表題:豚小屋の住人 8巻1章
豚小屋の住人



 明治三十五(一九〇二)年夏、まずは浪花路の宣教の幸を祈ろうと、鬼三郎は大阪の総産土である生国魂神社を訪ねた。裏参道のなだらかな石畳を登りつめ、大鳥居をくぐり、大前に神言を宣る。生魂の杜吹く風も冷えて、夏の日ははや西空に傾いている。 拝殿の右横手に入ると、水煙の都は一望の下であった。多田琴を追って初めて浪花の地に来たのは四年前、その間にずいぶんいろいろのことがあった。綾部の人となり、出口直の末娘出口澄と結婚し、一女の父ともなった。大阪にいるはずの琴も小末も、そしていのも変わっていよう。この地のどこかで幸せに生きているだろうか。 十年の修行を積んで出直せと言った天満宮境内の老易者の言葉がよみがえってくる。 ――十年の半分にも満たぬ今、修行不足は自覚の上や。そやさけ、求めて出て、広い世間にもまれてみたいのや。 そう自分に納得させ、足を返そうとして、拝殿に跪き熱心に祈願している十五、六歳の娘に気がつく。祈り終わるのを待って、娘に問いかけた。「谷町九丁目はどっちの方でっしゃろ」「あれ、うちんとこも谷町です。よかったら御一緒に……」「そらありがたい。ところで何を熱心に祈ってはったんや」「父さんが病気ですねん」とこぼれそうな涙を押えて、娘が答えた。「そいつは生魂の神さんのお引き合わせや。よし、神さんに頼んで治してもろたる」と、人の悲しみを無視できぬ鬼三郎が申し出る。 娘は喜んで人力車をやとい、谷町九丁目の角のブラシ屋に案内した。門口まで漂う、暗く、熱っぽく、鼻をつく独特の臭い。「何か憑いとるのう」と、鬼三郎は直感を口にした。「母さん、生魂さまで出会うた神さん拝むお人え。父さんの病気、治してくれはるねんて」と、娘が遠慮っぽく母親に告げる。どうやらなさぬ仲の母娘らしい。 地肌のすけて見えるほど髪の薄い母親は、うさんくさそうに鬼三郎の風体を眺め、仕方なし娘の顔を立ててやるという風に、ぞんざいに言った。「家は真宗だすさかい、神さんはいりまへんねん。けど、せっかくやさかい、お上りやす」 鬼三郎が病床に通っただけで、痩せこけて髭ぼうぼうの病人が驚いてはね起きる。「父さん、まあ……」 母娘が茫然としている。もう何日も動かれぬ重病人なのだ。 鬼三郎は熱臭い主人を蒲団の上に坐らせ、鎮魂の姿勢をとる。神言を奏上している間に、主人は男泣きに泣き出した。憑霊の発動である。「その方は何物」「狐、きつね」「お前のほかにもう一人憑いとる。名は」「……桑名の弟……弟」「何ゆえ憑いた」 泣いていた主人は突然うなり出し、「佐吉、佐吉」と叫ぶ。そして同じ口からまるで別の声音がふき出した。「おう、わしは佐吉よ。五年前この家をとび出して桑名で失敗した時……死に病にかかって電報打ったけど……とうとう来てくれなんだ。わしを見殺しにしたやろうが」「佐吉、あんまりえ。お前さんに金を使われたばっかりに、この家がおちぶれて貧乏したん、忘れてへんやろ。恨めしいのはこっちゃやで」と妻女がいきり立つ。「後妻の身分で、お前は黙れ」「後妻でもこの家の女房だす。かまわんといて」「この恨み……家内中残らずとり憑いて殺したるわい」 まなじり決して病人をにらみつける気の強い妻女をなだめて、鬼三郎は天の数歌を唱えた。ややあって佐吉の霊は言葉和らぎ、「茶臼山の一心寺の境内に祀ってくれい。鎮まりたい」と言い出した。「貧乏になるまで金を使うたあげく、まだ祀れやと……」と、かっとして妻女が病人につかみかかる。佐吉の霊は、からかい調子になる。「かもうとひっかこうと痛むのは兄貴の肉体、わしにはこたえんで。いやなら祀ってもらわぬわい。この家を断絶させてやる」 娘がたまりかねて泣き出せば、「あんまりや……何の因果でお前は……」と妻女もすすり泣く。鬼三郎は双方を納得させ、菩提寺の一心寺に祀る約束をさせて、佐吉の霊を納めた。「まだ一つ、野狐め、ここを出い」 佐吉の死霊が納得して去ったのを見きわめて、鬼三郎は気力をこめ病人に向き合う。組んだ両手の人さし指からほとばしり出る霊線が、野狐の死霊を追う。苦悶する主人の体内を、ぶくぶく音をたてて玉ころが転がり逃げる。とうとう右手に追い込んで「えやっ」と気合をかけると……すぽん……親指の爪の下から落ちた。それは、ういろうのように黄色くやわらかく、みるみる卵大に固まって、門口めがけてころげ出す。 つかもうとする鬼三郎の手をかいくぐり、玉ころはとんで、おりあしく開け放った門前を通りかかる青年の懐に逃げこんだ。「待たんけい、その狐……」 裸足でとび出した鬼三郎が青年の袂をつかむ。青年はまっ蒼になった顔を振り向け、狂気のように鬼三郎の手をふり切って、夕闇の中に駆け去った。すると真宗の僧が二人、憤怒の形相で現われ、鬼三郎につめ寄る。神言を奏上すれば、次第次第に消え失せる。 ――真宗の霊が営業妨害やとだいぶ怒っとるらしいわい。それにしてもあの青年こそ、とんだとばっちりや。気の毒なことをした。 青年の身を案じつつブラシ屋に戻る。親族の者が二人、目を怒らせて病人の枕元に坐していたが、鬼三郎に向かって食ってかかる。「ここは真宗のみ仏の守る家や。けったいな神さんの助けなどいらんわい」「死霊や狐やと病人を惑わして、どないするつもりや。早う去んどくれやす」 病人も妻女も横を向いている。娘は小さくなって、うつむいたきりだ。 死霊と野狐にかかわり合って、力を尽くし、ようよう病人を助けたと思えば冷たく追い出される。 黙ってブラシ屋を出て、鬼三郎はあてもなく来た道を戻った。同じ町内に目的の松本留吉の家があるはずだが、夜中に訪ねるわけにはいかぬ。気がつけば腹ぺこだった。夜飯も食わぬまま、すでに夏の短い夜は明けかかっている。 再び生国魂神社に詣でた。大前に祝詞を宣るうち、憑霊どもにけがされた身魂も清まってくる。明け方の杜のしげみに鳴き交わす小鳥たち、しずしずと階段を上がって奥殿深く進み入る禰宜の足袋の白さ。すがしさを心ゆくまで吸い込んで、大鳥居をくぐり出た。 谷町通りを南に、松本留吉の家を訪ね歩いた。法被を来た男衆の出入りする家の前を通る時、ふとあの臭いをかいだ。暗く熱っぽい刺すような憑霊の臭気だ。 鬼三郎の足はためらいもない。案内も乞わずに上がりこんだ。この家は金光教信仰らしく、奥の間の新しい神床には天地金之神が祀られている。「あんた、どなたはんで……」と、主人らしき男が、驚いて鬼三郎をとがめた。「わしは綾部の大本の神の使いです。どうもこの家が気になって、無断で上がりこみました。病人がいやはるのと違いますか」 主人の棟梁坂井卯之助は、すがるように言った。「よう分かりまんなあ。実は家内の筆子が寝ついたなりで、弱っとりまんねん。薬も注射も効かへんし、しょうないさかい金光教会の神さん祀って日参しとるんやが、神徳は金で買えよと金とられるばかりで、御利益はてんとおへんのや」 愚痴をこぼしつつ、離れ座敷へ案内する。においのこもる離れ家の閉め切った雨戸を明けさせた。ぱっと飛び出す影がある。枕頭に端座して祝詞を奏上。 病婦は起き上がって、乱れた髪を恥ずかしそうにつくろった。「何や今、お腹にごろごろしとったもんが飛び出してしもて、体が軽うなりましてん」 棟梁は改めて、鬼三郎にしばらくの滞在を願い出た。二、三日のうちに筆子は全快し、床を上げた。 夫妻は喜んで大本大神の祭祀を鬼三郎に頼んだ。十数人の大工弟子たちもそろって神床に向い、礼拝を始める。家の中が清々しく、明るい空気に包まれ出した。「丹波より生神さまが来阪したそうや」 一日増しに、噂を伝え聞いた人々が訪れる。近所の松本留吉もそれを知り、喜んで挨拶に顔を出した。西田元吉は布教に足をのばして不在という。これも神のはからいかと、鬼三郎は病を取次ぎつつ、神の道を説くことに力を注いだ。 金光教布教師が肩臂怒らせてやってきて、坂井卯之助を激しくなじる。「神徳は心でもらえるのや。お前さん、気違い婆さんの開いた大本なんか祀って、おかげ落とさんようにしなはれや」 卯之助は負けてはいない。「落とすようなおかげをお前さんとこからいつもろたい。無いものは落とせるかい。阿呆なこと言うてもろたら困りまっせ」「神罰が当たっても知りまへんで。後悔せんときや」「金光は金の神だとうまいこと言われて、さんざ金しぼられたんや。だました上に罰当てるような神さんの出入りは、こっちからお断わりしまっせ」 憤然と布教師が出て行った後、入れちがいにしょんぼり門口にたたずむ娘がある。「父さんが危篤です。どうぞ先生、もう一度助けておくれやす」 親を思う娘の真心に、鬼三郎は、一度追い出されたブラシ屋に行った。主人は意識もなく氷のうをあてた頭を力なく振って、うわ言をつぶやいていた。さすが強気の妻女も、鬼三郎を見るなり、先日の無礼を詫び入った。病人は、鬼三郎の取次ぎで生色をよみがえらせた。夫妻とも、鬼三郎に神の話を乞う。 そこへ卯之助棟梁が入ってきて、門前から大声でどなった。「先生、わしが神さんの話ぶちまくっとるねんが、やっぱりわしでは頼りのうてあかんそうやねん。十六、七人帰なんと待っとりまっせ。家が狭いさかい暑うてどもなりまへん。すぐ帰ってきてや」 どなるだけどなると、返事も待たず走り去る。卯之助は大本の教えを知ってから、詣って来る人々に神徳話をぶつのに熱中していた。「先生、わしの家で神さまの教え説いてもろたらいけまへんかい。もうしばらくでもどうぞここにいとくれやす」 ブラシ屋の主人が、病みほうけた細い手を合わせて、心細げに頼む。しかし門前には、手まわしよく卯之助が連れてきた人力車夫が俥を置いて待っている。「近くやさけ、またちょくちょく様子見にきますわ」
 鬼三郎は、綾部を抜け出したまま、音沙汰知れぬ。いつまでたっても立替えは来ぬ。ここに奇妙な一団が生じた。綾部の人たちは、彼らを『豚小屋の住人』と呼んだ。 ――立替え迫る。 それを信じて田中善吉、時田金太郎、野崎宗長らが高波に乗るように郷里を捨て、綾部に移住した。それは一年前の初夏。 彼らだけではない。東四辻の元金光教会の大きな麦藁葺きの家には、四方与平、森津由松、本田作次郎、木下友吉、小島寅吉、安田荘次郎がそれぞれ家族連れで住みこみ、さらに独身者では六部の小沢宗徳、木下慶太郎、妻菊子に逃げられた中村竹吉が同居した。鬼三郎の母世祢や妹君も一緒だった。後野市太郎は、庭に総建築費五円也の掘立小屋を立て、寝起きしていた。 彼らの東四辻にいた時期はまちまちで、ずっとこれだけの人たちが常住したわけではない。正確な人数は分からぬが、ともかく多数の妻帯者、独身者が一つの屋根の下にひしめいて最低生活を営むのだから、『豚小屋の住人』と言われてもいたし方ないこと。鷹栖の自宅から通っている四方平蔵にしてもその部類に属そう。 彼らと世間との間は次第に隔絶、取り残された連帯意識は大本独自の慣習を作っていった。マッチを一切使用せず、頑固に昔のままの火打石を使用した。マッチには穢れたものが入っていると信じた。火打石、火打金、火口、つけ木を収納した火打箱を持ち歩いた。 火打箱はすでに求める人も稀だが、まだ荒物屋で売っていた。左手に火打石を持ち、火口(菖蒲の花を乾燥させてよくもみ、焼酎、焔硝を加えて煮てまた乾した黒いもぐさ状のもの)を親指で火打石にあてて軽く押え、右手の火打金を火口の近くで切り火すると、火口に点火する。ぱちぱちと音をたてて燃える火口を箱の中に落とし、つけ木に火を移す。切り火は清浄なもの、穢れを清めると信じる彼らは、水で清めた神への供え物すべてにさらに切り火して、邪気をはらうのだ。 しかしマッチも硫黄なら、つけ木の先にも硫黄がついている。いかに切り火が清くとも、燃え出す点では同じようなものだが、彼らは煙草の火にすらマッチを避ける。感覚が許さぬのか。 直の住む別荘の裏に竹薮があった。竹は一年で延びて、大雪が降れば一夜で折れる。辛抱のないものは外国、竹も外国と、直は嫌う。だから箸でさえ竹を使わぬ。石鹸も外国なら、こうもり傘も外国。絹物は着ぬ物、贅沢は許されぬから、木綿一点ばりである。 筆先の文句をうのみに無批判に受け入れ実行する役員たちが、他人にその感覚で説いてみても嗤われるばかり。 世間は目も見えず耳も聞えぬ奴らばかりだ。さらば、人間を相手にせず、神さまに聞いていただこう。 汽車の走る世の中に、蓑笠つけ、晒の脚絆に草鞋ばき、筆先を背に人々は旅に出る。弥仙山、元伊勢、大江山、野に寝、山に伏して十里四方の峰々をめぐる。小さな祠一つにもひざまずき、大声で筆先を拝読して神霊に聞かせる。宮がなければ大空へ、雲へ、山へ、小川へ、狂気のように絶叫し、また野草にもささやく。不乱に祈る。「あなたさまの氏子が日本魂の生粋のまざりけなしの水晶の身魂に立てかえりまして、この立替え立直しを不調法なく貫きまして、世界の鏡となりますよう、一心もってお願い申します」 髪はぼうぼう、髭はのびる。美男の木下慶太郎も、まだ伸びるべき髭すらない後野市太郎も、一見して乞食。食うや食わずなのだ。ただ瞳だけ異様に澄んできらめく。 こういう手合いに、鬼三郎の合理主義が受け入れられるはずはなかった。それでいながら、鬼三郎には人を魅き寄せる徳があるらしい。鬼三郎が綾部にいると、ともかく龍門館には活気があふれ、信者は参拝したがる。鬼三郎がいなくなると、とたんに火が消えたようにさびしくなる。 一団となって鬼三郎を排斥した連中も、妙に元気がなくなった。小松林や素盞嗚尊という共同の敵があるうちは、目的も張りもあって、彼らの連帯意識を支えてくれたのに。 立替えまでの一時しのぎという気分であるから、食うための気のきいた職業などあるわけがなく、男は土方に出て一日三十五銭をもらい、女は縄ないなどの手内職をした。大槻鹿蔵に頼めば、いろんな仕事を紹介してくれた。大槻は内職斡旋業をしていた。粥腹なので力が出ず、人夫賃も値切られがち。 これらの連中が、食事時になると、ぞろぞろ龍門館に集まってくる。今でいう集団給食。只一人別荘で食べる教祖出口直も、彼らと同じ食事である。 米の節約のため、粥に野菜や野草を入れた。菜を箸でつまみ上げると、悲しげな米粒がぱらぱらとついてきた。早く食卓についた者が、米の部分を多くすくえた。早飯の者は断然有利である。ちゃちゃちゃと炊きたての熱いのを流しこんで三杯目のお代わりをする田中を、幸吉はうらめしげに睨む。幸吉はまだ一杯目の半ばなのに。猫舌はげに哀れであった。 空になった大鍋をのぞいて、森津由松の長男助右衛門(八歳)が、時田金太郎の右眉のこぶをとり、掌にのせて丸め、口に放りこんで食べる真似をした。だが、誰も笑えぬ。 この時代は下肥が売れた。五荷五銭が相場だが、「金神さんのは効き目が薄い」と言って、買い手はしぶった。 早朝の庭に、団栗をいっぱいひろげて乾かす。丸いのや先細りのや大小まちまち、下半身をきっちり椀に包んで並んでいる。カシやクヌギやナラの実だ。椎の実と違って、渋くてえぐくて、とても食えたものではない。「団栗を食べたらどもりになるでよ」 大人は間違って食わぬよう、子供にこう教えた。遊びのために拾う子らはあっても、食用のために拾うのは大本人種のみであろう。 何日も天日にさらしてよく乾いた団栗を、澄は土間に埋めた唐臼に投げ入れる。横木にのせた杵の端を踏み、離すと、杵は団栗の表皮をくだく。 朝野を背に負うたまま何度となく踏んで皮をとった実を石臼でひいて粉にし、木綿の袋に入れて由良川の水にさらす。四日前にさらした袋は、口をきっちりくくられ、紐で立木に結びつけ、流れに浸したままである。こうして三、四日さらし続けねば、あく抜きは出来ぬ。 澄は河原に坐って朝野に乳を与えながら、質山峠の頂に浮かぶ白い雲をぼんやり眺めた。あの空の東の向こう、澄の見知らぬ地のどこかで、鬼三郎は生きているはずであった。 母にも役員信者にも、もうついていけないと澄は思った。気がついてみると、いつからか心が離れていた。どこがどうと、はっきりした理論的根拠をもって批判はできぬ。やはり幼い時から母の帰神を見、神の実在を心と体で受け止めて育ち、大本の信仰はすでに血肉になっていたから、すべてを否定しきれはしない。けれど、何かしら間違っている。夫鬼三郎の影響かも知れなかった。 母を疑うなど、少なくも夫を知るまでは澄の心の隅にだに無かったこと。だからこそ、明るくのびやかに育ってもこれた。鬼三郎の理屈が、妻の心を毒したのか。 が、鬼三郎に対しても、母や役員に対してと同じくらい、澄は信じきれなかった。言うことはいっかどそうだが、なすことに疑惑があった。直の日常の張りつめた厳しさを見なれている澄は、無意識に較べてしまう。どちらをも信じきれぬ所に、澄の深い悲しみがあった。 結婚式をひかえた夕暮れ、雪の本宮山で鬼三郎の言ったことは忘れていない。「澄、わしは自分でも分からんのやが……世界一の大阿呆かも知れんぞ。地の底まで行かんならんと神さまが言うてんじゃ。可哀そうなが、ついて来てくれるこ……」 澄は、こっくりした。 あの時は、鬼三郎が大本にとってかけがえのない人と思っていた。その夫が、たとえ神さま同志の争いにしろ、母にたてついて譲らぬのだ。執拗な役員信者の総反撃が続いた。板ばさみの澄は辛かった。笑顔を向けつつ、母にも夫にも見せぬ涙を、どれだけ流したことか。 澄は夫を自由の野に逃がしてやった。押えつけ、縛られたからといって降参し、しんから改心するような人ではない。夫を大事と思えばこそ、親も弟妹も妻も子も捨てて行く鬼三郎を、笑顔で見送った。それから半年近くになる。 噂では、大阪あたりで、また得意の霊学を振り回し信者を集めているらしい。夫と母の争いにも、そして生活の苦しみ自体にも、澄は疲れていた。もうどうでもよかった。 水気を含んでずっしり重い団栗袋をさげ、龍門館へ帰った。一畝ほどの小さな畑で、直と世祢が草むしりしていた。母と義母が仲むつまじいのが、せめてもの慰めであった。最近の直は朝のうち畑をし、午後から筆先を書くのが、ほとんどの日課になっていた。 台所へ入ると、団栗袋に小麦粉を混ぜ、少量の塩を入れて、いくつもいくつも丸い団子にした。長方形の格好のもできた。この団栗団子は、幼い頃母の考案でよく食べさせられた代用食だ。お世辞にもうまいとは言えぬが、これでも腹の足しにせねばならぬ。大勢の腹をすかせた仲間たちに、ともかく昼の支度をすませておく。 朝野のおむつを替え、また乳をのませておぶい直すと、坂を上がった尋常小学校の門をくぐる。四年生の教室の窓をとんとん叩くと、上田君がそっと外へ出てきた。小柄で同年輩の子より二つほど小さく見えた。君の背中に朝野をくくりつける。 この頃、子守りしながら授業を受ける子は珍しくなかった。子守り学級が設けられることもあった。 赤ん坊が泣くと、廊下であやしながら、君は授業を受けた。時には朝野が泣き止まずに、校庭に出ることもある。砂の上に指で字を書いて学んだ。子供の頃から小学校の門などくぐったこともない澄が、今頃になって、毎朝、赤ん坊をあずけに通った。 その足で綾部町内の青野の麦藁帽子の工場へ行く。工場とは名ばかり、小屋のような民家で、いつも数人の女たちが働いていた。澄の仕事は、帽子のてっぺんの飾り作りである。出来上がりの数で賃金に差がつくから、無駄口叩く暇もなく、指を走らせ続ける。内職のない時は、澄は家にいて、別荘の中庭で縄ないをした。 十二時になると、龍門館へとんで帰る。間もなく、君が、朝野をおぶって小学校から昼食に帰ってくる。「只今帰りました」 迎えに出た澄に声だけかけ、君はそのまま別荘にかかる縁まで急ぐ。直は待ちかねたように別荘から出てきて、背の朝野に相好をくずして頬寄せる。「あー、よう帰ってきたな、よう帰ってきたな」 長く会わなかったような懐かしみようである。直は君の背から朝野を降ろし、壊れものを扱うように抱いて、母屋へ行く。「澄や、わたしは神さまの御用をしとるでな、早うおむつを替えてやっておくれ」 まるで赤児の身になって催促する。朝替えたきりのおむつだから、ぐしょ濡れだ。「おーお、しょうずやの、しょうずやの」 おむつを替える澄の手元をのぞきこんで、直はいとおしげにつぶやく。しょうずとは山水が自然に湧き出ている所、いつも濡れているからだ。その間に、君は旺盛な食欲の役員信者にまじって、四方与平の妻とみの焼いてくれた団栗団子をむさぼる。 乳を飲み終わった朝野がむずかり出す。直がおぶい紐をひろげて「これ進上……」と見せると、朝野はにっこり笑い、手足をばたばたさせる。その顔見たさに、直はおぶい紐を見せたり隠したり、その横でまた祐助が黒い顔の鼻の下をたらんとのばし、嬰児の表情につられて泣き笑いする。君は学校におくれぬかと気が気ではない。「祐助はん、団子がのうなりまっせ」 誰かが尻をつつく。「ほい、ほい」 あわてて祐助が手をのばす。東四辻の住民ではない彼も、居合わせた者は一様に食卓の仲間であった。 澄はまた青野の工場へ。三時、学校を終えた君が朝野を負うて乳を飲ませに工場へ来る。澄は麦藁くずの中に朝野を抱えて、白い大きな乳房をもの憂げに与える。澄の頭の中は、今夜の食事をどう工面するかで一杯なのだ。

表題:砲兵工厰 8巻2章砲兵工廠



 坂井家に帰った鬼三郎は、待ちあぐねている人々に一わたり道を説き、一人ずつ鎮魂を始めた。おりしも、剣の音を響かせて、溝口清俊陸軍砲兵中佐が入ってきた。園部で対面ずみの溝口は、嬉しそうに握手を求めて切り出す。「やあ、丹波の生神さんが来とるという噂を聞いて、とんで来たんです。やっぱり先生でしたな。わしの官舎はすぐそこです。上田先生、ぜひ御足労願いたい」 顔はにこにこしていながら、軍人の習い性か、その体躯から、声音から、威圧的な体臭をまき散らす。つめかけている人々への鎮魂が終わってから、鬼三郎は溝口と連れ立って坂井家を辞した。 道々、溝口中佐は、入信の経緯について語る。園部で初対面の時には出なかった話である。 細君が病気で困っていた時、溝口はある人から西田元吉の噂を聞いた。迎えの使いを出すと、すぐ来てくれた。食事時なので近くの料亭から料理を取り寄せ、女中に給仕を命じた。食事後、ゆっくり挨拶に出るつもりであった。 西田は不快な顔で女中に言ったという。「飯食うために神さまの取次ぎしとるのやない、あがは神さまのお道を伝える尊いお使いじゃ。主人が出んと女中に給仕させるような心がけやさかい、嫁さんの病気が治らん。衣服を改めて出て来て、主人が給仕をせいと伝えんかいや」 女中はそのままを溝口に伝えた。「なにい」と、溝口の顔色が変わった。治るかどうか、たいして当てにもならん祈祷師に料理屋から取り寄せた馳走をするさえ分にすぎる。むしろ恩恵をほどこしたつもりの溝口だった。飛ぶ鳥落とす勢いの砲兵中佐に、「給仕に出よ」……思ってみたこともないその言葉に、突然、鼻柱をがしんと殴られた気がした。 しかし、すぐ溝口は省みた。よほど権威のある神さまに違いない。中佐という人間の階級など、眼中にないらしい。 急いで衣服を改めて西田に会い、また感服した。洗いざらした木綿の着物と袴。どう見ても田舎の風采の上がらぬ青年だ。が、妻のために祈る真剣な姿を見ているうちに、激しい気迫に圧倒される。西田を通して大本の神を知りたい気になっていた。 ――なかなかやるぞ、元吉、それが本当や。 鬼三郎は元吉をほめられて、わがこと以上に嬉しかった。今ごろ、どの地を宣教に歩いているのかと、懐かしくしのぶ。 生国魂神社の東側、上本町三丁目に溝口中佐の広い官舎があった。真向かいはキリスト教会で、オルガンに合わせて讃美歌が流れてくる。「息子らが耶蘇にかぶれてしもうて、情なや、朝夕アーメンと称えくさる。大和魂の帝国軍人の家庭に、外国の腰抜け神の祈りなど……聞くに耐えんのですわい」 溝口の率直な嘆きは、鬼三郎にも通じる。「信仰は自由やさけ、ただ頭から息子さんをとがめるわけにはいきまへんやろ。それより、どんなこと教えとるか、調べたらどうです」「耶蘇を学ぶのか」「まあ、話を聞こうやありまへんか。独善はあきまへん。わしも知りたい思うとったとこや」 不承不承の中佐を伴い、鬼三郎はメソジスト教会の門をくぐった。黒衣の教会牧師が、演壇に立って説教していた。堂内はしんと静まり返っている。二人は信徒らの後の席に坐って、教会の高い天井やガラス張りの窓や祭壇を一わたりもの珍しく眺めた。 説教がキリストの十字架にかけられるくだりに来て、牧師の涙まじりの声に、信徒たちはすすり上げる。思わず話に引きこまれて、鬼三郎も泣いていた。喜劇が好き、悲劇は大嫌い、その実、誰よりも涙もろい。鬼三郎は、だから自分がいまいましい。 ――キリストのいう博愛・平等・真理には従うが、霊の弱るような陰気さはかなわん。第一、人間は神の子や。罪の子とはどだい身魂が違うわい。 かたわらに目をやると、鬼面の溝口中佐の髭まで震えている。中佐はつと立って、演壇に黙礼するなり、大股に出ていった。鬼三郎は同調しなかった。牧師の哀調を帯びた説教が終わると代わって信徒の一人が登壇、弁舌さわやかに十字架の救いを讃美しだした。耳を傾けている鬼三郎に、演説者の視線が注がれる。やがて讃美歌となり、ものがなしく柔らかいオルガンで合唱、信徒たちは散っていった。 教会を出がけに、見知らぬ男に呼び止められた。「どこから来られました」「丹波の綾部からです。向かいの溝口はんのとこに厄介になってます」「何宗の方どす」「丹波の大本」「大本教……聞かん宗教やなあ」と男は首を傾け、「さっき御一緒だったところを見ると、溝口さんが……まさかその……」「いや、最近あの方は、大本に入信されましたですで」 男は憤然とした口調になった。「それはいかん。わたしは溝口さんの友人で、黒葛原兼豪という者です。一言忠告せねばならん。溝口邸までお供させてもらいますで」 溝口は先に帰宅していた。応接間で黒葛原を見るや、嫌な顔をした。黒葛原は即座に言う。「溝口さん、お子たちはキリスト教の洗礼まで受けておられるのに、何故あなたは他教に入られるんです。わけを聞かせて下さい」「信教は自由じゃ。わしは子供まで束縛しようと思わぬ。だから息子は息子、親は親、わしが何しようとかまわんでくれ」 すげなくはねつけて、溝口は応接間を出て行った。黒葛原は向きを変え、鬼三郎に詰問する。「その大本とかいうのはどんな教会です。分かるように、わたしにも教理を教えて下され」 鬼三郎は、黒葛原の目をみつめて語る。「わたしは日本人やから、日本の地に下し給うた神の言葉を信じるのです」「わしが外国人だと言うのか」「そうは言わへん。しかし神はその時代、その場所、その環境、つまりは時所位に応じて適切な救いの神柱を立て、教えを示して、人類を導き給うのや。二千年の昔、ユダヤで生まれ十字架にかかって万民の罪をあがなわれた救世主一人が、神の子ではありまへんで」「へえ、他にも神の子がいるのかいな」「おります、ここに。あんたの目の前や……」「あんたのことか。……馬鹿にしなはんな……」 鬼三郎が笑った。「わしだけやない。そういうあんたかて立派な神の子、神の宮や。人は霊止、本来内側に神性を宿して生まれてきたんや。生まれながらの罪の子など、この神の国日本、いや世界中にかて一人もおりまへん」「あんたは知らんじゃろうが、人には原罪というもんがある。洗礼と信仰による以外、それをまぬがれることはできんのじゃ」「アダムとイヴが犯した罪のことなら、わしも聞いてます。始祖の犯したあやまちのため、人類の末の末にまで呪いをかける。それがまことの愛の神のすることやろか。善悪をみわける木になっていた知恵の木の実とは、つまり体主霊従の実。魂を育てることを忘れて体欲にとらわれ、本来神に向かうべき性を失ったことを罪というとるんや。そういう意味では、確かに原罪の芽は人類すべての内に育って、今や手のつけられんまでにはびこっておる。放っておけば、人類は破滅しまっしゃろ」「それを救うのは、やはりキリストをおいて他にはおまへんやろ。上田はん、あんた、聖書を読んでなはるか」「いや、恥ずかしながら、ざっと目を通した程度や」「惜しい。ぜひ読まなあきまへん。あんたは外国の神や言わはったが、神はこの世にただ一人、エホバがあるだけですねん」「造物主は一柱、異存はありまへん。ただその千変万化のお働きの一つ一つに神格を生ずる。それに名をつけたのが、日本の八百万の神々。エホバといい、ゴットといい、アラーというのも、阿弥陀というのも、さらに天之御中主大神とわしらが讃えるのも元は一つ、無始無終、唯一絶対、即ち全大宇宙にみちみち統べ給う大元霊のことです」 溝口が入ってきて仲間に加わり、議論は延々と続いた。溝口が使いを走らせたのだろう、内藤正照他二名が訪ねてきて、いっそう座がにぎわって一夜がふける。 昼は坂井家やブラシ屋を根城にとび歩き、夜は溝口家に集まって、前夜持ち越しの議論に花が咲いた。聖書を奉じながらその奇跡を信じきれずにいた黒葛原も、奇跡を当然と信じ日常に行う綾部の教祖出口直、また神と合一するという鬼三郎の霊学の話に驚かされ、実地に目撃して更に傾倒した。 二名の客、池田大蔵と高谷理太郎も深く鬼三郎に共鳴した。彼らはそれぞれに大阪市東区の砲兵工廠につながりを持っている。ここに忠勤を励む溝口中佐、役員を辞職して今はブリキ店を開いている池田大蔵、大林区署の役員で土地払い下げ係をしている高谷理太郎、それに砲兵工廠や軍関係の輸送の請負業を主としてボス的存在である内藤正照。黒葛原兼豪を加えたこの五人男は鬼三郎を囲んで意気白熱し、まず砲兵工廠三千職工を動かして神兵たらせんとした。 さすが実力派の溝口は、即実行。翌朝鬼三郎らを伴って、砲兵工廠に乗り込んだ。大坂城の東一帯に莫大な土地を占めて、赤いレンガ造りの高塀が長々と続いていた。(現在、弁天町・松山町・森町他を含む。大阪中央公園、大阪府警察学校、市民病院などが建っている) 砲兵工廠は、陸軍直営の小銃、火砲、弾薬類の製造修理工場。明治以後、政府は幕府や諸藩から多くの軍需工場を接収したが、明治十二(一八七九)年の砲兵工廠条例によって、それらのうち東京と大阪の工廠がそれぞれ東京・大阪砲兵工廠となった。この二つの陸軍工廠と横須賀海軍工廠、海軍造兵工廠と共に、官営四大工廠として日本の軍国主義推進に貢献した。 大正十二(一九二三)年、砲兵工廠は廃され、陸軍造兵廠と称する。「へーえ、軍いうもんは、どでかいことさらしおるのう」と、鬼三郎は規模の破格さに目を円くする。溝口は少々心細くなった。 ――何いうても田舎青年や。三千の聴衆を前にして立ち往生でもしてくれたら、わしまで赤恥かかんなん。 鬼三郎は頓着なく高声で驚きを表明する。「溝口はん、このずらーっと並んどる工場は何やろ。何造ったはるのや」「しいっ、大きな声では言えんのや。迫撃砲に弾丸、銃器、小銃の弾、サーベル……ざっとそこいらどすわ。後は機密で言えまへん」「つまり人殺しの道具を造っとるわけや。地主や資本家を肥やし保護するために、国家が国民の血と汗からしぼり取った税金を使うて……」「上田はん、ここで言うてよいことと悪いことがありまっせ」「そやさけ、わし小さい声で独り言つぶやいとるんや」「……」 心細いのを通りこして、溝口は後悔しはじめた。 ――ひどい男を連れ込んでしもた。何しゃべり出すやら分からんわい。どうしよう。 同行の内藤を見たが、知らん顔だ。砲兵工廠の広々とした講堂には、すでに若手の工員や年輩の職員たちがぎっしり詰めていた。 溝口が、吠えるような破れ声を張り上げて、皇道の真髄について前席をぶった。砲兵中佐の貫録は十分。 のこのこと中佐に入れ代わって演壇に上がった見慣れぬ若者に、三千の聴衆の好奇心に満ちた視線が集中する。「砲兵工廠の諸君よ、肉体の衣の中に魂を育てるところの満堂の諸君よ、天運はめぐり来た。わしは、あなたらの魂に向かって知らせねばならぬことがある……」 溝口と内藤は、掌にじっとり汗を握った。しかし聴衆は、鬼三郎の大胆で風変わりな話に魅き込まれていった。神について、人について、神と人との関係、霊界の実在、艮の金神の出現と、話は果てしなく高揚する。時間までに、思いの半分も話しきれはしなかった。聴衆は腰を据えたまま立とうともしない。 溝口が進み出た。「来週日曜に、この話の続きを聞かせてもらえるよう、上田鬼三郎先生に交渉したいと思う。諸君、御期待を乞う」 わっと、場内は歓声と拍手が渦巻いた。
「和服ではどうも垢抜けせんのう」と洒落者の内藤が言い出したのがきっかけで、鬼三郎は急據洋服をあつらえることにした。出来上がったのは最上等の燕尾服。ぴかぴかの靴も添えて、内藤、高谷、池田らの友情のプレゼントであった。 生まれて初めて洋服を着て、靴をはいた。蝶ネクタイもしめた。鏡に映る鬼三郎は、自分とも思えぬ。 ――とうとう洋服を着やがったな。これで外国身魂の四つ足の小松林は完璧や。ざまあみい。 燕尾服の記念撮影に内藤、高谷、池田とわざわざ写真館にも行った。初めは何とも窮屈だったが、慣れてくると動き安い。下駄に比べて靴の歩きよさ。胸を張り、ぎしぎし皮靴鳴らして、砲兵工廠へ出向いた。その日曜は、また次の日曜を約し、次々と四、五週間鬼三郎は通った。 砲兵工廠の全職員は、上田鬼三郎先生の説教に服した。金明霊学会大阪本部を設置する猛運動が盛り上がっていた。溝口、内藤、黒葛原、高谷、池田の面々が発起人となって、天王寺付近の土地一万坪を買収し、大阪本部建設案具体化のため、あちこちに調査の人が走った。「やあ、忘れとった。大阪本部言うとるが、肝心の綾部の大本本部にわしらはまだ足も踏み入れてないんや。上田先生、こら真っ先に教祖さまのお許しを得に行かんなりまへんやろなあ」 溝口が潔癖な軍人らしく言い出した。鬼三郎は、複雑な表情を思わず伏せる。「溝口さんの言いなさる通りや。教祖さまの神さま、つまり艮の金神さまの許可なしには……」と言いながら、ほうっと吐息する。 ……何もかも砂上の楼閣や。 この瞬間、鬼三郎はあきらめきっていた。ぐらぐらと崩れ落ちる大阪本部の夢の殿堂を、わが心にみつめていた。結末は分かっていながら、夢を追わずにいられぬ小松林の阿呆たれめ……。 しかし、のたうつばかりの苦しみは、一刻の後に去っていた。 鬼三郎の心中を知らぬ男たちは、人選の上、第一に綾部の様子を見るため、高谷理太郎を派遣した。高谷は三日目の夕方戻ってきた。様子いかにと溝口邸につめかけていた五人の前に、冷笑を浮かべて高谷が立つ。「綾部、綾部と憧れて行ったところが、どうだす。本部いうても、小さなあばら家に田舎の婆さんが一人拝んどっただけでっせ。おまけに気違いみたいな役員が、二、三人、わけのわからんこと言うとった。ただはっきり分かったのは、上田はん、あんたの正体だっせ」 高谷は興奮した口調で半ばを鬼三郎にぶつけ、あとの半ばを仲間たちに訴えた。「あんたは、われわれをだまして、ここまで引き回してきたんや。神や霊学やと口でうまいこと言うて……溝口さん、上田鬼三郎はあの本部の教祖や役員たちにさえ愛想つかされて、放り出されてきたんやそうだす。本部の者に上田の信用はまるきり零ですわ。外国身魂の四つ足魂、傍へ寄っても悪が染まるさかい、本部では塩をまかな誰も近づかん。上田は悪の御用やさかい、世界の悪の鏡がうつらんよう一室に閉じ込めたのを、いつの間にか抜け出して逃げたんやそうな。『あんなものをかもとったら神罰覿面、えらいことになりますで。わしら綾部では責任はよう負いまへん』と口を揃えてこうぬかしくさった。報告はこれだけや。弁明があれば上田はん、聞こうやないか」 事の意外さにあきれて、一同はただ鬼三郎の面を眺めるばかり。 じょじょに鬼三郎の顔に薄笑いがひろがった。苦痛は、高谷が綾部に立つまでに、すでに味わい尽くしていた。今さら弁解したとて何になろう。人為を尽くして、あとは惟神にまかすのが人の道ではないか。 黙して答えぬ鬼三郎に、溝口中佐の憤怒は爆発した。「おのれ、この溝口をおちょくりやがるとは。外国身魂の四つ足など、今日以後、帝国軍人のこの家の敷居を一歩もまたがさんぞ。出て行ってくれ」 ――やれやれ、大阪宣教の結果はこの燕尾服一着か。 飄然として、鬼三郎が戸口に向かう。その腕をぐっと握って、溝口に負けぬ大声を張り上げたのは内藤だった。「何ぬかす。たわけもんめが……」 怒声は、鬼三郎へではなく、溝口に向けて飛んでいた。「わしも二度とこんな敷居はまたがんわい。分からずやめ」 それから鬼三郎の腕を引っ張った。「分からん奴は放って行こ、上田はん。うちへ行きまひょ。わし一人でもお道はひらきますわい」 内藤と鬼三郎が出て行ったあと、溝口が頭をかかえこんでうめく。白けきった空気の中から、黒葛原が立ち上がり、ていねいに溝口に頭を下げて出て行った。がたんと椅子を鳴らせて池田がとび上がり、あたふたと後を追う。 大阪晩夏の宵は風もなかった。
 内藤正照(四十七歳)の家は、溝口中佐の官舎から四、五丁先であった。天王寺に隣接する愛染坂のゆるい勾配をのぼりつめたところに面してこぢんまりと立つ平家である。茶の間の障子を開けると、天王寺の大きな池が見えた。 正照は名古屋の藩士内藤浅右衛門の三男坊。東京へ養子に行ったが、養家と気風が合わなかったのか、ほどなく名古屋へ舞い戻り、輜重輸送の人夫頭をしていた。 上役が人夫賃金をさらえて雲がくれしたため、支払い責任が内藤の肩にふりかかってきて、止むなく大阪へ逃げた。 日清戦争当時のことで、軍需輸送の人夫が不足、寸足らずの若者の徴用も盛んで、「輜重輸送が兵隊ならば、とんぼ蝶々も鳥のうち」と歌われた。こうした中にまぎれ込み、もまれつつ、やがてボス的存在になっていく。 その頃、谷町九丁目あたりから一帯にかけて、利権屋、喧嘩仲裁屋など侠客連が多く住みついていた。遊び人気質の内藤の元へも、その類の出入りや食客が絶えなかった。 妻いち(四十歳)は、静岡市八幡本町の西野太郎兵衛長女。伝法肌で、言いたいことを言わぬとすまぬたち。婚家に容れられず出戻って大阪へ渡り、内藤といっしょになった。「うちは大政・小政に子守りしてもろて大きゅうなったんや」と、いちはよく人に自慢していたが、いちの育った界隈は清水次郎長一家の縄張りで、資産のある西野家へは子分衆が常時遊びに来ていた。幼い時からそうした環境にあって男伊達の世界に馴染んだのだろう、いちは夫の収入はあてにせず、針仕事の内職をして、不足分はいつも静岡の実家からせびってきた。自由気ままの内藤も、妻にだけは頭が上がらない。 内藤が鬼三郎を連れて愛染坂の家へ帰ってくると、いちは一目で鬼三郎が気に入った。食事、洗濯、衣類の世話から小遣いに至るまで、夫正照をさしおいても面倒を見、可愛がったくらいだ。夫妻の間に子供がなかったからでもあろう。 余分の収入があると、亭主が傍にいるにかかわらず、いちはそっと鬼三郎の右手に金包みを渡す。亭主に内証で渡される金はどうも心地わるい。鬼三郎、内ふところに収めるふりして左手に持ちかえ、ふところは素通りして横の内藤の手へ。内藤は知らぬ顔で受けとると、喜び勇んで早速芸者買いに走るといった按配である。 鬼三郎が加わってから、内藤家には、黒葛原、池田らもよく集まった。けれど二人の腰は定まらず、離れずつかずの状態。内藤だけは仕事もそっちのけで、十五歳も年下の鬼三郎についてまわった。 鬼三郎は、大阪市中の交霊術者や稲荷下げを見つけ次第訪れた。伏見での苦い経験から、つい頭をもたげる悪戯気分は捨てて、営業妨害はせぬよう心をくばった。大都会の紳士淑女を相手にする彼ら祈祷師の間を泳ぎまわるうちにも、正しい帰神者の一人にでも出会いたい思いは捨てずにあった。が、どこへ行っても馬鹿らしい御託宣を大真面目でありがたがっている信徒ばかり。気の毒で、そっと帰る方が多い。 大阪北区紅梅町の山口ふじの教会は面白かった。憑いているのは大狸なのだが、感心に伺いごとは百発百中である。山口ふじは鬼三郎の霊力を見抜いて、「どうぞ泊まって教えとくれやす」とせがむ。山口家にもしばし滞在して、教線をひろめた。 大阪島の内諏訪町の隅本某家に霊学会仮本部を設けた。次々と入信するのは、土地柄か、侠客連ばかり。島の内の夷重兵衛、山田嘉兵衛も数十人の子分を連れて入信。山田の紹介で、この初夏、空也の滝でかいま見た御嶽教杉本慧の信者団熊親分も訪れ、たちまち入信。続いて竹島竹五郎、小林佐兵衛。あらくれ男たちは、新生の意気に燃えた。 けれどせっかく大阪の一角に燃え上がった信仰の火も、間もなく冷水をぶっかけられて消えた。例によって、鬼三郎の所在を知った中村らの指令で、野崎宗長、御牧治三郎が大阪入りし、存分に鬼三郎の悪口をふりまいたのだ。「大本の教祖さまにそむいて綾部をとび出した曲津の教えなど聞いて、だまされるな。上田の悪の御用につかわれるな」 常に鬼三郎は綾部を語り、筆先を語り、教祖出口直を語ってきた。その綾部が、筆先が、出口直が、鬼三郎を否定しているとなると、新しい信者が動揺するのも無理はない。質朴な侠客連が一人去り、二人去りしてさびれていくのを、鬼三郎は黙って見送った。

