表題:唐行き 5巻1章唐行き



「姉さん、久姉さん、あけてくれやい、母さん連れて来たでよ」 表戸を叩く音にまじって、絶え絶えに人の声――。「伝吉兄さんの声や。母さんが来ちゃった」 澄ははじかれたように起き直った。奥の間でまだ寝ずにいた福島寅之助も久も立ち上がった。 真っ暗な帳場にはだしでとび下り、澄は手探りで表戸の心張棒をはずした。闇夜で小雨が降っていた。表戸の開くのを待ちかねたように、黒い人影が固まってよろめき入る。久が手燭をかざすと、伝吉が、額に脂汗を浮かベ萎え坐りこむ母をやっと支えていた。 寅之助が直を抱き上げ、澄が泥にまみれた母の草履をぬがせる。久は着替えを出してきて、雨と泥にぐっしょり濡れた直の単衣を脱がせ、手早く着せかえて蒲団に寝かせた。 ものが言えぬほど直は弱っていた。日頃の労働で日に焼け節くれ立っていた直の手足も、別人のように蒼白かった。澄も久も言葉をのんで母を見つめた。 明治二十六年六月二日――家屋敷いっさい失った代償に座敷牢を解放され、綾部から八木へと十五里の道のりを、半ば伝吉の背に負われて辿りついた直であった。汗と共に疲労がふきこぼれるかのようであった。こんなふうに憔悴しきった母を見るのは、久にしても初めてである。嵐の朝も、吹雪の夜も、いつもしっかりと大地を踏みしめ、重い荷を背負って歩き続けてきた母が――。 伝吉は、姉夫婦や妹澄に鋭く問われるまま、母の四十日もの入牢生活を言葉少なに語った。物心ついた時には《父さん》と呼んでいた大槻鹿蔵が、実は姉米の夫であり、自分とは血のつながらぬ養父であることを、十七歳になった伝吉はもちろん知っている。しかし世間の人々に恐れられ憎まれる無法者の養父鹿蔵に、なぜか伝吉は逆らえなかった。養母である姉米が、狂いつつも結局は夫鹿蔵の庇護のもとにしか生きられぬように、伝吉にも、やはり父と呼ぶ人は彼のほかにない。時に憎み、恥じつつも、鹿蔵への世間の悪罵を自分の身に痛く受けとめて大きくなった。 拒む母を無理に背負って、渾身の力をふりしぼってここまで連れて来たのも、鹿蔵が直を牢に押しこめ、あげくに家屋敷まで売り払ったむごい仕打ちを、ひそかに償いたかったのだ。 翌朝、母を八木に頂けたまま、伝吉は重い足を綾部へ返していた。
 梅雨期であった。寅之助も久も、三反の小作田の植えつけの準備で朝早いうちから苗取りである。農繁期のあわただしい空気が村中にみなぎっていた。数えで十一歳の澄が、半歳になる久の次女いとを背にくくって、昼の握り飯と土瓶を両手に下げ、母へ笑顔を残して小雨の中を出ていった。 八木に引き取られた澄は、近所のあちこちに子守りに雇われていた。当時はべったりと子守りを雇う家は少く、忙しい時だけ二十日とか五十日とか臨時に雇う。澄は魚屋、宿屋、酒屋、そして隣の彦兵衛の家にも奉公して歩いた。今はちょうど農繁期で、澄は福島家の農事の手伝いに帰っていたのだ。 直は気丈にも起き出して、床を上げた。まだ出口家へ入る前、叔母ゆりの死霊に怯えて四十日も生死の境をさまよった時以来、寝込んだ覚えのない直であった。生きている限り働き続けねば、晏如の心は得られぬ。身を清めて神前に座し、祈りを捧げ終わると、台所の片づけに土間に下りた。 福島家の苦しい暮らしを見ると、うかうかした日は過ごせない。まだ体力の回復せぬ十日後には、直は北の庄など八木近在の村々を廻って糸引きし、自分と澄の食い扶持だけは稼ぎ出そうとする。しかし四十日の座敷牢生活で体がなまり、労働が苦しかった。 七月に入りようやく体力が回復した。しばらく治まっていた直の発動が始まる。また途方もないことを叫び出して、町を彷徨した。「来年春から、唐(支那)と日本の戦いがあるぞよ。この戦は勝ち戦、神がかげから経綸いたしてあるぞよ。神が表にあらわれて手柄いたさすぞよ。露国からはじまりて、もうひと戦あるぞよ。あとは世界の大戦いで、これからだんだんわかりてくるぞよ。この世は神国、世界を一つにまるめて、一つの王でおさめるぞよ」 春には直の透視に驚いた人々まで、「なに今ごろ、戦争などあってたまろうやい。へえ、唐やら露国やらとやて。ははは……これは、なんぼお直婆さんかて、あたるもんけい」と言って嘲笑いあった。 無理もない。まだ日本は、戦争と名づけるほどの本格的な外国との戦いを知らなかった。この時期、いかに日清戦争の危機を叫んでも、民衆には噴飯でしかなかった。 京都では、二年後の第四回内国博覧会の京都開催をひかえていた。第一回から第三回まで東京に独占されていたのに、恒武帝平安奠都千百年を機に、ついに京都岡崎に決まったのである。九月には内国博と奠都千百年の記念事業の一つ、「大極殿」造営の地鎮祭がおこなわれる。「記念祭じゃ、奠都、奠都……」と京都市のお祭り気分は、丹波にも波及していた。現に久まで、内国博の人出をあてこんで、山陰街道筋に茶店を出すことを真剣に考えていた頃である。 直は、八木の本郷にある、屋号を北宗という秋田宗之助の家で糸引きをしたことがあった。 その近所で育った少年波部理一郎は、ある夜、糸引きを終った直が井戸端で野菜を洗っているのを何気なく見ていた。 直は理一郎にやさしい声で語りかけた。「ぼんよ、ぼんよ、もうすぐ日本と支那の戦いがあるで、日本が勝つように神さまにお願いせんならんから、なまぜん(神饌物)を用意しておりますのや」「ほんまか、支那と戦争が、へえ?……」 直はりんと眼を見はったままうなずく。理一郎の驚きは強烈だった。子供心にもこの時の直の言葉が脳裡に鮮やかに焼きついて終生忘れなかったという。 福島夫婦にとっては、直の予言に驚いたり笑ったりではすまされない。半信半疑のうちに夫婦は相談し、日頃信ずる金光教の大先生に調べてもらうことにした。 八月二十六日、福島寅之助は、直を連れて京都島原の金光教へ向かう。教会長の杉田政治郎は日清戦争の予言を聞き、一笑に付した。一時は予言の実現を信じかけていた寅之助も、それ以来、直に対して急に警戒気分を強めた。「母さんに憑いとってん神さんも、よいかげんなものやなあ」と久はこぼした。 近くの鹿草で質屋と壷屋(丹波焼き)をしている秋田兵右衛門の妻かなが近ごろ生き神とあがめられ、信者を集めて得意顔なのに引きかえ、愚にもつかぬ予言をふりまく母が、久にはくやしくってならぬ。 昨年の夏、直が亀岡の井づ源へ糸引きに行く途中、八木に立ち寄った時のことである。質屋の女房秋田かなが直の神憑りを羨望して言った。「うちんとこもなあ、ちょっと稲荷さまに因縁ある家柄なんえ。ほれでお祭りもして拝んどるのやけど、ちっとも憑ってくれはらへん。お直はんみたいに、うちの体に憑ってもらうのん、どないしたらええのやろ」「そうですなあ。金神さまは因縁なしにはお憑りやないが、稲荷さまならちいと熱心に信心なさったら、じっきに憑りなさると思いますがなあ」「ほな熱心に信心してみるさけ、ちょいとすまんが、いつ頃稲荷さま憑ってくれてか、金神さまにお伺いしてえな」 真剣な口調である。直は仕方なく目を閉じる。この頃は、心に念ずるだけで、ふっと瞼に映じるものがあった。「来年の一月頃には稲荷さまが下りなさるで」 直の予言通り、今年の一月中頃に、かなの肉体に稲荷が憑った。おそるおそる伺いをたてるとぴたりとあたる。となると商売は主人まかせ、にわかに装束をつけての生き神さま、半月たつやたたずで稲荷の教導職の資格を受け、伺いにくるものがひきもきらない。 顔つきまでお狐さまに似てきたかなが、久に会う度に誇らしげに言うのである。「あんたの母さん、どないや。せんど前から艮の金神はんたらが憑っとってやのに、まだ先生にもようならんと、ぼやぼやしとってんかいな。金神はんて力ないなあ。うちはお直はんより大分あとじゃか知らんけど、いまではお装束きて、お式に立つようになったんやで」「そうですか。わたしの母さんは、装束きてお式に立つことを喜ぶ人とは、ちと違うような気がしますわな。今度、八木に来ましたら、母さん連れて参拝させてもらいますで」 久の皮肉も、有頂天のかなには通じた気配もなかった。「そうや、それがええわ。うちが見判けたげるさけ」
 未だに着たきりの貧しいみなりで出稼ぎに歩き、唐がどうじゃの改心せいじゃのと所きらわず叫びまわる母を見ると、久はつくづく情けなくなる。「まだ先生にもようならん」と言うかなの言葉が思い出される。かなのいう通り、母に憑いた神はそこらの稲荷より低級な力しかないのかしらんと思われてくる。 久は思いきって母に言った。「母さん、質屋のかなさんなあ、母さんの言うちゃったみたいに、いまはお稲荷さんの偉い先生になっとってやで」「そうやげななあ」「お伺いがよう当たるんやって。信者はんがえっとできとってやわな。いっぺん参拝しちゃらへんか。わたし、お供させてもらいますさかい」「なにが都合になるやら知れん。そんならお参りさしてもらおかなあ」 秋田家は、久や澄が一時奉公した旅館桝屋の先、山陰街道に面した六間間口の町家風の大きな家である。土間の暗い通り庭を過ぎ広い裏庭に出ると、赤い鳥居と立派な稲荷の祠がある。そのそばの六畳二間ほどの離れ座敷には、入りきれぬほどの参拝客が賑わっていた。直と久はその背後にそっとひかえる。正面の一段高い台に坐り、白装束に緋の袴をつけた秋田かなは、身を震わして伺いを立てていた。しばらく合わぬ間に、大柄なかなが一層大きくなったかに見えた。 参拝者の方に向き直ったかなは、荘重な口調で託宣を伝え始めた。が、直と目が会うなりしどろもどろになり、せわしく両手を振って一同に宣した。「お稲荷さまは急用を思い出しなはって、いまから旅に出てんや。どなたはんも参拝だけして、今日は帰んどくれやっしゃ」 久は中腰になって抗議した。「おかなはん、あんたが母さん連れてこい言うてくれちゃったさかい、今日は糸引き休んで参拝さしてもらいましたんやで。どうぞちょっとでよいさかい、母さんの神さんが何神さまかだけ、伺うて見とくれなはれ」「無茶言わんといて。お稲荷さんはもう遠くへ行っちゃったわな。今から呼び返そうにも、声が届くかいさ」とかなはそそくさと奥へ行きかける。直はすっと立ち上がるや、腹に響く声で大喝した。「稲荷どん。下がらっしゃれい」 かなは腰が抜けたのか、這いずって逃げこむ。参拝者は度肝を抜かれて立ちすくんだ。 この事件は、久の口から、すぐ夫寅之助に報じられた。「やっぱり稲荷はんより、金神さんの方が、なんぼか力があるようですで」 寅之助は腕こまねいて考えこむのだった。 その夜、寅之助は、箪笥の奥から古びた銀側の懐中時計を大切そうに取り出し、直の前に置いた。「義母さん、この時計みとくれえな」 直はいぶかしげに時計を手にする。「ほう、古ぼけた時計やなあ」「もともと質流れを安うで買うたもんやさけ、何べん時計直しにやっても、じきに止まっちまいよる。神さまのお力で直りまへんか」 神を試すつもりであった。直は静かな眼で見返し、「それはやすいことじゃ。その時計、神棚へ乗せときなされ。そのかわり、わたしにもお願いがあるのやが……」「へえ、わしのでけることやったら、なんでもやらしてもらいまっせ」「鹿蔵の家に、天照皇大神宮の掛け軸と神さまからいただいた刀が預けてあるのや。それを鹿蔵いうたら、ごみ屑と一緒くたにして、えろう粗末に扱うてござる。それで何とか取り戻して、八木で大事に預かっておくれ」「お安いご用や。さっそく手紙書いてやりますわ」 寅之助はまず時計を神棚にのせ、久に筆紙を用意させ、その場で手紙を書き始めた。と、神経のせいかどうも神棚の上からカチカチ音がする。筆を投げ出し、時計を手にとる。右の耳にあて、今度は左の耳にあて、秒を刻む音を確かめる。久も同じ仕種をくり返し、眼をまるくした。「なしたことだっしゃいな。あんた、動いてますで、ほんまに動いてますで」「ほんまや、ほんまや。時計は神棚に上げたままやで、誰も手え触れてはおらんのう。待てよ、さっきまで、ほんまに針は止まっとったかいな」と寅之助は時計をいじくり廻しながら、首をひねる。 直の透視力を信じている夫妻にも、今度の驚きは直を通して神の力を認めた驚きで、全く異質のものであった。「こんなあらたかなお方、気違いにしてはもったいない」 この日以来、福島夫婦の直に対する態度は一変した。母としてより、神を宿した人として、畏れ敬うようになった。信徒第一号といってよかった。「それきり、もうあの時計は狂いませんでした」と後になって久は当時の光景を追懐する。「わたしどもがご神力の激しさに気がついたのは、まずこれなどが初めでございました」 寅之助から鹿蔵への手紙の応答はついにない。寅之助は憤慨した。「こんなこってはどもならん。八月の盆休みには綾部まで出かけて改心させ、刀と掛け軸は取り返してきますわい」 できれば直は、福島夫婦や澄と共に、このまま慎ましく生きていたかった。だが貧しいながらも、澄と共に暮らせる平和な日々は短い。「直よ、澄を連れて早う帰ね」 神は、しばしの親子の平安も許さぬように、激しくせかされる。
 九月十三日、神命のままに、直は澄をともない三月ぶりに綾部へ向かった。帰ったとて、住む家はなかった。どんなに邪魔にされようと、行く先は大槻家より他にない。 直の重い心も知らず、澄は嬉々として母との道中を楽しんでいる。和知に入ると、大きな丹波栗が点々と山道に落ちていた。歓声あげて、澄が走り寄る。「やめな、お澄、持ち主があるかも知れんでなあ」 たしなめる直の声はやさしかった。「はい」と答えて手にした栗をはなし、澄はまぶしげに栗の木の梢を仰いだ。半ばはじけた毬の中から、つややかな栗が幾つも幾つも今にもこぼれそうにのぞいていた。 大槻家に帰ると、米はまだ座敷牢の人であった。鹿蔵は、手足の指がどうしたわけか縮こまったまま、苦痛に顔を歪めていた。「八木からわざわざ言うてやったのに、刀とお掛け軸を粗未にするさかいや」と直は言い、床の間を清めて水を供え、伏し拝んだ。「このお下がりの御神水いただきなされ。三日目には治るで」 二日目になっても激しい痛みは去らず、指は曲がったなりである。鹿蔵は眼をむいて、直にくってかかった。「こんな阿呆げたことは、もう止めじゃ。水のんだぐらいで、なに治ろうやい。もちっとましな薬買うてこんかい」 澄が粥を口元まで運んでやったが、肘ではねとばして泣きわめく。「どいつもこいつも失せてしまえやい」 三日目の夕方から、鹿蔵はぐっすり眠った。痛みも消えたのであろう。指はかなり伸びていたが、ちょっとのところで真っ直ぐにまで伸びずじまいであった。「せっかく神さまがお霊験をやろうとなさったのに、疑うたばかりに、もらえるお霊験をようとらんと……」 直は憐れむように言ったが、耳の遠い鹿蔵に聞こえたかどうか。
 澄は鹿蔵や狂った姉米の身の廻りの世話に追われ、近くの四方家にいる姉龍を訪ねるひまもなかった。伝吉は福井へ転出した友人の四方鹿造を頼って機織りの修業に行き、もう大槻家にはいなかった。 直は元のようにぼろ買いや糸引きに歩いたが、その実、人助けが主であった。病人の治癒を祈り、悩みを聞くというふうで、おのれ一人口は養えても、澄の食費代まで稼ぐことはできない。 大槻家は、「綾部一」とはやされた豪勢な暮らしも昔の夢となり、今はただ食うことにすら汲々としている。大槻家に移って間もなく、直はまた、澄の奉公先を探さねばならなかった。 やがて四方源之助の仲立ちで、澄は妻三津恵の実家、本宮から一里半ばかり西の福知山との中間辺にある私市の豪農、大嶋万右衛門宅に奉公することになった。 公孫樹の黄金色の葉がしきりに舞い落ちる。稲刈り前の田んぼには、雀の群を横眼でにらみ両手を広げた案山子が傾いでいる。この先の澄の行を思いやれば、滅入りこみそうな淋しさに沈む。その心を無理に引き立て、快活をよそおいながら、直は澄の手を引き、歩く。 鳥ケ坪にさしかかると、顔馴染の茶店の主人岡某が声をかけた。「お直はん、どこ行ってんじゃいな。休んでおいき」「へい、よいお天気さんでして。娘を私市へ奉公にやりますんで、ここまで送って来ましたんじゃな」「そんな小さな子をかいな。まだ私市までやっとあるさかい、一服しなはれ。ほっこりするで」「ご親切さんに、ありがとはんでございます。そんならちょっと店先お借りして、足腰休ませてもらいますわなあ」 母子は、うす暗いひんやりした土間で、主人の好意の番茶をすすった。王子以来、澄はこうした街道の店先に立って、旅人が休んでいるのを見るのが楽しみだった。が、今は見る側ではなく、ちゃんと店に坐って――それも母さんと並んで坐って茶を飲んでいる。澄はその喜びで足をぶらぶらさせながら、たったいま近所の友だちの誰かが通りかかりこの光景を見ていてくれぬのが、残念でならなかった。 子供が一人店先に走りこみ、「ヘーい、どんぐりおくれい」と叫んで、おあしを置いた。 澄の目は一点に集中して動かなくなった。子供は、どんぐりという、その名に形の似た大きな飴玉を口に入れる。一度になめきってしまうのが惜しいのか、舌で飴を半分口の外へ押し出し、またふっと吸いこむ。のどをつまらせて噎せながらも、楽しげにその動作を反復する。暗い口腔から半分外へ出た飴玉は、唾にぬれ、澄明な秋の光にふれて、鼈甲色にすき透っていた。 同じ仕種を、王子のいしや平太郎がしていた。只の一度も腹を満たしたことのない、王子での澄の目前で。とびかかって奪いたい、激しい衝動を堪えてきた。姉琴の鋭い視線に身を縮めて。けれど、ずたずたに引き裂かれ、血のにじむ心で、澄は何度叫んだろう。 ――あの飴玉一つ口に入れられたら、どんなに打たれてもかまへん。 子供が走り去ると、澄は引きつけられるように店先の一文菓子箱のそばへ行った。 茶店の主人の世間話を聞き終わって、直は娘を目で探しあて、はっと全身をこわばらせた。澄が、直のかつて知らぬ餓えた性悪な目つきをして、一瞬の間に菓子箱の飴玉一つつかみ出し、さっと表へ走り出たではないか。 直はとっさに主人に向かって、「おおきに、えろう御馳走はんになりましてございます。子供が飴玉を一つよばれましたさかいに、お代をここにおかしてもらいますで」 ――盗みや、今うちがしたんは……。 澄は血がすうっと引くのを覚えた。母の声が遠くでしたが、その顔を仰ぎ見ることはできなかった。どんぐりは甘く口中にひろがっていた。けど、その味すら、今は恐ろしく厭わしい。 ――どうしよう。 やみくもに走って逃げたかった。すくむ足を歩一歩やっとのこと歩ませた。「藁すべ一本でも、他人さまの物に手をかけてはなりませぬぞ」と幼い頃から母にきびしく言い聞かされてきた澄であった。 鳥ケ坪を過ぎて少し行くと、母は追いついて、やさしく澄の背に声をかけた。「お前に飴玉一つ買うてやろうとせなんだ母さんがわるかった。こらえとくれよ」 澄はふり向きざま、飴玉を吐きすてて母の胸にとびついた。 ――わるいのは母さんやない。うちや。もうせん、もうせんさかいこらえて。 言葉にならぬ鳴咽に噎んで、しがみついた。「神さまはどこにいても見てござるでのう」 祈りをこめて、直はふるえている澄の背をなでた。娘は幾度もこっくりとうなずいた。 ――あれでよかったのじゃろうか。もっときびしく叱らいでもよかったのじゃろうか。 私市への岐路に立って、去り行く娘の小さな後姿を見送りながら、直の心は激しく揺れた。潔癖すぎるばかりの直である。以前なら、どんなにきびしく叱りつけたであろう。だが今の直にはそれができぬ。王子での暮らしが、天真な幼な心を曇らせたのであろう。純な子供の心は逆境にもみくちゃにされ、知らぬまにおかされ、荒んでいく。それと知りつつ、娘を手ばなす。 せめて奉公先まで送り届け、主人によく頼みたかった。だが神は、それを許されぬ。福知山へ初めて奉公にやった時、数えでわずか七つの澄の手首に住所を書いた紙片をくくりつけ、一人で行かせた。あの時も、そして八木へも、王子へも、直はついて行くことを許されなかった。神さまは、どこまでも澄一人で歩かせようとなさる。小柄とはいえ澄はもう十一歳。まだあの子の苦労は足らぬのか。わたしの苦労で補うことはできぬのか。 澄の前途を神にゆだねて、ただ神に縋るほかはない直であった。
 この年の冬から翌二十七年春にかけて、綾部近在では、直に病気を治してもらい、その力を信ずる人が多くなった。「この方は病気治しの神ではないぞよ。なれど今のうちは病気も治してやらぬと、この神をよう見分けまい。病人は拝んでやれ、お霊験はやるぞよ」 どの教団の歴史をふり返っても、開教期は病気治しや商売繁盛などの現世利益で多くの信者をひきつけたようである。発展のためにはやむをえぬ開教期の教団の宿命であろうか。艮の金神はそれが不満であったのか、「この方は病気治しなどのちっぽけな神ではないぞよ」としばしばことわりながらも、現世利益のお神徳がたっていった。 そしておそらくこの時期から、筆先が直によって書かれている。明治二十六年の五月、座敷牢の中にあって神命のままに柱に釘で書いたのが筆先の濫觴であったが、実際に筆を持って紙に書いたのは、八木から帰った二十六年秋以降と推定される。八木にいる期間に筆先を書いたという資料はない。年月日が記入された現存する最も古い筆先の写しは、明治二十七年旧四月八日の物で、それ以前の筆先は内容によって年月を推定するばかりである。 筆先の始まる前後の経緯について、直の語った言葉を、明治三十三年入信の田中善吉が書きとめているが、それには無学文盲の老女が、自分でも判読できぬ文字を神命のまま自動書記的に筆記した模様が述べられている。「わたしは何も知らぬので、どうしたらよいやろと思うておると、『直よ、紙と筆と墨を買うてくれい。わしが書くから、お前の手を借るだけじゃ。……紙一折二銭と筆一本二銭、墨一本三銭……』と言われるゆえ買うてきましたら、墨をすれと言われ、筆を持てと言われるゆえ持ちましたら、紙の上にひとりでに字が書けて、わたしは読めませんから人さまに読んでもらうなれど、誰もわからんと言うてろくに見てくれもせず、読んでくれる人もない。けれどただ腹の中から、『直よ、筆先を書けい』と申されるから、わけもわからず書いておるうちに、ぼつぼつわかりかけてきたから……」 組頭四方源之助と妻三津恵は、筆先を見ながら小首をかしげた。「これはどうやら字らしいのう。お直はんなら、こないだまで代筆を頼みに来とっちゃったのに、急にいっかど字みたいな物を書き出しちゃったでよ。妙なこっちゃ」 直の無筆について語る人は多い。明治十六年前後、直と一緒に味方へ糸引きに通った四方石平の語り残した話によれば、「その頃、青野から一人、上野から一人、わしとお直はんと四人、同じ所へ糸引きに通ったもんやでよ。行きも戻りも、よう連れどうて歩いた。これぞというて感心したことも、また悪い行ないしちゃったんも見たことない、ごくふつうの人の良い女やったで。ほれでもふんとに無学とみえて、糸枠の一、二、三の符号もよう読んでやなかったわな」 このように、神憑り以前の直は、ひっそりとまことに目立たぬ存在であった。 大川下の位田の村上藤吉という百姓が生糸屋をしており、直はそこへも糸引きに通った。その村上の分家為八の娘お粂もまた、四方と似たようなことを語り伝えた。「藤吉はんが、『糸枠を持ってきて見せい』と働いてる女に言うてんことあるんですわ。糸枠には、めいめいの名と席順が書いてあって、糸にも小さく書いたるのや。けどお直はんは、その糸枠の見分けもつかなんだで……」 筆先を書き始めてから、直の激しい発動は静まった。しかし神霊が感応すれば、昼夜の別なく筆をとらされる。初めの頃は紙も自由に買えず、四女龍が裏の竹薮で拾い集めた竹の皮を金にして買った紙や、皺をのばした反古紙などに書きとめていたものらしい。 明治二十六(一八九三)年より直が数え年八十三歳で昇天する大正七(一九一八)年までの二十五年間にわたり書き続けた筆先は、実に半紙十万枚以上に及ぶ膨大なものとなる。 文字は平仮名が主体で、他に「五(ご)」・「九(く)」・「(ぐ)」・「十(じゅう)」などの数字が平仮名の代わりに使われているが、漢字は使用されない。また句読点もない。筆跡は独特の書体で読みにくいが、字体が初期も後期も活字で印刷したように変わりなく、文字の特色さえのみこめば、すベての筆先が読みこなせる。だから文字を知らなかった直でさえ、後には筆先の文字なら読めるのである。 われわれの目には稚拙としか言いようのない文字も、書家の中には、「六朝体に似た一種の風格を備え、凡人の筆蹟ではない」と賛嘆する者もある。また十万枚に及ぶ筆先のうち、書きなおしの個所が一つも見あたらぬのも特徴といえよう。 筆先の内容は、神の経綸、神々の因縁、大本出現の由来と使命、天地の創造、神と人との関係、日本民族の使命、人類への予言と警告など広範囲の間題について触れられているが、初期から晩年まで一貫して変わらぬのは、三千世界の立替え立直しの主張である。 直は机の前に端座して、きびしい表情で、「ぞよ」という強い助詞で終わる断定的な筆先を、蚕が糸をはき出すように書き続ける。初期の頃の筆先を抜粋しておこう(原文はすべて平仮名)。「三千世界いちどにひらく梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅でひらいて松でおさめる神国の世になりたぞよ」「この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ。世界は獣の世になりておるぞよ。悪神に化かされて、まだ目がさめん暗がりの世になりておるぞよ。これでは世は立ちてはゆかんから、神が表にあらわれて、三千世界の立替え立直しをいたすぞよ。用意をなされよ。この世はさっぱり新つにいたしてしまうぞよ。三千世界の大せんたく、大そうじをいたして、天下太平に世をおさめて、万劫末代つづく神国の世にいたすぞよ」「神の申したことは、一分一厘ちがわんぞよ。毛すじの横はばほども、ちがいはないぞよ。これが違うたら、神はこの世におらんぞよ」「いずれの教会も先ばしり、とどめに艮の金神があらわれて、世の立替えをいたすぞよ。世の立替えのあるということは、どの神柱にもわかりておれど、どうしたら出来るということは、わかりておらんぞよ。九分九厘までは知らしてあるが、もう一りんの肝心のことは、わかりておらんぞよ」「根に葉の出るは虎耳草、うえもしたも花咲かねば、この世はおさまらぬ。うえばかりよくてもゆけぬ世、したばかりよくても、この世はおさまらぬぞよ」「世界くにぐに、ところどころに、世の立替えを知らす神柱は、たくさん現われるぞよ。みな艮の金神の経綸で世界へ知らしてあるぞよ」「谷々の小川の水も大河へ、末で一つになる仕組み。ここは世のもと、まことの神の住まいどころ」
 明治二十七年五月八日、朝鮮で東学党の乱がおこった。全羅道の農民が郡守の虐政に耐えかねて、革命的反乱を起こしたのだ。反政府を高唱する朝鮮の民族宗教である東学党の幹部全臻準はその先頭に立って、四方に檄をとばした。かねて李朝の悪政、外国人、特に日本人の横暴に憤懣やるかたなかった農民たちはいっせいに蜂起、槍と粗末な火縄銃を武器に、米人教官の訓育を受けた最新装備の政府軍部隊を破りつつ、いっきょに北上する。朝鮮政府はあわてて清国へ出兵を求めた。 五月三十日、日本国内では、衆議院で対外硬六派の政府弾劾不信任上奏案が可決、政府は絶体絶命の窮地に立たされていた。その二日後の六月一日、朝鮮政府が清国に救援を求めたとの急報を得、翌日ただちに出兵を決定、衆議院を解散した。まさに僥倖というべきである。都下の新聞論調も一夜で急変、対外硬は対清硬に切りかわる。 六月四日、海兵数百と一混成旅団を派遣する。かくて朝鮮という好餌を前に、日清両国はきばをむいて対峙した。 一年前には、直は「唐と日本の戦があるぞよ」と八木の町をふれ歩き嘲罵を浴びたものだが、まさに現実になろうとしている。 五月十一日(旧四月八日)、まだ東学党の乱の報さえ伝わらぬ前に、日清戦争を既定の事実として、直は筆先に日本の勝利を予言する。「この戦はかち戦、かみが出て働きて、日本へ手柄いたさすぞよ。ごあんしんなされよ」 六月になって、「直よ、五月八日(旧)に唐へ行ってくれい」と神命があった。この神示は昨年からあり、「種まきて、苗が立ちたら出て行くぞよ。刈りこみになりたら、手がらをさして元へもどすぞよ」と言われていたので、予期せぬことではなかったが、ついにその時が来たのである。「ほう、そらおもろい。唐なと天竺なと、どこなと好きなとこ行っちゃったらよいわな」 大槻鹿蔵は、直の無謀な旅立ちを聞いても、止めようとしなかった。これで厄介払いができるとむしろ喜んだ。 直に病気を癒されて以来、親しい友であり、信奉者の一人となった口上林村十倉の川端由五郎の妻ときが唐行きを聞いて、同行を申し出た。「お前はんのお供なら、天竺(インド)までもついて行くわいな。どうぞ連れてっとくんされ」「よいで。それでも神さまは、五月八日(旧暦)発ちせい言いなさるが、その日に一緒に出られますかい」「そらなんぼなんでも無理ですわな。いんま田植えがせわしないし、子供の始末もつけて行かんなんし、どこかで待っとってくれちゃったら、後から追いかけるさかい」「そんなら八日発ちは変えられぬさかい、わたしは先に出て、八木で待っとりますで」「きっとやで。わしを置いて、一人で唐へ行かんといとくれなはれや」 六月十一日(旧五月八日)、やっと工面した旅費五円を懐に、直は単身綾部を出発する。見送る者とてなかった。唐がどの方角にあり、どんな国で、いかに遠いかなど、直にわかるわけがない。ただ、「ほのぼのと出てゆけば、心さむしく思うなよ。力になる人、用意がしてあるぞよ」という神言が唯一のたよりである。力になる人とは、純朴な農婦川端ときのことか、あるいは全く別人か知るべくもない。とにかく出立しさえすれば必ず唐へ行きつくことを信じきっている。 それにしても、神に対するこの徹底した純真さを愚かと笑えようか。綾部周辺を歩いて病める者を助け、神力を次第に自覚してきた直であったが、この頃には神意を毫末も疑ってみようとさえせぬのである。 翌六月十二日、日本の韓国派遣混成旅団の先頭部隊は仁川港に到着、風雲ようやく急を告げんとしていた。 八木で川端ときを待って一月、神は、「六月八日(旧暦)に発てい」と命じる。明日は出立するという直に、福島久が怒り出した。「母さん、なんちゅう阿呆げたこと言うてんやいな。唐いうたら、清吉のおる東京よりまだまだ遠いげなで。なんせい海の向こうの外国やで。そんな遠方へ言葉もわからん母さんが行っちゃったところで、どんのいにもなりますかいな」「さあ、それでも神さまが言いなさることやさかい。唐には大事な御用があるじゃろうと思うのや」「そんなとはつ(常識はずれ)な。唐は日本の何層倍も大きな国やげな。もし戦争があったとしても、母さんみたいな年寄一人、どのい頑張っちゃっても、どうなるもんでもありまへん」「わたし一人やない、神さまと二人です」「二人でも三人でも、鉄砲も打てん者が幾ら行ったかて、えろう変わりはしまへん。どんなことあっても、わたしは反対やで」 寅之助は、まくしたてる妻を制し、思案深げにいった。「お久の心配もわからんではないが、そこをもうちょっと考えてみい。昨年の春頃、母さんが『唐と日本の戦争がある』言うて叫んじゃった時分、みなは馬鹿にしくさって、わしら世間狭したもんじゃわい。それが今日び、誰が笑うかい。きっと戦争はあるやろ。神さんの言葉に嘘あらへん。そやさけ、母さんは糸引きみたいなしょうもないことしてるより、唐でも天竺でも神さんの言うてん通り、行かはったらええやんか。もし母さんの白髪頭に鳶やら烏やらが下りてきて、どえらい光で照らしてみい。敵軍はまばゆて眼があけとられんさけ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出すわい。お国のためじゃ、こらどうでも母さんに唐まで行ってもらわんなん」 寅之助は自分の言葉に昂奮して顔を真っ赤にし、双眸を輝かせていた。 久はただ大きく吐息して、「そんな、あんたまで夢みたいなこと……せめておときはんが来るまで、もうちっと待ちなはれ」 子供がいて出にくいならこちらで預かるから早く来るようにと、寅之助が催促の手紙を出したばかりだ。久はなんとか言葉を尽くして、母の決意をひるがえさせようとする。「神さまが行かせようとなさったら、お前がどんなに反対しても行かせてやで。それに清吉が戦場に立つ前に……早よう戦が終わってほしい」 直はそう呟き、恥じ入るように目を伏せる。寅之助は息まいて、「それやったら心配あらへん。清吉なら近衛兵じゃもん、天子さまが動かはるまで大丈夫や。けれど八日発ちは縁起がよろしいで。八という字は末広がりで、結果のよいのはきまったる。なあ、お久、ここは人間心出さんと、母さんの門出を祝ったげよやないか」 翌七月九日(旧六月八日)、直は神示のままに八木を出発、亀岡の金光教会に立ち寄り、大橋亀吉と向き合っていた。大橋との最初の出会いは、明治二十三年の久の産後の発病の時である。明治二十五年夏、直が亀岡西町の井づ源や糸屋金助に来ていた折は、ひまがあれば教会へ参拝、教会長の大橋とはかなり昵懇になっていたのである。「わたし、これから外国へ行きますもんで、お別れにお参りさせてもらいに来たんですわな」と直が言うと、大橋は怪訝な顔をして、「へえ、そらなんでまた……外国というてもようけあるが……」「神さまは、唐へ行けい言いなさる故、どうでも唐へ行くことになるじゃろなあ」「唐といえば清のこっちゃ。清は物騒な最中やさけ、なんぼ神さまの言葉かて、今あわてて行かいでもよかろう。この暑いのに、とことこ歩いてなど……お直はんはようお霊験が立つそうなで、綾部へ帰んで人助けでもしてなはれ。どうや、あれからなんぼか人助けがでけたかいな」「はい、四十人ばかりになりますわな。屑買いのあいまに困ってる方があると拝ましてもらいますのやが、金神さまのおかげで、一ぺんきりで皆よう治ってですで」 にこやかな大橋の笑顔が消えた。目尻の無数の小皺がのびて、急に真剣な眼つきになった。この実直な老婆が法螺吹きなどでないというぐらいは、一昨年来のつき合いで承知している。屑買いのひまに真実四十人もの病気を癒したとなると、かなりな霊力の持ち主とみねばならぬ。 ――唐へ行くなど途方もないこと言うて、どこぞの教会へでも引っぱりこまれてしもてはどもならん。発展期のこの教会にとって、わしの手元におさえといて損のない婆さんに違いない。 大橋は、急に熱意をもって直の唐行きを引き止めようと努めた。しかしどんなに説得されても直は頑としてきかず、金光教を辞して、王子の栗山家にいとま乞いに急ぐのだった。
 七月十日(旧六月九日)夕方、待ちかねた川端ときが栗山家を訪ねてきた。ときは草鞋をぬぐ間ももどかしげに、土間から声高に話しかける。「ひっさお待たせしてしもてえ。やっと出てこれましたわな」「子たちがおってやで、大変でしたやろなあ。お達者でしたかい」「へえ、おうきに。あんたまあ、むさくさ(どうにかこうにか)しておりましたで」「唐行きの用意はできましたかい」「へえ、いつ眼えつぶってもだんないようにしてきたさかい。外国へ行くちゅうと、水盃やの何やので、せわしないこってしたわな」「刈りこみになりたら手柄さして帰すと神さまが言うてなさるで、稲刈りには間に合いますじゃろ」「それ聞いてますさかい、心丈夫にしとりますのや。行くなら早いがよろしな」「それなら神さまにお伺いしてみますで」 直とときは慎んで神前にぬかずく。青葉をわたる風が合掌した直の鬢を吹きぬける。やおらして直は振り向き、「もうじき日本と唐の戦争が始まるから夜半発ちして行けと神さまがおっしゃってですわい」「船に乗るんやなあ。わし、まだ海を見たことござへんのや」 はしゃぐ川端ときに、栗山琴が白い目をむけて言った。「それでおときはん、外国行きになんぼ旅費もって来ちゃったん」「神さんのお供やさかい、旅費などというもん、一文もいりまへんやろ。それでもせっかく唐天竺まで行くもんで、なんぞ値打ちな土産物など買うてこようと思うて……そんな物まで神さんに心配してもらうのも気ずつないし……」「それでなんぼ持っとってんです」「へえ、かき集めて一円ばかり……」「母さんが五円で、おときはんが一円、二人あわせて米一石買えしまへんなあ」 ――阿呆らしゅうて話にならんと、琴はぷいと席を立つのだった。 翌十二日未明、直とときは連れだって京都へ向かった。昼過ぎには京都に着き、ときの知り合いの天理教の教師宅をたずね、そこで一泊する。翌日、その教師と連れだって、天理教河原町分教会に行った。ときは直と知り合う以前から天理教に帰依し、教会にはたびたび出入りしていたのだ。 河原町分教会は、明治二十二年、深谷源次郎(一八四三~一九二三)の手で京都河原町二条下ルの地に設立される。深谷は《丹源》という鍛治屋であったが、明治十四年九月、八坂神社のお千度の日、近所の鋳物屋富川久吉に「匂いがけ」を受け、天理教に入信する。 翌十五年三月、箱火鉢の縁を作っている時、焼けたかねが右眼にとびこみ突き刺さった。深谷は二階へかけ上がり、灼熱する痛みをこらえて神前に座し、天理王に談判した。「天川屋理兵衛が男なら、深谷源次郎も男でござる。助けてくれはったら、あなたのために命を賭して働きます。どうでも助けて下はれ、ささ、治して下はれ」 すると、目を押えている指の間から涼しい風が吹きつけ、痛みが次第にやわらいでくる。神力にふれた彼は、直ちに二人引きの車で丹波市町のお地場へかけつける。熱心な祈りの効あってか、旬日にして全快、彼は天理教の布教に熱中するのである。 直とときは七十二畳敷きの大広間に通された。そこには六人の先生がいて、興味深げに唐へ行くという二人の女を取り囲んだ。ここぞと直が艮の金神について語っていると、教会長の深谷源次郎が奥から出てきた。「ちょっとそのお筆先を見せとくれ」 深谷は半紙に書かれた筆あとを読みづらそうに眺めていたが、読めたのかどうか。それを直に戻しながら、こともなげに言った。「ふん、これは天理教の教祖さま(中山美伎)のお筆先によう似とるようなが、まあ、こんなことはようあるこっちゃ」 いかにも、「天理教祖の真似ごとや」と言いたげであった。天理教の熱心な信者にとって、教祖以外の筆先を亜流とさげすむのも当然であったろう。ときはあふんとした表情をしたが、直はにこにこ笑っている。 深谷はどことなし気品のある老婆が気になるのか、試すように言った。「お筆先だけではようわからんで、神さまに下がってもらえるかい」「はい」と答え、直は広間の東側にある井戸端に下り、水垢離すると、再び広間へ戻ってきた。七人の先生が声をのむほど、直の帰神は厳しく激しかった。参拝の信者たちや通行人まで物珍しげに集まってくる。先生たちは相談して、おそるおそる申し出る。「ここでは人だかりするで、二階へ上がっとくれやすな」「おう」 直は答えて先に立ち、二階ヘ上がる。直の憑依神と天理教の先生たちとの間で交された問答の内容について、残された資料はない。 帰神の去った直を中にして、彼らはいろいろと憑依神の判断について意見を交したが、その結論を深谷が代表して宣告した。「どうやら狐や狸などとは違うような。けどまあ狗賓さんの類いじゃろ」 いまの直は達観した心境で、人の言に左右されることもなかった。しかしお供の川端ときはそうはいかない。天理教の信者でいながら、直にかかる神に病気を癒され、激しく直に傾いていったのだ。が、天理教の七人の立派な先生方にとりまかれて、狗賓つまり天狗さまと審神されると、たちまち日暮れの影法師みたいにげんなりとなった。「神さまかと思うたら、つまらん天狗さんじゃとは……ほんならわしは烏天狗かいな」とぶつぶつ独り言を言うのだった。 その夜は分教会にほど近い宿屋に泊まった。翌朝、ときがむっつりして蒲団をたたみかけていると、直の様子が一変して帰神になり、激しい叫びが口をついて出た。「世が変わるぞよ。この戦おさまりたら、天も地も世界じゅう桝かけひいた如くにいたすぞよ。神も仏事も人民も勇んで暮らす世になるぞよ」 駆けつけた宿の主人も客も、魂消たようにひとかたまりになってこの様子をのぞきみた。 発動がおさまるや、直はときに命じて紙を出させ、墨のすり上がりを持ちきれぬように筆をとった。無造作に筆が走る。何を書いたのか、この時点の直には読めない。「この筆先を宿に残して帰れ」と神は言った。 撫然として直は言い返す。「帰れとはあんまりやござへんか。せっかく唐まで渡るつもりでここまで来ましたものを……」「直よ、それでよいのじゃ。その筆先をここに残して、今よりすぐ帰れ」 重ねていわれると、もう神命には逆らえぬ直であった。直は素直になって、まだ墨の香のする筆先をとり上げ、「神さまが宿に置けいと言われなさるで、どうぞ大事にしとくれなはれ」と、ものも言えずにいる主人の手に残した。 京を出はずれたあたりで、直は蕎麦屋に入り、かけそば一杯一銭二厘なりの昼食をときにふるまった。「やいのやいのと手紙でせかしてやで、水盃までして綾部から出てきたのに、あたぶさいがわるうて(恰好わるくて)、どんな顔して帰ったらよいんやいな。せめて京見物ぐらいさせてくれちゃったらよいのに……」とふくれていたときはようやく機嫌をとり戻し、山陰街道の片側に立ち並ぶ店に首をつっこみ、きょろきょろしたがる。それをうながしうながし老の坂峠を下った頃、神が声をかけた。「直よ、唐ヘ行けいと申したが、まこと行こうと思うたか」「はい、唐天竺までも……」ときっぱり答えると、腹の底が熱してきて、唸るような声が上がった。「うーむ、偉いものだ。実は直が行くか行かぬか、この方が気をひいてみたのであるぞよ」 神と直の自問自答に慣れている川端ときは、背後でそれを聞き、口をとがらした。「そんならわしらあ、あんばよう、ちょうさいぼう(なぶり者)にされとったんかいな」「そういうことになるなあ。ようころっと騙されますで」 直は苦っぽく笑って言い足した。「それでも何ぞの型をさせられてますのやろ。騙したり、すかしたり……神さまもお人がわるい」 亀岡でときと別れた直はそのまま綾部へ帰るのも残念でならず、保津方面で糸引きをして廻った。病人にあえば心から神にその加護を念じつつ、日を送った。綾部へ帰ろうにも、待つ子もなく、住む家もなかったのである。

