第三章 宇宙の成り立ち■宇宙の時間と空間真神は「天地万有の創造主」であり「無限絶対無始無終の宇宙の大元霊」と王仁三郎はいうが、その宇宙なるものがまったく謎に包まれている。最新の科学では、宇宙には百数十億年の歴史があるという。地球が生まれて四六億年、そこに生物が発生して四O億年、わが人類が生まれて二百万年という。たかだか何千年かの歴史しか持たぬ我々にとって、百億年の時間といえば始まりがないに等しい。始めなければ終りなし、まさに宇宙は無始無終である。宇宙は百億光年の広がりを持つ。一光年は光が一年間に走る距離であり、光は秒速一ニO万キロ、地球を七まわり半する速度だ。宇宙の果ては宇宙の地平線と呼ばれ、光速で遠ざかっているため、光はこちらには届かない。地球と太陽の距離は一億五千万キロ。オギャ!と生まれた赤ん坊を時速百キロの新幹線なみの乗物に乗せて出発、太陽に向ったとする。休みなくただひた走っても到達は七五万時間後、八五歳になっている。世界一の長寿といわれる日本人の平均寿命すら上まわる。ところが太陽の光なら、八分一九秒で地球に到達する。それほど秒速三O万キロというのは超スピードであり一年間走ると九兆四千六百億キロになる。その百億倍が宇宙空間の広さ、しかもなお限りなく膨張し続けているという。太陽のような恒星が一千億個ぐらい集まったものが銀河あるいは島宇宙と呼ばれ、それぞれの銀河聞の距離は百万光年である。宇宙には銀河が一千億個あるというから、宇宙の恒星の数は一千億個の一千億倍あることになる。したがって時空の場での宇宙の様子は想像もつきがたい。時間には始めもなければ終りもなく、空間もどこまでも果てしないのが宇宙の真相やも知れぬ。■科学でいう宇宙起源説宇宙の生い立ちについて誰しも知りたいところだが、それが自然科学の対象になったのはようやく二O世紀に入ってからだ。一九二二年、ハッブルによって、遠い銀河ほど早い速度で遠ざかっていることが発見され、宇宙膨張説が大きくクローズアップされた。さらに一九四八年、ガモフによって、火の玉のような宇宙からビッグ・バン(大爆発)によって現在の宇宙が誕生したという説が唱えられた。一九六五年、宇宙のどの方向からも一様に放射されている熱の存在が発見きれ、ビッグバン説はより有力な宇宙起源説となった。現在では、ビッグ・バン説をさらに発展させ、宇宙誕生後の一兆分の一秒よりも短い時間のことにメスを入れようとしている。この時期は超高温状態であり、短時間に急激な膨張、インフレーションが起きたという。現代の科学は、宇宙全体が一センチ立方より小きかった時代のことまで論じている。銀河が一千億個集まったこの宇宙がてのひらに乗る角砂糖よりも小さかった時期があったと聞かされても、とても想像できない。そうなると、銀河は一ミクロンより小さくなってしまうのだから。いかなる意志で、何の目的でとは科学で問うところでないとしてもビッグ・バンの瞬間、なぜ一点に凝縮していたのかという原因も分かっていない。科学の方程式では解けない謎であろう。もちろん宇宙誕生の時は時間も空間もない状態だから、それ以前はどうだったのかと問うのもナンセンスかも知れぬ。■言霊について宇宙の嬰児時代について、『古事記』序では「それ根元すでに凝りて、気象いまだ効(あらわ)れず、無名無為(なもなくわざもなし)、誰か其形を知らむ」、『日本書紀』では、「古(いにしえ)天地未だ剖(わか)れず、陰陽(めお)分れず、混沌(まろかれたること)雞子(とりのこ)の如し」とあるのみで、暖昧模糊としている。王仁三郎は、宇宙は言霊によって形成されたという。ここで言霊について簡単な説明をする。