第一三章 大本神話

■日地月の発生宇宙の創世紀、一点のほち「、」が◎の言霊を発し、鳴り鳴りて七五声を産霊(むすび)、きらめく紫微天界を成していくさまは「宇宙の成り立ち」の章で述べたが、それはやがて「顕の幽」として地上霊界に写っていく上田喜三郎(若い日の王仁三郎)が穴太の高熊山に肉体をおき霊界探検中、大神の導きによって、宇宙の中心に無辺の高きで屹立する霊峰、須弥仙(しゅみせん)山の頂上に立ち、神から賜わった天眼鏡で下界を眺める。それは数十億年の歳月を縮め、時空を超えて一望のもとに映じてくる。茫々(ぼうぼう)たる宇宙の混沌の中に、一つの球い凝塊(かたまり)ができた。見るまに凝塊は膨大して、自のとどかぬ広がりに至る。球形の真ん中に、鮮やかな金色の円柱が立っていた。それは直立したままゆるやかに左旋を始める。周辺にただよう泥水は渦巻き、次第に大きな輸を広げていく。円柱は回転の速さを増すにつれ傾斜の度を深めつつ、視覚にもふれ得ぬ速度となる。すると回転体の内から暗黒色の小塊体が次々と飛び出して無数の光のない黒い星と化し、遠く近く宇宙に散乱し、左旋回する。金の円柱がおのずから転げたとみると、巨大な剣膚(たちはだ)の金の龍体と変化し、逆巻く濁流を割って、東西南北に馳せ巡る。その意志の発するところ、自在に魂を分ち身を分ち、種々の色彩を持った大小無数の龍体を生む。その龍体もまた随所に泳ぎ始め、それらの巻き起こす波動によって泥の部分は次第に凝り固まり、稀薄になって水蒸気は昇騰する。龍体が尾を降り回すごとに泥の波形が残り、大龍体の通った後には大山脈が、小龍体の通った後には小山脈ができる。水は低地へと流れ落ち、川となり、集い寄って海を生ずる。宇宙はその時、おぼろ月夜の少し暗い状態であったが、海の中ほどから銀色の円柱が立ち上がり、右旋回を始めた。旋回の速度が強まるにつれて、いろいろの種物が飛び散るように現われ、あらゆるところにふり撒かれる。やがて銀の柱は横ざまに倒れ、銀色に輝く龍体と化した。東から金龍が固まりかけた地上を西へ駆け、海上の銀龍は海鳴りをとどろかせて東へ駆ける。その合するところ、金銀二つの光の旋回が左と右へ大地を震(ふる)わしてまき起こり、天地は光輝を発した。やがてつんざくばかりの音響とともに、金龍の口から昇騰する球がある。それはめくるめく白金の光芒を放って天に昇り、嚇々たる太陽となった。金龍は太陽に向って息吹きを吐く。それは虹の橋をかけたように見える。太陽はにわかに光を強め、熱線を放射する。黒い星たちはいっせいに輝きだした。一方、銀龍の口からは霧のような清水がふき上がり、白色の球が天に昇って太陰となる。太陰もまた虹のような尾をたれて、地上の水を吸い上げる。水はみるまにその容量を減じてくる。つき立ての餅のようにやわらかい山野は、水が減じるにつれて固まり、大地の種物はいつか芽をふく。山には松が、野には竹が、やがて梅も生じ、土くれの焙烙ほうらく)を伏せたような山々は青々と息づく。赤褐色の天は青く藍色に澄み、黄ずんでいた濁水は天の色を写すかのように青くうねる海となった。・・・聖きとうとき国の御祖/大国常立大神は/三千世界の大宇宙/完全(うまら)に具足(つばら)に造りまし/天の御中主大神と現(な)り/大元霊の真神として/聖き御姿見えねども/天地万有に普遍して/総てのものを守り玉う/高天原の霊園に/月の大神と現れ玉い/また天国に到りては/日の大神と現われて/顕幽神の三界を/守りたまうぞ畏けれ/仰ぎ敬え伊都御魂/この世の大本大御神 ■地上霊界の形成顕の幽界たる地上霊界が成ると、泥海をかき分けるための龍体は必要なくなり、金の円柱と見えた金龍は荘厳無比な人の姿と化す。幽の顕界から顕現された大国常立尊の霊体である。その精霊は天に昇り、撞の大神として天上の主宰神となられた。白色の龍体から発生した一番力ある龍神も人格化した。色は白く、容貌きわめて美しく、黒い髪は地上に引くほど長く垂れ、髭は腹まで延びている。その男神を素盞鳴尊といった。王仁三郎が大英雄神のお姿に見とれていると、その身から白光が天に沖し、月界に昇られて月夜見尊となられた。撞の大神は太陽の現界を伊邪那岐尊の貴子である天照大御神、太陰の現界を月夜見尊に主宰させられた。