表題:固いするめ  11巻1章

固いするめ



 ペンを置いて、虫のすだきに耳を傾ける。もうあれから半年になると、浅野和三郎(四十一歳)は思った。蒼空に一点の黒雲を見たような不安に襲われてから。 一高をへて東京帝国大学英文科に入り三年間、小泉八雲先生の薫化を得た浅野は、卒業後も『新声』という文学雑誌の主筆などをしていたが、明治三十三年春、ふとしたきっかけで横須賀海軍機関学校の英語教官として就任した。 この横須賀市中里の家に移り住んで以来十数年、三浦半島の生活はあまりにも平穏無事に過ぎた。一、二年ごとに位階・俸給が上がり、子供も三年おきに、勝良・新樹・三郎と男ばかり三人生まれた。 英訳書も幾冊か出して学者としての業績も示し、今は三人の仲間と組んで英和辞書の編纂にかなりの精力と時間を捧げている。およそ辞書の編纂ほど単調無味な仕事はなく、Aの項目だけでもじっくり一年かかる。が、それもまた生き甲斐であった。 天気の良い日曜日など、親子五人で弁当と水筒持参で葉山・逗子・鎌倉・江の島・浦賀・久里浜・大楠山・武山・神武寺・金沢八景などを歩き回り、時には足をのばして三崎・鵠沼・箱根・修善寺などへも出かけたりした。 それがこの春、三男三郎(九歳)の突然の発熱である。三十七度三、四分の微熱であったが、午前十時にきまって発熱し夕方になると平熱に復する状態がいつまでも続いた。夜は寝汗が出る。共に山野を跋渉し鍛えたはずの少年の活き活きした体から、日ごとに生気が失せていく。 力ない子供の寝姿をのぞきながら、浅野の心は不安にかきむしられずにはおれぬ。横須賀ばかりでなく東京にも連れて行き、一流の医者を渡り歩いた。病因がはっきりせず、治療法もまちまちであった。運動をすすめる者もあれば、静養第一を説く者もある。山間の転地を思い立って、修善寺の温泉で療養させた。海岸療法が良いと聞いて、この夏は田戸の海岸へ日参もした。食物療法にしても、医者によって右と左の相違である。 むろん小学校もずっと休ませている。どんなに心を砕いて介抱しても、良くも悪くもない状態がこんなに続くと、浅野は次第に根気が尽きそうになる。 もっともっと癒しがたい深い悩みを持つ人々は世の中に無数にあろうのに、ただ一児の病くらいで……そう自分に言い聞かせながら、死を待つばかりの虫のすだきにさえ滅入る心は、如何ともし難い。 八畳の離れの書斎から、浅野は庭下駄をつっかけた。母屋の四畳半はもう灯を小さくしていた。 三人の男の子が枕を並べて寝ている。長男の勝良は十五歳、身も心も今や少年期を脱せんと気負っている。次男の新樹は十二歳、幸せな夢でも見ているのか、口元がほころびそうだ。一番下の三郎だけが額に汗をにじませ、せつなげな表情である。その寝息を確かめ、こわごわ汗をぬぐってやって、浅野は六畳の茶の間に入った。 火鉢の傍らで縫い物をしていた妻多慶(三十三歳)が、針をおいて茶を入れてくれる。煙草に火をつけると、多慶が思いつめた眼で夫に向き直った。「三郎のことですが……あの……今まで隠していたことがあります。言い出せなくて……」「どうしたんだ、早く言いなさい」 不吉な予感に怯えながら、浅野は妻を見つめた。「もう十日ほど前ですが、髮結いさんから、とても祈祷の上手な女行者のことを聞きましたの」「なに、女行者?」 意外さに、浅野の声は尻上りとなった。「はい、あなた、やっぱり……」 多慶が眼を伏せる。「いや……それで、それで行ったのかね……まさかね」「……すぐ三郎を連れて行きました。お祖師さまのわきの三峰山という……。すみません……申し上げると、きっとお叱りを受けると思って……」 浅野は侮辱で打ちのめされた。帝大出のインテリを自他共に許す英文学の教官の妻が、加持祈祷を受けにあやしげな女行者の門をくぐった!…… じゃりっと砂まじりの飯でも噛んだような不快さが走った。同僚や学生たちに見られたらと思うだけで、羞恥に顔がほてって来る。むきになって叱るのは一層みじめであった。 さりげなく……さりげなくとつとめながら、金縁眼鏡を外して、そのレンズを拭きだした。眼鏡をとると、人より少なくとも二倍は長い眉毛がひときわ目立つ。「そうか、思い切ったことをしたもんだね。人間、心が弱っている時は、得てして迷信につけこまれるものだ。お前までが……まあいいさ。一度行ってみて馬鹿さ加減が良くわかったろう。三郎の病気は、医者の言う通りを忠実に根気よく実行するほかはないんだからね」 それで話を打ち切る意志を込めて、磨いた眼鏡をかけ直す。 多慶は珍しく頬をこわばらせて、夫に口返答した。「どのお医者さんの言葉を信用すればよろしいんでしょう。みな言うことが違いますのに……山かと思えば海、散歩が良いとすすめたかと思えば静養第一と……牛乳や肉汁をむりやり飲ませて、何一つ効き目なんかありませんでしたわ。あなた、頭から『医者の言葉を守れ』とおっしゃるのは、やっぱり、お医者を迷信しているのではありませんか。わたし、この頃つくづくそう思えますの。だからわたし、ただ三郎が助かればと思って……」 多慶は、浅野の言葉で叱責されるより深く傷ついたらしい。涙さえ浮かべて逆らってくる。「いや何も……怒ったわけじゃないさ。ただナンセンスじゃないか。この科学の進んだ現代に逆行して、急に古めかしい女行者まで持ち出すんだから……」「みっともないから止めてくれとおっしゃりたいのでしょう。あなたは三郎の命よりも、御自分の体面の方が大事なんですからね」「ばかなこと、言いなさんな」「わたしだって恥ずかしいのをこらえるのに、初めはずいぶん勇気がいりましたわ。でも三郎のために、勇気を出して良かったと思っていますわ」「よかったって……その何かね、妙な託宣でもあったのかい」 つい浮かぶ口辺の冷笑を強いて抑えて、浅野はその託宣に耳を貸した。「三峰山の行者さんは、人の体の中でも透視できるそうですの。まあ、ほんとうかどうか今はわたしにもわかりはしません。でも三郎の体を服の上からじっと見つめて、はっきりこう言うんですの。喉の……つまり気管支の上のところに空豆ぐらいの傷があって、それが、治りかけてはすりむけ、また治りかけてはすりむける、それで微熱が続くんでしょうって……」 浅野は笑いだした。「……女の浅知恵の言うことさ。そんな非科学的なこと、まさか信じやしないだろうね。気管支内に異常があるかないかぐらい、どこの医者だって真っ先に調査済のことじゃないか。無知な奴らをだまくらかすうまい手さ」「でもその行者さんは診断てただけじゃありませんわ。『十一月四日に三郎の病気が全治する』とはっきり日を切りましたの。とても治しにくい病気だけれど、三峰山の神さまにお縋りして頼んで下さるそうですわ。神さまが日を切って請け合った以上、一日も違わないとおっしゃるの。よほど自信がなくては、そんなこと言えませんでしょう。 お医者の言いなりにもう半年もうろうろして何の効果もなかったんですもの、その日に治らなかったとしてももともとじゃありませんか。たとえお狗さまのお告げでもいい。治るという見込みがなかったら、わたし、もう神経がまいってしまいますわ……」 美しく賢く教養ある妻であった。十八歳で嫁いできてから順風満帆の人生をここまで来て、子供の愛ゆえに惑うのも無理はない。確かに妻の言にも一理はある。体面よりも、一歩譲って妻の理に服する雅量を持とうと、浅野は思った。「ばかばかしいようだけど、それでお前の神経が休まるというのならそれもよいだろう。十一月四日といえばまだ一月ほどあるからなあ」「あなた、お願いがございます。ひょっとして三郎が十一月四日に治ったとしても、あなたはやっぱり偶然だとおっしゃるでしょう。それではわたし、信じる甲斐がありませんわ。あの女行者さんがでたらめなお人かどうか、どうぞその前にあなたがおいでになって、御自分の納得のゆくまでお調べになって下さいな」 多慶の熱っぽい哀願には、なりふりかまわぬ母性の一念がからんでいて、笑い捨てるわけにはいかない。「うむ……まあ調べるまでもないだろうが……」 口ごもった時、脂汗を浮かべた三郎の苦しい寝顔が浮かんだ。浅野は、女行者を訪問してみる気になっていた。
 一両日躊躇して、空が蒼いのを心のふん切りとして、浅野は家を出た。幸い遠出というほど遠くない。――散歩のついでに寄るまでさと、まだ自分に言い聞かせていた。 多慶の話では、女行者の本名は石井ふゆといい、世間では三峰山の名で通っていた。横須賀近在の木古場の生まれ、十三、四歳頃から霊覚があった。海軍工廠の職工の女房になり、初めは普通の主婦に過ぎなかったが、ふと一つの霊験を見せ始めてから、依頼者が増え出した。 そこで孝信教会という教会を設立して加持祈祷をはじめ、すでに何百人という病人を治した。祭神は金照斎とほかに何とかいう二柱、といっても、ともに三峰山のお狗さまらしい。年齢は五十歳前後という。それだけの予備知識はたくわえた。 孝信教会は、米ケ浜祖師堂付近の奥まった露地の突き当たりにある。予想に反して、わりに小ざっぱりした普通の平家だ。行きつ戻りつ周囲を見回し、人目のないのを確かめて、ようやく格子戸を開けた。玄関の三和土には、二十足ばかりの女下駄が並んでいる。取次ぎの女中に名刺を渡し、来意を告げる。すぐ部屋へ通された。 六畳と八畳の部屋の境の襖を外し、そこに女ばかりが集まって茶を飲んだり、世間話をしているらしい。女たちの視線は一斉に珍客に向けられた。 知った顔の、海軍士官の細君が二人までいたのには驚いた。とっさに逃げ出したいほどきまりが悪かったが、もう間に合わない。「これはこれは浅野さま、ようまあおいで下さいました。お坊ちゃまの御病気でお目にかかると言うのも、まことに不思議な御縁で……さあ、ずっとこちらへいらっしゃいませ。みなさま、この方は浅野文学士とおっしゃって、海軍機関学校の先生をしておられるとても有名な方でございますよ」 しゃがれ気味の錆声で如才なく喋りかける五十がらみの女が、三峰山の行者であろう。切り下げ髪にした色の黒い女で、狭い額・低い鼻・鼻翼がいやに広がっているところなど、お世辞にも上品とは言いがたい。「子供のことで御厄介をかけました」と、浅野は軽く頭を下げた。 が、ここにいる女たち同様の信者と思われるのは心外である。浅野はもの好きの研究者といった顔で用件を切りだした。「家内の話では、あなたは子供の体の内部まで見透して、病因がわかるそうですな。そこがどうしても納得いかん。一度実地に確かめてみたいと思いまして……」「さあ、そうおっしゃられても、信心のおかげでなんとなく見えるので……」「それなら、ぼくの懐の蝦蟇口の中も見透かせますか」「そんなもの、あなた、お安い御用で……」「実は僕自身、蝦蟇口の中にいくら入っているか、およその見当ぐらいしか覚えがない。一つ試しに当ててもらえんだろうか」 透視の実験を迫られて、三峰山は承知した。 この教会は神仏混淆式で、普通の民家の床の間を改造して段を作り、幾個も祠がおいてある。その左右に燈篭・拍子木・鉦・香炉等を並べ、壁には雑多な掛軸が下げてある。 三峰山は同座の女たちを促し祠の前に坐ると、般若心経を唱えだした。女たちも一斉にそれに習う。宙で暗唱している者もあれば折本で拾い読みする者もある。木魚・拍子木・鉦などを叩きながらだから、ちょっとやそっとの騒々しさではない。 十数年間横須賀に住みながら、裏面にこんな奇怪な社会が存在していることなど思ってもみなかった。行者巫女などという存在が日本人の日常にかなり重要な役割を演じているようだと、浅野は初めて気がついた。 日本の社会学者・宗教学者・実験心理学などはまだまだ書斎にばかり閉じこもりがちで、活きた事実の調査をなおざりにしているのではなかろうか。これでは他人の糟粕をなめるに止まり、世間を動かし社会を導く力などにはなるまい。 そんな批判をしながら、熱狂的な渦から取り残された自分もまた、社会の傍観者に過ぎなかったことを反省する。 三、四十分も経ってようやく読経が終わり、三峰山は浅野の前に坐った。「今日は出来がどうかと心配していましたが、後の方になってやっと懐中が透いて見え出しました。一円のお札が二枚、ほかに五十銭銀貨やら白銅やら銅貨やらごちゃごちゃまざって合わせて三円二十五銭……調べてごらんなさい」 浅野は蝦蟇口を取り出し、残らず畳にあけた。居合せた女たちも面白がって勘定してくれたが、不思議なことに一銭の狂いもない。思わず浅野は寒気立った。 孝信教会での出来事は、まぐれ当たりの類であったろうか。不思議だと素直に驚くのは、いまいましかった。そんなことにインテリとしての抵抗を感じつつ、しかし落ち着けない。リンゴが樹上から落下する。あたり前だ。それでは引力説は現われない。太陽は東から出て西へ沈む。あたり前だ。それでは天文学は生まれぬ。素直に不思議がって、では何故そうなのか、この穿鑿心があってこそ新研究が生まれる。科学が生まれる。加持祈祷を研究したとて、なに恥じることがあろう。 そう思い直して、霊的現象調査のための三峰山通いが始まった。足繁く通うに従って、互いに遠慮も失せ、素顔の女行者を知ることになる。 三峰山こと石井ふゆは、どう贔屓目に見ても水準以下の頭脳の所有者であり、正邪曲直の判断すら鈍かった。金持ち知識人には頭が低く、貧乏人には横柄に構える。意識せずそうなるらしい。しばしば参拝する人のことは盛んにほめるが、遠のくと急にくさし出す。言うことはさほど曲がった不都合はないが、卑俗で浅薄で、論理はしばしば辻褄が合わぬ。 月次祭などには、おはぎ・五目飯・天丼などの御馳走が供えられるが、その時の大食ぶりにも目を見張った。「お狗さまにまず差し上げるのだ」と言って天丼の四、五杯もぺろっと平げ、さんざ飲み食いし、「さて、次はわたしの分……」と言って一人前を食べる。 書斎生活で胃袋が小さくなっている浅野から見れば、とても人間業とは思えぬ。変態心理の学者なら『神経性多食症』とか何とか病名をつけて安心していられるだろうが、凝り性の浅野にとって、その拠ってしかるべき原因が判明せぬことには消化が悪い。 少々興ざめのこの女性も、その発揮する霊力だけは確かに馬鹿にならなかった。ある晩、浅野が訪ねると、三峰山がだしぬけに言った。「坊ちゃまに白い薬を飲ませましたね。あれはセメンエンと重曹が半々ですが、坊ちゃまに回虫はいませんから、後の一服は飲まさん方がいいですよ」 三峰山の言った通りであった。三郎が便秘状態なので回虫のせいだろうと考え、今日、病院からセメンエンを二服もらってきて、その一服を飲ませたのである。でもそれだけで畏れ入る気にはならなかった。翌日、衛戌病院の軍医に頼んで子供の検便をしてもらったが、どれほど仔細に調べても回虫の卵は発見できなかった。 むきになって三峰山をへこませようと、いろいろな実験をした。小雨の降る寒い日曜日、あらかじめ妻と女中を孝信教会にやり、浅野の散歩の道筋を三峰山に霊眼で見させることにした。 浅野は洋服・長靴で洋傘をさし、午前九時頃自宅を出た。長源寺坂上から右へ曲がって稲荷谷の細い暗い急坂を上り、お稲荷さんの石段を上り、境内を抜けて間道伝いに忠魂祠堂へ出る。そこから横須賀名物の急坂を汐入方面に下り、物騒な名の牛殺し跡の一区画を横切り山道伝いに不入斗の連隊の方へ通り抜け、右へ左へ上へ下へとなるべく狭い不便な道を一時間ばかり歩き回って帰宅した。 後で三峰山が透視しつつ喋った言葉の記録と浅野の歩いたコースをつきあわせると、少しの間違いもない。御丁寧に、お稲荷さんに頭も下げず通り過ぎたことまで記録してある。 ある時、女中が簪を失ったので、早速それも実験材料にした。簪は、三峰山の託宣通り、自宅の物置の中の炭俵のそばにたまっている藁屑の中から発見された。 否定材料を得ようとして、結果は超能力の肯定材料を積み重ねるばかりである。こうなると、三郎が治るという十一月四日が本気で待たれた。 その前日まで、三郎の病状に変わりはなかった。 四日、浅野夫妻は不安と希望の錯綜した心境で柱時計の音の九時を数え、十時を数え、十一時を数え、正午を数える。一時間ごとに計った三郎の体温は、正午を過ぎても三十六度五分を越えぬ。「やった、やった、やった……」「あたりましたねえ」 日頃謹厳な浅野が、三郎の周りを踊りまわった。ありがたい、嬉しい、不思議だという感情が、掛け値なしに三つ巴になっていた。「おい、多慶……」 浅野の差し出す手につかまって、多慶まで涙ながらに踊り出している。 三郎はこの日を境として血色を取り戻し、体重も増えていった。