『万葉集』にも「しき島のやまとの国は言霊のたすくる国ぞまさきくありこそ」(柿本人麻呂)、「そらみつ倭(やまと)の国は皇神(すめがみ)の 厳(いつく)しき国言霊のさきはふ国と語り継ぎ 言ひ継がひけり」(山上憶良)とあるように、言霊とは古来、言葉に宿ると信じられた霊力である。それを研究する学問を言霊学という。言霊学者としては、中村孝道、大石凝真素美、杉庵志道、本田親徳、長沢雄楯(かつたて)、水野満年などが知られる。なかでも中村孝道は言霊学中興の祖といわれ、王仁三郎の祖母上田宇能(うの)は彼の姪である。王仁三郎は物心ついた頃から、都にはまれな素養を持つこの祖母に言霊学を学ぶ。また本田親徳の言霊学は、その弟子長沢雄楯を経由して、王仁三郎に強い影響を与えた。■宇宙は言霊によって創造宇宙は言霊によって創造されたというと、奇異に感じる人も多かろう。だが王仁三郎は、古事記でも聖書でも仏典でも教えていることだと主張する。古事記冒頭に述べる。「天地が初発(なりた)つ時に、高天原に成る神名は、高御産巣日(高皇産霊)神、次に神産巣日(神皇産霊)神。この三柱の神は並(みな)独神(す)に成りまして、隠身也」「高天原に成る神名は」の語句は一般的には「天地剖判の時に高天原という霊地に生まれられた」ぐらいに解釈されるが、王仁三郎は否定している。「成る」は「鳴る」の意であり、伊邪那岐神の「黄泉行(よみのくにいき)」の段に「八雷成居(やぐさのいかづちがみなりいる)」とあるのも、「鳴り居る」の義である。したがって本当の意味は、天地が初めて開けた時、「タァーカァーアーマァーハァーラァー」と言霊が鳴り響いて、まず霊界に高天原が形成されていったというのだ。「タカアマハラ」は天之御中主神の根本発動である。『新約聖書』ヨハネ伝第一章には「初めにコトバがあった。コトバは神と共にあった。コトバは神であった。このコトバは初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち一つとしてこれによらないものはなかった。このコトバに命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そしてやみはこれに勝たなかった」とあり、すべてのものがコトバによってできたと述べている。真言密教では、阿(ア)字を万有の根源とし、この字のいろいろな意義や功徳を説く。「阿吽(あうん)」は吐く息と吸う息、息の出入りのことである。「阿伝の呼吸」という言葉があるが、共に一つのことを為し遂げようとする時の相互の微妙な息の合い方を指す。この阿吽のニ字をいっさいのものの太初と究極を象徴するものとし、阿は万有が発生する理念の本体、吽はそれが帰着する智徳を意味する。寺院の山門の左右にある仁王や狛犬が左方は口を聞き、右方は口をとざしているのは、阿吽を象徴している。このように仏教でも言霊で万有が発生したことを説いているのだが、王仁三郎は、「ア・ウンの前に総根源であるス(神)の言霊があることを知らない。だから仏教哲理を究めても、神の概念にまで到達することは困難だ」という。王仁三郎は「宇宙の実在は神であり、この世のあらゆる現象は神の意志の発作、神の意志の表現だ。そして神の意志とはコトバであり、すなわち神は言霊である」という。だから神名に大国主命とか素盞鳴尊などとある命(尊)は「御言」「神言」の義だ。また声は心の柄であり、嬉しさ、悲しきなどの思いはまず声に現われる。進め、退け、起きろ、寝ろなど、人間の一挙一動、みな言霊の力によって左右される。・・・世界の太初に言葉あり/言葉は道なり神に坐す/すべてのものは言霊の/清き御水火にもとづきて/造られ出でしものぞかし/現しきこの世は言霊の/幸わい助け生ける国/天照り渡る貴の国/すべての法規も更生も/言葉をはなれて外になし/ああ惟神言霊の/幸わいたすくる神の国に/生まれ出でたる嬉しきよ■王仁三郎の説く宇宙誕生では王仁三郎が神より見せられたという宇宙誕生の模様はどうか。