表題:初めの広前 5巻2章初めの広前



 明治二十七(一八九四)年七月二十五日、ついに豊島沖の海戦で日清戦争が劾発、八月一日、日本は清国に宣戦布告する。 九月十三日、大元帥陛下は新橋駅より御料の汽車にて広島大本営へ御進発あらせらる。翌十四日、二十一発の煙火のうちを京都御通過、十五日、広島御着輦。警部両名相並びて先駆し、次に儀仗兵、次に徳大寺侍従長御陪乗し奉り、陛下には竜顔殊の外麗しく、歓迎の人々を左右に御覧遊ばされ、鳳駕の響き滑らかに御進みあらせらる。その次には侍従武官乗馬にて扈従し奉り、次に参謀総長有栖川宮熾仁親王殿下の馬車、次に宮内大臣、侍従の馬車、次に広島県知事。警部二名各々乗馬にて警衛し、列外には大山陸軍大臣、西郷海軍大臣、馬車にて随行したり。かくて陛下は京橋筋より練兵場を経、元第五師団司令部なる行在所楼上に入御あらせられたり。時に百一発の祝砲大空に響き渡る……。 この昂揚した空気を、直は多くの糸引き仲間たちと、うだるような暑さの中で座繰を廻しながら感じとっていた。 やがて糸引きを終わった直は綾部へ帰り、大槻鹿蔵に邪慳にされながら屑買いをする。 九月十日の筆先には、次の言葉がみえる。「いまでは支那がちと強き、これは山子であるぞよ。とどめは鬼門の金神がうつりて、日本へ手柄をさすのであるぞよ。神ぶつじが手伝うて、日本へ手柄をさすぞよ」 九月十七日、わが連合艦隊は清国北洋艦隊と黄海で会戦、制海権を獲得。この黄海大海戦勝利の報が内地へとどくや、各地に万歳が湧きたった。園部では国旗をかかげて二日間勝祝いのため休日とし、福知山では御霊神社で奉祝会、そして直のいる綾部でも、町の軒ごとに丸く小さなほおずき提燈が飾りつけられ、花街は夜半まで祝い酒に浮き立った。 国旗をかかげる家もなく、提燈も祝い酒もない直は、この日もただ屑買いに軒々をまわり歩いていた。唐と日本の戦いの予言は確かに直の体内からほとばしり出たものであったのに、もはや、その実体は遠く直の手の届かぬ彼方であった。 ある日、直は足をのばして、何鹿郡山家村一帯を屑買いに廻り歩いた。山家村字西原の西村文右衛門の家を訪れると、女房のみねが襤褸を売ったついでに、思い余ったように語りかけてきた。「うちの主人いうたらなあ、ひっさ病気で、どんのいにも難渋しとるのや。あんた、病気治しもしてんやげなが、ためしに拝んでもらえんか」「そらお困りですやろなあ。どういうご病気ですい」「二年ばかり前から、ねっから因循になってしもて、田螺みたいに奥ヘすっこんでしもたなり、出てこうへんのやわな。言うたら正気やないのやがええ」「お医者はんに診せなさったか」「お医者はんにも診せたし、加持祈祷もしてもろたんやが、てんであかんのや。そのくせあんた、飯はうまそげに手づかみでうせうせ食って、なんぼ食ってもケロンとしてござる。貧乏してるし、もうじき児が生まれるのに、こんなこっては痩せ子にはすね(痩せた子にできもの、弱り目にたたり目の意)ですわな」 みねは本宮村の四方藤助の三女、つまり四方源之助の姉であった。器量があまり良くないので縁遠くなるのを恐れたのであろう、他の姉妹とくらべて婚家は豊かでなかった。七人目の子をみごもった大きな腹をかかえて、しんから困った顔をした。「ちょっと長引くが治してやると神さまが言うてなさるさかい、大丈夫ですで。どこにおってんです」 みねに案内され、直は昼間から半分雨戸をたてた薄暗い部屋に通された。蒲団を頭からかぶっていた文右衛門がおそるおそる目許をあらわし、髭の中からぎょろっと睨んだ。「まあ起きなはれ」 あわてて蒲団にもぐりこもうとする文右衛門を、直は強引に抱き起こす。手足が痩せ細りそこだけぽこんとふくれた腹部を右の手で、左手は背中にやって、神に祈りつつ静かにさすり始めた。すると文右衛門、「くえーっ」と無気味に一声叫び、そっくり返り、気絶してしまった。「さあ、これでよろしい。おなかの中に巣くった憑依物は逃げ出しましたで。あんたはんも金神さまを信仰しなさったら、じっきにお神徳をいただけますさかい」「このまま寝せといても大事ござへんやろか。死なれてしもたら、どもこもなりまへんがなあ」 不安と恐れととまどいに、みねは蒼ざめている。「ぬしがでに(ひとりでに)気がついて、だんだんようなってですわな」「どのい言うて、神さん拝んだらよろしおっしゃろ」「鬼門の金神さん言うて頼みなされ。きっと助けておくれなはるでなあ」 買った襤褸を背におい、直は歩き出した。みねは外まで追って出て、直の袖に縋りつく。「金神さんいうても、どこにおってんですいな。うちには神棚もありまへんし……」「そうですなあ、それなら綾部の方向いて、金神さん言うて手を合わせなされ。わたしもようお願いさせてもらいますわいな」 十日目、直は西村家を再び訪れた。「旦那はんのあんばい、どうですえ。心配しとりましたがえー。この前を通りかかったんで、寄せてもろたんですわな」 その声に、みねが転がるように土間に下り立ち、直の手をとった。「お直はん、ふんとに不思議なこってすわな。あれから毎朝毎晩、綾部の方向いて手え合わして拝みましたら、どんどんようなって、もうへい今日は湯浴みする言うて、いんまお風呂に入ったとことこ(ところ)ですわな」「嬉しや、なした早ようお神徳をいただきなさったんじゃいな。そうじゃさかい、信心はせんならんもんですなあ」 のび放題の髭もきれいに剃り落とした文右衛門が、湯上がりの火照る体にさっぱりした着物をまとい、帯をしめながらあたふたと出てきた。「おおきに、えらい助けてもらいましたえ。まるで地獄から生き返ったような気いしますわい。助けてくれちゃった金神さんにお礼詣りさしてもらわんとあかんのやが、どこへお詣りしたらよいのやいな」 文右衛門の眼には、熱意のこもった輝きがあった。直は困った顔になり、「さあ、どこにお祀りしてあるやら、とんこつなことで、わたしも知らんのですわな。鬼門の金神じゃと神さまが言うとってですけどなあ」「ほんならお直はんの所にお祀りしちゃったらどうや。このい効き目のある金神さん、どこいもお祀りせんでほっとくちゅう法がない」「わたしはこんな襤褸買いで、家もないさかい、祀りとうても場所がござへんわな」「やいや、わし、それでは気いすみまへん」と怒ったように文右衛門は言った。 直はとりなすように、「亀岡に金光教会いうのがありましてなあ、王子や八木におる娘が信仰さしてもろとりますで。みなが金神さん金神さん言うとってですさかい、そこへでもお礼に詣ってもらわな、詣ってもらうところござへんなあ」「金神さんなら、きっと同じ神さんでっしゃろかい。ほな亀岡へ詣らしてもらおか」「あんたが行ってんでしたら、なんじゃったらわたしも一緒にお詣りさしてもらいますで。こないだ亀岡から帰ったばっかしですけど、お礼詣りなら何度でも結構ですで」「そら願ってもないこっちゃ。ぜひお供に連れていっておくれなはれな」 よほど嬉しいとみえ、文右衛門はもう子供のようにそわそわし出すのだった。 山家村字西原に住み、やはり直に病気を治してもらった西村庄太郎も加えて、文右衛門、直の一行三人は夜半発ちし、夕方には亀岡西町の金光教会に着いた。「お詣りかいな、そらご苦労はんどした。ほいでどっから来なはったんや」 受付けの青年は新参らしく、直の顔を知らなかった。直は丁寧に頭を下げた。「わたし、綾部の者でございます。八木にいます福島久や王子の栗山琴はわたしの娘でしてなあ、金神さんを信仰さしてもろてますもんで、この人たち誘うて、お詣りに来さしてもらいましたんですわな」「あ、聞いた、聞いた。そう言えば教会長はんが言うとってでしたで。福島はんのなんとやらが襤褸買いしてはって正気を失うとってやが、お神徳だけは立つらしいちゅうて。お婆さんのことやったんか」「わたし、正気を失うたわけやございまへん」 直が言いかける傍から、文右衛門がひきとって、憤然とつけ加える。「ほんまやで。そらあらたかな神さん、憑いとってですわな」 文右衛門と庄太郎がほやほやの神徳談を披露した。受付けの青年はひっそりと折り目正しくふるまう直の品位に認識を改めたのか、一行を広前へ案内し、如才なく告げた。「いま教会長はん、お留守ですけど、おっつけ帰って来ますさけ、どうぞゆっくりお詣りしとくれやす」 一行は神前にうやうやしくぬかずき、長い感謝の祈りを捧げた。終わって疲れた足腰を休めているうち、大橋亀吉が帰って来た気配。やがて受付けの青年から報告を聞いた大橋は、一行の前にやってきて人なつっこい笑顔で挨拶し、直に向かいあった。「ところでお直はん、唐はどないやった?……えろう早ようお戻りでしたなあ」 直は恥ずかしげに首をすくめ、「はい、京都から引き返しましたんですわな。なんせ行くも戻るも神さまのご命令のままですさかい」「ははは……、愉快な武勇談でも聞かしてもらおと思とったんやが、そら残念でしたなあ」 笑いとばすと、急に鋭い眼にかわって身を乗り出した。「話は別やがお直はん、あんた今どこにおいでるのや」「どこというて家はござへんのや。いましばらくは綾部の娘の家に厄介になって、きこんかいに(気ままに)襤褸買いしとりますが、あまり長うはおれんじゃろうと思うておりますのや」 大橋の眼が光った。「お直はん、綾部にはほかにどこぞ空いた家なり、部屋なりないかしらん?」「さあ、気いつけて見とりまへんさかい。どうしなさるんです」「金光教の綾部教会をどこぞにつくろうと思うのや。そしたらはるばる亀岡までお詣りに来てもらわんでもよいやろ」「それなら有難いことでございますなあ」と、直は嬉しげに答える。「いずれ近いうち、誰か一人役員を置くつもりやが、お直はんも家なしではしんどおすやろ。役員と一緒に住んでもろて、お道をひろめてもろたらどうですい」 大橋は自分の提案の反応を伺うように、直を見た。文右衛門の方がまず乗り気になって声を高める。「そ、それはよいお話ですわな。ぜひそのいしとくれなはれ。家ぐらい、なんとでもわしの方で探しますで」 庄太郎も口をそろえる。「ほれ、源之助はんに頼んでみちゃったらどうや」「そうや、それがよい」と文右衛門は手をたたき、大橋に説明する。「お直はんの元の家の裏手に四方源之助いう男がいますのや。わしとこの親戚で顔の広い男やさかい、家一軒探すぐらい、なんとかなりまっしゃろ」「ほんなら家のこと、あんたにお願いしますわ。こんな結構な御用さしてもろたら、まだまだどえらいお神徳頂けまっせ。念のため西村はんの住所、聞かしてもろとこか」 大橋は西村文右衛門の住所をくわしく書きとめ、教勢が西へ発展する希望に胸をふくらますのだった。
「ごめんやーす、もーし」 少し自分の声ではないような気がして、男は唇をなめ、首を斜めに振って、前髪を額からはねのけた。「もーし、ごめんくだはーい」 裏口から鼻をたらした幼い姉弟が出てきて、見知らぬ男を眺めた。「父さん、おってかい」 姉が首を振る。「母さんは?……」 弟がだまって山の方を指さした。ふり返ってみると、暮れなずむ山を後に柿の実が幾つか夕映えに光っている。姉が笑って訂正する。「そっちやない。田んぼやで」 待つほどもなく、山のような稲束を積んだ荷車と共に、野良着姿の夫婦が二人の男の子の背にもいっぱい稲束を背おわせて帰ってきた。幼い姉弟が走り寄る。 威厳を失うまいと身をそらせ、ゆっくりと男は名乗った。「わしは金光教亀岡分教会の大橋亀吉先生の弟子……というても神道本局から正式に訓導に任ぜられとる奥村定次郎でござる。大橋先生から聞いとってでっしゃろ」 この家の主人西村文右衛門は大きくうなずき、「へえへえ、役員はんよこす言うとっちゃったが、あんたはんですかいな。遠方から御苦労はんなこってした。ささ、むさくるしゅうしてまっしゃけど、どうぞお上がりなしとくれんさい」 奥村はもう一度頭を斜めに振って、髪を払いのけた。座敷に通ると、奥村は床の間を背に坐り、下座にかしこまる文右衛門に告げた。「いよいよ御神示によって金光教の尊いお広前をひらく時節が来ました。あんたは、大橋先生から特別に選ばれて、お広前の候補地を探すという尊いお役を引き受けはったそうやな。そこでわしは訓導として特命を受け、まず西村家へ出むいてきた――と、こういうわけや」 多少の誇張はあった。明治二十五年八月三日に奥村定次郎の任じられた役職は金光教教師試補であり、訓導とはまだかなりのひらきがある。といって、別に悪意はない。ただ自分をちょっぴり重く見せたかったのと、その方が迎える側としても張り合いがあろうという、相手ヘの思いやりでもあった。 案の定、文右衛門は恐縮して、「ははあ、それは偉い先生に来てもろてからに、もったいないことでして……それがあんたはん、やいや、先生はん、なにしろこのいも早いと思いまへんので、なんせ穫り入れ時だっさけ、どっこいも出歩いとる暇もござへんで、まだよう見つけとりまへんのやな」「神さまのお道に早過ぎるちゅうことがおすかいな」「ほんまにすまんこってすわな。それでどのぐらいの家がいりますのや」「まあ、六畳一間ぐらいのとこがあれば……」「狭いことござへんか」「初めのうちはしょうおへんやろ。そのぐらいのとこから始めて、信者がふえ出したらまた大きな広間に移れと、神さまが命じなはりますさけ」「ごもっともなことで。ほんなら今夜はむさくるしいとこだすけど、ここへ泊まっておくれなはれ。明日起き抜けに、家内の里へ行って頼んでみますさかい……」「よろしゅ頼んまっせ」 奥村は鷹揚にうなずいて見せた。
 求める家は、苦もなく見つかった。四方源之助の仲介で、出口家の元屋敷の隣、何鹿郡長大島景僕宅の離れ座敷一間を月一円で借りる約束ができたのである。白壁の、ひっそりした離れ家であった。文右衛門に案内され、奥村定次郎は振り分け荷物一つで勇んで移ってきた。すぐに文右衛門を使いにやり、大槻家から出口直を呼び寄せる。初対面である。 奥村は安政三(一八五六)年生まれの三十九歳。直は下座に手をつかえ、五十九歳とは思えぬ澄んだ声で挨拶の言葉をのべた。少々気のおかしい無学の屑買い婆とみくびっていただけに、その折り目正しい態度がちょっと意外だった。「お直はんの亡くなった御亭主いうのは、大工の棟梁やったってな。わしも今でこそ神さまの導きで金光教の訓導さしてもろてんのやが、元を正せば神崎村の大工どすねん。これは不思議な因縁やと思いなはらんか。つまりわしの布教を助けるための女房役に、神さんが選んでお引き合わせなさったんや。まあ、せいだい勤めとくなはれ」 奥村は最初から主従の立場をはっきりさせた。痩せた身を継ぎはぎのした着物に包んで、節くれ立った手を膝に揃えた直は、やわらかい笑みを浮かべて奥村を見た。母と子ほどの年の違いのせいか、奥村はふとたじろぎ、光のある白髪と肌理細かな肌から眼をそらした。 その日から身一つで大島家の離れに移り住んだ直に、奥村は僅かの所持金を渡して細々した所帯道具を揃えさせた。直の世話は心きいて、便利な女中を得た気分であった。 具体的な布教のめどのつかぬまま、うかうかと四、五日が過ぎた頃、山家から四方与平次の妻八重が直を訪ねて顔を見せた。「こないだ、お直はんに拝んでもろてから、えっとおかげを頂きましてなあ」 八重は不自由な足をさも嬉しげに運んで、直に支えられて座敷に上がった。「何年ぶりで外に出ましたやろ。あれから嘘みたいに気分がようなってなあ。それでどうでも、もういっぺん拝んでほしいと思うて……」「それはようお参りになりなさった。亀岡の金光さまから、偉い先生が来とってですで……」 直が奥村を紹介する。奥村は、新しくつくられた神前で声高に型通りの祈願を始めた。独立して初めての神への取次である。後に下がって無言で伏している直のせいか、声が上ずって我ながらぎこちなかった。 八重は不満げに頭を下げていた。直の神力を信じて、直に拝んでもらいたくてここまで来た八重であった。祈り終わる奥村に、無遠慮な質問を投げかけた。「あんたはん、まあ、まだ若うて、奥さん、どないしちゃったんやいな」「家内はおりますけどな、単身きましたんや。神の道は厳しおすさけのう」 奥村は、二十六歳で千原村の奥村久兵衛の養子となり、家つき娘のいとと結婚したのだが、子供に恵まれず、何かにつけ頭から押えかかる女房との暮らしは思い出すさえ不愉快だった。奥村は磊落げに笑ってみたが、転じたい話題であった。「いくら神さんのためやかて、生き身のおかみさんほってきちゃってはどもならんやろに……なあ、お直はん」 まだからかいたげな八重の視線を避け、奥村は言った。「ところで山家から来なはったそうなが、鷹栖ちゅうとこ、知らはらへんか」「へい、わしは、その鷹栖ですう」「そら具合ええ。その鷹栖に、四方平蔵いうて製糸しとった人、知っとってやないけ」「ようよう知ってますわな。わしの家の近くですさかい。お直さんかて知っとってでっしゃろ」と八重は直の方を向く。「はい、平蔵はんなら、もうせん糸引きに寄せてもらいましたさかい……」 奥村は元気づいて、「ほんなすまんけどのう、あんた、鷹栖へ帰ったら、平蔵はんに『亀岡から金光教の偉い先生が来て会いたがっとる』いうて、伝えてくれはらへんけ」「おやすいこっとすわな」 八重は、その夜のうちに奥村の伝言を果たした。 その翌日、正確には十月十日、表から男の声がした。「お直はん、おってですかいな」 手枕で横になっていた奥村はあわてて起き上がった。「はい」 よく透る返事がして、裏で庭掃きしていた直が表へ廻った気配。「まあ、平蔵はん。ようおいでなさった。先生がお待ちかねでなあ、もし二、三日も待って見えなんだら、山家ヘ出かけなさるとこでした」 奥村はぎょっとした。今が今、寝転びながら、そう考えていたばかりなのだ。小癪なと思いながらいそいで髪を手で撫でつけ、分厚い下唇をなめておいて居ずまいを正した。表の話は続く。「お直はんが金光教の先生と一緒に病気治ししてやと聞いて、びっくりしましたで」「わたしも平蔵はんが綾部に帰っとってん、ちっとも知りまへなんだ」 直に案内されて座敷に上がった平蔵は、まず神前に進んで丁重に拝礼し、その後で奥村と初対面の挨拶をかわし合った。 四方平蔵はこの時三十七歳。一時は農業のかたわら二十人ばかりの人を使って養蚕製糸をしていたが、明治二十一年に事業に失敗、亀岡に出ていた。その間に大橋亀吉の導きで金光教信者となり、明治二十六年にようやく郷里へ帰り、農業のかたわら酒と駄菓子屋を開いていた。 奥村はせっかちに用件を切り出した。「大橋先生から、綾部宣教には、地元の信者である四方はんに是非力になってもらえ言うてすすめられたんでっせ。神さまの御用やさかい、四方はんには、なんとしても一肌も二肌も脱いでもらわんなんとこどすなあ」 平蔵も満更でない顔をしたが、実際に世話人を作る相談を持ちかけられると途方に暮れ、「伊勢詣りや出雲さん詣りのお世話ならなんでもござへんが、教会をひらく世話方を作るとなるとどのいしてよいやら。まだこの地方では、金光さんの名前を知っとる人もござへんしなあ」「それやからこそ、この御用を果たしたら、お神徳は大きいいうもんじゃ。なんせわしは、綾部のことは西も東も分からんのやさけ、平蔵はんだけが頼りなんや」と奥村は、責任を平蔵に押しつけるような言い方である。 実直な平蔵は、深刻な表情で考えこんだが、「そうや、お直はん、八重さんから聞いたんやが、あんた、あちこちで病気治ししてあげちゃったげななあ。何人ほど治しちゃったい」「はい、金神さまが、『病気治しの神やないが、お道を弘めるためには祈ってやれ、お神徳はやる』と言いなさるさかい……」と直は口ごもる。「そやさかい、あんたが拝んでお神徳をもろた信者は、何人ぐらいあるのやいな」「信者というてはござへんけど、屑買いもって拝んであげたお方は、四十人ばかりもありますかなあ」 その名を聞くと、平蔵の知っている人もかなりあった。それが彼に自信をつけたらしく、気おいこんで奥村を仰いだ。「それじゃ一つ、明日の晩げにも、その中の幾人かに寄ってもろうて相談さしてもらいまひょか」 平蔵はその足で、西村文右衛門を手はじめに綾部の周辺を精力的に駆け廻るのだった。
 ここで金光教について、簡単にその沿革を述べておこう。 教祖川手文治郎(一八一四~八三)は、備中国(岡山県)浅口郡占見村の自作農に生まれ、十二歳の折、隣村大谷村の川手家に養子となる。没落自作農である川手家を立て直すため懸命の努力をはらい、四十二歳の頃には、村内自作農二十七軒のうち十位に位する農家となったが、人々からは、「信心文サ」と敬愛される気のよわい、慎しみ深い人柄であった。その頃文治郎自身は難病を患い、また家族や貴重な家畜などを次々失った。祈祷師によると「金神に無礼があるので七つの墓を造らねばならぬ」との託宣である。信心深い文治郎は、迷い、懊悩した。 翌安政四(一八五七)年十月、実弟香取繁右衛門が神がかりして、「金神様おのりうつり」と称し、数々の霊験のあったことから、文治郎は従来の俗信に疑問をもち、むしろ祟り神といわれる鬼門の金神にひかれていった。 安政五(一八五八)年元旦、四十五歳の文治郎は、繁右衛門の広前(布教の座)で、「戌の歳(文治郎)は神の言うとおりにしてくれ。そのうえに神をもちいてくれ、神もよろこび、金乃神が、戌の歳へ、礼に拍手をゆるしてやるからに、神とあったら〃他領の氏神〃と言うな……。〃金乃神したばの氏子〃と申して、日本の神々へ、とどけいたしてやるから、神が受け返答いたすようにしてやる。戌の歳、いままでは段々不仕合、難をうけた。これからは、なにごとも神を一心にたのめ。医師、法印(山伏)をいらぬようにしてやるぞ……」との神託をうけた。 文治郎は祟り神といわれる金神と必死の対決を続けた。それを支えたものは、真摯な信心と、農民として過ごした積年の勤勉な生活に対する、慎ましいが強固な自信であった。 安政六(一八五九)年十月、稲のとり入れを終えた文治郎は、「なんとか家業をやめてくれぬか。此方のように実意ていねいに神信心致しておる氏子はない。世間にはなんぼうも難儀な氏子あり、取次たすけてやってくれ。神もたすかり氏子もたちいき……」との金神のたのみをうけ、家業をやめて「広前」をつとめることになった。 文治郎はこれより明治十六(一八八三)年、七十歳で没するまで、熱心に布教に励む。文治郎は信者を氏子とよび、神と氏子の相互扶助を教え、信者に「守り札」を与えたり、祈祷料をとることを禁じ、お神徳はわが心にあるとした。「天が下のものは、みな天地金乃神さまの氏子じゃろうが、イザナギ、イザナミの命も人間、天照大神も人間なら、そのつづきの天子さまも人間じゃろうがの。宗忠神(黒住教祖・一八一四年開教)もおなじことじゃ」と言い切り、人間の平等を教えた。また女子について、「これまで男でなければ家がたたぬといえども、これからは女、家をもつこと、金神がおしえてやる」と言い、婦人のけがれが根拠のないことであり、産後は食物を充分にとり静養すべきことなど、当時の封建的な農村には瞠目すべき教えであった。 明治元(一八六八)年には、文治郎の神号も「生神金光大神」と授けられ、維新後の政府の開明的な政策に随喜して、明治五年政府が大陽暦を採用するや、旧暦を最大の俗信文書と難じていた文治郎は、新暦を神前に供え、感謝してやまなかったという。 しかし同年七月、開教以来の文治郎の片腕あるいは教祖以上ともいわれた斎藤重右衛門が、官憲の厳しい禁圧をうけた。これは政府の、皇室と国家を中心とする天皇信仰への統一策のあらわれとみられる。 やがて重右衛門は文治郎から離れたが、のちの教義の理論的な整備を試みた岡山藩の米問屋白神新一郎(一八一八~八二)らが台頭してきた。 文治郎は明治八年、白神に東国開教を委嘱した。白神は東京へ上がる足がかりとして、まず大阪への布教を目指したが、二度にわたっての失敗から地元有力者の入信の必要を痛感した。 明治十二(一八七九)年、大阪にコレラが大流行した。白神は六十二歳の老躯をもって再び上阪、かなりの信者を得たので、自ら商業を営みつつ布教に従事した。翌十三年、難波の名族の出である近藤藤守を入信させ、教勢の発展につとめた。 十六年六月、中里米次郎は京都で開教し、京阪における金光教は下層の市民・商工業者・職人さらに芸人などに教勢をひろげ、民衆の御利益信仰にこたえていった。 明治初年の教団はすでに教祖晩年の入信者たちに主導権がうつり、しだいに教祖の農民宗教的な行き方を改めて、明治政府の宗教政策に順応していった。新たな教勢の発展は、天皇信仰を鼓吹し、民衆宗教とむすびつけることによってのみ可能であり、その存続がゆるされた。教団は草創期の合理性、開明性の一面を残しながらも、急速に治病・家庭円満・開運の現世利益に重点をおき、明治三十三年、ついに信者数十万の大教団として独立を公認されるに至った。 直と金光教の接触した時期は、まさに金光教団が急速にふくれ上がる途中であった。
 十月十二日夕、四方平蔵の誘いに応じて、直に病苦を救われた十人の男たちが集まってきた。奥村、直、平蔵を加えて十三人、狭い六畳間に肩をくっつけ合うようにしてお神酒を汲み交し、直の心のこもった手料理で、参会者の間には早くも和やかな空気がかもされていた。 頃合いを見はからって、平蔵が立ち上がった。「皆はん、農繁期のあわただしい中をお集まり願うて、えらいすまんことでござした。ここにいなはる皆はんは、お直はんに拝んでもろうて、それぞれお霊験をいただいちゃった方たちばかりです。これだけあらたかな神さんにお鎮まりいただくお宮はんがないのも、考えてみれば申し訳ない。ついてはそのお礼ちゅうとなんじゃが、助けられた人らが寄ってこって(寄り集まって)力を合わせて、なんとかお直はんに祀ってもらいたいとこう思いましたのや。ちょうど折りも折、亀岡から派遣されて来ちゃった金光教の奥村先生も、奇しくもこの綾部に金神さんを祀って金光大神さまのお道を伝えたい、と言うてんじゃ。どちらも金神さんじゃさかい、元は一つや。このお二人を中心にここに広前をつくり、奥村先生には有難い金光さまのお話を、お直さんには金神さまへお取次して人助けしてもらいながら、お霊験の立つ神さまの教えを弘めようというわけです」 誰の顔にも異存はなかった。それを確かめて、平蔵はいよいよ本題に入る。「さて、教会を作るちゅうことになると、まず世話人から作っていかんなん。その世話人は、初めのうち、教会を維持するための金を分担して出してもらわんならん」 どんなに感激していても、わが財布を軽くする問題となると、多少は冷静に戻るのが人情である。しばらく沈黙が続いた後、誰かがのどに痰のからまったような声を出した。「それでその費用は、どのぐらいやいな」「へえーっと、よんベ計算してみたんやが……」 と平蔵は金額を書きつけた紙を出し、行燈の灯にかざし、不自由な眼をそばめて眺めながら、「まずこの広間の家賃が一円。ほかに、神さまは食わいでも平気やけど、その守りをする先生とお直はんの食いぶちやら、炭・薪・神さまに供える灯油などもいる道理や。この月はもう半分過ぎたけいど、初めてのことじゃで、祀りの神具やら暮らしの道具やらまだ揃わんもんもようけある。それらを四、五円と見つもって、まあ、十円ぐらいは見とかんなんと思うのや」 誰もが顔を見合わせた。頭の中では、素早く十円を集まった顔ぶれで割って、一人の負担額を計算してみる。彼らの誰もが、いわば幾らかの投資によって今後のお神徳を保証してもらおうという利益信心の域を出ない。そういう観点に立つと、目に見えぬお神徳は形がなく量れぬものだけに、思ったほど重い額でもないようであり、またはなはだむだな投資とも思える。「これぐらいの銭なら、皆さんさえよけら、はじめはわし一人で出さしてもろてもよいんやが……」と平蔵が申し出るや、たちまち騒然となった。平蔵に神さまの恩恵を一人占めされそうな気になったからだ。「やいや、そんなあんたはん、お神徳を一人占めにしようという欲しんぼな了簡ではどもならん。わしにも一枚かましておくれなはれ」「死に病を治してもろたお礼に、どうでもわしにも出さしてもらわな……」「わしかて、えっとお神徳をもろたんや。ご恩返しをせんならん」 口々に言い立てるのを満足げに聞きながら、奥村はゆっくり手で制して、「あんたらの尊い誠心は、神さまが十分にお受けとりにならはったで。それでお神徳は公平に分けてもらうことにして、この月の費用は頭割りしてもろたらどうやろ」 一同、異議なく即決した。奥村は厚い下唇をなめ、せまい額に垂れ下がる前髪をふり払い、きおいこんでいった。「さて、そこでお広前ができると、お祭りの日を決めんなん。いつにしたもんかいのう」 にこにこ笑いながら聞いていた直が、初めて口をはさんだ。「神さまのお祭りは三日月さんに十五夜さん、二十三夜さんとしたもんでござすさかい、さっそく明日の十五夜さんに初のお祭りさしてもろたらどうですやろ」 直の言葉ですぐに決まった。一人が、言いにくそうに口を出す。「その……わしらが世話人になって公平にお神徳をいただかしてもらうことはよう分かりましたがなあ、そのう……いつまでも費用を出さんなんのですかいな」 言われて一同、再び現実に返った。一回、二回ぐらいなら喜んで経費を差し出そうが、永久にとなると、そう感激に浸ってばかりではすまなくなる。その心配を素早く読みとって、奥村は万事のみこんだように笑みを浮かべた。「いつまでもやおまへん。問題は、信者が増えさえすればすむ。だいたい、人と人とのつき合いでも、頼むだけ頼んで後は知らんふりちゅうことは世間が通りまへんやろ。相手が神さまでも同じこっちゃ。感謝の気持ちをお供えの形であらわさななりまへん。そやさけ、信者が増えればお供えはそれだけ上がる理屈でっしゃろ。お供えさえたんとなれば、自然と世話人の出費も少のうなる。いや、いらんようになる。そやさけ、まずお祀りごとに近所の衆を誘い合わせ、一人でもお詣りを多くする。それが世話人の大切なお役目や。そうすりゃあんた、世話役は懐いためんと、神さまのお神徳も取り得いうことになりまっしゃないか。さて、明日の鎮座祭は、一つ賑々しくやりたいもんですのう」 奥村は宣教の心意気に酔いながらも、職業的宗教人らしい計算はちゃんと忘れなかった。
 この夜集まった最初の世話役十一人の氏名は、次の通りである。   四方 源之助   綾部本宮   三十六歳   西岡 弥吉   綾部本宮   四十一歳   出口 実太郎  綾部本宮   三十七歳   西村 忠兵衛  綾部町    二十九歳   四方 平蔵   鷹栖村    三十六歳   四方 与平次  鷹栖村    五十二歳   四方 裕助   鷹栖村    五十五歳   西村 庄太郎  河原村    三十三歳   西村 文右衛門 西原村    四十三歳   西村 弁太郎  西原村    三十七歳   四方 伊左衛門 下八田村   五十五歳
 翌十月十二日、直自身にも読めぬ鳥の足跡のような艮の金神の筆先が「天地金乃大神」と書かれた金光教の軸と並べて祀られた。直は暁に起きて身を潔め、この神の広前に伏して祈った。艮の金神を世にお出ししたいという一念がついに現実となって、今日ここに第一歩を踏み出したのである。直は嬉しかった。参ってくれる素朴で純な村人たちを手を合わして拝みたかった。 旧の三日・十五日・二十三日と月次みの祭が重なるにつれ参拝者もふえ、青野菜や米やお玉串料が供えられ、ほとんど世話人の懐を痛めることもないまでになっていく。