表題:人造精乳 8巻3章人造精乳



 隅本の家を出て、内藤家に悄然として戻ってきた鬼三郎を、暖かくいちが迎えた。二、三日、むなしい気分で、ごろごろと寝て過ごした。 訪客があった。内藤は鬼三郎を引き合わせた。客は山田武寅、六十前後の、黒い髭を八の字にはやした紳士だ。信州で教師をしていたが、定年退職して、家族四人で京都に移住してきた。山田は人造精乳について独自に研究、内務省衛生試験所に申請して試験済の許可も得た。技師としての腕をふるって会社を興したいと夢を語る。 内藤には関心のない話であろうが、牛乳には苦労もし、勉強もしてきた鬼三郎には、すぐ共鳴できる。欧米人に比べて日本人の体格・体質・体力の劣性を自覚もし、栄養価の高いものを求める社会的風潮もある。牛乳の需要が年々高まるにつれ供給が不足して、急には応じきれぬ現状だ。 ――よし、社会に精乳を与え、わしは宣教の資金を得よう。 鬼三郎の頭はめまぐるしく動いた。新時代の要求には人一倍敏感であり、思いついた時、すでに実行の第一歩を踏み出す鬼三郎でもあった。
 内藤と相談の上、鬼三郎は山田武寅を伴って園部へ帰り、奥村徳次郎方で人造精乳を試作した。見たところ、牛乳と変わらぬくらいだ。試飲すると、人造精乳は日本風になじんだ舌にはちょっと異国風でうまかった。牛乳は臭うて飲めんといっていた奥村さえ、これならいけると喜んだ。 製造にあたって、山田は「極秘」と称して室に鍵をかけ、ものものしい。が、製造技術さえのみ込んでしまえば何のことはない。大豆を臼でひいてつぶし、炊いて汁をとる。鶏骨と牛の脂身を煮つめてスープをとる。大きなブリキ釜に両者を合わせ、麦芽、澱粉の溶き水を撹拌しながら加えていき、百二十度まで熱を上げる。 撹拌という言葉はまだ耳新しかった。「植物性・動物性の油脂と水とを撹拌によって親和させる。そこにコツがあるんや」と山田は誇るが、なるほど彼が作ると、とろりとなめらかに乳色に仕上がる。それに薬品(?)を少々おとし、調味して冷やしたところを一合瓶につめる。 鬼三郎は綾部からひそかに弟幸吉を呼び寄せた。人造精乳会社創設の準備を山田、奥村、幸吉らにまかせて鬼三郎は京都にとび、出資者の心あたりを説いてまわる。一方、京都の小竹家へ養子に行った末弟政一(十九歳)を園部へ送り、製造技術を学ばせた。 やがて園部上本町、奥村徳次郎の離れに販売所を設ける。出資者は船岡字高尾の松井久三郎。小竹政一が番頭格で、人造精乳社は順調にすべり出した。園部の町中に評判が高まり、申し込む者が次々とふえる。一合三銭、強気にも牛乳と同じ値段だ。 しばらく調子を見て、鬼三郎は山田と幸吉を京都に引き上げさせる。京都を舞台に、すぐ次の手を打っていた。七年前に乳牛研究に行っていて知りあった京都牧場の松原栄太郎の出資をとりつける。教員上がりの文具店主若林を仲間に引き入れ、蛸薬師富小路の文具店と若林の持家二戸分を一つにして「人造精乳修生社」の看板を上げた。畳一枚位もある大きな看板だった。修生社社長は上田鬼三郎、技師山田武寅、販売主任が教員上がりの若林。 三十二歳の青年社長上田鬼三郎。資力ゼロ、学歴ゼロの田舎育ち百姓上がりの若造のくせして、倍も年上の都会人をたちまち心服させて使うなど、考えてみれば不思議である。 鬼三郎に引きまわされつつ、山田も若林も松原も、時には首をひねって不審がる。逆らってはみても、結局、ついて行かされる自分に気づく。どうもしゃくではあった。 何とか四、五十軒の得意をとって、朝夕の配達も順調になる。こちこちと算盤をはじいている山田に、どこからか帰ってきた鬼三郎が告げた。「山田はん、お得意が思うように延びんのは宣伝不足のせいや、来月の中頃には、おもろいチンドン屋雇うて、ぱあっと派手に宣伝しますわ。けど、宣伝文句に偽りがあってはどもならんさけ、精乳の分析を頼んできましたで」「分析を……へえ、誰にどす」「京都やさけ、あそこが一番よいやろ思てなあ。京都帝大の医科大学長坪井博士。ついでに軍医の黒坂はんにも頼んできた。あ、坪井博士は薬剤士連れて、近日中に来るそうやで」 山田は言葉につまった。今を時めく坪井博士が、そんなに気安うこんなとこまで来るかいなと嗤いたかった。が、ただ目をむいただけ。「そや、どうも気にかかる。一つ専売特許とりまひょ。製法でも盗まれたら痛手やでなあ。山田はん、出願方、骨折ってみて下さらんか」 返事をためらっていると、鬼三郎はせっかちに言った。「めんどうなようなら、わしがしますさけ……うーん、一日に平均一斗一升、開業早々とはいえ、三円三十銭位の売り上げでは心細いのう。家賃が一日五十銭、人件費が一日二人で一円や。炭、薪、雑費がざっと三十銭、原料費が……山田はん、一日一斗で約七十銭とみんなりまへんか」「いやいや、売り上げが少のうおすさかい、割高について八十銭ほど……」「骨折り損のくたびれもうけ。このままでは、出資者や社長の給料の出どころがないのう。設備投資もせんなんし……」「この上まだ投資どすかい」「そらそうや、配達車を四、五台、一回に二斗分は運べるやつを考案しとる」「……」「悲観することはありまへんで。わしは一日売り上げ平均一石を目ざしてます。今の得意を十倍に増やす。まあ、見とくれやす。坪井さんの分析証明書さえ入れば……」「うまくいきますかいな」 意地のわるい眼になって山田が見上げる。鬼三郎はにっこりした。「はて、宣伝文句をひねらんなん。宣伝服いうのも欲しおすなあ」 山田は聞かぬ振りをして、茶をいれに立つ。元の席に戻った時、もうどこへ消えたか、青年社長の姿はない。
 半月ほどして、坪井博士が薬剤士と助手を連れてやって来た。「三人の中で、どの人が坪井博士やろ」と、目前に偉い人を見るのが珍しい幸吉が囁く。若林が言った。「背のすっと高い、真白な白衣着た人やろ」 けれどどうやら人違いらしいことが、態度や言葉づかいで分かってきた。博士は一番背の低い、見ばえのせん服を来た、古いおんぼろ靴の男。「けど、博士はんにしては着とるもんがお粗末すぎるやんか。ほんまもんの博士やろか」 幸吉の思わず洩らした言葉が博士に聞こえたらしい。ひょいと首を上げて、真面目な顔が答えた。「これでも坪井は坪井やからな」
 待ちに待った分析表がとどいた。
  報告書 第一〇三号 一、精乳一瓶、右定量分析、当方へ差し出たる品は乳様の臭気と微に甘味を有する乳様の流動液にして、比重は摂氏の一五度に於て一・〇二二五。反応は弱酸性なり。之れが分析を遂ぐにその毎百分中に検出する主要成分左の如し。 一、水分 九〇・三四六 一、乾燥残渣 九・二八五四 一、含窒素物 四・一二五 一、含水炭素 一・六四六 一、脂肪 三・二九五 一、灰分 〇・五八八              京都帝国医科大学大学病院検査主任薬剤士 岩塚治郎
  証明書 一、人造精乳、右、京都帝国医科大学岩塚治郎氏の分析表に徴し衛生上好良なる滋養飲料と認め候也。                             医学博士 坪井次郎
  証明書 一、人造精乳、右精乳を細査し之を実験するに、多量の滋養分を含有し、衛生上牛乳に優るの好飲料たる事を証す。                第四師団陸軍一等軍医従七位勲六等 黒坂芳七郎
 鬼三郎は頭の中に練っていた文案をもとに、精乳製造販売広告のビラを刷った。例の証明書を大きく刷り込むことを忘れない。「中味さえ確かなら、それでよい。けど、世間の奴らは阿呆やさけ、箔をつけてやらんことには万事ついてきよらん。この証明のあるなしで、実際同じもん飲んどっても効き目まで違うてくる。信ずるか信ぜんかの差は恐いもんや」
 秋空冴え渡る日、早朝から賑やかな一行が繰り込んできた。 大阪・京都・伏見から侠客連らも交えた雑多な男女四、五十人。鬼三郎の動員だ。ほんもののおひろめ屋のほか、即席の大応援団ができ上がった。「人造精乳」と大書した一人では持てぬ大きな赤旗・白旗。 上田幸吉は役者になったように気恥ずかしく、自分の姿を眺め渡す。胸がわくわくした。兄貴得意の工夫デザインなのだが、何とも派手な宣伝服だ。黄色地に太い白の縦縞の膝下までの短ズボン、紺の靴下、青緑色の法被にゴムの帯、襟の左右に人造精乳と白ぬきで染め出し、背にも白の精乳の二文字。細い袖口には白の折り返し。上下とも木綿で安上がりだが、町を歩いてもぱっと目立つ。和洋混合……綾部の役員たちが見たら何というやろ。だが身も心も軽く浮き立つような着心地は悪くなかった。 太鼓、三味線、鈴など鳴り響かせて、派手な一行が街頭をねっていく。富小路西入ルの事務所から大宮通りを北へ。列の中央にはひろめ屋の御大将栗楽が上手に踊り歩いた。縮緬の華やかな着物に袴をはいて、踊りながら鬼三郎作文の口上を浄瑠璃口調でまくしたてる。「昔、もろこしにて親に乳を与えし例あり。恐れおおくも応神天皇は乳なくして成長あそばせし例あり。人造の精乳なれば、衛生清きはもとより、動物質と植物質の脂肪及び全蛋白質、その他の人体必須の滋養分を抱合融化させるものにして、牛乳・鶏卵に優る上品なり。おのおの方には是非ともお申しこみあれ」 幸吉たちも、ひろめ屋と一緒に、一週間この口上を稽古していた。前触れ男は、「京都帝国大学病院長坪井博士の証明これありィ……」と、声を嗄らして叫んでいる。何事ならんと見物人がたかってくる。ぞろぞろついて宣伝文句に耳を澄ます。子供連れや赤児を負うたおかみさんには、宣伝用の精乳を飲ましてやった。口上はすっかりそらで言えたし、鬼三郎にいわれた通り、こうもつけ足した。「はがきをもって御申込み下されし御方には、配達の節、はがき代一銭五厘御返し申しまする」 美しい声だと我ながら思った。行列の先を、栗楽に負けぬ手ぶりで鬼三郎が踊っている。行列は丸太町通りへ来て烏丸通りへ。河原町通り三条、四条から祇園の東山・伏見方面にまで足をのばす。チンチン電車の窓々から客が首をつき出して手を振った。 得意客は増え、売り上げはぐんとのぼった。精乳配達車五台も届いた。「うん、注文通りに出来たわい」と、鬼三郎は満足げに言った。 人力車を改造して、人の乗る所に大型の箱を据えつけ、二段の引き出し二つに約二百本、二斗は入った。が、空瓶回収を考えて、百本積み込む。雇いの配達夫にもみな例の宣伝服を着せ、配達車で市内を走らせる。まだ自動車はなく、ちらほらと自転車を見かけるほどの時代である。苦学生が小遣いかせぎに来ていた。二、三十本ずつ、自分の得意をつくって配っていた。 出資者松原栄太郎は京都一の牛乳屋といわれ、相当数の牛を持ちながら乳が足らぬ。常時、大口の精乳を松原牧場に卸させた。 鬼三郎は、穴太の弟由松を呼んで、まず精乳配達から仕込んだ。田舎出の由松が配達先を憶え、真面目に事務の仕事に慣れるまでには、かなり辛抱がいった。
 夕刻、青野の帽子工場から帰途を急ぐ澄の目に、真先に火の色が見える。中村竹吉、村上房之助、田中善吉らが館の庭で書を燃やしているのだ。上田幸吉が綾部を抜け出して間もなくから、この焚書は始まった。小松林の魂を追い、外国文字を焼き払って立替えの型を示す、日々の大切な儀式となった。 炎を上げているのは、鬼三郎が綾部に来てから寝る間も惜しんで書き貯めた膨大な原稿、信者たちに書き与えた短冊や半截類。神という字を燃やすのだけは畏れ多いと誰かが言い出して、役員たちが夜なべの合い間に丹念に神の字を切りとる。だから、一日に燃やす分量は、幾らでもない。それでも、切り抜いた神の字が、もうみかん箱三杯に貯まった。 鬼三郎の部屋の天上裏から発見したり、役員たちがあちこちの信者の家を回って集めて来たものだが、よくまあこれだけ書いたものとあきれるぐらい。寝る間もなかったはずだ。 澄が部屋の外に立って見張り、人が来ると廊下を踏んで合図して、夫は豆ランプを蒲団でおおい、苦労の末に書き上げた思い出のにじむ本もある。無学で読めぬとは言っても、それが夫にとってどんな大事なものか、妻の澄に分らぬはずはなかった。 中村や四方平蔵らが役員を代表して夫の原稿の引き渡しをせまった時、澄は迷った。必死に拒めば守り切れたか知れぬ。けれど澄はそれをしなかった。夫の書きものが正か邪か知る由もない。しかしすべては小松林の心なのだ。小松林の書を焼くことで、夫と小松林を切り離せるなら……艮の金神の意のままに、立替えの型が成就するなら……。 澄は、自分の手から炎の中に夫の書を投じた。火色の中に、鬼三郎の魂がもだえ尽きていく。それは同時に、澄の中の何ものかをもつき崩していく。 背にささる痛い視線に、澄は振り向く。怒りをこめ、炎を宿した、姑世祢の眼だ。ぐっとにらみつけて、澄ははじいた。 縄ないをして家計を助けるべき夜を、澄は抜けて北西町へ急ぐ。大槻家の離れでは、いつも賭場がひらかれていた。そこから上がるテラ銭は、鹿蔵夫妻の大きな収入源であった。 澄の訪れを米は歓迎する。あしかけ九年間も狂い続け、母によって癒されながら、母へのわだかまりを捨て切れぬ米。世継の澄が大槻家の悪に染まることを嫌い、恐れる母を知っていて、いっそう澄を引き寄せたがる。姉妹の中を裂こうとする母が憎い。その分、妹の来訪は嬉しくてならないのだ。 大槻鹿蔵もまじえて、茶の間で花札が始まる。 ここにいると、まるで別世界であった。神も立替えも、筆先も、すべてが遠く、かかわりもなく、とるに足らぬ瑣末な事に思えてくる。わずかの銭のために体をこき使い、果ては団栗団子に飢えをしのがずとも、ここでは花札やサイコロの一夜の遊びで、大金が右から左へ転がってくる。鬼と蛇の身魂の夫婦とさげすまれる姉と同じ悪の血が、自分の体をも確かにめぐっているのかと思う。 背中の朝野の泣き声にも気づかぬほど勝負に熱中する澄。澄が今、心の昂揚を感じるのは、小さく美しい花の図柄の戦いだけであった。 ――澄よ、改心いたされよ。行いを改めて下されよ。直の子ではないか。 筆先の執拗な叱責。澄に聞かせようとして、中村がわざとくりかえし音読する。澄は耳をふさいだ。まだおまけに、蒲団を頭からかぶった。
「会長はんいうたら、今度は人間から牛乳しぼる会社おこして、金儲けに乗り出さはったそうどすで」 京都へ行った田中善吉が、義兄近松政吉から仕入れてきた怪情報である。「はて、会長はんは昔、乳屋か牛飼いしとっちゃったげなが、人間から牛乳しぼるって……何じゃいな」と、四方平蔵がいぶかった。「牛より人間から牛乳しぼる方が、安上がりやさかいどっしゃろ」「いくら会長かて、男やさかい乳出さへんやろ。女子ども飼うて、牛の代わりに乳しぼるんじゃろか……」 中村竹吉が顔色変えた。「くそ、四つ足身魂め。小松林がとうとう獣の正体あらわしくさったわい。人間に牛の乳出させるなど、なんちゅうこっちゃいな。この調子では、人間に牛の仔を生ますぐらいやりかねんでよ」 三人は額を寄せた。が、どう頭をひねってみても、人間から牛乳をしぼるなど考えがたい。けれど、どんな不思議でもやりこなす会長の霊術の力は認めねばならんのだ。「どえらい悪の型を出すことになる」と、平蔵はうなった。彼らは口々にしゃべり出す。「どのいしても、やめさせねばならん。わしらが手をこまねいて見とったんでは、天地の神々さまに申し訳もたたんわな」「よし、ちょうど外国文字もすっかり平らげたとこやさかい、すぐ京都へ行って会長はんを連れ戻してこよう。かついでも連れて帰らんなんさかい、若い者も連れて行こかい」「教祖さまに御心配おかけしてはならんさかい、乳のことは内緒やでよ。わし、ちょこっと京都へ行くお許しもろてくるわな」 平蔵は別荘に、中村、田中は東四辻に急ぐ。ちょうど居合わせた木下慶太郎、竹原房太郎、村上房之助が即座に同行を申し出た。 村上が思案深げに言う。「その前に、会長はんを産んだお世祢はんから、まず改心してもらわねばなりまへんなあ。大本の神さん除けといて、この頃は稲荷の札を拝んどりなはる」 中村が大きくうなづいた。「ほんまや、よう言うちゃった。まずお世祢はんに改心してもろて、それから会長や。みんな、ついて来なはれ」 中村、田中に続いて若い者が従った。 世祢は、奥の間で木綿の厚い地の足袋をつくろっていた。直の手づくりの足袋であった。「綾部の冬は寒いから」と、去年の秋にくれたものである。一冬はいて、今年もまたこの足袋で冬を過ごさねばならぬ。網すきの手内職で、指先は荒れていた。 貧乏はこらえもしよう。だがこらえきれぬのは、絶え間ない息子鬼三郎への圧迫であった。留守の間に、澄までが一緒になって、息子の夜な夜な心血注いだ書き物を焼ききった。口惜しさが、世祢の心をじりじりとあぶる。 嫁の澄、孫の朝野への愛すら干乾びていく。四面が敵。訴える者も、慰める者もない。人間としての直には敬慕を覚えながら、教祖直にはそっぽを向いた。気違いの元凶にちがいなかった。神前には義理で手を合わし、自室の柱に張った稲荷講社のお札ばかり熱心に拝んだ。金明霊学会は稲荷講社の付属教会なのだから、親元のお札を拝んで何が悪かろう。これ見よがしの、せめてもの世祢の抵抗であった。 大勢の荒い足音がして、世祢の部屋の襖があいた。誰かがいきなり柱に貼っておいた稲荷講社のお札を破り捨てる。「四つ足身魂の母親は、やっぱり四つ足や。改心して下され。稲荷を拝むような身魂はこの大本には置けんわい」 世祢は逆上して我を忘れた。「四つ足、四つ足とあんまりや。あの子を、誰のみ子やと思うてや。お前たちに馬鹿にされてよいような子やあらへん。無礼やないかいさ。出て行っとくれ」「出て行くのはお前や。稲荷講社の駿河の狐や。この肉体から出て行けい」 腹部に激痛。あたりがまっ暗になった。男たちの叫びが遠くかすかになっていく。「どうや、狐はのいたか。お世祢はん……お世祢はん……」 平蔵の知らせで、澄は東四辻にかけつけた。世祢は西田元吉と雪の介抱を受け、気をとり戻していた。「どうしても足が綾部へ向きよるで、吾が急いで帰って来ら、このざまや。あいつら、横腹蹴って気絶させといて、義母さん見捨てて逃げおった。兄貴がいたら口惜して……泣きよるで……」と言う元吉の目から、ぽたぽた涙がしたたる。「こらえとくれやす」 澄が両手をついた。知らずに筆先を書いているであろう母直に代わって、詫びた。 世祢は白い目を脇にそらす。決して許すまいとしている。澄の責任でないのは知れたことだが、大本の世継として、息子鬼三郎をないがしろにする嫁として、二重に憎いのだ。「このまま義母さんをここに置いといたら、気違いどもに殺されちまうでよ、お澄さん。どうしたらよいじゃろ」と、元吉が心配しきった眼の色で相談をもちかけた。「……やっぱり龍門館に帰ってきておくれなはれ。ここよりはきっと……」 駄目と分っていながら、澄が口にした。東四辻の雑居生活は世祢の望んだことだった。やはり世祢は白い面を強く横に振った。 元吉が言い足す。「どっちゃにしても、綾部ではあかん。あいつらが兄貴を連れて帰りよったら、もっとややこしいことになる。いっそ小竹のおる園部へでも移ったらどないやろ。義母さんが動けるようになったら、とりあえず吾の家へ来な。お雪と一緒に暮らしたらよいわい」 澄は深くうなだれた。
 東四辻を出、龍門館への道の曲り角まできて、澄は思った。 ――うちも出て行きたい。このままどこか遠くへ消えて行きたい。母も夫もいない世界へ……。 平蔵たちが鬼三郎を連れて戻ったらと思うと、澄は身震いする。五百六十余冊と中村竹吉が数え上げていた、あの煙と化したどえらい書き物、書きつけ、衣類やら持ち物……。その上、母世祢への虐待が知れる。怒髪天をつく鬼三郎の神がかり、決して負けぬ母との激烈なぶつかり合い……。今の澄はそれに耐えられそうにない。 細い体を折り曲げて、澄は道脇の桑畑へわけ入った。下枝の張った桑の木の太い幹にすがりつく。くっくっとのど笛が破れるように鳴る。大きな桑の葉が重なり合い、澄の体を包んでくれる。 母の霊視と、夫の天眼通と、それから艮の金神の手のとどかぬ地が、どこにあるだろうか。澄は知っているかぎりの地を思い出す。 七つの時、右手首に所書をくくりつけてもらって、とことこと歩いていった最初の奉公先福知山。姉たちのいる八木、王子。それから万右衛門牛のいる私市。全部でそれだけ。どこへ行っても、澄を鬼門の神の眼からかくまってはくれまい。 澄は足下の土くれを握りしめた。ちかっと指を刺す痛み。掌を広げると、土に混じって太く長い針が……。澄は陽にすかして見た。耳のところがわずかに折れてはいるが、四寸五分はある畳屋の使う差針だ。 ……何でこんな所に落ちとるんやろ。 泥をぬぐって畳針をみつめた時、澄の荒立つ胸がすっと冷えて、はっきりと一筋の光が差し込んできた。澄は、その光に向けて落ちついて言った。「もしほんまに神さまがうちを必要なら、生かしてくれるはずや。神さんのお仕組いうのが嘘っぱちで、どうでもよいことなら、今すぐうちを死なしておくれなはれ。さあ」 澄は出来る限りのどをそらせる。桑の葉を洩れる陽ざしが、まぶしい光の玉を散らす。息をつめ、畳針の頭のほうからそろそろとのどへ押し込んだ。吐き気がした。針を抜いて吐く。固形の物はほとんどなかった。 もう一度やり直す。こみ上げる吐き気。やたらに唾液が出るようだ。 力をこめねば、はじき返してくる肉の弾力に負ける。白いのどが、ぴくぴく動く。ふくれた部分が通っていくと、あとは吸い込まれるように入っていった。 もう引き戻したくても、指はとどかぬ。のどから胸へと落ちていく針のしびれるような感覚に心を研ぎすます。 ――これでうちのまる十九年の人生は終わった。あとは必要なら、神さまが何とかしてくれてやろ。 ふっと笑いがこみ上げてくる。桑畑を出て空を仰いだ。もうどうなってもよい。神にまかせきった身に、こわいものは何一つなかった。早く帰って朝野におっぱいをやらねばと思う。けれど急がず、ゆっくりと死への感覚を楽しみながら、龍門館への乾いた道を歩いた。「お澄や、畑のさつまいもが食べ頃になっとるさかい、少しふかしておくれ」 東四辻の桑畑から帰ってくると、表に立っていた直が待ちかねたように言った。「はい、母さん」 つとめて明るく澄が答える。一昨年の秋おそく、ここに移った時は、別荘の渡り廊下と薪置場の間は、石ころだらけの荒れた空地であった。「お土を荒れさせてはもったいない」と、筆先の合間に直が掘り起こして、今では石ころ一つ、雑草一本ないきれいな畑地。さつまいもの蔓を上げると、ころころと太った芋がついてくる。 畳針を呑み下し、死と向き合った今、澄の心は、風のそよぎにすら感じやすくなっていた。 陽と水をいっぱいに受け、土が育んでくれた一つの芋。生命の不思議、お土の恩につき動かされ、涙が落ちて止まらない。 神前にお初のさつまいもを供え、残りを火にかけていると、朝野が君におぶわれて帰ってきた。その機嫌よい笑い声を聞いただけで、きゅっと乳房が張りつめてくる。死にたいと願っている心とはうらはらに、この体は針を入れられてもなお我が子を育てようとしているのか。 朝野をかき抱いて、激しく頬に口づけし、乳房を含ませる。 直が台所へ来て芋のふかし加減をみ、塩をふって抱えてきた。目を輝かす君に一つ握らせ、一つを澄に渡してそこに坐った。「食べておくれ、お初の芋やで」 めったにないことであった、三度の食事以外、間食に母が芋をすすめるなど。大勢の食費の他、筆先の紙や墨、神に捧げる燈油や饌米などのために土方までして働いている東四辻の人々にすまない。喜びも苦しみも分かち合う共同生活の中なのだ。夢中で食べている幼い君。 直は昔を偲ぶやわらかい眼になった。「清吉が出征する時なあ、ふかしたての新しいさつまいもを腹いっぱい食べたい言うて……。熱いのをふうふう吹きながら頬ばってくれた。あれが、あの子との最後の別れじゃったが……」 どきんとした。母の視線を受け止めかねて、澄は熱い芋をのどに押し込んだ。食欲はなかったが、母を喜ばそうとして「おいしい、おいしい」と幾度もくりかえした。 その夜はたっぷりと芋粥。喜んで一同、腹いっぱい食べた。人々の満ち足りた笑顔が何よりも澄にはうれしかった。やさしいやさしい心になっていた。 一夜、二夜が過ぎた。三日目の明け方、くどに火を起こしている時、澄は右横腹に激痛を感じた。最後が来た。火吹竹を握りしめ、歯をくいしばる。二階の神前から、母の奏上する神言が流れていた。苦悶の余り土間を転げていって、澄は気を失った。 くどには火が燃えている。母の神言が続いている。火吹竹が、掌で、くだけている。あっと気づいて起きた。どうなったのだろう、ここはもう死んだ世界だろうか。 異臭が鼻をつく。失禁していたのだ。 汚物の中から澄は見覚えのある長い針をつまみとる。血と粘液にまみれた畳針の先に細い糸がからみついている。いや、糸ではない。さつまいもの繊維であった。頼りなく細いすじが幾重にもからみ合って、鋭い針の先をおおったのだ。この長さで、どこをどう差し貫いても仕方ないものを、狭苦しくまがりくねった腸の角々で向きをかえ、いたわり、いたわり、三日がかりで体内をくぐり抜けた……。針が、芋が、体が、澄の知覚せぬところで協調し合い、澄の体から直面する死を追いのけてくれたのだ。それは「生きよ」と命ずる厳然たる神の意志ではないか。 土間を清め、汚れた衣服を着がえて外に出る。朝霧の奥に陽が昇るところであった。
 ようやく、鬼三郎の思惑通り、一日一石製造の線に行きついた頃、思わぬ商売仇が出現して、衝撃を受ける羽目となった。同じ町に、栄乳と称する人造精乳販売元が出来たのだ。信じられぬことだったが、精乳の製造秘術は、岩塚薬剤士から洩れたものと分かった。まったく同じ味、見分けはつかぬぐらいである。修生社の客ののびは止まり、逆に減りをみせてきた。「おもろい。戦いをいどんできおったのう。心配するな。こちらも対抗策を考えたらよいのや」 山田を初め若林、由松らの憤激を、やわらかく鬼三郎がなだめた。 その朝、鬼三郎が帳面を調べていると、表で犬が激しく吠えつく。見ると、店の前を肩で風切って通り過ぎる蓑笠隊の一行がある。この町中を……。大本人種以外の誰であろう。 思わず表にとび出した。蓑笠の後姿いっぱいに、丹波の秋が匂っている。涙が出るほど懐かしかった。一行の後尾を、たどたどしい足運びで行く平蔵の後から、抱きつくように鬼三郎は声をかけた。「おい、どこへ行くんや」 四方平蔵、中村竹吉、竹原房太郎、村上房之助、木下慶太郎。後姿だけでもそれと分る五人男はいっせいに振り返って、びっくりした目で鬼三郎を見た。「ここにいちゃったんか。何しとってんです、先生」 木下の声にも、正直に歓びがあふれる。「お前ら見かけたさけ、懐かして追ってきたんやんけ」 左右から、四方平蔵と中村竹吉がぐいと手をにぎる。平蔵は捜しあぐねた仇に出会った面つきになった。「やれ、艮の金神さまのお引き合わせや。つかまえたからには、もう離さんでよ」「何がお引き合わせや。わしが声かけてやらなんだら、お前ら、どこまで行く気やったんや」「それが、田中はんから住所は聞いたんやが、その書きつけを落として……蛸薬師まではみな覚えとるんですわ。けど、何やら小路か誰も思い出せん。朝から歩き廻っとるが、何しろ人間から牛乳しぼる商売ちゅうだけで、大本の上田鬼三郎と言うても誰も知らん。ひと先ず近松政吉はんの家へ行って、近松はんに先生の居所まで案内してもらおちゅうことになったんですわな」「近松はんの家なら反対やんけ。こっちやない、向こうの通りや」「そら好都合や。先生、知っとってんですかい」と、村上が嬉しそうに言った。「お前ら知らんと行く気なんか。あきれた田舎者め、わしが連れてったろ」「おおきに。やれ、ほっこりした」 中村が村上の額を小突いた。「阿呆、会長つかまえたら、近松はんへ行く用はないわい。さあ、先生のおってんとこへ案内しとくなはれ」「気がすすまんなあ。連れてったら、どないするんや」「きまってますわな。すぐ荷物をまとめて、綾部へ引き上げですわな。小松林にこんなとこうろうろしてもろとっては、ろくなことありまへんやろ」「無茶ぬかすない。いま産んだばかりの事業が危機に瀕する瀬戸際なんや。生きるか死ぬかや。いま京都を離れられるけい」「事業やて……産んだばかりで乳を出す事業やて……なんちゅう情けないこと言うてんじゃいな」と、平蔵。「そうや。わしら大和魂の男子の事業は、三千世界の立替え立直し以外にはござへんで」と、中村が、得たりと大声を出す。 ――えらい奴らに懲りもせず声かけてしもた。わしは阿呆や。 すでに奇妙な姿の一行に、人だかりがしている。ともかくこの場はごまかす一手だ。「よう分かった。ともかく近松はんの家まで行こけい」「いや、行くのは会長はんの乳しぼる会社や」と、強引にねばる中村。「わしの会社は遠いのや。またの日にしよ。近松はんの家はすぐ近くやさけ、まずそこで草鞋をぬいて、ゆっくり話をしよやないか」 なだめなだめ、先に立った。 近松家に草鞋をぬぐなり、四方平蔵が改まって告げた。「おかげで先生、今までかかって、きれいに綾部の立替えもすみましたでよ。どうぞ喜んどくなはれ」「外国文字と駿河の狐は、ちゃんと追い出して来ましたで」と、中村が真面目くさった顔をする。「そら、何のこっちゃい」と、不安になって、鬼三郎が聞く。「綾部へ帰ってみちゃったら何もかも分ることや。それよりも小松林を改心させて、わしらと一緒に綾部へ帰りなはれ」 彼らは口を揃えて小松林を誹謗する。人造精乳への珍妙なる誤解はどうにか解いたが、近松政吉や妻の自由まで、いつの間にやら彼らの側だ。久し振りの対面で抱いたなつかしの情も、いっぺんに吹きとんだ。 ふくれ返って帰綾を拒む鬼三郎を、平蔵がなだめる。「そんならこうしまひょ。わしらは九十九まで教祖さんの言うことを聞く。あとの一つだけ先生のことを聞く」「いや、万に一つも嫌じゃ。小松林の言うことなど誰が聞くけい」と、中村がむくれた。「お前らがそんな頑固はるなら、なに綾部など帰ってやるけい」 捨台詞を残して、鬼三郎は近松家をとび出した。
 翌朝、鬼三郎は、技師の山田武寅や販売主任の若林と新計画を打ち合わせていた。朝の配達を終わった連中が帰って来て、店は活気にあふれる。そこへ近松の案内で、蓑笠隊の一行が乗りこんできた。 中村がやおら筆先をとり出し、独特の節まわしで読み上げる。「この綾部の大本は、めぐりの金やら、うそ追従できげんとりに来てくれても、お相手にはようならんぞよ。いまの世界はめぐりの金ばかり、めぐりの金では、まことの道の用にはたてられんぞよ。まことのものは、金に難渋をいたすのざぞよ。これからよくわかるぞよ。悪の身魂は金に不自由はしておらんなれど、悪は長うは続かんぞよ」 一節読んでは演説をぶつ。「なんぼ嘘で固めた世の中と言うても、偽物の乳を作って売るなんて、あんまりではござらんか。ぼろい儲けのつもりか知らんが、それは罪障の金。三千世界の立替えには、なんの護符にもなり申さぬ。改心いたされよ」 竹原が続ける。「お前らの大将には、小松林の悪神が憑いてござる。知らずとはいえ使われとるお前らは、その眷属として悪のしぐみの型を出しとる。けものの骨や肉のソップやて。犬に食わすならまだしも、けがらわしや、大和男子は飲まんぞよ。改心なされよ。小松林の上田会長を追い出して下されよ」 四方平蔵も若い者に負けてはいられない。「わしらは綾の聖地から、上田会長の肉体を連れ戻しに参った者でござる。帰なぬというなら、帰ぬまでここに寝かせてもらいますわい。言い出したら成し遂げる生粋の日本魂でござるぞよ」 近松政吉が禿頭をふり立てながら、くどき出した。「皆さん御迷惑さんどす。けど役員さんたちの言うてん通りどっせ。上田会長は、今は情けなや小松林の巣になって悪の御用をしてなはるが、いずれは坤の金神のかかる大事な身魂どす。こんな偽乳屋の大将で治まっとる安っぽい身魂やおへん。ここは皆さんで上田会長に綾部へ帰ぬよう、勧めたげとくれやすな」 配達員や苦学生らは、あっけにとられて眺めている。 折しも配達から戻った幸吉が、ぎょっとして立ちすくんだ。「幸はん、や、や……何ちゅうかっこうやいな、情けない」と、村上が、幸吉のハイカラな宣伝服を見て、悲鳴を上げた。 山田と若林は顔見合わせてにやっとした。鬼三郎は気が気でない。店の前には人だかりがしてきた。癇癪持ちの由松が配達から帰らぬのが不幸中の幸いだ。ごまかしではもう効かなかった。「帰る、帰る、綾部へ帰るさかい、おとなしゅう表で待っとってくれ」「社長はん、心配せんとお帰りやす。あとはわしらに任しといてもろたら、あんばいようしときますわ」 むしろ嬉しそうに、山田と若林がすすめた。若い社長を押しのけて、色気を出したい二人の気持ちは見え見えだ。そんならそれでもよいと、鬼三郎は思った。あわただしく旅支度をしながら、心は次の手にとんでいた。