 捉え難く説き難い霊妙不可思議なある存在は浅野を手放さなかった。その後も、浅野は孝信教会に通い、その実体を突き止めようと努力した。この頃の浅野は、まだ憑霊現象の存在を知らなかった。 大正四年の暮れもおしつまり、海から吹き上がる北風が肌を刺す頃であった。習慣通りの夕食が終わり、浅野は二重回しを着て散歩に出た。汐入から大滝町へまわり平坂の下まで来た時、ふと三峰山へ寄ってみる気になった。ほんの気まぐれである。 三峰山は愛想よく迎え、火鉢のそばに招いた。師走のせわしさのせいか珍しく参拝者がなかった。 三峰山の得々とした霊験談など聞きながら十五分ほどした頃、格子戸を開けて入って来た男があった。長髪、縞の羽織に小倉袴、肩からズック製の学生鞄と幅四寸ばかりの水色の襷を交叉してかけた、思い切って異様な風采である。 初めは救世軍の士官かと思ったが、たすきには「直霊軍」と書いてある。「お婆さん、元気かい、上がらしてもらうよ」 懇意らしく、正体不明の男は上がって来たが、そこにいる浅野の顔を直視して声を上げた。「おう、これは浅野君……」「やあ、何だ、君……飯森君」「妙なところで出会うなあ、三峰山と浅野和三郎、どうにも奇妙な取り合せだなあ」 飯森は浅野の横に坐り、火鉢に手をかざしながら、つくづく首をひねる。 飯森正芳は大尉時代に海軍機関学校の教官をしていたことがあり、浅野とは旧知の間柄であった。「君こそその姿は何だ。退官したとは聞いていたが、今何をしてるんです」「うん、それについては、これからゆっくり話す。その前にお婆さん、冷でいいから一杯飲ましてくれませんか」「はいはい、でもあなた方がお知り合いとは、不思議な御縁ですねえ」 不思議な御縁というのは三峰山の口癖で、浅野の耳はタコになっていた。 酒を飲みながら語るところによると、飯森はキリスト教に入るまでに神霊現象に興味を持ち、三峰山へもしばしば研究に来ていたという。憑かれた人のように飯森は綾部の大本について語り出した。「出口直」・「明治二十五年」・「お筆先」など聞き慣れぬ単語が入り乱れて二時間余、三峰山などそっちのけである。 以前の浅野なら、飯森の言葉を迷信として簡単に葬り去ったろう。しかし、三峰山との接触で、いささか精神的準備は出来ていた。頭を混乱させながらも、何となく大本に魅かれるものがあった。 飯森の弁を休めた隙を見つけて、かろうじて浅野は言葉をはさんだ。「飯森君、ぼくは散歩の途中でひょっと寄り道したんだ。あまり遅くなって家族の者が心配するといかん。今夜はこれで失礼するが、明日ぼくの家へ来て詳しく話を聞かせてもらえないか」「ああ、行くとも。そうだ、明日はぼくの連れの女丈夫を紹介しよう」「ほう、どんな女性です」「福島久といってね、さっきの話の大本教祖の三女なんだ。ぼくとお久さんとは、神代の昔から深い因縁の糸でつながっているらしい。ま、それは明日、本人の口から出るだろう。二人で宣教の旅にやって来たわけもね。とにかく『東の方へ行け』とお久さんに神示が出たので、ぼくの知っている横須賀を宣教の出発点に選んだわけだ。今、三浦屋旅館に同宿している。たいへんな雄弁家だから、彼女につかまったらちょっと逃げられないぞ」 飯森の保証がつくくらいだからどんな女性だろうと、浅野は恐れをなした。 翌朝、飯森は約束通り福島久を連れて訪ねて来た。 久は頭髪を無造作に切り下げ、木綿の紋付羽織の上に勲章のように誇らかに襷を掛け、下ぶくれの色白の顔には好感の持てる微笑みを絶やさぬ。普通の田舎の婆さんじゃないかと、浅野はほっとした。 ところがどっこい、話が一度大本のことに触れるや、この女性は激しく変貌した。顔は熱して眉は上がり、声が震えて、涙はほとばしる。疾風迅雷一時に至りてガラガラピシャ、真夏の夕立そのままの荒れ模様となった。 無意識に久の膝はじりっじりっと乗り出してくる。気がつくと浅野の膝に衝突寸前である。慌てて体をずらすや否や、また一膝夢中で寄せる。悲憤慷慨とび出すしぶきが、浅野の膝をぬらさんばかりとなった。また浅野は後へ下がる。が、いつかまた膝と膝が接している。これでは壁際に追い詰められて逃げ場を失った腰抜け武士のような醜態も演じかねぬと、浅野が丹田に力を込めてぐっとふんばる。久が気づいて、さっと下がる。二人の間にさわやかな空気が流通した。 飯森はといえば、まるで行司だ。二人の間の中心点に身をずらせ、手を前に組んで、うんうん力んでいる。久のために鎮魂の援護射撃をしているのだろう。 浅野でさえこのざまだから、大抵の有髯漢もその剣幕に呑まれよう。気の弱い婦人なら、久の熱情と根気にあてられて神経衰弱ぐらいおこしかねまい。しかも時々、学問で鎧った浅野の頭脳をかき乱すような警句を吐き、浅野の踏んできた人生の根底をぐらぐら揺すぶる。 この日から、連日のように二人は訪ねて来た。話は尽きず、そのまま浅野の書斎に泊り込んだことも数回ある。あまり日参が続く時、さすがに飯森はてれくさそうに弁解する。「ほかの知り合いへ行こうとすると、たちまち頭痛がしてたまらなくなる。ところが君、ここへ来ると不思議にぴたっと痛みが止まるのだからね」 年の暮れにさっそうと現われた二人は、大正五年の正月を横須賀で過ごし、二月末になると予告もなしに幻のごとく消えてしまった。神示のままに旅立ったのであろう。浅野の胸に丹波綾部の大本に対する渇望にも似た興味だけをかき立てておいて。
 大正五(一九一六)年、一月二十日、出口直の八十一回の誕生祭が行なわれた。 二月六日、大本大家族制度実施。綾部在住の大本役員・信者は、当時出口家関係の十一人を初めとして総計八十九人にのぼっていたが、これらの人々は大本所有の家屋十三カ所に分宿し、三食とも大本の食堂に集まって食事をすることになった。いわば原始的共産生活である。ただしこれ以外の人々、たとえば自宅や借家に住んでいた七世帯の人々などは起居をともにしなかった。 二月九日、直霊軍の別動隊として白虎隊(少年)・娘子軍(少女)・幼年軍(幼年)が組織され、二十日には直霊軍京都分営で白虎隊の旗上式が行なわれた。指揮三代直日、棟梁は吉田一。一は多少足を引きずるが、傷は全く癒え、起居の自由を取り戻していた。 直日は、前年の十一月一日から梅田信之宅に下宿し、熱心に京都の武徳殿に通って、剣道にいそしんでいた。大正初期は、剣道界の主力は関東より関西にあった。京都武徳殿にも、当時一流の剣客がひしめいていた。その中の少年部に直日は属したが、女子はもっぱら薙刀であり、少女ながら男に伍して剣道を修める者は直日だけであった。弁慶縞の着物に義経袴、素足に太い緒の男下駄をはき、防具をかついで北野天神前の武徳殿まで通っていた。 直霊軍の指揮者となるや、年少の直日みずから宣伝にも立ち活発に働いて、その雄々しい姿が役員信者たちを励ました。                                       四月四日午後四時過ぎ、浅野和三郎は綾部駅に降り立った。赤帽に鞄と毛布を持たせ、改札口を出る。「なるべくきれいな宿へやってくれたまえ」と俥夫に注文した。 まもなく新築の旅館に人力車の梶棒が降ろされた。本町にあった鉄砲屋という古い宿屋だが、裏町に新築移転した当座であった。 日の暮れぬうちに大本の概況だけでものぞいておこうと、荷物だけを鉄砲屋の玄関に降ろし、また人力車に乗り込む。ほとんど人影も見えぬ綾部の夕暮れの寂しさは一入であった。草葺き屋根に混じって、庇の低い暗い店頭に無造作に品物を並べただけの商店があり、いかにも侘びしい田舎町である。 やがて俥は、黒門脇の素朴な玄関先につけられた。土間にたって案内を乞うが返事がない。破れ障子の穴からのぞくと、古ぼけた畳が二十枚ほど並ぶだけで猫の子一匹いない。龍門館に引っつけられた古家の元の広間である。 仕方がないので玄関を出て、黒門から奥へ入った。あたりを見回すが誰もおらず、離れ小島に置き去られたような不安で、数分立ち尽くした。 ようやく髪をもじゃもじゃにした労働者風の男が奥庭からやって来た。名刺を渡すと、泥に汚れた手を腰で拭って受取り裏へ回って消えたが、すぐ現われて先に立つ。「管長はんが会うてくれはるそうです。どうぞ……」 一度黒門を出て再び玄関を入る。靴を脱ぎ、外套を置き、座敷へ上がった。古畳を踏んで広間を横切り、がたがたの廊下を過ぎて薄暗い六畳の座敷に通される。 浅野は知らぬが、そこは以前別荘と呼ばれた出口直の居室であり、その後、臥龍亭として王仁三郎が書斎に使用していた。中央に真鍮の大杉の火鉢、左手は神棚をそのまま書斎棚にしたらしく、雑誌・新聞・書籍・原稿などが山積し、さらに流木のひねくれたもの・妙な格好の石・刀・矢などが雑然と並ぶ。 部屋の隅の小机に向かって背を見せていた男が振り返った。「やあ、よう来やはった、こっちへおいでなはれ」 中央の火鉢の前に自分からどっかと坐る。初対面の挨拶の簡単なことでは人後に落ちない浅野だが、王仁三郎はもっと上である。それですましたつもりなのか、無言で敷島に火をつけ、うまそうに煙をふかしはじめた。荒い横縞の褞袍に古色蒼然とした兵児帯をぐるぐる巻きつけ、黒い豊かな長髪を櫛の目も入れずに背後へ散らし、顔半分を埋める髭をのばし、きょろんとした目で客を見る。 どう考えても、浅野の持つ宗教家の概念とははなはだしく違っている。「どうや、浅野はん、綾部には美人が多いやろ、見なはったか」 のっけから、そんなことを訊く。「いや、あいにく……」 面くらって答えると、畳みかけてきた。「そんなら二、三日滞在していくこっちゃ。綾部の山と川、それに美人……これだけは遠くから来て見る値打ちがあります。わしはなあ、若い頃は南桑一の美男子、お澄は……つまりわしの家内やが、何鹿一の美女といわれたもんや。いや、誰が言わいでも、わしがそう思っとる」 これが丹波一の美男子でござると言った顔をすまして向けるので、浅野は返答に困った。 客の職業や経歴や来意などには少しも関心がないのか、訊こうともしない。なんとなく落ち着かぬまま、浅野は問わず語りにこれまでの経緯を述べた。「飯森君らが来なくなってから大本を知る手がかりを失ったので、一度綾部へ行ってこの目で観察したいという願いが念頭から離れなかったんです。でも勤務に縛られている身ですからね、一方ならず煩悶していたら、ちょうど海軍から大阪へ出張を命ぜられました。三月の末から四月の初めにかけて、大阪天王寺の高等商業学校で全国英語大会があったわけです。大会の看板役者は菊池男爵・神田男爵らで、英語界の名士淑女が数百名も集まりました……」 貴顕紳士の名を挙げることで、この田舎者の鼻をあかしたかった。「だいぶ、方々を見物できましたなあ」 王仁三郎が話の腰を折る。浅野はどきっとした。三峰山の女行者みたいに、いちいち透視していたのであろうか。「実は図星です。朝から晩まで怪しげな英語演説でうんざりでした。やる方より聴く方がくたびれ、冷や汗が出ます。私の頭の中は大本への好奇心で、大会どころじゃなかったんです。お義理にちょこっと顔を出しては、煤煙の大阪から抜け出す思案ばかり……」「ははは……そうやろなあ」「有馬温泉の渋色の湯に浸ったり、六甲山を踏破して御影へ出たり。そうそう、宝塚の温泉なるものにも行って見ましたが、浅草奥山式の雑踏には興ざめでした。奈良にも一泊して、昔ながらの優雅な風物に目を洗われました。今日は昼頃梅田の停車場を発って来たのですが、思ったより綾部が近いのに驚きました」 饒舌すぎると意識しつつ、王仁三郎と対していると、つい何もかもさらけ出してしまう。ついでに胸にわだかまる疑問を次々と放った。世の立替立直し・霊魂の実在・神の経綸・筆先の真意、その他誰でもが大本に持つような疑問・質問である。 王仁三郎の答えぶりはひょうひょうとしていて、掴えどころがなかった。理知と常識と学問で固められた浅野には、疑問の大部分は依然として疑問のまま残った。 王仁三郎は何本目かの煙草の吸い殻を灰皿につっこんだ。「浅野はん、わしは今夜橿原神宮と畝傍の社へ参拝に行きます。あまりゆっくりしとれんので、暗くならんうちに金龍海を御案内しますわ」「え、近くに海があるのですか」「いや、この神苑内に掘った池やが、神界に映れば広大な海じゃ。龍神さんがいっぱい棲んではる」 王仁三郎は、浅野を促して先に立った。奥まった神苑内の神殿や統務閣・金龍殿は表構えの貧弱さに比して堂々たる建物で、浅野は意外に感じた。 なるほど金龍殿の東南方に広々とした池がある。池の中には小島が三つ四つ、一、二尺の小松でうずまったその小島には小さな宮らしいものがあった。 王仁三郎は水際の小舟の艫綱を解き、自分で竿をとって同乗をすすめた。船縁に腰を掛けた浅野は、丹波の春の底冷えに身震いした。外套も手袋も帽子も置いて来たのを後悔する。 王仁三郎は池の中をぐるぐる廻って、嬉しげに説明する。「これが大八洲さんや。あっちが沓島さん・冠島さん……」 サービスのつもりか知らんが、池めぐりなど浅野にとっては有難くも何ともなく、風邪でもひきはしないかと心配だ。四度目の池を廻り終って船が岸辺につけられた時には、あたりがすっかり夕闇に溶け入っていた。 ひとまず宿へ引き上げようとする浅野を、王仁三郎が引き止めた。「ゆっくりしなはれ、飯でも食って……」 王仁三郎が今夜旅行に出ることはわかっているので、今のうち聞いておきたいことは幾らでもある。また書斎に坐り込んだ。洋燈がつき、夕食が運ばれる。「大本にはたいした御馳走はありまへんで」 王仁三郎の言う通り、膳の上に乗っているのは二切れの沢庵と焼きするめのみ。飯はぽろぽろの冷たい麦飯だ。やはり宿屋へ帰って一杯呑んだ方が気が利いていたかなと後悔しながら、するめを噛む。少々の固さには驚かぬ頑丈な歯がひるんだくらい、やけに固い。王仁三郎はと見れば、平然とかきこんでいる。 ついにあきらめて、火鉢にかかった土瓶をとって湯漬けにし、二切れの沢庵の塩味を頼りに喉に流し込んだ。 出発の時間が来て、慌しく準備が始まる。午後七時五十分の上り終列車で王仁三郎が大和の畝傍山と橿原神宮参拝に行くのである。今夜は京都分営に一泊、翌日大阪へ出て大阪・肝川の軍霊たちと合流、大和へ向かう予定とか。「せっかくやからお泊りなはれ。誰か役員を呼ばせます。そうそう、何鹿一の美人にも会わせよう」 管長の出発となれば、やはりひと騒ぎである。見送りに行くもの、荷物を持つもの、がたがたばたばたと皆が走り出す。局外者の浅野一人、ぽつんと薄暗い洋燈の下に取り残された。 大本へ来るまでは、自分の地位と名声が田舎の教団にとってはかなりの衝撃を与え、したへも置かぬもてなしをされるのではないかと、いささか憂慮していた。が、いかに管長のお出かけとはいえ、こうまで無視されるとは予測のほかであった。 ――ここは金も地位も名誉も学歴も全く通用せぬところらしい。胸をかきたてられて、はるばる訪ねて来るほどのこともなかったか知れぬ。まあ、人生とはこんなものか。 しびれを切らして立ち上がりかけた時、足音が近づいて、中年の婦人が三つばかりの熟睡した女児を抱いて入ってきた。ごく粗末な木綿の着物をつけ、髪は無造作な束髪である。「あんたはん、御遠方から来ちゃったげななあ。あいにくうちの先生が出ちゃったで、お相手する者がおらんのですわな。いま湯浅はんという古い役員さん呼びにやらせましたさかい、それまでゆっくりしとくれなはれ」 飾り気一つない丹波弁だが、語尾の明晰な力のこもった音調は快かった。話の調子で王仁三郎の妻澄、つまり二代さんと信者から尊称される婦人らしいと気づいた。ふっくらした丸顔で、どことなく侵し難い威厳を備えている。 何鹿一の美女という王仁三郎の宣伝だが、なるほど、装った都会の淑女たちとは全く異質な天然の美が香っている。「ここはなあ、明けても暮れても神さんのことばっかり言うとるとこじゃでよ。あんたはんみたいに世の中で働いとる人から見ちゃったら、まるで気違い村に見えるじゃろ」と声を立てて笑う。 そのあけすけな無邪気な笑顔、目もと・口もとの清々しい愛らしさに、浅野は魅き込まれていた。稚気三分・田舎味三分・霊味三、四分といったところ、最初の五分間で浅野は――この女性は只者ではないと感知した。 しかし、何という気さくさなのであろう。いかめしい浅野の肩書きや教養など、いつの間にか日向の薄氷のように解けてしまい、久し振りで生家に帰った書生然とあぐらをかき、話し込んだ。 ふと真顔になって、澄は言った。「先生があんたはん連れて、金龍海をまわっちゃったげななあ。舟を漕ぎながら先生が神さんに内々お伺いを立てちゃったら、『この者は是非大本へ引き寄せんならん御用がある』と言いなさる。先生は出しなにぼやいとってでしたで。『神さんは綱かけとってやが、英文学などというハイカラな学問した男やし、官途にはついとるし、はて、ちょっと厄介やのう』……あんたはん、そんなにむずかしい人かいな、そうは見えんがなあ」 正面からまじまじと眺められたのには、鼻下にたくわえた自慢の鼻髭がしょぼくれるほど参った。 浅野の質問に答えて母直の帰神当初の状態を話す時など、澄は寝た女児をかたわらに置いて、手ぶり・身ぶり・表情から声色まで使って真に迫った状況描写をしてくれる。その天真爛漫さ、一点の虚飾のない話ぶりなど、うなりたくなるほど絶品であった。 やがて湯浅仁斎が来て座談に加わる。田舎訛り丸出しであるが、九年間王仁三郎と教祖に親炙して来ただけに、その一言一句には心を動かすものがある。福島久には逃げ場に困るほど追い詰められた浅野が、今度は逆に膝を乗り出していた。「そうや、今晩はここにお泊まり、よけいなお金を使わんでもすみますわな。旅に出ると、お金が減れば心細いもんじゃ。宿まで荷物をとりにやりますさかい……」 澄は人の財布の中身まで案じてくれる。浅野も立ち去り難く、大本に泊まることに腹を決めた。持って来てもらったカバンから着物を取り出して窮屈な洋服と着替え、さらに尻を落ち着けた。 二階に床をのべてもらって横になったのは、もう夜半であった。ごつごつの固い布団も高い枕も気にならないほど、浅野は精神的に充ち足りていた。 よほど熟睡したらしい。清々しい気分で階下に下り、再び固いするめに挑む朝食をとる。 澄をつかまえて頼んだ。「今日は帰らねばなりませんが、お筆先の御真筆を是非拝見させていただきたい」 飯森や久が筆先の写しを横須賀へかなり持って来ており、浅野も拝読している。が、神憑って直に筆を執らせたというその真筆を、確かめずにはいられない。 やがて澄が半紙二十枚綴りの筆先三、四冊を持参してくれた。大正三、四年頃の筆先である。肉太の巧拙是非を超越した独特の書風に、ただ小首ひねって鹿爪らしく眺めるのみである。「ふうん、これでどのぐらいあるのです」「さあ、七、八千冊はあるじゃろ。大きな長持にぎっしり三杯はつまっとります。昔はなあ、私も教祖さんに反対ばっかり。今日食べる米がのうても紙は買わんなりまへんやろ。『毎日毎日同じようなことばっかり書いて何じゃいな。紙食い虫の墨泥棒いうたら母さんのことじゃでよ』と言うたこともあります。わたしは面倒くそうて読むのはかなわんけど、世の中のこれからのことがちゃんと書いたるげななあ」「どうでしょう、教祖さんにお目にかからしてもらえんかしら」 とうとう浅野が切り出した。「今朝はお筆先を書いとっちゃったみたいじゃが、いっぺん様子を見てきますわ」 澄は気軽く出て行った。「よい具合や。いま筆先は出とりまへん。浅野はん、こっちへ来なはれ」 ばたばたと長い廊下を先に行く。浅野も見失うまいと早足になる。階段を上がって突き当たりの部屋の前で止まった。 澄は、開け放した障子の内側へ明るい声をかけた。「教祖さん、東京から人が来ちゃったで。いっぺん会って話を聞かしたげとくなはれ……浅野さん、お入りやす」 澄は浅野を残して、さっさと退いてしまう。浅野は面喰らったが、ともかく入り口から三尺ばかりの所にかしこまって坐ってみた。北向きの八畳のかなり薄暗い室である。すぐ前に火のない長火鉢、襖に沿って大きな鼠入らず、それだけの簡素な部屋に、木綿更紗の古布団が掛けられた炬燵があった。「どうぞそのまま、そのまま……」 恐縮して、浅野が声をかける。 直は衣紋を正し、浅野と向き合いに二、三尺の距離に坐り、深く丁寧に頭を下げた。「ようお参りに来なさりましたなあ、たいそうご遠方のお方じゃそうで……」 なんという冴えた涼しいやさしい声、これが八十一のお婆さんの声だろうか。襖の蔭から聞いたら十七、八の乙女の声としか思えぬではないか。その声を耳にするだけで、浅野は心の中まで洗い清められるような気がする。 暗さに慣れた目で、昨年の暮れから想望していた大本教祖の風貌を、はっきり脳裡に刻みつけようとした。