表題:借り猫 2巻1章借り猫



 猶吉と縫との仲は、風雲急を告げていた。別れ話がこじれて、無言の冷戦が続いている。縫はかたくなに黙したまま、居すわる腹にみえる。強引に別れようとすれば、猶吉の最も恐れる慰謝料問題がからむだろう。縫に当てるべき憤懣は、弟徳次郎や文助を素通りして、怒鳴りやすい喜三郎にもっぱらふりかぶさってくる。 縫は重い腰をあげて、しばらく里帰りした。「親の知恵を借りて、共同作戦を練るつもりやろ。あのアマ奴」と、猶吉は一層不機嫌である。 縫が帰ったあとの養蚕室の春蚕は、二眠をおえたところであった。孵化したばかりで目に入らぬくらいの毛蚕から五齢に達して透明になり糸を吐き出すわずか一月足らずの間に、体重が約一万倍にふくれ上がる。ために、皮に包みきれなくなった体は、ふつう四回の脱皮と休眠をくりかえす。サワ、サワ、サワと音をたてて、昼夜絶え間なくむさぼる育ち盛りの蚕のために、夜昼なく十ぺん以上も新鮮な桑の葉を入れねばならぬ。 猶吉はもてあましていた。獣医の片手間に出来る仕事ではなかった。それでなくとも、いざこざの悩みのために眠れぬ夜であった。朝の牛乳配達を終えて飯をかきこんでいる喜三郎に、充血した目を角だてて、猶吉はどなった。「お、おいおい、太平な面しやがって飯食っとらんと、桑の葉摘みでも手伝うたらどうやい。先生がやな、どんだけ忙し思いしとるかわからんか。見かねて手え貸すのが、弟子やんけ」「そやさけ、いいかげんに折れて、奥さん迎えに行ってあげたらよろしがな。牛の世話から蚕の世話まで、なんぼ弟子かて面倒みきれまへんで」「つべこべ差し出口さらすない。何事も修業さすのが師匠のつとめや。教えたるけどのう、摘んできた葉は一枚一枚よう水気をぬぐえ。網の上にこの筵のせて、その上に桑を一面かぶせる。それを蚕の棚にのせるんや。蚕が葉に上がってきたら、底替えや。下の古い葉の食いかすやら糞をきれいに掃除する。わしはここで見はっとるさけのう、怠けたらしばく(なぐる)でえ」 珍しく口答えもせず、喜三郎は篭を背負って桑畑に出て行った。猶吉は、養蚕室の片隅に敷きっぱなしの蒲団に寝ころぶなり、大鼾をかき始める。 ――心身共にくたくたなんやろ。 喜三郎は、寝ている猶吉を起こさぬよう、摘んできた桑の葉をカヤツリ草で編んだ網にのせ、慣れぬ手つきで蚕に与え始める。飾りのような眼は、「らしきもの」で見えぬにしても、口の脇の眼は新しい桑を認めるのだろうか、蚕はたちまち頭をもたげ、上へ上へとのし上がってくる。頭を振って丸く撫でるように葉を食む音が、一きわさわやかに高まる。 ……天照大御神、忌服屋に坐しまして、神御衣織らしめ給う時にその服屋の頂を穿ちて、天斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕入る時に天衣織女、見驚きて梭に陰上を衝き死せき――  例の須佐之男命のいたずらの一節である。 ――天石屋戸ごもりの一原因や。そういえば蚕は神代の昔から古事記にもなじみの虫。大気都比売が命に殺された時、その頭に蚕生り、二つの目に稲穂生り、二つの耳に粟生り……というところがあった。 また内国史略には、「応神天皇の御代に百済縫衣女を貢す、呉の織縫工女来る。雄略天皇の御代に諸国に詔して桑を植え、后妃に勅して躬ら桑とり蚕事を勧めしむ。呉人来聘し工女漢織呉織縫衣兄媛弟媛を貢す」とあった。 記憶の糸をたどりながら、底替えする。まごまごしている蚕をつまんで、吸いついてくる足をはなし、新しい桑にのせてやる。 やりきれなくなって、猶吉は高屋の母留を呼んだ。蚕は四齢に入って食欲もすさまじく、見違えるばかり白く大きくなっていた。留は家に入ってくるなり、養蚕室をのぞいて叫んだ。「何ちゅうことさらしとんにゃ。喜三、棚がこれでは狭いわな。台所でもしやない、もっと増やさなあかんで。ほんまに役たたずの男や。猶吉は獣医で忙しゅう働いとる。徳はまだ子供や。お前が頭働かさんならんとこやないかい」 子供か知らんが、徳の夜遊びはわしに負けんだけうまいがのうと言いたいとこをこらえて、喜三郎は、留のいいなりに使われる。血はつながらぬが、かりにも伯母である。山積する牧場の事務や仕事のあいまに駈けつけて養蚕に精を出す喜三郎の努力など思ってもみぬのか、留はぽんぽん言いつける。「炭火はもっとおこさんなんで。部屋の温度に気いつけや。ほら何してはんねん、お蚕さん落ちて、床這うとるわ。踏みつけたらどもならん。ちっ、あかんたれやなあ、桑の葉のまき方足らんがな」 留は喜三郎をこきおろすその分、猫なで声になって猶吉をほめ、機嫌をとる。 蚕が四眠に入った午後、留は縫の実家に離縁話を進めるため、摩気村まで出かけていった。猶吉は牛のお産で他出し、徳次郎は例によって夕飯を喰ったなり、姿が見えぬ。 ワシャワシャ、バリバリ、降り止まぬ雨足のように鳴っていた養蚕室もひっそりして、蚕たちは深く眠っている。 深夜になると、喜三郎は、昼間の疲れでついうとうとする。縫が不在の間、牛と蚕の世話で、身も心も休まる暇がない。夜の読書の楽しみすら、疲れに負けてつらくなる。居眠りのすきをうかがって、鼠どもが出没する。「あの嫁が弁天様にお参りせんさけ、鼠がようけ出ること。お蚕さん飼う時は弁天様のお使い蛇にようお頼み申さなあかんと教えといたのに、聞かんもんやで。喜三や、鼠の番はお前の責任やさけ、夜中油断して居眠りなぞしたらあきまへんで」 出がけまで留はくどくど言いおいていった。 ――自分の息子を棚に上げといて、わしを何だと思ってやがる。夜明け前には牛の草刈りせんなん。飼葉から搾乳・配達・清掃、せめて夜中ぐらい寝かせてもらわな、生身のからだが持つかいな。 さすがの喜三郎も、留のしごきには腹が立つ。ねむけが全身を支配しているが、頭の片隅の神経は昂ぶっている。他人の子や思うて、こき使うだけ使いくさる。そう思うと、安らかに眠りこけている蚕まで憎くなる。ずんぐりむっくりの形態すら、猶吉そっくりだ。 ――こん畜生。 思わず指が蚕をひねり潰す。青汁を吐いてふんのびる指先の感触が無気味だったが、勢いにのって次々もみ潰した。「おい起きろ、蚕がえらいこっちゃ」 寝入り端を起こされてくらくらする頭を振ると、和知から帰った猶吉が、蚕棚をのぞいている。「鼠がごつう荒れくさった。寝込む奴があるかい」 喜三郎の仕業を鼠と勘違いしていると知って、喜三郎は空惚けた。「今まで起きとったんや。畜生、ちょっとの間にやりよったか」「なんのための蚕番や。頼りにならんやっちゃのう。お前ではあかん。どっかから猫つれてこい」「真夜中やぞ。猫なんかつかまるかいな」「お前、犬猫食う時は、ちゃんとつかまえてきたやんけ。いやなら朝まで寝んと番しとってくれるこ?」 仕方なく提燈をともして外へ出る。夜歩きの猫はいなかった。思いついて南陽寺の山門をくぐり、楚玉和尚の寝室の雨戸を叩く。「猫貸せやて? こんな夜中に人を叩き起こして、一体何するねん。訳言わな貸さんわい」 また解剖されると疑ったのか、寝巻きの楚玉和尚は腫れぼったい眼で、喜三郎をにらみつける。喜三郎、仕方なくありのままを打ち明けると、和尚は笑い出した。「鼠と間違えるとは、井上も耄碌したのう」せっかく仲人してやりながら「わざと傷物をつかませた」と猶吉にごてられ参っている和尚は、ちょっと溜飲の下がった口ぶりである。「ほんな貸してもらいますで」「待て待て、そんないたずらばかりするような男に、寺の大事な猫は貸せんのう」 しかし猫は、喜三郎の声を聞きつけ甘えてすり寄ってくる。それをぐっと抱えて逃げ出す喜三郎の背に、和尚はどなる。例によって喜三郎が歌を詠むとこうなる。   喜楽さん解剖してはいけないよと       和尚は大声あげていいけり   解剖もしませぬ炊いても食いませぬ       しばらく貸してといいつつ走る  猫をつれ帰ると、命じた方の猶吉は不審な顔で矛盾したことをぬかす。「こんな夜中につかまる猫なんて、よっぼど間が抜けとるのう。そんな猫で鼠がとれるけ」「つかまえたんやない。借りてきたんや」「へえ、どこからや」「南陽寺の和尚はんから……」 猶吉の顔色が変わった。「阿呆んだら、返してこい」「なんでや、せっかく借りて来たのに」「あの根性悪の和尚から借りて来た猫なら、鼠なんかとるかい。すぐ追い返せ」「嫁はんは追い返すし、今度は猫だすか。けど南陽寺の猫かて、鼠ぐらいとりますで」「あかん、あかん。きっと蚕食うに決まっとる」「坊主憎けりゃ猫まで憎いか。けど、このおとなしい猫が、何で蚕など……」 言い終わらぬうち、喜三郎はぎょっとした。猫は蚕棚にとび乗るや、むし、むしとうまそうに蚕を喰い始めたではないか。「ははあ、やっぱり食うとる」「どうや、違いないやろ。和尚に似て、猫まで根性がわるい」と、猶吉は強調する。「ははは……うまげに、なんぼでも食いよる」 喜三郎が笑い出すと、猶吉は気がついて、「こら、何うれしそに見てけつかる」 言いざま、杖で猫をぶち叩く。が、猫は一瞬早くとんで逃げる。勢い余って、杖は眠っている蚕を振りとばした。返す杖は喜三郎に降ってくる。あわてて喜三郎、猫の後から逃げ出した。 翌日、猶吉の留守中、喜三郎はまた猫を連れてきて、蚕を食わせて楽しんだ。「きゃっ猫や。喜三郎、どこに目えつけとるんや。気いつけなあかんわな」 伯母が帰って来て、けんけん叫んでいる。「あ、お帰り。なんです」 何食わぬ顔つきで、喜三郎は首をつき出した。「お蚕さんを猫に食わすとは。この役にもたたんど阿呆奴が」 猶吉にそっくりな目をつりあげて、留は地団太ふみならす。「へえ、知らん間に来よったな。けったいな猫やのう」 のほほんとうそぶく耳に、猶吉特有のキシキシ皮をきしませる靴音が近づく。「そうや。牛の乳しぼる時間やった」 喜三郎は裏口からとび出して行った。その後で、留と猶吉は渋い顔を見合わせる。「ほいでどうやった、母さん、縫の奴、承知したけ」「あかん。それどころかいな。もはや腹ぼてやわな」「え、ま、まさか、殺生な」「去なせ、去なせ言いながら子供だけはちゃんとこさえとるのやさけ、母さんかて挨拶のしようがあるかいな。ほんまに覚えがあるのやろな」「そらまあ、ないことないわいな。ひゃあ、子が増えたら、縫のほかに子の分まで餌代がかかるやないこ。そんな無茶な」「あきらめて、もろときな。初孫ができるんやさけ、わしかて未練が残るわな。それよりあんた、さっき帰ってみたら、猫がむしゃむしゃ蚕食べとるのやで」「え、また猫が……」「それを喜三いうたら、気いつかんと暢気そうに本読んどるのや」「畜生、喜三の奴」「母さんかて、そろそろ高屋へ帰らんなん。やっぱり嫁がおらんと不便やでなあ」   やむを得ず妊娠のため泣き寝入り       抱き寝入りしてついに相和す
 この頃、喜三郎は、穴太へ帰る羽目となった。離縁話当時の縫は喜三郎や文助にまで気を使って、おのが陣営を固めようとしたものである。ところが鎹の子を孕んで猶吉と縒りを戻し妻の座が安定すると、掌を返して喜三郎をこき使う。「ほれ、喜三、ぼやっと空ばかり眺めとらんと、飯の後片付け済んだら、庭ぐらい掃除して水播いときや。おお暑う。暑うてかなん」 念入りに塗りたてていた厚化粧も億劫なのか、この頃では青痣をさらして襟をはだけ、あごをしゃくって命じる。どう見ても新婚四、五か月の新妻とは見えぬ。 縫は喜三郎の掃除ぶりを調べに庭におりる。「へい、水をまきまっせ、そこどいてや」 癪にさわった喜三郎、縫の足もと目がけて手桶一杯の水をぶちまける。縫は悲鳴を上げてとびのいたが、裾から草履までびっしょりだ。「しもた。手えすべったわ」 喜三郎は頭をかく。「あんた、わざと水かけたな。うちを女やと馬鹿にして……くやしい」 縫は大声あげて泣き出した。泣き声を聞きつけて、徳次郎が顔を出す。「どないした、喜三やん。や、人の嫁はんにもうちょっかい出したか」「阿呆ぬかせ。相手みてからもの言え」 徳次郎は恥ずかしげもなく泣きわめく兄嫁をしげしげ眺めて、同感した。「そらそやのう……ほんな何したんや」「ちょっと水ぶちまけて、足ぬらしてやっただけじゃ。わしを書生扱いさらしてのぼせてけつかるさけ。どや、水もしたたる良い女になったやろ」「乱暴なことさらしたのう……ほんな、わしもしたろか」 徳次郎は、いきなりもう一つの手桶の水をざぶっと播いた。今度は、縫の腰まで泥しぶきがはね上がる。逃げもせず金切り声をふりしぼる縫。徳次郎は居丈高にどなりつける。「一体、この女は気に入らん。今すぐ離縁じゃ。荷物まとめて去にさらせ」 喜三郎は見かねて徳次郎をつつく。「お縫はんはお前の嫁やない。ちと言い過ぎやぞ」「兄貴の嬶でもかまうけえ。わしの気にくわん嫁は、ここに置けんわい」 猶吉が外からあたふたと駈けこんできた。見るなり、縫は猶吉の胸にすがり、身も世もあらぬ声で泣き叫ぶ。猶吉はおろおろして、「どないした、お縫。泣いとらんで、訳を言うてみい」「あの喜三と徳はんが……くやしいー」 みなまで聞かず、猶吉は真っ青になって杖をふり上げ、喜三郎の額に打ちおろした。激しい衝撃に耐えながら、喜三郎は、「あれ、訳も聞かずになぐるのはちと早すぎるんちゃうけ。先生、いつの間に嫁はんに尻の毛まで抜かれたんや――」 呆然と立ちすくんでいるとまた一発。火花の散った額をおさえて、「今度は徳次郎の番やろ」と思う間もなく続けて三発目、やっと恐怖が喜三郎を襲った。気がついてみると、徳はとうに消えている。「わーっ、痛い」 四発目をかろうじて避けると、喜三郎は木戸を蹴破って必死に逃げ出した。悪鬼と化して背中からおおいかぶさってくる猶吉の幻想におびえて、息のつづく限り駈け続けた。足がゆるむと、涙がこぼれてくる。額に出来たこぶは三つ。大きくふくれ上がって、ずきんずきん脈打っている。 嫁はんの足に水かけたぐらいでこうや。考えてみたら、園部に行ってから数えきれんだけどつかれた。ついには頭割られてあの世に行かんとも限らん。園部になど二度と帰ってやるけい。 八木を抜け、弁のいる拝田村の脇を通ったが、この泣き面では寄る気もせぬ。穴太村に入り、小幡橋を過ぎると、小幡神社の近くの豆腐屋の薄暗い店先にぼんやりたたずむ。 その昔、この店は、《こんにゃく屋》という屋号で、盛んに蒟蒻と豆腐を製造し、附近の村落に販売していた。喜三郎が字を覚えたての五つ六つの頃、店の看板があまり妙で、そらんじるほど眺めたものだ。 一、しろとふ  一、やけとふ  一、あぎどふ  一、こんぎゃく  一、じ玉あり  この看板も、代が変わってから下ろしてしまった。が、売りものは変わらず、昔のままだ。 母の手料理のあたたかい蒟蒻や、大根や焼豆腐の煮物の味が恋しい。考えてみれば、園部で食ったものといえば冷飯に牛乳かけや、犬猫を殺した肉ばかり。また涙が出そうになる。喜三郎は店に入って婆さんを呼び出し、蒟蒻三丁を縄でくくってもらって、手土産に家路を急ぐ。「喜三郎、どうした。や、その凸凹頭は……」 吾が家の軒に野良帰りの父吉松が立っている。   実情をあかせば父は憤慨し       せがれの頭を打ちよったと怒る   親でさえ打たぬ頭を猶吉め       了簡ならぬと雄猛びなしおり   腹立てば煙管や棍棒で打つ父が       腹立ちまぎれにこんなこという「この始末はいずれわしがつけちゃる。ともかく家へ入れや」 懐かしい顔々が、わっと喜三郎をとりまく。祖母宇能八十歳、父吉松五十二歳、母世祢四十七歳、そして弟妹たち。由松二十一歳、雪十三歳、政一十一歳、君三歳、由松の下の弟、十六歳になる幸吉は佐伯村の郵便局に男衆として勤めていて、今はいない。父は、目をそむけたいほど老いが目立っていた。 由松の姿はみえぬ。祖父ゆずりの博奕に溺れ込んで、家を空けることも多く、相変わらず家族を泣かせているらしい。末の妹君を膝に抱き、その髪の匂いに久しぶりの兄妹の情に和む。「兄ちゃんのでこちん、痛そやわあ」 君がのび上がって額の三つのこぶにさわる。「ほんまや。兄ちゃん、またこけたんこ?」 政一まで、転び名人の兄を心配げにのぞきこむ。「う、うーむ、ゆんべ暗うて、戸口の角っこにぶつけたんや」「三回もけ。へーえ」 祖母や母の手前、照れつつ苦しい言いわけをする。長男の自分が二十四歳にもなって未だ獣医にもなり切れず、ぶたれて園部から逃げ帰るなど、恰好悪うて、どうして弟妹に告げられよう。 土産の蒟蒻といもの煮しめの晩飯をすますと、吉松は気を引き立てるように言った。「よい時に帰ってくれたわい。この夏は大旱魃じゃさけ、手が足らんで困っとったとこよ。明日から稲田の水入れ手伝うてくれや」「よっしゃ。なに、わし一人で水入れちゃる。園部では、十頭の牛の世話から配達まで、一人でとびまわっとったんじゃ。父さん、まかしといてんか」 帰ってきた由松が、小馬鹿にした目でこぶをみる。つい気負いこんで強がった。 翌日、早朝から喜三郎は張り切っていた。小作田は亀の甲羅状にひび割れて、白く乾いている。のびざかりの稲の葉も箸のように細く、緑も色あせている。双肌ぬいで手に唾し、櫓を組んだ野井戸の竪釣瓶にとりついた。野井戸は、田の畦にすっぽりと石づみの大瓶でも埋めこんだ風に何の縁どりもない。穴の底にたまった清冽な水をのぞきこんで、喜三郎は武者ぶるいした。「ここはわしにまかせて、お前は汲み上げた水を肥たごにかついで田に流せい。待っとれよう、いま、冷たい水をたっぷり御馳走しちゃるでのう」 半ばは由松に、あとの半ばはのどを涸らしきってあえいでいる稲たちに颯爽と叫んだ。 がらがらと勢いよく釣瓶をくった。何とも足場が悪くて汲みにくい。板を渡してふんばる足も、水に濡れてすべる。兄は水を汲み、弟は稲に水をかける。肥たごの水は流れるゆとりもなく、たちまち割れた地肌に吸い込まれる。一反の稲を潤すまでには、きりなく汲まねばならぬ。「どうも頼りない腰つきやで。大丈夫こ兄貴」「あほう。三十二貫かついだこの腰じゃい」 父の吉松は、隣の田で干乾れた地におい繁った雑草を、鍬でうすく土ごとそいでいた。したたる汗をぬぐいつつ、兄弟の会話を頼もしく聞いた。喜三郎が帰ってきて、由松も力を合わせ一家で働けるその喜びに瞼を熱くして眺めやった時、悲鳴と共に喜三郎の姿が地上から消えた。激しい水音、はね上がる釣瓶。「や、や、やったあー」 そちこちの田の農夫もかり集めて、やっとの思いで野井戸から引き上げた時、喜三郎の両肩は釣瓶にぶら下がったなり、関節を抜いていた。 一家の期待を裏切って、喜三郎は、この忙しい時期を寝込む仕儀になった。 祖母宇能と母世祢が、軽く鼾をたて始めた喜三郎の枕元に坐った。顔にはこぶ三つの他、野井戸に落ち込んだ時のかすり傷が血をにじませている。二人はひっそりと顔を見合わせた。「確かに目鼻立ちはよう似てはる。けど何でこう、この人は……」と、世祢が涙に声をつまらせる。宇能は大きくうなずいた。「いたわしや。下々の暮らしの中では、調子がとれんのも無理はない。せめて喜三郎の望むだけの好きな学問させてやれたら……」「何でこんなところに生まれてきやはったんやろ……」 こみ上げる思いに堪えきれず、世祢は面をおおって出ていった。行燈を吹き消し嘆息を残して、宇能も去る。 喜三郎はうめいた。寝きってはいなかった。ところどころ祖母と母の会話は、耳に入っていた。下々の暮らしとか、いたわしやとか、それに母の情感のこもった最後のつぶやきが妙に耳についた。 ――けったいなこと言わはる。産まはったんは自分やのに、下々の暮らしもないもんじゃ。 寝返りをうち、また呻く。腕はしびれきったように重く熱くうずく。この時受けた疵は、晩年になっても寒さに向かうたび痛んだ。 一週間たって肩の痛みもうすらぎ、起き出した。寝ていて見る家の暮らしは、前にも増して貧しかった。気むらな弟由松はあてにはできぬ。家事と幼児の世話は雪や政一にまかせて、結局は老いた父母が野良に出ていた。暮らしの向上を望むなら、小作百姓の他に利の良い副業を得ねばならぬ。喜三郎の悩みは同じところを巡ってくる。 突然、船岡の叔父佐野清六が現われた。井上猶吉に頼まれて、喜三郎をつれ戻しに出向いたという。徳次郎も文助も、居なくなった喜三郎の分までの労働を分担しようとはしない。「園部町内の牛乳配達は分からぬ」と徳次郎は自分の受け持ち区域しかまわらぬし、文助は「これ以上働かされるなら辞める」とごてる。牛乳は腐るし、得意客は怒り出す。牛まで荒れてきて搾乳量は減ってくる。猶吉は獣医どころでなくなった。 聞くまでもなく、その様子は眼に見える喜三郎だ。手塩にかけたかわいい仔牛はどうしてるだろうと思うだけで、胸が痛んでくる。 あれほど怒っていた父吉松が、清六の前で黙然と腕をこまねいている。帰ってくるなり井戸に落ちて腕をぬく息子だ。大言を吐くばかりでひどく間の抜けた喜三郎だから、わし同様に、猶吉が時として癇癪を爆発させたとて無理からぬわいと、あきらめたのだろう。 結局、喜三郎は佐野清六について、園部に戻っていった。
 七月二十五日、朝鮮豊島沖での海戦。八月一日、清国に宣戦布告。  国のためならわしゃどこまでも   ヤットンマカセたとえ火の中水の中  丸まげくずして束髪ゆうて   看護婦するのもヤッコリャ国のため 京都では、敵国降伏の祈祷をはじめ、お国のためにと陸海軍への物品献納などが続出した。 井上猶吉は従軍獣医として京都第四師団へ招集され、上田喜三郎は船井郡仮獣医に昇格した。井上の古い獣医服をばさばさとまとって、警官をともない、上木崎の屠牛場におもむいて屠牛検査をするのが、喜三郎の仕事となった。 征清軍は宇品出港の際、兵士の携行食糧に広島で牛肉の罐詰と梅干を徴発。京阪神よりの移出もまた品切れ。たちまち関西の牛肉、梅干しは値上がりした。京都府下各罐詰屋の繁忙は昼夜の別なく、罐詰に充用する屠牛は昨今実に一日百五十頭。今に牛の欠乏を告ぐるに至るべしという。 新聞に載るくらいだから、日清戦争の波は、喜三郎をもかりたてていたのだ。と言っても、当時園部に牛肉店は一軒、近くの村から集まる牛は一日せいぜい四、五頭ぐらいと思われる。上木崎の小さな屠殺場は、明治四十年頃まで園部町の北、ワダチガ池の土堤のほとりにあった。一面のたんぼを前面に、竹の小高い岡と墓地を右に、他に人家はない。ここの屠殺人の渾名を乞食常といった。飲んべの小男である。 乞食常は赤い鼻の頭とどんよりした瞳をそばめ、大のこぎりを肩にして近寄った。「今日は、見ん顔の獣医やのう。若造やんけ」 破れた染みだらけのシャツから、異臭が立ち昇る。 穂の出そろった青い田んぼの向こうから、黒牛(黒毛和種)が二頭やってくる。屠殺場の生臭い風に何事かを感じとったのだろう、石段の下で怯えて尻込みする。「おらよ、どうどう」 汗まみれになって、主人が肥えた黒牛を追い上げた。続く痩せ牛は、首をたれ、観念した寂しげな目をまたたき、トボトボ上がった。 入口のせばまった検査所に、白い獣医服の喜三郎は待っていた。体重を計る。「こいつ、肥え過ぎてよう、何ともわしらの手にゃおえんようになってしもたで」 百四十貫である。続く黒牛は八十貫、主人はあごをなでて、不安げに喜三郎に訊いた。「獣医はん、何でこんな痩せとるんやろ。草やっても、よう食いよらん。働きもわるいさけ、つぶさなあかんのや。どこといって病気でもないのにのう」 目・鼻・口と丹念に調べ、打診聴診する。何より草食獣に頻発する急性伝染病の炭疽病がこわいのだ。無病と告げて、先の牛を通した。 四角い石だたみの真ん中には乞食常がいた。右手には一寸ほどのとがった鉄鋲のとび出た棒を、左手には幅広の紐を持って、何気なさそうに立っている。喜三郎は目をすえて見た。 近づく黒牛の目前に、常は手品師の手つきで、紐をひらひらと振った。思わず目をつぶる牛の眉間を、右手の棒でコンと叩く。そこが急所なのであろう、ポコリと穴が開いて、牛は声もたてず巨体をゆっくりと傾けていく。常はすばやく首にまたがり、いつの間にか持ちかえた一米ぐらいの細くしなやかな棒をその穴にぐいと差し込み、かきまわす。脳震盪を起こした牛の頭部組織は、そのしなしなとした棒でつきこわされていく。「次っ」 乞食常は、勝ち誇ったように叫ぶ。貧弱な呑んだくれが、一瞬の間に自信に満ちた手練の屠殺者に変わっている。その前に、繋いでいた紐を解かれて、痩せこけた牛がつき出される。牛はいま目前で倒れた仲間の血をまたいで、何もかもあきらめきったように目を伏せる。喜三郎も、思わず目を閉じた。 二頭の死体は、三、四人の男たちによって手ぎわよく処理されていく。石だたみに十字に通った一またぎ幅の溝に背を当てて、まずのどの頸動脈が切られる。ふき出す血は溝を伝って外へ流れる。腹と足に切れ目をつけて、腹側から皮をはぎ始める。首を切断。後肢の両股に穴をあけて釣り金具に引っかけ、手まわしの巻き上げ機で宙に釣り上げながら、残っている背の皮も続けて剥ぎとる。だらんと下がった薄い腹部を縦に裂けば、ぞろっと内臓が流れ出てくる。 常が大のこぎりを引いて、赤裸の巨体を真っ二つに縦に切る。それを、肋からまた横に切る。出来上がった四半分の一つの足に穴をあけて、釣り金具をひっかけ、天井にぶら下げる。 ずっしりと重い四半分の身の一つを人夫にかつがせ、取り引きが済んだ牛肉商が「おっきに、ほな……」と喜三郎に手を上げて、まばゆい陽光の中を出ていく。まだ園部には自転車もない。 痩せ牛の主人が、放り出された内臓のそばにしゃがんで獣医を手招いた。初めて目撃する屠殺解剖の凄絶さに気をのまれていた喜三郎は、心をとり直して生臭い血の中に入った。食道につながる四つにくびれた大きな反芻胃をひきずり出し、メスで開く。「何やろ、これ」 第一胃と第二胃の内側一面に、無数につき刺さった細かい刺があった。抜きとって眺め、喜三郎は声を上げた。「竹や、竹のささらや。あんたんとこ、牛の飼葉桶や鍋洗うのに、竹のたわし使わへんこ」「そや。使とる。ほな……」「それやな。毎日少しずつ、竹のささらが飼葉にまじる。それが胃にささる。日に、二、三本ずつでも、長い間には胃の中が針鼠みたいになって痩せていくわけや。生きものを飼う者は、竹や針・釘・ピンの扱いには心せな」「あいつ、道理で……しんどがったわけや」 主人は、目を赤くして、釣り下げられた肉塊を見上げた。それは、並んで下がっている先の牛の肉塊とは比べようもなく小さく、みすぼらしかった。 ――生きていくのはどんなにか辛かったろう。痩せ牛の最後のあきらめ切った目付きが、ものいえぬ生類の哀れさいとしさが、喜三郎の胸を激しくゆさぶった。 次の日、喜三郎は心が重かった。乞食常もひどく酒臭い。年期を入れ、熟練を誇る屠殺者にも、無情の思いに打ちひしがれる心はあるのだろう。得ただけの賃金のすべてで浴びるほど酒を食らうという、老いて孤独な乞食常も、また哀れであった。牛に曳かせたベタ(四つ車)で遠くから買い付けにきた牛肉商がいて、この日、屠牛数も多かった。 悪いことが重なった。無病と診断した乳牛が、皮をはいでみると、首から肩にかけ、約二貫目も肉が腐っていたのだ。「高い銭払うたんや。ヘボ獣医が無病とぬかしくさったさけ、信用して買うたんじゃ。どないしてくれる」と、牛肉商がいきまいた。 牛小屋の閂に首をこすって刺でも立てたか、あるいは、ひどく打たれて局部的に内側が化膿していたのであろう。喜三郎は、皮の上から見破れなかった己れの経験の浅さを恥じた。 牛肉商の言いなりに多額の代償金の証文を書かされている時であった。殺気が背後を走り、鋭い怒号が起こった。振り返った眼いっぱいに黒牛がせまる。身を避けるのがやっとであった。 牛肉商をふりとばし、机を蹴りころがして、牛は方角を変え、額からふきこぼれる血をふりまきながら、恐ろしい勢いで乞食常に突っかかる。呆然自失、常はなすすべもなく立ちすくんでいる。酔いのためか、老いのせいか、手元を狂わせて眉間の急所をはずしたらしい。「危い」 とっさに喜三郎の手から力いっぱい木椅子が飛んだ。牛はよろけて、どっと壁にぶち当たる。常は血の溝に這いこんで逃げた。怒りと恐怖で猛り狂った牛は、鼻息もすさまじく暴れまわる。柱につながれた屠殺前の牛たちまで、鳴き声をあげて怯え出す。「ロープかけろ」「撲り殺せ」 男たちはやっと驚きから立ち直り、手に手に得物を持って襲いかかった。めった打ちにしてようよう撲殺し終った時は、どの男たちも切断半ばの屍体の血汐の流れる石畳にへたり込み、しばらくは声も出ぬ。 乞食常は、その衝撃からついに立ち直れなかった。屠殺者としてただ一度の失敗は致命的であった。すべての自信を失ったのだろう、その夕べから牛のような唸りをあげてもだえ狂った。「牛が憑いたのや」「牛が祟りよったのや」と、口々に人は噂した。 常は十日目に死んだ。 半月の後に、井上猶吉は京都第四師団の従軍獣医不合格として返されてきた。猶吉は不服げであったが、喜三郎はほっとした。白い獣医服も、屠牛検査も、その日からぷっつりと止めた。獣医学を断念し、血腥い上木崎の屠殺場からも解放されると、やっと自分をとり戻したように喜三郎は心がほぐれて楽しかった。
 九月に入ったある日、思いがけぬ悲しみが喜三郎をとらえた。一年二か月の間、喜三郎の師であり、またとない理解者であった岡田惟平翁が、摂津の国大原野の郷里へ帰ると言い出したことである。 翁には、一身一家の安泰のために生きようとする人並みの慾が薄かった。老境に入って枯れ果てたのか、あるいは初めから持ちあわせていなかったのか、若い頃から、ねぐら定めぬ放浪暮らしであった。行く先々に国学や和歌の友、門弟らができていく。民間にあって、彼らに国体の尊厳を説き惟神の道を伝えることが、翁の唯一の生き甲斐であったのだろう。「獣医学も牧畜も止めて、国学に専念しなされ」と、ことあるごとに喜三郎を説いた翁であった。 今、ひょうひょうと去りゆく後姿を見送りながら、後を慕って行きたい衝動につき動かされる。が、それはできなかった。上田家長男として、多くの係累をふり捨て切れぬ喜三郎であった。 共に見送っていた和厚が、寄ってくる。「喜三やん……」「……和厚、おじいさんは羨ましいのう、思うように生きてなはる」「わしかて、思うように生きるで」「そうや、持って生まれたお前の才能を生かさなあかん。お前のためにも、お国のためにもじゃ」「喜三やん、おじいちゃんと同じこと言うとる。けど喜三やんこそ、その才能をなんで生かさんのや」「わしには分からん。何してよいやら皆目分からん。牛の世話して一生送ってよいとは思えん。わしがお前の年の頃には、もっとどでかい夢を見とった……」 喜三郎は膝をついて、和厚の胸に頭をもたせかける。焦燥と虚脱が気弱く涙になりそうであった。 翁が去って、園部にはもはや喜三郎をつなぎとめる何の魅力もなかった。 牧場を去る条件はあった。猶吉の妻縫は養蚕をやめて、次第にふくれる腹に追われるように帳簿の事務処理などを覚えはじめた。副業の養蚕よりも、夫婦で獣医業と牧場に打ちこんで、喜三郎がいなくなってもびくともせぬ基礎を築くことが有利だと判断したのだろう。 牧場を辞めたいという喜三郎の申し出を猶吉は止めなかった。「ほうけ、辞めるというなら、しゃないのう。まあ、好きにせいやい」 だがさすがに気が咎めるのか、猶吉はつけ加えた。「せっかく獣医学の勉強したんやさけ、来年は獣医試験を受けてみたらどうやい」 多少は慰留されると思っていた喜三郎、むっとして答える。「へえ、畜生の医者になるぐらいなら、人間の医者になる方がましでっさけ」「勝手にさらせ」 猶吉は、怒って立ち上がった。 ――たつ鳥は跡を濁さずや。 後継者の見つかるまで牧場で働き、引き継ぎをすまして和厚少年や牛たちと別れを告げたのは、もう秋も末であった。
 牧場をやめても行く先のない喜三郎は、船岡の伯父佐野清六の家にころげこみ、やがて妙霊教会の信仰に入った。生きる理想を失った心の支えを、神に求めねばすまぬ心境であった。清六に連れられて、兵庫県春日江村の本部にも参詣した。二代教主の山内利勢は、喜三郎の人となりを観察して、布教師になってはどうかと熱心にすすめた。喜三郎はふと心が動いたが、本部にいる教導職の人たちと接してみて、その現代離れした感覚についていけぬと思った。「どこまでも神信心だけは続けますさかい、布教師だけはこらえとくなはれ」 喜三郎は、逃げるようにして山内教主の前を辞した。 しばらく船岡の妙霊教分教会に起居するうち、次第に宗教について失望しはじめた。宗教の道とは、金儲けの祈り、待ち人・縁談などの伺い、病気治し、それしかないかの如くである。信者は「ありがたい、ああ、ありがたい妙々」と百万だら繰り返せばこと足れりと思っている。心に想う惟神の道とは、あまりにも違う。 教主の言葉を絶対と信じる佐野清六は、暇さえあれば喜三郎に布教師になることをすすめる。うるささにたまりかねて、ついにこの年の暮には故郷の穴太へ逃げ帰った。
 参謀総長有栖川宮熾仁親王は広島にあって日々大本営に出仕、大元帥陛下御親征のもと、刻々に移りゆく陸海軍の軍機を統べていた。 明治二十七(一八九四)年十二月十日、所労のため静養中をおして登営、午後二時御前会議に列席。十二日――登営。会議出席中より悪寒頭痛、夜発熱。十三日――静養、侍医局長、医学博士池田謙斎、主任として拝診。十六日――熱低下、食欲あり。二十一日――夜再び発熱。二十二日――陸軍軍医佐藤進診察、病名不詳。二十六日――陸軍軍医総監医学博士橋本綱常、勅諚によりて参入再度拝診の後、マラリヤチブスと決定。悪兆なければ安心ありたしと別当山尾庸三より通報。二十七日――池田、橋本両医官会議、山尾別当と共に大本営、及び宮内省へ宮内大臣土方久元と打合。秘密を旨とし、表面は大本営広島滞在とし、舞子別邸に転地療養。董子妃は避寒のためとして舞子へ先着と内決。聖上、皇后宮より両三次、所労御尋ねのための御使いあり、お見舞の品々御下賜。 あけて二十八年。 一月一日――聖上、皇太后宮より御使、御見舞品下賜。海軍大臣伯爵西郷従道、海軍中将子爵樺山資紀、陸軍中将川上操六及び陸海軍参謀官年始入来面謁。妃、舞子別邸着。二日――午前十時四十五分広島発、車中御床の用意あれど終始安坐、昼夕二食快く召す。列車七時二十分、舞子別邸門前をあやまりて、わずかに過ぎて止る。腕車間にあわず、妃に迎えられて、歩を移し御殿に入る。橋本博士常に侍す。三日――兵庫県知事周布公平訪問入来。須磨病院長鶴崎平三郎診察之事。 この日をもって、慶応四年(明治元年)二月十五日、勅を受け東征大総督宮として江戸へ御進発の日より書き綴られてきた熾仁親王の日記は絶えている。が、その行実は続く。 四日――伯爵井伊直憲の室たる妹宮宜子危篤、次いで逝去の報あり。五日――妃より妹君の訃を申し上げる。聖上、皇后宮より御菓子料賜う。七日――脈搏不調、結滞、熱朝高夕低、反常型。八日――午前、東京帝大教授ベルツ、池田謙斎と共に参入拝診、腸室扶斯の再発。幸い続発症なければ、両三日後に分離するやも知れずと。十一日――結滞は止み、脈力少しく減弱、呼吸喘促、脳症進みて半睡半醒の状態、時折幻視あり。十五日――午前七時三十分、昏睡状態に陥り午後三時心臓麻痺のためついに薨去。
 それから十日ばかりたった夜、伏見から車を引いて戻ってきた吉松が、雪道にぬれそぼった草鞋を脱ぎながら言った。「何や伏見のあたりは、一面灯が消えたようじゃったでよ。ここ三日間は歌も舞もあかん、酒飲んで騒ぐことならんと、きついお達しがあったんやて」「へえ、何でっしゃろ。戦勝祝いなら騒いでやろけど、騒ぐな言うお達しなら……」と世祢は、炉の火をかきたてながら不審そうな顔になった。「ようは知らんけどのう、誰やらの宮さんが亡うなって、二十九日に国葬じゃげな。参謀総長か何ぞしてはったらしいで」「参謀総長なら有栖川宮さまや。まだ戦争が終わっとらんのに、えらいこっちゃ」と喜三郎が、土間で草鞋を編みながら言葉をはさんだ。それを耳ざとく聞きつけた世祢は、「喜三や、ほんまやろか」と、只ならぬ気配。普段と違う母の関心の示しように、「さあ、どやろ。新聞借りてこか」 喜三郎は、雪のちらつく夜道にとび出した。 夕餉の膳をととのえながら、世祢は血の気の引いた面を伏せていた。耳の遠い宇能は、繕いものに余念がない。夫吉松が着がえに隣室に消えると、世祢は母宇能の耳元にふるえ声で囁く。「あのお方が……宮さまが亡うなりなはった……お母さん」 宇能は落ち着いた目を上げた。「そうやろなあ。夢を見てのう、宮さまがお腹を召されて……」「切腹?……めっそうな、そんな夢見たこと、人に言うたらあきまへんで……」「けど、とうとう喜三は……知らんままに……」「しっ……」 由松は今夜も手なぐさみであろう、まだ戻ってこぬ。土間では雪と政一が黙々と縄をなっている。吉松が膳の前に坐り、世祢は背中の末娘君をおろして膝に抱き上げる。と、外から喜三郎が、新聞片手にとび込んできた。「やっぱりやで、父さん。勅令がおりとる。朕、茲に故参謀総長兼神宮祭主陸軍大将大勲位功二級熾仁親王国葬の件を裁可す。御名御璽。閣令第一号には、殿下薨去により宮中喪及廃朝被仰出たるに付、二十四日より三日間、歌舞音曲を停止、葬儀執行当日は京都府下に限り尚ほ之を停む……」「由松の奴、こんな時にまたサイコロ振ってやがるんじゃろ」 吉松は苦々しげにつぶやく。「喜三、その新聞の記事、大きな声で読んでおくれ。有栖川宮さまは、わたしらにはなつかしいお方や。和宮さまの御降嫁の時、京の人たちはみな泣いたものじゃ。わたしは一度、お姿を見ましたで。官軍の総大将で江戸へ下られる時じゃった」 宇能は耳に手をあて、聞きとろうとする姿勢になった。「よっしゃ、読むで――熾仁親王御重体の儘御帰京、若宮威仁親王御海上勤務中御下艦。威仁親王いうたらたしか弟宮のはずや――有栖川大将宮殿下には……」 喜三郎の声は、淡々として続いた。 夕食の後片附けを済まし君を寝かしつけると、世祢は行燈のかたわらに寄って、新聞を手にとった。喜三郎と政一をつれ貰い湯に行った吉松は、まだ帰っていない。 新聞には、楕円形に縁どった、今は亡き宮の写真が載っていた。涙ににじむ目で見つめながら、世祢は二十六年前、伏見の船宿で若い宮のみ胸にふれた十九の年を痛みと共に偲ぶ。あとをもとどめず消ゆるはかない恋、うたかたの夢であってくれたら……。 けれど世祢の人生はあの時に決まったのだ。残された忘れ形見を胎に守って。宮のみ子を産み落とすまでの恐ろしい秘密の苦悩。偽りの罪を、限りもなくこの世につみ重ねてきた。 野に咲く花を心なく散らして去ったお人を、世祢は恨まなかったとは言えぬ。幾夜人知れず忍び泣いたことか。けれどまた、幾度、世祢のために賜わったあのお歌に、あり得べくもなき身の幸せと喜びを抱きしめてきたことか。そして宮は今、その尊い血を継ぐ実の御子をも知らず、この世からまで去っていかれる――。
表題:ラムネの泡 2巻2章ラムネの泡