表題:錦の機 8巻4章錦の機



 蓑笠隊に京都駅から汽車をおごって、珍妙な鬼三郎一行は昼過ぎ、園部へ着く。三年前までは一日行程だったのだ。五人の石頭たちに、文明のありがたさを認識させたかった。しかし園部から夜道かけて一気に綾部まで行くのは気が重い。 彼らを連れて、園部上本町の奥村徳次郎の家へ行った。気にかかっていた園部の人造精乳事業は順調にのびていて、まずは愁眉をひらいた。 さて、自分の根城に引入れたからには、四つ足呼ばわりを止めぬこいつらに一泡吹かせねば癪がおさまらぬ。鬼三郎持病のいたずらの虫がぐるぐるうごめいた。 日が落ちて、十畳の座敷に膳が並べられる。奥村の妻さいが茶碗に赤飯を盛り分け始めた。それぞれの前に揚豆腐一皿、牛肉の甘煮一皿、精乳一瓶。「今日は上田先生の大好物ばかりでっせ」と、さいが言った。 悲しいかな、肉食を拒む五人衆には、牛肉と精乳は神かけてのどへ通せぬ。けれど艶のある暖かい赤飯と揚豆腐だけでも、粥腹に慣れた彼らには涎の出そうな御馳走だった。どこへ行ったのか、鬼三郎が席をはずしたまま戻って来ない。のどから手が出そうになりながら、先に食うわけにもいかぬ。 じりじりしながら待った。と、襖の外で異様な唸り声が上がった。さいが襖を開けると、座敷の真ん中に四つ這いになって這い出た背広の男。 あっと五人は息をのんだ。男はくるくると二、三べんまわって中村の前に這いより、膳に首をつっ込んで、むしゃむしゃと赤飯を食い始めた。中村が赤飯の皿を守ろうとやっきになる。男は揚豆腐をがっとくわえ込み、中村を睨んでうなった。 中村は男を指さし、物も言えずに震え出す。 平蔵がようやく深い吐息と共に言った。「会長はんや。見い、会長はんが洋服着て……ああ」 茫然としている五人の膳を、次々四つ這い男が食い荒らす。やがて満腹したのか、ごろんと仰向けに寝ころび、飯粒だらけの顔で大口をあけ、鼾をかきはじめた。息もつかずに見つめていた彼らは、ほっとしたように顔を見合わせた。 四方平蔵の目から、ほろほろと涙が流れる。「ああ、お筆先は争われぬ。とうとう会長はんの四つ足の本性があらわれた。ありがたい、ありがたい……」 鬼三郎が目をきょろつかせ、口をぱくぱくさせた。「え、何です、会長はん」と、竹原房太郎が口に耳を寄せる。「タバコ……タバコ……」「煙草を吸いたがってますで。どうしましょ」「好きなようにさせなはれ」 平蔵は手放しですすり泣きながら言う。そばに火鉢があるにもかかわらず、竹原は火打石で煙草に火をつけて、鬼三郎の口にくわえさす。「本性をあらわしたのは結構なが、どうやってこの四つ足を追い出したらよいのや」 中村が不安げに平蔵をつついた。嬉し泣きばかりしておられぬ。平蔵があわてて涙を払った。「うーむ、それが大問題やて」「わしが鎮魂しちゃるわ。いくら先生でも、かかってはるのが四つ足なら何とかなる」と、審神に自信のある村上が申し出た。 結局、それより方法がない。井戸端で身を潔めた村上が、審神者の座についた。木下と竹原が援護のつもりで村上の後に坐る。 やおら鬼三郎は発動して、とび上がった。「ひ、ひ、ひ、坤の金神……金神……」「嘘をつけ、坤の金神さまが四つ這いで飯を食うか。白状せい」「小松林……小松林命であるぞよ」「小松林とは嘘っ八。まことは小松林の眷属のこ、こ、こ、こんこん狐であろう。この体から出て失せい」と、村上が颯爽と霊縛の形をとる。「くるしい、くるしい……」「ほんまのこと言え」「ほんまは天神山に住む古狸……あずき飯が好物であるぞよ」「よくも長いこと、会長の肉体にかかって苦しめくさったな。さあ、すぐに立ちのけ」「この肉体が好き、好き。もう二、三日、別れを惜しませてくれ」「そしたらすぐに出るか」「出る。先に綾部に帰ってくれたら、きっと四魂揃うた元の上田鬼三郎を返すわい」 村上は、流れ落ちる汗をぶるっと振って、中村を見た。「それなら『四つ足はもうかからぬ。上田鬼三郎の肉体は返上する』と言う、詫び証文を書かせろ」「書く書く」と鬼三郎が悲鳴を上げる。 すぐに硯箱が運ばれる。竹原が墨をする。鬼三郎は筆を口にくわえ、四つ這いのまま、漢字ばかりを書きつらねた。漢文を読める者は誰もいない。「四つ足はやっぱり外国文字書きよるで。けど間違いないやろ」「よし、以後、改心せいよ」と、中村が厳かに宣した。 さいは発動が去った鬼三郎の顔や手足を拭い、寝巻に着がえさせて、甲斐甲斐しく寝床に押しこむ。 彼らは落ち着きをとり戻した。食膳はみるかげもなく荒らされていた。牛肉と精乳は食い残されているが、彼らは食うわけにいかぬ。「いや、お気の毒に。食べる物のうなったけど、どうしましょ。乳ならたんとおすけど……」と、さいが本当に気の毒そうに言った。「かまわんといとくれなはれ。お茶もろたらよろし」と、平蔵は手を振った。鬼三郎の憑霊を追い出さんために長年苦労を重ねてきたことを思えば、一夜の空腹ぐらい物の数ではなかった。「ちょっとまたやり過ぎたわい……」 ふっ、ふっと湧き上がる笑いを噛み殺すうち、鬼三郎の鼾は本物に移っていった。
 畳針を呑んで自殺をはかったことなど誰一人知らぬことながら、澄の蘇生の喜びは、翌日の夕方も続いていた。そこへ園部から蓑笠隊が意気揚々と帰って来た。世間の空気に触れて心ならずも穢れた身魂を清めようと、井戸端で裸の五人男が禊する。 着物をつける間も惜しそうに、木下慶太郎が若々しい声を張り上げた。「お澄さん、喜んどくなはれ。先生は二、三日で帰って来てですで」「小松林の悪神を、詫び証文とって追放しましたで」と、村上も負けずに叫ぶ。 五人の夕食を整えていた澄が、井戸端へ驚いた顔を出した。「先生が……ほんまに詫び証文を……」 中村が重々しくうなずく。「ほんまや。お澄さん、もうすぐ坤の金神さまのかかりなさる日本魂の先生になって、綾の高天原に帰って来てですで」 四方平蔵が、振り分け荷物の中から油紙に包んだ詫び証文をとり出して、頭上にかざす。直しても直しても笑み崩れる顔。「これこれ、これやで詫び証文は。ようようわしらの誠が通ったんじゃな」「わしの審神や、お澄さん。わしの審神で、小松林が四つん這いになりよった。きりきり舞いして詫びよった」と、鬼の首を竹ベラででもこそげ取った顔つきで、村上房太郎が自分の鼻をさし示す。「慢心は大けがの元と言うてあろうがな。また牛人の金神がついて涎くらんなんでよ。『神も時節にはかなわんぞよ』……その時世時節がめぐって来たんや」と、中村がたしなめた。「中村はん、その詫び証文には、なんて書いたりますんや」と気遣わしげにのり出す澄に、平蔵が言った。「やっぱり身魂は争われんもんだっしゃないか。外国身魂の小松林やさかい、なんと漢字ばかりで書くのやで」「それで……」と、澄は追求したがる。 中村がぶすっと言った。「外国文字など目が汚れるさかい、よう読まん。でも読まんかて分かっとるでよ。つまり……『もう二度と先生の体にはかからん。先生の体を空にして綾部に返しますゆえ、どうか許してくれ』ちゅうようなことや」 そんなはずはない。この五人が束になっても逃げ出すようなちょろこい小松林やない。漢字が読めんもんやさかい、中村はん、痩せ我慢はって……しかし、もしほんまなら……と、一分の期待が澄にもあった。「さあ、早う神さまにお礼して、教祖さまに御報告しよかいな」と竹原がうながして、五人は浮き浮きと二階へ上がる。遅い夕食をすます頃、東四辻からつめかけた人々を前に、またひとくさり身振り手振りで村上房之助小松林攻略の自慢話が披露された。 夜もふけてから、詫び証文解読のために外出していた四方と中村が、むずかしい顔つきで帰ってきた。「小松林いう奴はどえらい悪たれ神や。まただまされましたわな」と、口をきくのも嫌というふうに平蔵がふさぎ込んだ。「それで……何でしたんや、その証文は」 澄の催促に、仕方なく中村が吐き出した。「詫び証文どころか、あんたはん、よいころかげんなわしらの悪口ですわな。まあ読んどくれ。間違わんように、野崎はんに仮名で書き直してもろて来たんじゃ」 木下慶太郎が受けとって、急いで読み上げる。「五ひきのみのむし、まがつ神にだまされてなおひのみたまをうばわれ、たてかえのときには手もあしも出んことになるぞよ。いまのうちにかいしんして、おにさぶろうのもおすことにふくじゅうせよ。さもなくば、小松林もにくたいも綾部にはもどさんぞよ」 一座はしんとなった。澄の心は騒がなかった。ふき出したいのをこらえて、わざと腹立たしげに言った。「ほんまになんちゅうやんちゃな先生やろ。五人もの男はんにこれだけ苦労かけさしといて、あんまりや。綾部に帰らんなら、帰らんでよし。もうほかしといておくれなはれ」 言っているそばから、恋しさがつのった。園部までは帰っとるのや。会いに行こう、朝野を負うてと、とび立つように澄は思った。
 綾部の松は緑が違う。空気の匂いも違う。 半年ぶりで並松の河畔に立って、鬼三郎はそう思った。松ばかりではない。草も、木も、風も、光も、小石も特別の肌ざわりなのだ。 虐待に耐えかねて飛び出してはみたものの、都会の煙に濁った空気には、自然の霊光の影もない。思えば、いまはもう生まれ故郷の穴太以上に、綾部は懐かしい魂の故郷であった。「なんでやろ。顔も見とうない苦々しい奴らとの思い出ばかりやんか」と、そう水を差してみる。それでも綾部への魅力は減りはしない。 宮参りの時いらい見ぬ朝野。園部、京都、大阪と目まぐるしく動きながら、瞼にはいつも朝野の成長を負い続けていた。想像上の朝野は、八ヶ月という実際の年令のわくを越え、這い、立ち、歩み、「父ちゃん」とすがりつく愛娘に育っていた。けれどその朝野の目鼻立ちは、どうあっても思い出せぬ。無理にも引き寄せようとすると、それは妻澄の黒い瞳、ふっくらと赤い唇に代わった。 歩けば五分とかからぬ近くに来ていながら、真直ぐ龍門館へは行きにくかった。由良川のよどみに映る自分の姿を眺めて、さっきから行きつ、戻りつである。 はるばると京都まで迎えに来てくれた五人の役員たちを、からかって追い返した。「綾部になど帰らぬわい」と、わざわざ証文まで書いて持たしてやったのだ。それは昨日。まだ墨も乾かぬその後で、のこのこ帰っていくバツの悪さ。 蓑笠隊が園部を発つ時、村上房之助がふんぞり返って審神の姿勢をし、こうぬかしたものだ。「これ、天神山の古狸、ほんまに二、三日したら、先生の肉体を綾部へ戻せよ。もし約束を破ってみい。昨日みたいに霊縛にかけて七転八倒させちゃる。いくら謝っても許さんでよ」「帰ぬなと言うても、ここまで来たら明日にも帰ぬわい。お前らへの義理ではないぞ。可愛い妻子に魅かされて……じゃわい」と、そう言いたいのをこらえるのはつらかった。十本の足をそろえて躍るように綾部へと向かう奴らが羨ましかった。 ――これでも一夜はがまんして園部に寝たんやぞ、お澄。半年ぶりで逢うというのに、奴らに首に縄つけられ、引きずられて帰ねるわしやと思うかい。わしは自分の足で帰んだる。颯爽とな。 そう心に叫びつつ、また鬼三郎はよどみをのぞく。蝶ネクタイに何度目かの手をやる。由良川の水鏡にゆれ動く自分の洋服姿に、もう一つ不安があるのだ。 生地は最高、仕立も最高。着手ときたらまさに抜群のよい男や。現代の先端を行く紳士として、大阪砲兵工廠の三千の聴衆を前に大獅子吼、日ならずして敵さんを帰順せしめた時に着ていたのやで。 その後、思い切って冬用のインバネスまで新調した。「この男振りを見たら、澄かて見直しよるわい。きっとやわい」とつぶやいてみる。すすきの穂を折って、胸ポケットにかざしたり捨てたり。「何でやろ。大阪では堂々と胸を張って濶歩したのに。自信は十分、おつりがくるほどやのに、女房に見せようと思うだけで足ががくがくする」 またぞろ役員たちが「四つ足身魂」と騒ぎ立てることは知れていた。そんなことはどうでもよかった。またなんぼでも、ごまかす手はある。問題は、澄に会った時の自分の態度だ。初恋の時のように胸がときめく。 気を落ちつけようと、娘への初めての贈物にさんざん迷いぬいて買ってきたキューピィの箱のリボンを結び直した。妙に歩き方がぎくしゃくするのは、靴ずれのせいである。 並松の角を曲がると、塩見せいに出くわした。「よう……」 気どって手を上げてやると、せいはぽかんと見送った。 龍門館の門口に立った時、二階から降りてくる澄の目とぶつかった。鬼三郎は照れかくしに挙手の礼をする。つい溝口中佐の真似が出たのだ。 どうしたのか、妻は押しだまったまま、階段の途中にひっかかり、顔をおおった。しなやかな体が痙攣している。 鬼三郎はあわてた。澄が泣き出すなど、一度も計算に入れなかったのだ。そうやろ、無理もない、無理もない。無理解な役員信者たちの中に残された妻の半年もの苦労は、口では尽くせまい。お澄、泣くほどわしが恋しかったのか。 鬼三郎は靴を脱ぎ捨てた。抱きかかえようとする夫の手を振り払って、澄は身をよじる。涙をこぼしながら、苦しげに妻は笑っているのだ。笑い声を聞かせまいとしてこらえるのにも、限度がある。とうとう手のつけられぬ高笑いとなってしまった。「澄、どないしたんや。何がおかしい」「あんまり笑わさんとくれなはれ。そんな妙ちくりんな恰好で、かわいそうに……乳屋のちんどん屋しとっちゃったんですかいな」「なんかしてけつかる。澄、落ちついてくれや。これはのう、お前は見たこともないやろが、インバネスいうて外套や。この下の服が背広いうてのう、上着とチョッキとズボンで三つ揃いや。都会のハイカラな紳士の服装や。こら、ちゃんと観賞せんかい。よう似合うやろが……」「洋服ぐらい知ってますわな。王子にいた頃、老の坂のトンネルのねきの茶屋にいろんな異人さんが遊びに来ちゃって、うちら、子をおうてしょっちゅう見に行ったもんですわな。足の長い異人さんが着ちゃったら、そら恰好よろしが……先生が着ちゃったら……」「わしが着たら何や」「福蛙に袋かぶせたら、そんなんになりますやろ……」 澄は奥の間に逃げ込んで笑い伏した。「うーむ。さよか……」 鬼三郎は真っ赤になった。何かに似ているとは思っていたのだ。そう言われれば、そう見えんこともない。いや、由良川の土手から水鏡を見たとき、一度は蛙を思い出しかけた。心の隅にひっかかってはいたんや。 鉄面皮と思えば羞恥心の強いのも人一倍。急いでインバネスのボタンをはずしかけているところへ、「あ、いた、いた……」と、中村を先頭に東四辻の住人五、六人が駆けつけてきた。塩見せいの注進であろう。「小松林の四つ足め、覚悟せいよ」 あっという間に、鬼三郎にむしゃぶりつく。「おう、どうなっと剥いてくれい」 鬼三郎は仁王立ちになって、彼らの気のすむままにさせた。たちまち越中褌一つの鬼三郎に早変わりする。「会長はん、越中でよろしおしたな。西洋褌やったら、丸裸にされるとこどしたで」と、田中善吉がささやく。 澄がいそいそと着物を持ってきて、帯をしめてくれた。 彼らに引っぱられて、鬼三郎は二階の神前へ上がった。天津祝詞を奏上すると、自分を取戻したように、ほっと楽になった。 昨日、園部で別れたばかりの五人男が恐い顔で居並んでいる。村上房之助がうらめしげになじった。「会長はん、昨日はようもわしらを騙してくれなはったが、この神さんのお膝元ではそうはいきまへんで」「今日こそ、あの化けもんの外国身魂の洋服をすっくり立替えさしてもろたさかい、ちっとは目がさめちゃったやろなあ。気分はどうどす」と、竹原が試すようにのぞき込む。「裸にされりゃ、寒うて目もさめるわい。けど、赤飯なら、また食うてやってもよいぞ」 まだまだや、まだ改心できんと言うふうに、中村竹吉は首を振った。「艮の金神さまにさかろうて、四つ足身魂がどのい目的立てても、成功するわけないわいや。小松林を思い切り、三千世界の親神さまにもたれて御用をなされ」「お前らに神界の経綸が分かるかい、現代人が眉をひそめんなんようなお前らのやり方で、世間さまがついてくるとでも思うとるのかい」 四方平蔵が、激しく言った。「ついてこんのは世間が間違うとるからでござる。間違うた世間にへつろうて、『世間さま』ちゅうて尾をふりよるのが、小松林のハイカラ神のやり方や。艮の金神さまは、その世間をすっくり立替えて、昔の神代になさる経綸じゃ。先生が一日も早く改心なさらねば、三千世界が潰れますぞよ。さあ、すぐに教祖様にお詫びしなされ」 渡り廊下にかかると、男たちはいっせいに足音をひそめ、猫のように別荘の入り口に膝をつく。 ふくれた顔で入ってきた鬼三郎を見て、直は笑い出した。銀髪はしばらく見ぬ間に、一層輝きを増したようだ。笑みを含んだまろやかな声で、直は迎えた。「よう帰ってくれなさりました。ご苦労さんでございます。神さまの言いつけですさかい、先生、しばらく綾部で辛抱しておくれなされや」 不意に泣き出したい衝動に耐えて、鬼三郎はうつむいた。澄や朝野だけなら、連れ出して役員信者たちの手の届かぬ所へ逃げ出せもしよう。だが、反撥し、争い、傷つきながら、鬼三郎の根をしっかり綾部につなぎ止めて動かさぬのは、この顔、この声から溢れ出る憎いばかりの魅力なのだ。 ――けど、この人の傍にいたら、わしまで爪をぬかれた猫にされちまう。 ふくれた顔のまま、鬼三郎は退出した。 朝野を中にして、川の字に寝た。隣の四畳半には後野市太郎と木下慶太郎が寝ている。さっきまで御幣を手に持って部屋の前に立っていたのだ。今夜から二人づつ、いつも小松林の張り番がつくらしい。「そうや、先生に謝らんなんことがあったんや」と、澄が起き直った。「なんじゃい」「この頃は先生にしたらたいしたことやないかも知らんと思えてきましたんやけど、うち、死ぬほど心配しましたで。綾部の立替えの型や言うて、先生がいろいろ書いちゃった物、えっとありましたやろ。あれ、ぜーんぶ燃やしました。押入れ見ちゃったら分かります。さっぱり空ですわな」「たいしたことやない、やと……澄……」 鬼三郎はとび起きて、押入れをあけた。「その代わり先生、神という字は切り抜いて、みかん箱に四杯分も大事にとってありますわな。役員さんが、掛軸まで集めてきちゃって、何ヵ月もかかって切り抜いたんですわな」 押入れの上段に乗ると、鬼三郎は天井に首を突っこんだ。「そんなとこのぞいても、手おくれやで。そこの書き物はうちが探し出して、後はきれいに掃除しときましたで……」 手も足も力を失って、鬼三郎は押入れから滑り落ち、へなへなと坐りこんだ。高熊山を下りて以来、五年がかりで書きためた五百六十余冊。「どうせ燃やされるんなら、あんなに苦労して、夜も寝んと書いて阿呆らしおしたなあ」 これが死ぬほど心配したという妻の言い草か。腹中が煮えくりかえるばかり熱してきて、ぎ、ぎぎいと髪の毛が逆立つ予感がした。 ――怒れ、小松林。 気が遠くなる思いで、鬼三郎が絶叫した。澄がとびついてきた。跳ね上がろうとする夫の足にからみついて引き倒し、澄は馬乗りになった。「止めなはれ。朝野が起きますわな」 ――畜生、うーむ。 鬼三郎は力んだ。口惜しさに男泣きしながら起きようとするが、背に乗った小柄な澄が磐石のように重くて動けぬ。 すーと下腹の力が抜け、代わりに、ふっふっと腹が波打った。それは笑いの泡となって、口の中から転がり出る。小松林命の託宣だ。「ははは……参る奴があるかい。焼かれたら、また書けばよいわい。何べんでも書く。書き残す。ちょろこいことじゃ」「勝手なこと言うてや。わしの苦労を、肉体を持たん小松林が知るもんか」と、鬼三郎は腹立たしい。笑いがまたはじけてきた。「お前が書いたと思うから腹が立つ。書き直してやるのも、わしじゃよ」 鬼三郎は首うなだれた。怒りが波をひくように静まっていた。 小松林の託宣を聞いていた澄が、のんびりという。「ほんまどすなあ。またひまができたら、なんぼでも書いちゃったらよろしいわな。先生、何しとってんですいな。もう寝まひょかいな」 やがて耳元で、澄のあくびをかみ殺す音がした。 明け方、厠へ立った。枕を蹴っとばしてやっても目ざめぬぐらい、木下も後野も眠りこけている。 お釣をさけるために尻を振らねばならぬほどいつもは水っぽい厠なのに、なぜか真綿の上に落としたように手応えはなかった。妙な……と思って、壷の中をのぞきこんだ。夜明けの薄明りだが、夜目の効く鬼三郎は、浮いている肌色の丸みを見とめて、ぎょっとした。赤ん坊かと錯覚したのだ。だがよく見ると、朝野の土産に持ち帰ったキューピィ人形だ。 ……そうか。キューピィを出して見せた時、朝野はむつかしい顔で睨んどったが、さては奴らが早速とり上げて、立替えをやらかしおったな。ローマの愛の神キューピットやというこの人形、西洋の産にはちがいない。だが、あの真綿の感覚は……。ああ、やりやがった。 はだしで外に出て、庭先の物干竿をとると、汲取口を開けた。竿の先にひっかけて息をつめる。インバネス、背広、ズボン、チョッキ、靴下、ネクタイ、シャツ……靴は底に沈んでか見えぬ。 拾い上げたずっしり重い廃棄物を、取りこみ忘れた朝野のおむつ何枚かで包み、それを抱えて由良川へ走る。凍りつきそうな浅い流れに投げ込み、ええい、くそと足で踏んだ。幾度も返しては、踏み洗った。 川底にひたして重石をし、ひとまず帰ることにした。一週間もさらせば臭気は抜けるだろうか。
「お澄や、柴刈りに行こけい」と、目覚めの床で鬼三郎が誘った。「行きまひょ」と澄が元気よくはね起きる。 手早く朝の片付けをすまし、貧しい弁当をつくる。他の人たちの昼食の支度は四方与平の妻とみに頼んだ。 澄が朝野をおんぶして表に出ると、頬かむりの鬼三郎が荷車を引いて目立たぬように待っている。せっかくの夫婦水入らずに、二人の見張りがついてきたんでは、さっぱりだ。連れ立って、逃げるように朝露にぬれた野路を行く。 須知山の下の新道に荷車を置き、その蔭に木枯しをさけ、むしろを敷いて、ねんねこにくるんだ朝野を寝かせた。 陽ざしがまぶしくて顔をしかめる朝野。鬼三郎がおしめをひろげて車の柄に掛け、陽ざしをさえぎってやる。 朝野が安らかな寝息を立て始めるのを待って、夫妻は山に入った。「おい、昼までにどれだけ刈るか、わしと腕比べする自信あるけ」「へえ、うちは七つ八つから柴刈りして、『十五、六の子の働きする』言われたぐらいですさかい、めったに負けしまへんで」「よーし、女房に負けたとあっては男の名が立たん。朝野、よう見とれよ」 調子に乗って鬼三郎が雑木を刈りだす。澄も鎌をふるって、ざっざっとなぎ倒していく。他には人気のない晩秋の奥山に紅葉が乱れ散った。 麦藁帽子の同じうず巻きばかりと取り組む指先のこまかい内職仕事に、澄は疲れ切っていたのだ。久しぶりに男八兵衛の昔にかえった。西田元吉の手になる鎌の切れ味も胸がすく。思うさま自然の中に力を尽くし、体を動かす楽しさに、数時間、澄は没頭した。「ほーい、止めえ。お日さん、頭のてっぺんやでえ」「はーい、何ぼできちゃったあ」「まず見てくれやーい」 声だけ聞こえて、姿は見えぬ。澄はくすりと笑った。日頃、蒲団かぶって何やら書き物に熱中したり、四角い字ばかり読んでいる男だ。今のうち威張っとってやけど、あとでしょんぼりしてん気の毒やなあと、澄は思う。目で数えただけでも、澄の柴は十束を越えているのだ。 荷車の脇をのぞいて朝野の寝息を確かめてから夫の傍へ行き、あっと澄は目をみはった。そこら一面、赤土の山肌がむき出るばかりに刈り込まれ、広々と空が開けているではないか。 斜面の真中にぽつんと一つ刈り残された緑の木。その木の下に、鬼三郎は寝ころんでいた。「お澄、山茶花やぞ」 厚い緑の葉の中にかすかな紅をときまぜた白い花びら。葉を枯らした雑木林の中に、人知れずひらく花のいとおしさが、また夫の心をとりこにしたらしい。「まわりみんな伐ってしもたさけ、この山茶花、なんやここに残しとくの、かなんなあ」「ほんまに淋しそうどすなあ。けど、やっぱり山の木は育ったところが好きなんと違うやろか」 それとなく澄は牽制する。「うーん、中村が……あいつ、気違いやさけ、庭に植えたらまた引き抜きくさるやろのう」 庭に好きな草花さえ植えられぬ夫が気の毒。澄はわざと明るい声で話をそらした。「けど先生、どえらい刈り方や。これみんな一人でしちゃったん」「あたり前や、他に誰がいるかい」 空地の片隅にきちんと積み上げた柴は、およそ三十束はありそうだ。慣れた山男でも、一日二十束で一人前という。昼前に一日半分の仕事を片付けるなど。 澄は嘆息した。「先生はやっぱり普通やないなあ。平蔵はんや中村はんらが見ちゃったら、天狗か山の神さんが憑いて手伝うとるとまた騒いでやで」「こらえてくれや。狸がついとるいうて、高熊山から下りた時も、わしは穴太であやうくいぶり殺されるとこやったぞ」 鬼三郎が谷川に下りて水を汲んできた。山茶花の下で澄は弁当を広げ、朝野に乳を含ませた。お粥ばかりでは握り飯一つつくれなかった。皮ごとゆでたじゃがいもとかぼちゃの煮付けだけ。それを頬ばりながら、おいしいと思った。夫婦でこんなに心和やかにより添った時があったろうか。「先生は、柴刈りだけしとっても食うていける人どすなあ」 澄は新しい尊敬の念をこめて言った。「そらそうや。お前と一緒に山男でもして一生暮らせたら、どんなに気楽やろのう」「ほんまに、気楽でよいでっしゃろなあ」「雑魚とりでも、わしは食うていけるぞ。何でわしは、神さん商売なんぞ始めんなんのやろ」「辛気なこってすわな」 二人は深い吐息をする。「のう、お澄、わしの作った童話でも聞かせたろか」「へえ、おおきに」と、澄が嬉しげにうなずいた。
 どういうものか、ある日、アンコウが細いレーダーをなびかせ、ちかちかと発光しながら、あるか無しかの目を閉じ、重たい口を開いて宣言した。「海が陸になり、陸が海となるぞ。魚族は三分となるぞ。わしは神の声を聞いたのだ」 鋭敏な長いしっぽを振りまわし、ぎょろ目の脇についた小耳をぴんと張った糸まきエイが同調する。「わしも確かに聞いたぞ。この両耳としっぽで聞いたぞ。神さまは間違いないといわれた。海底の徹底的大掃除、大洗濯が始まるぞ。見ろ、汚物がどんどん海底に沈んできよる」「そら大変だ。みんなに知らせんとえらいことになる。このままだと、我々が棲めんほど海は汚れちまうんだ。おーい。みんな神の声を聞け」と、旗立てタイの一群が必死で触れまわる。「海はこんなに汚れてしまった。大腸菌がうようよしている。もっともっと汚れるぞ。今にはらわたまで腐ってしまうぞ。みんな清らかな住み家を探そう。遊び戯れている時ではないぞ」と、旗立てタイどもは熱誠こめて仲間たちに誘いかける。 他の魚族は嗤った。「なに、これぐらい汚れている方が住み良いわい。海底大異変などあるもんか。わしはわし、この刹那、うまいもんたらふく食って女のあとを追いかけまわしていりゃ、けっこう楽しいやんか」 アンコウのレーダーは、海底大異変の時でもここだけは安全と信じる場所を、ついにとらえた。ある大岩の窪みの水たまりである。 海底大異変を信ずる彼らは一団となり、高波に乗って、そこに移住した。 覚悟の上だが、そこでの生活は苦しかった。水は澄み切っていたが、自由にのびのび泳ぐこともならず、食物もごく少なく貧しかった。けれど後悔しない。神さまはやがて、選ばれた我らに清らかな大海をとり戻して下さる。 だが思いやりの深い彼らは、海の仲間を案じ呼びかけた。「改心して早くここへ来い」 半信半疑で、高波に乗って出入りする連中も初めはあった。しかしそれも絶えた。待っても待っても、大異変の兆しがないからだ。 タツノオトシゴが丸めたしっぽをひょいひょいとのばして海面近く浮き上がり、胸をそらし、口をいっそうとんがらせて空を見上げた。何の変哲もない、ただの空と汚物の海。どうやら大海では、他の魚族たちが、濁った水の中で、おもしろおかしく暮らしているらしい。「わしは、奴らを改心させて連れてこよう。ここでじっと異変を待つのはごめんだ」と、まだ若い糸まきエイが主張した。「いや、ここで待とう、わしらの汚れたはらわたが清まるまで。神さまはそれを待っとってや」 アンコウがその意見に反対する。 口論の末、エイが不思議な小耳を張り、黒いマントの裾をひるがえして、大海へとび出した。旗立てタイがただ一匹ついて行った。 窪みの中の小魚たちは、あせった。今さら恥ずかしくて海に戻れぬ。それに長く海から離れているので、戻るのは不安であった。「神さま、早く大異変を起こしてください。そして澄みきった海を私たち生き残りの魚に返して下さい」と、今も小魚たちは祈り続ける。
「どうや、おもろかったか」と、鬼三郎は澄の顔を見る。「それでしまいですかいな」「そうや、これでしまいや」「大異変が起こるのか起こらんのか、どっちじゃいな」 どうやら澄は、この寓話が大本内部を諷刺していることに気がついていないらしい。鬼三郎は唄うように呟いた。「起きて半畳、寝て一畳、なんぼ食っても腹一杯しか食えやせん。あーあ、出たろか出たろか」「どこへです」「綾部の外や。気ままで広い世間や」「先生は男やもんなあ。役員さんらにいじめられて、辛抱することありまへん。好きなようにしちゃったら……」「朝野をほかしといてか」「どこへ行っちゃっても、やっぱり帰って来てやわいな。先生、淋しがりやもん」 鬼三郎は、満腹した朝野を抱きとって、山茶花の花びらに小さな鼻を押しつけた。朝野は小さなこぶしを開いて、無心に花首をむしり取った。「わ、無茶しよる。わしが傍におらんさけ、中村の奴に似てきよったわい」 花びらを口に持っていく朝野の手をおさえて、澄が言った。「父さんの顔、覚える間もないもんなあ、朝野」「ほんまや、ほんまや。すまん。わるい父親やのう」と、鬼三郎は妻の膝に頭をのせ、遠い空に目を細める。「わしが見とんのは足元やない。ずっと遠くや。お澄、未来やで……」「わかってますわな」 澄は、それを、素直に心をこめて言えたと思った。
 世祢の綾部退去の決意は強かった。西田元吉と相談して、鬼三郎は手紙で弟の小竹政一と交渉したあげく、園部に移住させることにした。 直が許し、役員たちも納得した。 鬼三郎は、世祢と君を連れて園部へ向かった。世祢から直へ「無事に園部に落ち着いた」との礼状が届いたが、綾部へ向かって帰ったという鬼三郎は、一向に龍門館にあらわれぬ。 澄はおかしかった。檻に戻ってくる野獣などあらへん。好きなようにしちゃったらよいのや。阿呆なことして帰ってくる度に、どこかしらふくらみができ、ぐんと背丈ののびた感じが分かる。帰るところは、ここしかないのや。 畳針をのんでから、澄は自分の変わりように気づいていた。生きるも死ぬも神にまかせた、あの時の覚悟が染みついたのか。
「あんな阿呆な勝負ごとに、取り返しのつかぬ時間潰して」 それが口癖の夫の心も分かってきて、澄には北西町への魅力も色あせていた。 朝野を負うて青野の工場へ通う道筋で、澄は忘れかけていた音を聞いた。いや、決して忘れてはいない。生まれた時から体に脈打っていた音なのかも知れない。 カラートントン、カラートントン……トンカラリン、トンカラリン……。 澄は走り出していた。東四辻に行くと、くもの巣だらけの物置を開け、忘れられている古い織機をなでる。「祐助はん、この機、誰のもんや」と、四方祐助に聞いた。「さあて、昔からここに押し込んどったもんらしいでよ」「うち、使うてもかまへんやろか」「へえへ、捨てられとるもん拾い上げて世に出すのんが、大本の教えでっしゃろ。お澄さんが使うてくれちゃったら、三千世界の宝もんになりますわい」 その日のうちに四方祐助は織機を龍門館へ運び入れた。くもの巣は払い去られ清められて、なめらかな木肌を見せ、階段の下の暗い三畳に据えられる。古いながら、がっちりした骨組である。 思い切って明日を考えず、澄はあるだけの金をはたいて経糸を買った。緯糸を買う金などない。四方与平の妻とみに頼み、経糸を張ってもらった。あとは、十五歳の頃に私市の奉公先で織った経験で、なんとか一人でやれそうだ。しかし気は逸っても、機は経ばかりでは死んだも同然。トン、カラリと左右にすべり、自在に織りなしていく緯糸がなければならぬ。 考えあぐねて数日がたった。 ある夜、押入れの奥をかきまわすと、古い麻の裃がみつかった。ところどころ虫が喰い破った廃物である。澄はランプの灯影に引き寄せて、その裃をほぐしていった。昼は縁先の陽だまりで、背中の朝野に子守唄を唄いつつ。 それは根気のいる仕事であった。ほどいた糸は、どんな短いのもつないでつないで長くした。糸玉はつぶつぶの節だらけながら、次第に大きくふくらんで、いくつかの毬になった。 トントンカラリン、トンカラリン。 龍門館から冴えた機の音が上がったのは、すっかり葉の落ちた梢に取りおくれた柿が二つ三つ揺れる冬の初めであった。澄は夢中、憑かれたように朝も夜も織り上げる。「大望なこと始めたのう。お澄や、お前はなんでもないことをしとるようなが、破れたこの世の裃をほどいてつなぎ合わせ、上と下、経と緯にしくんで織り直すとは……世のつくね直しの型を澄にさせると神さまは言いなさる。大本は経緯の機のしぐみや。末で錦の機を織らんならんのが、澄の御用やでなあ……」 母直の言葉が、カマチを打つ音、ヒのすべる音の中に滲んでいく。いつか夫の言葉も。 ――わしが見とんのは足元やない。ずっと遠くや。お澄、未来やで……未来やで。
 残秋の朝、乳色の川霧が、八木の山々を深く閉ざしていた。「ごつう苦労かけたけど、やっと大望の時が近づいた。いよいよお別れやのう」 福島寅之助は控えている妻久に頭を下げた。「本当の苦労はこれからですわな。でもあんたなら、きっとやり遂げてじゃろ。どうぞ機嫌よう上天しなはれ。あんたが天で行をしてん間、うちは子供を育てながら、いつまでもお帰りを待ってますえ。見事に行を果し終えちゃって、教祖さまに早う安心してもろておくれなはれ」 久は心の底から言い、惚れ惚れと夫を見上げた。夫がこれほど神々しく見えたことは、ついぞなかった。「さあ、水盃を……」 夫に促されて、久はいそいそと徳利を取上げた。
 寅天堰の茶店跡を二本の鉄道が貫いている。上田鬼三郎は無人の踏切を越え、小笹のおい茂る野路に分け入った。 下山の切り立つ崖ぎわに茶店を売って立ち退いた福島寅之助の家がある。玄関に入ると、二人の小さい娘が押し並んで坐っていた。「どうしたんや。父さんはおってかい」 鬼三郎の言葉に、下の娘七歳のこうが生真面目に答えた。「今はおってやけど、もうじき天へ昇らはる」「天へ……」 鬼三郎の声が思わず高くなった。二人の娘はこっくりし、十一歳の姉いとが誇らしげに言う。「母さんとのお別れがすんだら、うちら、父さんの帰りをおとなしゅう待っとるのやで」 幾度も言い聞かされたのだろう、妹が姉の言葉にまたこっくりする。痛々しく痩せた頬に、目ばかり大きい。 襖を開けて顔を出した久が、鬼三郎を見て思わず舌打ちした。「あれ、今頃こんな所へなしたことだっしゃいな。この大切な時に、世継の婿が綾の高天原を離れるなんど……」 威丈高になる久に、鬼三郎は頭をかいた。「そう言うて怒られるやろと思とった。けど母と妹を園部まで連れてって、さて綾部へ帰のう思とったら、この足がどない気張っても西へ向きよらん。しゃないさけ、東向いてここまで来てしもたんや。なにかのお仕組みかも知れんのう」 半ばは本当であった。綾部へ戻る気もなかったが、八木へ立ち寄るつもりなど、初めから考えになかったのだ。鬼三郎の意志を無視して、足が勝手に福島家へ吸い寄せられたのだ。 久の丸顔に、愛矯のある笑みが浮かんだ。「そうや、会長はんが生き証人や。あんた、まあお上がり。うちらにとって、今日はほんまに嬉しい日どすさかい」 御簾を下ろした神前を背に、白装束の寅之助が坐っていた。鬼三郎は目をそむけた。 頬もまぶたも、のみでけずり取ったほど落ちくぼんでいた。人力車夫として長年鍛えぬいたたくましい体が骨と皮にしなびきって、別人のように小さく見える。 寅之助の前の盆には、焼いた小鯛と徳利と盃が並んでいた。 久は昂ぶった口調で鬼三郎に語った。「よいとこに来てくれちゃったなあ。今日はうちの人の百日の行の上がりの日なんや。丑寅の金神さまの御命令ですわな。『水行は一日も欠かさずに三十日間一日一食。続けて三十日は生の芋をかじり、あとの三十日は水ばかり飲み、あとの十日は水一滴飲まず祈念せい』……それを会長はん、うちの人はちっとも違えんと、百日をつとめ上げたんやさかい、見ておみやす。『もう地の世界ではこの上の行はない。今日から天へ上がりて、しばらくは天で修行するがよいぞ』と神さまが言うてんじゃな。裏の下山の松原の一番高い松の木に登って待つと、黒雲が舞いさがって天のお使いの大蛇さまが迎えにおいでなさるさかい、その背にまたがって上天しますのやげな。なした結構なことだっしゃろ。さあ、あんた、それまでに子供たちとも水盃交わしとくれなはれ」 久が半歳になる長男国太郎を抱き上げた。 鬼三郎が急いで口をはさむ。「それは結構なこっちゃけど……それで、天のお使いが下らはるのは、何時頃や」 寅之助がこけた頬に喜色をたたえた。「十二時きっちりや。なんや体が軽うなって、雲に乗らんでも、このままふいふい天へ昇れそうな気分やわい」 久も大きくうなずいた。正直一途、誠一筋の夫の人柄を誰よりも知っている妻久だから、三十一年に丑寅の金神の神がかりを宣してより四年間、一言の口答えすらせず、信じきって夫のままに従ってきた。神が人を選んでかかるならば、夫ほど理想的な神の台はないはずであった。絶え間なくくり返すむごいばかりの行を、神から与えられた試練として、夫は耐えぬいてきた。「神に捧げた身が口すぎのための仕事など出来るけい」と、夫は現界のいっさいの務めを放棄し、神に直面した昼夜である。茶店を売って得た金でこの家を建て、残りはまだ預金してあったから、久はそれを頼りに子供たちを細々と養ってきた。四年間も、はこべの粥で食いのばしてきた。そして夫の命ずるまま、髪ふり乱して宣教に走り回った。その苦労がようやく酬われる。心から嬉しかったのだ。 ――馬鹿なと、鬼三郎は叫びたい。阿呆正直な二人をここまで惑わした憑霊が憎い。けれど頑固一徹な夫婦が鬼三郎の忠告を素直に受け入れるはずはない。からめ手から攻めるより仕方がなかった。「そう言えば、おもろい話を近頃の新聞で読んだで。やはり天へ昇る男の話やった」「えっ、わしより先に天へ昇った奴があるのけ」と、さも心外そうに、寅之助が叫んだ。「ところが、見事失敗しおった」「そうやろ、丑寅の金神さまのお招き受けたんは、この地上の難行を残らずやりとげたわしよりほかにあるけい」 ほっとした笑みで、寅之助は妻と子を見返った。鬼三郎はさりげなく話し出した。「ほんまに阿呆くさい話やで。そいつは名古屋の丸山教会の何じゃらいう布教師やげな。屋上三丈三尺の高台を作って、これから上天する言うて、二百人ばかりの信者を集めた。信者たちは『天明海、天明海……』と祈りながら、今か今かと大奇蹟を待っている。時が過ぎていくのに、天からの迎えの雲は一向に来よらん。いら立った教師は、たまりかねて宙を目がけてとび上がった。かぐや姫や三保の松原の天女みたいな天の羽衣はなし、万有引力の法則通り地上にまっさかさまや。まあ大腿骨折っただけで生命は助かった。本人はそれで良いとして、気の毒なんは丸山教の神さんはじめ一般の信者たちや。新聞には書き立てられるし、よい笑いもんになってしもてのう」 寅之助の表情に不安が走った。不自然に強めた語調に虚勢の響きがある。「わしは、わしは違うぞ。高台作ったり、信者集めて見世物になるよな阿呆な真似はするけい」「そうとも。寅之助はんはそんなお人やない。けど高い所に上がったり、雲が迎えに来るとこなどはそっくりや。前代見聞の出来事やのに、見物人が少ないのはもったいないさけ、わしもこの目で確かめて、綾部の教祖さんや役員信者たちに報告させてもらわんなん。ほんまに良いとこへ来た。さて時間は……」 寅之助は無言で立ち上がった。二本の足で身を支えるのさえ、けだるそうである。よろりと骨ばかりの体が揺れる。久が素早く支えて言った。「あれ、子供たちへ水盃は……」 二人の娘は、さっきから上の空で皿の上の小鯛を見つめているのだ。 隣室へ入った寅之助は、力なく妻に言った。「小松林の悪神が邪魔しに来た故、一時間仕組みをのばすぞよ。久殿、早く小松林を去なせよ」 鬼三郎は、これで立ち寄った甲斐があったと思った。「こら、小松林。またお仕組みの邪魔をしたな」と血相変えてつめ寄る久に、鬼三郎は玄関まで逃げながら、小声で忠告した。「なんぼ丑寅の金神さんの命令でも、肉体で上天でけるわけがない。おおかた霊が天へ上がるんやろから、肉体に気いつけて……阿呆正直に松の木へでも登りそうやったら、どんなことがあっても止めるんやぞ。もうしばらくしたら居眠りが出てくるさけ、その間に寅之助はんの霊は天へ昇って行をしやはるのや。寅之助はんに、一遍に固い物食わしたらあかんぞ。まず今夜は重湯や。お久はん、頼みましたで」 振り返って、鬼三郎は下山の頂きの松林を仰いだ。変わりない秋晴れの空であった。 心を残しつつ、鬼三郎の足は街道を東へ向かった。まだ京都の人造精乳修生社は滑り出したばかりで、社長の鬼三郎がどっしりといて陣頭指揮せねばならぬ段階であった。心ならずも閉じ込められた綾部での一月ばかりの空白を、一刻も早くうずめたかった。 寅之助の上天は明日になり、明後日になり、のびのびとなった。そうこうしているうちに、艮の方角から黒雲が湧き起こり、嵐となった。はっとして、久は神前の夫を見つめた。寅之助は精がつきはてたように居眠っていた。「やっぱり肉体が昇るのやない。きっと今、福島の霊が上天しちゃったんや」と、久は鬼三郎の言葉を思い出して納得した。 翌日、寅之助は久を八木の町まで買物に出した。妻の不在の間に、四、五年もかかってせっせと書きためた自分の筆先を庭先に持ち出し、石油をかけて火をつけた。それでも腹がいえぬ。「わしを騙しよった悪神めが」と、神前の祠をひっくり返して火に投じた。落ちくぼんだ寅之助の髭だらけの頬に、無念の涙が光っていた。

表題:石亀料理 8巻5章石亀料理



 明治三十六(一九〇三)年、上田鬼三郎三十三歳の正月は、大阪で迎えた。妻も子も綾部に残したまま、愛染坂の内藤正照家で気楽な居候の身であった。「人造精乳の社長を辞めさせられるちゅう噂やけど、上田はん、まさかほんまと違いまっしゃろなあ」 松の内の過ぎぬうちに聞こえてきた噂に、鬼三郎贔屓の正照の妻いちが不安げに訊いた。「嘘やない。これや」と、鬼三郎は首を叩いて笑った。 いちは目をむいた。「なんでやのん。そんな阿呆な……」「綾部からしつこう蓑笠隊が嫌がらせに来よるいうのが表向きの理由や。『世間体が悪いし、それが販売成績にひびかんとも限らんし、この際、手え退いてほしい』と頼まれてのう。予期せんことでもなかったわい」と、鬼三郎の口調にはこだわりがない。「はねつけてやったらよろしやんか。会社が設立できたんは誰の力や思とるんやろ。京都帝大の坪井博士に分析証明書もろたり、ちんどん屋までして人造精乳を世間に認めさせたんは、上田はん、あんたの才覚だっせ。松原はんも山田はんも、あんまりえげつないわ。苦しい時はさんざ利用しといて、会社が按配よう行き出したらとたんに社長を追い出して、自分らでうまい汁吸いとうなったんどっしゃろ」 まくし立て始めたら、口に絆創膏でも貼らぬことには止まらぬいちである。鬼三郎は苦笑した。「ただで辞めるわけやない。わしの方から二つの条件出しといた」「あったりまえや。どんと退職金でももろたらよろし」「別段、銭は欲しゅうない。一つは、幸吉や由松や政一をこのまま修生社で使うてもらうこと」「阿呆かいさ。幸はんなら、今では山田はんに負けんだけ製造技術が上手になっとってんそうやろ。幸さんに出られて困るのは、会社の方やおまへんか」「そうや。松原も幸吉留任の件は喜んどったで。もう一つは、人造精乳修生社初代社長として置き土産にもう二、三ヶ所、支店の足がかりをつくって身を退きたいさけ、辞任を春頃までのばしてもろたんや」「あれ、追んだされる会社のために……」「違う。弟たちの残る会社のためにや」と、涼しい目でいちを見返り、ぺこんと頭を下げた。「暖こうなる頃まではまだしばらくあるさけ、ここにまた厄介になりまっせ」 東に西に走った。 出資者の松原も、技手の山田、販売主任の若林も、いずれ首となる会社のために奔走する鬼三郎の意図を計りかねていた。何か深い魂胆あってのことではないかと気を許さない。 疑心暗鬼の彼らにはおかまいなく、鬼三郎は着々と手を打って新しい地を開拓。 大阪市南区上大和町一に大阪支店を、滋賀県長浜町船橋通り橋詰に長浜支店を、それぞれ春を待たずにつくり上げた。その土地の名望高い博士や病院長の人造精乳分析証明書もとりつけて宣伝する。 鬼三郎が創設して以来わずか半年余りで、京都本店の他、園部・大阪・長浜と支店を擁するに至ったのだから、新しく開拓した事業としては、大変な高度成長であった。 園部支店の製造技手として鬼三郎の末弟の小竹政一が若手ながら腕をふるい、京都本店では山田技手に次弟上田由松を配した。三弟上田幸吉は新支店大阪の責任者とし、やがては長浜支店もみさせている。そして鬼三郎は、約束の時よりも早く、あっさりと社長を辞めた。何一つ要求しなかった。順調に始動しだした会社には、もう未練がないように――。 まだ浅い春を、鬼三郎は内藤家を根城として、専心布教の日々へと戻った。鬼三郎の霊力と教説に服して入信した者を次々参綾させる。決まって反会長派に転向して帰ることを承知しながら、綾部へと送りこまずにいられないのだ。「ざるで水を汲み上げる気か」と、内藤正照は、歯がゆくて仕方がなかった。 綾部の役員らのために、大阪砲兵工敞三千の共鳴者も、大阪本部一万坪建設の話もふいにされ、おまけに社長の椅子から引きずりおろされる羽目に至って、まだこりぬのか。 鬼三郎ほどの霊力、実行力を兼ね備えた男がその気になって独立すれば、立派に一教団をひきいていけようものを。これほどひどく痛めつけられつつも、綾部を忘れきれない鬼三郎の気が知れぬ。追われる会社のあとあとのために無償で働く心と通じていて、理解しがたかった。それでいて十五も年下の鬼三郎から離れられず、利害をよそについて回る内藤であった。 鬼三郎の茶目気は、この大阪宣教時代にも発揮されていたらしい。市内の稲荷下げを審神してまわって、夜ふけての帰途であった。「内藤はん、ちょっと一服していこ。かみそり貸してんか」と鬼三郎は道端に寄って、もそもそと褌を解き出した。「何しなはる。こんなとこで……」「この六尺、ええかげんボロになりよったし、処分するのや」 鬼三郎は、六尺褌の端を内藤から借りたかみそりで三尺ほど切りとって、「これは垢こすり」とつぶやいて懐へ押しこみ、残りを側の橋の欄干にかけて眺めた。「どうや、内藤はん、何に見える」「風になびいとる褌。うす汚れたよれよれの晒の褌。源氏の白旗にはどう見ても見えまへんで」「いかにも。けど、ものは試し。まあ、見とってみい」 鬼三郎は内藤の袖を引っぱって、土手の柳の下にかくれた。銭湯帰りの年増女が橋を渡って来る。蔭から鬼三郎が念力をかける姿勢となった。女は歩みを止め、素早くあたりを見渡して、褌を手にとる。月の光でしげしげと眺めた。「よい柄の帯やこと。なんでこんなとこに置いたるのやろ。もったいない……」とつぶやき、丁寧に畳んで、いそいそと抱いていく。「あれ、どうなってまんねん」 きょとんとしている内藤に、手を叩いて鬼三郎は笑いこけた。「わしががきの頃、よう豆狸に化かされて、ひどい目におうた。狐や狸が人を化かす。わしかて化かせん法はないと思たんや」 内藤家には風呂がなかった。だから宣教の帰途、たいていは内藤と共に手ぶらで銭湯にとび込む。手拭いも石鹸も糠袋もない、あるのはただしめている褌一本だ。それが手拭いの代用をした。全身の垢をこすり出した頃には、同時に褌の洗濯もでき上がろうというもの。 長風呂の内藤につき合いかね、一足先に銭湯を出た鬼三郎は四天王寺西門の石鳥居をくぐって、人気のない境内に入った。しまい風呂に温もった体に、ひんやりした夜風が快い。洗った褌の切れ端をひろげて、パッと水気を切った。おぼろな月の光りが五重塔の屋根をすべりおり、金堂の錣葺を青く照らしている。 広い内池に沿ってまわると、怪しい灯が見える。忍び足になった。 池のみぎわに燭台を置いて、腰の曲がった老婆が襟巻を頭からすっぽりかぶり、しきりに池の面を探っている。見覚えのある七十がらみの隣家の住人だ。 年に似ぬ敏捷な動作でさっと玉網ですくい取ったのは亀。天王寺池に無数に住む名物の石亀である。「おい、婆さん、殺生せんときや」 声をかけると、老婆はゆっくりと細長い首をねじ向けた。「なんや、内藤の家の居候かいな。人のことかまわんと、とっとと帰んで小便こいて寝よし」「石亀盗んでどないすんねん。泥亀(すっぽんの別名)や言うて騙して売る気やろ」「ふん、これでも人助けじゃよ」「阿呆ぬかせ……」「ほんまじゃ。泥亀やと思うて喜んで生き血飲んどりゃ、効き目は現われる。わしの料った肉や生き血を待っとる患者がたんとおる。泥亀は諸病を除く強精剤だっせ。病後や産後に抜ける女の髪でも、これを飲んどりゃ黒う長うなるのんえ。お前さん、痔は出とらんかい。よう効くで。生き血が嫌なら肉、骨、肝、食えんとこはない。甲羅は干しといて漢方の薬屋に売る。いつの間にか鼈甲散に化けとるのや」「それは本物の泥亀の話やろ。こんな石亀なんか……」「病は気から……泥亀やと思わせたらよいのや。この年寄りの人助け商売さまたげてみいさ、地獄へ逆おとしえ」「寺の亀盗んどいて何が人助けや。盗んだ上にまだ人をだます。どっちゃにしても婆さん、地獄へ堕ちんなんのはお前やぞ」「へん、懲役覚悟じゃ。豚箱や地獄が恐うて、この世に食うていけるかい。お前さん、痔がなけら、胸はどうや。労咳にでもなった日には嫁はんも来んで。隣のよしみで安うしとくがな」「いらんいらん、聞いただけで胸が悪うなった。気いつけや婆さん、お前には殺された石亀の怨霊がうようよ憑いとるぞ」「へん、怨霊の方が逃げて行きよるわえ」 婆は嗄がれ声で笑った。それでも、背を向けかける鬼三郎に、脅しを忘れない。「居候、交番に届けたらあかんえ。告げ口しよったら、この婆が祟って化けて出まっせ」 池っぷちの植込みを抜けたところが内藤家の台所口だ。内藤正照はもう帰っていて、茶の間の火のない炬燵で居眠っている。縫いものをしていたいちが顔を上げた。「遅おしたなあ。湯ざめしますで」 鬼三郎は隣の婆の一件を語った。茶の間の窓から天王寺の池はよく見えるが、婆さんのいる場所は木に妨げられて見えぬ。いちは婆さんの商売を知っていたらしく、さして興味を示さない。「隣の亀婆さんかもとったら、風邪ひくやおまへんか」 いちのいれてくれた熱い茶を飲みながら、鬼三郎はまだこだわっていた。「一人暮らしやさけ、あの婆さんも食うためにはしゃないんやろ」「子も孫もありながら、誰一人寄りつかんらしおすえ。あれではなあ」と、いちが嘆息した。 自室に移って、鬼三郎は万年床にもぐりこんだ。 古壁一つで仕切られた隣家に婆の帰ってきた気配がして、破れ穴から灯がもれる。やがて、しゅっしゅっと庖丁を研ぐ音、ごそごそと亀の動き回る音、何やら独り言、気になって寝つかれぬ。 せっかく温まった蒲団から這い出して、竹骨の間にわずかに開いた壁穴をのぞいた。そこは隣家の台所。ランプの火影がゆれて、婆はまさに石亀料理の最中だ。耳をすませば、「亀よ亀、泥亀になれよ、泥亀に……」と呪文のように呟いている。 鬼三郎は、小さな壁穴に口をつけた。「婆よ婆、婆亀になれよ、婆亀に……」「居候、早う寝くされ」と、婆が向こうから壁穴に口をつけてどなる。「お前ががさごそしよるさけ、寝られんわい」 またのぞこうとすると、ふいに目前が暗くなって、いやな臭気が鼻をつく。壁穴に雑巾が詰められたのだ。 本を読んでも、気になって頭に入らない。も一度、壁穴に寄って穴に指をさしこむ。雑巾がはらりと落ちて、婆の手元が見えた。 幾つ目かの亀が、爼板に乗せられるところだった。怯えた亀は裏向けられ、首も手足も甲羅の中に縮め切っている。どんと下腹をこぶしで打つと、首がのぞく。瞬間、首をつかみ出して、つけ根を庖丁で切り込み、逆さにする。生き血が滴々とコップにしたたる。コップの半ば近くまで酒らしい液体が入っていて、生血と混り合う。酒で臭味を消し血の凝固を防ぐ工夫か。 婆の指は素早く動いて血をしぼり切った亀の顎をはずし、食道ごと抜きとる。甲羅の背にすっと庖丁をあて、そこにツボがあるのか、開いて足の関節をはずす。あとは肉と内臓を手際よく分けていく。 解剖の経験は、獣医を志望した頃の鬼三郎にもあった。が、神の道に入った今は、苦い記憶でしかなかった。 目の位置を変えると、下から受ける灯明りにくまどられた陰惨な婆の顔がすぐそこにあった。上を向いて並んだ鼻孔、への字形の大きな口、のど元からしみだらけの皮がしわしわと垂れている。 ――亀や。劫を経た婆亀そっくりじゃ。 ぞっと寒気がした。数年間、亀を殺し続けるうち、亀の怨霊がこもり切って、顔全体までこうも似てきたのだろうか。 思わずとりかけた鎮魂の指を放して、鬼三郎は思いに沈んだ。悪を懲らすというだけなら、霊の力で婆をひっくり返すこともできよう。が、懲らすまでもなく、荒廃した婆の魂の堕ちゆく先は、手にとるように分かっている。彼女に必要なのは罰でなく、救いなのだ。省みる魂と共に、生きる手だての変革なのだ。 この婆だけではない。広い世間には、食うために罪を犯さねばならぬ人々が無数にいよう。盗まず、騙さず、まともに生きていける力を、お前はどうやって与えてやれるというのか。 鼠小僧次郎吉のように、己れは獄門覚悟で、この世の贅に驕る奴らから大金を盗み出し、底辺にうごめく彼らにばらまく。確かに一時的な英雄気取りに酔うことはできよう。が、それだけの一人よがりに過ぎぬ。かつて、自分が侠客たらんと志した時と、一歩も前進はない。 社会主義者らの群に身を投じて、政治機構の根本的革命を画すべきか。しかし政治の形を変え、上を下にひっくり返しただけで、果して一列に万民の心が治まるものだろうか。 神の大望である立替え立直しはまず改心から、と筆先はせまる。霊主体従が真の道。心から体へ、霊より体へと立替えて行かねば、ついには欲と欲がぶつかり合う大戦いを引き起こす結果となろう。 人生の目的をただ一身の栄達にかけ、金力を誇って表面のみ飾りたてんと腐心する現代の人々。神も霊界の存在も否定、肉眼に見得る物の外は信ぜずとする智者学者の群。物質世界にのみ生きようとする彼らの心の眼を開かしめ、物質万能のこの世を根底から立替えて、万民和楽のみろくの世を来らす力が、まこと艮の金神にあるのか。 いつもそこに落ちる思いであった。 丹波の一隅で、三千世界の立替えを叫び続ける義母出口直とその一団――。信じきれず、そむききれぬまま、遠くはなれて鬼三郎は綾部を偲ぶ。 石亀の料理は、明け方近く終わった。婆の足腰は、冷え切ったに違いない。哀れな隣人のために、鬼三郎は起き直り、壁に向かって心をこめた霊波を送る。口で説いて分からぬなら、霊夢で見せよう。婆の魂のすでに感応するところ、やがては死後の魂の堕ち行く先を。 婆よ、省みてくれ。神にすがって、残り少ない人生を立て直してくれ。
「居候、起きとるかい」 壁穴から洩れる嗄がれ声に、鬼三郎は目ざめた。陽はかなり高い。「うーん、何じゃい、婆亀」「ちょっとこっちへ来ていさ」と、婆が弱々しげに頼む。「おう気味わる。生き血しぼられたら、わややのう」と憎まれ口を叩きつつ、鬼三郎は急いで身支度した。 隣家の門口から、よどんだ生臭さが鼻をついた。思わず鬼三郎は、悲鳴を上げる。「窓を開けてくれや。霊気がにごっとるさけ苦しいわい」「風が冷たいで」 かまわず鬼三郎は、閉めっぱなしの雨戸を繰り上げ、まぶしい初春の陽だまりの中に坐った。甲羅ほどに盛り上がり、曲がった腰をよたつかせて、婆がうずくまる。「今朝はどうしようもなく頭がうずくのえ。お前さんは神さん拝むのやろ。わしは神も仏も好かんが、ちょっとは気になるのや」「今朝の夢見がわるかったな」 婆は鈍い眼で鬼三郎を見上げた。「亀やら蛇やらが仰山わしの体に巻きついて、体中の生き血を吸うんや……」「正夢やのう。お前が好んでつくった血の池地獄や。神が刑罰のためにつくった地獄やない。生きながら自分でつくっておいて、肉体の衣を失った裸の魂が、自分でそこへ転がり込む。現界での肉体の苦しみより、死後の霊界での魂の苦しみの方が、ずっと深くて長いのやぞ」「けど夢は五臓六腑の疲れや。わしは信じへん。天国も、地獄も、坊主らがおどしのためにつくり上げた嘘っぱちや……」 鬼三郎が笑った。「嘘なら恐がらんでもええ。けど、また同じ夢を見るやろ」 あわてて、婆がすがった。「げんくそ悪い……わしは一人じゃ。子や孫は薄情もんばっかりや。わしが死んだら、この家を奪り合うても、わしに線香一本供える者はないやろ」「ええやんけ。死後の魂を信じんお前や。もうじきさっぱり灰にかえる身やろ。あとの供えもんなんぞ、関係ないわい」 婆の眼が光った。「なんちゅういけずな拝み屋じゃ、お前は」「わしは拝み屋やないぞ。それとも婆さん、神さん拝んで欲しゅうなったか」 婆は、疑い深げに細長い首を振った。「しょうむない。神さんなど頼みはせんわ」「そうやろのう。お前は神も人も頼まんと一人で生きていけるやろが、わしは亀たちが哀れでかなんのや。一つ、お前に殺された亀たちの霊に祈ったるか」 鬼三郎は台所に向かって正座した。中身のない甲羅が幾つもつみ重ねられている。大祓祝詞を言霊清しく称えた。 二、三日過ぎた朝、壁穴からまた声があった。「なあなあ居候、来てくれんかい……。わしのためにも、どうぞ神さん拝んでおくれ」
 明治三十六(一九〇三)年三月一日、正午の号砲を合図に、大阪天王寺今宮の三十三万平方メートル(十万坪)の敷地を第一会場として(第二会場は堺)、一帯は第五回内国勧業博覧会の見物客でうずまった。会期は七月三十一日までの百五十余日間。 明治政府は殖産興業に力を注ぎ、博覧会、共進会を開設したが、わけても重点をおいたのはこの内国博覧会といえよう。一、二、三回までは東京上野。明治二十八年の第四回は京都であった。更に第五回の大阪博は最大のもの。観覧人員五百三十万人と言えば、第一回の四十五万はむろん、京都博の百十万人に比べても五倍に近い。 四月十六日の読売新聞は報ずる。「本月一日以来、阪神地方は全国一の一大ホテルと化し、両地に入り込みたる男女の数は幾百万なるを知らず……」 この大阪博では、巡航船、市街電車、蒸気自動車などが初めて大阪に紹介され、会場のイルミネーションや冷蔵庫などの新製品が評判であった。 内藤家から会場は近い。鬼三郎は連日通いつめ、貪婪に新知識を吸収した。肥松(松根)、行燈、ランプしか知らぬ田舎者が京、大阪のガス燈に眼をみはったのはついこの間、今は夜を追放せんばかりに輝く電光に、新時代の息吹きをひしひしと感じとった。 アメリカのライト兄弟が世界最初の動力飛行に成功したのは、この年の十二月である。 期間中、弟幸吉を連れて、鬼三郎は食堂や見世物、芝居興行などでにぎわう千日前の道筋の旅館に投宿もした。二階の手摺りにもたれて道行く人波を見下ろす。新旧いりまじる風俗模様の中に、外国の男女も往き来していた。「あれあれ兄やん、牛も馬も人も引っ張っとらんのに車が一人で走りよるのう」 幸吉が自動車を見かけて、感嘆の大声を発した。 女掏摸が通行人の金時計をすりとり、素早く丸髷の中に隠した現場も、二階から目撃した。陽に反射して、髷の中がきらっと光った。人の輪ができ、やがて抵抗しながら千日前の交番に引き立てられて行く。「髪の中やし、調べればすぐ分るやろ」と、幸吉が言った。鬼三郎が、にやっとした。「お前に分らんのか。時計はもう髷の中にはあらへん。あいつ、女のかくし場所に移しよったで」 幸吉には通じなかったらしい。だが物見高く街路におり、ややしばらくして駈け戻ってきた。「兄やんの言うた通りやったぞ。交番の中であの女、裸にして調べとった。どこにもないさけ、湯巻きの中までのぞいたら、足の間に時計の鎖がぶら下がっとったげなで」 さまざまの世間の縮図がこの街にあった。丹波の山奥では味わえぬ刺激でもあった。止むなく丹波へ引き戻されるまでの短期間に、実に四十五回、鬼三郎は大阪博に足を運んだ。 半年もの大阪滞在を切り上げさせたのは、母危篤の園部からの電報である。一瞬、鬼三郎は信じられなかった。が、真偽はともかく引き上げの時期が来たのだろう。 内藤正照といち、急速に鬼三郎を頼り初めている隣家の婆にもなごりを惜しんで、大阪を後にした。 やはり、偽電報であった。園部の母世祢は息子の小竹政一を助けて元気で園部修生社の人造精乳配達に歩いていたし、妹君は商家に奉公していた。鬼三郎を待ち構えていたのは、案の定、三人の綾部の役員たちである。 山々の桜は散りはてて、山つつじの匂い初める幾峠を越え、龍門館へと向かう鬼三郎。その前後を中村竹吉、四方平蔵、竹原房太郎がむっつりと固めていた。