そしてみずからは国常立尊として地上霊界を主宰し、顕の顕、いまだに大海原である地上現界は素盞鳴尊を主宰神と定められた。銀の龍体は女神豊雲野(とよくもぬ)尊と顕現され、国常立尊の妻神として、その神業を輔佐きれる日月星辰なり、山川草木が発生したとはいえ、樹草の類は葱(ねぎ)のようにか弱かった。海や岸辺に生まれた動物も、海月(くらげ)や海鼠(なまこ)のように柔軟でしかなかった。大地の修理周成に立ち向われた国常立尊は地の世界最高の山の頂に立たれ、息吹きを放たれた。この息吹きより、十二の風の神々が出現した。神々が分担を定めて風を起こすと、松、竹、梅をはじめ一切の種物は葦のように吹き倒きれた。国常立尊は御自身の胸の骨を一本抜き取り、粉々にかみ砕いて四方に吹き放たれた。この骨の粉末を吸収して、初めて樹草は大地に根を張って立ち、動物には骨が備わった。また骨の粉末を多量に含み、凝り固まったところには、鉱物や岩石が生じた。これを称して岩の神という。太陽は苛烈な光熱を放射し、月は水を吸引し続けている。このままでは大地は干しかれいを焦がしたようにくすぶる。そこで国常立尊は海原にまだ残っていた大小もろもろの龍神に命じて、口にふくんで海水を運ばせ、狭霧のように吹き放たれた。たちまち雲がわき満ちて天をおおい、雨が沛然(はいぜん)と降り出してひからびた地上をうるおしてゆく。これらの龍神を総称して、雨の神と名づけられる。雨との調和をはかり、尊は太陽の熱を御身いっぱいに吸いこまれ、身体の各部から熱を放射された。その熱からたちまち無数の龍体が天に向って昇騰する。これを火龍神と名づけられた。風の神、雨の神、火龍人、岩の神らの調和ある活動により、藍色に澄み渡った天空には鳥が舞い、海原は鱗群(うろくず)を養いつつ青くうねり、山野は花咲き実り、生き物たちは木陰や草のしとねに安らいで眠る。大本では、国常立尊を国祖と称える。天界そのままの楽土を写して、地界は成る。国祖国常立尊は太陽、太陰に向って陰陽の水火を吸いこみ、息吹きの狭霧より御子を生まれた。この日月の精から現われた稚姫君命(わかひめぎみのみこと)は地上霊界の神政の司となる。大八洲彦命は天使長兼宰相となり、聖地エルサレムの地の高天原にある龍宮城で、神務と神政を開く。一方、伊邪那岐(いざなぎ)尊の御油断により手の俣(また)をくぐりぬけ、太陽界から中国の北方に降誕した神があっった。盤古大神といい、中国の祖先神であり、元来は温厚無比の正神である。もう一方、天王星より常世国、今の北米大陸に下った豪勇の神人に大自在天神大国彦命がある。地上霊界は国祖国常立尊の統治のもと、稚姫君命の神政と合わせて、盤古大神系、大自在天神系の三神系がそれぞれ一族を擁し、平和に治めていた。しかし時ふるにつれ、妖邪の気が発生する。燃えさかる聖火の炎からもかすかに立ち昇る煤(すす)があり、湧き出る清水も一つところに止どまれば次第に濁り、虫が湧く。スの言霊から鳴り鳴りて澄みきったはずの天界のきわみにも、やがて混濁の気が生ずるのはやむをえぬ。ここまでが顕の幽、地上霊界の姿である。 主の神は 玉留魂(たまつめむすび)金石の もとを造りて世を固めましぬ海月なす 漂う国を沼矛(ぬほこ)もて 許遠呂許遠呂(こおろこおろ)にかきなし給う矛先の 露かたまりて自転倒(おのころ)の うるわしき島生れましにけり ■人類の誕生地上霊界の姿は、相応の理によって現界に写らねばならぬ。国祖は、顕の顕界である地上物質界の修理国成に着手される。この自然界は時間、空間に支配された有限の世界だ。力あるものははびこり、弱きものはいつか形を滅ぼすしかない。自然界を統一し、調和ある善美の世界を招来するには、同じ三次元界の物質の法則によって成る肉体を持ち、神の心を心として自然を支配する、力ある生きものが必要になる。そこで国祖は、神の子、神の宮として、神に代わって天地経論の主宰となり地上を修理固成すべき人間の祖を造られた。有限の肉体の器に無限の火水の霊魂を満たして霊止(ひと)となしその陰陽二人をエデンの園に下された。天足 (あだる)彦、胞場(えば)姫である。だが天界ですら、妖邪の気が発生する。宇宙は霊力体の三大元をもって造られた。