 喜三郎の尻は故郷にも落ちつけなかった。川辺の船岡の叔父佐野清六のもとを逃げ出して帰れば、なんと父吉松までが妙霊教の祭壇を祭り、朝夕熱心に拝んでいる。そればかりか、妙々様に凝り固まって、今や新信徒獲得を生き甲斐としている。「今夜は又七はんとこの月次祭やで。わしはのう、この穴太で、新しく五軒も妙霊教会にお導きしたんじゃ。一人では手えまわらんさけ、お前、行ってくれや」 げんなりしながら、喜三郎は気弱くつぶやく。「こらえてんか。わしゃ、妙々いうのん、照れくそてかなわん」「あほ言え。神さん拝むの、昔からお前の方がずっとうまいやんけ。わしゃ、祝詞を人さまの前で上げると、どうもつっかえるんじゃ。一人の時はすらすらとなんぼでも出てくるにゃけど、いざちゅうとどうもあかん。よいけ、羽織袴、わしのん貸してやるさけのう」 父の命には抗しきれず、又七の家へ出かけていって、天津祝詞に神言を音吐朗々と奏上。だが最後の称名は「妙々々」と次第に小さくなる。唱和する信者の声が百万だらくり返している間に、喜三郎は裏口からそっと消えてしまうのだった。 そのうち、本部から岸本勇助翁が巡教に来て喜三郎に「布教師になるよう」との二代教主じきじきの言葉を伝えた。吉松は随喜した。が、肝心の息子は浮かぬ顔である。千万言を費やして説得につとめるうち、逆に持ち前の癇癪を爆発させて、「お前のような不信心もんは出て失せい」と叫んだ。 行くあてはやはり園部しかない。喜三郎がなじみの藤坂薬局に顔をだすと、主人の惣三郎がにやにやからかう。 「久しぶりやのう。えらい妙々さんに凝っとったそうやが、その後どうや」「船岡に行ったり、穴太に帰ったり、まるで妙々ぼけや」「信心はええもんや。園部にも、妙々拝んどる仲間はおるで」「妙々はもうたくさんや。またしばらく居候さしてもらうで」 表が賑やかになって、三味を抱えた門芸者が、《河内十人斬り》をうたった。 明治二十六(一八九三)年五月の末、河内国石川郡赤阪村字水分の農民城戸熊太郎及び谷弥五郎は、同村松永伝次郎の妻と子供二人、その長男夫妻と幼児三人、同村の森本トラと娘ヌイ、計十名を愛情のもつれから怨恨の末惨殺し、そのうえ、全村を焼き払うべしと宣言。村民を震え上がらせる。両名は金剛山に逃げこんで隠れ住むが、憲兵隊まで動員しての山狩りに、ついに自殺する――。 この事件は、新聞にも報じられ、世間を騒がせたが、さらに河内十人斬り音頭となって流行する。作詞は、車夫の岩井梅吉・友人の松本吉三郎の合作とされる。 惨劇直後、岩井梅吉が府警のおえら方を俥に乗せ、あるいは徒歩で、犯行現場から犯人の逃げ隠れた金剛山山中等を案内した。岩井は文字を知らなかったので松本との合作、当時河内辺りで流行の江州音頭の節まわしを多少改作し、江州音頭河内改良節という、河内十人斬りのための新音頭にまで発展させた。 まもなく大阪道頓堀で二人がそれを口演し、四十五日間の大入り満員を続けた。その後、鉄砲節の鉄砲光三郎が、鉄砲節にのせて興業したりしている。全体は非常に長いもので、姦通悪党の場、谷弥五郎妹と別れの場、金剛山取巻き最後の段、借金証文取戻しの段など幾編にも分かれ、各編それぞれ三、四十分の口演時間を要する。 この江州音頭河内改良節の元祖は、初代は岩井梅吉・松本吉三郎の二人だが、表向きは梅吉が名乗って甲田梅吉という。二代目松原竹丸、三代目高瀬豊丸、四代目中野町久丸、三代と四代の間に番外として毛ビ谷善丸、またの名を浦田善丸、そして五代目が合作者松本吉三郎の伜松本丹兆こと松本清になる(以上は、松本丹兆の談による)。 喜三郎は、この音頭が気に入った。門芸者の後ろに従い、村々を巡り歩いて暗記する。夕暮れに腹を減らして藤坂宅に戻り夕飯請求、門芸者から聞き覚えの《河内十人斬り》を大声で唄った。  いやどっこいせー いや何じゃいなー さても満座の皆さまえーな とかく世間の女をばコレ 解剖致してみるなれば 涙もろうてしとやかでコレ お色気あって優しゅて まめで内気であでやかでコレ お尻の大きい気の細い 一目で見たときゃよけれどもコレ 一度剥いてみるなれば 嫉妬深うて貪欲でコレ悋気焼餅ふくれ面 叩きゃ泣きゃがる意地をはるコレ 殺しゃ夜中に化けて出る 女の執念誠に恐ろしや……あー男持つなら熊太郎 弥五郎さんかいな 歌の文句をそのままにコレ 残す河内の伊達男 城戸熊太郎 谷弥五郎コレ 何故に人をば十人も 斬ったりはったりしたかとコレ 申してみるならお客さん……「人斬って名を残すような狂人の歌うたう奴は、家へ出入りすな」と藤坂は叱りとばす。「ごもっとも、ではお別れしますわ」と喜三郎、唄いながら向かいの内藤菓子店へ入る。内藤家ではたちまち雇人らに伝染して、彼らは声を合わせてうたい始める。翌日も、その翌日も、あきるまで合唱して、ついにたまりかねた主人の内藤半吾に叩き出された。 馬鹿騒ぎの後の空しさに耐えかねて、夜道を南陽寺まで来た。いつも深いまなざしで温かく迎えてくれた岡田惟平翁は、もういない。せめて和厚の顔がみたいと庫裏の前にたたずんだが、それもあきらめてきびすを返した。 身も心も、おまけに懐までも、ひどく寒々しかった。考えてみれば園部殖牛社を辞めた時、井上猶吉はただの一文もくれなかったではないか。確か、「三円の給料のうち二円は積み立てといてやる」とはじめに約束したはずだ。それを忘れて手ぶらで出た喜三郎、今やっと思い出すなり、憤然として井上家の表戸を叩いた。 だが猶吉は平気な顔である。「お前が獣医になった時に祝いに出しちゃるとは言うたかも知れんが、獣医どころか牧夫も満足につとまらん奴に銭などやるけい」「人をさんざんこき使いくさって、ろくに銭もくれんと裸で出すのは殺生な」「ま、惜しいけど一円だけくれちゃろ。その代わりやな、これは獣医試験を受ける費用にやるのや。試験がもし受かって資格がとれたら、また使ってやらんこともないわい」 ふっと心が動いていた。獣医試験を受けることを前に一度はねつけた喜三郎であったが、心の奥に未練はあった。学科試験にならパスする自信はある。資格があっても邪魔にはならぬと思った。 明治二十八年四月、京都府庁で第十九回農商務省獣医試験を受けた。受験生五十四名のうち、学術試験の合格者五名。喜三郎は二番で合格した。しかし蹄鉄術の実地試験で泡をくった。蹄鉄術どころか、馬蹄すらろくに見たこともなかったのだ。手さぐりの独学のみじめさを思い知らされた。当時の獣医は、蹄鉄を兼業しているのが普通であった。井上猶吉のように牧畜と獣医の兼業は希であろう。蹄鉄術は獣医になる不可欠の資格であったわけだが、喜三郎はそれを知らなかった。 獣医学の実地試験で自信を失い、喜三郎は、誰にも内緒で京都府の巡査採用試験と京都監獄の看守試験も続けて受けておいた。果たして獣医試験は不合格であった。その噂は村内に広まり、喜三郎は、肩身を狭くした。「えらいことや。喜三郎あてに京都の監獄から手紙が来たで」 封書を手に、宇能は蒼くなった。吉松も顔色を変え、田にいる喜三郎のところまで駆けつけた。「情けない、監獄から呼び出しがくるとは……喜三、何しでかしたんや。父さんにだけは隠さんと白状してくれ」 封書を開いてみて、喜三郎は安堵した。看守合格の通知だった。三日後には巡査の採用通知もきた。獣医試験に落ちて村人の手前も恥じ入っていた吉松は喜んで吹聴してまわったが、宇能は世にも情けない顔だった。 物のはずみで看守や巡査を志望してみたものの、喜三郎は気がのらなかった。一つの身に二つの役所は勤まらぬ。病気を理由にして、両方とも断わった。 眠られぬ夜が続いた。定めなく心が揺れる。細い糸に身をまかせ、風の吹くまま頼りなげに揺れながら、糸を張るべき一点を求めて止まぬ蜘蛛のように。 ある夜、のどの乾きに起き直った喜三郎は、車引き当時京都で立ち飲みしたラムネの味をひょっと思い出した。ラムネは、明治五年頃、中国人の蓮昌泰が築地で製造したのが最初とされた。当時二幅対として勢い強いのは柳橋の芸者小万とラムネなどと、明治八年七月の読売新聞に書きたてられている。明治十四年には、蓮の下でラムネの配達をしていた鈴木音八が独立して洋水社を起こし、《きゅうりラムネ》を売り出している。 ――そうや、園部あたりではまだ珍しい。甘くさわやかな口あたり、ポンとコルクがとび出してシュッと泡が吹きこぼれる爽快さ、人呼んで鉄砲水。これ造って売ったら人気出るやろ。製造法ぐらい、わしにもなんとか思案がつきそうや。 思いたったら猶予はできぬ。翌朝、喜三郎は園部に向かった。藤坂薬店に入ると、挨拶もぬきで書斎の薬学の本をめくり出し、そのうち製造法の技術を悟った。 六月、園部社なるラムネ製造販売会社を園部に生んだ。出資者は園部近辺の殖牛社時代の知り合いから募った。二百円で製造機を購入、単舎利別(白砂糖を蒸溜水にとかした溶液、シロップ)・酒石酸・硫酸・炭酸ソーダ・色素や香料などを準備する。 単舎利別一貫匁に酒石酸十匁、つまり百対一の割合に溶かして、細長いガラスビンに半分ほど入れる。それに、手まわし機から炭酸水を注入するのだ。今のような液化炭酸の高圧ボンベなどなかったから、炭酸水も作らねばならぬ。硫酸の反応を高めるために、焼いて水分をとり除いた炭酸ソーダを硫酸に働かせて、濃く水に含ませて作った。 ラムネ玉の入った瓶は明治三十年頃に現れたというから、喜三郎の製造したラムネはこんと木槌でコルク栓を打ち込み、飛び出さぬよう上から鉄線で押さえた初期のものであったろう。卸値で一銭余、小売値で二銭五厘、利はよかった。一獲千金も夢ならず、好評のラムネの売れゆきが激しくて、一夏は製造に追われて過ぎた。 盛夏の真昼、汗だくの忙しさについ無造作に手をのばし、単舎利別と間違えて隣に並んでいた希硫酸の瓶をぐいと呷り、途端に噴き出した。この二つ、無色無臭で見たところ変わらぬ。焼けつくのどの痛みにあわてて単舎利別をがぶ飲みし、その上水を二、三升たちまち流しこんだ。飲んでも飲んでものどは焼ける。いくらでも飲んだ。 あとから考えると、とっさにシロップを飲んだ応急処置が幸いしたのだろう、大事にはならずに済んだものの、のどと舌が荒れて、水々しい美声? を誇った喜三郎も、以後、晩年に至るまで声がかすれた。 一夏過ぎて決算してみると、算盤の上ではたしかに利益がありながら、つぎこんだ資本は回収できなかった。喜三郎は、首をひねった。そういえば、景気がよいのを触れまわって、随分と近所の子供らや園部の友達たちに振舞った。ついでにいかに原価が安く儲かるかも吹聴したから、気楽になった友らはそのまた友らを連れてきて、ぽんぽんコルク栓をふきとばして飲んだものだ。呑み倒されてつまりは欠損という冷厳なる事実の前に、しゅんとなった。 働いて損をするようなラムネなら売らぬがましと店を閉めた。二百円で買った機械まで、足元を見られて三十五円にしか売れなかった。新事業の試みは、はかなくもラムネの泡と共に消えた。
 蜘蛛はまた振り出しに戻った。足がかりを失って落ち、糸一本にすがって風になびく。 尾羽打ち枯らして帰った息子に、吉松は暗澹とした。二十五にもなって、一所に落ち着くこともできず、新しがってとびついては失敗を重ねる。何をしでかすやら、見当もつかぬ息子をもてあました。兄貴の株が下がると、弟由松までなめきった顔で遊びにふける。 返すあてない負債に心痛めつつ、喜三郎は刈り入れ時の忙しさに没入した。 秋のある夜、亀岡の町家で俳諧の席があると聞き、久しぶりに出席した。喜楽として売った名は今でも通用した。くすんだ顔ばかり居流れる席の中程にそこだけ明るくまぶしい色彩が、はっと喜三郎の目を奪った。見なれぬ少女であった。句をひねるのも上の空で、喜三郎の視線は、その一点にとどまる。 空色の地にコスモスの花を散らした友禅モスリン(メリンス)に、朱の博多帯。良家の娘であろう。筆を持つ手を止め、ふっと見合わせた瞳が明るくはなやいでいる。見惚れていた喜三郎、あわてて目を伏せる。我にもなく頬が火照った。 伯父らしき人にともなわれ夜道を去る娘を、名残り惜しく見送った。人に訊くのは照れくさかった。大井村土田の人……それだけを知って心に畳んだ。 十月十六日、大井神社の秋祭りの日、朝から喜三郎は落ちつかなかった。刈りとった稲を束ねて稲掛けに干し終わるや、父の目をかすめて半里の道を北へと走った。 大井神社の祭礼は、楽人の奏でる笙・ひちりき・横笛に始まって、すでに神輿渡御に入っていた。百名近くの氏子たちの力と音頭に支えられ、秋日に映え揺れながら、神輿は石の大鳥居をくぐり石段を降りる。神輿の先頭には高張り提燈と鯉鉾が揚げられ、十歳くらいの稚児が金の冠、白衣に緋の狩衣、紫の袴で馬上姿も可憐に通る。楽人、神職、上下に威儀を正し一文字笠をさしかけた氏子総代たち。若者たちの熱気にもまれる神輿の後を鎧かぶとに身を固めた武者が三十数騎、武具を鳴らして練って行く。 祭は最高潮にふくれ上がる。やがて真っ直ぐにのびた馬場の向こうから烏帽子に陣羽織、赤白の襷をかけた騎手が十五、六騎、真一文字に馬を馳せる。流れる五色のテープ、ひょいと馬の背に逆立つ騎手、清和天皇の御代貞観八年に許されたという、古い歴史を誇る競馬の行事だ。 山高帽に紋付羽織の村役衆、着飾った娘たち、絣の着物に学帽の村童らがひしめく間を縫いながら、喜三郎の視線は多彩な行事を離れて泳いでいく。あの娘はいない。焦りと失望に唇を噛む。 境内を横切ると、こんもりと丸い石の太鼓橋の向こうに出店がにぎわっている。金魚すくい・お面・刀・人形・毬・饅頭・吊るし柿……太鼓橋の欄干にもたれて、出店にむらがる人々を眺めた。どの娘をみても、俳諧の席の少女の面影とは比べられぬ。 激しい水音に振りかえった。太鼓橋にくびられて、その左右に池が広がる。鯉がはねたのだ。鯉は無数に泳いでいた。 松尾神社から亀に乗り、急流に至って鯉に乗り移られ、大堰川を溯り鎮座されたという大井神社の二祭神、酒美豆女命、酒美豆男命の話は、喜三郎も聞いている。だから大井村の氏子はすべて鯉を食さず、この池に放つ。鯉の模様、絵姿さえも恐れて所持せずに神社に納めるという。 視線を戻した時、目前を大きな黄蝶が舞ったと思った。黄色い袂であった。絹ずれのかすかな音、香り。あっと、のどの奥で喜三郎は叫ぶ。 行き過ぎて、少女はひらりと振り向いた。瞳が笑んで、真っ直ぐに喜三郎を射た。全身を固くして、視線を受ける。一瞬であつた。 少女は何事もなかったように、小走りに本殿に向かった。改めて見ると、母親らしい女と十歳位の妹連れであった。気弱くなって稲荷の社の高みにのぼり、そこから拝殿をのぞきみた。 拝殿の鈴を鳴らす少女の黄八丈が、黒っぽい周囲の中にくっきりと浮いた。手を合わせる色白の横顔の愛らしさ。ふっくらとした胸元が、ここから見える桧皮に厚く葺いた本殿の屋根の優美なうねりに似ている。神輿が戻ってきて、境内は一きわ雑踏した。楽の音が冴え渡り、行事の終わりを告げる。 三人連れは境内の右手奥の社務所に入り、そこにたむろしている氏子総代たちと共に、長いこと出てこなかった。黄昏がせまっていて、散っていく人々の足は急いでいる。 社務所の前の大銀杏の幹にもたれて、喜三郎はいらだっていた。「あかん、今日はもう御利益がなさそや」とあきらめかけた頃、三人は淋しくなった境内にやっと現れた。少女は縫いぐるみの人形をさも大切そうに抱いていた。「志津江、お返し、みっともない」と母親がたしなめる。妹が人形に手をのばす。「いやえ、まつえちゃんにあーげない」 泣き声をあげる妹ともつれるようにして、少女は喜三郎の前を走りぬける。喜三郎は、間をおいてその後を慕って行った。神社を出ると、北西にのびる街道を土田へと真っ直ぐに歩いた。同じ方角に帰る村童たちが、喜三郎の前後を囲んでいた。 十五分ばかりで、陽の落ちた土田の集落に着く。その中程のどっしりとした門屋の中に、三人は消えていった。大きな門標をすかしみると、《安達》。安達といえば、穴太まで聞こえた庄屋の家柄であり、大井神社の宮主ではないか。するとあの子は安達家の娘。喜三郎は暗然とした。 門の両脇に大きな下男部屋。築地の奥には瓦ぶきの中門が見える。喜三郎は少年の頃、下男として住みこんだ門屋の斎藤源治の家を思い出さずにいられなかった。この家にも幾人かの奉公人がいよう。所詮、釣り合う縁ではないのだ。 蘭に失恋したときの苦痛がよみがえる。その二の舞はしたくない。思いきりよく背を向けた。夢からさめてみれば、どうにもならぬ我が身の貧しさがひとしお胸に食い入ってくる。風のざわめく竹藪に、真っ赤に熟れた烏瓜が揺れた。 背戸の椋の梢に、椋鳥が群れてさわぐ。黒く熟した椋の実をついばむ音がピシピシと冴えて聞こえる。 祭の日から三日目の朝、思いもよらぬ封書が届いた。椋の木の下に家族の目を避け、震える指で封を切る。墨色かおる美しい女文字。 ――俳諧の席の夜、お目もじしてより忘れがたく存じましたのに、大井神社の祭礼の折、橋のたもとにお立ちのあなたさまを再びお見かけして嬉しく……。 喜三郎の胸は驚喜に高鳴った。そうか、あの娘もわしを覚えていた。否、想っていてくれたのだ。《喜三郎様まいる、志津江より》その封書を懐に抱くなり、奇声を上げて椋の太枝にとびついた。鳥どもが飛び立った空は、梢の奥にぬけるように青かった。 手紙で幾度か恋歌を交わし合った。次の俳諧の席でと逢瀬も約した。あまりの幸福と不安に血潮が騒ぎつづける。 庭先で埃まみれになって脱穀していると、背後から、やさしい女の声がした。見覚えのある志津江の母親であった。「喜楽はんですなあ。ちょっとお願いがおますのやけど……」「わしに……へえ何でっしやろ」 喜三郎はあわてて手拭いで顔をこすった。志津江の母は三十七歳の未亡人と聞いていたが、ひどく若くなまめいていた。「いやそう(あらまあ)噂通りにええ男はんやなあ。うち志津江の母の小秀です。志津江が夢中になるのも、無理ないわなあ」 遠慮もなく小秀は笑った。何しに来はったんやろと、喜三郎は小秀の真意を計りかねて、ともかくも縁先に導いた。世祢がいぶかしげに出てきて、藁の散り乱れた縁に恐縮しながら座蒲団を勧める。手織縞の着物に羽二重と黒繻子の腹あわせ帯、大家の夫人然と美装した小秀には、いかにも不似合いな薄い座蒲団だった。 挨拶のあと、世祢が茶を入れに立つと、小秀は喜三郎に耳打ちする。「上品なお母さんや。若い頃はおきれいでしたやろ」「……」「うち、あんたはんの恋歌、志津江に見せてもらいましたえ。うちでもふらっとしそうな……」 また笑って、「けどわるいお人や、その手でだいぶ泣かさはった女子はんあるそうな」 喜三郎はうろたえて、「遊びはしました。けどほんまに泣いたのはわしの方や」「ほほほ……立派な男はんがなに言うといやすの。そやけど安達家の娘は、あんたはんの御相手にはせんといておくれやす。言うたら悪いけど、無財産のお方には志津江はやれまへんのや」 世祢が、こわばった二人の間に、静かに茶を置いた。小秀が世祢に向き直った。「うちの娘に度々文を下されますので、どんなお方かと実は内々こちらはん調べさせてもらいました。園部で乳しぼりしてはったことも、鉄砲水で失敗しなはったこともみな知ってます。安達家は、村でも一、二といわれる家柄でございます。主人が先年亡うなりまして、五人の子供たちを守ってゆっくり暮らせるだけの遺産はありますけど、何せ先が心配でっしゃろ。今、うちの資産に釣り合うだけの、ある地主はんの坊ちゃんが志津江に求婚してくれてはります。その良い縁談をぶちこわす噂を立てられたら……。志津江に内緒でお願いにきたんです。どうぞ志津江の幸せのために……」 うつむいて黙した喜三郎の手に、ぽたぽたと涙が落ちた。世祢がきっと顔を上げた。「さようですかい。釣り合わぬは不縁のもと、言わはるようにしておあげ、喜三。未練など残したらあきまへん」  喜三郎は、小秀の言うままに、「もう二度と会いたくないし、俳諧の席に出ぬ。これぎりの縁とあきらめてほしい」という意味を、そっけなく書きしたためて渡した。小秀が帰ったあと、涙をのんでいる喜三郎に世祢が言った。「女子の一人や二人で、女々し過ぎるえ。お前にはお前に釣り合うお人がきっとできる。田舎の……そこらの血筋や財産なんぞ……」 珍しく激しい語気であった。世祢は、自分の激しさに気づいて、はっと立ち上がった。
 金、金、何といっても金が力の世の中だ。金が欲しい。失恋の衝撃は、強く喜三郎を打ちのめした。じっとしてはいられない。元手いらずの金儲けはないか。天を仰ぎ、地をみつめる。忙しく記憶の頁をくってみる。 ――忘れとった。何でこれに気づかなんだやろ。天産。これやこれや。 園部の藤坂薬局にころがりこんでいた春頃、農商務省地質調査所発行の説明書や地誌を読んだ。何気なく読み過ごしていた一節一節が、いま、はっきりよみがえってくる。 ……天産のうち、地と最も関係の深きものは大地自身より産する鉱産物、丹波一帯の地盤には、花崗石材・石灰岩・砥石・硯材・満俺鉱・耐火粘土等を産す。 ……満俺鉱は緻密なる黒色、若しくは藍黒を呈せるものにして、厚薄不足の偏平状をなし、秩父古生層の珪岩の上表若しくは其の間にあり。南桑田郡に於ては田野村佐伯・本梅村井手等に産す。佐伯の満俺鉱は佐伯の西南部、一小渓流の東側の山腹に珪岩と互層して露出し、層位は殆ど東西にして、南に傾斜せり。 ……本梅の満俺鉱は井手の西南部に露出し、之に胚胎せる秩父古生層が石英斑岩に接せる附近にては、含鉱層は北四十五度西に傾斜し、鉱幅は三尺乃至四尺にして品質は佳良なり。 法被・股引・草鞋・のみと金槌の道具の他に、腰に自分で握ったごついにぎり飯一個。手拭いで頬っかぶりすると、喜三郎は人目をしのんで家を出た。記録にある佐伯の西南部あたりは、すでに盛んに坑道を掘っている。 ――なに、秩父古生層はここだけやない。京北一帯がマンガンの宝庫や。要するに早いとこみつけたが勝ちや。  ふるいたって、まず穴太の西にあたる丁塚山一帯をかけめぐった。藪をかき分け、小松の下枝をくぐり、赤禿げの谷間をよじのぼって、黒い岩をみつけた。手足をすり傷だらけにしてキンキン叩き、一片をかき取る。多量ではないが確かにマンガン鉱に違いない。このあたりに沢山埋蔵されていよう。たった一日で見込みは当たった。喜三郎は涙がでるほど嬉しかった。 帰途、薄暗くなりかけた佐伯の坑道に立ち寄り、帰り支度の数人の鉱夫たちに石を見せた。「ちょっと見てくれんけ。これマンガン鉱とちゃうやろか」 中の一人が手にとってみて、「ははは……気の毒やのう、黒いは黒いが、ただの岩や。マンガン鉱はこんなにつるつる固うないで。軽石の黒うて重たいようなもんや。叩いてみてトコトコ響く音がするわい」 期待は一瞬にくずれた。苦心してかき取った石を捨てた。しかし、聞くは一時の恥、親切に教えてくれた老鉱夫に感謝して、新しい希望に胸を張った。 来る日も来る日も山を駆けめぐった。幸い農閑期に入っていた。思いつめた喜三郎の顔色に、父母はあきれて文句も言わなくなった。 初冬のある日、柴を背負うた村上信太郎に山で出会った。かつて喜三郎の恋した八木弁の叔父であり、冠句の偕行社時代の社長でもあった。信太郎は、しょぼくれた髭も剃らず物に憑かれたような擦り傷だらけの喜三郎をじろりと見上げた。「この頃、喜楽はんどうかしとるみたいやのう。なんや怪しいで」「別にわるいことしとるわけやあらへん。けど人に言いふらしてもろたら困るんや」「わしがそんな口軽に見えるけ」「うーん、秘密やで。実は只で銭儲けする法みつけたんや」「松茸山荒らしと違うやろの」「この喜楽さまが、そんなふざけたまねするかいや。金儲けいうても、自分の懐肥やすばかりやないで。お国のためにするのや。国家の資源を開発して、大いに国力を高揚する、遠大なる理想を立てたんじゃ。だいたい日本はちびのくせして背のびばかりしやがるから、いざいう時には腰くだけや。三国干渉など外国の辱めまで受けんなん」「ち、ちびで悪かったのう」 信太郎が白い目を仰むけた。いかにも信太郎は小さかった。「あ、何もわし、あんたのこと……。要するにわしは日本の国力増強のため、マンガン鉱の発見に駆けまわっとるちゅうことや」「マンガン……もし見つかったら、一獲千金やのう」 信太郎の眼色が変わった。「そ、それでどうやい、目星はついたこ」「まあまあや。けど必ず一山あてたるで」「喜楽はん。思うにお前はどこやら頼りないところがある。ここはやっぱり年かさのわしが一枚かんで、知恵を貸さなあかんのう。こういうことは山勘ばかりではあてはずれになるで。そや、お前、妙々はん拝んどったろ。ひとつ神さんに占のうてもらおやないけ」「なるほど……」 意気投合した二人は早速船岡へ出かけた。 ――マンガンは出る。この船岡の山を探せよ。 叔父佐野清六を通じての厳かな御託宣であった。二人は勇み立って、船岡の低い山なみを連日歩いた。「銭があったらのう。ここいらの山、ダイナマイトでふっ飛ばすんやが……」「阿呆いえ、叩けばトコトコ音がする。黒うて重たい軽石や」 ぶつぶつ唄いながら、片っ端から叩いてまわる。崖に突き出た大岩の相を眺め、信太郎は叫んだ。「や、露頭じゃ。あの岩の間が黒いわい」「危い。わしに任せとけ」 喜三郎の制止も聞かず、信太郎は大岩にへばりつき、必死に金槌をふるう。がさっと岩が崩れた。喜三郎の目前を、すうっと信太郎が落ちていく。悲鳴が長く尾を引いてこだました。 ――あかん。あの谷底じゃ助からんかも知れん。 我を忘れて喜三郎はすべり降りた。そういうことはいたって器用にできていない彼のこと、がっと岩角に尻を打ち、続いて二つ、三つと尻を打ちながら落下するのだ。 息が止まるほど痛かったが、今はそれどころではない。「おーい」と呼びつつ、いざるが如く渓間に下った。「やあ、お前も落ちたか」 目前にむっくりと信太郎が立ち上がった。にやにやしている。「な、なんや、別状なかったけ」「こういう時は、身軽なおかげや。ふんわりと草の褥にとび降りたんじゃ」「鳥みたいにぬかすない」 信太郎は全く無傷らしく、元気に谷底の岩を叩いてまわる。「お、おい、冗談やない。こっちはお前、助けにきたんやで。挨拶ぐらいしたらどうじぇい。うーむ、痛い」 安心すると、とたんに尻の打ち身が疼き出す。「や、どないした。余計な世話やきに来よって、またこけたんじゃろ、あほんだれ」「何ぬかしてけつかる。け、けつが痛うて動けるけい。負うてくれやい」「けつどこやないわい。岩から落ちたんは神のお告げかもしらん。どうやらここらがマンガンくさい」 またもや独り言をつぶやきながら、信太郎は夢中になって渓間を走りまわる。ようやく絶望して、げっそりした顔で、「ああしんど。無駄骨や。もう帰ろけえ」「待ってくれよう、痛うて死にそうじゃ。負うて帰ってくれや」「贅沢ぬかすな、わしみたいなチビが負うたら、足がひきずるわい。ほんなら、帰りに妙々はんに寄って、お前の叔父はんに伝えといちゃる。ちぇっ、世話のやける奴やのう」「頼むぞう。忘れんと、ほんまに迎えに来てもろてくれよ」 心細さに喜三郎の語尾がふるえている。ときどき未練げにキンカンコンと石打つ響きがし、それが次第に遠のいて、あたりはだんだん夕霧の中に沈んでくる。尻は腫れ上がってきて、ずきずき脈打つ。下手に動いて、せっかく救援にきてくれる叔父たちと行き会わなかったら大変である。 すっぽりと日が暮れると、もう心細さにしゃくりあげていた。怪鳥が叫び、獣が吠える。渓流の水音さえも凄まじく、寒さが骨までしみ入ってくる。細い三日月が根性悪げに片目で嗤っている。今か今かと待つ足音も、夜半を過ぎると絶望に変わった。「畜生。わ、忘れて帰りよったな。あのマンガン呆けの薄情親父奴。マンガンなど、もう金輪際、探してやるけえ。今日限りすっぱり止めや。神も仏も妙々も三国干渉もくそくらえや」 口惜しさのあまり、口から出放題にののしりわめいた。寒さにがちがち歯がみしながら、秋の夜長を恨んだ。霧が白く渦まいてきた。夜明けだ。喜三郎は両手で地を這い躄って、どうにか川辺の山路にまでたどりついた。力尽きてうなっていると、薪を積んだ荷車が通る。「おーい、助けてくれーい」 荷車を止めて振り向いた男は従兄の佐野倉吉であった。倉吉は荷車を道脇の草むらに置いて、嬉しさに泣き笑う喜三郎を背負い、船岡教会まで連れ帰ってくれた。 尻の傷は意外に重かった。腫れ上がった患部を冷やしながら、清六と教会長の山田甚之助が昼も夜も祈ってくれた。痛みは数日にしてようやく和らぎ、起きて食事が出来るまでになった。「ここで改心して神の道に戻りなはれ。あんたの欲心を神がおいさめなされたのじゃ」と説教と妙々攻めにあいながら、喜三郎の心はやっぱり素直に承服できなかった。全治せぬうち、杖にすがって四里の道を穴太に帰った。無理が祟ってか今度は足が腫れ上がり、十日余り動けなかった。

表題:穴太精乳館 2巻3章穴太精乳館



「マンさんいるけ」 友の和一郎だ。「おう、安閑坊喜楽はここにいるけど、マンさんて誰のことや」「ここらでマンガン気違いのマンさんいうたら、お前の他にいるけい」「や、だ、誰がぬかした」「村中みんな知っとるわい。村上の信太郎はんがふれ廻っとるさけのう。どうや、マンさん、今度はおれと組んで、いっぱつ当てに山に行こけ」「ち、畜生」 和一郎にからかわれた喜三郎、どうでも怨みの一言浴びせねば止まぬ勢いで、片足引きずって村上家へ乗り込んだ。 信太郎は喜三郎の顔を見るなり、咬みつくように怒鳴った。「そこへ来たのは狐かド狸か。年寄りのわしを騙しくさって、ようも何日も山の中引きずりまわしたのう。この山子め、何がお国のためじゃい。恥ずかしげもなく面出しやがって。謝ったかて許しちゃるけえ」 逆に先手を打たれて、ねじこむはずの喜三郎の矛先がにぶった。「お前こそ、あ、あんまりやないけ。その……なんじぇい、友達の大怪我見捨てて、約束も守らんと……」「ああ、あのことかい。馬鹿らしいさけ、気が変わって、てくてく穴太へ帰って寝たわい。ちょうどこの際、見せしめのために谷に置いとってやったら、ちったあ頭も冷えるやろとの思いやりじゃ。それとも何け、文句あんのんか」 「いや、文句はないけど……文句はないけどやのう、寒うて痛うて凍え死ぬとこやったわい。次の朝、従兄の倉吉がみつけて負うて帰ってくれなんだら、今頃幽霊になって出てこんなんとこやったで」 喜三郎は逆ねじくわされ、しおしおと戻ってきた。夢は捨てきれぬながら、今は山子張っても無駄と知った。人間、それぞれの運をもって生まれてきたとすると、自分のはどうやら凶運らしい。所詮は、わが習い覚えた業で身すぎするしかない。牧夫・搾乳業、忘れていた乳牛の臭い。仔牛の瞳や、温かい舌の感覚がよみがえってくる。じんと涙がこみあげるほど懐かしい。しかし井上猶吉の牧場に帰るつもりはなかった。も一度やるのなら資金を集めて独立しよう。どっちみち搾取されるのが牛の一生ならば、せめて生きてる間、自分の手で出来得る限り可愛がってやればよい。よし、七転び八起きや。始めっから出直しちゃる。 決心がつくと自分の勉強不足が気になった。乳牛について、もっと基礎的な勉強がしたい。我が国に於ける新事業の分野に属する搾乳業は、やっと開発途上についたばかりだ。井上の牧場にいた頃、牛の種つけの指導を得た京都九条の牧場を思い出した。そうだ、あそこに住み込んで新知識を仕入れる必要がある。 勇躍、喜三郎は京へ向かった。期間はごく短かったが、井上牧場で得た体験と書籍上の勉強に、より一層みがきがかかった。神童といわれた喜三郎のこと、集中力も抜群である。ホルスタイン種やデボン種など数百頭の乳牛について研究し、得るところが多かった。 自信を深めて園部に帰り、出資者を求めた。川辺の高屋寄り、船井郡桐の庄村垣内に住む資産家上仲儀太郎に目をつけて説いたところ、直ちに賛同を得た。儀太郎は十年前に家督を長男咲三に譲ったが、この時四十三歳、まだまだ血気盛んであつた。 資本も意外に早く集まった。牧場は、川辺への一本道に通ずる小高い岡の上。奥は竹林、右手は儀太郎の土塀が区切る。まわりに低い石垣を築き、木柵で囲った。眺めはよい。秋の紅葉に映える青空に、喜三郎はせい一杯背のびする。 牧場建設に奔走していると、父母から異議がはさまれた。一生牧畜で身を立てるつもりなら、いっそ郷里の穴太ではじめてくれというのだ。日夜の激しい労働で、吉松は五十四歳の年齢以上に老衰していた。次男の由松は二十二歳、今や一家の働き手であるが、暇さえあれば博奕ばかりで頼りにならぬ。今後は心を改め地道に牧畜をやりたいという長男を手元に引きつけておきたい、切実な親心であった。親思いの喜三郎はたちまち心を動かされる。しかし園部の牧場建設は軌道にのっている。止めるわけにはいかない。そうだ園部は自分が指導し、上仲に任せればいい。 喜三郎は新しく穴太での出資者を別に探した。新しい話に今度も軽々と乗ってきたのは、村上信太郎である。少々薄情なところがないでもないが、村で信用失墜中の喜三郎には選り好みはできぬ。喜三郎が牧場の将来性について滔々と弁じ立てると、信太郎は早速算盤を持ち出してきた。資金獲得のために、信太郎の妻おえんの弟である小幡神社の神主の上田正定を加えた。正定所有の田を担保として、資金調達もうまくいった。 三人は知恵を集めて規約を作り、組織を整え、ここに穴太精乳館上田牧牛場を結成した。上田正定は経理事務を、実務は唯一の牧畜経験者である喜三郎が指導、担当。牧場地は村上信太郎の所有である、小幡橋を渡って村道を二丁ばかり進んだ右手(現在は竹藪)六十坪余りを借り受けた。
 明治二十九(一八九六)年一月一日 穴太精乳館開業。同日に園部の桐の庄では上仲牧場も始まった。だが一つの身で、四里も離れた二つの牧場は勤まらぬ、かりに喜三郎は勤まっても、共同経営者たちは承知しない。上仲牧場の方は、上仲が実技をのみこむまで指導することを条件に手をひき、上仲儀太郎の個人経営に切り替えた。したがって、大晦日の喜三郎の多忙さといったらない。桐の庄での手引きを済まし、凍てついた明け方の四里の道のりを、穴太めざして一散にかけ戻る。新しい牛舎には、二頭のホルスタイン牛が喜三郎の帰りを待っていた。関係者たちも集まってきた。羽織袴に八字髭、すいっと長身の上田正定。傍に妻のぶが赤子(長男の正躬)を背に長女多美を連れている。五つの多美はおけしぼん(おかっぱ)のかわいい髪を肩まで垂らし、綿入れの袖を胸で合わせて、乳牛をのぞきこむ。 正定の父正直は、維新前、京で与力をつとめた身という。禄を離れ、小幡神社に養子にきた。が、何せ世間知らずの殿さまである。長男正定が伊豫の国の下田歌子の塾から帰った時、破産して家は跡かたもなく、根太の石さえ消えていた。親戚の上田大治郎らが集まって、古い小屋に買い足した古い茶の間をひっつけて、二間ばかりの住居をつくってくれた。 明治七(一八七四)年、正直は隠居。正定が十三歳で跡目を継いで、小幡神社の神官となる。装束も烏帽子も大き過ぎた。まだ子供の腕に、三宝に乗った鏡餅が重くて持ち上がらなかった。村社では、わずかのお初穂のほか、宮のあがりとてない。他に本梅四社、千代川八社の宮司も兼務した。神職の装束を小脇に、野道をテン、テン、テンと歩いて通う。苦学して曽我部尋常小学校の教師となった。 明治二十九年のこの時点で三十六歳。母みねは二十二年に死んでいたから、父正直、妻、二人の子をかかえて五人家族。四円の教員の給料では心細い。彼もまた精乳館の成果に期待していた。「喜楽は遅いのう。あいつ、口先ばっかりは達者やが……」 ぼやきながら、村上信太郎が藁を切っている。妻えんも気になるのだろう、半歳の信男をねんねこに負い、登校姿の喜久の手を引いてやってくる。喜久は一年生だ。髪をハワシ(稚児輪)に結って、手織木綿の縞の綿入れに同じ袴をはいている。「お早ようございます」 喜久は、先生であり叔父である正定に、一年生らしい抑揚をつけて挨拶する。「おい、おえん。藁切り手伝ってくれやい」と信太郎に言われ、おえんはでっぷりした腹をゆすり、小さな夫を見下ろしてぼやく。「喜楽はん、ほんまに間に合うのかいな。初日からこれでは頼りないこっちゃ」「あっ、喜三やんがくるで」と喜久が叫ぶ。 牧場にとび込むなり、喜三郎は湯気を立てている頭をかいて、「やあ、お早よう」と、とぼけている。 どやされながらもてきぱきと飼葉をやり、搾乳の準備にかかる。手慣れた喜三郎が乳初をおろすと、左右の乳頭からザーザーザーと切れ目なく乳がとび出してくる。乳の出は快調である。まるで二本の水道栓を開けたように白く泡立ち、甘い香りを放って木桶に満ちる。喜久が嘆声を上げ、多美が足ぶみして喜ぶ。信太郎も負けずに搾るが、そこは新米のこと、張り切った乳頭をうまく左右交互に扱えぬ。ピョンコ、ピョンコと乳は上に戻って、ション、ション、ションと切れぎれに飛ぶばかり。「あかん、こいつ何と乳の出の悪い奴ちゃ」と信太郎、牛に文句をつけている。正定はそこまで見とどけると、急ぎ足で南条の小学校に向かう。喜久が小走りについて行った。 穴太においても、搾乳業は当時のとびきり新しい事業であった。需要者は虚弱なる子供、病人、母乳不足の母親、赤子ぐらいで消費量は少なかったが、一合三銭、米四合に匹敵する高価な飲み物であった。当時の丹波米は一石当たり(百五十キロ)七円五十銭である。 近村の医者と連絡し、病人があれば通知してもらって遠路いとわず配達したので、得意先は日増しにふえる。精乳館のすべり出しは好調であった。   西は半国東は愛宕 南妙見北帝釈の   山の屏風を引き廻し 中の穴太で牛を飼う 自作の詩を口ずさみつつ、江戸腹当てに紺の股引き、《上田牧牛場》《穴太精乳館》と左右の襟に白字で染め抜いた紺の法被をはおって、喜三郎は村々をまわる。牛乳罐から一合柄杓で乳を計り売りしながら、得意の狂歌や駄洒落がとぶ。牧場の横の小さなくずや(藁ぶき屋根)を根城に、事業に打ちこむ喜三郎にも、やっと希望の光が見えてきた。
 ――露草のような娘や 喜三郎はじんと胸が熱くなった。 ――なんで今まで気づかなんだやろ。 生まれた時からの幼な馴染みであった。藪を隔てた裏隣、斎藤佐市の四人娘の次女いのである。姉のわきは気が強くて喜三郎より一歳上。子供の時からずいぶん喧嘩もした。いのはひっそりと目立たぬ子であった。明治二十二(一八八九)年十六歳の春、保津村の桂嘉十郎の後妻となり、四ヶ月たらずで離婚された。それが心の傷になったのか、いのはなおひそやかな存在となった。 喜三郎が園部に発った翌年(明治二十七年)、いのは小幡橋のたもとにある斎藤家の養女になる。姉わきが先に養女になりながら、大阪府庁土木課に務める村上節に嫁いだためであった。養父斎藤亀次郎は、喜三郎が十三歳で偕行小学校の助教員となった前後、小学校の書記兼小使いとして共に勤めていた亀やんである。 精乳館とは稲田を隔てた隣だから、喜三郎は心安さに立ち寄って、いのの美しさを見直した。お蘭の勝気さや志津江の華やかな雰囲気はないが、抱きしめてやりたいいじらしさがあった。足しげく亀やんの家を訪れるうち、いのも氷の溶けるように喜三郎に心を開いていた。 真夜中に雪踏みわけて通った。表通りは人目にたつので、裏の竹藪の細道を行く。いのは待っている。縞の木綿の袷をきっちり着て、寒さと恐れにふるえながら裏小屋の軒にただずんでいる。いのには喜三郎だけが命であった。親の言いなりに嫁いだ七年前は、心のない人形であった。ただの一度も夫をいとしいと思う日とてなかったのだ。二十四歳になって初めて知った恋であった。「喜三やん」「あ、おいのはん」 小暗い竹藪のしげみの陰で、ひしと抱き合う。「待たせたのう。信太郎はんが来よってなかなか帰りよらん。憎たらしい気いきかん餓鬼や。あ、おいのはんの手、こんなに冷となっとるがな。寒かったやろ」「ううん、熱い、ぽっぽしてるえ」 きれいな細い声。うつむき勝ちな白い細面――激情につきあげられ、喜三郎はいのを抱き上げ、高くかざしてめちゃくちゃに廻り始める。目がまわり、雪に足をとられて、どうところがる。あわてて雪まみれで抱き合う。投げ出されて離れた一瞬も惜しむように――。「子供みたい……」といのが笑う。笑った傍から涙があふれてくる。その涙を吸って「好きや」と喜三郎が囁く。言葉が足りぬもどかしさに、どもりつつ力をこめる。「きっと親父を説いて許してもらう。晴れて添いとげよう……」「でも、うちみたいな出戻りでは……」「それ言わんとけ」 怒って喜三郎が口をふさぐ。「初恋や言うてくれたやんけ。それで充分や。わしも初恋や思うとる。過去のすべてはなかったんや。わしらは身も心も洗われて、いまこそ純粋無垢な恋に生きとる。神聖なわしらの仲は神かて裂けへんのや」 いのが犬ころみたいに小さくなって、喜三郎の懐にうずくまる。これまで何度煮え湯を飲まされ、恋しい女と引き裂かれてきたことか。その苦しい思い出が、一度に沸き立ってくる。もし、いのまで奪われたら……わしの他に、いのを恋うる仇が出来たら……思うだけでも物狂おしく、喜三郎はいのをかき抱く。
 喜三郎は、意気ごんで口をきった。「父さん、わし嫁はんもろてよいやろ。もう決めとんにゃ。反対したかてあかんで」「誰も初から反対するけい。身を固めるのはよいこっちゃ。誰や、相手の名いうてみ」 吉松は風邪気味でふせっていた床から身を起こした。「今は亀やんの養女やけど、佐市はんとこのおいのはんや」「あかん、あの娘はあかん。止めとけ」 反対は覚悟していた。「出戻りやさけか。父さん、あの娘ぐらい純で、素直で、やさしい女子おらへんで。体のこといえば、わしかて傷だらけや。なんせボボ喜三いわれたぐらいやさけ」「自慢そうにぬかすない、あほ奴が。出戻りぐらいで、わしが反対すっかい」「ほんな、なんでや」「尻がわるいわい」「あ、そら誤解や、おいのはんは尻ぐせのわるい女やないで。わしやさけ……命かけて、愛しとるさけ……」 喜三郎、弁護にやっきとなる。「その尻とちゃうわい。わしのいうとるのは、尻つき……腰格好や。喜三や、よう考えいよ。のぼせとる間は、おいのみたいな柳腰の白うて、か弱い女子がよいかも知らん。けどわが上田家は百姓やぞ。長男のお前の嫁なら、鍬も振れば車力もでき、牛の乳も搾れなあかん。もりもり食うて、子生んで、乳のよう出る……やなあ、つまりは尻太く色黒い女子がお前には必要や」「父さんのいうような女子なら、わしの精乳館に二頭もつないどるがな。頼むさけ聞いてえな、父さん。嫁、もらうのはわしや、わしが気に入ったらええやんか」「うるさい。おいのはあかん。気性はようても、ひょろひょろした体が気にいらん」「母さんほど子産んで働いた女子もないやろ。けど若い時、色黒うて尻太かったこ。自分では、色の白い別嬪を嫁にしといて、息子にばっかり……」 ついに吉松の癇癪が爆発した。「うるさい。文句あるなら出て失せろ。牛に喰わせてもろとるくらいで、ごつい顔さらすな」 吉松が煙管をふり上げる。喜三郎はとんで逃げながら、おろおろと叫ぶ。「のぼせたら危ないで、父さん。静かに寝とりや。元気な時にまた来るさけのう」 喜三郎が逃げ帰ったあと、吉松はぐったりと床に伏した。風邪とはいいながら、体力の衰えは我ながら空恐ろしいほどである。疲れも知らずにただただ働いてきた、若い日は過ぎてしまった。気がついた時には、肉体は古草履のようにすり切れてしまい、この先あまり使い物になるまい。いま次の代を継ぐ喜三郎の嫁は、どっしりと腰をすえた、丈夫な働き者でなければならぬ。百姓の女房は、それでなくてはならぬ。 吉松は自分の半生をふり返って、そう確信していた。身を粉にして働く以外に、別の生き方があろうとは考えられぬ吉松であった。 美人の世祢を妻とした若い日々にすら、甘い喜びの思い出があったろうか。妻が美人であるが故の、夫の悩みもなしとしない。故知らぬ空しさと淋しさに痛む薄い背をまるめて、吉松は目をつぶった。
 いのとの結婚を許さぬ頑固な父でありながら、父の病気の癒えぬことは喜三郎の心を重くした。困った時は神仏を思い出す癖がある。妙霊教会での見聞は、神仏が気まぐれにもせよ不思議な霊験を与えることを認識していた。 小幡神社への参詣の他に、亀岡町の西のはずれ余部の太元教会へもときどき参拝し、父の病気平癒と、ついでにいのとの恋の成就を願った。太元教会は《余部のお稲荷さん》といわれ、霊験が高いとの評判だった。叔母賀るの死で懲りているはずの喜三郎も、何によらず頼れるものなら頼りたい心境であった。 太元教会で春季大祭が執行されるというので、喜三郎は朝の牛乳の配達を終わって、すぐ顔を出した。と、玄関を入った受付で、服部爺さんが酒をちょびちょび飲みながら控えていた。「服部はん、今日は大祭やと聞いたさけ、参拝さしてもろたで」「ああ、喜楽はんか、ま、一杯やれや」「酒はあかんのや。えらい静かやが、早過ぎたかいな」と喜三郎は服部の前に坐りこむ。服部の鼻の頭は、一足先に酔ったように、赤く光っていた。「祭典は午後一時からとなっとるけど、遠い所からも参ってやさけ、始まるのは三時頃やろ」「お台さんはおってけ」 お台さんというのは、教会長高島ふみのことである。狐がかかる台という意味であろうか。「お台さんも杉山はんも、朝早うから人集めに走り廻っとるわい」「それにしても、受付がお祭り前に酒飲んどって、お台さんが帰ってきたら怒られへんこ」 服部は痩せた肩を怒らした。「かまうけい。朝から晩まで椀給でこき使われとるんや」「椀給いうたら何んじぇい」「給料なしや。椀に盛りきりの飯だけや。お神酒やいうて一升買っときやがったさけ、お神酒徳利に水入れて、酒はわしが飲んだるのや。へ、ざまあ見ろじゃ」 服部は、みそっ歯をむき出して笑った。素面の時はいやにおとなしい男だが、酒が入るとこうも違うものか。相手欲しさに喋りだすと日頃の鬱憤が堰を切ったように流れ出し、太元教成立の内情を暴露しはじめる。「明治十六年の夏は、ごっつい大旱魃でのう……」 その時点の村の有様を、参考までに拝田の八木清之助の日誌で見よう。 七月二日より九月十一日までの七十一日間(七月十五日、十六日、少々夕立あり)、日照りが続いた。拝田村では、八月十日に役場で水の相談あり、池の水の入札がある。翌十一日夕には雨乞いをする。九月八日にはついに水争いが起こったらしく「馬路村、池尻村、屋賀村コノ三ケ村、西田村ト水事件ニテ口論ニ及ビ四百名モ集マリ余程ノ困難、終ニハ大事ニ及ブ処、園部警察数名御出張ニ付、漸ク平穏ノ由」と書き、翌九日にも別の水事件を起こす。そして九月十一日夜に少し雨降る。十二日は一日曇り、十三日にようやく強風をともなって雨。村中で「雨歓び」として本日より三日間の休暇をとる触れが各戸にまわっている。 その拝田村から程遠くない余部でも、御嶽の行者である山下某が来て、水のひいた保津川の河原で二週間の断食をし、雨乞いした。その上がり日(九月十一日か?)、雨がぱらぱらと降ってきた。 余部の某家の若女房高島ふみはその神徳を目撃し、その夜から毎晩川へ行って水行をした。何日目かに体が震え出して発動状態になり、突然宣言した。「我こそは稲荷大明神なるぞ」 ふみが御嶽教の太元教会の支部を作って祈祷を始めるや、噂を聞いて遠近から参詣者が集まり出す。その参詣者の一人に杉山藤五郎があった。杉山は元は金岐の隠亡であり、村の戸長もつとめていた。学問も財産もあり、人格もそう悪くはなかった。杉山はふみの教会へ通い、受付などをしているうち、いつかふみとわりない仲になる。ついにふみの夫に露見し、「ド狐つれて出て行きさらせ」と追い出される。二人は天下晴れての夫婦気取りで、同じ余部の町内に広い家を借り、稲荷を祀って堂々と布教に乗り出した。 そこまで喋ると、服部はさすがに声をひそめる。「けどのう、舞台裏のぞいたら、阿呆らしゅうて拝む気もせんわい。喜楽はんもええかげんに目をさませ。お台はんはのう、祈祷が始まると、いかにも稲荷がうつって来たように、尻に狐の尻尾をくくりつけて出しよるにゃで。阿呆らして、阿呆らして……」 信じられなかった。服部が不平のあまりの中傷だろう。あとは生返事しながら、弁当を出して食い始めた。やがて高島ふみが総務兼亭主の杉山をひきいて帰って来た。慌てて服部爺さん、徳利を股へ隠す。杉山は見て見ぬふりして、喜楽には笑顔を向ける。「あれ、喜楽はん、ようお参りにならはった。お稲荷はんのお告げで楽しみにしてましたんや。そんなむさくるしいところでお茶もあげんと……まあ奥へお通りやす」 言われるままに奥座敷へ通ると、杉山は改まって申し出た。「実は喜楽はんにお願いおますのやが……」「へえ、なんでっしゃろ」「御存知の通り、この頃はぎょうさん信者が増えましてな、いつまでも不便な借家住まいもしとられまへんにゃ。それでどこかに教会を新築したい思うてますねん」「そら結構なこっちゃなあ」「けど先立つ物がおまへん。なんせお稲荷さまのお住まいになるとこやさけ、粗末な物ではいかず、三千円ぐらいかかるやろと思います」「三千円……ごついのう」「それで奉賀帳をつくって、世話方に寄附募集をお頼み申しましたんや。この大祭に信者に発表しまんのやが、わしの口から教会建築の話も何やおもろうない。そこで祭典が終わったら誰ぞに講演をお願いせねばならぬのやが、学があり弁が立つ者といえば見廻したところ喜楽はんしかおってない。一つ、わしの代わりに信者らにハッパかけてもらえへんやろか」「よろしおます。やってみまひょ」 喜三郎は快諾した。見台を前に浄瑠璃をうなるのも面白いが、演台に立って一度演説をぶってみたいとかねがね思っていた。しかもそれが神さまのためとあれば、ことわる理由はない。わが富楼那の弁に聴衆が酔い多額の寄付金が集まろうものなら、稲荷大明神はその功績をめで、父吉松の病気を立ち所に治し、いのとの恋に力もかしてくれよう。 喜三郎は教会の仕様書や設計などを見せてもらい、演説の腹案を心中ひそかに練る。その間に、料亭から鄭重な料理がとり寄せられる。弁当を食った喜三郎だが、旺盛な食欲にまかせて箸をのばす。 二時頃、受付の服部が一段と赤い顔で杉山の前にぺたんと坐り、苦しげな息を吐いた。「世話方衆が来やはりましたわい。信者が集まるまで酒でも呑んでもろときまひょか」「そうやな、寄附集めに廻ってもらわんなん大事な時やさけ」と杉山が言うのへ、お台さんのふみが小声でぼやいた。「祭典が一時から始まるいうのに、いま頃のこのこ出て来たんかいさ。ふん、世話方いうても、出てきて酒呑むばっかしや」 聞き咎めた服部は、自分のことと早合点し、巻舌になって食ってかかる。「な、な、なにおう――朝から晩までお飯給金でこき使いくさって、たまに一升酒……」「これ、服部はん、何も言うてしまへんがな。早うお世話方にお酒だして、気持ちよう呑んでもろていな」とふみが慌ててなだめにかかる。「そら呑むわい。一年にいっぺんの春季大祭やさけ、わしがお神酒を呑んだからちゅうて、ごてごて言われてたまるけえ。ほんまはのう、小学校の小使いに雇うたろいう人もあるにゃど。けどのう、『お台さんが狐でも使うて仇んすると困るさけ、やめい』言うもんあるさけ、じーっと辛抱しとるにゃど」「わかった、わかった。さ、あっち行こけえ」 喜三郎は服部を抱えて、裏の小部屋へ寝かしつける。だらしない服部の寝顔を見ながら、この教会には不純な空気が渦巻いているのを感じた。 神殿には、参詣人等が持ち寄った牡丹餅・駄菓子・米・豆などが三宝に盛って飾られる。広間は百数十人の参詣者で埋まる。 四時近くになって、ようやく甲高い祝詞の声で祭典開始、護摩が焚かれる。五寸ほどに割った木切れにいちいち姓名や年齢を記し、それを大鍋の中に高く積み、火をつけて燃やす。天井からは御幣が切ってぶら下がっている。世話人たちは大鍋をぐるりととり囲み、懸命に祝詞を唱える。炎が上がって上から吊った御幣に火が燃えつこうとすると、水の垂れんばかりの青々した榊をくべて延焼を防ぐ。また燃え上がろうとすると、榊をくべる。 神前に平伏して祝詞を唱えていたふみの体が烈しく震え出し、すっくと立ち上がると、参詣人の方へ向き直った。目は吊り上がり、口も心なしかとがり、確かに常態ではない。大鍋に近より、榊の青葉をくくりつけた御幣を火の上に振って、今度は並み居る信者の頭に左右左と打ち振るいつつ、とび廻る。護摩の火が高くなり御幣に燃え移ろうとすると、しゃくるような声で世話人の祝詞が高まる。ふみは身をひるがえして大鍋に戻り、榊を振るって護摩の火を鎮める。いつの間にかふみの羽織の下から赤色の狐の尻尾が出て、ちょろちょろ動いた。「ありがたや稲荷大明神……お狐さま」 信者たちは平伏したまま、懸命に祈り言をとなえる。今にも集団発狂しそうな熱狂的空気が占める。「ははん、これやな」 喜三郎は服部の言葉を思い出し、知らんふりして触れてみた。確かに狐の尻尾の手ざわりだ。今度は、通りすがりにぐいと引っ張った。あっとふみは立ち止まり、指でつつかれた芋虫のように、ぷりんと尻を振った。ふりむきざま御幣で激しく喜三郎を叩き、あたふたと遠ざかる。 祭典は無事に済んだ。興ざめした喜三郎、演台に立ったが、せっかく作った腹案もどこかへ消え、よばれた御馳走の手前、十分ばかり申し訳に喋り出した。支離滅裂、何を言っているのか、自分でもさっぱり分からぬ。「……というわけでして、まあ、その……ええと……御静聴を感謝します」と頭を下げた途端、たちまち絶賛の拍手。ふみは顔面を紅潮させてうなずき、杉山は頭の上に手をやって拍手し、他の参詣人は酔ったように、ただ有難がっている。 ――ははん、訳のわからぬ婆嬶には、自分でも訳のわからんこというて聞かす方が、さっばり訳が分からんさけ、嬉しいんやろか。「わしの言うたんは、とどのつまりは銭を出せいうことや」 親切にくだいてやれば、聴衆はいっぺんに分かって、この感激もまた一度に冷え切ることは明らかだ。 参詣者に牡丹餅が一個ずつ配られる。満面に笑みをたたえて見やりながら、杉山は、座の静まるのを待って壇に上がった。「皆さん、いまお配りしとる牡丹餅は、新しく入信しやはった馬路村の中川はんがお礼にお供えしとくれはったお下がりどすで。これについてお話しますさけ、めんめにお神徳を頂いておくれやす。さて、中川はんの奥さんは妊娠しやはって十二か月近うなるのに、子が出てきやはらん。心配のあまりご夫婦で参られてお伺いを立てなはった。するとこうですんや。『そなたの腹の中には牛の仔が宿っとるぞ。懐妊になってから牛の綱をまたげたであろうがな』、奥さんは泣き泣き事実を告白しやはった。そこで有難い御託宣が下りたんですわ。『このまま放っといたら十二か月目に牛の仔が生まれるぞい。が、特別助けてつかわすよって、夫婦で心を改め信心せい』、そこで中川さん御夫婦は、二里もある所から熱心に御参拝にならはった。おかげでこのたび、立派な人間の男の子を安産しやはりました。今日はお祭りを幸い、みなさんにもその喜びをわけて下されと、たんと牡丹餅をお供えしなはった。皆さん、中川さんのご神徳にあやかっとくれやす。神さまは、信心さえ強うしたら、どんなことかてお聞き届け下さりますで」 長々と信心話が続いた。それを巧みに寄附に結びつけて終わる。ようやく牡丹餅を食べられる時間が来た。と、参詣人の間に奇妙な反応が起こった。一口かぶって妙な顔をし、懐から紙を出して包み入れる者、隣の者らとひそひそ囁く者、割ってみて中をしげしげ見る者、匂いをかぐ者、たちまち誰かが叫んだ。「もーし、お台さん、こりゃ牛糞がまざっとりまっせ」 一せいに「わあ、臭い」という声が上がる。吐き出しに外へ走る者。上装束を脱ぎかけていたふみは、狐の尾を細帯でくくって垂らしたまま、あたふたとかけつけて叫ぶ。「阿呆なこと言わんときいな。神さまにお供えしたもったいないお下がりでっせ」 けたたましい笑い声が上がった。一座の中から、三十二、三歳の男がとび上がって、笑いこけている。「ひっ、ひっひ、あれ、お台はんの尻尾みなはれ、とうとう正体現わしよったわい」 一せいに信者の目がふみに集まる。ふみはくるくる廻り、自分で尻尾をひきちぎって次の間に逃げこんだ。笑った男は手を振って一同を制し、「お静かに、お静かに、わしがこの牛糞入りの牡丹餅を供えた馬路の中川だす。いきさつは、いま杉山はんが喋った通りや。牛の仔が宿るなんて、途方もないことぬかしやがる。できて見な分からんと思うて参拝してました。けど信心したら人間の女子を授けてやるとぬかしといて、できた子は男の子や。ほんまに腹の中のことまで分かるような稲荷なら、牡丹餅の中へ牛糞入れて差し出したら、その場で見抜くはずや。見抜かはったら、頭丸めてお詫びするつもりだした。ところがあんた、牛糞を有難そうに供えて拝んでけつかる。わしは皆さんだまして食わせるつもりで持って来たんやおへん。ここの婆あが悪いのや。これからそこら中、婆あの正体触れ歩いてやるつもりや」 中川はすばやくとび出して行った。大混乱になった。 始終を目撃した喜三郎は邪教の正体に触れ、すっかり信仰心が冷めていた。この教会一つを見て宗教全般を押しはかることはできないと考えながらも、懐疑心は深く心に残った。 隆盛なかばの太元教会も、この事件を境に落ち目となり、維持できなくなった。やがて亀岡京町の天神境内に移転し僅かに命脈を保っていたが、明治四十五年頃には消えてしまった。
 この春、いのは大阪へ去った。いのの実父斎藤佐市は家督を長男久太郎に譲り、大阪の天満橋の近く空心町に出て餅屋をしていた。姉わきも、また大阪へ嫁いでいる。親戚も大阪に大きな家を持っていて、下宿屋を始めることになった。いのはその下宿の手伝いにと、姉わきに連れられて行ったのだ。 わきの夫村上節は府庁の役人として羽振りもよく、暮らしは豊かであった。都会生活の甘さを知ったわきは、田舎のみすぼらしい養家に美しい妹をくすぼらせておくのは我慢ならぬ。その上、ろくでもない喜三郎との噂も聞きかじっていた。わきは、貧乏な養家と信用ならぬ喜三郎から、いのを隔離したかったのだ。「きっとわしらには杯を交わす日がくる。いま別れて住むのは辛い。けどもうしばらくの辛抱や。こらえてくれ」  泣きむせぶいのに、くり返し喜三郎は誓った。 いのが浪花に発つ朝は見え隠れについていった。しかし喜三郎には牛が待っている。村のはずれで、涙ながらに踏み止まる。   悲しみの極みは恋と聞きぬれど       かほど辛しとおもわざりしよ   かにかくに独り立つ身にあらざれば       暫し離りて時を待たなん   おぼつかなわが独立をたのしみて       待てる彼女はいとしかりけり いのからは隔日に手紙が届いた。寡黙で内気で思うことの半分も口にせぬいのが、手紙には燃える心を情熱のまま書き送ってくる。心ときめく文のやりとりが、夏の間中、繁く続いた。 八月のなかばのある日、しばらく途絶えていたいののてがみが精乳館に舞い込んだ。朝の牛乳配達を終えた喜三郎が封を切るのももどかしく読み進むうち、すっと血の気が失せていった。 ――父や姉の言葉にはそむけませぬ。あなた様への操となつかしい思い出を守って、わたしは婚礼の日に入水する覚悟ができました。あなた様は、どうぞいつまでもお幸せに、それのみ祈っています――いのより。 震える筆のあと、にじむ墨色。 追っかけるように、姉わきから手紙が届く。いのには願ってもない良縁であり、いのの幸せのためにも得がたいお方と父母はじめ夫、親戚一同が喜び望んでいる。けれど本人のいのがどうしても承諾せず、毎日泣いてばかりいる。もしいのの幸福を心底から願ってくれるならば、いのを説得し、いのから身を引いてほしい。 手紙は、喜三郎にいのを諦めるよう、幾重にも懇願していた。喜三郎は筆をとり、迷い、投げ出しておいおい泣き、また心を励まして、明け方までかかってようやく返し文をしたため終える。 あたら世に命を捨つるには及ばぬこと、御両親、姉君の言われるように、幸福な家庭に入られるよう望んでいること。自分はまだまだ末の見込みが立たず、独立の日は遠い。命を何より大切にしてこの世に幸せに生きてくれると思えばこそ、自分も生きる甲斐がある。それのみかげから祈っていること、自分との縁は、今日かぎり忘れて新しく生きること……。 投函してから後も、喜三郎は小屋中響き渡る大声で泣き狂った。それでも昼は牛の草刈りに山へ行き、山で泣いた。男らしくきっぱりと諦めよと自分に命じながら、燃えたつ胸の炎を消すすべもなく、煩悩の雲におおわれる。 派手な喜三郎の泣きようはたちまち村の噂になった。喜三郎は村の青年会に呼びつけられ、一同の吊るし上げを食った。「こら喜楽、きさま、それでも男か。青年会の風上にもおけん奴ちゃ」「他国者と秤にかけられて恋人を奪られるような男は、末の見込みがたたんのう」 しょげかえった喜三郎、弱々しく抗議する。「人の気も知らんと、好きなことぬかしよるわい。畜生」「口惜しかったら乗り込んでいって、結婚式をぶちこわせ」「けど大阪やんけ……遠いわい」「なにが遠かろやい。朝から夜通しかけりゃ着くわい。それだけの情熱もないのんけ」「往きに二日、帰りに二日、その間、わしの牛、どないなるんや。臨月やさけ、明日にも仔牛が生まれるかも知れん」「は、は、は……牛と恋人とどっちが大事やい。このド阿呆が」「どっちも大切や。どっちゃも欲しいわい。けどおいのの親が、甲斐性なしのわしにゃ娘をくれんのじゃ。牛とる他しゃないやんけ」 また喜三郎、臆面もなく手ばなしで泣き出した。友らは呆れはてて「こんな弱虫は青年会の面よごしじゃ。話にならんわい。除名したれ」と口々に言い出した。 牛のお産が済み、かわいい牝牛がふえた。恋愛と事業と二つを比べて、恋を捨てた。貧しければ恋もかなわぬ世の中とは、重ね重ね骨身にしみて思い知らされてきた喜三郎だ。しかし日と共に虚しさ、やるせなさが全身を浸してくる。夜の仕事も終わって牛が寝しずまると、苦しさのあまり牧場をぬけ出して亀岡近辺をうろついた。 亀岡には大阪の文楽座から下って来た目のみえぬ浄瑠璃の師匠、吾妻太夫がいた。喜三郎は傷心をいやそうと弟子入りし、夜な夜な通った。浄瑠璃の恋の文句につまされて、時折り忍び音に泣いた。
 その八月三十日、穴太は朝から重苦しい雲行きであった。雨まじりの疾風が、さっと襲っては止む。喜三郎は草刈りの手を急がせた。いつもの倍ほども刈りとって頭も見えぬまでに負い、殿山を下ってくると、村の女たちに出会わした。すれちがいざま、くすっと誰かが笑った。喜三郎の背に女たちの嘲笑の目が刺さってくる。「おいのはんも哀れやなあ、牛に男を奪られるやなんて」「うち、喜楽はんを見そこのうたえ」「うちもやわ。弱虫の男はん、好かん」 聞こえよがしに喋り合うと、高笑いを残して去る。 二時――ざあっと激しい雨が叩きつけ、空が真っ黒になってきた。うなりを呼んで風も加わる。全身ずぶ濡れになって雫をしたたらせ、牧場に飛び込む。夕方の牛乳配達も、吹きとばされそうな風雨の中でどうにか済ませた。雨戸を叩いて、早めに店じまいした酒屋から酒を買った。濡れそぼち冷えきった体を暖めようと、小屋に帰って一人酒を飲む。 飲めぬ酒は苦い。が、背骨のきしむような淋しさ、いの恋しさに立て続けに呷る。 十時――車軸を流すばかりの雨だった。電光閃々として、暗い荒れた小屋を浮き上がらせる。轟く雷鳴。土台からゆすぶりくつがえさんと狂う疾風。すさまじい暴風雨のおたけびの中に切れ切れに鐘が鳴る。 喜三郎はただ茶碗酒をあおり続け、索漠たる己の心象に目をすえる。喜三郎との恋に命を賭けている愛しいいの、そのいのを連れ逃げることもようできぬ己れ、面よごし・弱虫・卑怯者・屑。天も地もあげて怒号し、喜三郎を罵っている。喜三郎は大の字にころがった。 ――畜生、どうとでもさらせやい。逃げも隠れもするけい。いのが死ぬなら、わしも死んじゃる。 畳が波のように揺れ動いた。 八月三十一日六時、村上信太郎は喜久の手を引いて穴太寺の裏門を出た。風雨は止んだが、曇天なお暗く、地鳴りのような響きが聞こえている。犬飼川は濁流渦を巻いて川土堤を越え、川向こうに狂奔していた。小幡橋は橋桁のかかりを残して流失。「お父ちゃん橋がない。どないしょう、学校行けへんで」 喜久が泣き出した。「学校どこやないわい、牧場が大事や。喜久、お前急いで家へ帰っとんな。父ちゃん、吉川の方廻って牛を見に行くさけの」 喜久を戻すと、信太郎は裾をまくって腰にからげ、膝まで水に没する川沿いの道を吉川さしてじゃぼじゃぼ歩いた。吉川からずいぶん迂回して、やっと牧場にたどりつく。牛舎の戸をきしませながら、力をこめて引きあける。牛は腹まで水に浸して啼き叫び、飼葉桶やら藁やらがあけた戸口めざして流れ出してくる。「き、喜楽、喜楽はどこや」 濁流の中を、泳ぐようにして小屋の戸を叩いた。中からは音もない。戸口をこじあけると、本・椀・桶がかたまって流れてくる。蚊帳の裾がぴちゃぴちゃ水に浸って踊っている中から、二本の足がぬっと出ていた。 死んどる――信太郎はぞっとした。這い上がろうとしてつんのめった。「うーむ」と喜三郎が寝返る。「こ、こいつ寝てくさる。き、喜楽、ド阿呆、起きくされ」「うるさい。ほっとけ」「あ、あ、安閑坊喜楽たら朝寝坊閑楽たらようつけた名じゃ。目えあいてよっく見ろ。ただごっちゃあらへん。早よう、牛を救けな」 喜三郎、やっと起き直ったはずみにひっくり返って、濁流に頭からつかった。 水禍のあとに立って、百姓らは呆然とした。犬飼川の流域は長年苦心の田畑の表土を根こそぎ濁流に削られて、瓦礫の山と化していた。その下にへばりついて残っているわずかな稲の一株一株を助けおこしつつ、土砂を払いのける。ナス、キュウリ、おそがけのスイカ、マクワは全滅。辛うじて親指ほどの芋をつけている甘藷の葉を泥土から助けださねば芋は腐る。稲はあきらめても、麦まきまでには、田に表土を入れて復旧させねばならぬ。大根まきの時期もせまっているのだ。総力をあげても村は人手が足りなかった。 喜三郎は荒廃した田を借りうけた。山土を運んで表土とし、乳牛の糞尿をたっぷり入れて土を肥やした。わずかな小作田に泣いている両親を救け、牛の飼料も補いたい。失恋の痛みを忘れようと、喜三郎は夢中で働くのだった。

