動は、みな言霊の力によって左右されるのです。 王仁三郎は当時の教団の機関誌『神霊界』の一九一七(大正六)年十二月号、翌一八年一月号、二月号に「大本神歌」、「いろは歌」という一連の作を発表しました。「いろは歌」は出だしの言葉が「いろは」順で始まる一種の韻文を集めたものです。神かがりで一気に筆を走らせ、後に「瑞能神歌」と題して小冊子にまとめられましたが、信者への影響は強烈で、暗唱する人たちも多かった。沢山の飾り言葉や婉曲な言い回しの中に密意を秘めながら、真綿にくるんだ針のようにチカチカッと世界や日本の未来の動向を示唆しています。一九一七年十一月三日、王仁三郎の書いた「いろは歌」の「の」の項は非常に難解なものです。〇ノアの言霊ナと反り、ナオの言霊ノと反る、ノアとナオとの方舟の、真中に住みきるスの御霊、すめら御国のすがた也。ノの言霊を調ぶれば、地に泥水充ち溢れ、渦巻廻る御霊なり。アの言霊を調ぶれば、天津御空に昇り行き、成り合まさぬ御霊なり。ノアの御霊は泥水の、世界を浸し山を越え、賤しき身魂の雲の辺に、上りて天を汚すなり。さは去りながら世の人よ、昔の事と思うなよ、ノアの御霊の災は、今眼の当り〈二ヵ月後の十二月八日に太平洋戦争の型、第二次大本事件勃発〉現れにけり。ナの言霊を調ぶれば、火水の結びの御魂にて、天津御空に二柱、鎮まり坐す姿也〈「ナ」は「十」、すなわち神を示す。神=火+水、切り紙神示では神を表現〉オの言霊を調ぶれば、汚れし地を清めつゝ、六合を治むる御霊なり。地より生れし埴安の、神〈出口なお〉の御霊もお声なり。 五大州の中心に、皇ら御国の天皇の四方の国々統べ給う。この言霊を省みて、皇ら御国の天職を、覚りてナオの方舟の、さとしの舟に乗り移り、瑞の御魂に神習い、泥に漂う世の人を、なお霊に見なおし詔りなおす 神の大道に導きて、世人救ひてヒマラヤの、山より高く名を上げて、二度目の神代の種と成り、万代までも世の人の、救ひの神と嗚り渡る、言霊の道尊とけれ。大正六年十一月三日いろは神歌『神霊界』(大正六年十二月号)「ノアの言霊ナと反り、ナオの言霊ノと反る」は言霊返しの法則によるもので、『霊界物語』に表れる「魂返し」は言霊返しの略語です。一九四二年十月十二日、木庭次守が言霊について王仁三郎から聞いたことを『新月の光』に収録していますので、参考までに抜粋しておきましょう。*アジアと世界本アジアが現在のアジア 東アジア…アメリカ 西アジア…ヨーロッパ 南アジア…濠洲 西南アジア…アフリカで、太古は世界をアジアといったのである。アジアは葦原より変わったのである。アジアもアメリカもアフリカもエウロッパもオーストラリヤもアに反る(言霊反し)のである。大八洲とは世界の事である。日本人が判らぬので判るように日本の島々に名をつけて神様が教えられたのである(昭和十七年十月十二日)。(参照)『霊界物語』第三十九巻「総説」(葦原は亜細亜の意味であり、葦原はアッシリヤとなりアジアとなったのである。太古の亜細亜は現今の小亜細亜であったが、時世の変遷と共に、広大な亜細亜となったのである)*主 主の魂返しはスである。主神。法主。(昭和十七年十月十二日夜 大本農園有悲閣にて) 言霊返しは、五十音図で、「頭の字のある行が下の字のある列と交わる字に返る」というのです。「ノアの言霊ナと返り」の意は、「ノ」〈の属するナ〉行と「ア」列の結びが「ナ」になる。反対に「ナオの言霊ノと返る」は、「ナ」行と「オ」列の結びが「ノ」となる。 次頁に掲載した図Aは五行、五列の二十五文字で、正方形の形をしています。王仁三郎はそれをノアの方舟に見立てています。