天もなく、地もなく、したがって時間も空間もない大虚空に、極微なる一点のほち「、」が忽然と現われ、無形、無声、無色の霊物となる。この霊物はついに霊気を産出し、澄みきり澄みきらいつつ次第に拡大して、一種の円形を作る。円形は湯気よりも、煙よりも、霧よりも遥かに微細な神明の気を放射し、円形の圏を描いて元の円形を包み、◎の形になる。「、」は◎へと形を発展させながら、寂然たる無音の虚空に初めてあるかなしかのスの言霊を発生する。@すなわちスの言霊はかすかな声音のようだが、遠く、深く、強く、どこまでもしみとおってゆく。「澄みきり澄みきらいつつ」スースースース―と極みなく延び広がり、ふくれ上がり、鳴り鳴りて鳴りやまず、ついに極まり達してスゥースゥーとウの言霊が発生する。ウの言霊はウーウーウーウーと透徹し、その活動を領分して上へ上へと昇りつめ、その極みにアの言霊を生む。一方、ウは下へ下へと降ってついにオの言霊を生み、さらに降ってエの言霊、イの言霊を生む。ここに天の言霊であるアオウエイの五大父音が完成し、次にカサタナハマヤラワの九大母音ができ、キシチニヒミイリヰの火の言霊、ケセテネへメエレヱの水の言霊、オコソトノホモヨロヲの地の言霊、クスツヌフムユルウの結(神霊) の言霊が生成され、さらにガゴグゲギ、ザゾズゼジ、ダドヅデヂ、バボブベビ、パポプペピの言霊が生まれ、ついに七十五声の言霊が完成する。大虚中 ただ一点の現れて 至大天界生まれ給へり大虚空一点の、あらはれて スの言霊は生れ出でたり大宇宙 みち足らいたるアオウエイ 父音の言霊聞き得る人なし澄みきりし スの言霊の生い立ちに 天之峯火夫(あめのみねひお)の神とならせり峯火夫の 神の功のなかりせば 紫微天界は生れざるべし久方の天之峯火夫の神は 天界の万有諸神が主神に坐します主の神の 力によりて宇迦須美の 神の御霊は生れましけりウの神の 功は下りて大津瑞穂(おおつみずほ)神と生れます言霊なりけりウの神は 上に開きて天津瑞穂 アの言霊と生れたまひぬ主の神は 七十五声を生みなして 天の世界を開きましけり天に満ち 天に輝き透き徹り 鳴り鳴りやまぬ主の神の功■言霊のビッグ・バン七十五声の言霊があい和して大音響をとどろかせ、宇宙は震動して紫色に輝きはじめる。だが言霊の鳴りみちて現われた世はまだ霊界のみである。それは次第に水火を発し、虚空に光を放ち、その光凝結して無数の霊線を発射し、紫色に輝く紫微圏(しびけん)層を、ついで蒼明(そうめい)圏、照明(しょうめい)圏、水明(すいめい)圏、最後に成生(せいせい)圏の五層の段層を生じた。その高さ、広さかぞうべきもない。まさに◎に発した言霊のビッグ・バンである。紫微圏層の中にも五つの天界が次第に形成きれていく。天極にある至厳至美、至粋至純の透明圏なる紫天界、続いて蒼(そう)天界、紅(こう)天界、白天界、黄天界・・・光彩の渦は巡り巡る。天空には万の星座がきらめいてその数を増す。大虚空(だいこくう)に鳴り鳴りやまぬ霊力体の三元は、スの言霊の玄機妙用によって、紫微天界に大太陽を現出する。ただしこれは物質界の太陽ではなく、霊界の太陽である。その太陽の輝きは、物質界の太陽の七倍以上の強きだという。■◎の言霊◎すなわちスの言霊の活動を称して宇宙の大元霊といい、古事記では天之御中主神、『天祥地瑞』では天之峯火夫(あめのみねひお)神という。「けだし◎の言たるや◎にして◎なるが故に、すでに七十五声の言霊を完備して、純乎(じゅんこ)として各自みなその真位を保ちつつあり。