物語76巻7章

天祥地瑞卯

エヂプトの開闢説
 世界の初には地も海も空も無く、ただどろどろした水のやうなものが果もなく広がつてゐた。その名を「ヌウ」といつてその中に一つの神があつた。この神は「ヌウ」と共に始まり「ヌウ」の中に宿つてはゐるが、まだ形も無ければ働きもなく、後にはこの美はしい天と地を生み出すやうな何のしるしも見せなかつた。 そのうちに時が来て、神のうちに自分の名を名乗りたいと言ふ心が起つて来た。『わが名は夜明けには「ケベラ」、日中には「ラア」、夕刻は「ツーム」である』 かう言ふと、先づキラキラした卵の姿となつて水の上へ浮んで来た。そして種々の神々や男や女や動物や植物が次ぎ次ぎにこの神によつて創造された。 「ケベラ」は始めにその気高い姿を以て「ヌウ」の全面をおほうてゐたが、自分の住むべき場所がきまらなかつたので、その浮んでゐる水を分けて天と地を造らうと思つた。そこで神は先づ風の神「シユウ」と雨の女神「テフヌウト」を造り、次に地の神「セブ」と大空の女神「ヌウト」を造つた。 「シユウ」は神の命によつて「ヌウト」を高く天上にさし上げた。そこで「ヌウト」は地の神「セブ」が長くなつて寝てゐる上に弓形にのりかかつて、手足の指先を西と東の地平線にすれすれにして自分の身を支へることになつた。かうしてこの女神の胴や手足の上についてゐる無数の星が、暗い中からキラキラと光を放つやうになつた。けれどもこの天地には、まだ昼と夜との区別が無かつた。そのうちに「シユウ」と「テフヌウト」の後にかくれてゐた「ヌウ」の目が、次第に水の面から登つて大空に達したので、天地は始めてその光に照らされるやうになつた。 その時から「ヌウ」の目は日毎に空を横ぎつて地上の総てのものを見下し、そこに光と熱とを与へるやうになつた。次に神は夜を照らすために、モウ一つの目を天上に送り、また涙を地上に落して多くの男と女を造つた。その後地上の人間を守らせるために多くの神々を造つた。「オシリス」「イシス」「セット」「ネブチス」「ホルス」なぞはその重なるもので「シユウ」「テフヌウト」「セブ」「ヌウト」の諸神と共に、後に「ヘリオボリス」の重なる神々として祀らるるものである。神はまた地上の人間のために禽獣草木を造つて、この世界を種々の生物で充した。 エヂプトの神話には猶いくつかの天地創造説が伝へられてゐるが、以上述べたのが一番まとまつた代表的な説である。この神話によつても窺はれるやうに、エヂプト神話の中心は、いはゆる太陽神話で、エヂプト人が最上の神として崇めるのは太陽神「ラー」であつた。 エヂプト人の信仰によると「ラー」は毎朝東の空に現はれ、日の船にのつて天上を横ぎるものと考へられてゐた。この旅行の間に「ラー」は絶えず地上の人間を見下して、その行為の善悪を見分け、また彼等に光と熱とを与へるのである。夕方には西方の山の後へはいつて、そこから暗黒な下界へ沈んで行く。そして夜の間は地の底を流れる大河の荒浪を分け、その道をさへぎる種々の敵と戦つて正しい人間の霊魂を船の中へ救ひ上げながら、暁方には再び東の空に現はれる。 「ラー」は元来北方の神で、その崇拝の中心は「ニイル」河の下流地方にある「ヘリオボリス」であつたが、南北統一後、そこから次第にエヂプトの全国に拡がつて行つた。そして後に上エヂプトの「テーベ」が勢力を得るやうになつてからは、その地方の主神たる「アメン」と結合して「アメン・ラー」として崇拝された。 「ラー」は普通に人間の姿であらはされてゐるが、時によると鷹の頭をつけた人間の姿にあらはされる事もある。つまりエヂプトでは古くから鷹を以て太陽を表はす習慣があつたからで、その他の諸国でも鷲や鷹なぞの鳥類を太陽の象徴とすることは一般に行はれた風である。 「アメン」はまた「アモン」とも言ひ、本来「カルナツク」の地方神で、その名称の起源は明瞭ではないが、一説には「隠れたるもの」と言ふ意味だとも言はれてゐる。 この神の像は或は王座によつた人間の姿、或は人身蛙首、或は人身蛇首、或は猿、或は獅子、或は人身羊首の姿であらはされてゐるが、中でも頭上に赤と青のだんだらに染め分けた一対の長い羽飾をいただき、頤髯を垂らした人間の姿をしてゐる像が最も多い。後に太陽神「ラー」と融合してからは、後者の属性をとつて人身鷹首の姿にあらはされるやうになつた。 「アメン」の崇拝の中心は「ニイル」河谷の「テーベ」で、第十二王朝の時までは単にこの地方の神たるに過ぎなかつたが、この王朝が「テーベ」から起つてエヂプトを統一するに及んで、その崇拝は速かにエヂプトの全土に拡がり、多くの地方神の属性をその一身に集め、遂には「アメン・ラー」の名をもつて「神々の王」と讃へられるやうになつた。