表題:百日養子 2巻4章百日養子



 ある日、前日に新規加入のあった田野村字奥条の森家まで、喜三郎は三合の牛乳を届けに行った。紅葉の山々が左右にせまる間の田道を奥深く行く。森家は噂に聞く豪農らしく、土塀をめぐらせた広い屋敷であった。勝手口から奥をのぞくと、京人形のような丸まげ姿の美人が、縫いぐるみの人形を膝にうつむいている。「精乳館でございます。牛乳持って上がりました」 明るい喜三郎の声に女ははっと面を上げた。縫いぐるみが膝からすべり落ちる。「あ、志津江はん……」「喜楽はん……」 二人は万感こめて見つめ合った。志津江の長い睫毛が震えて、涙が光っている。「ほんなら、富豪の家に嫁がすいうとったんは、ここの家やったんか」「うち、ずいぶん母さんに逆ろうたんえ。でもみんなで寄ってたかって……そやけど、うち……喜楽はんのこと、一日も忘れてしまへん」「……」「喜楽はんが牛乳屋始めなはったと聞いたさかい、会いたい一心で牛乳とることにしたんや」「……志津江はん、牛乳飲むのけ」「牛のお乳なんて、うち好かん」「ははあ、じゃ旦那はんに精つけて……あほらし」「あんな人に飲ませるかいさ。毎朝、喜楽はんの顔みて、ちょっとでも声聞けたら、牛乳の三合ぐらい便所へ捨てたかて安いもんや」「も、もったいない。三合も……」「いややわ。さっきから乳のことばっかり……喜楽はん、もううちのこと……」 志津江は恨めしげにすり寄ってくる。びくっとして喜三郎はあたりを身廻し、声をひそめた。「だ、誰も家の人おってないのけ。旦那はんは……」「朝早よから義父さんや弟たちとみな田んぼに行ってはる。義母はんは離れで寝たきりやし」「それでも……人妻にならはったら、わしには手のとどかん存在や」 喜三郎は眩しげに新妻姿の初々しい志津江を見つめた。駄々をこねるように、志津江は重い丸まげを左右に振った。「いやん、いけず。人妻いうたら怒るえ。うち、ちょっとも変わってへん。心は喜楽はんのことばっかりや。もう一度昨年の夏にかえりたい。大井神社のお祭りの夕方、喜楽はんが家までついてきてくれはるの、うち、ちゃんと知っとったんえ。ほんまに嬉しかった……あの時がうちの一番幸せやった日……」「女は化けもんやのう。背後に目ついとったんかい……」 志津江はいたずらっぽく笑った。「この縫いぐるみ、見覚えあらへんか? あの祭りの日、妹からとりあげたん」「あ、あの時の……」「だって、母さんが監視しとって、まともに口もきけんもん。懐かしいわあ」 ほんとに志津江は変わっていない。ころころ面白そうに笑い転げる。中身はまだ十八の、わがままいっぱいに育った少女のままだ。「けど旦那はん、困ってやろなあ、こんな嫁はんでは」「困っちゃったら良いんや。人がいややいうのん、だまして連れてきたんやもん。うち、死にたいぐらい辛いのえ。毎日毎日、かまきりみたいな男と……」 たちまち志津江の唇が歪み、涙がぽろぽろこぼれてくる。女の涙に、喜三郎の胸はしめつけられ、いとしさに血汐が沸き立つ。「喜楽はんの顔みたら、うち、もうよう辛抱でけへん。お願い、攫って逃げて。唐でも天竺でも……」 志津江は、喜三郎にしがみついて泣きむせぶ。志津江の波うつ背を抱きながら、喜三郎はいのを思った。いのも人妻になって人知れず泣いていよう。自分の罪深さが空恐ろしく苦しい。いのの涙、志津江の涙の一滴のためになら、自分の身をくだき、命をつかみ出しても惜しくない思いに激してくる。 門口に人の足音が聞こえて、はっと二人は離れる。奉公人が入ってきて、二人を見比べた。「毎度おうきに、ではまた……」 言葉を改めて、喜三郎は牛乳罐を手に外へ出た。 朝な朝な牛乳配達の最後に奥条まで足をのばすのが、喜三郎の心ときめく日課となった。志津江は、美しく化粧し身づくろって、茶菓を整え待っている。 稲刈りの最中であった。大暴風雨のため稲は泥水に伏し、収穫は激減していた。牛乳罐を抱え稲田の中を急ぎ行く喜三郎の後から、ひょろりと痩せた男が足音を忍ばせてついていく。 森家へ入って、いつものように志津江の愚痴をやさしく聞き、慰めたりなだめすかしているところへ、ガラッと不意に戸口が開いた。痩せて三角にとがった顎をつき出し、目玉をむいた男は、真蒼になって喜三郎に喰ってかかった。「ち、乳屋はん、わしんとこへ来てちょうど一時間になる。時計を見てみい。ちゃんと計っとんにゃ。それも今日だけやないど。わ、わしの女房に何んぞ用事があるのけ」「あ、ここのご主人さんで。毎度ご贔屓にしてもろてます。何せい穴太から奥条まで一里の道のり、歩いてくるとのどが乾きますさけ、つい、ここの奥さんに御無心して……」「厚う切った羊羹までこ。ふう、わしには薄い薄い一切れしか出さへんくせに……」「人聞きのわるい、浅ましいことを言わんといてえさ。隠れていて時間計ったり、羊羹の薄い厚いまで……おう、いやらしい」 志津江が身ぶるいして、つんと上を向く。「お、お前は亭主と乳屋とどっちが大事じゃい……」「さあ、まだそんなこと考えたことあらへんし……」「そ、そんなもん……考えんかて……」 二人の争いに居たたまれず、喜三郎は空の牛乳罐かかえてとび出した。 翌朝、喜三郎が裏口から顔を出すと、志津江の姿が見えぬ。昨日の今日である。心さわぐまま、そっと垣根越しに庭をのぞいた。と、座敷で主人と語っていた中年の男と眼が合った。男はおいでおいでをする。仕方なく庭先に進みよる。「乳屋はん、おくたびれやろ。ちょっと休んでおゆき」「いえ、くたびれてまへんさけ」「じゃ、のどが乾いとるやろ。生憎と志津江がおらんで気に入らんやろけど、遠慮せんと一杯どうやい」 男はむりやり喜三郎に杯を握らす。「へえ、おうきに……」 喜三郎は、居心地悪げに、縁に腰をかけ、徳利の酒を受けた。男は細い目を据えて、しつこく絡みついてくる。 「なるほど色男やのう。あちこち乳くばっては、女子どもに騒がれとんにゃてのう」「乳くばるのは商売です。他意ありまへんで」「ところが、ここの志津江はんは昨日のうちに実家へ帰ってしもたんや。それで仲人のわしが、わざわざ呼ばれて来た」 三角形の主人の顔の片目のまわりが青黒くよどんでいる。ハハア、派手にやったなと呑みこめた。ますます落ち着かない。「あんた、どう思うてや。お志津いうたら、どこの馬の骨とも知らん青瓢箪にうつつ抜かして、だまって坐っておればころがりこむ大地主の身上を棒に振って逃げ帰るなんて……」「へえ、よくよくのことでっしゃろなあ」「そら、どういう意味や」「い、いや、もったいない話で……」「そやろ。聞いたこともないどえらい心得違いや。わしに娘でもあれば、何が何でも……ま、もう一杯飲めや」「あ、あかんのや、わしは、酒は飲めまへんねん」「厚切りの羊羹やないと口に合わんか。まあええ、そこでじゃが、その青瓢箪はのう、どこやらの乳屋はんやちゅう噂があるが、同じ仲間やさけ知っとってないけ」「知らん、そんなこと知りまへん。わしを疑うとるんなら言いますけど、濡れ衣でっせ。わしはその……手ぐらい握ったかも知らんけど……乳くばりに来ただけやさけ」 言葉なかばに立ち上がり、後ずさると、喜三郎はぱっと逃げ出した。仲人は道まで追って出て、喜三郎の背にわめいた。「こら、乳屋。もうお前んとこの乳は絶対にとってやらんぞ」 喜三郎は、振り返りどなり返す。「いらんわい。そんな難題かける家、頼まれても売ったるかい」 田の畦を息をきらせて走りつつ、喜三郎の胸は不安と苦い後悔にしめつけられる。 数日後、心配していた志津江から手紙が来た。夫と喧嘩をして実家へ帰ったが、もう金輪際戻る気はないこと、実家の母から不始末を激しく叱責され、こらしめのために京都市大宮通り四条の呉服屋に奉公にやられたこと。上女中として働いているが、ただ喜三郎に会いたいばかり。真心があるならば一日も早く訪ねて来てほしいこと……そういう意味が巻紙に情熱をこめて認められている。切羽詰まった女心が哀れだった。 喜三郎の心は騒ぎ立ち、矢も楯もたまらず、京都の呉服屋を訪ねて行く。四条のとっつきにある呉服屋に入って品物を調べるふりをして内部を伺うが、さっぱり志津江の姿はあらわれぬ。あまり長くもたついているので、店員はうさんくさげな顔をする。心臓が強いようで妙に弱い喜三郎、銭をはたいて羽織地を買い、しょんぼり六里の道を帰るのだった。 しばらくして、また彼女からの手紙。 今日こそ、今日こそはと、お会いすることばかりを生き甲斐に辛い奉公づとめに耐えているのに、待てど待てど来まさぬ君の心が恨めしい。ほかに増花ができたのか。もう私など捨ててしまわれたのか。この文を見次第、すぐ会いにきて。すぐに…… 恨みあふれる細い水茎のあとを抱きしめ、胸の高鳴りの止まぬ苦しさに、またぞろ喜三郎は京へ上る。例の呉服屋で再び品物を選ぶふりして、内部をのぞく。二時間余り、せき払いしたり、わざと高声で値を聞いたり、さんざん苦心をして粘ったあげく、今度も袴地を買わされて泣く泣く戻る。 志津江からの手紙はそれきり途絶え、喜三郎も転変する人生の荒浪にまきこまれるうち、年月がたつ。なぜあの時志津江に会えなかったか、喜三郎は折にふれ、うずくように思いまどう。が、年を経て、はっと思い当たった。呉服屋といっても、狭い穴太とは違う。大宮通り四条には何軒か軒を並べて呉服屋があったではないか。考えてみれば、四条のとっつきで呉服屋を見るなり、ここだと思って屋号も確かめず飛びこんだ。ははーん、二度までも店を間違えて……が、もう手遅れである。 戸籍によると、志津江が森家へ嫁したのが明治二十九年五月四日、そして五か月後の十月十日には離婚している。若い喜三郎とのふとした出会いが、彼女の人生を大きく変えてしまった。 喜三郎は、牛の乳や糞汁にまみれながら、たび重なる失恋の打撃に耐えた。
 明治三十(一八九七)年、喜三郎は二十七歳。正月早々、次弟由松が家出した。由松の友達の話を総合すると、どうやら家出の原因は、狭い丹波の山野に飽いて広い都に博奕修業に旅立ったらしい。由松が本当に祖父の再生であると信じるならば、いよいよ本格的に祖父のたどった人生を繰り返す覚悟らしい。 祖母宇能はもう八十二歳の高齢だし、父も日頃の過労が祟って半病人で伏せり勝ち。十九歳になった三男の幸吉は佐伯の郵便局に十一歳の年から男衆として奉公したままだし、十四歳の四男政一は一昨年夏、京都市に住む小竹宗太郎の養子に行っていない。五男久太郎は二十一年に生まれて十日目に死んでいる。あとは、母と十六歳の長女雪、六歳の次女君が残るばかり。その雪も母を助けての野良仕事。農閑期には臨時の他家の子守り奉公に出ていた。 二月二日曇天、喜三郎は、凍みつく明け方の野草刈り・搾乳・配達・農耕の寸暇をさいて父の見舞いに顔を出す。胃を病む吉松は、床の中から心細げに言った。「わしとこはやっぱり家屋敷がのうなるまで落ちんなんかい。由松がおらんようになって、女子供ばかり、薪一荷刈りに行く者もあらへん」「ほんまやのう。よっしゃ、薪ぐらい、わしがちょこっと刈ってくるわい」 すぐ腰を上げかける喜三郎を、吉松はとどめた。「山へ行っとる暇はないやろ。すぐ夕方の乳しぼらんなん時間や。なに、山まで行かいでも、庭の樹を伐って、薪にしてくれへんか。そうや、あの榧と椋がよいやろ。お互いひっつき過ぎて窮屈そうや。緑の深すぎるんは、うっとしゅうて何や疲れるさけ」 世祢が心配そうに口を出した。「喜三や、あの木は鬼門にあるけど、伐ってもだんないやろか」「別にかまへんやろ。今の世に祟りなんてあるかい。すっきりしてよいで」と喜三郎は事もなげに言った。 榧と椋の大樹は屋敷の東北隅にあり、その大きな枝が隣の小島長太郎の乾蔵にまで伸びていた。喜三郎の子供の頃は確かに少し離れて立っていたが、椋の木が次第に太くなって、いつの頃か幹と幹がくっつき、互いに肉に食い入って、根本は一本の大樹の如くみえる。だが空を仰ぐと、屋根より遥かに高くから二手に分かれ、榧は青々と葉を繁らせ、椋は落葉して黒い実を空にちりばめている。 喜三郎は長梯子を椋と榧の大木の股にかけ、その上に乗ると、鋸で榧の枝を次々と伐り、次に椋の太枝にかかる。ようやく固い芯を伐り離したが、いっぱいに小枝を張った太枝は傍の柿と樫の木に支えられて地上に落ちぬ。喜三郎はその枝にぶら下がった。足の裏と地上にまだ五尺ほどの距離がある。ゆさゆさゆするうち、枝は喜三郎の体重でたわみ、ずしんと響きを上げて落下した。「おい、どうした。大丈夫か」 吉松が物音に驚いて病床から這い出し、蒼ざめた声をかける。「なーに、大丈夫や。木の枝がちょっと鳴っただけや」と喜三郎は、冒険の成功に鼻をうごめかした。「なんやもの凄い音やったで。お前が高い所から落ちて怪我せんちゅうのも、不思議なこっちゃ」 吉松が愁眉をひらいた時、隣の小島長太郎が大声を上げてあらわれた。「お、おい吉松、えらいことしてくれたのう」「へ、どうしたんや」「あれ見い」 長太郎の指さす小島家の土蔵の瓦が二、三十枚めくれている。「ははあ、道理でごつい音がしたと思た」 喜三郎がぽかんと見上げていると、長太郎が肩を怒らしてつめ寄る。「瓦は弁償してもらわんなんど。いや瓦だけやないやろ、あっちこっちに見えん傷ができたかも知れんわい。ほんまに無茶苦茶しくさる」 隣の小島家は、喜三郎が、例の久兵衛池事件後に奉公した主家である。しかも組頭であり、大地主であり、明治以前は代官の家柄である。 この薪は高値についた。喜三郎が新しい瓦を買って弁償しただけではすまなかった。長太郎が吉松の病床まで来て、なんのかのと苦情を持ちこんだのだ。身も心も弱っていた吉松は、癇を高ぶらせて病気を一層こじらせた。艮の木を伐った祟りであろうかと喜三郎は、ちょっと不安になった。 十日ほどして、どこからともなく由松がひょろりと帰ってきた。金がなくなったからだろう。家中を物色して金目のものを持ち出し、賭場へ通う。吉松の心配は一通りでない。 長男の責任を感じた喜三郎は、ある日、由松をつかまえて説教した。「お前が家出したことについて、誰も咎めたりはせん。一時の出来心と思うさけや。よう帰って来てくれたと父さんも母さんも喜んだはる。けどこの頃のお前はどうや。ますます博奕がひどうなるばかりやないけ。父さんはもう年やし、その上病気やぞ。病人に心配かけたら、治るものかて治らへん。父さんのためやと思うて、なんとか心配させんように、家の仕事に精出す気になってくれへんこ」 由松は蒼ざめて、白い目を兄に返した。「そうけ、兄やんもたいした出世したもんじゃ。大きな口ききよって。後継ぎはこの家にどっしりいて、百姓に精出したらどや。農機具の改良や、獣医、ラムネや、マンガンや、それもあかんさけ今度は牛乳やの、勝手なこというて好き放題さらして、今まで親にさんざん心配かけたんは誰じぇい。兄やんがこの家の長男やど。お前のしたこと数えてみたことあるけ」 そう言われると事実その通りで、返す言葉もない。が、兄貴の貫禄の手前、言うことをきかすほかに手はない。 「そらそうや。わしかて、なんとか水呑み百姓から脱け出す道はないもんかと焦っとったさけ……そうやさけ、わしも今となっては反省して穴太へ帰り、まじめに牛飼いに精出しとるやんけ」「あんだけ好き放題して誰に気がねなく失敗したら、そら本望やろい。わしも兄やん見習うて、まだまだ好きなことせんなん。それも飽いたら、ゆっくり反省させてもらうわい。お節介さらすな」「ば、博奕はあかん。博奕だけはあかん。家屋敷まで奪われて、一家散り散りになってからではおそいんじゃ」「奪われて惜しいような家屋敷かい。兄やんみたいに女の丸い尻追うのは結構で、わしが四角い賽ころ撫でたらなぜあかん?」 そういえば、由松の浮いた噂は聞かぬ。女にもてぬ恨みは、派手な浮名を流す喜三郎にふりむけられるのか。「由松、わしも悪い、あやまる。けど父さんのためや思うて、賽ころだけは捨ててくれ、たのむ」「うるさいわい、自分の都合は棚に上げてさんざんうまい汁吸うといて、何がわしだけ父さんのためや。そのでれっとした助平面、どついたる。表へ出い」「弟やと思うて辛抱しとれば……よっしゃ、その根性、叩きのめしちゃるわい」 売り言葉に買い言葉、喜三郎、裸足で庭にとび下りる。続いて飛び下りた由松。父譲りの癇癪で顔を蒼白にひきつらせ、縁先にあった鍬をひっつかんだ。素手でとっ組むつもりだった喜三郎の面からも、血の気がひいた。「ま、待て、刃物は捨てろ、危い」 逃げながら、喜三郎は叫ぶ。執念深く追いつめた由松は、久兵衛池の端で、磨きたてた鍬を振りかぶった。「殺しちゃる」 がっと鍬の刃が鳴った。その刃先が二寸もつらぬいたのは、吉松が投げて寄こした鍋蓋であった。喜三郎が受けとめたのが一瞬早かったのだ。 必死によろめき出た吉松が由松に背後から抱きつき、押えつけ、二人がかりでようやく唐鍬をもぎとった。由松は再び縁に走って今度は三つ又鍬をとった。血走った形相は狂気のように喜三郎に追いせまる。「由松、止めい」 逃げ廻りながら、喜三郎は手にふれた天秤棒で、必死に防ぐ。吉松が毛布を握って、とっさにふり上げた三つ又にからませる。由松が毛布をはずす瞬間の隙に、喜三郎がとびかかる。組み合ったまま獣のようにうなり噛みあい、ころがった。素手では小柄の由松は兄貴にかなわぬ。起き直るなりすさまじい目つきで兄を睨み、父を睨み、失神せんばかりに立ちつくしている母をも睨みつけて、ぷいと外へとび出していった。「父さん……」 喜三郎が駆け寄って吉松を抱き止めた。「だんない……」 その手を振り払おうとしながら、もう吉松には立っているだけの力も残されていなかった。
 父はべったり寝ついてしまった。田野村佐伯の漢方医周吉(姓不明)に投薬してもらったが、ただ胃がわるいという他は分からなかった。 梅の蕾はまだ固く、風は冷たい。喜三郎は、牧場の柵に寄って、月を見上げた。一年前にいのと仰いだ細い月であった。癒えぬ恋の傷あとがうずく。と、竹藪の向こうから人影が湧いて出る。近づくにつれ、白い顔が月のほの明かりに浮き上がった。「いの……おいのはん」 喜三郎の全身の血が逆流した。梅の木陰にたたずんだ白い顔が、花のように笑んだ。「いやらしわあ、うち、おいのはんとちゃうえ」 まじまじと見つめて、初めて喜三郎は幻から覚めた顔になる。「ああ、おしやんけ。びっくりしたで。今頃こんなとこで……」 照れくささに赤くなる。娘は同じ穴太の斎藤吉之助長女しげのであった。「うち、おいのはんの代わりえ。おいのはん、浪花に去んでしもたさけ、うちが今度加減味にきたのや」「へえ、あの亀やんとこに」 しげのはこっくりうなずく。 加減味とは、養子になっても良いかどうか試しに一時来てみる、この地方の風習であった。わき・いの姉妹が去って、斎藤亀次郎の三番目の養女に来たという。「乳、余ったのがあるで。飲んでいかへんこ」 仔牛も二頭大きくなって、哺乳の時期は過ぎている。「おっきに。うち、まだ牛の乳、飲んでみたことないのえ」「栄養あるで。蛋白質も、脂肪も、灰分も、人間の乳よりぐんと豊かや。蛋白質には十種の必須アミノ酸がすべて含まれとる」「ふうん、喜三やん、小さい頃から地獄耳やいう噂聞いとったけど、何でそんなむずかしいことが分からはるのん」「勉強や。本やら新聞読んどったら、誰かて分かる」 喜三郎が汲んできた牛乳を、恐る恐るしげのが飲み干した。「こんなの、毎日飲んではる人がいるのやなあ」「わしかて、余る日は飲んどるで」 しげのは深く嘆息し、あこがれの瞳を燃やして言った。「乳、毎日のんだら、肌が白うすべすべして、きれいになるやろなあ。喜三やんみたいに……うち黒うて……恥ずかしい」「おしやんかて美しいで。よっしゃ、乳余ったら飲ましたる。余ったかどうか、毎晩見に来いや」 その約束通り、しげのは毎晩、亀やんの家から忍んできて、牧場の端まで顔を出す。いのを浪花へ、志津江を京へと奪い去られて荒涼たる喜三郎の胸は、たちまちしげのに傾いていく。「おしやん、結婚しょ。わしの嫁はんになっとくれ」 ほころびかけた梅がまだ浅い春の香を運んでくる。しげのは言葉も出ず、喜三郎の腕に全身を投げかけた。十九歳の若い体臭にむせつつ、喜三郎は譫言のように口に出す。「おいのはんも、志津江はんも、わしには高嶺の花やった。おしやんぐらいがわしの身にはちょうど似合いなのや……これでよいのや」 言わでものことを口にしながら、喜三郎は涙をこぼした。しげのは喜びにしびれて、ただうっとりと喜三郎の胸に酔っている。
 翌朝、喜三郎は半丁ほど西の生家に顔を出し、吉松の枕頭に坐った。「父さん、やっと見つかった」「ほう、何がや」 骨と皮ばかりに痩せ細った吉松は、ものうげに頭だけ喜三郎に向けかえる。「前から欲しいと言うとったやろ。色が黒うて、尻がでこうて、乳がうんと大きい。あれなら父さんの気にいる。間違いなしや。ここに連れてくるさけ、見てくれはるか」「連れてこんかてよいで。しんどいわい。わしに関係あらへんことは、お前の好きにしたらええわい」「あれ、いつから父さん、そんなに物分かりようなったん。ほいでも結婚式のまねごとぐらいせな、格好つかへんやろ」「結婚式?……おい、乳牛のことやないのか」「そんな……父さん、わしの大事な嫁はんや。乳牛なんて、なんぼなんでも……」「ド阿呆、それを早う言え。そいでどこの牛……いや、娘や」「斎藤吉之助はんとこのしげのはんじゃ」「ああ、あれか」 吉松は目をつぶった。ほっと安堵のため息が出る。我が家には釣り合わぬ娘にばかりうつつを抜かしていた息子が、やっと百姓の嫁にふさわしい娘を見つけてきた。喜三郎が白羽の矢をたてた斎藤しげのなら、家もほどほど。ちょっと手粘(のろい)でも体は丈夫、辛抱も強かろう。たくさん子を生む体つきやと吉松は、わが血が末長く伝わる予感にほほ笑んだ。 この縁談は意外に難航した。斎藤亀次郎は、やっと得た三度目の養女をどうしても手放したくなかった。上田家では、長男の喜三郎を養子には出せぬとつっぱる。どちらも譲らなかった。喜三郎は仕事も手につかず、悶々と世の無情をかこっている。結局折れたのは上田家側であった。「喜三郎は上田家は継がぬ。大きゅうなったら養子にやれ」という祖父吉松の臨終の予言が思い浮かんできて、吉松や世祢を決断させたのだ。ただし斎藤家婿入りの条件として、喜三郎は精乳館が忙しいので、「養家の仕事は一切しない。暇があれば、少しでも読書させてもらいたい」と申し出た。 亀次郎はいそいそと答えた。「なあに、手のかかる子があるやなし、わしらもまだ体は達者や。好きなだけ勉強したらええ。喜三やんみたいな学者先生に来てもろたら、わしらかて名誉なこっちゃ」 そんなにまでした結婚でありながら、喜三郎は半月を経ずに早くも後悔していた。今までの恋人に比して背は低く、ごつごつとして浅黒いのがもの足らぬ。恋愛中は月・星・雪の光に情緒を増し、のぼせ上がって気にもならなかったのに、夜ごと燈火の下で鼻つき合わせ、白昼陽の光にさらされたしげのを見ると、さまざまな欠陥がいやでも目立ってくる。 喜怒哀楽の振幅の大きい喜三郎にとって、まず不満なのは、妻の感受性に乏しい張り合いのなさであった。短い恋人時代には、いつもものも言わずに、喜三郎の胸に顔を埋めるのを、無垢な女の羞とのみ受けて感激したものだが、恋のうま酒に酔いしれていたのはどうやら喜三郎の一人相撲と気がついた。寡黙なのも、内気というより、語彙と感性の不足のためらしい。夫を理解しよう、意を迎えようとは思わぬのか、ただ黙々とのろのろ働くばかり。喜三郎の好きな詩や歌を聞かせても、お経と区別がつかぬほど反応がない。 百姓の嫁としてなら、しげのは合格点かも知れぬが、一日鈍重な牛を相手に、帰ってからまで鈍重な妻――詩人喜楽としては何とも味気ないのだ。その上、この家はあまりにもいのとの思い出が深すぎる。楚々としたいのの幻が妻と重なり、喜三郎を苦しめる。 亀次郎、ふさは仲の良い平凡な老人夫婦だ。が、他人ならいざ知らず、親子関係を結んでみると、やることなすことしみったれて、何しろ口うるさい。茶碗の持ち方が悪いの、食べ方がどうの、人前もかまわず放屁しすぎるのと小言の絶え間がない。本に読みふけっていることにも、次第に嫌な顔をする。本を読む目の前で、わざとばたばた忙しげに動きまわる。「ちぇっ、えらい婿入れたもんや。縦のもん横にもさらさん」とぶつぶつ呟く。 自然、喜三郎は仕事が終わっても一人で牧場でごろ寝して、気がねなく本を読む日が多くなる。あれほど騒いで結婚しながら、すぐに後悔する豹変ぶりがいかに勝手なものか、自分でもよく知っている。それだけに苦しい。この結婚は錯覚であったとつくづく嘆いても、もう後の祭りだ。ついに牧場に泊まる夜が多くなり、養家には、十日にいっぺんほど、お義理に帰ると言う風になった。 五月のある夜、ついに亀次郎は切り出した。「おい、喜三、しげのは養女といいながら、わが斎藤家のたった一人の跡取り娘や。それを大事にしてくれんのなら、出て行ってもらわなしゃあないのう」「義父さん、わしは大望をかかえとる身や。女房ぐらいにかもておられんのじゃ」「大望やて、あほくさ。乳屋ぐらいしとる身で大望やて。よう言わしてもらわんわ。ハハ、ハーン」と亀次郎は、歯の欠けた口をあけて嘲笑する。 そばでしげのが、無表情に縄をなっている。「乳屋いうて馬鹿にしてもろたらどもならん。なんせ、天皇さん、皇后さんでも京にいやはる間は一日二合ずつ牛乳飲んどってやそうな。京には麻疹がはやっとるさけ、何より牛乳をもって御養生あそばしとる」 英照皇太后(孝明帝皇后)大葬の折、流感のため御名代をつかわされていた両陛下が、百日祭に京へ行幸行啓され、ちょうど滞京されていたのだ。天皇までかつぎ出したことのついでに、喜三郎得意の論法が始まる。「言わしてもらえればやのう、天皇さまも御愛飲給わる滋養豊かなこの牛乳事業を大手に広げて、国民全体の体位向上を図らんとするわが大望を知らぬとは……そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん、お言葉無理とは思わねど、そも逢いかかる初めより、末のすえまでいいかわし、互いに胸を明かし合い、何の遠慮もないしょうの、世話しられても恩に被ぬ。ほんに女夫と思うもの……」と《おしゅん・伝兵衛近頃河原達引》のさわりをうなり出す。「け、けったいな声出さんとけ。気色わるい……」 調子にのった喜三郎、また一言多かった。「義父さんや義母さんは、わしをだらしない箸にも棒にもかからん男やと思うとってか知らんがのう。まあ、気長に見とってんか。わし、いつまでも牛乳屋なんかしとりまへんで」 ふさが聞き咎めて開き直った。「なんやて。また山子はる気かいな、この男は。乳屋を止めるんやったら、うちの養子にいりまへんで」「ほんまや。大当てはずれや」 乳屋ぐらいと馬鹿にしたばかりの亀次郎まで、憤然となる。「男が何しようとかもてくれるな。今に一国一城の主にもなって、あふんとさしちゃるわい」「今でも充分あふんとさしてもろとるで。とにかく、乳屋を止めてまたマンガン掘りでもさらしてみい。大事な家屋敷なくして、村中のよい笑いもんにならんなん」「笑いもんになるくらいが恐ろしゅうて、男一匹こんな掘っ立て小屋にすっこんでおられるけい」「わしんとこが掘っ立て小屋なら、上田の家は厠じゃわい」 まさに「斎藤の家庭をおそう低気圧暗雲低迷かみなりごろごろ」、真っ赤になって、三人三様にどなり出した。 「見そこのうたで。とんでもない阿呆じゃ。ド助平や」と義母が言えば、「お前みたいなはねかえりもん、家風に合わぬ。出て行け」と義父も得たりとどなる。「そちらから放り出さんかて、こっちから放り出たるわい」 喜三郎もどなり返して立ち上がり、ちらとしげのを見た。見返すしげのの目に涙を見た。泣いている――浄瑠璃や芸術の分からぬしげのにも、自分にささった刺の痛みは分かる。きりっと胸が疼いた。だが騎虎の勢い、何くそと養家をとび出し、牧場の小屋へ走っていた。婿入りしてちょうど百日目であった。 喜三郎はしげのと結婚はしたが、入籍していない。上田家の長男であるためか、入籍する間もなくとび出したせいか。 しげのは明治三十年五月一日斎藤家へ養女として入籍し、明治三十一年七月五日に離縁している。喜三郎が飛び出した後もしばらく斎藤家に残っていて、結局実家に復帰。西条の某と再婚したのは三十二年で、その後平安に生涯を送った。 喜三郎と恋愛したすべての女性がそうであるように、彼女もまた、晩年になっても、喜三郎の日常を知る人に会えば、必ず「喜三やん、どうしとってえ。元気にしとってけ」と、さも懐かしげに様子を知りたがったという。 養家から解放されると、喜三郎はまさに羽をとり戻したようであった。まず小幡神社の道をへだてた北、郷神社の前の矮屋を借り受け、喜楽亭と名づけて寝泊まりすることにした。いつまでも牛小屋では格好がつかぬと、独立宣言したわけである。 牧畜の暇に、田野村佐伯の十五歳の少女糸子を師匠として、長唄・端歌・日本舞踊まで習い始める。しかもその舞いぶりやのどの加減を聞かせたさに亀岡の料亭に通い、芸者遊びを始める。春雨や淀の川瀬や鶯宿梅を得意になって舞って見せ、芸者の愛想に陶然となる。 遊びにうつつを抜かしていても、牧畜の仕事だけは怠らなかった。この頃、亀岡と東本梅に同業者ができ、競争は日々に激しかった。得意先を奪われまい、蹴落とされまいと油断なく牛乳を配り、さらに得意先を拡張して行く。乳牛はそれぞれ仔を生み、仔は親になり、事業は栄える。「喜三やんは、ほんまに寝る時間があったんやろか」と呟く古老に著者は出会ったものだが、同感である。忙しい牧畜の暇に田畑を作り、本を読む。趣味を数え上げれば、冠句・俳句・短歌・浄瑠璃・画・歌舞音曲、次から次へと発展する恋愛、茶屋遊び、そして飽くことのない悪戯。そのどれもこれもが実に熱心である。 小島光之助は、父長太郎(元上田家の隣家)の思い出を伝える。「亥の子の翌日のう、近所で庭の便所が消えてしもたんや。あちこち探し歩いたら、なんと何町も先の山のねきに移っとった。犯人はきまっとる。喜三やんが仲間を集めて、夜中に棒でかついで運んだんや」 野原捨吉は語る。「喜三やんは、牛乳配達しながらでも、いつも歩きもって本を読んどったのう。声をかけても気づきよらん。股引きが破れて繕う暇がないのか、よう手拭いで破れた膝小僧しばっとったわい。いつやったかのう、股引きの紐がとけて、ひきずっとるのも気づかんと、本読みながら歩いとったさけ、紐の端を踏んづけてやったら倒けそうになってびっくりしとったわい」
 養家を出て間もなく、喜三郎は、浄瑠璃の会で美しい女に見染められた。今までの女とはまるで違っていた。誰よりも背は高く、ふっくらと肥え、色が抜けるように白かった。「喜楽はん、よいのどやわあ。うち、惚れ惚れしたえ」と女の方からはにかみもせず話しかける。 穴太から南へ一里ばかり、南桑田郡中村の小さなうどん屋の一人娘多田琴と、彼女は名乗った。「あ、それなら多田亀の娘か」と喜三郎は驚いた声を上げた。 中村のうどん屋多田亀吉といえば、中村辺りで睨みをきかす侠客の親分である。道理で人おじせぬわけだ。 中村なら同じ方向だ。これからどこかへ飲みに行くという友達と別れ、喜三郎は琴と肩を並べて歩き出す。背丈は同じぐらいだから、当時としては大女である。歩きながら、琴は闊達にしゃべる。「喜楽はん、うち、ええこと聞いたえ」「どうせろくなこっちゃないやろ。なんやね」「養子に行かはって、ちょうど百日で追ん出されちゃったんやてなあ。ほんまかいさ」「ちぇっ、もう中村まで聞こえとるのこ。まあ、いまは正真正銘の男寡夫や」「いやそう、ほなうちと同じや。うちはド甲斐性なしの婿はん、追ん出した方やけど……」 琴は嬉しげにコロコロ笑った。 明治二十六(一八九三)年十二月に加佐郡余内村字清道の某が婿養子として多田家に入籍、一年足らずで離婚。二十二歳の現在、琴は独り身であった。 夕方、琴は前触れもなく喜楽亭を訪ねて来た。「あれ、きたない部屋やわあ。男やもめに蛆が湧くってほんまやなあ。今日からは掃除洗濯はうちの役や」 喜三郎の答えも待たずに、琴は乱雑きわまる館を、といっても一部屋こっきりだが、てきぱき片付け出した。大柄な彼女が忙しく動きまわると、マッチ箱ほどの家がなお小さく見える。 喜三郎は片隅に引き直された蒲団に寝そべり、しげのと違ってこまめに走る琴の白い指を、珍しげに眺めていた。 がたんと戸が鳴る。騒がしい人の気配に外を見ると、次々に若者が集まってきて人垣をつくり、屋内をのぞきこんでいる。「こりゃかなわぬ」と喜三郎は夜具をひきかぶる。多田琴は涼しい顔で門口を引きあけ、「皆さん、なに見てはんのん。なんぞ珍しいことおますか」 こそこそと隠れかかる若衆に、琴は一段と声をはり上げた。「そんなに見たかったら、中へ入ってゆっくり見よし」 顔見合わせていた若者たちは、どっと門口につめかけた。押すな押すなと乱れ入ると、部屋は大入り満員となり、頓狂な奴は喜三郎の蒲団の中にまでもぐり込む。「こりゃ助平、何さらすねん」 喜三郎、はね上がってわめいた。一同手を叩いて笑いこけ、「こりゃ喜楽、馬鹿にするな。わしらに内緒で別嬪引きずりこみくさって……」「白状さらせ。こら一体どういうわけじゃい」「内緒もくそもあるけえ。わしかて面くろとるとこや。まだその……何じゃい……これからええとこやのに邪魔さらすな。友達甲斐のない奴ちゃ」と喜三郎はふくれるが、琴は愛嬌がよい。「まあ、そう言わんといたげていさ。うちかて、これからお友達にしてもらわんなりまへん。うち、お琴です。今日から喜楽はんのお世話さしてもらいます。言うたら押しかけ女房やけど、どうぞよろしゅう」 一同、奇声を上げて冷やかす。「女房もろて何くわぬ顔とは、こら喜楽、なんとか言えやい」「披露せぬなら祝うてやるわい」 誰かが柄杓の水を頭からふりかけた。「さ、さかり犬じゃあるまいし、つ、冷たいわい」と喜三郎が悲鳴を上げると、琴は世話女房よろしく手拭いをとり、はた目もかまわず喜三郎の顔を拭く。やんやの騒ぎの中で、喜三郎は破れかぶれで宣言した。「どうなっとしやがれ。おい、誰ぞ酒と雑魚買うてこい。雑魚鍋、振舞うたる。ここは狭いさけ、牧場へ行って宴会や」 若衆たちはてんでに走りまわって買物をする。牧場の牛の餌を炊く大釜を火にかけ、雑魚と米をぶちこんで炊く。牛肉を買って来た奴があり、ついでにそれもぶちこむ。おいおい酒がまわってくると、怒る奴、笑う奴、泣く奴、雑魚飯をたらふく詰めこみすぎて苦しがってうめく奴、果ては殴り合いまで始まって牧場は大乱痴気。それを多田琴が仲に入って、円滑にさばいていく。いつしか真夏の短か夜も明けてしまった。 がらりと戸が開いて入ってきた村上信太郎、あきれはてて立往生。わっと若者たちは逃げていく。「喜楽はん、こらどうしたわけでござんす」と信太郎が開き直った。「そ、その……なんせお目出度い出来事が降って湧いたさけ、それで友達が、その……」 ろれつのまわらぬ舌で、喜三郎がしどろもどろに弁解する。琴は、すまして頭を下げる。「昨夜は、うちと喜楽はんの祝言の披露させてもらいました。何せ急でしたもんで、お招きもようせんと……」「お、お目出度くないわい……ば、馬鹿めが。次ぎ次ぎに、騙す気いか、騙される気か。ちぇっ、何のざまじゃい」 信太郎はぶすぶす怒りつつ、大鍋をのぞいていっそう真っ赤になった。「こらどもならん、牛の餌煮る鍋で牛煮るとは……」「こら親爺、目出度い祝いにかもうてくれな」 照れくささに、喜三郎は薪ふりあげて鍋をどやしつける。と、叩いたはずみに鉄鍋の耳が落ちて転がった。信太郎、あまりのことに怒る気にもならぬのか、いまいましげに舌打ちする。「か、門口から小便はこく、鍋は割る。えーえ、餓鬼やのう」 腹をすかせた牛が啼きだす。あわてて大鍋をそのまま牛の餌を煮てあてがえば、フンフン鼻をならしてかぐばかり。止むを得ず川水に鍋を洗い清めて煮てやったが、牛はそっぽを向いて食おうともせぬ。半泣きになって再び川端へつっ走り、今度は軽石で鍋をみがき上げ、ようやく牛に食ってもらった。 その夜ふけ、喜三郎は多田琴を送って中村の彼女の家を訪ねた。「父ちゃん見ても驚かんといてや、ちょっと手荒いかも知れんえ」「なに、わしにまかしとき」 夜風が涼しく青田を吹きぬけてくる。うどん屋の店は閉まっていた。裏口からぬっと顔を出すと、鬼にでも組みつきそうな大男多田亀吉が、一人で黙々と酒を呑んでいる。「父ちゃん、ただいま」「へい、今晩は。お邪魔します」 二人はかまわず中に入った。亀吉は驚いて杯を置き、うなった。「どこの馬の骨や、おい。手前、こんな夜ふけ娘と連れどうてのこのこ帰ってくるとは……昨夜、娘をどこでどうした。太え野郎が」 亀吉は返事も待たずに躍りかかって、喜三郎を締め上げる。「おればかり責めんといて。お前の娘とお互いさまじゃ」「こ、こいつ、どついたろか」 亀吉が拳骨を振り上げる。「待ちいな、父ちゃん」 琴が亀の腕にかじりつく。亀吉の拳骨の下で、喜三郎はにやりとした。「その拳骨、どないしやはるねん。わしは多田亀親分の一人娘の可愛い色男やで。なぐって済むかどうか、娘に聞いてみな」 亀吉はぷっと吹き出して、手を放した。「よし、お前は度胸が太そうじゃ。俺の養子になる気なら、こいつをやらんこともない」「百日で養家を追い出された上田喜楽や。それでも気にいるなら、来てやらんこともないで」 琴が両手をついて、涙声で言った。「父さん、お願い、この人もろていさ」「ちぇっ、猫の子もらうみたいにぬかすな。あきたから言うて、また追い出すなよ」 老侠客多田亀吉は、二年前、女房たみに先立たれてから、娘と二人きりの淋しい暮らしであった。杯を片手に、多田亀は喜三郎を穴のあくほど見つめた。「うーむ。琴が見込んだ男だけあるわい。いやに色が生っ白いのは気に食わんとこじゃが……なかなか気の利いた男らしいのう。わしの跡継いで侠客の修業に身をいれたら、名を挙げるやろ」 琴がいそいそと喜三郎に酒をつぐ。上機嫌で親子の杯を酌み交わし、とろけそうな笑顔を娘に向けて、多田亀は言った。「おう、もう夜があける。今度はお前が婿はんを穴太まで送ってやりな」 琴の肩にすがりながら、喜三郎は強くもない酒に足をとられてひょろりひょろり、明け方の霧の中を歩く。幡随院長兵衛・国定忠治・大前田英五郎・清水次郎長……有名な侠客の名が浮かぶ。強きをくじき弱気を助ける侠客も悪くない。上田の家名をあげるためなら、牧場よりも手っ取り早い。 それにしても眠い。考えてみれば、一昨夜も昨夜もまったく眠っていないのだ。うとうとして青田の中に転げ込んだ。 琴は悲鳴を上げ、力まかせに抱き起こした。「眠いわい、もう一歩も歩けぬ。負うてくれい」と駄々をこねる。 琴は広い背を向けてかるがると喜三郎を負い、朝陽の昇る野地を行く。霧の向こうから現れた農夫がぐうぐうと大女の背で鼾をかいている男をのぞきこみ、魂消た顔してすれちがう。「喜楽はん、もう下りてえさ。人が見ると恥ずかしい」とさすがに琴が赤くなって頼む。「亭主をおぶって恥ずかしがるようで、神聖な恋ができるかい」と喜三郎が無茶を言う。「どうなっと勝手におしよ、うちもう帰ります」 琴がすとんと手を放して落っことす。「さようなら、ほな一人で行くわ」 喜三郎、裸足のまま下駄を手に野道を一散に走り出した。冗談やない、牛が待っとったと気がついたからだ。走りつつ振り向いてみると、琴も裸足になって裾ふり乱して追ってくる。「可愛い、可愛い、可愛い奴……」と喜三郎は走りつつ独りごちた。 牧場にとび込んでみれば、時すでに遅かった。村上信太郎がすごい顔つきでにらんだ。搾乳の済んだ乳を煮て消毒しているのだ。「これからは心得ます」と頭掻くと、ついてきた多田琴も泣き笑いして頭を下げた。 琴は喜楽亭に三、四日居続けたあと、上田家まで訪ねていった。世祢は琴を好感を持って迎えたらしい。喜三郎は、歌で記録する。   お母さん私は喜楽の妻ですと       初めて逢うた人にかたる彼女   ああさよかお前が伜の女かと       すましがおなる気楽な母上   女房になるのはよいが我が伜       騙す注意と母いらぬこと言う   喜楽さんにだまされましても満足と       彼女も気楽なことを言ってる   白梅の花から桃へ桜へと       蝶のごとくにうつろう若き日   吾がもゆる心も雲雀は白雲の       空からしきりにぞよいでいやがる   夜な夜なに我が見し夢は花のゆめ       紫のゆめ桃色のゆめ 多田琴は、上田家に居ついたように吉松の世話から末の妹君の面倒までみた。姿が見えぬと思えば、夕方山から薪を背負って帰ってくる。男勝りの女丈夫ながら、琴は気のやさしい働き者であった。病身の吉松はじめ母世祢、末の妹君は、暗黙のうちに琴を頼り始めていた。が、肝心の喜三郎は、琴がおろうがおかまいなしで、仕事が終われば気ままに遊びあるく。 喜三郎の歩く所、女難は尽きぬ。新田の地蔵をまつる後家のところに牛乳を配達に行った。中年の後家は、何を思ったのか喜三郎をつかまえて離さず、色っぽい目で顔を眺める。「あんたはん、夢にまで見とった生仏さま、地蔵さまに生き写し。あれ、地蔵眉までそっくりそのままや。牛乳を配って子供らを守ってくれはるやさしい地蔵さま、孤独なうちの連れ合いにと、地蔵さまが寄こしてくれはったんやなあ。ああ、ありがとうございます」と涙をこぼさんばかりに拝み始めた。「こ、こらえてくれい。わしゃまだ地蔵にはなりとうないわい」 逃げ出す後から後家は抱きついて、「地蔵さま地蔵さま、どうぞうちの願い、聞いて下はれ。これ逃げるなぞあんまりじゃ」と追ってくる。もうあの色後家には乳などやらぬと、やっとの思いで逃げ帰るのだった。 牛の草刈りを終え、小作田の除草も済まして、夕方搾乳へ牧場に戻る。それから大きな南瓜となんば(玉蜀黍)をかかえて夕方の牛乳配達に出向きがてら、家に寄った。「お君、お琴やんに、なんば焼いてもらえよ。兄やんが作ったさけ、うまいじょ」 嬉しそうに出迎える琴にさっと手渡す。「兄やん、おっきに」と言いながら、君は琴の大きな腰にまつわりついている。喜三郎は、真っ直ぐ父の枕元に行った。「父さん、やっぱり一口ずつでも牛乳飲んだ方がよいで。力がつくさけのう」 吉松は笑って、「いや、臭うてかなん。なんぼお前の牛の乳かて、気味わるいさけ、こらえてくれや」 そして真顔になって息子を見上げた。「それよりのう、喜三や。わしももう長いことはないやろさけ、どれなっと早よう女房に決めて、わしを安心さしてくれやい」 弱々しい息づかいの下から、吉松が言った。喜三郎は涙ぐみ、黙ってうつむいた。やがて吐息と共に低くつぶやく。「内縁の妻はあるけどのう、侠客の跡つぎで一生を終える決心はまだつかへんのや。わしには他に大望がある……それを思えば、生涯の妻は見あたらん……」 不意に泣き声が起こった。「しもた……お琴やん」 喜三郎が次の間をのぞく。琴は見えぬ。裏口の戸をひき開けると、母が泣きじゃくる琴の袖を引き止めている。 「喜楽はんの心の底、見えたもん……うちがいたら邪魔やし……」 身をひるがえしていく琴を庭の外まで追って出ながら、喜三郎は一人で戻ってきた。「よい娘やったのに……」 母が袖口で涙をぬぐっている。母子は目をそらし合って何も言わなかった。
表題:三大学則 2巻5章三大学則