表題:浮いたか瓢箪 8巻6章浮いたか瓢箪



 京都三条蹴上の傾きかけた長屋の一軒が、畚の竹さんのこの頃の城である。 大きな節くれだった指で竹さんの編む畚は、丈夫で長持ちすると評判だ。問屋に喜んで引きとられた。必要以上に儲けたいという意識に乏しいから、数は上がらない。日が暮れてランプをつけると、さっさと仕事をしまう。同じ土間で米を磨ぎ、くどに火を起こしてかける。 いんま(今)に日傭いから花が帰ってくるさけと、竹さんは思う。今度は河川工事の土方やそうなから、えらいしんどかろ。「あい、帰ったよ」 花が機嫌よく口笛を吹きながら帰ってきて、土間に盥を置き、水を張って行水を始める。子供に吸わせたことのない形の良い乳房が、ぷりんと揺れる。もう三十歳を越しているのだろうが、労働で鍛えた浅黒い裸身は締まっていて、五つ六つ若く見せる。 米が炊き上がる寸前、竹さんは鍋の蓋をとり、塩味をきかしたおからを投げこむ。充分むす。後は飯とおからをよくかきまぜるだけ。おからに塩味がきいているので、お菜はいらない。竹さんの料理はおから飯が多いが、多少手のこむ時もある。菜飯である。漬物の菜っ葉をよく絞って刻み、ふき上がった飯に放りこみ、むれてからかきまぜる。つまり菜っ葉を刻むだけ手数がかかる。 小さな卓袱台に、竹さんと花はさし向かいに坐る。飯茶碗におから飯がこんもり盛られ、湯気をたてる。二人の間には一升徳利、おから飯をつまみに酒宴が始まる。酒がまわってくると、竹さんは眼を細めて唄い出す。いつものあの唄を。   浮いたか瓢箪  軽そうに流れる    行先知らねど  あの身になりたや 酔い心地の花の胸にも、川波にゆれる瓢箪が見えてくるような、瓢々とした唄いっぷりである。それに続くのは竹さんのチョンガレ、花が口三味線を合わせる。誰かに聞かせるでもない、ただ自分で唄って自分で聞いて陶然となる。   親がちょんこして   わしこしらえて    わしがちょんこすりゃ   叱られる    ちょんこちょんこ    ちょんこどころか今日この頃は  五厘の煙草も買いかねる    ちょんこちょんこ 仕事先で仕込んできた花の唄がとび出す。土方仲間の卑猥な唄が多いが、花が唄うとそうは聞こえない。のど仏まで見せて、花は楽しげだ。 男女が何年か同棲していれば、人は当然夫婦と呼ぶ。竹さんと花は、気が向けば抱き合って寝もするが、彼らの間に夫婦の意識はない。もともと独立した人格の男女が、一人の人間の腹と背のように夫婦という合わせ物を作り上げる。その接着剤は何であろうか。愛憎、欲望、世間体、義理、打算、因縁……けれど竹さんと花の間には、それらしいものは何もない。同棲して何年にもなるのに、互いの過去は知らないし、知りたいとも思わぬ。互いに相手を束縛せぬ。経済的にも独立している。食事の支度も、一日交代の契約である。 彼らを一つ屋根に寄せたものは、自他に対する徹底した無関心さと酒好きのせいであろう。別々に流れてきた二つの瓢箪が、偶然淀みに流れついて、次の風が吹くまで寄り合い、ぷかぷか浮いているようなもの。明日も昨日も思案の外、誰のことにもわずらわされぬ今の境涯こそ、竹さんの求めた理想であった。全く気の合った飲み仲間花も申し分ない。 それが今夜、気がすむまで飲みきらぬうち、聞きなれぬ声で妨げられた。 座したまま破れ襖一枚あければ、もう三畳の玄関の間だ。蓑笠つけた大時代な旅姿の男が二人、ものものしい顔つきで立っていた。「畚の竹さんのお家は、ここですかいな」「あいよ、畚の竹さんの家は、ここどすで」とにじり寄って、舌ったるく花が答える。 年嵩の男は、眼が悪いのか、吸いつきそうな眼つきを花に寄せた。「畚の竹さんいうたら、出口竹蔵さんではござへんかい」「さあ、うち知りまへんで……」 丸顔の頑丈そうな男が、重ねて、せきこんで尋ねた。「畚の竹さんいうたら、丹波の綾部の人でっしゃろ」「はあ、どこの人やら聞いたことあったかいな。ちょっと……」 花は困ってふり向いた。何年も同棲している男の苗字や故郷ぐらい、やっぱり覚えとかなならん時もあるのやなあと、花は思った。 竹さんがよろよろしながら立ってきた。「あんたはん、竹はんでっしゃろ。竹蔵はん……教祖さまが……お母さんが捜してはりまっしゃないか」 年嵩の男が、夜遊びにほうけた子供をたしなめる口調になった。 竹さんの体がぶるっと震えた。「出口竹蔵……聞かんでよ。さてなあ……わしは、綾部ちゅうとこ、行ったことないでよ」「けど、綾部言葉じゃがなあ。京都へ土方に来とる者が『確かに蹴上で出口竹蔵さんを見た。畚の竹はん言うとったが、お直はんとこの竹蔵さんや』と、帰ってきて言うてくれちゃった。方々捜し回って、やっとここまでたどりついたんやでよ……」 竹さんは、大きな分厚い掌で、べろっと自分の顔を一なでした。それから、自分が誰であったか本当に忘れてしまった風に、途方に暮れて煤色の天井を見まわす。 と、丸顔の若い方が短く叫んだ。「間違いござへん、平蔵さん。あれ、あれや……」 指さす先に、竹さんの首があった。のど首に、えぐった無残な古傷がひきつっている。竹さんの太い指が傷あとに走り、泣いたような顔になった。のみで突き、血みどろの首をくくってぶら下がりながら、なお死にきれなかった感覚が……十七年前の死に損ないの竹蔵の素顔がそこに立ちすくんでいた。「やっぱり……やっぱり竹蔵さんでしたかいな。ああ、ありがたや」 平蔵と呼ばれた男は思わず合掌し、それからもどかしげに草鞋の紐を解き出していた。 男たちは、二間しかない奥の間の卓袱台の前にかしこまり、改めて四方平蔵、竹原房太郎と名乗った。気弱い微笑を張り付けたまま、竹蔵はだまりこくっている。かたわらの花は、残り少ない徳利の酒を茶碗にとくとくとあけ、差し出す。二人の客がそれを断わると、花は自分ののどにぐっと流し入れる。雫があごを伝った。「目出度いこってすわな。十七年ぶりの親子御対面やで。長男の竹蔵はんを迎えなさる教祖さまのお心を思うたら……」と、平蔵が鼻汁をすすり上げた。「あんたが出なさった頃は、まだ政五郎はんが生きとってじゃったげなが……あれから後のことは知っとってですかい」 首をひとふりしただけで、竹蔵の唇がちらと曲がった。言葉のかわりにわらったのか。平蔵が感情を抑えて、早口になった。「中気と酒毒で寝たきりの政五郎はんは、明治二十年の春に、お直はんに死水を取られて死んじゃったげな」 竹蔵の唇がまた微かに歪んだ。「二十三年に三女のお久さんが産後の血のぼせで気がおかしゅうなる。二十四年の暮には、一番上のお米さんがまる気違い。二十五年の旧正月頃から、母さんのお直はんまで、人から見れば気がふれて……」 竹蔵はうつむき、いかつい肩をぎゅっと縮める。「その年の十二月、次男の清吉はんが近衛師団に入隊して、それきりや、……二十八年に台湾で死んだいう公報が入ったが……」「清吉が……清吉が……」 唇が大きく曲がりかけるのを、分厚い掌でおおった。「二十六年にはお直はんは座敷牢に入る。北西町ではお米はんも牢の中や。家出していた二女のお琴はんがやっと戻って、王子で所帯を持ちなはる。お澄はんは七つから子守りにやられて、お龍はんとも別れ別れの奉公暮らし。本宮の家は大槻鹿蔵はんが売り払うてしもたさけ、帰ってくるねぐらもない……みんな因縁ごとでっしゃろ。どん底の地獄まで落ちなはった苦労のかたまりの中からこそ、艮の金神さまはこの世にお出ましなされたのやで」 血の気を失った唇は、問いを発する勇気も残らぬのか、竹蔵はうつろな眼を平蔵に当てた。「二十七年からわしもお直はんの神さん、艮の金神さまを信じて御用さしてもろてますのや。わしだけやない、この竹原も役員衆もえっとおってや。三十三年正月には、あんたはん、十八になった末子のお澄はんが結婚しなさって、この三月にはそら愛らしい女の子を授けられちゃった。三千世界のけがれを澄ます三代のお世継の水晶のお種ですで」 重苦しい空気を一度に吹き晴らす勢いで平蔵は言い、頬を崩した。「ともかく、教祖さまのとこへ一遍帰っとくなはれ。奥さんもいっしょに明日……」と、竹原がせきこんで言った。 平蔵と竹原が明日も来ることを約して帰ると、竹さんと花の間に、ぎこちない空気が流れた。初めてのように、相手の存在を意識した。どちらも寝つかれなかった。 竹蔵は、十七年前、父政五郎とこうやって枕を並べて寝た夜を思い出していた。共に寝ついていた中風の父政五郎に、生まれて初めて甘えた心で訴えたことを。「……わし、重いんやな。年とった父さん、母さん、下にはまだよちよちの澄まで、ごちゃごちゃと七人の弟妹……それが、ある、と思うだけで、ごつう重いんやな。なんちゅうのか、その長男の責任ちゅうんじゃろうか」「わしがしんどいのん、長男として期待されるこっちゃ。どうせわしのような死に損ないは、あたぶさいわるうて綾部におられんさかい、思い切って誰も知らんとこ、行きたいのや。日傭い人足なら、誰からも期待されんやろ。きめられた時間だけ働いて、あとはあるだけの銭で好きな酒を飲む。誰をもかまわへんし、誰からもかまわれとうない。もう自殺する度胸もないさかい、あぶくみたいに流されながら、消えるまで生きとらなしょうがない」 須知山峠まで、母さんはひそかに送ってくれた。一反風呂敷に秤を持った、いつもの屑買いの風体で。見送る母さんの眼から逃れて、濃い丹波霧の中に早く溶けこみたかった。 二十三歳のあの別れの日がつい昨日のようだ。忘れたはずの、無縁のはずの故郷を恋うる血が、こらえようもなくふつふつ胸の底からたぎり立ってくる。傷つき、傷つき、ここまで辿ってきて、ようやく本当の自由を得たと思った今になって。 ――母や弟妹が気の狂うだけの苦しみにもがいていた十七年もの間、家族をほったらかしといたわしが、今更どの面下げてのこのこ戻れるけい。 竹蔵はうめいた。孤独の、元の、ついさっきまでの瓢箪になって流れにかえりたい。畚の竹さんにかえりたい。が、聞いたばかりの肉親の消息が、わなわなと魂をふるわせる。一目会いたい願いが、せつなくこみ上げる。 何度目かの寝返りを打った時に触れた花の手を、藁にすがる思いで引き寄せた。花は引き寄せられるままにより添って、竹蔵の熱い胸に腕をからませた。「わし、明日の朝あの人たちが来る前に、どこかへ消えちまうでよ」「……」「綾部に帰んだら、今みたいな自由はないのや」「どうえ、あんた。十七年もたんのうするだけ好きすっぽう生きてきて、そら年貢のおさめ時が来たんやわ」「他人のことや思て、気楽に言うてくれるわい。忘れられた蓑虫は一人で木の枝にぶら下がって、風吹きゃ揺れとる。わしのでける生き方いうたら、そんなとこやな。四十にもなって、せっかくつくり上げた蓑から引き出されとうないのや」「引き出してくれはる人もない者が、揺れとりゃええのや」「お花、女のお前がなんでこんな気楽な生き方でけるのや」 花はうす笑いを浮かべ、横を向いた。「うちは、あんたと違うえ。身寄りは一人もない、根っからの流れ瓢箪や。生まれ故郷も、親もどこやら……。信じたものには突き放されて、それでも求めて、しがみついて、一人立ちできる年頃になった時はぼろ布みたいに傷だらけやわ。人並の幸せいうもんあきらめてから、ようようこの世も楽しゅう見えてきたんえ」「わしは親弟妹を突き放して逃げてきた男や。ド甲斐性なしの、死に損ないの長男や。わしがそんな男と分かったら、同じ釜の飯も喰いたないやろ」「ふーん、どないしょう。あんたが死に損ないやいうことぐらい、初めからそののどの傷で分かっとった。そやさかい、あんたに気ィ許したんか知れんで。けど、今のあんたは別の竹はんや。うちとのくされ縁もこれまでやなあ」 竹蔵は起き直って、おずおずと花の眸をのぞき込んだ。今になって、そこにある魂をみつけたように。 竹蔵は口ごもった。「綾部の人はわしらを夫婦と思とったわな……なんじゃったら、それでもよいで。このまま二人で綾部に行って、死ぬまで一緒に暮らしてみよかい」「……」 花は腕をのばして徳利をつかみ、口をつけてむさぼり飲んだ。酒の代わりに入れた、酔いざめの水であった。
 法被姿の竹蔵と風呂敷包みを背負った花が、四方平蔵と竹原房太郎に連れられて綾部に帰ってきたのは、五月五日の夕暮れであった。裕福な家々には鯉のぼりが五月の風をはらんで泳いでいた。 竹原の注進で、直は龍門館の門口に出て、帰ってきた息子を迎えた。 出ていった十七年前と変わらぬ、しおたれた法被姿。が、確かに息子は変わっていた。たくましい肩から伸びた太い腕、厚い胸、それを支えるがっちりした腰、その日暮らしの肉体労働が、身も心も弱い息子を鍛えてくれたのだ。自分の望むままの外の水が、息子に合ったのだろう。 しかし四十になってはや白いものが混じり初めた頭を見た時、直は悲喜こもごもこみ上げるものを抑えきれなかった。竹蔵が連れて来た嫁の花には、好感がもてた。 二階の神前に二人を坐らせて、直は感謝の祈りを捧げる。鬼三郎が澄を連れて上がってきて、義兄に挨拶した。こだわらぬ淡々とした態度ながら、竹蔵は強烈な光に押されたようで、眼を上げられなかった。 チビのくせにどえらいゴンタとしか覚えていなかった幼い末の妹澄が美しい人妻となり、母親となっている。その澄の笑顔にも、竹蔵はたじろぐ思いがした。自分には耐えきれなかった極貧をくぐり抜け、狂気の母や姉や他人の元にあって、真直ぐ育ち得た妹の強靭さ。 澄には長兄の記憶がない。この人が兄さんだと言われても、急には実感が湧かなかった。 平蔵が直の前に進み出て報告した。おそらく借金だらけだろうと思って直が工面した金は、使わなくてすんだ。竹蔵は一文の貯えもなかったが、また、一文の借金もなかった。特に挨拶せねばならぬ人もなかった。寄居虫がひょっこり宿を代えるぐらい気楽に、三条蹴上の長屋を引き払うことができた。 竹蔵帰るの知らせで、役員信者たちが次々に喜びを述べに来た。四女の龍も姿を見せた。「お祝いに、皆さんにお神酒をいただいてもろとくれ」 はずんだ足音を立てて階段を降りていく澄に、直は苦しかった昔を思い出していた。 田舎の大きなぐい呑みの盃が竹蔵の手に包みこまれると、小さくかわいく見える。それほど竹蔵の指は、大きく厚く節くれ立っていた。 この子に好きな酒を飲ませてやりたいばかりに、龍が大きくなったら酒屋をさせようと夢みていた直。病床の夫が欲しがる酒を買うため、質種に屑買い道具の秤をさし出して突き返された、あの頃であった。 ものも言わず固くなっていた竹蔵が、酒の香をかぐと、ほうっと自分をとり戻したようであった。ぽつんぽつん酔いと共に口もほぐれ出したが、過去のことには一言も触れなかった。花も負けずに飲んで、愚直な役員信者を驚かせた。 直は微笑を絶やさず、竹蔵から眼も離せぬ風である。ゆるぎない日常の生活態度を求める教祖出口直はそこになく、あるのは、ただおろかしいばかりに子煩悩な母親に過ぎなかった。 竹蔵の家出理由は、鬼三郎も聞かされていた。徹頭徹尾無気力な人間という澄の長兄に、興味があった。生まれた土地、家に縛りつけられ、身動きも出来ぬ長男。財産もないくせに、あるのはただ老いた親と大勢の弟妹を扶養せねばならぬ義務ばかりだ。 鬼三郎も長男であるだけに、どうにもならぬ家の重みを知っていた。竹蔵を見る眼に同情の光があった。 生家を捨てて逃げたというだけなら、鬼三郎とて竹蔵と変わらぬ。一人になりたがった竹蔵と違うところは、捨てた家より何万層倍も重い救世の使命を背負わされたことであろう。しかし竹蔵とて、神が綱をかけて引き戻した以上、いやでもその背に重荷を負わされずばすまぬ。 その夜のうちに出た筆先を持って、翌朝、鬼三郎が竹蔵に説明する。「竹蔵さん、これは筆先いうて神さまのじかのお言葉やさけ、よう聞いてや。出口竹蔵は父出口政五郎の後を相続する。出口直は末子の澄を連れて分家し、神さまの方を相続する。つまり出口家の本家の後継は竹蔵さん、大本の世継の二代は澄と神定まったんや。筆先という奴にかかったら、個人の自由もへったくれもないのやで。あんたがどない逃げようと泣き叫ぼうと、くもの巣にかかってもがくトンボのようなものや。このわしが良い見本じゃ」 竹蔵の表情に、予期した如き反撥の色はあらわれなかった。意味もなくへらへらと笑った。 竹蔵と花は東四辻の共同生活の仲間入りした。相変わらず竹蔵は畚を編む。竹蔵の作る畚はここでも評判が高く、田町の高山荒物店が買占めにきた。 花は鉄道工事の日傭いに出た。綾部を初めて通る汽車。福知山、舞鶴間二十四哩の阪鶴鉄道が敷設工事を始めていて、土工が大勢入り込んでいた。 食事は龍門館で十数人がひしめいて食うのだから、自分たちばかり快く飲んではいられない。半月ほどしてから、竹蔵は花に訴えた。「出口家の本家を相続せい言うさかい、ちっとは財産があるのかと思たら、田の一枚もあらへん。自分で稼いだ銭で、好きな酒も好きなだけ飲めんわな。阿呆らしてあかんわ」「そうでっか」とそっけなく花が言い、「故郷に帰れば、竹はんも他の男はんと同じや。うちの好きやった畚の竹はんとちごてしもた」「お花……」 竹蔵ののばす手を振りはらって、花は続けた。「あんたはそれでよいのえ。立派な母さんも、妹さんも、義弟さんもおってや。それが財産やないの。昔の気楽な暮らしは忘れることや。しっかりここに根をおろしやっしゃ」 翌朝、花は身一つで須知山峠に立っていた。背にはすかいの風呂敷包み、片手には一握りの早わらびをつかんでいた。 花をつき動かしているのは、直の言葉であった。やわらかい、いたわりと深い悲哀をこめた直の一言だった。「竹蔵、えらい苦労しなはって……けど、自分一人の……それだけの苦労やったなあ」 分からなかったその意味が、この頃ようやく身にしみてきた。「ここの人達は世間とは違うのや。自分一人のための幸せも苦労も決して願ってはらへん。うちといっしょにいたら、あの人はまた流れてやろ。自分一人の暮らしから、ついには抜け出せずに終わってしもてや。この母さんに息子を返そう」 花は心を決めた。今夜のねぐらのあてはなかった。行きついたどこかで飲んで、寝て、日が昇る頃にはその日稼ぎの仕事にもぶつかるやろ。「大丈夫、うちの瓢箪は沈まへん」 花は右手の早わらびを高く振り上げた。「さいなら、畚の竹はん」
 鉄道工事の人夫に出たはずの花は、いつまで待っても帰ってこなかった。高山荒物店の主人が、できあがった竹蔵の畚を見て首をひねった。いつもの重厚な力強さがない。 五日目頃から、花がおそらく永久に綾部を去ったであろうことを、竹蔵は自分に納得させた。不義理と怒る筋合ではなかった。同棲はただ便宜上。二人の食事が一人の手間ででき、半分の家賃ですみ、生理的要求が互いの犠牲を強いずかなえられる、それだけのはずであった。初めから、義務と責任のともなわぬ自由を求める二人の男女の寄り合いなのだ。離れ去るのに何の束縛があろう。 けれど男と女という奴は、二本の杭が無関心に並び立つようには、なかなかそうはまいらぬらしい。ただ酒を汲み交わすそれとない行為の積み重ねの中にすら、人情が流れる。人情という厄介な心の蔓はいつか手をのばし、絡み合い、そ知らぬ顔して愛のつぼみを抱いていたのか。「花のような女には、もうめぐり会えはせん」 竹蔵の胸にはぽっかりと風穴があいた。 花を追って出るならこの時であったろう。しかし、心はそうでも、体がついていかなかった。行方定めぬ花に再び出会えるあてはなかった。出会えたとしても、また元の暮らしに戻れるとは思えぬ。愛にとらわれた竹蔵の心は、もう軽そうに流れる瓢箪のように、花には寄り添えまい。 世間の波風にさらされて孤独に暮らすには、もう四十であった。かつて死ぬほどの重荷でのしかかっていた親弟妹への長男としての責任は、十七年間の年月が取り除いてくれていた。 ひとかけらの財産もなかったが、出口家の本家の戸主となりながら、扶養すべき母や妹澄は分家して義弟の鬼三郎が面倒みるはずだし、他の弟妹たちもどうにかそれぞれやっている。自分一人が食えばよかった。東四辻の共同生活も、朝夕の礼拝さえつとめていれば、かなり気楽であった。 自分の特殊な立場にも気づいた。役員や信者の家に行くと、湯茶の代わりに茶碗酒を出してくれた。彼らは、竹蔵が酩酊して唄う歌にも、下手な洒落一つにも、うんうんうなずいて聞いてくれた。夜こっそり飲む寝酒さえ、誰も見咎めようとしなかった。 彼らの寛容さは、竹蔵が出口家本家の相続人ということからきていた。二度と家出したりせず、おとなしく出口家を継いでくれてさえいれば、満足であったのだ。それ以上の改心を求める者もいなかった。神界の御用を果すべき、大本の世継ではないのだから。 世間から紙屑のように相手にされなかった竹蔵は、夢にもみなかった今の甘やかされた立場が、決していやではなかった。花によってできた風穴は、人々の特別の好意が埋めてくれた。大本という防波堤の内側に、そろそろと竹蔵は根を下ろし始めていた。
「変性男子(直)・変性女子(鬼三郎)の和合ができ、三代の世継を授かったお礼をかね、弥仙山に参拝せよ」という意味の筆先が出て、大本の内部は喜びに沸き立った。 腑に落ちぬ顔の竹蔵に、四方平蔵が熱した口ぶりで強調する。「この度の参拝は、あだやおろそかに考えてはなりませんで。一昨年の旧九月八日に教祖さまが弥仙山に篭られてから、岩戸はしまりきりじゃった。その岩戸が四魂揃うての弥仙山参りによって開け、明けの烏の日の出の守護となる……」「四魂いうたら、なんやいな」「教祖さま、会長はん、二代澄さん、三代朝野さんの四つの霊魂ですわな」 ますます分からぬ竹蔵にかまわず、平蔵は続ける。「そればかりやござへん。嬉しゅうてならんのは、会長は小松林がのいて、いよいよ坤の金神の御守護を受けてんじゃげな。会長はんと二代はんには、あらかじめ三週間の水行するよう神命が下ってなあ、あれほど水行ぎらいの会長はんが、二代はんと一緒に水行しだしちゃったんじゃでよ。『神も時世時節にはかなわんぞよ』と筆先にござるが、いよいよ神代以来二度目の天の岩戸開きの神機到来じゃ」「へえ……何じゃら知らんがたいそうどすなあ」 彼らの昂奮ぶりに同調できる素地はなかった。けれど、弥仙山参りの準備が着々と進むに連れ、竹蔵は落ち着かなくなった。 ――ともしびの消ゆる世の中いまなるぞ。差しそえいたすたねぞ恋いしき(旧明治三十五年正月八日) その差しそえの役員が選ばれた。四方平蔵、中村竹吉、木下慶太郎、福島寅之助、村上房之助、後野市太郎、四方藤太郎、福林安之助、四方与平、田中善吉、竹原房太郎、飯田亀吉の以上十二名である。 綾部とその周辺の信徒に、家族ぐるみの参加が呼びかけられた。といっても総勢七十四名、参加者全員にそれぞれの任務が振りあてられる。まず弥仙山頂上の宮の祭典に参列できる資格者が神示される。出口直、鬼三郎、澄、朝野、十二名の役員、朝野の守役の四方とみ、塩見じゅんの十八名である。残りの者には、お迎え役、お留守番、お留守番手伝い、お待受け、お待受け手伝い、お見立てのどれかを命じられる。 お迎え役は全部で三十八名、お迎え場所を七ヵ所に分けて決められ、その中の二名は中の宮まで、十七名は頂上の宮までと、登山が許された。足立正信が綾部を去って以来、信仰を落としていた四方純の名も、八幡社までお迎えの三名のうちの一人に入っていた。 発表された名簿に、いくら探しても出口竹蔵の名はない。竹蔵はあわてた。自分だけ参加を認められないとなると、我関せずの態度が逆にぐらりと揺れた。除け者にされたように淋しく不満だった。 竹蔵は、龍門館の鬼三郎を訪ねた。階段の下の狭い部屋から、澄の織る機の音が聞こえる。奥の七畳半の間で執筆していた鬼三郎は、笑顔で迎えた。義弟であり七つも年下である鬼三郎だが、なぜか竹蔵は、いつも甘えたい気分にさせられる。「会長はん、この頃は水行しとってんやげなが、悪神の小松林さんが逃げ出しちゃったいうのはほんまやろか」 鬼三郎はにんまりした。「阿呆くそていかんわ。どいつもこいつもいきり立っとる時に筆先の命令を聞かへなんだら、どないされるか分からんやんけ。それに気候は暖かやし、水浴びもまあまあ風邪ひくほど冷とない」「それでも……ついこないだまで教祖はんと会長はんが神がかりして派手に大喧嘩しとっちゃったのが、この頃おとなしゅうなっとるげな」 鬼三郎は真面目な顔になった。「それが分からん。確かに小松林はんも、髪の毛逆立てるほど怒ってんことはのうなった。そう思うと、神界は変性男子と女子が和合できたんかなあと思ったりもする。けどわしはわし、ちょっとも変わっとらんぞ」「ほんなら、大本の神さんも教祖はんも信じとってないんか」と竹蔵が不安そうに訊く。「正直なとこ、だんだん信じられんようになる。教祖はんの人柄とこれは別や」「神さんだまして、罰当たらんやろか」 鬼三郎は長い舌を出した。「お澄と相談して、ちょこっと猫かぶっとるのや。艮の金神が悪神やと審神できたら、澄と朝野を連れて綾部から出ていくし、本当に正しい神ならばお詫びに命でも投げ出したる。それを見きわめるために弥仙山へものぼる。弥仙山参りは旧四月二十八日と決められた。この日は朝野が生まれてから数えて四百四十四日、ともかく朝野を授けて下さった神さんには素直にお礼せんならん」 竹蔵は思わずきおい立って言った。「朝野なら、わしにとっても可愛い姪のはずや。その弥仙山参りの行事に、なんで神さんは出口家の惣領のわしを除け者にしなはるんやろ」「竹はんも、弥仙山に参拝したいのか」と、鬼三郎は意外そうに竹蔵を見た。「大本の人間なら、鼻たれ小憎までこんどの数のうちに入っとる。本家のわしだけ行かんのはどうもなあ」と竹蔵はてれくさそうに笑い、鬼三郎の視線が眩しいのか、大きな掌で顔を撫でまわす。「教祖はんに一緒にお願いしてみよ」と、鬼三郎は竹蔵の肩を叩いた。 鬼三郎から竹蔵参加の申し出を受けて、直は溜息をついた。「この度のお参りでは、長男を返してもろたお礼も十分申し上げたい思うてます。けれど、筆先に竹蔵の名前が出んさかい、連れて行くわけにはいきません。神さまの御用だけは、わたしの思い通りにはならんでなあ」 竹蔵はうなだれたが、鬼三郎は押して主張した。「鞍馬山詣りの時、福林安之助はんは荷物持ちということでお供を許された前例がありましたなあ」「荷物というても、今度は別にござへんわなあ」「あります。朝野ですがな。険しい山の登り下りに朝野運ぶのは、澄や女の守役では無理でっしゃろ。御苦労でも、伯父さんの竹蔵はんにお願いしたい」 鬼三郎の思いやりであった。「神さまにお願いしてみます。でも聞いていただけるかどうか、竹蔵」 直の厳しく深いまなざしに、竹蔵は思わず身を伏せた。生まれて初めて、真剣に神に祈った。
表題:岩戸開き 8巻7章岩戸開き



 ――これから男子と女子とが和合でけて、四魂そろうての御用となりて、ひとつの道へ立ちかえりて、このなか楽にご用でけるぞよ。そうだともうして、気ゆるしはちっともならんなれど、経綸どおりにいたしてくれれば、この行先は勇みてご用がでけるぞよ。 こんど岩戸を開くには、海潮(鬼三郎の号)は坤の金神と守護がかわりて、善ひとすじの道へ立ちかえりて、神界では出口おに三郎と名をいたすぞよ。 こんどいただいたおん子は、水晶のたねにいたすのであるから、岩戸開きのお願いには、名は出口につけさすから、出口なおひと申して木の花咲耶姫どの、彦火々出見の命どの、神界へおん願いいたして下されよ。(明治三十六年旧四月二十七日)         この筆先は信者を随喜させ、明日に迫った弥仙山岩戸開きへの期待がいやが上にも高まった。変性男子(出口直)と変性女子(上田鬼三郎)との和合ができ、鬼三郎の守護は悪神小松林に代わって坤の金神となる。これによって待ちに待った艮の金神、坤の金神の夫婦の御霊が大本に揃ったのだ。そして鬼三郎は神界から出口おに三郎と名をいただき、また朝野は出口直日として水晶の種にするというのだから。 おに三郎の戸籍名は上田喜三郎のままだが、その時以来、彼は筆先の平仮名〃おに〃に〃王仁〃の字を使用する。また朝野は明治三十八年にみずから直日と言い出すまで、戸籍名通り朝野と呼ばれていた。
 明治三十六年五月二十四日(旧四月二十八日)丑の刻(午前二時)、提燈片手に蓑笠つけた一行は龍門館を出発する。留守番役の四方祐助老人が禿げ頭をうやうやしく下げる。出口直を先頭に、王仁三郎(鬼三郎)、澄、朝野を背負った出口竹蔵、二人の守役、十二人の役員、信徒たちが列を正して粛々と進む。午前三時、木下慶太郎方にて小憩、再び出発して八幡社、三十八社に参拝する頃は、夜は明け放たれている。 一行は不動の滝で水行し、彦火々出見命を祀る中の宮に参拝し、羊腸の山道を登って登って頂上の宮に達する。太陽はだんだん高く昇るのに、提燈のともし火はつけたままであった。祭典が終わるまでは岩戸はしまったままで、まだ暗闇だからである。 王仁三郎はこの一行を龍灯隊と命名した。海中の燐光が燈火のように連なりあらわれる現象の龍灯と、さも似ていたからである。 祭神木の花咲耶姫の神前に簡素な神饌を供え、岩戸開きの神事が厳粛に執行される。舞鶴の正午のドンを合図に、提燈の火がいっせいに吹き消された。感涙が頬を伝うまま、一同の顔は晴れ晴れと輝く。 その夜のうちに、岩戸開きに関する筆先が示された。 ――出口直六十八さい、明治三十六年の四月二十八日の岩戸開きのおんしるし。 綾部の大本は、結構な龍宮館が高天原であるから、この大本でご用つとめあげさしたいと思うたなれど、なにもこのなか闇黒で、男子と女子とのたたかいで、大本のなかで和合がでけん、あまりこのなか荒立ちて、男子と女子が敵対うて、明治三十四年の九月八日に弥仙山の彦火々出見命のお社のなかへ立てこもりたおりが、金輪際のかなわんおりでありたぞよ。 それから明治三十六年の四月の二十八日まで、岩戸は閉まりておりたぞよ。岩戸しめておいては暗がりの守護で、なにいたしても暗がりでは、すみやかなことはでけんによって、明けの烏といたさねば、ものごとがおそくなるぞよ。 明けの烏といたして守護いたすには、岩戸開かな夜が明けんぞよ。これからは日の出の守護となりたから、善し悪しがありやかによくわかるぞよ。(後略) ――明治三十六年の四月の二十八日に、岩戸開きと相定まりて、けっこうに変性男子と女子との和合がでけて、金勝要大神はすみ子に守護いたすなり、龍宮さまが日の出の神にご守護あそばすなり、四魂そろうての守護いたさねば、こんどの世の立替えには上下そろわんとでけはいたさんぞよ。 世に出ておいでる神さまに、ごぞんじのなきことであるから、世に出ておいでます神さまと、世に落ちておりた神さまと和合いたさねば、この世はおさまらんぞよ。 それについて明治三十四年に岩戸をしめて、この世のなかはこのとおり、まっくらがりであるということが、実地がして見せてあれども、そんなことのわかる人民がないので、男子はたびたび、のどから血をはくごとくでありたぞよ。 於与岐は因縁のあるとこであるから、きよらかな弥仙山という結構なお山の頂上に、木の花咲耶姫どのをおまつり申して、中のお宮が彦火々出見の命どの、下のお宮が三十八社なり、こんど頂上の木の花咲耶姫どのに、世に出ておいでる神さんと、世に落ちておりた神との、和合させるおん役を、神界からおおせつけたのでありたぞよ。 大本の変性男子のご世継は末子のすみ子なり、女子が坤の金神、みたまは男子と女子とが夫婦なり、すみ子のみたまと海潮のみたまとは親子なり、肉体では海潮とすみ子とが夫婦にいたして、木の花咲耶姫どのの分けみたま、この大本は代々、女のご世継と相定めるぞよ。 肉体が女であるぞよ。とりちがえのなきようにいたさんと、とりちがいをいたすと、まちがいがでけるぞよ。万劫末代つづかす大本であるから、出口直のうちに気をつけておくぞよ。 弥仙山は昔から、女は参拝いたされんお山でありたなれど、あまり世が開けすぎて、生神の住まいをいたすとこは、この近辺では弥仙山。 こんどの弥仙山の岩戸開きのおん供は、もうこの行くさきには無きご用でありたぞよ。木の花咲耶姫どのの分けみたまをいただきたおん礼やら、結構なご用でありたぞよ。 末法の世をちぢめて、金神の世にいたして、二どめの世を立替えて、二どめの岩戸を開いたら、もうこのさきで、岩戸は閉めることはでけんぞよ。 この世に出ておいでる神さん、世を持ちあらしなされて、その世をうけとるおりが、於与岐の弥仙山の頂上の、木の花咲耶姫どのの神前で、大もうな岩戸開きをいたしたのであるぞよ。なにごとも神のいたすことは、人民では分かるまいがな。(明治三十六年旧四月三十日) 一昨年(明治三十四年)旧九月八日の出口直の弥仙山ごもりによって岩戸が閉まったが、この度の神事によって今こそ天の岩戸が開けたという。 岩戸開きが終わって昂揚した気分の大本人種と反対に、王仁三郎は苦悩していた。天の岩戸開きと立替え立直しは共通項でくくられるから、彼らはいよいよ立替えが始まったと受け取っている。しかしそれは神界のことであり、それが現界に移るのは何十年先のことか。それまでに彼らが失望することは目に見えている。 頂上の宮で、王仁三郎は木の花咲耶姫から「天の岩戸の鍵を握るものは瑞の御霊なり」との神示を得ていた。 高熊山での霊界探検のみぎり、桜の花をかざした仮の姿の木の花咲耶姫が、梅の香かおる王仁三郎の精霊に三つの御霊、すなわち瑞の御霊を充たし、弥仙山の頂上の宮に鎮まり給うたのを目撃している。が、そんなことを言えば気違い扱いで罵倒されるのがおちだ。けれど人々が瑞の御霊の神格を認めぬ限り、天の岩戸は開けない。 艮の金神、坤の金神、金勝要神、龍宮の乙姫の四魂が揃って大本を守護するという。艮の金神は直、坤の金神は王仁三郎、金勝要神は澄と、役員信者たちにここまでは分る。が、さてと、龍宮の乙姫は日の出神に守護して現われるという。日の出神といえば筆先では出口清吉になり、彼らは清吉が今にも帰ってくると期待する。それは直もまた同じであろう。 違う、そいつは違うのだと王仁三郎は叫びたい。 九月二十七日、王仁三郎は神がかりして筆を持ち、平仮名ばかりで「弥仙山」なる一文を一気に書く。字面だけ読めば単なる岩戸開きの紀行文だが、その中に出口直の岩戸ごもりに対する痛烈な批判が秘められている。
  みせんざん
うしとらのだいこんじんわかひめぎみのみことのみたまがしんくわいではへんじようなんしのてんちのかみとさだまりよにいでて三ぜんせかいをたてかへてむかしのかみよのやすくたいらけきうつしよにひるがへさんとこのよにあらはれたまひしたつゆはねのかみやしきはつぼのうちしんぐうむらやほんぐうにたなびくくもはおほえやまよりみせんかけてたんごのめしまおしまにつたわりて十り四はうみなみやのうちとかんさだめたまひてゆはとびらきとおよぎなる三十はつしゃになかのみやみそらのやしろかねのみねこのはなさくやひめのかみに ま し ましてよのうるはしきみわざはこのかみのおんさちはひたまものぞこ ぼ くおいしげりてむかしのかみよのその す が た け やきやすぎのしげりようはあたりにならぶはやしもなしかけまくもかしこきこのみやまはふるくよりもをんなのまゐるをゆるさずらいこうどののおにをたいじたおほえやまよりふるきことやほとせあまりみちもひらけてにぎわしくひのもとにももろこしにもまたなきけっこうなるれいざんなればこんどよのかわるおりのみしるしにここにゆはとをひらかんとさしそへのみたまみたまをひきつれこころもみもうきたちてでぐちのかみのおんしめしをよろこびいさみすゝんでほっそくすうづきの二十七にちたそがれちかくにしたくをつかねてまつやくいんいづれもよりあつまりてかさにしるしのおくふかきかみのおもひをかきとめられていさみてよなかにやかたをしゆくしゆくとれつをただしてた ち い でけるあやべのおほはしくらがりにわたりてすゝみゆくさきふちがきのなかばにいしのぢぞさんあとにみてま一もんじにとうへすぎにかゝればおほいしむらはずれたなかにたちてかしはでをうつひとふかいしんこうのまことのみちをまもりおるこそたふとけれやがていちどうきのしたけいたろうのたくにのぞみしんぜんにむかひてちょっと一れいてんちのかみのごいとくはやみじにまようよのひとのまことをてらしてたすけんとでぐちのかみをはじめとしつゞいてでぐちのおにさぶろおきんかつかねのかみでぐちなほひひめしこんそろうておほもとのりうぐうやかたのいきがみは四月二十八にちにおよぎのかかりいちのせまですすむやそらにはくろくもいでてんちはしんのやみとなりゆきあめさへいまにふらんとするよふすみちみちねむけさしてしんとらのうちにはかたへのこみぞへおちこみてびっくりぎやうてんかめぞうはいだにはあらでこがはのなかにふみすべりてはずかしきこころのやみをあらはせりでぐちのなほひはいさみたちこえをはりあげてまわらぬしたからなにごとかうたふがことくにさわきいてたまふあゆめばほどなくうぶすなのはちまんぐうのおんまへにかさをもこざもぬぎすてておはらいあげてかんぬしのやかたにつきてふでさきをあたへつこころもいさみてみやまにさしかかる三じう八しやをはいれいしいよいよすすんでのぼりゆくみちすがらしげかいほそきいたんどうりとりてはなぐさみつつたかきにむかいてすゝみゆくちかくみそらのけしきをおがみつつわれさきにとしんげきしたりこのみやまのなかほどなるふどうのたきにてでぐちのかみこころきよめのみしるしとてたにまへとおりたちたまひゐるいぬぎすてはだかになりたまひてみずぎようなしたまひければしげかいつづいてそのあとにつきすみこもろともみそぎのはらいとなへをはりしかたへいぞうはじめなかむらたけぞうきのしたけいたろうむらかみふさのすけごのいちたろういでんのしかたよへいふうふたなかぜんきちおやこをはじめふくしまとらのすけしかたのとうたろうふくばやしやすのすけにみかたのいだかめぞうおよびたけはらふさたろうの十二にんのやくかしらをはじめおむかいをあはせてみせんへのぼりたるもの三十よにんにおよびけりかんぬしはさきにたちてのぼりゆくはやくもみそらにますきんぽうじんじゃのみとひらのまへにとうづくまれりしげかいまつさきにうちみまもりてかんぬしに一れいしたかきみやまのきよけきみにはかなとかんじつるおりしもあとよりつづいてみなみなのぼりきたりてかるくふしおがみやゝありてみきみけをたてまつりそのほかくさぐさのうづのおんそなへものをたてまつりみなのこころをおほかみにささげまつりけりでぐちのかみとすみこひめとでぐちおにさぶろおとなほひのよはしらかみのみまえにちかくそひまつりてここにはじめてこのよのやみをてらしますさときくしきかみのみわざのまにまににどめのあまのゆはとをひらきへんじょうなんしにょしそろひてここにこのはなさくやひめなるみやびのおんかみはなかたちとあらはれたまひていさましくゆはとのみまえにたちたまひゆはとはぶじにひらかれてあらはれいでしはわかひめぎみのかみたすけのみちもあきらかにひらけゆきてあめがしたよものくににはへいわのはたかぜにひるがへりてうへもしたもおしなべてくさのはすへにいたるまでいさまぬものはなしたかまのはらはいよいよあやべとかんさだめたまひければよものたみくさらはこのたかまのはらのおほせのまにまにまつろひてこころのせんたくおこたるなかれうしとらのこんじんでぐちのかみのおんたからはこのよをたすくるにしきのみはたなりたてのいとをはりよこにはちぐさのいとをいれつゝにしきおりゆくたのしさつらさはこのよにまたとなきたいもうなるさしそへのみわざなりけりかみのみちをあゆむものはかならずしもこのあやなすにしきのはたをめあてにつきそひてたゞひとすじにすゝみゆけいかなるあくまいできたりさへぎるとてもようしゃなくおしへをかしこみてかたくまもりつにしきおるかみのみわざにくわゝりてふとしきいさほしのちのよにのこせよにほんはしんこくとせかいのはてまでなりひびくそのときまでにきたへかしよろづよおちぬかみのはしつきのしゅごうのよをあけてあや にかしこきよにせんとへんじょうによしがさきがけてりうとうたいをそしきしつなんにようちまぜて三十にんあまりともしびをたてまつらしめたりしがこれぞおんなのこのやまにのぼるはじめなりけり
  やまみちのあんない
めをあげてやまをみあげるとやまのてんつくにつかがあるそのつかをひだりへとりてくだりゆきだんだんたにまになればまたとうげさん上からはまたひだりへおりるたにになりたらまたやまをのぼりつめたにをこえてかのやまこえてたにこえてこんどはたかいたいらとなるこのたいらをすすめば一トつのいけがあるこのいけみたらさかおとしこれがみせんざんのゆはとびらきのみちすがら めいじ三十六ねん九月二十七日     でぐちのおにさぶろお
 最後の「山道の案内」に、塗りこめられた王仁三郎の本音を解く鍵が示されているなど、当時の役員信者たちは一人として気付かなかったであろう。「めをあげて」とあるように、第一行目下段の「め」から指示通り斜めに読み進むと、一つの文章が浮かび上がってくる。原文にはないが、解読の便のためにゴシックで道順を記しておいた。秘められた文意は次の通り。「明治三十四年九月の二十日には、この世が暗闇になると申して、種油をたくさんに買い置きして、また信者にまで油を買わして、偉そうに言うておりたが、そんなことはないと茂頴が申したら、神に敵対うたと言うて怒りて、よその国へ出ると言われた故、上田が弥仙の神に教祖を預けるしるしに、前つに畏き世にせんと、変性女子が先がけて……」
 出口竹蔵はべったり寝ついた。弥仙山の登り下り、神の許しを得た嬉しさに朝野を背負って張り切りすぎた。疲れて足も腰も立たなかった。 一週間目、ようやく元気を回復して床を上げていると、王仁三郎が縁側から顔を出した。同室の連中は働きに出ていて、部屋には竹蔵一人であった。「どうや、お米はんの家へ遊びに行ってみいへんこ」「それでも……」 竹蔵は逡巡した。大槻家には、帰綾の挨拶で、中村竹吉に連れられて一度行っただけである。玄関先でそこそこに挨拶を済ませた。中村竹吉から、大槻家についてこう聞かされたからだ。「お米はんは教祖さまの子じゃが大蛇の霊、鹿蔵はんは悪鬼の霊、鬼と大蛇じゃさかい、どんな邪霊に見まわれんとも限らん。挨拶さえすましたら、もう二度と足を向けてはなりまへんで」 竹蔵がとまどって聞いた。「けど解らんなあ。母さんの……教祖はんの子供に、なんで大蛇の霊がつくんじゃろ」「それは大きに意味のあることや。世界にあることは、善悪とも合わせ鏡の大本に映ってくる。大本は型を出す所、教祖さまは、他人の子に傷はつけられんさかい、自分の子をいやな悪の御用に立てて、世の人を改心させなさるのや。まことにもったいない」 中村竹吉の説明だが、このへんになると竹蔵はついていけない、常識を越えた世界である。「わしも母さんの長男じゃで、何かの型に使われとるのかいな、会長はん……」と竹蔵は首を縮めて言った。「そうやなあ。型としたら竹はんのは……」と言いかけて、王仁三郎は笑いを引っ込めた。「竹はん、こんな気違い屋敷におったら、あんたの頭までおかしなるで。たまには気晴らしするこっちゃ」 強引に北西町に連れ出された。澄には妹としての実感が薄かったが、記憶に残る米はやさしい姉であった。激しい狂乱の時期は話に聞くだけで、今の姉から想像はできない。 茶代わりの酒をなめながら、竹蔵は恐いものを見るように大槻夫妻を眺める。 王仁三郎はここでは自宅のようにのびのびとふるまい、諧謔を弄して笑わせた。小松林の悪神やさかい鬼と大蛇で気が合うのやろかと、竹蔵はこだわっていた。「竹はん、お古で悪いが、よかったらもろてくれへんこ」と、王仁三郎は、大槻家の押入れから一揃いの洋服を取り出した。竹蔵は眼を丸くした。 米が照れる竹蔵の着たきりの法被を脱がせ、洋服一式を着せかけた。竹蔵は、生まれて初めて洋服の袖に腕を通し、ズボンに足を入れたのだ。ネクタイの扱いが解らぬ米に代わって、王仁三郎がしめてくれた。竹蔵には無縁だった文明開化が、いっぺんに自分をさらって、全く別の人間に生まれ変わった気がする。 左見右見して、米が姉らしく言った。「よう似合うで、どこの紳士やろ思うわな。家出する前はほんに頼りない弱々しそうな子やったが、どうえ、天下とったような、ええ気分でっしゃろ」 この洋服やインバネスは、昨年役員たちに便所に投げ込まれたのを、王仁三郎が拾い上げ、二、三日重石をのせて由良川の瀬に晒したもの。大槻家の庭に干し、ひそかに保管を頼んでいた。竹蔵は知る由もない。洋服姿に草履ばき、竹蔵は意気揚々と龍門館に帰館する。 折しも食事時。王仁三郎は熱心に粥をすすっている中村竹吉の背をつついた。「何か言うことありまへんかい、中村はん」 粥がのどにつまったのか、中村は竹蔵に見入ったままものも言えぬ。居合わせた連中も、日頃の四つ足呼ばわりはどこへやら、ぽかんとなった。「よい型が出ましたなあ、中村はん。これからの日本は古い固いド頭を洗うてどんどん外国の知識もとり入れ、活動的な洋服を着る人たちが増えまっしゃろ。大本も世界に発展せんなりまへんでなあ」 王仁三郎の皮肉も通じぬ竹蔵だが、よい型の代表に選ばれたように、邪気のない頬をほてらせて、うんうんうなずいていた。
 五月三十一日(旧五月五日)、直は長男竹蔵に家督相続させ、澄を連れて分家した。
 明治三十六(一九〇三)年六月十一日(旧五月十六日)、元伊勢お礼参り。 直、王仁三郎、澄、朝野ほか三十五人。お迎え六人。前夜に綾部を出発して早朝、元伊勢に参拝する。 七月十日(閏五月十六日)、直はじめ役員信者一同、福知山一宮神社へお礼参り。 七月三十一日(旧六月八日)、七社参り。直、王仁三郎、澄、朝野その他役員信者一同が綾部の氏神七社を巡拝した。 夜、龍門館を出発し、若宮神社(祭神・仁徳天皇)、井倉八幡宮(祭神・応神天皇)、二宮神社(祭神・国常立命、国狭槌命)、三宮神社(祭神・豊斟渟命)、笠原神社(祭神・大国主命)、斎神社(祭神・経津主命)、とどめに熊野新宮社(祭神・伊弉冊命)を参拝した時はしらじらと明けそめる。 この一連の参拝の意義につき、筆先は示す。 ――このたびの七社参りのお供は、われもわれもと申して参拝いたすは結構ではあれども、変性男子と変性女子と龍宮の乙姫殿と金勝要神殿と四魂揃うたお礼やら、結構に神界の経綸の成就いたした大望なことのお礼やら、弥仙山で神界の岩戸を開いたお礼やら、産土神さまに国々所々の氏子をかもうてもらう願いやら……。(明治三十六年旧六月八日) この頃、大槻米は発動して家を飛び出し、京都、広島、大和と狂い歩く。十月初めには平常に復して王子の栗山琴を訪ね、しばらく農事の手伝いをし、十月二十三日(旧九月三日)、八木の福島家に立ち寄り一泊、帰綾する。 またこの秋、直の兄桐村清兵衛(七十一歳)と息子源三(三十三歳)が龍門館に寄宿した。源三が商売に失敗し破産したため、福知山の家を売って父子ともども大本を頼ってきたのだ。 清兵衛も直も子供の頃から奉公にやられ、今日まで別々の人生を歩いてきた。幼時を除けば、七十歳近くなって初めて共に暮らすことになる。直は喜び神の道を説くが、世間智に通じた品の良い老翁に信仰は理解できず、ついに匙を投げる。 十一月二十六日、清兵衛は脳卒中で倒れ生死も危ぶまれたが、王仁三郎の鎮魂で持ち直す。以来、清兵衛は言語不明瞭のまま病床につく。 王仁三郎はひとしお心を砕いて看病した。その親切にほだされ、清兵衛は王仁三郎の顔を見るたびに落涙、合掌する。「教祖はん、清兵衛はんが神が分からんいうて嘆くことはない。人の慈悲が分かれば、それは神に通じる心でっせ」と、王仁三郎は直に言ってやりたかった。 源三は大本の役員の迷信に愛想をつかし、居候の身でありながら声高に大本を罵り歩く。役員の耳に入りはせぬかと、王仁三郎は一人気をもむのだった。
 初霜のおりた冷たい朝の陽だまりに、福島久は袷を解いていた。天にも地にもこれぎり、久の最後の衣であった。まだ肌の温みの残る着物を表と裏とに引きはがす。しなびた母の乳房に泣き声を上げて這い寄る国太郎を、いとが抱きとめた。小さい姉妹は泣きもだえる弟を抱え、だまりこくって母の鋏もつ手を見守っている。「ほどいた木綿の表地だけを売って、二、三日飢えをしのごう」というのが、久の思案の果てであった。残った裏地をやりくりして何とか恰好をつけ、ともかくこの冬を耐えねばならない。 長女ふじは三つで死に、三女は嬰児のうちに死に、五女は昨年まる二つに満たずに死ぬ。心残りなく食べさせてやったとは言いがたかった。六番目に産んだ一人息子の国太郎の乳さえ、満足に出ぬ。もう死なせたくはない。少しずつ引き出し、食いのばしているうち、銀行の貯金はとうに底をついてしまった。売れるものは売り尽くした。 ――この袷の表地を粥に代えてしまったら、あとは……この先はどう過ごそう。 思わず知らず、鋏が久の指からころげ落ちた。 神前から、自分で書いた筆先を読み上げる寅之助の声が続いていた。百日の行の上がりに天に昇ると信じて、騙された寅之助であった。怒りに狂ってすべての筆先を焼き捨てたのは一年前。しかし、「そなたはまこと、地上大将軍殿の身魂であるぞ。そなたの度胸を見定めたのである」と憑物になだめられて、ころっと元に戻ってしまった。早朝五時の水行、礼拝、お筆先と、前にもまして一心不乱なのだ。 頭にかっと血がのぼった。追いつめられた獣のように、久は半裸で神前の襖を引きあけ、夫に怒声を投げつけた。「うちを見よし、裸のとことんまで来てしもた。あとは一家で飢え死にせんならんとこまで……教祖さまのお筆先に従うての苦労なら楽しみもあります。けど、この頃のあんたは、教祖さまの筆先など見向きもせんと、読むのは吾の書いた筆先ばかりや。あんたの筆先が、教祖さまの筆先より尊いとは思えまへん。もうこの上の辛抱はいやです」 堰を切ってしまえば止まらなかった。久はぎりっと歯をきしませて、夫に迫った。 寅之助の大きな目玉が動いて妻を見すえ、平然と言った。「男がいったん神に心をまかした上は、女房が何わめこうが、たとえ親子五人が干乾しになろうが、人民の世界の金儲けなんぞに引き落とされるようなちょろこいこの方の身魂やないわい。女房の分際で無礼者め、下がれ」 久は悔しさにぶるぶる震えて、食ってかかる。「お前さんが夫なら、夫だけの力を現わして、これが神に仕えた効能じゃと、今ここに立派に見せとくれなはれ。さ、その神力さえ現わしてもろたら、しんからあんたに従いますわな」「わしのすることが気に入らなんだら、ついてくるな。子供は置いて、泥ひっかけて綾部へ帰ね。見そこないをいたすなよ。三年先をみてけつかれ……」 久は裏地をまとい、国太郎を背にくくって八木を立った。あとに残る子供らには、表地と代えた五合の米で粥を炊き、残ったわずかでおまわり(お菜)一つない弁当を作った。 家の脇から園部まで汽車は走っていたが、とぼとぼと久は街道を歩く。観音峠を越える時、寒風が肌と心を突き刺した。「お久はんやござへんかい……」 綾部大橋のたもとで呼びとめたのは、中村竹吉であった。久はその視線をさけるようにうつむいた。「やっぱり……けどどうしなさった。ひどう寒そうやおへんか」 中村の声には同情の暖かさがあった。夫が神憑りになってからの五年間、久の神経は暖かい言葉に飢えていたのかも知れぬ。ふっと胸の苦しさをぶちまけたかった。「中村はん、うちもう……どないしてよいやら分りまへん。この先どう暮らしてよいやら……」「お久はんらしもない。寅之助はんはどうしちゃったんです」「福島は、自分で書いたお筆先だけしかないのや。自分にかかった神さんがすべてで、妻や子が裸でいようが、飢え死にしようが、働く気なんぞ金輪際ない。いさめても、とりつく島もあらしまへん」「あんまりやなあ。子たちもようけいなはったのに……。こんないとけない坊が可愛くないんやろか」と、中村は国太郎の顔をのぞきこみ、ばあとおどけてみせた。国太郎は驚いて四肢をこわばらす。「この子に笑う元気なぞござへんのや。乳もよう出んし、お腹空きっぱなしやさかい……」と、背をゆすって久が涙ぐむ。「龍門館ではもう夜飯がでけとる頃や。目玉のうつるような粥やさかい、坊にもすすれまっしゃろ。さあ、行きまひょいな」 中村に励まされて橋を渡った。気がつくと、中村は片々に下駄と草履をつっかけている。片袖のつけ根も綻びたなりに肩のあたりからぶら下がっている。 自分の裏地だけの珍妙な着物と見合わせて、久はふき出した。おかしくなって笑う……それも久しく忘れていた一つであった。「いや、どうも女房がおらんと……」 伸びきった髪、濃い不精髭を撫でて、中村がてれる。この恰好は東四辻の住民たちに共通する、いわばスタイルであった。中村を先頭に、彼等は筆先を誦しつつ、大道を闊歩し、道端の草を抜いたり、他家の雪隠の掃除までしてまわる。「お筆先の誠を実行し、まず綾の聖地の大掃除から初めて、立直しの型を出すんやでよ」と、中村は誇らしげに語った。「羨ましい。艮の金神さまの下でする苦労なら、何でいといますかいな。うちも中村はんらと東四辻で暮らしたい……」と、久は心から嘆息した。「寅之助はんが無茶しよったら、いつでも逃げてきておくれなはれ」と中村がはずんで言い、それから声をおとした。「けど油断はなりまへんのや。四つ足身魂の会長はんが大阪で失敗して、しおしお帰ってきちゃった。竦んどったらよいのに、また何しでかすやら分からん。昨日も東四辻に来ちゃって、わしら見て嘲笑うのや、十二匹の雪隠虫やて」「雪隠虫……」 久の眉毛が上がった。共通の敵王仁三郎に向って、二人の心は一層より添っていた。
「よう参ったなあ。一週間ほど前から、そなたたちのことが胸にこたえてかなわなんだが、えらい行をしとってじゃなあ。けれど、ならんことをこらえるのが行やでなあ」 直は久を見るなり、背の国太郎を抱きとって言った。 久はその一言で胸がつまり、言葉を失った。母は自分以上の苦労をしてきたのだ。借金を負い、病床の夫と子を守り、誠を貫いてきたのだ。母の行には比べられない。「はい、おかげさまで結構に……」と、久は恥じ入った。しかし直の眼は、娘の胸のうちを見透かしていた。「いや、結構なとこへはまだなかなかじゃ。今まで貯めていた金は、もう一厘ものうなったであろう」「はい、実はもうお土につくとこまで……。福島はあてにならず、今日が日、子供を養うこともでけません……」と、久は思わずすがるように訴えた。 直は微笑む。「貯えがのうなるまで、お前の心の頼りは金であった。それを失うたのは結構なこと……」 久はむっとした。「一厘のお金も手元にのうて、月日さまが送れますかい」「わたしは確かに覚えがあるで。取り越し苦労はいりまへん。この先は神さまにまかせて、ただお前の力を尽くして下され。ほんとうの行はこれからやでなあ」 直は柔らかくさとしつつ、手箱を探った。「少しばかりのしのぎの金やが、これを元手に藁を買うて、夫婦で縄ないなとしなされ。そのうち先が見えてきますやろ」 五十銭銀貨が三枚、久の手に握らされた。銀貨には、母の掌の温みが残っていた。 階下の狭い食堂にぎっしり人がつまっている。この龍門館とて、参拝者は少なく、食べさせる口はやたらと多いのだ。役員たちは御神業第一で、土方仕事は二の次だったから、台所をあずかる妹の澄の言うに言えん苦労は察せられた。「姉さん、ここに坐りなはれ」 澄は竹蔵兄の隣りに隙間をつくって、久を招いた。あたりはただ粥をすする音だ。その中に没して、久は国太郎の口にせっせと粥を運んだ。 しばらくは帰るまいと思っていた久だったが、翌朝早く綾部を発っていた。母の言葉に勇気が湧いていた。残してきた子に、一刻も早く暖かいものを食べさせてやりたかった。 新藁を買って、昼も夜も縄をなった。どんなに懸命になっても一日小束十把が精一杯、九銭にしかならぬ。この地方の米価一石代金が明治三十五年で十二円五十銭、三十六年十円九十銭だから、一日働いて八合分くらいの収入である。 寒さはつのっても衣服はなし、薪はなし、ランプはともさねばならず、とうとう夜の間だけ寅之助も縄ないを始めた。教祖の言い付けと聞いたからであろう。それでも縄ないだけでは、五人の暮らしは立ちゆかぬ。新藁の匂い、手ざわりが、久にふっと昔を思い起こさせた。 母が初めて帰神状態になった十年前、見舞いに行った久に、「土産じゃ」と言ってかまぼこ板に土をのせてくれた。「こんな土みたいなもの……」 呆れる久に神憑りの母は言った。「心得違いをしてはならぬ。久殿、これは尊いお土じゃ。金銀は世の滅びのもと、お土は世の栄えのもと。この心をよく腹におさめて土産に持って帰ねい」 帰途、久は邪魔な土を捨てた。捨てたことに、何の心の負担も感じなかった。 今になって久は思う。神は久に土を与えられたのに、捨ててかえりみぬ暮らしを続けてきた。茶店を売った金があったばかりに、金にもたれてこの五年を過ごしてきた。貯えのなくなったことは結構と母は喜んだが……そうか、忘れていたお土、大地を耕して生きよう。 目がさめたように、久はそう悟った。 八木の料亭桝屋から、穫り入れのすんだ一反ほどの田を借りた。時期はおそかったが、稲株に白く霜のおりた土を起こし、うねをつくり、裏作の麦を蒔いた。 金儲けには目はくれぬと構えていた寅之助が、ある朝、久より早く野良に出て鍬をふるっていた。「あんた……」 驚いて叫ぶ久に、夫はにこりともせず言った。「わしらの食いぶちだけは、お土さんから頂かんならんでなあ」 夫の心をお土が動かしてくれたのだと、久は胸が熱くなる。「よし、蒔いた麦が実るまでの半期、自分の体を張って支えよう」と、決意が湧いた。 雪がちらつき始める頃、久は国太郎をいとにあずけ、マンガン鉱山の人夫として日銭を稼ぐようになる。城山の峠を拝田へ抜け、北ノ庄から神前を経て本梅へ、二里近い山路を通った。 女達の仕事は、主として選鉱である。露天掘の採鉱夫たちが鑿と鉄鎚で砕いた鉱石をいしみ(竹で編んだかご)に入れ、手選場まで運んでひろげ、肉眼でマンガンを含む鉱物と石とに選りわけるのだ。選別は熟練を要したから、新米人夫は安い賃金で運搬にこき使われる。いしみ一ぱいの鉱石は四、五貫ぐらいあった。両手の力で持ち切れず、腹にのせて支えねば歩けぬ重さだった。 くり返し往復するうちに、久の衣は破れ、草鞋はすり減る。採鉱場の細い粉末で、鼻孔や口の中まで黒っぽい埃が侵入する。 破れるのは、衣ばかりではなかった。手選場では素手で素早く鋭い割れ目の鉱石を分けるため、指先に切傷の絶え間がなかった。それでも賃金は働きによって左右されるから、傷ついた指をいたわってはおれぬ。親方の眼が光っているのだ。血とマンガンの粉にまみれた指は、また冷たさにもこごえてくる。厳冬の露天、吹きさらしの手選場は、立っても坐ってもじんじんと足腰が冷え込んだ。重ね着するだけの衣類をもたぬ久には、ひとしおの寒さであった。「働きぶりを見んなんのう」と、組の親方は言う。賃金は会社から仕事を請け負っている親方の言いなりに決まるのだから、いやでも肉体は限界まで酷使された。久の場合、一日二十五銭。体力だけが元手の貧民たちであったが、その体のいたみを考えれば、決して鉱山の賃金は高くなかった。よく耐えても、六年から十年で労働者は鉱山を去る。きまったように、よろけ病(珪肺)に冒されるのだ。長い年月吸い続けるマンガンの細粉は、いつか肺一面に真黒く突き刺さっていくのだ。蒼ざめ、息苦しさを訴え、よろけ出すと、親方は肩を叩き、やさしげな一言で片付ける。「お前、ちょっと休んだらどうや。どうも働きすぎやで。無理して体をこわしたらわやや。なんちゅうても、体が元手やさけのう」 彼らは二度と鉱山には戻れない。ろくな治療も受けられぬ貧困の中で廃人となっていくばかりだ。人夫の身を思いやり、いたわる経営者などいなかった。むろん、労働者の組織などなく、労働災害や、公害などという言葉すら知らぬ時代であった。 雪が深くなると、焚き物が切れる。汚れきり、冷えきって帰った久の体を、暖めてくれる湯すらない。久は鉱山での一服のわずかの間に、松山の麓へ行って雪をかきのけ、ごもく(枯松葉)を集めておいて、帰途、ふごに背負った。 麦がとれるまで……麦がとれるまで。久は歯をくいしばっていた。
 ――からと日本の戦いがあるぞよ。このいくさは勝ち戦さ、神がかげから経綸がいたしてあるぞよ。神が表にあらわれて、手柄いたさすぞよ。露国から始まりて、もう一いくさがあるぞよ。あとは世界の大戦いで、これからだんだんわかりてくるぞよ。この世は神国、世界を一つにまるめて、一つの王でおさめるぞよ。 明治二十五年から、出口直は、日清戦争、日露戦争を予言した。明治二十七年に日清戦争は起こり、翌年、予言通り戦勝。今年こそ、今年こそと大本信徒は、日露戦争の勃発を待ち望んだ。何故ならば、お筆先に出る露国との戦いこそ立替え立直しの端緒となると信じたからである。 満州と朝鮮の支配権をめぐって日露の関係は険悪さを増し、一触即発の危機をはらみつつ、明治三十六年は暮れた。