ノアというのは、『旧約聖書』の「洪水伝説」に出てくる主人公の名ですね。神が人類の堕落に対して大洪水を起こし、ノアは神示の方舟に乗った妻子や禽獣とともに難を逃れ、そのために人類は滅亡しなかった。ノアの方舟は救いの舟を意味します。 「いくすわしノアの方舟また一つ、新たに現れしナオの方舟」と王仁三郎は歌っています。「いすくわし」は鯨につける枕詞ですから、方舟を大きな鯨に見立てたのでしょう。「ノ」と「ア」を結ぶ線と「ナ」と「オ」を結ぶ線の交錯点は、「ス」になります。その意味が「ノアとナオとの方舟の、真中に住みきるすの御霊、すめら御国のすがた也」です。スは言霊学上◎と表現します。宇宙誕生の時、最初に現れたのがスの言霊です。…澄切り澄きらい、スースースースーと四方八方に限りなく、極みなく伸び拡ごり膨れ上り、遂に◎は極度に達してウの言霊を発生せり。ウは万有の体を生み出す根源にして、ウの活動極まりて、又上へ上へと昇りアの一言霊を生めり。又ウは降っては遂にオの言霊を生む。◎の活動を称して主の大神と称し、又天之峯火夫の神、又の御名を大国常立神言と奉称す(七十三巻一章「天之峯火夫の神」)。 すなわち言霊の上からいえば、スは主神、神素盞嗚大神のことです。「真中に住みきる」あるいは「澄みきる」にも掛けてあります。ノアとナオの救いの方舟の真中に、主神である神素盞嗚大神が厳然と住み切り澄み切っておられる。 A図のように、各行、各列はアジア、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、オーストラリアの世界の五大州を表わします。さらにア列は天、イ列は火、ウ列は結、エ列は水、オ列は地を表わします。スの言霊を正中に収めた救いの方舟は、大本の権威を証明する一例として、この文が発表された大正六年以来、教団内部で語り継がれてきたものでした。…ス神が火ー水と結ぶ二等辺三角形(B図)は「イ・エ・ス」。ス神の光がアジアの方へ伸びる、三角形を二等分する線は「ス・ク・ウ」。 そうか、イエス。キリストはちゃんと在る。しかも中心を貫く使命は「救う」。だがその範囲は右によりすぎて、方舟はひっくり返りそう。イエスの救いはアメリカ、アフリカ、ヨーロッパまでで、アジア、オーストラリアにまでは及びません。 この図の二十五声を組み合わせるだけなら、幾らでも意味のある言葉を探すことができます。そこで、ス(主神)の言霊から発するか、スを通過するか、スを要に抱え込む二等辺三角形という条件を自らつけて言葉を探すと、意外に意味ある言葉は少ないのです。 例えばス・チ・キの逆三角形(C図) の下辺は「チ・シ・キ」、「チシキ」ですね。この逆三角形を二等分する直線は「シ・ス」、「死す」という不吉な文字が表われます。「神と学との力くらべであるぞよ。神には勝てんぞよ」との筆先がありますが、ス(主神)の上に在る知識、神より発しない知識には救いがなく滅びるというほかはないのでしょうか。 さて、イ・エ・スの三角形を逆向きに一行左へ移して見ると(D図)ス神を真ん中に抱いて、「テ・ク・チ」、すなわち「出口」という文字が浮かびます。そしてス声の左右を二等分する直線は「ツ・ク・ス」、「尽くす」、その言霊は「出口・尽くす」と響きます。発見は、さらに私を勇気づけました。ところが突然、大きな直角三角形(E図)が眼に飛び込んできました。その角を結ぶと、「ス」を中心にした底辺を持つ「ア・ナ・オ」、「穴太」の直角三角形になります。 穴太は王仁三郎の郷里であり、救世の使命を自覚した霊山「高熊山」のあるところです。やはり王仁三郎は、存在証明をしていました。