しかしてその真位というは、みな両々あい向いて、遠近皆悉(ことごと)く返対力が純一に密合の色を保ちて実相しつつ、至大極乎として恒々(こうこう)たり、活気臨々として点々たり、いわゆる至大氳呍(いんうん)の気が声と鳴り起(たた)んと欲して、湛々(たんたん)の中に神機を含蔵するの時なり。故に世の人たる者は、まず第一にこの◎のいわれを明らかに知るべきものとす、何故ならば◎は皇の極元なればなり」(『天祥地瑞』七三巻四章「◎の神声」)スの言霊は、光でいえば白色光、音でいえばホワイト・ノイズ(白色雑音)にあたらないだろうか。現代の科学は、すべての物質が粒子と波動(振動) の両方の性質を持つことを明らかにしているが、音にしろ光にしろ、波動は似かよった性質を持つ。白い光はプリズムを通せば赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色にわかれる。さまざまな波長の色の光が集まったのが白色光であり、「澄みきり澄みきらいつつ」というように、澄んだ透明な色である。またホワイト・ノイズはすべての波長の音をふくみスーあるいはサーといった音に聞こえる。ホワイト・ノイズはフィルターを通してさまざまな音を分離して、音の電子的合成に利用されることがある。独神(す)になりて 隠身(すみきり)たもう神の上は かしこき人もかたりえざらめ■霊素と体素スより発したウの言霊を、『天祥地瑞』では宇賀須美(うがすみ)神と称する。ちなみにウの言霊から現れたアの言霊を天津瑞穂の神、オの言霊を大津瑞穂神という。このウの言霊の鳴り鳴りて鳴り極まるところ、上にのぼりでは神霊の大原子である霊素が発生、これを霊系の祖神高皇産霊神という。次に下っては物質の大原子である体素を醸成、これを体系の祖神神皇産霊神という。霊素、体素という表現がお気に召さねば、火素・水素、陽素・陰素などと呼んでもよし、もっと現代的な別の呼称でもさしつかえない。霊素、体素を生み出したウの言霊は万有の霊と体を産み出す根源であり、ウの言霊を産み出したスの言霊はさらにその総根源である。ここでいう言霊とは、単に人間の耳に聞える音声のみでなく、すべての物質の根元に連なるものとしての言霊である。■天之御中主神の観念天之御中主神が万有一切をまきおさめてこれを帰一し、いまだ活動をおこさない宇宙誕生の瞬間、すなわちその静的状態にある時は、むろん時間、空間を超越している。時間、空間が無いのではなく、さればとてまた有るのでもない。その観念がおこるべき素因がなのだ。時間、空間の観念が発生するのは、少なくとも天之御中主神の本体から霊と体との相対的二元である高皇産霊神、神皇産霊神の二神が顕現し、活動を始めてからのことである。天之御中主神の活動を縦に考察する時に時間という観念がおこり、またこれを横に考察する時に空間という観念がおこる。活動がなければ時間もなく、空間もない。たとえあってもこれを量るべき標準もなく、またこれを量るべき材料もない。むろん無限絶対なる天之御中主神の属性があるから、時間、空間ともに無限であり、無始無終であらねばならぬ。外に向って無限であると同時に、内に向ってもまた無限である。至大外なく、至小内なしである。天之御中主神をその静的状態から考察すれば、霊力体を帰一するところの宇宙の大元霊である。一元の虚無、また絶対的実在といってもよい。次にその動的状態から考察すれば、この神は随時随所に霊力体の微妙神秘なる配分をおこない、無限の時間、空間にわたりて天地、日月、星辰、神人、その他万有一切の創造に任ぜられる全一大祖神である。だが王仁三郎は「この神の静的状態、動的状態は一通り正しい観念を得れば、それで充分とすべきである」(『大本略義』「時間と空間」)と述べる。