後に浅野は、このときの感動をその著『出蘆』に記している。「その八十一の老躯をつつめるものは、洗ひざらしの極めて粗末な綿服であった。が、その綿服の裡から何処とも知れず放散する一脈の霊光! 其雪をあざむける銀髪、その潤ひの多い、しかし力ある眼光、針もて刺せば玉漿や迸らんずるその清き皮膚の匂ひ――。自分は生来初めて、現実の穢土に清らかさ、麗しさ、気高さの権化ともいひつべき肉体を見たと思うた。生来未だ曾て心の底から真に恭敬の念慮を以て、首をさげたことの経験の無い自分が、大本教祖によりて初めて、『敬服』といふ言葉の真味を体験せしめられた」 対座中は、実に言いようもなく心地よく聖らかな気分に誘われた。一時間、二時間、浅野はどうしても席を立つ勇気は出なかった。直の理屈を越えた神を思い人類を思う一語一語は、浅野に質問の余地を与えなかった。ただ言葉短かに返事をはさむだけで、酔ったように聞き入った。 正午過ぎ、直の昼飯のはげちょろけの箱膳が運ばれるに及んで、ようやく浅野は未練らしく腰を上げた。 直は呼び止め、百本ばかりの銀髪を根本から鋏で切り、丁寧に白紙で包んで隣室に去った。隣室が神前であり、筆先はそこで書かれるらしい。やがて戻ってくると、「これはわたしの髪の毛ですが、艮の金神さまの片身のつもりでな……」 その白紙には、筆先流の平仮名で上書きが認めてあった。 ――へんじょうなんしのいきげであるぞよ 昼飯後、澄の案内でまた神苑めぐり。奥庭続きのような本宮山にも登ってみて展望の良い空き地に出た時、「この辺に家でも建てて住んでみようかしら」と思わず呟き、はっとなった。 二時過ぎの汽車で、綾部を発った。離れるにしたがって教祖出口直に会って点ぜられた胸の火は、烈々と燃え熾ってくる。八十余年の犠牲の生活で罪と汚れの痕跡すらとどめぬまでに洗い清められた清浄無垢の神人を、確かに自分はこの目で見た。汽車の震動に身を任せながら、浅野はうっとりと考えた。 ――あんな田舎の、無学なお婆さんの決心覚悟と比べて、自分はこれまで何という汚らしい、さもしい、あさはかなことを考えていたのか。金銭に縛られ、名誉にとらわれ、生命を惜しみ、地位に恋着する。これでは人間としてどこに取柄がある。まてまて、既往は悔やんでも仕方がない。一つ心を入れ替えて、大本教祖の驥尾に付して人類のために一肌ぬいで見ようかしら。 しかし京都駅の雑踏に身を置くと、たちまち撚が戻った。都の灯が無性に恋しかった。夜行の急行にはまだ三時間ばかり時間があるので、荷物を駅に預け、薄暮の四条河原町へ出た。漬物とするめと麦飯の拷問を受けた腹の虫が、不服を訴える。 浅野は鴨川べりの西洋料理店に飛び込んで、好物のシチュー、カキフライ、そのほか失った栄養分を取り戻しそうな数品を注文し、ビールを一本加えてようやく虫をなだめた。
 妻がこれほど綾部の様子を知りたがっているとは思わなかった。旅装を解く間が待ち切れぬように、真剣な顔で問いかけてくる。「うん、綾部という所は、なかなかするめの固い所だ」 思わず発した第一声に我ながらにんまりした。丹波の大本という所も、ちっとやそっとで噛み切れそうにない。それから妻をつかまえ、綾部での逐一を物語った。「それでは、大本の教祖さまと三峰山のお婆さんとでは、だいぶ人間の出来が違いましょうね」「冗談じゃない、天と地の違いさ。このぼくが心底頭を下げたんだからね」「土地はいかがです、ずいぶん山の中でしょうね。それに子供の学校は?……」「山の中だが、品物はまあ一通り揃ってはいるようだ。景色が素晴らしい。高台に登って眺めたが、きれいな川があるし、松並木もいいし、山の格好もそれぞれ面白い。その高台の裾に小学校があったようだ」「いかがでしょう、そんなにお気に召したら辞職なさって、綾部へお引きこもりになっては……」 突然の妻の発言に、浅野は愕然となった。まだ定形をなしていない胸底の秘密を暴かれたようであった。「そう手軽には参らんさ」 狼狽しながら、浅野は陣容を立て直した。「そりゃ綾部から感心して帰って来たと言っても神さまを本当に掴んだわけじゃなし、筆先だってわずか目を通しただけだ。信仰までにはまだずいぶんな距離がある。大いに研究してみるつもりだが……」 妻にそう宣言したものの、大本研究の参考資料の乏しいのには困惑した。『敷島新報』と筆先の小抜粋、王仁三郎著『皇典釈義』などを綾部から持参したが、それぐらいのもので大本の真相が判明できるわけがない。 飯森と福島久が去って以来、綾部からは大本の役員である田中豊頴が代わりに横須賀に来ていた。しかし田中はまだ入信して日が浅いらしく、浅野の研究意欲を満たしてはくれない。日がたつにつれて満たされぬ思いに焦慮は募るばかりだった。
 四月二十二日、大日本修斎会を『皇道大本』と改称する。大本は教団名を明治三十二年七月十日「金明会」とし、同年八月一日「金明霊学会」と改称、さらに再度の改称である。これによって、「大本は天理・金光・黒住教のような一教派一宗団ではない。皇道とは、政治・経済・宗教など一切を包含するものである」と宣言したのである。


表題:神授の石笛  11巻2章神授の石笛



 夏休みまで綾部に行く自由はない。といって、安閑と腕をこまねいて待っておられるか。よし、それなら……。 ――出口管長を何とか横須賀までお迎えしよう。この家に滞在してもらえば説明も聞け、修行もでき、まことに好都合だ。けれど管長がはたしてこんな遠方まで来てくれるかしらん。 思い立ったら矢も楯もたまらない。 ――そうだ、いっそ多慶を迎えの使者にやろう。 四月下旬、浅野多慶は王仁三郎迎えの全権を帯び、西へ向かって出発した。長男勝良も同行する。三郎の病気が治ったかと思えば、今年の春から勝良の頭の具合が悪く、大事をとって中学校を休学させていた。出来ればしばらく、横須賀の俗塵を避けて大本に預け、教祖出口直の霊威のもとで静養させたかった。
 四月二十八日午前八時四十一分綾部発の汽車で、出口王仁三郎・浅野多慶・湯浅仁斎・内田官吉(小西松元の弟)・その妻歌子・尾寺忠雄一行六人は東向の途につく。見送り人の中に心細そうな勝良の姿もあった。 午前十一時半、京都分営につく。分営での事務を処理し、京都発午後十時四十分の夜行列車に乗り込んだのは、王仁三郎と多慶の二人きりだった。発車するや否や、王仁三郎は睡魔に襲われたらしい。こっくりこっくりやり出した。ひやひや多慶が見守るうちごろんと座席から転落、はずみに向かいの座席で寝ていた男と鉢合せした。相手の大阪人の前額部には、たちまち瘤が盛り上がる。「いやあ、どうもすんまへん……こらえておくなはれ……」 ふくれている大阪人に、その座で王仁三郎は一首狂歌を奉る。   大江山王仁(鬼)は眠りて大阪(逢坂)の       人の頭にうたたねの瘤 その機知に相手も噴き出した。 大船駅で乗り換えて、二十九日の正午前に横須賀駅に着く。迎えに来た田中豊頴と三浦屋旅館の女主人成川浅子に出会う。人力車を連ねて汐入の皇道大本横須賀分所へ行く。分所は市内を見下ろす丘陵の中腹にあった。田中豊頴が本部の指令を得て成川浅子と相談し、この地に家を借りて分所としたのだ。関東では初めての拠点で、すでに何人かの信者もできていた。 ここで二、三時間の休憩の後、迎えに来た浅野に案内されて、浅野家離れの書斎に腰を据えた。参綾以来ためにためた浅野の質問の矢が、次々に発せられる。王仁三郎の応答は実に的確であった。驚くばかり該博で、深遠で、常に第一義的で、ぴしりと肺腑をつく。 綾部で交わした不得要領の問答と比べ、なぜこうも違うのであろう。そのうち、浅野はその理由を悟った。初めての時は、時間の不足ばかりか、自分の質問があまりに貧弱であり、愚劣であり、幼稚であったので、王仁三郎の真価が発揮されなかった。撞木が悪いので、鐘が鳴らなかった。 王仁三郎の大釣鐘は、常に叩く者の力次第で音色も変わる。王仁三郎に心服し得る者は叩き方の上手な者、罵る者は叩き方の下手な者か、もしくは叩きもせぬ者。水が器の方円に従って形を変えるが如く、百姓と話す場合はたちまち百姓と変じ、学者と話す場合は堂々たる学者と化す。相手が何者であろうが、「王仁三郎という人は自分よりは少し偉い」ぐらいにのみ込ませる。 綾部に行って教祖出口直の人格の高潔さと二代澄の天真爛漫さに心打たれた浅野は、改めて出口王仁三郎の偉大さの一端に触れ、「こりゃ途方もない化物だ」と心ひそかに舌を巻いた。 夜になって、浅野に招かれていた機関少佐竹内泰民・海軍機関学校教官理学士宮沢虎雄、それに成川浅子が訪ねてきて、座談は深更に及ぶ。 翌三十日朝、王仁三郎は迎えに来た田中豊頴と共に浅野家を出て、三浦屋に向かう。分所の大井増吉も来ており、女将の成川浅子をまじえて信仰談に花が咲く。 三階のこの部屋は、飯森正芳機関中佐が三日三晩思案のあげく海軍の辞職を決意した記念のところ。その飯森が浅野和三郎に大本の存在を知らせ、その浅野が王仁三郎を招いて、今、この部屋にこうして自分がいる。因縁とは妙なものだと、つくづく思うのだった。 午後一時半を過ぎて、王仁三郎は田中を同道、急ぎ長源坂の頂上の浅野家に戻った。書斎には海軍機関学校校長木佐木泰民少将夫妻・高等女学校長北村包直・宮沢虎雄が待ちかねていた。 王仁三郎は例の極めて簡略な挨拶をし、箱火鉢の前に坐って敷島四、五本をたちまち灰にした。四方から降りかかる質問を明快に裁き続けて夕刻に至り、浅野は当惑したように言った。「出口先生の御説明で、霊魂の実在はどうやら知識の上でわかりかけた気がします。でも知識だけではどうもぴったりできん。どうにかして、霊魂そのものを実験体得する方法はないものでしょうか」 王仁三郎は、ちょっと逡巡してから答えた。「ないわけではない。鎮魂帰神の法を修すれば……」 問われるままに、王仁三郎は鎮魂帰神の法を説明する。結局、明日からしばらく王仁三郎は東京方面へ所用で出かけるので、五月四日の夜、鎮魂帰神の実習をすることを約した。 その夜、王仁三郎は早目に床に就いたが、夜中に再三再四妖魅が襲って来た。審神すると、三峰山の石井ふゆに憑依する霊と言う。うるさいので放って寝ているうち、あきらめたのか消えてしまった。 五月一日、王仁三郎と田中豊頴は、宮沢理学士と同行して東京へ向かった。宮沢は柏木の脳病院に入院中の作家石橋思案を見舞いに行くと言う。思案の代表作『京鹿子』は王仁三郎も読んだことがあった。つい最近まで雑誌『文芸倶楽部』の編集をしていたのに、今は脳病院に監禁される身とは意外であった。 車中、宮沢の質問に答えて、王仁三郎は催眠術と鎮魂の差、岡田式正坐法や座禅法と鎮魂法の違いなどについて語る。「ついでに石橋思案を鎮魂してもらいたい」という宮沢の請いを入れて、王仁三郎と田中もついていくことになった。 品川駅から池袋行きの電車に乗り換え、新大久保駅に下車、それより数町の地点に脳病院があった。どう交渉して見ても、親族関係にある宮沢以外の面会は許されぬと言う。王仁三郎と田中は、寒々とした待合室で待たされた。 さらばと王仁三郎は、思案外史の病室を霊眼で透視すべく構える。そこへ一人の老女が寄って来て、王仁三郎にくどき出した。「どうぞあなた、聞いて下さい。病院は人を救うところではありませんとも。人を殺したり気違いにする魔窟です。この世の地獄の八丁目です。ここに入院しているのは、わたしの主人ですよ。ちょっと腹を立てると荒々しくなりますが、決して気違いじゃありません。なまじ財産があるばかりに、親戚の野心家が妻の私に何の相談もなく、むりやり入れてしまったのです。病院と結託しているのでしょうよ。 こんな仕打ちをされりゃ、短気なあの人でなくたって、口惜しさのあまりに暴れ狂い、ついには本当の気違いになってしまいますとも。そうじゃありませんか。まだいっぺんだって、妻であるわたしに逢わせてもくれないんですからね。院長に談判しようにも、『今日は留守だ、今日はお差し支えがある』と言って…… ああ、こんなことを言っていると、わたしまで気違いにされて、病院に入れられてしまうかもしれない」 泣いて訴えられては、いかな王仁三郎とて透視どころではない。老女を優しく慰めながら、別の頭で石橋思案・田中豊頴・宮沢虎雄・王仁三郎の名を詠み込んだ狂歌が生まれる。   思ひきや鬼ばかりなるこの館に       丹波の王仁(鬼)も角を折るとは   虎雄(を)野に放ちしごとく恐れしか       思案外史と会はせない館   石橋をたたいた上で会はすとよ       かい抱人も止め田(た)中の間 宮沢が出て来て、ようやく哀れな老女から解放される。 再び新大久保駅から電車に乗り、池袋駅で宮沢と別れ下車した。本部で奉仕している尾寺忠雄の兄武雄の家を訪問するためだ。田舎者は仕方ない。池袋駅でさっそく出口を間違え、田中と共に田圃の中を彷徨する。   四方八方をかすみに包む池袋       出口たづねて田中さまよふ ようやく尾寺家をたずねあて、神前に招じ入れられる。尾寺家には、綾部から直霊軍軍監村野龍洲が来ていた。村野龍洲は筆が立ち、諧謔をもてあそぶのが得意である。王仁三郎と二人が寄ると、たちまち笑いの渦が起こる。 尾寺家に三日まで滞在して、その間に多くの客に面会し、皇道大本の教えを説く。 三日午後四時過ぎ、鎮魂の助手として村野龍洲も同伴し、横須賀へ戻って三人は三浦屋に投宿する。 翌四日、午前中に浅野家を訪問した。浅野も多慶も不在で、女中だけが留守番していた。 書斎に通されて、王仁三郎は机上にあった雑誌『太陽』を読み始めたが、村野と田中は時間を持て余した。二人は王仁三郎の許可を得て、狗神研究探訪へと出かけて行った。浅野が大本を知る機縁となった三峰山こと石井ふゆ宅へである。 女中が昼飯を運んで来て驚いた。王仁三郎が長い髪をばさっと前に垂らし、四つん這いになっている。思わず甲高い声を走らせた。「あれまあ先生、どうなさったんです」 王仁三郎は多量の髪をかき分け、その間から片目をのぞかせた。「これはお女中殿、よいところへ来られた。ちょっとそこへ坐って拝みなはれ。今のう、わが頭に鎮座あらせ給う正観世音に梳櫛の供養を勤行つかまつっとる最中や。ああ、惟神霊幸倍坐世」 とにかく、わけはわからぬながらえらい先生のことだ、どんな神示が出るのだろう。 女中は襟を正して厳粛な顔でのぞき込んだ。と、王仁三郎は頭を下げ、髪をかき回しては、畳に落ちた虱を爪でつぶし始めたのだ。「あれまあ、いやな先生……」 女中は二度びっくり、台所へ逃げ出して笑いころげた。 やがて多慶が使いから帰ってくる。浅野が機関学校から戻る。三時頃には村野と田中が三峰山訪問から帰って来る。 三峰山は村野を出口王仁三郎と誤認して、「管長、管長」と呼ぶ。そばから田中が、「管長じゃない、村野さんです」といくら訂正しても耳に入らず、最後まで管長(勘定)違いしていた話で大笑いした。そういわれれば、王仁三郎も村野も長髪垢面の化物然とした風体をし、太く短い布袋さんのような体格だから、狗神さんが間違えるのも偶然ではなかろうと言う結論に落ちた。誰も、王仁三郎の霊が村野に憑って三峰山探訪に出かけたとは気がつかない。 それを見抜いた三峰山の霊力もなかなかのものと、王仁三郎は思った。村野が三峰山の迷信性をおもしろおかしく語った。 鎮魂帰神の実習は、その夜八時頃から始まった。浅野は、横須賀在住者の中からこれならばと思える人を物色して、檄をとばしていた。土地柄、海軍将校と海軍文官が多かった。すでに面識のある木佐木少将・北村女学校長・宮沢理学士のほか、海軍機関大佐岩辺某・同中佐松尾雅三・同少佐竹内某・同少佐堀内仁四郎・同教官上村清治工学士・吉田横須賀中学校長・同教頭庄司万太郎文学士・浅野の実兄である浅野正恭少将の養子遥、それに浅野夫妻が参加した。 一時間ほど王仁三郎の鎮魂帰神の講義があり、大本霊学のごく初歩が説明された。聴く者は、一様に腑に落ちぬ顔つきである。幼児の頃から頭脳に染み込んでいる観念とはおよそ相容れない説が、次々と王仁三郎の口から出るからである。 特に理解しがたいのは、「人間は肉体と霊魂からなり、いかなる人にも終生憑き通しの本守護神がある。ところが本守護神を押しのけて低級邪悪な副守護神(憑依霊)が肉体を占拠する場合が多い。その人間は本守護神の働き、いわば良心の作用が鈍って副守護神の好みのままに行動しやすい」などという説だ。 質問が続出して夜を徹しても鳧がつかぬと見た浅野はひとまず談論を切り上げ、ともかく鎮魂法の実習にかかることにした。審神者は王仁三郎。村野龍洲と田中豊頴が助手をつとめる。一同、助手の指示により神主の座につき、教えられた通り足指を重ね、手を組み、瞑目して坐る。 ――さあ、どんなことになるのか。下腹から狸や狐の動物霊にでもとび出されるといい恥さらしだと浅野は思った。誰しもそんな考えらしく、二、三人は尻込みして見物にまわった。しかしこのためにわざわざ綾部から王仁三郎を呼んだのだ。決戦に臨んで、ひるんではおられない。 ふいに「ピイーイ」と抑揚のある石笛の音が、冴え冴えと魂に滲みわたるように響き始めた。浅野は、音色に誘われてふっと良い気分になりかけ、急いで気をとり直す。五分、十分と続くうち、しびれてきた足の方に気が散って、早くやめてくれんかしらと思い出す。 傍で誰かが嫌に荒い鼻息をし始めた。それは次第に早くなり、何事かと驚くばかりの勢いになってくる。やがて審神者の二拍手が聞こえて、第一回の鎮魂は終わった。「いま大変荒い息遣いが聞こえたが、誰でしたか」 浅野が聞くと、宮沢理学士が赤い顔をして、「あれはぼくだ。途中から妙に体がつっぱって来て、息がはずんで苦しかった。体の具合は少しも悪くないんだが……」「霊が発動し始めたんや。もう一、二回やると、口が切れまっしゃろ」 王仁三郎が笑った。 浅野多慶ともう一人が、「閉じた瞼が妙にしばしばして、目の中に鮮やかに赤や紫が見えた」と訴えた。「それはふつう、天眼通のひらける兆候です」との王仁三郎の答えに、一同がざわめいた。何らの感応のなかった浅野は、妻に先を越されたようで残念な気がした。 ひとしきり座談の後、再び鎮魂をする。すぐ宮沢の鼻息が荒くなる。 浅野自身も不思議な現象を感じた。鎮魂の時は両手のひらを組み、二本の食指(ひとさし指)を垂直に構える。その指先が感電したかのようにびりびりし、だんだん下へ下がってくる。満身の力を込めて指先をもとの位置に戻そうとするが、さらにじりじり下がっていく。精神ははっきり覚醒状態にあるので、目こそ閉じていても、頭の中ではしきりに考える。 ――へんだなあ。