 牛の背にまたがって小幡川に入った。真夏の日ざかりを水浴びさしてやろうと思ったのだ。が、何のはずみでか、牛は驚いて喜三郎を背から振り落とした。ざんぶと川の淀みに沈み、不意打ちをくらってしたたか水を呑んだ。川から這い上がってみると、乳牛はとっとと喜三郎を捨てて逃げていく。濡れ衣を絞ってあわてて追いかけた。乳牛は勝手に牧場へ帰っていた。「こん畜生、馬鹿にすない」と腹だちまぎれにどなりつけ頭を打つと、ぽろりと角が落ちた。牛は痛そうに呻き、頭を下げて寝てしまった。いつも愛情をもって牛に接してきたのに、どうしてこんなことをしたのか、父の病気の回復せぬのが苛々の原因なのか。 抜け落ちた角の根もとに、やわらかい一寸ばかりの若角が血にまみれて生えていた。喜三郎は落ちた角をひろって傷あとに継ぎ、手拭いでしばってみるが、首振るたびにぽろりと落ちる。片角を失くした牛の哀れさに、喜三郎は牛の首を抱いて謝った。 片角を落とした乳牛は今が乳の出盛りで、搾乳量は他の牛たちに比べて一番であった。お産をして乳を多量に出す時は、角の根が細まる。だから乳量の豊かな牛ほど、角は落ちやすいのだ。板塀や柱にぶつかったり、牛同士でちょっと突つき合っても、はずみで落ちることがある。角は根元からのびていくからその角節、つまりお産と搾乳によって角にできた凹みを数えることで過去の出産数が知れるぐらい、角は微妙であった。 乳牛は買い足して四、五頭に増えていたが、突然の角の怪我のため搾乳量が激減した。需要に供給が足らぬ。喜三郎は慌てて他の牛乳屋に頭を下げ、高価な乳を買い足して配った。信太郎は激怒して、口を極めて罵倒する。何と言われても返す言葉はなかった。 去年生まれた二頭の仔牛は、母牛と変わらぬくらい育っていた。が、この初夏に生まれたばかりの仔牛は、乳を求めて啼きたてる。乳ばなれまで三か月はかかるのだ。配達の乳も足りぬくらいだから、喜三郎は糯米を買ってきて粥をつくり、朝な夕な仔牛に喰わせる。それでも乳には及ばぬのだろう、仔牛は痩せて悲しい目付きで喜三郎に訴える。夜は、仔牛に襲われる夢をみて、幾度となく床をはね起きた。 眠れぬまま起き直って頭をかかえる。不吉な予感に胸がふるえた。二本そろった角が一本欠けて落ちる。叫び出しそうに不安だった。何者かに祈りたかった。夜の明けるのを待ちかねて生家に帰り、父をのぞいた。吉松は深く眠ったまま、呼んでも起きない。鼾だけは、むやみに高かった。生きているとも思えぬほど、痩せこけて蒼い。 喜三郎は、京都に養子に行った政一や、亀岡・園部・河内などの親族に危篤の電報を打ち、由松には三男幸吉を呼びに佐伯の奉公先まで走らせた。「喜三や……」 吉松が幽かに呼んだようであった。「父さん」 喜三郎が吉松を抱いた。が、父は鼾を止め、苦しげな息をつき……やがてそれもふうっと消えて、くらりと頭が揺れた。「母さん……」 喜三郎はそっと呼んだ。父を驚かせまいとするように。世祢は気づかず、土間で、集まってくる親族のために炊事をしている。歯をくいしばる喜三郎の口から、悲痛な泣き声が洩れる。世祢が駆け寄った時、すでに夫は喜三郎の腕の中でこと切れていた。 明治三十(一八九七)年七月二十一日吉松五十四歳。重い労働と心労から永遠に解放された。
 久しぶりに親戚兄弟全部が集まった。しめやかな葬儀が型通り行われたが、心から悲嘆にくれている風なのは母だけであった。にこにこしている七つになったばかりの末の妹君を抱き上げて、喜三郎は聞いた。「父ちゃん死んで、悲しないのけ」 君は色白の丸い頬を傾げて、きょろんと答える。「何んでえな、うち嬉しいで。父ちゃんが死んだらもうどついてやないもん……」 喜三郎はどきりとした。君の口をふさぐようにして、あわててまわりを見た。由松が薄笑いを浮かべ、幸吉はうつむき、雪も政一も面をそむける。暗然と喜三郎は涙をのんだ。父になぐられた思い出は数限りなくあった。しかしそれは霞の奥に遠ざかり、いま喜三郎の脳裏に去来するのは父の素朴で無器用な愛情ばかり。弟、妹たちには、その父の愛情は通じなかったのか。 吉松はいわゆる大食漢であった。朝暗いうちから晩おそくまで、時を惜しんで激しい労働に励んだ父には当然のことであったろう。だが貧しい家では、それすら自制し、どれだけ我慢を重ねていたことか。 養子――確かにその二文字が、終生父の胸から消えなかった。律儀な吉松は、子供らにはどんなに持病の癇癪をつのらせても、決して祖母や母にそれを向けることはしなかった。 思いめぐらせば、父に対する母の態度のどこかにつき放した冷たさがなかったろうか。 父は素麺が好きであった。酒も煙草ものまぬ父の楽しみは、ただ食うこと。そのうちでも殊に素麺には目がなかったのだ。 喜三郎は少年の日を思い出す。夏の夕暮、母が素麺を茹でた。父がそれを笊に入れて、清水の流れにひたしに行く。冷たくなった素麺を持って父が戻り、母が、銘々のうつわに盛りわけ始める。「何や、えろう少のうなったようや」と母が呟く。「うっかり川に流してもたんじゃ……」と父が口ごもった。 素麺はたしかに半減していた。ちょんぼりと底にのったうつわを恨めしげににらみつけて、五つ六つになっていた雪が泣き出した。「うち、知っとる。父ちゃんが食べてもたんや。川でつるつる食べとるの、うち見とったで」 父は黙った。母もぎこちなく何も言わなかった。白けきった座の中で、喜三郎は泣きわめく雪に、自分の分を分けてなだめた。由松がぷいと座を立って出て行った。母は二度と素麺のざる洗いを父に頼まなかった……。 正直者の父の、一生で一度のまずい嘘であったか知れぬ。が、その一言がどれだけ母と子を、否、父自身の胸を酷くえぐっただろう。川端に膝まずき、手づかみで、ただ夢中で素麺を頬ばる。だしもつけずに。 その父の幻影が幾度も喜三郎の心に刺さる。父母の間にある翳りを、その姿の内に、喜三郎は見た。可哀相な父。一生、ベタ牛のように働きつめて、一家の主が好物の素麺すら、そんな形でしか満足に腹に入れられなかったのか。 喜三郎は貧を憎む。父にそうまでさせた貧を憎む。同時に心のどこかで、美しい母をも憎んでいたかも知れぬ。胃病を患った父は、晩年まで衰えぬ食欲を医者や母に抑えられたまま、骨と皮ばかりになって死んだ。 喜三郎は涙のうちに心に誓った。わしは妻子に愛される父親になりたい。子供らをどつくことはしまい。哀れな父の轍は踏むまい――と。 金剛寺住職の手で、吉松の遺体は西山墓地に葬られた。淋しい野辺の送りの後から、黒い着物を着た大きな女が泣き泣きついてくる。喜三郎の心中を知って上田家をとび出し、しばらく寄りつかなかった多田琴であった。
 吉松の野辺の送りをすませて以来、琴はまた、上田家に居ついた。しかし、喜三郎の心中はそれどころではない。死んだ父吉松の借金返しが残っていた。催促はすべて喜三郎に集中する。一家を背負う長男としての責任が、改めて自覚させられる。貧乏世帯の主として、今後はいやおうなしに穴太の地に縛られねばならぬ。次弟の由松は博奕を止めぬし、老祖母・母・弟妹たち、食わさねばならぬ家族は多い。「吉松はんは艮の椋の枝伐ったさけ、死んだそうや」「艮の祟りや。喜楽が椋伐ったんが悪かったんや」 誰とはなしに噂が流れて、喜三郎の耳にも入った。「今時、鬼門もへったくれもあるけい」と笑いとばしたものの、喜三郎の心にその噂はずんと重たくのしかかってくる。
 椋の枝を伐って音立てて落ちた時以来、父の病気が重くなったのは確かであった。艮の椋の木、未申の久兵衛池、本当に鬼門、裏鬼門は祟るのか。小さい頃からの懸案であった鬼門がまた気にかかり出す。穿鑿癖が頭をもたげる。  新聞広告で見た東京哲学館発行・井上円了博士著の妖怪学講義録を取り寄せて研究した。井上円了は越後三島郡浦村の慈光寺の子である。明治十八(一八八五)年東京帝大文科哲学科を卒業、仏教界最初の文学士となる。東洋文明は仏教のなかにあるとし、東洋大学の前身である哲学館を本郷に創立、東洋思想の哲学的理解と普及に努めていた。明治二十四(一八九一)年、民間の迷信打破のために妖怪研究会を設立し、その講義録を発行していたのだ。 多大の期待を寄せて読み進む喜三郎であったが、博士の説に心服はできなかった。ただその文中に、「妖怪学は仮怪を聞きて真怪に入るの門路であるから、此の妖怪学を目標として真理の方面に向かって進まば終に心天の中に智光の日月を仰ぎ、心海尤も深き所に真如の月を浮ぶる事を得ん」とあった。だから喜三郎はこの講義録を以て足れりとはせず、なお切り開かれるべき深奥への足がかりに止めて目を転じた。 宮川の妙霊教会や亀岡五軒町の神篭教会などを歴訪して問答を求めた。どの教会でも要領を得ないまま、喜三郎は模索する。
 天地間の真理を求めてやまぬ喜三郎は、満足できる解答が手近な宗教からも哲学からも得られぬと見きわめると、産土神への直談判を再開した。初秋の夜々を小幡神社の冷たい石畳に額づき、それで足りず、拝殿の階段を上がってにじり寄り、もどかしく神のみ胸を叩こうとする。「神よ、在わすなら、吾に応え給え。み教えを。お導きを吾に、神よ」 二十一日満願の夜半、訴えるべき言の葉すら枯れ果てて喜三郎は社前に伏していた。虫の音が消え、全くの静寂が深く喜三郎を支配した。声のない声に起こされて喜三郎の瞳はかっと開き、闇の一点を凝視する。 次第に漆黒の闇から浮き出る蛍光の文字
 一、天地の真象を観察して真神の体を思考すべし 一、万有の運化の毫差なきを見て真神の力を思考すべし 一、活物の心性を覚悟して真神の霊魂を思考すべし
 その文字の一つ一つが喜三郎の無明の闇を照破していく。見えぬ何かと五尺の肉体が内からとけあい、熱く一体になりつつあるのを感じる。喜三郎の頬を滂沱と涙が伝う。夢とも現ともつかぬ法悦の世界がこれか。 喜三郎は渾身で叫んだ。「吾が神、畏し! さらに真義のお示しを」 打てば響くように、神の声が耳朶をつらぬく。「三条の学則は、これ神の黙示なり。汝よく天地を俯仰して観察すべし。宇宙はこの霊と力と体との三大元質を以て充たさるるを知り得ん。この活経典をもって真神の真神たるの故由を知らん。なんぞ人為に成れる書籍を学習するに及ばんや。ただ宇宙間にはこの不変不易たる真鑑実理あるのみ」 再び闇に返った。なまじいな理屈を振り廻し、神のみ姿を求め続けた我が身の幼さが恥ずかしい。それこそ古流の唯物論の糟粕を嘗める者の言だ。しかし今、神典の「隠身」の真義をしっかと把握した。 かくりみの四字をつづめてかみという。かみとは幽体、すなわち肉体を持たぬの意だ。肉体を持たぬ神が凡夫の眼に見えるはずがない。見えたとすれば、それは幻影に過ぎぬ。妄視の作用なのだ。あるいは精神異常のもたらした病的現象だ。 園部へ行く以前にも、「迷信家よ」と笑われながら、ここ小幡神社に毎夜、憑かれたように額ずいた。その一夜、白馬に打ちまたがる異様の神人が社殿に吸いこまれる姿を確かに視た。それをしも幻視と断ずることこそ、真の神へ近づく一歩だ。 神さまを知りたいという素直な心で天地間のあらゆるものを観察する時、悟りの種はいつどこでも在る。大自然は無言の経典であり、神は「三大学則の鍵を持って神秘の扉を開け」とお諭しだ。 それでは先ほどの闇に浮いた文字は幻視か、あの声は幻聴か。わが魂が神と一体化した時、わが魂みずからの生み出した文字であり、声ではなかったか。   教えとは人の悟りの及ばざる       天地の神の言葉なりけり 思わず喜三郎はそう呟いていた。 吾に返ると、虫のすだきは耳を聾するばかりであった。喜三郎は教示し給うた神の御名を聞き忘れていたことに気づいた。
 小幡神社で三大学則の神示を得た喜三郎だが、それを深く突きつめて考える間もなく、新しい事件にまきこまれていく。 夕方、牛乳配達から帰った喜三郎を見るなり、村上信太郎が血相を変えて詰め寄った。「き、喜楽、どうしてくれる。由松が牛一頭、連れ出して行ったぞ」「え、ほんまこ。どうして止めんのや」「あんな無茶な奴、年寄りのわしが止められるけい。兄貴のお前の責任じゃ」「そらそうや。無茶はあいつの生まれつきやさけ。よっしゃ。待っとれよ」 喜三郎は亀岡に向かって走り出した。 吉松が死んで以来、怖い者のなくなった由松は、一層博奕に身を入れ出していた。大っぴらに家財を持ち出して売っては博奕の資とした。そのうえ、牛を。 ――あんまりや、無茶苦茶や、畜生。名前こそ穴太精乳館上田牧場としているけど、三人の共同出資だ。他の二人に言い訳立つけい。否、二人どころか、朝夕、乳を待っているたくさんの得意客。痩せた仔牛はどうする。情けなさ、口惜しさに涙も出ぬ。 亀岡の心当たりの博労の家に駆け込んだが時すでにおそく、由松が投げ売りした後であった。つながれている我が乳牛の首を抱きつつ、買戻しの交渉に入るが、埒があかぬ。明日は高い口銭を持って連れ戻す約束をし、暗くなった外へ出た。腹わたが煮えくり返った。由松の行先は分かっている。余部の賭場である。亀岡周辺の博奕場は、伊勢参りの道筋にあたる余部や樫原が本場で、「余部で博奕せぬのは村の地蔵さんくらいや」と言われていた。 この頃の関西地方の大親分は、京都南座の傍に住む山本格太郎という男であった。その系列下の親分は、亀岡・園部・綾部・福知山など三丹地方に土岡甚平、京都の西陣島原方面にいろは組の房ぼんと呼ばれる長谷川房次郎、伏見方面に勇山と呼ばれる増田伊三郎、篠山に山中某、北桑田に石田某がいた。その三丹の大親分土岡甚平(本名治三郎)は安政六(一八五九)年生まれの三十九歳、余部に住み(明治三十六年柳町に移転)、各地に多くの子分を擁した。亀岡周辺では、土岡の下に九人の幹部が、それぞれかなりの子分を持ち、縄張りを分け合っていたらしい。 大石某(鶴渡)寺村。八田三之助(河内屋勘吉)穴太。多田亀吉(多田亀)中村。竹岡庄太郎(庄六)田野。寺本馬吉(馬公)旅篭町。土岡満次郎(満さん)西堅町。八田玄之助(八田玄)呉服町。上羽宗太郎(宗太)京町。川勝九吉(突抜町)突抜町。( )内は通称。 九人の幹部のうち、多田亀と並んで穴太を牛耳る河内屋勘吉こと八田三之助は、血気盛んな二十六歳。いま売り出し中の侠客だった。力は強い。宮相撲でも遠近に鳴らした豪の者だ。父三右衛門もまた、三哲という侠客だった。 勘吉は千代川村字川関の八木たみを内縁の妻にし、穴太寺の東門の前で、河内屋という小さな宿屋をさせていた。たみは背の高い器量良しのしっかり者、まだ十八歳のうら若さだが、客引きの口のうまさにかけては誰もかなわなかった。 たくみに客を連れこんでも、家族の居間を含めて六畳三間の狭さである。客の多い時は隣の万屋から蒲団を借りて来て台所にまで客を寝かし、自分達は風呂場の横に板を敷いて寝た。客のいない日は風呂を炊かず、万屋まで勘吉親分と生まれたばかりの長男を連れて貰い湯に来た。むだな設備投資をせぬ模範的な健全経営といえようか。 昔から、穴太は博奕が盛んだ。正月になると、羽織を着て前髪分けた侠客たちが穴太寺の北門を抜け、ぞろぞろ角のうどん屋へ入る姿が見られた。万屋に泊まった西本梅の餅屋の主人が四ヵ月余も居続けて博奕を打ち、負けて宿賃四十円を踏み倒して逃げ帰った。宿賃は朝夕二食に昼の弁当つきで一泊三十銭。万屋の嫁ゆたが西本梅まで借金取りに出かけたが、やっと五十銭だけ貰って帰った。以後、万屋では、博奕打ちの客は泊めぬことにしたという。 山の墓地でも、男たちが集まり、夜昼、焚き火しては博奕を打ったらしい。深夜、時ならぬ悲鳴が聞こえると、博奕に負けて金が払えず、折檻されている者の声と思って間違いなかった。 河内屋勘吉が博奕の本場余部に賭場を開いたのは明治二十八年秋のこと。以来、穴太の若者たちが、鼠が餅をひくように今日も一人、明日も一人と賭場にひきこまれ、金銭を持ち出しては親兄弟を悲しませている。意見をしても、勘吉親分を嵩にきて言う事を聞かぬ。うっかり勘吉の耳に入っては後の復讐が恐ろしく、泣き寝入りするしかなかった。 由松は初めからこの賭場の常連である。「五円なかったら殺される。つもりしてくれい」とか「仲間が泣いとる。助けなんだら男が立たん」などといって母をくどき、しばしば家財を持ち出していく。今度も博奕に負けた埋め合わせに、牛を持ち出したに違いない。 喜三郎はしもた屋風の家の前に佇み、騒ぐ心を押し鎮めた。なにがなんでも今度は由松を連れ帰り、亡き父に代わって諫めねばすまぬ。牛の代金もとり戻さねば精乳館が行き詰まる。祈る心で表戸をあける。眼の鋭い三下が立ってきて睨みつけた。「へい、今晩は。弟来てまっか」「お前は誰じぇい。何しに来たんじゃ」「わしの名知らんとはぬかっとるのう。上田由松の兄の喜楽はわしや」「あ、あ、多田親分とこの……」「うーん、ま、お琴はわしの女の一人じゃわい。……入らせてもらうで」 三下がへこへこしているすきに、土間にかかった鳶口を取るなり、さっと奥へ踏みこんだ。見当つけた部屋の襖をあける。半裸の男たちが車座になって、丁半の真っ最中である。背を向けている由松の帯にいきなり鳶口をひっかけ、ぐぐっと引きずった。奇声を上げてころがる由松。男たちは一せいに立ち上がった。「おい、喜楽。な、なにさらしに来た」 勘吉親分が声をとばす。「見ての通りや。弟を連れて帰ぬわい。文句あるけえ」 喜三郎は胸を張って答えた。「ふん、男を売った河内屋の賭場を一人で荒らしに来るとは、ええ度胸や」「大げさな奴ちゃのう。おれの弟一匹、ひきずってでも連れ帰る言うてるだけや。おい由松。あとはわしに任して先に帰ねい」 由松は起き直ってふてくされ、横を向いた。「由松は帰すけい。今日は派手に張っとるとこや。ええお客さんじゃ。まさか勝負の途中で水さして、五体満足に帰ねるとは思とらんやろ」 ドスのきいた勘吉の言葉で周囲を身廻すと、数人の子分たちがぐるっと取り巻いている。殺気がせまる。こんな奴らに腕の一本も折られては間尺が合わぬ。「こらおもろい。堅気のわし一人に、男を売る家業のわいら(お前ら)が束になってかかってくるのか。さぞ見物やろ。ここでは狭いわい。表へ出い」 鳶口を構えて、子分達に道をあけさせ表通りへ出た。月のない夜だから道は暗く坦々と穴太まで続いている。構え直した鳶口をがらっと放り捨てるや、くるっと向きをかえて絶叫。「人殺しい、たすけて!」 あっけにとられる子分たちを尻目に、闇にまぎれて必死に逃げ出した。 牧場に走り込んだ喜三郎、戸の閂を固く締めて椋の棒を握った。 その気配に怯えた牛が目をさましたのだろう、にわかに物音を立て始める。追っ手は途中であきらめたのか、外はしんと静まり返っている。が、見逃すような奴らではない。きっと来る。作戦を練り直してやってくる。可愛い牛たちとも今宵が最後の別れになるかと、悲壮な思いに身内がしびれる。ごろりと敷き放しの蒲団にもぐりこんだ。 由松はどうしただろうと思うと、口惜しさに代わって哀しさが涙になった。兄の牛を叩き売ってまで賭ける由松には、それなりの追いつめられた事情があろう。牛一匹、くれてもやれぬ兄。明日からの配達をどう言いわけして断わろうと考えると、嗚咽がこみ上げる。 かっとして腹立ちまぎれに賭場へ乗りこんだものの、結果は、自分と由松をのっぴきならぬ窮地に追い込んだだけではないか。 戸を叩く音がする。いよいよきた。「喜楽さんよ、ちょっと用があるさけ顔貸してくれまへんこ」 勘吉のいやらしい声である。ほかにも四、五人いる気配。喜三郎は椋の棒を傍へ引き寄せ、息をつめた。がたがたと戸が鳴る。裏手へまわる二、三の足音。冷汗が脇をすべり、憶病風が体のしんを突き抜ける。「おい、起きい。出てこなんだら叩っこわすぞ」「火ィつけたろか。喜楽と牛の丸焼きもオツやのう」 がっと表戸に鳶口が喰いこんだ。と、不意に女の声がとんだ。「あれ、河内屋の親分、こんなとこで何したはるの」「や、お琴姐さん……何か御用で……」と勘吉のとぼけた声。「いややわあ。何か御用ってここはうちの家え。用があるなら、うちがお宅へ伺います」「なに、姐さんのお手わずらわす程やないのや。喜楽はんがわしんとこの賭場荒らしにきはったさけ、ちょいとお礼に……」 地獄で仏――涙が出るほど琴の声が頼もしい。一縷の望みを託して、喜三郎は耳をすました。「まあ、大そうに……ここに寝とるのん堅気のうちの人と牛だけえ。親分じきじき身内の衆引きつれて牛小屋へなぐり込みかいさ……まさか。人が笑うてやで」「け、けどのう、けちつけられて捨てとくのも何やし……」 琴が笑いとばした。「ほほほ……男はんのお顔なら、うちが立てさしてもらいます。下の桑酒屋へ飲みにいきまひょかいな。それとも多田亀の琴では、役不足かいさ」「いやいや、わしも飲みたいとこやったんや。お琴姐はんと連れどうて……そらよいのう。おい、お前ら先帰っとれよ」 琴に色っぽく持ちかけられて、勘吉はたちまちぐんなりとなる。五、六丁下の吉川村の桑酒屋に飲みに行く様子。桑酒は桑の実で醸造した酒。八木町一帯が本場であった。「ちぇっ、あほらし」 子分たちもぶすぶす言いながら引きあげていく。喜三郎はほっとして、全身の緊張をゆるめた。己の無力さ、意気地なさが思い知らされる。貧者や弱者は、どうあがいても富める奴、強い奴らに存分にしいたげられ、いじめられて泣き寝入りするほかないのか。強い者の言いなりになって生きのびようとする事大主義から、己もまた畢竟抜け切れぬのか。いやだ、いやだ。馬鹿にされ、頭から踏みつけられつつ、ただ食わんがために生きてなんになる。喜三郎は輾転とした。 深夜、足音が近づく。喜三郎は、はっと椋の棒を握りしめた。「喜楽はん、起きとってか。うちや」「お琴やん、いま開けたる」 ランプの灯をつけて急いで迎え入れる。「河内屋、どないした」「よいかげん酔いつぶして、置いてきたえ」「おっきに……時の氏神やったで。わし、恐ろしゅうて震えとったんや」「誰かて、あんなん恐いのえ。相手にならん方が賢いのや。けどうち……」「何んやい」 琴はほっと酒の香の混じる息を吐き、喜三郎の胸に顔をうずめた。「うち、ほんまに喜楽はんの女房いうて、世間の人に認められたい。うちを嫁はんにしてえさ。何でもする、働くえ」「……」 分厚い頼もしい琴の背を抱いて、喜三郎の心は迷う。学歴がなければ、官吏や軍人への道も閉ざされているのだ。あこがれの国学や哲学・国体の究明・宇宙観などといってみても、ちっぽけで弱い自分には、手の届かぬ高みでしかない。せめて、人に踏みつけにされぬところまで抜け出ようとするなら、生命がけで奴らに張り合う力がいるのだ。力と力でしのぎ合う侠客の世界に入って名を挙げるほか、道はなかろう。やくざになったからとて、悲しむ父ももう居ないのだから。「喜楽はん、うち嫌い?……」 琴が涙でいっぱいの目をあげる。「いや、好きや。覚悟がでけた」「うれしい。祝言、挙げてくれはるのん」「今はそんなどこかい。わしはやくざになる。生命かけて奴らに負けん男になる。弱虫・憶病ったれの喜楽は捨てちゃる。明日からはお前の父さんについて侠客修業や。明治の幡随院長兵衛になって、百姓いじめの弱い者泣かせの河内屋ばらを蹴散らしてやるぞ。式はその後にしてくれ」「おっきに、うちも立派な強い姐御になるえ」「これ以上強うならんでもええわい」 牧畜のあいまに喜三郎は多田亀のいる中村に通った。老侠客は得たりとばかり張り切って、やくざ教育を吹き込み始める。「まず賽ころの握り方、いかさま博奕のやり方、見破り方から教えちゃる。よいけ、博奕というのはのう……こうっと」と賽ころのつぼを持ち出す多田亀の手を押えて、喜三郎が言った。「わしはのう、どうもその賽ころはかなん。親父の遺言やさけ、その四角いの見るだけで蕁麻疹がでけるのや」「厄介な餓鬼やのう。博奕打たん侠客もないことはないが……」「わしは喧嘩に強うなりたい。弱きを助け、強きを挫き、仁侠の世界で命を張る男伊達になるつもりやさけ……」 「それにはまず旅に出て渡世人の修業をするのが一番や。親分衆を頼って一宿一飯の世話になれ。そのうち、義理にからんだ生命知らずの出入りにぶつかるやろ……」「あかんあかん、牧場があるわい。旅人にはなれん」「しやないのう。ほなまず仁義の切り方からや。やくざの挨拶にはそれなりの儀式も方法もあるのや。仁義とちって仕損じよったら、どんな因縁つけられてバッサリやられても文句は言えへん。よう覚えとけよ。まず新の手拭いをこう差し出して、腰を落とす……その尻もっと引っこめい……何や、便所へ入ったんと違うど」 多田亀はとみこうみして、喜三郎に格好つける。「早速おひかえ下さって有難うござんす。軒下三尺お借りして失礼でござんす。手前生国と発しまするは丹波でござんす。丹波と申しましてもいささか広うござんす……おい、やってみろ」 喜三郎が巻き舌になって、すらりと真似する。「一回で覚えちもうたのう。じゃ、次や。縁もちまして親分中村在住多田亀吉の身内上田喜楽と申すけちな野郎……」「けちな野郎はつまらんのう」「ふざけるない、この野郎」「やくざの仁義もつまりは紋切り型。荒神山の昔と変わらんやんけ。穴太流で切ったらあかんやろか」「どう言うんじゃい」「わしゃのう、生まれ在所は丹波の穴太。うどんを作れば天下一品、多田亀親分の身内安閑坊喜楽と申す粋な男や。仲良うやってかへんこ」「ドスがきかんわい、あほんだら」 次に心得。「一に度胸、二に度胸、三に度胸で四に機転じゃ。侠客になって名を挙げようと思たら、頭を割られたり、腕の一本ぐらいとられなんだら、本物にならん。こっちが命を捨ててかかれば、何百人の敵も逃げるものや」 それから凄みをきかした声になって、一本釘をさす。「俺の子分もようけおるが、跡目を継がすほどの大物はおらん。お前を琴の婿養子にもろうて、若親分に仕立てちゃるさけ、恥ずかしないよう、しっかり修業せいよ」「その養子の件やがのう……」「なんや、不足こ。わしの一人娘をお前の勝手にさして黙っとるのは、ちゃんと考えがあってのことや。まさか、一時の冗談で、嬲り者にしたんやないやろのう」 しげのとの結婚の苦い思い出がよみがえる。知り尽くしているつもりの女が、結婚という座に直ると更に一枚皮をはぐ。想像もしなかった別の女になる。琴にしても、そうでないとどうして言えよう。さらに、自分のうつろいやすい心がこわい。 とっさに、今習った機転で答える。「わしはお琴はんをなぶり者にした気はおへん。けど、いま婿になって若親分を継いでみなはれ。あいつは多田亀親分や女房の威光を借りてあれだけにのし上がったと言われんならん。それがくやしいのや。わしは、裸一貫、男度胸で上田喜楽の名を売ってみたい。押しも押されもせん実地の親分になったら、堂々と嫁はんにお琴やんもらいます。それまで待っとくれやす」 多田亀は、うなった。「琴の見込んだ男や。さすがに間違いないわい。よっしゃ、骨は俺が拾うてやるさけ、琴にはかまわんと命を捨てる気でやれ」
 秋も深まった十月十九日、快晴。牛乳配達の暇をみて、母の稲刈りの手伝いに帰る。腰をかがめた老婆が稲田によろめき入ってきた。「喜三やん、えらいこっちゃ。早よ来ていな」 親戚の治郎松の母親このである。「どうしたんや、顔色わるいで」 喜三郎をつかまえては小言しかいわぬこの婆が、縋るような目で言った。「河内屋が松をなぶっとる。二百両ださねば、俵に詰めて地獄川へ放りこんじゃる言うとるんや。救けてえな。早よ早よう……」 地獄川というのは、丁塚山から天川の里の脇を通って犬飼川に注ぎ入る小川である。「そうか、やっぱり来よったか」 喜三郎には河内屋の腹が見えすいていた。治郎松がつい先日、蒼くなって喜三郎に告白していたからだ。 大阪から田舎下りの舞の師匠にお玉という四十くらいの年増がいたが、治郎松はやもめ暮らしの淋しさから、五十二歳の老の分別も忘れてつい手を出した。この治郎松、女にだらしないばかりか、今も淋病に苦しんでいるのに。ところがぬっとその現場に現れた男がある。河内屋勘吉親分だ。「おい、わしの女房どないしてくれたんや」 治郎松は動転して、お玉からとび離れた。「あっ、あっ、ありゃ、あんたはんの女房で?……」「きまったるわい。わしの女、ようも汚しくさったな」「か、河内屋はんには、たみさんいう嫁はんが……」「一人おろうと、二人おろうと、お前の知ったことけい。わしの顔に泥ぬりくさって、この始末どないする気じゃ」 勘吉は、逃げる治郎松に襲いかかった。したたか殴られ、真っ青になって逃げ帰り、蒲団をかぶって震えているところへ来合わせたのが同じ株内の上田長吉・通称チョキ、二十五歳。小柄なためか、まだ十五、六の小僧っ子に見える。「どえらいことになったのう。河内屋にかかったらほんまに殺されんなんで。けど気の毒や。わしが仲に入って、勘吉親分に話つけたろか」「頼む。長吉、恩に着るわい」 治郎松は手を合わした。「けどのう、詫びのしるしに百両は包まなあかんやろ」「百両。ひゃー、あんまりじゃ」「命と引き替えなら安いもんやで」 生まれついての吝嗇家治郎松、百万だらぐちりつつ、かき集めた五十円を、血を吐く思いで長吉に預けた。 そのいきさつを喜三郎は治郎松から聞いた。同じ手口で、村の若者がお玉にひっかかり、さんざ勘吉に金をむしり取られた噂も、喜三郎は聞いていた。つまりお玉と腹を合わせての美人局だ。喜三郎は、上田長吉の仲裁が不調だったことを察した。「なに思案しとるんや。早う来とくれ、松がやられてしまう」 母が眼で「行くな」と必死で止めている。行けば、治郎松と共に地獄川に叩きこまれるに違いない。喜三郎が逡巡していると見て、おこの婆さんは、薄い白髪頭を振りたておどしにかかる。「身内の者が殺されそうじゃというに、救けにも来てくれんのかい。は、薄情者。お前んとこには先から二十円貸しとるのん忘れたか。すぐ返せ。いま返せやい。お前が見捨てる気いなら、わしにも覚悟があるど」「それとこれとは話が別でっしゃろ。無法者の河内屋相手に、喜三が大怪我でもしたら……」 世祢がたまりかねて口を出した。「わしとこの松は、殺されてもよい言うんやな。よっしゃ。喜三は勘吉が恐ろしゅうて逃げ出した、身内見捨てる卑怯者やと、村内ふれてやらんなん……」 肚はできていた。多田亀から学んだ侠客修業の実地が向こうからやってきたのだ。命を投げ出してかかれば何とかなろう。おこの婆さんの毒づきをよそに、「ちょっと行ってくるで、母さん」 喜三郎は稲刈り鎌を置いて歩き出した。「逃げる気か、喜三。待て、待てい」とおこの婆は、喜三郎の腰に喰い下がる。 裏藪の垣を二つもくぐり抜け、顔中蜘蛛の巣だらけにしながら、喜三郎とおこのは、背戸口から治郎松の奥の間に入った。河内屋のドスのきいた怒声が、ぴりぴり鼓膜に響く。そっと襖の隙からのぞくと、あがり框には、表の観客の視線を斜めに受けた勘吉がふんぞり返り、その前には治郎松がひれ伏している。土間には、留公・与三公の兄貴分の他三人の三下奴。 農繁期というのに、物見高い村の衆が遠巻きに見物している。彼らは、勘吉も憎いが、日頃人の災難をとび上がって喜び、あることないこと吹聴し廻る憂い松こと治郎松を、いい罰だと思っている顔だ。 陰陽道によれば、破軍星(北斗の第七星、剣の形をしている)の剣先の示す方向は万事不吉だとか。治郎松の背にある長火鉢を前に座を占めれば、今宵のぼる破軍星の柄にあたり、剣先が勘吉たちに向くことになる。とっさにそんな計算を心頼みにしながら、震えてくる歯の根をかみしめた。男を売るからには格好よくと壁にかかった井筒模様の褞袍を引っかけ、初舞台に上がった役者のように上の手から喜三郎は膝小僧を震わせつつ長火鉢の前に歩み寄った。「喜三やん」「よう、喜楽はん。がんばって」 村の衆がどよめいて、熱い視線を送ってくる。「おい、勘吉っつぁんよ、いやさ河内屋の親分さんえ。こんなひょろひょろ爺に、大の男が五人も六人もよってたかって人騒がせな、何事じぇい。文句あんなら、治郎松さんに代わってこの喜楽が聞いたるで。さ、もういっぺん言い直してみい」「き、喜楽。また差し出口さらすな。この爺い奴が、俺さまの女房にちょっかい出しやがって、わしの面に泥ぬりやがった。地獄川に叩きこんでやらな気が済まねえ。四の五のぬかしやがったら、喜楽もろとも袋叩きだ」 のっそり立ち上がった大熊のように、赤い口腔をみせて、狂暴に吠え哮る勘吉。治郎松が、喜三郎の背にしがみつき、泣き声で叫んだ。「喜楽はん、言うとくれな。わ、わしはほんまに長吉に五十円、わ、渡して、た、た、救けてくだはるよう、た、た……」「うるさいやい。わしが受け取ったのは二十五円ぽっきり。そんな端金でこの河内屋が引っ込めっかい。なめてくれるなよ、爺さん」 そこへ村の衆を押しわけて、長吉が兄の嘘勝にこづかれながら入ってきた。嘘勝は本名上田勝吉、村の若い衆にはちょっと顔のきく男で、弟の長吉と違って度胸もある。嘘が上手で、嘘勝が通り名。本人はむしろそれを名誉に思っている。 嘘勝の叔父もまた嘘鶴といい、嘘つき自慢だ。嘘をつく時はきまって、「今度こそ嘘やないど」と前置きする癖がある。亀岡から穴太への途次、松と桜の古木が抱き合って立つ《松の下》という淋しい地に住んでいる。豚小屋のような一軒家だ。五斗俵に籾殻をいっぱい詰めこみ、狭い庭に二十俵も積んでいた。金持ちと見ると、引っ張り込んでこの俵を見せ、「米が十石や。みてくれい。値が出るまでもうちっと待つのや。この十石を抵当にちょっと貸してくれやい」と交渉し、巧妙に金を融通させる男であった。うっかり俵に触れようものなら、「さわるな。さわり三百円の罰金や」と宣言する。しまいには、鼠防ぎだといって柊の小枝を俵一面に植えていた。 この嘘鶴の血統を受けた嘘勝も長吉も、嘘では免許皆伝に近い腕を持つ。しかしながら、なぜだかわりと村人の信用を得ている。天下御免の嘘つき一族なのだ。 治郎松は長吉の胸倉つかんで、ふるえ声でわめき出した。「やいチョキ(長吉)、わしの金どこへやった。五十円預けた金の半分、どこへ消えたい」 長吉もがたがた震えて泣き出す。「う、嘘やないど。お、お玉はんに渡したど」「お玉が、わしに嘘いうけえ。ド阿呆」 すると長吉は急にだまりこみ、妙な泣き笑いを浮かべた。「どうやら残り二十五円の行方は、チョキとお玉はんのどっちゃかが嘘ついとることになるのう」と喜三郎が間のびした調子でいった。「嘘つきは、嘘勝一家のチョキに決まってらあな」と勘吉。 すると嘘勝が、蟹みたいに肩を怒らし、横歩きで進み出た。「言うちゃろけい。大嘘つきはお玉じゃい。チョキが何もかも白状したんじゃ。お玉が長吉にこうしなだれかかって『五十円の半分、親分に内緒でうちにくれはったら、よいことしたげる』言うたんじゃと。据え膳喰わぬは男の恥……そこでチョキは男になった。つまりじゃ、治郎松っつぁんの五十円は半分は親分へ、あとの半分はお玉はんの懐や。嘘やないのう、長吉」 わっと見物人が笑った。勘吉も子分衆も一瞬ぽかんと立っている。素早く逃げかける長吉を、喜三郎がおさえた。「やい喜楽、そのチョキをこっちに渡しやがれ。じ、地獄川に叩っこんでやるぜ」 真っ赤に逆上した勘吉が、小鼠みたいな長吉の襟首につかみかかる。ここで喜三郎の出番だ。「おっと待ちな、河内屋はん。さっきから聞いてれば、けったいな話やないこ。お玉という女、侠客の女房とも思えん恥知らずやのう。転んでは金まき上げるなんぞ、治郎松やチョキだけのことやあろまい。洗えばまだまだありそうや。察するところ、男伊達をもって任ずる今売り出し中の河内屋親分は知らぬこと。まさか女を玉に使うて転がさせ男から金をせしめるなど、卑劣な手段をとるようなお人柄とも思えぬわい。ともかく、こんな噂が流れては男がすたる。村の名もすたる。お互いお玉のためにえらい迷惑やないかいな」 嘘勝がたちまち大声で調子を合わせる。「喜楽はんの言う通りや。こらお玉はんの一人芝居やろ。わしの親分の島原のいろは組の房ぼんやら河内屋はんの甚平親分の耳にでも入ったら、えらい名折れや。ことによったら親分同士一悶着……」 勘吉の顔面が朱色から青に変わった。「こ、こりゃ、ほんまに濡れ衣や、誤解やで。わしゃ女をだしに金をせびった覚えはないど。だ、誰や、治郎松はんに金出せなどぬかしよったのは」と子分たちをにらみつける。「へー別に……言うたことおまへん」 風向きが変わって妙なことになり、子分たちは恨めしげに口の中でもがもが言っている。勘吉は、江戸前の巻き舌もいつの間にやら生地にもどって、「ようけ子分がおると、親分の心も知らんで勝手ぬかす不心得もんも出てきよる。禍は下(舌)からちゅうたもんや。わしは治郎松はんに筋道立てて詫びてもろたら水に流したる気でおったんや……」「へっ、重々、年甲斐もないことでして。思わぬホテテンゴを致しまして……河内屋はん、どうぞお許し下はーい」 ここを先途と治郎松が這いつくばる。その後に連なって、長吉も尻を立て、額を床にすりつける。「ことが分かれば結構じゃい。けどわしも素人の喜楽はんにこみ割られたとあっては男が立たん。日を改めて埒をつけな……」「よっしゃ、仲直りの手打ち式をしましょう。治郎松はん、十五円出しなはれ。親分からも十五円出してもろうて、明晩でも宴会を開こやないか」 喜三郎の提案で抜いた刀の納め所に困っていた河内屋勘吉、二つ返事で承知して宴会の打合せに入った。治郎松は、生き返った顔である。
   広い亀岡の十三町に       後を見返す女郎はない 俗謡にもうたわれる亀岡町は、芸者仲居に至るまでみな京都の田舎下り。三味線をひくといっても、襷に三味線をくくりつけて座敷中ひき廻すのが関の山。不見転芸者、つまりこの地の表現を借りれば、股で挟んで金をとる「釘抜き女」が三、四十人、あちこちの料亭にうろついている。 十月二十日夕、勘吉の馴染み芸者お愛のいる呉服町の小料理亭正月屋の玄関に、喜三郎、治郎松、長吉の三人が立った。「穴太の上田喜楽です。河内屋はん、来たはりまっか」「へー、あんたが喜楽はん、昼頃から、親分は身内衆と遊びに来たはるえ」 冷笑を浮かべたお愛である。 八畳程の二階座敷には、すでに足のない膳に五、六品の料理が並べられ、盃洗にはランプの影が映っている。勘吉側は六人、じろりと殺気立った目で迎えた。この宴会、勘吉側にとっては実に不本意に違いない。それだけに、機会さえあれば、いつでも修羅場と変ずる空気である。 勘吉の挨拶ははじめから刺を含んでいた。「喜楽はん、遠方ご苦労さん。お前はんも世話好きやのう。けど、今の人間は、困った時はチンコハイコして頼むやろけど、難儀が過ぎたら、はい、それまでや。あほらしい、人の世話もいい加減にしなはれよ」「河内屋はん、今度の一件だけは乗りかけた船や。なんせ治郎松はんは、わしんとこの親戚やさけ」「そやろそやろ。金を借りたり、いろいろ世話になっとってんらしいのう。呑みこんでらあな。こう見えたって河内屋は、血も涙もある男でござんす。ちったあ可愛がってやって下せえ」 箱根越えずの江戸っ子弁で見得を切ったつもりが、かえって拍子が抜ける。次に治郎松に向き直り、「治郎松さん、えらいお玉といちゃいちゃしてくれたそうなが、今後も見捨てんと世話したっとくれやっしゃ。わしも男一匹、お前はんにちょっかい出される女なぞに未練などあるもんけえ」 治郎松はだらしなくぺこぺこする。「おい、チョキ、手前もお玉とこそついたそうやのう。へっ、こんな小僧ったれに河内屋も安うなめられたもんや」 がたがた震えて頭も上げられぬ長吉に、河内屋はからみつき、ちくちくといじめにかかる。「だいたい手前ゆえにこんなに事件がもつれたんや。どの面下げて、この席に出られたんじゃい」 下手に出てはつけ上がるばかりだと、喜三郎が坐り直した。「河内屋はん、今夜は、きれいさっぱり男らしゅう仲直りする言わはるさけ、わざわざそろって穴太から出て来たんや。それともお玉はんの一件、も一度すっかりむし直して、世間にぶちまけたいんですかい」 せっかくの手打ち式を自分からこわして、喜三郎の後にいる多田亀の口から土岡甚平親分にでも告げられては、勘吉の立場が悪くなる。勘吉は急に笑顔をつくり、「いや、こいつは悪かった。つい、虫の居所が悪うて喜楽はんに気をもませたが、さ、これで仲直りの盃をさしてもらおかい」「初めにおことわりしておきます。こっちはずぶの素人や。侠客の盃ごとには、どんなむずかしい儀式があるかわしらには分からん。失礼があっても勘弁してもらいまっせ」「わかっとるで。盃をかわしたら兄弟分や。さ、与三、まず喜楽はんにおつぎせんかい」 与三が喜三郎の持った朝顔の花形の盃に注ぐ、喜三郎はそれを一息に呑みほして勘吉に渡した。「ハーイ、よろしい」と勘吉は間のびした声で盃を受けた。与三がつごうとすると、盃を上へ上へと上げて一滴も入れさせぬ。いかにも呑んだふりをして見せるのは、「へん、表面はともかく、きさまの盃など誰が呑んだるけい」との意志表示らしい。その盃を治郎松にさし出して、「さ、色男の松さん、わしの盃では気に入らんやろが、今夜はとっぷり飲んでくれや」 治郎松がいざり寄って両手で盃を差し出すと、勘吉は与三の徳利を引ったくった。「えー、もう結構。あっ、散る散る、こぼれる、ひゃー」 治郎松の悲鳴もかまわず、燗徳利一本の酒をたぶたぶと膝にぶちまけた。「ははあ、わしの盃が、よほど気に入らんそうや。皆こぼしてしまいよったわ」「めっそうな、もったいない、この結構な酒を……」 治郎松は膝の上や畳の上にこぼれた酒を平手に吸わし、卑屈にもぺろぺろなめた。 主客双方九人、表面仲直りと言いながら、深い谷にかかった危ない丸木橋を渡る心地だ。 長吉は階下へ下りて小用をすますと、殺して飲んでいた酒が急に廻ってきた。恐い二階より、お愛はじめ二人の不見転芸者が長火鉢を囲う下の座敷の方が居心地がよさそうだ。長吉は図々しく入りこんだ。「よう姐ちゃん、えらい暇そうなが、なんで二階に酌しにこんのじゃい」「あほらしい、喜楽みたいなけちな男に何で酌に行くかいさ。五円ぽちで十円の料理出せいやと……」とお愛はつんと横を向く。「五円ぽちやて。なにぬかしてけつかる。治郎松から十五円、河内屋から十五円、勝ち負けなしに合わせて三十円の仲直りちゅう約束じゃけど」「あほな。喜楽の奴が河内屋親分に泣きを入れに来たくせに……」「ひゃ、誰がそんなでたらめぬかした。一方は侠客の親分、一方は牛乳屋の安閑坊喜楽……そんな者と喧嘩して、五分五分の別れではつまり河内屋の負けや。ほんまやで、嘘やないど。けど、三十円の宴会にしてはえらい貧弱な料理やのう。吉川の桑酒屋へ行ってみい、五円もあれば、もっと御馳走出しよるわい」 おしゃべりの長吉、お愛と河内屋の関係を知らぬから、べらべらと酔いの舌はまわる。お愛は顔色を変えて二階へ上がった。「河内屋の旦那、ちょっと……」 別室でお愛と立ち話をした河内屋は下の座敷へ来るなり、手枕で寝そべっている長吉の襟首をつかんで廊下へひきずり出した。「おい、長吉、今度の事件は手前が起こしたようなもんや。俺や喜楽はんがまだ坐っとるのに、ちんぴらの手前が席をはずして何してけつかった。仲直りの式を破り、侠客の面に唾吐きくさったな。この野郎……」 罵り終わらぬうちから、長吉の頭や腰を踏んだり、蹴ったりし始めた。怒声と泣き声に、喜三郎は二階から駆け降りる。「仲直りの盃がすんだ以上、長吉がどこへ行こうとかまへんやんけい。長吉に悪いことがあるなら、わしに言え。明日の朝までは、長吉の親兄弟からわしが身柄を預かっとんじゃ。文句あんなら、わしが相手になったるわい」「よし、分かった。喜楽はんに免じて、今夜だけは許したる」 長吉は鼻をすすり上げて弁解しだす。「すんまへん、親分。わし、何も悪気があって言うたんやないで。下の女中が、五円ぽちで十円の御馳走や言うさけ、そんなはずはない、三十円やと……」「じゃかまし(やかましい)わい。手前はさっさと出て行け。喜楽はん、治郎松はん、機嫌直して、夜が明けるまで飲んどくれやす。前席が十円、二次会が二十円という段取りがしたるのに、わけもきかずに長吉の野郎が勘ぐりやがって、これから芸者をあげてパーッとやりますさけ……」 喜三郎は、引き揚げ時とみた。「いや、わしも牛乳配りが朝早いさけ、二次会にもおりたいのやが失礼しますわ。どうぞお身内衆と、わしらの分まで飲んで騒いどくれやす」 まさに虎口を脱した心地で、二人を連れて正月屋を後にする。勘吉の手下がいつ先廻りして襲いかかるかも知れぬ。早く早くとあせっても、治郎松も長吉もへべれけに酔うて、同じ所ばかり行きつ戻りつ、なかなか足がはかどらぬ。 旧暦九月二十五日の月が東の山の端をかすめて昇っている。けれど満天雲に包まれ、月の光すら、ただわずかな薄明でそれと知るばかりである。やがて長吉の叔父嘘鶴の住む《松の下》にさしかかった。 三間山の麓の大樹の影から、四、五人の影が湧いて出た。「松、長吉、にげろ」 喜三郎はわめきつつ山に駆け上がる。まごついた治郎松は崖から蹴落とされて下の泥田にのめりこみ、人影は長吉一人に群がった。魂消る悲鳴。と、突然、山の中腹の暗がりから割木や石がとんできた。「わっ、誰じゃい」 悲鳴は新たに凶漢どもから上がった。喜三郎も歓声を上げ、手当り次第投げつける。正体の見えぬ新手の敵を恐れてか、襲撃者たちは、先を争い逃げていく。「ひっ、ひっ、ひ、思い知ったか河内屋めら」 山腹から現れた思いがけぬ救い主は、長吉の兄嘘勝であった。喜三郎らをここで待ち伏せる勘吉の計画を事前に知って、先まわりし裏をかいたのだ。 長吉を救け起こしてみると、幸いたんこぶ三つ四つぐらいで、血も流れていない。「ホーイ、ホーイ」と哀れな声で泥田の中から呼んでいるのは治郎松だ。酔いもさめ果て、泥だらけで這い上がってきた。 その日はそれで済んだが、勘吉一派はことごとに喜三郎を目の仇とねらった。一方、「喧嘩の仲裁は喜楽はんに限る」と村人たちはおだて上げる。つい頼まれもせぬ喧嘩の仲裁に顔を出す。救けられた者は、喜楽はん、喜楽はんと慕い寄ってくる。味をしめると、しまいには無頼漢相手に喧嘩を買って出て、僅かの間に八回も袋叩きにあった。叩かれながら、喜三郎は、腹の中で考える。「これでええのや。こっちが人を傷つけたら、きっと夜は眠れんやろ。わしはいつもまわし一ちょうで、石だらけの道で相撲をとるが、力一杯張りきった時は、ちっとも怪我もせぬし、痛いとも思わぬ。全身に力をこめておれば、どんなに叩かれても痛みは感じまい」 指の先から頭の先まで力を入れ、体を硬くして敵の叩くに任せる。もう叶わぬ。謝まろか……と我慢の限界にくると、いつも誰かが出て来て敵を追い散らしたり、仲裁に入って、危難を救ってくれる。 牧畜・搾乳・配達・農耕のかたわら、侠客修業の喧嘩沙汰に夢中で、明治三十年が暮れた。
表題:高熊山 2巻6章高熊山



 明治三十一(一八九八)年の一月二十六日、喜三郎は家督を相続し、京都府南桑田郡曽我部村字穴太百八番戸、上田家の戸主となる。年齢も二十八歳の分別盛り、昨秋小幡神社で得た三大学則を基にいよいよ神の道を究めんと決意しながら、相変わらず女に手を出し、またも襲撃を受ける羽目となる。 見知らぬ女であった。西条の飲食店にいて、熱っぽい視線を投げかけてきた。女は翌晩も同じ店に現れ、すれちがいざま文を手渡した。雪隠の暗い燈火にかざして封を切った。 ――明日の晩、某所でお待ちしています、とたどたどしい筆であった。 多田琴はしばらく姿を見せぬ。喜三郎の浮気心を止むる何ものもなかった。翌夕、仕事を済まして人目を避け、指定の某所を訪ねた。女の影はなく、ただ一通の書き置きに「内丸町の某家へおいで下さい」とある。乗り出したからには後戻りはできぬ。と闇路を頬かむりで、某家へ忍んだ。女は酒肴を整えて待っていた。手の込んだ逢い方はただの女ではないと危惧しつつ、喜三郎は女のもてなすままに溺れこんだ。 女は伏見の遊郭中書島から逃れてきた遊女で、河内屋勘吉の身内の元にかくまわれていたのだ。喜三郎との逢い引きがいつとはなく洩れて、いっそう河内屋一家の恨みを買った。「畜生、喜楽を生かしておいちゃ、界隈の女子はみないかれおるわい……」
 二月二十八日(旧二月八日)、喜三郎の筆法によれば、「半円の月は皓々として天空に輝き渡り、地上には馥郁たる梅花の薫り、冷たき風に送られて床しく、人の心も華やかに何となく春を迎えた気分漂う」夜であった。 同じ穴太の小百姓、大石文助の座敷を借り、女義太夫を雇って三味線を弾かせ、七、八人の浄瑠璃仲間と温習会を開いていた。縁の隅から庭、門に至るまで村の老幼男女がつめかけている。露払いは喜三郎の鏡山又助館の段。「よう、ねぶか太夫」と声がとぶ。ねぶかは葱、つまり節のない意で、友らは茶化すが、喜三郎は大得意だ。「やっかむない」と思っている。現に、菱餅を二つに切ったような角だった裃を着せられて見台に坐るだけで、女たちは黄色い声を上げる。まさに下手の横好き。竹筒を吹いたような調子はずれの声をはり上げ始めると、ばらばら銅貨包みがとんでくる。「喜三やーん、よいわあ」「喜楽はーん、かっこええでえ」 女たちの人気を喜三郎一人に奪われまじと他の天狗連も躍起となって熱演、大盛況のうちに再び喜三郎が登場した。とっておきの太閤記十段目のさわりにかかる。入るや月漏る片庇 ここにかり取る真柴垣 夕顔棚の此方より 顕れ出たる武智光秀 必定久吉此内に忍び居るこそ究竟一 只一討と気は張弓 心は矢竹藪垣の 見越の竹を引そぎ鑓 小田の蛙の啼音をば 止めて敵に悟られじと 差足抜足窺い寄り 聞ゆる物音心得たりと 突込む手練の鑓先に わっと玉ぎる女の泣声 合点行かずと引き出す手負 真柴にあらで真実の 母のさつきが七転八倒…… 場内しーんと引きこまれ、固唾をのんで聴き入る時であった。裏口から侵入した頬かぶりの男たちが、ものも言わずに壇上の喜三郎を襲った。殺気が渦巻く。怒号と叫喚の真っ只中に、手足をとられた喜三郎が五人の男たちにかつぎ出される。一団は逃げる女子供を蹴散らして走る。「河内屋じゃ。勘吉一味のなぐり込みや」「喜三やんがさらわれた。殺されるで」「何しとんや。はよ、喜楽はんを助けたげてえさ。男やんかいさ」 女たちが泣き叫ぶ。 浄瑠璃会は大騒ぎとなった。連れ去られたのは喜三郎一人だった。浄瑠璃仲間の嘘勝が、二、三の手下を集めて割木を握り、庭を走り出た。 肉を打つ鈍い響きが、わめき声にのって桑畑の奥から聞こえる。半月の投げかける青い光が、桑の細枝をもれて、地上を照らす。そこに影絵のように躍っているのは宮相撲で名の知られた若錦(八田弥三郎、二十五歳)、子牛(斎藤牛之助、年齢不明)、留公(岡本留吉、二十三歳)、茂一(寺本茂一、十九歳)、与三公(八田与三郎、年齢不明)である。みな河内屋の息のかかった相撲とりだ。無抵抗の喜三郎を打つ、蹴る、殴る……。「卑怯者、喜楽一人を五人がかりか」「くそっ、殺ったれ」 嘘勝らの後には村人男女が群がって、金切り声で応援している。形勢不利とみて、河内屋一味は喜三郎を捨てて後退する。乱闘が移動して桑畑をぬけ出ると、和一郎、重太郎らが失神寸前の喜三郎をかかえ、牧場の小屋へ運び入れた。 裃は裂けて血がはね飛び、袖はちぎれて泥まみれ、頭から顔面にかけては、噴き出す血のりで真っ赤、和一郎は表も裏もきっちり閂をかけ、清水で額の傷口を洗い、血と泥をぬぐった。「医者も薬もいらん、一人にしてくれ」と喜三郎は友の手をさえぎり、歯をかみならして、譫言のように吠える。 「畜生、もう無抵抗は止めや。今度から見付け次第、奴らぶちのめしたる。仕返ししたる。泣き寝入りなどするけい。くそっ……」「静かにせいやい。暴れたらまた血が流れるど」と和一郎が気をもむ。 眼のあたりにまたあふれてくる血と涙をぐいと手ではねのけ、鼻血の栓までむしりとって、喜三郎は口惜し泣きに泣いた。歪んで腫れあがった顔は血にくまどられて、悪鬼さながらの形相だ。表戸がそっと叩かれて、重太郎の押し殺した声が聞こえた。「おい開けい。おれや。血止め草とってきたでい」「よっしゃ、今開けたる」 二人は手早く血止め草の葉をもみ、喜三郎の傷口にすり込む。「どうや、喧嘩の具合は」と和一郎が声を落とす。「まだ分からん。由松が、兄貴の仇や言うて、血相変えて若錦のとこへ押しかけてったそうなで」 呻っていた喜三郎がはっと身を起こした。「何、由松が……あいつがおれの仇討ちやと……」「あかん、喜三やん寝とらな」「ね、寝とられるけえ、由松がやられる、おれも行く」 二人をはねとばして立ち上がったが、よろよろ倒れかかる。ようやく友らになだめられ、悶々としつつ、いつしかとろとろと眠った。 異様な物音に喜三郎は目ざめた。十数頭の牛たちが隣の牛舎でいっせいに啼き出し、喜三郎を呼びたてている。朝なのだ。搾乳がおくれて乳が張り切っているのだ。腹もさぞ空いていよう。悲しげに訴える啼き声は喜三郎の心を刺し、しめつける。 がたがたと戸を叩く音がした。「喜楽はーん、喜楽はーん。乳の時間やでえ。おーい、起きてんかあ」 最近雇った牛乳配達人の声だ。喜三郎は、起き上がった。返事をしようにも声が出ぬ。牛の啼き声が頭にひびいて、割れそうに痛む。頭が重い。目が眩んで立つこともできない。そういえば夜じゅう早鐘を撞くような音が耳もとでしていて、何度も火事ではないかと夢うつつに窓に這い寄った気がする。 配達人は牧場をはなれて、喜三郎の生家の方へ走って行ったらしい。母を呼びに行ったのだろう。搾乳どころではなかった。もう、村上信太郎の来る時分である。こんなみじめな姿を見られて、またどやしつけられ、嗤われるのはたまらない。 喜三郎は頭をしっかりと手拭いで縛りつけ、眩む目をつぶったまま、外に出た。慣れた道であった。朝もやの中に梅が匂った。いのと忍び逢った竹藪をぬけ、郷神社の前の喜楽亭にたどりつくと、汗くさい煎餅蒲団にころがりこんだ。 ほどなく母の慌ただしい足音が入ってきた。喜三郎は身を縮め、夜具を頭からかぶって寝たふりをする。母は夜具を引きまくり、声を荒げた。「お前は……お前はまた喧嘩を……。昨年までは父さんがいなさったさけ、指一本さす者もおらなんだのに、うちが後家になったと思うて、お前にこんなひどいことを……由松も仇討ちに出ていって、頭こづかれて帰ってきた。去年の暮からこれで九回目や……」 母は口惜しげに喜三郎の上に伏して泣く。夫を失った悲しみが、こんな時にもこみあげてくるのだろう。 ――父さんの死によって、わしが幼い時から耐え忍んできた貧への不満、驕り高ぶる強者への反発に火がついたのは否めない。しかし父さんを失ったのはわしばかりやない。広い世間に幾千万人あるか知れぬ。父さん失ったがために同情こそされても、侮られていじめられると思うのは、我が子可愛さの母さんの勝手な言い種ではないか。わしはただ、思う存分暴れたかったのだ。大喧嘩をやって、日頃いばっている奴を叩きのめしてやらねば気が済まなかったのだ。それをなまじひるむ心があったばかりに、無抵抗だの、受身だのと、なぐられっぱなしになっていた。今日からは宗旨を変えちゃる。強くなるんや、母さん、見とんな。 喜三郎は心で叫んだ。 その時、八十五歳にもなる祖母宇能が杖もつかずに入ってきた。耳は遠かったが、悪い事は不思議によく聞こえる宇能である。世祢があわてて涙をかくした。「喜三郎、起きなはれ」 祖母宇能の言葉には、老いてもなお凛とした響きがあった。幼い頃、この祖母から言霊学を学んだ喜三郎は、祖母にだけは深い畏敬の念をいだいていた。 仕方なく起き直った孫の醜くふくれ上がった面を、射るように宇能は見つめる。思わず目をそらす喜三郎に、厳しい声がとぶ。「そのお前の顔を見い。魂まで歪んでしもた顔や。昨夜のことは他の誰が悪いのでもない。すべて自ら招いた禍と思いなはれや。男の甲斐性のように思うて女子には手をつける。しょうもない喧嘩を買うて歩く。おまけにから理屈ばかり言うて、天地の神さまに御無礼をしたお気づけや。決して河内屋や手を下した人たちを恨んではなりまへん。お前の高い鼻を折ってくれた恩人じゃと思うて感謝しなはれ。そこから素直に真実の道が見えてくるはずや……。いま、お前は善悪正邪の別れ道に立っている。阿呆な子なら一生告げまいと思うていたが、いまは阿呆なようでも、喜三郎は根は聡い子じゃ。そのお前がこんなところで血迷うておるのを、もう黙っては見ておれまへん。わたしも年をとって……言うておかなんだら永久に悔やむことにもなろうと思うてのう……」「母さん」 世祢が蒼白になって、さえぎろうとする。 宇能はきっと姿勢を正し、静かな深い目で喜三郎を見つめた。「人にはそれぞれ持って生まれた宿命があるのやで。運命は切り開けても、生まれながらの定めだけは……血は争えませぬ。ようお聞きなはれ喜三郎、お前は吉松とお世祢を両親に持ったと思うとるやろが、世祢はそうでも、吉松は違う。死んだ吉松はお前の実の父やない。仮の父親ですで……」 喜三郎の唇が開き、声にはならずに震えた。宇能はかまわず、淡々と語り続ける。「何とした不思議な縁であったかのう。このわしとて信じられぬ思いがする……けれど二十八になる今日までの喜三を見ると、お前の体に流れる、弟や妹たちとの血のちがい、顔や体つきばかりでなく、もののとらえ方、考え方のひらきを感ぜずにはおれまへん。下の弟や妹は確かに吉松の子、水呑み百姓でこの穴太に生涯を埋ずめても何の不思議もありまへん」「‥……」「けれど喜三は違う。お前はもがいている。貧しい土百姓のこの暮らしから抜け出そうと、お前の知らぬ血がもがいとるのや。吉松がどんなに長男のお前を自分の枠にはめこもうとしてきたことか。それを見てきたわしの言うに言われぬつらさ……生まれながらにお前は異質なのじゃ。実の父の高貴な血と母の野性の血がまじり合い、撥きおうて……」「実の父の血……へえ、なんぼどつかれたって父親は父親や。あの死んだ吉松の他に、そんなもんあるけい……」  喜三郎は笑いかけ、その頬がこわばった。「世祢が吉松を婿に迎えた時、お前は世祢の腹で三月になっていたのや……七か月児ということにして生まれたお前を、吉松は自分の子やと信じた……信じたまま死んで行かはった……」 不意に世祢が号泣した。泣きもだえる世祢を、宇能と喜三郎が見下ろした。「母さん恨んだらあかんで。世祢も哀れな女じゃ。一生涯欺かれた吉松より、欺いた方が苦しんだかも知れんのや……喜三の実の父上にあたるお方も、お前の誕生を知らずに……もはやこの世のお人ではない……」「……それは誰やい母さん……わしのほんまの父……いうのん」「お前もお名だけは知っとるはずや。あの日清戦争の最中に、大本営でお隠れあそばした宮さま……」「参謀総長宮……有栖川熾仁親王なら、もう三年も前に国葬があったとこや……で、その宮さまの?」と喜三郎の声はかすれる。「その宮さまじゃ。熾仁親王さまが、伏見の叔父さん(宇能の弟)の船宿に手伝うていた世祢を見出しなはった。しばしば通うてこられるうちに、天子さまは宮さまを東京にお呼び寄せになられてしもうたのや。宮さまが去られてから、世祢はお前が宿っているのに気づいて、わたしのもとに帰ってきた……」「ははは……あんまりや……ええかげんにしといてや……わしがやくざになったいうて……そんな阿呆なこと聞かせてもあかんわい。どうせ言うなら、どこぞのやくざの親分の名でも出してみい。信じてやらんでもないわい」 笑いながら、涙がこみ上げていた。ひっくりかえってこぼれる涙をそのまま、思いきり笑いころげた。 宇能が帯の間から美濃紙にくるんだ短冊をとり出して押しいただき、喜三郎に手渡した。 寝ころんだなりで受け取り、喜三郎は仰向けに眺めた。   わが恋は深山の奥の草なれや       茂さまされど知る人ぞなき「おや、どっかで読んだ恋歌や……そうや、古今和歌集のをののよしきによう似た本歌があったなあ。わが恋は深山がくれの草なれやとか何とか……立派な字やが、誰の書やろ」 裏をかえして喜三郎は凝然とした。有栖川宮熾仁。御名と印と花押が鮮やかに目にとび込んでくる。 思わず坐り直していた。「母さん、ほんまけ」 かみつくように、喜三郎が聞く。世祢は、襟に顔を埋めて深くうなずき、やっと聞きとれる声で言う。「ほかに小袖と守り刀……巾着も……」「な、なんでこんなこと……今更言うたかて、どうにもなるけい。なんでその……宮様が亡うならはる前に言うてくれなんだのや」 宇能はしっかりした声音で答える。「あの時はまだ吉松も生きておった。幾度も、喜三に言うてやりたいと思うたことがあったけど……宮さまの国葬の日、喜三は何も知らんと新聞を読んでくれたのう。あの夜、世祢と抱きおうて泣いたのえ。喜三は宮さまの忘れ形見。三十六の時の御子。もしかしてお世継ぎになるはずの御子やったかもしらん。せめてお柩のそばになと行かせてやりたい。けど、わしらには、どうすることもできなんだ……有栖川宮さまには、お二人の妃殿下ともお子さまがおできやなかったはずえ」 喜三郎は激しく言った。「わしが宿ったと知った時に、なんで宮家へ知らせなかったんや、母さん」 世祢は涙だらけの面を上げた。「うち、恐かったんや。有栖川宮さまのお胤は男やったら殺される、そう皆が噂してはった。穴太へ帰って母さんのそばで生みたい。ただのうちの子として……それだけを思いつめて、だまって伏見を出てきてしもうた……」 喜三郎は錯乱して叫んだ。「わしにどうせい言うのや。わしはここに生まれてここに育った水呑み百姓の小伜や。井の中の蛙や。もがいてもどうにもならん。調子っぱずれの八文喜三じゃ。これから憎たらしい河内屋一家を向こうにまわして血の雨降らしたろ思てる、やくざ志望の男やで。母さん、それでよいんやろ。落とし胤やから殺される?……ふん、勝手に産ましといて、好きなことさらしおって……おれの親父は吉松父さん一人で沢山じゃ」 宇能はほっと吐息して、激昂して不貞腐れた喜三郎を見やった。「よう似てはります。好きなことして女子はん泣かすんは喜三も同じこと。どこにお前の胤が落ちて育つか知れまへん」 しゅんとなった喜三郎に、改めて宇能はしみじみと言った。「たった一粒、地に落ちて育った有栖川の血を、やくざの喧嘩沙汰なんぞでむざむざ散らしてよいものか。あの世にいます実の父宮さまがどんなに嘆かれることか。わたしはこの頃思うのやで。この破れ屋に喜三郎を授けなはった神さまのみ心を――喜三を野に育てたい。雲の上ではなく、このお土の上に足をふみしめ、根をはって強く生きる若竹のように。喜三には、その野の修業が必ず役にたつ神さまの御用がある……そんな風に思えてなりまへん」 二人が去ってからも、喜三郎は呆けて天井を見ていた。手繰り寄せる思いが、そばから断ち切れて散っていく。割木でなぐられた末に頭のどこかが狂ったのか、太平楽な白昼夢でも見ているのか。しかし夢ならいつかきっとさめる。 雨が降りだしたようである。 しびれた感覚のまま、幾時間を過ごしたか分からない。母がおずおずと食事を運び、由松が包帯頭で何やらわめき、村上信太郎やおえんが遠く近く叫んだが、それすら朧に霧の彼方へ沈んでいく。
 いつから雨が降り止んだのか。春風烈しく吹きつのり、戸の隙間からしきりに梅の花びらが舞いこんでくる。 燈火がゆれる。白い花びらは濡れていて、喜三郎の髪に、頬に、ひんやりと散りかかる。甘い香気が賤が伏せ家をみたし、喜三郎の中にまで滲んでくる。 花びらは透きとおった紅を含み、黄、青、うす紫と変わりつつ五色に舞い上がり、降りしきる。重くうずく頭に、胸に、背に、それはたちまち溶け入って、清々しい力が湧いてくるのに気づいた。 心機一転、喜三郎は起き直り、小机に向かって墨をすった。   天地大本大御神 筆太に一気に走らせる。筆を止め、初めて自分が何を書いたかを知った。床の間の白壁であった。壁の七文字を前に、喜三郎は深く平伏した。「上田喜三郎」 頭を上げると、見なれぬ洋服姿の男が小さな黒い手帳を開いて立っている。「わたしは芙蓉山(富士山の異称)に鎮まり給う木花咲耶姫命のみ使いとして、お前を迎えに来た松岡である」「……松岡はん? へえ、わしに何用ですんや」 まじまじと喜三郎はその男、松岡をみつめた。 初対面の、それも突然の侵入者なのに、何の恐れも驚きもない。「今よりお前を芙蓉山へ連れて行く」 鋭い松岡の鳶色の目を見返して、喜三郎はにっと笑んだ。「芙蓉山……富士ですなあ。はい、わしもいっぺん見たかったんや。その靴で歩かはる?」「わしは天狗じゃ。空を飛ぶ」「はあ、空を飛んで……わしもいっぺん鳥になってみたかったんや。けど絵にかいたる天狗はんと、えらい違いますなあ」「どんなにでも姿を変えるのが天狗である。洋服ぐらい着るわい。……お前は着替えんでもよいぞ」「ほな、ちょっと待っとくれやす」 喜三郎は魂もそぞろに筆をとり、巻紙に書置きをしたためる。「われは空行く鳥なれや」と墨痕鮮やかにまず一行。ちょっと躊躇して次の一行を。筆にしてしまえば思わぬ感動にまぶたがうるむ。後は一気だ。   われは空行く鳥なれや       親を知りたる時鳥   はるかに高き雲に乗り       下界の人が種々の   喜怒哀楽に囚われて       身振り足振りするさまを   われを忘れて眺むなり       げに面白の人の世や   されども余り興に乗り       地上に落つることもがな   御神よわれと共にあれ 宇能から真実を告げられた時、喜三郎を襲ったのは驚きと不信、そして疑惑――それはやり場のない怒りと錯乱をともなう泣き笑いとなり、次第に信ぜざるを得ない真実が心の中に沈滞する。祖母と母の去った後、深く苦しい悔悟にさし貫かれて、長い放心の時を持つ。その果てに祈りをこめて、「天地大本大御神」 巻紙の書置きは、苦悶の末にさわやかに脱皮した喜三郎の心の表白であった。「空行く鳥」の空は天つ空(宮中・禁中)、鳥はねぐらを離れて思いのまま飛び立つ姿。「はるかに高き雲」に雲上人(殿上人・公卿・雲客)、雲居(禁裏・奥深い宮中)への思いがあふれる。 鶯の巣に生み落とされた時鳥の血を吐く叫び、その血の秘密を悟って雲を呼び、はるかなる大空へと飛び立って行く無量の思いを二行目にこめた。「親を知りたる」と「下界の人」との中に、ひそかに実の父なる「たるひと」の名も読みこんだ。知ったからとて何一つ自分の境遇が変わるわけではないが、がんじがらみに呪縛された己が魂を下層社会の桎梏から抜け出させ、胸ふくらませて天に解き放つ。 野にいては眩し過ぎる空の向う、雲の上にまだ見ぬ父がおわすのか。「喜怒哀楽に囚われて」の一行に「喜楽」という自分の号もぬりこめた。「囚」の一字は、この時直感した悲しき己が宿命の暗示だ。 顕幽の境にあって、今からわしの魂は肉を離れ、松岡神使と共に富士に翔ける。地上に蠢く人々は、昨日までの己の姿そのまま、つまらぬ喜怒哀楽に囚われてもがいている。我執を捨ててさえ見れば、何と面白い人生であろう。いやいや図に乗ってはいけない。有頂天になれば挙げ句は今までの繰り返しで、無慙に地に落ちぬとも限らない。 わが身の守護を永久にと祈る心もはずむ思い――。 筆を捨てた喜三郎の肉体は糸で操られる人形のように立ち上がり、音もなく喜楽亭の戸をあけ、坤(南西)の方角へ歩き出した。瞑目したままだが、石につまずくこともない。そして喜三郎の霊魂は、紫の被衣をさっと身にまとうたかと思うや、神使の翼に抱かれて富士へ飛ぶ。富士の山頂に立って大和島根を見はるかし、続いて山脈十字の信濃の国皆神山へと導かれる。 恍惚の無限の時が立ち、身を裂くような冷たい風にふと我に返った。鬱蒼とした樹海が眼下に続き、その向こうの山頂に半月が早い雲の流れに見え隠れしていた。松籟の音が体の中まで染みる。左手の谷間から湧き上がる夜霧は、樹海を浸して広がってくる。松岡神使の姿はなく、ただ一人、喜三郎は巨岩をうがった天然の洞窟に襦袢一枚で端座していた。どことなしに見覚えのある光景だ。
 明治三十一(一八九八)年三月一日(旧二月九日)夜、喜三郎が夢遊のうちに登ったのは、喜楽亭より南西に半里、穴太の高熊山の山腹にある岩窟であった。 高熊山は上古は高御座山と称し開化天皇を祀る延喜式内小幡神社があったとされる。高御座山の呼称が高座・高倉と変わり、ついに高熊山へと転化した。古老の伝説によると、武烈天皇が継嗣を定めんとした時、皇太子に目されていた穴太の皇子がこの山中に隠れて一生を送ったという霊山だ。どうしても皇子の行方が分からぬため、武烈天皇はやむを得ず皇族の裔を探し出して皇位を譲った。継体天皇である。 高熊山には古来、一つの謎がある。昔からときどき名も知れぬ鳥が鳴いて、里人に告げたという。   朝日照る、夕日輝く、高倉の、三つ葉躑躅のその下に、黄金の鶏小判千両埋け   おいた 柴刈りなどで山に登るたび、喜三郎は三つ葉躑躅の株を探したものだ。しかし今、骨の髄まで凍る寒空の岩上に座す喜三郎には、そのようなことなど念頭になかった。 神から課せられた修行であった。現界で二時間の体的修行をすると、霊魂は遊離して一時間の霊界修行を命ぜられた。神界・中有界・地獄界を、喜三郎の霊魂はくまなく探検した。現界の修行といえば襦袢一枚で水も食事も絶っての苦行であったが、岩窟の中で金縛り状態で坐っているだけではなく、時には無意識に笹やぶや雑木林を彷徨していたらしい。気がつくと手足が傷だらけになっていたり、絶壁に突き出た蝦蟇岩の上に胡座していた。二時間の現界修行より一時間の割の幽界修行の方が、遥かに苦痛だった。 暗黒の闇が全身を押し包む。逆さなのか、横なのか、方向も時も知れぬ無限の宙に底知れず沈んでいく心地がする。その闇を灰色の粉雪が舞い狂う。つかまえるものもない、全くの孤独の苦しさに気が狂い立つ。叫びだそうにも、のどが干からびていて声が出ぬ。虎狼でも虫けらでも生あるものの声が聞きたい。一目見たい。生きている証が欲しいと、狂気のように喜三郎は思った。 と、ガサ、ガサッと小笹の茂みをふみ分ける重い足音が近づく。闇の中から、真っ黒な巨大な動物が目前に現れた。熊だ――直感が本能的に心身を凝縮させる。熊は喜三郎の鼻先に荒々しく生臭い息を吐きかけ、夜気を震わせて、低く唸った。血も凍る一瞬。この命、欲しくばくれてやる。喜三郎は己を投げ出し、渦巻く巨大なかたまりの中、青く燃える二つの瞳に向き合った。 高熊山の主は巨熊である。夜中に人を見つけたが最後、八つ裂きにして松の枝に懸けていく。 ――そうか、古老が語っていたのがお前だな。ま、ここへ坐れや。 手をのばして熊の首を抱きかかえたい衝動にかられる。恐れは消えて、ただ懐かしく恋しく、生き物同士の共感が、力強く通い合う。熊は生暖かい体温を一時そこに置き、やがてゆっくりと去っていく。 ここにいてくれ、もっとそばにいてくれ、と喜三郎は心で絶叫する。山は深い静寂に戻り、果てしない闇の孤独にひきずり込んでいく。 ――分かりました。神さま。 喜三郎は、声のない声をあげた。 ――世界一切の生物に、仁慈の神の生魂が宿り給うのだ。己れを無にすれば、猛獣でさえ寂しい時の力に成るものを。 河内屋勘吉の顔、若錦はじめ、喜三郎を思うさま叩きのめした子分たちの顔が、いまは、抱きつきたいほど懐かしい。同じ世に生を受けた人間たちが、なぜ憎み合い、怒り、侮り、苦しめ合って争わねばならぬのか。たとえ仇敵悪人たりとも、みな神霊が宿る神の子だ。人ばかりではない。一切の動物も植物も、みな必要な力であり、頼みの杖であり、神の断片なのだ。喜三郎の心は生物への愛と憧憬にふくれ上がる。同時に思いあがった過去の己れへの、苦い後悔に涙を流した。 何日を経たであろう。魂は現界と霊界の無限の空間をさまよい、苦しい修行を重ねつつ、身は依然として高熊山の岩上に坐したまま、身じろぎもせずにいた。寒風は肌を破り、骨を凍らせ、膝は昼夜巌に食われて、すでに感覚とてない。空腹はつのって、いつか限界を脱した。ただ忍びがたいのは渇きであった。泥水でもいい、土でも木の葉でもいい。水気を含んだものを欲して呻きつつ、身は金縛りにあった如く微動もせぬ。気力は衰え、眼はかすむ。餓鬼となって、ついにここに死ぬのか。空を仰ぐ。風に揺られて、松の葉に宿る夜露が一雫、ポト、と喜三郎の唇に落ちる。思わずすするその露の甘さ、美味さ、玲瓏たるその一滴は魂にしみ入り、生きる力を湧きいだす。ああ、この恵み、何にたとえるものがあろう。 苦しみの果てに、喜三郎は知った。 生命ほど尊いこの水を、火にかけ湯に沸かして、温いの熱いのと小言をいって暮らしていたわが振舞い。慚愧の思いに、心の手を合わせる。水、火、そしてこればかりは無尽蔵に許し給うた空気の御恩に、改めて深い感謝を捧げた。 三月一日(旧二月九日)より七日(旧二月十五日)までの一週間の高熊山修行によって、喜三郎は天眼通・天耳通・自他神通・天言通・宿命通の大要を心得すると共に、救世の使命をはっきり自覚した。
 この一週間の高熊山近辺の天候は左の通り。 三月一日(旧二月九日)  降雨・雲行南。 三月二日(旧二月十日)  曇天・寒風甚し・雲行北。 三月三日(旧二月十一日) 朝雪・曇天。 三月四日(旧二月十二日) 朝雪・曇天。 三月五日(旧二月十三日) 曇天。 三月六日(旧二月十四日) 雪。 三月七日(旧二月十五日) 曇天。