ほっとしながら、ではこの方舟の中に求められる一番大きな正三角形は何だろうと見ると、いうまでもなくそれは「サ・ノ・オ」ですね(F図)。「ス」を中心点に抱えて見れば、なんと、「ス・サ・ノ・オ」、「素蓋嗚」。スの神が天に駆け登ってサと鳴り、さらに地に降ってノからオへ、泥水満ちあふれ渦巻く地を五大州の隅から隅まで一文字に開き清めつつ、六合を治める形です。 厳然とここに、主神神素蓋嗚大神は在す。住み澄むだけではない救世の御活動が、ひしと伝わってきました。〈*素盞嗚尊の言霊 素盞嗚尊はスサは進展、ノは水、ヲは心、ミコ卜は神言で瑞霊神である。スサぶは荒れるのでなく活動することである(参照)『霊界物語』第三十九巻「総説」。……「素盞嗚とはスバルタンの意であつて、スは進展、バルは拡張とか神権発動とかの意であり、タンは尊とか君とか頭領とかの意味である」『新月の光』。〈五十音図の通り、スサノオと宇宙全体にスから進展していく様子がわかりますね(恒)〉。 続いて衝撃的な図形(G図)が眼に浮かびました。お星さまです。…空の星を見て居る位楽しい事はない。各自の星が皆空にあるのであるが、今の世の中の人々の星は、多く暗星だから、光を放って居ないから見えぬ。大臣達だって三等星か四等星である。一等星の人なんか世に出て居ない。歴史上の人物で豊臣秀吉即ち太閤さんは一等星の人であった。近頃の人では西郷隆盛が一等星であった。其後一等星の人物は出て居ない(『水鏡』「空の星と人間」)。このように王仁三郎は語っています。では(G図)御本人の星は何かといえば、三つ星(瑞の御魂)を中に抱えたオリオン星座。それを図形化すると、夜空に浮かぶ巨大な「囚」の字になるというのです。 方舟の天地四隅ノ・アとナ・オ、そしてス・サ・ノ・オをスを中心に線で結べば、方舟いっぱいに手足をひろげて立つ、須佐之男命の千座の置戸であり、王仁三郎の宿命を負うオリオン星座、囚の図形がくっきりと表われているのです。大声耳裡に入らず、嗚り嗚りて嗚り止まざる宇宙の大言霊が、今こそ私の五体の中に熱く嗚り響く思いでした。 ノアとナオの方舟は真中に須佐之男命があってこそ。その方舟は須佐之男命の囚われのみ姿。高天原で千座の置戸を負い給い、万神に手足の爪や髭を抜かれて追いやられたその贖いを示す須佐之男命の方舟で再び人類は救われるのでしょうか(引用終了)。 さて、H図を見て下さい。五十音図の中央に「ス」の文字があります。「のあとなおの方舟図」は、全世界を表します。この図は、世界の広がりを示すだけでなく、宇宙空間を示すといってよいでしょう… 天火水地は神なり。天火水地結は神の妙機なり。祭政一致、神人一致、顕幽一致、霊肉一致、上下一致の大本は和合より生ず。和合は真の信仰を生み、信仰は大和合を生ず。和合は進歩なり、発展なり…「王仁寓言」『敷島新報』。 王仁寓言の和合とは、「結」を示したものでしょう。それならば、「ス」は「天地」を結び、「火」と「水」を「火水」として結ぶもの。豪亜、欧米、アフリカ 全地の平面・空間上を結ぶ神の妙機でもあるのでしょう。 聖師の文献からノアを洗い出してみましょう。(引用)…ノアの洪水と云う事がある、ノは水の言霊、アは天の言霊、ノア(水天)は即ち水高しの意であり又水余ると云う意味にてノア即ち洪水である「音頭と言霊」『月鏡』。