「善と悪」の章で述べたように、霊を清であり善とするなら、相対的に体は濁であり悪である。霊体二元を配合する度合の差から発した神力は、必然的に善悪混交、美醜明暗あいまって千変万化し、いっさいを成り立たせている。まして重く濁れる分子のみ凝り固まった地の世界のことである。時とともにエデンの楽園にも邪気が凝り、霊主体従の神木に体主霊従の果実を結んだ。「この実を食うべからず」と、神は天足彦、胞場姫に厳命し、その性質を試した。二人は体的欲望にそそのかされてその実を食う。これより地上世界は体主霊従に傾いて、霊界も人界もともに混濁してゆく。 足引の 山の草木を生み給い 万の神を造らせ給う天地の 守りの神々生み了えて 貴(うず)の器官と人を生ませり生魂(いくむすび) 主神の御稜威(みいづ)に人草(ひとぐさ)の 種はこの地に生い出でにけり主の神は 人間を生み動物を いやつぎつぎに造り給いぬ人間の 次に獣を生み給い 鳥獣魚類を造らせ給ういやはてに 数多の虫を造らして大地にあまね〈ま〈ばり給いぬ生殖 の道はからんと動物に 愛と情とを授け給いし動物は いうもさらなり草木まで みな生殖の器官を賜う ■アダムとイヴこれは『旧約聖書』に出てくるアダムとイヴ(エバ)の物語とオーバーラップする。そして善悪と罪の意識の問題に重大な関係がある『旧約聖書』によれば、エホバの神がまず人類の始祖であるアダを創り、エデンの園に住まわせる。「園のすべての木の果実は好きなように食べてもよいが、善悪を知るの木の果実だけは食べてはいけない。これを食べれば死ぬだろう」と神は告げる。次に神は、アダムの妻としてイヴを創る。アダムとイヴは、裸で暮らしても、少しも恥ずかしいと思わなかった。野の生物の中でもっとも狭滑な蛇が、イヴに禁断の木の実を食べることをすすめる。イヴは蛇の誘惑に負けて禁断の木の実を食べ、アダムにもすすめる。木の実を食ったアダムとイヴは裸であることが恥ずかしくなり、それ以来イチジクの葉で体を隠すようになった。禁断の木の実を食べたことで神の怒りにふれ、二人は国を追放されるキリスト教では善悪の絶対的な基準を神に求めるから、キリスト教における罪は、すべてこの堕罪の物語に発する。『旧約聖書』においては、アダムが神の意志に反する行為をしたことにより罪と死がこの世に到来したとされ、全人類は生まれながらに罪を負う。これが原罪である。『新約聖書』では、罪の意味が内面化され、深められ、罪の悔い改めとともに神の恩寵による罪からの救済が説かれる。原始仏典に似た話がある。新しい世界が始まった時は、人は光り輝く身体をもち、地の上空の楽園に住んでいた。だが蜜のような甘い大地をなめてみたいという体的な欲求にかられ、ついに誘惑に負ける。その時から地の要素と関係、だんだん粗大な食物を食べだして地上の身体ができあがり、男女の性があらわれ、その結果としてあらゆる悪行と苦の人類の状態が生れた。ただし仏教は、原罪という考えを取らない。王仁三郎の語る天足彦、胞場姫の神話にしても、当然、反論をする人があろう。「神は全智全能であり、智徳円満な存在ならば、なぜ体主霊従の果実を食ったときにすぐに人体の祖を改造し、体主霊従の朋芽を刈りとらなかったのか。体主霊従の祖を放任したばかりに邪悪の世界をつくり、みづからその処置に因むのはおかしいじゃないか。こんな矛盾をおかす神ならば、神の存在すら疑わしい」それに対して、王仁三郎は答える。「神には毫末の依怙贔(えこ)もなく、逆行的神業もない。人類の祖先の性質を試したのが神業であれば、それを食ったからといって取り消すわけにはいかないではないか。一度手を降した神業は、昨日を今日に戻すことができないように、弓を離れた矢が中途で還ることがないように、ふたたびこれを更改しないところに、厳然たる神の権威がともなう。神にしてしばしばその神勅を更改することがあれば、宇宙の秩序はここに全く紊乱(ぶんらん)しつひには自由放漫の端を聞くことになる。古の諺にも『武士の言葉に二言なし』というが、ましてや宇宙の大主宰である神明においてはなおきらだ。神諭にも、『時節には神もかなわぬぞよ。時節を待てば煎豆(いりまめ)にも花の咲く時節が参りて世に落ちてをりた神も世に出て働く時節がまいりたぞよ。