表題:床縛り 2巻7章床縛り



 明治三十一年三月二日(旧二月十日)暁闇、寒風に小柄な身をさらに縮めながら、村上信太郎は、開け放しの喜楽亭を覗いて舌打ちした。主のいぬ寝床は、人肌の名残りもない。 ――昨日一日仕事を怠けくさったかと思たら、ゆんべから亀岡辺のだるま芸者でもかかえ込んでぬくぬく寝込んでけつかるのやろ。やくざ仲間に頭どつかれてまだ懲りんのかいな……。 今日からは働けるだろうと期待していた喜三郎がおらんとなると、ぼやく前にせねばならぬことが山積している。信太郎は、女房えんや曽我部尋常小学校一年の長女喜久まで動員しに、あたふたと戻っていった。 同じ頃、多田琴は、上田家の裏木戸をほとほと叩いていた。肉付き豊かな肩と胸をあえがせ、乱れた裾もかまわずに――。 琴の父、中村の侠客多田亀吉は、喜三郎との約束を盾にとり、「穴太でいっぱしの男の名をあげるまで侠客修業中の喜三郎に近づくな」と、娘に言い渡していた。が、風のたよりに「喜三郎が河内屋勘吉の子分若錦一派に半殺しにあった」と知った琴は、我慢の堰を切り、一里近くの暁の道をとんできたのだ。上田家に来るのは、旧正月以来であった。「どうしたのえ、こんなに早うから」 世祢が戸を開けるなり、琴は狭い家内を見廻した。「喜楽はん、どこにいやはるんです」「昨日は喜楽亭で一日寝とったけど、今日あたりもう起きるやろ」「それがおってないんやんか、喜楽亭にも、牧場にも……ひょっとしたら、ここかと思うて……」 出没自在の息子のこと、いつもなら意に介さぬが、出生の秘密を打ち明けた昨日の今日だけに、世祢はドキンとした。思わず宇能の耳に口近づけて叫ぶ。「母さん、喜三の姿がどこにも見えんそうですえ、まさか……」 琴の手前、次の言葉は呑んだが、老いた宇能の顔にも、同じ怯えが走るのを見た。 琴は、懐に抱いていた巻紙を展げて、宇能に示した。「喜楽はんの机の上にこんな物がおした。これ書き置きでは……」 白い巻紙には流麗な筆跡が連なっていたが、ひら仮名ならともかく、漢宇まじりの文面は、世祢にも琴にも読めぬ。自然、八十五歳になる宇能の出番だ。「母さん、早う読んどくれやすな」 世祢にせかされ、宇能は声に出して読む。   われは空行く鳥なれや       親を知りたる時鳥   はるかに高き雲に乗り       下界の人が種々の   喜怒哀楽に囚われて       身振り足振りするさまを   われを忘れて眺むなり       げに面白の人の世や   されども余り興に乗り       地上に落つることもがな   御神よわれと共にあれ 固唾をのんで聞き入る琴は、緊張をといた。遺書にしては、文面に切迫した箇所がない。 ――喜楽はんのこと、いつもの座興で書き残さはったんやな。そのうち、頭かきかき戻ってきやはるやろ。ほんまに、人の気も知らんと。 ちょっと腹が立った。 けれど宇能と世祢は、「親を知りたる時鳥」の一句に胸をつかれていた。時鳥は鴬の巣などに一卵を産み、自分では育てぬ。その雛は同じ巣の鴬の子らを押しのけ、仮親より大きく成育し、やがて巣立つ時が来ると、己れの血を自覚せずにはおれない。実の父を求め、血を吐く思いで叫び続けるのだ。 そんな二人に気づかず、琴は頬を紅くして宣言した。「侠客修業中やから来んとけ言うといて、自分は勝手に遊びまわったはる。何が〃余り興に乗り〃や。あんまりですわ。喜楽はんが戻って来はったかて、うちは中村に帰なしまへんで」 宇能は巻紙を巻きながら、遠くを見る眼をした。「めったなことはあるまいと思うけど、精乳館にも迷惑はかけられん。みなで手分けして捜し出し、ちょっとでも早う連れ戻しておくれ」「その書き置き、どうします?」と、世祢は眼に想いをこめて、宇能に聞いた。「そうやな……そんならちもない物、焚きつけにでもしなはれ。わたしはこれから、産土さまへお詣りしてくるでなあ」
 二日経ち、三日経っても、喜三郎は帰ってこぬ。失踪したのではないかと、ようやく村でも騒ぎ出した。風聞によれば、喜三郎を襲った若錦一派が、再度の鉄槌を下すため捜し廻っているとか。彼らの組織の網の目からも抜け出たのか。琴は、上田家に泊まりこんだまま、多田亀の子分達を督励して捜させる。 四日目、憂い松こと上田治郎松が、いかにも嬉しげに見舞いに来た。「どうや、喜三の奴、まだ見つからヘんこ。村では、いろんな噂が立っとるぞ」「どうせろくな噂やないやろ」 琴の仏頂面を見ながら、治郎松は、舌にしめりをくれた。「どうも金使いが荒すぎたが、節季前やさけ、支払いに困って夜逃げしたんちゃうか。いやいや、どこぞの女と駆け落ちしたんやろ。もしかすると、河内屋の勘吉親分や若錦恐さに、雲隠れしたんやないか――人の口に戸は立てられんいうが、めんめに好きなことぬかしよるわい」 唾をとばしながら、うきうきと喋る治郎松。株内とはいえ、いわばひとの身の変事によって日頃の鬱屈した気分が一掃され、皺の深い面にも生々しい血の色が立ちのぼっている。 治郎松の悪癖を知っていながら、世祢はくやしかった。 ――年がいもなく勘吉の女お玉に手を出して喜三の命がけの仲介で助けられたんは、ついこないだのこと。それもストンと忘れた顔や。うちを後家とあなどって……というひがみも先に立つ。「喜三はそんな卑怯やおまへん。ああ見えても、勇気もあるし、知恵もあるし、人一倍親思いの子ですで」 世祢は涙声になって言うなり、居たたまれずに奥に入る。「あんたまで、喜楽はんのこと、そんな目で見とってんですやろ。妙な女と駆け落ちでもしちゃったぐらいに……」 琴が迫力のある巨体でつめ寄った。治郎松は腰を浮かし、それでもおもろい芝居は最後まで見んと損とでもいう風に、上がり框の端にねばる。「阿呆な。わしが何そんなこと思うけい。第一、喜三には、お琴やんという内縁の妻があるやんけ」 たちまち琴は涙ぐみ、さしうつむく。「あの人が、そんなこと思ってくれはるかいさ。けど、ほんまにどこに消えてしもたんやろ」「八文喜三のこっちゃさけ、夜中出歩いとって河童にでもひきずりこまれたか、山の尾根から転がってどこぞで凍え死んどるくらいやろ。きっと見とってみ、ちょっと足らん奴やったけんど、義理堅う新盆には挨拶に出て来よるで。こうなったらせいぜい成仏を願わなならん。ほんま御愁傷さまなこっちゃのう」 腹が立つ先に、琴は蒼ざめた。 嘘勝の弟上田長吉が、血相かえてとびこんできた。河内屋との一件以来、長吉は喜三郎に恩義がある。彼は彼なりに、喜三郎の行方を捜していたのだ。「ひょっとしたら、もうあかんかも知らんで」 口を開くなり不吉な言を吐いて、長吉は琴を見上げた。 捜しあぐねた長吉は、亀岡五軒町の神籬教院に参拝し、教主中井伝教にすがった。白衣白袴に烏帽子姿の中井伝教は、天津祝詞・六根清浄の祓い・般若心経などを神仏混交的にうやうやしく唱え、ややあって「水辺に気をつけよ、早く捜さぬと命が危い。この男は発狂の気味があるぞ」と稲荷大明神の託宣を述べたという。「そやろ、そやろ。やっぱりなあ。わしの思った通り喜三も土佐衛門か。そんなに悪い男でもなかったのにのう」 聞くなり、治郎松は鼻をこすり上げ、感に堪えぬ声で言う。「やめて。まだ水にはまってへんかも知れん。みんなで手分けして、野井戸や池や川のまわり捜すのや」と琴は、長吉を従えて走り出て行く。 治郎松は煙草に火をつけ、うまそうに一服すって呟いた。「そうや、亀岡によい易者があった。どこの水にはまっとるか、一つ聞いて来ちゃろか」 その足で、治郎松は亀岡へ。「この男は牧場の売り上げを百円ばかり持って、外国ヘ行くつもりや。朝鮮から満州に渡り、馬賊になろうちゅう大野心を起こしとる。一時も早く保護願いを出して、船に乗せんようにせなあかん」 治郎松はその易断に傾いて、水難説から外国逃亡説へと転向し吹聴して歩いたが、牧場の売り上げ金百円云々の件は、共同経営者の上田正定によってあっさり否定された。 同じ株内のお政後家も、じっとしていられない。こういう時は、昔から村の誰もがしてきたように、神だのみか占い以外に手は考えられぬ。日頃信心する宮前村(現・亀岡市宮前町)の宮川妙霊教会で神宣を乞う。 教導職は西田清記。「惚れた女と東に向けて駆け落ち中じゃ。失踪してから一週間目に葉書が来る」 それをお政から伝え聞いた琴は、むきになって否定する。 さればとお政後家、今度は杖を突き突き、篠村に向かう。訪ねた先は、新田で弘法大師を祀っている立江のお地蔵さん、竹薮に囲まれたのんびりした丘陵地帯(現・亀岡市篠町大字篠小字上長)にある地蔵堂で、前の道は西国二十一番札所穴太寺の巡礼道。堂守りは松本つた、かつて牛乳を配る喜三郎を「地蔵眉毛」と言って追いかけ廻した色後家である。病気治し・商売繁盛・失せ物判断・方角占いなどは的中したという。 地蔵のお告げを、彼女は伝える。「喜楽はんは神隠しに会わはったんや。女子にもてすぎるんで、悪い天狗がやきもちやいて魅んじゃった。生命だけは別条おヘん。一週間後に、法外れの馬鹿者か気違いになって帰ってくるえさ」 小雪まじりの寒風の中を世祢や琴・由松・雪・友人たちが、近くの山や谷間を捜し廻る。 琴は太鼓を叩き、雪が借りてきた鉦を鳴らす。「喜楽はーん」「兄ちゃーん」「おーい、喜三やーん。どこじぇーい」 五日目、六日目、依然、喜三郎の行方は、手がかりさえつかめぬ。そして七日目――。 三月七日の正午近く、琴は放心して門口に立っていた。その豊頬も、一週間の苦悩にやつれて翳っている。 ――捨てよいさ、あんな男。父さんとこ帰れば、なんぼでもあんな男なんぞ……。 琴は自分に言い聞かせる。 ――不実な、あてにもならぬ男。また誰か女に手を出して、引っぱられて逃げはったに決まってる、もう心配なんかしてやるもんか。一週間目の今日、葉書がくると妙々さまのお告げがあった。いい気なもんや。どんな葉書寄こすか、それだけ見届けちゃらな。 道の彼方に目を投げかけて配達夫を待ちながら、口惜しさと恋しさが火のように琴の身内をこがす。その視線の先をひょろり、ひょろり、裸足の男がくる。雪雲の重くたれこめた寒空の下を、破れた襦袢一つの……。 あっと、琴が立ちすくんだ。凍傷と掻き傷に血をにじませた男は、髭だらけの顔を上げる。一間ほどの間をおいて、二人は向い合う。「……帰ってきてくれはったん。うちもう離れんえ」 男の胸にぶつかって、琴はすすり上げた。泣きむせぶ大きな体をもて余すように、喜三郎は押しかえす。それにあらがいながら、琴は恋しい男の変わりように、鋭く胸をつかれていた。わずかの間に何と痛ましくも痩せたこと。その上、眼が手応えもなく、琴の体の向こうを見つめている。「あんた、どうしちゃったん。どこか悪いのかいさ。喜楽はん」 琴にゆすぶられるまま、体をぐらぐらさせる。手を離せば倒れるだろう。「お義母さん、誰か……喜楽はんが……」 思わず琴は悲鳴を上げた。 家族・株内・近所の衆が「喜三郎帰る」の報に集まってきた。八方からの質問攻めにも、喜三郎は異様な光りをたたえた瞳をさし向けたまま、黙然としている。「何しとったんじぇい、一週間も……」「どこに隠れとったんやろ」「いや、駆け落ちして、銭のうなって、女子には振られる、裸にむかれて、気いおかしゅうなったんに決まったる」 ――一週間。そうか、現界ではただ七回、昼夜が交代したにすぎぬかもしれぬ。がその間に、遥かな時と空間が、彼らと己れとをへだてたようであった。並みいる顔、顔も、耳にする言葉も、生まれた時から肌になじんできたものであった。それが今は、まるで別世界の住人たちに見える。変わったのは彼らではなく、己れなのだ。 この穴太の土から生命を得、水と光を受けて二十八年、地竹の子のように育ってきた。己れの体内に脈うつ血の宿命を知った夜、突如、魂は松岡天使に導かれて芙蓉山(富士山)に登り、身は高熊山の巌上に座して現界の苦行を修しつつ、さらに神界・精霊界・幽界の果てまでも探訪を経た。千万語を費やしてその事実を証そうとも、誰が納得し、信じてくれよう。 依然として一言も発せぬ喜三郎を、勝手な当て推量も出つくした村人たちが、あきれて見守った。 のっそりと立つ。台所で冷えた麦飯を椀に山盛りし、沢庵をお菜にかきこむ。高熊山から下りる途中、冷たい湧き水に口をつけてむさぼり飲んだ。これが命かと思うばかりであった。この麦飯も……あっという間に二杯。頬ばりつつ、涙ぐんでいた。かつて口にした何物にも増して、遥かに遥かにうまい。二杯で腹の皮がはるや、急激に睡魔が襲った。 眠たい時は馬に千駄の金もいや……。 俗謡の文句が頭をかすめる。泣き顔でつきまとう母や琴に手を振って、ばたり、破れ畳に伏した。巌ではない、畳の心地よい感触。ああ天国や、天国や……。 大の字の肉体をそのまま、喜三郎の魂は天国に浮遊していた。 翌三月八日午後二時。喜三郎の瞼が半ば開く。四、五人の村人が見舞いに来ていて、枕もとであれこれ憶測を繰り返していた。瞼の動きに敏感に目ざめを知って、琴が覗き込む。気まり悪さも手伝って、喜三郎は起き上がるなり、縁からさっと表にとび出した。「待って喜楽はん、どこへ逃げるのや」 琴が、必死の形相で追ってくる。小幡神社の前で、喜三郎は止まった。琴が息をはずませ立ちふさがる。「どこへも逃げん。産土さまへお詣りに来ただけや」「ほんなら、うちも――」 破れ草履に浴衣一枚、遠くへ行く姿ではないと気づいて、琴は握りしめた喜三郎の袖を離した。並んで石段を降り、無人の境内を社殿に進む。神前にぬかづくと、琴もぴたっと寄り添ってくる。「お琴やん、わしは産土の神の前で誓う。駆け落ちでも何でもない。わしはこの一週間、高熊山の岩窟にこもって、神界の命のまにまに修行させられていたのや。長い間、踏み迷うていた無明の世界から、ようやく抜け出た気分じゃ。世のため人のために何かせなならんし、それがわしの使命やと思う」「……」「わし自身、信じられん思いがする。薮から棒にこんな話しても、お琴やんに丸呑みでけんのはもっともや。けどわしは、昨日までのわしと違う。はっきり生まれ変わったのや」「昨日までの喜楽はんと、うちは女房の約束があるん、忘れてへんやろなあ」「お琴やんにはすまん。けど、わしは変わった。神の道に女房はいらん。お願いや、中村へ帰ってくれ」 琴の顔が白くなった。歯でかんだ唇も、色が消えた。眼だけは執拗に、喜三郎の髭もじゃの顔にあてて離さぬ。見返す喜三郎の瞳も真剣であった。「お琴やんをなぶり者にしたと言われるやろ。お前にどんなに面罵されても、しゃあない。多田亀親分や子分衆から半殺しにされる覚悟もできとる。頼む、わしと別れてくれ」 琴の眼から涙があふれ出る。「高熊山で修行したやの、生まれ変わったやのと、見えすいた嘘をついてまでうちと別れたいんか。あんたは、そんなにまでうちが嫌いにならはったん」 喜三郎は狼狽した。自分が嫌われたものと、琴は一途に思いこんでいる。どうしてこの誤解をとくことができよう。まして女の涙には弱い。「人の幸せを守ってくれはるのが神さんでっしゃろ。うちの命がけの恋を邪魔しはって、泣かして、それで神さんか。そんな薄情な神さんとうちをすりかえて、喜楽はんは満足かいさ」「お琴やん、冷静にわしの言うことを聞いてくれ。神の道を進むためには、高熊山の修行だけでは足りん。しばしば神の試しにあい、邪神の群に包囲される予感がする。前途にあたって深い谷もあり、剣の山・血の池地獄・蛇の室・蜂の室・暴風怒涛の苦しみ、一命の危いこともたんとあるやろ。手足の爪まで抜かれ、神退いに退われることも覚悟の上や」 憑かれたように、喜三郎は喋る。話半ばでそれをとどめ、琴は大きな体を猫のようにまるめて、恋しい男の懐に抱きつく。喜三郎の匂い――この匂い、感触は琴の知っている以前のままだ。「好きなこと、言うたり、したりしてもよいえ。侠客にならはる気ィ変わってもうち怒らへん。けど、うちはついていく。誰が何というても、喜楽はんはうちのもの」 狂おしく、琴はかき抱く。離すもんかと、その手に力をこめて。「分かってくれや。捨てるのはお琴やんだけやない。親も弟妹も捨てる。邪魔なものは捨て切って、わしの命を神に捧げる」「邪魔者? うちが?……」 琴は身を引いて、大きく息を吐いた。喜三郎がいっぱしの侠客になるまで邪魔すまいと思えばこそ、恋しい穴太の地から遠ざかってきた。健気な、分別も理解もある妻になりたかった。それも夫の望みがあればこそ、堪え得たのだが――。 邪魔の一言は何よりも鋭く琴の胸を射る。琴の素足の親指がまむしになって、彼女の心の苦悶を語っている。その琴が可愛い。許されれば引き寄せて抱きしめてやりたい思いを、喜三郎はちぎり捨てる。 琴は歪んだ顔を上げて、きっぱりと言った。「うちも多田亀の娘や。喜楽はんの邪魔にはなりまへん」「…………」「ほんまや。けど中村へは帰らへんで。ずっと喜楽はんの家におらしてもらいます」「なんやて」「喜楽はんが神さまの道に進まはるなら、うちはお傍にいて、その弟子にしてもらう」「そんな無茶な……」「なんでいけまへん。神さまの道いうたら万人を救う道ですやろ。いまここに煩悩に苦しむ一人の女がいてる。そしてその女が教えを乞うとるのや。それでも断わるつもりかいさ」 ずるそうに、唇を歪めて微笑んだ。女には珍しく濶達な性格の琴だが、一度こじれるとどうにもならなくなるらしい。琴の言うように、まず救わねばならぬのは、この女かも知れぬ。「よっしゃ、わしの負けや。ほんな一番弟子にしてやる。けど弟子にする以上は、色恋抜きや。約束でけるか」「神さんに見かえられたんなら、うちかてあきらめがつくもん」「わし、これから産土さまにお詣りする。気い散るさけ、さっき帰っとってくれ」「そんなこと言うて、誰かとここで……」「阿呆、色恋抜きやと言うたばかりやんか。言うこと聞かんと破門やぞ」 師に一喝され、弟子は、不承々々に去って行く。二十貫もある大女が悄然と去る姿に、不憫がつのる。己れを愛する女一人の魂すら救いようも知らぬわしに、世のため人のためなどときれいなことが言えるのか。頭をもたげてくる迷いを打ち払うように、喜三郎は社前にぬかずき、必死に祈った。 祈り終わって、境内の小松を根引きし、村道を避け、山伝いに父の墓へと向かう。道なき道であったが、途中、誰にも会いたくなかった。丘の中腹の共同墓地の中にある父の小さな墓石の前に、根引きの小松を植えた。妻にいつわられ、他人の子とも知らずに命を削る思いで育ててくれた哀れな父。血筋がなんであろうとも、上田吉松を実の父と慕うこの気持ちは変わらぬ。「わしの不孝、母さんの不実を、こらえて下さい。よう父さん怒らしたけど、わしが死んだら今度こそきっと霊界で出会うて、ほめてもらうで。見とってや、父さん」   父よ恋しと 墓山見れば   山は狭霧に つつまれて   墓標の松も くもがくれ   晴るるひまなき そでのあめ 父の鉄拳制裁の痛烈な味すら今は懐かしい。高熊山入山以前の自分がいかに無定見な男であったか。自分の努力不足も省みず、人生の矛眉に悲憤慷慨し、若い女を見るとすぐのぼせ上がり、なまじ小才があるために父の望む百姓仕事をきらい、どれほど父に不快な思いをさせたか。だが今は、世の毀誉褒貶を念頭におかず、一途に道を求めて生きる決意ができた。出生の秘密を知った時の惑乱も、人はみな神の子であるという高い自覚に立つと、不思議に安らかに鎮まってくる。「喜三やん、日が沈みかけとんのも知らんと、呆けて墓地に立っとったで」 南隣の八田繁吉(三十五歳)が琴に頼まれ、小幡神社からずっと尾行していたので、喜三郎のこの日の行動は、逐一家族に知れた。治郎松やお政後家が、帰ってきた喜三郎にその理由をしつこく聞き質そうとするが、徹底的に無言を通す。頑固に沈黙を守ろうとしたのは、喜三郎の意志ばかりではなかった。口が鉛でもつけたように重く、手足がひどくだるかったのだ。 夕飯を食うと、喜三郎はすぐ床に入った。 はっきり肉体の変調を意識したのは、翌三月九日未明。四肢から硬直を始め、次に瞼も舌もこわばって動かなくなった。あがきつつ魂は、肉体よりの脱出を試みていた。平常通りの機能を発揮しているのは耳だけである。いや、耳だけが一層鋭敏になり、懐中時計の針の音まで聞きとれる。 気がついてみれば、肉体の喜三郎の瞼は固く閉ざされたままなのに、不自由もなくあたりが見える。見えるのは、自然界の現象ばかりではなかった。いつか芙蓉山に登り、再び神仙の世界にまでわけ入っていた。「よう寝とってや。よっぽどくたびれたはるんやろ。そっと寝かしといたげましょ」 顔を覗きこみつつ、琴が世祢に言う。「喜楽はんの顔、ずいぶん、変わらはった。やんちゃな子供のようなとこがのうなって、痩せたせいやろうか。急に大人にならはったみたい……」「ほんまやなあ。この十日ほどの間に、よっぽど苦労したんやろなあ」「神の道を進むやなんて、本気で考えたはるんやろか」「今は本気やろ。子供の頃から何にでもすぐ熱中するたちやさかい……喜三郎の嫁になったら、一生振りまわされて苦労せんなんで」「かましまへん。うち邪魔にならんよう、ついていきます」 二日目になっても、喜三郎は身じろぎもしない。異常感が家族を狼狽させた。耳元で呼びかけ、撫で、さすり、ゆすぶる。お政後家の進言で大きな灸をすえるが、生きた屍のように反応もない。 三日目、四日目、喜三郎の不思議な容態は、村中に知れ渡った。「喜三はもうあかん。お陀仏や。葬式の用意せんなんわい」と、頼まれもせぬのに治郎松が村中に触れ歩いた。 田野村柿花の吉岡先生が往診に来た。脈をとる。熱を計る。打診・聴診・望診・問診・触診……しきりに首を振る。「どえらい痙攣やで。この硬直状態がこのまま今夜中続いたら、気の毒やが覚悟してもらわんなん。体温があるさけ、死んだのでもなし、仮死伏態ちゅうわけやが、とにかく病名のつけようもないけったいな病気や」 その頃、喜三郎の霊魂は地獄界をへめぐっていた。そして思いもかけず、地獄に苦しむ哀れな父吉松の姿を目撃して、胸のつぶれる思いがした。 ――小心なだけで悪いこともできぬ父がなぜ? あ、そうか。霊界は意志想念の世界やった。貧苦にしいたげられた父さんの想念は、生きてるうちから地獄に籍を置いていた。ほんまの魂の喜び楽しみを味おうたこともない父さんには、そこから抜け出る道が分らへんのや。それで死んでからも……ようし、わしの祈りで、必ず父さんを天国へ救い上げちゃる。 ふいに現実に戻るや、枕元がいやに騒々しい。「悪しきを祓うて助け給え天理王の命、一列すまして甘露台、ちょとはなし、神のいうこと聞いてくれ、悪しきことはいわんでな。この世の地と天とを形どりて、夫婦をこしらえ来るでな、これがこの世の始めだし……」 天理教の布教師斎藤次郎兵衛と二人の弟子が祈祷中であった。大の男が三人、日の丸の扇を開き、拍子木をかちかち叩き、囃し立てる。えらい騒がしい宗教やなと、喜三郎は考える。 斎藤次郎兵衛は、天保元年亀岡町安町の米屋与三郎の次男に生まれた。長じて余部に婿養子に行くが、家つきの妻の素行が悪くて別れ、次に旅篭町の醤油店へ婿養子に行く。ここでも妻に裏切られて養家を出、単身、大阪や京都に行って商売をするが、脚気がひどくて亀岡へ帰る。脚気は生まれた土地でないと治らぬという俗信と、易者の言に従った。女房運が悪く、不遇な半生であったらしい。 明治十九年夏、保津川へ魚取りに行き、安町の下駄屋の主人、二階堂満義と釣仲間になる。次郎兵衛は二階堂に連れられ、京都の天理教河原町分教会に詣って入信した。五十六歳である。 当時亀岡における天理教の講に明誠社があったが、講元の某の素行が悪くて信者が離反、明治二十四年九月、亀岡旅篭町に斯道会(信徒世帯数六百)という講を設立(斯道会本部は京都の河原町分教会)、初代会長に斎藤次郎兵衛が就任した。次郎兵衛は毛の合羽状の物を肩からかぶり、草鞋ばき、巻脚絆で丹波丹後一帯を布教して歩いた。 次郎兵衛は、十柱の神の内話から説き起こす。「天理王命さまはな、紋型ないとこから人間世界をつくり、永遠に変わることなく万の物に生命を授け、その時と所を与えられる元の神、宝の神やで。親元は元はじめに当たり、親しく道具、ひな型に入りこみ、十全の守護をもってこの世の人間を作り、恒に変わることなく、身の内一切を貸して、その自由を保護し、また生活の資料として、立毛をはじめとして、一切のものを恵んでくれはる」「……」「十全の守護の理とはやな、一、くにとこたちのみこと。人間身のうちの眼、うるおい、世界では水の守護の理。二、おもたりのみこと。人間身のうちのぬくみ、世界では火の守護の理。三、くにづちのみこと。人間身の内の女の一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎ守護の理。四、つきよみのみこと。人間身の内の男の一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理。五、くもよみのみこと。人間身の内の飲み食い、出入り、世界では水気上げ下げ守護の理……」「………」「六、かしこねのみこと。人問身の内の息、吹きわけ、世界では風の守護の理。七、たいしょく天のみこと。生産の時に親と子の胎縁を切り、出直しの時に息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理。八、おふとべのみこと。出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理。九、いざなぎのみこと。男ひな型、種の理。十、いざなみのみこと。女ひな型、苗代の理……すなわち、親神天理王命のこの十全の守護によって、人間をはじめとし、万物はみなその生成を遂げているのやで」 なお諄々として説教は続く。「不時の災難・病気・病難・怪我・あやまち等は、心の持ち方が悪いのや。欲しい・惜しい・可愛い・憎い・恨み・腹立ち・欲・高慢の心得違いが原因となっておる。神さまから与えられた寿命はどんな人間でも百十五歳まであるのやが、達者まっしゃで命を全うするには、この心得違いを直すのが第一じゃ。それには、わが身のことは神さまが保証してはるので、人助けの信心に励むのが第一やで。わが身のことは、われが考えるな。一つでも人の喜ぶことをしなはれ。人間の九つの道具、つまり目・鼻・口・両手・両足・男の一のもの・女の一のもの(性器)は、みな体の前向きについている。これは人さんのために喜んでもらうようについている。その理を考え、人のため、世のためにするのが第一じゃ。この病人は全く天の理が吹いたんやさけ、助けたければ、御家族のみんなが一心に天十柱の神にお願いしなはれ」 家族や株内の者の感謝する声しきりである。 喜三郎、説教には感心せぬが、助けようとする次郎兵衛の誠心には打たれる。 明日も来ることを約して、次郎兵衛は帰った。 次に、近所のお睦婆さんの来訪である。彼女は、かんかんの法華信者だ。「天理はんが来たそうなが、あんなものあかんあかん。あんなもんで、このけったいな病気が治るかいな。世の中に、なんというてもお題目ぐらい尊いものはあらへんで」 数珠をもみながら、南無妙法蓮華経を飽くこともなく繰り返す。きき目がないとみると、数珠で、頭・顔・手足のきらいなく撫でる、こする、打つ。次第に本人が自分のあげる題目で興奮して、妙なことを口走り出した。「これ、お前はお狐さんかお黒さん(狸)か知らんがへえ、何が悲して喜楽に憑かんなんのえ。不足があるなら言うてみよし。小豆飯なと揚げ豆腐なと鼠の天麩羅なと何なと好きな物を供えたげるさけ、一時も早う山へ帰んな。これ、聞こえとるのけ。ドしぶとうしとると、お題目で責めますで。ほれ、南無妙法蓮華経……」 数珠で、喜三郎の脇の下の肋骨をがりがりいわせながら、こすりつける。肉体の感覚がないので痛くもかゆくもないが、見ている喜三郎、精神的屈辱には耐えられぬ。狸やの、狐やのと馬鹿にしくさってと憤慨しつつ、魂はまた幽冥の境に戻っていく。 三月十五日早朝、床縛りにあって一週間目のこと、京都東京極の寺町の一角にある誓願寺の祈願僧が訪ねて来た。祈願僧はしゃがれ声で題目を唱え、般若心経を唱えつつ一人で拍子木を叩き、太鼓を打ち、また鉦を叩く。汗みどろになって勤行する熱心さは感謝するとしても、耳が聞こえなくなりそうにうるさい。「これほど喧しく騒がぬと聞こえぬとは、仏さんはよほど耳が遠いものらしい」と、喜三郎はおかしくなり、一首浮かぶ。   拍子木打ち太鼓鉦たたき経を読む       法華坊主の芸の多さよ 御幣を手に持ち、六根清浄の祓いを上げるや、法華僧の体がにわかに上下に震動し始め、狭い室内を転げ廻った。興味半分に集まった近所の者たちまで、固唾をのんで見守る。法華僧は座にいかめしく直り、大声を張り上げた。「われこそは、妙見山の新滝に守譲いたす、正一位天狐恒富大明神なり。うーん、伺いの筋あらば、近う寄って願え」 一座は平身低頭し、息を凝らす。治郎松がおそるおそる伺いを立てた。「ははっ、有難き恒富稲荷大明神さまに、おそれながら上田治郎松、お伺いいたします。いったい、この喜三郎のけったいな病気は何物の仕業でございまっしゃろ」「教えてとらすぞ。うん、今より三十年前、上田の株内に与三郎なる男があったぞ。うん、うん、その男に狸が憑いたわい。うーん。親戚寄り集まり、狸退治と称し、青松葉に唐辛子をまぜて鼻からくすべ、肉体まで滅してしもた覚えがあろう。ふふーん」 与三郎という男が狸に憑依されて死亡した事実を、年寄りたちは知っている。彼らは、驚いてさらにひれ伏した。「与三郎はその恨みを晴らさんため、うん、おのれに憑いていた狸をお先に使い、ここの息子の腹中に棲まわせ、この家の者を悩ます魂胆ぞ。うーん。されどよく聞け、この恒富大明神の神力により、怨敵たちまち退散させん。ありがたく信心いたせよ。うーん。一時ののち、与三郎の死霊も古狸もさっぱり降伏いたす。ゆめゆめ疑うことなかれ。ふふーん……」 どすんと跳び上がって、祈祷僧は正気に返った。僧は得々として、恒富大明神の霊験を語った。琴はいそいそと礼物を並べ、世祢は酒肴をさし出す。喜三郎は阿呆らしくてたまらない。 一時間、二時間経っても、喜三郎の硬直状態に変化はない。霊験をまのあたりに見ようと詰めかけた村人たちは、顔見合わせ、酒に赤らんだ僧の風体を疑わしげに眺め出した。雪隠に行くと言って僧は席を立ち、いっかな戻らぬ。裏口から礼物と共に消え去っていた。 馬鹿らしいと思われるであろうが、これが当時の農村の現状である。能勢の妙見信仰、船岡・宮川を中心とする妙霊教、さらに天理教、金光教などがあった。しかし一般には、稲荷信仰や雑多な神がかりや術者、祈祷者がいて、この地方一帯に根強い力を持っていた。民衆はこのような呪術的な宗教家たちの強い影響下にあり、その霊能を畏怖した。原因不明の病気にでもかかると、すぐに憑依霊の仕業と結びつけ、医者よりも祈祷に頼る。喜三郎の場合も典型的な例といえよう。 黄昏、治郎松の声で、喜三郎の魂は現実に返った。「こいつはどぶ狸が憑いとるに決まったる。第一、のこのこ墓地に参りくさってうろついたんが怪しい。こうなったら、わしらで荒療治や」 お政後家が、思案に余った声を出す。「これだけ神さん、仏さん頼んで、誰がやったかて逃げ出さへんのやさけ、こいつは尻尾が四つ股になっとる、よっぽど劫へたしぶといお狸さんやで。どないするのえ」 治郎松が活き活きと叫んだ。「わしにまかしときい。与三郎の狸を追い出したみたいに、青松葉に唐辛子を混ぜてくすべちゃる」「そんな無茶して、与三郎はんみたいに死んでしもたら……」 琴が蒼ざめて治郎松を睨む。「柿花の吉岡先生かて、こんな状態が一晩続いたら助からん言うとっちゃったやろ。それから三日たったんや。なあに、本人の喜三は、どうせとっくに死んどるわい。ただ狸の息で温といだけや。こいつを早う追い出さなんだら、いつわしらに仇んせんとも限らん。おいこら、古狸、いまに往生さしたるで」 治郎松は水虫だらけの足で思うさま喜三郎の頭を蹴り、爪あかのたまった指で鼻をねじまげる。喜三郎は腹が立ってたまらぬが、不動金縛りの身は、どうすることも得ぬ。 お政後家が治郎松と組んで陣頭指揮をふるい、準備にかかる。火種を運び、欠けた火鉢に炭をつぎ、息を吹きかけて火をおこす。青松葉や唐辛子、山椒粒まで運んできて火鉢に入れる。煙が立ちのぼると、治郎松が団扇でそろそろ煽ぎ出し、喜三郎の鼻孔に送りこむ。 喜三郎は気が気でない。煙をまともにくらい続けたのでは、肉体は持たぬ。この方法で話に聞く与三郎は殺されたのだ。狐憑きとして死んだ伯母賀るも同じく――。善意とはいえ、無知が憎い。鼻孔を刺すうす紫の煙の中に、喜三郎の体は包まれていく。「お義母さん――」 琴が世祢にとりすがった。虚脱して彼らがなすままに任せていた世祢が、突然煙の中にとび込む。「喜三郎や、喜三……」 いがらい煙にむせびつつ、涙に濡れる頬を息子に押しつける。と瞬間、喜三郎は、上方から金色の綱が下がるのを見た。手早く握りしめたと思うや、肉体は元に返って蒲団の上に起き直っていた。「阿呆、わしは狸やないわい」 一週間の高熊山修行による憔悴感は微塵もなく、肉体の隅々にまで活気が充満していた。呆気にとられる彼らを見廻し、喜三郎は言った。「みな聞いてんか。わしは一生分を先休みしといた。これからは神の道に入って、舎身活躍するで」 三月十五日、喜三郎の高熊山入山より数えて、半月目であった。
 翌日、喜三郎は、牧場の共同経営者、上田正定や村上信太郎を訪ね、今までの迷惑を詫び、牧場から手を引く承諾を求めた。上田牧場穴太精乳館は発足以来丸二年、得意客も順調にのび、乳牛も増え基礎は固まった。ともかくも喜三郎の手腕に負うところ大であった。喜三郎の半月の欠勤で、否応なく信太郎は実務に慣れた。配達夫も雇い入れた。喜三郎がいなければ、その分経営者の利益の分け前は増大する。せっかくここまで育て上げた苦心の牧場を捨て、食うあてもない放浪暮らしに逆戻りするのは、誰が考えても阿呆げた話であった。 彼らは一応翻意をうながした上、喜三郎の申し入れ通りに承諾した。 彼らは退職金代わりに乳牛二頭をくれたので、一頭はそのまま精乳館に貸して借用証をもらい、後の一頭は奥条村(現・亀岡市田野町奥条)の農家に預けた。 次に友人の上田和一郎宅に行く。この半月、喜三郎の行方捜しから床縛りまで、和一郎には心配をかけ通した。その友情に感謝している。「よう、喜三やん、心配したぞ。まあ、よかった」 庭先に莚を敷き縄を綯っていた和一郎が、笑顔で迎えてくれた。陽をあびて、和一郎の鼻の頭の横一文字の古傷がきらりと光る。子供の頃、芝居ごっこで喜三郎が誤ってつけた出刃包丁の傷だ。「和一、話がある」 喜三郎が縁側に腰かけると、和一郎もそれに習った。「誰も本気にはしてくれんが、高熊山の修行で、わしはこの世の行末を神より示された」「おい、まだ熱があるんやないけ」「気分爽快じゃ。まあ聞いてくれい。世界の物質文明は日進月歩、数え切れぬ新発明は、神秘の宝庫を理化学上の鍵で無尽に開いていきよる。文明の利器の交通機関はますます増えて地球の上皮を小狭くし、とみに衣食住は贅沢に流れ、神恩を思わず、我さえよけら他人はかまわぬ自由競争の悪習は最頂点に達し、そのまま放任しておけば、世界の滅亡を招くのみや」「確かに理屈はそうやが……」「いや、理屈やない。わしは神からまざまざ見せられたのや。偏屈な道徳、哲学、倫理上の学説は世人を惑わし、偽予言者、偽救世主はあちこちに現われて世人を欺瞞する。各国政府は学術を重視して科学的知識の普及のみを図り、名ばかりの博士や学士はじめ空理空論に生活する一種の動物は雲霞のごとく発生する。真理に暗い世人は物質文明を謳歌して、後に招来する惨憺たる世界滅亡の原因に気づかぬ。精神文明のともなわぬ物質文明こそ恐るべきや。人類の不完全な病的知能ばかり発達させ、徳義と信仰はおいおい浮薄になり精神的和合、愛を欠いた悪く利口な人民が増える一方。今にして、精神文明つまり惟神の大道に人類を目ざめさせ、良き種をまかんと、地球上の生物は全滅せんならん時が必ずくる」 喜三郎が息をついだ瞬間、いそいで和一郎は口をはさんだ。「おい、喜三やん、わしは忙しいのや。くだらん熱を吹いとる間に、用件だけしゃべれ」「それでや、真面目に聞いてくれい。わしは生まれ変わって、いよいよ救世の神業に奉仕する覚悟を決めたのや。わしは神に言うた。『小智浅学なる身をもってどてらい大命など分に過ぎてますさけ、他に人を捜しとくれやす』とのう。しかし神は許されなんだ。今後十年間命を失くさんばかりの辛酸に堪えよと。和一、わしの力になってくれやい」「あほ言え。そんな気楽なことようぬかしよる。わしゃ食わんなん。女房、子もほしいわい。今んとこ別に神さんほしとも思わんさけのう」「友達甲斐に、真先にお前に信仰をすすめに来てやったのに、なんちゅう挨拶じゃ。わるいこと言わん。目ざめてくれ。わしと共に神の道進もうけえ」 和一郎は喜三郎の顔をまじまじと見つめ、嘆息した。「一週間も太平楽に寝さらして、ようよう起き出したと思たら、まだ寝とぼけとるのけ。それとも本格的に頭に来たんか。わしんとこへ来る前に、癲狂院に行きさらせ」「なにぬかしてけつかる。本来なら、そんな無礼なことぬかすお前のド頭かち割ったるとこやけど、神の道に入った今はこらえたる。嬶もろて心が落ちついたら考え直してくれよ、なあ」「おう、気味わる。頼むさけ、帰ってくれ」 親友の和一郎でさえこれだから、どの友達も相手にしてくれぬ。ただ一人斎藤仲市だけは、喜三郎の言に耳を傾けた。仲市は喜三郎より四つ年下の二十四歳、気丈な男で、利にさとい。喜三郎が惟神の大道の意を説き、未来を予言し、穴太の地に教会建設の決意を述べ終わるや、にやにやと笑った。「喜三やん、とうとう一宗一派をひらくのこ。おもろいやんけ」「仲市、わかってくれるか」「わからいでか。けど、お前の説教だけでは、誰も信者にならんのう。なんぞ変わった術でも見せんことには、世間は承知せんわい。お前にその腕があるけ」 仲市を見返す喜三郎の眼が、きらきらした。「もちろん覚えはある。芙蓉山で鎮魂帰神の秘法を授かった。天眼通・天耳通・自他神通・天言通・宿命通の大要もつかんだ。むろん、その修行研磨はこれからやが……」「そう、その調子。喜三やんは餓鬼の頃から神童とか地獄耳とかいわれた男や。これぐらいの山子は成功させるやろ。及ばずながら、わしが協力したる。神さま商売は儲かるちゅうさけのう」 利のために宗派を興さんとする山子――仲市もまた、宗教とは稲荷下げ類似のものとしか見ない。他の友らから一笑にふされた後だけに、この程度の理解者でも逃がしたくはなかった。ぼた餅のうまさは、口で説明するより、まずねぶらせること――惟神の道の真髄は、おいおい理解してくれよう。協力を頼んで辞した。 家へ帰ると、由松・治郎松・治郎松の母おこの婆・お政後家などがものものしく顔つき合わせて喋っていた。喜三郎が牧場を辞め、神さんに凝って山子張って歩いてる噂に、顔色変えてとんできたのだ。母や琴すら彼らと同様、口を合わせて攻めてくる。罵詈雑言を浴びながら、喜三郎は頑として意志を曲げなかった。四面楚歌の中で、神しか頼る存在のないことをはっきり覚悟した。 夜ごと家を抜け出し、小幡神社で幽斎の修行を続け、昼間は犬飼川で禊をしたり、村人を訪ね、惟神の大道について説いてまわる。気違い扱いされるばかりで、誰一人、とり合おうとしない。 生産を放棄した喜三郎の日常を、親類や親兄弟が黙認するわけはない。犬飼川の骨まで凍る浅瀬に襦袢一枚で端座、必死に神に祈っていると、ぴゅっぴゅっとあたりに水しぶきが上がる。頭や肩に衝撃を受け、振りかえると、治郎松と弟由松だ。河原の小石をつかんでは投げつけている。 精神を丹田にこめて耐え、再び瞑想に入る。痛みもなく、心も乱されなかった。業をにやした治郎松は、草履のまま浅瀬に入ってきて腕をのばし、喜三郎の襟をつかんでひきずる。喜三郎は抵抗せず、されるがままに水中に転がった。「ええぞ、やったれ、やったれ」 由松が小気味よげに河原から声援する。勢いを得て、治郎松は小さな体に渾身の力をこめ、喜三郎の体を河原へ引きずり上げる。途端、手がすべったのか、前へつんのめる。起き上がった治郎松の顔は血で真赤。前歯が二本折れてぶら下がっている。足の爪もはがしたらしい。「知らんど、わしのせいとちゃうでのう」 後難を恐れた由松は、治郎松を置いて逃げ出した。血を見て逆上したのか、年甲斐もなく治郎松は、喜三郎にしがみつき、泣きわめく。喜三郎の襦袢に点々と血がにじんだ。「お、おい、何てことしやがる。この年寄りに何の恨みがあって……。さあ、膏薬代だせ。十円だせ。出さなんだら、殺人未遂で訴えるぞ」 もてあまして、喜三郎は、苦笑う。「おっさんが勝手に転んで、勝手に怪我したんやろ。訴えたかて、警察がとり上げるけい」「笑いくさったな。お前に憑いとるもんが、わしをつきとばして仇んしたのや。その証拠に笑ろたやないけ。喜三なら心配してくれるはずや。お前の憑きもんが笑ろたのや。悪神や、偽神や、山子の神や」 わめきつつ、喜三郎の襟首をしめ上げる。「おっさん、わしに憑いたはる神さんはそんな悪い神さんやないちゅうのに。おい、のどが苦しい、離してくれ」「悪い神やなかったら、さあ、わしの血を止めてみい。すぐ治せ」 喜三郎は、仕方なく血で汚れた襦袢を脱ぎ捨て、再び禊をして神に祈る。祈り終わると、治郎松は、怪訝な顔を上げた。「や、血が止まったわい。けど……か、か、勘達いさらすな。出るだけの血が出りゃ、いやでも止まる道理や。歯と指はずきずき痛んどる。この痛み、よう止めんやろのう」 喜三郎は天の数歌を唱える。天の数歌というのは、一霊四魂・八力・三元・世・出・燃・地成・弥・凝・足・百・血・夜出という数の詞であるが、単なる数を表わすだけでなく、言霊学上、宇宙創造から生成の順序が示されているという。詳しい説明を避けるが、言霊によって、真神の力徳を讃美する。「どうや、痛みは止まったやろ」「ふん、どうやらのう。長たらしい文句の間に痛むだけ痛んで止まったのや。お前の祈祷なんか効くもんけえ」 憎まれ口を叩き、足をひきつつ、去って行く。 喜三郎は川で襦袢を洗い、帰って見ると、治郎松はご丁寧に母親のおこの婆さんまで連れ、世祢に抗議中だ。おこの婆さんは七十になるまで、息子の嫁を悋気で何人いびり出したか知れぬ、気の強い女。五十三歳にもなりながら、治郎松は、いざという時、きまってこの母親をつれ出してくる。「お前の憑きもんは、可愛い伜の前歯を二本も折って、足の爪までもいためた悪神じゃ。大体、先祖からの仏さんをやめて神さん拝むなんて、誰が許した。わしは許さしまへんで。喜三公、よいけ。伜の折れた二本の歯を元にもどしてもらわな、この婆が承知せえへんわい」 喜三郎は懸命に神の道を説くが、この親子には一向に通じぬ。世祢まで一緒になって、神の道をやめて百姓に精出すよう、泣かんばかりに訴える。家族や株内の一人さえ説得できない力の弱さに、喜三郎はじれた。
「喜三やん、お客さん連れてきたで」 裏井戸で頭から水を浴びている喜三郎に、斎藤仲市が声をかける。「お客さんって誰やい」「第一号の患者はんや。喜楽天狗さまに二年来の歯痛、治してもらいたい言うたはる」 喜三郎は驚いて井戸端から立ち上がった。「阿呆いえ。わしゃ歯医者やないぞ。お門違いさらすな」「なにぬかす。この穴太に教会つくるいうたん忘れたんけえ。病人ぐらい治せんで、何が神さまじぇい。どこの拝み屋かて病気治しが表看板やど。なんぼでかいこと偉そうにほざいたかてあかん。論より証拠、病気の一つも治して効き目をみせたるこっちゃ。おかげが立つとなりゃ、たちまち先生、神さんに昇格や。お賽銭かて、ぞくぞく集まる」 仲市は声を落として、あおるように言った。「いっちょ、はったりかましてみい。あかなんでもともとや。病は気のもんやさけ、ひょっとしたら、ひょっとするかも知れんぞ」「無茶言わんとけ。それでどこにおるのや」「表に待たしたる」「帰ってもろてくれ」「商売気のないやっちゃのう。とにかく当たって砕けろじゃ」 止めるのも聞かずに仲市はとび出し、すぐに中年の女を連れてきた。 この女は岩森八重といい、曽我部村西条の岩森竹治郎の妻。万延元(一八六〇)年生まれだから、三十九歳になる。八重は休みない鈍痛と心労に悩まされ、それが慢性になったのか、眉間に深い縦皺を刻みつけ、弱々しく訴えた。「もうどないもこないも辛抱でけしまへん。ご飯食べても味ないし、夜も安眠できまヘん。歯医者はんにもせんど通うたし、お稲荷はんやら魔王はん頼んでも、ちっともあかしまへんのえ」 喜三郎は、聞いているうちに八重がかわいそうになった。尻や腰を打った耐えがたい疼きは、何度となく知っている。それが二年間も……できるものなら、歯痛を止めて、この婦人の苦しみをやわらげてやりたい。神さんが本気でわしを使わはるつもりなら、すがってきたこの女をも救うて下さるはずや。 欲も得もなかった。 喜三郎は、八重を神前にともなって坐らせ、心から言った。「わしは医者と違います。わしの力で病気が治せるものやない。けれど、この世には誠心で向かえば、きっと響き返して下はる神さまがいやはります。私も一心にお願いしてみますさけ、あんたはんもどうぞ素直になって、天の神さまにお祈りしなはれ」 八重はおずおずと聞き返す。「あの……天の神さんいうたら、どこの大明神さんでっしゃろ。何ちゅうて拝んだらよいか分からしまヘん」「この宇宙を造られた真の神さま、古典にある天之御中主神は、隠身というてお姿は見えんのや。それでも天地の間の形あるものすべては、その真の神のお体と思うてよい。野に咲く花・土・雪の一ひらもすべて神の顕われ給うたもの。地上にある物だけやない。太陽も、月も、無数無限大の星の世界も、目に見えぬ粒のまた粒、そのまた奥の根源の小さい世界もや。お八重はん知っとってか。その形あるものは、すべて動いとるのや。太陽も星も地球も、それぞれがまわりつつ、確実にめぐり会うとる。流れる水、燃ゆる火、すべてのものは活動しつつ、一定の法則をもってうつり変わり、まためぐってくるのや。冬から春、夏から秋へ、木も草も虫も獣も、それぞれの法則に従って生かされている」「へえ、そんなもんですかいなあ。わたしも、結婚以来、この体を動かせ続けですわ」「人間、眠っている時かて、細胞ちゅうもんは分裂し続けとる」「……」「天地創造の始まりから、一刻の休みもなしに、長い長い年月をうまずたゆまず、いっさいを包んで生成化育してきたものは誰や。美しい調和を保ちつつ、狂いなくいっさいを仕組んでいるものは何や。それこそは真の神の力やないか」「お、おい、喜楽天狗さん、調子に乗って、あんまり間口広げるなよ。そんな理屈っぽい話よりも、手っとり早くどこ向いて拝んだらよいんじゃ」と気をもんで、仲市が口をはさむ。「あわてるない。この天地間に存在するいっさい、いわば宇宙全体が真の神の体であり、力であることが分かった上は、土瓶の欠けたん拝んでも疣蛙拝んでもよいわけや。それも確かに神の体の一断片であるさけのう」「分かった。つまりくだいて言うたら、『鰯の頭も信心から』ちゅうわけか。なるほど一宗一派を開くとなると、こんなくだらんことでも、こねくり廻してもったいつけなあかんわけやのう」「何が『分かった』じゃ。ちっとも分かっとらんやないか。とにかく最後まで聞け」「歯痛一つ治すのに、そんなお説教せんなんのか。これじゃ一日に何人も診られへん。商売としては回転率が悪うて引き合わん」「つまりここが肝心なとこや。子供が母親にすがる時のこと、考えてみい。子供は母を呼んで走り寄る。爪先立って、手をのばして、その胸にすがる。暖かい母の手、やさしい眼――けれど子供は、手そのもの、眼そのものを慕うているんやなかろ。その体の中に満ちている母の愛、慈悲の心を求めているのやろ。分かるか」「なんや分かるような気がします」「……生きものに限らず、形あるいっさいには、霊がこめられておる。その質・量はちごうても、元をただせば、それはすべて神の分け霊なのや。愛も智慧も勇気も親しみも、生まれながらにしてそなわっとる人間は、神の型代やと思う。霊・力・体すべての根元として、宇宙大に神は充ち充ちておられる。そのお力・働き・現われの一つ一つに、昔から八百万の神々の名をつけとるけどのう。巻けば一神、開けば多神や。お八重さんは迷わず、赤子の心になって、真の神の愛にすがりなはい。わしといっしょに……」「はい」 八重はうなずいた。理解したとはいえないまでも、ふっと体が軽くなる思いであった。この世は苦しく辛い。義理、ねたみ、恨み、おそれ、もろもろの荒びにとりまかれて、息づくのさえ重たい自分の日々を一瞬省みていた。 一礼、四拍手、荘重なる天津祝詞、神言、つづいて天の数歌が朗々と奏上される。八重は清らかな感動にふるえて伏した。 喜三郎が八重に向き直り、合掌していた手を真直ぐにのばして頬にふれた。あたたかく幽かな震動がしみ入ってきて、八重は目を閉じる。 五分もたったであろうか。目を開けた時、明るいと思った。のぞきこんでいる喜三郎と仲市に、思わず笑いかけた。「どや、痛みは」 仲市が不安げに聞く。八重は首を振ってみ、頬にさわってみて声を上げた。「どうもないで、あ、あ、なんででっしゃろ」 岩森八重がはずむ足どりで帰っていった後、仲市はにやっとした。八重が神前に供えていったお礼の玉串が、思いのほか厚かったのだ。「喜楽天狗、たいしたもんやないこ。やっぱりわしが見こんだだけはあるのう」 喜三郎は答えない。 初めての病気治しであった。いつの間にか自分の体内にそなわった力が、我ながら不思議だった。いや、恐ろしいといってもよかった。自分の体内に満たされ始めている神の力を、どうつつしんで受けとめ、増し、世人のために使うべきか。その任の重大さに震える思いがする。 翌日も八重はやってきて、神前に畑から上がった春の野菜を供えて拝み、うれしげに座を掃き清めるのだった。