回顧四十年…内患亦多し斯くて苦闘四十年、狂瀾怒涛の真只中に、ノアの方舟を漕いで来た余は、その方舟に匍い上って来る人々の種々雑多な思想や信仰に又悩み続けねばならなかった。 …余は今日迄に、「今年の内に世の立替へが来なかったら断然止めさせて貰います」 と強硬に膝詰談判をしに来る多くの人々を、諭し励まし言向和す為に何れだけ苦労したか判らない。…併し皇道の大義に馳せ参ずる者が、内に陰険な野心を包蔵してゐて、終りを全うし得るものでは絶対にない。そんな人々は悉く次ぎくに降る天の大試練に耐えることが出来ず、終に罵詈と嘲声を余等に浴びせながら去って行くのであつた。 又己の心に反省をなさず、自ら運命を開拓することをしない薄志弱行の徒は、「いくら待つても立替へが来ない。出口は嘘つきだ」と騒ぎ立てた。 かくの如く余が皇道の大義に一身を蹶起してから正に四十年、その間世界も移り日本も変り、而して余の周囲もまた浮沈転変の一大絵巻物をなしている。四十年の星霜!それは一個の人間にとつては随分長い歳月であるが、その間に於ける我国の推移も甚だしいものがあった。 今や万人の口から皇道維新の声が叫ばれ、全人類の心に世界革新が要望されておる時、たどり来りし我過去を思い、非常時日本の現状を眺め、而して将に来らんとする世界を心に浮べて、感慨の一入切なるを覚えるものである。回顧四十年」『神声』 昭和十年十月号(引用終了)。 ノアとは洪水を示し、出口王仁三郎聖師はノアの方舟を漕いできた。昭和十年(一九三五)年から四十年遡ると、明治二八年(一八九五)となりますが、明治四五年と大正元年、昭和元年と大正十五年を当時の数え方で四年間とし、明治三一年の開教、聖師高熊山修行から指折り数えれば、昭和十年がちょうど狂乱怒濤の四十年目となります。そして、その二ヶ月後の十二月八日に、「今年の内に世の立替へが来なかつたら断然止めさせて貰います」という人たちの前で、第二次大本事件という、大本自体の立替が始まります。その二年後、昭和十二年(一九三七)七月七日、盧溝橋事件が勃発します。スの拇印の押された八紘一宇の数表」の記載によれば、それが世界の立替えの始めとなります。 そして孝明天皇が預言した、皇紀二千六百年(昭和十五年(一九四〇))の日米激突の分水嶺を経て、相応の理により、昭和十年十二月八日に起きた第二次大本事件の型の移写となる、全世界を本格的に立替る太平洋戦争が真珠湾〈宍道湖に相応か〉攻撃を発端として翌年の昭和十六年十二月八日に始まるのです。霊峰大山〈アケハルの岩の象徴か〉が映る、松江の宍道湖のほとりで聖師は検挙されました。その昔、大山を取りまいた八岐の大蛇が素盞嗚命に平らげられたことの意趣返しでしょうか。 「のあの方舟」を漕いできたのが出口王仁三郎聖師とすると、のあは「聖師」、「のあの方舟」は「出口王仁三郎聖師の方舟」とも見ることができます。「なおの方舟」と合わせると、「のあとなおの方舟」は「なおと聖師の方舟」、「瑞霊、厳霊の方舟」、「伊都能売の方舟」と置き換えることはできないでしょうか。
ノアの方舟なす口述台(引用) 天気清朗一点の空には雲影も無く 日本最初の山嶺と称えられたる伯耆大山は、白雪の頭巾を頂き高麗山を圧して聳え立ち、神素盞嗚大神が八岐大蛇の憑依せる印度の国ハルナの都に暴威を振いて、天下を体主霊従的に混乱せしめつつありしその曲業を悔悟せしめ、地上に天国を建設せむと、数多の三五教の宣伝使を派遣し、厳の言霊を以て言向和さむとしたまいし時、大黒主は風を喰って印度の都を九十五種外道を引率し、遠く海を渡りて淤能碁呂嶋の要なるこの大山に姿を隠し、暴風雨を起し妖邪の気を放射して人畜を苦しめたるを、大神は自ら数多の天使や宣伝使を率いて安く来りまし、天下の災害を除き、天の叢雲の剣を獲てこれを高天原に坐します天照大御神に献り、清浄無垢の大精神を大神ならびに天神地祇八百万神及び天下万民の前に顕わし玉いし霊界物語に取ってもっとも由緒深き神山を朝夕打ちながめ、ノアの方舟なす口述台に横たわりつつ、四月一日より本日正午にかけ、真善美愛の戌の巻(五十九巻)を編著し了りたり。 白砂青松の海岸を四五の信徒と共に逍遥しつつ、松露の玉を拾ひ拾いホテルの二階に帰り、大山の霊峯と差向い互に黙々として睨み合ひつつ認め了りぬ。大正十二年四月三日       於皆生温泉「序」『霊界物語』五九巻方舟は口述台のまたの御名 「五葉松」『霊界物語』五九巻二二章