表題:筆先の解読 5巻3章筆先の解読



 綾部本宮の金光教広前への参拝者は次第に増え、早くも大島の離れ座敷六畳一間では狭くなった。 明治二十八年一月十八日、世話役の一人である本宮の四方源之助の八畳二間の養蚕室を借り、広前を移した。 旧正月の鏡開きの時は、信者があふれて往来へはみ出す盛況であった。旧正月過ぎてほどなく、四方家の広前はその日も三、四人の信者が集まって、信仰談にはずんでいた。と、手荒く表戸が開かれて、泥酔した男が踏みこんできた。西八田の万吉という乱暴俥夫である。「なんじゃい、なんじゃい、わいらー、神じゃ神じゃとどーらい(たいへん)人を集めてなんじゃい。神を鰹節にして(だしにして)働きもせんと食い潰しに来とるんやろ。どうやい、返答してみい」 酔いどれ相手に怒ってもつまらぬと誰も相手にならん。図に乗った万吉は、真っ赤な顔に気味わるく酔眼をすえてしゅんとした一座をにらみ、大きなげっぷをすると、次の間の襖を蹴破るようにあけた。書類を整理していた奥村は、あわてて信者の間に逃げこむ。 直は繕い物の手を止め、万吉を迎えた。「おい婆あ、屑買い婆あ、紙屑では食えんもんで、かみはかみでも偽神かついで金儲けはじめくさったんやな。どうや、罰をあてるような気のきいた真似ようせんやろ。こら、仇んするならしてみい」 万吉の鼻の先にある直の眼が金色に光った。「神は罰などあてんぞよ」 静かに一言。万吉はぶるると身震いした。すっと酔いがさめる。思わず後ずさりしたが、虚勢をはって一層の破れ声を上げた。「ふん、なしたこっちゃい。お前ら仰山よってこって、わし一人に罰もようあてんのかい。弱虫め」 広前に酒の匂いをまき散らし、肩ひじはって万吉は出て行った。 翌朝であった。昨夜の信者の一人が広前に駆けこんできて、居合わせた奥村や源之助、平蔵たちに上ずった声で報告した。「どてらいもんじゃ。お直はんはやっぱり正真正銘の艮の金神さまやでよ。ここへ来る途中や、わしが和知川の橋を渡ろうとしたら、えんばと(おりあしく)向こうから万吉が空車をひいて、走ってきたんやわな。いやな奴が来たと思うて、わしは橋のたもとに立って見とったばい。そしたらなんと、橋の真ん中をふいにどーらい風が吹きぬけよってなあ、あっというまに、万吉は人力車もろとも川の中や。たまげたのなんのって」 当時、和知川の橋は、前年の明治二十七年十一月にかけられたばかりの木橋であった。「それで万吉は?」と源之助が聞きただす。「さあて。他にも見とった人たちが騒いどっちゃったが、ともかくわしら、艮の金神さまの力を知らせとうて」と報告者は得意気である。「どうや、よう分かったかい。天罰覿面とはこのこっちゃ……」 さらに言いかける奥村を、直は制した。 悲しげな表情をたたえながらも、きっぱりと言う。「神さまが罰をあてなさることはござへん。みな、自分の罪業がめぐってくるのです。人の罪障をしょいなして、大難を小難にと金神さまが願うてなさるのを、敵対うてくる者はしょうがござへんけど、わたしらはそういう者のためにこそ、金神さまに祈らしてもらわななりまヘん」 かつては祟り神ではないかと疑った艮の金神を、今ではむしろ正反対の認識に立って見る直であった。 四方平蔵はもともと金光教信者であって、金光教の布教に熱心でこそあれ、直の信者ではなかった。それが日とともに微妙に変わっていく。金光教の布教師奥村に対してよりも、直の人柄に惹かれていった。 床の間を背に奥村が坐り、向き合って直が食事していた。奥村の方は大きな朱塗りの膳で、直の方は方六寸ぐらいの小型の箱膳であった。お菜も、奥村のだけは特別に調理しているらしく焼魚がのっていたが、直のは赤い色の吸物碗と皿に大根の煮物がひと切れ。奥村が黙ってお代わりの茶碗をさし出すと、直は主人に仕える召使いよりも慇懃に受ける。その様子を見て、平蔵は不思議でならなかった。奥村が金光教の先生とはいえ、直がそうまでへり下らねばならぬ理由はない。 そういえば、平蔵がいつ参っても直は端座して筆先を書いているか、神さまの朝夕のお供え、広前の清掃――そればかりか奥村の衣類の洗濯・繕い・食事のあれこれと細かい所まで気を配って立ち働いている。しかもいつの間にと驚くほど、ひっそりと自然のうちにすませている。そして自分の暮らし向きのために、今も屑買いを止めようとせず、ひまさえあれば襤褸を求めて歩く。 考えてみれば、役員たちもそれに慣れ、役員相互の連絡も、すべて直に押しつけていた。集会は殆ど夜であったが、雨が降ろうと、雪が降ろうと、直は遠慮そうに役員の家の戸口を叩いて廻る。「今晩にわかに神さまのことでご相談したいと先生が言いなさるさかい、夜ふけでご苦労さんなことですけえど、これも行じゃと思うてお集まり下されや」 素足に古草履ばきで戸外に立つ直を見ると、「えい、眠いのに億劫じゃ」という気分も消しとんで、いそいそ支度する気になる。いつ参っても、直は嬉しげに、お供え物のお下がりを煮たり焼いたりして馳走してくれる。 お供え物の受け方でも、直と奥村の態度は対照的である。最初の頃はなんでも喜んでおしいただいた奥村が、信者が増え出すと、金を寄進する者には顔をほころばすが、大根やら豆などでは嬉しそうな様子もない。ところが、直の面前では、逆に金を寄進するのは気がひける。なんだか名誉でない、気恥ずかしい気になる。直は畑でとれた大根を煮たり、麦をひいて麦こがしにして持っていくと、「これはまあ、お手間のいったご馳走はんを……」と丁寧に挨拶し、心から嬉しげであった。お供えに大根一本あっても、「みなさん、お神徳をいただいておくれなはれ」と言って信者たちに分ける。直を見ていると、神さまは人の誠心を喜ばれるということが、素直に平蔵の胸にしみ入ってくる。 こうした直の態度を奥村が喜ばぬことは、平蔵にもそれとなく察し得る。もちろん、直のようなことをしていては、経済的に広前を維持できるわけがない。責任者としての奥村の立場も平蔵には理解できるが、何か割り切れぬものを感じる。 直は奥村に仕えるばかりでなく、信者一人一人に仕えているのではないかと平蔵は思った。信者が参拝すると、汚れた足袋などは知らぬ間に洗濯し、火であぶってよく乾かして返してくれる。独身者の着物のほころびには誰よりも早く目をつけ、すぐに繕う。だから平蔵に限らず、初めはご利益めあてに参拝した連中も、いつの間にか直の人柄に惹かれて参ることになる。 ――それでも、それに甘えていてよいのか知らん、と四方平蔵は、あぐらをかき傲慢にも見える態度で直に給仕させている奥村を次の間から見ながら、ふと自分を含めた信者たちの在り方を反省したりした。 ――お直はんはいまだに屑買いの婆さんじゃし、奥村先生の下女みたいにしとってやが、艮の金神さまがかかってなさるなら、お直はんは金神さまの尊い容器や。神さまのお社は、神さまが鎮まってやさかい人は尊敬する。それと同じ理屈やさかい、お直はんのことも、もっと大切に扱わなあかんのやないやろか。 奥村は無遠慮に茶でうがいしてのみこむと、「ちょっと出かけて来るでな。よう留守番しといてや」と命じて立ち上がる。平蔵には軽く頭を下げて外出した。 奥村を送り出すと、直はすぐ広前にあらわれ、平蔵に笑顔を向ける。「いなげなお天気やのに、ようお参りになりましたなあ」 直は、自分の小さな箱膳の上に手早く奥村の大きな膳をのせ、危うく平衡を保って立ち上がる。 平蔵は笑った。「お直はん、なしてあんた、小さな膳の上に大きな膳をのせて、あべこべやないかいな」「はい、理屈はそうでも、わたしのような者の膳を先生の膳の上に乗せては、もったいのうござすさかい……」 平然と答える直の言葉に、平蔵は鬼灯のように赤くなった。今の今考えていながら、平蔵の心の底には直を無学な屑買い婆さんと軽視し、教えようとして逆に教えられたことに気づいたのである。 後片づけを終わると、直は筆先を持ってきて平蔵に示した。それは、信者のお供えを包んだ紙に書かれていた。「今朝こんなものが書けましたで。あんたはん、これ読めませんかいな」 直が毎日帰神状態で筆先を書いていることを、信者はみな知っていた。しかし無学の信者が多く、なまじ文字を知る者は筆先の稚拙な文字に閉口し、頭から馬鹿にして、読もうとする努力さえしなかった。第一、先生の奥村にしてからが、筆先を信者に見せまいとする節があった。「お直はんの病気治しの霊力はまことに結構なが、わけの分からぬ筆先だけはどうも……」 信者一般のいつわらぬ気持ちであった。しかし平蔵は、今日は真剣に読み解いてみる心境になっていた。行間もなければ、句読点もない。なんとか読める字はあったが、読めぬ字の方が多かった。読める字が幾つかあっても、全体の意味がまるきりつかめない。不自由な眼でしばらく睨んでいて、次第に困惑の表情が浮かんだ。 直が力づけるように言う。「昨日の晩、寝とりますとなあ、神さまが起こしなさって、こんなこと言うてんですで。むねたださま(黒住教教祖黒住宗忠)もてんりおさま(天理王尊)も、もとはひとかぶ、ひのおおかみさま、つきのおおかみさま、おなじひとはら……」 平蔵は直の声を聞きながら、何心なく筆先を見ていた。するとどうやら、直の聞いたままの神の言葉らしくある。「もう一度ゆっくり言うてみとくれなはれ」 その言葉をいちいち筆先の文字にあてはめてみる。と、読めなかった文字がどうにか判読できる。「あ、読めるようですで。その次はどないです」「みなともどもにまもるぞよ」「みなともどもに守るぞよ……書いたる、書いたる。確かにそない書いたりますで」と平蔵はせきこんだ。そして今度は直の力を借りずに、独力でたどたどしく一行、二行。「おう、読めてきましたなあ。やっぱり晩げに言いなさった通りを、神さまは、わたしに筆で書かせなさるんじゃなあ」 直の白い頬は明るく輝いた。涙すらにじんできた。 ――わたしの書いた文字が人に通じた。平蔵さんが、わたしにも分からん字をちゃんと読んで下さった。神さまのお言葉を知りたい誠心さえあれば、筆先は誰にも読める。艮の金神さまのお心が、これでみんなに分かってもらえる。 初め直は、祟り神として艮の金神を深く疑った。だが次々に降りかかる苦難を耐え忍ぶためには、艮の金神と向かい合うしかなかった。最愛の末子澄まで、幼いうちから手離した。誰一人、直の受難を慰め励ましてくれる人はなかった。 そんな時、艮の金神はいつも直に語りかけ、導いて下さった。いつの間にか直は、金神の意志を人々に伝えるためにのみ生きたいと願うようになっていた。否、金神の意志がそのまま直の意志であるほど、同化した。微塵も私心を容れる余地はなかった。 はからずも今、四方平蔵が、金神の言葉を読み解いてくれた。直は心から手を合わせて、平蔵を伏し拝んだ。 直の意外な行為に平蔵は驚いた。直に喜んでもらえるならと、一層筆先の解読に力を入れた。筆先の文字の癖さえのみこめば、あとは楽に読めることに気づく。たとえば、「からてんじ九(唐天竺)」・「九らやみ(暗闇)」・「九ろう(苦労)」・「でち(出口)」・「五よう(御用)」・「し五と(仕事)」・「うた五て(疑うて)」・「せかい十(世界中)」というように、九は「く」、は「ぐ」、五は「ご」、十は「じゅう」など、数字がひら仮名代わりに使われるという一つの約束と、《いろは四十八文字》の独得の書体を覚えればよい。 「このよのせんた九いたさねばよいよにならぬからはよよいよにいたしてじんみんをたすけるがかみのおんや九であるぞよち九るいむしけらがきまでもたすけるかみであるぞよこのかみがかまわねばこのよは九らやみであるぞよこのよになればこころしだいでどんなことでもかなえるぞよ めいじに十はちねん」 平蔵は、口に出して、指先で文字を追いながら読み進む。しかし、理解できるのは字句だけで、その底に潜む神意にまでは及ばない。
 三月三十日、日清間の休戦条約ついになる。 四月一日、早朝は霧霜強く、やがて一天雲なき快晴。午前十時半、京都岡崎の第四回内国博覧会会場に陛下御名代山階宮殿下御臨場、奏楽のうちに式がはじまる。十一時より博覧会開場、門ごとに国旗をあげ、市中は雑踏する。 四月十七日、下関で日清講和条約調印。三国干渉で世論は沸いた。 講和条約の結果、日本の植民地として台湾の領有が決定。海軍大将樺山資紀を台湾総督とし、軍事的抵抗を予想して北白川宮能久親王の率いる近衛師団を台湾に派遣する。 五月二十五日、台湾巡撫唐景を総統として台湾民主国樹立を宣言、各地で武装蜂起があい次いだ。 五月二十九日、近衛師団、台湾に上陸。抵抗らしい抵抗もなく、上陸後十日目には台北に無血入城。その後蜂起した島民の鎮圧に忙殺される。 その近衛兵の一員に、直の次男出口清吉の若々しい姿があった。 直の予言通り、日清戦争は日本の勝利で終わった。信者たちは、不思議なものを見るように、改めて直を見直した。だが直は、戦勝気分に沸き立つ周囲に眼もくれず、早くも十年後の日露戦争の無気味な予言を筆先に示す。 残存する明治二十八年旧六月の筆先によると、「戦い(日清)がおさまりたおり、この戦いおさまりたのでない、この戦いをひきつづけにいたしたら、日本の国はつぶれてしまうから、ちょっと休みにいたしたのでありたぞよ。こんどは露国から始まりて大戦があると申しておりたが、出口の口と手で知らしてあること、みな出てくるぞよ」 四方家の養蚕室は、春の養蚕期までという約束であった。四月二十七日、近くの西岡弥吉方の八畳二間に広前を移す。春季大祭の時などは、三百六十余人の信者がぎっしり詰めかける盛況であった。 奥村は、教勢の発展をおのれ一個の力によるものと錯覚した。直が奥村に仕える態度に変わりはなかったし、その意味では重宝な下女であったが、信者の人気は直に集まる。しかも癇にさわるのは、直がすぐに艮の金神を口にすることである。奥村は、艮の金神の厨子を天地金乃神のそれより一段下に祀っていたが、直の神は不満とし、しばしば神憑りして叫ぶ。「この方は、金光の下になるような神ではないぞよ。この方は世界中の神であるぞよ。この神の身上審判て下されよ」 いかに直が叫ぼうと、金光教布教師である奥村にとって、天地金乃神より艮の金神が上位だと認めることはできない。「この広前は金光の力で開けたと思うておるか。取り違うにも程があるぞよ。お神徳が立ったのは、艮の金神が八分も九分も手伝うておるからであるぞよ。いつまでもやり方変えぬと、直を連れて出るぞよ。直を連れて出たら、後は猫の子一匹立ち寄らぬようになるぞよ。そうなっては、奥村、夜逃げせねばならぬぞよ」 奥村にも言い分はある。艮の金神がどれ程威力ある神かは知らぬが、自分が広前をひらいたからこそこれだけの信者を組織し、拡張できたのではないか。直一人の時には、たかだか四十人ばかりの貧乏人が個別に直に病気治しを依頼していたに過ぎぬ。 直に対する反発から、一層奥村は艮の金神を粗略に扱う。この頃の筆先には、ひんぴんと奥村に対する警告が示されている。「奥村どの、膳立ていたしてここへ引き寄せたのは鬼門の金神でありたぞよ。直のこと、審判てほしさに、ひき寄したぞよ。わからぬか。審判るところへ連れゆきて、審判てくだされよ。この取次ぎ、大もうな取次ぎであるぞよ。神の力のおん取次ぎであるぞよ」「奥村定次郎どの、まだ苦労になりておらぬぞよ。慢心すぎて、たびたびのおん気づけがあるぞよ。艮の金神が、直の体内かりて何ごとも世界のことを知らすぞよ。奥村どの、早く改心をいたされよ」「百日の水行してくだされたゆえ、世界のことがみなわかるぞよ。艮の金神が、直の体内を借りておるから、これがわからな、先生とはいわせぬぞよ。この金神も、こらえ袋がきれるぞよ。船がかえるぞよ。慢心はいかぬぞよ。改心しやれよ。これだけゆってもわからぬか。足もとから鳥がたつぞよ」 叫ぶのを止めて、直が筆を走らせる。「どうせわしの悪口やろ、ろくなこと書きくさらんに決まっとる」と奥村は筆先を手にとって見ようともせぬ。 金光教信者として自分の下にあるべき四方平蔵が、その筆先をどうやら解読しはじめたと知って、奥村の杞憂は増した。他の信者へ伝染せぬうち、何とか予防せねばならぬ。ここまで教勢が広がった今、むしろ直の存在は目ざわりでしかない。 奥村は自力を信じて強気であった。「先生も筆先を拝読して信者の皆さんに伝えておくれなされ」 ある日、直は筆先を示して奥村にせまった。「余計なさし出口いらんわい。ふん、こんなもん」 奥村はせせら笑った。 ――この先生も、艮の金神さまを世に出して下さるお人ではない。 世話人が懸命に引き止めるのもきかず、直は綾部を去った。一人八木へ向かって旅立つ直の背に、六月の青葉がかおった。
 直が奥村に愛想をつかし八木に糸引きに行ったのは、明治二十八年六月十二日のことである。八木に二十日ほど滞在し、ついで馬路村の貞助の家で糸引きをする。すでに直の病気治しの力は近在に知れわたっていた。天理教会その他から共に布教したいという誘いもあった。しかし直の霊力を利用しようとはしても、艮の金神を理解しようと努める者はなかった。 七月下旬、神命のままに帰綾、広前へ二、三日滞在するが、奥村の機嫌は直らぬ。世話役は直が再び他の地へ去ることを恐れ、会合を開いて西村忠兵衛に身柄を預けた。忠兵衛夫妻と父忠七の三人、ひっそりした家庭である。直は西村方に起居し、祭の時だけ広前に参拝していた。 八月のある日、直が広前へ顔を出すと、四、五人の信者がはっと口をつぐみ、緊張した顔で迎えた。一人が言いにくそうに口を切った。「お直はん、ほんまやらどうやら分からぬ変な噂ですがのう、聞いとってかい……」「それは……なんでござります」「はい……嘘かも知らんで驚かんといて下はれや、実はのう、息子はんのことで」「……」「清はんが台湾で戦死しちゃったらしい……」「清吉……」 直の胸に、夫政五郎、長男竹蔵の変事の報を受けた時の衝撃が鮮烈によみがえった。艮の金神を宿して動ぜぬ直でなく、凡俗な一母親の素顔がそこにあった。 別の一人が慌てて言い足した。「それでも、妙なことに噂の出所が分からんのですわな。誰が言うたともなく、町でパーッとひろがった風なんじゃが……まさかあのぴちぴちしとる清はんが……根も葉もない噂に違いござへん」 直は夢中で西村方へ帰り、あてがわれている狭い部屋に閉じこもった。小机に向かって端座し神を呼び、心の動揺に堪えきれず突っ伏す。やがて直の手は無意識に筆をとり、動き出す。「何鹿郡綾部出口清吉殿わ近衛兵、まことに結構な兵隊であるぞよ。ある故に神が借りておるぞよ。死んでおらぬぞよ」「かみ代わりには明神の正一位稲荷大明神が身代わりに立ててあるぞよ。御安心をして下され、対面さすぞよ。も一戦いたして手柄をさして帰すぞよ。直よ、安心して下され」 直の表情が急にやわらいだ。この頃では、筆先の文字をなんとか一人で読み解くまでになっていたのだ。 冷静に戻ると、直は根も葉もない噂に取り乱した自分が恥ずかしかった。もし清吉の死が事実ならば、天朝さまから先にお知らせがあるに違いない。神を忘れて噂を真に受けた自分はまだまだ信仰が足らぬと、情けなかった。 噂は大槻鹿蔵の耳にもとどいた。養子伝吉とともに清吉にも特別な愛着をもっている鹿蔵は、直ほど単純にこの噂を聞き流せなかった。やっきになって役場に問い合わせ、はてはどなりこんで調べさせ、近衛隊にも問い合わせたが、さっぱり要領を得ぬまま日は過ぎていく。
「信者がえっと増えとんのに、広前は狭い。それがお直はんの御不満なんかも知れんで」 直が広前に寄りたがらぬのを、当時の信徒たちはそれぐらいにしか解釈できなかった。世話役一同相談の結果、広前を元黒住教会説教所であった東四辻へ移すことに決定。 九月二十一日、遷座祭を行なった。直の顔色はすぐれず、遷座祭にも西村の家から参拝し、西村の家へ帰るのだった。 金光教福知山分教会の青木松之助から招きの手紙があり、九月二十八日、直は福知山に行く。 顔を見るなり、青木が頼む。「塩屋の三右衛門はんの息子の妾の家でなあ、人がのうて困っとってんや。ちょっとの間手伝うてあげていな」 塩屋は屋号で、本名は吉田三右衛門という。「舟がつくつく塩屋の門へ、あれは三右衛門さんの通い船」と福知山音頭にも残る庄屋の家柄だ。福知山広小路菱屋町で鉄と塩を扱っており、鉄屋とも塩屋とも呼ばれた。 三右衛門の妻梅子が金光教信者であり、その関係で、三右衛門は青木と面識があった。宗教ならどんな頼みごとでも引き受けると思ったものか、青木に息子の妾の下働き女探しを頼む。青木は、とっさに直を思い出し手紙で呼び寄せたのだ。この時点では、青木は直をそれぐらいにしか認識していなかった。 言われるまま、直は四十日ほど妾の家にいて、後任の下働きが見つかってから金光教福知山分教会に移り、翌明治二十九年三月まで滞在した。 青木松之助は、弘化元年京都の粟津家山形屋に生まれ、明治六年二十九歳で京都島原に住む青木家の養子となる。 養父青木馬吉は通称朝尾馬吉という貸元で、島原界隈でのかなりの顔役であった。 松之助の金光教入信は明治十九年。大道拡張の命を受けて福知山に派遺され、明治二十三年立柳(通称土堤の町)に広前をもうけるに至る。 明治二十五年には、神憑り間もない直がこの広前を訪ね松之助と初対面、艮の金神を認められず、失望して去っている。 明治二十七年二月には字裏野(通称袋町)に広前を移転した。いまの惇明小学校の南西にあたる。隣家では瓦を製造していた。 同年十一月、字中野の南端に家を新築し再び移転。当時の中野は南内記通りまで東西ともに人家がなく一面の桑畑。夜になると狐狸がのさばり歩いていた。 青木家は七人の子持ちで三女十一歳・四女九歳・二男四歳、そして三男は明治二十九年一月に生まれている。つまり、直が青木家を訪れた当時、松之助の妻うたは大きな腹をかかえていたから、直は朝から晩まで手のかかる幼児の守りから洗濯、炊事と目のまわる忙しさであった。その間にも神が降れば筆先を書き続け、頼まれれば病人の祈願も怠らなかった。 直が福知山に来てから、青木松之助の分教会では霊験が立ち、参拝者も目に見えて増えていった。 奥村と違い、松之助は直の利用価値を知るようになった。「金光さんも結構じゃが、艮の金神さんもも一つ結構じゃ」と調子を合わせ、筆先なども熱心に写して直の意を迎えた。「あんたはんがずっとおってくれちゃったら、艮の金神さんをいつか表にお出しするさかいのう……」と言って、直を喜ばせた。
 明治二十八(一八九五)年八月、朝鮮では京城事件起こり、閔妃殺害さる。十月十九日台湾では武装した台湾島民ことごとく降伏、台南に無血入城し、全台湾は平定したかに見えた。十月二十八日の新聞には、「近衛師団は先発後発の順序に随ひ凱旋の途につくべしと云ふ」と報じられる。 その快報直後、近衛師団長北白川能久親王悪性マラリアのために台南で薨去との悲報が伝わった。 この頃、同じ福知山の兄清兵衛から使いがあり、直は岡の段の桐村家まで出かけた。清兵衛は直を座敷に通し、暗い顔で言った。「直や、お前に知らせんなんことがあって、ここまで来てもろたが……」「なんでございます」「清吉のことや。一時、清吉の戦死の噂が流れたやろ」「はい、それでも神さまは、清吉は死んではおらぬとおっしゃっとりますさかい……」「ところが鹿蔵はあんな男じゃが、清吉には夢中や。生きとるか死んだか心配で、何度も役場へどなりこんで行ったんじゃげな。役場から軍隊に問い合わせて、ようやく返事がきた……」「それでは……あの……病気でも……」「驚くやないで、やはり噂はまことじゃった。立派に戦死したんや。鹿蔵のとこへ遺骨とりにこいちゅう通知があったげな。朝方、鹿蔵からの知らせがあって、わしは福知山二十連隊へ遺骨をとりに行ってきたわな」 清兵衛は立ち上がって襖をあけた。奥の間の仏壇には、白布に包んだ骨壺が置かれている。 直は微動もせず、物いわぬ骨壺を眺めやった。「とり乱すやないで、直。別れは人の世の常のことや。拝んでおやり」 清兵衛がそっと座をはずす。やがて直は仏壇に進みより、内なる神に問いかける。「神さま、これは違いますなあ。何かの間違いですやろ。清吉は死んではおらぬ。生きていますやろ」 神の声がすぐ響き返る。「清吉は死んでおらぬぞよ」 神命ならば疑いもせず唐へ旅立とうとした直も、やはり最愛の子の生死となると、母親としての煩悩が騒いだ。くどく問いかけても、答えは同じ響きで返ってくる。では壺の中の骨は?……。神の声を信じるべきか、現実の骨を信じるべきか……直の心は現実の骨を否定し、神言を採った。 暗くなって、そっと行燈を運んできた清兵衛に、直は、落ち着いた声で言った。「神さまは、清吉は死んでおらぬと言いなさるのですわな。このお骨は清吉のものではございません。それでも、どなたであろうと神さまのお子であることは違いございまへんさかい、ねんごろにお葬式をさしてもらいとうござす」 遺骨は、桐村家の墓地に鄭重に葬られた。 十一月中旬、樺山台湾総督は「まったく平定に帰す」と報告、遠征軍は引揚げを開始するが、その後も台湾島民の執拗な抗日運動は続き、大本営解散は翌明治二十九年四月まで待たねばならぬ。しかし清吉は帰ってこなかった。神が「死んでおらぬ」と言いながら、清吉の消息は何年たっても直の元に届かなかった。この出口清吉の生死に関しては、永く大本の謎となる。 神言は嘘であったのか。その後も、清吉に関して幾度か筆先が出る。「直のおん子、清吉殿わ、神が借りておりたぞよ。これからおん礼申すぞよ。直よ、安心いたして下されよ。べつじょうわないぞよ。艮の金神があらわれて、清吉殿、直とに、手柄をさして、世界がなるぞよ。そのときわ目がさめるぞよ」 出口清吉の戸籍によると、明治二十八年八月十八日死亡とある。しかしこの時点では、台湾に戦争らしい戦争はなかったはずである。 日本軍が台湾に投入した兵力は二個師団半、五万人に及ぶ。彼ら遠征軍が苦しんだのは、実際の戦闘よりマラリアと食糧不足であった。戦死者百六十四人に対し悪疫による死亡者(軍夫を含む)四千六百人、病気による内地送還者二万人以上という数字がこれを物語る。 清吉の場合、戦死(戦病死ではない)と通知されながら、誰のとも知れぬ一片の骨が届けられただけで戦没地も戦闘の模様も一切不明であり、もちろん遺品もない。 まことに曖昧模糊としているが、明治二十九年十二月二十六日には、《故陸軍歩兵一等卒出口清吉母》なる出口直に対し、陸軍省より、「明治二十七、八年ノ役死歿シタルニ依リ特別ヲ以テ」金百五十円を賜与され、明治三十一年三月七日には、賞勲局より、「明治二十七、八年戦役ノ功ニ依リ授賞スべキ処、死歿セシニ付、特旨ヲ以テ」金百二十円を賜与されている。 直にとって、これは夢のような大金であった。十円の銀行借金の利子を払うために長い年月親子ともどもどれだけ辛い思いを重ねてきたことか。ついには家屋敷を手ばなしても清算せねばならなかったのだ。「清吉の命と引き代えのこのお金を暮らしのために使うのはもったいない。いつか神さまのお役に立てるその日まで」と直は一銭も手をつけることなく、銀行に預けた。 直の理性は、次第に清吉の戦死へと傾いて、しばしばそばの者に語る。「神さまは、清吉は死んでおらぬと言いなさるがええ、わたしは、どうも清吉が死んでいるように思えてなりませんのじゃ」 一方、年月不明の筆先には、明らかに清吉の死が示されている。「清吉殿を国替えさして、いまでは口惜しあれども、これわまことに結構であるぞよ。人民の知らぬことであるぞよ。あとの兵隊、いまでは結構なが、みておざれよ。まことに気の毒なことがでけるぞよ。直のおん子、つつぼにわ落とさぬぞよ。結構にいたすぞよ。直にゆ(いう)てある通りであるぞよ。おんよろこび」 この筆先によれば、清吉の肉体は死んでいても、霊魂では生きて目ざましい活躍をしているから喜んでほしいとの意味になる。 出口清吉は、直の最も期待した男子であった。清吉が兵隊から帰ってくれば、直を助けて、神のお道を広めてくれようと信じていた。その直の期待がそのまま信徒たちの願望となって、出口清吉生存説は消えることなくひそやかに伝えられる。 彼らは考える。「死んでおらぬ」という神の言葉は、まことに複雑だ。筆先原文には、どの文章にも句読点がない。もし、「死んで」と「おらぬ」の間に句読点をいれると、全く反対の意味になる。つまり「死んでおらぬ」ならば、直が当初考えたように、「死んでいない。肉体を持って生きている」ことになり、「死んで、おらぬ」ならば、「死んでこの世におらぬ」となり、さらに両方の意味を折衷すると、年月不明の筆先のように、「肉体としては死んでいるが、霊魂としては生きている」という解釈もできる。 それに、「清吉殿を国替えさして、いまでは口惜しあれども」にしても、国替えは現界から霊界、生から死へかわることだけであろうか。文字通り、国が替わる、日本から他国へ替わったとも考えられよう。日本へ帰らず異国へ替わったのは口惜しいが……と解けば、その後の「これわまことに結構であるぞよ。人民の知らぬことであるぞよ」の字句も分らぬことはない。何かわけがあって……おそらく神の意志に体をまかせて、清吉は人知れず他国へ渡ったのかも知れぬ。現にその後、「清吉はひそかに隊を脱けて支那の方へ行った」という戦友の言葉も伝わった。 信者たちの一部は、最も希望的解釈のみをし、清吉がいつまでも帰ってこないのは神の経綸によるものと信じた。そしてあたかも義経のジンギスカン説のように、夢をはらんで飛躍する。「清吉は戦死したのでなく、大志を抱いて台湾から中国大陸に渡り、さらにモンゴールに入って馬賊となり、時の来るのを待っている。やがては直の元に帰って共に大神業を行なうだろう」と。
 明治二十九(一八九六)年、直は還暦を迎えた。帰るべき家もなく、福知山の金光教分教会で下働き同然に使われながら。一家離散した八人の直の子供たちはそれぞれ別の地で自分が生きるのに精一杯であり、親をかえりみる暇はなかった。 この長い物語を整理する意味で、二十九年正月現在の直の子たちの動向をみわたしてみよう。 長女米は四十一歳、大槻家の座敷牢で丸四年、正気を失したまま過ごしている。 次女琴三十五歳は、王子で無為の夫と二人の子をかかえ、僅かな小作田を耕して食うことに窮々としている。 長男竹蔵は二十三歳の秋自殺未遂、傷が癒えると共に家出し、父の死も知らず三十三歳になる今もって消息不明である。 三女久二十九歳は八木で夫寅之助と骨身惜しまず働きつつ、四番目の子を身ごもっている。 次男清吉は近衛兵として台湾に出兵、戦死と伝えられるものの生死は分からず。生きていれば二十五歳。 大槻家の養子となった三男伝吉二十歳は綾部より転出中の友人四方鹿造を頼って福井へ行き、機織りの修業中。 四女龍十七歳は四方源之助宅に子守奉公をしていたが、今は福知山字新町の増井醤油店に奉公中。 そして末子の澄十四歳も私市の豪農大島家できびしい奉公の日々を送っている。
 この正月、直は福知山分教会に集まる人たちに不吉なことを言った。「困ったことに、今年の御霊さまは泣き祭りになりますで」 御霊神社は、織田信長を弑した明智光秀の霊が祀られている。毎年旧八月十七、十八日に大祭が行なわれ、御霊祭りとして町の名物になっていた。当日は露店が並び諸興行が催され、古来独特の造り物(俗に御霊の山車)や子供相撲が参詣者の目を楽しませた。今年はその祭りまでに神社が新築されるというので、前景気は正月頃から上々、そのめでたい今年の御霊祭りを泣き祭りなぞけちをつけ出した直の言葉を、誰もまともに受けとらなかった。 直は青木松之助の袖を引いて、重ねて言う。「青木さん、御霊さまの祭りの前には大荒れがありますげな」 人騒がせなことをと、青木は顔をしかめて直の言を封じるのだった。 四月初め、直は綾部へ帰った。半年青木と一緒に暮らしてみたが、艮の金神に敬譲の意を示すかにみえた青木にも、所詮、艮の金神を世にお出しする力はないと見きわめたのである。綾部裏町(現若松町)の定七の木屋(薪炭小屋)を借り、以前のように東四辻の教会には祭典の日だけ顔を出す。 奥村定次郎はまさに得意の絶頂であった。東四辻の教会は広いし、短日月に信者も増えた。
 奥村は、自分の底力を金光教の先輩たちに誇りたかった。「どうでっしゃろ、みなさん」と奥村は、世話人を集めて切り出した。「ひとつ今年の春季大祭は、どかーんと盛大にやりたいもんや。ついては、京都・大阪・福知山・宮津あたりの金光教の先生らをお招きしたらどうでっしゃろ。わずか一年余りでこれだけの発展を見たのも、神さまの御加護もさることながら、世話人の皆さんの御努力の賜物に違いござへん。ひとつ、先輩たちにこの盛況をとっくり見てもらおうやござへんかい」「そうどすなあ、艮の金神さんをいよいよ世にお出しする祭じゃさかい、お直はんも喜んでやろ」 調子よく奥村に言われて、世話人たちはすぐその気になった。 春季大祭は由良川沿いの桜花が満開の頃に開かれた。福知山の青木・亀岡の大橋・宮津の橋本・京都の杉田等、そうそうたる金光教の先輩布教師が参列。信者もあふれるばかり詰めかけて、ありがたさに涙をこぼさんばかりであった。奥村はこの時とばかり、招待の布教師たちの世話を尽くし、己の手柄の吹聴に躍起となる。 祭典が始まり、玉串奉呈にすすむ。祭主奥村の次は出口直の番である。直は祭官から玉串を受けとり神前に進むが、ちょっと会釈したまま額ずくこともせず、元の座に戻った。日頃、神に敬虔な直しか見ぬ信者や世話人たちはいぶかしがって顔を見合わせた。 祭典が終わると、直は控えの間に行き、すぐ世話人の四方平蔵を呼んだ。「四方はん、今日のお祭りは金光さまのお祭りですか、艮の金神さんのお祭りですか、どっちですいな」「へい、そら金光さんと艮の金神さんの両方のお祭りじゃと思うとりますわな」「金光さんの御神体はありました。けど艮の金神はんの御神体はござへんで」「そらおかしい。ちょっと待っておくれなはれ」 平蔵は驚いて、早速神床を確かめに行く。直の言う通りであった。広前は、長い祭典から解き放たれ、直会の準備に活気づいていた。奥村は来賓の先生方の前につききりで、もみ手せんばかりに機嫌をとっていた。 この盛事は、奥村自身、直ちに金光本部に報告せねばならぬ。が、型通りの報告にもまして、本部に噂されるそのことの方がより大切であった。彼らの心象をよくするために逆立ちでもしかねぬ気のくばりようは、はたから見て苦々しかった。 不愉快な思いを押えて、平蔵は奥村を直のいる次の間に呼び出し、小声でなじった。「奥村先生、とんこつなことにお直はんに言われて気がついたんじゃがええ、艮の金神はんが祀ってないなあ。わしらあ、いよいよ艮の金神はんが世に出なさる時節が来たと楽しみにしとったのに、どうしたわけだっしゃいな。お直はんがえろう怒っとんなはるで」 奥村はふくれた。「そうかて四方はん、艮の金神さんの御神体か知らんが、あんなとてつもない折れ釘みたいな字、あんまりやでのう……教養高い先生方の前に飾れるかいな。あんまり恥ずかしいさけ、ちょこっと……その……神床の下へ隠したるんやな。この大祭も盛大に済んだことやし、先生方が帰っちゃったら、すぐ出すさけ……お直はんには、あんたからあんじょう取りなしていな」 ひょいと隣の居間をのぞいて、平蔵は顔色を変えた。直の銀髪がきらきら輝き、金茶色の眼光は射るように鋭さを増し、唇を噛みしめ、腹中から爆発する声を懸命にこらえている。「あかん、神さまが憑らはるとこや」「どないしょ……えらいこっちゃ」「金神さんは御立腹じゃ。こら先生がお尻を花立てにしてでも謝らなしやないわな」「それぐらいで、あの金神はんが治まってかいな。ともかくお招きした先生方に聞こえたらどもならん。先生らを早よう宿へ追いたてな」「これから先生らを囲んで直会やでよ」「そんなどこかいな。頼む。この通りや」 切羽詰まって、奥村は手を合わせる。平蔵にしても、内部の紛糾を洩らしたくない気持ちは同じだった。「えー、祭りもとどこおりのう終わりましたさけ、ひとまず宿へ。先生方を宿へ御案内しますさけ」 冷汗をしたたらせて、平蔵は必死だ。せっかく寛ぎかけている座が白けた。「事慣れぬということは、しやないもんや。礼儀はずれもよいとこやのう」とぶつぶつ囁く布教師たちを無理矢理せきたてて、ともかく広前を後にした。 と、直の両膝が交互に上下し始めるや、広前は家鳴り震動、一同は真蒼になって平伏した。「この方は金光教の下になるような神ではないぞよ。この広前を金光教の広前だと思うから、不調法ができるぞよ」 奥村は平身低頭してあやまった。せめて遠来の布教師たちに知られなかったのは救いだが、信者の前で面目を失したことはおびただしい。御霊祭りの前に、この春の大祭は奥村の泣き祭りとなった。 春の大祭をきっかけに、直の発動は再び激しくなった。「この神は金光殿の下になるような神ではないぞよ。艮の金神一筋でひらいて見せるぞよ」 筆先に、「天理・金光・黒住・妙霊さきばしり、とどめに艮の金神あらわれて、三千世界の立替え立直しをいたすぞよ」とあるのは、その時代時代における神々の役割を指すのであろう。艮の金神は、自らを《とどめの神》とし、その出現目的をはっきりと示す。すなわち三千世界の立替え立直しが最終にして至上の目的なのであって、そのためには、「金神は病気治しの神ではない」と言いつつも、次々に霊験を示していく。奥村に対する金神の怒りも、金神の意志を無視し、既成の金光教で表面を飾ろうとする態度に対してであったろう。 艮の金神の荒立ちで、直は眠れぬ夜が続く。 直はついに、「皆さま、日々ご苦労さんでござりますが、こう神さまが荒立ちなされてはわたしの体がもちまへんさかい、また糸引きになとやってもらおうと思いますがええ」と申し出た。「金神さんに出てもろたら困る。わしは金光はんにお神徳をもろたんやない、お直はんに病気を治してもろたんじゃ」「わしかて、お直はんにお神徳をいただいたんじゃさかい、お直はんが出てんなら、わしも信仰やめさしてもらうわな」 大勢は奥村に不利であった。だが中には、考え深げな意見を出す者もある。「そう言うてしまえば、わしらの大半はお直さんの信者や。みんなが離れてしもたら、せっかく苦労した広前が立ち行かんことになる。けれど出るというお直はんを、無理に引き止めることはでけんやろ。そこでや、よう考えてみると、お神徳は人間にあるのやない、神さまにあるのやさかい、お広前に神さまさえおってもろたら、お神徳は立つ道理や。お直はんの留守中は、奥村先生のお取次でいきまひょいな」 平蔵がとりなし顔で言った。「ここではっきりしとることは、お直はんの神さんと金光さんとは気が合わんようになったことや。神さまがああ毎日腹の中から責めちゃっては、お直はんの身がもたん。と言うて、『お直はんでなけらいかん』という人がたんとおってやさかい……」「それで、どうせい言うのや」「つまりやな、この際、二つに分かれてもろたらどうやろ。お直はんは別の家に移る、そこで艮の金神はんだけ祀ってもらう」「ははん、とすると、後は自分の好きな方へ参ったらよいんやな。けど、定七の木屋では金神はん祀るには粗末なし、狭すぎる……」「そこじゃ。この際、お直はんに一月だけ糸引きに出ていてもろうて、その間に神さんの祀れる家を探したらどうや」 五月二十五日。小雨の中を直は一同に別れを告げ、世話人のすすめる通り、三十日の約束で糸引きに出た。 直不在の広前は全くお霊験が立たなくなり、目に見えて参拝者が減ってきた。もともと金光教の信者であり、世話人の中心的人物であった平蔵まで、直がおらぬと張合いがなく、なにかと理由をつけて広前から遠ざかった。神饌物を上げる者とてなく、春の大祭で活況を見せた広前も十数日でさびれはて、維持費どころかその日の糊口に窮する。 奥村は肝心の宣教はそっちのけで、元大工の腕を利用して粗末な神具を作り、売り歩いた。だが約束の三十日たっても、四十日たっても、直は帰って来ぬ。がらんとした広前で、無精髭をのばした奥村が一人ぽつんと神具作りしている姿は、一層荒廃してみじめだった。 この時になって、奥村は己れの無力を自覚せねばならなかった。直が糸引きから帰ってきて別に広前を作るまでもなく、信者たちの心は完全に奥村を離れている。食事時には虚勢を張って信者たちの家に上がりこみ、説教もそこそこにがつがつと食った。借金も重ねた。露骨にいやな顔でもされると、くどくどと人間の薄情さをぐちり罵る。 奥村の権威は地に落ちていた。空腹で虚脱した奥村の胸に、神崎村の田畑が見える。一人で百姓をしている妻いとの土くさい頑丈な体が今は慕わしかった。あちこちの払いも、かなりたまってきて、債鬼の顔がちらつく。 ――帰ろう。奥村は急にそわそわと旅支度を始めた。 奥村が逃げたのは、直が糸引きに出てから五十六日目の七月十九日。今にも降り出しそうな闇夜であった。
 明治二十九年(一八九六)七月二十日。前夜半から降り出した雨は、小止みなく一日降り続く。夕刻、蓑笠に身を包んだ直が、鷹栖の四方平蔵の家を瓢然と訪れた。直が綾部を去って五十七日目であった。「よう降りますなあ、道々、田に水があふれておりましたわな。この雨は明日も一日降りやまんようやなあ」 静かな冴えた声で語りかける直。その輝く銀髪をみて、平蔵は、何年も会わなかった実母を迎えたように懐かしかった。いそいそと部屋に招じ入れ、直の前に座した。「永らく休ましてもろうて、すまんことでした。気が向くままに、あちこち糸引きに歩かしてもろてましたわな」「三十日という約束じゃのに……」と平蔵は、つい恨めしげに涙声になる。「お手紙出そうにも、あんたはん……どこにおってやら分からぬさかい……」「三十日目に帰るつもりやったが、どんのいにも足が綾部に向かんのでなあ……そうしたら一昨日、神さまが『御用ができとるから早よう帰ね』と言いなしたさかい、もう帰んでもよい時分じゃと思うて帰って来ましたのじゃ。綾部の方はお変わりござへんかい」「へい、なしたまあ……」と平蔵は驚いた顔になった。「お直はんがおらんようになっちゃってから、広前の方は参拝する者もさっぱりござへんでなあ、すまんことやが、わしもお参りする気にならんさかい、つい御無沙汰しましたんじゃな。そいでも気になるもんで今朝行ってみたら、奥村先生がおってないんですわな、近所の話では、昨夜のうちに夜逃げしちゃったそうですで」「まあ、かわいそうにのう。この雨の中を……あのお方もよい人じゃったが、金神さまに敵対しなさったで、どうなることかと心配しとったのに……」 直は瞑目し、奥村に詫びるように頭を下げた。「お直はんが帰って来ちゃったらと思うて、別に家が用意してござすけいど、奥村先生がおってなかったら元の広前があきますなあ。どうしてですい」「これも神さまのお仕組みじゃろうさかい、その後へ入らしてもらいますわな」 こうして直は単独で東四辻の教会へ入った。それを伝え聞いた信者たちは、「大神さんが帰って来なはったそうやないか。いっぺんお詣りしてみよかい」と言い合い、一時に広前は賑やかになった。この頃から、信者たちは直と艮の金神を同一視して、誰ともなく《大神さま》と呼び慣らわしていたらしい。 が、すぐに綾部警察署から横槍が入った。「金光教の先生が去んで、もう金光教やないげな。許可も受けんと教会みたいに人を集めて拝ましたらあかん。すぐ解散せい」 額を集めて協議し、手続きをとってみたが、どうしても許可にならない。善後策を練っている所へ、旅姿の来訪者があった。「わしは、京都の杉田先生(京都島原の金光教会)から派遣された足立正信というもんどす。前任の奥村はんが不都合があって出て行かはったそうなで、代わりにわしが来さしてもらいましたんや」 背が高く、でっぷり肥って貫録があった。早速協議の場へ来てもらい、警察の干渉にあった事情を語ると、足立は断乎とした口調で言った。「それは心得違いというもんや。この広前は金光教の建て前で開いたんじゃさかい、金光教でやってもらわななりまへん」「ほれでも、集まっとる者は皆お直はんの信者ですわな。金光教では承知しまへん。どうしたらよろしおすやろ」「そうやなあ。けどお直はんには別に教義があるわけやないし、独立しようとしたかて無理な話や。教義面では金光教、神徳面ではお直はんというように、両方で力を合わせてやったらどうでっしゃろ」 直さえ居てくれれば、別に何教でも気にならぬ。平蔵が一同を代表して直に相談すると、直はこだわることなくうなずいた。「はい、神さまのみ心さえ合いましたら、足立さんという方と一緒に、お道を広めさしてもろうて結構でございます。どれ、それでは、ご挨拶さしてもらいましょかいな」 足立正信は文久三(一八六三)年、京都府久世郡淀町に生まれる。三十四歳。士族であった。能筆であり、教養もあった。一昨年、妻に死なれ、一男一女を持つ男寡夫である。足立の柔和な相貌は信者の受けもよかった。直は機嫌よく談笑し、世話人たちも胸を撫で下ろした。 しかし直にかかる神は、その夜から荒れだした。「この方は金光殿の下にはならぬぞよ」 直自身に他意はないのに、艮の金神は、足立が金釘流の筆先を軽視する心中を即座に反映する。直は早々に教会を離れ、歓迎されぬと知りつつ、大槻家を訪ねるのだった。 大槻鹿蔵は五十八歳、白髪まじりの年寄りになっていた。自業自得とはいえ、明治二十五年の米の発狂を境に、この夫婦の運命は急速にすべり落ちていた。鹿蔵は料亭もおぐしあげの店も手離し、細々と牛肉屋で生計を立てていた。 座敷牢から出て狂暴さこそ見せなくなったが、米も普通とはいえぬ。母すら分からぬのか、無表情に直を迎えた。 直は大槻家の裏の離れで家事のあいまに糸引きして、食費だけでも稼ぎ出すつもりであった。 七月三十日の午後、直が糸を引いていると、信者の大槻ひでがやってきた。「大神さま、足立先生がちょこっと来てくれ言うとってですで」「おおきに。いま糸を引いとりますで、晩げにでも行かせてもらいますわな」「足立先生はどこかヘ行ってやげなで、すぐ来てほしいそうですで」「それならこの枠を引いたら、すぐ寄せてもらいます」 三枠目の糸を引き終わり、心せくままに襷がけで東四辻の教会まで走ると、足立はおらず、世話人の西岡弥吉が迎えた。「足立先生は、気が急くからいうて、今しがた出かけちゃったところです」「どこヘ行きなさったんです」「綾部に腰をすえて教会を広めたいさかい、淀へ子供を迎えに行っちゃったんですわな。四、五日で帰ってくるさかい、大神さまにお留守をお願いしたいいう言付けじゃがえー」 足立は二人の子の手を引いて帰ってきた。九歳の信雄と四歳の千代であった。幼い兄妹を見て、直は眉をひそめた。「おお、かわいそうになあ。こんな小さなうちから重い業を背負うて……」 信雄は耳が聞こえず、千代は顔半面、赤まだらであった。長女のふみは明治二十四年に生まれて二か月で死に、二十七年には妻うのまで失っている。そうした不幸が足立を金光教の信仰に導いたのであろう。 足立が帰っても、直は教会を去ることができなかった。子供たちが不憫で去れなかったのだ。足立一人では宣教どころではなかったろう。直は耳の聞こえぬ信雄の面倒から、千代のお尻の世話までこまめにみるのだった。「すみまへんなあ、大神さん。もうすぐ母が来ますさけ、しばらくの間世話しとくれやす」 足立が心細そうに頼む。その足立の母が来たのは八月末であった。七十過ぎた眼も耳も不自由な老婆で、水さえ一人で汲めぬ。この老婆、直を雇用人とでも思っているのか、顎の先でこき使う。直は覚悟を決め、足立に頼むのであった。「三人のお世話は、わたしがしますさかい、どうぞ心配せずにお道を弘めて下され」
 明治二十九(一八九六)年八月三十日、福知山の御霊神社の新築も成り、氏子たちは数日後の御霊祭を楽しんで待っていた。 この日、朝から降り続く雨足は次第に勢いを強めてしぶきを上げる。福知山分教会の青木松之助は重苦しい空を見上げて、ふと女房につぶやいた。「はて、お直はんじゃがええ、正月頃にへんなこと言うとっちゃったなあ。今年の御霊さまは泣き祭り……祭りの前に大荒れがある……。どうも気になる雲行きじゃのう」 直の兄桐村清兵衛の家は、福知山四つ切にあって由良川に近い。昼過ぎ、雨量の増した無気味な川の響きに怯えながら、清兵衛は妻てつと娘ふちをせきたてて、家財を整理しはじめた。「やっぱり直の言うたようやのう、どうやら大荒れになりそうじゃ」「また、あんたは何でもお直はんの言いなりやさかい……このぐらいの雨、朝までには止みますわな」 妻てつはことごとに直に反撥する。清兵衛は逆らわず、表の戸締まりに立っていった。 雨は風を加え、夕刻からは暴風雨となって樹木をゆすり、家屋をふるわし、天地も崩るるばかりの豪雨をたたきつける。三国岳に発して西へと延々十六キロ、幾多の支流を呑んで福知山から北流、由良港を経て日本海に注ぐ西日本屈指の大河、由良川はその全流域百四十キロの流れを刻々とふくらませ、狂っていく。江戸時代には十二回の大洪水を記録し、幾多の人命家財を奪った川だ。 その由良川の上流和知川の流れは綾部をめぐっている。艮の方角から吹く風が豪雨をともない、綾部の町の人々は嵐を恐れて寝つけずにいた。十一時、鐘が鳴り、人々が騒ぎ出す。 本宮東四辻の教会では、怯えて泣く千代を膝に、直が神前に端座していた。耳の聞こえぬ信雄は、これも耳の遠いお婆と抱き合って寝ている。「え、えらいこっちゃ。綾部大橋はもうあかん。太い木が流れてきよって、どかんどかんぶつかっとる。危うて渡れせんで。味方村の方は一面水びたしや」 足立は外から帰ってぐしょ濡れのまま叫んだ。「お、お、起きい、信雄、大水じゃ、起きておらんと流されんなんど」 老母と息子をゆすぶる足立を、直は止めた。「寝かせときなはれ。ここは大丈夫ですで。それより福知は大分困難なようじゃ」 直は再び神前に向き直った。耳をつんざく雷鳴の中で、銀髪が浮き上がった。急に、直の手が動いて、もがくように空をつかむ。「おう、流される。危いっ、兄さん、横の束……竹の束にとっつきなはれ……あっ、嫂さん、ふちっ……」 直の異様な叫びに、足立は腰が抜けたように坐りこむ。「どうしなはった。福知山は……」 直は目をつぶったまま息をはずませて、「兄は……何とか救かりそうじゃ……が、二人は見えぬ」 悲痛に首を左右に振った。と、また目が宙にみひらく。「お龍……そうじゃ、その上に……三階に長持上げい。まだその上じゃ……おお、お龍の足まで水が……大丈夫、大丈夫……」 直は叫ぶ。夜が明けるまで直は神前に坐り続け、「大難は小難に、小難は無難に……」と、一心こめて祈り続ける。 由良川の水は刻々増し、綾部では三十一日午前三時頃に頂点に達する。町の公式発表によると、溺死十人・行方不明二人・負傷一人・家屋全壊五戸・半壊四十三戸・流失四十戸、対岸の味方では浸水九十戸・流失家屋十六戸・半壊十六戸・死者六人。並松の有名な大松も多く流れ、由良川上流から福知山までの橋は全滅。 しかも下流の福知山の被害は、さらにひどかった。流失家屋百八十三戸・全潰百八十八戸・死者二百人余。《風雪京都史》の伝うる当時の情況を記そう。京都府知事山田信道は、丹波地方異常の出水との報せを受け、本部書記官を九月一日早々に同地方へ出発せしめた。――さらに福知山町に達して、本部はあまりの惨状に茫然自失したという。ここは要するに土師川堤防の急激な決壊による鉄砲水に見舞われたもので全町浸水。「あっというまに水勢の向う処、一も支うるものなく連隊区司令部・収税署・町役場・小学校をも流し、一切を川となし、濁水殺到逃るるに途なく、堤上の家屋さえ二尺余浸水。屋上にのりて流れ行くを眼前にみしも如何ともなす能わず、家具家財すべて行方も知れず」と述べられ、三十一日午前十時ごろには、全町千五百余戸が水底にあったという。 本部書記官が視察に訪れたときも「全町一つの炊煙のぼらず」、しかも泥底の死体を取りかたづけたくとも人夫あつまらず、他地方よりはいりこむものは一日五十銭以上一円五十銭を要求して雇うべくもなく、各村より応援を求め、やっと二百の遺体を発掘した。 綾部の神前に座しながら直の霊眼に映じた福知山は、足立が福知山まで見舞いに行き、そのまま事実であったことが確認された。 桐村一家は家もろとも濁流に押し流されていた。清兵衛・てつ・ふちの三人はわずかに流木にすがって息を継いだが、何物かに激突して木が方向を変えた一刹那、清兵衛は振りとばされて狂奔する暗い波間に沈んだ。息を吹き返して気がつくと雨は止み、夜は明けていた。ここがどこであるか、生きているか死んだのかも分からなかった。あるのはただ重たい鉛色の空と水。死んだのならまさに地獄に落ちたに違いない。すさまじい泥水に浸りながら、両腕は必死に何物かをつかんでいた。それはいつ、どうして捉えたのか分からない竹の大きな束であった。流れ流れて流れつき、奇跡的に一命はとりとめた。流れついたのは由良川ぞいの下流、二里も離れた天津であった。 増水六メートル六十余。ただ一面さながら湖水であった。妻子の行方すら知れぬ。二日たって水がひいたあと川原と化した由良川沿岸を、清兵衛は幽鬼のように歩きまわった。飲み水もなく、食べ物もない。二日目の午後三時頃、やっと炊き出しの握り飯一個、梅干一個を恵んでもらった。 街道は倒壊した家や塀や樹木で埋まり、汚泥は膝を没する深さである。泥の底に潜む釘・金物・鋭い破片は容赦もなく皮膚を破る。その傷に酒・みそ・くそ・泥の混交物が異臭を放って浸入する。洗うにも清水はない。が、清兵衛は六十代半ばの老いた身で、血と汚泥にまみれ、妻子を呼んで這いまわる。 直の四女龍は無事であった。福知山字新町の増井醤油店に奉公していて、三階まで水に没しながら、屋根に逃がれ、長持の上に馬乗りになって、水に攫われなかった。 五女澄は福知山と綾部の中間、由良川ぞいの私市に奉公していて、我が身は無事であったが、噂に聞く福知の惨状に小さな胸を痛めていた。 清兵衛の妻と娘の抱き合った遺体を泥土の中にさぐり当てたのは、数日を過ぎてからであった。清兵衛は、二十二歳の蕾のまま逝ったふちを抱き、妻てつの泥まみれの死体にとりすがって慟哭した。常日頃直を批判し続けた妻であった。直に向かって、艮の金神を嘲笑さえした。直は四つ切に来ても泊まることなく、悲しげに言ったものだ。「嫂さん、艮の金神さまは、縋ってくる者は餓鬼・虫螻まで救けて下さる。でも敵対うてきた者は、まさかの時に立て分けられねばならぬ。救けとうても、どうしようもないことじゃと……」 てつは、清兵衛にとっても、素直な妻とは言いがたかった。ふちも妻に似ていた。 まさかの時に立て分ける――慄然として清兵衛は直の言葉を思い浮かベた。しかし妻や娘の死は、本当に艮の金神に敵対うたからだろうか。人の厳しいばかりの生死は、人間心にはかることはできない。ましてや、そのためと思い切るには無情に過ぎる。今はもうその言葉をはね返す術もない二つのむくろであった。