時節ほど恐いものの結構なものはないぞよ』と示されているように、天地の神明も『時』のカだけはどうすることもできない」(『霊界物語』一巻「発端」)神が人間に一霊四魂を与え、神に代わって地上の主宰者としての_権限を授けた以上、人は自律して霊と体とを統べ、自分の意志のまに生きねばならない。毒あるものを食うなというのは親の愛だ。だが成人した息子は親に隠れて甘い実をむきぽる。それでも親は、可愛い息子に食わしたくない毒を根絶はできぬ。なぜならば、それは人類にとって必要だからである。体的成長のためには、体的欲望がなくてはならない。それを悪と決めつけるわけにもいかぬ。神性をとるも獣性をとるも、人の自由である。青い大空だけではいっさいを生かせず、大地だけでも生きとし生けるものをはぐくめぬ。エデンの菌の神木のように、大地にしっかりと根を張って枝葉を伸ばし、月日の恵みを受ける。そして霊五体五の正しい実を結ぶことを神は願う。地上物質界はもともと体主霊従に造られたところ。神に代わって人智を得、それに奢ってゆくのも無理はない。むしろ宇宙完成のためには、必然的な経過であった。聞きわけのない息子の初発に犯した罪を全人類の末裔にまでかぶせてみずからをいやしめるのは決して神の御心ではない。だが人が神慮にそむいて神の元を去ったばかりに、やがては恐ろしい災禍を生む結果となる。現行刑法でさえ祖先の罪はうんぬんしないのだ、アダム、イヴの罪まで背負ってたまるかい ■邪神群の発生荒野に去った天足彦、胞場姫から生まれた子らは各地に散って人類の子孫を生みふやしていった。神の意志を代行すべき人間が年移り星変わるにつれて神を忘れ、人智に長け、情はねじけ、私利私欲のために争うことをはばからぬ存在に堕落してゆく。言霊は次第に濁って神通力を失い、怒号、悪罵、嘲笑、怨嗟(えんさ)の声は悪意とからみ合い、毒ある邪気を発生し続けた。邪気は邪気を呼ぴ、天地間に立ちふさがる。神界よりの水火は、その邪気をふくむ密雲にさまたげられて届かぬ。もはや神と人と地の調和はくずれた。地上は流水の清さを失って腐敗し始め、海は濁って悪臭を放ち、大気は汚染されて息ぐるしく、日は暗い。人類は得体の知れぬ流行病におかきれ、苦しんだ。地上霊界からこの様を見た国祖は憂悶(ゆうもん)やるかたなく、深い吐息をつかれた。その吐息から八種の雷神と荒の神が生まれた。稲妻はひらめきわたってわだかまる邪気を裂き、疾風おこって暗雲をなぎ払ぃ、地上は吹き荒ぶ嵐に包まれ、不気味な地鳴りと共に揺れ動いた。大荒れの後の天地は火水に洗われて甦ったが、根強く残った邪気は三方に分かれて凝り固まる。その邪気は、地上人類のもろもろの害毒から溢れ出たばかりではない。天界の端々にもよどむ残り滓(かす)が沈んで澱(おり)を成すように、類をもって集まり、力を生み、ついに邪神界が現出する。露国のあたりに発生した邪神群を、仮に八頭八尾の大蛇という。印度近辺に極陰性の邪気ばかり凝り固まったのが、金毛九尾白面の悪狐である。八頭八尾の大蛇はその霊を分けて力ある国々の権力者に、金毛九尾の狐はおのが分霊を権力者の妻に憑依させたがる。もとより人体は霊を止める器、宿として造られたもの。その主たる霊が突如、あるいは少しずつ交替してまったく別の霊に感応し、支配されてしまうのだ。まっさきに大蛇の霊が襲ったのは、盤古大神の子、常世彦命であり、その妻常世姫命を狙って、たくみに九尾の狐がもぐりこむ。常世姫は地上霊界の神政の司、稚姫君命の第三女である。国の司夫妻をとりこにした邪霊群は、こわいもの知らずの威をふるう。常世国には妖気がみなぎり、政治は乱れて、上も下も体主霊従の行動を好むようになっていく。一方、ユダヤの地に凝固した邪霊は、六面八管の邪鬼と化した。彼らは神界、霊界の組織を打ちこわし、力をもって全世界を従えようとひそかに企む。この邪鬼は大自在天神大国彦命に憑依し、着々と力主体霊的行動をおこしていった。正神界の神々が「(ほち)」の言霊から発生したように、彼らもまた邪悪な想念、邪悪な言霊から発生して力を得た。彼らが目的と意志をもって動く時、必ず何らかの形をとる。実際は相手方の意にそうように、威容厳然たる正神か美しい女神となって現われたがる。