この現象は、自分の意志以外に、ある他の、より優勢な外力が加わっていると思う他はない。本か副かの守護神がこの手に圧力をかけているのかしら。 鎮魂の終わるまでに、とうとう九十度以上も指は押し下げられてしまった。 誰もが、この夜の実験で何らかの内面的な経験を得たらしい。「どうも妙だが、明日の晩も是非やってもらいたい」と言い合って、夜半に散会した。 翌五日、王仁三郎は浅野和三郎と同道し、汐入の横須賀分所に出張する。十四、五人の熱心な信者に、村野龍洲が教えを説いていた。 夕方、村野を連れて浅野家に帰る。海軍機関学校の教官荒川乙吉・上村清治がもう手ぐすね引いて待っていた。 その夜、前の晩とほとんど同じ顔ぶれで鎮魂が始まる。神主の座につこうとする浅野を、王仁三郎が引き止めた。「浅野さん、今晩からあんたが審神者をやってみなはれ」「え……」「あんたは審神者に向いとるんや」「とんでもない。ぼくは昨夜鎮魂を受けただけで、それも眼をつむっていたから、審神者がどんなものか見てもいませんよ」「大丈夫、あんたならできる」 無造作な王仁三郎の言い方に、浅野の気がふと動いた。何事も体験だ。管長さんが後についていてくれる。願ってもないチャンスではないか。ままよ、やってみるか。 大急ぎで鎮魂の歌を習うやら、神名を教わるやら、即席に審神者の作法を詰め込んだ。腋の下から冷や汗を流しつつ、神主たちに向き合って審神者の位置につく。石笛は熟練しないと音が出ないので、代わりに王仁三郎が吹いてくれる。 型の如く手を組み、神名を唱え、夢中で食指に霊を送る。こんなことで利くのかしらと懸念が頭をかすめたが、今更引っ込みはつかぬ。冷や汗に変わって熱い汗を噴きながら、下腹に力を込めた。 利くどころの話ではなかった。宮沢理学士の状態が、五分とたたぬうち、異常な変わり方を始めたのだ。頭から背へ鉄棒をさしたように硬直し、鼻息が鞴のように激しくなったばかりではない。閉じていた唇がつり上がり、食いしばった歯を現わして縦横十文字に奇妙な猛運動を開始しだしたではないか。さらに下腹部から発した大きな濁音が、ゴロゴログウグウ上へ上へ、胸へ、喉へとこみ上げる。苦しいのだろう、宮沢は歯を噛み合わせて悶えている。 ――大変なことになった。息が詰まって死ぬのじゃないか。 新米審神者の浅野は恐怖に襲われ、助けを求めて振り返る。微笑しつつ煙草をくゆらしていた王仁三郎が、小声で言った。「もうじき口が切れる前兆です。浅野はん、落ち着いて、お憑りの神さんのお名前をお聞きやす」 王仁三郎の泰然とした態度に安心し、浅野は再び無茶苦茶に霊を送りながら、しどろもどろの口調で訊いた。「お名前は……あの……なんという神さまでござりますか。宮沢君の口を使って……ご、御返答を希望します」 宮沢の硬直していた体がぐっと反身になり、日頃の赭顔が一段と紅くなるや、もの凄い怪声が耳をつんざいて噴き上がった。「カッ……カッカァカァカァ……」 啼き声につまずいた郭公が人間ほどの大きさになれば、あるいはこんな声になるか。ほかの将校連も鎮魂どころではなく、あっけにとられて眺めるばかり。ここは離れ座敷なのに、近所の人たちも皆驚いて戸外へとび出し、浅野家の門前にたかって来た。さらに続いて怪音はこみ上げる。「ラ……ラァラァラァラァ……」 尻上りに声はますます高潮し、人間の肉声とも信じ難いまでになる。 のぼせ上がる審神者に見かねて、王仁三郎が口を添える。「おあとを続けて伺います」 憑霊の発声は、ようやく障害物を突破したふうに、滑らかに早まって来た。「カラカラカラクルクルクル……ロ……ロォロォロォ……クゥクゥ……ロクロクロクロク……」 王仁三郎は畳みかける。「なんのことかわかりません。さあ、落ち着いて、最初からまとめて言って下さい」 滴る汗をぶるっと振るって、憑霊はやや調子を落した。「カラカラクルクルロクロクジャ、カラカラクルクルロクロクジャ……」 同じ言葉を数回繰り返すが、その意味は浅野にもわからぬ。「神主の肉体が疲労してきた。もうやめましょう」 王仁三郎の注意で、浅野は教えられた通り拍手を二回打ち、「お引き取り願います。おわりっ……」と怒鳴った。とたんに怪音は吹っ切れて、宮沢は腰を落とした。 四方八方から宮沢を囲んで質問が集中する。「君、どうしたんだ。カラカラクルクルロクロクジャって、ありゃ何のことだね」 確かにふだんの宮沢の声で、少々息をはずませて答える。「知るもんかい。腹の中から勝手に何かが怒鳴ったんだから……」「でも、あの大声だもの。何かが怒鳴った文句は聞いているんだろう」 汗を拭き拭き、宮沢は割に平然と答える。「そりゃよく聞いている。だけどぼくに意味なんか聞いてもらったってしようがないさ。断わっておくけど、ただぼくは何かに口を貸しただけなんだからね」「苦しかったかね」「そうだな、最初は苦しいことは苦しかった。何しろ息ができない。何か腹の中から飛び出しそうになったから、畜生っと歯を食いしばって抵抗したんだ。中から凄い力で無茶苦茶にこじあけるんだ。驚いたなあ、あの声じゃ、喉も引き裂かれるかと思ったが……」 ようやく赤味が抜けてきて、宮沢は理学士らしい本来の容貌をとり返して来た。 宮沢当人の告白とまた十数人の目撃者の観察によって、人間には頭脳による支配以外に、もう一つ全く別個に独立した腹中を根城としての働きが存在し得ることを、一同認めぬわけにはいかなかった。「物理学専攻の理学士が発動状態で原子論か電子論でもぶったんなら、まだ彼の潜在観念の発露だとか自己催眠だろうとかも言えるんだが、どうも『カラカラクルクル』ではね」と木佐木少将が苦笑する。「しかしですね、あれだけ力んで何者かが繰り返したんですから、カラカラクルクルには何らかの密意があるんじゃないでしょうか」 上村工学士が真面目に言った。 その解釈について、単なる憑霊の口慣らしとする説と、一種の予言で「カラが来る。それは六年六月、あるいは六月六日である」などの説が出たが、さてカラが何かと言ってもわからぬ。わからぬながら、浅野・宮沢をはじめ、みんな深刻に考え込んでいた。 こうなってくると、世の中が根本から違う色合いに見えてくる。大本の憑霊説、守護神説以外に説明がつかぬではないか。 王仁三郎の説明によると、宮沢の神憑りは霊学上、天言通といわれるもので、天眼通がひらけさえすれば、声の主の姿は見られると言う。しかし何故か、その憑霊の正体を王仁三郎は明らかにしてくれなかった。                                       五月六日の朝食の時であった。「今日は走水神社へ参拝したいと思うのやが……」と王仁三郎が言いだした。浅野は、すぐに応じた。「いいですね、お天気はよし、土曜日の半ドンと来ている。午後からでよかったら、ぼくもお供しましょう。ぼくは横須賀へ来て十七年になりますが、あの辺の風景が好きでね、幾度参拝したか知れやしませんよ」 多慶も口を添える。「昨年の春でしたかしらね。境内の芝生の上で日光浴しながら、子供たちと揃ってお弁当を開いた楽しさはほんとに忘れられませんわ」 浅野が勤務に出かけてまもなく、「出口管長先生はおいででございますか」と三峰山こと石井ふゆが面会に来た。 多慶に案内されて離れの書斎に入るや、ふゆは妙な顔で立ちすくんだ。長髪髭もじゃの王仁三郎と村野が並んで、にやにやしている。先日、村野を王仁三郎と誤認した三峰山は、いよいよどちらがどうか分からなくなったらしい。 村野に説明され、ようやくふゆは王仁三郎の前に進み出て、ぼそぼそと弁解した。「ああ、あなたがやっぱり管長さんでしたか。何しろ年が寄ると目がトロくさくなってなあ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」 王仁三郎は筆をとって一首したためた。   管長蛇と思うた人は代理者じゃ       真の館長は鬼でござった 午後二時近く、王仁三郎・浅野和三郎・村野龍洲・田中豊頴の一行四人、三浦半島の東南端・浦賀町の走水神社を目指す。深田まで歩き、そこからガタ馬車の中の貨物となった。一輌借り切りで、大津の海岸伝いに痩せ馬を走らせる。左に海を眺めながら行くこと一里余、浦賀街道と別れ二つのトンネルをくぐり抜けると、はや走水に至る。 郷社走水神社の鳥居前で馬車を止め、浦賀小学校を右手に石段を上る。手を清め、口をすすぎ、一同社前で天津祝詞を奏上した。これまでは脱帽一礼ぐらいですまして、もっぱらあたりの風光に心を奪われていた浅野だが、神霊の実在を身近に感ずる今、敬虔な祈りを捧げずにいられなかった。 走水神社縁起によると、祭神は日本武尊。尊が東夷御征伐の時、総の国に渡られるため、ここ走水で数日御滞在になったが、風雨はいつやむとも知れぬ。ついに決意されて荒天の中を船出する。船は激浪に翻弄されまさにくつがえろうとする時、后の弟橘姫命は神に祈って言われた。「これは龍神が祟りをなすのでしょう。妾が身をもって夫君の難に代わらしめ給え」 身を翻して波涛に投ぜられるや、にわかに海は凪ぎ、木更津に安着される。 尊を敬慕し船人として供奉していた民に、船が走ること速やかなので「水走る」とのお言葉があった。なお、尊は冠を脱ぎ下されたので、後世、冠を石櫃に納めて地中に埋め、尊を勧請して走水神社という。 姫のかざせる櫛が漂着した地もここで、上総房州を一望のうちに見渡せる中腹に弟橘姫命を祀った走水観音がある。 参拝を終わると、王仁三郎は玉垣の中に歩み入った。「一つ、神さまにお願いして、石笛を授けていただこう」 村野も田中も玉垣の中に入り、玉砂利の中を捜し出す。鎮魂の時に審神者が使用する石笛であることは知っていたが、さてどんな石が石笛になるか見当がとれず、浅野一人祠前に立って傍観するしかなかった。 彼らは石笛探しに夢中である。待ちあぐねた浅野は玉垣の中に歩み入り、無意識に爪先の石を一つ拾い上げてみた。「どうです、この石はちょっと変な格好してるでしょ」 浅野がそれを三人に見せると、王仁三郎が頓狂な声を上げた。「おお、それそれ、今朝、霊眼にふっと映じたから、急に走水神社参拝を思い立った。わしの探していたのはこれや。ちゃんと神さまが浅野はんに授けて下さったわい」 その石は龍の頭に似た形をし、両眼とも見える穴が自然に二つえぐられている。 泥のついているのもかまわず、王仁三郎はその石を唇にあてる。幽玄な高い調子の音が鳴り響いた。 社の上に上ると、広い芝生に三体の石の宮があった。王仁三郎は石の宮の前に歩み寄り、うなった。「うーん、ここにあったのか」 中央が天照大御神、左右に素盞嗚尊と建御名方富神。 いぶかしげな三人に、王仁三郎は熱っぽく語る。「実はなあ、昔から、わしの霊眼に御三体の石の宮が見えて見えてしようがなかった。わしは霊眼で見た通りに大本に石の宮を建てたのや。現界のどこかにわしの見せられた型があるとは思っていたが……。うーん、ちょっと小さいだけで、そっくりそのままの形や。しかし、この石の宮を祀った神官は誰か知らんが、言霊学上から解釈しても実によくできとる」「それはどういう意味です」と浅野。「神の本質は霊力体の三元をもって成る。万物の本質もまた然り。この石の宮の中央天照大御神は霊系、建御名方富神は力系、素盞嗚尊は体系にあらせられる。この霊力体の三元論を旗幟として、わしは現代哲学の変革を迫るつもりや。唯心論・唯物論、また唯力論の迷妄を切って、この世の行きづまりを打開せんならん」 四人は清らかな芝生の上に坐して祝詞を奏上、人っ子ひとりいない静寂さの中に浸って、そのまま鎮魂に入った。 終わって村野が王仁三郎に向かった。「先生、花木って何のことでしょうな。今、瞼の中にはっきり文字が横に並んで見えましたが……」「神さんに何を伺うたんや……」「さっきの石笛を授けられた神さまの御名を教えてもろたんですが……花木の下には縦に小桜……」 ちょっと考えて王仁三郎は言った。「村野はん、それは読みちがいや。花木ではなくって木花、つまり木花咲耶姫のことやろ。小桜とは、その系統の姫神やと思うが……」「なるほど、もう一遍伺ってみましょう」 村野はいそいそと中央の祠の前に坐り込んだ。 ――なんと天眼通とは便利なもんだなあ。宮沢君の天言通のけたたましいのには辟易したが、こっちの注文次第ですうと字を現わして答えて下さるなんて……。 と、浅野は少々村野の天眼通を羨んだ。聞けば村野は播州の産で、大阪の印刷会社の活字工だったとのことだが、大本へ来てわずか一年ぐらいの間に、あれだけの霊力を授かったらしい。 間もなく、村野は石の宮の前を下がって来た。待ち構えていた浅野が聞いた。「いかがです。何かまた見えましたか」「いや、神さんもひどい。今度は釘をさされてしまった」 村野は、髭をしごきながら不平らしげに言った。「さっきあなたが拾われた石笛だが、もしやわしに授けられるはずだったんやないかと思ったんだす。神さんに念を押したところがどうですいな、今度はいやにはっきり文字が出ました。『木花咲耶姫尊の命により小桜姫之を浅野に授く』ちゅうて……」「じゃ、やっぱりこれは神さまがぼくに……」と、浅野が目をみはる。「あんたは羨ましいお人や。わしなんか、霊眼に石笛が見え出してからその所在地を突き止めて手に入れるまで、半年もの苦労を重ねたもんや。それを浅野さんたら、昨日の今日、わずか一日の審神者で立派なヤツを授かるんやから……」 村野の愚痴に皆が笑った。羨ましいと思った当人に羨ましがられて、浅野もまんざらではない。「しかし、小桜姫がなぜぼくに鎮魂の石笛を……」「小桜姫のお心当たりでもありますかい」と、王仁三郎が訊いた。「この三浦半島の油壷の南岸に小桜神社というのがあります。そこの祭神が小桜姫ですが……」「歴史上の人物ですなあ」と王仁三郎。「はあ、確か足利末期の今から四百年ぐらい前の人ですが、地元にはいろんな伝説が残っているようです」 浅野はうろ覚えの伝説をかいつまんで話した。 小桜姫は相州三浦小網代の城主三浦道寸の子、荒次郎義意の奥方として武州の金沢から嫁いで来た。当時、三浦一族は小田原の北条氏と確執を続けていた。幾度かの合戦と三年ごしの篭城のあげく遂に落城、三浦一族は荒次郎初めほとんどが城を枕に討死にした。小桜姫や女たちは城外に隠れ住んでいたが、落城後、姫は一年ばかりで若くして三浦三崎に没したらしい。 里人の同情敬慕は深く、のちに小桜神社に祀られている――。「おっつけ小桜姫と浅野はんとの関係もわかってきますやろ」 王仁三郎はこともなげに言う。
 その晩も大急ぎで食事をすませて、浅野は審神者をつとめた。神授の石笛は吹き方の熟練を要するため、残念ながら今夜は村野に変わって吹いてもらった。例の宮沢理学士は発動が早すぎ騒がしいのであとにまわってもらい、四、五人の神主相手に鎮魂を始める。 妻多慶の様子が真っ先に変わって来た。どことなく力が抜けて来て、上体は雲の上を漂うように揺れている。恍惚とした表情のうちでも唇がもの言いたげに開き、しきりにこみ上げる唾をのみ込んでいる。 ――ああ、しゃべりたいのだなと浅野が気づいた時、村野が多慶の前に進みよった。「どなたさまでござります。御名を伺いとう存じます。どうぞ……」 多慶は頬を上気させ、何か言おうと息をはずませる。が、声にはならぬ。「さあ、お名乗り下さい。今回は不束者の自分も審神者の席に坐らせていただきました。どうぞお早く御名をお聞かせ下さい」 やさしい調子ながら、しきりに村野は発声を促している。一座の空気は張りつめて、すべての目が多慶の口元に注がれた。「こ……こ……」 とうとう、かすかに唇が動き始めた。嘆息くらいの囁きである。「こ、ですね。はい、わかりました。で、そのお次は……」「ざ……く……ら、ら……ひめ……」「こざくら姫、はあ、そうでございますか。あの……今日走水で石笛をお授け下さったのはあなたさまで……」 多慶はこっくりうなずく。「お伺いいたします。小桜姫さま、なぜ浅野氏にあの石笛をお下げになられました」 もどかしげに唇が動きながら、まだ自由にならない。村野は察したように、こちらから言った。「ああ、わかりました。小桜姫さまは、この肉体の……つまり浅野夫人の守護神で……それで間違いござりまへんか」「はい……」 今度ははっきり返事が返ってきて、安堵の表情が浮かんだ。 多慶の初めての神憑りはそこで打ち切った。正気に戻った多慶に、村野が聞く。「奥さん、小桜姫と言うのはどんなお方か御存じなんですか」「さあ、存じません。今初めて聞いたようですけど……」「あの石笛のことは」「石笛って、あなた、どうなさったんです」 逆に多慶が夫に問う。浅野が言った。「実は走水から帰ってから、湯に入ったり飯を食べたりに忙しくてね、みんなを待たせたらいかんと思って、お前には何も報告するひまがなかったんだ。今日、小桜姫から授かった石笛っていうのはこれだが……」 石笛の由来を聞いて、多慶も驚いている。「口を切った時は苦しかったかい」と、浅野が妻に問う。 宮沢の荒々しさとは、あまりに手ごたえが違っていたからだ。「いいえ、でも口に出すまでは、何べんも『こざくら、こざくら』とお腹の中で低い声が聞こえましたわ」 人間の体は神の宮・容器であって、神は臍下丹田に宿り給うとの大本の説はどうも否定し切れない。思えば不思議であった。浅野は、深い考えもなくこの横須賀へ来て、とうとう十七年間もの間住まう身となった。また海軍士官を父としてここ横須賀で生まれ、少女時代の幾年かをここで送った妻多慶は、自分に嫁してともにこの地に移り、更に十七年を送った。三浦半島と小桜姫と自分たち一家……、昨日までは思いもうけもしなかったその因縁に、浅野はとらわれていた。 その夜の二度目の鎮魂には、また意外なことが起こった。王仁三郎が審神者の役を引き受けたので、浅野は気楽な見物役にまわる。王仁三郎は低声に神歌を繰り返し、村野が石笛を吹く。おりふし軍港の方で小蒸気船の汽笛が響くほか、万籟みな鳴りをひそめる夜半であった。神主はおとなしく、誰もが動かぬ。 ――あ、まさか先生、居眠りでもあるまいが……。 浅野は首を傾げた。審神者の王仁三郎の両眼が閉じられ、反り気味の上体が微かに揺れ始めたのだ。「むっ……」 底力のあるうめきと同時に、まりのように王仁三郎の体が宙に飛んだ。膝組みのそのままの形を崩しもせず、ただ肩にかかった長髪が天井近くで黒雲のようになびき、袴の裾が高々とひろがった。 低い気合いと巻き起こった気配に、誰もが驚いて目をみひらいてしまった。その目前の元の位置に、地響きを打って王仁三郎は落下した。しかし飛び上がったことなぞ気もつかぬように、依然として眼は閉じたまま、唇だけが動いた。「小松林命、出口王仁に神憑りして神歌を詠む」 はっと浅野は机上の鉛筆をとって構えた。 早い口調で、はっきりと二度ずつ神歌が唱え出された。「大君のよはあじさいの七がわり代わりしのちぞ白梅の花……みよしのに小桜姫のかがやきて大内山に紫の雲……」 他に三首ほど水の流れるようによどみなく出る。神霊が去った王仁三郎は、浅野の筆記した歌を眺めてこういった。「やはり小松林命はんの方が、歌はわしよりいくらか巧いわい。しかしどうもわしは霊が憑り易うてかなわん。鎮魂するのやらされるのやら判りゃせん」 種々豊富な話題をまいたあげく、王仁三郎が横須賀を離れる日が来た。五月八日午前八時、人力車を連ねて横須賀停車場に入る。浅野夫妻・宮沢理学士・田中豊頴・成川浅子がホームに見送り、王仁三郎・村野の二人が車中の人となる。 東西に引き分けられて遠ざかる王仁三郎の眼に、涙があった。鎮魂帰神の神法を横須賀の地に種蒔きながら、審神者の卵と正体の知れぬ神憑りとを置き去りにして離れていくのだ。穴太での初期の迫害、上谷での千辛万苦の苦行を思えば、今また同じ修行を浅野和三郎の肩に負わせて知らぬ顔で帰るのはつらい。けれどそれは、王仁三郎の本意ではなかった。これから起こるであろう横須賀でのさまざまを十分予知しながら、その子を千仭の谷に蹴落す親獅子となるのは、「自力で立て、自力で悟れよ」との神命を奉ずるからにほかならぬ。 西行列車に身を委ねつつ、王仁三郎は祈らずにはいられない。どうか神の試練を切り抜けて、神命の重さに耐え得る役に立つ男になってくれと――。 横須賀から京都・大阪と、王仁三郎は綾部へも帰らず動きまわる。 五月十日辰の刻(午前八時頃)、村野龍洲の執刀で一年あまりたくわえた髭を剃り落とし、まさに十年も若返った心地がした。   かみそりの刃風に髭は落ちにけり       口もと涼し秋心地して 十一日、肝川支部へ。十三日、車末吉・内藤正照と近くの川で瓶漬け漁をする。明治三十二年、園部大橋の下流で瓶漬け漁をしている時、四方平蔵が綾部よりの迎えの使者としてきた思い出が懐かしくよみがえる。あれから十八年、東奔西走に明け暮れ、一度として瓶漬け漁をしていなかった。 さらに大阪、京都とまわり、電報で呼び戻されて王仁三郎が帰綾したのは、ようやく五月十七日であった。 この頃、王仁三郎は、神示によって『立替えのいろは歌』を「敷島新報」誌上に発表している。