表題:松竹梅 5巻4章松竹梅



 出口澄は五歳で父政五郎に死別し、数え七歳で母の手を離れて奉公に出た。福知山・八木・王子、そしてここ何鹿郡佐賀村私市の大島家へ奉公に来たのは、明治二十六(一八九三)年、十一歳の晩秋のこと。 私市の豪農であり区長もつとめる大島家の当主・万右衛門は、天保八年生まれの六十歳。身の丈六尺、左右の肩に五斗俵(計百五十キロ)をかつぎ上げるという力自慢の大男だ。娘三人はすでに嫁にいき、長男好太郎(二十二歳)も京都に出ていたから、当時大島家は主人万右衛門と妻トラ、四女マチ、それに男衆の力三と下働きの澄の五人家族。来春の大規模な増築をひかえて、家中がっちりと財力を蓄えるために働いていた。 二番鶏のときの声が、ひやっと澄の眠りをさます。一日の戦いが始まる合図だ。とび起きて板の間の薄い蒲団を上げる。襷をかけ、裾をはしょって、素足に冷や飯草履をはき、鍬をかつぐ。 厳寒に下半身は湯巻き一つ、銀の長針を植えつけたような霜柱を踏んで、陽の上がらぬ暗い山畑に出る。高台にある屋敷の前面には低く水田が開け、麦がまかれている。山畑には、甘藷のあとに菜種が植えられる。菜種は大島家の一年分の灯油と料理油を提供する。そのしぼり粕は貴重な肥料でもある。 澄は朝仕事に菜種畑の雑草取りを命じられている。凍てつく地面に萌えはじめている雑草を、一つ一つ鍬でけずり取っていく。裏の畑も山畑を含めてかなり広い。朝飯前の一仕事を済まして帰り、朝の雑炊をかきこむ。その間にも牛が板壁を蹴って待っている。 私市は山も耕地も少なく、したがって効率の高い冬の仕事が少なかった。男は灘や伏見ヘ酒造りの男衆に、また宇治の茶どころへ茶もみの出稼ぎに行った。残った女子供が牛を飼い、仔を産ませて現金収入に代え、百姓仕事に精を出す。 澄の命ぜられた仕事は、そうした百姓仕事と牛飼いであった。ことに春から秋にかけては、牛の放牧と草刈り、手入れが澄の主な仕事である。 「万右衛門牛」と綽名のある黒い大きな見るからに強そうな牝牛は名うてのつむじ曲がり、小柄な澄の手はこの牛の背までも届かない。 小さな背に大きなイドコ(背負い篭)を負って、腰に鎌を差し、牛を曳いて裏の牛飼い山の坂道を登る。山の中腹から振りむいてみると、霧の中に、傷んだぶ厚い翅をひろげてうずくまる蛾のような、点在する古びた藁屋根。その軒下から「シッチョィ、シッチョィ」と女たちに追い立てられた牛がそこここに現われ、たちまち四、五十頭もの群となり、地響きたてて登ってくる。黒くうねる牛の背に、昇り始める朝日がまぶしい。 牛も女たちも先を競って真剣であった。私市の山は狭く、草も乏しい。その貧しい山の草が、春から秋にかけての牛たちの命なのだ。山の草場は上私市と下私市とに半分ずつ仕切りをつけ、お互い侵さぬ約束で、山番を出し合い見張っていた。牛たちは手綱を放たれるや、我勝ちに山に駆け上がって草を求める。ムシッムシッと小気味よく音をたてて喰べ始める。その間に女たちは、イドコに一荷の草を刈る。 朝夕、村中の牛が食み、女たちが刈りとる草は、のび切る暇もないのだろう。始めのうち、草らしい草を捜してうろうろ走りまわった澄だったが、やがて腰をすえ、左手に握ることさえむずかしい一寸ほどの草までも余さず刈りとることを覚えた。一荷刈り上げるのは容易でないが、さらに澄の場合、草だけにかまっておれなかった。他の牛たちと違って、万右衛門牛は官林も境界も畑も見さかいなしに勝手に出歩く癖がある。「ベエベエ」と必死に呼べば呼ぶほど逃げていく。 草も刈らねばならず、牛からは目が離されず、そうかといってくくっておけば牛は喰うことができぬ。「牛の腹が小さい。何しとったんや」と、たちまち主人に叱られる。「できたかい」「おう、できたで」「ほな一服や」などと言い交わしている女たちをよそに、澄は牛と草と等分に睨みつつ、一刻の油断もなく休みなく草を刈る。 昼に牛を連れて下り、毛を梳いてやって小屋につなぎ、昼食の大根飯の仕事にとりかかる。百姓が当たり前の米を食べるのは、盆と正月ぐらい。朝夕は雑炊、小米と麦を混ぜて大根をたっぷり刻み入れた大根飯が昼食の毎日である。 木の少ない土地柄だけに薪は節約して、かき集めてきた雑葉で炊く。炊き上がると真中の一番白い米麦のところを二合ばかり主人のためにとりわけておき、順次よそう。別におかずといってはない。 夏の暑い日ざかりでも昼寝など許されぬ。涼しい朝の間を長くとって働き、その分昼食を遅らせる。午後はまた激しい野良仕事。夕ベの草刈りに山へ急ぐ。 ある夕暮れ、草刈りについ夢中になって、ちょっとの間に牛を見失ってしまった。澄は牛を捜して走りまわる。他の牛たちは、飼い主の呼び声におとなしく集まって帰り始めるのに、根性わるの万右衛門牛は官林に入って草を食べていた。現場を番人に見つけられたらたいへんだ。そっと側へ寄って捉まえようとすると、気配を知るなりトットと逃げる。境界を越え、山畑を踏み荒らし、澄の必死の呼び声にも知らぬ顔で、とうとう隣村の小西にまで入り込んでいく。 慣れぬ山道にたちまち迷った。陽は落ちて樹々はざわめく。木の根につまずき、茨に裂かれつつ谷間に下り、また這いのぼる。牛が見つからなければどうしよう。手足の傷の痛みより、その不安が先に立つ。と、ムシン、ムシンとかすかに草を食む音。「母さん」と心に唱えつつそっと近づき、はっと手綱をつかむ。やっとのことで牛を曳き暗い谷間をぬける。牛糞が散在する通い慣れた山路をぺタペタと尻まで跳ねを上げて帰りつき、牛をつなぐ。 夕飯の仕度にも遅れて……叱られる……おずおず真暗な土間に足を踏み入れた途端、あっと呻いた。熱い――そこに冷ましてあった雑炊の八升鍋の中へ、草履ごと足首まで踏み入れてしまったのだ。 澄は歯をくいしばって火傷の痛みをこらえ、大急ぎで頭を働かせる。足を踏み入れた部分の雑炊をすくって、こっそり鶏にやる。それから牛糞と雑炊でべとつき火ぶくれする足を、水に冷やす。そのあとでそっと板の間に上がり、遅くなった詫びを言った。 食事になる。男衆の力さんがジャリッと歯を鳴らし、顔をしかめ、「なんや、今夜の雑炊には砂が多いわ」と呟く。澄は身を縮め、自分は鍋の隅の方を少しばかりよそって、何くわぬ顔でかさかさと食べた。 夜なべは糸紡ぎだ。秋口に綿畑から摘みとった真白な綿を綿くり機にかけて、黒い小さな種をとりわけ、指でほぐす。ランプの灯影で山のようにほわかした綿をよりつつ、糸車をまわし、じんき(竹の細い管)にまきとっていく。 朝の掃除は夜のうちに、糸紡ぎの夜業のあとにしてしまうのが習慣だった。乾拭きには力がいった。昼間山で雨に打たれた髪も着物もそのままに、次々と仕事に追われている時でも、この乾拭きに精出していると、濡れた着物が乾いたぐらいである。いつも澄は、最後の体力を乾拭きに出し尽くして、床につくなり死んだように短い夜を眠る。 澄が何より辛いのは労働ではなかった。山で草を刈ったあと、他所から働きに来ている女たちが集まって、きまって故郷の家の自慢話や藪入りのおりの楽しかった思い出を繰り返し懐かしむ時である。澄の家は義兄の大槻鹿蔵に売払われてなかったし、母直は糸引きに出たり、綾部と福知山を転々としていて、居所すら分からない。「今度、水無月さんに綾部に行ったら、お澄さんとこ寄るでなあ。何かこしらえといてもろてよ。西町のどこやったいな」 華やいだ友の言葉に胸をつかれる。水無月祭りはこの辺りでも有名で、綾部の家々ではどこも御馳走をこしらえて友を招ぶのだ。澄は冷汗を浮かべ、しどろもどろに断わりを言う。
 盆の十六日は待ちに待った奉公人の公休日である。澄の足も飛ぶように綾部へ向かう。ただ母に逢いたい一心で、あてもなく綾部の町を歩こうと鳥ガ坪まで急いで行き、福知山と交差する街道に立つ。母と休んだ鳥ガ坪の茶店はひんやりと暗い。どんぐり飴を一つ思わず盗んだ苦い思い出が、昨日のことのように澄の胸をきりりと痛める。 蝉時雨のこもる土用田の向こうの森かげから、白い日傘が近づく。見ると、着物の裾をはしょり、もつれるように走ってくるのは、福知山で奉公しているすぐ上の姉龍だ。「オーイ」「オーイ」 澄も走る。他人の家でしか生きられない子供たちの、たまさかの肉親との出会いの喜び。大人になってからも、目をつむれば明るい夏の陽の鳥ガ坪で姉妹が走り寄ったあの日の光景が、きらきらと映ってくる――。「お澄、母さんは……」「母さん、どこおってんやろ」「うちも知らんで。どないしとってやろなあ」 二人の目に怯えが走る。神さまが憑いているといっても、ひょっとしてまたひどい気違いになってはせぬか――。「どこへゆこう」「帰ぬとこあらへん」「西町へ行こかいな」「うち、かなわん」 気弱いお龍が尻込みする。 姉を広小路の路傍に待たして、澄一人、西町の大槻家へ覗きに行く。狂った姉米を守っている鹿蔵は、金さえあれば機嫌がよいが、たいていは渋喰った顔で、久しぶりに訪ねる義妹にもぷいっと横を向く。「義兄さん、うちとお龍さん、今夜泊めておくれい……」 度胸を決めて声をかけると、鹿蔵は、うんと一つうなずいてくれた。澄は、とんで行って龍を連れてくる。 その晩は、一よさ、喋って喋って、暁も知らずに喋り明かした。二人が西町に泊まったと聞くと、糸引きから帰った母直は、必ずその分の米とおかず代を鹿蔵に払ってくれる。長姉米は以前より荒れる日は少なくなったが、火のない火鉢に凭りかかり、無言で睨むばかりだった。 私市に来て二年目の秋も深み、稲田が黄金色に揺れる頃、澄も大島家の人々や男衆に混じって一生懸命稲刈りに励んでいた。朝暗いうちから日暮れまで働いて、刈りとった稲を肩に負い、遠い田圃から家の納屋まで運ぶ。大人たちに負けまいと歯をくいしばっても、稲の重みに堪えかねて泣き声が洩れる。誰が言うたのか、「万右衛門さんとこの小さい下婢が、泣きもって稲を担いどってやった」と噂が流れた。「ねえや、稲はかつがんでもよい」 自分は山ほど背負った万右衛門が、ある日、澄の背の稲をおろしてくれた。
 屋敷の内に四本の柿の木があった。大美濃柿が、見事な茜色を光らせて、枝もたわわに実っている。 霧の濃い朝、手の届く限り牛の背を梳いてやっていると、ぼとっと鈍い音がした。澄は牛小屋の脇道を駆け下った。霜のおりた枯れ草の中に、いま落ちたばかりの熟し柿がころがっている。そっと拾い上げる手に、半ば透きとおった柿の実がしっとりと重い。 何が好きといって、澄は果物の中で柿ほど好きなものはなかった。大根飯と雑炊と薩摩芋の常食のほか、口にできるものはないのだ。眺めるだけだった柿を現実に手にしてみれば、子供の身にその誘惑は堪えがたい。「お澄」 はっと振り向く。「柿が落ちたら持ってきておくれよ」 牛小舎の前から、四つ年上のマチが明るい声で呼んだ。「はい」と答えて、澄は手の中の柿をさし出す。しかし、冷たく吸いつくような柿の実の感触は、澄の掌から消えなかった。 くる日もくる日も稲刈りが続く。ザクッザクッと白く研ぎすました鎌先が、稲株に快くくい込んでいく。体中汗ばんでくるほど夢中で刈っていると、目の前がへんに明るいのだ。手をとめて目を凝らした。稲株をすけて、盛り上がった赤いかたまり。稲を押しわけてみて、息をつめた。驚きのあまり、ジーンと頭のしんまでしびれてくる。 手をのばして触れた。忘れかけていたあの冷たく艶やかな手ざわりだった。美濃柿よりも小型の、熟れたクボ柿が三、四十位、きっちり重ねて積んである。 何故だろう、どうして、誰がこんなところに――。疑問に思うより先にかぶりついた。柔らかくなりかける頃の、舌のとろけるばかりの甘さだ。 二つ三つむさぼるうちに思いあたった。どの柿にも棒で突いたような傷がある。くちばしの跡――そうだ、烏に違いない。烏が運んでは稲田の中に。「ここに隠しといて、もっと熟してから食べよう」、そう思ううち稲穂も重くたれこめてきて、烏は秘密の場所を忘れたのか、それとも樹のてっぺんの甘い熟柿に堪能して、隠した分はうちのために……澄は夢を見ているかと思った。 ――烏がくれちゃった。 そう思いこんだ。こんなに仰山、おっきに、烏さん。秋の空は群青一色に高く冴え渡って、烏の影もない。その空に、澄は手を合わせた。残りの柿は稲むらに隠し、いくつかは懐に持ち帰って、夜を待ちかね、独りで楽しんで味わった。 稲刈りに続いて架干し・千歯こき(脱穀)・唐箕選・もみ干し・もみすり・千石通し・俵装・売渡しと農繁期は続く。雨の降る日は納屋にこもって藁仕事、夜さりは唐臼をひく。土間に立って、舟でも漕ぐように、大型の臼の柄をひくのだ。ギィーギィーギィーと重く臼がまわるたびに、籾殻と玄米がこぼれ落ちる。 気の遠くなるほどひいて上半身は汗ばむくらいなのに、下半身は冷えこんで感覚もなくなる。掘り矩燵はあったが、囲炉裏はない。奉公人の暖まる席はなかった。 ある日、大島家の子方のおばさんが、「お澄はん、よいもんきたでよ」と、一通の郵便を持ってきてくれた。「えっ、ほんまにうちに、ほんまやろか。母さんから?」「さあ誰からやら、うち知らんでよ」 すみは胸をはずませ、暗い土間を出て、雨のしたたる軒先で眺めた、何が書いてあるのだろう。もしや母さんが……また不吉な方に思いは走る。 むろん澄は文字を知らず、覗きこんでいるおばさんにも読めない。家の人に読んでもらうのは恥ずかしい。澄は雨の中をとび出して、隣家の森本家ヘ入る。 長男の安太郎は澄より一つ年下で、丸顔の頬の赤い少年だ。尋常小学校四年を出ている。「安さん、ちょっとこれ読んどくれいな」 心安く澄は頼む。誰の代筆やら分からぬが、下手な平仮名ばかりで、母が綾部に戻ったこと、東四辻の教会に通っているから何かあった時はそこに連絡してほしいことなど、こまごまとしたためてあった。夜は母の手紙を抱いて澄は眠った。 小さな身に過重な労働と栄養不足と冷えがたたったのであろう、明治二十九年初春の頃、体が熱く、だるい日が続いた。自分でもそれと気づかず、重い身を励まして働くうちに厠が近くなり、苦痛が増した。熱にぼうっとしつつ、夜は這うようにして厠ヘ通いつめる。 近所のおばさんが、「一粒ずつ豆をおいて、一晩に何遍通うか数えてみな」と教えてくれた。翌朝、豆をおいた数を調べてみると、二十八個あった。 腎臓病――ということで澄は綾部へ帰された。母直は、澄にくれた手紙通り、裏町の定七の狭い木屋を仮住まいとして、東四辻の教会に通っていた。久しぶりに逢う娘の痛ましいやつれように顔色を変え、直は神に向かった。「お松とお土を煎じて飲めば治る」との神示の通り、松の葉と清らかな土(地下三尺ほど下の粘土)を土瓶で沸かして朝夕飲まし、栄養のつくものを工面してきては食べさせる。 病気でもよい、このままずっと母と暮らしたい。という切ない願いもよそに、澄の病気は旬日で癒え、また私市へ戻る日がきた。百姓奉公の息づまる明け暮れの中に再び没入しながら、苦しくなると、澄は福知山の町家に奉公している龍を羨む。桐村の清兵衛伯父を頼って抜け出し、福知山の町家につとめたいと幾度も夢みた。福知山は半里の先にあった。 夏の終り、二百十日の前日であった。私市を襲い、以久田橋を流失させ、下の田を水浸しにした大水が、由良川の下流福知山を町ごと押し流していたのだ。姉龍と、桐村の伯父一家と、幼い澄が奉公した二軒の主家のあるあの町を――。 澄は慄然とした。澄の夢の逃げ場は、無残にも泥海と化し、その上たくさんの死者が出たという。龍は、伯父一家は、無事だったのだろうか。次々とむごたらしい報せが入るたび、澄は生きた心地もしない。 数日を経た朝、澄は主人から桐村の伯母といとこの死を知らされた。 乳色の狭霧の底に、赤くはじけた花首だけが火焔のように畦をふちどり、土手を這い、墓地を浸していた。音もなく、煙もたてず、妖しく燃え狂う一面の野火――それは秋の彼岸の前後に群生する曼珠沙華であった。地獄花・火事花・しびと花、また狐の花火などと村人はいった。「死んだもんの花や」「毒花やで。折ったら母さんが死ぬげな」「厠に入れたら火事がいくど」と子供らは怖れる。 黒い牝牛を曳いて、澄はその不吉な花土堤を通る。由良川畔の泥の原にも、しびと花は真赤に咲いているだろうか。 ……ふるえる胸の内に、澄は思い描く、伯母てつとふちが抱き合って死んでいたという川ぞいの泥土を。そしてその傍に埋もれていたかも知れない、己れの小さなむくろを。もうどんなに辛くとも、この家を去んで行くところはない。澄はしがみつくような気持ちでそう思った。 いっそう真心をこめて、澄は働いた。至らぬところがあって叱られる時、素直に頭を下げて詫び、二度と同じあやまちを繰り返さぬよう努めた。「うちで縁づけるさけ、何時までもおってくれよ」と、ある日、主人夫妻が言った。容貌魁偉、むっつりと恐ろしげな万右衛門が笑んでいる。澄は感動し、あやうく泣きそうになって、ただこくりとうなずいた。 しびと花の火色もあせて、やがて、裏山の綿畑の木綿が真白にふく。大雨のせいで収穫は少なかったが、綿をつむ澄の手先は軽い。 この頃になって、澄は機を織ることを許された。その喜びに、澄は没頭した。自分の手で引いた糸を、山つつじ・そよご・かりやすなどの草木で染めた。固く艶のある卵型のそよごの葉を生のまま臼で搗いて、赤い汁をとる。すすきに似た近江かりやすからは黄色をとった。 九月頃、穂の出かかるきわに刈りとって干し、茎も葉も刻んで煮出して、その汁で染める。大豆を水につけふやかして石臼で搗いた豆汁に一夜つけてから染料に入れると、いっそう鮮やかに色がでることも覚えた。染める色、縞目の配色を考える澄の心は躍る。 古びた低い手織機であった。トンカラ、トンカラと小さい舟型のさとく(杼)のすべる音とかまちを打つ音が調子よく続く時、柔らかい草木染めの色調が好きな縞を織りなしていく時、澄は染織りのあやなす夢幻の世界に浸りこんでいく。夜なべの眠たさも疲れも夜寒も忘れていつまでも織り続ける。 私市で習ったこの手織りが澄をとらえ、のちのちまで澄の生甲斐となり、子孫に伝えられて、染織りの楽しみに打ち込ませる発端となる。 一日の労働に疲れ果て、行燈もない真暗な板の間に深く寝入っていた。重苦しい気配にもがくように目ざめ、暗がりに目を凝らした。自分のではない別の息づかいが、荒くせわしく耳を打つ。「誰やい」 叫ぶなりとび起きた。枕元に、うずくまっていた人影がいきなり抱きついてきた。澄の口は大きなごつい掌でおおわれる。泥棒や、旦那はんに知らせな。とっさに、力いっぱい男の指に噛みついた。男はうめき、それでも抱いた手をゆるめずに、震え声で囁く。「お澄はん、お澄はん……」 その声には聞き覚えがあった。男衆の力三ではないか。あわてて噛みついていた歯をはなし、腕をふりもいでとびすさった。「どないしたんや、力さん」「あ、あ、かんにんやで」 泣くようにつぶやいて、にじり寄ってくる。澄はからみつく手を振り払い、かっとなって思うさまなぐり倒した。少女とも思えぬ勢いに怖れをなしたのか、力三は部屋の隅までころがっていき、這いずって逃げていった。 何故だろう、力さんも気が狂うちゃったんやろか。考えても澄には分からない。夜気をふるわせて一番鶏が鳴く。目が冴えて眠れぬまま起き直った。 笹場力三――十四、五歳の頃、栗林から大島家へ百姓奉公にきて、二十歳になった。三年余りも澄とは同じ屋根の下で暮らしていて、奉公人同士共通の話題もあったろうが、打ちとけて語る暇もなかった。酒・煙草はのまず趣味もなく、必要最低限の言葉のみを吐き、あとは黙々と野良仕事に打ちこむ、ごく真面目な男なのだ。まともに目を交わすことすら怖れるようなあの力さんが……人違いやったろうかと澄は思い直した。 十五歳――子供から娘ヘと、身も心も微妙に変貌する年頃であった。早熟な農村の娘たちの中では奥手といえよう。が、蕾は時を知って甘い芳香をただよわせ始めている。 王子以来赤茶けそそけだっていた髪もしっとりと束ね、一日陽にさらされる腕や足は琥珀色でも、その奥の二の腕や胸乳のあたりはまぶしく白い。母譲りのきめ細かな肌、心持ち切れの上がった涼しい目、ふっくらと小さくて両端のきりっとしまった口元、すんなりのびた鼻梁。人目をひく華やかさはないが、面ざしの清楚さ、愛らしさの底に利かん気な気性をも沈めて魅力があった。 牛飼い山の草場では、村の若者が人目を避けて澄に近寄り、袖をひく。「お澄さん、ちょっと……」「何やいな。うち忙しいのやで」「草はわしがえっと刈ってやるさけ、ちょこっとわしの言うこと聞いとくれいな」 すみは目を瞠り大声で言う。「言うことあったら言いないな。草ぐらい自分で刈るで」 澄みきった瞳で真直ぐに見られると、若者はたじたじとなる。そのうえ万右衛門牛が鼻息荒く寄ってきて、無気味に太い角を振り向ける。「何言うとるのやら」 気にもとめず、澄は草刈りを続けた。 露路門の上によじのぼった村の若衆が五、六人、夜ごと唄ったり奇妙な声を張り上げて騒いでいた。「うるさい、ばかもん」 万右衛門が怒鳴っても、また翌晩はやってくる。夜なべ仕事に唐臼をふんでいる力三が、いらいらと落ち着かず舌打ちばかりしている。機織りに熱中していた澄は、手を休めた。門口を開けると、ぬるんできた春の夜風にのって、「お澄はん、お澄はん」と合唱している。「けったいやな。何でうちの名呼んではるんやろ」 門口に閂をかけ、機に戻る。機織りの面白さのほかに澄の心を奪うものはなかった。
 ゆすらうめの花が咲く頃、澄は高熱を発して寝込んだ。疱瘡かも知れんなどと近所の年寄りがいった。 熱がいったん下がった日に、澄は綾部ヘ帰された。直は金光教東四辻教会にいたが、足立正信とその母、二人の子の世話に明け暮れていて、澄の養生する部屋はなかった。 熱のある身体で一里の道のりを歩いてきた娘を抱えて、直は西町の鹿蔵宅に澄を預けた。熱のためにうつらうつらしつつ、うわ言に母を呼ぶ。直は教会との間をせわしく往復しながらも、澄の病気平癒を一心に神に祈った。熱は四、五日で去り、間もなく起き上がれるほどになった。 いつまでも母に甘えていてはすまぬ。私市の奉公先に帰る仕度をして、澄は鹿蔵の家を出、東四辻教会に寄った。直は澄を押しとどめて嬉しげに言った。「病気が治っても、私市へ戻らんでもよいと金神さまが言いなさるのやで。『お澄にはあまり小さい時から苦労させたさかい、ちょっとの間、楽な苦労させてやれ』となあ」「お母さん、でも……」 澄はためらった。娘一人遊んで暮らせる環境ではない。が、金神の言葉はそのまま直の意志であるように、直は私市ヘ出かけて行って、大島家に澄の暇を願い出るのだった。
 数日後には、西本町の小さな宿屋「花月」のお内儀、四方松が教会を訪れ、直に頼んだ。「お澄はんが私市から帰っとってんやげなが、手があいとっちゃったら、ちょっと貸してくれてないか……」 直はにっこりした。「楽な苦労させてやる」と金神さまが言いなされたのはこのことと直感していた。「おおきに。あんじょうお頼み申します。澄も喜びますやろ。明日にでも連れて行きますさかい……」 言いつつ、松の面を眺める直の目が、にわかに曇った。松も不審気に直を見る。「あんたはんも苦労が絶えんなあ。熊吉さんはまだ出獄られる様子はござへんかい」「そう長うはないと思うのじゃが、出獄てきた時に喜んでもらいたいと思うて、それが張り合いでなあ」 直は深く吐息した。「……あんたはんも時々お広前においでなはれ。我が身一代だけやない、昔からのめぐりがありますでなあ……」 大槻熊吉と四方松は京都から無一文で綾部へ帰ってくると、裏町に一間を借りて同棲し、松の働きで細々と暮らしていた。そのうち熊吉はまた悪い癖を出し、懲役に引っぱられて宮津の監獄に服役中である。 途方に暮れる松を見かねて、組内の人たちが無尽をしてくれた。その金で松は西本町に一戸を借り、そこで「花月」という宿屋をはじめた。松の客あしらいのうまさが人気を呼んで、なかなか繁盛しているという。 ――松は松なりに、一人の男を愛して懸命に生きているのだ。初めて安住の地を得て張り切っている松のために、これ以上波風よ立つなと直は願う。今日、松の中に覗き見た不吉な影、ゆりの積年の怨みは、まだ粘っこく、研屋の兵平の娘松にもからんでいこうとするのか。自分の祈りとまごころで、義母の霊をやわらげることができぬのか。自責の思いに胸をいためつつ、ゆりの冥福を直は祈る。 宿屋「花月」――綾部の田町と西本町の境界の小溝に石橋があり、西本町側の西に入る小路を俗に《庄屋》といった。《庄屋》には二、三の民家があったが、その中の一軒に当時としては珍しい洋館習時館があった。澄のまだ幼い頃は、医師田中好煕の居宅であったが、いつの間にか「花月」の看板が上がっていたのだ。前は一面の田で、色づき始めた麦の穂が揺れていた。 姉龍の町家勤めを羨んでいた澄だが、ようやく念願の町家に奉公することができたのだ。龍もまた水害の福知山から帰っていて、北西町の旅館亀甲屋へ奉公していた。 小ざっぱりした縞の手織木綿の着物を与えられ、澄は躍りあがった。とんでいって、母や龍に見せたかった。「十年昔の新宮の男八兵衛が、なした可愛いおちょぼ(茶屋の小女)になって」 内儀の松は澄をからかいながら、十五歳の無垢な美しさに目を細めた。花月にはもう一人おちょぼがいた。澄より五つ年上の田中竹。物部村の出である。色は浅黒いが、どこか男好きのする体つきをしていた。松は二人を見比べた。「うちの名が松、この娘が竹、どちらも本名や。お澄はん、今日からこの店でのあんたの呼び名はお梅やで。お梅はんと呼ばれたら、はいと言うてや。お梅はん」「はい」 恥ずかしさに頬を赤くして、澄は答えた。「これで松・竹・梅と縁起のええ名前が揃うたさかい、花月はえっと繁盛するで。それでもお梅とはようつけたもんや。名前そのままのすがすがしい感じやないかいな」 松は自分の思いつきに満足した。 夜、客の食事を片づけ、床を敷き、板前さんも引き取ると、調理場で竹と澄は遅い夕食をとった。お鉢に盛った甘いとうろく豆、砂糖で煮つめた金柑、こんなご馳走は見たことも聞いたこともなかった。おずおずとつまんで口に入れた。そして湯気のたつ眩しいような白い艶のある御飯――町というのはなしたおいしい物ばかり食べているんじゃいなと、澄は危く叫び出しそうだった。王子や八木、私市での十年間の奉公暮らしでは夢にもみることのできなかった別天地であった。 松・竹・梅と揃って、花月はにわかに繁盛した。澄は寸時も無駄なく、調理場から座敷ヘと朝から晩まで走り廻った。私市での足かけ三年の奉公で身につけた早起き・早食い・早便・早浴・早睡りの実生活の五原則が役に立つ。ものおじしない、はきはきした明るい態度は客にも喜ばれ、可愛がられた。 朋輩の竹が先輩面して意地悪くあたることもあったが、楽天的な澄には少しも苦にならなかった。何しろ固い飯を食べられるというそれだけでも、十分に幸せであった。ごく晩年は別として、花月の奉公時代は澄の生涯の中で最も幸福な一時期であり、まさしく神のいう、「ちょっとの間の楽な苦労」であったのだ。 お内儀の松は張り切っていた。ようやく長い苦労が酬われてきた。獄中からきた熊吉の手紙も、前非を悔い、更生を誓った嬉しいものであった。もっともっと店を盛り上げて、出所して来る夫を喜ばせたい。けれどこの小さな店ではこれ以上発展のしようがない。松はこつこつと働き貯めた金を投げ出して、月見町にある古い宿屋の権利を買いとった。「花月」は、月見町で旅館兼料理屋として再開店した。前よりずっと大きな二階屋で、庭も広かった。芸者も三人抱えたが、なかでも吉弥という妓が綺麗で、売れっ子であった。 澄の仕事は一層忙しくなった。お膳の持ち運びや使い走りで夜の後仕舞を終わる頃には、さすが鍛えた体もぐったり疲れた。しかし陽気な澄は夜遅くまで続く管絃のさんざめきも嫌いでなく、楽しい毎日であった。
 直は、東四辻の広前の隅の板の間に薄い蒲団を敷いて、ひっそり寝起きしていた。足立の家族は奥座敷である。薄明とともに起き出して清掃・食事のこしらえ・神さまのお給仕・足立の子の信雄や千代が目ざめるとその世話・水汲み・薪割り……その上毎晩百匁ぐらい糸引きし、教会の維持費の足しにした。筆先も次々に出て、休む暇もなかった。 足立一家に唯々として仕える直も、筆先のこととなると強くなる。直の神はいつも足立に命じていた。 ――足立殿、ご苦労ながら、ご用のあいだに、筆先を一字も書き落としのないように写して下され。写しがないと困ることがあるから、無理いたさぬように同じ物をこしらえておいて下されよ。 しかし足立は写す熱意を持たなかった。筆先の写しなど別になくとも困らない。問題にしていなかった。 ――足立殿、筆先を写してござるか。 神がかりの時の直には、足立は逆らえなかった。何かしら重々しく、恐ろしくて、つい、頭を下げてしまう。それに負けまいと背筋を伸ばし、肩肘はり、大きな眼をみはって答える。「はい、お筆先の言葉は腹にぐっと入れてござります」 しかし胴震いは止まらない。二、三日、いやいやながらも筆先を写しかける。 ――足立殿、艮の金神の取次ぎは、なまくら者は嫌いであるぞよ。強き者か真心かを好くぞよ。早くひろめぬとおそくなりたぞよ。足元から鳥が立つぞよ。 艮の金神を世にお出しするのは足立ではないと直は失望していた。 明治二十七年ごろから、艮の金神は直に告げている。 ――この神を判ける者は東からあらわれるぞよ。 一時は奥村や足立がその人かと期待したが、それは裏切られた。 直の三女福島久は、明治二十八年二月頃から八木の街道筋の寅天堰で小さな茶店を出していた。京都で開催の内国博覧会の客をあてこんで。だがそればかりではなかった。久は街道筋に茶店を出して、東から来る神を判ける者を母のために捜そうとしていた。 ――金光殿の広間におりてもよう判けぬから、直を連れて出るぞよ……。この筆先が出るや、足立から離れて単独で艮の金神を奉斎したいと直は言った。足立は前任の奥村と違って、直の利用価値を知っていたから、なかなか直の願いを承知しなかった。 直は役員に諮った。福知山金光教会の青木松之助は、ひそかに直を支援した。できれば直を再び福知山ヘ連れ帰り、その霊力で新しい信者を獲得したかった。その段階的措置として、直と足立の分離は好都合だった。
 役員達は、足立の反対にかかわらず、直の神に忠実であった。明治三十(一八九七)年四月四日(旧三月三日)、直は裏町の梅原伊助の倉を借りて移った。伊助は信者ではなかったが、直の人柄に好意を持っていた。二間と二間半の古倉で、中二階の物置きがあった。八足台を譲り受け、厨子をこしらえて、艮の金神を奉斎した。薄べりを十枚買って来て板の間に敷き、十畳の部屋をつくった。この薄べりの上が広前であり、唯一の座敷であった。ついに艮の金神を単独で奉斎し得た直は涙ぐむほど満足していた。 信者達は東四辻の教会へ詣る者、伊助の倉へ詣る者、両方へ詣る者と三通りあった。 伊助の倉には忍んで詣らねばならない。艮の金神を表看板にして布教することは警察が許さなかった。多勢集まると、すぐ警察から退散を命じられた。直は金光教との関係を絶ったわけでなく、東四辻の祭には敬虔な態度で参拝していた。 六月に入って、足立正信は急に但馬の豊岡へ移される。京都島原教会の杉田政次郎の命である。 豊岡の大海某が島原に詣って、豊岡に金光教の広前を作りたいと申し出た。そのための布教師に杉田は足立を選び、綾部は福知山の青木に兼務させることにした。 旧六月九日の筆先。 ――福知山の青木殿にこの広前をかまわすぞよ。この大広前はなかなか六かしき広前であるぞよ。誠心でなけらいかぬ広前であるぞよ。足立殿、神を恨めなよ。わが身の心を恨めて改心いたされよ。神はおかげをやりたいばかりで、苦労しておるぞよ。取り次ぎはみな慢心いたして間に合わぬぞよ。 足立の心は筆先などになかった。但馬の一隅から自力で金光教を発展させようと、功名心にはやっていた。老母と二人の子は後から呼び寄せることにして、単身勇んで赴任して行った。 但馬での足立一家の苦労を、直は見透している。足立の母うたには「人には低う行って好かれておくれなはれ。まだまだ苦労がありますで……」と六遍も注意した。 一日、広前にいて、自室と神前との見境もなく子供らの遊び放題に汚させながら、信者がくれば愚痴をこぼしてばかりいるうたであった。千代が「こんな菓子など嫌いや」と信者のお供えものに不平を言った時、直は「但馬ヘ行ったら、菓子どころか御飯も食べられんようになるでなあ」と三遍も言い聞かした。うたや子供らの行く末が不憫でならず、うるさがられるのを承知で、言わずにおれなかったのだ。 足立正信からはなかなか迎えが来なかった。半月ほど待って、うたは業をにやし、直の止めるのもきかず、千代と信雄の手をひいて旅立っていった。空になった東四辻の広前のお給仕に、直は通った。祭典の時には福知山から青木が出張した。 秋、但馬の大海が立ち寄って足立一家の様子を知らせた。 豊岡では民家の二階を借りて金光大神を祀っていたが、足立一家の不人気のために信者は減る一方、いまでは猫一匹参拝する者がない。大海は広前の維持費にと持家一戸を売ったが、このままでは足立一家の面倒もみきれぬ。島原ヘ行って代わりの先生を派遣してもらう交渉をしてきた帰りだと嘆いた。足立一家の苦境は目に見えていて直の胸は痛んだが、この苦労のために吾が身を省み、誠の道に立ち返ってほしいと念ずるよりほかになかった。
 明治三十一(一八九八)年の旧正月も間近い頃、頬かむりした崩れた感じの男が、花月の勝手口にあらわれた。応対に出た澄に男は低い声で言った。「すまんが、ここの内儀さん、呼んで来てくれへんけ」「あんた、どなたはんです」 澄が警戒した声で言った。「熊や。熊いうてくれたら分かる」 行きかける澄の袂を引いて、男は言った。「お前、ええ器量やのう。何ちゅう名やい。紅おしろいつけてみな、買うたるで」 頬かむりの下の顔がいやしく歪んだ。「あっ」と澄は叫んだ。「もしかしたら、小父さんは大槻熊吉……」「そうや、わしを知っとるのかい」「澄ですわな。ほれ、出口直の娘の……」「あ、あのお澄かい。新宮の男八兵衛の……なんとなあ」と熊吉が眼をむく。 まだ澄の幼い頃、裏町でくすぶっていた熊吉の記憶がよみがえった。宮津の監獄に入っていることも、松の内縁の夫であることも聞かされていた。「ちょっと待っとくれなはれ」 澄はあたふたと松の部屋へ走った。 夜の座敷のために、松は湯上がりの肌をぬいで化粧していた。 子供を産んだことのないせいか年よりは若々しく脂肪ののった肌であった。「お内儀さん、熊吉さんが帰って来ちゃったで」「熊さん……」 松の動きがぴたっと止まった。 頬かむりをとった熊吉が案内もなく上がりこんで、部屋の入口に立ちふさがった。「熊さん、とうとう帰って来てくれちゃったなあ」 鏡台の中に熊吉の姿を見て、松は涙声を上げ、男の胸にとびついていった。「苦労かけたなあ。けどもう大丈夫や。今までの埋め合わせに、お前を幸福にしてやるで」 澄はあわてて部屋をとんで出た。 翌日には、以前からずっと花月にいたように主人顔して納まっていた。長い間の獄中での垢を洗い落とし、髭もそり上げ、松の見立てためくら縞の丹前を着て、角帯を貝の口にしめた熊吉は、前日と打って変わった貫禄すらみせていた。「ええ男はんやなあ」 竹はいたずらっぽい眼をくるくるさせて笑った。 澄は熊吉に好感を持てなかった。が、お内儀さんは二十何年かの間、長い監獄生活もはさみながら駈け落ちした相手を一途に慕い、こうしてようやく安定した場所まで辿りついたのだ。お内儀さんのためには、やはり祝福すべきなのだと思った。松のいそいそとした素振りを見、澄は嬉しかった。 男まさりに気を張って立ち働いてきた松が夫の姿をみて安心しきったのだろう、店のことも竹にまかせて、熊吉にしなだれている。辛いばかりだった青春を今こそとり戻し、かみしめているのだろう。「いくら赤い襦袢着て、若う紅白粉ぬったかて年は年、四十のおばあが……、ああ、あほらし」 竹が憎たらし気に言い捨てた。澄はどきりとした。意地悪ではあったが、女ばかり三人でいた時には見せたことのない、激しい竹の形相であった。 二月に入って、奉公人一同に赤飯が配られた。松はこぼれそうな笑みをたたえて、その理由を発表した。「うちなあ、とうとう大槻家の籍に入れてもらうことになったんやで。うちの人はなあ、監獄にいても、出て来たら正式にうちを籍に入れて女房にしようと、そのことばかし考えてくれとっちゃったんやて。これでうち……ほんまに苦労して生きてきた甲斐があったわな」 松は嬉し涙をあふれさせ、注がれた祝いの盃をぐっと呑みほした。 松が大槻家の籍に入ったのは明治三十一年二月十三日。同時に女手一つで築き上げた「花月」の所有権がそっくり熊吉の手に移ったことまで、澄たちは知らなかった。 松の幸福な期間は短かった。目にみえて、竹が変わっていった。松に対する言葉づかいや態度がぞんざいになり、棘を含んでくる。澄にも高びしゃにものを命ずる。熊吉の飲みかけの盃をとって、平然と酒を呑む。あげくは熊吉と二人で部屋に閉じこもる。どちらが女主人やら分からなくなった。 松は哀れなほど着飾り、化粧も濃くなった。あせればあせるほど敗北感は深まる。勝ち誇ったような竹の嘲笑とヒステリックに喚き泣く松のいさかいが、日増しに激しくなっていく。熊吉は意にも介さぬように店の金を持ち出し、また博奕にふけり始めた。誰の目にも松が次第に追いつめられて行くのが分かった。 澄はこの不正を憎み、竹に盾ついてでも松に仕えようとした。が、所詮はおちょぼの身、どう防ぎようもなく事態は悪化していた。
 和知川が綾部大橋の下をくぐり、川幅がせばまった所で急に東西に直角に折れ、白瀬橋を少し過ぎると川幅がぐんと広がる。百五十メートルほどはあろう。ここにかかる長い橋を位田橋という。現在、コンクリートの永久橋であるが、当時は水面から三尺の高さの橋桁に五、六尺幅の板を渡しただけの仮橋である。歩くとしわって音がするので、通称ガタガタ橋ともいった。由良川の氾濫にこりた人々が知恵をしぼって、増水時には橋桁や床板をはずし、減水すると組み立て直した。村中総出の作業でもあり、手慣れてもきて、架橋は一日ですんだ。少々の増水時には、針金で結んだ床板が浮く仕掛けになっていた。 この位田橋を境に北が上位田、南が綾部町青野である。ゆったりした川ぶちには葦が一面にそよぎ、位田側の岸辺に立ち並ぶ柳は柔らかい薄緑の芽をなびかせる。柳並木の間には梅や桜の木が幾本もたたずんでいた。花と柳と清らかな流れ。春日のこのあたりの美しさは言いようもない。 位田橋を渡り切った地点の右側に四方与平の雑貨「よろず屋」、左側に四方重左衛門の豆腐屋があり、よろず屋と豆腐屋を底辺にした正三角形の頂点、つまり一段奥まった所に黒田清の家があった。 この一帯に点在する藁葺の家々は、すべて高城山を背になだらかな丘のあちこちで南を向いていた。以久田野の松林が続いて丘に伸びるあたり、また狐や狸どもにも絶好の住み心地だったにちがいない。 花見時も過ぎた晩春の夕方、下位田の村上清次郎が鍋をかかえて豆腐を買いに来た。「ひっさ見まへんでしたが、ご丈夫さんでしたかい」 豆腐屋の一人娘純は水桶に沈んだ豆腐をすくい上げながら、愛想よく問いかける。純は二十八歳、細面にくっきりした目鼻立ち、小股の切れ上がった鄙には目立つ器量よしだ。男を知らぬわけではなかったが、未だに独身を通していた。竹を割ったような男勝りの性格は、村人からも好意を持たれていた。「へえ、おおきに。あんたまあ、すっかり気違いになってしもてなあ……」「よう言うてや、気違いやなんて、ほったらなんの気違いやいな」 その質問を待ち受けていたように、村上は鍋を上がり框に置く。「金神気違いやでよ。ははは……皆がわしのこと、そう言うとってやな」「なしてまあ……」「綾部に、金神さんちゅう、どーらいおかげの立つ神さまがおってんやな」「屑買い婆さんのことやろ。聞いた、聞いた。うちでも金神さま信心したら、お神徳がもらえるやろか」「そらもう、あんた、もらえいでかいな……」 村上は意気込んで身をのり出し、ここぞとお神徳話を始める。純の気持ちはかなり動いていた。 数日後、純は思い切って金神さまの綾部に向かった。位田橋を渡り青野を通る途中、床屋の新さんと連れになり、意を強くして東四辻の広前を訪れた。数本の柿の木に囲まれた教会の表には金神さんの紋のついた幔幕が張られ、戸口が少し開いていた。 譲り合いながら二人が玄関を入ると、案内も乞わぬ先に品の良い白髪の老女が出て来て、丁寧に膝をついた。きれいな涼やかな声であった。「ようお詣りなさいましたなあ。さあ、どうぞ広前へ……」 この人なら知っていると純は思った。位田あたりによく屑買いに来たのを見かけた。それならば、この人が金神さま。純はまじまじと見た。継ぎはぎの粗末な木綿の単衣、謙虚な物腰、純の想像するあらたかな生神さまは、御簾の奥の高い台の上に坐ってござるかと……。 とまどっている二人を、柔らかく直が招いた。「さあ、こちらでお茶でも飲んでおくれなはれ」 ひきこまれるように広前に進み、勝手が分からぬながら、神前にちょこっと頭を下げた。 間もなく直は茶を捧げてきて、二人の前に坐る。「あんたはん、どちらからお詣りでしたかい」 新さんはかしこまって答えた。「位田から来たんじゃがええ……床屋をしとりますのや」「床屋さんですかいな。位田はよう知っとります。屑買いに廻らしてもろてましたさかい……それで、こちらのお方はんも初めてのお詣りですかい」「はい。位田の橋を渡ったとこの豆腐屋がうちの家ですわな」 直はうなずいて、「せっかくおいでなしたけど、あいにくと先生は但馬に行っとってじゃし、もう一人の代わりの先生は福知山におってですでなあ。金神さまのお話を聞いてほしいのやが、わたしではあんばいよう話せんので、先生がおってん時にまた知らせますわな」 直はすまなさそうに頭を下げる。「いま神さまにお願いして、ご剣先を二体あげますさかい、これを祀って拝みなさったら、きっとおかげをいただけますで」 直は剣先(剣先形に折った白紙に洗米を入れたもの)を三方にのせて二人の前に運び、神号の唱え方を教えるのであった。 純は早速もらって来た剣先を祀り、神名を唱えてみた。どういうわけか心がはずみ、客も増え出したような気がする。一週間ほどたった日、床屋の新さんが顔を出した。「お純はん、拝んどってか。金神さんの御利益か知らんが、今日も三つほど余計に散髪したでよ」「ふうん、うちとこもや。やっぱりおかげやろか」 顔見合わせて二人は笑った。 ある朝早く、直が位田橋を渡って、ひょっこり豆腐屋を訪れて来た。「この前はわざわざ来てもろて、すみまへんでしたなあ。今日は昼からお祭りがござすさかい、福知山の青木先生が出て来なさる。どうぞお詣りしてくれ言うことですで」 純はすぐに参拝することに決めた。 夕方早めに東四辻の広前に詣った。三、四人の信者が、黒い紋付羽織を着た男と話していた。 直が目ざとく純を見つけて、「まあ、位田の……。こちらヘおいでなされ。なんというお名前でしたかいな」「四方純ですわな」「うちにも澄という娘がおりますのや。いま奉公に出しとります。さあ、先生が来てなさるさかい、ずっとお入り」 直は黒紋付の羽織をきた青木松之助に純を紹介し、「わたしはお話が不調法ですさかい、どうぞ初めての人に分かるようにお話したげとくれなはれ」 直は信者たちに茶をふるまうと、自分も坐ってにこやかに青木の話に耳を傾ける。 青木は目をつむり、ゆっくりと金光教御理解第三節を誦し始めた。「天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺氏子の家屋敷みな神の地所、そのわけ知らず方角日柄ばかり見て無礼いたし、前の巡り合わせで難を受けておる。このたび生神金光大神をさしむけ願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、すえずえまで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つように致す――おわかりですかい。これは金光大神さま、つまり教祖川手文治郎さまのおさとしですさけ、よう味おうて下され。また御理解第十二節にはこう示されてあります。神に会おうと思えば、庭の口を外ヘ出て見よ。空が神、下が神――」 慣れた口調で、青木が金光教のなりたちから語り始めた。 空が神、下が神……何か分かるような気がして純の心は熱くなった。それに何より、つつましく傍に坐っている直の体からあふれる温かさ、清しさに心を奪われていた。健在である純の両親に対するとはまったく別の思慕であった。 やがて四方純の入信に触発され、株内のよろず屋の主人四方与平も、奥の黒田清も広前に詣り始める。
 五月二十日、青木は塩見松蔵を東四辻の広前に留守居役として常駐させることにした。塩見は福知山中村の人。福知山教会の修行生であり、まだ若かった。塩見が移ってきて間もなく、尾羽打ち枯らした足立が綾部に帰って来た。しかし広前には正式に任じられた塩見がおる以上、足立の立場は居候でしかなかった。 但馬を追われた足立は奥州へしばらく派遣されていたが、そこでも怠惰と傲岸さを嫌われて出され、京都島原教会でぶらぶらしていた。杉田政次郎は困って、再び足立を綾部へ押しつけてきたのだ。足立は世間の薄情を恨み、杉田の措置をののしった。足手まといの老婆と二人の子供は未だに但馬に残したきり、粥もすすれぬ暮らしが続いているという。 直はあるだけの金を集めて足立に渡し、但馬の家族に送ってくれるよう頼んだ。足立は押しいただいて受け取った。 四方純が四度目の祭典に詣った時、広前には塩見と足立がいた。失意の時とはいえ、大柄な足立の風采は、中年の貫禄も加えて堂々他を圧している。足立は古い信者にまじっている純をみつけて、手招いた。「お直はんから聞いとりましたが、位田から熱心にお詣りになるのは、あんたですかい」 純の美しさに、おのずと声がやさしくなる。さんざ不人気に痛めつけられてきたせいもあった。純はかしこまってうなずいた。「それであんたの橋架けは、どなたですいな」「橋架けいうて……なんのことどっしゃろ」「あなたをここへ詣るように導きなさった人のことや」「それなら下位田の村上清次郎はんです」「村上はん。はて、村上はんのお顔は、今日は見えんようやなあ。橋架けいうんは大事やでなあ」「は?」「人間は橋がなけら渡れまへん。橋架けのお人の御恩を忘れたらあかんで。あんたがここへお詣りするようになったのは、村上はんのおかげやさかい、村上はんをおいて自分だけお詣りしては、ご神慮にかなわんのですわな。な、物の道理が……」 足立は、かたわらの火鉢の四隅に火箸を渡す真似をする。「ここからここへ渡るのに、橋を渡らな怪我をするやろ。邪魔くさい言うてはすかいにとんで行っては、火の中に落ちるわけや。信心もその通りやで。この金神さんの教えは、実意と丁寧が主になるのやさかい……」 純ははっとした。そういえば、村上清次郎への感謝の心をうっかり忘れている。足立の説教がしみじみ身にしみた。教養深げで、ゆったりした顔立ちも、好もしいと思った。 帰りがけに、直がそっと呼び止めた。「お純はん、あんた、いろはが読めますかい」「はい、いろはくらいなら……」「それなら、これを読んでみて下され」 直はすり切れた茶縞の風呂敷から、閉じた書きつけを取り出した。「金光教には結構なお話がありますけど、これは艮の金神さまが、わたしの手を使うてお書きなされるお筆先ですで、読んでみて下され」 純は坐り直し、素直な気持ちで筆先をじっと見つめた。ひとふと五が読めなかった。直にその読み方を教えられると、後は意外にすらすらと読める。直はにっこりしてその筆先を純に渡し、嬉しそうに言った。「山家の銀十という賢いお人でも読めなんだのに、お純さんは因縁があるさかい読めたんやろなあ。これを大切に持っておいきやす。結構なことがありますで」
 夏のさかりであった。足立は蒼い顔して、伊助の倉ヘ訪ねてきた。直が東四辻へ詣っても、足立がこの倉へ来るのは初めてだった。「お直はん、困った、困った、ああ、どうしようなあ」 足立はきょろきょろと十畳の神前を見渡す。神前の他に寝泊まりできる部屋はないとみると、足立はがっくり首を垂れた。足立の手に葉書があった。「お婆あと子供らが明日帰るげな」 大海からの文面によると、もうどうにも面倒が見きれぬので、路銀だけはつもりしたから明日三人をそちらに帰すという。以前とは事情が違うのだ。塩見の部屋に足立一人割り込むのさえ肩身の狭い思いでいるのに、その上世話のやける年寄り子供が転げこめるわけはなかった。困った時、力になってくれる者は、考えてみれば直しかいない。 直は静かに言った。「足立さんも、今度は本当に困りなさったような。助ける力のあるのはわたしではありまへん。金神さまに縋る気持ちにおなりなされ。必ず道は開けます」「縋るいうたかて部屋の話や、何で神さまが……」「あなたが信者さんにいつもそう教えていなさるやござへんか。さあ、心を澄ませて縋るのは今ですわな」「へえ」 直が神前に灯をともし、拍手を打って平伏する。その姿にひかれて足立も手を合わせる。 日頃肩ひじ張っていた足立も、いまは艮の金神の前に伏し、必死に加護を願った。祈り終わらぬうちに、中村竹造(戸籍名竹吉)が倉に上がって来た。中村は二十八歳、本町で播磨屋という古道具屋を営んでいた。昨年、妻と離別し、老母を抱えての独身。最近、直に魅かれて入信し、熱心に伊助の倉に通っていた。「いま商いの帰りにお詣りに寄らしてもらいましたんやな、はあ、足立先生がきてはる」 中村竹造は正直に目を丸くした。直は足立の困っている事情を説明し相談すると、中村はこともなげに答えた。「よかったら、うちの表の間をお貸ししてよろしで。神さんのお役に立つなら、間代なんどもらわんでもよろしわな」「まあ、おおきに」 直はそのまま広前に向き直り、感謝の祈りを捧げる。足立は生色をとり戻した。 翌日、足立の老母と二人の子供は、打ちしおれて人力車で帰ってきた。足立は家族を中村竹造の一間に住まわせたが、食わせるためには信者に金を借り歩かねばならなかった。直は見かねて世話人を集めて相談し、島原の杉田と福知山の青木に頼みこみ、塩見を福知山へ戻して足立一家を元の広前に直すことにした。はみだした足立一家の生計のための人事であった。塩見は渋々綾部を去っていく。 一人になると、直はしきりに自分の年齢を思うようになった。六十三歳、帰神になってもう六年になる。ようやく艮の金神を信じる者もできてきたが、けれど誰一人、「三千世界の立替え立直し」という艮の金神の大望を理解する者はない。あとどれぐらい生きられることやら。日暮れて道遠しという言葉が実感となって迫ってくる。 直はまた、「東から来る人」の筆先を書きつつ、その出現を渇望するのであった。