その方がだましやすいからである。しかし見破られたり包みきれなくなった時など、思わず正体を現す。古くその姿は日本や中国や印度などで記録されているが、金毛九尾白面の悪狐、八頭の大蛇、六面八替の邪鬼というのも、そうした形につけられた名称に過ぎない。入道に似た雲に入道雲と名づけるのは、人間に入道という記憶があるからだ。悪狐とか悪龍(大蛇)、邪鬼と呼ぶのも、狐や大蛇や鬼の連想から、そのような姿に見えるのである。また逆に人間の観念、あるいは相手の潜在意識をついて、邪霊がそうした姿を現わすのか。三系統の悪霊は三つ巴となって大神の経倫を妨害し、罪悪は平然と横行し、弱肉強食の巷となる。地上霊界の乱れは、相応の理によって現界にも写り、顕幽神界の混乱紛糾は収拾ならぬまでに立ち至る。 ■稚姫君命の御霊の因縁国祖は乱れに乱れた三界を持ち直すため肝胆(かんたん)をくだき、妻神豊雲野尊と天道別命(あめじわけのみこと)と相談し、天地の律法を制定した。律法は、内面的には「省みよ」、「恥じよ」、「悔いよ」、「畏れよ」、「覚れよ」の五戒律(五情の戒律) である。だがもはやこれだけでは、なんの歯止めにもならない。そこでやむをえずさらに具体的に厳格化された外面的律法が制定きれた。一、夫婦の道を厳守し、一夫一婦たるべきこと。一、神を敬い、長上を尊み、博く万物を愛すること。一、互いに嫉妬(ねた)み、誹(そし)り、偽り、盗み、殺しなどの悪行を厳禁すること。「この律法はまず地の高天原から実行せよ。それを型としてのち、天下万民に伝示せよ」との神命である。龍宮城に入って暴威をほしいままにしていた常世姫一派も、さすがに律法の前には手が出ず、エルサレムを去っていった。金毛九尾、八頭八尾ら邪神たちは鳴りをひそめ、ようやく地の高天原は戒律を取り戻すに至った。神政の司、稚姫君命は愁眉を開き、早朝なる神楽(かぐら)を奏上、天地の祭りごとを盛んにして、諸神は太平の夢に酔う。稚姫君命には夫神天稚彦(あめのわかひこ)との間に三男五女の御子があった。おりしも天稚彦命は常世姫一派の奸策(かんさく)におちいり、ある女神の色香に迷って、城を出たまま戻らぬ。その留守中、稚姫君命は舞曲に合わせて美しく踊る若い男神に心を奪われ、恋のとりこになっていた。貞淑高潔、天より高く咲く花とうたわれた稚姫君命はここに夫婦の道を誤り、みずから厳正なる天地の律法の犠牲になり、夫神ともども幽界に落ちていく。これより稚姫君命の精霊は三千年の長きにわたって生き変わり死に変わりしつつ、律法を犯した罪をつぐなわんと、あらゆる苦しみをなめる。この稚姫君命の霊魂が出口直である。 ■国祖御引退天の大神の許しをえて、国祖は律法を天上、天下に宣伝した。その管掌の神として、一六神将を天使に任じた。稚姫君命をまんまと落とした邪神たちは手を替え品を替え、あらゆる策を講じて正神たちを挑発した。だが正神たちは愛の心を持って忍耐に忍耐を重ねる図に乗った常世彦らの魔軍は天をおおってエルサレムに攻め寄め寄せ、龍宮城を目がけて火弾毒薬を投下した。国祖は厳として武力の使用を許さず、「忍耐を旨に、至誠一貫敵を言向け和せ」と命じるのみ。進退極まった天使、神将はついに破邪顕正の剣を抜き放った。戦い終り魔軍は壊滅したが、邪神たちは己の悪行をかえりみず、「殺すなかれ」の律法を無視した天使らの処罰を国祖に強要する。国祖は涙を呑み、律法を破った天使長大八洲彦命ら一六神将の追放を命じた。そうまでしても、律法を守り抜こうとしたのである。邪神系の暴動は続き、天使長や天使らを更迭すること数回に及ぶ。ついに神々は会議を開き、律法の精神にのっとり、身につけたすべての武器を撤廃した。神代における軍備撤廃はまことに徹底したもので、神々は生まれながらに付着している武装まで廃棄したのだ。龍神は自らの鋭い牙を抜き取り、角(つの)を折り、剣膚(たちはだ)の鱗(うろみ)をはがして、蛇に近い姿になる。眷属神といえども、翼をとり、鋭い爪、針毛を抜き、無防備の体となってまで暴力を否定した。常世彦命夫妻も一時は国祖の御心に打たれて悔悟し、地上霊界は平和に治まった。だがそれは何時までも続かぬ。