 あめつち(天地)ひらく うふこゑ(産声)に ほ(吠)えたけるゐ(毛類)や さ(去)りゆきぬ われはすなお(素直)を むね(旨)として よのもろかみ(世の諸神)へ そ(添)いません  たいしゃう五年五月二十三日 あめつちひらく うふこゑに やみ(闇)のゐせい(威勢)は き(消)えさりぬ ま(舞)へよおもしろ(面白) て(手)をとるそ すなほ(素直)にかた(語)れ むね(旨)わけん  たいしょう五年五月三十日
表題:神島開き  11巻3章
神島開き



 大正五(一九一六)年六月初旬の風が瀬戸内海の沖の香を含んで、播州高砂港の波止場を吹き過ぎる。長い波止場に沿って二十軒ばかりの小さな家がひと並び、南端が漁師橋本福太郎の家である。波止の道はその先で草むらとなり、石積みの突堤へとつながる。 夜釣りから帰って一眠りした福太郎は、家の前に立って大あくびした。背こそ五尺一寸足らずの小男だが、汐焼けした肌は浅黒く、筋骨は逞しい。生まれてこの方四十一年間、福太郎はこの波止に生きてきた。妻たねとは結婚まもなく死別したまま、独身で通している。母やすは六十五歳、福太郎の着物のつくろいぐらいまだできるし、四歳の時にもらった養女八重はもう十三歳、家事は一人前にやってのける。淋しくないと言っては嘘になるが、高望みさえしなければ、彼の好きな恵み深い海は三人家族を飢えさせはしまい。今の気楽な境涯もわるくなかった。 小舟の浮かぶ浅い港の対岸に、向島と呼ばれる中洲が横たわる。岸辺の葦の茂みには小鳥たちが囀り、青い松林には潮風が鳴っている。「おう、山出雲がいでよるぞ」 通りかかった川西友吉が声をかけた。「そうやなあ」と福太郎は、のんびり東南の空に浮かぶ雲を仰ぐ。 播磨灘でもこのあたりは、別名響灘と言われるぐらいよく荒れる。だから雲行きは漁師にとっての日常の挨拶同然であった。ちょっとした言葉の使い分けで、彼らは雲行きを表現する。「のぼる」といえば西から東へ、「くだる」といえば東から西へ、「さがる」といえば北から南へ、「いでよる」といえば南から北への雲の流れを指す。夕方、西の空が焼けると「明日は天気や、鎌を研げ」と言い、東の空が焼けると「落日(雨が近い)になってきたなあ」と警戒しあう。 川西友吉は、橋本福太郎より二つ年上の従兄である。漁師と船宿を兼業し、大きな船も所有していて、福太郎より経済的には遥かに豊かであった。友吉も、汐焼けした逞しい体格を持っていた。妻いさとの間に二人の男の子があるが、煙草好きで酒を呑まぬ点は似ていて、仲が良い。 山出雲の動きから目を離して見返った時、友吉はもう背を向けて突堤のほうへ歩いていた。突堤の中央に小さな祠があり、大神宮が祀ってある。友吉は毎日一度、気の向いた時刻にお詣りに行くのだ。それを欠かすとどうも落ち着かぬらしい。 突堤の傍に、長髪をなびかせた和服姿の二人の男が立っていた。二人とも高齢だが、一人は髭もじゃで前額部が禿げ上がり、ずんぐり肥えている。 彼らはこちらへ向かって歩き出し、川西友吉とすれ違って、福太郎の傍へ来た。「ちょっとおたずねしますが……」 髭もじゃが、容貌に似合わぬ澄んだ声で問いかけた。「高砂沖の一つ島一つ松という島を知りなはらんか」「さあ、知らんなあ」 福太郎が受け流すと、二人は軽く会釈して行きすぎる。 波止場では漁師が十人ばかり、網の手入れや船の修繕をしていた。二人はその傍にたち止まり海の方を眺めた。 あんなところで何しとるのやろと気になって行きかけるや、目ざとく見つけた髭もじゃが手招きした。何かまだ訊きたいらしい。人にものを訊くのに手招きして呼びつけるなんて気にくわん。 福太郎は足を止め、気づかぬふりで腕組みし、中洲の方を眺める。 ――けれど変な奴らや。友吉とすれ違ったくせに訊こうともせんと、そばにあんなに人がいるのに、なんでわたいにだけ訊きたがるのやろ。「あの島やが、なんちゅう島だっしゃろ」 水平線のかなたには四国の山々がうっすらと浮かび、右に家島群島、小豆島、左に淡路島がぼんやり見える。その中間、沖合三里に、やわらかな丸みを帯びた小島がほのかに浮かび出ている。男の指先は、その小島を指していた。「あれなら神島や。四十八の家島群島の一番上にあるから上島とも言うなあ。焙烙(素焼きの平たい土鍋、ほうろく)を伏せたような形やで焙烙島ちゅうものもおるし、見る方向によっては、牛が寝そべっている姿に似とるから牛島とも言うで」「うし島!……」 二人は顔を見合わせた。せきこむように一人が訊く。「島の端にひょろんと天にのびたような木、あれは何です」「一本松と言うとるなあ」「それや」と、髭もじゃは大きな声を上げ、「わしらは丹波の綾部の大本から来た村野と谷前やが、あんたのお名前は……」「橋本福太郎……」「橋本、橋本はん……おおきに」 村野は、いきなり手を差しのべて来た。
 村野龍洲と谷前貞義がその小島に執心するのには、わけがあった。 今から四カ月ほど前……つまり大正五年二月下旬の夜、澄が臥龍亭に入ると、王仁三郎が目を開けたりつぶったり、ぱちぱちさせ、何かしきりに考えている。こんな様子には慣れっこの澄が、声をかけた。「先生、また何しとってんですいな」「おう、神さまがいろんなことを見せなさるんじゃ」「いろんなことってどんなことですい」「お前に言うとすぐくさすさけ言わん」 ふだんならいっこう頓着せぬ澄だが、このときは夫の脇に坐り込んだ。「くささへんさかい、言うていな。なんや知りとうてかなわんわな」「さっきから、目を開けてもつむっても、小さな島が見えてしようがない。確かにどこかで見たことのある島やが……松が一本きりしかない丸い島や。どこやったかいなあと思うてあちこち霊視しとるのやが、坤の方角としかわからん。その島がどうにも慕わしゅうてならんのや」 その夜から王仁三郎の右目の下のところが疼き出し、腫れ上がった。澄が抑えると石のような塊が指先に触れ、ひどく痛がった。その固まりは時と共にごく僅かずつ下へ下がり、やがて頬骨を越えた。 王仁三郎は、村野と谷前を呼んで、坤の方角にある神示の島さがしを命じた。谷前貞義(六十歳)は、大阪の松島で鉄工所を持っていた。岡崎捨吉の導きで夫婦ともども入信している。 島さがしの神命を受けて、村野と共に大阪湾一帯から和歌山の辺まで歩きまわり幾日も探し求めた。雲をつかむような話だった。 四月四日は前述の通り浅野和三郎初参綾の夜であったが、浅野を残して王仁三郎はあわただしく綾部を発っている。翌五日、大阪・肝川の軍霊と合流して総勢二十名、大和の橿原神宮に参拝、続いて畝傍山に上り、山頂の畝傍神社(祭神神功皇后)に額ずいた。大正天皇御参拝の三日後である。 その直後、王仁三郎が同行している村野龍洲に告げた。「お参りしているとのう、またあの島が目に浮かんできて、今度ははっきり神示が出た。『朝日のたださす夕日のひでらす高砂沖の一つ島一つ松、松の根元に三千世界の宝いけおく』……」 村野はその神示を二、三度復唱した。「高砂沖の一つ島一つ松……あんたは播州の生まれやさけ、そのよしみでもう一度島探しをやって見てくれ」 村野は抗った。「管長はん、いくら神さんの御命令でもそれはむずかしい。高砂沖には数え切れんだけの島があります。島はみな一つずつやし、どの島にも松くらい生えとりまっしゃないか」 四月八日、王仁三郎は村野をつれて大阪へ出る。難波出張所の神前で、神懸りして二首の神歌を詠じた。   世を救ふ神の御船はあづさ弓       播磨の沖に浮きつ沈みつ   三千年の塩浴みながらただひとり       世を憂し島にひそみて守りぬ 畝傍の神示に関連あることは明らかだが、依然として島の所在は不明である。 王仁三郎が右目の下に疼きを覚えてから四十八日目の四月十三日になって、固まりは頬を下がり、ついに右の歯ぐきに真っ白な頭をのぞかせた。「お澄、痛うてかなわんわい。とってくれ」 澄が指先に力を込めて思い切り引き抜いた。それは底の平らな純白の奇麗な石で、いくらか凹凸はありながら、こんもりともり上がった楕円形をなしている。「あっ、大八洲さんや。金龍海の小松を植える前の大八洲さんにそっくりやなあ、先生」「そうか、どこかで見たと思うたはずや。お澄、これは石やない、舎利や。わしの探している一つ島と同じ形じゃ。村野を呼んできてくれ」 王仁三郎、痛みを忘れて叫んだ。 村野がとんできて、小箱に納められた白い舎利を見つめた。「よいか、この形を覚えるのやぞ。金龍海にはもう型が出とる。大八洲さんと舎利と一つ島とは同じ形や。この形の島を探せ」「はい、必ず……」 村野は神命に服し、即座に旅立った。しかし、まだ目指す小島を見ぬうちに村野は呼び返され、関東方面に出張を命ぜられる。続いて王仁三郎と合流して横須賀に滞在、探索は一頓挫したが、六月に入って谷前とともに島探しを再開したのである。 地図上はただ一点のヽにすぎぬ神示の「憂し島」は播磨沖に浮きつ沈みつある「牛島」であり、まさしく一つ島一つ松。三千年の汐浴みながらかげから御守護下さった、救い神のひそむ島であろう。遠望する淡い島影は、あの白い舎利と全く同形なのである。 橋本福太郎は二人の感激ぶりに動かされ、さらに言葉を添えた。「そうや、あの島にはまだ呼び名があった。化物島というて恐れる者もありまっせ」「へえ、化物が棲んどりまっか」 谷前は、まだ感激のさめやらぬ面持ちで訊いた。「この辺の漁師らは、獲った魚を夜の間に大阪まで運んで、夜明けに売りさばくのや。ところが、昼間うっかり神島さんの方に向いて小便しようものならえらいこっちゃ。夜明けまで漕いでもう大阪に着く頃やなと思ったら、目の前に神島さんがある。つまり夜通しぐるぐる神島さんの回りを漕ぎまわっとる。そんなんは度々あってなあ、石屋が石とりに入ろうとすると、鱗のある大蛇が恐ろしい勢いで下りてきよる。島の西南では鱗で磨れて黒光りしとる岩屋があって、そこを龍門言うとるぐらいや」「へえ、龍門……」 村野はおかしくなって、ちょっと笑った。王仁三郎や澄や長髪異様の大本人らが出入りして、磨かれて黒光りしている綾部の龍門館を連想したのだ。 福太郎は笑われたと思ってか、むきになって、次々と古い言い伝えを引っ張り出した。「や、嘘やと思うなら聞いてみい。この高砂の東宮町の辰巳矢之吉もお爺から聞いとるのやぞ。家島群島の中の男鹿にまだ流人が住んどる頃のことやが……」 矢之吉の祖父が天気の良い夏の夜、神島付近で網を張って船で眠った。と、白髪の老人が揺り起し、「こんなところにおったら、網がみな無いようになってしまうぞ」と教えて消えた。夢やったかいなあと思いながら夜明けを待って見ると、網が全く無くなっていた。「きっと龍神さんの通り道を邪魔しとったんや」と祖父は言っていた。 また、五大力(屋号)の年寄の祖父が加古川の川口で網を張っていた。すると川上から太い松の木が流れてきた。「やっ、松の木が流れて来よんど」 あわてて見ると、松の木が網にあたって、むっくり首を上げた。それがゆきひら(土鍋)のような目をむいてこちらを見た。あまり驚いたので震えが来、お爺は帰宅してから熱病にかかって死んだ。その松の木も確かに神島さんの方に行ったと言う。 ほかにも神島全体が燃え上がるようにピンクに見えたり、火の玉がのぼったりするのを見たと言う人たちもおる。 村野が急きこんで頼んだ。「どうやろ橋本はん、今からわしらをあの島へ渡してもらえまへんか」 福太郎は、今の話に怖気づかずにむしろ勇んでいる二人が、気味悪くなった。 谷前が後をついだ。「これには深い仔細がおますねん。あまり急やで無理か知れんが、頼んまっさ」「人も住まん島へ見ず知らずの人をよう渡しまへんわ。今から行きよったら、帰りは夜になるやろ。あんたらは丹波の山家の人やさかい、海を知らんのや。そんなに島へ渡りたかったら、日を改めて朝早うから出て来なあれ。そのときは船頭と舟を頼んだっさかいに」 福太郎は、追い払う手つきをして行こうとする。「せっかく遠くから出かけてきたんやし、なんとか渡してくれや」と、村野が追いすがる。「あんたらもひつこい人やなあ。神島はんにはやたらと人が上がれんのや。わたいは今年は厄年やで、ことわりまっさ。どうでも渡りたいなら、日を決めて出直して来なあれ」 二人は相談の上、改めて福太郎に告げた。「神島には尊い神さまが御隠退になってるさかい、お祀りして世にお出しせなならん。その支度に旧の五月二十五日に渡りたい。前日の夜には来るから、船頭と舟を用意しておいてくれ」 二人は波止の南端の橋本家を確認して去って行った。福太郎は、その後ろ姿を見送りながら思案した。 ――あの眼は普通やないわい。姿からして海千山千の大物や。あまり深入りして、命までくれと言われんもんでもない。そこはええかげんにあしらっておかないかんわい。
「兄やん、明日は旧五月二十五日やのに、あれから何も知らせて来んのや。もう来やへんのやろ。奇妙なことばかり言う人たちやったが、やっぱり漁師やと思って嬲りよったかなあ」 橋本福太郎は、大神宮の祠の前で従兄の川西友吉にこぼしていた。「福さん、そんな変わった者の相手にならんと、夜釣りに行とりいな。へんにかまうと、舟も何も奪られてしまうで。それにまた、いつ来るやら分からん人を待ったところで、なんにもならへんがあ」「それもそうやなあ。それでも約束して帰ったんやさかい、ほっとけんがなあ。今日は遅うても来ることになっとるんやが、もしほんまに来たら、おまはん、明日、神島へ渡してやってくれるかい」「そら……そんな変わった人たちやったら、おもろいさかい、渡してやってもええがなあ」 福太郎の母やすが、暮れ方の波止の道を、息せき切ってやってくる。草むらのところで立ち止まり、手を振った。「福や、おまはんがしょうもないこと言うさかいに、そーれ、まいど来た人が三人も連なって来とるんやでえ。早う戻らんかいなあ」「そら早う帰ななあかん」 福太郎があわてて帰ると、家の土間には村野龍洲のほかに男一人女一人が待っていた。大阪から先発としてきた岡崎直子と今田鶴三郎であった。「いやあ、あんた方の話を今しよったところやがなあ、まあまあおかけ……」 福太郎が土間の縁を指さし座蒲団をすすめたが、村野が突っ立ったまま力を込めて言った。「明日の人数ははっきりわからんのやが、橋本はん、大船を二、三隻と船頭を手配しといてくれんかい」「あんたらだけとちがうのんか」「実のところ、ずんずん人が増えてもてなあ、明日は先生がお渡りになって三千年落ちておられた坤の金神の神霊をお迎えすることになった。橋本はん、あんたもどえらい御用しなはるのう」「そら頼まれれば、船頭集めはしますけどなあ……」と、何やら腑に落ちぬ福太郎。 いさいかまわず村野はまた押しつけた。「ああ、それからもう一つ。わしら三人、今夜はお宅で泊めてもらうつもりで来たんや。家の隅でも庭先でも貸しとくれ」 橋本家は、土間の上がり口が四畳半、奥が六畳と三畳の小部屋があるだけで、客を泊めるような家ではない。「そんな無茶なこと、よう見てから言うとくれ。こんな小さな家に寝られるもんかい。旅館があるさかい、そこで泊まっておくんなあれ。幸い、わたいの従兄が船宿をしとるのや。安うで泊めてくれるさかい、さあさあ、案内しまほ」「いや、旅館ではあかんで。お宅でないといかんと先生が念を押しなはったさかい、庭の隅でもどこでもかまへんのや。泊めとくれやす」「いやじゃ。先生やろが大将やろが親分やろが、ここはわたいの家やさかい、泊めんと言うたら絶対に泊めん」「あんたはそんなこと言いなはるが、それはまだ神さまのことを知らんさかいや。教祖さまが冠島開きをなさった時の二人の船頭のうち、一人は橋本六蔵というのや。あんたと同じ姓やないか。知らぬとはいえ、これには深い因縁があることやでなあ」 村野は平然と言ってのけ、動こうともせぬ。 ――こいつらは文無しやな。それでしぶとくわしの家で宿をとる考えやな。ぐるになって来よったなあ。 福太郎は腹を立てつつ、それでも川西友吉の家へ出かけて行った。川西家は北へ五軒目の向い側、海際にある船宿である。船と船頭の相談をしたついでに、さんざ「変わってる人」たちをこきおろした。 とんだ災難とあきらめて、福太郎は押しかけ客を泊め、とうとう雑魚寝で一夜を明かした。 