表題:日露戦争勃発 8巻8章



日露戦争勃発



 明けて明治三十七(一九〇四)年、出口直六十九歳、王仁三郎三十四歳、澄二十二歳。 四時に起きて、龍門館の若者たちは由良川へ走る。大江山より吹く寒風が雪を混じえて降りしきっていた。由良川は流してきた材木で一杯だった。つないである筏の上に着物を脱ぎ、積もった雪をのけて、木と木の間にドボンとつかる。 京都からきたまだ十六歳の新参者の近松光次郎や、二十二歳の福本源之助も加わった。しびれるような川水に浸ったまま神言を奏上すると、ぬれた髪の毛が凍ってごわごわした。 光次郎は近松政吉の息子。親の言いなりに綾部に来た。福本は十八の年から茶屋遊びを覚えたという放蕩息子。「綾部はえーとこや、芸妓もいるし……」と親にだまされ、田中善吉に連れてこられた。とてもかなわん、逃げて帰ろうと幾度も思ったが、すると、ぐっと首がこわばって動かんようになる。そんなことが重なって、とうとう肚をすえてから、もう一年になる。我ながらよく我慢したものだ。 由良川の水行を終って龍門館へ帰ると、せまい階段を昇って神前に押し並ぶ。この頃は先輩後輩の順序がやかましく、十二人の役員の下に三十六人衆が決められていて、近松や福本はその後にそっと控えた。 すでに水行を終えた直が待っていて、お灯明をともし、そろって礼拝する。それから、おつゆの中に小さな餅と菜っ葉の浮んだ神代餅をいただく。 日頃は、食事当番が五升炊きの釜に五合の米をほうりこんで水を一杯にして炊く薄粥だから、形のあるなめらかな餅の弾力を味わい惜しんで、すぐにはのどに落とす者もいなかった。かって中村竹吉が弥勒の名にあやかり三十六の餅を一人で平げたという逸話は、正月の度に思い出された。よくぞ食ったということより、三十六も食わせるだけ餅がつけたという意味で。その頃はまだ余裕があったのだ。今なら、できっこない。 食堂の板の間も廊下も鏡みたいにつやつやだった。朝夕、先輩たちが拭きこんだのだ。「福本さん、人間は足元から気をつけんなりませんのやで。手のさわるとこから拭いて、それから足元を磨きなされ」と直が教える。近松や福本ら新参にとって身魂磨きは見当がつかなかったが、「板の間が光れば身魂も光る。いっしょやで」と先輩たちに言われて、夢中で磨くようになっていた。「ありがたや。もっと降れ。雪は豊年のしるしじゃでよ」 役員たちは、雪かきや竹箒を持って表へ飛び出す。鼻水すすりつつ、倦まず綾部の町の雪をかく。町の人たちは感謝するどころか、かき分けられた道を通りながら、白い眼で眺めていく。 役員たちは毅然として叫ぶ。「今年こそ大望の年。日本とロシアが戦うぞ。筆先は、一分一厘毛すじの横幅ほども違わんぞよ。改心なされよ」 内外の掃除をすませた後、この冬は由良川の筏の材木運びに出た。お筆先を書く紙と役員が写し取る紙だけでも、大量に必要だった。大望の年を迎えて張りつめていた。 龍門館では、直は別荘で筆先。朝食の後片付けをすました澄は、土間の西にある四畳半の桐村清兵衛の病室に行く。病人くさい匂いが鼻をつく。年が年だけに、回復は望めなかった。温厚な伯父で、澄は好きであった。源三は再起のための金策に走り回っていて、看病どころではなかった。 二十九年の大洪水で死んだ伯母に代わって、澄は心をこめて伯父の世話をした。松葉を煎じて飲ませてやり、やさしく病人の腰を撫でさすった。 廊下から、王仁三郎の唄う子守歌が聞えてくる。むずかる朝野を背負って、行きつ戻りつ、口から出まかせの子守歌であろう。   どこからおいでた朝野さん 高い高い山の空 弥仙の山からあらわれた ね    んねんころり    嬢のお母はどこへ行た 山を越えて川越えて 大原越えて綾部行た 綾部の    土産に何もろた おひねりさんに肌守り ねんねんころりねんころり…… 子守歌は朝野ばかりでなく、清兵衛の眠りもさそったのか、やがて高鼾をかき出した。澄は汚れ物を持って、雪のふぶく井戸端へ出る。妊娠七ヵ月の身では、しゃがんで洗濯するのは苦痛だったが、病人と朝野の汚れ物が次々と出るので、洗濯に追い立てられていた。 王仁三郎が澄の傍へ寄ってきた。「おい、やっと寝たわい」「へえ、おおきに……もうちょっとやさかい、お願いしますで」 振り向かずに言うと、王仁三郎が囁いた。「ええか、男の子を産めよ」 また同じことを……澄はこだわらず、うなずいた。二人目の子が男でも女でも、澄はどちらでもよかったけれど、夫のためにできれば男の子を産みたい。男の子がほしいという夫の願いの中には、「今度も女じゃで」と早くも断言する直をへこましてやりたい、子供っぽい意地がひそんでもいた。 七畳半の自室に入り、座蒲団を並べて朝野を下ろす。ねんねこをかけて寝かせ、王仁三郎は机に向かった。 昨年の初夏、偽電報で綾部へ連れ戻されて以来、おとなしく龍門館に蟄居していた。筆先では、王仁三郎は坤の金神の守護になったとされたが、それは神界だけの出来事であったらしく、日常は一向に悔悛の兆しもない。水行ぎらいの朝寝坊の行儀わるの漢字好き……役員信者の目には、依然として小松林命の悪神の容器としか映らなかった。何かにつけて干渉され、不自由なことこの上ない。 たまりかねて地方へ宣教に出ようとすれば、木下慶太郎、後野市太郎、村上房之助、竹原房太郎らがずらりとならぶ。「会長はん、教祖さまにそむいて、外へ出て四つ足身魂の教えをどうしてもまき散らすなら、わしらの葬式をすましてから出て行っておくれなはれ」 腹をむき出して、出刃庖丁を突き立てんとかまえる。純情で血気盛んな若者たちのことだから、脅しとばかりは言えぬ。それでも彼らの目を盗んで地方へとび出し、宣教することはできよう。しかし彼らはかぎつけ、せっかく蒔いた種を、貧婪な烏のように片っ端からほじくり返すことは知れていた。 今や王仁三郎の手足となるのは、義弟西田元吉と園部町木崎の浅井はなという五十年輩の婦人だけであった。西田と浅井は、交代に綾部の大槻鹿蔵の家にあらわれた。いつも昼の十二時頃に園部を発って、深夜に着くことにしている。役員等に見られぬためである。 王仁三郎は夜中に抜け出して大槻家に行き、彼らに大本の教理を説く。さらに、虎の巻を与える。教えをできるだけやさしくかみ砕いて、学のない二人にも分かるように平仮名だけで書いた文である。 西田と浅井はそれを持って未明のうちに綾部を発ち、園部に向かう。園部を拠点として二手に分かれ、王仁三郎に代わって船井、北桑田両郡の未開の地を、ひそかに布教して歩くのだ。しかし役員たちの監視は彼らの上にも届いていて、妨害されることもしばしばだという。そればかりか、王仁三郎が龍門館に蟄居しているのを好機として、会長の逆宣伝を振りまいて歩いた。「実地の筆先の通りどしたで。『行けば行くほど茨むろ、神にそむいて何なとしてみよれ。一つもおもわくは立ちはいたさんぞよ。アフンとして青い顔して、家のすまくらに引っ込んで人に顔もよう会わせず、しょげているのを見るがいやさに神がくどう気をつけるぞよ』怖いもんどすな。けど暖かくなったら、いつまたとび出すやら知れん。世の中の悪の鑑の会長の言うことども聞いたら、神さまからえっとお叱りを受けんなんさかい、くれぐれも気いつけてや」 信者たちは、役員の言葉を間に受け、王仁三郎が通る後に塩を降りまいたり、切り火するほどであった。「教祖はんは経を説かれる。会長は、教祖はんの話のわかるようにくだいて緯を説くのや」と王仁三郎が言って聞かしても、理解できる役員たちではない。小松林命の教えをぶち毀し、その活動を徹底的に封じることこそお道のためと信じ切っての行動だけに、よけい始末が悪い。 王仁三郎は、歯を食いしばって無念に耐え、著述に打ち込む。大本を世界的宗教に発展させるためには、筆先の真意を正しく受け止め、さらに高熊山で得た顕、幽、神三界の見聞と神示を加え、体系立った教義の確立をはからねばならぬ。その時期はきっとくる。いずれ寸暇もないほど多忙になる。その時のために、今こそ書き溜めておかねばならぬ。 王仁三郎は机に向かってちょっと瞑目し、心気を澄ますと、筆をとって淀みなく書き始めた。「鐘が鳴るか撞木が鳴るか、鐘と撞木のあいが鳴る。神と人民は鐘と撞木の関係でござる。鐘と撞木が合体して音が出るので、神は鐘、人民は撞木にたとえれば、神ありての人民、人民ありての神でござる。その音はつまり神徳でござる。その大本とは鐘から出たものでもなし、また撞木から出たものでもなし、持ちつ持たれつの力でござる。神にすがって神徳がないという人は、どこかにこの道理からはずれた所があるのでござる。神さまの御業ではないから、わが身の心をよく考えて、恨むことはできぬ。心の改心次第でどんな神徳でも与え給うから、信仰を怠ってはなりませぬ。信仰はまさかの時の柱でござる」 昨年の夏から折りにふれて書き続けている『筆の雫』の一節である。西田元吉や、浅井はなの宣伝資料にすることが目的で、つとめて俗っぽい表現で書く。間もなく脱稿に近づいていた。再度の焚書の厄に会うことを恐れ、書いた後から大槻鹿蔵の家に持参して、預かってもらっていた。大槻夫婦は、王仁三郎にとっては貴重な存在であった。毒も、使いようで薬になることを、王仁三郎は知っていた。『筆の雫』が終われば、自分の半生の記録から大本入りするまでの経緯を記した『本教創生記』の執筆にかかる心づもりである。
 洗濯を終えた澄が、赤くふくれた手を拭きながら、哀れっぽい声を出した。「先生、忙してかなんさかい、今日はもうこらえとくなはれ。それに今日はお元日やし……」「あかん。学問に盆も正月もあるけい。早うここへ坐れ」「機を織りあげてしまいたいんじゃがなあ。書初めでも二日からやのに……」とぼやきながら、澄はしぶしぶ王仁三郎の横へ坐る。「さあ、まず昨日教えたこと、書いてみい」「そんなこと言うちゃったかて、阿呆やさかい、すぐ忘れてしまいますわな」「阿呆? いやいや、お澄は阿呆やないぞ。磨かれざる玉や。自分を阿呆にしといて、お澄はてんから覚える気があらへん。そこが傷や。さあ、わしがこの玉を磨いたるさけ書かんかい」 澄は筆を持ち、考え考え墨を紙になすりつける。 け、ふ、こ、え、て……。 一字書くごとに大きく吐息し、いかにもつらそうだ。天性学問好き、書から離れては生きた心地もせぬぐらいの王仁三郎には、澄の苦痛が不思議でさえある。 大本の役員たちは学問を目の仇にしても、いろは四十八文字だけは大事にする。澄ときたら、その仮名文字すら尻ごみする。体を使ってくるくる動き回ることは好きだが、机の前に坐って文字を書くことはよほど性に会わぬらしい。 もし教祖出口直に学問があったらと、王仁三郎はどれほど切実に思ったことか知れぬ。王仁三郎から見れば、直は自分の手で筆先を書かされながら、その字面のみを信じ、奥底の真意を理解しようとせぬ。「いろは四十八文字でひらく」とあれば漢字は悪と信じ、「神力と学力の力競べをいたす」とあれば学問の一切を否定する。 直がそうであるからこそ、直の人柄を信じる熱烈な信者たちほど、同じ弊に陥る。それが、教団の発展をどれほど阻害しているか知れぬのだ。 だが王仁三郎は思い返す。 なまじ学問があれば、今日の教祖出口直は存在しなかったかも知れぬ。魂よりも頭で判断しようとするなまじな学問の弊害に染まらず、ひたすら純粋に人生を貫いて来たからこそ、神の啓示をそのまま受ける台になり得た、とも言える。 教祖一代はそれでよい。しかし大本二代としての神命を受けた澄の場合、それであってはならぬ。直の受けた天啓を正しく理解し、後の世に正しく伝える使命があるのだ。そうでなければ、この頑固な迷信教団から脱皮することはできぬ。 王仁三郎は、この蟄居の間を利用して、澄にまず文字を教え込もうとした。いろは四十八文字が終われば、次には片仮名、そして漢字をと意気込んだが、澄の勉強態度では平仮名を教え込むだけで、いかに難事業であるかが分かった。 ――けれど、ここで投げ出してはおしまいだ。平仮名の筆先だけでも読めるようにならねば、とても二代教主となる資格はないではないか。「あかん。〈し〉のしりをはねるのや。これ、棒をまっすぐ引かんかい」と王仁三郎は口やかましく叱るが、次に書かして見ると、もう教えた作法もなにも忘れて好き勝手にのたくる。あまりの聞き分けのなさに癇癪をおこしかけて、ようやく自分をおさえる。「お前の字ときたら、筆先にそっくりの、みみずのぬたくり……」 言いかけて絶句した。王仁三郎の目は吸い寄せられたまま、大きく吐息した。 ――思えば、文字とは何だろう。意さえ通じれば、ことは足りるのだ。その上の上手下手とは。 澄の書いたあちこち好き勝手に向いている稚い字。無造作にまるまり、ふくらみ、すいっと横にとびはねて頓着しない字。この天真で愛らしい、いかにも澄そのままのような。文字を型どおりにはめこんで、誰でもが書くような通りのよい文字に仕立て直してみたところでどうなろう。どう手習いを重ねてみても、自分には到達し得ないであろう澄の天真爛漫な字が、ふと憎い。「ま、何とか読めるさけ、みみずでもよいわな。お前の好きに書いてよろし……。ほんまはお前の字が好きや。惚れとんのや」 澄は筆を投げ出した。折りよく朝野が泣き出していた。「これで今日はこらえてえな、先生。朝野が起きたさかい……」 王仁三郎はつられてうなずく。「わあ嬉し。おしっこ替えたら、おぶって機織りや」 澄はさっと朝野を抱き上げて、逃げるように部屋を出て行く。 王仁三郎は筆を取り上げ、澄の字を真似て書いてみた。 いつまでも止みそうにない泣き声が気になって、王仁三郎は、奥の寝室の襖を開けた。火の気ひとつない寒い部屋に、朝野が裸にむかれたまま泣いている。思わず抱き上げて、冷たくなった朝野を懐に抱き入れる。「何ちゅう母親やろ。おお可愛そうに……風邪ひくやないか」 澄が押入れに首をつっこんで、かき回している。「おかしいなあ……洗濯したおむつ、どこへしもたやろ。先生、知っとってやござへんかい」「お前は阿呆じゃ。ちゃんと着替えを用意してから裸にせんか」 こう言い聞かすのは、二度や三度ではなかった。ある夜など、朝野の苦しげな泣き声に執筆中の王仁三郎が飛んでいってみれば、澄は寝ぼけまなこで、「先生、どないしても、乳飲みまへんのや」 蒲団をめくる。何のことだ、朝野は逆さまに抱かれ、足に乳房をあてがわれて泣きわめいていた。「一人でさえこれや。二人目が生れたらどうなるやろ」と、王仁三郎は泣きたくなる。 澄はおしめを捜しに二階まで行ったらしい。泣きじゃくる朝野のために、王仁三郎はまた自作の子守歌を歌い出した。   お父さんお母さん 詣りましょ 蓑着て笠つけ杖ついて 嬢もかわいい草履    はいて金神さんへ徳もらい こおいこいここい来い。    綾部参るなら草履はいてナ 人力、馬車には乗らぬようにナ 馬車や人力車    はまだしもよいがナ 口の車に乗らぬようにナ こおいこいここい来い    日本照る照る露西亜は曇るナ 支那や朝鮮雨が降るナ こおいこいここい来    い恋し恋しと待つ世はこいでナ 末法の世が来て門に立つナ 早う早うと待    ちこがれてナ 松の世が来てみな勇むナ こおいこいここい来い まだ母親にもなりきらんような妻と子のために春まではここにいようと、王仁三郎は思った。ようやく替えを持ってきた澄に朝野をあずけ、気をとり直して王仁三郎は執筆を続ける。「さしぞえの役員は神を信ずること最も深く最も強し。おのれ深く信ずるによりて、人もまた深く信ぜしむること得るなり。自ら正しうして人を正し、自ら行うて人これを信ず。されどわが眼には彼らの信仰強きだけ、一方に偏してその中心点を失いつつあるを憐れみ且つ憂うるものなり。彼らは信仰篤きだけ迷いもまた篤し、省みざるべからず。眼醒めざるべからず」
 山陰の暗い冬は、春の居催促でようやく重たい腰を上げかける。梅の蕾は一輪、また一輪とひらき出していた。 それを蹴散らす勢いで、号外の鈴の音が綾部中に響き渡った。「露国ガ初メヨリ平和ヲ好愛スルノ誠意ナルモノ、毫モ認ムルニ由ナシ。露国ハスデニ帝国ノ提議ヲ容レズ、韓国ノ安全ハマサニ危急ニ瀕シ、帝国ノ国利ハマサニ侵迫セラレムトス。事スデニ茲ニ至ル。帝国ガ平和ノ交渉ニヨリ求メムトシタル将来ノ保障ハ、今日コレヲ旗鼓ノ間ニ求ムルノ外ナシ……」 明治三十七(一九〇四)年二月十日、日本はロシアに対して宣戦を布告したのだ。 大本には、町より早く春が来た。役員信者たちの顔は、桜が一時に開いたほどの明るさだった。世間の嘲笑を浴びながら明治二十五年から叫び続けていた筆先の予言がついに実現した。ただただ快哉を叫んではねまわるのも無理はなかった。 王仁三郎の心は沈んでいた。日露戦争は、来たるべくして来た。避け得ぬ歴史的宿命と観念しつつも、喜びで迎える気になどなれなかった。単純な彼らの喜びが、どうにもやりきれぬ思いだ。 王仁三郎の戦争観は、すでに脱稿して大槻家に預けた『筆の雫』に、「戦争と立替え」の小題を付けて記しておいた通りだ。「艮の金神さまのおかまいなさる松の世のやりかたは、兵士もいらぬ、戦争もなきように、天下太平におさまるようになる。軍備や戦争は、今の政府が地主や資本家を守るための力にするので、世界多数の人民は、地主と資本家のために兵にもとられて、大事の命まで投げ出して、その上に多くの税を取り上げられねばならぬ。高みへ土持ちでこんなつまらんことはないから、この世の立替えがあるのでござる。 今や世界の国々は、軍備のために実に二百五十億弗の国債をおこして、その利息だけでも毎日三百万人以上の者が働かねばならぬようになり、そればかりか幾百万の達者盛りの若者は、絶えず兵に出て人殺しの業を習って、いらぬ無益のかんなん苦労をなめねばならず、どこの国も達者な者はみな選り抜いて兵に徴収して、田畑に耕作する者、みな白髪まぜりの老人やら……(中略)……女人子供ばかりであるが、実にあわれ至極の世の中ではないか。その上、万一戦争でも始まりた日には、幾億という金をつかい、幾万の命を放かして、人民は痛い上にも痛い目に会うて、国は半つぶれになり、いつまでもよりが戻らず、残るものは少しばかりの軍人の功名と山子師の銭儲けぐらいである。 アア世界にこれぐらい重い罪があろうか。これぐらいな禍いがあろうか。これがさっぱり畜生の世で、強い者勝ちの悪魔の世界ではないか。こんな世をいつまでもこのままにしておいたら、もうこの先は共食いするよりしょうがなくなるから、天からの命令で今度二度目の世の立替えであるから、中々大謨なことの仕組でござる」 宣戦の詔勅が下った三日目の夕、王仁三郎は古事記を読んでいた。暗唱するほど読み尽くしていたが、読み返す度に何かしら新しい発見のある気がした。大本内部が日露戦争で沸き立っている時だけに、彼らから離れて一人古典の世界に浸りたかった。「会長はん、またまた……このどえらい時になんちゅう本を読んどってやいな」 中村竹吉、四方平蔵、村上房之助が立っていた。とっさのことで本を隠すひまはなかった。「これか……『古事記』いう書物や」「へぇ、『乞食』? 情けなや、金明霊学会の会長はんが、お釈迦さんの真似などせんかてよいわな。さあ、渡しなはれ」 言い訳したところで無駄と観念して、中村に『古事記』を渡す。中村の視線はもう一冊の本に注がれる。「そっちの本は何だすいな」「これは『日本書紀』や」「日本のもんなら大事ござへんやろ。けど念のため、ちょっと見せとくなはれ」 本をひらくや、中村は慨嘆する。「あれ、日本のもんやと言いながら、やっぱり角文字ばかりやござへんかい。これも退治しときますわな」 二冊の愛書をさもけがらわしげに廊下に出して、三人は王仁三郎の前に坐りこんだ。「会長はん、役員信者を代表してわしら三人が申し上げるんじゃさかい、そのつもりで聞きなはれ。いよいよ大望が始まって、これで角文字好きの小松林命はんにも、いろは四十八文字のお筆先の尊さがわかったことだっしゃろ」「日露戦争のことなら、わしかて予言しとるわい。明治三十一年に駿河に行った時、長沢雄楯先生の審神者、わしの神主で鎮魂帰神をしたことは、お前らにもとうに話したやろ。小松林の神憑りがあって、明治三十七年二月の日露戦争を予告した……」「お筆先の方がずっと先じゃでよ。小松林がお筆先の予言を盗んだのじゃ」「戦争は三十八年の九月に終わり、日本の利益は支那の海岸と樺太の一部……こんな所まで、筆先に出とるかい」「小松林のいうことなど、何あたろうやい」と、中村はあざ笑う。「わしはあたると思う。それに中村はん、あんたは三十三年から毎年、『今年こそ日露戦争で立替えがはじまる。目も鼻も開かぬことができる』と騒ぎまわっとったのう。そんな予言なら、子供でもできる」「それは、わしの勝手で言うたわけではござへん。お筆先からそういう御内流をいただいたさかいや」「つまり中村はんの内流ちゅうのがスカタンやったか、そもそもお筆先がでたらめやったか……」「な、な、何ぬかすやい。小松林の改心が遅れたくせして。明治三十三年に悪の鑑の小松林の改心さえできとったら、神さまはすぐと立替えなさる。三十四年の改心なら、三十四年に立替えなさるお仕組みが、三千年前から決まってござる。自分の改心が遅れて、ずるずると世界の人民に迷惑かけておきながら、筆先のせいにするとは、あんまりやござへんかい」「すると、わしの改心もいよいよできたちゅうわけか」「いや、今もこの角文字読んどった小松林や。しんそこ改心はでき申さぬが、神さまはしびれを切らして始めちゃった」「難儀なお人や。会長はんの改心が一日遅れたら、世界の人民が一日苦しむ。ほんまになした極悪の因縁性来じゃろう」と四方平蔵が嘆く。「けど、それも御苦労な悪のお役やげな。それを改心させんならんわしらの役も苦労じゃわな」と、村上が悲壮に言った。 王仁三郎は、ばからしさを通りこして笑い出す。「なるほど、なるほど、わしはよほど大そうな身魂や。善にもせよ悪にもせよ、わしの改心しだいで三千世界が動くとはな……」「ともかく、筆先の通り戦さが始まったのじゃさかい、日本は九分九厘サア叶わぬとこまで行きますわな。その最後の一厘で、綾部の大本から艮の金神変性男子の霊魂が出口の神と現われて艮めをさす。三千世界をでんぐり返し、天下太平に世を立直して後はみろくの世、松の世とあそばすお仕組み……。 このどえらいお仕組みの邪魔をした身魂は、万劫末代書き残されて、みせしめに根底の国へ落とされんならん。立替えが始まったら、第一番に気の毒なんはあんたやで。わしは会長はんが嫌いやない。今は悪のお役でも、憎めんさかい辛いのや。お願いです会長はん、わしらが可哀そうや思うて、どうか改心しとくれなはれ」 一息に言って、四方平蔵は両手をついた。白髪の目立ち始めた頭。痩せた肩が震えている。 村上は手を組んだ。しょうこりもなく顔を真っ赤に力ませて、得意の鎮魂で小松林命を追い出すつもりらしい。 中村は顎を上げ、燃えるような眼で王仁三郎をにらみつける。 王仁三郎は真顔になった。「頼むさけ、わしの言うことも聞き分けてくれ。日本がロシアに勝ったところで、三千世界の立直しがすぐにできると思うのは、筆先の大きな取り違いや。筆先には、どこにも立替えの時期など明示してないわい。三十年や五十年で、三千世界の立替え立直しがなにできるけい。五十年、百年が人間にとっては長いようでも、無限絶対無始無終の大神さまからみれば、ほんのつかの間や。この未完成な人群万類の向上完成を常に願われる神さまならば、立替え立直しは永遠に続くと思ってもよい。生まれたり死んだり、生物はそれぞれに立替えられながら、子へ孫へとその御用を引き継いでいくのや、松の世の理想を仰いでな。 日露戦争ぐらいのことにあまり大きな望みをかけ過ぎると、後で後悔せんならんぞ。阿呆な宣伝をして回るより、ちっとは世間のことも勉強して『大本は気違いの巣窟や、迷信家の寄合や』と馬鹿にされんよう、お前らこそ眼をさましてくれ」 迷ったような村上の表情も、中村の大声に吹きとばされた。「黙りなはれ。世間から悪く言われるぐらい、なんじゃいな。世界中が曇り切って、昼日中に提燈持って歩かなならぬ暗がりの世界じゃ。そんな世界の人民に良く言われるようなことで、誠の教えと言えますかい。とことん悪く言われて、とことん良くなる仕組みの大本でござるぞ」「えらい議論がはずんだはりますなあ。ちょっとお邪魔させてもらいますで」 声をかけて入ってきたのは、八木の福島久である。 いきり立っていた中村が顔色をやわらげ、笑みを浮かべた。四方平蔵が席をあけながら、笑顔で迎える。「よう来なはりました。いつ来ちゃったんですい、ちっとも知りませなんだわ」「今着いて、教祖さまに御挨拶してきたとこです。会長はん、御無沙汰どした」 寒々とした継ぎはぎの着物、膝に揃えた荒れた手には、貧苦と戦う久の暮らしのきびしさが滲んでいる。 けれど、ひっつめ髪に白粉けのない久の頬は上気し、眼が誇り高く輝いていた。 こらまた厄介なことになるわいとげんなりしつつ、王仁三郎は義姉久に挨拶する。 久は一同を眺め回した。「皆さん、お筆先は恐れ入ったものでございますなあ。とうとう露国と戦争になったやござへんか。お筆先の実地を目のあたりに見てじっとしておれんさかい、八木からお喜びに出て来たんですわな。それで、会長はんの改心は、まだできませぬかい」 久に問いかけられて、中村は勢いづいた。「なかなかそんな生やさしい小松林やござへん。今も皆で手こずっとるとこですわな。お久はん、頼みます。よう言い聞かしてやっておくれなはれ」「寅之助はん、元気にしてはるか。お久はんはマンガンの選鉱に出とってんやそうなのう。大変な修行や。マンガン山にはどうも縁がのうて、わしも若い頃、ずいぶんと山子をはったが……」と王仁三郎は話をそらす。「肝心要めのこの正念場に、山子の話どこですかいな。会長はん、わたしも命をなげうって御奉仕させてもらう覚悟がでけました。今日は、ゆっくり会長はんにも聞いてもらわんなりまへん」 熱情的な久に理屈でまくし立てられては、中村たちを相手にする比ではない。王仁三郎は中腰になった。「そうや、お久はんには今度の戦争について、ぜひ意見を聞かしてもらいたい。その前にちょっと失礼して用を足してくるわ」 厠へ行くふりをして抜け出すと尻からげ、日の暮れかかった雪道を走り通して、北西町の大槻家に逃げこんだ。大槻の牛肉店はもう戸を閉めていて、横のどぶ板を踏んで、勝手口から入る。 いつもの長火鉢の前で、米は煙管に刻みをつめながら笑った。「会長はん、また役員さんたちと喧嘩しちゃったんですかいな」「それもそうやが、八木からお久はんが来よってのう、かなんさかい逃げてきた」 耳の遠い大槻鹿蔵にも聞えるように大声を出すと、どてらにくるまった鹿蔵が、機嫌よくうなずいた。「そうか、そうか。久にかかっちゃ、あんたもやりきれんやろ。あいつが八木に帰るまで、ゆっくり泊まっちゃったらよいわな。夜飯はまだやろ」「まだや。ああ、思い出したら腹がく(食)うくう言いだしよった」「舌のとろけるような牛肉でも食おかい。米、まず酒をつけてくれや」 義妹の龍や澄の食費代まできびしく直に取り立てた鹿蔵なのに、王仁三郎とはよほどうまが合うらしい、何かにつけて好意を見せたがる。 少しばかり色が変わりかけた牛肉三百匁ほどと棒葱で牛鍋を作り、裏の離れでぐつぐつ煮ながら食う。鹿蔵と米は仲良く差しつ差されつ飲み始めた。奈良漬けでも赤くなる下戸の王仁三郎はもっぱら肉をつつく。龍門館の粗食に馴れた身には、こたえられぬほどうまい。「上田はん、近々牛肉屋を廃業するつもりじゃ。あんたに牛肉を腹いっぱい食ってもらうのも、今夜が最後かも知れんでよ」 半煮えの白葱を頬張りながら、鹿蔵は淋しそうに言った。王仁三郎は、黙って肉を頬張る。「わしがお米と牛肉屋を始めた頃は、よほど新しい商売やったでよ。襷がけで働くお米の赤い手絡がよう似合うとった。あれから三十年にもなろうか。わしもお米も年をとったわな」 そう言えば、脂っこい肉を避けて葱ばかりひろうのも年のせいであろう。この鹿蔵、若い頃には路傍の木につながれていた他人の馬の四つ足をしばり、出刃庖丁で一塊の肉をえぐり取って生食したと聞く。鹿蔵、老いたりだ。 代わりに、王仁三郎は健啖な食欲を見せながら、「教祖はんも、牛肉屋を廃めたと聞いたら喜んでやろ」「あの婆さんとは、よう喧嘩した。『それ見たことか』とあいつらが喜ぶじゃろうと思うと癪なが、上等の肉の色が変わるようではなあ。小さな町にきれいな店構えの競争相手が二軒もでけては、因縁つけてみてもはじまらん」「それで何をする」「店は人に貸す。この離れは博奕場にして、テラ銭で食うつもりや。丹波鹿はおちぶれても、まだまだにらみがきくわい。そう簡単に本宮の婆を喜ばすわけにはいかんわな」「本職に専念するか。そう言えば、伝吉はんから便りがあるか」「おう、あいつは元気でやっとるげな。嬶もろたら、岐阜にじっくり腰すえくさってなあ」「うちの人も帰ってほしがって何度も手紙をやるのやが、ちっとも帰ってこんのですわな。もう来月には、二人目ができるげなが……」 米も鹿蔵に酌をしてやりながら、淋しげに口元をほころばした。 大槻夫婦の養子伝吉(出口直の三男)は明治三十三年に岐阜に行き、アメリカ向けの輸出の縮緬を織る大きな機屋に勤めている。撚糸の係であった。間もなく地元の女工、浅野みつ代と結婚した。機織り唄をうたうみつ代の美しいのどに、伝吉が惚れたという。 翌三十四年九月にみつ代は長男出産。米の話では、二人目の出産も近いらしい。六十六歳の鹿蔵と九年もの間狂乱の境にいた米は、今老いて安らぎ、寄り添っている。しかし口での強がりとはうらはらに、落莫とした虚しさは隠し切れぬ。 ――伝吉を呼び戻してやろう。 ふっと、王仁三郎は思った。「大槻はん、会長はんはおってやござへんか」 庭から男の声が聞えた。耳の遠い鹿蔵は知らぬ顔だが、米はすぐ聞きつけ、体を斜にずらして障子を開ける。雪をかぶった石燈篭の傍で、提燈片手の中村が、うそ寒そうに立っていた。 ほろ酔いの米は、面白そうに声をかけた。「ほら、来ちゃった、寒そうに。会長はんならまだ御飯の最中じゃさかい、どうや中村はん、上がって待っとっちゃったら……」 縁先へ寄って肉の匂いをかぐなり、中村は鼻をつまみ、「会長はん、お久はんが待っとってや、早よ立ちなはれ」 その態度が米の気にさわった。「金明霊学会の会長はんは牛肉がお好きやけど、中村はんもお相伴しちゃったらどうえ。どんぐり団子や芋の葉のお粥なんぞより、よっぽどほっこりしますで」 中村はまだ鼻をつまんだまま、鹿蔵に向かって声を張り上げた。「大槻はん、あんたは教祖さまの総領娘を女房にして、結構な御子伝吉はんまでもろときながら、会長はんに四つ足食わすやなんて、あんまりじゃござへんかい」 鹿蔵は、へらへら笑った。「一寸先は闇の世じゃ。一日でもよけいにうまいもの食い、好きすっぽうする奴が勝ちや。お前もちと改心して、また偽物売りの古物商でもせいや。金儲けて、牛肉食うて精つけて、芸者でも抱いて寝てみいな、この世はこのまま天国やで。気違い婆の尻にのって、あたら男が雪隠の掃除。何が立替えじゃい。四つ足も食う、人も食う、神も食う、ちったあ開けた会長さんを見習うたらどうやい」 米も負けじとからかう。「なあ、中村はん。なんぼ真面目そうな顔しとっちゃっても、うちらには通りまへんえ。あんたは昔は播磨屋の竹はんいうて、博奕は打ち、女もこしらえ、肉もえっと食べたお人やないか。しょうもない筆先に呆けとらんと、あんた、うちの牛肉かついで売りに歩いちゃったらどうえ。五円も売ったら、一円は歩合をあげますがな」 中村は蒼白になって怒りをこらえた。「とにかく会長はんを帰しとくれ。今は小松林の容器じゃが、いずれは大本の御用をしなはる大事な身魂やでよ。こんな所におっては、身魂が曇って、いざの時に役に立たんようになる。さあ、会長はん、何しとってんです」 王仁三郎は気持ちよさそうなゲップをして、「いやや。どうやら三百匁がとこ牛肉を平らげたが、これは小松林はんの分や。あと三百匁ほど、坤の金神さんにお供えしてから帰ぬわい。先に帰って、教祖はんやお久はんによろしゅう伝えてくれ」 中村は、いまいましげに舌打ちした。「やっぱり身魂の因縁ちゅうもんは、どうしようもこうしようもないもんや。鬼と大蛇の悪の身魂には、やっぱり悪が寄りたがる」 鹿蔵は酔いにまかせて縁先に這い出た。「こら、中村。わしが鬼か、蛇か。三文の損もかけたこともないのに、お前らに悪神呼ばわりされる筋があるかい」 のび上って中村の頬をなぐりつける。なぐられながら、中村は逃げなかった。鼻血で染まった顔を上げてうそぶいた。「日本魂の生粋の身魂の中村でござる。大江山の酒呑童子の露国の身魂が何こわかろやい。露国の悪神どもが会長をとりこにしようとも、この日本魂の中村が断じて許さんでよ」「やれやれ、ここでも日露戦争が勃発しよった。事すでに茲に至るか。分かった。帰ぬわい、帰ぬわい」 苦笑しつつ、王仁三郎は脂にぬれた唇をぬぐって立ち上がった。