神々や人々の体主霊従、力主体霊の邪気は時とともに広がり、またしても悪狐、悪龍、悪鬼どものほしいままに荒れていった。彼らには律法の厳しさが我慢ならぬ。その律法を守って毫も屈せぬ国祖が邪魔でならない。彼らは一致して国祖の非を鳴らし、天の大神に直訴した。たしかに国祖はあまりに厳格剛直に過ぎたため、混沌時代の主宰神としては少しばかり不適任であった。悪霊の容器となった八百万の神々の不平不満は、天の大神といえども制止しきれぬ。ついに天の大神は、地上神界の情勢やむをえずとして万神の請願を聴許し、国祖に「少しく緩和的神政を行うよう説得した。妻神豊雲野尊も「時代の趨勢に順応する神政を」と、涙ながらに諌言した。それでも国祖は、「律法は重大だから、軽々に改変すべきではない」として聞き入れぬ。万神はこぞって国祖隠退を唱え、温和な盤古大神を奉ずることを直訴し続けた。天の大神はついに神策尽き、国祖に「聖地を退去して根の国に降れ」と以心伝心的に示した。国祖は天の大神の心情を深く察し、千座の置戸を負って、根底の国に落ちて行く決意をする。そこで妻神に累が及ばぬよう、きっぱりと夫婦の縁を絶つ。国祖は、「われは元来頑迷にして時世を解せず、ために地上の神界をしてこのように常暗の世と化せしめたのは、まったくわが罪」と天界に詑びごとを奏上された。天の大神は千万無量の悲嘆を隠してそれを聞き入れられ、「一陽来福(いっちょうらいふく)の時を待って、元の地上神界の、王権神に任ずる時がこよう。その時はわれもまた天より降って、貴神の神業を輔佐しよう」と暗黙のうちに約された。悪盛んにして天に勝つ。ここに国祖は神議りに議られ、暴悪な邪神どもに髪を抜かれ、手足を切られ、骨を断たれ、筋をちぎられ、よってたかつて残酷な処刑を甘んじて受けられた。しかしいかに邪念を凝らしてみても、国祖の威霊までほろぼすことはできない。元の霊身に立ち帰った国祖は、一人エルサレムを去ってゆく。その背に神々は煎(い)り豆を投げつけて叫んだ。「煎り豆に花が咲くまで、この世に入るべからず」 ■国祖の霊を封印国祖御引退は節分の日であったという。天の大神は、大地の火球の世界へ落ちて行かれる国祖の精霊の一部を、聖地エルサレムの東北(艮)、七五三垣(しわがき)の秀妻(ほづま)国に止めさせられた。神々は国祖の威霊の再び出現することを恐れ、七五三縄(しめなわ)を張り巡らして霊を封印する。豊雲野尊は離縁された身とはいえ、夫神の悲惨な境遇を座視するに忍ぴず、自ら聖地の西南(坤)の島に隠れて、夫神に殉じた。天地の律法を国祖とともに守った正しい天使たちは神々に弾劾され、それぞれ世に落ち、長い星霜をさすらう身になる。邪神たちは艮の金神、坤の金神、つまりは鬼門・裏鬼門の悪神、祟り神と広く喧伝し、今にいたるも世の親神を忌み嫌わせた。特に国祖の威霊の封印された日本では、節分ともなれば「鬼は外、福は内」と叫ぴ、鬼を追って煎り豆を撒く。それだけではない。日本の神事、仏事、五節の祭礼は、すべて艮の金神の調伏の儀式である。出口直の筆先は述べる。「年越しの夜に煎り豆をいたして、鬼は外、福は内と申して、鬼神にいたして、この方を押し込めなされたのだが、時節がまいりて、煎り豆に花が咲く世がまいりたぞよ」。明治三五年旧一O月ニ日(『大本神諭』第二集)「年越しの夜に、鬼は外、福は内と申して、この艮の金神を鬼神にいたして、独法師(ひとりぼっち)にいたされて、世におちて国をつぶさん(つぶさない)ために、化けて世界の守護をしておりたぞよ。この方、守かまわな一寸もいけんぞよ」明治三六年間五月二五日(『大本神諭』第二集)。「煎り豆が生えたら出して上げると申して、三千年あまりて押しこめておりたなれど、この神を世に出すことはせんつもりで、たたきつぶして、はらわたは正月の雑煮にいたし、骨は二十日の骨正月に焼いて食われ、身体の筋は盆に素麺にたとえて、ゆでて食われたぞよ。そうしられでもこたえんこの方、化けて世界を守護いたしておりたぞよ」明治三五年旧九月二日(『大本神諭』第二集)「正月の三箇日の雑煮の名をかえさすぞよ。この艮の金神を鬼神といたして、鬼は家へ入れんと申して、十四日のどんどにも、鬼の目はじきと申して、竹を割りて、家のぐるりに立てであろうがな」明治三七年旧一月二日(『大本神諭』第四集) ■大洪水多年の宿望が成就して、常世彦命は天の大神の命をいただき、盤古大神を奉じて地上霊界の神政をにぎった。