翌二十五日朝七時頃、おだやかな朝凪に、船頭たちは大船を回してきた。しかし、雲行きが俄に変わって強風が波をあおり、空はかき曇ってくる。雲は密度を増し、雷が鳴りはためき、ついに叩きつけるような豪雨となった。神島渡島のために集まっていた船頭たちも皆帰ってしまう。 先発の三人は高砂駅へ迎えに行っていたが、九時頃、四、五人がばたばたと雨中を橋本家にかけ込んで来た。続いて二、三人、また四、五人、あっというまに六十余人波止の道も狭しとばかり、橋本家へ押し寄せてくる。三部屋はたちまち人であふれ、隣の軒の下までずらっと居並ぶ。男も女子供もすべて和服で、大時代な刀を持っている者も何人かいる。 驚いたことに、この凄じい雨足を眺めながら、彼らの顔は晴れ晴れと笑っている。「どうです、この気持ちのよい雨は……」「ほんとうに浄めの雨で結構なこっちゃ」「龍神さまのお迎えでっしゃろ。冠島開きの時も、こんなやったそうどすなあ。ありがたい、ありがたい……」 家の中につまっている人まで障子を開け放ち、空を仰いでありがたがるので、家の中はどこもかしこもずぶ濡れだ。あるじの福太郎は家の外に押し出されて、いるところがない。軒下で彼らと一緒に雨を避けながら、あきれ返って聞いていた。 ――何という変わった人ばかりやろ。こんなえらい雨が何ありがたかろう。結構もくそもあるもんか、阿呆ばっかり寄っとるわい。 谷前貞義が出て来て、福太郎に言った。「橋本はん、人数は六十三人や。船の用意ができとるかい、船頭はんはどこにおってや」 ぷいと横向いて、福太郎が答えた。「この雨では船は出んさかい、みな帰ってもろたで」「そらあかん。浄めの雨やさかい一しきり穢れを洗い流したらもう止むと、先生が言うてはる。すぐ集めて来てんか」 逆らおうとしても、福太郎にはうまい言葉が見つからぬ。もうやけくそで、褌一つの裸になり、雨をついてとび出して行った。本音は、この得体の知れぬ集団から逃げ出したかったのかも知れない。 川西友吉の家で、この成り行きをぼやいていると、南の空が白みかけ、豪雨が静まって来た。「あれ、妙やなあ。雲がどんどん逃げよるで」 びっくりして空を見上げていると、雲の破れから陽の光がもれ始めた。ともかく福太郎と友吉は、手分けして船頭集めに走る。 客たちはみな波止場へ出てはやりきっていた。彼らは口々に「船を早く出せ」とせがむ。だが、雨はおさまっても、岸壁に襲いかかる荒波はほとんど衰えを見せぬ。他地方では二月、八月に海が荒れるのに、この地方では梅雨期が最も危険とされる。「この南風に、危のうて船を出せますかいな。とても無事には渡れしまへんで」 集まった船頭たちは言い張った。「船を出しさえすれば波も静まり、勝手に神島へとんで行く……そう先生が言うてはる」 船頭たちの制止も聞かず、岸壁に回された三隻の大船に乗り込もうとする連中もいる。この騒ぎに、波止場の家々から見物人がたかり始めてくる。 福太郎は、船頭たちの傍へ寄り、いまいましげに言った。「聞いたかい。あんな無茶な話てあるかい。こっちは永年漁師で飯を食っとるのや。阿呆と気違いにつける薬はないというが、ほんまや」「まあまあ、港の口まで船を出したら『こりゃかなわん、返してくれ』と泣き出すに決まったある。いっぺんびっくりさせて、懲らしめたろかい」「どうもこのままでは気がおさまらんしなあ。ちょこっと船を出してやろ」 船頭たちがにんまり笑いあった。 出船の知らせで、橋本家から武者少女が現われる。きりっと髪を一つに束ね、白の剣道着に横縞の袴を短くはき、腰には脇差を一本ぶち込んだ藁草履ばき、右手首に白の風呂敷包みをからませて、左手に『木花直澄』(直日の雅号)と書いた笠を持っている。見物人たちの目はこの凛々しい少女に集まった。 続いて現われた人物にも、彼らは微妙に反応した。見物人ばかりでなく、同乗する信者たちからも驚きの声が上がる。男とも女とも判別つかぬその大柄な人物は、しゃなりしゃなり船の方へ歩き出す。豊かな黒髪を中央で分け、頭上に大きく髷を結い、残った髪は背と肩に流している。着物は赤・白・黒の裾模様の三枚重ね、帯は前で蝶に結び、白足袋・草履、御丁寧に化粧された顔は肌白く、女と思えぬでもない。右手に握っているのは長刀であった。そのこぶしが馬鹿にごつい。 新婦に付き添う母親みたいに面を伏せ、緊張し切ってその後に従っている二人は、大阪松島の谷前貞義の三度目の妻玉子(三十七歳)と吉野楼の女将吉野時子(三十九歳)である。 昨六月二十四日(旧五月二十四日)、谷前家に現われた王仁三郎は、二階に掛けていた押絵の額伊邪那岐・伊邪那美二柱の神が鶺鴒のつがいを眺めている図を見るや、挨拶に出た玉子・時子に命じた。「わしは明日、女神姿で神島に参らんならんのや。吉野はんはのう、あの図のようにわしの髪を結うてくれ。谷前はんは衣装を支度してくれ」 王仁三郎の言葉は、そのまま神命であった。谷前玉子は、自分の着物を用立てるために箪笥の底までかき回す。吉野時子はもっとたいへん、まず豊かすぎる髪のもつれを梳き上げ、そこに巣食う観音さま(虱)から駆除してかかる。女神の結髪の形がどうにもつかめなくて、時子は一夜神前に坐って神示を請うたぐらいだ。 橋本家の奥の間に入って、人々が豪雨に立ち騒いでいる間中、二人はせっせと王仁三郎を女神に仕立てたのだ。「あの女の人、いつのまに来たんやろ。あんな人、おらへなんだのに……」「男みたいでもあるで」 福太郎もまた、王仁三郎が女装していたことを知らなかったので、女か男かの判断に興味をそそられた。喉笛を見てやれと思って知らんふりして側に寄ると、当人はまがう方なき男声で福太郎に囁きかけた。「おっさん、おかしいかあ。まあ見とれよ、これもみな神さまの御用やさけのう、妙でもこうせないかんのや」 そうか、この女装の男が先生と呼ばれる人やなと、福太郎はその時、直感した。 王仁三郎の女装を見てことさらの感慨にうなずくものがいた。湯浅仁斎である。 湯浅は郷里の宇津に田植えに帰っていたが、女装した王仁三郎が大烏(暁の烏)に乗り中空を坤の方角へ飛ぶ夢をはっきり見た。そこへ王仁三郎から「神さまの御用で神島へ参るから高砂へ来い」という通知があったので、田植えを捨てて馳せ参じたのだ。 梅田安子も、雲に乗って天空を飛ぶ女装の男神の夢を見ていた。それが今、目前に見る王仁三郎の女装と全く同じであった。 綾部からは四方平蔵・湯浅仁斎・稲次要蔵・宇佐美武吉、それに宇佐美の背に負われて参加した吉田一、京都梅田家から武術修行中の直日・大二・梅田一家、更に大阪・肝川の諸軍霊を合した総勢六十三名は、三隻の大船に分乗する。 あれほど荒れていた海が凪ぎ、船は滑るように進む。まだ海上には霧が流れていたが、一同は神島の方向に向かって祝詞を奏上した。 港の口まで来ると、いつか風は南から北に変わり、帆は順風をはらんでいた。船頭たちは出発前の悪戯気分など忘れたように、真剣に舵をとっている。 一つ島一つ松はもはや幻ではなかった。晴れゆく靄の中から、その現身を、王仁三郎の目前に顕しはじめていた。 今、海から生まれたように淋しく一つ、薄墨色の丸い島影を遠く見た時、王仁三郎は、かい寄せて懐に抱きたい思いに胸しめつけられた。順風満帆の船足さえ、もどかしい。 船上の人々は、いつの間にやら手を合わせている。一つ島一つ松に向かって、神言の合唱が湧き起っていた。近づくにつれて、三度目の神言が海上を流れていく。長い風雪に耐え、潮に洗われ続けた荒い岩肌が痛ましく眼に飛び込んでくる。集塊状流紋岩および流紋岩で形作られた、直径約半キロ、周囲約四キロほどの岩の多い無人島である。 午後三時、船は島の北東、わずかに開けた崖下の砂地の手前に着けられた。女神姿の王仁三郎が、待ちかねたように磯岩づたいに島に上陸。人々が後を慕った。昔から漁師すら上陸を恐れる神秘の孤島、龍の住処に嬉々として女子供たちまで上がっていくのを、船頭たちはただ呆然と眺めていた。 人の背丈ほどの矢竹(別名女竹)が一面に生い茂っていた。宇佐美武吉は、背の吉田一をどうでも山頂まで連れて行きたかった。這うようにして上った。若者に手を引かれ、背を押されて上る老人もあった。少し離れると、笹に没して人の姿を見失う。互いに声をかけ合い、引き合いながら、三町余にして山頂に辿り着く。 王仁三郎は、長刀を抜いて矢竹を切り開いた。刀を持っている者はそれにならい、やがて六十余人の坐るだけの空地ができる。 村野龍洲が背負ってきた宮(高さ一メートル・横五十センチぐらい)を正面に置き、矢竹を敷いて一同その上に坐した。 王仁三郎は潮風に向かって石笛を吹き鳴らす。石笛の音は山頂に響き渡り、一つ松をめぐり、波間に尾を曳いた。この島に三千年間耐え給うた龍神のみ胸に、それはどんな音色となって滲んでいくのであろう。 その感傷を切るように、王仁三郎は、素早く女竹をとって弓矢を作る。えびづるのしなやかな茎で弓づるを張った。 一同の合掌の中で、女神は勇ましく手製の弓矢を構え、この世の邪気を射放つ型を四方に示す。それから坤の金神の鎮座を願って、山頂の式典が行なわれた。 神霊の鎮まり給う宮を捧持して山を下り、砂浜のわずかな広場に勢揃いして記念撮影した。 帰途の船の中で王仁三郎は男に戻る。穏やかな海を渡って高砂港に着いたのは、午後七時頃であった。 人々の下船を見届けたかのように、再び豪雨が降り出していた。「わたいの家は汚いさかい、もっと清らかな家へ神さまに上がってもろうとくれ」と、福太郎が一行を押し止めた。「誰がそんなこと言うのや、神さまは『橋本へ行く』と言うておられるから、橋本へ行くのじゃ」と、王仁三郎が言った。「何なと勝手にせえ」 福太郎がやけくそになって家のくぐり戸を開ける。 宮を奥の間に安置して、三つの部屋にあふれんばかりの信者たちは戸を開け、窓を開いて、嬉しげに龍神さんの雨の吹き降るさまを眺めている。 ――ほれほれ畳が濡れる、ほれ床の間までしぶきがとぶやないか。ああ、情けない人たちやなあと、橋本家のあるじは気が気じゃない。「福はん、駅まで提灯を持って送っておくれ」 一休みして化粧を落とした王仁三郎が、気安く福太郎に命じた。厚子を着けて外へ出ると、雨は容赦なく降っていた。すすけた丸提灯をぶら下げて、福太郎は一行の先に立った。谷前貞義がお宮を前にかけて捧持する。雨のために提灯の底が抜け、灯が消えて暗夜の闇は一層深まった。 びしょ濡れの信者たちは、高砂駅発九時十分の列車に乗り込んだ。窓々からのぞくどの顔も、来た時にも増して晴れ晴れと笑っている。手を振って別れを惜しむ人々に、福太郎も底抜けの提灯を降り続けていた。 列車が去り、ホームに暗闇が帰ってきた時、福太郎は気づいた。 ――しもた。銭もろてへん。船頭頼んだ賃金はすぐにも払わんなんのに……えい、意地悪のくそ神め、だから深入りしたらあかん、ええかげんにしとけと思っとったのに、うまいことあしらわれてしもたやないか。ああ、わたいは底抜けの阿呆やなあ。 仇口(悪口)つきつき、泣くにも泣けずに福太郎は波止の道を戻ってきた。大水の引いたような家の中に、ぽつんと村野龍洲が坐っている。「さあ、橋本はん、御苦労はん、勘定して下されや」と、村野が進み出た。 翌日はさわやかな晴天であった。村野が「帰る前に鎮魂をしてあげましょう」と言い出した。母やすと娘八重は、素直に手を合わし目をつぶっている。「橋本はん、あんたはこの高砂で神さんを祀らなならん因縁のお方や。まあ、ここへ坐ってみなはれ」 福太郎は、不承不承に目をつぶった。ウーンと村野が一声かけると、福太郎はぎろりと目をむく。「つぶって、つぶって」と注意して、も一度霊を送るや否や、福太郎はまたぽかりと目を開く。「何で眼をあけるのやい」 少々むかっ腹を立てて、村野が怒鳴った。「あんたが今わたいの眼をねむらしといてウンとやられるさかい、何しとるんか調べるために眼を開くのやで」と福太郎が言った。「ウーン、頑固な男や。あんたみたいな人はどこにもないわ」 さすがの村野も、あきれて投げてしまった。
「お澄、一つ島の場所がわかったで」と勇んで、王仁三郎が出かけてから四、五日後、「カミサマノオトモシテカエル」という電報が届いた。直は、すぐ神前に伺いを立てる。「お澄や、どえらいことですで。尊い神さまをお迎えするのじゃから、お扉を開いて支度しておくれ」 直の白い顔が上気していた。澄はさっそく神前に供える「おなま御膳」の支度にかかった。 いつものように、信者から献納された物を供えるつもりであった。それが神前にあった狐かずらの草を見たとたん、澄の気が変わった。狐かずらで丹念に心に映ずる島の形を作り、それを三方に載せた。「月の大神さま」と無意識に呟く。 ちょうど顔を出した奉仕者の秋岡亀久雄に、澄は言った。「お月さまにするような丸い石を探してきとくれなはらんか」「あ、それならちょうど良い石があります。こないだ丸い石を拾って、あまり形が良いので、うちの庭に置いときました」 秋岡の持参した丸い石を島の後に据え、月が半分出た形にした。それだけでは、何か物足りなかった。子供の玩具の『尉と姥』を持って来て添える。「梅で開いて松で治める……そうや」 澄は庭にとんで行き、梅の小枝と松を飾る。最後に「めでたい」で鯛を一尾供えた。我ながらおもしろい「おなま御膳」ができたので、直に見せた。 直は口元をほころばせる。「お前は知らずにしたのやろが、これでお喜びの形はできた。よい御用をさせられなさったなあ」
 六月二十八日午後一時過ぎ、王仁三郎は神霊を奉じ、二十余人の軍霊を従えて大本に帰着した。宮はひとまず龍門館に安置される。 統務閣の自室に入った王仁三郎は、谷前玉子と吉野時子を呼んで髪を結い、化粧して再び女神の姿に扮する。その姿のままで、王仁三郎は教祖室の襖を開いた。 直は驚いて身じまいを正し、「坤の金神さま……」と声を上げた。 この日をどれだけ待っていたのであろう。直にかかる艮の金神の国常立尊と王仁三郎にかかる坤の金神豊雲野尊が世に落とされて三千年、絶えて久しい再会なのだ。その夜、直と王仁三郎は、御夫婦対面の神霊の喜びをこめて、祝の盃を交わした。 金龍殿では、お供に加わった二十余人と綾部駅まで出迎えた三十余人の間でも、喜びの御神酒が交わされていた。
 九月七日夕方、王仁三郎・梅田信之・谷前貞義・村野龍洲・湯浅仁斎・榎本正澄の六人が、橋本家を訪れた。「今度は夜さりの御用で、神島へ行かんなんのや。着いたらすぐ帰るさけ、そのままで行ってくれ、頼むで」 夜の御用とは不可解だが、変わった依頼には慣れてきたので、橋本福太郎は川西友吉を誘い、すぐ釣り船を一隻回して来た。褌に半纒を引っ掛けただけである。娘の八重がせがむので、一行に断わって乗せてやった。しばらく船を漕ぐうちに海上は闇に包まれて、振り返る港には波止場の灯が人懐かしく点っている。単調な櫓の音をきしませて二時間半、神島に着いた時は月も星も見えぬ気味悪い闇であった。 舟行燈は船に残る福太郎と八重の傍に残しておき、七人はろうそくの灯を頼りに上陸する。風が強くて、その灯もすぐ消されてしまい、島全体にぞっとする鬼気が漂った。 夜目の利く王仁三郎にとっては闇夜も苦にならぬのか、「お前ら、そこで待っとれよ」と言い残すなり、どんどん先へ上ってしまう。村野龍洲が負けん気を出し、矢竹の茂みをかき分ける音を頼りについて行く。が、十歩と行かぬ間に、悲鳴を上げて助けを求めた。川西友吉は手探りで村野の傍へ行き、ようやく二人は元の位置まで戻る。どれぐらいの時が経ったか、六人は一団となってただ闇の中に立ちすくんでいた。 やがて空から舞い降りるような勢いで、王仁三郎が帰って来た。「さあ、船に戻ろ、ここや、ここや」 王仁三郎の声に導かれて、一同はようやく汀ヘ下りる。八重は、船中で安らかな寝息を立てていた。砂浜で一夜を明かすことになった。「おい、西瓜があったやろ。橋本はん、こっちへくれ」 皆で一緒に食べようと思って積み込んでいた西瓜を、王仁三郎は要求した。福太郎が手探りで船からとって来て渡すと、王仁三郎は岩角で西瓜を割り、岩に腰掛けて一人でかぶりついた。「うまい、うまい、夜露で冷えて、格別うまいのう」 西瓜が大好物の福太郎は、腹が立ってたまらない。 ――先生とも言われる人が、皆のおる前で一人で食うて、礼儀も人情もない男やなあ。一切れずつでも皆にくれそうなもんやのに、せめて子供の八重ぐらいには残しても……あれあれ、あの大きな西瓜を一人で食うてしもたらしい。ちぇっ、腹でも痛めばええのに。 闇夜で見えぬが、堪能した素振りで西瓜の皮を海に投げる音。笑いを含んだ声で、王仁三郎は言った。「一人で腹の神さんに供えてしもてすまんのう。わしは水火もいとわぬ働きをせなならんのや。どれ、朝まで寝よかい」 言いながら船に乗り、八重の脇にごろんと横になる。はや高鼾。 ――漁師なら助け合うのに、山猿の奴め、勝手なもんや。生神さんやと思うたら、食い神や。 福太郎の腹の虫は、いっかなおさまらない。 夜が更けるにつれ、夏の夜風も次第に冷えてくる。寒さは耐え難くなって来た。寝ているのは、王仁三郎と八重だけだった。他の連中は船で横になったものの、平袖だけではとても寝られぬ。船から下り、崖下の砂地に風をよけてしゃがみ込んだ。 半纒一つの福太郎は、いっそうたまらない。もともと欲はからっきしない男で、銭金で船を出したのではないのだ。すぐ帰るからといわれて出て来たのに、こんな所で一夜を明かすはめになるなんて、むかむかして、他の連中に当たり出した。「なんやい、夜の御用や御用や言うて、大将が寝ていて何の御用ができるもんかい。御神業いうたら、ぐうぐう御寝業のことかい。こんなこっちゃったら来るんやなかった。すぐ帰る、そのままで来てくれいうもんやから、阿呆が真に受けて、えらい目におうた。おう、友はん、今から帰のかい、帰のかい」「これも何かの御都合でこうなっとるんやろから……」 村野も寒さに震えながらなだめる。「御都合もくそもあるかい。寝とるぐらいなら朝来ても同じこっちゃのに、この責任はあんたにあるんやで。大将を起こして、帰る算段せんかい」 梅田らは黙然と坐りこんだままである。いくら腹が立っても一人で帰りもならず、かといってしんしんと腹の底から冷えてくるのだ。 ――西瓜なんぞ食うとったら、こらただではすまんとこやった。丸ごと食うて寝とるあの男は化物かもしれん。 福太郎は一人岩の上で躍り上がり、躍り上がり、夜明けを恋うた。「おう、少し涼しいな」 王仁三郎が起き上がってのびをしたのは、東の空が白みかけた頃であった。「福はん、一晩御苦労やったな。体が疲れたやろ。わしらはこれから御用をするさかい、できれば少しお眠り……」 王仁三郎の柔らかな声を聞くと、妙に怒りがとけてしまう。 