「アメン」はまた「地上の王の王」として歴代の王はこの神の化身と考へられ、またその皇后はこの神の司祭として神の胤を宿すものと信ぜられてゐた。「アメン」の配偶を「ムウト」と言ひ「神々の女王」として地上の万物を生む「一切の母」と考へられてゐた。 この女神は通例南北両エヂプトの王冠を戴き、手に笏をとつた姿で表はされてゐるが、時には母性の表象たる兀鷹、もしくは獅子の姿であらはされることもあつた。 「アメン」と「ムウト」の間に生れた神を「コンスウ」と言ひ、月の神で、農作物または家畜の守護者とされ、また若い男女の心に愛を吹き込む神として崇拝された。 エヂプトの神々のうちで一番広く崇拝されたのは「オシリス」であつた。「オシリス」は本来北方の神であるが、南北統一後、その信仰は一般に盛んになつた。この神は地上の人類に種々な生活の道を伝へ同胞のやうに相愛して、平和にこの世を送らせるために人間の形で天から下された神であつた。しかしその同胞の神に「セット」またの名を「チフォン」と言ふ悪神があつて、秘密な計略を設けて人知れず「オシリス」を殺してしまつた。そこで「オシリス」の妻の「イシス」はその夫の遺骸をたづねて諸国をさまよつた末、やうやう見付け出して一旦は蘇生させたが、「セット」に見付けられて再びその生命を奪はれてしまつた。「オシリス」の遺子「ホルス」は母の「イシス」の手で養育され、成長の後「チフォン」討伐の軍を起し、激戦の後その敵を破つて父の王位を回復した。この物語は後世エヂプト人の間に広く伝誦された伝説の一つである。 「オシリス」はその生前に受けた苦難のために、死後は下界に下つて死者の裁判官となつた。彼は地下の世界に住んで、毎夜「ラー」の船と共に暗黒の谷に下つて行く無数の霊魂に、それぞれの審判を与へるのである。 「オシリス」についで崇められる神に「トート」がある。「トート」は智慧の神で下界の法廷では「オシリス」の傍に立つて人間の心の目方を計る秤をながめながら、手に紙と筆を以て控へてゐる。この理由から「トート」は神の書記と呼ばれてゐる。この神の像は鶴の首を持つた人間の姿に描かれてゐる。そしてその頭の周囲に新月の形をした後光がついてゐるのは、時を定める神とされてゐたことを示すものである。 この他の神々には「イシス」の妹の「ネブチス」「オシリス」と「イシス」の子の「アヌビス」それから前に述べた「オシリス」の弟の「セット」なぞがある。「ネブチス」は死の神で、「アヌビス」は墓場の守神で、「セット」は総ての害悪の源で人類の敵と考へられてゐた。 エヂプト人は、神々は地上に下つて常に人間の行為を監視するものだと信じてゐた。そしてさう言ふ場合には神々はいろいろな動物の姿になつてゐると信じてゐたので、自然に色々な動物を神の化身として崇拝するやうになつた。例之エヂプト産の大甲虫を「ケベル」「ラー」の化身と信じ、山犬を「アヌビス」の化身とし、鶴を「トート」の化身として崇拝した。そしてかう言ふ神の動物を殺したものは、たとへ過失にしても、死を以てその罪を償はなければならぬものとされてゐた。 中にもエヂプト人の最も崇拝した動物は下界の神「オシリス」の化身として尊敬された牡牛であつた。後に「オシリス」の神殿に仕へる神官は一定の特徴を持つた牡牛を選んで神獣とし、これを「アビス・ブル」と言つて崇拝した。「アビス」は全身が漆のやうに黒く額に三角形の白い斑点があつて、背中の毛は鷲の羽をひろげたやうな形になつてゐる。その上右の側腹には三日月形の白い斑点と、咽の下に大甲虫のやうなしるしがあつた。かう言ふ特徴のある牛が見付かると、エヂプト全国は煮え返るばかりの騒ぎをして、その吉兆を祝ふのであつた。そしてこの神獣が母の乳から離れるのを待つて、祭司等はこれを「ニイル」河の岸に運び、美しく飾りたてた船にのせて「メンフィス」へ迎へ、そこに立派な神殿を建てて安置した。「アビス」は一生の間この神殿の中で人々の奉仕を受け、毎年の誕生日には盛んな祭典が行はれた。 「アビス」がその神殿で命を終ると、エヂプト全国は哀悼の意を表して、第二の「アビス」が発見されるまで喪を続けるのであつた。「アビス」の遺骸はミイラとして葬らるるのであるが、その葬つた場所は深く秘して何人にも知らせないやうにした。近年この墓地が発掘されて始めてその秘密が発かれたが、これらの墓は地下の岩を掘つて造つた広大な岩屋のうちに在つて、通路の両側には無数の部屋が設けられ、各の部屋に巨大な石の柩が安置されてゐた。 鳥の中では鷹と鶴が最も神聖なものであつた。雪のやうな羽と真黒な尾を持つた鶴は「トート」の神禽とされ、鷹は「ホルス」の表象として崇拝されたのである。