表題:婿選び 8巻9章婿選び



   ねんねをしやれ おねんねなされ おきて泣く子はつらにくい なんのにく    かろこの子はかわい なけばないたでなおかわい ホイホイ 中庭から聞える舌足らずの朝野の歌声である。母受け売りのひなびた子守唄、どこか調子のはずれた節まわしまでそっくりだ。王仁三郎は細く障子を開けた。 朝野は一人で人形遊びをしていた。紙を丸めて顔を作り、端切れを着物にまとった手づくりの姉さま人形である。八つ手の葉が敷蒲団、柏の葉が掛蒲団、もうすぐ姉になることを意識しての所作であろうか。 いつまでも眺めていたい気持ちをふり切って、王仁三郎は机に戻った。彼は子にべたべた甘い父親であった。ついぞ怒ったことがなかった。朝野が生まれてから、手があいている時はおしめ替えも澄にさせなかったし、おしめの洗濯まで自分がした。年若い澄まかせでは不安だった。夜中に何度ものぞいて寝息をたしかめた。おぶえるまでに成長すると、背にして読書するのが楽しみになった。意志を示しだせば、要求するものは何でもかなえてやらずにはいられない。王仁三郎の育児法は情にほだされるまま、まるで理性のかけらもないかのようであった。 父吉松が死んだとき、王仁三郎は幼い妹君に問うた。「父ちゃん死んで、悲しいけ」 君はきょろんと答えた。「何でえな。うち嬉しいで。父ちゃん、もうどついてやないもん」 それを聞いた時の悲哀は、今でも忘れられぬ。子供をなぐる父親にだけはなるまいと、心に誓った。 いつなりとも妻子を捨てて、世界のため、人類のため殉ずる覚悟はできている。今でこそ役員たちに押し込められ爪を隠して空しい月日を送っているが、やがては獅子と化し、咆哮を上げてまっしぐらに突き進むべき時が来よう。家族と共にいるこの一時、せめては小猫を舐めころがす親猫ともなって、肌と肌でじかに通じる親の温み、父の味を伝えたい。 朝野の成長を見守ることは、王仁三郎の屈託を吹きとばすこよない慰めであった。
 毎年春秋になると、朝野について頭を痛めねばならぬ問題があった。種痘である。朝野誕生の秋、役場から種痘の通知が来た。「お澄や、この子には疱瘡は植えさせられまへんで」と、直は言った。澄は知っているだけの疱瘡(天然痘)の説明をした。「お母さん、無理ですわな。うちが植えさそまいと思うても、役場がむりやり植えさせますで」 直はきっとなった。「水晶のお種をつらぬかねばならぬさかい、血をまぜこぜにはできぬ。直日には灸もすえることはならんで」 明治三十五年のこの時、王仁三郎は大阪に出ていて、母世祢と妹君が龍門館にいた。巡査が直を説得に来たが、直は静かに言うばかり。「大本の子に傷はつけられません」「気違い婆には相手になれん」と怒って巡査は帰ったが、送って出た世祢に「後で罰金二十銭持ってこい」と言い残した。 世祢が澄に伝え、澄の独自の判断で罰金を支払うことにした。母に内密で二十銭を工面するため、なけなしの箪笥は空になった。母や役員たちに知れぬよう、この時の罰金は、当時十一歳の君に警察まで持参させた。 君は泣き虫だったから、日頃、巡査を恐れていた。「泣いとるとお巡りさんに連れてかれるぞ」と、兄におどされる。二十銭もの大金を持ったのも初めてだった。 ぎゅっと痛いぐらい銭を握りしめ、顔を真赤にして、君は警察署に入っていった。手続きは事務的にすんで、巡査に帰ってもよいと言われた時、初めてがくがく震えている足に気づいた。 疱瘡(天然痘)が日本に入ったのは、奈良時代の天平七(七三五)年。大宰府を経て都にまで広がったのが記録に見える最初らしい。朝鮮半島から伝来したものであろう。その後しばしば大小の流行を繰り返し、多数の死者を出した。幕府が種痘所を設けておおやけに種痘するようになったのは、安政五(一八五八)年のことである。 明治七(一八七四)年の布達、文部省種痘規則第八条によると、「小児出生七十日ヨリ満一年マデヲ種痘ノ前期トス。爾後七年毎ニ必ズ接種シテ、天然痘ヲ予防シ、且前効ノ存否ヲ検スベシ」とある。 明治九(一八七六)年、内務省より天然痘予防規則が出され、明治十八(一八八五)年には前回の規則が廃され、新しい予防規則が出る。それによると、小児出生後満一年以内に種痘を行なうことを義務づけ、「種痘ズミノ者ハ医師ヨリ種痘証ヲ受領シ、戸長役場ニ届ケ出ルベシ」、「ソレラヲ犯シタルモノハ、五銭以上五十銭以下ノ科料ニ処ス」と決められている。朝野の二十銭の罰金は、その種痘規則に拠ったものであろう。種痘証は縦十センチ、横十五センチぐらいの晒していない黄色味を帯びた厚い和紙でできており、担当医の印が押してあった。 明治三十(一八九七)年には伝染病予防法(法律第三十六号)が制定、コレラ、赤痢(疫痢を含む)、腸チフス、パラチフス、痘瘡、発疹チフス、猩紅熱、ジフテリア、流行性脳脊髄膜炎、ペストの十種を法定伝染病とした。 種苗の製造は、原料として保管してある痘病ウイルスを家ウサギの皮膚に接種し、続いて比較的年齢の若い牛に接種して種苗を作る。さらにその種苗を牛の腹部面の表皮の格子様に傷つけた箇所に擦入し、接種後五日目に熊手状のものでその部分をごしごしこすり、落ちたものを材料として生ワクチンを作る。この製造法は、明治、大正、昭和を通じて変わらぬという。 その種苗の製造法を直は知るまいが、畜類を媒介とすることを直感的に感じとり、忌み嫌ったのであろう。 三代朝野のまじり気なしの血を保ちたいとの直の願いは、むしろ執念であった。 翌三十六(一九〇三)年春には、澄は王仁三郎と相談して秘密のうちに朝野の種痘をすませることにした。その朝、朝野を負って抜け出ようとした澄は、直に呼び止められた。「お澄、行ってはならんで、お前はこの子に疱瘡を……」ともどかしげに直は訴える。「分かっておくれ。この子に疱瘡を植えたら、世界は一旦泥海になるのやでよ。そう神さまが言うとられるのじゃ。もしそんなことになったら、わたしは申し訳に自害しても追っつかぬのやで」 神命より国の法律を優先させようとする王仁三郎夫婦への深い嘆きが、直の全身にただよっていた。仕方なくこの年もそっと王仁三郎は罰金を払う。 それを知らぬ役員たちの鼻息は荒かった。「どうやい。大本の三代さんの水晶の身魂じゃさかい、役場や警察もよう手え出せん。牛の種植え、ようせんわい」 これでは世間にどんな誤解を受けるか分からぬ。王仁三郎は、四方平蔵を呼んで罰金を支払ったことを打ち明けた。平蔵の顔色が変わった。大本の中はたちまち蜂の巣をつついた騒ぎとなる。蓑笠つけた役員たちは警察署に押しかけ、「支払った罰金を返せ」と強談判を始めた。「銭を惜しんで言うのやござへん。種痘が悪い言うのでもござへん。この濁りきった世界にただ一つ授けられた水晶の種、まじり気なしのあの子にだけはさせてはならんのです。その種痘をせなんだというてあやまりの罰金を出してみなはれ、日本が外国に頭を下げて負けた形になるのでござる。日本のためにも、あれは返しとくなはれ。返してもらうまでは、ここを一歩も動きまへんで」 彼らは坐りこんで駄々をこねる。いったん受取った罰金を警察が返さぬのは知れ切ったこと。らちがあかぬまま、今度は役場にねじ込む。法律で決まっているから仕方がないという回答である。中村竹吉が高飛車に決めつける。「それなら法律を改正せい。水晶の種をどうでもけがすというなら、悪法をすぐ改めよ。神の命令を聞かねば役所が潰れるぞよ。それでもよいか、どうだ」 ここでも相手になってくれぬので、然らばと福知山の検事局まで押しかける。 てこずった検事局では、たまりかねておどしつけた。「国法を無視してそんなわけの分からぬことを言えば、軍隊をさし向けて大本を叩き潰すがよいか」 日頃はおとなしい四方平蔵までがむきになり、痩せ腕をまくり上げて力み返る。「やあ、おもしろい、軍隊が大本を潰せるものかどうか、神力と軍隊の力くらべをしようわい。何万の軍隊でもさし向けてみよれ」 しかし、所詮、厚い壁は頭突きでは押し倒せぬ。何ヶ月もごたごたしたあげく、泣き寝入りになった。 今年もまた種痘の時期がきた。澄が警察に呼び出され、懇々と説諭された上、「婆さんがどうしても聞かねば、お前の家へ大砲を向けると言え」と、おどされた。 直は平然たるもの。「兵隊なと大砲なと向けるがよい。龍門館が粉々になっても、水晶の種は残さねばならんでのう。私のことで我を張るのやない。世界のために言うているのじゃ」 直の決意を知り、役員たちの覚悟は知っても、王仁三郎は、三年目の今年こそは馬鹿げた繰り返しを避けたいと思っていた。一応、金明霊学会の名で駿河の稲荷講社の軒下を借りているが、その筋が本気で調査する気になれば、稲荷講社とは本質的に違う神を信じ、独自の教義を持つ大本の実体が知れる。立替え立直しを渇望する不穏な団体とにらまれれば、存続することさえ許されぬ。種痘ぐらいのことでこじらせて、教団の存否にかかわる問題にまで発展させたくない。たとえ今年、何とかごまかし得たとしても、朝野が種痘するまでは年々、きりもなく起きることである。 王仁三郎は澄と打ち合わせて、今日こそ誰にも内緒で朝野を連れ出すつもりであった。時間はよしと立ち上がり、中庭を見た。さっきまでそこで人形遊びをしていた朝野の姿はない。あわてて龍門館をくまなく捜した。臨月の腹をかかえて機織りをしていた澄も、知らぬという。 二階では、四方平蔵と村上房之助が筆先を拝読し、竹原房太郎が簡単な事務をとっていた。「お前たち、朝野を知らんか」 竹原が筆を置いて、王仁三郎を見上げた。「知りまへんで。今朝は学校で植疱瘡があるげなで、神さまが隠しなさったのやござへんかい」「ばかな」と、吐き捨てるように言った。今日が種痘の日と、彼らはちゃんと意識している。「お前ら、意地悪せんと教えてくれ。ほんまに知らんのなら頼む。手分けして朝野を捜してくれ。人さらいにさらわれたかも知れん。どこにもおらんのや」「先生は種痘に連れて行ってんつもりやござへんか」「それどころかいな。朝野の無事な姿さえ見たら……。お前ら、何落ち着いとる」 取り乱した王仁三郎の姿は哀れであった。三人は真顔になって捜しに出て行った。 王仁三郎は直に知らせるべきかどうか迷ったが、余計な心配はかけたくなかった。ふと、中村が今朝はまだ姿を見せぬのに気がついた。落ち着かず表へ出ると、四方祐助が門前の草をむしっている。「祐助はん、中村はんを見なんだか」「ああ、中村はんなら、さっき……いやいや、わしは一向に知りまへんで」 祐助は危うく口をにごし、草抜きに心を奪われている振りをした。「祐助はん、中村がどうした。正直に教えてくれ」 肩をゆさぶって問いつめる王仁三郎の真剣な形相に、祐助は観念して白状した。「三代さんをおぶって、駆けるようにして東へ行く中村はんに会うたんですわな。わしがわけを聞くと、中村はんは涙をぽろぽろ出しながら、言うちゃったわな。『三代さんを龍門館へ置いといたら軍隊が押し寄せて三代さんを奪い、水晶のお種に牛の血をまぜるかも知れん。そんなことになったら世界の一大事や。今日一日だけ命に替えてもわしがお預かりする』こう言うてんじゃでよ。行先を聞いたら、『それは誰にも言えん。わし一人が叱られたらよいことじゃさかい』と……」 中村と一緒にいることが分かって、王仁三郎はほっとした。中村の一途な心情を聞けば、怒ることもできぬと思った。 午後、捜しに行った四方平蔵らも空しく引き揚げて来た。直には内密であったが、夕拝には、朝野の無事を誰もが真剣に祈った。 澄が階段から顔を出して言った。「先生、朝野が帰って来ましたで」 王仁三郎は階段を駆け降りる。朝野が上がり框に立ち、ブスッと言った。「うち、疱瘡はいやや」 疱瘡の恐ろしさをおそらく繰り返し朝野の耳に吹き込んだであろう中村は、土間に土下座したままであった。 直や役員たちがこうまでしても朝野の純血を保とうとする気持ちを、王仁三郎は笑えぬ。世の中は何もかもごちゃごちゃになり、この傾向はますます強まろう。こんな時勢に、どんな犠牲を払っても、まざりけなしを貫き通そうとする意志は尊い。 ――中村が朝野を隠さねば、わしはきっと朝野の肌に疱瘡を植えたろう。そのことで血が穢れるとは思わぬ。しかしこれこそまざりけなしの水晶の種と信じる役員信者たちの誇りは、ずたずたに切り裂かれるのだ。そして純血に対して、彼らの心に免疫ができる。「ありがとう」と中村に言いたかったが、王仁三郎はさっと朝野を抱き上げ、怒ったように直の部屋へ向かった。 これからの毎年、朝野の疱瘡問題は慣例のように続き、その都度、役員には極秘に王仁三郎が罰金をおさめて切り抜けねばならぬことになる。 三十七年以後の種痘問題に関する叙述は繁雑になるので省略する。
 五月十四日、大槻伝吉(二十八歳)は、妻みつ代(二十二歳)、長男伝三郎、次男伝二郎(二ヶ月)を連れて帰綾した。四方平蔵、竹原房太郎が直の意を帯びて迎えに行き、強引に連れ戻してきた。大槻夫婦のさびしさを汲んで、王仁三郎がそれとなく直に働きかけもしたのだが……。 みつ代は生まれた土地岐阜県稲葉郡鏡島村を離れて、初めて夫の里に来た。園部で汽車を下り、伝二郎を負い直した。片手に荷、片手に伝三郎の手を引く夫。貧しい家財道具は、四方、竹原が振り分けてかつぐ。綾部までの山坂道は果てしなく心細かった。 伝吉は帰綾後、婚姻届を出し二人の子供を嫡出子とする。塩見じゅんの長男塩見長義経営のシルケット紋織工場に就職。みつ代は昼間は子供二人を米に預け、乳のあい間に生糸を引く。 鹿蔵はすでに牛肉屋を廃業し、表を塩見辰に貸していた。辰つぁんは四十ぐらいの相撲取りみたいな大男で、上林からきた嫁の菊と二人所帯。表の二畳間二間と三坪ほどの土間を借りて生糸屋をしていた。辰つぁんは二等繭を買ってきて糸つむぎ。土間には時代おくれの座繰が三台。女房菊とみつ代と大島から流れてきた言葉の不自由な女との三人が、繭を煮ながら座繰をまわした。毎年、六月から十月まで仕事があった。 一日働いて日当八銭と聞いていたが、みつ代はその銭を握ったことはない。辰つぁんは賃金を鹿蔵にじかに手渡す。みつ代はただ昼飯を辰のところで食うだけであった。「おかあ、五厘おくれなあ……」と五つの伝三郎がねだりにくる。金を持たぬみつ代に、やれるわけはなかった。「ひもじかったらこれ食いな」 仕事場の横の台にのせてある、繭をとったあとの蛹をそっと握らせる。それがおやつであった。あめ玉一つ買ってやりたさに一度だけ鹿蔵に賃金の交渉をすると、「子供に小遣いやるくらいなら、仕事してくれるな」と言われた。 みつ代は糸を引きながら故郷の歌をうたう。   岐阜はよいとこ 金華山のふもと 長良の鵜飼が寝てみえる 日が落ちると、鹿蔵は何気なさそうに外へ出る。当時の北西町筋は広小路あたりよりもずっと田舎であった。農夫が、つないだ牛の背をこすって小屋へ入れたり、軒下に広げた籾を取り込んだりしていた。離れを博奕宿にした鹿蔵が、素人の客を引き入れながらの張番だ。丹波鹿の異名のもと、子分衆を顎でつかった昔の威勢と引き比べれば、それも哀れであった。博奕場での米は、年を忘れたように生き生きと、客の世話にも気がとどいて、鹿蔵よりもむしろなくてはならぬ存在であった。 この博奕宿で、みつ代は思わぬ小銭をかせいだ。博奕に負けた客の質草を持ち、しょっちゅう本町の質屋へ走らされる。客がくれる使い賃を楽しみに。 龍門館では、この頃、直は二階に移り、王仁三郎は離れの別荘に篭り切りであった。勝手に「臥竜亭」と命名した。すでに『本教創世記』を脱稿、『道の栞』全四冊にかかっていた。 五月三十日、母屋の方から産声が聞こえた。驚いて筆を投げ出し母屋へ走ると、分娩を終えた澄が泰然として言った。「また割れとりますで」 女子であった。失望しながらも、王仁三郎は新しい生命を抱き上げて感動の涙をこぼした。第二女は梅野と名づけた。
 明治三十七(一九〇四)年六月五日、直の兄桐村清兵衛が没した。享年七十二歳。親戚、役員たちが集って、綾部一の瀬の天王平に葬った。 清兵衛の墓を嚆矢として、爾来、天王平が大本の墓地と定まった。当時は起伏の激しい禿山で、近松光次郎ら若者たちが測量し、整地した。 大本式の葬儀の終わった後も、直は神前に端座し、いつまでも祈念した。「なにとぞ兄を神さまのお傍近くお召し下さいませ」 誰一人直をかえりみる者もいなかった苦境の時、幾度か手をさしのべてくれたただ一人の実兄であっただけに、どうにかして信仰の道に入れたかった。だがおだやかな笑みを浮べて直の言葉を聞きながらも、息を引き取る瞬間まで神に向かって手をあわせようとしなかった。 桐村家の跡継ぎの源三は、清兵衛が死ぬと綾部を引き払って大阪へ去った。 遠く離れていた人が戻って来、また新しい子が生まれ、古い人が死ぬ。そして今、大本内部では、出口直の四女龍の結婚が大問題になっていた。直の八人の子供のうち、死んだという清吉を除けば、今だに独身なのは竹蔵と龍だけである。 龍は料理旅館亀甲屋に奉公し、まじめな気質とかげ日向ない働きぶりで、主人の信用が厚かった。年はもう二十五歳、三つ下の妹澄が二児の母親であるから、当時としては婚期を逸していた。「今年中に、龍の婿を捜さんなりませんでなあ」と、直が王仁三郎に言った。 王仁三郎は、役員信者の顔を思い浮かべてみた。信仰の強さから言えば、四方平蔵、中村竹吉を筆頭に、後は順位をつけがたい。四方与平、福林安之助、木下慶太郎、四方藤太郎、竹原房太郎、村上房之助、後野市太郎、福島寅之助、野崎宗長、松井元利、西田元吉、浅井はな、四方祐助、飯田亀吉、塩見じゅん……彼らは神のためなら笑って命を捨て得る人たちであろう。一段下がると、田中善吉、本田作次郎、小島寅吉、安田某、西村栄次郎、御牧治三郎、供川弥一郎、時田金太郎、四方安之助、四方純らがいる。これらの人たちが集まって、大本を左右するのだ。 彼らが時勢に暗く理知に欠ければ、その信仰は狂信となる。悲しいかな、王仁三郎の理想とする勇、親、愛、智の四魂そろった正しい信仰者は、これだけいる中で一人として見当たらなかった。どうしても彼らの中の独身者から龍の婿を選ぶとすれば、年にふさわしいのは木下、竹原、村上ぐらいだろう。 やがて直から、三人の候補者が龍に示された。竹原房太郎(二十八歳)、木下慶太郎(二十五歳)、中村竹吉(三十四歳)。 王仁三郎は、あっと思った。中村竹吉の名が意外だった。そういえば中村も確かに独身だった。澄が欲しいばかりに、女房のお菊を戸籍から引き抜いた男だ。信仰の強さからいけば、中村は四方平蔵と並んで横綱級だが、反王仁三郎派の筆頭でもある。 農閑期中、福島久は上の子二人を八木に置いて綾部に滞在、直の傍近く仕えていた。久のひたむきな信仰、正直一途な人柄、ふるなの弁、しかも直の血筋であることは、役員信者たちの信望を得るのに十分だった。 中村はその久と組み、王仁三郎排斥運動をいっそう強めている。王仁三郎がおとなしく臥竜亭で執筆しているうちに、金明霊学会の実権は、中村と久の手に握られていた。この上、中村が澄の姉龍の婿になれば、高姿勢の中村一派に大本を牛耳られることは明らかである。 内心不服でありながらも、王仁三郎が事態を静観していられたのは、婿選びの決定権が龍にあることだ。 つい最近まで、別れた女房とまたずるずる同棲していた中村である。首筋に垢をため、わざとぼろをまとい、左右揃わぬ履物をはき、奇矯な行動の絶え間がない。どう間違っても、若い娘に選ばれるはずがない。直としても愛娘の夫は若い独身の男を望むであろう。中村を加えたことは単なる直の政治的配慮であろう。 そう思いかえしつつ、王仁三郎に対する、直の底意地の悪さとひがみたくなる。 真夏の夕方、龍門館の神前に、直、王仁三郎、澄、久が集まって、龍の返事を待っていた。下には役員たちも詰めている。夕拝の後、龍の選んだ花婿の名が発表されるはずであった。竹原も、木下も落ち着かぬ。平生は名利を超越した顔の彼らも、直の娘婿に選ばれることは、大本信者なるが故にまた特別なのであろう。 中村は吾関せず焉という風に小机に向かい、筆先を拝読している。 龍は悪びれず直を見詰めた。「うちなあ、じっくり考えましたんやけど……」 龍の口元に視線が集中する。「中村はんさえよければ……うちは……」「え……中村?」 王仁三郎はとっさに信じられなかった。うなずく龍を見て、激しい衝撃を感じた。 直はおだやかに笑んでいる。龍の口から誰の名前が出ようと、それはおそらく変わらなかったろう。久は喜びに崩れた声を上げた。「おめでとう、お龍」「ああ、ほっとした。お龍姉さんがいつまでも一人でおってやと、うち、落ち着かへんでなあ」 朝野を膝にした澄が、こだわりなく言った。王仁三郎はうめく。「待ってくれ、お龍はん。なんで中村を選んだ」 不思議そうに、龍は義弟を見た。「中村はんは立派なお人ですさかい……」「中村がお龍はんの婿なんて……誰かに入れ智恵されたんやろ」「お久姉さんは中村はんをすすめてくれちゃったけど……それでも、うちの心で決めたことですわな。木下はんとも竹原はんとも、話おうてはみました」「それで中村を……」「中村はんの信仰が一番純粋で熱心やと思います」「そりゃ信仰は熱心やが、度が過ぎとる。狂っとる。間違った信仰や」「間違っとると思いまへん。中村はんほど、お筆先に打ち込み、お筆先通り実行しとってん人はござへん。中村はんが悪いのなら、お筆先が間違うとるのですか」「う……その……あいつはお筆先の字句だけを捉えて鵜のみにし、その奥の真の意味を悟ろうとせん。人間的には、奇魂も幸魂も足らんのや」「神さまの言葉をそのまま素直に聞くことが、そんなにいかんことじゃろか。会長さんこそ、教祖さまや筆先に逆らってばかりいて、大本の教えは信じとってないみたいですわな」 おとなしくて気立ての良いだけの女かと思っていたのに、さすがは直の娘だけあって、いざとなると自分の意志をぴしっと主張する。見くびっていた相手に、小手、面、胴と続けて取られた気がした。「それにわたし……理屈だけでなく、中村はんが好きじゃもん」 あっけにとられているうちに、激しい「突き」であった。 王仁三郎はしどろもどろになった。「お龍はんに中村は不似合いや。年かて食っとるし、何もわざわざ再婚者を選ばんでも……」「お澄さんはどうです。先生との年の開きなら、もっとありますやろ。先生の前の奥さんのことかて、別にお澄さんは問題になぞしとっちゃらへん。二、三年前なら、わたしもまだ若うてきれいな男はんを好きになったやろと思いますわな。亀甲屋にいて、宴会に来てん男はんをたんと見とるうち、そんな形ばかりよい人にはあきてしもた。わたし、神さまの大望に命を賭けてなはる中村はんに魅かれます」「うちにも、お龍姉さんの気持ち、よう分かる」と、澄が同調した。 龍をあきらめて、王仁三郎は向きをかえ、直につっかかった。「教祖はん、この縁談にはわしは反対です。中村だけはあきまへん」 久が横から引き取った。「会長はん、今頃になってごてだすなんて卑怯やござへんか。教祖はんが『三人の中から婿を選べ』言うちゃった時、はっきり中村はんの名前が入ってました。それを知らんかったとでも言いなさるんですかい。お龍にさんざ悩ませ、考えさせ、やっと心が決まって一生連れ添う人を選んでから『中村だけはあかん』……どこの世界にそんな理屈が通りますかいな。さすがにお龍ですわな。これで大本は万々歳、ようやくみろくの世の型が固まることでっしゃろ。こんなにみんなが喜んどってやのに横車入れるのは、小松林の悪神一人じゃ。会長はん、どうぞ小松林はちょっと除けといて、お龍のために祝ってやっとくなはれ」 理が久にあり、王仁三郎は自分がいかに無茶を通そうとしているか知っていた。人一倍義理人情を解し、理よりは情にほだされ、愛の哀しさ、苦しさには存分に泣かされてきた王仁三郎だった。それなのに、龍の愛を否定し、求めあう二人を裂く。誰がみても悪役であった。しかし、憎まれても恨まれても、中村だけははねのけねばならぬ。自分のためばかりでなく、龍の幸せのため、大本の未来のために断じて。「先生、お龍はんが中村はんを好きなら、それで結構やござへんかい。お龍はんの幸せを第一に考えておくれなはれ。何をそんなに怒っとってんじゃいな」 むっと黙りこんだ夫に、落ち着いて澄が言った。久が皮肉る。「会長はんの婿はんと違いますのやで。もっとも中村はんは、小松林さんの気に入る義兄さんにはならんじゃろが……」 そうか、罠か。罠にかけられたと、この時になって王仁三郎は思いあたった。 龍が三人の男の中から中村を選ぶなど、誰にとっても意外であったろう。けれど久は初めから中村一人が目あてだった。信仰心の強い龍を口説いてまずその気にさせ、反対するであろう王仁三郎や一部の役員を封じる手を考えた。木下、竹原と並べて三人候補の中から、龍に選択の自由を与えるならば、待ったをつけられる筋合いはなかろうと。つまり竹原と木下は、初めから中村を選ばせるための隠れ蓑に過ぎなかった。 わしの読みが甘かったのだ。中村の陰謀か? 久の画策か? 否、否、すべての裏に教祖直がある。澄の奴まで踊らされていたのでは……。 疑い出せばきりがない。畜生、母親までわしをなぶり者にしやがって。 形相すさまじく、王仁三郎はとび上がった。伸ばしかけの長髪が、ぱっと天井近くに広がる。「中村ごとき気違いを義兄にはせぬぞ。断じて許さん」 直は坐ったままで静かに言った。「龍の決めたこと、これも御神意じゃと思いますさかい……」「何が御神意。会長のわしを閉じこめ、大本の前途をあやまらせる元凶を婿にはさせんぞ。気違いに刃物は持たせられんわい」 久がきっと身を立て直した。「気違いとはようも言うた。中村竹吉はんなら男の中の男や。四つ足身魂の小松林の悪神とは違いますで。生粋の大和魂の持ち主を気違い呼ばわりするなら、この久が許さしまへん」と王仁三郎に詰め寄って、まなじりをつり上げる。「わしが苦心して道を切り開けば、一つ残らず役員たちをそそのかしてつぶし歩く、あることないことふれまわって妨害させる。それが日本男子のすることか。三千世界の立替え立直しを叫ぶ艮の金神の神業とでも言うのか」 日頃こらえた口惜しさや筆先への懐疑が、一度はけ口を見付けると、奔流のように王仁三郎の腹から飛び出してくる。王仁三郎は直に向かった。「艮の金神が何じゃい。変性男子と変性女子が揃って大本の中で勇んで御用ができるようになると重ね重ねの嘘いつわりにも、もうだまされはせんぞ。中村を龍の婿にしくさって、けむたい審神者を孤立させ、ますます気違い教団をつくり上げる邪神どもの仕組みであろうが。種馬同然、わしを一間につなぎ止めて味ない飼葉をあてがい、後継ぎさえ産ましておけば用はないちゅうにゃろ。お前らに飼い殺しにされとるようなわしとでも思うてけつかるか。こんな田舎教団の大将には、いっそ中村がふさわしかろう。丹波の山奥の山猿教団で終わるが似合いか知れん。わしは穴太へ去んでやる。もうがまんできん」 王仁三郎の激昂と反対に、直は平静だった。「先生にかかってなさる小松林命さんには帰ってもろてもよろしいが、肉体は帰ることはなりませんで」 王仁三郎は憤然と立ち上がった。「おう、小松林は帰ってやろう、肉体も連れてな。不服なら、この二本の足をなえさせるなと腰抜かせるなとして止めてみい」 くるっと単衣を脱ぎ捨てて、褌一つの王仁三郎になった。「裸一貫でここまで来た養子や。ヨウシ(養子)、裸で帰ぬわい」「お龍、先生があんなに怒っとってじゃ。もう一度考え直してみたらどうや」 熱のこもらぬ直の言葉に、身を固くしていた龍が蒼い顔を横に振った。「そうや、お龍はん、小松林の悪神に負けたらあきまへんで」と、久が力づける。 女房のくせに泣きすがって止めようともせず、他人ごとのようにぼんやり眺めている澄。その膝から、王仁三郎はいきなり朝野を奪い取った。「その代わり、朝野はわしが連れてゆく。朝野はわしが産ました子や。梅野は乳呑んどるさけ、くれてやる」 朝野を負おうとして押入れに首を突っ込むが、あせったせいか負い紐が見当たらぬ。手に触れた六尺褌を引き出して、それで裸の背に朝野をくくりつけた。「さあ、朝野、こんな気違い屋敷から逃げ出そ。足抱いて乳呑ますような母さんなど放っといて、父さんと二人で暮らすんやぞ」 数え年三歳の朝野は、異常な事態を知ってか知らずか、父の肩におく小さな指に力をこめ、母を見返る。「朝野はなりませぬ。水晶のお種の子を……お澄、朝野を……」 さすがにおろおろと直が叫んだ。 役員たちは二階の異変を察して階段の下に詰め、息を凝らして見上げていた。「何をぼけっと眺めてくさる。この能なしの、駄ぼら吹きの、石頭の寄せ集めどもめが……」 王仁三郎が階段の上から役員たちに向かってどなるや、ダダッと駆け降りた。 火焔の渦巻が、王仁三郎をくるんで舞い落ちてくる。その勢いに呑まれて、彼らは思わず道をあけた。王仁三郎の体がとてつもなく大きく、恐ろしく見えたのだ。 筆先を読む中村の声が聞こえた。さっきから中村が只一人、階下の座敷の真ん中に坐って、独特の節まわしで筆先を音読していた。「変性女子は、変性男子に反対しもって錦の機を織るのであるぞよ。神は何事も承知しておれども、余り永らく反対いたして改心できぬと世界中の苦しみが永いぞよ。会長がよくなれば半年おくれて澄がよくなるぞよ。澄がよくなれば次に役員、氏子がよくなるぞよ。そうなりたら、世界に仕組みてある差しぞえの身魂を選り抜いて、この大本へ引き寄せて、なにかのこと、霊魂相応の御用をおおせつけて世の立直しをいたすから、会長から一番先に改心をして、素直になりて御用を聞いて下され。勤め上がりたら、まずは世界にない結構が出てくるから、今までの人間心を大河に流して、疑わずと筆先通りの行ないをいたして下され。出口直が日々のどから血を吐いて苦しみておるのを見ておる艮の金神の心も、ちと推量いたして下されよ」「くそっ、曲津奴が、だまされるもんか」 王仁三郎はとり囲む役員たちを踏み潰す激しさで中村の傍へ寄り、むき出しの毛ずねでぱっと筆先を蹴り上げた。「おばあちゃん」と、背の朝野が泣き出した。 中村が転倒しつつ、「小松林、改心せい、改心せい」と、声をふりしぼる。「黙れ、気違い」 絶叫するなり、王仁三郎は土間にとび下りた。「行かんといとくなはれ」と、役員たちは口々に叫ぶ。涙声すらまじっている。 王仁三郎は、こわばった指で、草鞋紐を結んだ。来綾以来の役員たちの執拗な妨害が頭を馳せめぐる。中村一派には何度か命も狙われた。その命より大事と思った大量の著述を灰にされた。その都度、瞋恚が脳天を突き刺した。だが背を向けて彼らの声を聞いていると、少しも憎んでいない自分に気付く。それがしゃくだった。 立ち上がると、わっと前後左右から役員たちが組みついてきた。平蔵、木下、後野、竹原、村上らだ。みな頬ずりしたいほど可愛い奴。顔中涙の四方祐助が足にしがみついている。愛憎の念がこんがらがって、自分でもわけが分らない。「ええいっ、邪魔さらすな」 振り飛ばした。ふだんにない馬鹿力に、彼らは土間にふっとんだ。 一歩足を踏み出しかけて、入口に立ちはだかる澄を見た。夕陽の照り返しを背にして立つ素足の澄は、まるで後光を背負っているかのようだ。「お澄、そこ退けっ」と叫んだ。 意表外の光景を見た。澄がひらりと白い湯文字の裾を返し、高々とまくり上げる。形の良い白い足が伸びていて、その先に薄い叢、そして二人の子供をなしたと思えぬ引き締まった腹が逆光の中にほんのりと浮く。 あっけにとられて、王仁三郎は妻の顔を見た。 役員たちも度肝を抜かれて立ちすくんだ。 澄はにこっと笑み、人目にさらした叢のあたりを手で軽く叩いた。「先生、ここに未練はござへんかい」「……し、しまえ……阿呆」 やっとそれだけ言って、王仁三郎はニヤッとてれ笑った。「天宇受売命みたいなやっちゃ。お澄にはかなんわい」 心の中でつぶやきつつ、背の朝野をおろして、妻に手渡した。負けて満足であった。
 龍の結婚問題は急転直下解決した。王仁三郎が中村竹吉の代わりに龍の婿にと推したのは、木下慶太郎であった。元伊勢水の御用の出修に、木下は王仁三郎の心のままに生粋の水晶の水を汲み取る役目を果たした。教団の公認手続きのために駿河へ行った時も、木下一人を供にした。印鑑が一つ足りないばかりに木下を綾部まで取りに帰らせ、それが弥仙山篭りにつながった因縁もある。今、木下は筆先に服して、王仁三郎の反対側についている。しかし中村や竹原らのこちこち頭と違って、彼には王仁三郎の理想を理解するまだしも柔軟な素地があると判断したからだ。 澄も木下を義兄にすることが大本にとってどれほど重大なことであるか、ようやく理解したらしい。お道のために木下と結婚してくれるよう、真剣に龍を口説いた。澄の説得は、半ば意地になりかけていた龍の心をぐらつかせた。「お母さん」と、迷える娘は直の前に出た。直がしみじみと言う。「中村はんがどんなに気張りなさっても、他の誰をもってきても、先生の代わりだけは勤まりはしませんのやで。お龍、木下はんが嫌いやなかったら、どうぞ先生の言うてん通り従うておくれ」 龍はついに木下との結婚を承諾した。 八月四日、木下慶太郎は、龍と挙式、分家して出口姓をついだ。 木下慶太郎の婚礼に刺激されて、大本内は結婚ブームに沸き立った。失意の中村竹吉に、福島久は自宅に近い南桑田郡千代川村字川関の八木こま(三十歳)を紹介した。こまは八木会合所の熱心な信者であり、久の腹心となって反会長の宣伝に走り回っていた。また、王仁三郎の世話で、竹原房太郎には船井郡富本村から広瀬ゆきを娶わせた。
 木下、中村、竹原の三人がそれぞれ妻帯したのを見て、村上房之助が怒り出した。「あんまりや、畜生。あいつらは、『女を見れば目がけがれる。女房なんぞけがらわしい。大望成就のあかつきまで妻は持たぬぞ』なんぞぬかしおって、あのでれでれしたさまはなんじゃ。見とられまへんわな。あいつらが女房持つなら、わしかて持たな損や。先生、わしにも世話しとくなはれ」と、村上は王仁三郎にねだった。 日頃は反会長の気焔に燃える彼らも、こういうことになると、やっぱり王仁三郎に頼りたくなるらしい。王仁三郎は、四方平蔵を仲立ちにして、森津由松の長女由り(二十二歳)をもらってやった。 女房をめとって巣づくりにはげむ四人は、心機一転、どことなく所帯じみ、人並みな物質欲を持ち始めた気配である。王仁三郎は苦笑して、彼らの微妙な変化を眺めた。 新郎どもが居合わせた席で、王仁三郎はひやかした。「どうや、女房はきたないもんか」 彼らは頭をかいて微笑んだ。村上はしたり顔に言う。「人間は女房を持たねば、世の中の微妙なことは分からんでよ」 ぷっと王仁三郎はふき出した。「ほんまに分かっとらなんだのう」 この一連の結婚によって、出口(木下)慶太郎や村上が王仁三郎に好意を寄せ出したのは、思わぬ収穫であった。 花に去られた出口竹蔵も、この秋、直の命で身を固めた。新婦は幾度か出戻った四方与平の妹蝶(四十歳)である。「花と蝶とは面白い取り合わせや」と照れながら、竹蔵は生真面目な蝶にも満足そうであった。 竹蔵の血から、ようやく放浪癖が抜け出たらしい。 お仕組みとはいったい何だったのだろうと、龍は思った。龍は、中村竹吉と結婚することが神の仕組みであると思いつめていた。姉久も中村も熱烈にそう言った。それがまことなら、木下と結婚したことは、龍が神を裏切ったことであり、ために艮の金神の仕組みは破れてしまったのか。それとも、初めから木下の妻になるのが神の仕組みだったのか。そうとすれば、何のための回り道。 改めて龍は考える。木下との結婚話を受けた時、自分はお道のため悪神小松林の犠牲となって思う人をあきらめた悲劇の主人公のつもりでいた。身を捨てて木下に嫁いだつもりだった。 朝に夕に吐息する哀れな中村を見るのは、身を裂かれんばかり辛かった。 中村がこまを妻にしてほどなくのある日、龍は偶然、中村竹吉が王仁三郎をつかまえてくどくのを見た。「会長はん、わしはもう駄目や。聞いとくれい。わしはお澄はんを何とかあんたから取り戻しちゃるつもりやった。けど、もう二人も子を生ましたさかいあかん。しやないさかい、お久はんを八木から引き戻して、わしの嫁にする気やった。それもあんたに睨まれてうまいこといかん。あと残っとるのはお龍はんばかりや。小松林に邪魔されなんだら、もう一寸で、お龍はんも大本もわしのもんになるとこやったのに……」 深く吐息して、龍の目前を中村は出て行った。 茫然自失の龍に、ひっそりと王仁三郎が告げた。「言うても信じてもらえんやろうが、わしはこの春頃、中村はんが狂信と野心のあまりに狂うて死ぬ夢を見せられとるのや。だからお龍はんの婿にはしたくなかった。自分の長年の企みを人前かまわずしゃべるのも、おかしい兆候とは思わへんか」 龍はうなだれた。何ということだろう、中村が愛したのは私ではない。大本をわがものにしたいばかりの欲心を激しい愛と錯覚したのだ。出口の血筋でさえあれば、中村にとって相手は澄でも久姉でもよかったのだ。阿呆な私のために、艮の金神は、こんな回り道をさせて、ようやく目を開かせた。中村とのおろかしい恋を危うくせき止めてくれたのが小松林。悪神とばかり一方的に決めつけて見ていた王仁三郎が、ほんとうは愛の心をもった正しい人ではなかったか。母さんもいつか言うちゃったように、今は変化れてはいても。 龍の心にまといついていた中村の影が落ちた。生まれ変わったように、龍の心は素直に夫に向かって開けていた。もったいないほどやさしく、若々しく、純で誠実な夫であった。
表題:北桑田宣教 8巻10章北桑田宣教



 この夏、王仁三郎は中村竹吉、四方平蔵に命じて故郷の曽我部役場に改名の届出をさせた。筆先によって実質的にはすでに出口家の養子でありながら、現界では上田家の戸主である以上、依然改姓は許されなかった。上田の姓はそのままでも、ともかく喜三郎を神示の名《王仁三郎》と公に認めさせねばならぬ。 戸籍上、本名を変更することはよほどの理由がなければならなかったが、この場合、うってつけのわけが存在した。 故郷南桑田郡曽我部村字穴太の小字裏条に上田嘉市という酒呑みの百姓がいた。農事のひまな時は醤油を売り歩いたので、醤油熊という渾名があった。明治十六(一八八三)年十月に三男坊出生。同じ穴太の王仁三郎が僅か数え年十三歳で偕行小学校の代用教員に抜擢された年である。神童の誉れ高い上田喜三郎先生にあやからせたかったのであろう、嘉市は三男坊に喜三郎と命名した。 狭い穴太に上田喜三郎が二人いるということは、郵便配達の事故も多いし、村の事務も混乱しやすいという、もっともな改名理由なのだ。 嘉市の三男坊喜三郎は明治四十二(一九〇九)年、船井郡三の宮から北村ふでを嫁にもらうが、ふではどういうわけからか戸籍名は使われず、ずっと「すみ」と呼ばれていた。従って穴太ではもう一組、上田喜三郎、すみ夫妻が存在したのだ。 さて、穴太の上田喜三郎にかけ合って理由の証明役に立ってもらい、無事改名届出をすまして帰ってきた中村と平蔵は、得意気にこう触れまわっていた。「とうとう鬼の正体現わしちゃったわい。悪神の会長は、鬼三郎と改名しよったで」 聞きつけた王仁三郎、驚いて自分で穴太までとんでいった。役場には、上田鬼三郎と届けてあったのだ。ややこしい手続きをふみ直して、明治三十七年(一九〇四)九月二十日、ようやく郡役所から上田王仁三郎と改名の許可がおりる。
 北桑田、宇治方面の信徒から、「会長さんに来てほしい」としきりに西田元吉の伝言が届く。 十月二十一日、八木会合所福島寅之助方の秋季大祭に招かれたのを機に、王仁三郎は脱出を決意した。 四方平蔵、中村竹吉、義姉の龍、中村の新妻こまの四人が同行。秋晴れの早朝を須知山峠や枯木峠を渡り、保野田を越えて桧山へ。龍は急に腹痛を訴えて、野道にしゃがみ込んだ。王仁三郎に頼まれた芝居である。 平蔵や中村がおろおろ介抱しているどさくさに、王仁三郎はぬけ出して紅井村(現船井郡丹波町豊田)の鍛冶屋へとび込んだ。前夜からそこに西田元吉が待ち受けていたのだ。 頃はよしと、龍は仮病をやめた。ほっとして気がつけば、会長の姿が見えぬ。あわてて、中村と平蔵は旧道を、龍とこまは新道を、二手に分かれてあとを追った。 新道を行く龍に、西田と打ち合せを終えた王仁三郎が声をかける。談笑しながら新旧道の合する須知町までくると、中村たちがふくれた顔で待っていた。 散りかかる紅葉を踏んで観音峠を越え、園部を経て、一行が八木についたのははやたそがれ前、おりしも八木の氏神本郷の春日神社(祭神、経津主命他三神)の杜はドドン、ドンドン……秋祭の宮太鼓が鳴り渡り、素人芝居や相撲大会、夜店も立ち並んで賑々しく浮き立っていた。 福島家の大祭には、遠近から信徒達がかなり集っていた。久の熱っぽい宣教ぶりが実を結んだのであろう。 盛大に祭典も終わり、人々が散ってから、五人は狭い部屋に折り重なるようにして寝につく。平蔵と中村は王仁三郎の行動を疑って、油断なく見張っていた。厠へまでもついてくる。 業をにやした王仁三郎は、さんざんやんちゃを言った。「お前ら、目が冴えて寝られんようやのう。ちょうどよいさけ、肩をもましたろ。わしも凝って凝って寝つけんのや。おい、平蔵はんは肩、中村はせっせと足をもめ」 二人に全身をもませながら、王仁三郎は誘いこむような空いびきをかく。夜更けては、さすがの強者どもも疲れ果て、とうとう肩や腰に崩れ伏してしまった。 龍が手真似で合図をする。王仁三郎の手荷物は、そっと龍が窓下に運んでおいてくれたのだ。 他愛ない顔の二人に蒲団をかけてやり、彼らの「寝る」姿を眺めやりながら、王仁三郎は即興的いたずらの書置きに筆を走らせた。「山坂の旅に疲れて足くネル。腹痛起こして横にネル。しかも大道の真ん中で、四方中村首ひネル。ここが痛いかと腰ひネル。ネル間に会長どこへやら、たずネル由もなきね入り。会長の行方をたずネル為に、お前は旧道たずね行け、こちらは新道たずネルと、須知の町の行き合いで、女形が道中ネルように、パッと出くわし一寸すネル。ネルの首巻きネルぱっち、空から雨がフランネル、神の祭りも相すみて、役員連がえらそうに、りくつをこネル首ひネル。子の正刻になりければ、どいつもこいつもよく寝入る。夜具のトンネル穴ばかり。ねつを福島会合所。あとの祭りで四方中村」 表には西田元吉が待ちかねていた。幸先よしと二人は駆け出した。八木、広瀬、鳥羽、室河原、小山を過ぎ、園部本町の港屋旅館に隠れ入る。港屋で待っていた浅井はなと新しく入信した片山源之助という園部の材木屋が、喜んで勇み立った。 片山は西田の教えを受け、幽斎修行を始めて天眼通を修得した。西田の師である王仁三郎に会いたさにはるばる綾部へ参っても、役員達が邪魔して会わしてくれぬと片山はこぼした。「狂人の集まりの綾部などへ帰るのは止めて、どうぞ園部に止って下さい」と、三人はこもごもと訴えた。 片山源之助の審神や指導に夜が明けた。宿の朝食を馳走になり、再会を約して西田と二人、園部を離れる。今頃八木では、あの書置きをみて、さぞ平蔵たちが青すじ立てて怒っているだろう。 西田と笑いながら船岡を過ぎ、殿田の手前を東へ、船井郡世木中の八幡神社の境内に入る。白衣の神主がすがすがしく庭を掃き清めていた。「おう、待っとった、会長はん」 見れば神主は内藤半吾だ。かって園部で、ちゃらんぽらんの牧夫時代の王仁三郎に知り合って以来、友であり、保護者であり、弟子としてついてきた元園部藩士の菓子屋の主人が……。「ここで、神主となって時節を待とうと思うのや」 内藤の言葉に、王仁三郎は胸が熱くなった。内藤もまた会長派として綾部には容れられぬ一人なのだ。三人は熱をこめて今後の布教について相談した。 正午過ぎ、内藤半吾に別れを惜しんで、世木の八幡神社を後にした。 山あいの路は次第に細くけわしく、やがて人の尾峠にさしかかる。人一人やっと通れるぐらいの峻坂をよじのぼり、枯葉の上に寝ころんで落日を見る。 峠の頂きに、古びた小さな地蔵堂があった。「このあたりの伝説ですがなあ……」と前置きして、西田は語った。 その昔、この人の尾峠の裾の里、宇津村に流れて来た落ち武者がいた。前九年の役に衣川で敗れ京都で獄門に晒されたはずの安倍貞任だと、村人は信じた。帝に仇なす不忠者と村人たちは彼を殺し、塚に葬った。翌朝、またひょっこりと落ち武者が武具いかめしく現われて、村人を驚かした。確かに昨日殺した武者である。幽霊でないのを知って、再び殺して埋める。再三、再四、彼はよみがえってきた。 時の陰陽博士に教えを乞うと、「彼はあまりに悪に強い人間であるため、地獄の入口からでもこの世に戻る魔力を持っている。しかし彼を七つに斬って、東西南北に埋め橙の針で止めたら生き還る力を失う」とのこと。村人たちは、その方法に従って、ついに彼を滅した。 宇津の四方の山々には、彼のバラバラの体が埋まっている。つまり、尻を葬ったのがこの人の尾峠、山一つ向こうの貞任峠には頭を、東に肩を葬った肩谷(別名高谷)、足手山などがあり、それぞれの塚には、小さな地蔵堂が祭ってある。以来、この地方では蜜柑類は絶対に育たないという。 小暗いまでに茂り合う松林を抜け、峠の急坂を下ると、そこはもう北桑田郡宇津村(現北桑田郡京北町)の字下宇津の里だ。保津川の上、大堰川の清流に沿って下浮井、上浮井、粟生谷の三村落、合わせて六十数戸が点在する。村落にせまる山々には杉や桧の巨木、若木が整然と立ち並んでいて、いかにも森林の宝庫、山国である。 西田の案内で、とっつきの下浮井村の資産家安井清兵衛を訪ねた。 リウマチで十数年来、身体の自由を失っていた清兵衛は、西田元吉のお取次で杖にすがって立てるまでになっていたが、王仁三郎の鎮魂で、杖を捨て座敷中を歩き出した。本人は無論、妻も息子縫之助も嬉し泣きに泣いた。 その夜は安井宅に一泊した。清兵衛は家族の者に山の松茸をとってこさせ、上等は売り、屑や虫食いを選んで馳走してくれた。 清兵衛の足が立つという噂を聞いた村人たちが集まってきて、騒いでいる。「やっぱりたいしたもんや。あのけちの清やんがのう、足治した客には、松茸食わしとってじゃが……」「へぇーい、そら足が治ったり、よっぽど不思議なこっちゃのう」 清兵衛は貞任峠や人の尾峠あたりの山々など親類の財産を併合して富み栄えたような爺だから、村人の受けはよくないらしい。 翌朝、清兵衛は西田元吉に言った。「も一つ鎮魂してもろて、座敷だけやのうて、山まで歩けるだけ治してくれはったら、うちの山の杉や桧の屑さがしてお宮建てたげるで。ほてから、わしが隠居代わりに宮さんのお守りして上げてもええが、どうでっしゃろ」 俄然、西田は怒った。「何じゃと、神さまのお礼に屑の木よってお宮建てたいやと。おまはん、狐や、狸祀るのとは違うで。一番よい木をえりすぐって、身も心も清めて建てさしていただくのが、神の宮というもんじゃ。神さまに救うてもろときながら、その根性が改心でけんようなら、また元のようになって、欲のために財産まで失うこっちゃろ。わしは帰る」 言い出したら聞かぬ一本気な西田だ。王仁三郎をせき立てて、安井家をとび出した。 上浮井の里を通り抜け、村の氏神八幡宮社(現京北町大字栃本村)の前を過ぎて一町ほど、村道より下ぶちの川寄りに杉皮葺きの小さな、いかにも貧しげな家がある。「庄やん、おるかい」と心安げに西田が声をかける。小西庄太郎の妻すえが浅黒い顔を出した。折り悪しく、主人は黒田近くの宮村の弟内田官吉のところへ養生に行って留守とのこと。王仁三郎と西田は、仕方なしに黒田をさして六里の山路を歩き出した。 宇津を出はずれたあたりの山路で、よれよれの着物に縄の帯の若者二人と出会った。狭い道を体をかわしてすれ違う時、ぷんとひなた臭い匂いがした。 彼らは、たびたび宇津へ宣教に来ている西田を見覚えていたのだろう。「屋敷はらいや」と、若者の一人が囁いた。「屋敷はらいって何じゃい」と王仁三郎が聞きとがめる。「テンツルテンの命じゃい」 わっと若者二人は逃げ出して、つないであった筏伝いに山猿のように川向こうへとび渡る。「馬鹿にさらすない」西田がわめく。若者二人は川向こうに立って、手を振り足を踏んで踊り出した。「柿の木残して首つりたーまえ、テンツルテンの命」「お前の懐テンツルテンと言うとるんやで」と、王仁三郎が言う。 王仁三郎と西田は苦笑いして、ふところを見せ合った。西田が二銭、王仁三郎が三銭、合わせて五銭。「布教に三銭以上持ち出したことはない。ほんまにテンツルテンの命やわい」と王仁三郎。「くそっ、安井のドけちおやじめが。あんなとこに二度と行ってやるけい」 思い出して、また西田が憤然とする。朝食にもあずからぬうちに安井家をとび出したのだ、難物の足を見事に立たせながら。険しい山坂道にすきっ腹がこたえる。昼を過ぎても、合わせて五銭では一膳飯屋にも入れぬ。 ようやく宮村の内田官吉の家を探しあて、滞在中の小西庄太郎に会った。ともかくも好意の茶漬けを御馳走になり、二人は人心地をとり戻した。ここは北桑田の丹波高地のド真ん中だ。さすがの晩秋の山里は袷を重ねても冷えを覚える。 薬風呂から上がってきた小西は、初対面の王仁三郎に這い寄って拝んだ。「あがの兄貴は、生神さんみたようなお人じゃ」と、常々西田に聞かされていたのだ。 小西庄太郎(五十歳)は関節リウマチで三年間へたりこんでいたが、園部の金明霊学会支部へ駕篭に乗って参り、西田元吉の鎮魂を受け本復した。喜びの余り材木を献納し、支部を拡張してまで熱心な信者となった。 彼には困った癖があって、酒なら日に三升、飲み屋の女相手に朝から呑み浸る。宇津村の男衆の誰でもがする山仕事が嫌いで、特技はもっぱら魚取り。夏なら鮎、寒中でも雑魚をとって暮らしていた。魚取りでは村近在でも庄太郎にかなうものはない。昼、たまさかに酒を呑んでいない時には、軒下に坐って投網の手入れだ。が、川雑魚ぐらいで彼の大酒を支えきれはしなかった。そのため宇津の村社八幡宮の宮守の仕事をもらい、わずかに村から扶助を受けていた。 一人息子の増吉(二十三歳)が、この初夏招集されて二十連隊に入り、日露戦争に出征しているという。その無事帰還も祈って、庄太郎は信仰に励んでいた。 彼のリウマチを助けた際、西田は念を押すことを忘れなかった。「よいか、庄やん。酒は二、三年呑まんようにせいよ。川に入って魚とることもふっつり止めい。聞かんといてみい、今度はリウマチどころか、よいよい(中風)になってまうでよ」 その通りとなった。庄太郎はほろ酔いで宇津の川原へ篭り魚を掬いに行き、川面へつき出た柳の幹から足をすべらして淵に落ち込んだ。再び高熱を発して手足が萎え、うめき通しに苦しむ。今度は西田のお取次でも、痛みが止まっただけで立てなかった。そこで西田が、兄貴の王仁三郎を綾部から引き出してきたわけである。 一夜の泊りが二夜となった。その間に王仁三郎の三度の鎮魂で庄太郎は起き上がり、手足の自由をとり戻していた。「ほんまや、生神さんじゃ」と、驚いた小西の弟内田官吉が宣伝する。 村人達が集まり、吾も吾もと鎮魂を願い出たので、王仁三郎は動けなくなった。病気治しだけでなく、王仁三郎は熱誠こめて道を説く。宮村、黒田近辺の村人たちはこぞって入信を乞うたが、綾部からの妨害をおそれて許さなかった。 王仁三郎は西田元吉に元教、小西庄太郎に松元の名を与え、村人たちに「今後は、ともかく西田元教、小西松元の二人を師と仰いで信仰せい」と言った。 驚く小西に王仁三郎は諭した。「さっきの鎮魂で、それだけの霊力は名と共に与えておいた。心配せいでも、何事でもお前を使うて神さまがなさるのや。ただ自分で出来たように錯覚して、慢心だけはしてくれるな」 宇津と黒田、宮村を小西松元にまかせて、三日目、王仁三郎は元教と共に更に旅立っていた。花背、芹生(現北桑田郡京北町大字芹生)と行く先々の宿りに、道は開けていった。岩根木根踏みさくみつつ貴船、鞍馬を越え、京都を過ぎて宇治へ向かう。 宇治の大橋を東に渡ったところが、元教の同郷の紀州出身の鍛冶屋南郷国松の家である。南郷方を根城に、元教の教線は宇治一帯にもひろがっていて、噂を聞き伝えた人々が、王仁三郎を喜び迎えた。長途の宣教の旅に疲れた夜更けを、王仁三郎は宇治のせせらぎに誘われて快く眠った。 ――ひどい男や。教祖さまに言いわけも立たんわな。わしをこれだけ苦しめよって。 畳を叩いて泣いているのは、八木に置き去りにしてきた四方平蔵だ。明け方、王仁三郎の見たほろ苦い夢であった。
 日露戦争によって、舞鶴の軍事的価値は増大した。 明治三十一(一八九八)年七月、すでに大阪、福知山間の鉄道は開通し、一日四往復走っていた。その延長である舞鶴―綾部―福知山間の鉄道工事は、昼夜兼行の突貫工事で進められた。このため多数の工夫が郡内に入り込み、明治三十六(一九〇三)年には約千人の工夫が鉄道工事に従事し、その上に六十一人の親方がいたという。 東四辻の住人たちも、粥腹をかかえて働いていた。多くの工夫の中でも、大本人種はすぐに分かった。長い髪を風になびかせていたからである。 長髪の流行の元は、王仁三郎にあった。大阪から帰って以来、閉じこもって執筆に専念するうち、髪は伸びるがままにしておいた。と、髪がアンテナの役をつとめて、霊感が得やすい。 王仁三郎の髪は、伸びるにつれて末広がりに増えていく。櫛の歯も通らぬぐらいに密生する。調べてみると、根元から五つ六つに分かれた枝毛のそれぞれが、長く黒く伸びているのだ。ふくらんで、始末におえぬほどの髪となった。「会長はん、無精せんと散髪しなはれ」と、見かねて誰かが言った。「髪は神に通ずるさけ、切ってはならんと小松林命が言うとる。霊界の波長をまず受け止めるのが髪。髪は豊かな方が、神界の御用も多うなるのや」 王仁三郎のすることなすこと逆にとる彼らも、この言葉だけはまともに受けた。伸ばしたくても生えぬ禿頭の祐助の他は、一人残らず競って真似だしたのだ。「伸びい。はよ伸びい」と、若い近松や福本などは短い自分の髪を引っ張るのがくせとなった。 彼ら工夫仲間に、大槻伝吉の姿も時に見かけるようになる。勤めているシルケット紋織物工場が戦争のあおりを受けて不景気のため、操業中止の時が多かったからである。
 舞鶴―福知山間の鉄道開通は、明治三十七(一九〇四)年十一月三日。福知山を発車した下り一番列車が石原、綾部と東進、綾部から北上して梅迫を経て舞鶴に至る。一日四往復。運賃は綾部から福知山まで十六銭、舞鶴まで二十五銭、大阪まで一円五十八銭であった。 開通当日の綾部の乗客五百五十人、降客四百十人。この日、早速、脱線事故を起こした。下り二番列車が梅迫駅を出て舞鶴に向かう途中機関車が脱線し、二時間かかって復旧。同月七日は下り終列車が梅迫駅に着く手前で脱線。機関車、緩急車、客車共三輌が線路を越えて田の中に落ちる。幸い死傷者はなかった。黒煙を吐き吐き、蒸気機関車は黒く重たい車体を連ねて、ようやくこの綾部の里にまで文明の風を運び始めていた。
 黒い函の四角い黒い枠につかまって、朝野は爪先立ち、ひたと眼を据えて見た。ひどく泣いたあとの頬の涙は、もう乾いていた。 外は果てしなく動いてゆく。すきとおった灰色の波が一面にうねり、しろじろと光をはねる。音もなくただ静かに揺れなびき、どこまでも揺れなびき、ひるがえりつつ、限りもなく続いていく。 さらさら、しろじろ――。 それは小さな心を押しあけ、浸し、いっぱいにゆれる。乾いた眼をみひらき、一人ぽっちでゆれる自分に耐えつつ、朝野はこの世に生まれて最初の記憶を脳裡に刻んだ。 梅野が生まれたこの年の冬、妹に母を奪られた寂しさに駄々をこねて泣き止まぬ朝野を連れ、真倉の後野市太郎の母が初めての汽車に乗せてくれた。梅迫をこえたあたり、窓下は一面の冬の薄野だった。泣き止んだ朝野がいつまでも窓にしがみついて眺めていたという。 まる二年と九ヶ月、この時の心象は鮮烈に残った。
 八月末からの遼陽会戦は激戦一週間、両軍多大の死傷者を出し、露軍は退却した。海軍は黄海戦で勝利し、制海権を握った。十月の沙河の会戦では勝負決せず、対陣のまま冬営に入る。総攻撃を幾度も繰り返した旅順攻囲戦は十一月三十日、ようやく二〇三高地を占領、旅順港内を見下ろして攻撃できる位置に立った。開戦以来の戦闘は、苦戦の連続である。 大本の役員信者たちは戦況に一喜一憂しながら、ひたすらに直の次男清吉の帰還を切望する。戦死の通知があり遺族年金まで支給されていながら、彼らは「死んでおらぬ」の筆先を額面通り受取り、外国で大働きをしていると信じている。なぜなら筆先によると出口清吉は日の出神であり、日の出神は「龍宮の乙姫と引きそうて、変化れに変化れ、外国で大働きをする」と示されている。 今度の戦いで日本が勝つことは間違いないが、「九分九厘でどんでん返すぞよ」の言葉通り、九分九厘まで追いつめられる。その一厘の瀬戸際で日本を逆転勝利に導くのが艮の金神のかかる出口直であり、そのお手伝いをするのが日の出神のかかる清吉ではないか。早く帰還してもらわねば、肝心要の神機を逸する。 彼らの清吉待望を、宣教から帰って臥竜亭で執筆に専念する王仁三郎はむなしい思いで眺める。 国祖は伊邪那岐尊の御子大道別の荒魂、奇魂に日の出神、和魂、幸魂に琴平別と名づけられた。陸上は日の出神、海河では琴平別神が分担して神界の経綸の完成に奉仕し、国祖再現にあたっては聖地に出現し地盤的太柱となる神機発揚の神である。要するに特定の個人にかかる人格神にあらず、御用に付された神名だ。そして今、清吉の果たせなかった日の出神のお用を、この王仁三郎がしていることに気付かぬか。だからこそ昨年五月、四魂揃った岩戸開きが行なわれたのではないのか。 王仁三郎は五月二十二日(旧四月八日)より書き始めた『道の栞』と題するノートに、一気に筆を走らせる。一、暗き世をてらして、日の出のひかりを現し給ふは、日の出神なり。日の出神は男の身魂によりて、弥仙の御山に現れ給い、弥高き稜威を現し給えども燈台下暗くして女子よりほかに知るものはなし。神の大御心は、心のなか清まらざれば覚ることあたはじ。一、日の出神は、変性女子に引添ひて、高天原へ現れ給へども、誰知るものなし。生魂の如何なるものかを誰知らず。憐れなり。一、死んで居らぬ肉体にも、言い様説き様によりて、生身ともなり、死身ともなるべし。生身と生魂の区別を能く辨へて不覚を取る勿れ。一、其ままの肉体にて使はれるものと、肉体を代へて使はれる生魂とあり。肉体代るとも生魂の働きあるものは、其の者の肉体生きたるも同じきなり。(『道の栞』完) 十二月七日(旧十月三十日)のこの日をもって『道の栞』四巻を全部脱稿する。
表題:優曇華の花  8巻11章優曇華の花