表題:幽斎修行 2巻8章幽斎修行



 神人感合の法を求める幽斎修行のかたわら、喜三郎は、言霊の力によって大衆を導き動かすこと、つまりは演説の習練の必要を感じた。斎藤仲市に持ちかけてみると、派手なことの好きな彼はたちまち賛同。二人は論旨をねって、体当たりでいくことに決めた。 宮川の妙霊教会例祭の夜、二人は会長の西田清記に演説を申しこみ、快諾を得た。太元教会で寄附集めに一席ぶたされたことを除けば、処女演説である。居並ぶ善男善女の輝く瞳がいっせいに集中。喜三郎の胸は轟き、膝小僧が震え、顔や脇の下から汗がふき出す。「惟神の徳性。上田喜三郎……」 演題と姓名を告げただけでのどが干乾び、机上の水さしから水を飲む。ぎくしゃくするすベり出しであったが、次第に熱をはらんできて、無我夢中で一時間余の長広舌をふるう。好意あふれる聴衆の拍手によって、演説の成功を知った。 続いて仲市の登壇。傍らでみている喜三郎は、自分の時以上にはらはらする。 ――「反対」の声がかかると、仲市は立ち往生して眼を自黒させ、「賛成」の声にはにんまりする。正直すぎてどうもあかん。おや、気取った眼つきで、ちろちろどこみとんにゃろ。あ、あそこや、別嬪がおるやんか。しゃあない餓鬼め。 どうやらこうやら喜三郎作成の論旨を展開し終えて、仲市も拍手を浴びる。 気をよくして、その夜は宮川の教会に泊まり、翌日は四里ばかり隔てた船岡の妙霊教会へと向かう。この日、船岡でも例祭があると聞いたからだ。道々、お互いの弁論態度を批判、反省しつつ、喜三郎は、早くも世界の大聴衆を前に獅子吼する不敵な夢を見るのだった。
 深夜、奥の間の神床に向かって喜三郎の半眼合掌。宇能の安らかな寝息、由松の荒々しい歯ぎしりや鼾が背後にある。 やがて喜三郎の感覚から雑念は遠のき、身は正座のままでありながら青い青い冴え渡った空を見た。風が颯っと吹き渡り、目前に山がせまってくる。臘石を積み並べたような階段がずうっと上まで続いていて、高い所の門が小さくかすんでいる。と、天上から山頂に降り立った装束姿の神がある。思わず下から、とんとん段をかけ上がっていった。神はすごい速力でかけ降ってきた。小さなお姿がたちまち大きく迫ってきて、あっと声を放ったなり激突した。 喜三郎の身体は、正座したまま、ぱっと三、四尺とび上がり天井にぶつかりそうになって、どっと落ちる。着座した場所は元の神前。臍下丹田にぐっと力がこもり、熱した一種のかたまりが喉に向かってつき上げる。うむと、力をこめて押しもどす。が、かまわずかたまりはふき出した。「この方は男山八幡宮の眷属小松林命であるぞ。今後十年間汝の身辺に附きそうて守る。いかなる災害にあうとも退くことはならぬぞ。一時の失敗や艱難に出会うて心を変じてはならぬ。天界より汝に与え給うた大任を果たす為に、すべて必要なる試練と覚悟せよ」 喜三郎の体は再び天井までとび上がり、形も崩さず落ちると、眼を開いた。神の去った後の筆舌では言いつくせぬ爽やかさ。神前に伏し、感謝の祝詞を奏上しつつ涙ぐむ。 その夜のうちに再び感合あり、富士山の眷属芙蓉坊がかかってきて、「今より幽斎修行のため西北へ向かって行け。他言はならぬ」との命を伝えた。 すぐ旅仕度にかかった。母や琴の枕もとをすりぬける時、きりっと胸が痛んだ。高熊山修行のおり、気も狂わんばかりの心配をかけてまた……。 喜三郎は筆をとり、一気にしたためる。他言は許されぬながら、もし帰宅が遅れた場合のために。 火のように激しい心をうちつけて、自覚した神業への奉仕とそのための修行を述べ、不在中は神前に燈火を献じて、無事神命を遂げ帰宅する日を待つよう、書きおさめる。末尾に《鬼三郎》と署名した。 筆を置いて、ぬれたままの筆あとを眺め、妙な気がする。あ、何でまちごうたやろ。自分の名やのに、喜を鬼となぞ。まあどっちゃにせよキサブロウや。何につけ、書き直しやり直しの好かぬ喜三郎のこと、そのまま封をしつつ、仲市に預けておこうと思った。 斎藤源治宅、かつての初恋の人お蘭の家の東隣りが斎藤元市の屋敷であった。仲市は元市の長男だ。源治家の隠居所の脇道を土塀にそって入ると、いかめしい門屋にぶつかる(現在畑地)。横のくぐり戸から入って広い月明りの庭を抜け、勝手知った仲市の部屋の戸を忍び音に叩く。かつてはこういう方法で悪友を誘い出しては、夜遊びに出かけたものだった。が、今は浮いた心どころではない。かすかに呼んだ。「仲やん……わしや、喜三郎や。あけてくれ」「よっしゃ。まっとれよ」 仲市も、音を殺して戸をあける。喜三郎は、封書をつき出して囁いた。「頼まれてくれやい。よんどころない用事があって出んならん。家の者にも内密や。けど十日も待って帰らんようやったら、この手紙、お琴やんに渡してくれへんこ」 仲市は笑った。「お前が一宗一派を開くなら協力すると、確かに言うたで。そやから患者も連れてきたし、一緒に演説にも行った。つまり、わしは仲間や。とぼけることないやんけ。女のとこへ行くなら行くと、正直に言えやい」「阿呆。神の道に入ったわしに色恋なぞ、もう縁がないわい。信じてくれや。神命で出かける。どこへ、何日か、わし自身分からんのや」 くそ真面目顔の喜三郎を見て、仲市は笑いを止めた。「おい、お前、どうかしてへんこ。小幡川で冷たい水につかり過ぎて、気が狂たんと違うか」「正気やで。生まれて以来や。この通り正気で真面目や。命がけなんじゃ」「お前はいつでもそう言うとるやん」「今度こそ信じてくれ。わしは死んだ気で神の道に入った。わしの体も魂も、もうわし一人のものやない。これ以上は言えん。心配せんよう伝えてくれ、頼む――」 喜三郎は封書を置くなり、夜道を出ていった。 小幡神社に拝して産土神に出修の御挨拶をし、かつて松岡天使と共に夢遊のうちに登った高熊山への道を月明りに踏みしめた。 なつかしい洞窟に座して暫時、心せくままに山を降りて、道を芦野山峠(現・亀岡市田野町佐伯の北方)に取る。東本梅村を経、殿谷村に着き、農家の軒先を借りて休息。早くも東天に紅が広がり、西の山の頂きを輝かす。殿谷峠(現・園部町)・口人峠(現・園部町口人)を越えて西北へ。やがて園部につく。かつて喜三郎が放埒な青春の一時期を送った地である。喜三郎は導かれるように、道を天満宮にとった。 日本二十五社天満宮の一つ、菅原道真公在世中から祠を建て、公の木像を安置して祀ったという、ゆかりも古い生身天満宮である。我が使命の成就を祈り終わって面を上げると、芙蓉坊の重々しい声。「丹後の国、内宮、外宮の元伊勢に向かうベし」 初めて目的地の神示を得て、喜三郎はふるい立った。園部大橋を渡り、観音峠(園部町上木崎から山中に入り新水戸に下る峠)を登りつめて頂上に立つ。目ざす丹後は、重なる山なみはるかに見えぬ。一路、ただ神のまにまにこの道を行くのみ。 峠を下りかけると、足が止まった。神感あり、「この山中にて修せよ」と。山をわけ入って、老松の根方に座した。 右は黒田・左は木崎・東は園部と暮れなずむ人里は、眼下にある。ちらちらと遠く幾多の灯がともり、それも次々と消えて夜は更ける。喜三郎の心は人里になかった。ひたすら魂を鎮めて、神に直面せんと祈り続けた。払暁、仮眠を起こして芙蓉坊が宣る。「園部へ向けて立て」 喜三郎は驚いて反問した。「園部なら元きた道です。丹後とちがいますか。元伊勢詣りはどないなります?」「神は霊であり、霊をもって対するのが道である。お前は神命をうけて、一心に元伊勢を目ざした。お前の精霊は、すでに内宮・外宮の神前に安座した。いま肉体をもって丹後にいかいでも、二、三年の内には改めて詣ることもある。まず園部へ戻り、そこで一週間の修行をせよ」 芙蓉坊の言葉が呑みこめぬわけではなかったが、だまされたような無念さは残った。それでも喜三郎の体は、操り人形のように立ち上がり、登ってきた峠をそのまま園部に向かって下り出す。 内藤菓子店の店先で足が止まった。「おっ、しばらく見んと噂しとったとこやで。旦那はん、噂の御本人が来てはりますで」 職人の八木清太郎の頓狂な声に、主人の内藤半吾、息子の栄次までとび出してきて、喜三郎を迎えた。半吾と対面すると、禁じられていた口がほぐれたように、喜三郎は高熊山いらい身にふりかかってきた神仙との交流を語った。「うーん、どことなしにお前は変わっとったが――。まるきりでたらめ言うとる眼にしては澄んで輝いとる。わしは別に神さん信じとるわけでなし、といってまるきり否定しとるわけでもないが、ま、理外の理という奴があろうとは思えるのじゃ」「喜三やん、それで、その何とかいう神さん、今も喜三やんに憑いたはるのけ」 十九歳になった栄次が、こわごわ声を低めて聞く。「いや。わしは正銘の喜三郎のままやで。けどわしの体は神さんに預けとるさけ、いつでも必要な時、降りてきて使わはる。言霊学からいうたら、人すなわち霊止や。誰かて人間は、宇宙に充ち満ちとる神霊の分け霊を体に受けて生きとるのや。今までのわしは、その宇宙の大元霊たる神に背を向けてきた。そやさけ人を憎み、恨み、そねみ、争うて恥じない狭こい容器の持主やった。これからのわしは精一杯神に向き合い、そこから発する光と熱に清められて、神人合一の境に達する願いをたてたんじゃ。湯呑み一杯の水には何ほどの力がなくとも、大海に合した水は天地を揺がす力を発揮するやろ。その大海の、つまりは元の神の力と合して、神の手足となり、僕となってわしは働くのや」「働くって何するんじぇい」と栄次の頬も紅潮してくる。「人としての本分、使命を尽くすことや。神の分け霊を受けて生まれた人間は、本来、神に代わって、地上を治める主体として、万有の生成化育をたすけ、正しく発展させるべき使命を負うている。神の心を心として、万人が共に楽しんで生きる世を神は願うておられる。ところが、今のこの世の現実はどうじゃい」「人が神の分け霊をもろとる言うわりには、何で悪い奴がおるんやろ。まわり見てみい。我が身の利欲のためには、他人を蹴り落としても出世したい奴ばかりやで」と半吾が苦々しく言う。 喜三郎は胸をはった。「そうや。天地剖判の時以来、霊主体従たるべき神の願いを裏切って、地上には邪気が発生した。年と共に地上は汚れ、強いものがち、我よしの、いわば体主霊従、力主霊従の世と化した。話せば長い物語やが、このままで行けば、この世は神を忘れ、神の分け霊たる本来の人の使命を忘れて、まさに光を失い、さばえなす常闇の世と堕していく。今にして目ざめなんだら、地上は争い喰いあう獣の世となって自滅するばかりや。二度目の天の岩戸を開いて、汚れなき光明の世に立直すべき日が近づいたのや。その御用を、わしは高熊山で悟った。荒ぶる邪神、曲つ神に打ち勝って世人を救う法、それは神と合一するしかないのや」「お前がのう。ふーん」 半吾は笑わなかった。 喜三郎の申し出に応じて、内藤半吾は静かな離れ間を幽斎修行場に提供してくれた。その好意がうれしかった。内藤家の信頼に応えるためにも、喜三郎は一室にこもって鎮魂の法を修し、神との感合の形を求めた。
 琴が、喜三郎の姿を探して、高熊山を始め近くの山や川、谷間をうろつき出したのは、喜三郎がいなくなって二日目。琴をなだめる側にあった上田家の家族たちも、四日目には親族ヘ電報を打って問い合わせる。友人宅をくまなくまわって、聞き込みに歩く。 悪戯好きで策謀家の斎藤仲市は、にんまりした。喜三郎からことずかった封書を琴に示して読んで聞かせ、口から出まかせにあおりたてる。「ほれ見い。これはやっぱり遺書やで。天国ヘ到る道を求め……と書いたるやろが。あいつは神さんから口止めされとるいうて行く先はいわなんだが、高熊山で覚えた仙術をもって、ふわふわと天へ昇ったにきまったる。尻に書いたる鬼三郎の署名かてけったいやんか。喜三やんの肉体は、鬼、つまり天狗に変身し、霊魂は鬼籍に入ったちゅうわけや。そう言えば、別れる時の様子も普通やない。じいっとおれを見つめて、悲しそうに『お琴やんを頼む』いうたかと思たら、もう見えなんだ。なんせ天国にはようけ別嬪の天女がおるやろしのう……」 無責任な仲市の喜三郎昇天説に村人たちの好奇な話題が集まって、遠近に散り広がる。 もう神仏に頼るしかないと、琴は思った。産土さまに願をかけ、「無事、夫を戻させたまえ」と、はだし詣りを始めた。 憂い松こと治郎松は、「問題の男が出て行って穴太も静かになった。これで厄介払いでけたわい」と、人にも触れ、喜びもした。 日ごと夜ごとのぞく度に話題にことかかなかった喜三郎の家は、沈み切って通夜の席のようだ。まことに喜ばしい。習い性となってつい上田家をのぞきにいくと、今日も宇能が一人、きちんと坐って繕いものに余念がない。遠い耳相手では話にもならん。けれど家にいれば、母のおこのが五十を過ぎた治郎松をまだ子供扱い、朝から晩まで小言を浴びせかけるので、くさくさする。やっぱり問題児がおらんと、もめ事がへって、なんやらおもろない。 治郎松は暇をもてあましてきた。何のへんてつもない人生が死ぬほど退屈だ。持病の淋病までしくしくしやがる。喜三公、天国で何ぐずぐずしてけつかるのやろ……。 退屈まぎれに、喜三郎との数限りない思い出を並べ立てて見る。つい最近でも、舞の師匠お玉の美人局にひっかかり河内屋勘吉にいためつけられた時、喜三公が仲にわり入って救けてくれたこと……その勘吉一派に頭を割られた喜三公が一週間も行方不明になり、戻ってきた時、七味唐辛子入りの松葉いぶしにかけてやったこと……。 喜三郎から、何故か治郎松は目がはなせないのだ。一から十まで気にくわぬ。ほっとけぬ。反対せずにはおれぬ。それはあいつが心配だからだ。可愛いからだと思い当たって、治郎松は出かかる涙鼻をすすりあげた。 実のところ、憎いのか、いとしいのか、彼自身でも自分がわからなかった。悪口は言いたい放題、無茶はしたい放題、これほど安心してやっつけられる相手が、喜三郎をおいて誰があろうか。しかも、悪口の種は、存分に彼のまわりにころがっている。 無意識のうちに、治郎松は思うのだった。 ――とにもかくにも、わけのわからん世界に憧れるあいつを、生ぐさい地上に引きずりおろさねば……。今にして自分の膝下におさえつけねば、あいつはふわふわと誰の手にも届かぬ世界に行ってしまう。言わんこっちゃない。あのガキ今度こそ……。 治郎松は躍起になっていた。
 園部での修行を五日で終えて、喜三郎は帰ってきた。出修の日より数えて一週間目、夜道をまず小幡神社に詣り、帰村の挨拶と感謝の祝詞を捧げる。この時、喜三郎にかかられたのは、白髪の老神言霊彦命。かつてこの社前で、三条の学則を螢光の文宇で示し給うた神であると直感する。 ――神人感合の道は皇祖の以って皇孫に伝うる治国平天下の大本義なり。我が国、上代天皇、世々自らこの法を行なわせ給いて、国家の大事を神慮によりて決し給う。治国の大本は神祇を祭祀するにあり。祭事には二種あり、形を以って形に対する顕斎と、霊を以って霊に対する幽斎と。顕斎は神殿に神を象り、供物、祭文を捧げる祭祀の道として伝承さるるといえども、幽斎即ち、神人感合の法は我が国に仏教伝来してより追々衰え、中世以降その術を失うこと久し。時機至りてここに汝に伝う。その精神を練磨し、万難にたゆまず屈せず自らきわめてよくその妙境に達すべし――。 ひらめくように、喜三郎はその修法の形を見た。そらんじている古事記・書紀の一節々々が湧き上がり、心眼に映じてくる。
   仲哀天皇の条――(古事記中巻) 其の大后息長帯日売命(神功皇后)は、当時帰神りたまへりき。故れ天皇、筑紫詞志比宮に坐しまして、熊曽国を撃け給はむとせし時に、天皇御琴を控かして、建内宿禰大臣沙庭に居て、神の命を請ひまつりき。是に大后、帰神して言教へ覚したまひつらくは、西の方に国有り。金 銀を本めて、目の炎耀く種々の珍宝其の国に多在るを、吾今其の国を帰せ賜はむ、と詔りたまひき。爾に天皇答へ白したまはく、高き地に登りて西の方を見れば国土見えず。唯大海のみこそ有れとのりたまひて、詐為す神と謂ほして、御琴を押し退けて、控きたまはず、黙坐しぬ。爾れ其の神大く忿らして、凡茲の天下は汝の知すべき国に非ず。汝は一道に向ひませ、と詔りたまひき。是に建内宿禰大臣白しけらく、恐し、我が天皇、猶其の大御琴あそばせとまをしき。爾稍其の御琴を取り依せて、なまなまに控き坐しけるに、幾多もあらずて御琴の音聞えずなりぬ。即れ火を挙げて見まつれば、既く崩りましにき。   神功皇后の御紀――(日本書紀巻九) 九年春二月、足仲彦天皇(仲哀天皇)筑紫の橿日宮に崩りたまふ。時に皇后、天皇の神教に従はずして、早く崩りまししことを傷みたまひて、以為さく、祟りたまふ所の神を知りて、財宝国を求めむと欲ふと。是を以て群臣 及び百寮に命 せて罪を解へ過を改め、更斎宮を小山田邑に造らしめたまふ。三月 壬 申 朔、皇后、吉日を選びて斎宮に入り、親ら神主と為りたまふ。則ち武内宿禰に命せて琴撫かしめ、中臣烏賊津使主を喚して審神者と為す。因りて千繪高繪を以て琴頭尾に置きて、請ぎまをして曰さく、先日に天皇に教へたまひしは誰の神ぞ。願はくば其の名を知らま欲しと。七日七夜に逮りて、乃ち答へて曰く、神風の伊勢の国の、百伝ふ度逢縣の、拆鈴の五十鈴の宮に所居神、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命。
 太古からわが国固有の帰神術があったのだ。即ち、その古法式は、琴師と神主と審神者(沙庭)で構成する。古事記の、御琴を控かす天皇、沙庭に居る建内宿禰、帰神する大后。書紀の、吉日を選びて斎宮に入り親ら神主となる神功皇后、琴撫かしめる武内宿禰、審神者と為した中臣の烏賊津使主。 しかし琴、琴曲を弾くなぞ誰ができよう。喜三郎の瞬時の困惑をふき消すように、幽かに、明澄に、優しく、ユーユーと魂にしみいる音色が聞こえる。目を閉じると、それは審神者の神が琴に代わって吹きならす、石笛であった。天然のままの石であろう、中程に小さく穴が抜けている。音色は美しく、幽玄なる調べを奏しつつ、かすかにかすかに消えていく。尾を引く余情――。 陶然たる喜三郎の背に、乱れた足音が迫ってきて、止まる。 ふり向かなかった。そのはずむ息づかい、夜気を通じて伝わってくる体の温みだけでそれと知れる、可愛い女だ。が、仇敵に出会うよりもなお、今は喜三郎の心に重い。 琴は喜びの余り息をつめ、目をみはって、叫び出そうとするのどを押えた。はだし詣りの心願をたててわずか三日目、産土さまは恋しい夫を返してくれはった。闇の中に端座し合掌しているこの男。振り向いてもくれはらへんけど、星明りに白っぽく首から肩、少しまるい背ヘと恋しい人の輪郭が浮いている。 安堵の思いは、たちまち感謝をとび越えて、堪えがたい悲しみと恨みに琴を変える。 ――この背は妻と知ってうちを拒んではる、あんまりや。 石笛の音にも似た幽かな忍び泣きが喜三郎の胸を刺し、身も魂も縛り上げ、幽冥の境をかき消して現実へと引き戻していく。「祈事の邪魔になる。帰ってくれ」「ここでおとなしゅうしています」 く、く、と琴ののどが鳴る。「泣かんでくれ。先に帰っとってくれや」「うちかて祈事があります。産土さまはうちの願いを許して、七日も行方の分からぬ人を返してくれはった。うちがお詣りするのは勝手でっしゃろ」 琴は、身をすり寄せて喜三郎の脇に坐り、高々と拍手を打ち、平伏する。しかしその心は神に向かわず、横の夫にのみ向いているのは、すねたような背のうねりでわかる。喜三郎はほっと吐息した。「所詮、男と女や。色恋抜きでつき合えるものやない」「うるさい。お祈りの邪魔です」 伏しながらそういう琴は、その実、体全体で次の夫のやさしい言葉を待つ。だが喜三郎には、それが言えない。「わしは神界に仕える身や。お琴やんがいたら修行がでけん。分かってくれ。中村に帰ってくれ」「知りまへん、知りまへん」 左右に首を振りながら、激しい鳴咽が明け方のしじまをふるわす。喜三郎は、泣くにも泣けぬ思いで、乱れた心を鎮めんと、太祝詞を唱える。祈り終って、ふと思案が浮かんだ。「お琴やん、頼みがある。聞いてくれ」「いやや。中村へは帰りまへん」「そうやない。もっと大事な頼みじゃ」 喜三郎は、琴の面肩をつかんで引き起こした。琴は抵抗をやめて、顔を上げた。涙にぬれた琴の頬が、夜明けの薄明に光っている。美しい――とっさの感慨を、喜三郎は払いのける。「お琴やん、わしと一緒に神の道に進むつもりなら、神主になってくれんか」「神主?」「そうや。幽斎修行の一つ、神人感合の法を実地にためしてみたい。それには神主と審神者がいる。神主というのは神の台や。おまえに神がかかられる。審神者は、その憑き神を見判ける役目じゃ。それはわしがやる」「へえ、そんなむつかしいこと、うちにできるやろか」 琴はぱっと瞳を輝かす。「できるか、できへんか、やってみんと分からん。審神者をやろうというわし自身、どんなものやら見当とれんのや。なんせい、先生いうもんもおらんさけのう」「稲荷下げのお台はんに習うたらあかんのん?」「あほう、狐や狸呼ぶのとちゃうで。わしはこの宇宙の仕組みを知りたい。高熊山の修行で、顕・幽界のおよその見聞は実地にしとる。しかし、神さんのお示しを自在に受くるべき僕となるために、千年来廃絶しとった幽斎の古法式を復活せんならん。正神界と現実との交流、感合が必要なのや」「喜楽はんといっしょやったらかまへん。うちにできること、何でもするえ」「おっきに、お琴やん。これは二人だけの、つまり自分たちだけの利欲のためにするのやない。天下国家のため、人類の幸せのためにするのやで。そこんところをようく腹におさめてくれよ。決していたずら心ではない……」 琴は、まるで恋人同士が初めてその心を打ちあけ、秘密を誓いあうような興奮に、頬を染めてうなずいた。 喜三郎は表情をひきしめて、きびしく念をおす。「甘えたらあかん。わしのためにするという心をいま限り捨ててくれ。お琴やんの心はわしを離れて直接神に向かわな、正しい感合はできへんのや。心を清めて、明るく素直に一途に神を念ずる。ただそれだけでよい。が、もし心乱れ、神を離れたら……」「え?……」 琴は、苦しげに黙り込む喜三郎を覗く。「……いわば生体実験や。危険な淵を越えていかんなんのやで」「むつかしいことうちには分からへん。でも喜楽はんの言う通りに神さま拝んだらええのやろ。それ位できるえさ」「お琴やん、一口に神いうてもなあ、正神界の神もあれば、妖魅、即ち邪神界の神もある。正も邪も力に応じてそれぞれ無数の階級に分かれておるのや。心正しければ正神に感合する。が万一心乱れてよこしまな時、瞬時に邪神に魅入られる。神主はそのどちらの容器にもなり得る。もし邪神がかかれば……審神者のわしに、それを見判け、追いのけるだけの力がなければ……お琴やんは生きながら魂を妖魅界に渡すことになる」「かまへん。うち、神主になる」 いとしいやつ……喜三郎の心は感動に揺れて、たちまち涙になる。あわててそれをかくし、琴の手を引いて立たせた。朝霧が琴の束ねた髪をぬらし、樹々の小枝をおおう無数の蜘蛛の巣に白くからみつく。 はだしの琴に自分の草履を貸して、二人は小幡川の河原に降りた。来たるべき幽斎修行に必要な二種の石を捜した。一つは黒く正円の小さな玉石。一つは半ば、いや、理想的にいえば完全に穴の抜けた天然の石笛を。霧に濡れた石の一つ一つは、神授の宝石のように光っていた。
 雪のような白衣に紫の木綿袴、黒髪は束ねたなりに背に流した琴。羽織袴の喜三郎。犬飼川の清流に禊して身も心もひきしまった二人は、上田家の神前に坐して顕斎に入る。形に現わして拍手し、祝詞を奏上し、祈りを捧げた上で、二人は一間離れて向き合った。いよいよ幽斎に入るのだ。琴の前には、三方に安置された純黒正円の鎮魂の玉がある。もう二週間、琴はこの石に対して目を閉じたまま、一心不乱に我が魂を集中する鎮魂の法を修めてきた。 遊離する魂をわが丹田に集め、満たし、豊かに安らけく整えて、自在に運転活動し得べき前の静的状態とする。それを徐々に石の一点に向けて放つ。太陽の光線もレンズで集中すればたちまち火を発するように。 閉じた瞼の前に、ありありと黒い鎮魂石が浮いてみえると、琴は思った。その時、りゅうりゅうと耳朶を震わせて石笛が鳴る。遠く、近く、低く、高く、その音色が琴の魂を幽冥の世界にいざないだす。と、はっと石笛の音が止まって、琴は眼を開いた。訪う声が土間に聞こえる。 喜三郎が、石笛を置いて立ち上がった。琴は不満だった。やっとのことで今一歩、神との感合が果たせたかも知れぬ瀬戸際までいったのに。無念の思いに唇を噛んだ。 来訪者は、斎藤仲市だった。「大事な話がある。すまんがうちまで来てくれ」 仲市と連れ立って斎藤家離れの六畳間に行くと、仲市の父元市(五十歳)・叔母志津(三十三歳)・妹たか(十二歳)が待っていた。 仲市がまずきり出した。「家中で相談したんやがのう、お前んとこは家族もようけおって狭いやろ。それに株内のあれこれがやかまし言うて妨害にきよる。おまけにうかうかしとったら、またいつ河内屋一家のなぐりこみがこんともかぎらん。わしも心配しとるねん。それで考えたんやけどのう、この離れは、先から空いとるんや。庭内も広いし、門屋やさけ、のぞかれることもない。静かなもんや。一つこの部屋を喜三やんに提供しようやないか、ゆっくりと心を鎮めて幽斎修行してもらわんなんでのう」 元市がせかせかと口をはさむ。「けど何も只やないで。いずれたんとお賽銭が上がるようになるやろ、その時は半々。ま、そこは相談やが、部屋代ちゅうこともあるさけ……」 喜三郎は頭を下げた。利害をぬきにした話とはいえないまでも、ともかく斎藤元市親子は喜三郎を認めた。その上で庇護しつつ、修行の発展を願っていてくれるのだ。彼らの好意がうれしく身にしみた。「それからも一つ、この志津やが……」 元市は、妹をかえりみた。三十三歳になる現在まで嫁の口もかからない志津は、斎藤家の悩みであろう。身長四尺足らず。小さかった。坐っていればそれほど目立たなかったが、立ってもさして変わらぬ。「あまり外にも出したことないのや。体がなんせ弱い。ところが、お前の噂聞いて、神さん信心したいと言うとる。お琴やんといっしょに、ここで修行さしてやってくれや」 そうか、そのためもあって……喜三郎は元市の兄心を察して、深くうなずいた。元市の次女たかは尋常小学校を出て、近所で縫い物を習っている。「うちかて、川に入ったり、拝んだりできるで」と父にせがむ。「お前はまだ子供や。足手まといになるやろ」「ほんまいうたら、神主の適齢は女子なら無垢な十二、三歳が理想なんや。年とるほど俗世間の智恵が邪魔するさけのう」 喜三郎の言葉に、たかは無邪気にはしゃいだ。 四月初旬、斎藤家の離れは新しい神床が木の香をただよわせ、白衣に緋の袴、水引きで束ねた髪を背に垂らした女たちがそろった。多田琴(二十三歳)・斎藤志津(三十三歳)・斎藤たか(十二歳)、他に岩森ゆき(四十三歳)・とく(十三歳)の母娘が、岩森八重の紹介で西条から参加してきた。合わせて修行者は女ばかりの五名となる。「ありゃ、あんなとこで何してはんにゃろ――」 早朝、種まきを終えた農夫が鍬を洗いにおりてきて、たまげた顔をした。密生する竹薮に視界をおおわれた、下河原の木橋の上の淀みである。白い晒し木綿の水にぬれた下着を肌にはりつけた女たちが、流れに浸って坐っている。「おーい」と呼んでみた。見えず聞こえぬのかしんと静まり返って動かぬ。無気味になって、農夫は河原をぬけ出た。仲間をつれて戻ってきた時、淀みには山桜の花びらが浮くばかり。朝まから化かされおってと、仲間が嗤った。 朝夕の禊の他、午前三回・午後三回・夜二回、合わせて一日八回の修行だ。正座瞑目、人さし指を立てて合わせ、左親指の上に軽く手を組む。喜三郎の吹く石笛の音がしみ入るように心を震わす。 この人たちとは違う――と多田琴は思っていた。うちは喜楽はんを愛しとるのや。昨日今日の女たちとは違う。神さまが降りてきはったら、まっ先にうちにかからはるはずや。負けられへん……。 日が翳ったように暗くなると、後頭部から下腹部へズシンと落ちこむものがあった。感覚が重たくしびれてきて、喜三郎を呼ぼうにも口が開かぬ。真赤な火花が散って、琴は意識を失った。 喜三郎は、胸前に組んだ指を琴にふり向けた。待ち望んでいた初めての体験であった。 琴の白い面が紅潮してきて、頭を前後左右に動かす、手を激しく上下に振る。と、突然、二十貫の琴の体が、マリのように跳ねた。つづけて軽々と坐ったままとび上がる。が、体の落ちる時の震動は、さすがに大きかった。他の修行者たちは、隅ヘ固まって息をのんでいる。いわゆる《体を切る》という、神ががりの初期現象である。三、四十分で一回目の琴の発動は収まり、目を開いた。 一時間の休息の後、再び琴は感合する。琴の巨体が憑依霊に自在に操られていく間、震動のため、床は一、二寸も下がり、障子や襖までひとりでに倒れるほどになった。琴の激しい反応は、一同に強い刺激となった。 続いて斎藤志津が面相を変え、手を震わせつつ、とび上がり出した。戸障子の痛みに機嫌をわるくしていた元市親子も、志津の神がかりに喜んで修行に加わってくる。 四、五日で琴の体は整い、神主の座につくや、口を切り始めた。「し、し、しらたき」 憑霊が琴の口をかりて、喜三郎に語ろうとしているのだ。審神者の坐にいる喜三郎の体は、寒気を吹きつけられたようにこまかく震えてきた。鎮魂の姿勢を正し、丹田に力をこめて、喜三郎は言葉鋭く問いつめる。「多田琴にかかりたる神のお名は」「し、白滝大明神じゃ」「どこから来やはりました」「ふ、伏見、官幣大社稲荷大明神の眷属、三の滝に守護いたす白滝……」 急に琴の顔面はゆがみ、目を吊り上がらせて居丈高に言いつのる。「その方、神に対して無礼である。改心してこの方に従え。さもなければ、この家に大なる禍を降らしてやるぞ」「その方は正神やない。その方の言辞・挙動、一として神たるの資格は認めぬ。禍をもってわしを欺こうとしてもあかん。邪神よ、立ち去れ」「く、くやし、無念。この神主にかかろうとして長く苦しんだのに……見ておれ」 一たんその体を占有した邪霊の執念のすさまじさ。こぶしを震わし、歯をむき出すや、審神者めがけて喰いついてくる。喜三郎の口から、えっと裂帛の気合がほとばしった。雷光が琴をつらぬいたようであった。跳びはねていた志津が、バタリと落ちて動かない。苦悶のうめきが琴の唇から洩れ、体をよじらし、ごろごろと転げる。手を後にまわし、頭を畳につけて身もだえる。「その方、神の御名を詐る妖魅じゃろう。許さぬぞ」「苦しい。この縄、許してくれ……う、う……」「必ず改心せよ。許す」 琴の体はたちまち一、二尺舞い上がり、どしんと落ちる。昇霊したのだ。志津も起き上がってくる。一同声もなく、喜三郎のまわりに集まった。「お琴やん、どうや。痛うなかったこ」 喜三郎は、やや蒼ざめて聞く。琴に、憑霊時の記憶はなかった。体をあちこちさすって、首を傾げた。「どこも何ともない。一体うちどうなったんやろ」 喜三郎は、初めての実地の体験にゆれる心を鎮め、神前にみあかりをともして、感謝の祝詞を奏上した。 目撃していた仲市が、目を光らせて喜三郎に問いかける。「何したんや喜三やん。邪霊が食いついた時、ほんまにひやっとしたで。けど、どうやってあいつを追いのけられたん……」「わしにもよう分からん。何せ必死やった。とっさに霊縛の法がでけたんや。高熊山修行の時、幽界、つまり地獄界を探検した。そのとき案内してくれはった異霊彦命から、教わったことがあった。しかし現界で実地にでけるとは……」 神霊の厚い御加護がうれしかった。けれど喜びの反面、鋭い不安が心を刺していた。琴ばかりではない。修行に参加した者たちは、いわば未踏の世界への実験台であった。霊界については全く無智な現界人に神の実在・神霊界・幽界の存在を知らせて人生の意義に目ざめさせるため、一度はどうしても体でもって挑まねばならない。今その手がかりがつかめたのだ。どんなにきびしく、手ごわかろうと、戻ることはできぬ。 心を奮い立てて、喜三郎は一同に言った。「たびたび言うけど、幽斎の修行はよう心をひきしめてかからんと危険や。正神界との感合をのぞむわしらの修行を打ち破ろうと、邪神界は必死の妨害にきとる。憑霊の正邪を見極めるためには、たくさんの霊的体験を積み重ねて、霊威・霊力をとぎすまし、なおその上に、神界のおたすけを得んならん。心正しければ正神に感合し、一寸の油断あれば邪神に感応するのや。神主も審神者自身も、常に心を明るく清らかに保って、邪神のつけ入る隙をつくらんよう気いつけなあかん」 琴は、せっかくの神がかりを思ったほどほめてくれない喜三郎に不満であった。 ――うちが、どれほど喜楽はんのためを思い、身も心も棒げているか、あの人には分かってへんのや。うちの心割ってみせたい。その他には何の邪心もあらへんのに。うちが邪霊のいれものになって、あの人に食いつくなんて。あほらし。信じられへん。 琴の目には、怨ずるような涙がにじんだ。 翌日、禊、顕斎のあと、喜三郎は琴を呼び止める。ふさぎ込んだ琴の様子が気になっていた。「負けたらあかん。ここまでやっと来たんや。あと一歩やで」「負けへんで。うち喜楽はんに見せてあげる。うちの心を。ほんまに邪神つきかどうか」 きっと喜三郎を睨む。「お琴やん……」 言いかけて、喜三郎の心も動揺した。お琴の体に邪神をつけたのは、いわば喜三郎の罪ではないか。ひたむきに投げかけてくる琴の愛をいったんは受けて夫婦関係を結びながら、その愛に縛られ、乱されまいと願う。勝手な男の自己愛ではないか。突きはなされた琴はどうなろう。憎むな、恨むな、妬むな、清らかに明るく真直ぐ行け、と命ずる自分は一体何であろう。省みる心は痛い。 よし、琴の心に邪神が住むならば、自分は、それを追いのけ、追いのけ、共に神霊の宿るまで戦っていこう。琴を導き高めることが、これからの自分の愛とまことの証なのだ。二人が一体となっても乱されぬ境地に至った時、喜んで琴の愛を受ける資格もできる。 喜三郎は審神者の座についた。心を鎮め、神ヘのあこがれをこめて石笛を吹く。やがて、琴の様子が変わって体を切ったのち、慎ましやかに審神者に向いた。昨日とはうってかわった静かな物腰ながら、喜三郎の受ける心の波動、直感は前と同じ、寒さが胴をふるわせてくる。「御名を伺います」「天宇受売命である」「またの御名を告げて下さい」「天のうずめである。その方、疑うとは……」「天宇受売命は正神界の大神。またの名を知られぬはずはない。どの地に鎮祭してあるのです」「伏見の稲荷山じゃ」「稲荷山は何国何郡何村で、開基は何帝の御宇でっしゃろ」「その方、それを聞いて何とする。神を試すとは無礼千万……」「審神者の許されてある職権によって、お伺いします」「勝手にせよ。神はこれより引取るぞ」「そうはさせるか。その方は前と同じ妖魅やろう。大神の御名をいつわる罪は重いぞ」「ゆ、許してくれ、改心する、改心する……」 ふりあげた拳を押えるように、喜三郎は見逃した。邪神がかかった場合、できるだけ説諭して追い払うべきで、みだりに霊縛の法を使ってはならないからだ。 続いて発動した志津が、口を切った。「見違いいたすなよ。お、おれは妙見山に守護いたす天一天狐恒富大明神じゃ。うかがうことがあらば聞いてとらすぞ。うーん……」 志津は体を震わせ、鼻息荒く室内を跳びまわる。喜三郎はもてあまして、大喝する。「野狐下れい」 志津はひっくり返って起き直るなり、やや意識があったのか、審神者に食ってかかる。「あんまりや。せっかく恒富大明神さまがかかってくれはったのに、御託宣も聞かんと何で追い出すのやさ」 琴まで、志津に同情的な目を向ける。「ここは稲荷おろしの場と違うのや。なんぼ少々の御託宣が当たったとしても、正神界の感合以外のものに相手になったらあかん」「そんな阿呆な。せっかくうちにかかってくれはった神さんやんか。これだけ修行して、苦しい思いしたのは、どんな神さんでもええさけ、うちにかかってほしいためやんか。何で喜三やんに追い出されんなんの」 志津は口惜しげに口をとがらせ、さっさと奥の自室に入ってしまう。正邪賢愚そのままに応ずる幽斎のむずかしさを、喜三郎は苦く味わった。しかし、中途で投げ出しては、始めなかったより悪い結果となろう。
 やがて岩森ゆきは修行を断念した。 ゆきは娘とくの上に三人の男子を育てていた。夫儀市郎も健在である。四人目の子を産み、半年で死なした頃から、急に体が衰えてきて、無常感のとりことなった。何をしていても、ふいに不安が襲ってきて叫びだしたくなる。喜三郎にすがって修行をつみ、心の安定を得たかった。死後の世界の存在も、実地に確かめねばすまなかった。が、体の衰えは、若い人にまじっての激しい行に耐えられない。鎮魂に入っても世間智に染まった心が邪魔してか、すぐ雑念のとりことなる。しかし行のあいまに少しずつかみくだいて語ってくれた喜三郎の話がいつか心にしみて、自分を省みることを得、生きる力をとり戻していた。 喜三郎のすすめに従って、ゆきは修行を止め、娘とくを託したまま、母として妻としての日常に帰っていったのだ。 残ったのは女四人、多田琴・斎藤志津・斎藤たか・岩森とく。それに斎藤仲市が加わっていた。仲市もまた、神主の座にいながら、少しの感応もないのをくやしがっていた。彼らは発動の激しさ、体を切る(座したまま跳ぶ)高さ、大言壮語などが憑霊の強さ、大きさを示しているような錯覚に捉われていた。喜三郎にもそれを否定するだけの、はっきりした知識も体験もない。暗中模索の段階だった。 元市は庭の手入れにことよせて、ちらちらと幽斎室を覗きに来た。気になってならなかったのだ。ものすごい家鳴りがし、破れんばかりの大声が響き渡った。元市はあわてて縁先から這い上がり、首をつき出した。琴が神主の座にいて、大見得を切っているところだ。「静御前、義経、弁慶、加藤清正、いずれが偉い……われは源義仲の妻、巴御前なるぞ」 歴史上の人霊がついたのは初めてだ。 ――こらおもろいぞ。木曽義仲の戦死の模様も、隠れた歴史の真相も聞かんなん。元市は部屋に上がりこんだ。 喜三郎は眼光鋭く琴に対し、負けんばかりの声を張り上げる。「巴御前なら聞こう。親の名は、出生地はどこや」「わらわは中原兼遠の女にして、木曽四天王の一人今井兼平が妹なり。汝疑うならば、あかしを見せん。近う寄ってわが眼をみよ」 喜三郎は進み出て、いわれた通り琴の眼に視点をこらす。元市も、他の女たちをかきわけて、前に出る。 二人は、うーんと、うなった。琴の両眼の角膜には、まごうかたなき二つ巴が、真紅の色を染め出しているではないか。巴御前の眼に巴のしるしがあったとは聞かぬが、男をもしのぐ大柄な体躯、色白の美貌、凛然たる気迫、まさに巴御前を髣髴させる。ほんものらしいと信じかけた。 やにわに琴がとびかかり、喜三郎の頬をぴしゃぴしゃなぐった。「馬鹿審神者の盲審神者、この方の正体が見破れぬか。は、は、は……教えてつかわす。我こそは鞍馬山の大僧正なるぞ」 今度は志津が発動して跳び上がり、またまたこりずに名乗りを上げた。「われは妙見山に守護いたす、天一天狐恒富大明神なり」 琴と志津の強力な神ががりが誘い水となったのか、斎藤たかと岩森とくが発動し、口を切り始めた。最初は舌がもつれて、なかなか言葉にならぬ。幾度も吃ったあげく、不明瞭な言葉をわめいた。このように集団発動しては、まだ審神者経験不足の喜三郎、完全に動転してしまった。「静まれい、野天狗ども。かーっ」 霊縛をかけても通じぬ。妹のたかの頭を、仲市がぶんなぐった。いつのまに憑霊相互の秩序ができたのか、志津・たか・とくは審神者の存在を無視しきって、強力な琴の憑霊の命を仰いでいる。琴は、さも心地よげに胸をそらして叫んだ。「鞍馬山大僧正の命令なるぞ。この修行場はすでに穢れた。今より中村へ移るぞ。眷属ども、供して参れ」 ひらりと琴は庭に跳び下りた。他の三人も唯々としてそれに続く。「無茶すなや。お前ら、行ったらあかん」 仲市が驚いて前をさえぎったが、子猫でもつまむ風に琴に吊り上げられ、ぽいと投げとばされる。元市は娘たかの袖をつかんだ。が、琴に一喝されるや、すっとんで大樹のかげに隠れて震える。 一行は斎藤家の門を出、小幡橋を越え、中村へ向かう。琴が先頭に立って訳の分からぬ歌をうたい、他の三人はそれに合わせて石や瓦を叩く。「テンツクテンツク」合唱しながら足拍子をとる。大女・小女・少女たち。白衣に緋の袴をつけ、ふんぞり返ったはだしの行進だから、壮観とも奇観ともいいようがない。その後から村人たちが、何事ならんとぞろぞろついて歩く。「喜三やん、何しとるのや、早う追わんかい」 仲市が起き上がるなり叫ぶ。座敷に悠然と座したままの喜三郎をよく見れば、目を白黒させて苦悶の様子。女たちの行進も気がかりだが、友の異常も見捨てておけぬ。「どないしたんや、喜三やん。あ、そうか。言うことあんにゃったら、わしが代理で聞いたる」 審神者のはずの喜三郎まで感染し、発動寸前なのに気がついたのだ。あわてて仲市は喜三郎と対座した。 のどに飴をつめたような目に合わされて、喜三郎の口が切れた。耳を凝らすと、自分の口から語る言葉と仲市との対話が、遠くかすかに聞きとれる。仲市が緊張した顔で叫んでいる。「ど、どなたはんで。いや、えへん。いまかからはった神さんのお名はいかに」「この肉体を高熊山へ連れ行き、その霊魂を富士山まで導いた松岡天使である」「はあ、はあ、松岡はん、そや、喜三やんから聞いとった。洋服着てはるハイカラな天狗はんで……」「神はその時々で、姿、形を自在に変えるわ」 臨時審神者の仲市は、度胸を決めて四角く肩を怒らす。「されば、おうかがい申す。何故、喜三郎の肉体にかからはったんや。その理由はどないや」「その方たちの知る所ではない。それよりも神業を急げ」「へ、へい……」「されど現界には現界の法則がある。いかに惟神の大道の宣布とはいえ現界では資金がなくてはなるまい。神が五万円つかわそうか」「五万円、ひえーっ。あの、ほんまに……」 仲市が頓狂な声をあげた。庭から泳ぐように元市が割りこんできた。女たちの行列の殿については行ったが、気になって喜三郎を呼びに舞い戻り、この話を聞いたのだ。「神が使うのじゃ。穴太の神定の地を買収し、神殿を建て、神道本部を設けて全国に布教するにはさしあたり五万円でどうじゃ」 息子を押しのけて元市が審神者の座に上がり、法も何もない、ただ欲の一心で畳に平伏した。「ははっ、ありがとう存じます。どんな仰せにも神かけて従いますさけ、早く五万円を授けたっとくんなはい」 元市は、喜三郎の前に両手をつき出す。仲市は分別あり気に父親を制し、「いかに神さまいうても、札束天から降らさはるわけやなかろ。恐れながら松岡さま、その方法を御教授願います。いずれ相場ででも儲けさせてもらえるんでっしゃろなあ」「相場のことは、松岡には分からぬ。松岡に代わって、大霜天狗を呼んでつかわす」「大霜天狗、そ、それはどういう天狗さまで、いや、いかなる神にましますや」 仲市も懸命である。「百年前、大阪に坂井伝三郎なる相場師があった。坂井は、今の金にして八十五万円の財産を相場で失い、僅かに残った財産を、堺の住吉神社に献上したのじゃ。いまは住吉の大眷属大霜天狗となって、相場の守護をいたしておる。相場のことは大霜につまびらかに聞くがよい。松岡はこれにて引きとる」「まあまあ、ちょっと待っとくれやす。もう一言だけ松岡さま……」 未練げに元市が引き止める。が、喜三郎の肉体をぱっと三、四尺も宙に巻き上げ、松岡天使は昇霊した。 元の喜三郎に戻るや、斎藤親子は、目の色をかえて、今の話を取次ぐ。 現界に神の道を広める以上、資金が必要なのは当然だ。すべてを投げうって神の道にとびこんだために、老いた母や弟妹の労働に依存して食わねばならぬ辛さ。どんなに痛罵されようと甘んじて耐えねばならぬのも、みな貧乏ゆえだ。貧乏人の喜三郎を選び神が大使命を下した以上、資金調達に気を配るのは、神でなければならぬ。 ――さすが松岡さまや。現界に通じた話の分かる神さまや。見とれよ。この神業を妨害した村の奴らに、大神殿をぶっ建て、拝跪させたる。 喜三郎の若い血がたぎった。 元市親子は感激を通りこし、蒼ざめた顔を見合わせた。無理もなかった。かつて斎藤家は、持高二十七石六斗三升四合、牛一頭(慶応四年の丹波国桑田郡穴太村宗旨人別御改帳による)の、村で上位の資産家であり、はばをきかした家柄だった。元市の代になって、つい相場に手を出し、病みつきとなった。初めの景気は夢の如く消え、あとはひどい失敗続き。祖先伝来の田畑、資産をほとんど失い、いまやこの抵当に入った家屋敷まで危うく浮いている。ぜひとも金がほしかった。 山子でも何でもかまわぬと、喜三郎にとびついた。妹も娘も修行させ、神さん憑きにさせたい。きっと格別の御神徳があろう。万一山子がはずれても修行場の家賃だけは儲かると、抜け目なく計算ずくであった。「上田大先生さま、まことにお疲れでっしゃろが……」と元市は、満面に媚をたたえた。「そんなに持ち上げんといてえな。元の通り、喜三でええ」 赤くなって喜三郎はうつむく。「滅相な、立派な相場の神さんうつらはるお肉体を呼びすてなぞ、罰があたりまっせ」 仲市まで、のり出してくる。「親父の言う通りや。昨日まで道端で小便かけられとった檜でも、神さまのお社になれば人は拝む。喜三やんは今から変わったんや。尊い神霊のかかられる肉体の宮や。粗末にはできん。大先生さまであかなんだら、喜楽大明神と呼ばしてもろてもええ」「やめてくれやい。松岡はんなら今初めてかからはったわけやないで。わしはわしで、ちょっとも変わっとらんわい」「それが大違いやて。これから変わってもらわな。ほな〃大〃と、〃さま〃はとらしてもろて、先生でもかまへん。上田先生、早速でござりまするが……」 元市は真面目になってもみ手した。仲市もつめ寄る。「なに落ち着いとるねん、大先生。松岡さまが約束忘れはったら、わやくちゃや。邪魔でも入らんうち、はよ、その相場の天狗はん呼び出そけい」 大霜天狗の託宣を一刻も早く知りたいのは、喜三郎も同じだ。が、金の話にいろめきたつのは、いかにも物欲しげであさましい。「神さんが勝たせてくれはった金は、神さんのもんやで。私の用には使えへんのや。分かっとるこ」 念を押すと、元市は「使いみちは金を見てからの話やで。早よ、早よう」と、喜三郎の手をひっぱった。 喜三郎は、仲市と共に小幡川で禊をして帰り、白衣に紫の袴を着し、神主の座に坐った。仲市もまた、厳粛な面持ちで、審神者の席に着く。元市は、ぴったり仲市の脇についた。「審神者には、一定の法式がある。それを乱して、神さまの怒りに触れたらあかん。二人だけにしとくれやす」と喜三郎は、元市に言った。審神者をさしおいて、また元市が口をさしはさまぬよう、いさめたのである。元市はふくれた。 ――喜三郎と仲市とでこっそり富を山分けせんとも限らん。こうなれば息子だとて油断でけるかい。 元市は隣室の襖に耳を吸いつけた。 喜三郎は、憑霊への質問と正邪の見分け方をきびしく臨時審神者に教えた。心が浮わつくほど、邪神にあざむかれるおそれがある。 降霊があった。見事に形も崩さず体を切ったあと、喜三郎は野太い声を出した。「我は住吉神社の眷属大霜である」「ま、待っていましたぞ。御苦労さまでござる。して、神社所在地はどこです」 心がはやって、思わず仲市の声が、上ずってくる。「摂津国堺市にあるわい」「社格は?」「官幣大社じゃ」「祭神は?」「祭神は四座であって、底筒男神・中筒男神・表筒男神・及び神功皇后である」「摂社はありますか」「祓戸神社、磯の神の御前(津守の祖)二座がある」 元市は襖をあけて進み、畳に額をこすりつけた。喜三郎じこみの迂遠な問答など聞くに耐えぬ。わざわざ降霊されたものを頭から疑ってかかるなど、どだい失礼や。遠来の客に門前払いくわす気け。天狗さまが怒って帰らはったらどないしてくれる。 仲市が袖をひくのも気づかず、にじり寄った。「大霜天狗さま、家内中で信仰に励みます。五万円ばかり相場に勝つ法をお知らせ下さいませ。どうぞ米の上がり下がりを、はっきり教えとくれやす」「わしは現界では堂島(大阪市北区の堂島米穀取引所の略)の相場師であったが、神界でも相場の守護をいたしおる、五万円などとけちくさいことは申すな。わしの負けた八十五万円だけ、そちに勝たしてもよいが……」 元市の唇が引き攣れて、あふあふする。大霜天狗はたたみかけた。「八十五万円手に入れたら、その金の使い道は?」「ヘ、さてと、あまり急で……何せい八十五万円。う、うーん」 親父の元市は絶句。ここぞと息子の仲市は唇をなめ、こわばる舌を動かさんと進み出る。元市がそれを引き戻し、二人は声を押し殺して必死に争う。「こ、こら、息子の分際で引っこまんけい」「何を、さ、審神者はおれやんか」「何だ、八十五万円、いらぬと申すか」と大霜天狗がとぼける。 二人は同時に跳び上がり、平伏した。「と、とんでもござりまへん。八十五万円いただけますれば、まず五万円で、松岡さまとのお約束を立派に果たします。曽我部村全部を買収し、ついでに林を買うて天狗さまの公園にし……残りの八十万円は……まあ、ちょっと考えさしてもろて……」と元市。「八十万円の長者になるか。妾をはべらせ、栄耀栄華に暮らせるのう。ま、考えてみるに、お前の年では、慣れぬ贅沢。酒色にふけると、身体衰弱家庭不和の元。寿命まで縮めては気の毒じゃ。いまの貧之がかえって幸福かも知れぬ。やはり五万円にしておくか」「ひー、殺生な。神さまの言葉に二言なしと聞かせてもろてます。あなたはんは神さまやさけ、金の必要おへんけど、肉体のあるうちは金も必要でっせ。八十万円のうち二十万円だけわしが頂戴して、後の六十万円は駅逓局(郵便局の旧称)に頂けたり、何ならその利子の一部を慈善事業に寄附したり……」「神の道のために使う気はないか」「へ、松岡さまは、先から五万円と言うてはりますさけ、それでよろしおすやろ。……ところで大霜天狗さま。相場はる元手ですけど、ねっから貧乏してますさけ、もう一円のお金も貸してくれる奴はおりまヘん。そこで、話のついでに、いや、神のお道のために、どうでも元手を少々拝借させてもらわな」「やれ、そうであったな。それでは、この神主の肉体を使って、埋蔵金を掘らさせよう。ここらの山中には昔から無尽蔵に金を隠しとる。その方にうっかり場所を知られては困る。神主の肉体を使って一万円ばかし元手を掘らせるが、絶対について来てはならぬぞ」「せ、せめてお供に息子の仲市だけでも……」「ならぬ、ならぬ。大霜はこれにて引き取る」 喜三郎は、どすんと飛び上がった。憑霊の離れた喜三郎が、委細を聞いて首をひねった。「大霜天狗の言葉はどうも眉唾やで。あんまり信用せんこっちゃ」 崩れた相好を元にもどさんとあせりつつ、元市は言う。「そんな神さまを疑うようなこと、言うたらあきまへん。天狗さんは一割がた正直なお方いうさけ、あの大霜はんなら大丈夫や。嘘なんかこかはりますかいな。ああ、これでわしの運が芽えふきよったで」 身をよじり、双手を天にさし上げて、元市は嘆声をあげる。仲市も、躍り出しそうな足をふまえて叫んだ。「信仰の基本は、まず生まれ赤子の心になって、純粋に信じることや。わしは、大霜天狗さんの言を信じる」 二人のあまりの喜びように、喜三郎まで染まってきた。そう言えば、高熊山には昔から名も知れぬ鳥が鳴き里人に告げるという。「朝日照る、夕日輝く高倉の、三ッ葉躑躅のその下に、黄金の鶏、小判千両埋けおいた」 ――そうか、いよいよ神機到来や。高熊山に吾を導き給うて、神・現・幽三界の修行をおさめさせ、神の教えを天下に広めんと神授の宝を顕わし給う。 体の芯の方から、ぶるっと震えた。武者震いだった。 元市が、仲市と喜三郎の手を引っぱって、ものものしく囁いた。「このことは絶対に秘密やど。口が裂けても言うたらあかん。親にも兄弟にもや」 仲市が小声で言う。「なるほど、松岡さまは深謀遠慮やのう。この秘密を、我々三人の他にはもらさんために……」「そうや。鞍馬の大僧正まで引っぱりこんで、つまりは邪魔なお琴やんらを追い出した」「何しろ、女子ときたら滅法口が軽いさけ……」「あっ」 遅まきながら、喜三郎が叫んだ。忘れとった。とび出して行った女たちのことを。大金の話に魂を奪われたとはいえ、審神者としてあまりに無責任ではないか。「ともかく中村へ行ってくる。今ごろ、大騒動が持ち上がっとるかも知れん」 走り出す喜三郎。元市が顔色を変えて仲市にわめいた。「お前も行け。おくれるなよ。わしら出しぬいて、黄金独り占めしよるかもしれん」 夕暮れの道を駆けて、喜三郎と仲市は中村の多田亀吉のうどん屋にとび込む。店の端の長四畳の間で、四人の女たちが健啖にうどんを食っていた。中で笑いこけているのは琴ではないか。そこらの女たちとどこが違おう。喜三郎はヘなへなと腰を落した。 多田亀吉親分が酒にほてった顔を出す。「どうやい、喜楽。お琴にはどてらい天狗さまが憑いたはる。鞍馬山の大僧正いうたら、義経はんも弁慶はんも剣撃習うた天狗の大親分さんやないこ。あとの三人に憑いとるのは、みな眷属はんや言うことや。わしも『幽斎修行したい』言うたら、琴が『大天狗はんの一の子分にしてやる』言うてくれる。早速祝盃あげとるとこや。喜楽先生、まあ一盃受けてくれへんけ」 興奮さめやらぬ口調で、身ぶり手ぶり先ほどの出来事を多田亀は語る。 穴太からつき従ってきた見物人に近所の衆を合わせて、多田家は黒山の人だかり。四人の女はとんだりはねたり、わめきまわり、琴は居合わせた多田亀の子分衆、五、六人を派手に手玉にとって投げつけた。あげくに、「眷属ども、今から引きとる。ついてまいれい」 ぱあっと赤い蹴出をなびかせて、跳び上がった。他の三人もそれに習い、けろっとただの女に返ってしまった。「おもろいの何のって……」と多田亀はうっとりと言った。 他愛ない多田亀親分はじめ彼女らの満ち足りた顔を見ては、今は何を喋っても無駄と思った。琴は、「二、三日、父の傍にいて鎮魂帰神を教えてやる」と張り切っている。妻を離別し、一人娘の琴だけを楽しみに生きている多田亀吉である。そっと親娘をおいておこう。琴を中村へ残し、志津・とく・たかのみを連れて、喜三郎は穴太へ帰った。