 キリストは、最後の審判を為す為めに再臨すると云ったが、彼の最後の審判と云うのは、火洗礼を施す事の謂いである。彼は火洗礼を施さんとして、その偉業が中途にして挫折したため、再び来って火の洗礼を、完成せんと欲したのである。 火洗礼とは、人間を霊的に救済する事であると云う事は、すでに我弟子達の周知の事である。最後の審判は、閻魔大王が罪人を審くと同様なる形式に於て行はれると、考えている人が多いようだが、それは違う。天国に入り得るものと、地獄に陥落するものとの【標準】を示される事である。この標準を示されて後、各自はその自由意志によって、自ら選んで天国に入り、あるいは自ら進んで地獄におつる、そは各自の意志想念の如何によるのである。 【標準】とは何か、霊界物語によって示されつつある【神示】そのものである。故に最後の審判は、大正十年十月より、既に開かれているのである。バイブルに「又天国の、この福音を万民に、證せん為めに、普く天下に宣べ伝えられん。然る後末期いたるべし」とある如く、大正十二年より、支那、朝鮮の順序を経て、今や全世界にこの福音が宣べ伝へられつつあるではないか……。「霊界物語は最後の審判書なり」『水鏡』
五十音図は「口述台」か 聖師が「のあとなおの方舟」と名付けた五十音図そのものが、先の記述から私は『霊界物語』の口述台だと見ています。そして、『霊界物語』は、私たちが天国へ行くか、地獄へ行くかの標準を示すものです。 もし私たちが天国へ昇ることを望むならば、まずその標準を知ることが第一に大切です。それを知るためには『霊界物語』を拝読するばかりではなく、研究することが必須です。(私は、私見ですがその標準とは、「瑞霊」を真の神と信じ愛し、行動するか、瑞霊を疑い、それに背を向け、そのように行動するかどうかにあるのではないかと思います) この標準を示されて後、各自はその自由意志によって、自ら選んで天国に入り、あるいは自ら進んで地獄におつる、そは各自の意志想念の如何によるのである…と考えています。ただし、天国に行くためには、有形無形を問わず、「生産」〈価値を生み出すということでしょうか〉できる、意図することが必要です。働かず、収奪だけを考えている人は、天国の団体に属せません。 ノアとナオの方舟図にはさらに探索すると、聖師に関わる本質的な教義の多くが浮かび上がります。『霊界物語』の真の意義を含めて次号以下でその謎を解いていきたいと思います。とくに焦点は、「神素盞嗚大神」の存在証明と、その神はいかなる神かということ。
お願い なお先月号で掲載予定の『霊界物語』四一巻をテーマにした「孝明天皇と和宮、有栖川宮熾仁親王と岩倉具視」の物語につきましては、機微に触れるところがあり、掲載の仕方と内容に工夫を行うため掲載延期とさせていただくこと、ご了承ください。それまで、皆様におかれましては、四十一巻と四十二巻を直近の『神の国』誌の掲載に照らし合わせ熟読玩味されますこと、お願いいたします。

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