船に入ると、八重の体には黒い絽の羽織が着せかけてある。あれっ、と思って王仁三郎を見ると、薄い白衣一枚ではないか。父親の自分が、寒さのあまり娘のことを忘れていたのに。 王仁三郎に従って、一行は南側から島の頂上へ上った。王仁三郎が岩の上に端座して石笛を吹き、皆が矢竹を敷いて鎮魂を修する。福太郎もそれにならって坐ってみた。今度は目玉もむかず瞑目すると、朝の潮騒が遠い世界へ魂を誘うようであった。 王仁三郎がひとり立ち上がってそっと抜けていく。誰もついていく者はない。 二拍手がして目を開いた時、王仁三郎は得意そうに白い包みを抱いていた。「さあ、もう御用はすんだで、このお供をして帰るんや」 あっとみんなが腰を浮かした。どうやら白い晒に包んであるのは丸い二つの玉らしい。その丸いものの正体は王仁三郎も言わぬし、誰も聞かぬ。 福太郎はその正体が知りたくて始終王仁三郎の傍へひっついていたが、どうしてもわからなかった。けれど気になるのは、包んでいる晒である。よく見ると紐が垂れているのだ。 思い切って、福太郎は聞いた。「先生、その晒、越中褌と違うかいな」「そうや。下がすうすうするわい」「褌の中身は?……」「阿呆、金玉に決まっとる。けれどこれは金やないで、玉は玉でも如意宝珠に紫の玉……三千世界のお宝や」「へえ、そんな尊いお宝を褌で包んでも、罰あたりまへんのか」「どっちゃも玉を包むのに変わりないわい」 王仁三郎はにこりともしない。 帰途の船中、たまりかねたように村野が言った。「先生、わしにもおかげをもらわしてもらえまへんか」 村野が晒の包みを掌に受けて押しいただく。羨ましげに、他の者たちが村野を注視した。そのうち、村野の額が黒ずんで来て、脂汗が滲み出した。ついに堪え切れぬ呻きを上げる。「これ、お返しします。どうぞとっとくなはれ……」 王仁三郎が笑いながら、村野の手から丸い包みを受け取った。村野に襲いかかった腹痛も、玉を手放すと同時に治まってしまった。「それだけの神格のできとらん者が如意宝珠の玉にさわるとこんなもんや」 王仁三郎は言い、じっと遠ざかる一本松を眺めた。 村野は脂汗を拭い、まだ青い顔で、しきりに神島に向かってお詫びしている。 ――ああ、助かった。わいも「見せてくれ」というとこやった。けど村野はんが持ってもあの通りやのに、自分のしめとった褌はずして包んでも罰あたらん、先生はやっぱり生神さんかも知れんなあ。 櫓を漕ぎながら、福太郎は思うのだった。 この二つの神宝は、金龍海の大八洲の岩戸の中に仮遷座した。王仁三郎が神島のどこでどうやって手に入れたかは、語らなかった。一本松の根本から掘ったとも、神島の龍門の洞窟から持ち出したとも噂はとんだ。 九月十二日、出口直はこの岩戸に参拝している。
 ――変性女子は機の緯の御用であるから、さとくが落ちたり糸が切れたり、いろいろと梭のかげんが違うたり致して、なにかのことがここまで来るには、人民では見当のとれん経綸がしてあるぞよ。機織る人が織りもってどんな模様ができておるか分からん仕組みであるぞよ。でき上がりてしまわんと誠の経綸が分からんから、みなご苦労であるぞよ。霊が変化れていたさなできん仕組みがしてある故に、えらい心配を皆させたなれど、もう何彼の準備が立ちたから、この先はよく分かるようになりてくるぞよ。 これまでには分かりたら、邪魔が入りて、物が出来いたさんから、九分九厘までは何もわけては言われん、言わんから分からんなり、分からんから疑うて敵に取りて来るなり、言えばかんじんの仕組みの邪魔になるなり、つらい仕組みであるぞよ。神の心を推量いたして、仲良く御用を勤めて下されよ。ほどなく実地を始めるから、そう成りたら、守護神も人民も、えらい経綸がしてありた、と皆が申してびっくりいたすなれど、しあがるまでは智恵でも学でも分かりはせぬ。……沓島へお礼に参るのも、人民は思いが皆違うぞよ。沓島のような淋しき所に押込められておいで遊ばしたお心は、どういうものでありたという事を、くみとれる精神の人でありたら結構なれど、そこまでのことがなかなか汲みとれんぞよ。今度神島ヘ渡るのも、同じことであるぞよ。(大正五年旧九月五日) 十月四日(旧九月八日)午後四時、出口直(八十一歳)・王仁三郎(四十六歳)・澄(三十四歳)、それに直日(十五歳)・梅野(十三歳)・八重野(八歳)・一二三(六歳)・尚江(二歳)・養子大二(十四歳)の出口家はじめ直の娘の栗山琴・福島久・出口龍姉妹、上田世祢・西田雪・小西君など親戚一統、さらに役員信者たち合わせて八十一名、高砂港に到着した。 出船は明五日午前二時の予定で、それまで船中で休息する。風が出てあゆび(船と陸を渡す板。四十センチほどの幅)が揺れていたが、老齢の直が畳の上を歩くようにすうと歩いた。その姿の神々しさに、見物の一人高砂町南材木町の伊坂常太郎(当時二十六歳)が、「この人は生神さまやなあ」と声を上げた。誘われたように、見物人の中から直の後ろ姿を拝むものまで出た。 直が乗った船は奇しくも神社丸といい、船体の長さ四十七、八尺、板屋根がついている。この船は大本の御用船として、その後数年、神島参拝のたびに使用された。 出船が旧九月九日、出口家の数が九人、京都七条の駅から揃って乗った数が九九の八十一人、しかも教祖の年が八十一歳、不思議な数の巡り合わせと信者たちは噂しあった。各地からの参拝者も加わり、一行は百数十人にふくれて、午前二時、高砂港を出発した。船は偶然にも大小とりまぜた九隻、これまた不思議と驚いた。 宵に出ていた月は出船前に没していたから、海上は暗かった。一路舳先を揃えて神島へ。未明四時、島を一周して上陸する。 この参拝で、どうにも困ったことがあった。四日の朝、綾部駅を出発する頃から急に王仁三郎は黙りこくり、一言も言葉を発しなくなった。頼りとする先達が無言になっては、不便極まりない。王仁三郎の指示は、すべて筆で示された。上陸に当たっても、参拝者全員に厳重な布告が回った。「王仁三郎より先に上がってはならぬ」というのである。 船が接岸した時、どうしたわけか一人、人々をかき分けて飛び降りた。まだあけやらぬ砂浜を、その男はかけだして行く。王仁三郎が直をいたわるようにして上陸、その後からつつましく信者たちが従った。 亀が甲羅を返したように、先走った男が砂浜でもがいていた。京都在住の女郎屋の親父であった。 男は泣きながら叫んだ。「神さんはわしをここまで連れてきながら、人前で恥をかかせるなんて殺生や」 梅田信之がひざまずき鎮魂したが、男の背中が弓なりに硬直し切っていて、起こすこともできぬ。信之は王仁三郎に助けを求めた。 王仁三郎は無言のまま素足となった。左足を上げて男の足から顔にかけて逆なでし、鎮魂の姿勢をとるとただ一声「許す」、再び無言である。男は急に柔らかくなり、自分の力で起き直った。 後になって、佐藤忠三郎が王仁三郎に抗議した。「人間は神の生宮どっしゃろ。それをなんぼ先生かて、足で鎮魂するなんてあんまり馬鹿にしとるやおへんか」「仕方ないのや。男は左足で逆なでしてやる。女は右足で頭から足へと撫でてやる。神さまから罰せられた奴を治すには、こうせなあかんのや。よう覚えとけよ」 谷前貞義の奉仕で新しく作って持参した神祠に坤の金神の鎮座祭を行ない、王仁三郎は祭服を改めて無言の大祓神事を執行する。 祭典が終わり、一同が船着場の砂浜に下りた時、東天の雲を緋色に染めて無数の光の矢が天に走った。今、海から今日の太陽が生まれる前触れなのだ。みんな砂浜に坐って東の海に手を合わせた。深紅の日輪が波の果てにくっきり頭上をのぞかせて、みるみる大きくなってくる。空はすみれ色、波と雲は朱金色に輝き渡った。 すると、崖の上から砂浜へ二本の松の枝が落ちて来た。驚いて見上げると、山腹に光に染まって立っているのは王仁三郎である。誰も何の意味かわからなかった。うっかりさわって叱られては、と松の枝を眺めるばかりである。 澄の懐で乳を飲んでいた尚江が、急に膝から離れて、よちよち歩き出した。落ちていた松の枝を拾い上げ、それを箒のようにして掃き始めた。すると一二三が走り寄って、もう一本の松の枝を拾い、熊手のようにかき集める真似をしだす。「お澄や、わかったかい」と、直が息を弾ませて言った。「これを何と思う。子供がしとるのではない、神さまが実地にして見せていなさるのやで。よう見るのや、尉と姥の型をのう」 その最後の一言で、澄は直の言おうとする意味を悟った。 ――姥が変性男子(艮の金神)、尉が変性女子(坤の金神)。男子さまが掃き役で女子さまがかき集め役。男子さまは厳格な父神さまで、ああしたらいかぬ、こうしたらいかぬと厳しく立て分け掃き清めなさるが、女子さまは母神さまで、おやさしく、柔らかく、甘い神さま。百舌鳥も雀も狐も狸も何でも寄せ集めて救うて下さる方なのじゃ。この高砂の尉と姥とで、神さまは、世界の立替え立直しを遊ばさる。そうか、うちのつくったあのおなま御膳は、今日の、この光景を知らぬうちにつくらされていたのやなあ。 日輪は海を離れ、目も眩むばかりに金色の光を強めていた。 九隻の船が高砂港に戻ったのは午後四時であった。港の入り口にある高砂神社に参拝し、尉と姥とで有名な相生の松を拝し、高砂浦駅から帰途に着く。
 その夜、出口家一統は、大阪松島の谷前貞義方に宿泊した。王仁三郎の無言の行はまだ続いていた。 谷前家の離れの二階で王仁三郎は神像を描き、階下では神島から持した宮を祀ってその傍で直が筆先を書いていた。 廊下を渡って来て直の部屋をのぞいた澄は、母の背に異様な昂ぶりを感じてはっとした。宮の前に面を伏せ、肩を落として直は震えているのだ。「教祖さん、どうしちゃったんです」 振り向いた直の顔は、かつて澄が見たこともないほど蒼かった。「これがのう……」 直は震える親指を出し、しばらく息をつめたが、思い決したように一気に言った。「……先生が、みろくさまやったでよ……」 直の言葉の意味が、すぐには呑み込めなかった。「……みろくさま……先生が……」 澄は同じ言葉をただ繰り返した。 心底から深い溜息をついて、直は言った。「先生はみろくの大神さまじゃと神さまがおっしゃる。何度お訊きしても同じことや。わたしは、今の今までどえらい思い違いをしていたのやで」 やっとそれだけ言うと、直は今出たばかりのお筆先を澄の手に渡した。 ――みろくさまの霊はみな神島へ落ちておられて、未申の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊が、みろくの神の御霊で、結構な御用がさしてありたぞよ。みろくさまが根本の天の御先祖さまであるぞよ。国常立尊は地の先祖であるぞよ。 二度目の世の立替えについては、天地の先祖がここまでの苦労をいたさんと、ものごと成就いたさんから、長い間みなを苦労させたなれど、ここまでに世界中が混乱ことが世の元からよく分かりておりてのしぐみでありたぞよ。 ……なにかの時節がまいりたから、これから変性女子の身魂を表に出して、実地のしぐみを成就いたさして、三千世界の総方さまへお目にかけるが近よりたぞよ。出口直八十一歳の時のしるし。(大正五年旧九月九日) 澄は筆先を置き、直とはまた別の困惑を眉根に寄せた。 ――わたしはどえらい男を婿にしてもた。なしたこっちゃろ。こらかなわん。 直はいつまでも眠れなかった。王仁三郎を天のみろくさまと知った喜びか、はた、不覚にも今までそれを悟りえなかった悔恨か。 王仁三郎と初めて出会った十八年前、若い若い、まだほんの子供としてぐらいより見ぬ直であった。神命によって澄の婿にこそしたが、人間心では、常に批判せずにおれぬ男であった。それを神は、経糸に対する緯糸、厳に対する瑞、変性男子に対する変性女子として、みろく神業には欠かせぬものときめつけた。 それでいながら、争いは根深かった。どこどこまでも小松林を追いつめて、追いおとさずにはおれなかった。互いに憑る神霊同士のあの長い峻烈な火水の戦い。 直は悩み抜き、ついに王仁三郎こそ坤の金神の御用という、動かぬ認識に立った。が、それもあくまで直に憑る艮の金神の補佐神としての坤の金神であったのだ。それを神は、坤の金神も、素盞嗚尊も、いや、直があれほど非難した小松林命まで含み込んで、すべてがみろくさまの霊であり、みろくさまこそ、根本の天の御先祖さまであると示されたのだ。 さすがに太い直の肝魂がでんぐり返るほどの驚きであった。 旧五月二十五日、王仁三郎が神島の神霊を大本にお迎えして来たのに、神は再び直に神島渡島と神霊迎えを命ぜられた。何故二度までもと直はいぶかしんだが、今こそ直は思い当たる。王仁三郎が女装までして顕われたのは、直のためであったのだ。坤の金神のお姿だと、直は驚きながらも、も一つ奥の天のみろくさまとは夢にも見抜けなかった。その不明のために、神はわざわざ神島のお土を踏ませなさったのだ。無言のうちに悟れよと、王仁三郎は示していたではないか。 それすら王仁三郎のわがままと、自分は心の底で思ってはいなかっただろうか。 ふと虚心に帰ると、虫のすだきが地の底から湧き立っていた。八十一年間の長すぎるばかりの生涯を顧みれば、春夏秋冬、季節の移り変わりを鑑賞するゆとりすらなく生き続けた。帰神までは夫や子らを養うための生活と戦い、帰神後は神業一筋に身も魂も没し切った。色花を見ることさえ心のゆるみと忌み恐れて……。 それがいつか我となっていたのに違いない。その最後の我もぽっきり折れた思いであった。 毎年鳴いているはずの秋の虫のすだきが、今は痛いくらい身に沁みる。 経糸は張り終わった。後は緯糸が自在に織りなすのを待つばかり。どんなに途方もない錦の御機が織られるのだろう。それも、直がこの世で生きて見ることはあるまい。あとは天のみろくさまの懸られる王仁三郎に任せよう……。 深い安堵の底に、一抹の淋しさが忘れていた直の涙を呼びさましていた。
 王仁三郎ら一行が綾部に帰着したのは、十月七日(旧九月十一日)の夜であった。依然として、王仁三郎は無言である。 明けて八日早朝、王仁三郎は金龍海の大八洲に渡って、開口式を上げる。開口式とはどんなものか、どんな顔で誰が列席したかは残念ながら不明である。 王仁三郎は大八洲を出て、ひとり船に棹さしながら、大好きな金龍海をめぐる。五日目の言葉は、そこで丹波の山々に向かって吐かれていた。「……天下の秋やのう」 大本では、この年の三回にわたる神島参りを「神島開き」といい、明治三十三年の冠島・沓島開きに対応する重要な行事と受け止めている。 直がはじめて王仁三郎の神格をみろくの神と見出したことにより、長かった未見真実は終わりを告げ、見真実に入ったのであるという。つまり、大本における真実とは、王仁三郎に懸る神霊が「みろくの大神」であること。それをはっきり認識できた時、見真実に入ったといえる。 しかし、真実を見、認めるだけで良いのか。 この真実を天下に顕わし、みろく神即ち神素盞嗚大神のみ教えによって濁世を改めんとする者、そのために身を擲って活躍する人々こそ、顕真実の信仰者と呼べるのではなかろうか。

表題:解放  11巻4章解放



 大正五年五月初旬山陰線のトンネルを幾つも通り抜け、丹波の初夏の山や川を近々と眺め、さわやかな空気を思うさま吸い込んだ。それでもはずんでくる心は抑えようもない。宮飼正慶は窓から首を突き出し、風に逆らって大きな声で怒鳴った。「 解放!  解放!」
 宮飼は、まだ若くて風采もあがらぬ上、ひどい吃音症であった。  ――人の身の上はさまざまだが、大別すれば、快楽の量が苦痛の量より多い人と、苦痛の量が快楽の量より多い人とあるようだ。前者に属する者は生きて善事をなすのも結構だが、後者に属する者はさっさとくたばった方が合理的だ。どう贔屓目に見ても、ぼくなどは後者に属する。 そんなことを少年の頃から考えていて、二十八年間のうちに二度も自殺を企てた。失恋も生活苦も、きっかけであったに過ぎぬ。二度ともモルヒネをあおったが、分量が適当でなかった故か、いたずらに苦しんだあげくに生き返った。 モルヒネを服し終わって死を待つ気分は、今でもはっきりと思い出せる。飲む時はさすがに何度も躊躇したが、のどをすり抜けてしまうと、恐怖も悲しみもなかった。あるのはただ一つ、もう一度生き返りたいという矛盾、滑稽な肉のあがきである。くたばりたいという意志通りに死に迫りつつある刻一刻、本能は凄まじい執着をむきだして、強く鋭く生へしがみつく。 意に反して二度までも生き返り、本能を満足させはしたが、精神上の煩悶と病母を抱えての生活苦は、一層みじめったらしくなるばかり。死に損ないという泥んこ草履を引き摺って、再び大阪の街をうろつくだけである。 宮飼は、天下の奇人・反骨の新聞人といわれた宮武外骨の小さな新聞社で働いていたのだが、その新聞が廃刊して街路に放り出された。 食うに困って友人に連れていかれたのが岡田播陽という男のところで、何かの職業を紹介してもらうためであった。岡田は贅六町人と名乗り、人間研究者と称し、『明けんとする夜の叫び』、『天颱怒号三都生活』などという妙な本を出していた。 初対面の岡田の印象は良くなかった。異名「海坊主」そっくりの人相も不快であったし、人の用件などそっちのけの傍若無人な饒舌も小癪。もちろん宮飼の吃音相手では流暢な会話は無理かも知れぬが、午後三時に訪問してからずっと絶えることのない饒舌を聞かされ続け、夕食時に牡蠣船で食事する間から、さらにカフェ「パウリスタ」に席を移して午前三時に別れるまで、一方的に拝聴するばかりであった。「確かに、人間研究者としての血のしたたるような観察経験は凄いなあ。『人間の中でも、最も美しく最も醜い、最も賢く最も馬鹿な、最も必要な、神と悪魔との共同製品である』という女性についての解剖分析なんかどうして、丸善あたりで仕入れられる蘊蓄やないで」と、紹介した友人はほめた。牡蠣船やらカフェで奢ってもらったことを恩にきてやがると、宮飼は思った。 宮飼の求めていたものはパンの保証であり、俗人の俗論・愚人の愚論・哲学商人の言説なんかではなかった。 氷雨が激しく降っていた。友人と相合傘で深更の街を歩き、難波の火の気のない停車場に入り、天下茶屋行きの一番電車を待つ。氷雨がいつか雪と変わった。オーバーの襟を立てても、なお襲いかかる寒さに震える。「畜生、ひどい目にあわせやがったな」 ぶつぶつ言い続けた。口の中で言う限りは、どもらないのである。就職依頼の手紙は、その後二度ほど出したが、返事は来なかった。 今年になって、岡田播陽の家の近くを通ったので、ふと立ち寄る気になった。