表題:梟の宵企み 2巻9章
梟の宵企み



 久しぶりで宮垣内の自宅に帰って、宵の口からものも言わずに蒲団にもぐった。松岡・大霜両天狗の神がかり、鞍馬山の大僧正とその眷属たちのさわがしい憑霊、神託をめぐっての元市親子とのやりとり、中村までぶっ通し走りぬいたこと等々、一日の出来事が喜三郎の心身をくたくたにさせていた。ままよ、明日のなりゆきは明日まかせや――寄せくる想いを打ち払い、安閑坊喜楽の本性にかえって深く眠った。 眠れないのは斎藤元市。目をつぶればつぶるほど不安は高まる。悶々、輾転。かたわらで歯のない口を開け、気楽そうに涎を垂らして眠りこけている老妻くにを蹴とばしておいて、廊下に出た。壁の破れ目から月光が斜めにさし入った廊下をみしみし鳴らして、仲市の暗い部屋を覗く。「おい、寝とる奴があるけい」 腹立ちまぎれに荒々しく障子を引き開ける。仲市はとび起きて、廊下に這い出てきた。「何やお前。股引きはいて……」「当たり前や。いつ大霜はんがとび出すやら分からへんのに、寝とれるけい」 野良着に股引き、おまけに右手に杖まで握っている。さすがはわが伜と、元市はにやりとした。 春のおぼろ月夜だ。喜三郎の家のまわりは、やんわりと夜気に沈んでいる。夜這いに手慣れた拾好で、仲市は縁の下にもぐりこんだ。間もなく這い出てくるなり、元市にささやく。「おる、おる。叩き出しちゃろか」「止めとけ。わしらが見張っとると知れたら、大霜天狗が憑きよらんわい」 二人は膝小僧かかえて、柚子の木蔭にうずくまった。「今夜とは決まらんやんけ」と仲市。「今夜やないと断言できるこ」と元市。 ――昼やろと夜やろと、八十万円のためや。死んでも食いついとらな……。 二人は悲荘な顔を見合わせた。「出たっ」 押し殺した仲市の声に、元市ははっと目ざめた。柚子の木の根元から表の方を見すかすと、確かに人の影が動いている。「喜三やんや。まちがいない」 見失わぬ程度に間隔をあけて、ついていく。人影は一度も振り向かぬ。早足で小幡神社の境内に入り、社殿の左の赤い鳥居をいくつもくぐり、権高稲荷の祠の横をぬけて殿山へのぼっていく。元市は、気味わるく粘りつき絡んでくる蜘蛛の巣にさえぎられて、足を止めた。と、頭の上から落雷のような声が降って湧いた。親子は抱き合って笹薮に首をつっ込む。 大音声についで、小さい声がしきりに何か言っている。喜三郎にちがいない。「声が大きい。耳がつぶれそうや。の、のどが苦しい。大霜はん、もっと楽にかかっとくれやすな」「楽にかかってやりたいのはわしも同じじゃ。お前の修行が足りんので、かかる方だって苦しいわい。高熊山での修行は覚えておるか」「く、苦しうて忘れそうや。もちっと小さい声で……」「人に聞かれたら困るからな。よし……」 急に声が小さくなって、ひそひそと相談している様子。恐さも忘れて元市・仲市が身をのり出す。何か押し問答の末に、喜三郎は飛ぶような勢いで親子のかくれた薮脇を駆け下っていく。 親子が暗い道を手さぐりでやっと殿山を降り、社務所の崩れた石垣を曲がった時、向こうから戻ってくる喜三郎の姿を見た。家まで行って持ち出してきたのだろう、両手に鶴嘴・鋤簾・畚を一荷負っている。 喜三郎の追跡はたいへんだった。あの転び名人の喜三郎が、闇の山道をまるで白昼のような速度で行く。おくれ勝ちな親父の元市などほっておいて、仲市は若さにまかせてこけつまろびつ走る。前条・愛宕山麓・姥の懐・虎池・新池・芝ケ原・砂止と進み、高熊山の修行場を右手に眺め、猪熊峠を登り、かつて喜三郎が谷底に吹きとばされた打ち越しの坂を過ぎ、算盤岩を渡り、馬の背の嶮を経、奥山の玉子ケ原という谷間でぴたりと止まった。痩せたおぼろ月は中天に高く、わずかに樹々の間から水色の光がこぼれている。 仲市は火のついたような心臓の鼓動を聞きながら、必死で眼をすえて見た。 ぶつぶつ独り言を言いつつ、操り人形みたいに鶴嘴を振り上げている喜三郎――。 その喜三郎の手に、鶴嘴の柄が食いついていた。疲れて休もうにも機械的に腕が動いて、堅い土をこずくのだ。やがて鋤簾に持ちかえさせられ、がりがりと爪で土をかき分ける。二時間ばかり脇目もふらずに掘り続け、ようやく鋤簾が手から離れた。「大分くたびれたじゃろう。大霜も疲れた。一服せい」 がくんと腰を下ろし、喜三郎はうがった穴を眺めた。深さ二尺、四尺四方ばかりの穴をみつめていると、背筋がぞくぞくしてくる。大判・小判のつぼどころか、いやらしい人骨でも出てきはせぬか。真暗な谷間が底知れぬ口を開けて吸い寄ってくる。 金などどうでもよい。今すぐ家に帰りたいと、喜三郎は欲した。臍の下からぐるぐるっと塊が舞い上がってくる。「女々しい奴め。ここまで来おって神を疑うか。掘るのがいやなら一人で帰れい」「いやとも何とも言うてまへんがな。あんたの言うている通りしてまっしゃないか」「楽しみじゃろう。なんぼ金がいらんと偉そうなこと言うても、小判を掘るのじゃ。心がいそいそするじゃろうが。この世界一の果報者め、そら鶴嘴持て」 喜三郎の体はポイと立ち、再び鶴嘴を握り、土をうがち始める。岩盤に突き当たった。一時間ほど掘り続けるが、火花が散るばかりで少しも掘れぬ。鶴嘴の先が坊主になった。「こんな岩ばかり、いくら掘ってもどうにもならん。誰かが埋めたのなら、岩蓋が出そうなもんや。大霜さん、場所を間違えはったんと違いますか」「ははは……そんな気短かなことで、神さまの御用ができるかい。三間や五間掘ったぐらいで音を上げるな。地球をぶち抜くまで掘る覚悟せい」「大霜さん、わしを偏したな。金欲しがっとる元市には掘らさんと、いらん言うとるわしをこんな山奥まで連れてきて、殺生やんけ」「やあ、御苦労。ふっふっふ、年寄りの元市も後からよう走りおった。はっはっは……」「こら、ド狸、よくも人をおちょくりやがって」「喜楽、まだ金がほしいか」「金なんかいるけい。畜生、出て行きさらせ」 握りこぶしで腹から胸をやけくそに叩くと、笑い声のみ響いて遠ざかっていく。「大霜さん、大霜さん……こら、待てい」 こだまが空しく響くばかり。 急にたまらなく淋しくなり、情けなさに涙が出た。ここまできて空畚をかついで帰るのも癪と、畚に鶴嘴や鋤簾をのせ、その上から崖に咲いている紫つつじや赤つつじを手折って乗せた。行きは半分夢心地で連れてこられたが、今帰る足の重さ。道の遠さ。 ようやく砂止までくると、夜目にもボーッと二つの人影。幽霊ではない。ちかちか赤いのは山賊の煙管の火か。さいわい金目の物を持たぬが幸せと近づく。 人影が走り寄った。「やあ、上田大先生さま、おめでとう。大霜大狗さんにきつう止められとるさけ、一緒には掘れなんだけど、家で寝とるのも申しわけない。それで息子と二人、ずっと遠くから護衛させてもろてたんや。上々の首尾らしおすなあ」と元市がもみ手する。「三時聞も掘りづめで御苦労さんです」と仲市が肩を叩く。「いや、それがあかなんだ。……さっぱりだまされて……」「さっぱり?……そうやろのう、そらそのはず、さ、畚、こっちへよこしなはれ」 元市がのばす手を、喜三郎は払いのける。「足をひきずっとるやんけ。よっぽど重かろう。どれ、肩をはずせや」と仲市が言う。「軽い、軽い、ほんまや。かついどるのは空畚につつじばかりや」 とっとと先へ立つのを、元市親子は逃さじと追いかけ、「結構、結構。貸してみな」 むきになって喜三郎を押えつけ、二人で空畚を取り上げる。馬鹿らしくなって喜三郎、弁解するのは止めた。
 金掘りの一件で喜三郎の信用は失墜、元市は修行場を貸すことを拒絶し、昨日の「大先生さま」はたちまち「どぶ狸・ド狐・野天狗・ド気違い」となり果てた。喜三郎自身、松岡・大霜と自称する憑霊らの悪どいいたずらに参っていたから、治郎松やおこの婆さんが、それ見たことかとやってきて、思うさまこきおろすのにも目をつぶった。 多田琴は、中村ヘ掃って以来、音沙汰もない。喜三郎よりも、鞍馬山の大僧正の方が好きになってしまったのか。志津とたかが、元市が止めるのも聞かずに中村へ通っているという。琴らと共に奥山ヘ通い、修行をつんでいるのだろう。 喜三郎は久しぶりに一人になった。審神者としての勉強不足を痛感する。自分自身の憑霊の見判けもつかぬ。このままでは、自分のみか、多田琴ら幽斎修行者のすべてが邪神に魅せられてしまおう。自宅にこもって必死で神学の研究を続けた。仲市はまだこりぬのか、親父の眼を盗んで、ちょくちょくやってくる。 五日ぶりに、例のかたまりが腹の中を熱くした。あ、またかと、喜三郎は歯をくいしばる。ちょうど喜三郎と神学について語っていた仲市は、気づいてあわてて審神者の姿勢になり、ぐっと眼を怒らす。「住吉の眷属大霜であるぞ。男山八幡の眷属小松林命の頼みによって、再びここにあらわれた。喜三郎に申し渡すことがある」「大霜はん、あんまり人を馬鹿にせんといてや。八十五万円の元手はどうしたい。金埋めてあるなんてようも駄法螺ふきくさって。嘘っぱちやんか」「八十五万円でも八百万円でも、お前の心次第でくれてやらんこともない。改心ができぬから、誠のことが言うてやれぬ。欲を離れたら金はわんさと降ってくるぞ」 仲市は真赤になって怒り出す。「無茶ぬかすな。金の必要があるさけ、金が欲しいのや。誰かて、必要のないものは欲しいことあらへん。欲しゅうない金なら、いりまへんわい。金を欲しがらん奴に金をやろう、欲しがる奴にはやらんちゅう意地の悪い神さんが、どこにおりますいな」「なるほど、それなら神も改心して、欲しがる奴にちょっとばかしくれてやるか」「へえ、おおきに、それでこそ、大霜はんです。なんせ、親父の奴が先祖からの財産を相場ですっくりなくしたもんだすさけ、わしは無理にくれとは言いまヘんが、親父には元の身上になる所までくれたっとくれやす。だまされた言うてかんかんに怒っとるとこやさけ、そうしてもろたら、親父も喜んで信仰するやろと思います」「一万円でよいか」「当分一万円もあったら……」「よし、これから金のありかを知らせるが、決して疑うてはならん。もし、疑いを少しでも持ったら、金銀の入った財布が牛糞に化けるぞ」「決してその……神さまのお言葉を疑うような……けどあの……この前のように神さまが間違わはると、人間は心がひがみます……」「それ、それがいかん。それが疑うとる何よりの証拠じゃ。きれいさっぱり改心して、わしの申すことを一から十まで信ぜい」「は、改心して、信じますさかい……」「ではよく聞け、鴻の池の番頭が十万円入りの黒い財布を持って大阪へ向かう途中、芦野山峠を越える。それと知って泥棒が峠で待ち伏せ、やり過ごして後からぐいと番頭の懐へ手を入れる。そこを樹上から大霜が『曲者!……』と大喝一声、泥棒は財布を投げ出し、必死で山中へ逃げ込む。番頭も命からがら能勢方面へ逃げていく。番頭は大切な主人の金を泥俸にとられて、申し訳に身を投げて死のうと池の端をうろついとる。それを助けてやろうと、大霜が眷属に命じて守護いたすことにする。十万円入りの黒い財布は、芦野山峠を二町ばかり西へ下りた道端の草むらに落ちている」 仲市の顔が輝き、審神者の役目も忘れて、満面に愛想笑いを浮かべた。「ほんなら、あの……財布ごと、十万円頂戴しますんで……」「ばか、欲ばったこと言うてくれるな。仲市は財布を拾い、その筋へ届けよ。番頭の命は助かり、仲市は規則通り拾った金の一割がもらえる。一割で一万円じゃ。さあ、泥棒が捜しに引き返さぬうち、早う行け」「そら急がなあかん。今から間に合いまっしゃろか。一体、泥棒は、いつ出たんですかいな」「正確に言えば、今夜十二時――」「へ、阿呆な。まだ日も暮れん五時前でっせ。昨夜の間達いでっしゃろ」「今夜といえば今夜じゃ。神は、過去・現在・未来、一つに見え透く。将来の出来事を知らぬようで、神といえるか。さあ、ぐずぐずせずに早く行け」「芦野山峠はここから一里ばかりの所やさけ、今から行けば六時には着きます。六時間も待っとるんですか」「おう、そうか。お前は肉体を持っとったのう」「とぼけんといてくだはいや。だいたい大霜はんは人がわるい」「そうそう、それまでにするべきことがある。お前の体を清めんならん。お前は特別汚れとるから、三百三十三杯の水を頭からかぶり、神言を五十遍上げて成功を祈れ。ちょうどよい時問になるはずじゃ。では引きとるぞ」 喜三郎がぐっと尻を待ち上げ、ぱちっと目を開けた。「おい喜べ、大霜はんがこの仲市に一万円やろうと言わはったで」 喜三郎が浮かぬ顔できく。「お前、ほんまに芦野山峠に行く気け」「あったり前じゃ。その前に、水と神言をすまさんなん。一緒に来てんか」 仲市は喜三郎を連れて上田家の東の井戸に行く。勢いよく肌ぬぎになったが、ぶるっと震えて急いで着物を着る。春とはいえ、裸になれば肌寒い。釣瓶を汲み上げ、小さな杓で水を三しずくほど汲み、頭から振りかける。かかったかかからぬかの、ほんの真似事だ。それでも真剣な目付きで、「一杯、二杯、三杯……」「お、おい、仲市、何やっとんにゃ」「ほっとけ。神さまは霊やさけ、真心が通じればええと、お前が教えてくれたやんけ。一杯の水が一しずくでも、気持ちは一杯やで。形にこだわるのはかえって体主霊従ちゅうもんや。第一、ほんまに水かぶって、風邪でもひいたら元も子もあらへん」「何ちゅう弟子やい、情けなや……」 体主霊従とは、喜三郎の言葉の聞きかじりだ。超速力で三百三十三杯のしずくをひっかけ終わり、ちょっとしめった髪を片袖でぶるっと拭った、「神言はやたら長いさけ、天津祝詞にしとこけい、うん」 独り言い、独り答え、短い祝詞を早口でべらべらくり返す。まことに融通のきく男である。「さてこれでよしと。喜三やん、夕飯食ったらちょっと寝とけよ。九時には迎えにくるさけ。早いにこしたことないやろ」「気が進まんのう。またあの二の舞いやったら面目ないやん」「お前、それでも信仰しとるのけ。疑うたら牛糞つかまされるやんけ。神さまの言葉なら唯々諾々、命に従うのが惟神の道やぞ。そんなちょろこいことで、『神の道広める』やなんてようぬかしよるのう」「わかった、わかった。けどまた失敗して、治郎松はんにいいふらされるのは閉口や。内緒にしとこけえ」                                       田んぼ道を辿り、天川村を右に見て出山を越え、上佐伯の御霊神社の森に入る。虫くいだらけの社殿を拝し、古い杉木立の切株に腰かけ、眠いのをこらえて時間を待つ。社務所の時計が十一時を打つ音を聞くや、仲市は勇み立って先を行く。芦野山峠にかかって七、八町登ると、ぽつんと一つ、峠の茶屋山田屋の灯がみえる。(現在、この一帯は山麗からラジウム鉱泉が湧出し、湯の花温泉街となって開け、山田屋も峠下に移転)「まだ早い。休んで行こけ」と仲市が戸の隙から店を覗いた。五、六軒よりないこの村の若者たちが手なぐさみの最中である。「人に知れても具合わるいしのう」 二人はあきらめて右側の崖をよじのぼり、松の根方に坐って峠を通りかかるはずの男を待った。猪の出没するこの峠を、深夜、そう旅人が通るわけもない。ぼやぼやした春の夜風になぶられて、喜三郎いつのまにやら夢心地。「喜三やん、起きい」 つねられて、はっと寝ぼけまなこをひらく。「来よった、来よった、来よったで」「ど、どこに来よった」「しっ‥‥」 仲市に制せられて、喜三郎はきょろきょろ崖下を覗く。「いま財布らしいのかたげて通りよったわい。その後からちょこっと離れて、つけとる奴が確かにおる。神さんは万事、お見通しやのう。へっ、番頭の奴、いまごろ財布ぼったくられて‥‥。さあ、ぐずぐずしとれるけい」 ひょっとするとひょっとと、喜三郎も心が動いた。 ――十万円。一生かかってきりきり舞いしたとてお目にもかかれぬ金額や。奪られた番頭が生きておれんと思いつめるのは、無理もない。番頭はんの命のためにも財布を見つけねばならん。 林を出て、峠を二町ばかり、道は下り坂になって右手に曲がる。人影はない。老樹が茂って月光も通さぬあたり。ここだ、と二人は直感、眼をこらす。濃く闇がたまった底に、も一つ黒いかたまり。息をつめる。かるた取りではいつも負ける仲市が、この時は一瞬早くさらった。おくれてべたっと喜三郎。「ぐっ……」と仲市がうめき、あとは物も言わず草の葉に手をこする。「お手つきやのう」と喜三郎、にぎった牛糞を投げつけた。汚れついでに四つん這いとなり、草むら・道端のこらずくまなく手でなでていく。まさに二匹の盲目の犬だ。探れるだけはかきまわし、嗅ぎつかれて気がつくと、星は消えて東天がしらんでいる。 くたびれきった腰を上げ、黄銅色にまぶれた顔を見合わせる。この一帯は牛車の常に一服するところ、つまりは新、旧牛糞の段塚のたまりと、ようやく悟った。「お、おい、どうなっとるんや」と仲市の恨めしい声。「あきらめよけい。大霜はんは、疑うたら財布が牛糞に化ける言うたやんけ」「そんなこと言うたかて、わしは本気で信じとったんやぞ。く、くそ、いまいましい。大霜めが」 またもや喜三郎、目を白黒しだして突如大口を開け、「あー、あー、あー」。しばらくして、「アホー、アホー、アホー」。
 やけくそであった。早朝の禊も、顕斎も、ましてや鎮魂などほり投げて喜三郎は朝寝する。宵寝もする。家族があきれて何を言おうと怒ろうと無抵抗、ごろりと体を投げ出し、天井をみつめる。どうにもならぬ自己嫌悪が、心をむしばんでいた。 ――幼い頃のわしをよくなぶった穴太寺の縁下に巣くう豆狸ども、わしの体をあやつる奴も、あの豆狸に毛の生えたたぐいの畜生霊か。神道を広めて、世界を救う……ようも気違いのたわごとを真に受けて、純な琴らを迷わし、家族の嘆きを見せたもんや。何が帰神、何が審神者や。十万円に目がくらんで、牛の糞をつかむ……。目をむいて見るがいい。重ね重ね、あさましゅうもだまされくさった。それがおれの正体や。 何もかもがらがらと突き崩して投げ捨ててしまいたい。喜三郎はむっくりと起き直って神前に進んだ。くそっと、神床に手をかけた。と、雲が合間から急速力でわき上がるように、高熊山で目撃した数々の霊界の事象が眼前を駆けめぐった。一体、あの世界は何やったんか。七日七夜、この身にくいこむような感動は何やったんか……。 一瞬の茫々たる躊躇をふり捨てるように、拳をふり上げてはみた。が、ふり上げた拳はややあってだらりと垂れ、額を神床にもたれさせてすすり泣く。 三日目の深夜、憑霊は腹中に戻ってきた。またもやいたずら好きの大霜天狗だ。「アーアーアー」と大きな声で連発し、ややあって「阿呆、阿呆、阿呆」とどなりつける。 ――ほんまにわしは阿呆や。阿呆も阿呆、図抜けた阿呆や。けれど寝ている家族におかまいなしのあの大音声で、例の失敗でもすっぱ抜かれては、具合がわるい。 案じる喜三郎の腹中から、無頓着な高声がからかい始める。「大霜天狗だ。どうじゃい、糞度胸を裾えたかい。糞をつかんだぐらいのことで憤(糞)慨しとるようじゃ、駄目だ。糞まみれでくそうてかなわんから、これから身魂の洗濯に連れて行ってやる」 今の今まで滅入りこみ、しょげきっていた喜三郎に、すっと生気がよみがえった。恨み重なる仇敵、憎さも憎しと気負うそばから、妙になつかしいのだ。「あ、そうか。大霜天狗と名乗ってはるけど、初めからずうっと松岡はんでっしゃろ」「見破られたか。奥山へ金掘りにやったのも、牛の糞つかましたのも、実はおれだ。お前の守護神の松岡である。ふっふっふ、はっはっは……」「しいっ。家の者が起きる。あんまりや。わしの守護神が人を平気でだます悪い天狗なら、どうなっと勝手にしておくれやす。わしは元の土百姓か乳しぼりに帰ります」「いや、そうごてるな。だまされるのは、お前の身魂がまだ磨けていないからだ。お前の潜在意識にある、富に対する執着がひっかかる。まこと一筋の神柱として世を救うほどの者に磨くには、一点の私心も許されぬのじゃ。それまでに今後十年、いや二十年はつきあわんならん。さあ、立てい。水行に出る」 喜三郎は、ぴょこんと立った。庭の駒下駄をつっかけて外にとび出す。月はなかった。小幡橋を越え、穴太を東ヘ離れ、曽我谷川にまたがる巡礼橋を渡る。薮をぬけ、一町ばかり進んで、足がぴたりと止まった。田畑に施す肥料をたくわえる糞つぼの前だ。臭気が鼻をつく。 またも腹の底から塊がくるくると上がり、のど元を過ぎ、声がふき出た。「おい、肉体――」「へい、わしのことでっしゃろか」「そうだ。今からまっ裸になって糞つぼに入り、身魂の洗濯をいたせ」 喜三郎の身は、本人の意志を無視し、糞つぼへ進む。「ひゃー、助けてくれ。こんなもんにつかったら、よけい汚れる。洗濯ちゅうもんは、きれいな水でするもんでっせ」「錆びた刀を研ぐには、生灰をつけたり、泥をつけたりする。お前のような製糞器は糞で磨くが一番、糞よりきたない身魂の持主のくせして、糞がきたないとは何事じゃ」と、憑霊が大喝する。 驚いた喜三郎、「はい、そんなら命令に従いますさけ、大声でどなるのだけはやめとくれやす」と、帯を解こうとした。「おい、待て待て、お前の決心さえわかったらよい。お前の肉体はおれの器官、つまり生宮じゃ。そんなとこヘ入ると、おれもちょっと困る。ははは……」「わしは元からの土ん百姓やさけ、糞ぐらいへっちゃらでっせ。せっかくの決心ついでに、たっぷり首までつかってみてもかまいまへんで」と、喜三郎は居直った。 憑霊が再びどなった。「よし、入るなら勝手に入れ。その代わり、この松岡は、お前の肉体の守護など、ただ今かぎりごめんこうむる。あとはもぬけの殻、狸の容器にでもなれ」 ――松岡は勝手にわしの体内に入って嘘ばかりほざき、何度も失敗させる困ったやつ、こんな邪神は一時も早う退散させるこっちゃと思うこともあるが、いざとなるとやっぱり未練が残った。「しゃあない、言わはる通りにしますわな」 喜三郎は帯をしめ直し、歩き始めた。 街道をつっきり、櫟林の中の小道にかかる。周囲一里余もある大池の畔を大またに過ぎて安行山(西山)の裏へ出、竜ヶ尾山の北麓にある医王谷(現亀岡市下矢田町)にさしかかる。医王谷は平安朝随一の医の王者丹波康頼が住んでいたといわれ、最上級の薬草を産した。 森をぬけて、田園の上にきらめく星空を仰いだのも束の間、亀岡の産土、鍬山神社の欝蒼たる境内に入る。穴太から東へ一里余。奥まった石段を登ると、老杉を背に、社殿は二つに分かれ、それぞれのいらかが夜空をくぎっている。 社殿にぬかずく喜三郎に、厳として松岡神は命じる。「この社の奥、東に開ける矢田の滝で、一週間の水行をせい。さあ、行け」 喜三郎の足は摂社の左脇を廻り、星の光も通さぬ裏山にわけ入った。苔むした老樹が押し並び、蔦がからみあい、夜鳥が叫ぶ。遠く水音が地を伝わって響いてくる。思わず身震いした。細い谷川に沿い、人一人やっと通れるかの行者道をなおも登る。 漆黒の闇夜に足元をさえぎる木の根、笹薮、ほの白く幽かに浮かぶ稲荷の祠。四、五町もきたであろうか、行者道は行きつまり、一丈余の岩壁から谷水を集めてほとばしる滝水が飛沫を上げていた。 衣を脱ぎ捨て、浅い滝壺へ足をふみ入れる時、無気味な目が降りそそぐのを感じて、喜三郎は肌の粟立つ思いがした。老樹の梢、滝の上、滝しぶきのくだけ散る岩場にも、祠の陰にも、夜気にとけ入った無数の気魂が息をつめている。 流水に体を清めてから、落下する滝の下に身を入れた。滝壺に正座して滝水を頭上に受ける。思わず歯をくいしばり、荒々しく打ちかかる水圧の痛みに耐える。唇をついて滝津瀬に坐す祓戸四柱の大神の御名をとなえていた。痛みがやがて快い律動に変わった。打つ水と打たれる体とがとけ合って、ただ涼やかな銀鈴の響きがころがるのみ。怖れも不浄も雑念もこの水の生命の歌に没し、洗われて流れ去る。 山蔭神道では禊場所の選地として、東向き、または東南向きの地点で朝日を受ける方位を最良とする。これは古事記の記事「筑紫の日向」からくるとみられる。さらに常緑樹が生い茂る生成弥栄の浄地がよい。深山の滝は東向きで、滝水の高い時は岩場で腰を折っていること、滝壺が浅いことを条件とする。その殆どは谷川の崖下に樋をかけて、山の谷水を流し入れ、その下で禊すると伝えている。 矢田の滝は、それらの条件を満たす恰好の禊場なのであろう。喜三郎のみならず、昔から多くの行者が、ここに修行の場を求めたようだ。現在は水量も半減し、樹林は伐採されて森厳の風もそこなわれている。 矢田の滝修行の三日目の夜、車清(曽我部町重利)の小橋を渡った薮蔭に、顔のくずれた女が立っていた。おそるおそる近寄れば、女は穴太で知られた歌人である。小さい頃に襁褓に火がつき、顔半面火傷したという。 不幸な女を見たせいか、心淋しい思いで、医王谷の大池まで来た。池の面に、春の夜のおぼろ月が静かに浮かぶ。その月をくだいて、鯉がはねた。けれども詩情に酔うひまもなく、厚い雲がつぎつぎと襲って谷間にかかる月を呑み、たちまちあたりは漆黒の闇。雨つぶてが松風を呼び起こし、にわかに騒々しい。この池には人魂がとぶという噂を思い出した。小夜嵐も烈しいが、胸中に吹き荒ぶ臆病風はより烈しい。 逃げ出そうにも、一寸先が見えぬ。眼を閉じ、おどろが下にしゃがみこむ。ややあって、忍び寄る足音。眼をあければ、白い影が揺らいでいる。 ――幽さん、いよいよ出やがったな。そっちがその気なら、こっちも先手をとって驚かしてやれ。 覚悟をきめた喜三郎、思いきり大声で「ウーウー」と唸った。「きゃーっ」 悲鳴が上がり、やがて震えを帯びた女の声が返った。「何神さんか存じまへんが、どうぞ命ばかりはお助けを――」 相手が白衣をつけた人間と知って、ようやく動悸がおさまった。自分のことなど棚に上げ、喜三郎は咎める。「誰じゃ、こんな夜中にうろつきやがって。うさんな奴め」「はい、わては稲荷降しの修行者です。この池で水行を終ったばかりで、今から稲荷山にお詣りに行くとこですわ」と、女は蚊の鳴くような細い声で答えた。 稲荷山は俗称で、正式には安行山という。標高一八四メートルの小山だ。往昔、陰陽博士安倍安行が居住したのが地名の起源である。安町の南西に位置し、鷺山・算木山、また旧城下町の西にあるので西山とも呼ばれる。そして山上には安倍晴明が祀ったという稲荷社がある。「何もこんな真夜中にお詣りせんかてええやんけ」と喜三郎がなじれば、女はそれには答えず、「こんこん」と狐の声色でけたたましく鳴き、跳びはねながら北東へ去る。どうやら狐憑きらしい。 雨がやみ、風もおさまり、月は顔を出す。安行山のせまく険しい道を登る女の白衣が、木の間がくれにちらちら見える。これも勉強と喜三郎、その後を追った。 山頂には雑木に囲まれて多くの朱い島居が立ち並び、幾つもの稲荷の祠がある。松の木蔭に身をひそめ、喜三郎はゆっくり観祭することができた。白衣の女が磐栄稲荷の社の前にぬかずいていた。この女だったら知っている。亀岡・旅篭町の稲荷下げで、御嶽教の教導職をしている。初老に近い。 頭上にかざした三本のろうそくの炎に映し出された青白い形相は、ぞっとするほど凄惨だ。胸にかけた鏡を鋏で打ち鳴らしつつ、しゃがれ声をしぼり出し、汗だくだくで般若心経を読む。 読経の終った女は、何事か呟きつつ、そばの笠松の幹に五寸釘を打ちこみ始めた。 ――これが丑の時詣りか。 喜三郎は身を乗り出し、耳を澄ます。「わての男を奪った未の年の憎き者めを、悩ませ給え、何とぞ命まで危め給え」 呪詛する相手は、どうやら恋仇らしい。が、自分も未年であってみれば、いい気はせぬ。打つ手に心ゆくまで憎しみをこめ終ったのか、右の手に鉄鎚、左手に五寸釘を持って、女は無気味に頬を歪めて笑った。恐ろしさに、思わず喜三郎は声を上げる。 きっと振り返った女は「ああ、残念な、くやしやな。人に見られては百日の修行も水の泡――ええい、どうしてくれようぞ」と叫び、迫ってくる。 喜三郎は夢中で逃げ出した。山道にはみ出す小枝に肌を破り、木の根につまずき、こけつまろびつ走った。が、後を追う女の足は早い。ようやく下の大池まできて、まさにかみつかれんとする刹那、喜三郎は身を躍らして水中にとびこんでいた。 泳げぬのか、女は池の中までは追ってこない。喜三郎は水中に突き出た榛の木の根株に片手でつかまり、水面に首だけ出して様子をうかがう。深夜の春の水は凍りつくように冷たい。心臓もまた――。 女はしばらく南側の土堤をうろうろしていたが、突如「キャーキャー、コンコンクヮイクヮイ」と叫び、西へ向かって走り去った。 女の姿が遠く去ったのを見すまし、濡れ鼠の喜三郎は土堤に這い上がった。全裸になって着物をしぼり再び身につけるが、濡れ衣が肌にまといつき、何とも冷たく、何とも気色わるい。このまま家へ帰って暖かい蒲団にもぐりたい誘惑にかられる。 ――あかん、こんなことぐらいでひるんでは、神の道の修行がでけるけい。喜三郎、しっかりせい。 吾と吾が身を励まし、女と反対の東にさして進む。行けども行けども続く谷あいの九十九折の道は遠く、心おののき、足取りは重い。 矢田の滝で修行を終えた足で、喜三郎は明け方の道を歩いて、亀岡町西竪に住む伯母岩崎ふさの家へ寄った。久しぶりであった。子供の頃、芝居ごっこのはずみで友の和一郎の鼻先を出刃で傷つけ、おびえた余りにこの伯母の家に逃げこんだこと。久兵衛池事件の時は大変な肩の入れようだったこと。ほかにも種々弱味を握られていて、昔からこの伯母には頭が上がらない。 伯母は喜三郎を「喜楽坊」と呼び捨てにし、「うちの庄太郎は賢うて体は丈夫やし、頼り甲斐もある。それがお前はどうや。賢そうには見えるけど、底抜けの阿呆の甲斐性なしやで」と我が息子をほめて、甥をくそかすにこきおろす。思ったことをずけずけ言うかわりに悪意がないので、嫌いではなかった。それが今朝はどうだ。愛想笑いを浮かべ、声色まで若やいで、喜三郎を迎えた。 あっけにとられて、喜三郎はしばし伯母の顔をうち眺めた。「まあまあ、喜楽坊のお台さま、よう来てくれはったなあ。どうぞ座敷へ通っとくれやす。うちのことを忘れんと、よう来てくれはりましたこと。さあ、なんなっと今日はご馳走をさせてもらいますで。何がよろし? お揚げがよろしか、小豆飯炊きましょか。瓢箪さんのお台さまがござると、甘鯛の一塩がお好きやいうて、生でぺろっと食べてくれはりまっせ。種油もお好きやし、神さんによって石油でも五合ぐらい飲まはります。あんたは何がお好きですいな? 神さまに気いよう食べていただくほど、ありがたいことはないさけなあ」 さっぱり喜三郎を稲荷下げにしてしまっている。ふさは昔から大の稲荷信者であり、近頃では天理教にもちょっと凝り出していた。 喜三郎は後ずさり、激しく首を左右に振った。「伯母さん、無茶いわんといて。わしに憑いたはる神さんは、そんなけったくその悪いもん食わはらへんで」「そんな筈ないやろ。鞍馬山の魔王はんのお台さまなら、なんでもかでも食べてやで。しまいに瓢箪さんまでうつらはって、よい声で歌ったり踊ったりしやはると、お供えした甲斐あってほんまに気持ちがよろし。物を食べん神さんは、死んだ神さんやろが」 亀岡一帯では、しばしば稲荷下げのお台さんを招いて信者たちが集まり、寒施行をする。お台さんは女性が普通だが、神仏混淆のお経を唱え、御幣を振って神がかりするのだ。「おれはどこそこの稲荷だ」とか、魔王だとか、五郎助・太郎八などとお台さんの口を借りて名乗っては、供えられた物を口に入れる。小豆飯の三升ぐらい一遍に平らげ、油揚げの五十枚は苦もなく食い、生節の十本・かまぼこの二十枚・種油の一升・醤油五合・御飯にお酒と想像もつかぬほど一人の口で平らげ、身軽に歌い舞う。 神寄せがすむと正気に返り、「ああ、お腹がすきました。うちの分、御膳をよばれまひょか」と催促して、さらに一人前以上食う。 まったく信じられぬ話だが、こういう神がかりでないと、当時の亀岡地方ではもてはやされなかった。「伯母さん、神さんは狐や狸とはちゃうのや。肉体は持たれん神霊やさけ、お供えしたもののまごころを受けはって、その精をいただかはる。つまり形はそのまま残るのや」 ふさの態度は一変した。「なんや、情ない。お前のは神がかりやのうて、神経やで。喜楽坊、よい加減に目をさましな。早う帰って元の乳屋なり百姓なりに精出しな。吉松さんは死んだし、お前がいつまでもひょろひょろっとしとったら、お世祢がどない心配するやら知れん。そうや、うちがこれから旅篭町の天理王はんへ連れてって、改心でけるよう御祈祷してもろて上げよ」 喜三郎は、伯母の手をふり切って逃げ出した。庶民にこびりついた低俗な迷信に抵抗し、正しい神の道を広めることの困難さが、身にしみて思い知らされる。 矢田の滝ヘ通い始めて七日目、つまり行の上がりという夜、なぜともなく、心底から恐怖心が湧きおこってきた。喜三郎は、奥の間にかけてあった大身の槍を手に下げ、真夜中の十二時ごろに自宅を出発した。 穴太の村はずれまでくると、手にした槍が勝手に動き出し、りんりんと唸り出した。しかとは見えぬが、槍の穂先が自然に曲がり、鎌首をもたげた太い蛇のようだ。あわてて麦畑に槍を投げ捨てると、かえって恐怖心が薄らいだ。 医王谷の大池まで来て、息をのんだ。池の中につっ立つ人影が、腰までつかった深い池水をばさりばさりかき分けつつ近寄ってくる。身長二、三丈もあるかと思われる丸い紅顔の大男だ。身がすくみ、動悸が高鳴る。この闇夜になぜ大男の姿が見えるのか、不思議がるゆとりもない。夢中で「カンナガラタマチハエマセ」と叫びつつ、臆病風にあおられて東へ吹っ飛ぶ。 前方の道辺の墓場に青い火が揺れる。 ――人魂か? 喜三郎の足がすくんで、止まった。全身が震え出す。四方八方から得体の知れない化物の眼に見つめられていそうで、思わず叫ぶ。「松岡天狗はん、松岡はん……」 震えを帯びたわが声のいやらしさ。――まず心にひそむ恐怖心から退治することやと、地に座して鎮魂の姿勢をとった。が、いかんせん、腰も手足も骨なし蛸のようにぐらぐらして、安定が保てぬ。「突進――」 一声、腹中から命じた。にわかに落ち着きをとり戻す。 ――ままよ、これも霊学の修行じゃ。高熊山で霊学の修行した時など、もっと恐ろしい、いやらしい思いをした。一週間目の修行の上がりにこんな目に会うのも、神さまの試しかも知れぬ。 ようやく腰を上げ、青い火のそばにこわごわ近寄った。何のことはない、人魂と思ったのは、埋けたばかりの新墓に置かれた青ガラスの行灯の灯であった。その明かりで白い墓標をすかし見ると、この前の夜に迫ってきた稲荷下げの女の名が記してある。丑の時詣りで人を呪詛していた女が何日後かには墓の中、ほんに世は無常である。 ――幽霊の正体みたり枯尾花か。それにしても、あのお台さんが死んだとは。 ちょっとやそっとで死にそうもない女だっただけに、人の命のはかなさが思われる。 鍬山神社の前に流れる小川で身を浄め、社前で天津祝詞を奏上して、瞑目正座した。本音をもらすと、この闇夜に扇の谷まで踏みこむ勇気がなかったのだ。 ほのぼのと四辺が明るくなった。ようやく夜が明けたかと安堵して、細谷川を伝い谷路を登る。再び薄暗くなってきた。夜明けと思ったのは錯覚で、空を包んでいた厚い雲が切れ、一時的に月光がさしこんだものらしい。しかしここまで来れば戻りもならぬ。 樹上より雨滴のしたたる谷路を二、三町ばかり行ったところで、闇の中にふっと動くものの気配を感じた。眼を凝らすと、かなり背の高い老婆が、谷川に向かって骨ばった片手を出したり、引いたり、腰をきくきく揺すりながら、樵夫が前挽をひくような恰好をしている。この山は稲荷山の峰続きだから、ひょっとしたらド狐が――と心を引きしめ近寄った。「何しとるんや」と喜三郎が声をかけた。老婆はとび上がり、肉の落ちた面を振り向ける。「びっくりするわな、この時刻に。お前は誰じゃい」と言いながら、細い手をすうと喜三郎の胸先にのばした。「言わいでも分かっとる。わしのこの手に響いてくるわ」 婆は急に手をひっこめて小腰を屈め、言葉つきを変えた。「これは穴太の天狗はん。御修行、御苦労はんです。うちは樽幸のお稲荷はんを信心しとって、お台さんから神うつりの伝授を受けました。今日で三年ばかり、毎晩ここで修行してますのや。おかげで右の手だけお手うつりができだしてなあ、もう三年すれば左手にお手うつりがあって、それから胴うつり、頭うつり、そしてお口が切れるのが、まあざっと十年の修行ですかいなあ」 手うつりとは、霊が全身にかからず、手指の指す方や触れる所から念波が伝わり、耳元に憑霊の声となって聞こえてくるもの。憑霊現象の中でも、下級霊の作用という。「お婆さん、えらい根気のええことやが、年はなんぼやいな」「五十六ですわ」「それなら、十年のうちには口が切れずに死ぬかも知らんで。わしが手伝うて、一週間で口を切らせちゃろうか」「ははは……、そんな安っぽう口が切れるなら、こんな永い修行するかいな。早う口の切れる者はろくなもんやない。どうせ狸か狐やろ」 喜三郎には、婆につく豆狸の姿が透視できる。豆狸につかれていながら、狐狸をくさす。肥持ちが肥の臭さを知らぬと同類だ――と苦笑しながら去ろうとすると、老婆が呼び止めた。「樽幸のお稲荷さんに伺うて見て、よかったら頼むかも知れまへん。こないだ、西町のお台さんが、樽幸の稲荷さんの弟子のくせして余部の稲荷さんに鞍替えしはって、その罰で死なはった。昨日葬式があったばっかしや。神さんの御機嫌を損じたら恐ろしさけ、よう伺うてからにしますわ。六根清浄六根清浄、南無妙法蓮華経……」 さっき見たばかりの新墓の主の名が出て、喜三郎はぎくりとなった。 老婆と別れて、二町ばかり先の矢田の滝へと進んだ。 矢田の滝には先客があった。ろうそくの揺れる先に浮き出た白衣の女が、髪振り乱し、しぶきをあびて立っている。神がかり状態と見てとり、喜三郎は審神者の姿勢をとった。「御名を伺います」 女は両手を組んだまま頭上高くさし上げ、背のびし、胸をそらせて誇らしげに叫ぶ。「力松大明神……」「いずれの守護神ですか」「稲荷山・奥村大明神の御眷属である。この方を信仰すれば、病気災難一切除いてやるぞ。その方は穴太の天狗であろう。今日は一週間の行の上がりゆえ、ほうびにこの肉体を誘い出し、会わせてやろうと待っておった。どうじゃ、この方を信仰せい」「分かりました。お引き取り願います」「引き取れと申さいでもこの力松大明神、そちの心は見抜いとるぞ。今、引き取ってつかわす、うーむ」 女は滝壺の中に膝をつき、正気に返った。 現世利益を乞い願って神通力を得んとする人々、それを利用して甘い汁を吸おうとする狐狸などの下級霊がいかに多いかを、喜三郎は改めて思い知った。 入れかわって喜三郎が滝に打たれ、最後の仕上げに不乱に祈る。終って滝から上がると、先ほどの女が待っていた。女は亀岡・旅篭町の外志筆吉(三十八歳)の妻はる(三十歳)と名乗った。二十一歳の時に筆吉と結婚したが二十三歳で離婚。翌年、筆吉と再び縒りを戻して復帰したという。 はると語り合っているうち、からりと夜が明けた。はるの乞いを入れて旅篭町の外志宅へ廻り、夫の筆吉と面談する。意気投合した二人は亀岡に霊学会出張所を設置することに決めた。 喜三郎は一場の演説会を開き大方の賛同を得、かつての亀岡警祭署という古い建物を借り霊学会出張所を開設したのは、それから間なしである。
 喜三郎の妹雪(十六歳)が、由松の目をくぐっては時に鎮魂に加わる。田野村字佐伯の大石格之助に十歳の時から年季奉公に雇われている弟幸吉(二十歳)は、夜だけ主家の夜業を済ませて十五、六町の野道を通ってくる。幸吉は、素直に正しい感合法を得つつあった。 斎藤元市は、再び幽斎修行場の提供を申し入れてきた。元市は、一度見た夢を忘れかねていた。金掘りの一件でだまされて、一時は憤激の余りに悪口の言いたいだけを触れまわったが、今は少々後悔している。 ――考えてみるに、わしもちょっとは悪かった。ついてくるなと、あれほどきつう止められた約束を破って喜三郎のあとを追った。気づいた神さんが、にわかに場所を変えてごまかしたん違うやろか。〃三つ葉躑躅のその下に、黄金の鶏、小判千両埋けおいた〃ちゅう昔からの言い伝えの通りや。きっとどこかに金は埋まっとる。あの時、喜三が空畚に入れとったつつじもあやしい。怒って踏んづけてやったが、あのつつじの葉を確かめてみるんやった。三つ葉やったか知れんと、しきりに悔まれてならぬ。 近頃の喜三郎、毎夜十二時の時計が鳴ると、そっと起き出して、どこやらヘとんでいく。朝にならぬと帰らぬ、との噂もある。仲市にさぐらせても、口を割らん。親子はまた、喜三郎と縒りを戻す機会をねらっていたのだ。 幽斎場を元市方の二間続きの奥座敷に移してから、修行者はにわかに数を増してきた。多田琴が中村から引き揚げてきたし、志津・たか・とくもまた仲間入りする。 あれから琴は中村を根城にして、深山に分け入り、滝に打たれ岩に座したりなど、師の喜三郎をはなれて自由に行を積んでいた。 ある日、幽斎修行に加わった琴は神主の座につくなり発動、審神者の喜三郎を無視してしゃべり始めた。「われは巴御前である。この方が審神者をして面白きことをみせるぞ。斎藤志津、ここに坐って神主をせい」 志津が言いなりに坐ると、両肩を怒らせ顔面を真赤にいきませて、「さあ、地震じゃ」 ゴーと無気味な家鳴りがし、ガタガタ家中が震え出した。棚の上の物は落ちるし戸はきしむ。覗きに来ていた元市・仲市は真蒼になって戸外へとび出した。「ひゃあ、地震はこの部屋だけや。外はどうもないで」と二人は、あきれて叫んでいる。喜三郎が必死になって鎮魂し、琴、志津の憑霊をおさえる。十分間ほどで奇妙に揺れはおさまった。 またある日、琴自身が神主となり、「家来ども、茶をつげい」と天井を向いて叫んだ。ガチャガチャッと音がして、戸棚が開き、茶碗が人数分だけ宙に浮く。「一つずつ配るのじゃ」と琴が命じた。茶碗は畳の上、五、六寸を通って各自の膝前に据わり、キリキリッと舞って止まる。志津が手まねで土瓶を持ち、茶を注ぐ。と、火鉢にかかっていた土瓶が宙を舞ってきて、各自の茶碗に八分目ほどずつついでまわる。手も触れぬのに命令一つで机が宙に持ち上がる。火鉢が動く。戸が開く。超自然現象が続出した。岩森とくや斎藤たかまでいっしょになって、不思議な術を見せる。初めての体験だった。善悪の判断よりも、驚きと好奇のとりことなった。 鎮魂力さえ増大すれば、霊に対してはむろんのこと、物質界にもその威力は強烈に響くではないか。この世の中で征服できぬものはない、と喜三郎は眼を見はった。幼い時から夢みてきた、神と人と与み無限の力を得る、今、その鍵を握ったのだと。 多田琴にかかった憑霊が叫んだ。「この通り目にものみせてくれる。巴御前が守護いたす。汝らは一座を組んで京大阪へ出、奇術師となって霊術をみせい。金はもうけ放題。それを資本に大神殿を造って本部とし、神の道を広めよ。さあ、これから宙を歩いてみせる。なんでもかでも望み次第じゃ。これほどの神術を、丹波の山奥に埋もれさす気か。神を信ぜず霊魂の実在を疑う輩に実地に見せよ。いかな頑迷固陋の輩もたちまちにして眼がさめる。神の道のためであるぞ。覚悟せよ」 山子好きの斎藤親子は、のどを鳴らして賛同する。「いよいよ御神徳がいただけるのう。天眼通・天耳通・天言通、へてからこんな神業みせたら、どんな奴かて一ころじゃい。金儲けしながら立派に宣教できる。こんなぼろいことあるかいやい」 金掘りや財布拾いより、よほど可能性は強い。派手なことは喜三郎とて嫌いではない。この霊力をもって一挙に惟神の大道を国内に広めてみせる自信はある。だが舞台で芸をみせるなど、やっぱりちょっぴり恥ずかしいし、心の奥にひっかかるものがある。 迷ったあげくに小幡神社に来た。小さい時から嬉しいにつけ悲しいにつけ親の懐にすがるように相談にきた産土さまだ。天津祝詞を奏上し終るや、腹中から凝塊が舞い上がり、はじけとんだ。「ばか、ばか、ばか、ばか……」「止めるのが馬鹿か興行に出るのが馬鹿か、どちらですいな」「その判断のつかぬほど馬鹿なお前か」「へえ、わしは馬鹿ですさけ、多数決で、神がかりや元市さんらの言う通りにさせてもらいます」「やるならやれ。神界のさだめを破る野天狗ども。兇党界に落としてくれるぞ」 兇党界――どこかで前にも聞いた。そうだ、園部で南陽寺の岡田惟平翁に。将来、世に出でて非常な傑物になるか、一歩誤ると堕落して、兇党界に陥るおそれがあると。「神界の定めとは何です」「物質界には物質界の神の定めた法則があろう。利のためにみだりに法を犯す奴は許せぬ」 厳とした松岡神使の言葉に、はっとなった。神のために、が慢心の口実となって、知らぬ間に大切な修行者たちを邪道に引き入れていた。奇を求めておごり高ぶる彼らから、断固その術と憑霊を放逐するのに、喜三郎は数日の間悪戦苦闘した。 この一連の修行中、喜三郎はさまざまな憑霊現象を体験した。天狗の霊は「富士に住む」とか「男山に住む」などと告げ、白狐の霊は「稲荷山の白狐」と告げる。また眷属界の霊の感合する時は、「何々神の眷属の何々」などと名乗る。これらは正神界の霊だが、邪神界に仕える天狗や狐はその身分を隠そうとして大神の御名をかたったり、「正一位何々大明神」などと口から出任せに放言する。審神者が厳しく尋糾すれば包みきれずに白状するものもあれば、「疑うならば神罰立ちどころに到らん」などと逆に威嚇するものもある。 初期の頃の幽斎修行で憑ってきた霊はほとんど邪神界のものであった。甘言をもって邪神界に引き入れようとしたり、恐喝によって懾伏させようとする。ある時は「改心せよ、信心せよ」なぞと善言を吐いて、生来の悪を包もうとする。また「神が口で申す代わりに筆にて知らす」と言い、多くの白紙を費して金釘流の文字を並べたり、無点の漢文を綴るものもある。泣くもあり、怒るもあり、その様は千差万別だ。 表面だけ見ると、邪神は善神よりかえって善に見える場合もある。だから審神者にして識見なく胆力のない時は、ついに邪神界に魅せられることもある。 まだ手さぐりで幽斎修行中の喜三郎が審神者としての自信をつかむためには、これからも幾多の苦い体験を経ねばならぬ。
「巡査が来とる。喜三やんに用事やそうなぞ」 仲市が不安げに知らせにきた。「へえ、覚えないのう。どこにおる?」「母屋の縁や」 鎮魂して待つよう修行者に命じ、喜三郎は母屋に廻った。縁側に腰かけていた制服制帽の小柄な巡査は、喜三郎を見て立ち上がった。カチャンと長いサーべルが鳴る。南条にある曽我部巡査駐在所勤務の岡本則一巡査(三十九歳)。元亀山藩士岡本小文次の長男で、亀山の小天狗と異名をとる剣道の達人だ。知らぬ仲ではなかった。「上田君、今日は公用や。そのつもりでおってや」「御苦労はんです」 頭を下げた。巡査に訊問される後ろめたさはないから、平静であった。岡本巡査は、八の字髭に片手をやって、そり身になる。「あんたが狸や狐を使うて善男善女をだましとるという訴えが、しばしばある」「ははあ、治郎松はんやな」と仲市が口を出した。巡査は聞こえぬふうで、職務に忠実に言った。「難病の人たちが祈祷で治ると聞いていたさけ、今までは見て見ぬふりをしとった。けどのう、もし狐や狸を手先に使うて人をだまし、営利を目的としとるんなら、これは警察として見逃がしておけんのや」 喜三郎は、胸を張って答えた。「わしの目的は、物質文明に片寄って神を忘れ、腐敗堕落した社会を洗濯し、本来の惟神の道を宇内に宣揚することです。国家百年のために、今にして目ざめしめねばこの世は行きづまる、そう神さまから教えられとります。病気治しは、困った病人に頼まれて、止むをえず神さまにお取次ぎさしてもろたまでのこと。幸いに治った人から人へと伝えられて病人が集まってきます。金儲けのために、何で狸や狐を使わんなりまへん」 さらにその目的と趣旨を説き、幽斎修行についても問われるまま正直に答えた。好意のある態度で聞いていた岡本巡査だったが、職責は果たさねばならぬ。「上田君の言うことは、よう分かった。けどこれだけの人が集まって、ある目的で行動しとるのは、明らかに結社や」「そうです。わしは、この穴太に教団の本部を作るつもりです」「そこでこの結社は、どこから許可を得たんか」「許可って?……わし、神さんから命令を受けてやっとるのや。あきまへんか」 岡本巡査は困った顔になった。「ここは日本国やさけ、日本国の法律がある。所定の手続きをへて、公然とやったらよいやんか」「わし、法律はよう知りまへん。けど帝国憲法第二十八条には『日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限リニ於テ信教ノ自由ヲ有ス』、また二十九条には『日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス』とありまっしゃないか」「お前は、その『法律ノ範囲内』という言葉を知らんさけ困る。宗教団体には、宗教上のそれぞれのややこしい規則があるのや。独立して公認教となった神道は現在までで十一派。新しく公認教の仲間に加わるにはドえらい力がいる。天理教・金光教でさえ幾度も圧迫され、干渉を受け、ようやく認められるようになったが、まだ独立するとこまでいってへんのやど」「ほんなどないせい言うのや。わしは断じて節は曲げまへんで。神の教えを守り広めるほかに、わしの生き方はないさけのう」「そやさけや、喜三やん……お前は、ともかくも現在公認を得とる十一派のうちのどれかに所属せいや。たとえば御嶽教、大社教などの名を借りたらええやんか」 岡本巡査は親切に力説する。帝国憲法は、表で信教の自由をうたいながら、その実、天皇制国家としての体制護持のために厳しい公認制度を設けて思想統制を図り、干渉してくる。喜三郎には、まだその実態がはっきりとはのみこめぬ。が、神の命を受け、信ずるままに神の道を宣布しようとすれば、早晩、国家権力との対決は避けられぬと悟った。この神は、はっきりと現状を邪神の荒ぶ世、暗黒の世と断定した。であればこそ、喜三郎をして救世の神業を負わせられたのだから。「とにかくどんなに立派な神さんを拝んでいようと、公認のどこかの教団の管下になって開いてもらわんと、警察官としては、どうしても許すわけに行かん。度々、警察の手をわずらわさんよう、すぐに手続きをとるこっちゃ」 岡本巡査がもっともらしい説教で話を結んで帰った後、喜三郎と仲市は顔を見合わせた。「困った。このままでは、幽斎研究続けることも、惟神の大道を宣布することもできん」「喜三やん、この辺で御嶽教の管下に入る良い潮時やで」 仲市がすすめた。太元教会師中教正の松山昇の斡旋で、喜三郎は以前から御嶽教の教師になる勧告を受けていた。問題にもしていなかったが、事態がこうなれば、仲市の言う通り、一時、御嶽教の傘下に入らねばならぬか。真正の力を蓄えるまでの方便として……。
 四月三日、神武天皇祭の日である。喜三郎は早朝から神殿を清め、修行者と共に祭典を行なった。直会もすんで参拝者も解散し、さて今から太元教会を訪ねようとする矢先、世祢が来客を告げに来た。喜三郎は審神者の役を仲市に任せ、自宅へ帰った。庭先に、旅姿のずんぐりした男が立っている。禿げた頭が新緑の木の間から洩れる光に照り映えていた。「わしが上田喜三郎です」「静岡県安倍郡富士見村月見里稲荷神社附属稲荷講社総本部の社長、三矢喜右衛門でござる。紀州出身で、稲荷講の福井県本部長もしております」 頭を下げる代わりに、ふんぞり返って言った。「それで、どんな御用でっしゃろか」「わしが紀州方面でお札配りしているとな、上田喜三郎なる者が幽斎修行をやってござるとの風評が、和歌山まで聞こえて参った」「ちょっと待っとくれやす。稲荷講社では、社長じきじきにお札配りしやはるのですか」「ああ、そのことですか。社長というても、世間でいう社長とは違う。いま説明しましょう」 三矢は、鞄をあけて一枚の紙片を捜し出した。稲荷講社の規約書であった。三矢の丸まっこい指先の示す箇所には、役員の十二階級が記載してある。 正司領・権司領・大監督・権大監督・中監督・権中監督・小監督・権小監督・社長・副社長・取締・世話役 仰々しい階級名に目を丸くした。これで見ると、社長は九等役員になる。三矢の風采からそれぐらいのものであろうと、喜三郎は納得した。 遠来の客を庭先に立たしておくわけにもいかぬ。ともかくも、三矢を座敷に案内した。この地方の習わしでは、来客は、縁側か土間の上がり框ですます。冬なら、そこへ手あぶりと座蒲団を運んで接待する。縁側や土間の上がり框は、いわば応接間を兼ねていた。部屋へ招じ入れるのはよくよくであるが、和歌山まで喜三郎の名が聞こえているというので、気を良くしていた。「御苦労さんですな。はるばる和歌山から幽斎修行に来やはったわけですかい」「とんでもない。幽斎修行はあんたよか、はるかにわしらが先輩じゃ。年を考えてもみなさい。わしにしてみても、十年も前からこの道に入っとる。鎮魂帰神術は、わが稲荷講社の長沢総理が本家本元でござる」「へえ、わしが鎮魂帰神術を知ったのは、ついこのあいだ、中世以来永く絶えていた法とばかり思っていましたが……」「確かに鎮魂帰神術は永く途絶えていたが、本田親徳翁が復興なされ、わが稲荷講社の総理である親徳翁高弟の長沢雄楯先生に受けつがれた。かの有名な副島種臣伯爵も本田翁の高弟で、長沢総理とは兄弟弟子の間柄ですわい」 どうや、お前らのような即席安もんの鎮魂帰神術とはわけが違うと、言外ににおわせている。喜三郎にとって、そんなことはどうでもよかった。喜三郎の眼は、新しい知識を得て、貪婪に輝いた。「本田親徳先生について、もっと詳しゅう教えとくれやすな」 三矢は、慣れた口調で語り始める。 霊学中興の祖といわれる本田親徳は、文政五(一八二二)年、鹿児島藩加世田の御典医の子として生まれた。幼時より漢学と剣道を修業、十九歳にして大志を抱き、郷関を出る。水戸で会沢正志斎の門に学ぶこと数年、水戸学の影響を強く受けて尊王攘夷論者になり、『大日本史』の講義を得意とした。古典を深く考究するにつれ、深遠玄妙の境地にふれ、必ずや宇宙は霊的作用によると推断。 二十二歳の時、たまたま京都にあって、狐が十三歳の少女に憑依し和歌を詠むとの噂を耳にする。百聞は一見にしかずと、本田は晩秋の時雨の音を聞きつつその少女に向かい、「庭に紅葉の散るさまを詠ぜよ」と言うに、少女の相貌たちまち変わり、見事な手蹟で短冊に写しとめたその歌。   庭も世に散るさえ惜しきもみじ葉を       打ちも果てよと降る時雨かな 本田は感動し、以来、名誉も地位も投げうって霊学的作用の研究に没頭、ついに中世より絶えていた帰神術を復興して、「審神者の法」や「霊縛法」の法則等も明らかにした。 明治十六(一八八三)年、元鹿児島藩士奈良原繁が静岡県知事となるや、奈良原にすすめられて静岡の浅間神社宮司となる。ある夕、富士見村三輪の茶屋で長沢雄楯と会見、長沢はその卓見博識に畏敬して門下生となる。以後、本田は長沢宅や御穂神社等に身を寄せ、ひたすら幽斎修行と指導に専念する。 明治二十一(一八八八)年頃、世界の高天原発見の目的で諸国を歴遊、丹後の比沼真奈井神社に参拝し、この丹波路にも足跡を残している。翌二十二(一八八九)年四月九日、七十一歳の天寿を全うして歿。 喜三郎は、ほっと溜息をついた。暗中模索の状態で究めて来た鎮魂帰神術であったが、すでにその道の大先輩がいたのだ。大きな光明だった。本田親徳の霊学を継ぎ、さらに大成させたという長沢雄楯についても、喜三郎はつっこんで質問する、三矢は得意げに答えた。 長沢雄楯は、安政五(一八五八)年静岡県清水に生まる。十二歳で藩立学校に入り、初め漢学を学ぶ。明治五年、静岡の浅間神社に中教院が設立されると、ここに入って国学を修め、皇学の研究に精励する。明治七年、弱冠十七歳で抜擢され、中教院和漢学の助教となり、また御穂(三保)神社の祠掌(下級の神職で社掌の旧称)となる。 御穂神社社司であり宮中御歌所寄人であった葉若清足に皇典を字び、神霊学については本田親徳の門に入った。副島伯と並んでついに鎮魂帰神法を大成させる。長沢の高名を慕い、全国から訪ね来て師弟となる者ひきもきらぬ。 明治二十四年、稲荷講社の給仕をしていた宮城島金作少年(十四歳)に、御穂神社の眷属八千彦命がかかって、長沢に告げた。 ――稲荷の神は飯成の神であり、天下万民一日もなくてはならぬ衣食住の元の神である。しかるに世人の多くは、稲荷といえば狐のことと誤解している。御恩の多き神に対し、まことに申し訳なき次第である。世俗の誤解をとくため神社附属の稲荷講社を結集し、一は君国のため、一は神界のために尽くすよう。 長沢はおそれかしこみ、官の認可を得て講社を開設し、みずからは総理に就住した。「そういうわけで、本田・長沢先生の系列にも属さずに亜流で鎮魂帰神を修する者があれば、わたしの職分として、聞き流すわけに行きません。実はこのことは、すでに長沢総理に報告してある。総理は、『因縁ある身魂じゃ。ともかく調べてこい』と命じなされた。わたしが調べて筋の通ったものであれば、是非、稲荷講社の傘下に加わってもらいたい」 警察の干渉を避けるためには、いずれどこかの宗教団体に加盟せねばならぬと悩んでいた矢先のこと。いや、まさに心ならずも御嶽教太元教会の教導職になろうとまで決意しかけた時である。考えてみる価値があった。 すぐとびつけぬ気がするのは、稲荷講社という名称、まずそれにこだわった。この地方ならずともすぐ稲荷下げを連想し、狐狸を祀るものと誤解しよう。いまでさえ狐つかいと同類視されている喜三郎である。しかし、三矢の説明では、稲荷の神は狐ではなく、衣食住の元の神だという。名称にのみこだわり、本質を見失ってはならぬ。何より喜三郎を惹きつけるのは、総理の長沢雄楯が霊学の大家だという一事である。会ってみたい。教示を受けたい。「即答はできかねますのや。まだ詳しいこともお聞きしたい。泊まってもらえますか」「そのつもりで来ました。何日でも話し合いましょう。別に帰りは急ぎません」 その時、妹の雪が喜三郎を呼んだ。由松が土間から覗いている。「兄やん、まさか喜三郎が居候をおくつもりやないやろな」 この地方の方言で、居候を喜三郎という。来候と洒落たつもりであろう。現実に、喜三郎は長男でいながら、居候のような肩身の狭さだった。定収入のない上に、幽斎修行に凝って、百姓仕事に身を入れぬ。家族の者が喜三郎の客にいい顔するわけがない。このままでは悶着必至とみて、喜三郎はあっさり折れて出た。「よっしゃ、分かった。ほんな帰ってもらうわ」 喜三郎は、ひそかに三矢を穴太寺裏門前の旅館万屋の二階に案内した。 夕方には、穴太寺で行なわれている浄瑠璃や舞踊の温習会に出席し、一節うなった。今までの行きがかり上、すっぽかすわけにはいかなかった。これを最後に好きな歌舞音曲とも別れると、心にきっぱりと誓った。
 農事が終ると、琴ら相手に禊・鎮魂。その間にも、病をもつ者たちが次の間に集まってくる。喜三郎は、彼らの悩み、訴えを根気よく聞いて、心と体に巣食う病を追いのけようと祈る。叱り、なだめ、心のゆがみを省みる方向に持っていきつつ、鎮魂で得た念力を掌にこめて患部に当てる。喜三郎の掌は熱し、こまかく震動して、その波動は病む部分に吸い寄せられていく。肌に触れなくても、着衣の上から、あるいは一間ほどの空を隔てたところからでも、掌は病む部位に微妙に反応した。時には、閉じた瞼の中に体内の内部の病変がはっきり見える。まごころこめて平癒を祈る。ただそれだけのことながら、病気は面白いように軽くなり、数日を経て、患者は全治の喜びを告げにくる。あるいは即座に、一度の祈りで治るものもあった。 喜三郎は、それらの客が途絶えるのを待って、幽斎研究に没入する。一日が終わり人々の寝静まる深夜、恋人にしのび逢うふうな足どりで外出。万屋の裏口から入って勝手知った二階を訪問する。朝から酒を飲み、昼寝もたっぷりして、ご機嫌の三矢が待ちかまえている。 本田・長沢両翁の話の種もつきて、五十歳を過ぎた三矢の広く見聞してきた各地の風俗人情話、それはそれで面白く、世間的経験の豊かさから学ぶ面があった。しかし、霊学上の問題となると、肝心な点はあいまい、脱線だらけで、その解釈は浅薄であった。意外の無学さに失望を感じつつ、その満たされぬ分だけ長沢雄楯に会いたい思いが増していく。 喜三郎は、三矢に静岡への案内を頼みながら、今しばらくの猶予を乞うた。万屋へ支払う三矢の宿泊費はかさんで喜三郎の重い負担となったが、長沢への憧憬には代えられない。即刻立って行けぬのは、後に残る神主たちへの配慮があったからだ。 彼らをこのまま放置して、何日も留守はできなかった。怖い審神者のいぬ間に、妖魅らが未完成の神主を襲って半狂乱にせぬとも限らぬ。ともかくも一人でも神主を卒業させ、正神界との感合を得て、それを審神者代理におかねば安心ならなかった。一日昼夜八回の修行を十二回に強化した。農事・修行・病気治しのあいまを縫って、旅費の工面にもかけずり廻る。目的のためには不眠不休の強靭な意志と化した。 ある夜、三矢が喜三郎の鎮魂力を試してやろうと言い出した。先輩として、この速成の若者を、軽くなぶってやるつもりらしい。二人は万屋の二階で対峙した。「えっ」と重い気合が三矢の唇をついてほとばしった。瞑目して座したなりの喜三郎の心眼に、三矢の体内からのびてくる無数の縄が映った。縄は喜三郎の体のまわりをぐるぐるまわる。が、喜三郎の体は透明な被膜でおおわれているように、からみつこうとする縄をはじいて寄せつけぬ。「うーむ、やっ、とっ……」 あせって三矢は叫ぶ。三矢の全身から汗が滝のように流れるが、喜三郎は涼しい顔。やおら喜三郎、「ほっ」と力をこめると、縄は方向を転じて光の渦となり、瞬時に三矢の体をしめ上げる。自縄自縛。自分の体内から出した縄で縛された三矢は、でく人形のように転がった。鎮魂による霊縛法の応用であるが、いつの間にそなわったのかと、喜三郎は我ながら驚いた。「許す」と一声、縄は三矢の体内に吸いこまれるように消えた。「たいしたものや、あんたの霊力は……」 三矢は起き直り、汗をふきふき嘆息した。霊力ばかりは修行の年期に比例するものではないらしいと三矢も悟ったのか、以後、喜三郎の霊力を試そうとは言わなくなった。三矢は納得した。 やがて三矢の申告により、稲荷講社総本部の長沢雄楯総理から喜三郎と斎藤仲市あてに辞令が郵送下附されてきた。それには明治三十一年四月十五日付をもって「上田喜三郎・任中監督」、「斎藤仲市・副社長を命ず」と墨書されていた。これで喜三郎は、正式に稲荷講社の組織に組みこまれたわけである。