表題:一霊四魂 5巻5章
一霊四魂



 明治三十一(一八九八)年初夏、五月田の植えつけをようやくすませた上田家では、自宅の神前で早苗饗の祭典を行なった。早苗饗とは、田植え始めに神を迎える行事の「さおり」に対し、田の神を送る行事、転じてその際の飲食行事をさす。 祭典中は姿を見せなかった弟の由松だが、直会になるとのこのこ出てきて、神前の神酒徳利をやにわにつかみ、ラッパ呑みする。「おい、由松、その徳利は御神具や。神様に御無礼やんか」と喜三郎は驚いて注意した。 さして酒の強くない由松は早くも酔いが廻ったのか、顔を引き攣らせ、神床に尻まくりであぐらをかき、あごをしゃくる。「おい、兄貴。そんな尊い神さんなら、わしにこの場で罰をあてさせてみい。それも頼めんやくざ神なら、上田の家に置いたらん」 立ち上がって神璽を無造作にひっつかみ、庭に投げようとした。「よさんか、由松。それだけは頼む、こらえてくれ」と喜三郎は、由松の手にすがり、必死で止める。かえって由松は昂奮し、喜三郎を引きずったまま縁に向う。「由松、やめなされ。そんな御無礼、わたしが許さん」 ゆっくり赤飯をかんでいた宇能が、静かに、しかし厳しい声で制止した。さすがに由松も祖母には逆らえぬ。神璽を元へ返し、青ざめた顔で無言のまま酒をあおる。座が白け、家族の者たちもいつか席をはずす。そこへ厄介な男が舞いこんだ。早苗饗酒に酔って真っ赤な顔の憂い松こと上田治郎松である。「ようっ、何や知らんけったいな雲行きやのう。由松、どうしたんじぇい」と、この場の険悪な空気を察して、舌なめずりせんばかりに相好を崩す。それに勢いを得た由松は、治郎松に茶碗酒をすすめておいて、まくし立てた。「まあ、治郎松はん、聞いてくれや。兄貴は上田家の長男や。長男ちゅうたらやのう、親の雪隠に糞たれるのが務めやど」「そやそやそこや、間違いない。よう聞いとけよ、喜三公」「そやのに家をほったらかして、神さんぼけして修行たらぬかしてとび廻る。こんな怪しげなもん祀りくさるさけ、上田家は村中のええ笑いもんや」「ほんまやど、みな嗤とるど」「のう、そやろ。ほんでこんな厄病神ほり出したろ思たら、婆さんが止めよるさけ、しようなしにこらえたったとこや」「由松のいうことは一から十までもっともや。結構な観音さまのいやはるこの村で神さん祀る馬鹿があるかちゅうねん。親戚のわしかて腹立ってかなんわい。わしも一杯飲んでから手伝うたるさけ、この祭壇をこわそかい。商売道具がのうなったら、喜三公もこんな因果な商売から足洗いよるやろ」「よっしゃ頼むわ、まあ一杯――」「おっ、うまそなかしわやのう。どの鶏、しめたんじぇい」「婆になって卵産みよらんやっちゃ」「ああ、毛が抜けて腰ぬかしとった奴か」「固いけど、ええ味しとるじょ。どや、兄貴、そんな仏頂面せんと、お前も一杯飲まんけい」「わしは酒はあかん」と、憮然として喜三郎は言う。「醤油一升飲んだ男が酒ぐらい飲めんことあるか。それとも何こ、弟の盃は受けられんちゅうのけ」「ほんならわしの盃なら受けてくれるやろ」と、治郎松が尻馬に乗る。 治郎松と由松は喜三郎をはさんで、両側からねっちりとからむ。席を立つのは簡単だが、その後、彼らは酒の勢いで何をするかわからぬ。じっと我慢する喜三郎に琴が来客を告げた。救われた思いで、客を縁側に通すよう言う。 琴に手を引かれて、両眼にぐるぐる包帯を巻き杖をついたみすぼらしい身なりの女が現われた。琴が縁側に座蒲団を敷いて、やさしく腰かけさせてやる。せっぱつまった女の気配に、治郎松も由松もさすがに口を閉ざし、座敷から様子をうかがう。 女は、両眼を巻いた布をはずした。右眼はふぐの腹みたいに腫れ上がってつぶれ、左眼は真っ赤にただれて光を失っている。思わず眼をそむけたいほどみにくかった。三里も山奥の犬甘野(現京都府亀岡市西別院町犬甘野)の石田小末と女は名のり、とぎれとぎれに身の上話を始める。 小末の夫は結婚直後から、病にかかって寝ついた。先妻の残した五歳の子を抱えた小末は途方にくれる。貧乏所帯には、急場をしのぐだけの何の蓄えもない。働くにも働けぬ。銭になるものは質に置き、売り払って、夫を看病し、幼い子を細々養ってきた。が、それもすぐ底をつく。草を煮、木の皮を炊き、時には山畑のいもなどを盗んで病人と子を守ってきたが、やがて夫は体中水腫れになって死んだ。形ばかりの夫の弔いはすませたが、共に死にたかった。が、すでに小末は、臨月の身重であった。 産婆を頼めず、一人で子を産んだ。隣近所の村人は誰も見向きもしてくれない。たまった米代、醤油代はせめたてられる。出産十日目に伍長(五人を一組とした組の長)が来て、「厄介者はこの村を去れ」と責める。無情な伍長の言葉に逆上し、乳の出がぴたりと止まった。赤児は泣く力さえ弱まって来る。 どうにもならなくなり、馬小屋のような家を売って、僅かな金を得た。「買ったからにはこちらのものや。すぐ出て行け」と買い主は追いたてる。この上は大阪の従弟にすがって身の振り方を頼もうと思った。 故郷を去るにあたって亡夫に別れをと、赤ん坊を負い、子供の手を引いて、夜半に六地蔵のそばの夫の新墓に詣でた。その帰途、墓の方から怪しの影がとび出し、子供は「母ちゃん、こわい!」と泣き叫ぶ。 夫の霊が大阪行きを忌んで出たかと思うと、腹の底から恐怖におののく。産後の肥立ちの悪い新血の身にこの衝撃がこたえたのか、急に激しく左の眼が痛み出し、見えなくなった。右眼はすでに小さい時につぶれていたから、全くの盲目になったのである。 無慈悲な村人たちにもさすがに惻隠の心があった。買い主に僅かな家賃を払って、しばらくだけ家に住むことを許された。先妻の子は親類が引き取って行った。赤児は十日前に飢えて死んだ。ただ一人、生きて何の甲斐もない身になった。その上、疼き続ける眼の痛みに苦しむ毎日。死ばかりを思ううち、「穴太に霊験あらたかな天狗さまがおいでる」との噂を聞き、杖を頼りにここまできたという。 二十三歳の盲女に女の若さはなかった。くたびれはてたその衣服と共に、はや老残の匂いすら漂う。 女の述懐は、いちいち喜三郎の胸に釘を打つように応える。かつて大阪の帰り、深夜の六地蔵で見た子連れがこれかと驚く。たった一つしかない左眼を失わせたのも、赤児を死なせたのも、知らぬこととはいえ、その遠因はわが身にある。しかし今、このことを告白すれば、治郎松や由松がかさにかかって何を言い出すか分らない。ただ蒼ざめ、首うなだれ、わが身を責めながら聞くよりなかった。 さすがに治郎松も由松も酒の酔いがさめたか、女の話に涙を浮かべる。琴はすすり泣いてさえいる。 治郎松が縁側までしゃしゃり出て、真顔で語りかけた。この時ばかりは、人の憂いを喜んでいる顔ではない。「話を聞けば気の毒のきわみや。そこで本気で忠告するけどのう、こんなとこへ来んと眼医者に行け。悪いこと言わへん」 ここぞと由松も言葉を続ける。「上田喜三郎ちゅうのは、わしの兄貴や。兄貴は山子しとるのや。弟のわしが言うのやさけ、ほんまのほんまや。だまされたらあかんど」「そやそや、そいつは親類のわしかて保証する。正真正銘、絶対の山子やど」と、治郎松がへんなところで力み返る。 小末はたじろがぬ。熱情を面にあらわして訴えた。「山子でも何でもかましまへん。うちはここが最後やと、それだけを思いつめてきました。どうぞ助けとくれやす」 小末が手を合わせる。治郎松が「ふふん」と鼻でせせら嗤い、由松はぺろりと舌を出した。「世の中は奇妙なもんや。こんな極道に助けてくれという奴もおんにゃさけ。ああ、阿呆らしなった。治郎松はん、よそへ飲みに行こけい」と由松は立ち上がる。「よっしゃ」と腰を浮かしながら、まだ未練がましく忠告する。「この喜三郎は飯綱使いやで。眉毛に唾つけて帰らなあかんど」 治郎松と由松が足音荒く出て行く。小末を琴にまかせて、喜三郎は井戸端に立った。 大地に荒菰を敷き、その上に端座して、頭から井戸水をかぶる。今聞いた小末の話が、喜三郎の魂をしめつけて切ない。何故ここに至るまで……夫を死なせ、赤児を飢え死にさせるまで、誰一人救いの手をさしのべることができなかったのだ。いや、誰でもない、このわしや。わしは何をしていた。臆病風を吹かせたばかりにこの一家を不幸のどん底に突き落としたわしが、救世の使命だなぞ、口はばったい……。 神が愛であり慈悲であるなら、この女をなぜ見捨てなはったのか。いや、小末とは限らぬ。貧しいもの、病めるものは数限りなくいて、日夜苦しんでいる。わしにそのすべてを救う力なぞない。ない。わしは山師やろうか。神などとぬかしてわしをそそのかし夢を見させるものは、とんでもない狐か野天狗ではないやろか。 襲いかかってくる迷いと不安と切なさに、喜三郎は歯をくいしばって堪えながら、水をかぶり、祈り続ける。よし、万人を救う力がないわしならば、せめてただ一人、すがってきた小末だけは身に代えても助けたい。そのために必要なら、わしの生命もくれてやる。そう思った時、乱れさわいでいた喜三郎の心は、すうっと鎮まるのをおぼえた。 多田琴と共に石田小末を神前に導き、祈願をこめた手で眼を撫でる。神に乞うて、神前に供えた水を口に含み、小末の眼に吹きかける。ややあって、小末の眼の疼痛はやわらいだ。明日また来るようにと喜三郎は念を押し、小末のさし出すわずかな礼金を押しもどした。
 杖をつきつき法貴村にさしかかった時だった。夜が明けたようにあたりが明るくなった。小末は立ち止まり、眼をおおう布を外した。薄明の中をこちらに向って来る物影がある。すれちがいざま、小末は手をのばした。「めかんち、何さらす」 どんとつきとばされる。小末は倒れながら叫びを上げた。 ――幻やない。あれは人や。 手にふれる小石を眼の前にかざす。とび置きて道ばたの草にふれる。見えるのだ。幽かながら、幻ではない実体が確かに。死んだと思った左眼が生きている。狂喜の余り、小末は前後のみさかいもなく引き返していた。
 石田小末は、初めて神の力にふれた。「この神さまのみもとに生きたい。婢女として置いて下さい」と泣き崩れた。他に寄る辺もない小末のために、喜三郎はその乞いを許した。 琴は同情して小末をかばったが、由松が納得しなかった。 ――やっと軌道に乗りかけたばかりの精乳館を、兄貴は家族に一言の相談もなく手放した。おまけに百姓仕事をいやがって、神さんとか救世の神業だとか、分らん熱ふいて、水ばかり浴びてくさる。ふいと姿を消すかと思うと、勝手な時に舞い戻って来て、人が心配しようが意見しようが、弁解一つするでなし、だんまりや。反省の色もみせん。いったい兄貴の食っとる米はなんやと思うてけつかる。わしや母さんが、汗水たらして作ったものやど。家には養わねばならぬ年寄りの祖母、まだ幼い妹もおるのや。この上、いい気になって素性も知れん半盲の女まで食わしてやれというのか。 由松は激昂した。翌朝、上田治郎松の家にとんで行って訴える。治郎松は、話なかばで一大事やと帯しめ直し、土間にとび下りて、下駄はく間ももどかしげに走り出した。後から、母親のおこの婆まで、遅れじとついていく。 土間に立ちはだかって、治郎松は、あきれたような声を出した。「何ちゅう厚かましい女じゃ。飯綱使いの喜三公よりまだ上手がおったわい。お涙ちょうだいの浪花節でコロッと喜三郎をだまして、この家に入りこみくさった」 続いておこの婆まで、聞えよがしにののしった。「へぇーい、めかんちいうのはこの女かい。喜三がどうでもいっしょに暮らす言うとるそうなさけ、さぞ別嬪のド盲じゃろ思うて拝みにきたが、へちゃもよいとこや。あつかましゅうこの家に上がりこんで、よう飯がのどに詰まらなんだもんじゃ」 真蒼になって、小末は立ちすくんだ。「喜三はどこや。どこにかくれとる」 治郎松は、のび上がってどなる。 神前に座す喜三郎に、治郎松・由松・おこの婆は詰め寄った。庭の畑に出ていた琴も、声を聞きつけて上がって来る。「喜三、このめかんちをどないする了簡じゃ。お琴やんを追い出して女房にするならすると、はっきり言うたらどうやい」 治郎松が、あごをしゃくり上げた。小末が震えながら必死で叫ぶ。「すんまへん。うちが悪いんです。すぐ帰にますさけ、先生を……」「先生やて。へぇ、喜三、お前いつから先生になったんやい。弟たちに食わしてもろといて、いつのまに先生に出世したんじぇい。ははーん、これは八百長やな。このめかんちをにわかに両盲にしたてといて、神さん拝んだらパッと片目があいたちゅうわけや。『ドえらい霊験や。あらたかなもんじゃ』とこの女使うて言いふらし、神憑りの先生になる魂胆やろ。この治郎松さままでだませるけい」 琴は大きな体をゆすって、治郎松の襟をつかんだ。「ここは御神前え。あんた、早よ帰なんと、神さんの罰あたって、この口曲がりますで」 おこの婆が、琴の手をすごい剣幕で払いのけた。「伜の言う通りに決まっとるえさ。お琴やんも人がええさけ、すぐだまされてや。男と女の仲はな、この婆ぐらいの年になったら、眼えつむっとっても、においでわかるのや。二人がかげでちゃんと乳くり合うとるぐらい、わからいでかいな。よう考えてみいさ。もうせんど、喜三は、『邪魔やさけ中村へ去ねい』とお琴やんに言うとってんやてな。あんたが去なんさけ、このめかんちが乗りこんできたんやな」 琴は真赤になった。何か言おうとしたが、声にならない。「なるほど、なるほど」 治郎松が、うれしげに手を叩いて笑った。「ふーん、兄やんの好みも変わっとるでのう。ボボ喜三いうぐらいやさけ」 由松が、並みはずれた大女の琴としなび果てた小末を、目の端に見比べる。 小末は神前に深く頭を下げ、喜三郎や琴に手を合わすと、だまって立った。 ――めかんち・ド盲・すべた・へちゃ。ものごころついてよりどれだけ浴びてきたか分からぬ小末の蔑称だった。いや、小末の名は知らなくても、犬甘野のめかんちといえば、誰でも分かった。夫でさえ、名前で読んでくれたことがあったろうか。実の父母とて、やさしい笑顔の切れ端も恵んでくれなかった。 不自由な眼で下駄をさぐりつつ、小末は思った。ここに来て、人の心のぬくみを知った。心から小末のために祈り、腐り果てた眼をさすっていやしてくれたばかりでなく、無償で夕食と一夜の宿を与えて下さった。これ以上すがりついて、思いも及ばぬ迷惑をかけてはいけない。大恩を仇で返しては……。 土間を出た時、不意に後から肩をつかまれた。小末は、その強い力が誰のものか、とっさに悟った。「ここにいてくれ」 背後から声が落ちた。思わず振り向いて、その人の顔を見上げた。灰色の輪郭だけが、左眼一杯に水の底にゆらぐようにゆれた。 治郎松はその日のうちに近隣にふれまわった。「喜三の嬶が来よったで。ドえらい嬶や。まあ見たってくれ」 若者たちが集まって覗き込み、手を打って嗤いはやす。株内のお政後家まで出て来て、目をひきつらせ、くどくどと説教を始め、終りに宣言した。「それでもめかんち嫁にするならのう、今日限り親戚の縁は切らしてもらうで」 沈黙を守っていた喜三郎も、たまりかねてわめいた。「弟子にしようと、嬶にしようとかもうてくれるな。お前らの知ったことかい」
 小末は一心不乱に神に祈った。誰が何を言おうと、嗤おうと、もはや見向こうともしない。妨害の多い家を離れ、喜三郎の指導のまま、琴と共々山へ分け入って、清流に身を浸した。わずかの間に左眼はみちがえるばかり澄んで、光をとり戻し、渋紙のような肌も、若さをよみがえらせていた。 琴と小末は、同じ年、明治九年生まれの二十三歳。小末と比べてみれば琴の明るさ、豊かさはまさに吉祥天女であった。形ばかりではない。ものにこだわらぬ広い度量、その気性を誰よりも愛し、無意識に甘えてもいた喜三郎は、うかつにも微妙な琴の変化に気づかなかった。 琴は、清流の脇の岩の上で黒い石を前に、鎮魂を修していた。何とか一念を石に集中しようとしても、いつか雑念が胸いっぱいに広がってきて、どうにもならなくなる。いけないと自分を叱る。押しのけようとする。が、あせるほど、もがくほど泥沼の底に引きずられていく。「兄やんの好みも変わっとる」と言って琴を見た由松のさげすんだ目、おこの婆の毒舌。――それらが刺になって心のひだに深く食い込み、急速に膿をもっていった。 出ていく小末を後から抱きとめた時、あの人の体には、確かに愛があふれていた。ふり向いた小末の左眼にも一杯の涙と、火花のような思慕。二人が以前からの関係ではないとは、知っている。だが男と女の関係は、知りあった時間の長さではないのだ。小末の激しい精進、脇目もふらぬ信仰。小末の中には、あの人しかないのだ。 あの人もまた、うちのことなど忘れてしまっているのではないか。谷間を渡るにも、川瀬に入るにも、恋人のように小末の手を引いて。他人の目にはわからんようにしながらちゃんとかぼうて。二年も女房でいた間、あんなにやさしう気を配ってもろうた覚え、うちにはあらへん。 黒い鎮魂石がぼやけてきて、琴は声をたてずしゃくりあげる。あの人の心を奪った小末の後ろ姿が憎い。流れに座して祈っている、あの人の清らかな肌が面憎い――。 三人は、厳しい顔つきで山から帰ってきた。参詣者の群れを見て、喜三郎は、ちょっとひるむ。ぎこちなく彼らに頭を下げ、ともかく神前に伏し、感謝の祝詞を奏上。参詣者たちも、それに習った。 治郎松はおこの婆と連れ立って、のこのこと彼らの前に出て、神床に尻を向け、大あぐらをかく。祈り終わった彼らに、治郎松はあごをしゃくった。「あほうなことさらすな。みんな、だまされたらあかんで。こら、喜三公。わしは同じ株内として、上田家のため思うて言うが、ええかげんに山子止めんかい」「穴太寺の観音さま忘れて、ド狐に呆けてくさる。みんなもこんな男に相手になって、仏罰が降っても知らぬぞい。こら喜三、改心するなら今のうちや。そのめかんち去なして、牛の乳しぼりに精出したらどうやい」と、おこの婆も負けずにどなった。 参詣者の目は、いっせいに小末の左眼に集中する。小末は、恐れずに目を上げて、一同を見返した。 喜三郎は、おだやかに治郎松に言う。「わしらはまじめに神の道を進もうと思うとるのや。頼むさけ、邪魔せんといてくれや」「よっしゃ。お前が山子かどうか、ほんまもんか嘘もんか、今、わしが試しちゃる。みんなもよう見とってや」 治郎松は、子供が手品でもして見せる風に得意になって、懐から茶渋に染まった湯呑みを取り出した。「さあ、喜楽天狗大明神さんや、お前のてん(貂)眼通やら、いたち(鼬)通やら知らんけど、妙な術つこうて、この湯呑みの中に入っとるもん当ててみさらせ」 一同は、治郎松と喜三郎をとり囲んで、湯呑みに見入った。「知るけい。わしは手品師になりとうて修行しとるんやないわい。神の教えを取り次いで、心の迷い、心の病を癒すのがわしのつとめや。体の病が治るのは、心のくもりが晴れるさけ、自然に体にうつってくるのやろ……」「お前の説教聞きにきたん違うど。さあ、野天狗、ドブ狸、降参なら降参と、素直に尻尾出さんかい」 かさにかかって、治郎松がたたみかけた。斎藤仲市が、いつもに似ぬ真剣な目つきで口を開く。「喜三やん、わしはお前の仲間やけどのう、今度のめかんちの一件は、そばで見とったわけやない。もしほんまやとしたら、喜三やんについたはる神さんは、よっぽど偉い神さんや。けど、誰も山師やないいう証人はおらんやろ。わしかて五分々々、いや、本音を吐いたら八分二分、つまり二分ぐらいしか信じられへん。ほんまに神さんがついたはるなら、湯呑みの中を当てるぐらい、ぼろんちょん(簡単)やろ。理屈では感心せん奴でも、実地をみたらころっと参るもんや。ほんまに神通力あるなら、当ててみたれや」「神の教えは見世物とちゃうさけのう。真実は自分の口から宣伝せいでも、やがて自然に分かっていくもんや。こらえてくれ」 苦々しげに、喜三郎は座を立とうとする。「逃げるか、喜三。へん、どうや。やっぱり分かるわけはない。それでは山子はでけんのう」 おこの婆が、喜三郎の袴の裾を握って嘲笑う。「よっしゃ、そこまで言うなら当てたる。ただし一ぺんきりやで」 きっと喜三郎は畳に伏せてある湯呑みに目を当て、瞼を閉じる。一座は固唾を呑んだ。琴も共に目を閉じ、瞼を通して、ありありとみた黒い石の感覚を思い出そうとする。「一銭銅貨が十五枚。音がせんように丁寧に一つ一つ紙にくるんで入っとる。ふたは厚紙」 喜三郎が、ゆっくりと言った。仲市が湯呑みをひっくり返し、厚紙の蓋から転げ落ちた紙包みの銅貨を数えた。間違いなく十五枚。「偶然か、いや偶然にしても、当たりすぎとる……」 ざわめく一座の中から、治郎松がやっきに叫ぶ。「そうやないかと思ったんや。案のじょう飯綱使ってくさるで。こら喜三公、一体どこで管狐手に入れたんや。箱根山の道了権現つかわしの悪狐やろ。なんぼで買うた。え? ちょっとでええさけ、商売道具みせてみ」「管狐など使うとらん。鎮魂の法で透視作用がきくのや」「へん、透視ができるなら、わしの病名あてて、ついでのことに立ちどころに治してみい」「治郎松はんはのう、人に不幸があると手をうって喜び、人が立身するとか、田地を買うとか、他人の幸福があると腹が立ってたまらぬ憂い病や。この病気は、魂を入れ替えん限り、いかな神さんでも治せんわい」「魂を入れ替えるやて? どうやらお前の手の内が読めた。こいつは飯綱使いやさけ、うっかりしたら憑けられるで。病人がきたら管狐をちょっとのかして病気を治し、またしばらくして管狐をつけて病人にして、何度も礼をとる虫の良い商売を始めくさったんや。みんな、近寄らぬのが一番やぞ」 治郎松は飛び出して行き、一々戸口を廻って、悪宣伝にこれつとめる。「うちの本家の喜三の奴は、この頃、どこかで飯綱を仕入れてきてけったいな商売はじめたさけ、相手にならんといてや」 飯綱とは、いたちに似ているがはるかに小さく、体長十八センチ程。夏は褐色で、冬は全身純白になる最小の食肉獣。北海道、青森県の人家付近に住むという。管狐はハツカネズミぐらいの小さな狐で、神通力を持ち、忍者や呪術者がこれらを扱って、人に影響を与えると伝えられる。 翌日、小牛こと斎藤牛之助が、片足首に分厚い包帯を巻き、足をひきつつのりこんできた。河内屋の子分で、大工職をしていたが、高熊山修行のきっかけとなった浄瑠璃温習会を襲って、喜三郎の頭を割った一人である。丸刈りのせまいおでこ、せまり合った小さい眼、厚い鉛色の唇、もりあがった肩を片方怒らせて、上目づかいににやっとした。「久しぶりやんけ。よう流行るそうやのう。元手いらずや。儲かってかなんやろ」 虫酸が走った。心では忘れたつもりのあの夜の恨みを、喜三郎の体は覚えているのか。小牛の乱暴は知れ渡っているので、仲市はじめ七、八人の参詣人は、部屋の隅にちぢこまって息をつめる。「昨日、喧嘩でちょっとばか怪我したんや。何、たいしたことはない。友達甲斐に、鎮魂たらいう奴で、いっぱつ痛みを止めてみいや」 体で感ずる憎悪を、心が鎮めた。静かに小牛を見つめ、ふっと目を閉じる。包帯で包まれた足首は、のみにかまれた跡一つない。右掌の中には剃刀がみえる。小牛の腹の内が、手に取るように響いてきた。祈願すれば「山師の化けの皮ひんむいた。天眼通の喜楽が無傷の足拝んだ」と、嘲笑してまわろう。無傷だといい当てれば、包帯を解きながら隠し持った剃刀で足を切って血を出す。「この通りの傷を、ようケチつけやがったな」と襲いかかってこよう。どっちにしても始めから因縁つける気だ。なりゆきは神にまかせよう、と喜三郎は思った。「朝から待ったはる人がおるのや。わしに祈願して欲しかったら、おとなしゅう順番待っとれや。さあ次の方、どうぞ前へおいでやす」 誰も小牛をはばかって進み出る者はない。 白け切った座を和めようと、小末が健気に茶を入れて配り、小牛の前にも差し出した。「めかんちの入れた茶など、気色わるうて飲めるけえ」 いきなり熱い茶が小末の顔に飛び散った。喜三郎がとび込んで、面をおおった小末を抱いた。 小牛は、黄色い歯をむき出してうなった。先祖代々そのままの虫食い障子の桟がふっとぶ。剃刀が、襖を切り裂く。火鉢が転がって、灰かぐらがもうもう。庭にとび出した人々は、震えてただ小牛の独演を眺めるばかり。 灰かぐらの中で、喜三郎は、神前に向かっていた。小末が逃げもせず、その喜三郎により添っている。「こら、安閑坊喜楽、お前に憑いたる神さんは、これでもわしによう罰をあてんのか。ははは……腰ぬけ神の鼻たれ神のやくざ神、ええか、よう見てけつかれ」 小牛はやおら前をまくり、神床に向って、犬のように片足上げ、放尿し始める。小末が悲鳴を上げてうつ伏した。「どうやい、悔しいか。みみずに小便かけても、ちんぽが腫れるぞ。ちっと神力でもありゃ、わしのちんぽ腫らしてみい。それもようさらさん神なら、どぶ狸かいたち、いや、ねずみでも祀ったがましじゃ」 喜三郎は動かなかった。平然としていたといえば嘘になる。とびかかって八つ裂きにもしてやりたい憤怒が、胸をこがしていた。が、それをかろうじて圧し殺し得たのは、これに似た光景を霊界で目撃していたからだ。否、もっとむごい辱しめにも無抵抗で堪え忍び、血の涙をのんで根底の国におちてゆかれた神々を、喜三郎は知っている。 出るだけのものを放出し、いいたい放題罵倒して、意気揚々と小牛は引き上げた。 入れ違いに、鍬をかついだ由松と琴が駆けこんで来た。無残なその場の様子に、二人は呆然とつっ立つ。「すまん、由松、こらえてくれい」 どうしようもない涙が、喜三郎の眼に光る。「すまんやと、兄やん。この神さんは、毎日供え物をさせるだけで、への突っぱりにもならん神さんけ。鎮魂たらいう奴で小末の眼、開かす位なら、なんで小牛の両眼ぐらい、立ち所につぶしてやれなんだん」 由松が悔し涙を浮かべてつめ寄った。琴も思いは同じであろう。さげすむ色が浮かんでいる。「小牛のちんぽでも腫らして祟りさえすりゃ、どえらい神さんやと、お前らは思いたいのか。相手は小牛やんけ、名前の通りの畜生や。猫や鼠は神殿の中でも平気で暴れて、糞や小便仕放題や。烏や雀も神社の屋根に糞小便をたれかける。それでも一々神罰はあたらへん。わきまえのない畜生やさけ、ただ神さまは笑うとられる」「馬鹿こけ」 唇をひんまげて、由松は八足台の下へ頭をつっこみ、そのまま直立した。社も神具も供え物も、止める間もなくころげおちる。それを蹴とばし、投げつけ、由松は泣きわめく。参詣者たちは、怖れをなして逃げ帰った。「兄貴、どうや、わしも畜生同然やさけ、神さんは罰をあてんやろ。兄やんは村中のよい笑われもんじゃ。おかげでわしまで肩身が狭いわい……いうたら、この神は上田家に恥かかした仇やど。仇を拝む奴があるけい」 庭に散った社を、それでも腹がいえぬのか、ふんずけ、踏みにじって、由松は出て行った。また今夜もやけっぱちな博奕にあけて、裸にされるまで帰らぬだろう。 小末が、庭におりて、社のかけらを拾い、土をぬぐい、塩で潔めながら、泣いている。琴も唇をかみしめて、小便のしみ入った神床や畳を潔めた。 わめき出したい思いが、喜三郎の背をつき抜ける。こんな阿呆らしい真似は止めや。牛を飼い、お琴を嫁に、腹が立ったら喧嘩もして、人間らしゅう、気ままな一生を送りたい。あこがれるように、その時、喜三郎は思った。
 さまざまな妨害に会いながら、上田家の神前において、幽斎修行が続けられた。石田小末の神主としての素質は優秀であった。小末が初めて感合の域に入った時、発動も体の切り方も小さくて、琴や志津に比べれば頼りなく、何かもどかしい。が、口を切った時の声は落ち着いて、澄んでいた。まだぎこちないながら、ふだんの小末よりどことなしに品があり、優美にさえなる。正神界との交流近しの期待に、喜三郎の心は明るくなった。 ある夜、石田小末が端麗に体を切った。喜三郎は、その威厳すら加えた小末の様子に、つつしんで二拍手、三拝した。「石田小末にかかり給うはいずれの神か、御名を伺います」「石清水に祀られたる息長足姫である」「畏し、願わくば、石清水の由来を教えて下さい」「宜いかな。直ちに眷属をつかわして、説明させよう」 涼やかな音声は去り、入れ替わって厳めしい容姿となった。「御名は」「男山の眷属小松林じゃ」 このみ声、御名には喜三郎も聞き覚えがあった。かつて喜三郎にかかられた時のお姿さえ、瞼に浮かぶ。思わずなつかしさがこみあげる。「神社の所在地はどこです」「山城国久世郡石清水にある」「祭神は?」「誉田(応神)天皇、玉依姫、神功皇后の三柱である」「誉田天皇は何人の御子です」「仲哀天皇第四子、母息長足姫尊、即ち神功皇后である」「神功皇后の父母の御神名は」「父は開化天皇の曾孫息長宿弥であり、母は高額媛じゃ」「開化天皇の御名を伺う」「若倭根子日子大毘毘尊と申し奉る」 小松林命に親しみすら覚えて、喜三郎は次々と問答を重ね、疑義を教示された。小松林は八幡宮の高等なる眷属神と知った。小末に続いて、喜三郎の弟上田幸吉、多田琴らにも芙蓉・杵岡・松川・河原林・昌盛などの眷属神が憑られて、学ぶ所が多かった。 石田小末は、喜三郎の指導によって、他感法が上達したばかりか、霊眼まで開けて来た。幼い時から片目であり、不遇な境遇に耐え忍んできたためか、小末の霊感は鋭く発達した。眼の不自由なことがかえって内分の開眼を容易にしたのであろう。斎藤たか・岩森とくの少女らも進歩を示した。十二、三歳の純な魂は、正にも邪にもうつり易い。上田幸吉や多田琴は安定した霊的成長を見せている。その内分の伸びが自然に外分にまで滲み出してくるのが嬉しかった。
 近頃、喜三郎は鼻下に髭をたくわえ始めた。幽斎修行に明け暮れて無精髭が伸び放題、久しぶりに鏡に向って剃刀をあてる時、いたずら半分に太目の八の字に剃り残して見た。すこぶる威厳が備わったような感じ……修行者から「先生」と呼ばれるにふさわしいように、一割方、貫禄が上がって見えた。 誰かに似ていると思い、まじまじ見つめているうち、あっと声を上げた。軍服をつけて八の字髭をはやした有栖川宮熾仁親王晩年の写真である。 なんやけったいな、ははは……と笑いかけ、涙があふれそうになった。 喜三郎の髭は家族の者から悪評であったが、意にもかけぬ。田舎者のお前らにこのすばらしさが分かるけいと決めつけた。お世辞にも髭をほめてくれる人があると、「ほんまにその通りや。この人は見かけによらん正直者や」と相手を見直した。はっと気がつくと、喜三郎の指は髭の先を愛撫しているのだった。
 麦かち(麦の脱穀)の準備に庭いっぱい麦を広げて乾かしている喜三郎の元へ、昼前、見慣れぬ三人連れの男が訪ねてきた。彼らは旭村印地(現亀岡市旭町印地)の百姓で、それぞれ射場久助(五十九歳)・入江幸太郎(四十四歳)・岩田弥太郎(三十七歳)と名乗った。旭村は亀岡盆地の最北端にあり、三俣川の扇状地に位置する。明治八(一八七五)年に印地・美濃田・山階・杉の四か村が合併し、成立した。旭村の地名の由来は、氏神の祭礼が旧九月九日であるため、九と日の二字を合わせたという。 喜三郎は彼らを縁に腰かけさせ、自分は庭のむしろに坐って来意を問う。「穴太に喜楽天狗……やいや、大天狗はんが現れたちゅう評判聞いて、突然お願いに上がったんですわ」と年かさの射場が切り出し、しょぼくれた顔の岩田を指した。「実はこの弥太はんの嫁のことで……」 岩田弥太郎は二年前、先妻と離婚、片山ふじと再婚した。ふじは胡麻村(現日吉町字胡麻)の士族の出身で、父は寺小屋をしていた。大戸村(現園部町大戸)の片山某に嫁ぎ一男二女をもうけたが、夫に死なれた。弥太郎と先妻との間に子がなかったため、ふじは再婚にあたって、二人の女の子を連れてきた。 農閑期には、弥太郎とふじは近くの石灰山に石灰掘りに働きに出て、まずは貧しいながらつかのまの平穏な暮らしが過ぎた。 今年の春、ふじは死産した。ところがその後産が見つからない。狸か狐に食わしたともいい、ふじ自身が食ったともいう。それ以来、ふじの頭がぼけて、日常の生活感覚すら失った。 隣の山階村に黒髪大明神と稲吉大明神という稲荷を祀る教会がある。弥太郎はふじをその教会に連れて行って、人見たけ(五十歳ぐらい)というお台さんに祈祷してもらった。それ以来、ぼけは治って石灰山へ石割に出るまでになったが、ある日、酒に酔いくらって山でぶったおれているうち、憑霊にとり憑かれた。 ふじの憑霊は「白木大明神」と名乗った。一日に五、六升の飯をたいらげ、酒なら二、三升は呑む。自宅の養蚕棚の、せっかく大きく育てた蚕を片端からつまんで食う。その食いぶちも大変だが、しかしそれに余る収入も稼ぎ出していた。ふじが神がかりになって病人の薬を指図したり祈祷すると、ほとんどの患者が全快する。それが評判で、狭い家に朝から晩まで参詣者がひきもきらぬ。その祈祷料が大きい。 顧客をとられた人見たけはふじの評判を妬み、「岩田ふじが山子はじめて人をたぶらかす。取り締まってほしい」と交番に訴え出た。巡査も放置できず、「許可なく人を寄せたり、薬を指図したりしてはならん」とやかましく言ってくる。ふじの憑霊は巡査の注意など意に介さぬ。 困り果てた弥太郎は、近所の射場や入江と相談し、喜三郎に憑きもの封じを依頼にきたのだ。「小末はん、ちょっと岩田はんの家を霊視してみてくれ」と、喜三郎は、庭で麦を広げている小末に命じた。 神前にしばらく暝目していた小末は、透視の模様を告げた。岩田家の横に古い氏神があること。裏手の方には五、六間幅の水のない川があり、その両側の土手は竹薮であること。岩田家は瓦葺きで、畳数が何枚、蚕の棚が何枚、ふじは三十くらいの背の高い中肉の女で色が黒く眼が細い。顔には痘痕があるなどと、今眺めているように細かに述べる。三人は顔を見合わせ、透視の的確さに感歎する。 後学のために石田小末を同行させることにし、簡単な昼飯をすませた後、一行は印地に向かう。小林(現亀岡市千代川町小林)の井筒屋旅館で少憩して、茶を飲みながら、さらにくわしくふじの奇行を聞いた。 喜三郎は弥太郎に言いふくめる。「おふじさんには、穴太へ行ったがわしが留守じゃったことにして下さい。わしが喜楽やと見抜けるかどうか、まずその透視の力を調べとく必要がある」「けど喜楽先生のこと、どない説明さしてもろたらよろしやろ」「小林で会うた段通屋とでもしときなはれ」 小川(現亀岡市千代川町小川)・高野林(同町高野林)・川関(同町川関)を越える。川関と八木の境の寅天堰のかたえの小さな茶店で一服した。何か月後かに喜三郎は再びこの茶店で休み、女主人の福島久と語り合って綾部行きの機縁を得ることになるなど、この時点では夢にも思わぬ。 八木町の大橋を渡り、三時頃印地の里に着く。戸数二十余戸の小さな村落だ。 印地の地名の由来は、貞観五(八六三)年五月五日に丹波国に大雪が降り五穀が不作になった時、この地だけが豊作で、種子を四方に分けたため、一区域を起こして御赦免地とし、井路村から印地村に改称したという。また国府に付随した蔵の鍵(印鑰)を預かっていたので印地になったともいわれる。 村の南を三俣川が西流している。小末が透視したように、この川は一滴の水もない草の河原で、両土手には竹薮と雑木が生い茂っている。清流を見慣れた喜三郎には珍しい光景だ。土地の人は「水なし川」と呼んでいる。 三俣川は旭町に端を発し、西流して八木町に入り、大堰川の北方で桂川に合流する。延長三・二キロの川である。三俣川を流れる豊富な水は山階・美濃田の境辺りから次第に下にもぐり、伏流するため、ふだん印地の辺りは水がない。 橋を渡ってすぐ北に氏神の梅田神社(祭神・天児屋根命)がある。欅・桧・榁の老大木が社殿を覆い、丹波一といわれる杜松の大木がそびえ立つ。社殿(重要文化財)は室町期造営のものを江戸期に修復したとされる桧皮葺き一間社、流造。社殿横の糠塚は古糠を積んだことに由来し、古狐の棲む所となったが、のち稲荷大明神が祀られた。 門をくぐるや、どう気配を察したか、数十人の参詣人をおいてふじが玄関まで出迎えた。小末の霊視したと同じ容姿。色の黒さと痘痕がなければ、けっこう美人の部類に属する。細い目が異様に鋭い光を放っている。「どうでした。穴太の喜楽天狗はん、いやはりましたか」 小声で、ふじが夫に聞いた。「あかんかったわい。せっかく穴太まで行ったけど、喜楽天狗はんは留守やった」と弥太郎はしょげて見せた。「ほんまに無駄骨折ったじょ」と、射場と入江が調子を合わせた。「それは御苦労はんでした。ほんであんた、巡査はんを連れてきたんかいな」とふじが眉をひそめた。喜三郎の八字髭を、巡査と勘違いしたらしい。「違う、違う」と弥太郎は手をふり、「この人はのう、小林の井筒屋に泊まったはる段通屋はんやねん。井筒屋で一服した時、お前の神憑りの噂したらものすごう感激しはってのう、商いのことなり体のことなり伺うてもらいたい言うて、ここまでついて来やはったんや」「ほんであのめかんちの女は誰やいな」と、喜三郎のかげにいる小末をあごでさした。「ああ、この人け。井筒屋の女中はんや。井筒屋の主人がお客はんにつけてよこした」と射場が急いで助言した。「そうかいな、まあよう来やはった。順番を待ってなはれ」とふじは別に疑いもせず、参詣人をかき分けて神殿に向かう。喜三郎は小末にふじの守護神を霊視することを命じ、参詣人の中へまぎれこんだ。 ふじが神床に向かって拍手し、おぼつかぬ祝詞を奏上し始めるが、途中からにわかにのどがかすれ出し、「があがあ」と家鴨のような声に変わる。その言霊の濁りを耳にしただけで、喜三郎は狸やと判じた。 祝詞が終わるや、ふじは神床を背に、くれんと参詣人の方に向き直った。細い目をかっと開いてきりきりと大きく歯ぎしりし、ちょろちょろ舌を出す。誰が見ても狸、人間の顔とは思えぬ。 そのどんぐり目をきょろきょろ泳がせ、参詣人にまじった喜三郎を見つけ出し、ふじは態度を改めて両手をついた。「これはこれは喜楽先生、御苦労様です。私は稲荷山の一の峰に守護いたす白木大明神でござる。今日は麦かちのお忙しいところ、弥太郎ほか両名がお邪魔したばかりか、お昼まで御馳走になり、ありがとうございました。私は弥太郎めの後についてお宅まで参上しましたので、穴太や井筒屋での模様はつぶさに見てござる」と大口開けてからから笑い、「どうぞ私めに神名を下さいまして神界の御用ができるよう、大神さまにお取次願います」と、またも猛烈な歯ぎしりをした。並み居る参詣者は、息をのんでふじと喜三郎を見くらべる。 突然、石田小末がうんと一声飛び上がり、神がかり状態で叫ぶ。「偽り申すな。白木大明神は伏見稲荷の白狐じゃ。その方は白狐にあらず」「いえいえ、神かけて嘘は申しません。稲荷山の白木大明神に間違いござらぬ。とっくりとお調べの上、私をお認め願います」「だまれ。その方は能勢妙見の新滝に守護いたす四郎右衛門狸であろうがな」「……は、はい……実のところ……」と図星を指されてふじはうつむき、涙ぐみつつ告白を始める。「かくなる上は何もかも白状いたす。仰せの通り私めは丹波の国多紀郡春日江村の妙霊教会に守護致す四十八匹の狸の親分四郎右衛門でございます。人に憑ることを覚えてからは、体のどこがどうなっとるかを研究して霊界の医者になろうと志しました。長年、大勢の人間に子分どもを憑らせていろいろの病気をおこさせ、祈祷にこさせては薬を飲ませて試験しました。ところが間違うて、二人まで死なせてしもうた」 ふじは口惜しげに、またひとしきり歯ぎしりする。「人間の命を奪った罪は重く、妙霊教会の守護神の役を剥奪され、子分ともども悲しき浪々の身となりました。誰かよい台があればそれに憑って今度こそ人を助け、罪ほろぼしして神界へお詫びしようと探しているうち、このおふじの肉体に出会いました。今ではどの病気にどの薬が効くか、よう知っとります。この肉体を使うて思惑を立てようと存じますので、何とかあなたさまのお力で……」 面に誠意をみなぎらせ、両手をついて頼み込む。喜三郎は気の毒になった。しかしさっきから気になることがある。「お前は二人の命を奪ったというたが、その名前を言うてくれ」「はい、こうなれば仕方ない、白状します。一人は小さな子供で、これは先生のお身の上にかかわりございませんので名前を述べるのは御勘弁願います」「それで後の一人は……」「申し訳ございません。後の一人は……」と言いよどんで、ふじは涙をこぼす。「どうやらわしの身内にかかわりある者やな」と思いあたった喜三郎は、声を震わす。「はい、それが……妙霊教会の教導職佐野清六はんの女房たつさんでして、たつさんの腹に入っていろいろな薬の試験中、とうとう殺してしまいました」「そうか、佐野たつがわしの叔母はんやいうこと、知っての上でわしを呼びによこしたんやな」 佐野清六は喜三郎の父吉松の弟である。その後妻たつは原因不明の病気で一昨年の明治二十九年十二月十六日、三十九歳で死んでいる。ふじは恐縮しきった顔で続けた。「はい、で、どうかしてあなたさまにお詫びごとを聞きとどけていただき、罪を許されますよう神界にお口ぞえ下されたく……あっぱれ元の神の座に復り人助けがしたいばかりに、わざわざ弥太郎さんらに頼みにやったのでございます」「事情は分かった。二度と人の体を実験台になどするなよ。今度犯したら、お前ら一族は霊肉とも滅びんなんぞ」 ふじは言葉もなく平伏する。「そんなら改心のしるしを見せてみい」「見せます、見せます、今、改心の証拠を出して見せます」 ふじが「こんこん」と二回ばかり大きな咳をする。そのはずみに真っ白な毛玉が口からとび出した。毛玉は自由自在に動き廻る。風が吹くせいかと、ガラス蓋の箱に入れてみなかわるがわるのぞきこむが、白い毛玉は変わらず動き続ける。「なんやろ、こんなけったいなもん見たことない」「生きもんやろか、顔も尻尾もないけどのう」 人々の囁きをよそに、ふじは口を尖らし、嘆願する。「ああ苦しい。早う白粉をその毛玉にふりかけて下さい。そやないと弱ってしまいます」 弥太郎がふじの使う白粉を持ってきて、こわごわ白い毛玉に振りかけた。毛玉はガラス箱の中心に座を占め、よみがえったように数知れぬ細い毛を震わせる。 白粉を食って増え続ける毛玉のことは、近年、ケサランパサランとかの名で、新聞テレビ等で話題になったことがある。 ふじの狂態はぴたりと治まった。喜三郎は岩田家を辞し、その後は射場家に泊めてもらい、翌朝、再び岩田家を訪ねてふじに正しい修祓法を教えてやる。近村に医者のなかった印地では、岩田ふじの指示する薬草が多くの人を救い、昭和十九年ごろに老いて没するまで、それは続いたという。
 小末の元へ、親類に引き取られていった亡夫の子が病気との知らせがあった。夫と実の子を失ってもなお、血を分けぬ先妻の子とは義理の糸でつながっているのだ。正神界へ一歩踏み入れたばかりの修行を中断して去ることはつらい。心を残しつつ、小末は大阪へ発った。琴も、この機会に大阪の実母に会いたいと言った。小末と一緒に旅立つ。 同じ頃、斎藤元市の義妹志津が園部の下司熊次郎のところへ嫁いだ。熊次郎がどう元市を説得したのか知らぬ。三十四歳にもなった縁遠い彼女がともあれ求められて嫁ぐのだから、喜んでやるべきか。しかし二女の母親である戸籍上の妻が病身とはいえ現存する以上、肩身の狭い内縁の関係であろう。なんとか幸せになってほしいと、喜三郎は願った。 三人の女弟子が穴太から消えたことで幽斎修行はひとまず休み、喜三郎は農事に没入する。 麦かちも終わって一息ついた所へ、斎藤仲市が下司熊次郎と藤田太平という男を連れて相談にきた。熊次郎はもともと元市とは友達だが、その息子仲市とは親交があったわけではない。むしろ熊次郎が園部で反喜三郎の動きを示した時、仲市は喜三郎側に立って、文字通り己れの肉を削いだくらいだった。この度の熊次郎と仲市の叔母志津との結婚が二人を身内として急に接近させたのだろう。 三人はこもごも事情を打ち明けた。ことの起こりは、三矢喜右衛門の神憑りである。園部に大神殿を打ち建てる資金にと、三矢の憑き神は、熊次郎に相場の指示をした。他ならぬ御神業のためならと一同勇んだが、何しろさしあたっての資金がない。熊次郎は、その工面を腹心の藤田太平に命じた。悉皆屋の藤田は、方々から預かっている反物をいったん質に入れて金を借り、熊次郎に用立てた。もちろん大儲けの暁にはすぐさま質受けしてもらい、相応の謝礼も約束されていた。ところがくれんと相場にはずれ、すっからかんになってしまった。あちこちから反物の返済を迫られ、言い訳にも窮して、このままでは藤田ばかりか熊次郎まで告訴されそうなのっぴきならぬ羽目に陥ったというのである。「のう、喜三やん、十円もあれば何もかもかたがつくし、藤田や熊はんの信用かて戻るのや。こいつらに泣きつかれて乗り出したわしの男を、なんとか立ててくれへんこ」と仲市が情にからめて訴える。 またかと喜三郎はうんざりした。相場にからんだ金には、こりごりだ。これまでのいきさつから言えば、喜三郎が熊次郎を助けてやる義理はない。第一、熊次郎が喜三郎に頼みにこられた義理ではないはずだ。しかし友達の仲市が間に立った限りは、彼の顔を潰すわけには行かぬ。それに藤田という男、よくよく辛かろう。できることなら何とかしてやりたい。 喜三郎の頭はすでに金算段に走っている。はて、上田家の家屋敷はとうに抵当に入れて、その借金の返済もまだ終わっていない。こうなれば、奥条(現亀岡市田野町奥条)に預けてある乳牛しかない。九十円で買った牛で、いくら叩き売っても四、五十円にはなろう。この際、自分の借金も清算したい。「よし、奥条に預けてある乳牛売ることにしよ。その中から十円だけお前らに用立てたるわ」 熊次郎は手を打って踊り上がった。「おおきにおおきに、それでこそ喜楽大先生や。神に仕える者はすべからくこれぐらい寛容慈愛の精神がなけらあかん。ほんなら牛を売る件についてはわしに任してんか。屋賀(八木町屋賀)に、わしが兵隊に行っとった時分の友達で伯楽しとる奴がおるねん。わしが頼んだら友達甲斐に高値で買うてくれるはずや。善は急げや、今からすぐに売りに行こけい」 藤田を園部に帰し、喜三郎・仲市・熊次郎の三人で牛売りに行くことになった。まず奥条の預け先から牛を引き出し、八木の川向うの屋賀へ行った。九十円で買った牛は何やかやとけちをつけられ、買い叩かれて、十五円にしかならぬ。熊次郎は十五円を懐へ入れながら、「喜楽先生、すまなんだのう。売り急いだんでこれだけにしかならなんだ。ほんなら十円だけ拝借して、五円は後で渡しますわ」 取引きの成立した祝いと称して、伯楽の家で酒が出た。飲めぬ喜三郎は辞退するが、熊次郎と仲市は喜んで茶碗酒をあおる。やがてへべれけに酔った熊次郎を両側から抱えて、伯楽の家を出る。 ちょうどこのあたりの氏神の祭礼で、あちこちに大きな幟が立っている。神社の前で、四、五人の若衆が飲んでいた。熊次郎は喜三郎と仲市の手をふり払うや、若者の一人にからみ始めた。お互い酔っぱらい同士、たちまちなぐり合いの喧嘩になる。 若衆たちは熊次郎を屋賀橋の傍までかついで行き、なぐる蹴るの大騒ぎだ。仲市が彼らの中に分け入って熊次郎に代わってあやまるが、暴行を止めようとはせぬ。思い余った喜三郎は、懐中から鎮魂の天然笛を取り出して吹いて見た。すると不思議なことに、彼らは一人も残らず逃げて行く。 熊次郎はと見れば、あれだけの暴行を受け泥まみれではあるが、たいした傷も無さそうだ。酔っぱらいは怪我をせぬとはほんまやなと、喜三郎は妙なことに感心する。 八木の橋づめまで、熊次郎をいたわりながら戻ってきた。橋の西側に劇場があり、芝居がかかっている。勧進元は熊次郎の父、園部の顔役下司市之助だという。熊次郎は喜三郎らを楽屋に連れ込んだ。「そうや、喜楽先生に五円渡さないかん」と熊次郎は言い、懐に手を入れたが、急にうろたえだし、着物を脱いで裸になった。「ない、ない。金がないぞ。あ、そうか、十五円はあの時、あいつらに奪られてしもたんや。畜生、どないしよ、喜楽先生――」と、熊次郎は泣きそうになる。「まあ、災難やとあきらめなしゃあないやろ。あれだけどつかれて怪我一つせんかったんやさけ、大難が小難ですんだと神さんに感謝するこっちゃ。わしの方はええけど、十円がなかったら、藤田はんが後の始末に困るやろのう。熊はん、どないするねん」と喜三郎は、かえって藤田の借金の方を心配する。「わしにもう一つ心当たりがある。喜三やんにもうこれ以上は迷惑かけられん。わしが何とかするわ」と仲市が言う。「すまんのう、仲やん」と、喜三郎は頭を下げた。 二、三日して、幼友達の上田和一郎が顔を見せ、喜三郎を呼び出して気の毒そうに声をひそめた。「喜三やん、お前、下司や仲市らにまんまと乳牛一頭奪られたんやてのう」「そんなことあるけい。奪られたやなんて、人聞きの悪いこと言わんとけ。あれには事情があってのう、わしが見るに見かねて……」「まだ気がつかんのか、お前もめでた過ぎるで、喜三やん。ええかげん目えさまさんかい」 喜三郎を庭の木かげまで引っぱり出した和一郎は、下司市之助の子分たちが酔っぱらってしゃべっていたという内幕をぶちまけた。 すべてが仲市や下司市一家ぐるみで仕組んだ芝居だった。つまり伯楽は牛代を実際には熊次郎に五十円支払いながら、喜三郎には十五円と告げた。それでも彼らは始めから五円の金すら喜三郎に渡す気はなく、一家動員して手慣れた喧嘩の一幕を組んでいたのだ。酒を出した伯楽も、熊次郎を袋叩きにした若衆らも、すべて下司市一家の役者だったのである。 喜三郎は唖然となった。熊次郎ならばやりかねないが、心許した友の仲市までぐるだったとは。牛一頭まるごと失ったよりもそのことの方が悲しかった。今さら自分の馬鹿さ加減を証明するために抗議しようとは思わぬが、誰にともなく腹が立ってならなかった。 和一郎が帰った後、喜三郎は一人奥山に入り、腹の中の憑霊を呼び出してどなり立てた。「こら、お前は阿呆か。喜楽の肉体がこんな目に会うてるちゅうのに、安閑と気(喜)楽に居眠っとったんか。いつもは言わいでもよいことばかりしゃべりくさって、なんでかんじんの時に教えんのや。もう絶対にお前の言うことは聞かんさけ、とっとと出て行け、ばかもん」 玉ころがぎゅっと喜三郎ののど元へこみ上げ、「あははは……ほんまにばかやのう」と間のびした声で言ったきり、後はうんともすんとも答えぬ。「ははは……ほんまにのう」と喜三郎まで笑いかけ、ぽろんと涙をこぼした。
 夕方、余部の賭場から血相変えて戻ってきた由松は、神前で礼拝を終ったばかりの喜三郎の胸ぐらにつかみかかった。「あ、あ、兄やん、お、お前、下司熊や仲市に乳牛一頭、ぬ、ぬすまれたやて。賭場で、あ、兄やんのこと、笑いもんにしとったじょ。なんちゅうド、ド阿呆やね」と由松は、激昂のあまりどもってしまう。「それにお前、聞いたじょ、聞いたじょ」とはずんだ大声を上げて、治郎松がのぞきこんできた。「何を聞いたんや、まだほかにあるのんこ」と喜三郎は問い返す。「お前、飯綱ばかりか狸まで使てるそやないけえ」「なんやて」と由松がまた顔色を変える。「隠したってあかんど、えらい評判じゃ。印地で狸を使うたちゅうやないけい。それも四十八匹のド狸の親方やて」「なんや、あのことか」「とぼけるな。応挙はんの生まれた上田家を、飯綱使いの狸使いのわれが汚しくさった。こうなったら、もうド狸など祀らすけい。さあ由松、やったれ」「よっしゃ、まかしとけ」 言うなり由松は、隠し持った玄翁で、祭壇をこわし始めた。止めようにも、治郎松が腰にくらいついて離さない。腐れ鰯が網にひっついたように容易にはがれぬ。あがいているうち、祭壇は無慙に破壊し尽くされた。喜三郎はへたりこんで、ただ黙念とうつむくのみ。「ありゃ……これは一体……」と庭先からのぞいて頓狂な声を上げたのは、園部で下司熊次郎と組んで反喜三郎運動を起こしていた三矢喜右衛門である。三矢の姿を見るなり、由松はますますいきり立ち、食ってかかる。「こら、三矢、兄やんがこんな拝み屋はじめたんは、お前のせいやど。お前がそそのかして駿河なんかへ引っぱっていきくさるさけ、兄やんはますます神さんぼけしくさったんじゃ。どないしてくれるねん」 庭に立つ三矢の胸ぐらを縁の上からむずとつかむと、禿頭を思いきり叩き、ついでに顔をぴりっと引っかいた。三矢の顔面にあざやかな二筋の爪跡ができ、血がにじみ始める。「ええぞ、由松、やったれやったれ」と治郎松が狂喜して叫ぶ。「や、や、やったな。ようし、見とれよ」 まっ青になった三矢は由松と治郎松を睨みつけておいて、たずさえた頭陀袋から巻紙を、腰間の矢立から墨筆を取り出し、何やら書き出した。その間にも血は止めどなく流れる。なぐり合いの喧嘩になら慣れっこの由松だが、へんな雲行きにはどぎまぎする。「お、おっさん、何しとるねん」「見りゃわかるだろ、告訴状や。上田由松は傷害罪、上田治郎松は教唆扇動罪。このみみず腫れを何よりの証拠に、お前たち二人に臭い飯を食わさねば、どうしても腹がいえん」「む、むちゃ言うない。わ、わしゃ知らんど。やったんはこの由松やど」と言うなり、治郎松はちび下駄をつっかけ、そそくさと逃げ出した。「ま、待ってくれや」と由松もあわてて後を追う。三矢は縁に腰かけ、せっせと告訴状を書き続ける。「三矢はん、なんで今ごろここへ来たんや。園部はどうしたんじぇい」と喜三郎がそばに寄ってやさしく訊く。筆を止めた三矢は、急に狼泣きした。ひとしきり泣くと、血と涙と鼻水を手拭きながら訴える。「残念や、無念至極や。喜楽はん、まあ聞いてくれ。園部では下司熊にだまされて金を奪られ、ここへ来たらこの始末じゃ。ああ、この年になってこんな目に会うとは情けない」「よう考えてみい、三矢はん。丹波一円に霊学会を普及発展させようという大事な時に、妙な野心を起こして下司などと結託するさけじゃ」「すまなんだ、ほんまにすまなんだ。喜楽さん、この通りじゃ」と三矢は掌を合せて詫び、「この上は駿河に帰って、つぶさに長沢総理に言上するつもりですわ」 このような醜態を長沢総理のお耳にだけは入れたくなかった。おのが誠意でこのごたごたを鎮静させ、霊学会を正しく育てたい。喜三郎が三矢をなだめすかしていると、夕陽を浴びて下司熊次郎が現われた。「や、喜楽はん、この間はどうも」と喜三郎に形ばかり頭を下げ、熊次郎は三矢に向かって激しいけんまくでどなりつけた。「やっぱりここへ逃げてくさったな。そや思て、園部から追っかけて来たんじゃ。やい、三矢、金返せ」 やにわに三矢の禿頭を殴りつけた。「助けてくれ」と這いながら逃げかける三矢に馬乗りになり、熊次郎は「このどぶ狸、糞くらい狐」とののしりなぐり続ける。喜三郎は縁側からとびおり、熊次郎を羽がいじめにする。「おい、無茶すな。とにかくわけを話してみい」 頭を抱えて地に這いつくばり「ひいひい」泣く三矢を憎さげに見下ろしながら、熊次郎は説明した。「こいつ、半殺しにしてもあきたらん。まあ、聞いてくれ。三矢が神憑りして相場に勝たすとぬかすさけ、やっと工面した五十円の虎の子を全部つぎこんだら、大あてはずれじゃ。弁償せいいうて攻めたら、こっそり逃げ出しくさった」「その虎の子をはき出したんは、いつのことや」「昨日のほやほやじぇい」 となると、相場の資金五十円の虎の子は、喜三郎の乳牛をだまし奪った金ではないのか。他人さまの反物を質に入れて、などと熊次郎や藤田が喜三郎に泣きついたのも嘘。あの時点では、まだ相場に手を出してなかったのだ。いみじくもあの時の彼らの嘘は、今日の大あてはずれを予言した結果になった。 蛙は口から、熊次郎は興奮の余り、自分の罪状を暴露したことに気づいていない。「そうか、牛が虎になったか、こいつは大笑いや」 喜三郎が手を打って笑う。ようやく熊次郎はおのが失言に気づくが、そこは持ち前の厚顔さで空とぼける。「いや、虎いうてもすっからかん。とにかく喜楽はん、わしはこの際、国家社会の害毒を除くために、このにせ神憑りを告訴したる」 自分もにせ神憑りで斎藤志津を嫁にしたことなど忘れた顔だ。三矢は「おれのせいやないわ。だましたんは大霜天狗はんや。訴えるなら訴えてみい」と泣き叫ぶ。 生垣の外から様子を伺っていた由松が治郎松ともども現われ、熊次郎に食ってかかった。「おい、下司熊、兄やんの乳牛をどこへやったんじぇい。すぐ返さなんだら、詐欺罪で警察に訴えるぞ」 熊次郎は開き直る。「おもろいやんけ。訴えるなら訴えてみい。この下司熊次郎の後には親父の下司市之助がついとるねんぞ。下司市一家を相手どって、この丹波におれると思うんか」「なんかしてけつかんねん。ほんなもん、ほんなもん……」と強がりながら、由松の顔にひるみが見える。だが治郎松に背をつかれると、後は騎虎の勢い。「わしかて男や。いったん口に出したら何が何でも告訴するじょ」「そやそや、由松、わしがついとる。やったれ、やったれ」と治郎松がけしかける。由松は鼻孔をふくらませて力んだ。「よっしゃ、まかしとけ。兄やん、紙と筆を借りるじょ」 治郎松が勢い込んで喜三郎の机上の墨をすり、由松はちびた筆の穂をなめなめ待ち受ける。「わしも三矢を告訴したる。喜楽はん、わしにも紙と筆を貸してんか」と熊次郎。 三矢が血まじりの七面鳥みたいになった顔を上げた。「熊さん、わしはもう由松と治郎松の告訴状を書いたさけ、よかったらわしのん使てくれ」「そうけ、すまんのう」と熊次郎は、三矢の巻紙と筆墨を借りて三矢の告訴状を書き始める。 三人は仲良く縁側に腰掛け、筆を片手に思い思い首を捻る。熊次郎は告訴状を書く様式が分からずに書き方を一々三矢に相談、その脇から由松と治郎松がのぞき見て真似る。彼らの上を夕闇が包み始めた。「さあ、みんな、書けたらわしに渡せ。一々めんどうやさけ、わしがまとめて手続きしたる。えーと、誰を訴えるんやったかのう」と喜三郎が言えば、彼らは答案を渡す生徒みたいにぬれた巻紙を喜三郎に示した。三矢は由松と治郎松を、由松と治郎松は熊次郎を、熊次郎は三矢を、それぞれ告訴している。由松の巻紙の冒頭に、鰻の酔っぱらったような字でものものしく「国そ文」と書かれているのには、思わず吹き出した。 喜三郎は三組の告訴状を重ねておいて二つに裂き、それで「ちん」と鼻をかむ。墨がついた黒い喜三郎の鼻先を眺めて、一同ぽかーん。「ええか、神の道は仲良うするこっちゃ。もうこんな馬鹿騒ぎはやめよけい。由松が熊はんを告訴しても、わしが牛は熊はんにやったちゅうて証言したら、それまでや。また、わしは、ほんまに熊はんにあの牛をやったと思うとる。三矢はんかて、神さんに仕える身が相場で人に損さしたとなったら、自分の頭の蝿を追う方が先やろ。熊はんかてそうやで。警察に調べられたら、いろいろ埃も出て来るはずや。つまり告訴したかて誰も得する者はあらへん。まあここは、この安閑坊喜楽にまかしてくれや」と喜三郎、ぽんと胸を叩く。「けどこのままではのう。なんや納まりがつかんし、どや喜楽はん、まかせと言うなら、手打ちの酒でも買ってくれるこ」と熊次郎は抜け目ない。「おう、買わいでか。どうせ飲むなら、天田(現亀岡市吉川町の犬飼川の東)の料理屋で、芸者でも上げて派手にやろけい」と喜三郎、すぐ調子に乗る。あの店なら付けがきく。「さすがに喜楽はんや。この気っぷ、神さん商売にゃもったいないわい。侠客になったら丹波一の大親分にならはるやろのう」と熊次郎がごまをすり、三矢がへつら笑いする。治郎松も芸者の一言で相好を崩し、由松だけが複雑な表情だ。 着替えのために喜三郎が隣室に行くと、背すじをのばした宇能がきびしい顔で端座していた。祖母の存在をすっかり忘れていたことに気づく。母がまだ野良から帰っていないのはありがたい。喜三郎は照れ臭そうに頭を掻いた。 宇能が静かな声で言う。「神さまにはわたしからようお詫びして、御神前はきれいに片付けといて上げます。人の良いのも結構なが、男の器量を下げるようなことだけはしなはんなよ」
 石田小末が帰ってきた。大阪からの山坂を夜通し歩き続けて辿り着き、門口にうなだれて立つ。由松が発見し、厄病神でも見るように舌を鳴らす。喜三郎は嬉しかった。家族の目から疲れた小末の体をかばい、暖かい夜食をふるまい、不在中のあれこれを語る。 翌日、多田琴も大阪から帰ってきた。 幽斎修行の再開だ。幾多の失敗から、喜三郎は、神の教示をおのが支えにせねばならぬことを痛感していた。霊界の消息には通じたつもりだが、その点がもう一つ脆弱であった。琴や小末と共に、始めからやり直したいと願った。 昼間の労働を終り、うすずいた頃、喜三郎は二人の女弟子を連れて高熊山の岩窟に登る。 岩窟の中に向き合い、本田親徳の『道の大原』、副島種臣が問い本田が答える『真道問対』等の伝える意味をやさしく噛みくだき、己れの霊界探険の知識と霊覚とを綯いまぜて、くり返し説く。それはまた異霊彦命の神示でもあり、自戒でもあった。「さあ、おさらいや。人の心は何によって成る?……」「一霊四魂」と、岩上に端座したままの琴が答える。一言も聞きもらすまいと、小末が息をつめて聴いている。「一霊とは?……」「直霊……直日の霊とも言います」「そうや」と喜三郎は柔らかい声音で琴を包むように言い、小末に向って、「直霊は魂の内奥にある純粋にして至善至美なる霊をいう。この直霊が事の善悪美醜を直感し、人を正しく導く。もし間違った時はそれを反省してみずからを責め、悔い改めさせる。いわば良心は直霊の働きや。次に四魂とは?……」「荒魂・和魂・幸魂・奇魂の四つの魂です」「四魂にはそれぞれ本体と用がある。荒魂の本体は勇。用は進・果・奮・勉・克。分かりやすう言うてみい」「荒魂が働くと、人は真の勇によって、物事を進め、果断果敢に思いきりよく実行し、困難に対しても奮い立ち、苦労もいとわず勉め励み、悪に打ち克つ――忍耐力・実行力がそれです」「和魂の本体は親。用は平・修・斉・治・交――」「和魂が働くと、人は真の親によって、平和をつくり、身を修め、家を斉え、国を治め、あらゆるものと仲よく交わる――親和の力です」「幸魂の本体は愛。用には益・造・生・化・育――」「幸魂が働くと、人は真の愛によって、世を益し人を益し、ものを造り、生み、進化させ、育てる――生成化育の力です」「そうや。しかし愛という言葉には説明が要る。恋人を愛する、友を愛するなどという感情は、幸魂ではなく、和魂から出る。恋人と親しむ、友と親しむといった方がよい。真の愛とは生成化育、大自然の営みと一緒や。母親が子を産み苦労もいとわず育て上げる、お百姓が土を耕し種をまき心を配って世話をして収穫をあげる、芸術家が愛情をこめて作品を完成させる、これらの心の働きこそ幸魂の愛や」「うちは今まで、何一つ生んだことも、育てたこともない」と琴が嘆息すると、小末の面に狼狽の色が走った。小末は唇を強くかんでうつむく。 気づかぬふりで、喜三郎は続ける。「さて、奇魂の本体は智。用は巧・感・察・覚・悟――」「奇魂が働くと、人は真の智によって、事をなすのに巧みであり、感覚が鋭くとぎすまされ、観察力が深くなり、知的な覚も精神的な悟も明らかになる――智慧正覚の力です」「一霊四魂というても、物質やないさけ、物を計る尺度であてはめても分からん。たとえば直霊は四魂を統括すると考えてもよし、四魂それぞれのうちに直霊があると考えてもよい。四魂にしても、四つがそれぞれに独立して存在するというよりも、一つの魂の四方面と考えたらよい。初めて聞く小末はんには、むずかしかろう。歌で示してみよう」と喜三郎は言い、次の八首を読む。荒魂……耐え忍びつとめはげみて勇ましく進むは人の荒魂かも    ためらいのこころ打ち捨て勇ましく思いし善事遂ぐるは義し和魂……ちはやふる神と人とに和らぎて睦みまじわる和魂かも    えらえらにえらぎにぎわい栄え行く家こそ地上の天国なりけり幸魂……幸魂めぐみの露の深くして草のかきはも栄えざるなし    いっさいのものを大事にするという心は愛の本源なりけり奇魂……奇魂智慧の光はむらきもの心の暗を照りあかすなり    かんながら神に任せば先見の明智おのずから備わるものなり「うちにはでけそうもない。四魂のうち一魂でも完全に研けそうにない」と琴が深く吐息する。「理屈で言うても、わしかて実地にでけへんのや。けれど研こうと努力することはできる」「うちでも、神さまから一霊四魂を与えられてるんやろか」「そうや、どんな人でも、神さまから素晴らしい一霊四魂を与えられて生まれとる。いや、人の霊魂は神の霊魂そのものというてもよい。神の分霊なんやから。神と人との霊魂の違いは、その働きが無限であるか有限であるかに過ぎぬ。だから人は神の子、神の宮という」「けれど人間を見てたら、そんな立派な霊持っとるなんて思われしまへん」と琴が懐疑的な顔をする。「小末はんはどう思う」と、喜三郎は小末に目を向けた。「子供の頃からずうっといじめられて育ったものやから、人間は悪魔やと思うてきました。けど……」「けど……」「人間は悪魔みたいな人ばかりやないと……」「キリスト教では、人は罪の子やと教える。神の子と罪の子とでは正反対じゃ。実はどちらも正しい。言うたら真理の両面や。人が神の子であるためには、大事な条件がある。お琴やん、わかるか」「……」「人が神の霊代として他の動物にぬきん出ている点は、一霊四魂の中に五情の戒律を与えられているからや。直霊には省みるという働きがある。そして荒魂には耻る、和魂には悔る、幸魂には畏る、奇魂には覚るの働きがある。人がもし反省心を全く失ってしまったら、姿は人であっても人ではなくなる。つまり省みるの戒律を失えば、せっかくの直霊は曲霊に変わる。すると荒魂は耻ることを忘れて私欲のためにむさぼる争魂に、和魂は悔ることなく悪を好み憎しみや妬みの悪魂に、幸魂は道に逆らい天地を畏れ敬う心を失う逆魂に、奇魂は覚れず、善悪美醜の判別すらわからぬ狂魂になる。五情の戒律が健全であれば人は神の子やが、破戒すれば罪の子になる。人は神の子にも罪の子にもなり得る存在といえるやろ」 雲間を破って、月が出る。三人の目は一様にその月の光に向けられ、合掌していた。「世の中を照らすも曇らすも、みな心一つやのう。わしらが鎮魂の行をするのも、人に授けられた一霊四魂の曇りを払って研き上げ、腹の中に収めるためや。誰でも他人より自分がかわいい。自分の欲のためには、天地の道理も他人のこともかもうておれん。その心を省み、押え、たわめていくのは苦しい。けど投げ出しては負けやで。さっきお琴やんが自分を省みて『でけそうもない』と悔んだのは、まず直霊が働き出したしるしやんか。お前の荒魂が本来の力を取り戻して勇みに勇んでみい、臆病たれのわしなどそばにも寄れんだけの、どえらい力徳を持っとるわい」「けど、長所はまた欠点になりやすい……でっしゃろ。そやから、にせ巴御前なんかがうちに憑らはる」と琴は消気る。「お琴やん、省みる心で内を照らしつつ、わしらは神ながらに進むのや。宇宙は永遠に進展する。日に月に絶え間なく動いとるのやで。それは、宇宙は永遠に未完成ということや。日に新たなり、一日一日を生まれ変って生きる。停まるのは死、流れて行くのが生――祈りながら、ころびながらでも歩んでいけば、いつかは至る日もくるやろ」「……うちでも?……」と小末が小声で言った。「そうや、当り前やんか。小末はんは勇気をふるって、正しく進もうとしている。それはそのままで神心や。瑞々しい、うぶな祈りの心や」