常世彦命は八王大神の称号をかちとり奢りきっていた。国祖はじめこの堅苦しい律法をかざす天使は追放し、ただ少々煙たいのはエルサレムの奥殿にいる盤古大神だけである。常世彦命は盤古大神の温厚な神格が苦手で、エデンの園に造った宮殿に転居を乞うた。盤古大神は見ざる聞かざる言わざるの三猿主義をとり、常世彦のいうままになる。また常世彦命は地の高天原の御神霊との同殿同床を避け、申しわけに小さな宮を橄欖山の頂きに建てて移し、年に一度お祭りするにとどめた。神殿は風雨にさらされて荒廃するに任せ、屋根は雨がもり、くもの巣ははびこって、ついに野鼠の住家となる。各国の八王八頭も聖地に神習って宮殿から国魂を分離して形ばかりの宮に移し、祭祀の道を怠った。地上霊界の乱れは現界に写り、人々は天地の神を信じ、おのれを省みる心を失い、律法は遠く忘れ去られる。国祖大神の威霊の抜け出た天地六合(りくごう)は大変調をきたす。春の花は秋に咲き、夏は雪降り、冬蒸し暑く、妖気 (ようき)は天をとざして次第に日月の光は曇ってゆく。エルサレムの龍宮城は八王大神が住んで遊楽の場となり、おぼろ月夜のような大地の気候異変も苦にせず遊び狂った。ついにエルサレムやエデンの城は鳴動(めいどう)爆発し、大火災になる。盤古大神や八王大神夫妻らは、アーメニアの野に向って逃げた。彼らは大蛇や悪狐の容器になりはて、アーメニアに神都を聞く。国祖御退隠に際しては協力し合った仲の大自在天一派はこの機を逃きず、天下の神政統一を旗印にまず常世城を占領、盤古大神一派に無名の戦端を切った。この反逆に激怒したアーメニア側は、常世城討伐を期して、各山各地の八王八頭を招集した。大自在天神も同じ力をもって招集令を発したので、天下は二分し、おのおのその去就に迷わされた。内乱衝突は各地に広がり、もはや頼むにたる権威すらない。混乱に乗じて大蛇、悪弧、邪鬼の邪神たちは、時こそ至れりと暴威をふるった。国祖の数十億年の忍苦の結果になった地上は汚濁し、邪悪な気魂は宇宙の霊気を汚し、毒素は刻々と増してくる。このままでは天足彦、胞場姫の体主霊従の気を受けついだ地上人類は殺し合いによらずともみずから滅亡するよりほかにない。かなわぬ時の神頼み、今さらのように国祖大神の威霊を慕い、神殿に伏して祈願を捧げる人々さえ現われた。地上霊界、現界のこの有様は、隠身となった国祖の神霊に響かぬはずはない。国祖は耐えに耐えた吐息を内にこらえ、涙を体内に呑む。今にして堪忍の緒を切れば、体内に積みふさがった悲憤の思いがどれだけの力を爆発させるか、御自分でも分かるだけに泣くに泣けぬ。それにしても、国祖の腹中に蓄積された嘆きの涙は、満ちあふれんばかりになっていた。そしてついに煩慮(はんりょ)の息は鼻口よりかすかもれて大彗星(だいすいせい)を生み、無限の宇宙間に放出される。一息ごとに一個の大彗星が、そしてまたたくうちに数十万の彗星が現われ、やがてその光は稀薄になって消滅した。しかしその邪気はガス体となって宇宙開に飛散し、ついに欝積(うっせき)して充ち満ちる。蔭ながらこの世を守っておられた艮坤二柱の大神は地上を立替え立直す時がきたのを悟り、ひそかに救いの道を開かれる。根底の国に落ちていた天使たちは国祖の神命を受けて予言者になり言触れにことよせて、神の教えと警告を世界各地に広める。だが利己一辺に傾き荒みきった人々は、わずかを除いて流浪(さすらい)神の予言警告などに耳をかさぬ。その中でも、さすがに盤古大神は、言触神(ことぶれかみ)の一言で世の終りを悟った。礼を尽くしてその教えを聞き、改心して新しく神殿を造り、日月地の神を鎮祭した。それに反Lて八王大神一派は言触神を牢に投じ、「呑めよ、騒げよ、一寸先は暗よ、暗の後には月が出る」と自棄(じき)的に踊り狂い、予言警告を無視した。さらに盤古大神を暗夜に乗じて攻め滅ぼそうとする。盤古大神は無抵抗主義をとり、言触神とともに辛うじて聖地エルサレムに逃れた。かつての神政の都エルサレムは崩壊し、すすき野になっていた。天変地妖は各地に続発し、予言を信じた神々たちはエルサレムに集まってくる。