なぜならば、天之御中主神はすでに無限の時間、空間にわたって活動し、再ぴ太初の静的状態に逆行することはありえない。もしかりに逆行することがあったとしても、その時には天地間いっさいのものは死滅する。人類もまた混沌の中にその痕跡すら残きぬから、心配しようにも心配する主体そのものが消滅する。そこで肝心なのは、天之御中主神の動的状態の理解体得である。天之御中主神の意志は、一は理想世界である神霊界の大成、一は現実世界である人間界の大成である。人は天地経倫の大使命を神から与えられている。したがって天之御中主神が過去においていかなる活動をし、将来いかなる目標に向うか、特に現在いかなる経輸を実施中なのか、そのプログラムの大要を理解した上で神業の働き手とならねば、人は人として生まれてきた価値がない。天之御中主神については、『古事記』では単に造化第一神として名称をのせるにとどまり、『日本書紀』では名称すらのらない。るしゃな仏 阿弥陀如来も伊都能売も 御名こそかわれ一つ神なり■真神は三神即一神天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の三神を造化三神といい、古事記の冒頭に現われる神名である。王仁三郎によれば、高皇産霊神は霊系、神皇産霊神は体系で、唯一の実在なる天之御中主神の神格が二大系統に分かれたことを意味する。ゆえに三神は別個の独立した神ではなく、宇宙の大元霊のそれぞれの働きにつけられた神名であり、三神即一神の三位一体の関係にある。この神を称して三つの身魂、すなわち瑞の身魂という。実在に二大系統が含蔵されていることは、仏教でも教えている。真言密教では胎蔵金剛(たいぞうこんごう)の二大界を説き、法華経は釈迦多宝の並座を説く。だがそれを一歩進めて、なぜ実在に二大系統が生まれたのか、いったい実在の本質とは何かまで問いつめると、「果報としての仏の悟りの内容は言葉をもって説示することができない」すなわち「果分不可説」という宗教哲学の熟語になり、曰く「口ではいえない」、(不可称)、日く「まったく奇妙だ」(不可思議)、日く「真理の不可思議の本質は言葉や思慮を離れ、有であるとも無であるともいえぬ。  言葉による表現を超えたところに、かえって深い意味があるのじゃ」 (廃詮談旨(はいせんだんし))「それは言葉で推しはかれる領域を超えている」(言忘慮絶(げんぼうりょぜつ)) で逃げてしまう。ただ真言密教は「真言をもって果分の極致(結果としての仏の境地)をも説くことができる」(果分可説)と説破し、「梵字の阿の字は宇宙万有を一字のうちに収めている姿であり、阿字は本来あるもので、他のものによって新たに生ずるものではない」(阿字本不生(あじほんぶしょう))という根本説を提供する。■ムスビの意義 高皇産霊神、神皇産霊神の神名にあるように、この宇宙には産霊(むすび)という不思議な働きがある。このことを言霊から説明しよう。産霊の産は産む、蒸すの意であり、霊は霊であり、日であり、命だ、産霊とは単なる連結ではなく、酸素と水素の結びで水が産まれ、陽極と陰極の結びで電気が産まれ、男と女の結びで子供が産まれるように、陰陽二元の働きから霊を有無、すなわち命を蒸し出すことである。言霊学では、霊はチまたはヒと読み、体はカラ、カラタマ。霊 (チ)素と体(カラ)素が結んで霊体(チカラ)、すなわち力が産まれる。霊素と体素が結び合うことによって精気が発生し、この精気より電子が産まれ、電子が発達して宇宙間に電気が発生し、動、静、解、凝、引、弛、合、分の八カが完成する。こうして霊力体の三元の活動により大宇宙、小宇宙が形成され、万物が造られる。したがって宇宙間のありとあらゆるものは、真の神の霊力体で造られたといえる。