 明治三十八年(一〇九五)年一月一日、ついに旅順陥落。その戦果のかげには、ロシア軍の装備する優勢な火力によって、日本兵の累々たる屍の山を築かねばならなかったが……。 戦局はますます熾烈であった。 今年中にばたばたと世の立替え立直しのかたが付き、みろくの世が実現する。「足もとから鳥が立つぞよ」との筆先が実地にあらわれる。 役員たちの独善的な筆先解釈によれば、大望の時はまさに足元に迫った。今こそ筆先を実行に移すべしと、彼らは気負い立っていた。 筆先に「道の真中をまっすぐ歩け」とある。「道」は明らかに、人として踏み行なわねばならぬ条理、誠の道であろう。「暗闇の世」という字句が出る。理非のわきまえのない世の中をさすものだろう。が、彼らは字義通り、直訳以外は考えぬ。 中村竹吉は、昼日中、十曜の紋(大本の神紋)のついた提燈に蝋燭をともして左手に持ち、右手に白扇をすぼめて握り、街道の真ん中を闊歩する。筆先の文句を高らかに誦しつつ。牛車がこようと、人力車がこようと、わが道を行く。驚いて、牛車の方がさけて通ると、誇らかに叫ぶ。「神の御威勢を見たかや。道の真ん中さえ通れば、どんなものでもよけるぞよ」 こんな手合いにどう諭しても聞きいれよう筈がない。王仁三郎はもう無駄な努力をあきらめ、臥竜亭にこもって執筆に明け暮れた。一、国と国との戦いがおこるのも、人と人との争いが起こるのも、みな欲からである。神心にならずして、世界のためを思わずして、わが国さえよければ人の国はどうでもよい、わが身さえよければ人の身はどうなってもよい、という自己愛から、戦いや争いが起こる。これらはみな、悪の行為である。一、世界中、兵あるが為に、欲もおこり、戦いもあるのである。世界の戦いは運不運を嫌いたまう天帝の大御心に叶わぬことである。雨降って地固まる、世界穏やかの為には止むを得ぬ次第なれど、戦いぐらい世界にむごきことはない。一、天帝の大御心に違いて大切なる生命を奪う行為は、人を生み給いし造化の大御心に背き奉る深き罪である。今度の戦いをおこした国人は、天帝に対して大罪人たり、世界に対して平和の仇たり。天帝、誠の大小を衡りて、この度の戦いに勝ちを得させ給うべし。今度の戦いには、生神の助太刀あり。その生神とは、高津神のことである、高津神とは、天と地との間を守る精霊にして、俗に金神という。 「先生、朝野いうたらなあ、変な子やで」と、澄が渡り廊下から顔を出した。「朝野やない。直日や」 母の後を追ってきた朝野は回らぬ舌で言い、むすっと口を結んだ。「それそれ、そう言うんですわな。朝野と呼んでも、返事もしまへんで」 明治三十六年五月の弥仙山岩戸開きの時に、「朝野が直日となる仕組み」の筆先が出た。それは知っている。朝野の神界から下った名が「なおひ」であることを、当時王仁三郎自身も役員に書き与えている。しかし朝野は朝野であった。 王仁三郎は半ば意地づくで、父として命名した朝野の名を呼び通してきた。それが、ようやくもの心ついたかつかずの本人が「うちは直日や」と頑張り出すとは……。 まだまる三歳に満たぬ子供が、自分の頭で言いだすとは思えぬ。「お前の神さまからいただいたほんとの名前は直日やで」と、祖母にでも言い聞かされたに違いあるまい。 艮の金神の強靭なる意志は、直を通して幼い孫にまでのびる。まるで、抜いても抜いてもどこからか這い寄ってきて、執拗に蔓を伸ばし、からみあげ、次々に葉を茂らせて草も木もおおい、果てには根こそぎ枯らしてしまうあの貧乏かずらだ。ヤブ枯らしだ。地中に太い根を張りめぐらしていて、どこに芽を吹くやら知れぬ。 ――わしは求めて大本にとびこんだ。がんじがらめにされるのも自業自得や。けど、生まれながらに自分の意志も持ち得ぬうちから、大本三代の宿命を負わされ巻きつかれれば、この子はどうなろう。女の子らしい愛嬌にとぼしくて、いつもむっつり何かを思いつめているような口数すくない娘なのだ。朝野が直日と変身するように、子供らしい、無心な中身までも、いつか筆先の化物にすり変えられねばよいが……。「朝野……」 王仁三郎は娘を抱き上げた。娘は懸命に腕を突っ張る。「朝野やない、朝野やない」「おう、よしよし、お前の名前は直日や。これから父さんも直日と呼ぶ。直日、おばあちゃんと父さんとどっちが好きや」 娘はまじまじと父をみつめて、答えない。答えぬ娘をひしと抱きしめ、王仁三郎は苦い涙を内に流した。 ――以後、この作品では、朝野を直日と記す。
「餅屋の子は餅屋ですなあ、直日いうたら……」と、笑いながら澄が入ってきた。「何のこっちゃい」 読みさしの大本日記から、王仁三郎が目を上げた。こと直日に関することなら、漏らさず知りたがる。それを知っているから、澄は何かあると王仁三郎に告げにきた。 今朝、近所の友チエちゃんが来て、表で直日と仲良く遊んでいた。子供たちに勝手に遊ばしておいて澄が機を織っていると、直がのぞいて笑いながら、格子の外を指差した。「聞いてみな、聞いてみな、直日があんなこと言うとるで」 なるほど、二人の雲行きがあやしい。喧嘩の原因は分からぬが、チエちゃんが「ノンノンさんや」、直日が「マンマンさんや」とお互い言い張って譲らぬ。しまいに二人とも泣き出した。ノンノンさんはお寺とか仏さま、マンマンさんは神さまのこと。この地方の幼児語だ。「今からもう神仏論争かい」と、王仁三郎は苦笑した。 澄の話は続く。 チエちゃんが帰ってから、澄は直日を連れて、上町の下駄屋まで行った。直日は口数の少ない子であった。「もの言わずの直日さんに、もの言わしたらえらいでなあ」と大人たちが賭けの対象にするぐらいであった。その直日が、下駄屋の主人をつかまえて、ぶすっとした顔で言った。「それうちの父ちゃんがかぶっとってやで、頭に……」 思い出して澄は笑いころげた。「なんやと思うてや。高下駄の黒い爪皮ですわな」「なるほど、よう似とるのう」 下駄の先にかぶせる爪皮と烏帽子。冠と沓の尊卑は問わぬ幼いもののまっ直ぐな目がいとしかった。 澄が出ていくと、竹原房太郎が記す大本日記に目を戻し、王仁三郎は、やがてげらげら笑い出した。「直日さま、またこんにちも、おはずしものありたまう」 昨夜、澄が寝てしまってから、直日が起き上って空腹を訴えた。直日の望むことならどんなことでも聞かずにおれぬ子煩悩な父である。一度眠るとめったなことで起きぬ澄のこと、王仁三郎は直日を背に負って町に出、もう火を落としたうどん屋に無理に頼みこんで、たらふくうどんを食わせた。そのせいか、早朝、直日は失敗してべそをかいていた。王仁三郎は澄にも言いかねて、こっそり始末し、洗濯してやった。「大本にあることは、箸のこけたことまで、つけとめておいて下されよ」の筆先の文句そのままを信奉する竹原であった。 ――竹原の奴、気付きおったか、やれやれ。 娘恋しさにたまりかねて、王仁三郎は母屋へ行く。二階をのぞいたが、直の傍にはいない。梅野に乳を含ませている澄のところにも見えぬ。土間に下り外をのぞくと、いたいた、玄関の格子戸に一人体を寄せかけて空を見上げている。やわらかい直日の髪にも、澄の手織りの縞の着物にも、ぼたん雪が降りかかる。 直日は、小さな声で繰り返し歌っていた。「上見りゃゴオミ、下見りゃ雪じゃ」 王仁三郎は空を見た。一面、うす墨色に、ほんとうに無数のゴミのように舞い降りてくるものが、地上に近づくにつれて、まっ白くふわりと雪になる。何遍となく空を見上げ、見下ろし、雪の舞い降りる姿の美しさに魅せられている直日。抱きしめてやりたい思いに耐えながら、きよらかな童心への郷愁に、王仁三郎は立ち尽くした。
 綾部から園部へ、園部から穴太へと、上田世祢が元の屋敷のあとへ帰ってきたのは三十六年の春である。一足先に由松が帰っていた。都会の水は由松の口にあわなかったらしい。京都の人造精乳修生社をとび出して、やはり故郷の古巣に舞い戻ったのだ。 宮垣内のがらんとした焼け跡には、ただ一つ、久兵衛池みぎわの鍛冶屋の仕事場が焼け残っていた。仕事場には、鞴のついた広い土間と職人のための板の間があった。焼けてから、その板の間に畳を入れて六畳にしていた。由松は母を迎えて北側に三畳を建て増し、土間にはくどを置いて炊事場とした。 世祢と由松はここに住んだ。世祢は上田家のわずかな田を守り、由松は醤油売り、柴売り、夏には車を引いて氷売りに村々を歩いた。けれど、生れつき好きな博奕をやめたわけではなかった。 母が園部を離れたあとも、君は半年ばかり、船井郡松尾の奉公先に残っていた。ようやく生まれ故郷の穴太の母のもとに帰ってきた時、君は久兵衛池際の栗の木が、昔ながらに毬をはぜているのを見た。背のびして毬に手を触れると、栗の実はぽちゃんと池にこぼれ落ちた。悲しみとも喜びともつかぬ思いが、十二歳の君の胸にふきあげていた。小学校は綾部での四年を最後に中退せねばならなかった。十日ほど母のそばに甘えていて、君はまた、近くの農家斎藤万平方へと奉公に出ていった。 明治三十八(一九〇五)年一月十日、肺炎のため重体に陥った由松の枕元に、村上房之助を連れた王仁三郎がかけつけた。その二日前、王仁三郎は由松の頭上に落雷があり頓死した夢を見た。翌日、昨夜の夢を案じて帰郷の準備中、由松危篤の電報が届いたのである。山城の宇治から西田元教夫妻、南郷国松、京都から末弟小竹政一、少しおくれて綾部の信者を代表して、出口慶太郎が見舞いに来た。誠心をこめた一同の祈願のせいか、由松はやがて奇跡的に全快した。 間なしの二月四日、由松は、遠縁にあたる千代川村千原の永田小ちえ(二十一歳)を嫁にした。王仁三郎は心ばかりの祝いものを贈ったが、由松は生活苦を訴えて〇印を送れと、再三綾部へ手紙をよこした。いったんは母と妹を引き取りながら、保護もしきれずに放して、弟に扶養させる。その負い目が深く王仁三郎の心を痛めていた。 が、現実には金はなかった。土方となって働くことすら許されぬ綾部での日常を、由松にどう理解してもらえよう。信じてはくれまいと思いつつしたためる断わりの返信が、王仁三郎にはつらかった。
 中村竹吉は荷車を由良川の土手のかたわらに置き、荷台に積んだ農具を片寄せて腰掛けた。彼の法被の背には、白字で『かねのくわ』と書いてあった。荷車の梶棒の先に蝋燭をともした提燈がぶら下げてあるのは、まだ日が西にあるとはいえ、筆先の世界では『くらやみの世』だからである。 彼は後妻こまに尻叩かれて、農具の行商に追い出されていたのだ。鼻の下に貢ぐためにあくせくするなど生粋の日本男子の本懐ではなかったが、いかに艮の金神でも天からお米さまを降らしてはくれぬからやむを得ぬ。が、商売そこのけ、客に立替え立直しを夢中になって宣伝するうち、金をもらい忘れることもしばしばであった。 二月五日、旧暦一月二日の今日、農具売り売り元伊勢まで参拝、大望成就の祈願をこめての帰途である。夕陽の映える水際に小鮒がちろちろ動いていた。立春が過ぎたばかりなのに、もう春の気配を知って冬篭りから目覚めたか。雪どけの水は刺すように冷たく、山頂にははだれ雪が残っていた。煙管と火打箱を出して、一服つけた。白い煙の行手に梅の木があり、二、三厘、ひらきかけていた。 ――三千世界一度にひらく梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。 初発の筆先の書き起こしの句である。一度に咲きみちる梅の花の幻想は、立春を迎えるごとに信者たちの心をときめかせた。だが今年もまた、山間はおそく、平地は早く、梅はてんでんばらばらに咲きそうである。嗄れたのどから血を吐くまで立替え立直しを絶叫したとて、日本はおろか、大方の綾部の町民すら振り返ってはくれぬ。役員が寄ってたかっても、王仁三郎につく悪の鑑小松林を追い出すことさえできぬ。 お筆先のお告げ通り日露戦争が始まり、今年こそと気負い立った三十七年も暮れてしまった。戦勝に沸き返りつつ始まった明治三十八年。まこと、この世がでんぐり返って、艮の金神がみ姿を現わされ、善と悪とを立てわけられて、味気ない暮らしに耐えてきた下々の者たちが喜び勇む松の世は来るのか。いや、下はいつまで待っても下、わしらはかなわぬ夢をみているだけか知れん。 ふと起きた迷いを、あわてて首を横にふって追い返す。こまの奴がうるさいさかい、働き過ぎて疲れたせいや。 夕闇が濃くなって提燈の明るさを増す。冷えこみがきつくなったが、動くのは大儀であった。 山の端に糸のような月――無心で仰いでいた中村の目が凍りついた。昨日は旧正月元旦、今夜は陰暦二日、二日月だ。間違いなく二日月だ。わしは夢を見とりはせんぞ。 中村は飛び上がり、目をこする。 ――やいや、始まった、これぞ立替えの兆しや。ぐずぐずしてはおれん。えい、たとえ一時にもせよ、女房ごときの言いなりにのどの下の仏さんに仕え、鼻の下の建立に時を過ごしたのは日本男子の不覚やった。うぬ。 荷車をつかまえ、農具ごとどどっと由良川へ打っちゃる。提燈の灯がとんで消え、激しく上がった水しぶきの中に、懐から抜き出した胴巻きをえいっと投げ込む。みろくの世になれば金などいらぬ。 裾をはしょって走り出した。位田橋を渡ったころにはもう月影は沈んで見えない。「大変、大変……」 龍門館の門前から叫び続け、草鞋の紐は引きちぎって脱ぎ、二階の大広前まで駆け上がった。夕食を終わってまだ残っていた役員たちが、中村をとり囲む。「みんな、聞いてくれ。わしは二日月を拝んだで。位田橋のところで沈んでもたけど、確かに月やった。煎り豆にも花が咲く時節が来ると筆先にあるじゃろ。生まれて初めて、見えるはずのない二日月を、わしははっきりこの眼で見たでよ」「瑞祥や」と、村上が応じた。「世の中がでんぐり返る証拠や。さあ、これでとうとう……とうとう大望が始まる」 うわごとのように言いつつ、中村は神前に合掌し、大粒の涙をぽろぽろこぼしながら、神言をとなえ出した。「教祖さまにお知らせせんならん」と顔色を変えて立つ竹原の袖を、平蔵が引く。「今、お筆先が出とるとこや。もうちょっと辛抱せい」 色めき立つ一同をなだめて、中村の祝詞の後についた。狂熱的な大合唱となった。 祈り終わった中村は、神前の大きな水鉢にふと目をやった。「やあ、これは……おう……」 水鉢には、いつものように神に供えて清水が張ってある。「どうしちゃった、中村はん……」 平蔵が身をのり出した。震える指で、中村は水鉢を示した。水面にぱっと開いた半透明のものが白く水中に垂れ下がっている。「これ見や、御神水にみごとな優曇華の花が咲いとるわいな」「おう、これが優曇華か」 水鉢を囲んだ誰もが、しんとした目でみつめ、そっと手を合わす。三千年に一度開花し、その時、金輪王が出現する。あるいは、金輪王が出現する時、初めて優曇華の花がひらくとの伝説上の霊瑞の花だ。 平蔵がクッと鳴咽した。「この世に生まれて、これを見たもんは、わしが初めてじゃろう。二日月に優曇華とは……」と、中村がいきまく。「立替えが始まれば、人民三分になるぞよ。会長はんにもなんとか残る三分に入ってもらえんじゃろか」と、四方祐助がおろおろと言う。「そうや。畜類虫けらまで助ける大本の教えじゃ。この奇跡を見せたら、しぶとい小松林も逃げ出すやろ。祐助はん、会長をここへ」 中村がいかめしく命ずる。 祐助にせき立てられ、苦々しげに王仁三郎が上がって来た。「会長はん、小松林に去んでもらい、坤の金神さまの守護になって、艮の金神さまの女房役つとめてもらわんと、後で地団太踏んでも知りませぬ。これが最後の忠告でありますぞ」 上ずった中村の叱りつけんばかりの調子に、王仁三郎が訊く。「ものものしい顔しとるが、なにがあったんや」「あった所やござらん。いざいう時に、日頃御自慢の霊眼も霊覚もさっぱり効き目のない小松林や。言うてあげるが、重ね重ねの吉兆が出とる。まず、今夜わしが拝んだ二日月や」「二日月がそんなに珍しいけ。わしは穴太におって、何度か拝んだことがある。お前たちはこんな山に包まれた狭い町に住んで外を知らんから、二日月ぐらいで騒ぐのや。また世間の物笑いにされんなん。そんな阿呆なこと、世間に言うてくれるなよ」「黙れ、小松林。昔から三日月という言葉はあるが、二日月なんて聞いたことないわいな。しゃっちもない、穴太で二日月を見たなんて、そんな出放題ぬかしおって水晶の霊魂を曇らせよう思っても、そうはいくかい」 四方平蔵が急いで口をはさむ。「それだけやござへん。ほれ、これを見なされ会長はん。水鉢に優曇華の花が咲いてますで。三千年に一度開く花やげな。もうぐずぐず言うとられまへんでよ」「優曇華……」 王仁三郎は水鉢に進み寄った。「なんとまあ……匂うが如き美しい花ですなあ」と、平蔵。「鳥目の平蔵はんが妙なこっちゃ。三千年に一度しか咲かん花をなんで優曇華と分ったんや」「それは……中村はんが教えてくれたさかい……」と、狼狽した顔を、平蔵は中村にふり向ける。「中村はん、なんでこれが優曇華やい」「御内流で悟ったのでござる。時節が来れば開く花でござるわい」 ゆるぎない信念で、中村は傲然と言い放つ。水鉢に浮いた白いものを、王仁三郎は付木の先ですくい上げ、しげしげと眺め、四方平蔵の鼻先に突き付けた。「確かに匂うがごときやのう」と、今度は中村に渡す。「雀の糞じゃ。窓があけてあったさかい、雀の奴がとびこんだのやろ。なめるなり、かぐなりして、よう調べてからもの言え」 ややあって、中村はうめいた。「小松林が優曇華の花を雀の糞に化かしたのや。立替えの邪魔をしくさったのや」 去りかける王仁三郎の袖をつかんで、村上が苦しげに頼みこんだ。「どうぞこのことは誰にも内緒にしとくれなはれ。大本が大事やと思うたら……」「大事や思うたら、お前ら、いい加減に立替えの待ち呆け信仰は止めとけよ。そうや竹原、筆をもって来い」 王仁三郎は、ありあわせの和紙に、さらさらと筆を走らせる。「中村はん、とっといてくれ」 一同が首を寄せ集め、竹原が読み上げた。   たてかえをまつのがはらのすずむしの       ふゆのしもさきあわれなるかな   たてなおしやれたてかえとかしましく       さえずるもずのこえぞゆゆしき 繰り返し読み終わった時、王仁三郎の姿はそこになかった。

表題:大橋越えて 8巻12章大橋越えて



「こら、くそ婆あ、兄やんとり返しにきたが、文句あっかい」 今にも降りそうな寒い二月末の空であった。貧弱な体を精一杯構えて凄みつつ、新婚ほやほやの由松が連れの男と共に龍門館の表に突っ立った。 四方祐助がとんで出て、見知らぬ男二人にかっとなって言い返した。「くそ婆あとはいったい誰のこっちゃい。お前ら、どこのガキや。返答によっては、か、かんべんならん」「うるせい、ひょうろく玉の禿げ頭。爺いは引っ込んでけつかれ」 中村竹吉、四方藤太郎、出口慶太郎らが二階の窓から首をつき出す。「お、由松はん……」と、顔なじみの慶太郎が叫んだ。 由松は持ってきたからかさをふり上げ、二階に向かってどなる。「やい、こんこんやちきちの金神気違いの上田喜三郎、とっとと出てこんかい。かわいい弟がはるばる穴太くんだりからやってきたんや。お母や妹を弟に押しつけやがって、総領の兄いが一文の銭も送りさらさんと、それで大きい面して、よう三千世界の立替え立直しやてなことホラ吹きよるわい。親の面倒ひとつ見れんような家にへばりついとらんと、おん出て帰んだらどうやい。証人として、穴太から万屋のおっさんに来てもろたぞ。こら面出せやい」 ――由松や、ああ、由松が暴れこみやがった。 王仁三郎は、万年床と机一つきりの臥竜亭を見渡した。ない、弟にやれるものは何もない。机の上の『道の大本』の執筆に用意してある生紙一折をわしづかみにして立ちすくむ。表から筒抜けに由松の大声が響いてくる。「うー、寒うてしゃあないやんけ。けどこんな気違い屋敷の柴などいらんわい。よし、お前ら、見とれよ」 由松は、パリパリと新の油紙の音を立てて、からかさを開いた。それを玄関先に転がしておいて、パッとマッチをする。 二階から澄が駆け降りてきて、渡り廊下を踏みならし、臥竜亭にとび込んだ。「さ、先生、これを……」 澄が突き出したのは、ずっしり重い布の巾着だ。「助かった。なんぼや……」「さあ……」 直が渡してくれたものと、とっさに察した。役員たちが働いた日銭の中から捧げる貴重な筆先の紙代にちがいない。 懐にするなり、王仁三郎は障子を蹴破る勢いで走り出し、すさまじく燃え上がる紅蓮のからかさをとび越えた。「何さらすかあ、このやろう……」 叫んでおいて、王仁三郎はどっと由松に組みつき、雪泥道をころがる。群がった役員たちは、あっけにとられて派手な兄弟喧嘩を眺めている。 由松ははね起き、胸をおさえ、まわりの一同を見渡して、にやっとした。「帰れ、帰ってくれ、由松」 雪泥まみれの王仁三郎が押し殺した叫びを上げる。「おう、今日は帰んだるわい。けどなんぼでもまた来るで。兄い、お母のいること忘れんなよ」 肩怒らせて由松は引き上げてゆく。懐から生紙一折取り出して、王仁三郎は、呆然としている万屋の若主人斎藤鹿市(三十三歳)に手渡した。鹿市はあわてて由松のあとを追う。 龍門館が見えなくなるあたりで、鹿市は由松に追いついた。「由やん、こんな紙もろたぐらいで逃げるんこ。お前、どないなっとんや」「まあ、その紙はお前にくれたるわ。ばば紙にでもせい」 由松はにんまりとして、懐から重い巾着をとり出した。「あっ、いつもろた」と、鹿市。「ぶつかってきよった時、兄やんが懐にねじ込んだんや。少なかったら因縁つけたるのに、すぐ見るわけにもいかんさけ……ちぇっ」 中身を掌に開けてみて、由松は舌打ちした。なんと、小銭ばかりだ。けれど、今更ゆすり直しに戻るのも間が抜けている。 からかさを失った由松の背に、さむざむと氷雨が降り出していた。
 誰が吹くのか草笛の音。 音に誘われ、暗い部屋を出る。疲れた目と神経を休めたかった。 王仁三郎は庭に下りる。庭と呼んでいるけれど正確には畑、七十歳になる出口直丹誠の畑だ。作り手の性格を象徴して、腹立たしいばかりに真直な畝、青野菜の双葉が初春の風にかすかに揺れる。けれどこの庭に、王仁三郎の心を和めてくれるものはなかった。 花のない庭――息苦しくて、王仁三郎には耐え切れぬ。 庭の西側の薪置場を裏へまわると、杉垣をへだてて隣の内田家が見える。その垣の向こう側に、桜草の小さな五弁の花が群がり咲いていた。本宮山の裾野で見つけてきて、王仁三郎が杉垣から手をのばし、隣家の庭に移植しておいたのだ。その脇の、これも王仁三郎手植えの薔薇、朝露を含んだ新芽が春を伝える。 杉の根元にしゃがんでのぞきこむ王仁三郎を、花たちはとらえて離さない。「いつも変わらぬ松心、変わる心は花心。この大本の屋敷には色花は植えさせんぞよ、か。不粋な筆先め」と、吐き捨てるようにつぶやく。 花のことでは、龍門館に騒動が絶えなかった。鉢植えの野花を昼は縁の下深く隠しておき、夜になるとこっそり取り出して一人眺める。しかし二、三日すると、花はぐったり萎れた。 ――かわいそうに、光に当てんさかいや。 王仁三郎は、役員のすきをみては直日を背にくくり、鉢を懐に抱いて散歩に抜け出す。土手に坐って、娘とともに心ゆくまで日光浴させた。それでも花は無残に枯れた。 ある明け方、はっと目覚めて、王仁三郎は障子を開けた。そして、見てはならぬ妻の姿を目撃した。やかんを片手に、忍び足で庭に出ていく澄を。縁の下をのぞくと、新しく植えたばかりの鉢から湯気が上がっている。 頭から熱湯をあびせられたように、王仁三郎の血は泡立ち逆巻いた。叫び出しそうな口に蒲団を押し込み、王仁三郎は怒りと心の痛みに耐えた。 大本の中では色花は育たんものと夫に思い込まそうとする妻の幼い心根がみえすいていて、王仁三郎は憎みきれなかったからだ。あきらめて他人の庭に花を植え、垣ごしに眺めるのが慰めとなった。「やあ、桜草が開きましたねえ。上田さん、お茶でもいかがです」 隣家の主人内田正(四十九歳)は、ごま塩髭の中から柔和な笑顔を見せて手招いた。羊毛のように密生したハイカラな髭は、先が丸くていねいに刈り込んである。 王仁三郎は喜んで垣根を越えた。縁先に坐った王仁三郎に妻女たかはお茶を入れてくれ、養母すまは針の手を休めて駄菓子をすすめた。遠慮なく菓子を頬張り番茶をすすって、王仁三郎はくつろぐ。 庭にはつぼみをいっぱい持ったつつじの植込みがあり、隅の雑草の間にはツクシンボまで頭を出している。外国の神さん拝む毛唐じゃと、龍門館の住人たちはつきあおうともせぬが、王仁三郎は庭を借りるようになってからこの家族となじみ、気軽にもらい風呂にも行く仲となっていた。 内田正は安政四(一八五七)年、姫路の武士内田浅次郎長男として出生、二十一歳でキリスト教に入信、やがて教師をやめて日本組合キリスト教会の牧師となる。綾部会堂牧師としてここに移住してきたのは明治三十六(一九〇三)年のこと。内田牧師の家が龍門館と隣り合わせとは、妙な因縁であった。 いつか王仁三郎は、綾部におけるキリスト教会の歴史について、内田牧師に問うたことがある。内田は熱心に答えた。 明治八(一八七五)年、新島襄が京都に同志社を設立。明治十年代には、同志社学生堀尾金太郎が口丹波の亀岡に伝道し、十三(一八八〇)年、亀岡町柳町に耶蘇教講義所を作った。 明治十九(一八八六)年の春、綾部の南、田野村の田中敬造は天蚕の視察に行った先、愛媛県大洲で牧師の説教を聞き感動した。帰途、神戸に寄って英和女学校教師ブラウン、神戸教会牧師原田助らの門を叩きさらに信仰を強め、郷里田野村に神の福音を宣べ伝える。奥丹波にも一粒の種が蒔かれたのだ。 明治二十三(一八九〇)年五月、亀岡より移転してきた留岡幸助牧師が福知山に講義所を設け、そこを中心に天田、何鹿二郡に道を伝えた。この年、蚕糸業界の麒麟児、郡是製糸の創立者である若き日の波多野鶴吉も洗礼を受けている。その後も伝道師によって福音は伝えられ、明治二十六(一八九三)年、福知山に丹波第二教会を設立する。 綾部は、蚕糸業界の首脳となった波多野鶴吉ら有力者が力となって、明治二十九(一八九六)年四月、綾部会堂を落成、本拠は衰退気味の福知山から綾部に移った。さらに、同年八月の大洪水で福知山教会は流失する。 しかし、綾部でも、キリスト教は十分に根を下ろすことはできなかった。三十年代に入ると指導者に人を得ず、信者はその後長く沈滞期に入っていた。内田が赴任してきてからは、ようやく信仰も息を吹き返し、中絶していた日曜学校も復活して、生徒は今百二、三十人を数えるという。 未開の地に福音を宣べ伝えていくキリスト教伝道者たちの激しい情熱が、王仁三郎を揺さぶる。 優曇華の花騒動があって間もなく、王仁三郎は霊示を得た。「そなたは今、善悪正邪の分水嶺に立っている。心せよ」 同じような叱責を、祖母宇能から受けたことがあった。高熊山入山直前の二十八歳、やくざに頭を割られてただただ報復を誓った時であったが――。 今また深い迷いにもだえる王仁三郎の心中を、神は見抜いているのだ。「船中に在る者はその船の全形を見ず」、「猟夫は山を見ず」、「不二へ来て不二を訪ねて不二詣で」……これらの警告が頭に浮かぶ。 わしは、大本の中に深くはまり込んでしまって、かえって大本のことが分からぬのだ。一時、頭を切り替えて、他宗の教えを調べてみよう。苦悩のあまり、王仁三郎が出した結論であった。 大阪宣教時代、メソジスト教会で牧師の説教を聞き、思わず落涙したことがあった。目前に教会はあっても、表立って説教を聞きには入れぬ。まず聖書を学んで他山の石にしようと思い立った。 杉垣をこえて、ひょろりと牧師宅にもぐりこむのはたやすい。花のためばかりでなく聖書研究というはっきりした目的が加わると、内田は喜んで王仁三郎に二階の書斎と分厚い新旧聖書を提供してくれた。 テモテ前書第四章第七節に至って、王仁三郎の目は吸いついた。「妄なる談と老いたる婦の奇き談をすて、神を敬ふことを自ら修行すべし」 すでに読んだマタイ伝第二十四章第三節以下の句が関連して思い浮かぶ。「イエス橄欖山に坐し給へるとき、弟子ひそかに来たりて曰ひけるは、何の時このこと有りや、又汝の来る兆しと世の末の兆しは如何なるぞや、我等に告げたまへ。イエス答へて彼らに曰ひけるは、汝ら人に欺かれざるやう慎めよ。そはおほくの人わが名を冒しきたり、我はキリストなりと曰ひて多くの人を欺くべし……また偽予言者おほく起こりて多くの人を欺かん」 さらに同章第二十四節の一句。「そは偽キリスト偽予言者たち起こりて大いなる体徴と異能を行なひ、為得べくば選民をも欺かんとする也」 王仁三郎は目をつむった。老いたる婦の奇き談……ふしぎなるわざを行ない、選ばれたる者をも欺こうとするもの……キリストの予言の通りではないか。出口直こそ、ここに示された偽予言者の一人ではないか。「肉体の修行は益すくなし。ただ神を敬ふことは凡のことに益あり。今生および来生に係る約束を得るなり」 テモテ前書第四章第八節が、王仁三郎の疑惑をいっそう深めた。 四季の区別なく、直は毎日欠かさず何回となく冷水を浴びる。それが役員たちの習うところとなり、特に霊力を必要とする時以外は水行をせぬ会長を外国身魂と決めつける発端ともなったのだ。 表面の肉体ばかり清めても肝心の霊魂は深まらぬとの王仁三郎の日頃の主張に、「先生は瑞の霊魂にあらず、湯の霊魂じゃ」と、役員たちは毒づいた。それを他教のキリストが地下から、いや天上から王仁三郎を擁護してくれようとは。「汝、今後十年間は修行の時機なり。多いなる悪魔と戦い、神の試練にあうべし」 高熊山修行中に神人より受けた神示である。その悪魔とは、まさに大本教祖出口直その人ではあるまいか。 コリント後書第十一章第十四節に曰く。「これは奇しきことに非ず。悪魔も自ら光明の使の貌に変ずるなり」 眩しい白銀の髪に清らかな肌、やさしい童顔には一種異様な霊光を宿し、言うに言われぬ神々しさと冒すべからざる威厳が力強く全姿に加わっている。声音は涼しく、十七、八ぐらいの娘かとまがうばかりだ。行住坐臥の端麗さ、言行一致、一点の私心すらなく澄みきってみえる。 なんぼ悪魔かて、出口直ほど完璧に善の仮面をかぶれるものか。いやいや、それほどの悪魔だからこそ、人を迷わせるのだ。 内田家に通い出し、聖書の世界にのめりこむほど、心は乱れ騒ぐ。 王仁三郎の魂は必死に抗った。信と疑、愛と憎が幾重にもからみ合い、王仁三郎の足を引っぱる。この七年余り直の傍で審神しつづけ、あがきつづけて、ついにはドン底までおちるのか。 激しい惑乱にしびれきった神経を休めようと、花を求めてきた王仁三郎であった。「上田さん、いかがです。疑問は解けましたかい」 内田牧師が微笑んで話しかけた。隣家に住めば、いやでも龍門館での直と王仁三郎の派手な喧嘩を見聞している。我家に庭を持ちながら、わざわざ隣の庭に頭を下げて花を植えねばならぬ養子婿の立場を察して、内田は同情もしていた。「ほぼ……見当がつきました」 淋しい笑いを返す王仁三郎。内田は熱心にすすめる。「あなたのような方を、あの家におくのは惜しい。一家の主は一人、この世を造らせ給うた神もただ一人です。失せたる者をたずね救い給う神にすがって、アブラハムの子に還りなされ」 王仁三郎は内田に向かった。「もし、出口直が聖書でいう偽予言者ならば……わたしたちはこれまで悪魔を助け、不可解至極の産物である筆先を天下に流し、多数の人たちの霊魂を迷わせたことになります。放火や殺人や強盗は確かに重罪でっしゃろ。けど、その罪悪にはまだ限度がある。思想上の犯罪は、人の心を変え、生き方を変えさせ、果ては狂人ともさせて無限に累を及ぼす。それこそ天地容れざる大重罪になります」「それがお分かりなら悔い改めることです。上田さん、あの家を出て教会へいらっしゃい。共に主の道を歩みましょう」 内田のさし出す掌を王仁三郎はそっと押しやり、立ち上がった。「一旦縁あって母子の契りを結んだ以上、わしは義母を見すてて去ることはできません。義母の迷妄がどれほど深かろうと、それを正道に引き戻してやるのが、どうやらわしの神から与えられた試練と思います。まだ時間はかかりまっしゃろが……」 臥竜亭に帰った王仁三郎は、役員たちのいないのを確かめて、『道の大本』八巻の執筆にかかる。第一章、第二章と教えについて書き進め、筆を置いて読み返す。苦労をして書きためた多くの書を役員たちに燃やされた悔しさがよみがえる。感情の激するままに、一気に筆を走らせた。
  第三章一、丹波のある所に曲津神の集まる巣窟ありて、あまたの悪魔あらわれ、偽救世主をあらはして、世界を乱し破らんとす。王仁、天津神の命もてこの曲津神を国家のために打ち滅ぼさんと日夜心を砕きたり。二、曲津日神は常識を缺きたる頑迷固陋のしかも朴直なる婦人の心にひそみ、常に偽善をもちて人をたぶらかすをもって、唯一の方法手段となしつつあり。三、その婦人は年老いたるものにして、事の理非曲直を深く考え察するの明なければ、自ら妖神の言を固信し、世人みな濁れり我一人清めりとなして、偽救世の説をとなうるなり。四、その説一として国家社会に害毒を流さざるはなし。曰く財産家は天の罪人なり、曰く漢字は国害なり、学校は害物なり、商工業は小にせよ、外国人は排斥せよ、服は和服にせよ、洋服は神意に反す、種痘は汚穢なり神慮にかなわず、桑を造るな、蚕を飼うな云々、一として生成化育の神意に反せざるはなし。これ妖魅の言辞にして社会の破滅を好むものたること言をまたずして明なるところなりとす。五、曲津神は老いたる婦人の口を借り手を借りて世の中の多くの人をあざむかんとするなり。六、曲津の曰く、三千世界を一つにまるめて神国にするぞよ、戦いがあるぞよ、東京へつめかけるぞよ、外国は地震雷火の雨降らし人を絶やして神国にいたすぞよ、世界の人民三分になるぞよ、この神にすがらぬ者は谷底へほかしてみせしめにするぞよ、神には勝てぬ往生いたされよ、はよ改心いたした者は早く助けてやるぞよなどと毒舌をふるうて、人を迷わせんとはするなり。七、王仁その曲津を愛さんと思いて、浄心の本たる霊学をもってこれに対するや、かれ曲津神大いに恐れ忌みて、またもや口と筆もて王仁を傷つけんとはせり。八、曲津神に心の根城を奪われて、山口あか(著者注・出口直を指す)といへる女、曲津狂祖となり、たかむらたかぞう(中村竹吉を指す)たかす迷ぞう(四方平蔵を指す)などその手足となりて、この豊葦原の瑞穂の国を汚し破らんとつとむ。九、されどもはや瑞の霊の大神の宮居たる審神(者)の王仁、ここにいよいよ正義の矛をとりて現はれきたれば、いかでかかる曲津神をこの世にはびこらせおかんや。十  すなわちここに直霊の霊の剣もて天の八重雲を吹きはらい、日月の光ここに現われたれば、いまや曲津は苦しみもだへつつあるなり。
  第四章一、かれ曲津神にあざむかれて上杉の山の畔より、このしたのけんたろう(木下慶太郎を指す)という者、現われたり。二、かれけんたろうは心の根城を奪われて、ついに蛭子となり、ここにまたもや曲津神の言葉によりて、うらをこと(不詳)、おりついしまつ(森津由松を指す)の二人の正しき者の家屋敷、畑を打ち破りぬ。三、王仁かかることもありはせぬかと常に心をわずらいて、自ら取調べのためにあまねく迷える羊(信者を指す)の家に行かんとするや、山口の大曲津神は八十曲津神をしてこれをさえぎり、とどめたり。四、王仁を高き木の上にかけおきて、かれ八十曲津神ども王仁の下り行かんとする道をさえぎりて、ますます偽救い主の言葉をたて、誠の教えの光を包み隠さんとはなしぬ。五、王仁ここにうらをことらが家または屋敷など食い破られたるを憐れみ、わが弟の幸吉をつかわして、再び家を作り田を設けしめんとするや、ここにまた大曲津神あれいでてさやりしかば、ついに果たさざりき。六、かれここに王仁はうらをの身の上を憐れみて、昼夜となくかれが身のすこやかにして、再び家を興し田をもとむるのみ恵みを与え給へと、今におき祈りつつあるなり。七、おりついしまつもまた元の身にならんことを、王仁、昼夜祈りつつあれども、いまだに全く悔い改めずして迷いつつあれば、今しばしは救うの道なし、ああ悲しいかな。八、曲津神の言葉によりて、ひの木やま(現瑞穂町桧山)の畔に、さかはらのいのすけ(坂原巳之助を指す)またその身を食い破られぬ。かれ食い破りたる曲津は、おさき(不詳)といへる者なりき。九、人はその心に直霊の霊を天より下されあれば、常にその直日によりて省みざる時は、かかる曲津神にたぶらかさるに至るべし。十、神と聞きて一と口に信ずるなかれ。あくまで疑いてのちに信仰すべし。
  第五章一、邪神悪魔にはすべて威霊なく、奸智ありて真智なし。二、邪神は大に知識の進歩を忌むなり。故に学術を嫌いて社会を愚にし、かつ暗黒ならしめんとするものなり。三、偽善を唱えて愚かなる人々をあざむき、罪汚れに導かんとするものなり。四、学問あり知識ある者を恐れて、これを退けんとするなり。ことさらに神の言なる霊学すなわち本教を忌むものなり。五、偽信は大に知恵と学とを恐るその故は、知恵と学とは曲津の国を滅ぼして天国をたつるものゆへに、曲津の棲家を奪はるるゆへなり。六、王仁、学問をもって神の国を作らんとするや、かれ大曲津神、山口のあかをそそのかして、於与岐の高山弥仙山に隠れ行き、自ら偽りて天の岩戸開きと唱へ、ここに再び多くの愚かなる者をあざむきたり。七、三日も日輪が上がらぬことが今にくると唱へて数多の信徒をあざむき、種油を多く買い置きさせ、その時きたりてもやっぱり日輪はこうこうと輝き給へりしかば、かれ曲津神の巧みなる、世の中の人の心が暗いといふて知らしたるなりと、実にづうづうしさの限りといふべし。八、王仁、惟神の道によりて神界の審神をなすや、かれ曲津神いたたまらず苦しまぎれに筆もて王仁のことを悪しざまに書きなし、かつ正神界をののしり、大恩受けし人を傷つけんとこそ企みて、日夜悪しき業のみ行ないつつも、誠の行いなりとて誇りたかぶりおれり。九、世界中残らず汝のものになると曲津のたばかりことをば真に受けて、しじゅうなぶられている山口のあかといふ人こそ気の毒の至りなり。十、王仁はのがれぬ仲ゆゑ、どうぞしてその迷ひの目をさましてくれんと思へども、かれすでに心の中より曲津に化かされをるゆへに救ふのみちなし、アア。
 王仁三郎は引き続き第六章、第七章、第八章を書き終え、第九章に進む。
  第九章一、大曲津神、八十曲津神どもにあざむかれて、畏れ多くも天神地祇の神霊の憑らせ玉へる神号幅守札ならびに辞令書などを渡したる信者は、知らぬこととはいひながら、少しも罪なきものといふべからず。二、おのおの人は天津神より賜わりし直霊の霊あり。この霊の光らざりしがゆへに、かれ八十曲津神にあざむかれて、知らず知らずのうちに神明に対して不敬の罪を重ねおるゆへなり。三、直霊の霊に曇りある者は、すでにその心に大曲津ひそみおるがゆへなり。四、大曲津の指図に従ひて信者より尊き神号などを奪いとりたる者の罪はなかなかに重し。されど奪われし者も罪なしといふべからず。なんとなれば、わが家の神床に祭りある神はわが家のもの、守るべきは信者たるの勤めなればなり。五、王仁は常にこれらの役員信者の罪を許されんことを日夜神に祈りて千座の置戸を負いて耐えしのびたりき。六、これらのことをあまねく信者に告げてあやまてるを改めしめ、汚れたるを清めんとはするなり。七、上田王仁三郎、いまや天津神のみ許しを得て、蜂の室、百足の室屋、蝮の室屋を逃れいで、ここにいよいよ救いの旗を押し立てて、狭蝿なせる曲津の砦に進撃せんとす。汝ら、世のため道のために我と共に千座の置戸をおいて立て。
 表に鈴の音、やがてあわただしい足音をたてて四方祐助が入ってきた。王仁三郎はあわてて書きかけの書を隠す。「号外やで、会長はん、ちゃっとこの支那文字読んどくれなはれ」 続いて平蔵や中村、村上たちまで目を光らしてつめかけてきた。国の大事を報道する号外の前には、日頃卑しむ四足文字すら気にならぬらしい。 王仁三郎は身を正し、彼らのためにゆっくりと読み下していく。 ――皇軍奉天占領、我軍奉地に進む、鹵獲砲百門、敵死傷十五万、捕虜約五万、我軍急進大風塵起こる。 この日、三月十日であった。
 王仁三郎が疑問を持った直の水行であったが、旧二月のある日、「直よ、水行はもうよいぞ」と、神は言われた。七十歳を過ぎた直の肉体の衰えを、神は案じられたのか。「いいえ、それではわたしはすみません」 そう答えて水をかぶる。水は直の頭上に落ちる寸前にはねとんで、一滴も身にかからなかった。神は笑った。「この神がもうよいと言うたらできぬぞよ」 帰神の初めの頃にも、直は強情はって神に逆らい、同じ体験をしたことがあった。直はそれを思い出し、畏れて水行を中止、以後は手桶に汲んだ水を受けて、髪と額を丹念に清めるだけにした。
 三月二十八日、二、三冊の書を木綿の風呂敷に包んで、王仁三郎は腰にくくる。傘一本、着替え一つなかろうと、本だけはいつも手元になければ落ち着けぬ。今度の旅には、小型の聖書が一冊、こっそりと加わっていた。 四方藤太郎、村上房之助が、人目を避けて由良川沿いの道まで送ってきた。中村竹吉の狂態に不安を覚えた二人は、悪神小松林への警戒を忘れて王仁三郎に接近、その教説とお筆先の間にはさまって、「見当がとれぬ」とすすり泣く。言葉を尽くしてなだめ、励まして、ようやく二人は王仁三郎に傾倒しはじめていた。 反会長派で固まっていた役員の中から二人の支持者を得たことは、頑迷固陋で練り固めた土塁の一角を突き崩した感であった。 いざ別れようとする時、村上のはいていた下駄の前緒がふっつりと切れ、つんのめって危うく転びそうになった。「門出の不吉」とたじろぐ二人に、王仁三郎は笑った。「鉄でできた鼻緒やなし、古びれば切れるのはあたり前やろ。いたちの道きり、蛇のさえぎりを見て旅だちを思い止まるなど、みな昔の迷信家どもの弱い心の迷いにすぎん。誠一筋で出ていく宣教の旅や。おそれずわしの帰りを待っていてくれ」 彼らに別れて一人旅、須知山を越え、台頭、大原を過ぎて枯木峠を踏み渡り、質志神社を横にみて、三の宮のとある小さい茶店にやすらう。 この貧しい店が王仁三郎は好きであった。あめ玉一つ頬張りながら、番茶を飲む。「爺さん、今日は酒はあるかい」「へーえ、あいにく今日も無精してましてなあ……すんまへん」 爺さんが心から恐縮してもみ手する。下戸の王仁三郎だが、あれば本当に酒の一杯も傾けたい気がするほど、この茶店の日に焼けた看板が気に入っていたのだ。実にまずい字で、こう書いてある。 ……さけさかな、あったりなかったり この看板を見るたび、ほっこりと身も心も休まるのであった。 世が栄え、人々が利口になるにつれ、外見だけは派手やかに、たとえ毒があるものでも飾りたてる。五の価値なら十に見せかけるのを当然の商法とする時勢がくるだろう。それが、体主霊従の、われよしの世のなりゆきなのだ。 利口者が正直に勝ち、悪が栄える暗闇の世。心の艮に神を封じこめ、省みる直霊の力を失った人群万類のつくり出す末世の姿なのだ。 ――いつまでも、ここにこうしていておくれ。 風にひらひらする看板を目でいとしみながら、王仁三郎は茶代をおいて立った。 桧山の坂原巳之助宅、園部の浅井はな宅、天神山の裾のなつかしい南陽寺、王子の栗山琴宅と泊まりを重ね、山陰街道を上がりつつ神の道を伝える。少しずつ、王仁三郎の説教の中に、筆先不信、教祖批判がまじる。教祖を立て続けようとする努力は、はっきりと捨てていた。 四月二日早朝、夜の間に自分であんだ草鞋一足をはいて王子を発ち、金明霊学会嵯峨会合所の供川弥一郎宅に着く。供川家は南北朝の昔、北桑田の常照寺より移住した天龍寺の開祖夢窓国師の供人の子孫という。熱心な王仁三郎の支持者であった。ここにしばらく腰を据えて、京都、伏見地方の宣教に心をくだき、想を練った。 十二日、下京区烏丸通綾小路西入に新しく発足した皇典講究所国史国文講習会を訪ね、規則書を入手した。王仁三郎のように、学歴といっては小学校の卒業証書も持たぬ者でも実力に応じて入会でき、志望の学科の終了試験の成績によっては神職の資格も授かる道ありとのこと。 王仁三郎の胸は大輪の花が咲きこぼれんばかりに明るくなった。 よし、苦学をしよう。小さい時からどれだけ学問にあこがれてきたことか。本を読むな、絵を描くな、百姓しろと父にどつかれた。野良仕事や奉公の寸暇に走っていって縁先から障子越しに聞いた金剛寺や穴太寺での塾。南陽寺で受けた岡田翁の薫陶。あとは車力や牛乳配達や子守りの道すがら本を読んだ。 年は三十を五つも越えたが、いまだ人目を盗まねば本も読めぬ境涯にあって、学びたい意欲は熾烈になるばかりである。筆先も霊学も一度は投げ出して白紙に返り、新たに国学の教授を受けたかった。外国の教えである聖書ばかりでなく、古い日本の書物の中からこそ改めて大本を見詰め、深くつかみ直したかった。 本科二年間ではあるが、初めから高等科へ進む自信はあった。供川弥一郎に打ち明けると、在学中の面倒は喜んでみさせてもらうと言ってくれた。 通学路は約二里。王仁三郎は少年のように胸をはずませて、願書と履歴書に筆を走らせる。 その翌日、願書を出しに行って帰ると、供川家の空気が変わっていた。通学の宿のこともしぶりだし、今にも出て行ってほしげなのだ。わけを問いつめると、王仁三郎の留守中に綾部から田中善吉が出て来て、「艮の金神や教祖の御命令で気をつけにきたのだ。上田の貧乏神が帰ってきたら、閾一つまたがせたらあかんでよ。うろうろと会長を歩かせるのは小松林の悪神のせいやさかい、一刻も早く綾部へ追い返しとくなはれ」と告げ、あたふたと出て行ったという。 あてにする宿をことわられては、講習会の参加は無理であった。テンツルテンの王仁三郎には、町の下宿屋を探すだけのゆとりはない。 穴太から来た西田元教と一緒になって、王仁三郎は京都の三ケ所の支部を回った。しかし一足早く、田中善吉の言霊の吹き荒れたあとであった。どこもかしこも居留守をつかったり、顔色変えて箒で掃き出したり、果ては、「貧乏神の祟り神の小松林はん、もう二度と来ては下さるな」とわめく。その指令は徹底していた。 高瀬川に沿って勧進橋のそばまで下りながら、西田がつぶやいた。「田中の奴、今頃伏見の方までまわっとるか知れん。畜生、この高瀬川に放り込んでやりたいわい」 まる三年もかけ、苦労に苦労を重ねて西田の開拓した伏見であった。綾部の教祖さま、筆先を絶対と仰いで今日まで説いてきた以上、その筆先の指令とあれば、根こそぎ崩れていくのは仕方ない。何のための苦労、何のための宣教であったのか。私心のない西田元教だけに、やる方ない憤懣も絶望も激しかろう。けれど、王仁三郎の心を締め付ける国学への、止むに止まれぬ志向をさまたげられた悔しさ、背骨ががちがち鳴るほどの無念さを、西田とて分かりはすまい。 王仁三郎は筆先を呪い、教祖直を思いのたけ罵りたかった。 それぞれの思いに浸って重い足を運んでいると、西田が叫びを上げた。「おう、田中……お前は……」 ひょっこり、目前に風呂敷包みを背にした田中善吉が真っ赤な顔で突っ立っている。「おい、お前、また邪魔しにまわったな」 王仁三郎の怒気に吹っとばされたように、田中は横にとんだ。折しも京都伏見間の電車がそこへ来て停車した。「こら待て、馬鹿もん。馬鹿っ……」 田中は振り返り、やれまあ安心とばかり北行電車に飛び乗った。「馬鹿、阿呆、たわけ奴がっ……」 走り出した電車に、王仁三郎はこぶしを振り上げた。「こんなところでどなる方が阿呆や、兄貴」 西田が袖を引く。「ほんまに、どなる方が馬鹿やのう……」 立ち止まって珍しもの好きの目をのぞかせる二、三人の町人にてれながら、王仁三郎は肩を落とした。「小松林さん、去んで下され。うろうろしはると、ろくなこっちゃないそうどすえ」 案の定、伏見の信者たちは、とりつく島もない応対であった。 二人は宇治町さして日暮れを急いだ。御室支部の南郷国松方では信者たちが待っていた。ここまでは田中善吉の手はのびなかったらしい。四、五日布教して西田を残し、王仁三郎は一人京都に戻った。 供川の家に村上房之助が来ていた。田中善吉の動きを察して王仁三郎の身を案じ、後を追って来たのだ。 仔細を聞いて憤激する村上をなだめ、大堰川に沿って帰途についた。 汽車は走っていたが、汽車賃がなかった。二人合わせて懐中は一銭五厘。元気を出して愛宕山を越えた。四月の半ばというのに、みぞれが降り出していた。日は落ちて空腹はつのる。いっそう吹き降りは激しさを増す。 八木へ立ち寄ると、義姉久は気の毒がって米をかしぎ、もてなしの支度にかかりながら、泊まっていけとすすめてくれた。しかし神憑りの福島寅之助は、やにわに塩を振りまき、竹箒で王仁三郎をはき立てる。 真っ暗がりにとび出た王仁三郎と村上に、久は提燈を差し出す。「きさまも、小松林の眷属か」 狂ったように寅之助は妻の手の提燈を叩き落とした。 京鉄線路の踏切のかたわらに荷物を下ろして、村上は着たきりの王仁三郎に着替えを出してくれた。蓑笠支度の村上はまだしも、王仁三郎は全身ぬれそぼっていて、震えが止まらないのだ。どうやらみぞれは上がったらしい。手探りで股引、脚絆をつけかえて、それでも震え震え、夜更けのどろどろ道を園部まで辿った。 往きとはうってかわって、浅井宅でもあしらいは冷たかった。もうここにも田中らの手は回っていた。 一夜をここで過ごして、翌二十三日、桧山の坂原方へ。巳之助は不在で、女房が口ごもった。「今しがた田中はんがおいでて、艮の金神さんのお気障りになるさかい、小松林はんが改心しやはるまで茶一杯飲ますやないと……」 無言で二人はきびすを返した。越えるべき山坂までが、胸をつく険しさに思えた。須知山峠の茶店で立ち止まる。昨日から、宇治よりの山坂二十四里をろくに飲まず食わずで歩き続けてきたのだ。一銭五厘で、二人の空腹の虫をおさえるものはないか。 王仁三郎は水桶の中のこんにゃくをつかみ上げた。「婆さん、いくらやい」「五厘じゃで」「よっしゃ、三枚もらうでよ」 銭を置くなり、一枚のこんにゃくを半分に引きちぎって村上に渡し、一枚ずつ生のまま頬張った。ぷりんとした歯ごたえとのどに通すときの量感が、涙の滲むほどうまかった。 須知山峠の頂きから望む北東に、弥仙山のとがった頭がかすんでいた。村上は、神霊こもる頂上の宮に心を馳せて手を合わした。 ――大橋こえて、たずねに行くとこ、他にはないぞよ。肝心のこと放かいておいて、先へ行こうも行方わからず……。 村上が唱えているのは、弥仙山篭りの時の筆先の一節ではないか。「おい、中村の真似すんやない」 王仁三郎が村上の背を小突いた。振り向いた村上の顔は涙だらけだった。「先生、あの時なんでわしの下駄の緒が切れたか……大橋こえて、他に行くことはならぬと、神さまが気付けてくれちゃったさかいや。それを……小松林に引かれて、わしまで越えてしもた。わしの心は二つや。二つに引き裂かれてしもたわい」 王仁三郎の頬も歪んだ。「信仰なんぞ止めたる……こりごりや……苦しいばっかしや……」 泣きながら走る村上を追って、王仁三郎は峠を下った。由良川の川波が、王仁三郎の涙の中に光っている。大橋はもうそこであった。               