八王大神の野望は止どまるところを知らず、盤古大神を偽称して、ついに魔軍を率い、海を渡って大自在天神を攻めた。偽盤古と見破った大自在天神一派は、迎え撃って猛烈な戦端を開く。地上は真二つに割れて、惨慌たる修羅場となった。国祖は、絶望と怒りと悲しみのため、耐えに耐えてきた大声を発し、地団駄を踏んだ。大地は揺れ、地震の神、荒の神が一度に発動した。酷熱の太陽が数個、一度に現れて氷山を溶かし、海水は刻々に増加する。太陽の光が沈んだと思うと暗夜が続いて、五六七日にわたる長雨となった。天弛は鳴動し、地は避け、山は崩れ、津波は常世城を没っせんばかりに襲いかかる。引き返そうとした魔軍の磐樟(いわくす)船は狂乱の波にもまれて海底に沈み、天の鳥船も大気の激震に耐えかねて、次々と墜落していった。天地神明の怒りの前には、さしも猛威をふるった大蛇、悪弧、邪鬼の魔力もなえ、ただただイモリ、ミミズに変化(へぐ)れて逃げまどうばかりである。大洪水は地上を泥海に返した。水中よりわずかにのぞく高い山の頂きにはいち早く天災を知った鳥類、獣類が、あるいは数日前からこのことを予知していた蟻の大群が真黒に積もっていた。泥海の上には、幾つかの神示の方舟が、暴風雨にもまれつつただよっている。これは一名目無堅間(めなしかたま)の船といい、銀杏の実を浮かべたように、上下がしっかりと樟の板で丸〈覆われている。わずかに空気穴があいているのみである。予言者の神示に従って、心正しい人々が長い日数かけ、牛、馬、羊、烏などを一つがいずつ入れ、草木の種を積み、食物とともに準備していたのである。それに乗って生き残った人々が、第二の人類の祖先といえる。地上の蒼生のほとんどが死に絶えた。艮坤二神は世の終末を見るに耐えず、天の日月の精霊に対して祈る。「地上の森羅万象を一種(ひといろ)も残さず、この大難より救わせ給え。吾らは地上の神人をはじめ、一切万有の贖いとして、根底の国に落ちゆき、無限の苦しみを受けむ。願わくは地上万類の罪を許させたまえ。地上のかくまで混濁して、かかる大難の出来したるは吾らの一大責任なれば、身をもって天下万象に代らむ」(『霊界物語』六巻「極仁極徳」)祈り終るや、二神は地獄の口を開く天教山の噴火口に身を踊らせ、根底の国へ神避(や)られ給う。その贖いによって、本来なら根底の国に落ちるべき人類の霊魂が、地上蒼生(ちじょうそうせい)のすべてとともに、そのま顕の幽界へ救われる。龍宮城から延びてきた天の浮き橋から金銀、銅の霊線が下りてきて、東西南北に巡りながら波間にただよう無数の神人を救い上げる。地上霊界の神々の体は三次元の物質とは違う稀薄な霊身だから、いったんは死の世界へ落ちても、救いの御綱によって蘇ることができる。盤古大神や大自在天神は金橋に救われ、極悪非道の八王大神夫婦でさえ見捨てられず、国祖の慈愛の綱にかけられた。しかしその身は蟻の山に下ろされ、全身蟻だらけになる。 ■日本列島の成立 天地の大変動によって、地軸はやや西南に傾いた。そのために北極星、北斗星は、地上より見てその位置を変じた。現今のアフリカの一部と南北アメリカの大陸が現出し、太平洋および日本海が陥落した。それまでは今の日本海はなく中国も朝鮮も日本と陸続きであった。地球のもっとも強固な部分が、龍の形をして取り残された。ここは天地剖判の初めに泥海の中に黄金の円柱が立っていて、おのずから転げたところ、その形は龍体に変じた大国常立尊のお姿そのままであり、同じ大きさであった。この島を自転倒島(おのころじま)と名づけ、世界の胞衣(えな)として立て分けておかれた。大国常立尊は「この海月(くらげ)なす漂える国を修理固成なせ」と宣り、日月界から伊邪那岐尊、伊邪那美尊を下きれ、天の瓊鉾(ぬほこ)(北斗星) を給う。この星が月の呼吸を助け、月は地上の水を盛んに吸引した。数年をへて洪水は引き、陸地が現われた。地上の蒼生はいったん国祖の贖いの力に蘇り、命が芽吹いてくる。伊邪那美尊二神は撞の御柱を中に行き巡り合い、美斗能麻具波比(みとのまぐわい)、すなわち火と水の息を調節して陰陽合致、万有に活生命を与える国生み、御子生みの神業を始められる。『霊界物語』一巻より六巻までの各巻