万物は海中に浮かぶ海綿のようなもの、海水をたっぷりふくんだ海綿の外にも洋々たる海があるように、真の神の霊力体で造られた万物の外にもまた、真の神の霊力体が活気と満ちている。産霊とはよろずのものの生れいずる  本つ御神の御魂の力よ■幽の幽から顕の顕へ無から有が生まれたと言えば、いぶかしがる読者も多かろう。「龍樹菩薩は空を説いた。空というのは、神また霊ということである。空相は実相を生む。霊より物質が生まれてくることを意味する。無より有を生ずるというのも同じ意味で、神がすべての根元であり、それより森羅万象を生ずるのである。霊が先であり、体が後である。家を立てようという思いは外的にみて空である。けれどもその思いの中には、ちゃんと立派な建造物ができ上がっているのである。それがやがて設計図となって具体化する。さらに木材の蒐集となり、組立となり、ついに実際の大厦高楼が現出する。空相が実相を生み、無より有が生じたのである。真如実相という意を聞くのか。真如は神、仏、絶対無限の力を言うのであるから、前と同じ意味である。実相は物質的意味である(『月鏡』「空相と実相」)。王仁三郎は、隠身から現身へ、無から有へと生成発展する過程を、「幽の幽」「幽の顕」「顕の幽」「顕の顕」の四段階に分けて説明する。宇宙は、目に見えざる世界の幽界(霊界)と現象の世界である顕界(現界)で成り立つ。幽界にはもっとも内奥の世界である幽の幽界と霊的あらわれの世界である幽の顕界がある。顕界もまた、顕の幽なる境域と顕の顕なる境域とがある。ここに君が存在する。ということは、それ以前に潜在的、無意識的に君の生まれるべき素因いわば霊子があったことになる。それが幽の幽の世界だ。そして現界で父と母が出会い愛を求める時、その想念の中で君は幽の顕になった。そして夫婦の愛の産霊によって母の胎内に「、」を発生、人類の進化の過程をほぼ十筒月で体験しつつ成育するが、まだこの現界には現われていない。これを顕の幽の段階といえるだろう。そして母の胎内に胞衣を投げ捨てて生まれてきた時が顕の顕界だ。だがいつか寿命が尽きた時、君は肉体を投げ捨てて、顕の幽界に戻ってゆく。君の家は顕の顕の存在だ。その家を実現するために土地を探し設計を考え、いろいろの準備をする。だがまだ建設されていないから、顕の幽の段階だ。家の建築を決意した時が幽の顕といえよう。だがはっきり意識せずとも、そこに至る前になんらかの素因があるはずだ。それを幽の幽という。宇宙もまた幽の幽から幽の顕と霊界をまず形成し、次第に顕の幽から顕の顕、現象の世界へと発展した。ともあれ、宇宙でのものごとのすべては幽の幽が根本の原動力になり、顕の顕に至って立ち現れてくるという発想の萌芽は、ニューサイエンスの宇宙観の中にも垣間見られるようになってきた。ロンドン大学のデビッド・ボームはアインシュタインと研究室を共にして以来の研究の成果を踏まえていう(カッコ内は著者註)。「物理学の完全な『現われた世界』(現界)は暗在系(霊界)に起源をもっと考えるべきであり、しかもこの暗在系は、それ自体が独立して存在する奥深い何ものか(幽界)の投影されたひとつの『光景』というべきものである。暗在系から奥深い何ものかに至る『現われた世界』のバックグラウンド(基盤)は、明らかに高度に幻妙にして触知しがたい何ものかによって成り立っている。物質世界はそのような基盤から由来するに過ぎないということである。したがって我々は、幻妙なるもの(幽界)は具象物の抽象化なりとする通説をくつがえし、あえてこういわんと欲するものである。すなわち、具象物(現実世界)こそ幻妙なるもの(幽界)の抽象形なりと・・・」第一次暗在系(顕の幽)はさらに奥深い第二次暗在系(幽の顕)から湧出し、以下同様にさらにさか上っていけば、究極にはおそらくいかなる境界をも想像できない、さらにさらに深い基盤(幽の幽)へと到達するであろう。