表題:椿の寝床  8巻13章椿の寝床 



 十九世紀末よりロシア帝国は皇帝専制政治を強化し、特別な権限と役割を与えた貴族を皇帝権力のよりどころとして、国民の窮乏をかえりみなかった。国民の不満は高まって社会主義思想を生み、そこには現状の改善に絶望した革命的気運が急激に燃え上がっていた。革命的危機を国外に振り替えるために、日本との戦いに突入しながら。 明治三十八(一九〇五)年一月一日、難攻不落を誇った旅順要塞が陥落したことは、ロシアにとってたいへんな衝撃であったろう。敗戦の報あいつぐ一月二十二日、首府ペテルブルグのある工場で起こったストライキをきっかけに、十数万の人々が冬宮へ向かって示威行進をはじめた。「正義と保護をもとめて陛下のみもとにまいりました。……専制政治と暴圧のため、息がつまりそうです。この苦痛を続けるくらいなら死んだ方がましです……」 そう請願書に訴えた群衆に、近衛兵の一隊が発砲した。聖像と皇帝の肖像をかかげて逃げまどう罪なき三千余名を殺傷したいわゆる『血の日曜日』である。 皇帝ニコライ二世はこの事件に関して「彼らの犯行を許す」と演説。人民が血を流して訴えた窮状も、皇帝の目には犯行でしかなかったのか。悲憤の涙をのむ民衆は、何が本当の敵かを知らされたのだ。 この悲劇を導火線として第一次ロシア革命が勃発、意外に手強い日本軍を前に、ロシアは全力を傾注できない状態に追い込まれていく。 三月十日、日本軍は奉天占領。 破竹の進撃を続けながら、軽量級の日本の出血も大きかった。戦力はすでに涸渇し、立つ足元すらよろめきかねない。 ついに、日本艦隊殲滅を期して、強大なバルチック艦隊が動き出した。これを迎え撃つ海軍は、制海権を守って、日本の興亡を負わねばならぬ。 五月下旬、安南沖に近づいたバルチック艦隊の航路は、その後、杳としてつかめなかった。東郷指令官以下参謀、幕僚の悩みは、かかってこの航路の判断にあった。対島海峡を通るか、太平洋を迂回して津軽海峡に出るか。ウラジオへ入る四航路八海峡のうちどれを選ぶか。去就不明の敵艦隊を求めて必死にさまよう哨艦。 国民は知らず、天皇は積もり積もる心労に回復おぼつかないまでの病の床にあったという。
 ――上田は心で往生しておりても負けることのできん霊魂の性来であるぞよ。素盞嗚尊の霊魂は表役のでけん霊魂であるが、表役いたそと思うから、この世いまの体裁であるぞよ。素盞嗚尊の霊魂がはびこりたら、この世に口舌はいつになりても絶えんぞよ。この世がくるのは、むかし泥海の中に善一つの月の大神さまおいで遊ばすおりからよくわかりておりての、日本の仕組みであるぞよ。露国の極悪神のわるきたくみにいたすのがよくわかりておりての、長い大神さまの御艱難。この極悪霊魂をたいらげるには、日本の国には素盞嗚尊の霊ではでけん仕組みがしてあるから、往生いたさなならん時節が参りてきて、隠居役とあい定まりたぞよ。駿河の稲荷講社の神には、綾部の大本から給仕はでけんから、その方の系統から給仕をさすぞよ。改めてみたら、今では位田の村上房之助、四方藤太郎二人。(明治三十八年旧三月二十六日・新四月三十日) 高々と読み上げつつ渡り廊下を行ったり来たりしていた中村竹吉が、臥竜亭の障子を引きあけた。「先生、今出た筆先ですで。バルチック艦隊が日本を狙っておるこの大事な時に御隠居役。やれやれ改心でけんもんは仕方ない」 中村竹吉は筆先を机辺に置き、寝転んだなりの王仁三郎を哀れむ風に眺めて出て行った。王仁三郎は筆先を引き裂こうとして、手を止めた。 露国の極悪神を平げるには素盞嗚の霊が邪魔……わしを隠居役にしてまず表の活動を封じる。そして……何を考えているんだ艮の金神は……。 起き直って、何度も筆先をむさぼり読んだ。 その方の系統から給仕をさす……やと? 房之助、藤太郎の心が筆先を離れてわずかながら王仁三郎に傾いていることを、さすがに艮の金神は鋭く見抜いている。筆先を悪魔の所産と決めつけたわしの心など、とうに見破っていよう。田中善吉を使って、京都、伏見の拠点をつぶしわしの手足までもぎとっておきながら、この上、何をしでかそうというのだ。
「先生、うち、もうどうしてよいか分からんわ」 澄が投げ出すような坐り方をして、王仁三郎を見上げた。「またあいつら、何かやらかしたか」と、うんざりした顔を妻に向ける。「教祖はんですわな。海の底に住む龍宮の乙姫さまが改心できて、今度、龍門館へお上がりになる時節が来たげな。それで教祖はんは、乙姫さまをお迎えに龍宮へ行ってんやげな」「あほらしい。まともに聞いとれんわ」「けど母さんにとっては冗談やないもん。まず沓島まで行けば、それから先は神さんが連れて行ってくれてんやげな」「つまり沓島参りか、ちっとは年を考えたらええのに。もう七十やさけ、あの荒海ではのう」「それも今度は普通の参拝やござへん。『供がいると気が散るさかい一人で参る。誰もついてくることはならん。お篭りは四十日間ほどと神さまが言うてなさる』……と」「無茶な、沓島は水一滴出ん無人島やで。温泉に逗留するのとわけが違う。若い元気者でも、一晩だっておれるものやないわい」「やっぱり先生が考えても無茶じゃろ。うちも無茶じゃと思うさかい、毎日止めてたんですわな。うちらが反対したからというて聞く人やござへんでなあ」「待て。言い出したんは今日やないのか」「四、五日前から……」「何故わしに……わしに隠しとった。役員は知っとるのか」「へえ、知っとってです。先生に言うたらまた喧嘩になると思うたさかい……十日立ち(旧四月十日)じゃさかい、もうなんぼも日がござへん」 伏見、宇治地方の宣教から帰って以来、王仁三郎は臥竜亭に閉じ篭って、役員ばかりか教祖直の前にすら顔を出さなかった。それにしてもこれほど重大な問題を、同じ家内にいながら知らされなかったのは心外だった。「隠居役に定まりたぞよ」の筆先を早速実行に移しやがったと腹が立つ。 爆発を押える王仁三郎に頓着なく、澄は筆先を示した。 ――末代に一度ほかできん変性男子の大望な御用に連れ参るものであるから、実地の神が世に出る大望な御用であるから、留守をしっかり頼むぞよ。(明治三十八年旧四月三日) ――何が大望や。勝手に日本海の荒潮に吹きさらされてこい。……待てよ、日本海。そうか、近づきつつあるバルチック艦隊や。日本の戦勝祈願か。 神の子たる人と人とが命を奪い合う戦争を、王仁三郎は憎む。絶対否定の立場に立つ。が、現実に日露が戦火をまじえると、皇軍の勝利を祈願せずにおれぬ自分を発見する。まして、権勢の世界に権勢を否定し、黄金の世界に黄金を蔑視する直である。 神が露国を極悪神と決めつける以上、日本の危機は純粋に鋭く直に迫り、ただ一人立ってバルチック艦隊を引き寄せ叩きつぶす悲壮な幻想にでもとらわれているのであろう。 その感情には共感もできるが、わが身を生死の竿頭におき祈ることによって国難を回避できるなど、いかにも直の考えそうなことだ。祈りはどこでもいつでもできるはず、祈る場所や状態を極限に置かねばならぬなど、むしろ体主霊従的行為ではないのか。 直のすることに一々ダメを押さずにおれぬ、おのれが悲しい。「いよいよ大望成就や言うて、役員さんらは喜んどってやで。先生、止めさしとくなはれ、うちの手にはおえまへん」「やれやれ、厄介な婆さんじゃ」 つぶやきつつ、王仁三郎はゆらりと立ち上がった。 神前では役員たちが何やら協議していたが、王仁三郎が上がってくると警戒するように黙した。 王仁三郎が来ることを予期したのか、直は襖をあけ、穏やかに迎えた。久し振りの直に対して、王仁三郎は虚心になれぬまま、不機嫌をむき出しに坐りこむ。「教祖はん、今度龍宮へ行かはるそうやが、わしは反対ですで。夢物語に誘われて行先も確かめずに年寄りを出すわけにはいきますかいな。第一、沓島やいうても、何十日篭るなんて、なんぼ神さんの命令か知らんが、正気の沙汰とは思われまへん」 直は微笑を返した。「先生、神さまはこうおっしゃるのやで。『今度の龍宮行きは変性男子の行の上がり、つらいが百日の行をせよ』、わたしはそのつもりでいましたら、後になって『その覚悟ができたら、四十日でよい』と言いなされた。神さまの御都合でまた縮まるやら知れまへん。それに、さっきお筆先が出て、供を二人連れて行くことになりましたで。先生のことも書いてござるさかい、拝読しておくれなされ」「――変性男子の身魂が龍宮のお宝を受け取りに、後野市太郎と大槻伝吉を連れ参るぞよ。上田もこれまでは御苦労なおん役でありたが、変性男子との戦いでこの中の役員も気苦労でありたなれど、坤の金神の守護とならんと和合はできんぞよ。澄はこの先は金勝要大神となりて、さっぱり心を変えれば仕組み通りになりてくるぞよ」 王仁三郎の腰に引き裂くような痛みが走った。持病の神経痛の再発だ。三十代半ばにして神経痛に悩む王仁三郎には、七十歳で無人の岩山に四十日の行をしようという直が不気味な妖怪にさえ思えた。
 王仁三郎の力でも、直の決心をくつがえすことはできなかった。筆先は次々に出て、中村竹吉が三方に捧げ、腰の痛みに呻吟する王仁三郎の枕元へ持参した。 ――種まきて苗が立ちたら出てゆくぞよ、刈込みになりたら手柄をさして元へかえすと筆先に出さしてあろうがな。ほのぼのと出てゆけば心さむしく思うなよ、力になる人用意してあるぞよと申してあろうがな。(明治三十八年旧四月七日) 老体を案じる王仁三郎や澄の心弱さをさとす如くにである。 神言を信じて、隣村へでも行くように平静な直。 ――上田は緯のおん役。経に敵対う役はすみておるぞよ。坤の金神の御用にならんと世界の人民が長く苦しむぞよ。経から出たことをそむいて何いたしても、一代ならんぞよ。(旧四月七日) ――善一つをつらぬくのは、今の人民から見ると悪に見えるなれど、今の世界のやり方は極悪神のやり方であるから、良いようにあるなれど、一日ましに世界はいったん悪くなり世界の人民がみな苦しむから、みろくのやり方に変えねば、これまでのやり方ではもういけんぞよ。(旧四月七日) 直や筆先に深い懐疑にとらわれている今、艮の金神は、横役が経役に敵対う役はすんだと宣する。また王仁三郎の疑惑に答えるが如く、今の人民の視点に立てば善が悪に見えるとさとす。 腰の疼きに耐えつつ、だまされまいぞと自分に言い聞かすのであった。 出発の前日、即ち五月十三日の夜、大槻鹿蔵が血相変えてどなりこんできた。直に向かって、鹿蔵は開き直った。「いくらお前さんのお腹を痛めた子でも、大槻へくれたら大槻の世継じゃ。その大事な息子を龍宮やらどこやら命も保証できん海の底なんぞやることはできん。それでもどうでもつれて行くと言うなら、命がけの大事じゃさかい、命とひき合うだけの高い日当を払うてから連れて行け」 要約すれば、こういうことである。役員たちは、ひっそりと二人の応対を眺めている。鹿蔵のがなり声は、王仁三郎の寝ている臥竜亭にまで聞えていた。対する直の声は平素と変わらず、はっきりと聞き取れぬが、沓島行きの意義を説き大槻夫妻の改心を迫っている模様、行燈の火に照らされて、二つの影が揺れる。 王仁三郎は仰臥したまま動かなかった。心の奥底で鹿蔵の言い分に加担し、同情している。「どんなことがあってもお前らに伝吉は渡さん」 捨てぜりふを残して鹿蔵が帰ったのは、もう夜半であった。後で聞くと、澄がそっと鹿蔵の袖の中に金を入れたらしい。
 五月十四日(旧四月十日)、綾部ステーションに時ならぬ人の群れ。蓑笠付けた出口直、大槻伝吉、後野市太郎の一行三人とそれを送る家族や役員信者たちであった。 選ばれた喜びを白皙の頬に輝かせた後野市太郎と対象的に、大槻伝吉は沈んでいた。 実際、伝吉にとって、今回の旅ほど迷惑至極なことはなかった。いくら出口直の実子とはいえ、大槻家の頽廃した空気に育てられた伝吉は、信仰とは縁遠かった。神の存在を否定するわけではないが、積極的に母にかかる神を信仰する気などなかった。それが寝耳に水の龍宮行きの供である。龍宮へ行って乙姫と対面する興味など、さらさらない。白羽の矢が立って人身御供にされたようなものだ。それに義父鹿蔵は、「ぜったい許さん。行きたきゃ勘当しちゃる」と言う。 昨夜まで断わるつもりであった。が、突っぱねて見ると、不安が狂おしいまでに募った。もし供が後野市太郎一人ならば、いや迷信家の役員どもの誰が幾人行こうとも、直が龍宮へと言えば、喜んで共に海へ飛び込むだろう。そんな時、腕づくでも引き止められるのは、わししかいない。 伝吉の旅立ちの決意を聞いて鹿蔵は怒ったが、最後には意外とあっさり折れた。「しゃっちもない、それなら勝手にせい。いざとなったら、お前だけは逃げ帰れよ。まあ、日当だけはわしががっちりもろといてやるわな」 伝吉が供すると聞いて、米の顔に安堵の色が浮かぶのを、伝吉は見逃さなかった。日頃、母となると目の仇にする米だが、やはり肉親の血が勝つらしい。見送り人の群れの背後に、米と妻みつ代が二人の子を連れて、遠慮がちに立っていた。 綾部発午後十時四分の下り列車は、三人をのみこむと、汽笛を残して去っていった。 澄の肩にすがっていとも情けない恰好で見送りに来ていた王仁三郎は、去りがたげにしている米に声をかけた。「お米はん、伝吉さんのことは心配いらんで」「海の底の龍宮へ行くげなが……阿呆につける薬はないわな」と、吐き出す米。「龍宮というのはたとえなんや。世の元の正真の神が艮の孤島に押し込められていた。その神々を世にお出ししたのが三十三年の冠島開き、沓島開きや。筆先では、龍宮の入口が冠島、龍宮海をへだてた沓島が龍宮と教えられとる。つまり、陸の龍宮が大本の龍門館なら、海の龍宮が沓島や。教祖はんも自分で書いた筆先じゃで、知らぬはずはない。わしはのう、今朝、神さんから教えられたが、一週間か長くて二週間もすれば帰ってきますで」 四方平蔵が聞き咎めた。「いやいやどうして、そんなちょろこいことやござへんで。人間では行けん所じゃと神さまが言うちゃったさかい、沓島から海の底の龍宮へ渡ってんに間違いござへん。龍宮城へ行ってすぐ帰るのも愛想がないさかい、乙姫さんの歓迎を受けたりしとると、四、五十日はたつじゃろ。どっさり宝物を持って帰ってですわいな。お米はん、あなたは教祖さまの実子じゃけれど、鬼と蛇の夫婦の型をさせられとる御苦労なおん役、それまでに改心しとかんと、あいた口がふさがらんことになりますで」
 舞鶴の大丹生屋についたのは午後十一時近かった。かねての手はず通り、後野市太郎の父滝三郎が用意した梱包はすでに真倉より届いていた。沓島へ持参する携帯品と食糧一切である。 船頭はもうすっかり馴染みとなった田中岩吉と橋本六蔵の老練二人。空にはいっぱいの星、渚には夜光虫がきらきら夢幻の光をただよわせていた。 博奕岬を通る頃から、初めての海で伝吉は酔い、夜じゅう浪に揺られて舟底に伏した。その蓑の上に冷たく波しぶきが降りかかる。 海上を火色に染めてさし上る日輪を拝み、朝八時頃、鯖鳥の大群の歓迎を受けつつ冠島に上陸、石の鳥居をくぐり、老人島神社の社前で長い祈祷を捧げる。 再び舟に戻り、龍宮海を越えて沓島へ向かう。冠島と沓島の距離一里余り、その中間点の白く泡立つ中津神岩を過ぎると、沓島はぐんぐん大きくなる。「不思議や。今頃、まだ雪が積もっとるでよ」 初めて沓島へ渡る伝吉は、荒い波に舟端をにぎりしめつつ首をひねった。沓島の中腹以上が雪をかぶったように白い。艪をこぎながら、岩吉が波の音に負けまいと、塩辛声をはり上げた。「あれは自然ばえの菜種ですわ。ちょうど今が花盛りやでよう」 沓島の岩壁に近づくと、海猫(カモメ目の海鳥)の声が耳をつん裂くばかりかまびすしい。五年前、地獄の上の一足とび、王仁三郎が守宮のように吸いついた釣鐘岩を迂回して、船は波浪に浸蝕された深い洞穴の中に吸い込まれる。 明治三十三年の冠島、沓島開き以来、大本の人たちによって毎年参拝が繰り返されているので、その度に名指しで雇われる岩吉、六蔵は、島の案内に詳しくなっていた。彼らの経験は、風向きの関係で、今、この場所が一番静かで上陸に適しているはずと判断したのだ。 沓島全体は紫褐色の巨大な岩だが、この地点の岩肌は深い鴇色、深緑色がまじり合い、その神秘で微妙な色合いは想像のほかであった。 大波から大波の律動をはかり、その間の小波のうちにうまく船を操り、岩壁にすり寄せる。六蔵が切り立つ絶壁にしがみつき、よじのぼる。上から投げる綱を岩吉がしっかり受けて、船にくくりつける。また小波の間に直が岩壁に取りつき、誰の力も借りずによじ上った。沓島に近づくにつれ戦慄を禁じえなかった伝吉は、恐怖に膝の震えが止まらぬまま、市太郎や岩吉に手を引かれ尻を押されて、必死で上陸した。 全員が上陸を終わり、梱包を解くと、直は船頭に労を謝してから言った。「どうぞ気をつけて帰って下され。二十日たったら迎えに来ておくれなされ。そしてわたしらの姿が見えなんだら、あと二十日して迎えに来て下されや」 船頭は耳を疑った。最初から言えば船頭は船を出すまいという懸念から、直は沓島篭りの決意を彼らに打ち明けていなかったのだ。 改めて後野市太郎から説明を受けて、二人は愕然となった。「この島には大きな長ものがおるというので、昔から誰も恐れて近づかぬ島やでよ」「長ものは神さまのお使いです。なに怖いことがありますやろ」「それでも水一滴もなし、こんな岩の上で五日はおろか一夜も寝ることはできまへん。どうぞこの舟で帰って下され。わしらだけ戻るわけにはいくかいな」 訴える岩吉の眼に、涙が光った。 直は微笑を浮かべる。「この度は神さまの御用ですさかい……」 人を引きつけずにおかぬその微笑が固い決意の盤石の上に張りついたものであることを、岩吉と六蔵はこれまでいやというほど思い知らされてきた。もしかするとこの人は生神やないかという、素朴な信仰すら芽ばえていた。 二人は返す言葉もなくひざまずき、祈るように頭を下げた。「それではどなたも御機嫌よろしゅう……」 船頭は、この世で生き別れする思いで、振り返り振り返り去っていく。 伝吉はまさに鬼界島に流された僧俊寛の心境であった。「わしを連れて帰ってくれ」と、遠ざかる船に絶叫したかった。が、実母への愛がそれに克った。 海の際には丹後半島がうす紫にけむってはいても、孤島の寂蓼感は変わらなかった。直七十歳、大槻伝吉二十九歳、後野市太郎二十一歳、合わせて百二十歳の年輪はこれ以上数えることなく終わるのではないかと、伝吉はもだえて思った。
 気がつくと、市太郎は直の傍にはべって、墨汁と筆をさし出している。上陸地点上方の窪みに立って、直は筆にたっぷりと墨を含ませ、力をこめて岩壁に神号を書き付けた。うしとらのこんじん ひつじさるのこんじん きんかつかねのかみ りゆうぐうのおとひめ いわのかみ かぜのかみ あめのかみ じしんのかみ そのたのこらずのこんじん 筆は踊るように速度と力を増す。凹凸の激しい岩肌に墨は流れ、かすれる。 直はその神号に向かって伏し、長いこと岩に額をつけたまま頭を上げぬ。市太郎は土器がないまま、岩の小さな窪みに油をそそいで、神火をともした。 伝吉はまだ呆然と立ったままだ。一つとして平たい場所のない、土さえもない岩穴だらけのどこに坐れよう。潮騒が島全体を揺り動かさんばかりの勢いで打ちかかる。「まず、島の探検にかからんなりませんなあ」と、市太郎が言った。 震える足を励まして、伝吉は先を行く市太郎の後を追う。 船を着けたすぐ上に畳二枚分ほどのやや円形をした水たまりがある。始終、潮を打ち上げていた。恰好な天然の水行場となろう。次に塒を求めて島の頂上を目指した。岩は軽石状で、はだしで歩いてもさほど痛くない。 中腹から上は一面に丈高い菜種が密生していた。菜種に没しつつ体でかきわけて進む。足裏の感触が妙に柔らかいと思うと、不意にずぶずぶと膝まで沈む。泥ではなかった。海猫の糞の、沓島始まって以来の堆積なのだ。この糞と海猫がくわえてきた貝殻が最高の肥料となって、どこからか運ばれた菜種を化物ほどに成長させた。軸の太いところで直径一寸五分、高さ七尺もあるのだから、欝蒼たる菜種の密林だ。 花の香りで息がつまりそうになりながら、ふいに市太郎と二人、小人になったような心細さであった。 ようやく頂上に達すると無数の海猫の群れ。恐れげもなく足元まで近寄ってくる。海猫の卵がそこここに転がっていた。種々の樹々の生い茂る冠島と違って、全島岩ばかりの沓島には、菜種の他に僅かに茅ばかり。が、頂上の八畳ばかりの間だけ椿の木が茂っていた。それも上には伸び得ず、葡萄棚のように横に枝を張っている。雨露をしのぐにあつらえ向きだ。枝の下は天然のまま、人の手を入れたことのない蒲団であった。落葉が積もり積もってザクザク、ふかふか。「ここや。ここを寝場所に決めよ」 伝吉が嬉しそうに叫ぶと、市太郎がこわい顔になった。「あきまへん。ここは水行場に遠すぎる。それにこの絶壁を一日に何度もよじ上るのは、教祖さまには御無理や」 実の子伝吉がそこまで察しもせぬのに、八歳も年下の他人の市太郎が直の身になって案じる。恥ずかしくて伝吉は黙した。 寝場所を求めつつ帰途についたが、どこにも平坦な場所などなかった。横になれば転げ落ちるばかりだ。「寝場所はあそこしかないでよ」 市太郎は、沈痛な顔で直の祈っている場所続きの一部を指さした。水行場のすぐ上で、牛の背の形をして海中に突き出した岩である。屏風岩の影に、三人が重なり合うようにして身を寄せねばならぬ。下手に寝返りを打とうものなら、牛の背をすべり落ち、たちまち海底へ転落するではないか。 抗弁しようとして、伝吉はあたりを見回した。しかし、そこしかないことは、伝吉にもよく分かっていた。 寝場所の片側は船の入った深い洞穴の入口である。紫色の水が淀んでいて、ものを言えば奇妙な響きがはね返る。自分の声とは信じられぬ不気味さ。洞穴の奥には、この世ならぬ生き物が眼を光らせていそうである。「さあ、御膳にしましょう」 祈り終えた直が二人を手招きした。伝吉は急に空腹を感じた。もう陽は頭上に傾いている。正午はとっくに過ぎたろう。不安のあまり忘れていたが、朝食さえ食っていなかったのだ。 伝吉は市太郎に手伝って、いそいそと荷を開いた。 ――半紙一〆(二千枚)、筆、墨、種油一升、燈心、火くち、火打ち金、それに三人分の茣蓙、笠、朝顔茶碗、さじ、次に食糧品としては煎り米二升、麦粉(はったい粉)二升、砂糖一斤半、直径三寸五分に長さ一尺六寸の竹筒一杯の水。 直は茶碗に麦粉を小さじ三杯、砂糖一杯分づつ盛り分けた。市太郎が自分の茶碗に汲んできた海水で三人分をとく。「あの……昼飯は……」と、伝吉が訊いた。「昼御飯はこれですわな」 初めは冗談かと思ったが、冗談を言う直ではなかったと気がついた。かすれた声で伝吉は念を押す。「おかずは……ないんじゃろか」「おかずと言うても、海の水は程よう塩味がついてござるし……」 まだ信じきれぬ思いで、伝吉は茶碗の底の焦げ茶色のどろどろを眺めた。 食後、市太郎が岩の上に携帯品と食糧品を並べて計画を始めた。「何しろ桝物というては全部で六升きり。四十日お篭りして三食いただくとして、三人で三百六十食じゃろ。割ってみると、伝吉はん、一人一食が二勺にあたらん勘定になるでなあ」 当然のように言う市太郎の口元を、伝吉はまじまじとみる。「二勺いうたら……あの……」 こらえていた嘔吐が、鼻から、口から、否、耳や肛門からも一度に噴き出した気分であった。 迂闊なことだが、直の供をすべきかどうかということばかりに気をとられていて、どんな準備を整えているのか確かめようともしなかった。沓島へ着いてからさえ、荷物といえば梱包一つしかないことにも気を止めなかった。 祈る思いで、伝吉は市太郎に向う。「まさか……荷物はこれだけじゃなかろ」「これだけや。教祖さまが言うちゃった通りの物をきっちり計って、父さんに用意させたんやさかい……」 頭に血がのぼって、伝吉は思わず舌がもつれた。「いくら教祖さんの命令でも……考えてもみい、これっぽっちで四十日も食いつなげるか。母さんはよいか知らんが、わしらが……なぜ気をきかして……」 伝吉は絶句した。情けなさに言葉も続かぬ。市太郎は困ったように言った。「もし、神さまのお許しなさった以外の物が入っていたら、海の底の龍神さまにお供えせんならんことになろうなあ。物見遊山に来たのではない。教祖さまの最後の行の上がりやさかい……」 伝吉は頭を抱えこんでうめいた。 麦粉をなめ終わったあと、すごくのどが乾いていた。 竹筒をつかんで、市太郎が言った。「水はそれ一筒やでよ。一日に一滴半といいたいところじゃが、二滴……掌に受けて、大事になめとくなはれ」 立ってきた直が、市太郎の後を引き取った。「食べるものがのうても一月ぐらいは生きておれるが、お水だけはのう。この竹筒一杯の水が命やで。辛抱なされ。そのうち雨が降れば、神さまのお恵みじゃと思うて、なんぞで受けるなり、口をお空にあけるなりして、好きなだけ飲んでもよいのやで」 生よりも死を、伝吉はずっと身近に感じた。船頭が「一夜も篭るのは無理だ」と言ったはずだ。その一夜がまだ傍へもこぬのに、伝吉はあせって食物を、水を求めて歩き回った。危険をおかして波打ち際に手をのばし、海草をひきむしってかじった。小さな蟹のはさみに似た貝がびっしり岩にこびりついているのを石でこそげ落として、殻ごとかじった。 後野に貝を食べることをすすめると、悲しげに首を振った。「貝は生き物じゃでなあ」 島へ上がる時、この島で虫ケラ一匹命をとることはならぬと厳命されていたのだ。市太郎は、若布や海苔なら申しわけなさそうに食べた。食べれば食べるほど、塩けがのどをひりつかせ、渇は増えた。すいすい草を発見して、それをかんでわずかにのどをうるおした。 夜、波浪に浸蝕された穴ばかりの岩上に茣蓙一枚を敷き、蓑をかけて横になった。算盤の上に寝たように背が痛い。寝返りを打てば海底に落ちるという意識があるから、筋肉は緊張のしっぱなしだ。 五月とはいえ、潮風吹きすさぶ夜半の孤島は、厳冬にもまして寒かった。ごつごつした岩角を握るようにして、伝吉は無理にも眼をつぶる。疲労でまどろんでハッと目覚めた。ここがどこか思い出すのに手間どった。何か固い黒い甲羅の上にいて、それが波の間を動いていく。荒波を一人で海の中に入っていく。叫びだそうとしてもがいた。市太郎の体にぶつかって、我にかえる。脂汗をぬぐって起きあがった。 直が岩の上に端座して、心持顔を上向け、遠い星空を眺めている。燈明が揺れて、荒い岩肌に直の影を浮かせる。幽玄とも崇高いともいいようのない光景が、我が母とも思えず空恐ろしかった。直は一人ではない。直に寄り添ってそこにある神霊が……ただごとではない光が恐ろしかった。 このままでは狂い死ぬ。かたわらの市太郎の衣の端を握って引き寄せたが、彼は安らかな寝息を立てているのだ。伝吉は孤独に堪えかねて、岩に爪を立て、忍び泣いた。 直の揺るぎない態度、若い市太郎の安心立命、それはどこから来るのか。神への燃ゆるような憧がれと信仰、それ以外にはない。どうせ死なねばならぬなら、せめて彼らの半分でも心の安らぎを得たい。 翌日から、伝吉は朝、昼、晩の三回の水行にも進んで参加した。神から水行を止められている直も、この時は特別に参加。伝吉は足の痛みにも耐えて正座し、礼拝した。雨を祈るために、口をあけて思いきり雨水をのみこみたいために。 十五日、十六日、十七日、十八日、晴れ。風は強くても、雨雲の一片すら吹き寄せてはくれぬ。 一日二滴のつもりが三滴、四滴、余分になめる。竹筒の水は急速に減りはじめていた。噴き出す汗の塩辛さ、苦さ。乾くと塩の結晶になって、体中かさかさした。 さすがの市太郎も体が痩せ細った。白い肌は日焼けで褐色となり、眼ばかりがぎらっと光を強めている。笑うことも、もの言うことも億劫だった。それでも市太郎は声を上げて祝詞を奏上する。 伝吉はこっそり耳打ちした。「育ち盛りの若者が若布と麦粉だけでしのげるものか。乙姫さまの御馳走ずくめの龍宮とは話が違い過ぎるわな。阿呆正直もよい加減にせいよ。どんな物事にも影と日向がある。わしみたいにこっそり貝を食え。少しは力がつくで」「教祖さまにすまんけいど……」 恥ずかしそうに市太郎がつぶやいた。それで覚悟はできたのか、伝吉のさし出す貝に殻ごとかじりついた。 市太郎が自分の手の届く所まで落ちたのは、伝吉にとって、予期せぬ喜びであった。 ――やっぱりあいつも人の子や。 貝をむさぼる市太郎の子供っぽい姿が哀れにもいじらしい。 分からぬのは直である。若者たちには黙認しても、自分では最初に規定した以上の水も食物も取ろうとはしない、それでいて、健康も気力も少しも衰えず、祈りと水行のあいまはいつも同じ岩上に正座して筆先を書き続けている。 直の坐る岩の底ばかりは特別なしかけがあって、大地に生えた木のように、水や栄養や生命力を吸い上げているのではないかと伝吉は疑った。試みに、直のいない隙にその場所に坐ってみた。固く冷たいただの岩肌だ。五分と坐り続けるのを拒むように、岩角は脛に食い込んでくる。 翼のある自由な海猫を、伝吉は羨んだ。あの白く光る美しい翼で丹後の浜まで飛んで行けるのだ。近づいて来るとぼけた奴をしめ殺してやりたい。 はっとして身を起こした。沓島に着いた日、頂上に海猫の卵がごろごろ転がっていたのを思い出したのだ。水行から上がってきた市太郎に、声を低めて伝吉は言った。「市太郎はん、海猫の卵や。あいつをとって食おうかい。いっぺんに精がつくでよ」「はて、教祖さまのお許しが出るかなあ」と、ものうげに市太郎が答えた。「そこを頼んでみるのや」「わしには願いかねますで、あんた、頼んでみておくれなはれ」「よっしゃ」 伝吉は直の様子をうかがった。直は厳しいまなざしで、日本海の遥かを凝視していた。筆先を書くか礼拝している時以外は、いつもそうであった。「教祖さん、ちょっとお願いしてみますが、わしら若いさかい、腹がへってたまらんのじゃがええ……」「伝や、あの卵もみな生きとるのじゃで」 伝吉が言い出す前に吐き捨てるように直は言い、また海の向こうをにらみつける。取り付く島もない感じだ。 伝吉は市太郎の傍へ戻った。「市はん、あかん」「わしも……それはあかんと思うてました」 よくしつけられた聞き分けのよい子供の口ぶりであった。けれど伝吉は、直の腹から生まれただけで、しつけられた覚えはない。誘惑には勝てなかった。「薪をとりに行きますで」と断わって、一人で頂上へ這い上った。 卵を取ろうとすると、十数羽の海猫が飛んで来て、先の曲がったくちばしで頭をこづく。怒り声はまるでいがみ合う猫の泣き方だ。こちらは一人、それにやましい心があるからたじたじとなった。が、餓えのためには、ひるんでばかりはいられない。菜種の茎を頭上でふり回しつつ、卵を獲った。 懐に隠して逃げて岩影に入り、いきなり七つ、八つ、夢中ですすった。魂がとろけるほどうまかった。涙が流れた。 十九日、竹筒の水は底の方に僅かになった。今日も五月晴れ。この調子では四十日どころか、今日一日どうして生きのびられよう。水、水、のどが焼けつく。まぶしい青空が憎い。伝吉よりも市太郎の憔悴はいたましかった。潮風にさらされ蓬けて首筋までおおう長髪。痩せて一層背は高く、手足ばかりひょろ長く見える。 伝吉はその骨ばった肩に手を置いて、やさしく囁いた。「市はん、このままでは飢え死んじまうでよ。人間が水分なしには生きとられんことぐらい、神さまかて御存知やろ。雨も降らしてくれんのやさかい、あとは卵しかないわな。生きて帰って教祖さんのお供しよう思うたら卵を食え、うまいでよ。わしは昨日、もう内緒で食うたのや」「教祖さまが食べてじゃないのに、わしが内緒で食うわけにいきまへん。お水かて、わしは教祖さまの三倍ほどはいただいてしもたのに、その上……」「それなら、教祖はんのお許しが出たら食うかい」「そらもう、いただきますわな」 伝吉はまた直の傍へ行った。どうしても市太郎に卵を食わしてやりたかった。 直は荒い波頭のしぶきを頭から受けて、泰然と水行していた。水行の終わるのを待って、伝吉は気負い込んだ。「教祖はん、わしはもうやりきれまへん。あなたは神さまに一生懸命で来とってんじゃさかい、三十日や五十日の行もできますやろ。けどわしらはその供やし、まんだそこまで御神徳もろてしまへん。どうしても海猫の卵食わんと、もう水はあんまりないし、今日一日体がもちまへんで。市はんとわしにどうぞ卵を食うことを許しとくなはれ」 直は眼を閉じて考えていたが、あきらめて言った。「それでは仕方がないで、神さまにようお願いして、鳥にもお詫びしていただくのやで」 伝吉は思わず市太郎に向かって大きく手を振った。叫びたくても声はしゃがれる。「おーい、許してもろたでよう」 市太郎はにっこり笑った。よほど嬉しかったのか、伝吉に手を合わせている。 よじのぼる力もなくなっている市太郎を励まし、手をひいて二人は頂上への絶壁を登った。椿の木の下で寝転んで、落葉の蒲団に十分足をのばした。 のどの焼けつくばかりの痛みはかなりやわらいでいた。しかしそれは生卵のつるりとのどに流れ入る時の感触であって、水を欲しがる心はやはり変わらない。が、許されて卵をのんだことで、市太郎の若い心身は早くも元気を回復していた。「ああ、教祖さまにも、こうやって手足をのばしてお休みいただきたい」 市太郎は心の底から呟いた。寝返ってさえ海底へ転げ落ちる岩上の寝床では、一夜として熟睡できるものではなかった。「教祖さんをここへ連れてくるのが無理なら、椿の枝を運んで寝床を作ってあげたらどうやろ」と伝吉が提案、市太郎はとび上がって喜んだ。「そうや、なんでそれに気づかなんだのじゃろ」 歩くのも大儀だった二人が、椿の寝床への夢にふるい立った。刃物がないので、力をしぼって椿の枝をへし折り、それぞれ両手に抱えた。両手がふさがっていては、菜種の密林を通り抜けるのは無理だった。洞穴の上まで出て、そこから枝を下へ投げた。下への見通しは悪かった。 急いで菜種林を通り抜け、洞穴の水際まで下りたが、椿の枝は見当らぬ。二人は腹ばいになって崖下をのぞいた。枝は真下に海底深く沈んでいる。声も上げ得ず、二人は無言で眺め入った。よく考えれば、生木だから沈むのは当然だった。 三尺ほどに折った枝が一尺五寸ばかりに小さくなって、澄んだ水底に散らばっている。その鮮やかな緑の上を、色とりどりの魚が眼がさめるばかりに遊泳していた。 二人は顔を見合わせた。また頂上まで上る気力は尽きていた。「市はん、水くぐりして、あれを取ってくる勇気あるかい」 伝吉は、市太郎の反応を待った。「勇気ならあります。けどこの深さでは海の底に行くだけの呼吸は続くじゃろが、枝を拾うて、さて上がってくるまでの呼吸が続きまへんわな」 伝吉は片頬で笑った。市太郎が本気で答えるのがおかしかった。「けどやなあ、あの底のずっと向こう、洞穴の奥のまだ底に龍宮城があるかも知れん。教祖はんが行く言うちゃったらどないしてや」「供やし、ついて行きます」「息は続くかい」 ごくんと市太郎が生唾を飲み、「続かんでも仕方ない……」 伝吉は笑えなかった。その時引き止めるだけの力が、ほんとうに自分にあるのだろうか。二人が底に沈んで残りの日々、自分一人がこの孤島に居残るくらいなら、共に沈んだ方がましではないか。 浦島太郎がもらったという玉手箱の話を、伝吉は思い出していた。白い煙を浴びるまでもなく、ここでの一日は陸での十日、あるいは一年ぐらいに当たるのではないか。心細さに膝頭がぴくぴく震えた。 市太郎は、岩から滴り落ちる水を見つめていた。岩は洞穴の海の左手、垂直な絶壁で、絶えず波が裾を洗っている。その岩の上部数ヵ所からぽつんぽつんとふくらんでは落ち、ふくらんでは落ちる水滴。 塩水を飲めば、一層のどのひりつくのは知れていた、が、市太郎はたまらぬ誘惑を感じて上半身を上げ、首をのばして唇を寄せた。幾度かくり返し、市太郎は頓狂な声を上げた。「大槻さん、ここに一雫だけ水が出とるわー。淡水やでー」 狂ったのかと、伝吉は思った。猫が好物をなめるように、市太郎がぺろぺろ岩肌をなめている。その岩の雫が塩水であることは、とっくに伝吉は試した後であったのだ。「馬鹿言うな。阿呆らしい」 振り返って、市太郎はもう一度叫んだ。「ほんまやで、ほんまやで」「ちょっと退いてみい」 いらだたしげに市太郎をどけて、伝吉も腹ばった。その足を市太郎が押える。数ヶ所から滲み出る水滴のうち、ただ一ヶ所だけが確かに淡水なのだ。「教祖さま、ほんまに淡水が……」 惑乱したように二人が叫んだ。直は落ち着いて答えた。「椿の木を龍宮さまへお供えしたさかい、神さまがお水を与えて下さったのやで」 三人は感謝の祝詞を奏上した。 底に残ったわずかな竹筒の水を、分け合って飲み干した。 市太郎と伝吉は元気を取り戻し、再び頂上へ上って椿の枝をへし折った。今度は伝吉が先に立って菜種の花を分けて道を作り、市太郎が椿をかかえて下りた。 椿の枝を弓張りして岩と岩に渡し、蔓をとってきて竹筒をしばり、水滴が的確に中へ落ちるように工夫した。次に椿の枝で海側にどうにか柵をつくり、菜種の軸と茅を利用して三人の寝床をこしらえた。日暮れまでにそれだけ仕上げるのは大変な労力だったが、お水を得た喜びが二人をかり立てていた。岩のでこぼこがじかに背にこたえず、海への転落の怯えもやや薄らいだ。 その夜半、海猫の声が子供の泣き声に聞えたのであろう、「おみつ、おみつ……おみつ」と伝吉は夢心地に妻の名を呼び、驚いて目がさめた。中空には十五夜の月がくっきりかかっている。直は相変わらず端座したまま月を見上げていた。 伝吉は起き上がって竹筒を調べに行った。竹筒から、水があふれてこぼれ落ちるのが、月の雫かと思うばかり美しい。朝顔茶碗にお水を受けて押しいただき、のどに流した。満月の精が、岩の根の大地から甘露を汲み上げているように思えた。 気がつくと、市太郎も月を仰いで合掌していた。 月の輪が波の表に照り輝く時、直はつぶやいた。「おお、もったいない。市さん、あの海の底にござる御神体が拝めるかい」 のび上がって探したが、二人の目には、ただ月光にうねる夜の海だ。けれど合掌して耳を澄ますと、海の底からリヨンリヨンと微かに玉の響くような音色が流れてくる。 伝吉は幻聴かと思って市太郎に確かめると、市太郎は頬に涙をこぼしていた。二人は手を握り合い、その音に魅きこまれていった。