表題:去る女たち 5巻6章去る女たち



 本格的な夏がやって来た。小末と琴は、朝早くから山の下草刈りに出かけていた。亀岡へ宣教に行くため門を出た喜三郎は、牛草を山盛り積んだ荷車をひいて帰ってきた由松に出会い、白い目で睨まれた。「昼間っから逃げ出さんと、田の草取りでもしたらどうやい。おなご二人口も養わせておいて……」 喜三郎は観念し、逆らわずに田に出た。炎天下の泥田に這い、緑の葉先を剣のように立てている稲株をわけ、田の草をかきとる。百姓仕事は嫌いではない。米作りに欠かせぬ作業を拒むつもりもない。大地と一体になっていそしんでいる限り、人間同士のいざこざから解放され、働くという充実した満足感を得られるのだ。 が、今日の喜三郎は泣きたかった。これは女子供でもできる仕事だ。いまは、わしでなくてはできぬ神命が待っている。昨夜も夜を徹して教義書をまとめた。時間はなんぼでもほしい。 稲の葉がちくちくと鼻先を刺す。腰を折り曲げ、熱した泥田をかきまぜるうち、汗と熱気で寝不足の顔面は赤く腫れ上がって来る。あせりが体ににじみ出るようだった。「よう、喜三公、似合うぞ」 頬かぶりの顔を上げた。治郎松が畔に立ちはだかって、にやにや笑っている。「これからは狐祀るのんやめて、百姓せい。穴太にはのう、立派に禅宗寺も観音堂もあるわい。何が悲して稲荷下げせんなん」 まともに相手にできる男ではない。だまって草を取る。治郎松は田の畔にしゃがみこみ、いい気になってからかう。「けどお前は、まだよう改心できとらん。ほれ、尻に狸の尾がはえとるわい。その手つき、ちっとも百姓に身を入れとらんのう。その証拠に、稗が一株抜き忘れたるやないけえ。何さしても半端な餓鬼やのう」 振り返ると、確かに一本とり残してある。二足、三足戻って稗を抜き、畔に捨てる。稗の泥が、畔の治郎松の顔にはねた。もちろん、故意ではなかった。が、さっきからの悪口への我慢が、稗の根の泥にこもっていたかもしれない。「あ、すまん、すまん、かんにんやで。手元が狂うてもた」 軽くあやまって、治郎松に背を向け、再びかがみこんだ。とたんに、尻に激しい衝撃を受け、泥田につんのめった。治郎松が鍬を打ち下ろしたのだ。手をやると、股引きの尻の辺が切れている。「無茶すんな。痛いやんか。わざと泥かけたんやない。あやまっとるのに……」「なにぬかす。日頃わしに外道の逆恨みしてけつかるさけ、わざとかけくさったんじゃ。も一つ、どついたろか」 治郎松は、顔を真赤にして、鍬を振り上げた。怒りがこみ上げてきた。しかしこらえた。忍耐こそ荒魂の力やないけと怒りを直霊でねじ伏せ、笑顔を作って頭を下げた。「わざとしたんやないけど、ぼやっとしとったんは、わしが悪かったんや。こらえてくれや」 再び腰をかがめる。また尻に火のような衝撃。手で探れば、べっとり血。「あやまっとるのに、なんで……」「口でなんぼあやまったかて、言葉が上っ調子じゃ。その手にのるけい。もう一発、どついたるぞ」 無抵抗だと見て、治郎松は、かさにかかって鍬をふるった。よろめきながらそれを避け、むしゃぶりついて鍬をもぎとる。その時、我慢がせきを切っていた。田の隅の深い野井戸に鍬を投げ込んだ。治郎松の顔は、赤から青に変わった。「このど阿呆、百姓の一の宝を井戸に投げこみくさって。もう勘弁できん。殺したるぞ」 治郎松に組みつかれながら、喜三郎は、下半身が重いのに気づいた。血が滴るのか、泥田の水が赤くにじんでいる。まともなら五十三歳の小男ぐらい投げつけるのは苦もない。が、泥田の中に傷を案じ、稲を倒すまいと気づかう弱みが受身となる。思うさま治郎松は怒号し、ひっかく、かみつく、のどをしめる。 折も折、隣の田で田草取りをしていたのは与三郎。季節の変わり目には本格的に気が狂うが、普通の時でも半分おかしい。よく金剛寺の楼門に上がったり、人の門口に坐りこんでいて、にやっと笑っている。かげで気違い与三と呼ばれる初老の男だ。騒ぎを聞きつけ、田の中をものすごい勢いで駆けつけてきた。「なんでわしだけ除け者にせんなんのやい。喧嘩やったら、わしかて入れてくれやい」 間のびした言葉。返事も待たずに、組み合っている二人の間に割って来る。与三郎はまず喜三郎を蹴りとばし、治郎松をなぐりつけた。治郎松の口から血が吹き出す。血をみて更に逆上し、治郎松は与三郎に噛みつく。異様な叫びを上げ、三つ巴で泥田をころがった。 喜三郎はようやく振りほどいて畔に上がった。与三郎の馬鹿力と執念は、いっかな治郎松を離さない。尻の痛みに呻きつつ、あきれて眺めた。急に尿意を感じた。畔をぬけて野壷まで行く気力はなかった。 そうや……この場に及んで、久し振りで喜三郎の生地むき出しの悪戯っ気が頭をもたげる。くんずほぐれつ乱闘中の泥まみれの二人の頭上から、生暖かい雨をゆっくり浴びせた。あちこちの田から百姓たちが集まってきた。すかっと気が晴れた喜三郎は、足をひきひき逃げ帰った。 留守居をしていた祖母宇能が、血泥にまみれて土間にたどりついた孫を、わけも聞かず介抱した。聞きたくても耳はほとんど通じない。 八十五歳になった宇能は、そういうことにはもう超越しているのか、清水を盥に汲んでくる。しっかりした手つきで、血と泥まみれの野良着を脱がし、体を拭き清めて着替えさせる。傷口につまった泥を洗い、焼酎で消毒し、庭から血止め草を摘んできて、汁をもみ、貼った。 喜三郎は激痛に悲鳴を上げ、涙をこぼしつつ祖母のなすままにされる。小さい時から喜三郎の側に立ってかばってくれたこの祖母にだけは、特別の甘えがあった。悪童にかえって、やり切れない胸のうちを洗いざらいぶち明け、訴えたい。分かってくれるのは、天下にこの祖母を置いて他にはないのだ。振り仰ぐ祖母の目は、早くも察したかのように涙でいっぱいだった。 荒々しく戸をひきあけて、由松が帰る。ぬっと兄の枕元に突っ立ち、癇癪筋をひきつらせてののしった。「兄やんよう、お前は、なんちゅうことをさらしたんじゃ。いやいやで田の草取りに出たと思たら、治郎松はんと気違い与三、田ん中に引きずり込んで、ようも暴れ廻りよった。そのうえ小便まで……ひ、ひっ……」 憤怒の余り声がもつれる。「せっかく大きゅうなった稲を、わやにしくさる。ほんまにわやくちゃやぞ」「すまん。わしは阿呆やった」 縮こまり、心の底から詫びた。一時の感情にまかせた活劇の舞台は、おそらくこの秋、実りを減ずるにちがいない。小百姓の上田家にとって重大問題であった。とっさの間とはいえ、治郎松や気違い与三を田の中に踏み込ませないだけの配慮が何故できなかったのか。農は国の大本などと口先では言いながら、百姓の魂を忘れていた。慙愧の思いに痛む体をねじまげ、弟に頭を下げる 腹が癒えぬ由松は、その上にも兄の肺腑をえぐる言葉を模索した。乏しい語彙を動員しても見つからぬと分かると、もどかしげに、口ぐせの言い古した悪口を吐きたてる。「尻を切られてもよう罰あてんようなやくざ神め。どぶ狸、ド狐まつった仏罰じゃ。へん、ええざまやのう」 世祢が入ってきて、物も言わずに喜三郎の傷口を調べる。宇能の応急手当に血は止まっている。ほっと肩を下ろしながら、鍬の刃型に二カ所も肉がはじけ、熱を持って腫れ上がった無残な傷口から目をそらす。「やっぱり虫の知らせはあるものや」 どかどかと座敷に上がって、汗だらけの胸元を広げ団扇を使うのは、叔父佐野清六である。後にお政後家もついていた。「今日は朝から何や胸騒ぎがしよる。穴太の方が気になってしょうがないさけ、様子を見に来たんや。お政はんに聞いたら、尻を鍬で切られたそうやないけ」「なんと、叔父さんは今度の災難をちゃんと知って来やはったんけ。妙々さまは大したものや」 由松は、日頃くさしている妙々さまを、兄貴憎さのあまりほめ上げる。お政は細い目を吊り上げ、水鼻をすすりながら喋り出した。「御先祖の応挙はんはな、金剛寺の襖に絵を描いて寄進してござる仏信者やで。御先祖はんが仏になってござるのに、神さん祀る不信心があるかいさ。吉松はんかて、さぞ冥土で迷うてはるやろ。治郎松はんにお尻切られた思たら間違いやで。穴太の観音さまが、治郎松はんの手を借りて、こらしめのために切らはったんや」「やかまし、うるさい。尻も頭もずきずきするわい。頼むさけ、早う去んでくれ」 やけくそになって、喜三郎はわめいた。「尻打たれて、頭が痛いやて。やっぱり狂うとるのう。狸のせいや。妙々はんの力で、早う追いはろたっておくれやすな」 由松が清六に頼む。清六は鷹揚にうなずいた。「どうせ喜三郎に憑いとるのはどぶ狸と狐やろ。教主さまのもったいないお言葉も聞かんと稲荷下げなんかになるさけ、こんな懲らしめ受けんなん」「稲荷下げやないて。わしが拝んどるのは、この天地をつくらはった天之御中主神さまや。親神さまや」「親神さんなら、先から妙霊教会に祀ったる。本家本元がおらはるのに、何でお前が……」「叔父さん、その話はあとにしてや……」 苦しい息の下から、喜三郎が言った。目は熱のためにうるみ、唇が乾いていた。「よしよし、じっとしとれよ。喜三が悪いんやない、憑いとる狸や狐が悪いんや。わしが今、一万回の妙々で追い出したるわい」 清六は坐り直して、妙々を声高らかに唱え出した。と、お政も負けずに、心経を唱える。声を聞きつけ、隣家のお睦婆さんが来て清六とお政の間に割って入り、負けじと法華経を上げる。南無阿弥陀仏、妙々々、南無妙法蓮華経の言霊がごっちゃになって、喜三郎に襲いかかった。頭はずきずき、耳はわんわん、世祢が真赤にのぼせた喜三郎の額に冷え手拭をおく。喜三郎は両耳に指をつめ、「惟神霊幸倍坐世」と一心に唱え始めた。 お睦婆さんが聞きつけて、「いやらしい。まだ惟神やて。病人は黙って寝とらんかい」と数珠で胸のあたりをなぐる。 汗をふりしぼって一万回の妙々を唱え終り、心経も法華経も声の続く限りは出つくす。「どうや、改心でけたか。狸は退いたやろ」と佐野清六は喜三郎の頭をこづきまわす。 おこのと治郎松が上がってきた。狭くるしい座敷は、風通しもきかぬばかり満員である。「喜三やい。うちの大事な伜を、ようひどい目にあわしてくれたなあ。うちの伜は、泥田ん中で気違い与三に睾丸にぎられて、目を廻したんやで。仏さまのおかげでようよう治まったけど、これもお前のせいやと思たら、親のわしは腹が立つわな」 世祢がさすがに腹に据えかねて、言い返した。「おこのはん、うち見とったわけやないさけ、喧嘩の原因はどちらが悪いか知りまへんで。けどなんぼなんでも、鍬の刃で二度もお尻を叩くやなんて……この通り喜三は苦しんでますがな。あやまれとは言いまへんけど、文句いわれる筋合いもないやろと思います」 おこのは顔色を変えた。「あんた、ようそんな大きな口をきいてやなあ。いくら本家か知らんが、人並みの口ききたいなら、二十円の借金返してからにしてんか」「そうや、二十円、利子つけてはよ返せやい。それがでけんいうなら、この担保の家はわしらのもんや。みんな出て行ってもらおけい」 治郎松も勢いづく。二十円はこの春、由松が博奕で負けて世祢に泣きつき、世祢が拝み倒して、家屋敷担保におこのから借りたものだった。喜三郎の知らぬことである。 由松があわてて世祢の袖を引き、世祢もしおれてうつむいた。 その時、つむじ風が舞い込んだ勢いで、琴が入って来た。小末も一緒だ。山からの帰り途、喜三郎負傷の噂を聞いたのだ。喜三郎の傷を確かめると、琴は無言で治郎松の頬を殴り倒した。治郎松はころがって、母親のおこのにしがみつく。「由松、何しとる」 おこのの叱声に、由松は背後から琴に組みつく。琴の両手の自由が効かぬとみるや、治郎松はのび上がってなぐりかかる。巨体を一振りした。治郎松と由松は、もろくも庭に投げとばされる。「くそっ、めかんち、お前も仇の片割れじゃ」 治郎松は琴をあきらめ、代わりに石田小末を殴りつけた。小末は泣きながら戸外へ走り出る。後は病床の喜三郎を忘れて、てんでにつかみ合い。 小末の訴えで、南条の駐在所から岡本巡査がサーベルを鳴らし、靴音高く入って来た。たびたび問題をおこす男ではあるが、岡本は喜三郎の人柄に好意を持っている。庭から室内を眺め廻し、そり返って治郎松を睨んだ。「治郎松はん、あんた、えらいことしたのう。喜楽はんに傷をつけた上、婦女子を殴打した。これは只事ではすまんぞ。どれ、傷の具合を見さしてもらおか」 岡本巡査は靴を脱いで座敷に上がり、喜三郎の裾をまくって仔細に傷口を調べる。「どえらいこっちゃのう。鍬で二カ所も切られとるやんけ。この深傷なら事件になるで。告訴したらどうです」 治郎松は震え上がった。両手を合せてぺこぺこしだすが、巡査はそっけない。「わしは知らん。被害者の喜楽はんの意見次第や」 治郎松はおこのと共に喜三郎の枕元に平伏、恥も外聞もなく泣き出す。「お前についとる神さんは、愛の女神やろ。金はようけ貸しとるけど、いますぐ返せとは言わん。もうちっと待ってやるさけ、喜楽の神さん、お助け下さい」「こら、なんで返事せんのや。親戚から縄つき出す気やないやろな」 株内の面々はなじる。もとより喜三郎は、事件にする気などさらにない。「わかった。わかった。頼むさけ、一人にしてくれ。寝かしといてくれい」と蒲団を頭からかぶる。 この茶番狂言の結果、表面的な反対はおさまっても、妨害は一層陰にこもるだろう、と情けなかった。
 田の草取りを終った琴と小末は、言い合わしたように小幡神社の境内に入った。社務所わきの釣瓶井戸で身を潔め、苔むした石段を上がって拝殿に祝詞を奏上、それぞれに喜三郎平癒の祈願をこめる。琴が祈り終っても、小末は合掌したままであった。静かに、琴は待った。ひぐらしの鳴きしきる社殿の森から、宵闇が忍び寄る。心なしか、小末の肩が微動している。 はっとして、小末は我に返り、きまり悪げに涙を拭く。この頃、小末が悩んでいる事に、琴は気づいていた。「どうしたん……小末はん」「……うちは駄目な女や……」 小末は新しく溢れて来る涙にむせんで言った。「お琴はん……聞いてくれてか……」 社務所の古縁に、二人は腰掛けた。激しい幽斎修行を通じて、琴と小末の心は、大河に流れ落ちる二筋の小川のように次第により添っていた。「今思うたらなあ、うち、何という事、何という母親やったろ……食うことだけ……それが暮しのすべてやった。うちのようなもん嫁にもろてくれたんは……つまり夫の看病と先妻の五つの子の世話のためやった。それでも夫がうちを頼って生きてはる思たら、うれしかったんえ。けどお腹に子が宿って大きうなる。小さな山畑耕しても穫れるもんはちょこっとやし、しまいには一日一度のうすい粥もやっと……かんにんえ、こんな陰気くさい話……」「ううん、聞かして」と言いながら、勇気づけるように、そっと小末の掌にふれる。「お腹をすかした夫は狂うたように泣きわめく……『わしを餓え死させたいんやな。みろ、お前ひとりで太りやがって……』疑うて、這うてきては、そこら探すのえ。うちや子供の分まで一粒のこらず食うては吐き、食うては吐き……」「子供は……子供はどんな気持ちで……」「あの子は一日台所の隅にかくれとった。父ちゃんとも、ただの一度も母ちゃんとも呼んでくれへん。黙りこくって、泣きもせんと……うちをにらんで指をかんどる……。ひもじかったやろ。育ち盛りの子や……愛情に餓えきっとったやろ。血を分けた母親なら、よその畑のもん盗んででも食べさせてやったはずや。抱きしめて、一緒に泣くこともでけたはずや。うち、あの子が憎らしてなあ。夫も子も捨てて、山の中でも逃げ込んで赤子を産みたい……本気で幾度思ったか知らんのえ」 琴の豊かな頬を涙が伝い落ちる。無言で、小末の手を強く握りしめていた。「食べ物を求め歩いて戻ったら、あの子が門口に坐っていて……夫は台所で冷とうなって死んではった。泣いてるそばから、心のどこかで、うちは夫の死を喜んでました。夫の弔いをすまして、産婆も頼めず、うちは一人で赤ん坊を産んだ。赤ん坊が産まれても乳はしなび切って出ん。あの子はこっそり、赤ん坊の手足をつねりにくる。乞食のように、うちは赤ん坊負うて、あの子の手を引いて、乳と食べ物もらいに村中歩きました。『乞食のめかんちが来た』いうて、うちの顔見たらみな戸を閉めはる」 吐くだけ吐き切ってしまいたい……小末は激しく息をついた。「とうとう両の眼が見えなくなった時、大阪の夫の親戚が、いやいやあの子を引き取っていった。あんなにうれしかったことおへなんだ。ほんまにせいせいして……あの時のうちは、鬼や、鬼やった。人間なら持っているはずの愛のかけらもない……幸魂が死んどったのや、うちは……」 闇が心をときほぐしていくのか、小末は熱情をこめて喋り続ける。「うちの産んだ子がそれからすぐ死んでしもたのも、片方しかなかった目がつぶれてしもたのもあたり前、ちっとも不思議なことやない。盲にでもならなんだら、うちの心の目は開けなんだ……」「あんたが残った片目をなくしたんは、喜楽はんを夫の亡霊と間違えたせいやし、不思議な因縁やなあ」「盲になったおかげで、うち先生に出会えたのや。あのまま家にいて餓え死んでもよかったのに、あの人や子供と共に地獄に堕ちた方がうちにはふさわしかったのに……真暗闇の中に先生は光をくれはった。うちを拾ってくれはった。明るい暖かいお傍に。お琴はんには、うちの気持ち、喜び、ほんまには分かってもらえしまへんやろ。うちにとって、先生は神さまやった。どんなに先生に迷惑がかかっても、先生のお傍にしがみついていたい。離れて生きる勇気など、ないと思とった……」 琴は、しみじみと言った。「うちなあ、初めのころ、あんたにやきもち焼いてたんえ。喜楽はんがあんまり大事にしたげてやさかい」「先生は、鏡みたいにこちらの心を映さはる。打てば響かずにはおれんお人や。死に身になってとびこめば誰かて抱きとめてしまわはる……」「根っからやさしい人やもん……」「あの子の看病に大阪へ行ってた時も、一刻も早く先生の傍に帰りたい、そのことばかり思いつめてたんや。子供の身が心配でやおへん、ちょっとでも早う穴太へ帰りたいばかりに、必死で看病したんえ。そしたらなあ、病気が治って帰ろうとしたら、あの子がうちをつかまえて、ちっちゃい声で、『母ちゃん』、あの子が……あの子が目に涙ためて……」 嗚咽を飲み込んで、小末は言った。「なんであの時、あの子を抱いてやれなんだろう。青い顔して……決して、幸せでないと分かっていながら、うちは目をつむって、振り捨ててきてしもうた。何のための幽斎修行か、あの時のうちには分かってへんかったんや」 小末は闇の中で、琴の手を握り返した。「おおきにお琴はん、聞いてくれはって、すうっとしました。うち大阪へ行かしてもらおうと思うてます。先生に会う前のうちみたいに、あの子は、誰にも愛されたことのないみじめな子なんや。あの子はうちを呼んでる。あの子を抱き取るのは、うちや。死んだ夫や子への罪滅ぼしにも……それよりもうち自身のためにも……。先生のお傍にいて、うちもようやく愛の心を取り戻せたような気がします……」 琴は深く溜息をついた。「うちなあ、小末はん、あんたの話を聞いてて、とうとう決心ができたんえ」「……」「この頃、神前に坐ると、喜楽はんが一人で西へ向かって旅だたはる姿がふっと目に映るのや」「え、お琴はんも……うちも見えるのえ」「やっぱりそうなんやなあ。うち、あの人がおらんと生きていけん、絶対もうよそにはやりとうないと、思い込んでたんや。あの人がついてて、ちゃんと審神してくれなんだら……けど、審神者は自分の心でできるんやなあ、小末はんみたいに。省みる心、直霊に見直す心さえあったら……」「……」「あの人は、誰かて愛してしまわはる。男でも、女でもや。小末はんのいうてん通り、ぶつかっていけば包んでしまう。離れるのが辛うなる。どえらい和魂のかたまりなんや。うちみたいなやきもちやきがついとったら、一生あの人は苦労せんならん。うちの愛した男は、自分一人の中にだけとじこめて、縛ってしまいたい。せっかく羽ばたこうとするあの人の足を、うちは引っぱるやろ……」「女は誰かて……うちかてそうや」 慰めるように、小末が言った。「くやしいけど、喜楽はんを自由にしたげる。ほんまにくやしいけど。どう自分で審神してみても、あの人の奥さんは、うちではあかん。そうや、喜楽はんに置いていかれん先に、うちらで置いてきぼりにしたらよいやんか。な、二人で」 小末がびっくりして、琴をのぞきこんだ。「あんたが大阪へ行ってんなら、うちも行く。一度、都会の中に身を置いて、これからの生き方を考えてみる。大阪のうちの母さんは口入れ屋やし、頼んだら、小末はん母子の食べていける職ぐらい、きっと見つけてくれはるで」「お琴はん、おおきに……」 小末の声も、明るくはずんだ。 数日寝込んでやっと熱の引いたばかりの喜三郎の病床に、晴れ晴れとした顔の琴と小末が坐った。「長い間、ほんまにお世話になりました」と小末が深く頭を下げる。「わがままばかり言うて……手こずらせまして……かんにんしておくれやす。うちら、明日大阪に発とうと思いますさけ……」と琴がいたずらっぽくほほえんだ。 こもごも頭を下げる二人に、喜三郎は呆然とした。「なんやい、二人そろうておどかしに来たか? 金なら、この通りからっ尻やぞ」 痛む尻を叩いて、喜三郎はふざける。「すみまへん。そやないと、また気が変わってしもたらあかんさけ……」「何がどうなったんやな、お琴やん、幽斎修行に愛想がつきたか」「ちがう、ちがう。第一、ここに押しかけ女房に来たんはうちやろ。二年足らずの間、ずいぶんいろんなことありましたなあ。うちみたいなわがままもんが……。でも、押しかけて来て幸せやったと思うてます。そやから、やっとのこと卒業さしてもろて、出ていくんです。うち、口入れ屋しとる大阪の母さんとこへいきます。力一杯働いて、年とった父さんに楽させてやりたい」「そうか……。来たときもえらい勢いやったが、去ぬときもあっという間やのう」「時期がきたんえ。なあ小末はん。うちら惟神に……神さまの言わはるままや。そやけど心配せんといて、うちかて大阪へ行ったら、うちにふさわしい、よい人みつけますさけ。二人ともまだ若いんやで」「分かっとる、分かっとるて。小末、お前もか」「はい。ようやく、子供の所に帰る覚悟ができました。ここにきて、うち一人救われても、大阪の子は泣いています。うちによう似た、陰気な泣き虫な子です。放っとったらしょうもないうちの二代目ができますやろ。今までのお詫びに、ここでしてもろうた幾分でも、あの子にしてやれたら……あの子に、ほんまにお母ちゃん言うてもらえる母親になりたいんです……直霊の心を忘れなんだら、きっとでけますなあ……」「でける、小末にはでける……間違うてへん」 喜三郎は涙声になった。 翌朝、二人の女は、寄り添うようにして穴太を出た。喜三郎は、足をひきひき、無理にも巡礼橋までついていった。「浪花か、遠いのう……」 思わず涙が、ぼろぼろと落ちた。琴と小末は、それを見まいとして足を早める。「わしも、傷が治ったら行くさけ、待っててくれやい……」 喜三郎が、未練たらしく叫んだ。「いけません。喜楽はんには喜楽はんの道がありますやん……」 振り向かずに、琴が叫んだ。二人は手をつないで、どちらからともなく走り出した。行く手に立ちふさがった川霧が、たちまち女たちの姿を呑んでいった。
 琴と小末がいなくなると、胸に風穴があいたように淋しかった。が、そんな感傷に浸っている時間など許されない。神から与えられた救世の使命の自覚が喜三郎を追い立てた。霊界で見た日本と世界の前途は楽観を許さぬ。それを救うには神示の教えを広めて人類を改心させるより方途がない。しかし穴太の身の廻りの人間すら教化できぬ己れに、世界の救済など大それたことがどうしてできよう。 晩夏の夜々、喜三郎は痛む心を励ましつつ小幡神社の拝殿に座して幽斎に入る。 森の青葉をさらさらと鳴らして渡る風の寂しき夜半。いつから霊界に踏み入ったのか、喜三郎はそそり立つ絶壁の岩上にいた。対する山の頂きに白髭の老翁が現われ、喜三郎を手招く。その老翁が無性に慕わしく、翼あれば飛んで行きたい。けれど鋭利な斧で両断したような絶壁から絶壁では、渡る術もない。身を乗り出して眺め渡すと、はるか彼方の谷あいに橋がかかっている。岩根木根を踏みさくみつつ、ようやく橋詰めに来た。千仭の谷間に危うくかかる天然の石橋だ。 一歩踏みだそうとする喜三郎の耳に、何者かのささやく声がする。「この橋は剣呑きわまる鬼の懸橋、渡ればお前の命はない」 向つ山からは翁がしきりに「ここへ来たれ」と叫んでいる。この橋を渡るほかはないと、喜三郎はひたむきに思った。たとえ命を奪られてもだ。 再び「危険、危険」と袖を引く囁き。振り返る刹那、鬼面八臂の魔神の姿を見た。夢中で石橋をかける。渡り終えるか否かに橋は魔神とともに轟音を上げて崩れ落ちる。 魔神はたちまち黒龍の如き黒煙と化して谷底から登り来る。黒煙の中より太い腕が出て喜三郎の襟首をつかみ、軽々と中空に投げ上げた。 喜三郎は中空を幾度かくるくる回転しながら、舞い上がり舞い降りる。落ちた山上には見覚えがあった。みすずかる信濃の国は松代の皆神山だ。初めての高熊山入山の際、霊身をもって松岡神使にともなわれたのが富士山とこの皆神山上であった。 皆神山は、重畳たる山波が蓮華の花弁のように囲繞する中央に、花芯となって孤立孤座している。山脈十字の地にそそり立つ蓮華台だ。眼下にはゆるいカーブを描いた千曲川の流れが美しく光る。 以前の老翁が忽然と現われたが、「神名をお聞かせ下さい」と問うや、煙となって消え去る。東の山の端を照らして、大きな半円の月が上りそめた。と、例の魔神が目を怒らして立ちはだかる。「お前の魂を滅ぼしてやる」と魔神は言い、あきれるほど長い醜悪な舌を出して嘲り嗤った。 神言を宣ろうともがき、あがくが、舌がつって声が出ぬ。中央に一塊の黒雲が現われ、みるみる月をのむ。闇は喜三郎を包み、不快な臭気が鼻をつく。長い剛毛の密生した腕が四方から現われ、止めどなき悪口をあびせながら代わる代わるに喜三郎の頭を打つ。「苦しいか」、「痛いか」、「往生せぬか」――。 唯一の言霊の応戦はかなわずとも、消えた老翁を力と頼んで胸中に叫ぶ。「な、なんかしてけつかんねん。かんながら神の真道を進むわしじゃ、こんなことぐらいでへこたれるけい」 はっと、自分のどなり声に気づいて驚いた。いつのまにか舌がほぐれ、円滑に言霊がまわり始めている。嬉しくなって勇気百倍、天の数歌を宣り上げれば、魔神の雄たけびはぴたりと止まり、大空を包んだ醜の黒雲は次第に薄らぐ。ほの明りに足元を見る。毛だらけの腕を震るわせた黒い魔神の姿が縮んでいくところだった。半円の月が雲を払って再び輝く。 地獄道から這い出た気分で合掌する。月は下降し、三十度の位置に留まる。月の帳を押し分けて、月光の中に揺らめき立つ神人が笑みをたたえて近寄られ、喜三郎の手を握る。瞬間、わが全身の血が湧き返り、魂のよみがえる心地で、無音の楽の清鳴りを聞く。 戸隠山の彼方に紫雲たなびき、笙の音が流れる。紫雲は一筋の雲の長い橋を作り、荘厳美麗な姫君が十六神将を従え、ゆうゆうと渡る姿が現れる。満天の星は磁石に吸い寄せられるように紫雲の橋に集まり、雲は流れて天の川となる。数万の星は黄金輝く川砂と変じ、天の川を流れる蒼々とした水は空一面の海にそそぐ。 その光景に息をのみ酔いしれるうち、背後に霊気を感じ振り返った。漆黒の八束の髭を垂らし、矛を握った男神が笑みて立つ。「何神さまですか」と喜三郎が問う刹那、ばさりと闇が目前に落ち何も見えぬ。上も下も前もうしろも真の闇、一足さえも自由にならぬ。あまりにも迅速な変わりように、ただ一人、皆神の尾の上の風に吹きさらされおののいた。 いやらしい声があたりに響かい、首筋の毛がよだつ。またしても闇を破って毛むくじゃらの大きな腕が、そこだけあやしく見せながら、喜三郎の頭を引っつかむ。 ――そうやった、問うまでもない。あのお方こそ神素盞嗚尊……。 噴き出す喜びに、「かんながらたまちはえませ」と絶叫する。腕はかき消え、皆神山を包んだ闇は大きな固まりとなって谷に落下して行く。 喜三郎はこの転変の素早さに惘然となる。笙の音が虚空を走り、琴の響きが山の尾の上を流れる。何事もなかったように紫雲の懸橋を渡り黄金の真砂を踏み給うた姫神が、十六神将を背に、たまゆらの眼前に立つ。思わず再拝すれば、紅梅が朝露にほころぶ如く姫神の唇が笑み、しとやかな御声で宣り給う。「吾は剣の神よ」 おやさしいその御姿に似ぬ御名に、喜三郎はいぶかしむ。それを察してか、姫神は凛乎として仰せられる。「八洲川の誓約の太刀にあらわれし妾は、伊都岐島姫なり。葦原の中津御国は曲神の雄たけび強し、吾が剣もて醜草を薙ぎ払いませ」 そして姫神はほほ笑まれ、「汝こそは瑞の霊の化神ぞや。三十年の後に用うる吾が宝、十六神将を捧げまつらん」「おおきに、すんまへん」と答える喜三郎の頬に感涙がしたたり落ちる。わが霊のあらん限り、神のため、世界のために尽くそうと心に誓う。姫神がうなずかれ、その真玉手をやさしく肩に触れさせ給うや、喜三郎は恍惚として天の数歌を詠み上げる。 十六神将は姫神を中に次々と勇ましく御歌を詠んで矛をふるう。その中の三首。   大日本日高見の国に天降りして       厳と瑞との道に仕えむ   神の子の住むべき地上を汚したる       八岐大蛇を言向けてみむ   山脈の十字形なす皆神の       山を守りて神代を立てむ その雄々しき言霊が天地にみなぎるや、姫神は消え、八束の髭を垂らした威厳備わる男神が中天に立つ。神将らの合掌のうち、男神は喜三郎に向かった。「われこそは神素盞嗚尊なり。汝が魂に添いて守らん」 御言葉は喜三郎の魂を震わせ、天の川の彼方にまでこだまして行く。男神は再び姫神の姿に戻られ、たゆとう紫雲を引き寄せ、その階段を踏みしめながら昇られる。続く神将らがとなえる数歌はいつかやさしい女声と変わり、喜三郎の数歌に和す。驚いて見上げると、彼らもまた十六人の女神と化し、比礼を振りつつ舞い上がる。うっとりと吾を忘れて時を移すうち、さっと吹く風に覚醒すれば、産土の社前に座していた。 暁を告げる鶏鳴が新鮮に耳朶に触れる。大前に声張り上げて神言を奏上する。かささぎが森の大樹に黎明をうたう。 素盞嗚尊の御言葉に百万の味方を得た思いで去りがたい社前を辞し、朝庭の露を踏みつつわが家に帰る。押えても押えきれぬ微笑みがこみ上げ、魂まで輝き出したかであった。 ――今のわしには友もなければ味方もない。けどかまへん、大神さまがついていてくれはる。
 いかに魂が高揚しようとも、現実はままならぬ。腹中に鎮座して守ってくれねばならぬはずの松岡天狗が、なぜか逆に喜三郎を傷つけるのだ。日照り続きで百姓が困っていると、喜三郎の肉体を人形のようにあやつり、各戸を廻らせて「何月何日に雨が降るぞう」と叫ばせる。が、その日が来ても空は日本晴れ。人の家へ押しかけて行き、「何日に客が来るから御馳走して待っとれ」と告げさせ、喜三郎を信用してその通りに接待の準備をすると待ちぼうけ。 喜三郎の理性ではそんなことはあるまいと思って黙ろうとすれば、腹の中から凝塊がこみ上げてきてのど元でふくれ上がり、息が詰まりそうな目にあわされる。苦しまぎれに口を開ければ、でたらめの予言が飛び出す。家へ帰ろうとどんなにあせっても、足は反対方向に歩くのだ。治郎松や由松は、予言がはずれる度に、それに輪をかけて触れ廻る。松岡や小松林命まで自分を破滅に導く悪神ではないかと、疑い迷った。村での喜三郎の評価は泥にまみれた。 母の世祢すら、ものを言わぬ。滅入り切った家中の重い空気が喜三郎にのしかかっていた。 人のいないところへ行きたかった。殿山に登って日没を眺め、山中を歩きまわった。夜更け小幡神社に出、孤独に堪えがたい身を冷たい石畳に置く。懐の石笛をさぐり出し、石の肌に唇をあてた。悲しみが、音色となって滲んでいく。夜の帳をゆすり、現世の被膜を幽かな波長でくぐりぬけ、徹っていく。 対するものは神しかなかった。皆神山上に降り立たれた素盞嗚尊の恋しい深いあのまなざし。よし、万人が疑い、蔑み、憎もうとも――。 喜三郎は石笛を置いた。激しい霊波を予感し、受けとめる姿勢となった。炎が走り、耳が高鳴る。「上田喜三郎、乾(北西)を指して行け。お前を待つ人がいる」 厳然ときめつける声。小松林命である。腹中の熱気をはね返して、喜三郎は抗った。「まただまさはるさけ、松岡はんも、小松林はんも信じたいけど信じられん。素盞嗚尊さまはわしの魂に引きそうて守ると言うてくれはった。あの大神さまの御神命ならば、命にかえてでも……けどあんたでは……」 涙が不覚にも語尾を震わせる。「お前を旅立たせよとの大神の命である。乾へ向かって行けい」と再びはじけるような大声。 喜三郎はちょっと黙した。素盞嗚大神の命を小松林命が伝える……だろうか。「行けと言わはるなら行きますけど、家の段取りもあるさけ、だいたい何日ぐらいの予定で……」「さあ、何日になるかのう」と小松林命はくだけた調子になり、「何日というよりも何年、何十年……いや、二度と故郷には帰れぬつもりで行け」「そら無茶苦茶でっせ。わしは上田家の跡取りや。年取った婆さんやら後家になった母さんもいてる。まだ小さい妹たちの面倒かて、長男のわしがみんならん」「祖父の吉松の遺言は、お前も宇能から聞いとろう。『喜三郎は上田家にしばりつけておけぬ因縁の子、大きくなれば養子にやれ』とな。それを思い出して、宇能も世祢もすぐあきらめるわい」 凝然として、喜三郎はつぶやいた。「……あの遺言は、まさか……小松林はんのせい……」「長い仕組みじゃったわい。それもこれもこの日この時の為じゃ」「そうか、松岡はんのでたらめの予言も……」「お前は一筋縄ではいかんでのう。日頃神のためには身命を賭すと言いながら、家長意識のこびりついたお前のことじゃ、いざとなると家も故郷もよう捨てまい。しかしまあ、これだけ阿呆になって家人や村人の信用を失うては、いくら穴太にいとうても遠からず追い出される」「せ、せっしょうな……」「ははは……予言者故郷に容れられずという言葉もあろう。まあ、あきらめるんじゃのう」 高笑いを残して、小松林命は去って行く。まんまとはめられたかと思ったが、不思議に腹が立たぬ。それよりも、こうまでして御用に使われようとする神の摂理が嬉しかった。今までもやもやしていた心のわだかまりなぞ、まとめてすとんと谷底へ蹴落した気分である。 見上げると星が煌めいていた。故郷を捨てようと、喜三郎は決意した。それしかない、それが神意なのだ。わしを生かしてくれる地を、人を求めて西へ発とう。
 西田元吉(二十七歳)は、和歌山県日高郡上南部村の森為七次男。紀州では、昔から野鍛冶を業とする者が多かった。若くして、やはり紀州出身で、穴太に隣接する田野村奥条に鍛冶職をしている西田三蔵に弟子入り、めきめき腕を上げ、誠実な人柄と相俟って、子のない西田夫婦から絶大な信頼を得ていた。 西田三蔵が病没すると、妻いしは元吉を養子に迎え、明治三十一(一八九八)年三月十三日、入籍した。 そうなると、早く嫁を持たせたい。いしは先代佐野清六の娘、つまり喜三郎の亡き父吉松の妹になる。できれば自分と血のつながる娘を嫁にと望み、吉松の長女雪(十七歳)を候補に選んだ。 申し込みを受けた世祢は快諾した。長男喜三郎は幽斎修行に呆けてけったいな様子だったし、次男由松は博奕に夢中で家に寄りつかぬ。世祢もまた、娘を早晩嫁に出すなら、近くの身内にやっておいたほうが心強かった。 披露宴のなかばで、元吉は喜三郎に呼び出されて外へ出る。月光を背に、喜三郎は待ち受けていた。喜三郎は、元吉の胸ぐらをつかんで引き寄せた。「元吉、お前は紀州から出てきた因縁のある身魂やぞ。いよいよ今日からわしの義弟や。……わしはのう、高熊山に連れて行かれて、顕幽神三界の出来事を見せてもろた。過去も、未来ものう。神界では世界中の神さんが集まって会議を開いて、今度世界を立て直すことに決めはったんや。わしも神の手足としてえらい御用を命ぜられとる。わしはお前に神さまの綱がかかるのを待っとったんじゃ。元吉、力を貸してくれい」 ――うそや。女たらしの、なまくらものと評判の高い男が何ぬかしてけつかる。だまされへんぞ。 元吉もぐっと唇をへしまげる。喜三郎の眼が、かっと火を放たんばかりにせまった。「信じんやろ。が、今は信じんでも、やがて分かる。霊界であったことが、いつ現界に移ってくるか、その順序や時期の判断は難しい。わしにも分らん。けど、いつか必ずその時はくるのや」 喜三郎は眼をそらした。孤独な、滲み入るような声であった。「わしは穴太には住めん。すべて神のみ心のままやさけ……いつのことやら知らんが、わしは白い馬にも乗らんならん……行きともない蒙古にも行かんなん……」「……」「すまなんだのう。花嫁が待っとるやろ。行ってやってくれ……」 喜三郎にうながされ、一度も口開かぬままに、元吉は宴に戻った。雪が、うつむいた化粧の細面をそのままに坐っている。
 暁の光がさし初める時、喜三郎は旅支度を終えた。目覚めの早い宇能だけが、裏の小川のところまで見送ってくれた。年老いたこの祖母とは、離れがたかった。出生の秘密を打ち明けて以来、すべては神にまかせたように、宇能は何も言わなかった。今もただ耳元に一言「神さまの道を行くのや」と言っただけで、頷いてくれた。すべてを見透かしている眼であった。 治郎松の家の垣根に黄菊が匂っていた。喜三郎は歩みを止めた。赤児の産声ではないか。洩れ聞こえる無辜の命のあかし、そのほとばしりに思わず笑んだ。 ――よかったな阿栗。治郎松やおこの婆の恨みも、この産声の前に霧散してくれと、喜三郎は願った。 田野村字佐伯の郵便局(大石格之助方)に立寄って、弟幸吉(二十歳)に別れを告げた。十年の年季を終え、一年の礼奉公も半ば済んで、あけ次第家へ帰る幸吉に、あとのことを頼みたかった。  幸吉は、兄に渡す着替えの衣類を持って追って出た。金岐(現亀岡市大井町)の一面の稲田の野路で、兄の後ろ姿を見つけた。別れがたい思いで、千代川町小林の井筒屋まで幸吉はついていった。 木綿袴の裾をはね、砂塵を舞い上げて颯爽と西へ行く兄。不思議な人だと、幸吉は思う。小百姓の伜に生まれたくせして、人類救済などというドはずれた夢を抱く。石をもて村を追われ、行き先も知らぬ旅に出ながら、あの明るい瞳、自信に満ちた足取り。 少年にして教壇に立ち、異才を発揮した兄には、幼い時から憧れていた。得体の知れぬ鎮魂帰神の法にも、無条件でとび込み、夜ごと十五、六町の野辺を穴太に通った。短い間の修行であったが、兄は自分の魂をまるきり別世界へ導いてくれた。自分たち兄弟は、それぞれ小百姓の伜に似つかわしい人生を終るだろうが、長兄だけは違う。まるきり違う。由松兄や治郎松たちはむきになって、この兄を、自分たちと同じ鋳型に押しこめたいのだ。その違いが許せないのだ。 しょせん故郷には生きられぬ兄の巣立ちを送って、幸吉は街道に立ちつくした。
 喜三郎が故郷を抜け出て、どことも知れず旅立って行ったと元吉が聞いたのは、雪との婚礼の日から三、四日後であった。妹を頼む、という兄らしい言葉は、一言も聞けなかったが、元吉の胸には、あの夜、月光の下で喜三郎の残した言葉が焼きついていた。新妻との甘い語らいの中にも、夢の中にも、時によみがえっては元吉の心をとらえた。