■天之御中主神の神業『古事記』上巻は表面的字句の解釈にとどまり勝ちで、ともすれば荒唐無稽な神話としか扱われない。だが王仁三郎は言霊学の活用により、天之御中主神の経倫としての意義を認めている。天之御中主神の神業は大別して四段階となる。第一段「幽の幽」天地初発の根本造化の経論で、伊邪那岐、伊邪那美以前。第二段「幽の顕」理想世界たる天の神界の経論で、主として伊邪那岐、伊邪那美二神の活動によって三貴神が顕現し、ひとまず大成する。第三段「顕の幽」地の神界の経論で、天孫降臨から神武天皇以前のこと。第四段「顕の顕」現実世界での経倫王仁三郎は「便宜上四段階に分けて説明するが、これは単なる時代の区分ではなく、むしろ方面の区別だ」という。第一段階から順次経論は進んだが、しかし一段階の経綸が完成して次の段階へと移ったのではなく、四段階同時の活動であり、経論だ。そして現在に至るもいずれも未完成で不整理、不整頓であり、また各段階の連絡も不充分でありこの経論は永遠に続く。■天の数歌天界には、天の数歌が不断に鳴り響く。一二三四五六七八九十百千万(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)天の数歌はたんなる数の順序ではない。幽の幽である大元霊が百千万の運化をへて生成化育し、顕の顕としての宇宙を創造される順序をうたい上げ、その力徳をたたえる言霊である。ひと(一霊四魂) 大宇宙の根源に大元霊がましまし、一霊のもとに勇親愛智の四魂を統べていられることを表わす。ふた(八力) 真神のいとなみである陰陽二元の組みあわせによって八力が生じる。み(三元) 八力の複雑微妙な結合により、剛、柔、流の三元ができ、ここで霊(一霊四魂)、カ(八力)、体(三元)の三大要素が揃ったことを表わす。以上については、「大本三大学則」の章で詳述する。よ(世) ついに泥海のような世界ができる。いつ(出) 日月星辰や大地が現われる。むゆ(燃) 草木をはじめ諸生物が萌えいでる。なな(地成) 人類が生まれ、地上の世界が成就する。や(弥) その世界がますます発展する。ここの(凝)  充実安定を表わす。たり(足) 完成の域に達する。もも(諸) さらにもろもろのものが生まれる。ち(血) 大造化の血が宇宙をくまなく巡り、生命力が満ちる。よろず(夜出) 生成発展の光明世界が永遠に聞けていく。この天の数歌の言霊によって、大太陽は百雷の一時にとどろく大音響を発し、左遷しはじめた。紫の光は四辺を包み、光輝燦然とし、光と熱は千万里を照らして炎熱熾烈である。時にア声の神霊が西南の空にはたらいて高地秀の峰に現われ、言霊を発声する。それは凝ってついに大太陰と顕現し、右遷を始める。たちまち水の霊能が現われて、霧となり、雲となり、雨となってうるおし、宇宙は清涼の気が満ち、火水和合して炎熱を鎮めた。これが王仁三郎の見た「幽の顕」宇宙霊界の剖判である。ここに至るまでに数十億年の年月がかかったという。大太陽界に鎮まる神霊を厳の御霊天道立神、大太陰界に鎮まり守護される神を瑞の御霊大元顕津男(おおもとあきつお)神とたたえる。霊交活力体因出燃地成弥凝足諸血夜出(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)と 称(と)なえよ天地『霊界物語』四巻五〇章「神示の宇宙」・六巻一章「宇宙大元」・六三巻四章「山上訓」、『天祥地瑞』子の巻一章「天之峯火夫の神」・図二章「高天原」・同三章「天之高火男の神」・同四章「◎の神声」、『大本略儀』「時間と空間」・同「顕幽の神称」、『太古の神の因縁』、『国教樹立論』、『祝同略解』、『神言』