表題:煙の都 2巻10章煙の都



 喜三郎は琴に未成の神主を託し、三矢の案内で駿河へ東上する決意を固めた。 旅費二十円は、田野村下佐伯の地主大石友治郎から借りた。友治郎、通称友吉、四十六歳。喜三郎とは親子ほど年が離れているが、真面目で世話好きな男、喜三郎の話を熱心に聞き、よく理解した。村人の誰も相手にしてくれぬこの時点で、快く大金を貸してくれた友治郎の好意に胸がつまった。この恩を一生忘れまいと、喜三郎は心に誓った。「くれぐれも油断するなよ」 巡礼橋まで見送る修行者たちに、喜三郎は念を押した。琴はすり寄ってきて、旅仕度の若々しい喜三郎の手に触れた。内縁の妻という意識は、自然に体にあふれてくる。「大丈夫。心配せんと行ってきとくれやす。うちにかて正神と邪神の見分けぐらいできます。修行場に妖魅など寄せつけません」 自信に満ちた琴の声音は、一歩踏みこめば己惚れになりかねぬ。喜三郎はふと危惧を感じた。「かかってきた霊に寒気を感ずるようでは正神とはいえん。正神にはぬくみがある。熱いくらいに。仲やん、頼むで。慢心が一番恐ろしい敵や。つつしみ深く、省みる心を忘れんでいてくれ」 喜三郎は、琴の手を祈りをこめて握り返した。まだ残る不安を振り切って、背を向ける。その背に螢が青く光って流れた。 初めての大旅行であった。東は京都伏見、西は埴生村、南は能勢妙見、北は園部船岡、つまり六里以遠を旅した経験はなかった。七、八十里の旅行とはいえ、田舎者の喜三郎にとっては大きな冒険であった。 老の坂を越えた沓掛のあたりでまぶしく朝日が昇り始める。沓掛から人力車を奮発し、午前九時四十分、京都七条駅に着く。洋風のしゃれた駅の玄関口には人力車が押し並び、洋装の紳士、淑女が華やいで人目を集めていた。 午前九時四十六分の新橋行普通列車三等車両に乗りこむ。昨年までは上等・中等・下等と呼んでいたのが一・二・三等と名称が変わっていた。《マッチ箱》という小型車両で、両脇の木の長椅子には茣蓙がかぶせてある。二十八歳のこの年になって、汽車に乗るのは初めて。 腹をふるわすばかりの汽笛一声、黒煙を吹き上げて、ゴットン、汽車は動き出した。喜三郎は子供のように座席に上がり込み、車窓にかじりつく。早い早い。のろのろ普通列車も、喜三郎には夢の超速力に思われる。 琵琶湖・彦根の旧城・名古屋城を望見する度、あたりかまわぬ大声を上げて、旅慣れた三矢に袖を引っ張られる。天竜・大井・安倍川の鉄橋通過の勇ましい轟音。 やがて富士の霊峰を眺め、魂を奪われて沈黙した。「芙蓉山に連れて行く」と言われて、身は高熊山にありながら、霊的には幾度か登ったなつかしい富士をついに目前に見たのだ。感激家の喜三郎は、こぼれる涙を急いで拭いた。 静岡で降りて一時間待ち、再び列車に乗りかえて江尻駅(現清水駅)に下車、三矢の案内に耳を傾けながら大きな鞄をぶらぶらさせ、安倍郡富士見村下清水へと黄昏の道を十七、八町ばかり歩く。目ざす月見里神社は見るかげもなく荒廃していた。明治二十四年の地震で崩れ落ち、形ばかりの仮宮が建っている。境内はようやく復旧工事にかかったところであった。 祈り終って、ここも荒れた境内の長沢家を訪問した。幸い長沢は在宅し、喜んで迎えた。「待ちかねていました、三矢からの報告も受けています」 三間ばかりの平屋だった。玄関脇の書斎に通され、机を挟んで対座した。三矢はついてこなかった。勝手知ったように、茶の間ヘでも入りこんで、家族の御機嫌をとっているのか、時々、へつらい笑いが聞こえる。 初対面の挨拶といっても、わずかに住所姓名を告げただけ。用向き一つ聞かずに長沢は、一人で熱して喋り始めた。無口な人と三矢から聞いていた喜三郎は、驚いた。 まず師である本田親徳の人格識見について一くさり。そこで息をつぎ、膝を交互に進ませて三白眼の大きな眼をむき、眼が近いのか背を曲げ身をのり出して、喜三郎を覗きこむ。「ともかく上田さん。本田先生の学識・霊力はたいしたもんでしたよ。久能山や富士山に四十余年、神道を学理と実地に研究なされ、まさに皇道の蘊奥に到達しておられた。面白かったのは、紀州の高野山に登った時じゃよ。霊山も俗僧どもの巣窟となり果てとると悲しまれ、鎮魂の姿努をとるや、空中に大声を発せしめられた。『破戒の俗僧ども、霊山を汚しおるから、当山は三日のうちに焼きはらうぞ。さよう心得い』、俄かに丸頭どもが周章狼狽、天を仰いで罪穢解除の祈祷を一心不乱にやり出しおった」「ははは……坊主騙せば七代祟る言うけど、この頃の坊主はそんな力もおへんやろ。空海はんもお気の毒ですなあ」「幽斎も熟達しておられたのう。先生と清見潟の旅亭に泊まった時じゃった。どうもいたずらが過ぎて、今でも思い出すたび冷汗が出るのじゃが、こればかりは、上田君、真似せんでくれよ。宿の二階から眺めとると、一隻の漁船が入ってくる、日頃先生の神術に動転させられとるので、『先生、あの船は鎮魂で覆りませんか』とつい戯れを言うた。『やってみよう』と先生も気軽に答えられたもんだ。鎮魂の姿努をとられ、うーむと気合いを入れる。見るまに船は丸い底をみせてひっくり返った。わしは蒼くなったよ。先生も驚かれたらしい。あわてて岸までかけつけた。わいわいさわいどる連中から、乗船者に異常なく、たいした被害もなかったことを確かめると、何にも言わずに逃げ帰ってきた」 長沢は四十一歳の元気盛り、少し天井向いた鼻を仰向けて、てれたようににんまりした。中年のひっそりした女性が、食事を運んできた。後で知ったが、長沢の妹ひさ三十七歳、未だに独身で神務に奉仕している。 長沢は妹を紹介するでもなく、食事しながらも喋り続ける。机の下には、二、三ケ月分はあろう新聞や、丸まった紙屑、手紙の類が、封を切ったのやら切らぬのやらごっちゃになって散乱していた。風邪気味なのか、つうと鼻水がたれて口髭にひっかかる。顔と顔が接近しているので、喜三郎は気になった。と、障子の破れ端に指をのばし、ぴりっと引きちぎって、鼻をかむ。あまって膝に落ちようとするのは、平然と新聞紙で受け止め、ちぎっては丸めて、ぽいと机の下に投げこむ。 刻み煙草もひっきりなしに吸った。灰は左掌にポンポンと雁首を叩きつけて、横の火鉢に落とす。それらの動作を流れるごとくにくり返しつつ、四時間ばかり、喋り続けて、つと雪隠へ立った。 霊学の問題となると、さすがに裨益すること大であった。初対面の若造をつかまえ、寸刻を惜しむばかりに語ってくれるのは、この上なく有難い。しかし、一夜を歩きつづけの上長途の汽車旅、それも初体験で、喜三郎はくたびれていた。急いで足をのばした。 長沢は、せかせかと雪隠から帰ると、また元の所に坐り、さらに膝をすすめて話は佳境に入る。いつのまにか長沢の母豊子が傍に坐り、ほほえみ、うなずきながら聞いていた。八十歳になるという、品のいい老婆であった。 深更になって、長沢はふと言葉を改めた。「本田先生が昇天なされたのは明治二十二年四月。その一年ほど前であったから、今からかぞえてちょうど十年昔になる。『丹波より一人の修行者があらわれる。その者が来てからでないと、惟神の道は広まらぬ。十年後にこの道は丹波からひらけよう』とおっしゃった。上田さん、あなたは、師の大志を継ぐべき人だと思う。研鑚を願います」 一人で喋りながら、長沢は、喜三郎の人物をちゃんと審神していたのだ。本田親徳の言葉には、思いあたるものがあった。が、それは胸に納めて、喜三郎は粛として両手をついた。 豊子が寝室に案内してくれた。蒲団が二つ並べてあり、一方には三矢が高鼾で眠っている。 着物を厚く大きくしたような夜具を見て、蒲団よりほかの夜具を知らぬ喜三郎、「なんと大きな布子(木綿の綿入)じゃなあ」と感嘆し、豊子に笑われた。 並々ならぬ霊覚の持ち主と喜三郎を見抜いている豊子は、親しみをこめたまなざしで言った。「本田先生から預かっているものがあります。十年後に丹波から来る者に渡してくれ、いうことでしたので……」 豊子は、箪子の引き出しから、鎮魂の玉と天然笛を取り出した。喜三郎は、拝跪して受け取った。さらに二冊の和綴じの書をそえられた。「神伝秘書」一巻と「道の大原」と「真道問対」各一巻の写本である。暖かい夜具に包まれながら、喜三郎の目は冴えわたった。
 あの時のあの方だ。直感が喜三郎の心をつらぬいていた。 十年前の明治二十一年春、喜三郎十八歳の時であった。樫原ヘ種粉を運んで、わずかの賃金を得るために、山と積んだ車を喜三郎が前曳きし、父が後押しした。王子の梨木峠の頂上に重い車を押し上げて、二人は路傍の石に腰かけ流れる汗をぬぐっていた。 足もとの草叢の中に、縞の財布が落ちている。手にとった重みで、はした金でないことが分かった。「父さん、財布や。大金が入っとるで。途中で交番に届けよか」「やめとけ、やめとけ。怪しい金かも知れん。かかわり合いになったら面倒や。その辺に捨てとけ」 事なかれ主義の父の言い種も無理ではない。親切が仇となって、泣きをみることもままある世だ。落とし主の身を気づかう喜三郎との間に、押し問答が続いた。 いつの間にか背後に人が立っている。気づいて二人は、ぎょっとなった。見れば、暗がりの宮あたりで、少し前にすれ違った旅の老人である。「その財布は、拙者の遺失物でござる」 落ち着いた声音で老人が言った。「それはよかった。では……」 人品いやしからぬ老人の風貌に、喜三郎はほっとして財布をさし出す。「中見をお確かめ下され。四百二十円ばかりあるはず」 老人の言う通りであった。戻った財布の中から五十円を出して、老人は感謝のしるしに父子に与えようとした。吉松は頑として拒否した。老人は、ふっと深い眼を喜三郎に当てて言った。「十年後にまた逢う日がこよう」 聞きかえす間もなく霞の中に去っていった。その謎の言葉が、はっきりよみがえってくる。あの人こそ、世界の高天原発見の目的で諸国歴遊中の本田親徳。それとも知らずに十年たった今、わしはここに来ている。
 いっときのまどろみの後、喜三郎は起きた。家を抜け出して、天宇受売命を祀るという由緒深い月見里神社の仮宮に額ずく。朝日が、白雪を頂く富士の霊峰をうす紅に染めていた。身も心もその霊気の中に浸りつつ、懐中してきた「道の大原」を押しいただき、声高く誦す。「神の黙示は、乃ち吾が俯仰観察する、宇宙の霊・力・体の三大を以てす。天地の真象を観察して真神の体を思考すべし。万有の運化の毫差なきを視て真神の力を思考すべし。活物の心性を覚悟して真神の霊魂を思考すべし……」 喜三郎は、呆然として立ち上がった。何ということだ。小幡神社で、更には高熊山で受けた異霊彦命の神示と寸分ちがわぬではないか。次々とひもとく言葉のどれもが、すでに喜三郎の血肉となっている神示そのものであり、更に詳らかに説き明かしてある。 長沢の妹ひさが、神饌物を棒げてくるのをつかまえて唐突に聞いた。「本田親徳先生の御神名は」「ことたまひこの命」 響くように、ひさが答える。そうか、梨木峠の老人に十年後に出逢うたのは高熊山、霊界ではこの芙蓉山だったのだ。わしの導師は異霊彦命、即ち本田親徳。驚異と確信に我を忘れて、喜三郎は立ちつくす。 朝食が終わると、長沢は再び喜三郎を招いた。今日こそは長沢に一言も喋らすまいと気負いこみ、座に着くなり喜三郎の方からまくし立てた。高熊山での修行前から今朝の確信に至るまでわずか一箇月余りのいきさつだが、三時間息もつかずに語る。芙蓉山の神霊木花咲耶姫命はじめ異霊彦命から受けた神示の数々も包まずに語った。長沢はおとなしく「はい、はい……」とうなずぎ、長物語の神妙なる聞き手にまわってくれた。「よく分かりました。それでは、あなたの神がかりがどんなものか、私が審神してみましょう」 二人は手を洗い、口をすすぎ清めて、月見里神社の社務所で対座した。 喜三郎の眼の高さに天井から吊るした鎮魂石がある。鏡魂石は金欄の外袋から取り出した白地の内袋に入ったまま。心を鎮めて見つめるうち、石の周囲に美しい色彩が躍り、魂が吸いこまれていく。長沢のゆで卵をむいたようなつるんとした顔が厳しく引き締まり、瞼が垂れて半眼となる。 厳粛の気がみなぎるうちにユーユーと尾を引く石笛の音。長沢の眼が異様に光った。 とーん。激しく体を切った喜三郎。端正に元の座に下りるや、凝塊がつき上がって唇を割る。有形の他感法の場合、神霊が強くかかると自意識を失う。ただ遠くかすかにわが唇が動いている感覚が残る。 昇神を願う審神者の二拍手。再び体を切って我に返る。たとえようもない、爽快な気分であった。 長沢は目を閉じたまま無言。が、その頬は赤らみ、深い感動があらわれている。緊張を吐き出すように長沢はホーッと深い息を出し、「小松林命のご神憑があった」「男山八幡宮の御眷属と前に伺いましたが、正しい神がかりでっしゃろか」「むろんじゃよ、高等神がかりです。神主は修行ばかりではない、やはり天稟がものをいう。私の門下の宮城島金作も幼少から優秀な神主であったが、上田さんもそれに勝るとも劣らぬ」 長沢は例のせき込んだ及び腰となり、膝がぶつかり合うほど身を進ませて、喜三郎を見つめた。「上田さん、数年後にはロシアとの戦が始まる――小松林命のきっぱりした予言です。きっと的中するだろう」「へえ!」「明治二十七年四月には、宮城島金作に御穂神社の御眷属八千彦命がかかられて日清戦争の予言をなさった。微に入り細にわたって、正確に実現しました。今度は日露が戦う。戦争の詳しい経過からその結果まで示されました」「その結果は……」「むろん勝つ。が、これはまだ神界の秘密じゃ。人には……」 長沢は人さし指を立て、強く唇を封じてみせた。
 後年の長沢雄楯翁談話の記録によると、「……そこで出口さん(上田喜三郎)が神主、私が審神者で神懸りをやり御伺いする事に致しました。懸られた神様は男山八幡の小松林という神様でありました。『日露戦争は御座いますか』『ロシアとの戦いはある。明治三十六年の下半期から開戦となって、三十七年二月上旬に火蓋は切っておとされる』『戦況は』『……日本は連戦連勝だが、支那との戦いのようには行かぬ。我艦もX隻沈む』『平和は何時来るか』『……二年目の九月に平和は来る』『日本の利は』『……朝鮮は手に入る。支那の海岸と樺太の一部が手に入る……』 このように全く寸分違わぬ神託がありました。全く海陸の戦況すべて、何一つとして間違わぬのでして、二時間以上もかかり、出口さんの神懸りは、ちょうど、演説口調のようでした。これは、歴史を調ベて見ましても、ちょっと、類のないくらいの大神懸りで、神懸り歴史に特筆大書すべきであります……」
「……そうか。小松林命はやっぱり正神。と、その命を受けてわしに憑られる松岡はんも……」「あんたを試しておられる。徹底的に鍛えようという神心じゃよ」 小松林命の予言よりも、高等神がかりと断定されたことが幾層倍も嬉しかった。思わず、にじみ出る涙を袖でぐいと払った。「気違いや。山師や、狐つきや」と、身内のものから村人たちにまで誹謗され続けてきた。自分でも信じきることはできなかった。いや、信じ切ろうとして、七人もの神主をかかえながら、何度だまされ、恥をかかされ、いためつけられてきただろう。迷いは心を去らなかった。それを初めて高等神がかりと……。しかも霊学の大家に……。 喜三郎は、両手をつき、長沢の前に深く頭を下げて即座に入門を乞うた。教えを乞おうというよりは、神がかりを認められた嬉しさがそうせずにおれなかったのだ。長沢は快く入門を許した。 喜三郎は長沢総理に上申し、園部の内藤半吾に少監督、下司熊次郎には社長、東別院村の細見栄次郎に権少監督、斎藤元市と多田琴に社長、弟の上田幸吉と多田亀吉に取締にとの任命を申請、許可された。 三日間逗留して帰路についた喜三郎と三矢の持つ二箇の大きな皮鞄の中には数多くの守札や神拝詞の折本などがつまっていたが、何よりの土産は、いま目ざしている道は間違っていなかったという、強い確信であった。 名古屋駅で途中下車して、三矢の案内で、金の鯱鉾を見物した。また駅前広場では、二銭払って、初めて蓄音器なるものを聞いた。耳に管をあてると、鼻にかかった娘義太夫の声が伝わってくるのだった。 さまざまな初体験をして穴太に帰ると、斎藤仲市はじめ修行者らが笑顔で迎えてくれたが、とりわけ琴のそぶりには喜びが満ちあふれていた。 喜三郎を駿河へ手引きした功績により、三矢は役職を一等進められて権少監督に任ぜられ、大恐悦であった。
 幽斎修行はさらに激しく続行された。審神者も神主も疲労衰弱、歩行も自由にならぬまでに至った。しかし本真剣な喜三郎の気迫に打たれて、誰も音を上げる者はいなかった。琴や幸吉が正神と感合し、とくやたかまでも容姿にどことなく気品ができ、物腰も優美となり、落ち着きを見せてくる。やたら無差別に体を切る回数は減り、感合の始めと終りの二回となる。修行場の雰囲気も鎮まって、森厳さを加えていた。 参考までに、正神の憑った時の審神者と神主との問答を記載する。
 審神者上田喜三郎・神主多田琴。「御神名を伺います」「住吉神社の眷属大霜だ」「御苦労です。神社所在地は?……」「摂津国堺市にある」「社格を問います」「官幣大社だ」「祭神の御名は?……」「祭神は四座、底筒男神・中筒男神・表筒男神・神功皇后である」「摂社がありますか」「祓戸神社・磯の御前(津守の祖)の二座がある」「住吉大神は何神の御子でしょうか」「伊弉諾尊の御子である。尊が筑紫の日向の橘の小戸の檍原に至りて祓除し給う時、ついに身の汚れを盪滌せんとして海底に沈濯し、因て以て生まるる神を名づけて底津小童命、次に底筒男命、また潮の中に潜濯して、因て以て生まるる神を名づけて中津小童命、次に中筒男命、また潮の上に浮濯して因て以て生まるる神を名づけて表津小童命、次は表筒男命。その底筒男命・中筒男命・表筒男命がすなわち住吉大明神である」「住吉の地に鎮座された由来をお知らせ願います」「底筒男・中筒男・表筒男三神の荒魂は筑紫の小戸にある。和魂は神功皇后が三韓に出兵し給う時に摂州に顕座し、皇后の体に託して四方を循行し、ついに摂州の地に到りて『真住吉の国なり』と宣言する。因てその地に鎮座し、名づけて住吉という」「貴神が住吉に仕えられたのは、どのような縁故でしょうか。審神者の研究のためにお教え下さい」「吾はその昔、神功皇后が三韓に渡り給う時、一方の将軍として従軍した者の荒魂だが、以後、住吉神社の眷属として奉仕している」
 審神者上田喜三郎・神主上田幸吉。「御名を伺います」「八坂神社の眷属行守だ」「神社の所在地は?……」「山城国愛宕郡八坂にある」「社格は?……」「官幣中社だ」「現奉仕の宮司の姓名と位記を問います」「従六位秋山光條である」「祭神の御名は?……」「祭神は感神天皇・八王子・稲田姫だ」「感神天皇とは?……」「素盞嗚尊の御別称だ。一に牛頭天王とも申し上げ、勇悍にして安忍なる大神である」「八王子とは、どのような神でしょうか」「天照大神の生み給いし五男神と素盞嗚尊の生み給いし三女神を合わせて八王子と奉称する」「稲田姫とはいかなる神ですか」「素盞嗚尊が出雲国簸之川上にて八岐の大蛇を退治して、一女を救いわが妻となし給う。これが稲田姫じゃ」
 静岡への旅で広い世間を見たこと、長沢翁から高等神がかりと判定されたことが、喜三郎の希望をさらにふるい立たせていた。 朝起きるなり、井戸端で米をといでいる琴に相談を持ちかけた。「お琴やん、わしは神霊の世界を本格的に究めるために、霊学会を設立しようと思うねん。けどこんな穴太の片田舎では、発展してもたかが知れとる。どうせなら煙の都大阪に霊学会本部を設置して大宣教し、浪花っ子を煙にまいてやりたい」 とぐのをやめて立ち上がった琴の頬も上気している。「喜楽はん、ぜひそうしとくれやす。あんたはこんなとこにくすぶっとる人やない。それでいつ出発します? そうと決まったら、うちも中村へ帰んで身仕度せんなんし……」「おいおい、大阪へ行くのはわし一人や、お琴やんには留守のことを頼みたい。霊学会が軌道に乗ったら、すぐに呼ぶさけ……」「それでもあんた、大阪に誰か知り合いがいやはりますか」「いや、誰もおらん」「よろしか、よう考えとくれやっしゃ。大阪で霊学会を開くにしても、初めから神主を育てるのは容易なことやおへんで」「そらそうや」「そんならうちを連れて行かはったら、便利でっしゃろ」「それもそうや」「それに西も東も分からん大阪で宣教するとなったら、穴太みたいなわけには行きまへん。その点、うちなら大阪の地理にくわしい」「え、お琴やん、大阪知っとるのか」「うちの母さんが大阪に住んでますねん」「お琴やんのお母さん、まだ生きてたんか」「お国いうて、うちを生んでくれた実の母やけど、うちの子供のころ、お父さんの極道に愛想をつかして別れてしもて、今は口入れ屋に後妻に行ってます。それでもときどき遊びに行くさけ、大阪ならよう知ってます。宿屋に泊まって宣教したんでは、滞在費がなんぼあっても足らしまへん。ちょうど母さんの家の離れがあいてるし、そこを根城に宣教しなはれ」「そら、そうできたら助かるけど……」「ほんなこれで決まった。善は急げや。うち、明日にでも一足先に大阪に行って、喜楽はんに宿貸してもらうように、母さんに頼んどきますわ」 由松が縁先から大声でどなった。「こら、朝っぱらからいつまでいちゃいちゃしてけつかるねん。腹へった。はよ飯食わさんけえ」 いそいそと台所へ走る琴の背を眺めながら、喜三郎はいつのまにか琴のぺースにまきこまれている自分に気づいた。「ほんまに頼り甲斐のある女や」と、喜三郎は口に出して呟いた。
 懐には家と田を抵当に入れて借りた大枚五十円、ぶら下げた革鞄には鎮魂石に天然笛。初宣教の心意気に胸を張って、喜三郎は穴太を発つ。西条・川上・寺村をぬけ、昼なお暗い生首峠を踏み越えて十三里の山坂を茨木に出る。 茨木駅から汽車に乗った。汽車の窓から望見する大阪は、噂にたがわぬ煙の都。幾百とも知らぬ煙突が、もうもうと黒煙を吹き上げていた。 梅田駅下車。呆然としゃれた煉瓦造りの駅構内を眺める。正面玄関に時計台がそびえ立つのも、ひどくハイカラだ。客待ちの人力車群を横目に見て、駅前広場を渡り、池のある小公園を抜ける。 さて、どちらへ行ったものか。馬車、人力車の行き交う鉄輪が目まぐるしく轟き渡り、たそがれの町中をやたら忙しく人が動く。誰もかも自分のことで頭がいっぱいなのか、物問いたげにつっ立っている田舎者に目もかけてはくれぬ。 ――そうや、交番に聞くのが早道やろ。 目についた交番を覗いて、机上執務中の巡査に訊いた。「あの、丹波の中村にいたお国はんが、こっちへ越して来てますやろ。知ってはらしまへんか」「住所はどこや?」「もちろん大阪ですがな」 巡査は、机から頭を上げて喜三郎を眺めた。「大阪は分かっとる。住所聞いとるんじゃ」「そやさけあんた……やっぱり大阪や。あきまへんか」「何々町の何番地かが分からな。せめて目当ての橋なり建物なり言うてみい」「へえ、困ったなあ、大阪としか聞いてしまへんのやが」「しゃあないな。それで、お国はんの苗字は……」「さあ、中村におった時は、多田いう苗字やった。夫は多田亀吉、通称多田亀いうて、丹波ではちょっとは名の知れた侠客や。天保十年生まれいうとったさけ、今年でたしか還暦ですわ。お国はんはだいぶ昔に大阪に後妻に行ったそうやから、苗字は多分かわってまっしゃろな」「どうにもならんがな。この広い大阪でお前、お国さんいえば分かるとでも思っとったんか」「いや、最近、娘の多田琴が来てまっさけ、分かりまっしゃろ。色が白うて、背丈はわしより高いぐらい、なかなか可愛い顔した大女やさけ目立ちますわ。見てはらしまへんか」「阿呆かいな」「そら職務怠慢や。穴太の岡本巡査やったら、他国者が来たらその日のうちに何でも知ってまっせ」「おいおい、大阪にはお前、何十万人住んどるねんで。いちいち顔見とるわけないやろ」 巡査がもてあまして、げんなりした顔をする。喜三郎は手を打った。「そやそや、何で思い出さなんだんやろ。お国はんの嫁入り先は、口入れ屋やった」「口入れ屋。大阪に何百軒あるやら分からん。わしゃ忙しいんじゃ。あきらめて帰ってくれ」 押し問答の末、喜三郎は立ち上がった。「かましまヘん。自分で捜しますわ。いざとなったら、天眼通で見るさけのう。そやけどあんた、神さんならもっと親切に教えてくれはる。私事やさけ、神さんにまで厄介かけてはすまん思うて交番に聞いたんや。富士の霊峰を仰いだり、名古屋城の金の鯱鉾を見物したり、蓄音器を聞いたりしたことのあるわしやさけよいようなもんの、田舎者なら途方に暮れとるとこやで」 巡査が追ってきて、やさしい声を出した。「君、君、癲狂院なら反対だっせ。連れてったる」「おおきに、一人で行きます」 喜三郎はぷりぷりした。 大阪が大都会であることは百も承知の喜三郎だが、何せ井の中の蛙だ。何ほど大阪が広いといっても、ちょっと根気よく捜せば分からぬはずはあるまい。不親切なお巡り奴と、本気で思った。「お国さんとお琴やんのおる口入れ屋はどこやろ」 道々聞きながら、南へ南へと進む。中之島公園にぶつかって、豊国神社に参拝し、木村重成の誠忠碑を眺める。誠忠碑の大きな御影石が、真中から斜にひび割れていた。水の都の浪花は、中空を煙で包まれ、地は河で囲まれていた。同じような橋が、いくつも架かっている。橋の上に立ち、思案した。 屑屋が通る。ラオ仕替屋が通る。下駄の歯入屋が通る。人力車が通る。着飾った人。貧しげな人。その雑踏の中で目をつぶり、琴の行方を追った。がたがたと響く雑音にさまたげられて、心が散る。ここでは石笛も吹く気になれぬ。四辺は次第に暮色に滲んでいた。 どうしたものか、その時、ぼんやり瞼に映ったのは、穴太の隣家、古ぼけた斎藤佐市の家ではないか。はて、そんなはずがないと、目をぱちぱちさせて気がついた。おいのだ。二年前喜三郎との仲を裂かれて、いのは大阪に去った。そのいのの親佐市夫婦が確か空心町で餅屋をしていると聞いた。 喜三郎は元気よく歩き出した。暗くなる前に、ともかく空心町を捜しあてよう。交番はこりていた。地理を知っている車屋に案内さすのが安全と、知恵を働かせる。ちょうど空車をひいて橋づみに来かかった車夫を、呼び止めた。「空心町の斎藤佐市いう餅屋にやってもらえまへんか」「へえ、餅屋だっか。空心町のどこらへんやね」「そうや、天満橋の詰めや言うとってでしたわ」 車夫は、きょろきょろまわりを見まわしてから、喜三郎の風体に目をあてて、考え深げに言った。「お客はん、車に乗るんやったら乗っとくれやす。わしはあんまり行きとうないんやが、お客はんの注文で走るんですさかい、前金で頼んまっせ」「よっしゃ、なんぼや」「そうやな、空心町はよっぽど道のりがあるさかい、二十五銭出してもらわんとなあ」「かまいまへん。やっとくなはれ」 この際、五十銭が一円でもよかった。一刻も早く、知人の顔を見たかった。無事に行きつくようにと奮発して、言い値より多い三十銭を前金で握らせた。 車は揺れながら長い橋を南へ渡り、また大きな橋を渡って町中を走り、今度は同じような橋を北へ渡った。似た景色の多い所だと思ううち、橋詰めの少しへこんだ狭い門口の家の前に下ろされた。 門口に灯が入っていて、看板の文字が読めた。「実盛餅」とある。さっきは暗かったので気づかなかったが、ここならたしかに見たところだ。人力車が走り去った頃、喜三郎は手を打った。つまり、ここ天満橋のたもとから車に乗って、町中をぐるぐるかけまわり、あげくに元の場所ヘ下ろされたわけだ。「やあ、喜三やん。よう来たのう。あんた、この頃、噂に聞いたら、えらい信心でけとるそうやないけ。けっこうや。まあ、上がって一服しとくれ」 実盛餅屋の主人佐市が、なつかしげに寄ってくる。「へい、おおきに」 扇を膝にもてあそび、喜三郎はうつむいた。穴太にいた頃、佐市はこれほど愛想がよくなかった。やはり大阪にいて、故郷の人に会うのは嬉しいのだろう。女房のお繁も声を聞きつけ、笑顔で出てくる。「わざわざ穴太から出てきたんやなあ。あんた、おいのはまだ独りでっせ……」 言いかけて、あわててお繁は口をふさぐ。 喜三郎はもじもじし、いっそう深くうつむいた。大阪で宣教する夢にひかれて無鉄砲にとび出してきて、都会の広さにとまどい、思いがけずいのの両親のところにとびこんでしまった。心の準備もできてなかった。気も狂わんばかりに恋しかったいののことを、今がいままで忘れていた、己れの薄情さが恥ずかしい。「それで、大阪へは……用事できはったんやろ」 それとなく佐市が聞き出す。「はあ、出来れば、大阪で神の道を広めようと思いますんや……」 答えながら、琴の居場所までは聞けないと思った。古傷がちくちく痛んでいた。 お繁が実盛餅と番茶を運んできて座談に加わる。天満橋から車に乗って三十銭で元のところに下ろされた話に、二人はふき出した。わだかまりもとけてきて、故郷の噂に花が咲く。やがて、お繁が言った。「せっかく来やはったんやで泊まってもらいたいけど、この通りの狭さやさけ、どうにもなりまへん。どこかの宿屋へでも泊まらなしようがおへんなあ。旅費は持っとってか」「算段して五十円持ってきたさけ、あの人力車に払うても、まだ四十九円五十銭ほど残っとるはずや」 夫妻は目を丸くした。「そんな大金もっとると、掏摸が田舎者やと思うて盗るかも知れんぞ。しっかり内懐ヘ入れて、片一方の手で握りもって歩けよ」「車に乗ったら、まただまされんよう、気いつけや」 くちぐちに忠告してくれる。 喜三郎は、堂島の川ばたにある白木造りの三階達ての玉屋に宿をとった。早朝から歩き通しで慣れぬ都会をさまよい、心身ともに疲れきっていた。ともかくも一夜の夢をここで結んだ。 翌朝、琴の所在を捜しがてら行きあたりばったりに布教しようと、鞄を持って玄関に出た。「こら、どこヘ逃げる。田舎者めが」 すごい剣幕で、番頭がとびかかってきた。喜三郎は驚いた。「逃げるんやないて。ちゃんとまた帰ってくるわい。尋ね人があるさけ、夜まで出しておくれやす。毎日宿賃はろうて寝とってもつまらんさけ……」 番頭は、まだ疑わしげな顔であった。「そんなら鞄を置いといてもらおか。銭はなんぼ持っとんのや」「四十九円五十銭ほどありますで」 胴巻きを出し、中見を見せると、番頭の表情が変わった。「ヘヘへ……それはどうも。けどなんだす。都会慣れん人が大金もって出歩いたら、無用心だっせ。掏摸にでもとられたら、宿賃も払うてもらえヘん。外ヘ出やはるんやったら、四十円だけ預からしてもらいまっせ。お帰りの時には、きちんと勘定しますさかい……」 もっともだと思った。四十円を番頭に預け、残りの九円五十践を持って宿を出た。 琴の所在を尋ねながら、大阪の町を歩き廻った。教会の看板が目につくと訪問して、教義を聞いた。稲荷下げも多かった。芝居を見、寄席をのぞき、見世物小屋にも首をつっこんだ。夜は宿で鎮魂し、神勅を待ったが、松岡も大霜も琴らの行き先となると、スカタンばかり教えて、本当のことを告げてくれぬ。 二週間がうかうかと過ぎ、番頭が勘定書を持ってあらわれた。喜三郎は肝をつぶした。一日の泊まりが二円八十銭、二週間で三十九円二十銭。穴太の宿万屋なら一泊二十五銭が相場だ。何ほど大阪だといっても、倍の一泊五十銭とみて二ケ月ぐらいは大丈夫と、懐勘定していたのである。預けた金の中から八十銭を返してくれたが、やけくそで茶代としてくれてやった。つまり命の綱とも思う四十円の金は、二週間前、玉屋の番頭に手渡したきり、長の別れとなってしまった。 手持ちの端金も、もはや一円余りしか残っていない。これ以上、半日として宿屋にうろうろできなかった。 鞄一つ下げて宿を出た。足は重かった。家屋敷を抵当に入れ、借りた金だった。一同には、大阪大宣教の夢を語って勇ましく旅立って来たのに。琴はこの大都会のどこに消えてしまったのか。その上、煙の都の煙と消えた大金の惜しさ、無念さ。――どの面下げて故郷へ帰れよう。かといって、宿賃の相場を調べて玉屋の主人に抗議しようなどとは、つゆ思い浮かばぬ喜三郎だ。失意の時は妙に故郷がしのばれる。ふと斎藤老夫婦の顔が瞼に映じた。宿を世話してもらって以来、会ってはいなかった。ともかく斎藤家に立ち寄ってから一思案しようと、喜三郎は決めた。 暗くなって空心町の実盛餅屋の店に入ると、思わぬ人に出会った。かつて涙で別れ、今では未亡人となったいのである。姉わきの家に同居しているとのことだったが、たまたま両親に会いに来たのでもあろうか。いのは後ずさり、面をおおった。 なつかしさと悲しみが入りまじって、声も出ぬ。独り身でいると聞いたが、ほんとうだろうか……もしや、まだわしを……心で問いかけながら、喜三郎も黙した。 佐市夫妻と妹富野が出てきて、喜三郎をもてなしてくれた。「せっかくやさけ、泊まっていきなはれ、喜三やんも度々はこられんやろ。何せ四畳半一間で窮屈やが……」と、お繁婆さんが粋をきかしてくれる。ありがたかった。 二十歳の富野が、はしゃいで蒲団を敷いてくれた。夫妻・いの・富野と共に、壁ぎわに縮こまって、喜三郎も雑魚寝した。佐市親子の間に喜三郎の場をわけてくれた故郷の人々の暖かい心が、むしょうに有難かった。きれいな旅館の冷たい一室より、どれだけ嬉しいことか。昔の恋人と、こだわりなく一室に休めるなどこれは現実なのであろうか。情欲を離れた、澄んだ気持ちで、いのをいとしいと思った。 どうやら寝静まった頃、がらがらっと枕元をゆすぶる車輪の響きに目がさめた。表戸が開いて、誰かが入ってきた。「おいの、出ておいで……」 姉わきの声だ。喜三郎は半身を起こした。いのも起きていて、二人はランプの灯影に切なく目を見交す。万感こめたいのの眸が揺れ、にじむ。「いの……何しとんの、おいの」 きびしいわきの声にさからえず、いのは出ていった。門口に待たした馬車に乗ったのだろう。遠のいていく鉄輪の音が夜のしじまに消えていった。
 喜三郎は天神橋の上に立ち、淀川の深い流れを眺めていた。川面に映る大阪城の甍が西日にきらきら輝く。 ――二百八間の矢矧橋に菰をまとって寝ていた腕白小僧の日吉丸は、ついに六十余州の天下を握った。豊太閤の幼時の境遇かて、わしと似たようなもんや。そやのにこのわしときたら、無理算段して作った旅費もたちまち消え、土産物一つ持って帰ねんざまや。矢矧橋ならぬ天神橋のたもと、男と生まれて大志を抱いたからは、おめおめ尻尾はまけん。喜楽、しっかりせい。 吾とわが身を叱咤する喜三郎に、どんと突きあたった者がある。よろめきながら見ると、みすぼらしい姿の十二、三歳の少年だ。と思う間もなく、息せき切って追いついた三十歳前後の番頭風の男が少年をつかまえ、打つ蹴るなぐるの乱暴狼藉である。少年は悲鳴を上げて泣き叫ぶ。たちまち人の山、往来止めの有様だ。「言うことがあったら交番で言わんけい」 男は少年の手首をつかみ、腕も抜けんばかりに引っぱる。ようやく喜三郎は口を出した。「ちょ、ちょ、ちょっと待ったりいな。どんな悪いことしたか知らんけど……」「お前、だれや」「へえ、丹波の国は曽我部村穴太の安閑坊喜楽ちゅうて……」「つまり丹波の山猿か。黙ってひっこんどらんかい」「そう言わんと、わけを聞かしとくれやす」「こいつは掏摸の卵や。店先の実母散を一服、かっさろうて逃げ出しくさった。今後のいましめに、橋詰めの交番につき出したる」「それには何かわけがあるのやろ。おい坊や、泣かんとわけを言うてみ」 泣きじゃくりながら語る少年の話はこうだ。 少年の母は長く子宮病をわずらい、命さえ危ぶまれる。だが貧しいために医者にも診せられず、薬も買えぬ。実母散が女の病に効くと隣人から聞いて、矢も楯もたまらず、薬屋の店先からかっぱらったと言う、聞くも涙の物語――。 涙もろい喜三郎、思わずもらい泣きしながら、懐中から五十銭を取り出した。「番頭はん、この薬わしが買うさけ、許したっとくれやす」「許せんとこやが、そこまで言いなはるなら勘忍したろ、おい、坊主、今度したら承知せんぞ」 番頭は五十銭玉を引っつかみ、一服十銭の薬に釣も払わず肩怒らして去って行く。 ――大阪といえば日本三大都会の一つ、七福神の楽天地かと思っていたが、やはりここにも貧に苦しむ人がいる。どこへ行っても秋には秋が来る、冬にはやっぱり冬だ。ああ……。 思わず慨嘆すると、とたんに揺り起こされて眼がさめた。お繁婆さんが心配そうにのぞきこんでいる。 今の夢で、喜三郎は急に故郷に残した祖母や母のことを思い出した。 ――これは神さまのみ心かも知れん。しょうがない。いっぺん帰って再起を計るか。 大阪と決別の思い出に、天満天神の鳥居をくぐった。境内には丹頂鶴が五羽、金網を張って飼ってあった。泥鰌を売っている六十ばかりの爺さんが声をかけた。「天神さんお参りの記念や。お鶴はんに泥鰌を上げてんか。一盛り一銭だっせ」 見れば小さい泥鰌が二匹、水の入った浅い竹筒に入っている。絵に書いた鶴はたくさん見たが、実物に会うたのは初めてである。一羽一銭あてに泥鰌を買い、つぎつぎ投げてやった。 と、向かいの馬小屋では、白い毛の駿馬が足で板の間を叩いて、喜三郎の注意をひきつける。見れば、土器に茄で大豆が十粒ほどずつ皿に盛ってあり、「一皿一銭、お馬さんにおあげなさいませ」と書いてある。鶴に五銭やったからには、この馬にもやれずにおれぬと、白銅一枚はりこんで、五皿の茄で豆を与え、興に入った。「ちょっと、ちょっと……」 誰のことやろうとふり向くと、小林易断所の看板を机にぶら下げ、赤毛布の椅子に坐った老易者が手招きしている。そういえば、境内のあちこちに、易断の店があった。「金をとろうとは言わん。ちょっと来なはれ」 招き寄せた喜三郎の顔を凝視して、老易者は一語一語力を加えた。「丹波から大阪へ出て神の教えを宣伝するには、まだ時期が早い。尋ね人にも会えまへん。未練を残したらあかん。それより丹波ヘ帰ることじゃ。十年ばかり修行を積んで出直しなはれ。いまは大切な時や、軽挙妄動せんようにな」「先生、あんたは神さんみたいなこと言うてやな。一体、どなたはんです」「わしは若い時から富士講の丸山教会に入り、富士山で修行しとった」「富士山……それなら芙蓉仙人を知ったはるか」 それには答えず、易者はたんたんと語る。「ところが、教祖の六郎兵衛はんが神罰をこうむって悶死してのう、教会はめちゃめちゃじゃ。ほいでわしも大阪へ出て来て、情ない易者渡世をしている」「名前を聞かしとくなはれ」「小林勇と名乗っているが、これは仮の名。再会することでもあれば、その時に本名を名のろう。それよりもあんたのこれからの丹波での十年間の辛苦は、並々のことやない。思うてもかわいそうな気がする。しかしのう、それを乗りきるのも神さまのため、世の中のためじゃ。さあ、心を残さず丹波へ帰りなはい」 老易者にうながされて、喜三郎は背を向けた。天満天神の社前にぬかずき、天津祝詞を奏上する。易者のいた位置に戻って見まわしたが、その姿はなかった。 徒歩で梅田駅まできたが所持金わずかに二銭五厘、汽車はあっても乗る術がない。仕方なく線路のまんなかをとぼとぼ歩き、吹田の茶店で蒸し芋を食って腹を満たした。 少しは元気を回復し、茨木町から清坂街道を北にとる。十五夜の月が東の山の端に姿を見せる。山路にかかると、力になるのは淡い月影ばかりである。 ようやく東別院の東掛村にさしかかった。この村には石田心学の祖・石田梅岩の生家がある。岐路に立って思案した。道を北にとれば年谷川にそって矢田に出て、そこから西へ向かうと曽我部村だ。道を西にとれば柚原に出て、池田街道を北進すると曽我部村だ。距離的には西ヘの道がやや近そうだが、柚原までの谷道は細く険しい。 迷っていると、西への道の四、五軒先にふいに白い影が現われ、先導するように進む。喜三郎が進むと進み、止まると止まる。呼べど答えぬ。現われたと思うや消える。消えたと思うや現われる。変幻出没自在だ。怪しみながらも、空腹と疲労の身には、力強くさえ思える。睡魔に襲われ何度も転倒したが、白い影に励まされるように立ち上がる。西別院の村はずれにくると、ここからは下り坂だ。白い影が消えて再び現われることはなかった。 細い谷川の向かいに狭い墓地が浮き出ている。喜三郎は谷川をとび越えた。狭い土地に幾つかの墓石が立ち並び、その背後に六体の地蔵があった。地蔵の上には雨露をしのぐだけの小さな屋根がある。 野宿するには墓場がよかった。墓の台座が適当な枕になる。神社の境内だと森厳で恐ろしいが、墓地だと亡霊がうじゃうじゃいる感じがして、にぎやかでよい。それに時にはお供え物のお裾分けに預かれる。見渡すと、新墓の前に幾つかの饅頭が供えてあった。たかった蟻を払いのけ、喜三郎はぜんぶ頂戴した。皮が固くなっているが、空腹にまずいものなしである。 六地蔵のうしろで、台座枕にごろりと横になった。薄目をあけて眺めると、藤の花と山つつじが白くはんなり浮き出ている。その眺めが一種の催眠剤とでもなったのか、瞼が垂れ下がって華胥の国へと旅立つ。 地獄から湧き上がるような陰々たる声にゆっくりと現実へ呼び戻され、頬にかかった水しぶきで完全に目ざめた。 月の傾きから判ずれば、幽霊の好む丑満時だ。 ――妖怪変化や。 喜三郎の体躯は小きざみに震え、居たたまれぬ思いに逃げ出そうとすると、腹の底から「待て!」と制止の声がかかった。 急に胴がすわった。 ――わしは顕幽両界の救済者たらんとする霊学の修行者や。ここで怪霊に出っくわして研究材科を得たこそ、もっけのさいわい、神のみ心。 冷静にかえってみれば何のことはない。女が題目を唱えながら、土瓶片手に石地蔵の頭から水をかけていたのだ。 ――わしはなんちゅう卑怯者、憶病者やろ。長途の旅で疲労困憊のあげくとはいえ情けない。 女が少し離れた気配に、地蔵の間からのぞいた。マッチがすられ蝋燭に点火された。さきほど饅頭を失敬した新墓の前に、赤ん坊をおぶり幼な子の手を引く背の低い小肥りの女がひざまずき、泣きながら何かをしきりに訴えている。女は「南無阿弥陀仏」と力なくとなえながら立ち去り、その姿は木立にまぎれて見えなくなった。 女が消えると、また急に臆病風に吹かれて総毛立った。長居は無用と、喜三郎は頬かむりし、尻ひっからげ、細い渓流を渡って山路に出たとたん、足もとから子供の悲鳴が起こった。「母ちゃん、こわいっ!」 驚きにとび上がった喜三郎は、大声でわめく。「何こわいことあるけい。わしは人間や」 言うなり喜三郎、後ふり向きもせず、足の痛みも忘れて法貴谷めざして走っていた。
 くたびれきって穴太へ帰りついた。二、三日後、追っかけて多田琴も帰ってきたが、喜三郎の憔悴しきった顔を見るなり呆れたように吐息し、何も聞かなかった。かえって、穴があれば入りたい思いにさせられる喜三郎であった。

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