表題:開祖初会 5巻7章開祖初会



 亀岡と八木の境に、大堰川の清流を引いた寅天堰があった。古老の伝によれば、天正年間以後の八木村に寅天長者といわれる金持ちがあり、堰を作って大堰川の水を千代川や金岐まで達せしめたという。明治の頃、寅天長者の末孫と伝えられる眼の不自由な寅さんが下山の裾に淋しく住んでいたが、明治二十六、七年没して、跡は絶えた。八木の垣内にある共同墓地は、寅天長者の屋敷跡で、二本残る老松は、隆盛当時の庭木であろうといわれている。 下山を背に、寅天堰に面して、藁ぶきの小さな茶店があった。八木の名物である唐板や飴もおいていた。 唐板は小麦粉に砂糖を入れ何かの味を加えた安物菓子であるが、美味京の八つ橋をしのぐと土地の人は誇った。だがこの菓子も明治後期には姿を消し、今は製法さえ伝えられぬという。名物の飴は薬草の地黄の汁を加えて練ったもの。京都伏見稲荷門前の名産の飴も、おそらく同じ製法であろう。 山陰街道を往来する人たちは、床几に坐って川風に吹かれ涼を入れつつ、これらの茶菓を味わう。格好の小憩所であった。 茶店の女主人、福島寅之助の妻久は、朝の清掃を終え、かぶっていた手拭いをはずした。葭簀越しに、川波がきらきら光っていた。 葭簀の外を足早に行きすぎかけ、立ち止まって、思い直したように茶店に入ってきた旅の若い男があった。男は街道の老松を見上げた。久が茶を入れて出しても、まだ気をとられたように、老松の梢を眺めていた。「お客さん、どこへ行かはります」「西や……」「どちらから来ちゃったんです」「東や……うん、穴太」 久の脳裡に、「この神を判ける者は東からあらわれるぞよ」の筆先の一文が強烈によみがえっていた。 ――東から来て西へ行く。 他人が聞けば何とも素気ないその言葉を反芻しつつ、久は男の面を吸いよせられるように見つめた。無頓着につけた貧しげな旅装束に似ぬ白皙の肌。切れ長の深い瞳。ただの百姓や車力、商人にはない気品が漂っている。「あの松に、何ぞ見えまっしゃろか」 久は、試してみたかった。男はようやく、よく質問したがる中年の茶店の女主人を見返した。ふっくらした丸顔をそらせて、久は執拗だった。「さっき街道でも、あんたはん、立ち止まって見てはったあの松ですわな。枝ぶりがよろしおすやろ。あの松の枝に何か……」 上田喜三郎は、人なつっこく笑って、「ここを通りかかった時に、金色の光がぴかっと目に入ったんや。川波の反射のせいかも知れんと立ち止まって見たが、確かに、あの松の枝の辺りが賑々しい。神霊の宿る霊木にちがいない思うて、ここに休ませてもらいました」「やっぱりなあ、母さんの言うちゃった通りや。この茶店を出したおととしの秋、母が来て、こう言うたんですわな。『この松の枝には金の装束つけはった神さんが鈴なりになっておられる。拝めるかい』、うちにはただ松の枝としか分かりまへん。三年の間ここを通らはる旅人さんを見てきましたけど、あの松に心を止めて下さる人はあらしまへなんだ」 久は意気込んで続けた。「あんたさんの商売をあててみましょうか。鑑定師はんでっしゃろ」「まあ、そんなような……つまり神を審神している者や。あちこちで神がかりを調べましたが、どいつも狸や狐の怪しげな奴ばかりでしたわい。けどよう分かったのう」「この前、四、五人連れで休まはった時、印地の狐か狸を調べに行くような話をしてはりましたやろ」 そう言えば、あの時は話に夢中で、茶店の女主人の存在は意識になかった。「ちょっと見てほしいものがあります。待っとくれやっしゃ」 久は奥の間から一枚書きの書きつけ数枚を持ってきて、大切そうに喜三郎に手渡した。「わたしの母は綾部の本宮に嫁入った出口直という者ですが、六年程前から艮の金神さんがかからはります。『この世は強いものがちの世、けものばかりの世になりておるから三千世界の立替え立直しせんならん。早うこの神の身上を判けよ』と叫んでますのや。これは文字もよう読めん母の手を使うて、神さまが書かしなさったお筆先です。見とくれやす。この筆先をどう思うてや」 筆先を読みくだす喜三郎の表情の動きを一つも見逃すまいと、久は身を乗り出す。その熱っぽい気迫に押されて、幾度も見直した。 拙い文字である。が、見ているうち、稚拙を越えた何かがあることに気づいた。墨をたっぷりつけた肉太の筆致。等しい筆圧、等しい速度で一気に書かれたものであろう。春の海を見るような大らかさ、温さ、それでいて力を秘めた厳しさ。確かに常人の筆ではない。 黙然としている喜三郎にしびれを切らして、久は明治二十五年からの出口直の帰神状態を、早口で喋り出した。「けれど、母にかかっている神さまを見判けてくれなさる人は、誰もありまへん。母が金光教で便利がられとるのも、艮の金神さんのためやのうて、ひどうお霊験がたつ、その病気治しの力のためです。ところが神さんは、たびたび筆先で示さはります。『わしの身上を判けてくれる者は東から来る。その者がくれば、艮の金神の道は開ける』、わたしが茶店をここに出したのも、暮らしのためとはいえ、本当はその東から来る人を探してあげたいと思うたからですんやな。三年待っても思いあたる人はおらなんだ。いまさっき、あんたはん、どちらから来たとお言いやした」「東や……東から来て西へ行く」「西のどこへ……」「さあ、乾へ行け、お前を待つ人がおるいう神さんのお告げやった……」「乾なら綾部の方角にあたりますで。わたしは三年も待ってましたわな。母さんなら、六年も、いまも、待ってます」 久は叫ぶように宣言した。「昨年の旧六月二十七日の筆先に『綾部大望ができるによりて、まことの者を神が綱をかけておるから、魂をみがきて神の御用を聞いて下されよ。今では何もわからぬが、もう一年いたしたら結構がわかるぞよ』と示されてます。そうやさかい、今年こそ神さまが綱をかけちゃった人が出て来てやと思うてましたが、それがあなたでしたんやなあ」 数限りない人々が数限りなく交錯し合うのが人生というもの。幾度交錯しようが何の意味もない出会いもあれば、すれ違ったばかりに火を発し互いの生き方を変えることだってある。福島久と出会った今が、喜三郎の後半生ばかりか、直やその一族、多くの人の運命を決定的に支配する瞬間になろうとは、知るよしもない。しかし綾部や出口直という固有名詞が、喜三郎の意識に妙に粘着する。 生まれ故郷の曽我部(穴太)、青春の一時期を埋没させた第二の故郷園部、そして出口直の住むという綾部。いずれも部がつく。まだ見ぬ綾部の地があるいは第三の故郷、神が命じ、わが魂の行きつくべき西の地点であるかも知れぬ。 直という名前も妙に符節を合わせていた。喜三郎の小学校の校長が出口直道、少年喜三郎に代用教員となる道をつけてくれた人である。最初に書生奉公に行った斎藤源治の養母が直であり、斎藤家の実力者であった。そして獣医学と牧畜の手ほどきをした井上猶吉。 おのが人生の節々になおの字がつく人があらわれる。あるいは出口直もまた……。 身の引き締まる予感であった。「折を見て行きましょう。綾部いうたら、十五、六里はありましょうなあ」「おおきに。きっと行っとくれやす……これでわたしの重荷がおりましたわな。やっと安心して、茶店をきれいに明け渡すことができますで」「茶店を明け渡す?……」 久は嬉しげに言い足した。「へえ、ここにも汽車が通るそうですで。鉄道会社の人が、こんな茶店でも買いに来てはります。内国勧業博覧会のお客さん目あてにここに茶店を出した当時は、よう繁盛しましたんえ。けど、終ったらたいしたことはございまへん。ちっちゃな子が二人もおりますさかい、茶店だけでは食べられるものやおへんなあ。主人が俥曳いて稼いでくれますさけ、何とか息がつげますのや。それがあんた、鉄道会社の人がこの五十坪の土地と茶店を、なんとまあ、二百円で買ういうとりますんやで。三年前にここの土地を買うて茶店にした時は、全部の費用を入れても五十円そこそこやったのに……」「三年で四倍になったなんて、結構なこっちゃんか」「なにが結構ですかい。わたし、二百円が千円でも売らんいうたんやな。鉄道屋が、わたしらにも断わらんと、勝手に地図に線引いちゃったんや。二百円は土地の値段やのうて、いうたら地図の上の線にかかった点の値段でっしゃろ。そんな阿呆なことが通るなら、まじめに働く気がしますかいな」「そらそやのう」「それに金さえ積めば、誰でも言いなりになると思うたかて、そうはいくかいな。『わたしらは艮の金神さまのおいいつけで、ここに店を出したんや。東から来るお人を母さんところへ連れていくまで、茶店の御用は終ってしまへん。その人が来るまでは動けしまへん』と言うたら『その人はいつ来る』と鉄道屋はせめはります。『いつ来るかわたしらに分りまっかいな。もう三年も待っとりますけど』言うたら怒っちゃって、あんた、こうおどしちゃったんやで。『もし汽車がここをよけて走ってみい。便利な汽車ができたら、みな歩かんと乗らはる。誰もこの街道を歩いて旅する人もないやろ。汽車ちゅうもんは、雷みたいな音を出して、真黒い煙を吐き出しながら、どてらい勢いで走るんじゃ。傍を走られたら、茶店の茶碗はころげる、赤児は泣く、そうなるとこの茶店は五十円どころか、二束三文にもならんがよいか』わたしは納得でけんことには承知せん性質ですよってに、『それでもよう売らん』言うてことわりましたえ」「鉄道屋も困ったやろ」「へえ、主人は俥夫ですけど侠気のある人ですよって、鉄道屋はんに泣きつかれたんやろ。夜になるとこう言いますのや。『お久や、お前の言うことはもっともや。けれど、もしここを売らなんだら、鉄道は川を渡って向こう岸にぐるんとよけて通るか、山を大方削りとって通らんならんやろ。そうなると鉄道の費用もごつう嵩むし仕上げも後れる。鉄道を利用するお客の迷惑はどてらいものじゃ。鉄道はどうでも、この山と川の迫るここを通らんなんのやさけ、あきらめて引き揚げようかい。このご時勢では、東から来る人も、汽車に乗ってまっ直ぐ綾部までつっ走らはるかも知れんでのう』……ああ、がんばっていてよかった。もうちょっとあんたが来はるのが遅れたら、どうなってましたやろ」 久は心から吐息した。 喜三郎は、冷えた茶を飲み干し、茶代を置いて立った。久が外まで送って出た。せり出した下山の裾と大堰川の堰との間には茶店の他は、狭い山陰街道の道幅があるばかりだ。その街道の川っぷちに半身をのり出している老松を惜しむように、久が言った。「この松も、茶店と運命は一緒ですんや。汽車が通る時は邪魔やさけ、捨てられるげな。いうたら、今日でお役は終ったんですやろ」 福島久の異常なまでの母への信心。一人で鉄道を向こうに回し、戦い抜かんばかりの気概。西へと歩みを移す喜三郎の胸にも、未知の世界へ踏み入れる希望と不安が激しくからみあっていた。
 園部では、まず獣医である従兄の井上猶吉を訪ねた。猶吉の家は以前の袋町(現船井郡園部町美園町)から園部大橋と宝福寺橋の間、園部川の北の小さな借家に移っていた。東隣に、金光教の園部教会がある。 猶吉は久しぶりの対面にも頬をふくらして開口一番、「神さん拝むんなら、なんで妙霊教会を信じへんねん。妙々いうのが嫌いな奴は来るな」と、喜三郎を追い出した。 その日は南陽寺岡田楚玉禅師のもとに一夜を明かした。南陽寺は、喜三郎が牧畜を止めて園部を去った翌二十九年、政治集会に寺を貸したその晩に全焼してしまい、すっかり様子が変わっていた。 和厚はいなかった。火災のしばらくのちに、家出したのだ。火災のため寺が負債に苦しむのを見て、独学で自活しようと決意したのであろう。十四歳の身で、大阪福島で五百羅漢の寺の住職をしている叔父(楚玉の弟徳英)を頼っていったという。 楚玉禅師は喜三郎の話に聞き入り、「仏教の世は終った。これからは神の道が栄えるだろう」と嘆じた。 喜三郎の足は園部にとどまった。なじみの薬屋藤坂惣三郎、その向かいの菓子製造内藤半吾を訪ねて、霊学について語り、その術を披露するうち、二人とも熱中して、そのとりこになってしまった。向かい合わせの家同士で喜三郎の身を引っぱりあい、互いに譲らぬ。 板ばさみになって困っていると、新しく入信した上本町の奥村徳次郎(四十三歳)が、座敷の提供を申し出た。裏の八畳間の離れは、園部川に臨んでいて清涼ではあるし、居心地がよかった。川を隔てて井上猶吉の家と向き合っている。 主人徳次郎は若い頃須知で奉公し、のち、ランプ・ホヤ等の行商人となって、京都市や府下一帯を廻り、昨年、ここに喫煙具の店を持ったところであった。行商で鍛えた体はいかにも細かったが、意志も体も強靭だった。 妻さい(三十六歳)は数人の子をもうけたあと、病弱となり、流産癖がついて、浴びるほどの薬をのみながら効果はなかった。子持ちの主婦の持病は、一家の難儀にちがいなかった。 喜三郎は、さいを床の間に坐らせ、鎮魂した。さいの目から見る喜三郎は、面白いことばかり言って人を笑わせるのが好きな、ほんの子供じみた若者であった。真面目くさって病気治しを頼む夫徳次郎の手前、仕方なく起き直ったのだ。それでも、何やらとなえごとが始まり出すと、ついおかしくなって、あわててうつむいてしまった。「灯明の火を」と、喜三郎は側に坐って見ている徳次郎に命じた。 徳次郎が言われるままに灯明の火をさし出す。何と喜三郎が炎に唇を当てて、すうっと大きく吸い込んだではないか。声をのんでいる徳次郎に灯明を戻すなり、喜三郎の体がとんで、さいの頭上を越え、炎が音をたてて走った。ぎゃっとさいがのけぞった。炎は喜三郎の唇から、さいの背中に向けて吹きつけられていたのだ。瞬時、喜三郎はさいの頭上をとんでかえり、元の席に座していた。「これでよし」 喜三郎は、徳次郎をかえりみて強く言った。徳次郎は手にした灯明を危うく落とさんばかりであった。思いもよらぬなりゆきに震えながら、妻のそばにいざり寄った。うつ伏している妻の背に焼けこげはなかった。抱き起こすと、さいは目をあけ、こわごわ背中に手をまわしてさぐった。「どうや、背が軽うなったやろ」 喜三郎は、いたずら小僧の目になって笑っている。ほんとうであった。次の日から床を上げて、さいは晴れ晴れと働き出していた。「そういえば、いつも背中に重たいかたまりがへばりついとるようやったのえ」と、さい。「恐れ入ったでえ。魂消たの何のって。それから家内は、三人も引き続いて子を産んだんでっせ。ともかく、喜三郎はんの霊術だけはすごい。確かなもんです。いっそあの世界統一やの、世の立替え立直しやの、ほらみたいな話はやめにして、心霊術一本でやりなはったら大成功疑いなしやが……惜しい、惜しい」 後年まで、夫妻がそう語っている。「牛乳屋の喜三やんが、神さんにならはった」 面白がって、町の人たちがなぶり半分に集まって来る。信仰する者も増えてきていた。盛り上がって来る機運を逃したくなかった。 早朝、喜三郎は、霧深い園部大橋の欄干に倚って、園部川を下って行く筏群を見やっていた。故郷を離れてきて一月近く経っている。寅天堰での福島久との固い約束を忘れたわけではない。しかし園部へ来てからの充実した一月は、この地を抜け出るいとまも与えてはくれなかった。せっかくできかかった信者を放置し、未知の綾部へ足を向ける決心がつかない。藤坂宅よりの帰途、足をのばして橋にたたずみながら、心にひっかかっている西への旅を思っていた。 当時の園部大橋はまだ木橋であった。喜三郎の背に響きをたてて人力車が行き交う。橋の袂に名物の大橋餅を売る店があり、人力車の帳場が並んでいて、客引きが盛んであった。霧に霞む一丁ほどの上流には船着場があり、黒田あたりから流される筏がどんどん着いていた。宿屋もこの辺を中心に幾つかあった。 鉄道がやがて園部まで着くというので、この古い城下町も動き出しているのだろう。汽車の煙突からふき出す焔で沿線の山が燃える、家が燃えると、本気で人々は噂していた。「鉄道ができたら客が来んようになる。一家存亡の秋や」と演説をぶって、鉄道反対に結束した宿屋もあるという。根強い反対者たちに押し切られ、園部駅は町から離れた辺鄙な場所に建つらしい。 どうあろうとも、時代の流れは急速に暮らしを変え、思想を変えずにはおかぬ。園部にも、否、全国到る地点に鉄道は走るだろうし、鉄路に乗って新しい物質文化の波は押し寄せてくるだろう。立ちおくれた精神文化は一層その差を広げ、跛行現象を強めて行くにちがいない。わしのしとることも、彼らにはただ奇妙な術に過ぎない。その霊的現象の不思議さにのみ目を奪われ本質を見きわめようとはしない彼らを、より高い神の道まで引き上げて心を開かせる力が、わしにはまだ足りないのだ――。「ちょっとすんまへんなあ……」 声をかけられてふり向くと、人力車をひいた俥夫が立っていた。霧滴にぬれてはいるが、無人の車体がつややかに光っている。「間違うたらあやまりますけど、あんたは神さまを見判けはる穴太の先生と違いまっしゃろか」「はあ、上田喜三郎ですが……」「わし、福島寅之助です。女房の久が八木で茶店をしとります。お久からあなたの特徴をよう聞いとったさけ、すぐ分かりました。街道走りながら捜しとったんですわ。それで綾部へは行ってくれはったけ」「すんまへん。まだ忙しゅうて、よう行っとらんのや」「そら、どもならんなあ。艮の金神さんは六年も前に綾部にあらわれて、見判ける者を待ったはるのやで。あんたの行かはるのはもっと西や、西や。それを園部あたりでうろちょろしてもろとったら……」 もう一声、大声できめつけたげに、寅之助は睨みつけた。ずいぶん一方的な言い種であった。しかしさほど腹が立たぬのは、太い眉の下に光る誠実そうな双眸のせいであろうか。 寅之助はもどかしげに地へ梶棒を下ろす。「さあ、乗っとくれやす。綾部までひとっ走りや」 綾部までと簡単にいうが、園部からでも十余里はあろう。いくつも峠をこさねばなるまい。それをいとわず、今から送って行こうという一徹さ。久と言い、寅之助と言い、それほどまでして母の神を見判けてもらいたいのか。 喜三郎の迷いが、ふっきれていた。ここで寅之助に出会ったのも神命にちがいない。園部は一時、目をつぶって放って行こう。「送ってもらわんでも、わしの足で歩きます」「そんならいつ……」「今から旅支度して、すぐ発ちます」「おおきに。すぐですで。頼みますで」 寅之助は嬉しげに念を押し、勢いよく俥帳場へ走って行く。 昼過ぎには、西へ向って急ぐ喜三郎の旅姿があった。観音峠の急坂をのぼりつめ、かえりみれば霧の底に園部の街並が沈んでいた。老杉しげる小向山、天神山がすがすがしく鎮まっている。 峠の石に腰掛けて、汗ばむ肌に涼風を入れる。「元伊勢へ行け」との芙蓉坊の命で勇んでこの観音峠へ登ったのは、つい昨日のような気がする。初めの高熊山入山以来半年あまり、顕界幽界共にめまぐるしく事件が巻き起こったが、やれようやくその渦中から抜け出られたか。 そんな感慨にふけっていると、羽織袴に肩いからした男が、従者を連れて登ってきた。下司熊次郎だ。従者には見覚えがあった。屋賀で狂言喧嘩をした時の若衆の一人だ。熊次郎は、ばか丁寧に頭を下げた。「こないだはどうもどうも。喜楽先生、本日はどちらへ」「ある人に頼まれて綾部へ行きまんのや」「そうけ、園部では賢い人間ばかりやさけ、だませまへんか。やっぱりなあ。山子するにゃったら、山奥の人間相手が気楽でよろしやろ」と、からんでくる。 喜三郎が園部中心に布教し始めたので、同じ園部を地盤とする熊次郎が不快がっていることは、人の噂で知っていた。「なあ、熊はん、へんなこと言わんといてくれ。わしは狐や狸に使われとるんと違うねんで。神さまの道を説くのに、なんで人をだまさなならん」「へえ、穴太で愛想つかされ、園部で叩き出されたちゅう話でっせ。わしが園部で正しい神の道を広めとるのに、あんたがきてややこし御託宣並べはるさけ、迷惑してたんや。営業妨害もええとこでっせ。けど綾部へ行かはるなら結構なこっちゃ」「綾部へ行ったかて、二、三日で帰ってくるわい」「そうはさせるけい。園部は下司市一家の縄張りじゃ、めったに神さん商売させへんで」「神さんに縄張りが通用するけい。どっちが勝つか力くらべもおもしろいのう。ところであの乳牛、元気にしとるか」と、喜三郎がからかう。「そや、喜楽はんのお相手しとれんかった。忙し、忙し、ああ忙し、とにかく先へ急ぐさけ失礼するで」 熊次郎は従者をせかして、そそくさと立ち去る。乳牛と聞くや否やの豹変ぶりに、喜三郎はふき出した。 熊次郎の後を追って峠を西に下れば水戸(現船井郡丹波町水戸)の里だ。道の片方に小さな神社があり、境内に数十本の幟がはためいていた。幟には「下司熊次郎さまへ 何々より」と派手な色合いに染め抜かれてある。幟の立つ神社わきの家に「弘法大師御夢想のお湯」と大看板がかかっていた。 参詣人らしい男をつかまえて、いわくを聞いた。ある日、神社の宮司某を下司熊次郎が訪ね、神がかりして「境内の清水の湧く大杉の根本に大師さまの像が埋まっている。掘り出して祀れば福をやる」と託宣した。半信半疑の宮司は氏子たちを集めて掘って見ると、地下二尺の所から大師像が現れた。「地の中のものまで見えるのはまさしく今弘法さまや」と熊次郎は村人の尊崇を集める。 熊次郎によれば「むかし、弘法さまがこの清水で湯をわかして入浴し、夢想された。この清水をいただけば立ちどころに御利益がある」そうだ。清水をいただき熊次郎の御託宣を聞く者、今や引きも切らずという。 苦笑するほかはなかった。宮司としめし合わせて、あらかじめ大杉の下に仏像を埋めておき、神秘めかして掘り出しただけの熊次郎の偽術であり、愚夫愚婦を集めてのあやしげな託宣で、しこたま金をかき集めているのであろう。 後日談だが、一カ月たたぬ間に熊次郎は園部警察署に引致され、五十銭の科料をとられ、会場は閉鎖される。 水戸を越え、須知(現丹波町)を過ぎて桧山(現船井郡瑞穂町)の八木清太郎の家で一泊する。清太郎は内藤半吾宅の職人であったが、年季が明けて桧山で菓子製造業を営んでいた。旧交を暖め合い、家族に神の実在を説くと、彼らは喜んで入信した。 翌朝、八木家の人々と別れて保井谷、三の宮(現船井郡瑞穂町)を過ぎ、榎峠を登った。榎峠は質志峠ともいい、瑞穂町の西北部にある峠、標高三六六・五メートル。曲折激しく質山峠と共に、綾部街道の難所だ。 柴を背負った女に出会い、綾部までの里程を問うと、「山坂三里」と答える。勇気を出して枯木峠にかかる。足は痛み、草鞋は破れる。峠をようやく登りきり、石坂道をえちえち下ると、杣人に出会った。あれからもう一里はたっぷり歩いたから、あと二里足らずやと思いつつ、再び綾部への道を問えば、「山坂三里半やなあ」と言う。失望のあまり、へなへな坐りこみたかった。 福島久の話では、出口直は、綾部から八木まで一日行程で歩くという。糸引きの出稼ぎや屑買いで、よほど足腰を鍛えぬいているのだろう。百姓・車力・牛乳配達と、小さい頃から鍛え方では人後におちぬつもりの喜三郎だ。六十余歳の老女に見ぬ先から敗けるわけにはいかない。大原、台頭(現三和町)を必死に越えて草鞋を売る店を見つけ、ようやく新しいのとはきかえた。「綾部まで確かに三里はあるで」と、店の女はまたしてもこともなげに言ったが、もう失望はしなかった。何とでもぬかせ、行きつくまでは歩くのやと、新しい草鞋をふみしめていた。 質山峠(須知山峠ともいう。現綾部市寺町)を下ったあたりに茶屋があった。茶屋の裏の杉生の下かげに小さい妙見の祠がある。六年前、母出口直の神がかりのために、まだ十歳の末娘澄が上下の豊助の手にひかれて八木へ行く途中、この妙見堂の奥の滝壼で狂気の姉大槻米が滝に打たれているのを見た所である。もとより喜三郎は知らぬこと。 茶屋をさいわい床几に腰掛け、疲れた足をもんでいると、七十ばかりのしなびた老僧が茶を運んできた。「あんた、若い男が、お上人はんにお茶を汲ませるやなんて、ほんまに果報者やで。さぞ御利益がいただけますわな」 婆が、いやみ半分、すり寄ってきて言った。喜三郎が茶代を二銭はずむと、婆は相好を崩して懐にする。 由良川が白く光って流れていた。喜三郎は、疲れを忘れて立ち止まった。川面を渡る涼風が、心の中まで洗うように吹いてくる。松の緑も深い綾部の里は、はやうす紫の夕闇に包まれはじめていた。
 紺屋の女房に案内された喜三郎が綾部裏町の伊助の倉の重い引戸に手をかけたのは、その暮れどき明治三十一(一八九八)年十月八日(旧八月二十三日)のことであった。倉の中は暗かった。無人と思えるほどひっそりとしている。「ごめんやす。出口直はんいやはりますか」 涼やかな響きの深い声がはね返ってきた。「はい、おりますで。どなたはんでござりますか」「わし、八木のお久はんに頼まれて園部からきましたんや。上田喜三郎いう者です」「まあ園部から……それは遠いところをよう来ておくれなさった。さぞお疲れでござしたやろ。すぐ灯りをつけますさかい」 ――何と若いきれいな声や。どんな娘さんがおるのやろ。覗いてみたが人影は一つ。 火打石を切る音がして、室内がゆれ、ぼうと明るくなった。喜三郎は、草鞋を脱ぎ、差し出されたすすぎ水で埃まみれの足を洗った。 十畳一間、正面に小さな神床があり、両脇にお松が供えられている。他にはとりたてて家具もないが、あたりは清潔に整えられている。 板の間の上敷に向き合うと、声の主は改めてつつましく挨拶をした。茶を入れて差し出す直の、ひっそりとした物腰に滲む高雅な気品。おぼえず喜三郎は姿勢を正し、目をみはった。確かに頭は、眩しいばかりの銀髪であった。その肌は銀髪とわかちがたいまでに白く、清らかに、しみ一つない。茶器をはなれた手が、荒いざらした木綿の着物の膝にきちっと置かれて、まなざしは深く徹るように喜三郎に向かった。 これがつい先程まで屑買いの悲惨な境遇にあったという、六十四歳の老婆であろうか。 深山の奥に初めて神と対座した時の幽かなおののきが、喜三郎によみがえった。「お久は、わたしにかかりなさる神さまを見判けてくれいと申しておりましたかえ」「はい。東から来る人を待ってなはりました。折ようわしが西むいて、穴太から出てきよりましたさけ……」「上田はん、わたしの神さまを見判けなはるのは容易なことやござりまへん。あなたはんは何神さまを信心しておいでです」「わし、今は静岡の月見里稲荷神社附属稲荷講社に所属して、霊学会を起こしていますのや」 直の表情がくもった。「稲荷講社……せっかく山坂越えておいでなはったのに、お稲荷さまでは、この神を判けてもらうことはできんのですわな。わたしは時節を待ちていたします。すまんことでござりますけど、お泊めしとうても、お稲荷さまでは、艮の金神さまが荒れなさるとかないませぬでなあ……」 直は、稲荷講社が狐を祀るものと信じていた。事実、稲荷の名で低俗な狐信心がはびこっていた。気負い立ってここまで来た喜三郎は、子供のようにふくれた。「そうですかい。そんなことなら来るやなかった。けど子供の使いやなし、このまま帰ったんではお久はんのお頼みにも答えられんさけ、今夜は宿屋へ泊まって、また出直してきますわ。稲荷講社は、お直はんの考えたはるようなものやない。あんたはんが心ならずも金光教の下についたはるようなもんで、わしもただ便宜上のことなんやが……それでは明日……」 喜三郎は立ち上がった。「待っとくれなはれ、それではあまりにすげない。八木にも済みませぬ。こんな不都合な所でございますけど、いま神さまにお断わり申して、泊まっていただきますさかい」「ああ、よかった。ほんまは、あまり銭の持ち合わせがありまへんのや」 喜三郎は告白して、首をすくめた。 直は神前に端座して、ともしびのゆらぐ中にしっとりと手を合わせた。静寂、幽遠をこえて、侵しがたい威厳が後ろ姿に満ちてくる。 喜三郎は、ひそかに審神していた。霊眼に見る直の姿は水晶のように透き徹っていて、手応えもなかった。霊を送っても直は微動もせず、激しい勢いではね返ってくるばかり。 見きわめもつかぬうちに、二人の若い女性が入ってきて、直の後に坐って礼拝した。祈り終わった直は、しばらく瞑目したなり首を傾げていたが、やっと微笑みをとり戻して喜三郎に言った。「この人たちは四方純はんに黒田清はんです。熱心に信心しとってです」 そして彼女らに向かい、「この若いお方はなあ、いま神さまにおうかがいすると、東から金神さま見判けに来てくれなはった霊学会の先生やと言いなさるのやで――」 純と清の目がぱっと輝いて、驚いたふうに喜三郎をみつめた。喜三郎はうつむいて赤くなった。女たちの視線がまぶしかったし、それよりも直の神に認められた喜びがこみあげていた。「とうとう時節が来ましたんやな。うち、足立先生にお知らせして来ますわな」 純が勢いよく立ち上がった。清も純に従った。夜道へ出ると、純ははしゃいで言った。「うちなあ、金神さまを世に出しなはる人が東から現われるということ、前から聞いとったんやけど、もっともっと年寄りかと思うてたんえ」「うちもやわあ。白い髭長うたらした仙人みたいなおじいさん……」 二人は吹き出して、足もとも軽く走り出した。足立も喜んでくれるだろうと、純は信じていた。 四方純は、直と共に広前を開いている金光教布教師足立正信と深い仲になっていた。足立の柔和な風貌、貫禄のある恰幅、そして教養など、純のこれまで見て来たそこいらの男には求められない。 足立は、但馬、奥州と派遣された先々で苦労を重ねるうち、人間の角もとれてきていた。生まれついての性格はともかく、処世術は長けた。再び綾部に戻ってからの足立は、信者の信望を得ることに努力していた。信者たちに絶対の信仰を得ている直に極力とり入ってもいた。しかし布教師でありながら、嫁きおくれた純が自分に憧憬の目を燃やすのを、ほってはおかなかった。男やもめの足立が純を後妻に迎えもせず、ひそかな関係を続けていたのは、他に考えあってのことであった。 伊助の倉から東四辻の金光教会まではひとっ走りだ。純の報告を聞いて喜ぶと思った足立は、不機嫌な顔になった。「……それで、そいつはどんな男や」「稲荷講社の霊学の先生やげな」「年寄りかい、若いかい」「それがなあ先生、ものすごう若いんですわな。肌が女みたいに白うて……」 純が清に同意を求める。「そうや。男前やなあ」 清も浮いたように調子を合わせた。「いやな奴や。生っ白い若僧になに神さまが判かろうやい。霊学の狐になど、用事ないわい。あんたらも、よその風来者に化かされなはんな」 明らかにまだ見ぬ若い男への嫉妬がある。何かへこます法はないかと一思案の後、足立は筆をとって半紙に一首認める。「さあ、この歌を持って行って、霊学の狐に見せてやりな。すぐ返しができんようなら、わしに会う資格はない。さっさと帰ってもらうこっちゃ」 純は歌を胸に抱えて、清とともに伊助の倉へ急ぐ。即座に和歌を作って相手の教養を試すという、足立の心にくいやり方が好きでたまらぬ。この和歌を見たら、きっと霊学の先生は恥じ入るだろうと、それはそれでまた楽しい想像だった。 喜三郎は、足立の和歌を見て、その意図を察した。   もみじする赤き心をうち明けて       語り合うべき時をこそ待て 筆紙を借りて、一気に返歌を認める。   真心にしばしとどめて奥山の       しかと語らん八重の神垣 純はゆっくりと二度読み上げた。よくはわからぬが、字も歌もどうやら返歌の方がたちまさっているように思える。 ――足立先生は誤解しとってんや。この返歌を見ちゃったら、気がついてやろ。こんな立派な先生二人が力を合わせて働いてくれちゃったら、艮の金神さまは世にお出ましになろう。 和歌のやり取りなど、直には分からなかった。が、遠来の客に対して顔も見せずに歌で試すという、足立の思い上がったやり方が悲しかった。「お純はん、夜道を御苦労やけど、足立先生にどうでも来ていただくように、もう一度行って来とくなはれ。そうや、お客さんにご馳走するものがないさかい、広前の柿でももいできておくれ」 足立は中村竹吉を呼び出して、密談中であった。中村が足立の老婆と子供を一時引きとって以来、二人は急速に親密になり、何かにつけて肝胆相照らす仲になっていた。 純から喜三郎の返歌を受け取った足立の顔色は変わった。「中村はん、どう思うてや。筆跡も達者やし、歌もそこそこや。こしゃくな奴、綾部に置いといたら、お直さんたらかして、何しよるか知れんで」「金光教を乗っ取って、稲荷講社にする腹やでよ。何としても追い返さなあきまへんなあ」 中村も真剣であった。純はじれったそうに口をはさむ。「足立先生、別に金光教でも稲荷講社でもかまへんやないの。艮の金神さまさえ世に出てくれちゃったら……ともかく一度会うて、先生の目で確かめてみちゃったらよいのに。お直はんが『呼んでこい』言うてやさかい、すぐ来てもらわなんだら、うちら立つ瀬があらへん」「やれやれ、お直はんか。ちぇっ、すぐ行くさかい、あんたら先に帰っとって」 足立は苦笑した。直の言葉に表立っては逆らえぬ。恋人の四方純、腹心の中村竹吉でさえ、出口直に対する信仰は絶対的である。今の地位を確保したければ、彼らの心情を尊重せねばならなかった。 清と純は提灯を下げて庭に廻り、忘れていたように縁先から断わりを言った。「ちょこっと柿もらいますで。お客はんにご馳走するもんが他にないさけ」「なんやとう」 いらいらした声で、足立はどなった。「柿もいでいきますわな。もう熟しとる頃やし」 無性に腹が立った。二人のいそいそした様子まで癇にさわった。足立は縁先にまで出てきて、大人気なくわめいた。「お前らになら、くれてやらんとは言わん。けどやなあ、どこの馬の骨か知らん奴になぞ、誰がやるかい。そんな柿、みな渋うなっちまえ」 ばたんと縁の障子を閉めた。清はくすんと笑って、純の耳に囁いた。「足立先生、荒れてはる。あんたに妬いとってやで」「そうやろか……」 純もいたずらっぽく笑い返した。 純は、足立との関係を黒田清に打ち明けていた。清は位田の黒田直助の三女、東京の蚕糸専門学校を出て、養蚕技手の資格を持った二十二歳のいわば近代女性。当然に結ばれていい純と足立の愛を祝福し、いずれは晴れてと信じていた。 直と喜三郎は、話がはずんでいた。それを耳にはさみながら、純が手早く柿の皮をむく。ふりむいて喜三郎が言った。「その柿、わしのためにむいてくれはるのやったら、せっかくですけど遠慮さしてもらいますわ」「へえ、お嫌いですか」 純が口をとがらした。「大好物です、甘柿なら。けどその柿、みな渋うなっとる。食べてみなはれ」「そんなことござへん。広前の柿は、形はちっちゃいけど、甘いですわな」 言いながら、純は実を薄くそぎとって口に入れ、妙な顔をした。別の柿もとり、味を見る。「へんやわなあ、お清はん、この柿……」 二人は意地になって味見し、吐き出しては顔を見合わせる。 足立正信と中村竹吉がやって来た。初対面の挨拶から、すでに雲行きは怪しい。足立は喜三郎を軽くあしらって横を向き、中村竹吉が肩怒らして喜三郎の経歴を問いつめる。 足立は、やがて竹吉をさえぎって、口を切った。「とにかく福島はんの頼みで綾部まで来てくれはった御好意には感謝しますわ。しかしでんなあ、あんたのお話をうかがってるとまだまだお若い。神さんというものは、山の中でちょこっと修行したり、霊学とかいうもん研究したぐらいのことで、なかなか分かるもんやない。そりゃまあ狸や狐相手なら話は別やで。けど艮の金神さまをあんた……」「お言葉を返すようやけど、神さまのことは、年の幼長でわかるもんやありまへん。しかし正直いうて、お直はんにかかったはる神さまがどえらいものや、ということはわかるけど、その正体はわしにはわからん」「そらそうやろ。艮の金神さんは、そこいらの誰にでも判かるようなちっぽけな神さまやおへん。けどまあ、あんたも神さんを調べて歩かはるのが商売やろさかい、綾部まで来て手ぶらで帰れんやろ。ここでは狭いさかい、東四辻の教会で二、三日遊んで帰っちゃったらどうや。その間に、有難い金光教の話、ゆっくり聞かしてあげるわな」 中村竹吉が、足立の言葉をつぐ。「金神さんのおかげもこの頃はよう立って、信者もどんどん増えとるとこですわな。艮の金神さんを世にお出しするのは、もう目の前や。ここには立派な金光教会がある。お稲荷はんなど持ちこんでもろても、どだい格がちがうでなあ」 清が純に囁いた。「あない言うてやけど、上田先生は、甘いはずの柿を渋柿やいうて見抜いちゃった」「そら上田先生も偉いけど、甘柿を渋うしちゃったのは足立先生やで。両方が偉い人なら、今までの先生につくのがほんまやないかしら」 恋人が大事と、純は主張する。足立が黙然と聞いている直に向き直った。「お直さん、なんぼ八木の口添えか知らんが、とび込んで来た稲荷はんを大事にしやはって、今まで苦労してきたわしらは信用されとらんみたいで、つまらん気がしますわな。この人には気の毒なけど、草鞋銭はこちらで都合しますさかい……」「かましまへん。わし、明日帰ります。頼まれて来ただけのことや。園部にはわしを必要とする人たちが待ってますさけ」 喜三郎はぶすっと言った。 腹立たしかった。まるで金光教を乗っ取りにでも来たような扱いは、心外である。ようやく霊学会の活動が緒につきかけた大事な時をさいて、福島夫妻の誠意に止みがたく、綾部まで足を運んだまでであった。「そうしなはれ。あんたみたいな有為な若者が、こんな山奥で青春を空費するもんやない。しかし先程の返歌は、なかなかお見事やった。そうや、明日は神さまの話を抜きにして、わしと敷島の道でも語り合おうやないかいな」 急になれなれしく、足立は相好をくずす。 その夜、喜三郎は伊助の倉に泊まった。幾峠を越えた疲れが一時に出て、子供のように、直のもとで深く眠った。 直の四女龍(十九歳)が帰って来たのは翌朝であった。近くの亀甲屋という料理屋に奉公しているという。初めての客にも好意の笑顔を振り向ける素直で優しい人柄がにじみ出ていた。 その朝、伊助の倉を訪ねて来た娘、東八田村字大安の小室鹿は、泣きじゃくりながら、直に訴えた。小室家は九人家族であったが、どうしたことか父母兄弟が相次いで絶え、最後に残った鹿も病気がち。毎日が淋しく不安で、ただひとり死ぬことばかり思いつめているという。 直は、鹿の話を聞き終わると、しばらく目を閉じていたが、「私が行くよりも、ちょうど折よう、よい先生が見えておりなさる。あんたはんの家屋敷にこびりついている穢れじゃが……」 直は喜三郎にむき直り、「昨日からえらいすまんことでございました。ついでのことに大安まで廻って、この人のお家を祓うてあげてはもらえまへんじゃろうか」 足立をさしおき、東から来た若者に鹿をまかせることで、直は喜三郎への信頼を表わしたのかも知れなかった。「心配ござへんで。この先生に行ってもろたら、すぐに治りますでなあ」 直の暖かい一言で事実上、鹿の病魔は退散していると、喜三郎は思った。灯がともったように明るい眸になって、鹿は喜三郎を仰いでいた。
 足弱の鹿をいたわりつつ、綾部の町を出はずれてまっすぐ北へ、紅葉の錦あざやかな大安(現綾部市中筋町大安)の小室家に着いたのは、もう昼下りであった。 小室家は資産家らしい門屋の大きな構えであったが、壁は落ち、雑草ははびこるにまかせて荒れ果て、陰惨な空気がよどんでいる。鬱積した邪気を透視して家の修祓をと喜三郎に指示した直の慧眼に、改めて心服した。隣家の鹿の伯父が出て来て、喜んで迎える。 喜三郎は床の間を清めて仮奉斎し、祓戸の大神の御降臨を願って、化け物屋敷の如く陰気漂う部屋々々をさっさと祓ってまわった。厨から厠まで余す所なく清め終わると、神前に戻って朗々と天津祝詞を奏上。 その夜は鹿と彼女の伯父の接待を受けて、泊まることとなった。すっかり気分が晴れたと嬉し涙を浮かべる鹿に神の道を説くうち、喜三郎はふと苦笑した。 ――奥山のしかと語らむ八重の神垣。 足立の挑戦を受けてとっさに認めた歌が、はからずも現実をさしていた。しかし喜三郎にとっては、寝苦しい夜となった。年若く孤独に閉ざされた娘心が、一挙に喜三郎に傾いていったから。長くこの家にとどまってほしい、かなりの資産もあれば、養子となって住んでくれと、伯父ともどもに泣きくどかれ、心ならずも引きとめられる。「あなたの病は去って健康な年ごろの娘さんにかえったのやさけ、良い配偶者を求められる心は自然です。わしは神に仕えようと念願をたてて修行中の身、他に縁ある男性と結ばれて、伊助の倉のお直はんを頼み、明るく幸せに暮らしとくれやす」 言葉を尽しても聞き入れぬ鹿の慕情をもて扱いかね、三日目の明け方、喜三郎は裏戸を開けて逃げ出すはめとなってしまう。霧深い野路を急いで山坂いくつ、以久田野に出てほっと歩みをゆるめた。由良川のほとり、位田橋のたもとの店よろず屋の床几に腰かけて一息つく。 よろず屋の主四方与平(四十歳)は魚釣具・風邪薬・喫煙具・荒物・小間物などのよろず雑貨を売るかたわら、煎餅の製造販売もして、ちょっとした茶店を出していた。妻とみ(四十一歳)は、店を手伝う一方、髪結いに歩くという多角経営である。十五歳の長女を筆頭に当歳の四男実之助まで四男三女の子持ちとなれば、食うためには精一杯知恵を働かせねばならなかった。 明治二十八年に妻とみが、二年を経て夫与平が金光教に入信し、夫婦揃って熱心に伊助の倉にもおまいりしていた。 夫が入信すれば妻が逆らい、妻が入信すれば夫が反対することの多かった当時、夫婦気を合せての信仰は稀なのだ。与平が入信した時のとみの喜びはひとしおであった。 煎餅をかじっている喜三郎の風体を見て、与平が声をかけてきた。「見かけんお人やが、どこに行きはりますんや」「裏町の出口お直はんとこですわ」 袴の膝に散った煎餅の粉を払って、喜三郎が答える。与平は嬉しげに膝をすすめた。「ほう、わしもお直はんにはえっとおかげいただいて、家内ともども信仰させてもろとるのやがええ……」 妻のとみも顔を出し、思い当たったように言う。「二、三日前にお純はんがきて言うとっちゃったけど、お直はんの所へ不思議な人が来ちゃったげな。もしかしたらあんたはんのことではござへんかいなあ」「園部から来た男いうのやったら、わしのことかも知れん」「園部、そうや、何でも東から来た若い人や言うとった……色の白い……」 とみはつくづくと見て、「やっぱしあんたはんや。そういう顔してはる」「そら珍しいお方や。よう寄ってくれちゃった。こんなとこではなんやさかい、ともかく座敷へ上がって、有難いお話でも聞かせとくれなはれ」 与平は、せきたてるようにして、喜三郎を座敷へ招じ入れる。とみがいそいそと茶を持ってくる。熱心で純朴な夫婦を相手に、しばし神についての話がはずんだ。「おじさん、おってか」 聞き覚えのある声であった。「お、お純はんか、まあ上がりなはれ。ちょうどよいところに来ちゃったなあ……」 とみが境の障子を開けた。入って来るなり、四方純は、ぎょっとした風に立ちすくんだ。「あ、あんた、もうこんなとこへ上がりこんどってや……」「ほらなあ、お純さんが言うとっちゃった不思議な人は、このお方やろ」 与平が得意げに言う。純はもどかしく与平をさえぎった。「あんたはん、足立先生をようだまさはったなあ。敷島の道語り合うやの、明日すぐ帰ぬやの言うとって。大安へこっそり何しに行っちゃったんです。ここにはちゃんと、足立正信いう立派な布教師がおってやおへんかいな」「かくれて行ったわけやない。小室鹿はんのことは、足立先生にはちゃんと歌を返して始めにことわってあるがな。あとは頼みます。鹿はんと友達になってあげとくれやす」 息をのんで、純はしばらくだまりこんだ。「ほんまや、足立先生の言うてんとおり、口のうまい、油断もすきもでけんお人や」 与平が間に立って、おろおろと純をなだめる。「そんな……なんぼなんでも、艮の金神さまを見判けに来てくれちゃった大切な先生じゃないかい」「この人の口にのったらえらいことやで、おじさん。先生は二人もいらんのや。やっとこせまとまりかけた教会に稲荷講社など持ちこんだら、どもなりまへんわな。艮の金神さまは『ようよう足立先生が表へ出してくれてやさかい、誰もこの先生かもたらあかん』言うとっちゃったえ」 好意的であった純まで、この変わりようである。喜三郎が大安に行った間に、喜三郎排撃の足立の指令は、信者末端まで行き渡ったにちがいない。福島夫妻の頼みだけではなく、神の命じた西北の地綾部に何かしら運命的な憧憬を感じて来たのは、あやまりだったか。無下にされてまでとどまらねばならぬほどの未練はない。さっさと草鞋をはき直し、与平夫婦の止めるのを振り切って、喜三郎はよろず屋を辞した。 創業間もない郡是製糸の横道を通って、裏町の伊助の倉に立ち寄った。綾部に心残りがあるとすれば、出口直にかくまで孤高の姿勢を保たせる神とは何か、見きわめ得なかったことだけである。 小室家の修祓を終えた旨を告げ、鄭重に帰郷の挨拶をすると、直は変わらぬ温顔をほころばせた。「お骨折りをおかけいたしましたなあ。こんな草深い所まで来ておくれなはったが、聞いての通り、金光教の人たちは、あまり喜んでやございまへん。まだ時節が参らんのでございましょう。時が来ましたら迎えの者をやらせますさかい、その時はどうぞ力を貸しておくれなはれ」 銀髪の頭を下げる。無理解な人たちの中にこの人を残して去る。きりっと胸が痛んだ。「御縁がありましたらまたお目にかかりますわ。ほんなお達者で」 ぺこりと頭を下げ、喜三郎はいそいで倉を出た。
 園部を通り越して、一気に八木の寅天堰まで行く。園部には喜三郎の帰りを待ちわびる人たちがいるが、まず頼まれた福島夫妻に綾部行きの顛末を語らねばすまぬと、気がせいていた。茶店には、福島久の他に、折よく寅之助も揃っていた。「綾部へ行ってきましたで。今帰ってきたとこや」「そうですか、へえ」 寅之助はぼそっと答えて、後は知らぬ顔で人力車を磨き立てている。久も苦々しげに横を向いて立とうともせぬ。先日とは打って変わった冷遇に、喜三郎は驚いた。「福島はん、どないしやはったんです。恩を着せるわけやないが、わしは、あんたらの頼みで綾部まで行ったんや。帰りはわざわざ足をのばして、ここまで報告に来た。御礼は言ってもらわんでもええが、ちょこっと挨拶ぐらい返してくれはったらどうじゃい」 拭いていた布をぽんと俥に投げ、寅之助は振り返った。昂奮に顔を充血させていた。「偉そうなこと言いなはんな。上田はん、わしは見損のうたで。あんた綾部へ行って、何してきたんじゃい。さんざ金光教の中をかき廻しくさって……迷惑じゃんか。わしはそんなことまで頼んだ覚えはないど」「……」 久は咎める口調でまくしたてた。「あんたは知らんやろけどなあ、今朝早うに、足立先生が来やはったわな。『なんであんな奴を寄こした』言うて、さんざん叱られてしもた。『上田いう奴は日本一の馬鹿者や』言うたはったえ。あんたのおかげで、せっかくひとつにまとまりかけた教会が、むちゃくちゃに荒らされたげななあ」「はあ、なるほど……それで足立はんはどこにおってや」 喜三郎はやわらかく聞いた。「島原教会の杉田先生に、あんたのこと報告に行かはったわい。ほんまにえらい迷惑じゃが……」 喜三郎があっさり手を引くとも知らず、誇大に騒ぎまわっているのは彼ではないか。今ごろは京都の杉田政治郎の所で首を揃え、早速金光教としての対抗策をねっているのであろう。足立の狼狽ぶりがおかしかった。 喜三郎は、淡々と綾部でのいきさつを述べ、「時節が至れば必ず迎えの者を出すから、その時は力を貸してほしい」と直に頼まれたことを語った。 久は納得した。「やっぱりこの人は、わたしの見込んだ通りのお人かも知れん。足立先生が我を出して、上田はんを邪魔者扱いしやはったんでっせ。わたしは、はじめから上田はんがお経綸の方に間違いない、言うてましたやろ。そやのにあんたは……」「なんかしてけつかる。『あんな奴を見損なったばかりにお道の妨害をした』言うて今の今まで悔やんどったんは、お久、お前の方やないけ」 夫婦の口論を聞きながら、喜三郎はきびすを返していた。寅之助が追って来て無礼を詫び、せめて茶ぐらいと言い張ったが、それも断わって歩みつづけた。出口直にかかった神は、喜三郎が初めて対した強力な神霊にちがいなかった。その審神のための力量不足を、痛烈に省みねばならない。 ともあれ、出口直との出会いは、深く喜三郎の胸に焼きついて離れなかった。
 ――時節が来たら迎えの者をやらせますさかい、その時は力を貸しておくれなはれ。 確かにあの若者に、直はそう言った。その自分の言葉に小首を傾げていた。決して口から出まかせを言うつもりではなかったのに……むしろあの若者が去んだことに、ほっと安堵さえしているのに、何故あんなことを……その言葉が胸につかえたようで、直はこだわっていた。金光教を頼りとする心はとっくに失せていたが、さりとてお稲荷さんを頼ってその下に隷属するなど、思うだにしのびがたかった。 上田喜三郎が綾部を去って四日目、明治三十一年旧八月二十七日、直は没我のうちに書いた筆先をたどたどしく読みあげて、呆然とした。 ――出口直よ、時節がまいりたから、神のしぐみのいたしてあることが、おいおいと出てくるぞよ。お直のそばへは正真のお方がおいであそばすから、来た人をそまつなあしらい致すではないぞよ。お直はいたさねども、足立どのは男子のことであるし、我も出るし、いまでは分からねども、もうすぐになにごとも分かるぞよ。みな神がしぐみいたしてのことであるから、たれにうつりてまいろうやら、人民ではわからんから……不思議な人がみえたならば我を出さずとひっそりとお話をきくがよいぞよ。……灯台もとくらし、よそから分かりてくるぞよ。それではながらく信神いたしたおかげがないぞよ。頭をかくことが出て来るぞよ。 翌々日の旧八月二十九日には、 ――神、表に出してくださりたらば、なにほどでも人は集せるぞよ。あのおん方は、この方が引き寄したのざぞよ。神が守護のしてあること。 旧九月三十日には、 ――神のしぐみがしてあることであるから上田と申すものが出てきたならば、そこをあんばいようとりもちて、腹をあわしていたさぬと、金光どのにもたれておりたら、ものごとがおそくなりて間にあわぬぞよ。 筆先は、直の迷いを吹きはらうように、くりかえし現われていた。 旧十二月二十六日には、 ――出口直に明治二十五年に申してあること、この大もうなしぐみのいたしてあることを、世界にひとり知りておると、言いきかしてあろうがな。このことが分かりてくるぞよ。まことの人はこしらえてあるから、このまことの人が出てこんと分からんぞよ。……まことの人を西と東にたてわけて、この金神が神懸りてご用がさしてあるぞよ。 園部に帰った喜三郎からは、二度ほど手紙がきていた。文字の読めぬ直に代わって、中村竹吉が読んでくれた。 ――艮の金神を表にお出しするため、一時の方便として稲荷講社に附属してはどうか。あとの段取りは自分が引き受けるゆえ、ためらうことなくお道をひろめてくれるよう。 竹吉は、文面の大意だけを直に告げた。「これはちょこっと預からしてもらいますで」 竹吉はそそくさと喜三郎の手紙を家に持ち帰ってしまった。 直は、心せくままに、筆先を持って東四辻の教会に出た。「足立はん、これこの通り、神さまがえらいお急きなさるでなあ、この前に見えた上田という人と和合して、艮の金神さまを早う表に出しておくれなされ」 足立は、軽く筆先を読み流して直にもどし、苦っぽく言った。「あの稲荷はんとは気が合いまへん。もう半期(半年)待ちなはれ。そのうち表へ出したげる」 直は悲しみに震える唇をきっと噛みしめた。「金光さまにお世話になり出してから、もうだいぶ待ちましたわな。このままでは、神さまの御用が間に合いませんでなあ」 明治二十七年より五年の間、奥村・青木・塩見・足立と金光教の教師は入れかわったが、直を重宝がり、利用はしても、誰も真心を持って考えてくれた者はいなかった。本宮の中村竹吉、西岡弥吉(四十六歳)を訪ねても、足立と同じ言葉をくりかえすだけ。
 園部上本町の奥村徳治郎宅を拠点に、喜三郎は精力的に霊学会の拡張に専念していた。 晩秋の朝、喜三郎は園部大橋の欄干にもたれ、丹波特有の深霧に見惚れていた。人生と一緒で、霧の奥、一間先には何があるか見きわめ得ない。と思った矢先、霧を破って従兄の井上猶吉が現われた。牧場で乳をしぼった帰りらしい。「やあ、お早う」と喜三郎は、親しみをこめて挨拶する。猶吉は白い眼で睨み、「ふん、まだ神ぼけしてくさるのか」と嘲笑う。その冷ややかな声調に、頭から冷水をあびせられた気がする。「そらないで、猶やん。これでもわしは、世のため人のために必死で神さまの道を進んどるつもりや」「だまれ、なまくらな逃げ口上など聞くけい」 猶吉はどなりつけ、短躯に肩そびやかせ、立ち去る。霧に溶ける寸前の猶吉の後姿を見て、思わず喜三郎は呟く。 ――あ、えらいこっちゃ。猶やんの余命いくばくもない。 霊界にある精霊はすべて霊衣を着用しているが、現存する人間の精霊もそれぞれ同形の霊体(幽体)の上に霊衣をつけている。しかし霊眼で見た場合、生者と亡者の精霊の区別は、その霊衣で判然とする。生者は円い霊衣を一面にかぶるが、亡者のは頭部が山形に尖った三角形である。しかも腰から上のみ着し、下はない。俗間に「幽霊に足がない」というのも、この理にもとずく。 生者の徳高き人の霊衣は、きわめて厚く、大きく、光沢が強い。よく人を統御する能力を持つ。徳なき人は逆だ。また大病人は霊衣が薄くなり、頭部が山形になりかける。 喜三郎が病人を見る時、まず霊衣の厚薄と円角の程度で生死を判ずる。天下の名医が匙を投げた病人でも、霊衣が厚く光が存していれば必ず全快する。また名医が大丈夫だと断定した病人でも、霊衣が紙の如く薄くなったりやや三角形になりかけていると助からぬ。喜三郎の体験によれば、百発百中であった。 猶吉の後姿に見たものは、光沢を失いかけ薄くなりつつある霊衣であった。それを救うには本人の信仰の徳によるしかない。しかしそういう人間に限って神の道を信ぜず、かえって反発するから始末が悪い。 ――そうや、猶やんはわしの従兄や。ともかくもわしに獣医学の手ほどきをしてくれた恩師や。どんなに邪慳にされたかて、神の道に救い上げるのがわしの務めや。 罵倒した相手を追い、橋を越えて北岸に渡る。橋詰めを川沿いに東へ数軒行くと、金光教会と軒を並べた狭くるしい井上家がある。 猶吉の妻縫が、寝巻姿のまま、腫れぼったい眼で喜三郎を見、不機嫌な顔であごをしゃくった。そのあごの先で猶吉はあぐらをかき、薬包紙にせっせと牛の薬を包んでいる。隣室では三歳と四歳の女の子、生まれて何カ月かの男の子が寝ている。あんなに子ができるのをいやがっていたのに、これだけはどうにもならぬものらしい。 喜三郎は、座敷に上がりこみ、猶吉のそばに坐った。「猶やん、神の道をくさすのはかまへんで。けどせめて、わしの言うこと聞いた上でくさしてくれ。なあ、頼むわ」「きいたふうなこと、ほざくな。奥村に居候しくさって教会も持たんと、なに偉そうなことこくねん。わしんとこはのう、ちゃんと金光教会の隣に住んどるにゃぞ」「あんなちっぽけな教会、何やちゅうねん。教会のあるなしが問題やったら、将来わしがぶっ建てる教会見てくれ」「何ぬかす。獣医学も中途でやめる奴に何でけるけい。それよりちょっと手伝え」「惟神の道と営利事業をいっしょくたにしてくれるな」「あほか。金がのうて、この世で安楽に暮らせるけい」「その拝金主義があかんのや。よいけ、猶やん。信仰さえ徹底したら、金みたいなもん、必要なだけ神さんが恵んでくれはるわい」「へえ、ほんなお前はもろたんこ。そやったら何で、貧乏たらしいねん。論より証拠じゃ」「それはまだ……つまりわしの信仰が若うてまだ不徹底なさけ……」 現実を突っこまれると、喜三郎もあいまいにならざるを得ない。それを見すかした猶吉は、かさにかかって攻める。「そやろそやろ、徹底もしとらんおのれが、わしに道説く資格があるこ。お前が神さん拝んで金持ちになったら、わしかて獣医も牧畜もやめて信仰するわい。あほか、くそばか、こん畜生――」 そこまでののしられると、喜三郎の頭にもいささか血がのぼってくる。「分かった。要するに敬神家と拝金主義者では、根本的に意見が合わんのや」「そんなに嫌いな拝金主義者の家に、なんでのこのこ来さらした」 ぺっと唾を吐く。危うくよけた。ここで喧嘩したんでは、何のための訪問か分からぬ。ぐっと怒りを押えて、喜三郎は強いて微笑をつくった。「金儲けするのが悪いとは言わん。けど神さんの道を悟るのかて、悪いとは言えんやろ。わしかて金銭の奴隷になることやめて、やっとこの春から神さんの使いになったとこや」「神さんのことなら、わしの方がよっぽど知っとるわい。門前の小僧習わぬ経をよむちゅう諺ぐらい、おのれかて知っとるやろ。金光教の隣に住むわしじゃ、釈迦に説法さらすな」「わしはお前の命を助けたいんや。頼むさけ、神の道に入ってくれ。このままでは……このままではのう」「わしの命がどないやねん」「猶やんはわしの従兄や。他人ごとに思えん。そやさけ神にすがれや。今のままやと、あんたの命は十年ともたん」「な、なんやて、もう一ぺんぬかしてみい」 顔面蒼白となった猶吉は、立ち上がりざま、部屋の隅の鉄鎚を振り上げた。「こ、このがき、おどしくさって」「おどしやないて。ほんまやど。あ、危ない」 襲いかかる猶吉を危うくよけた喜三郎、土間まですっとんで草履をつっかけ、そこで尻を叩いて逃げ出した。猶吉は「ばかあ、殺してやる」とわめき、鉄鎚を棍棒に持ちかえ追っかけて来る。縫が何やら叫んでいる。 大橋を半ば南に渡って振り返る。まだ相手は対岸をよたよた走っている。その間隔は約半丁、コンパスの長さからも、もう追いつけまい。喜三郎は立ち止まり、あごをしゃくって笑って見せる。「くそったれ、舌出して笑いくさったな。ようし、地獄の底まで追っかけて、その舌引き抜いたる」と地団太ふんでいる。 橋詰めから東に走って奥村の喫煙具屋に逃げ込む。主人の徳次郎にわけを話して奥座敷にひそむと恐怖がにわかに襲ってきて、胴震いが止まらぬ。あの激怒ぶりは常軌を逸している。本当に殺されるかもしれぬ。 荒々しく、猶吉が奥村の店に踏みこんできた。徳次郎がさえぎる。「やい、ここに逃げこんだ畜生をつき出せ」「お門違いやろ。この家には畜生はおらん。畜生に用事があるなら、お前んとこの牧場に行ったらどや。棍棒持ってこれ以上入ったら、営業妨害と家宅侵入罪で訴えるで」と、徳次郎が威嚇している。 猶吉はしばらくぶつぶつ言っていたが、やがて不承不承に立ち去った。 奥の間で、喜三郎は改めて徳次郎に事情を語った。うなずきながら聞いていた徳次郎は、心配そうに告げた。「井上はんは、たしかにこの頃、おかしいらしい。ときどき逆上して、見さかいなく人を追っかけるちゅう噂です」「そうか、なんとか助けてやりたいが……」と呟きながら、障子窓を明けて川向うの井上宅に眼をやる。 喜三郎の顔面から血が引いた。対岸の彼の家の縁から、猟銃の銃口をこちらへ向けているのは猶吉ではないか。とっさに窓を閉めて伏すと、どんと銃声が響きわたり、障子が裂けて震えた。
 半狂乱の猶吉が対岸に住む限り、奥村の座敷は剣呑で使えぬ。喜三郎は黒田村(現園部町黒田)の西田卯之助の一室を借り、そこで会合所を設置した。 黒田村は園部川の流域に位置し、北方の山を背にする。山麓部の東西に七十余戸の人家が並び、東南部に耕地が広がる。西田卯之助の家は曹洞宗観音寺の近くにあった。卯之助は三十一歳、妻とみとの間に二人の幼児があり、父弥左衛門(五十九歳)も健在、弟夫婦とも同居していた。 黒田の会合所には遠近の人々が次々と訪れ、喜三郎はその応接に忙殺される。それほど霊験が立った。 卯之助の妹わさ(十九歳)が東本梅村若森(現園部町若森)の中井忠治の長男喜作に嫁いでいるが、重病で寝たっきりだという。その病気治しを卯之助に頼まれ、喜三郎は若森へ出張する。 若森は埴生の東にある寒村で、中央を園部川の支流本梅川が北西に流れる。川の北東部が山地で、川の南西に耕地と村落がある。中井家は貧しい農家であり、若い嫁に長く病床につかれたのでは、その困窮が思いやられる。 瀕死の重病といわれたわさだが、霊眼で見ると、霊衣の頭部は円形であった。喜三郎の鎮魂によって、たちどころに回復する。噂はあっという間に広がり、ここでも村人が争って訪ねて来る。あまりの訪客の多さに迷惑そうな中井家の事情を察し、喜三郎は近所の竹村義一家の一間を借り、会合所を設置する。参詣者はますます増えた。 が、困った問題があった。里という出戻り女が朝夕喜三郎の傍につきまとい、うるさく世話をやく。わずらわしさにことわっても、承知せぬ。やがて喜三郎に妙な素振りを見せ始め、はねつけてもひるまない。女難だ。喜三郎と里の噂がたちまち村中を一巡する。家主の竹村が二人の中を疑い、部屋の提供をことわってきた。 喜三郎が引き揚げ準備をしていると、村人たちが押しかけて離そうとしない。彼らの頼みでやむを得ず会合所を中井家に移し、村人たちが間に立って里の出入りをきびしく禁じた。 若森と黒田の両会合所をあわただしく行きかいながら、変転きわまりない明治三十一年の冬は暮れる。半国山おろしの雪風つめたい若森で、二十九歳の正月を喜三郎は迎えた。

表題:売僧の詐術 5巻8章売僧の詐術



 明治三十二(一八九九)年正月早々、縁起でもない目にあった。 知人に頼まれ、遠く篠山(兵庫県多紀郡)近辺まで出向いて急病人を治した帰途、日暮れて天引峠にさしかかった。源義経が一の谷に向う途中に通ったのもこの峠。古くは岩坂ともいい《続古今》に「いは坂の山の岩根のうこきなくときはかきはに苔のむす哉」とある。 この峠のかたえの辻堂で焚火にあたっていた二人の男から金を無心された。噂に聞く天引峠の賊と知ったが、喜三郎は謝礼にもらったばかりの金一円を財布はたいて渡してやった。凍てつく深夜、身もふところも寒さに震えつつ若森の里に帰りつく。 病気治しや布教ばかりでなく、この時期の若い喜三郎は霊的体験を求めて、幾つも教会や憑霊をこまめに訪ね歩いている。 山城の稲荷山(標高二三二メ―トル)は東山三十六峰の最南端にあり、一の峰・二の峰・三の峰を成すので通称三ケ峰、全山が神奈備として稲荷信仰の本山となっている。伏見稲荷大社はその西麓、宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神の三神を祀る。この社はもとは渡来人秦氏の氏神であったが、今は商売人や一般市民の尊崇あつく、参道の両側には土産物店・飲食店などが立ち並ぶ典型的な門前市である。 お稲荷さんといえば赤鳥居の列を連想するが、伏見稲荷は全山各所に朱塗りの鳥居が立ち並ぶ。特に本殿後方から山腹にかけての参拝路には約二万の鳥居がすきまなく赤いトンネルを作る。鳥居には奉納者の名が信心の底深さを象徴している如くに記されている。だが喜三郎の眼には、いっそそれが人間の欲望の限りなさを強烈な朱と数で象徴しているかに映る。 ここには神域の清浄さもない。喜三郎が知りたいのは、現世利益を求める大衆のあくなき欲望を餌に肥え太る、稲荷山に巣くう霊術者たちの正体だ。 稲荷山には多くの境内社、行場にふさわしい滝、迷信者が寄って建てた数知れぬ狐塚があって、「お山詣り」と称する参詣者相手に各所に茶店が出る。喜三郎は本殿わきから根雪の残る北東への道を進んだ。権太夫滝、荒木滝を過ぎ御壱滝に来た頃には、滝壺のあたり、早くも舂く。 一月の稲荷山は初詣で参詣者が多いが、御壱滝にも人々が群れていた。彼らの熱い視線の注がれる先は、滝に打たれる三、四人の修験者にまじった容貌魁偉の痩せた初老の男だ。 中年の女性が感に耐えぬ声で、「ああ、真海さま」と身もだえる。真海の名ならば穴太にも聞こえている。俗に狐下ろしを「白さん」、狸下ろしを「黒さん」というが、この山で年をへた真海はあたりに住みつく数多の狐下ろし、つまり白さんの大親分だ。 興味を持った喜三郎は、人をかき分けて前列に出、しゃがんで見物する。 陽が落ち、滝壺のそばに置かれたランプの光が、妖しく真海の姿を浮き出させる。やがて真海は滝壺から上がり、白衣に着がえた。世話方がもったいぶった声で群衆に呼びかける。「さて皆の衆、今宵お参りになったのは、まことに福運の開けはじめでござるぞ。と申すのは、只今より生き神・真海さまの空中浮揚の神術をお目にかける。初詣のおかげは取り徳、どうぞめいめいに背負きれぬほどのおかげをいただいて帰りなされや」 真海はじろっと暗い目つきで参詣者をにらみ廻した上、やにわにランプの火屋をとり、ぱりぱりと食い始めた。参詣者はあっと息をのむ。おおいを失ったランプの炎は一月の寒風にしばし揺らいで消え、木の間から洩れる淡い月光のみが唯一の照明だ。と、不思議や真海の肉体がつるつるつると浮き始め、地上二間ほどの宙空にぴたりと止まる。この奇蹟に声を上げ、ありがた涙に鼻をすすって泣き出す者さえある。 滝しぶきを背に月光に浮く真海は、始めて甲高い声で口を開く。「いるわ、いるわ、いっぱいいるわ、肺病やみが。筑波山の〃いもり〃の黒焼きは肺の妙薬ぞ。さあ、神が授けてとらす」 宙空から小さな紙包みがぱらぱらと降ってくる。人々は先を争って拾う。頃合いを見はからって世話方が静止の声をかける。静寂が戻った時、あちこちの草むらが動いて、数匹の白狐が這い出した。 眼をみはる群衆に真海は託宣する。「われこそは三剣稲荷大明神なり。頭が高いぞ。ひかえーい」 参詣者がいっせいに平伏す。白狐見たさに頭をもたげる者でもあれば、数人の世話方がすかさず棒で押えてたしなめる。人々は頭を地にすりつけ、般若心経を上げる。その狂熱的な合唱に負けじと、欲ぼけ男女が口々に勝手なことを訴えている。 喜三郎はふき出しかけ、世話方に棒で打たれて逃げ出し、木の下闇に隠れていた。夜目のきく喜三郎には、彼らの妖術の仕かけが明らかに見てとれる。真海の空中浮揚は滝の前面にせり出す松の大枝を通した針金仕掛で引き上げたものだし、白狐と見せかけたのは、頭から足の先まで狐に似せた白布をかぶる男たちに過ぎぬ。 子供だましの詐術にのせられ、妖僧・真海を生き神と信じる愚夫愚婦ら。彼らに真海の詐術をあばいて見せるのは易い。が、彼らはあばいた者をこそ逆に非難しよう。生き神真海を人間の座に引き下ろした元凶として。 彼らは夢みていたいのだ。あばかれた現実をこそ、むりに幻だと思いこもうとしよう。それならそっとしておいてやるまで。ここばかりは人の屑のみ集まる世界の外の世界だ。 真海はおごそかに宣言する。「いよいよこの神が福授けるぞ。福ほしくば手つけを出せよ。手つけは千倍、万倍にして返してやるぞ」 薄闇に浮く白装束の真海にたちまち銀貨包みの雨が降る。真海は神官扇を顔にあて、たくみに銀貨のつぶてを避ける。 木の間がくれに揺れる提燈の灯に、世話方が何か一声叫んだ。あっというまに真海は地上に降り立ち、はっと白衣を脱ぐと下は墨染の衣、たちまち闇に溶け入る。世話方も白狐たちも素早く消え、跡はわけのわからぬ群衆ばかり。靴音と共に警官が現われ、「早く帰れ」と群衆に指示する。参詣者の後を追って警官も山を下りると、滝の音と松風ばかり淋しく響く。 あと始末を見届けねばならぬと喜三郎は、かじかむ手足をこらえてじっと現場に待つ。ややあって真海はじめ数人の男たちが提燈照らして現われ、そこここに落ち散った銀貨包みを拾い歩く。篭に集めた銀貨を数えて真海は手早く分配。その分前の多少でこと騒がしく争い合う。「なぜ警官に気をつけぬ。分前の少ないのはお前らのせいやぞ」と、とがった声で叱る真海。「針金は引かねばならず、狐には化けねばならず、こっちかてしんどいわ」と、叱られた弟子がふくれてぼやく。 思わず笑い出す喜三郎、いっせいにふり向く男たち。「誰だ、おい、つかまえろ」と真海がわめく。くっくっとまだ笑いながら、喜三郎は闇の山路を逃げ出した。追手らはこの山路に慣れっこだ。こらかなわじと、とっさに茂みに隠れてえへんと咳ばらいをする。「わっ、巡査がまた隠れとる」 一人が悲鳴を上げると、彼らはおじけた野狐そのまま、あっというまに山をかけ登って消え失せた。 門前の安宿に一夜を明かし、翌朝ものこのこおもろい芝居見物へと稲荷山に出向く。 御壱滝をさらに東に登って白滝まで来ると、四、五人の男女がおぼつかない神言を奏上しながら水を浴びている。中の白髪まじりの背の高い男が指導者らしい。 滝壺のそばで見守っている中年の男に訊くと、十余年稲荷山に住む稲荷下ろしの頭・服部準造で真海大僧正の弟子だと教えてくれた。さらにくわしい様子を探りかけたところ、当の真海が五人の弟子を引き連れてやってきた。 真海が疑わしげに喜三郎をにらむ。喜三郎はうやうやしく頭を下げて問いかけた。「失礼ですけど、あなたさまは世にも名高い真海大僧正さまと違いまっしゃろか」 とたんに真海の表情から警戒の色が消え、信者に対する優越感が鼻翼をふくらませる。「おう、そうじゃ。真海はこのわしじゃが、その方の在所は?」「へえ、わしは丹波の園部の百姓ですわ」「それぐらいのことは霊感でとくと承知やが、その方がほんまのことを言うかどうか形式的に訊いてみたまでや」「はあ、なるほど……」 おかしさをこらえれば両眼から涙がにじむ。笑い上戸の喜三郎は、それをけどられまいと懸命だ。「真海さまの御高名は、丹波の地まで鳴り響いてまっせ。それを慕うて伏見の里まで来ましたんやが、どうぞわしをお弟子の一人に加えとくれやすな」 空虚な高笑いのあと、真海は声をひそめる。「弟子入り希望者が多うて、ことわるのに往生してるのや。弟子にしてやってもよいが、膝つき(入門料)百円出せるかな」「そらもう百円ぐらい……わしの親父は丹波の大地主やけど、こないだぽっくり死にましたさけ、お弟子にさえしてもらえるんなら千円はおろか一万円でも……」 一万円と聞いたとたんに真海の態度ががらりと変わったばかりか、顔つきから声音まで微妙に変化する。「ま、まあ、そこまで道を究める覚悟がおありなら、じっくり相談に乗って進ぜよう。ここでは話にならん、こちらへござれ」 弟子たちを滝に残し、真海は滝の向いにある奥村稲荷の茶屋ヘ喜三郎を招く。この小さな茶店では最高のもてなしであろう、山海の珍味が運ばれる。一万円どころか一円の金さえ持たぬ身で尻こそばゆく感じながら、御馳走には遠慮なく舌つづみを打つ。 真海の熱っぽい神がかり談義に相槌打っていた喜三郎は、満腹したところで頃はよしと、さりげなく質問に切りかえた。「ところで真海さま、この稲荷山には、人間に化ける白狐は何匹ぐらいいますのやろ」「人間に化ける?それはあなた、白狐は白狐、人間は人間ですよ」「そうやろか。ほな白狐に化ける人間はどないです」「……」 喜三郎は瞳に力をこめて、「真海はん、ここの白狐は銀貨の分配を争うけ」と、ずばりと言う。 真海の表情が変わり、みるみる蒼ざめた。何か言おうとするが、言葉にはならぬ。「松ケ枝の宙吊りの技もなかなか見ごたえがあっておもろかったのう。もう一度ゆっくり見せてんか」 喜三郎はゆっくり立ち上がる。 畳を這って真海は喜三郎の足下にひれ伏し、涙声で訴える。「どうぞお目こぼしを……この冬を留置所に入れられたら、わたしも年やから、命が持ちまへん。今後は気をつけますで、どうぞ許しとくれやす」 にじり寄って、喜三郎の袖にすがる。喜三郎を完全に探偵と誤解したのだろう。一言も警察を出したわけでなし、誤解するのは先方さまの御勝手だ。ちょっと哀れにもなって、喜三郎は言う。「御馳走にもなったことやし、今日はこれで帰る。今度来た時は筑波山の〃いもり〃も頂くで」 卑屈に頭をかく真海を尻目に、喜三郎は奥村の茶屋を出て足早に立ち去る。 正体がばれて追手をかけられはしまいかと、急に臆病風に吹かれた。あわてていたのか木の根につまずいてこけ、膝頭を破った。血の吹き出る一寸ほどの傷口を手拭でしばって、伝法池の脇道を片足引き引き下る。 赤鳥居のトンネルの果てしなさにあきれつつ、喜三郎は昨日来の稲荷山での出来事を思い返す。文明の御代とはいえ、その反面にまた迷信が根強くしみこんでいる実態を目のあたり見た。赤鳥居に記された名は、大半が京阪神に住む富豪たちと聞く。稲荷信仰の本質である保食神(五穀をつかさどる神)を忘れ、狐にも心劣る欲深き人々が人為の狐に迷う情けなさ。一日も早く誠の神の道を伝えねばならぬと、喜三郎は足の痛みを忘れて思う。 桂川の長橋を渡り、ぬかるみをよけて左右にとび交いながら老の坂ヘとかかる。朝に夕に荷車曳いて通いつめた道だったが、雪のぬかるみ坂はひとしお厄介だ。道のわきの子安地蔵を見れば三、四人の腹ぼて女が寒空に震えてうずくまっており、ここにも迷信に縛られる女たちがと、喜三郎の胸は痛む。 眼鏡橋を渡って、近くの王子天満宮社(くらがりの宮)に立ち寄る。天満宮社の一軒おいて東が出口直の次女琴の嫁ぐ栗山家で、かつて澄がこの裏の井戸まで水汲みに通ったことなど、もとより喜三郎は知らぬ。喜三郎がこの社を訪れたのは、社務所に従兄の洋画家・田村月樵が寄留しているからだ。 田村月樵、名は宗立、別に大狂・有安十方明等の号があり、明治時代における京都洋画壇の開拓者である。弘化三(一八四六)年に丹波国園部近在で生まれた。明治十三(一八八〇)年、京都府画学校(京都市立美術大学の前身)の教授となり八年間在職、多くの青年画家を育成して京都画壇の発展に寄与した。晩年は知恩院内玄玄院に住してもっぱら日本画を画いて余生を送り、大正七(一九一八)年に七十三歳で歿した。 従兄とはいえ年が二十五歳も違うので、遊んだりしたような仲ではない。たまに会った時、絵心について教えを受けるぐらいだ。 久濶を叙すと、月樵は親しげに近況を訊く。喜三郎は「惟神の道に仕えている」と、去年春の高熊山入山以来のことを語った。堂々とした体躯に洋服をつけ、光をたたえた眼、強い意志を現わす結んだ唇にも画道一筋に生きてきた先覚者としての風貌がうかがわれる。この月樵には、喜三郎は師に対するような心になる。 無言で聞いていた月樵は、ややあって口を開いた。「喜楽さん、いっそ絵をやってみてはどうかな。あなたは希に見る才能に恵まれていると思う。僭越ながら私が手ほどきしてもいい」 二年前ならば喜三郎はその誘いにとびついたかも知らぬ。しかし今は、その蠱惑的な言葉にも動かされない。「おおきに。わしも絵の道は大好きです。けど惟神の道を進むことは神さまとわしとの固い約束ですさけ、背くわけにはいきまヘん」 月樵は深くうなずき、しみじみと言う。「初めての道を開くというのは、とても苦しいものや。あなたの参考になるかどうか、私の体験ですが……私は十歳の頃に父に連れられて上京して、南画を学びました。私の夢は、本物そっくりの絵を画くことです。そのために古社寺の名画を見て歩いたが、満足できぬ。応挙を見ても、もう一つ……」「応挙はんの写実性でも満足できなんだんですか」と喜三郎は驚く。「そうなんです。私の求めていたのは、真物そのものと違わぬ絵、いわば写真のように正確な絵でしたからね。そこで応挙や多くの画家たちが試みたように、花や鳥や昆虫や果物などを克明精密に描くことから始めたが、どうしても真物そっくりにはならん。あれは文久三(一八六三)年、私の十七歳ぐらいの頃でしたか、誓願寺(京都市中京区桜之町)境内で行なわれた興行ののぞき眼鏡や写真をみて、ほんとうに驚いた。これこそかねてから思っている真物と見える絵だというわけだ。蛸薬師の眼鏡屋に訊いたら、『あれは絵ではない。写真というて、鏡と薬品の力でこしらえたものだ』と教えてくれたのです」 写真を絵と錯覚するなど、滑稽かも知れぬが、喜三郎には笑えなかった。「何とかして写真のような絵を画きたい。惨憺たる苦労を重ねたものですよ。ある時、物には陰影があるからそれも描いてみた。画が浮き上がるように見える。ある人にそれを見せると、『いかにも真物のようだが、下の黒いものは何だ』というので、『それは影だ』と答えたら、『どうも影が大き過ぎるようだ』と批評する。とにかく人に何と言われようと、私は陰影をつけることをはじめた。今では小児でも知っていることだが、当時は西洋画も見たことはなし、全く私の独創だったわけや」 その遠くをしのぶ眼に、一途に生きた若き日の情熱の残り火がこもっている。「ある時は鼠を飼って写生した。ひどく苦心したのは、鼠の眼球の丸みです。鼠の眼球は丸く光るが、どうしてもその光が表わせない。いろいろ工夫を重ねた結果、眼球に漆を塗ってみてその艶に僅かに満足したものです。洋画のハイライトの技法など、もちろん知るよしもなかった時代のお話です」 明治五年ごろ、絵入ロンドン・ニュース社の画報通信員チャールス・ワーグマンが横浜に派遣されていることを聞き、月樵はわざわざ横浜まで出向いて教えを乞い、以来、洋画研究に精魂を打ち込む。 が、もっとも困ったのは油絵具の入手である。徳川末期の蘭画家がしたように、絵具の手製にかかる。岩物(岩絵具)といわれた鉱物絵具を油で練って使ってみたが、色はともかく乾きが悪い。鬢づけ油をまぜてみてもうまくない。そこでペンキ屋で使う乾燥料を入れる。大理石の板と同じ質の棒を用意して絵具を練る。練製はできてもチューブがない。油紙で円筒を作って練絵具を入れて絞り出す。すべてが手探りであった。「ついつまらぬ昔語りを喋ってしまった。喜楽さん、どの道にせよ、手探りで進む者の喜びと苦しみは同じやと思います。神国の前途のため大望を捨てることなく、どんな苦労があっても信じる道を究めなさい」 月樵の暖かい励ましが嬉しかった。昂揚した気分のまま、亀山城跡に立ち寄る。鉄道敷設の敷石にほとんどの城垣がつき崩され、切り売りされたという。いとけないころに見た城跡にひきかえ、みるかげもない荒れように涙する。くぬぎ林に吹く風の音さえ寒々しい。 あれは獣医学を学びに園部へ向う前だから、もう六年になる。もと士族という老翁に「わしが昔の城の姿にきっと戻す」と約束したが、現実のきびしさはいまだにわが住むささやかな巣すら持ち得ない。 むしょうに産土神が恋しくなった。昨夏、小幡神社で小松林命の神示を受け故郷を飛び出して以来、帰っていない。産土神に祈言を申し上げたい。 夕暮れの社前にぬかずいた後、敷居の高い思いで生家へ帰った。祖母も母も笑顔で迎えてくれる。八歳になった妹君がまとわりついて離れない。弟由松の姿はなかったが恐らく博奕であろう。 喜三郎はつとめて明るい話題を探って語り、家族の者を笑わした。自慢できる土産話の何一つないのが悲しかった。 翌早暁、またも小幡神社に詣で、朝の息吹きを心ゆくまで呼吸し、杜吹く風の囁きに耳を傾ける。参道に足音を聞き、ひそかに社側に隠れた。できるだけ無理解な故郷の人に顔を合わせたくなかったのだ。そっとのぞくと、欲ぼけ親父の斎藤元市である。 鈴の緒に手をかけがらがら鳴らし、賽銭を投げて、哀れな声を振りしぼる。「何とぞ産土の神さま、生まれた時からの氏子であるこの斎藤元市の願いを聞いとくれやす。欲なことは申しまへんさけ、いっぺんだけ米相場に勝たして下さいませ。このままでは山も田も家もみんなとられてしまいます。どうぞお助け下されい」 また性懲りもなく米相場をしているかと思うと、可哀そうになる。いつまでも天津祝詞をくり返して止めぬので、うつ伏して祈るすきに足音しのばせ通り過ぎようとした。だが気配を察したか、元市は頭を上げて後を向く。「あ、喜楽はん……」「お早う」と仕方なく喜三郎は声をかける。元市はさすがにばつの悪い顔をして、「さっきから聞いてたんこ」「せっかくのお祈りを邪魔したら悪い思てのう。どないやねん」「貧乏の上塗りばかりや。神さんに見捨てられたか、ありもせぬ銭を相場にかけてはとられ、もう二進も三進もいかん」 気の毒に思うが、喜三郎とてどうしてやることもできぬ。ありきたりの慰めを言って別れる。 生家を出発しようとしていると、元市から聞いたのか、旧友の上田和一郎が訪ねてくる。「おう、喜三やん、儲かるけ」 最初から冷笑ぎみだ。せっかくの懐かしい思いも、とたんに白ける。「神さんの道は商売やない。金儲けする気などあらヘん」「金があれば馬鹿が賢う見える世の中や。量見が違うど。働かずに遊んで暮らそうとするお前はずるい」「凡俗にわしの心がわかるけい」と言えば、和一郎は大口あけてあざ笑い、百姓せよとすすめる。やがて医脇秀吉という友もきて、同じことを言う。いいかげんに答えていると、そこへ由松と治郎松だ。「おい、兄貴、何うろうろさらしてけつかるねん。年寄りやお君をどないするつもりや」 続けて言いかける治郎松に、こりゃたまらんと、祖母や母への挨拶もそこそこに飛び出した。
 一月二十日ごろ、喜三郎は三たび駿河へ向った。若森会合所の神璽を下付してもらうためである。 若森を夜中発ちし、下駄ばきで凍道を歩く。芦の山峠を越えたころに東の空が白みはじめ、夕暮れようやく京都駅に着く。 夜行列車に乗り清水の月見里神社に着いたのが翌日正午。社殿で祝詞を上げるとなぜともなく胸迫り、涙があふれる。笑顔で迎えてくれる長沢雄楯やその母とよ。故郷に容れられぬ身に駿河の土地、長沢一家の愛情が嬉しい。長沢の妻かんが即席に作ってくれた焼飯がうまかった。 午後は長沢に連れられ、舟で清水湾を渡り、御穂神社に参拝する。羽衣の松の木かげに立ち、一片の雲影さえない紺碧の空、群青の海を眺めていると、丹波での数々の悩みも嘘のように思える。風強い三保の浦曲の松原をすかして、白雪をかぶった富士の霊峰を拝む。 長沢が足もとに落ちていた石を拾って喜三郎に手渡し、「珍しい石笛です。神さまがあなたに賜わったものでしょう」と言う。ありがたく拝受した。 夜は長沢一家と打ち揃ってくつろいだ。長沢の母とよは八十一歳だがまだ矍鑠、娘ひさと共に朝夕神務にいそしんでいる。とよはしきりに「わたしの子になってほしい」と言いながら、助けを求めるように長沢を見る。長沢は何となくもじもじしている。その態度が初めは解しかねたが、ひさが居づらそうに台所に立ち去るのを見て、ようやく悟った。 長沢には子供がないから喜三郎を妹ひさの養子婿にと望んでいるのだ。ひさは文久三(一八六三)年生まれだから三十七歳、いまだに独身である。喜三郎より八歳も年上であることが、切り出しかねている理由であろう。彼らの好意は謝とするが、今の喜三郎は結婚どころではない。気づかぬふりで通す。 翌朝、神璽を奉持して帰途につき、翌二十五日夕暮れに若森の里に着く。里人は大喜びで迎え、さっそく神璽を会合所に祀った。
 節分の頃であった。久しぶりに鷹栖の自宅から裏町の伊助の倉を訪ねた四方平蔵は、帰宅がおくれて、直のすすめるまま泊めてもらう気になった。直は、あたたかい芋粥を炊いて平蔵にふるまってくれた。 寒い寒い晩であった。倉の横の一面の桑畑は雪に深く埋もれていた。裸の桑の細枝をひゅうひゅう吹き鳴らして、吹雪がかけぬけていく。炬燵にぬくもって吹雪の音を聞きながら、いつか平蔵は眠りについていた。夢うつつに幾度も水音を聞いた。 夜半の二時頃、はっと目覚めて体を起こすと、またザァーッと激しい水しぶきの音がする。 ――ほとんどお休みになる間もないくらいの荒行やなあ。もったいない……。 井戸端に面した障子の隙間から外をのぞくと、星もない闇夜なのに、どうしたことか、くっきりと直の姿が浮いてみえる。ぬれた銀色の髪が頬に乱れて、ごわごわと凍えつくのまで。 あまりの不思議さに平蔵は神前を振り返り、わっと叫んだ。硫黄を燃やすような青色の火が、いつの間にか神前いっぱいに燃えさかっているのだ。恐れにわななきつつ外を見ると、今しも汲み上げた水桶を直は一気に頭上にかかげている。その時、ぱっと神前の火が消え、直の姿もみえなくなった。あとは凍えんばかりの水音のみが、ザァーッと井戸端にくだけ散った。 蒲団を頭から引きかぶって、平蔵は恐ろしさにまんじりともせず夜明けを待った。 翌朝、いつに変わらぬおだやかさで、直は粥をすすめてくれた。箸をとりつつ、おそるおそる平蔵は、昨夜の青い火の話をした。直は笑いながら、「見えましたかい。寒い夜は、いつも神界で火を焚いてぬくめて下さる。神さまは、そんなにまでしてお護り下さるのですで」「いったい、昨夜は何べんほど水行しちゃったんですかい」「七遍ほど行をさせて貰いましたのです」 こともなげに、直は言った。 雪晴れのまぶしい陽が昇っていた。平蔵は井戸端に出て見まわすと、ちょうど水が七重の層をなして盛り上がっていた。 金光教の一信者として早くから熱心な世話役であった平蔵が、はっきり神霊の実在を認めて直の力となったのは、この時からといえよう。
 二月十日は旧暦正月元旦、喜三郎は黒田会合所にいた。この日、なぜか綾部の出口直のことが思い出されてならず、初めて直あてに信書を送った。「共にあいたずさえて神業に従事しよう」と。直は文字が読めぬから、おそらくこの信書は無理解な役員によって握りつぶされるだろうと思いながらも――。 梅花のほころび初めたある日の早朝に黒田の会合所を出て、喜三郎は宣教に向う。 芦の山峠を越え猪の鼻の茶店で一服。隣の床几に腰かけていた四十がらみの貧相な男が、茶を飲みつつちらちらと喜三郎を観察している様子だ。いやらしい奴やと喜三郎が顔をそむけて番茶をすすっていると、男が話しかけてきた。「穴太までまだだいぶありますか」「いや、なんぼも。峠を越えたらじきですわ」「さよか。わしは摂丹の国境の吉野村から来ましてん」「遠方からですなあ」と喜三郎は仕方なく調子を合わせる。「ところであんたはん、なんとなく変わったお人やけど……御商売は?……」「商売ちゅうより、神さんのお道を説いとります。で、穴太へは何しに行かはるのんで……」「わしの女房がけったいな病気になったもんやさけ、ちょっくらお詣りに……」「さよか。穴太寺の観音さんやな」「そやおヘん。穴太に喜楽天狗ちゅうあらたかな神さんがいやはるそうなで、御祈祷を頼みに行くところですねん」 喜楽天狗の評刊は摂州にまで響いているらしい。しかし喜三郎がすでに穴太を退散し園部ヘ根拠を移したことは、知らぬと見える。もう少しのことで相手にむだ足を踏ませるところだったし、穴太へ行けば喜三郎の悪評に驚いて園部まで頼みにくることはあるまい。「あんたは運がええで。穴太まで足のばさんかて、ほれここに……わしが喜楽や」「やっぱりなあ。初めてあんたを見た時から、天狗はんやないかと思てたんや」 男は大いに喜び、村上五平と自己紹介し、吉野村まで来てほしいと熱心に頼む。困った人があれば救うのが使命、喜三郎は快諾し、摂丹街道を南へ向った。 山坂をたどりたどり、摂丹の国境・東加舎村(現亀岡市本梅町東加舎)の柊峠まで来た。国境を示す一本の柊の古木の下で休む。五平は煙管できざみ煙草をうまそうに吸い、柊の枝を見上げた。「喜楽先生、この柊の葉をよう見てみなはれ。北の方の葉に針があって、南の方の葉にはありまへんやろ」 たしかに五平の指摘通りだ。革質で光沢のある葉は、北技と南枝でまるきり形状が違う。北枝はふちが刺々で鋭い切れこみがあるが、南枝は針一つない丸葉だ。「ほんまやのう。なんでこんなんやろ」「つまりこういうこってすわ。丹波には鬼が棲むさけ、丹波側の北の葉は針で守っているけど、摂州は気のええもんばかりやさけ、その必要がありまヘんのや」 丹波人が聞けば頭にくるようなお国自慢をする。 峠を越えた摂州側が吉野村だ。 山を背にした五平の家は、小さいながら新築で、木の香も新しい。が、玄関をあけるや、熱の匂いが立ちこめ、さらに異様な臭気が鼻をつく。喜三郎は五平に命じて室内すべての戸を開けさせる。 五平の妻のぶは蒲団から飛び起き、どんぐり眼をむいてあぐらをかいた。陽にあたることのない太腿が白くまぶしい。その前に端座し、神言を奏上する。のぶは舌を出し、口のまわりをべろべろなめ始めた。明らかに憑霊現象だ。「村上五平の妻のぶの憑き物に訊く。その方は何者じゃ」「わしか、わしはのう、正一位稲荷大明神……」とのぶがしゃがれた太い声で答える。「嘘つけ、お前は稲荷やない。正体は豆狸じゃ」 喜三郎が高飛車にきめつけた。急所をつかれてか、のぶはいっそう眼をむき、舌の先が驚くばかり延びて、自分の顔中なめまわす。唾液で鼻もあごも頬も濡れ光る。おかしさにふき出しそうになるのをこらえ、喜三郎は口を強く結んでにらみつけた。のぶも喜三郎に習い、とがった口をぐっと結んでにらみ返す。おもむろに天の数歌を奏上すると、のぶは苦悶の表情を見せ、ついに自白を始めた。「こらえてくれ。白状するからその呪文はやめて下されませ。頭がぎりぎり締めつけられて苦しゅうてかなわん。おおせの通りおれは豆狸。裏薮に永らく棲んでいた狸です。この家を新築するために五平夫婦が薮を切ったから、おれら親子夫婦は棲むところがあらへん。しょうなしに、おのぶさんの腹に入りました。喜楽さま、ちょっと待って下され。腹がへって腹がヘって、もう物が言えまヘん」 のぶは声もかすれてしょんぼりとなる。「しゃあないやっちゃ、五平さん、飯を食わしたりいな」 五平が大きな飯櫃を抱えて出すと、のぶがその飯を土間にぶちまける。「さあ、飯や飯や、一族みんな集まれ集まれ」 のぶは生き生きと叫び、土間にとび下りて四つ這いでむさぼり食うが、その早いこと。またたくまに飯の山がのぶの腹中に消え去る。それを見ながら五平は両眼に涙たたえて嘆く。「見ての通り三升飯を三度三度食いよる。これでは貧乏所帯が持ちまへん」 満腹したのぶを正座させ、喜三郎は鎮魂にかかる。のぶは急にげらげら笑い出し、「おれは正一位稲荷大明神じゃ、さがれさがれ」「おい、狸やん、またとぼけるのかい」「この家は恒富一族が食い潰すことにきめた。他国者はかもてくれな」 ぷるりと背を向ける。「そうかい。そんならこの由を神界に奏上するからこっちを向け」 急にのぶは狼狽し、やたらに頭を下げて泣き声を上げる。「どうぞそればかりはお許し下さい。そんなことになったら、わしら一族、永遠に浮かび上がることはできまへん」「どや、狸公、この家にわざわいせんと約束したら、裏庭に祠を建てて祀ってやるが……」「へえ、わしらを祀ってもらえるなら、もう決してわざわいいたしまへん。どうぞお願いします」 喜三郎が五平に指示して裏庭に小さな祠を急造し祀ってやると、同時にのぶは回復した。 五平夫婦が去ろうとする喜三郎を引き止め、ぜひ村人のために神の教えを聞かせてくれと真剣に頼む。喜三郎はそれに応じて四、五日滞在し、近所の者に神の道を説いた。しかし感激した五平夫婦が熱をこめて神の道を宣伝して廻れば廻るほど逆効果。かえって「野狸を鎮める奴は野狸の大親玉だ」と村人たちは喜三郎の退去を迫る。 この村は熱烈な法華信者の集まりで他宗のことは聞けぬ耳なしの里、神の道を徹底的に排撃するばかりか、ついには群がり寄って家に石を投げ込む始末。 このままでは五平夫婦は村八分にされる。おのが無力を嘆きつつ、喜三郎は退散を決意する。梅かおる軒にしばしたたずんで五平夫婦と別れを惜しみ、むなしい思いで吉野村を去った。
 宮前村宮川(現亀岡市宮前町宮川)に山本平馬という稲荷下げがいると聞き、霙の降る中、喜三郎は若森会合所を出た。若森から東南へ半里ばかりの距離だから、船井郡と南桑田郡の国境を越えて、喜三郎の足ならほんのひとまたぎだ。 宮川は半国山(七七四メートル)の東北麓で本梅川のほぼ中央部、左岸に位置し、砥石を産する。山本平馬の稲荷教会は稲荷山という小山の麓にあり、山頂近くに富家稲荷を祀っていた。 案内を乞うと、白衣姿の長身の山本が顔を出す。年の頃は五十前後とみた。細面に眼がいっそう細い。喜三郎が名乗るや、とたんに警戒の色を強め、細い眼を釣ってにらみつけた。「上田はん、あんたのことは聞いとるで。ここは尊い天降白狐さまのお棲処や。狸の親玉の来るとこやない。さっさと帰んでくれ」 最初から喧嘩腰だ。「そいつは誤解や。わしは狸やない。神さまの誠の大道を開こうとする者じゃ。お前こそ白狐の肉宮やないか」と喜三郎は負けてはいない。「黙れ、どぶ狸。いま、正体を現わしたるわい」 山本が玄関の障子を開け放つと、正面に祭壇のある六畳二間ほどの広前が見え、数人の参詣者が興味深げに成行きを見守っている。祭壇わきの大麻をとると、山本はそれを打ち振り打ち振り喜三郎に迫る。唇の両端から白い唾があふれ出し、明らかに憑霊の目つきだ。般若心経を唱え、神言を奏上し、「怨敵退散」と猛り狂う。その姿のおかしさに、思わずにやっと笑いかける。ますます怒った山本は脂汗流して、声を高める。 玄関先に立ったままの喜三郎が双手を組み、天の数歌を黙誦するや、山本の動作が急にぎこちなくなり、声がかすれ始めた。次第に後ずさり祭壇まできて逃げ場を求めるように左右を見廻すが、さっと大麻から御幣に持ちかえ、だっと突き進む。喜三郎が体をよけると、山本は足袋はだしのまま山上に向って走り出す。ゆっくりと喜三郎はその後を追う。 雑木茂る細い道だ。十八の石塚があり、その前には干からびた油揚げの小片やごまめが供えられている。全体に山城の稲荷山を模倣していることは明らかだが、山も小さく淋しく、行ずる滝もない。山頂を越えて反対側に下りると、尾上に稲荷の祠があった。 祠の前で、山本は般若心経・陀羅尼品・天津祝詞と神仏混交的にあげるが、焦るほど声は上ずり、しゃがれてくる。 霙襖をすかして見れば、山本の白衣姿と重なって、白狐の霊姿が浮かび出る。喜三郎はその背後に近づき、天地の神に黙祷をささげつつ、指を前に組んで、「うん」と言霊を発射、心力こめて数歌を宣る。山本は驚いて飛び上がるや、「こんこん」と狐の声を張り上げて葦駄天走りに教会の方へ逃げ出した。 喜三郎は十八ケ所の石塚をつぎつぎ巡覧し、天の数歌を唱えて祓って廻る。神の仮面をつけて世を乱す曲津どもを祓い潔めるうち、日が輝いて霙を蹴ちらす。風が梢の霙を落として喜三郎の着衣をぬらし、枯草は裾に冷たくまといつく。 宮川稲荷教会にはたくさんの信者が集まっている気配だった。変事に急遽、招集されたのであろう。五人の世話方が笑顔をつくって喜三郎を迎えた。「先ほどは教会の先生が御無礼しました。どうぞちょっと入って、結構なお説教など聞かしとくれやす」 信者たちまでが出迎えて先程とは打って変わった様子。何となく心に染まぬ思いをしながら、ことわりかねて教会に入った。 山本が祭壇の前に床を敷き、横臥している。発熱が強く、額にびっしょり汗をかき、「上田はん、許してくれ」と囈言を言う。喜三郎が枕頭に坐って数歌を上げて鎮魂する。山本が頭を抱えて起き上がり、泣き声をしぼり出した。「かんにん、かんにん……その声聞いたら命が尽きる、ああ苦しい助けてくれー」 今こそ山本の肉体から曲霊を追い出さんと、さらに語調を強める。と、何やら口走り悶えつつ、野狐、野天狗、野狸の幽体がぽんぽんと飛び出した。世話方や信者たちが顔蒼ざめ、溜息ついて眺めている。 玄関の方が騒然となり、サーべルの音させつつ村の巡査が入ってきた。突っ立ったまま、喜三郎にとがった声を投げる。「おい、そこの男、家宅侵入の現行犯で逮捕する。出てこい」「な、なんやて、そんな阿呆な……」「教会から訴えがあった。目撃者やら証人はここにたんとおるやないけい」 むりやり引っぱりこまれて家宅侵入と決めつけられ、喜三郎は唖然として二の句がつけぬ。しょんぼりと気落ちして坐る山本に、巡査は言葉を和らげて問いかけた。「山本はんに証言してもらおう。こいつを招き入れたのか、勝手に押し入ってきたのかどっちや」「へい、ことわっとるのに、強引に入ってきました。それだけやない、病人のわしつかまえて悪態雑言の限りや」 それみたことかとしたり顔の警官に、近くの駐在所ヘ引っ張られる。無言で見送る役員信者たち、喜三郎はまんまと彼らの罠にはまったことに気付く。 駐在所で訊問を受けた。何と弁解しようが、最初から巡査は聞く耳持たぬ。 やがて駐在所の裏口に続いた土間から巡査の女房が顔をのぞかせ、夫を招く。巡査は席を立ったが、しばらくして戻ってきて、態度を改めた。「あんたの疑いが晴れた。御苦労はんやったのう。もう帰ってええで」 教会に集まった信者の一人が良心の呵責に耐えかね、ひそかに巡査を訪ねて真相を自白したのだという。迷信者の集まりの中にも、一人でも省みる心ある人がまじっていたことを、喜三郎は神に感謝した。 駐在所を出て、三丁ほど東にある宮川の妙霊教会に立ち寄った。教会長の西田清記は、喜三郎の第一回高熊山修行中、お政後家の乞いに応えて、「喜三郎は惚れた女と東に向けて駆け落ち中じゃ。失踪してから一週間目に葉書がくる」といいかげんな託宣をした人物だ。 西田は慇懃に喜三郎を迎え、茶菓を饗してくれる。懇談し、夕暮れ、霙の上がったのを幸いに辞去する。 暗くなって若森会合所に帰ると、信者たちが集まっていた。役員の市松が強ばった表情で発言した。市松は村の有力者であり、宮川にも親戚がある。「先生が狸憑きやちゅうもっぱらの評判でっせ。今日も宮川で狸の正体を現わさはったそうやな。吉野村でもその証拠を見せはった。悪いけど、この村に狸を置くわけにはいかん。出て行っとくれやす。そやけど追い出したからちゅうて仇んせいといてや、今までのよしみもあるこっちゃし……」 信者たちの眼の色を見れば、市松の個人的意見に強く押されていることが分る。村の有力者である市松に正面きって逆らう勇気がないだけだ。しかし弁解する気にもなれぬ。「よっしゃ、分かった。狸憑きやのと誤解を受けたのは、つまりはわしの不徳のいたすとこや。今すぐ荷物まとめて黒田ヘ行かしてもらいますわ」 この里に未練はなかった。駿河まで出向いて神璽を受け、心をこめて設置した会合所ではあったが、しょせん現世利益第一の人たちばかりで、誠の神の道を理解する人材はないとあきらめかけていたところだ。不毛の地に種をまくようなもの、若森は神定の地ではないと判断した。 荷物といっても風呂敷包み一つ、寒い夜道を口人峠の山坂越えて黒田へ急ぐ。こっそり別れを惜しむ信者たち一人一人の顔が浮かぶ。どこかに自分の根を下ろす地があるのか。それが目ざす黒田会合所なのか。それとも根なし草のように転々と狐狸のたぐいの中を渡り歩くのが、己れの一生なのか。 黒田会合所に着いた時には夜が明けていた。一息入れていると、若森の信者代表二人が後を追ってきた。「市松はんが反対してもかまわずに若森へ帰ってほしい」と懇請するが、喜三郎は頑として承知しなかった。
 金光教教師上仲儀太郎(五十六歳)が黒田会合所に喜三郎を訪ねてきた。 上仲は船井郡桐の庄村垣内(現園部町内林)の資産家。かつて喜三郎が牧畜を指導したこともある旧知の仲だ。その後、金光教に入信し、金光教園部支所の役員をしている。 喜三郎相手に、上仲は金光教教師らの醜さをこぼした。神道直轄金光教支所の看板を楯に衣食し、全く商売根性に成り下がっている。供え物の多寡で信者への応待が変わり、たまに病気でも治ればそれを神徳と称して搾取する。村で一、二の資産家といわれた上仲家も、おかげですっかり財産をすりヘらしたという。ついで金光教の教理の底の浅さを嘆き、霊学会の教理を求めたいという。 半日がかりで、喜三郎はじゅんじゅんと教えを説いた。上仲は感動し、ついには、金光教教師を辞して喜三郎の弟子になりたいと申し出た。喜三郎は上仲の入門を許した。 上仲の屋敷の奥の間に新たに神床を作り、造化三神を祀ることになった。吉日を選び、喜三郎が祭主をつとめて鎮座祭を執行する。祭員には黒田会合所の役員が奉仕する。三十余名が参列したが、金光教教師浅井花はじめ大半が金光教信者である。 祭典の途中、金光教支所長山中某が息せき切って駆けつけ、祭壇を背に参拝者の前に仁王立ちになって、冷笑した。かなり酒気を帯びているのか、顔面朱色だ。厳粛な空気が乱れ、騒然となる。祭典の続行もならず、喜三郎は祭主の席に着座したまま、事態の推移を見守った。 上仲が進み出て、やわらかくたしなめる。「山中さん、ここは御神前です。まずお坐りなさい。おっしゃりたいことがあるなら、お祭りが終ってからお聞きしますさけ……」「祀ったるのが正しい神さんなら、むろん三拝九拝するわい。けど邪神に頭が下げられるけい」 上仲はきっとなって山中に詰めよる。「邪神とは聞き捨てならぬ。この上仲家で邪神を祀ったといわれては世間体も悪い。なぜ邪神か教えてもらおやないか」「金光大神こそ真の神、違う神を祀るのを迷信というのや。あんたも金光教の教師をしたはった人や。それぐらいの理屈は分るやろ」「造化三神こそ真の神や。金光大神は愚人のかつぎ出した人造の神やないか」 山中は額に青筋立てて激怒した。「神さまのことがあんたなどに分かるかい。金光教の教師の家には、絶対に邪神を祀らせるわけにはいかん」「教師の役は辞任させてもろた。あんたも認めたやないか」「辞職したかも知らんがそれは人間界のこと、神さまの方では因縁の綱は切られてへん。ここは金光教の神前じゃ」「わしは金光教の神さまが悪いとは言わんが、あんたたち教師の行いに愛想が尽きたのや。金光教を信じようと霊学会を信じようと、信教は自由や。かまわんといてくれ」 両人の争いはますます激しさを加える。見かねた喜三郎は祭主の座を立ち、止めに入るが、山中は「お前みたいな邪神の教師の仲裁は受けるけい」と振り払い、いきり立つ。業を煮やした上仲は、「分らぬ男や、とにかく帰ってくれ」と力に任せて山中を神前から押し出す。非力で小男の山中は玄関口の段差につまずいて倒れる。もみ合っていっそう酒が廻ったのか、起き上がれない。「話したいことがあるなら、酔いが冷めてから来なはれ」と、上仲は興奮を押えて言うが、山中は「ざ、ざんねんしごく、く、くやしい」と歯ぎしりして涙を流す。 気の毒に思った喜三郎が抱き起こした。山中は子供のようにいやいやしながら喜三郎の手を振りほどきわめく。「よくもよくも、おれの得意を奪りやがったな」「教会は商売と違いまっせ。得意とは聞きはじめや」 こらえきれずに喜三郎がにやっと笑うと、山中は激昂した。「こいつ、人の難儀を嗤うたな。おーい、みんな、見たか見たか、やっぱり上田は邪神や、鬼や、悪魔や」 玄関先に尻をすえてどなっていたが、酔いが全身をすっかり支配したのか、首うなだれて高鼾をかき始めた。 山中を放置したまま、祭典は続行された。つつがなく終って、直会に入る。造化三神を鎮座した喜びは参拝者の顔にあふれ、お神酒を交わしながら御神徳談にはずむ。自然に話題が山中に及び、金光教信者たちの支所長への不満が口をついて出る。中でも教師の浅井花は、立場上秘めていた今までの不信感をいっきょに吐き出した。 ふと眼ざめた山中は彼らの罵りを耳にして、吾を忘れた。よろめく足を踏みしめて直会の席の上の浅井花につかみかかる。止めに入る参拝者たち。山中が死に物狂いで暴れるので、一人といえども鎮めるのは容易ではない。杯盤狼籍、茶碗の割れる音、女の金切り声。 ようやく山中を押えこむと、浅井花が泣きながら叫んだ。「もうこれではっきり決心がつきました。うちは今日限り教師を辞職させてもらいますで」 その言葉に、山中は叫び返す。「おう、そうか。上仲はやめる、浅井もやめる――いっぺんに二人の教師の辞職者を出したんでは、御本部に申しわけが立たん。わしも支所長なんかやっとられんわい」 これでは収拾がつかぬと、喜三郎が仲裁に入る。ようやく山中も冷静に返り、仲直りの懇親会を開くことになった。会場は扇屋と急遽、決定する。 扇屋は園部大橋から川へ沿って南へ一丁、さらに黒田ヘの細い旧道を西へ二丁弱の地点にある宿屋だ。向いに四、五抱えもある欅の大木があり、根が表面に大きく扇型にせり出し、よほどの樹齢のためか中が空洞になっている。宿の屋号の由来は、その大木、また根の形状にちなんだという。 扇屋の二階に三十六人が移動して懇親会が開かれた。酒が出ると座は自然に陽気になる。機嫌を直した山中は、右手に錫杖を持ち、左手に法螺貝かかえ、どら声張り上げて祭文節をうなる。山中は近江の生まれで、祭文の法螺吹き上手だ。でれんでれんと法螺貝の音は道に流れる。他の連中も負けじと思い思いに隠し芸を陳列し、ベっとりと白粉を塗った転び芸者が三筋の糸で彼らをあやつる。 この紛糾は、上仲・浅井が金光教の信仰を続けるが、霊学会もやめぬという条件で一応治まった。しかし山中の心事の浅ましさにいやけがさした信者たちは、水の流れるように金光教会から上仲の家に集まる。 上仲と浅井は上仲の屋敷に霊学会園部支部を開設し、宣伝に務めたため、参拝者の途絶えた金光教会に引きかえ、終日、道を求める者たちで賑わった。喜三郎が黒田から出張して教えを説き、遠近の人たちが集い寄る。 霊学会の隆盛を恨んだ山中は、しばしば酒を呑んで支部に押しかけ、くだらぬくだをまいて参拝者を困らす。神前に坐って、霊学会の教えを求めてきた人たちに金光大神の神徳を説く。彼らが白けるのもおかまいなしだ。上仲にしても、金光教の信仰をやめぬと約束した以上、その説教を頭から押えることはできなかった。 ある日、山中と上仲の間に金光教と霊学会との教えの優劣について争論が始まった。いつ終るとも知れぬ。喜三郎は閉口し、そっと抜け出して本町の菓子店の主人内藤半吾を訪ねた。内藤は、かつて喜三郎が園部で獣医学を学んでいたころからの知己である。彼も金光教信者の一人、喜三郎が訪問の理由を語ると、内藤は「わたしが仲裁してみよう」と申し出た。喜三郎は内藤を連れて、再び上仲家へ引き返す。 まだ論争は続いていた。温厚な内藤の言葉にも、山中は屁理屈を並べ立てて聞こうともせぬ。内藤もあきれてついに仲裁を投げ出した。 この日以来、内藤まですっかり金光教にいやけがさし、霊学会に入信して、離れ家に造化三神を奉斎する。 山中は金光教の神徳を語るより、霊学会の罵倒が仕事のようになり、ますます人が寄りつかなくなっていく