相変わらずの饒舌を聞かされたが、その中で、宮飼の尊敬する宮武外骨の人格をほめられた時だけは、海坊主の饒舌を許す気になった。宮飼は、まるで自分がほめられたように、顔を火照らせた。 外骨の下で働いた期間は短かったが、さほど豊かでない財嚢を割き、宮飼の家計を助けてくれた恩義は忘れない。高潔な人格を反骨の衣に包んで世間に誤解されがちだが、この人間研究家は、さすがに正当に宮武外骨を評価している。 宮飼の心は、この醜い海坊主にぐっと接近した。 海坊主は、分厚い、油で濡れたような唇を開いて続けた。「わてはな、最近、おもろい人間を見つけたで。丹波の大本教の出口王仁三郎という男や。どうおもろいかって? あれはな、阿呆や、偉大なる阿呆や。鰐いうもんは、陸におる時は、おとなしおまっしゃろ。王仁(おに三郎が本当だが、世間ではわに三郎と呼び慣わし、通称となっていた)はなあ、元亀天正の頃に出るべき人間やのに、造物主が出し忘れよったんやろ。もっとも当人はどっちゃが幸福や知らんが……」 煙管の雁首をポンと火鉢の縁に叩きつけ、目をむいた。「人間は、ただ上へ上へと登りたがっとるうちは、地上へ堕ちることだけが恐ろしいから、その恐ろしさはたかが知れてま。けど宮飼はん、この人間が、きりのない天上へ堕ちるものと信じてくると、恐ろして楽しおっしゃろなあ。耶蘇坊主は天へ墜落し、印度坊主は浄土へ墜落し、鬼(王仁)は天地の中心に半病人になってぶら下がっとる。つまりは時を得ぬ悲しさや。あいつなら、天国へ落ちたらエスの首をとり、地獄へ落ちたらエンマ征伐ぐらいしよる男や」 海坊主がそうほざくぐらいだから、出口王仁三郎という男、よっぽど変わった人物らしいと、ちょっと興味をそそられた。「よ、よ、よっぽど、そ、その王仁三郎さんとは、お親しいんですか」「親しことあらへん。遠くで見かけたぐらいや」「……」「わしの友人で、海軍中佐の飯森正芳という思想遍歴屋がおる。そいつから聞いた噂だけだす。飯森には王仁の偉さはわからんが、わしには噂だけでわかる。王仁のやっとる大本教も、けったいな団体らしおっせ」 海坊主は、大本について喋り出した。すべて聞きかじりの知識らしいが、話半分にしても、そこには宮飼の知らなかった別の社会があるらしい。ふと憧れるように、その社会を恋うた。 今度は、海坊主は小さな新聞社の口を斡旋してくれた。病母が死に、気にかかるものがなくなると、宮飼はあらゆる桎梏からの解放を無性に願った。またパンのために足枷をはめられる前に、一度大本と王仁三郎を見たかった。頼りは、飯森正芳宛の岡田播陽の紹介状だけである。紹介状一枚に、自分の運命を託してみる気であった。 が、汽車が奥へ奥へ、どちらを向いても山また山の中を進み続けていくと、次第に不安が増し、逆に汽車を引き止めたい気分になる。
 午後二時頃、宮飼は否応なく綾部ステーションに運ばれた。人力車に乗って、淋しげな田舎の町筋を走り、細い道を抜けたところの黒門の前で降ろされた。 黒門脇の玄関から案内を請うが、誰も出てこない。黒門をくぐって、二、三度怒鳴るうち、二階の障子が開いて、十五、六の少年が顔を出した。「で、で、出口王仁三郎さん、お、お、おられますか」「いいえ、管長さんはお留守です。東京の方へ行っておられます」 はっきりした東京弁であった。あとで知ったが、英文学者浅野和三郎の長男で、大本に預けられたばかりの勝良である。この頃、王仁三郎は、ちょうど横須賀の浅野家へ出張している時であった。今度は飯森正芳の名をあげた。勝良は下りて来て、紹介者の二葉の名刺を手に、奥へ引っ込んだ。 静かであった。微風でさえ、鳴りをひそめているかのようであった。 古風な束髪の色の白い中年の女性が現われて、飯森正芳の妻久子と名乗った。久子の案内で、勝手口らしい所から入る。学校にあるような大きな下駄箱がすぐ目についた。台所を通って物置みたいな境の戸を開けると、そこが飯森正芳(三十七歳)の部屋であった。新築らしい六畳二間であるが、本箱や戸棚や夜具や机や鏡などが押し並んでいるので、かなり狭く見えた。 熊の皮の上にあぐらをかいていた飯森は坐り直し、どもりながら初対面の挨拶をする宮飼に、はにかんだ微笑を返した。和服のせいか、海軍軍人らしくはなかった。「昼寝をしていたんだが、ちょうどよい時間に起こして下さった。あなたのことで、岡田さんからたびたび手紙をいただいていました。ただ『ある青年』とか『一人の青年』としかないので、どんな方だろうと心待ちにしていたのですよ」 酒の入っていない時の飯森は、訥弁で誠実そうな喋り方であった。「ここのことは、ちょっとやそっとではわかりませんさ。まあ、ゆっくり落ち着いて研究なさいよ。なにぶん明治二十五年に開教したものの、まだほんの創業時代ですから、万事混沌としていて、見当のつかんところです。これが普通の宗教なら研究もわけないのですが、宗教じゃないのだから、これまた厄介です」 宗教でないといわれて、ちょっと宮飼は面喰らった。岡田は宗教だと言っていたし、確かにお宮もあるようだ。それなのに、宗教でなくて何であろう。政治とか実業とか宗教とか大ざっぱに分類した結果、比較的宗教の部類に該当するから、それで岡田が宗教といったのかも知れない。 まあ、そんなことはどうだってよいさと、宮飼は思った。もともと無神・無霊魂主義者である。研究とは体のいい口実に過ぎなかった。とにかくまるきり別の人間社会――そんなものがもしあればだが……そこへもぐり込みたいだけである。「宮飼さん、ちょっとその辺までつきあって下さいよ」 飯森は、釘にかけてある水色の襷を肩にかけ、宮飼を促して外に出た。襷には大きく『直霊軍』と書いてある。どこへ行くのだろうと、少々たじろぐ思いで従った。  金龍海と呼ばれる池の傍を通り、しきりに土を掘っている数人の男たちに会釈しつつ、細い路を伝って小高い山頂に立った。「本宮山です。どうです、ここの景色は……」 夕陽を浴びた深みどり浅みどりの初夏の山々、清流が帯のようにうねって、その山かげへ隠れる。平地一面に波打つやわらかい豊かな緑は桑の葉であろう。いかにも蚕都にふさわしい。けれど煙の都大阪に育った宮飼には、地上いっぱい、まばゆいばかりに萌えたつ青葉若葉の生命力は強すぎる。飯森が本宮山に誘ったのは、客人へのサービスらしかった。ありがた迷惑だ。 山を下り、小学校の傍を通り、細い道筋を通って、軒灯の並ぶ街へ出た。月見町である。こんな山深い田舎町に遊廓を発見したのは、思いがけなかった。 とある一軒に入り、二階の一室で卓袱台を囲んでビールを飲む。アルコールが入ると、飯森は人が変わったように陽気になり、雄弁に自分の半生を紹介した。 かなりの理想主義者らしいと、宮飼は飯森の話を聞きながら思った。その遍歴は目まぐるしい。仏教につき、キリスト教に走り、宮崎虎之助という予言者に打ち込むあまり俸給の大半を割いて彼の生活を一年ほど見てやり、次はある婦人と共同して軍人ホーム設立に運動し、それができ上がると、今度は米国にある霊智学同胞協会(露国婦人ブラバッキーの創設したセオソファーの修行場)に参加するため軍職を退き、渡米前に大本を知って、今はこんな田舎町で酒杯を傾ける。この理想主義者がいつまで大本に満足できるか、他人ごとながら興味があった。 飯森の発案で、岡田播陽に寄書きの手紙を書くことになった。女中に硯箱と巻紙を持って来させ、まず飯森がかなり長たらしい文章を書いた。その間に、宮飼は弟に宛て手紙を書く。途中、ぱっと電灯がついた。「あ、あ、あれ、こ、こ、こんな町にも電灯が……」 あまり思いがけなかったので、驚いた声をあげると、女中が笑った。「へえ、こんな町にも電灯はありますわな。その代わり、しょっちゅう停電じゃけど……」 綾部にはじめて電灯がついたのは、明治四十五年七月の頃らしい。北丹電気株式会社(所在地福知山)が明治四十四年五月、綾部町に電気事業経営の認可を得ている。翌四十五年六月二十八日付の『丹州時報』は報ずる。 ――北丹電気会社は綾部町送電につき工事中なりしが架線其他設計工事はこのほど全部竣成したるをもって、之よりは綾部町需要家の取付工事をなす筈にて、全町点灯は遅くとも七月上旬に実施せらるべし。 町はそうでも、大本はまだランプであった。宮飼の友人に、電灯より数倍明るい(……もっとも当時はたいてい十ワットか二十ワットぐらいだから)というブランチャードランプの販売員をしている安藤と言う男がいる。宮飼の綾部行きを知って、冗談まじりに言っていた。「綾部に着いたら、友達甲斐に電灯の有無を知らしてんか。もし無かったら、すぐ綾部へブランチャードランプを売りつけに行くよってに……」 それを思い出し、弟宛ての手紙に追伸を認める。「安藤君に会ったら、綾部にも電灯があると言っておいてくれ給え」 岡田には安着の旨だけ書き添えた。 芸妓が入ってきた。背の低いくせによく肥えた家鴨のような女と、ちょっとした美人の二人であった。強くない宮飼はすぐに苦しいほど酔ったが、飯森は飲むほどに元気で、三味線にあわせて歌ったり、詩を吟じたり、はては節つきのお経をあげて踊り出す。 宮飼は脇息に身をもたせながら、綾部もまた、今までの社会の延長に過ぎないと思うのであった。
 龍門館の二階に、奉仕者たちと一緒に寝泊りした。朝七時前に起きたことのない宮飼は、五時そこそこに起こされることがまず苦痛であった。 顔を洗うか洗わぬかに、もう礼拝の時間である。ゆるい抑揚の祝詞の奏上は、どもらなくてすむので有難かった。こいつはどもりの矯正にいいかも知れないと、宮飼は思った。けれど、小さな子供でさえ空で唱える祝詞を、折本を見ながら唱えることに、いわれのない劣等感を感じる。どうにか折本を離してついていけるぐらい暗記するのに、一週間を要した。無神・無霊魂主義者である宮飼にとって、祝詞の暗記はただ他人の目をはばかってである。 礼拝に始まって、見ること聞くことすべてが宮飼の常識を覆した。神・霊・曲津神・眷属・守護神・副守護神・神憑り等々……言葉だけの言葉に過ぎぬそれらを、親類か友だちの噂でもする風に、親しみをこめて彼らは語る。例えばこうだ。「長いこと来ちゃらへんが、河原林さんは丹後に行っとってじゃろうなあ」「さあ、遊び好きのお方やさけ、幸はんも困ってやろうが……」「呑気な方やが、罪がのうて、なつかしいわなあ」 そこで何となく、皆が思いだし笑いをする。何気ないやりとりなのだが、幸はんとは管長の弟上田幸吉、河原林とは幸吉によく憑ってくる天狗さん。 二年ほど前から幸吉は丹後の比沼真奈井神社の神主にのぞまれて行っている。天狗河原林の御無沙汰は、きっと幸吉と同道で丹後に行っているからなのだろうというわけらしい。彼らの口にのぼる神名やらその眷属の龍神・天狗の名など、覚えきれないぐらいある。 宮飼は、あいまいに笑って聞いていた。談笑している彼らにしても、仲間に対するみせかけだけではないのか。彼らだって、心の底から、そんな馬鹿げたお伽噺を信じているわけでもあるまい。しかし二、三日もたてば、宮飼にも彼らの正直さ、真面目さは、いやでもわかってくる。 しばしば飯森の部屋に出入りする福島久を知るに及び、宮飼の驚きは増した。飯森と久は二人連れでもう半年近くも全国布教に歩いており、たまたま報告に帰綾したところという。だから宮飼が、綾部で飯森と会えたのは、僥倖と言わねばならなかった。 二人の宣教につきまとう珍談の数々が話題となった。讃岐の金比羅さまへ参拝した時、久が奥の院前の岩上に立つと、悪魔のブラバッキーの軍勢が黒雲のように襲いかかってきた。久は懐剣を抜いて寄せ来る邪神を防ぎ戦う。それを見た飯森も両刃の剣を抜いて斬って斬って斬りまくり、見事に撃退した――。 こんな武勇談になると、真剣な二人には悪いが、宮飼は笑いをかみ殺すのに苦労する。だって切り下げ髪の中婆さんと襷をかけた海軍中佐が、大真面目、必死の形相で空を切る図なんぞ正気の沙汰ではない。宮飼はふと、風車と戦うドン・キホーテと従士サンチョ・パンサの物語の中に引きずり込まれるような錯覚を感じる。 が、否定するには、あまりに二人の話は熱心すぎる。久の話を聞いていると、なんだか頭の上に載せられた大きな艾に火を着けられたような気分になり、ついには久の白い丸顔を見ただけで、脳髄が痛んでくる。 宮飼は奉仕者ではなかったから、朝食が終わると仕事がない。十数人の奉仕者は、泥掘りやら石運び、大工仕事など、黙々と夕方遅くまでやっている。所在なく飯森の机わきで読書するが、久が入ってくると、上手に戸外へ逃げ出すことにした。三日目には、ひとり抜け出て天の橋立まで遊びに行ったりした。 まもなく飯森は、久と連れ立って八木へ行ってしまった。留守を守る飯森の妻久子は、昼間は内事の手伝いをし、また出口家に養子に来た大二少年の母親代わりになって世話を焼き、結構忙しそうだ。夜は大二に添い寝までしてやっているらしい。大二も久子に一番なついている。 宮飼は、主のいない飯森の部屋で、朝から晩まで古事記を呼んだり、駄句をひねったりした。飯森が置いて行ってくれたお筆先など、手にするだけで、とても読みこなす根気などなかった。大本研究とは名目ばかりで、その実、既存社会からの解放を願い、逃避して来たのに過ぎないのだ。 かと言って、体ほど呑気に心を遊ばせておくわけにはいかなかった。周囲の物事や気分は、宮飼に拱手傍観を許さない。誰も何も咎めぬくせに、何かしら常にひどく急き立てられる気がする。夜はそれがむやみに高まってくる。 長い夜を、宮飼は一人輾転とした。信仰者の団体の中で無信仰でいることは、実に孤独であった。それがくせの独り言が、つい多くなる。宮飼の心は、理由なく苦しめられた。懐疑し、惑乱し、動揺した。責められ、痛められ、踏みにじられた。とうてい彼らとは水と油なのだ。混じりはせぬ。 宮飼は、八木にいる飯森に宛て、葉書を書いた。 ――私は、もう現在の葛藤には耐え得ません。この上居れば気違いにでもなりそうです。生活の激変と言うことは、こうまで人の頭脳の調子を狂わすものでしょうか。生まれたての赤児に眼が見え、耳が聞こえたらどうでしょう。私の今の状態は、ちょうどそれなんです。私は、大本というところをどう扱っていいかわかりません。 折り返し、飯森から返信が来た。葉書は三段にかき分けられ、一番上が普通の文章、次が英文、下段がすべて平仮名である。ずいぶん妙な手紙を書く人だなと、宮飼はしばらく眺めていた。 ――大本は現在のところ一種の迷宮にこれあり候えば、御驚異のほどもさこそと存ぜられ申し候。しかし近々日中に管長さまも御帰綾のこと故、賑やかにあい成るべく、ゆっくりと落ち着いて御研究の程を願い上げ候。 上段の文章である。中段の英語の方は一度読んだことがあった。後で考えると、トルストイのなにかにある文句であった。 大本の中では、所帯持ちも皆、一緒に食事する。たいていは塩辛い大根葉の漬物に味噌汁と言った一汁一菜式で、それは教祖も管長も同じらしい。 宮飼は、飯森の妻久子と向かいあって食事しながら、思わず言った。「こ、ここは、じ、じつに妙なところですねえ」 久子は、箸を止めて、意外そうに妙な顔で宮飼を眺めた。そういう表情をした久子を、宮飼はまた意外にも奇妙にも思えた。久子にしろ、他の人たちにしろ、よくこんなところで平気な顔で飯を食べていられるものだ。しかも、あちこちから屈託のない談笑の声さえ聞こえる。人間の食物とも言えぬ粗食に耐え、いや耐えている顔すら見せず、健康で、幸福そうな彼らを見ると、腹立たしくさえなる。 ぼろぼろの麦飯を口に運びながら、宮飼は聞いた。「あ、あ、あの……飯森さんは、いつもこんなにな、な、ながく八木に居られるのですか」「いいえ、もう八木にいやしませんよ。きっと福島久さんと東京へでも行ったのでしょう。神さまの御都合で、ちょっと行って来るつもりが、いつも十日や二十日はうろつくことになるのですもの」 久子の顔は涼しかった。この人は大事な神経が一本ゆるんでいるのではないかと思う。噂では、久子は体が弱いので、飯森は京都に愛人を囲っているという。はじめは久子も悩んだらしいが、信仰に入ってからは、それも因縁事とあきらめたらしい。 とすれば、信仰は、一種の麻酔薬であるのか。ここにいる人たちも、みな麻酔にかけられているのかも知れない。いやだ、いやだ、いくら苦しくとも、ぼくだけは正気でいたい。 散歩がてら、ぶらぶら停車場まで行くと、午後三時五十分発の大阪行きが入って来た。下り線との待ち合わせで、発車までかなり時間がある。プラットホームを出たり入ったりする乗客を眺めているうち、どうでも大阪へ帰りたくなった。切符売場に立って財布を調べた。十銭だけ足りなかった。放心した目で、去り行く汽車の後ろ姿を眺める。もしあの汽車に乗っていたら、今夜の八時頃には大阪に着けたのにと歯がみしながら思った。 帰る旅費が足りなければ、飯森の細君から借りればいい。けれど宮飼は、大本から逃げ出せなかった。大阪に帰っても職がなかった。職があっても、それによってパンを得ようとする気力がなかった。大本にいる限り、ひどい飯ではあるが、別に何となく食費を請求されぬまま、徒食できる。人間に寿命が決まっているとすれば、できるだけ苦痛の時間を少なくし安楽の時間を多くすることが、生きる才覚というものだ。 朝未明に起き、土工のような重労働に励む奉仕者たちは、言い合わしたように午後のひとときを昼寝する。ごろりと横になるなり死んだように眠る。はじめは異様で嫌らしかったが、すぐ宮飼も見習うことにした。生きている苦痛の時間を短縮するためには、趣向を変えて、昼寝の稽古もまんざらではなかった。 横須賀・大阪・肝川などの二十日間の巡教を終え王仁三郎が帰綾したのは、桑の葉の緑も一段と濃さを増した五月十七日である。 それから二、三日して、宮飼は王仁三郎に会った。管長というからには、何か堅苦しい男を想像していたが、それは予想外であった。櫛目を入れぬ髪を肩まで垂らし、逞しい体躯を荒い縞の着物に包み、兵児帯を巻きつけて大あぐらをかいた姿は、どう見ても博奕打ちの親分という風体である。 煙草の煙幕を絶え間なく吐き捨てながら、出てくるのは抱腹絶倒したくなるような失敗談や悪戯の話ばかりである。全身これ茶目のかたまりとしか思えない。 三時間ほどそんな馬鹿話を聞かされて飯森の部屋に帰ると、縫物をしていた久子が目を輝かせた。「たいそう長うございましたが、大事なお話があったようですのね」「ええ」 曖昧に返事して机に向かいながら、宮飼は、鼻唄でも歌いたいような朗らかな気分でいることに気がついた。そういえば、綾部へ来てから初めて、のどの奥まで開いて笑ったのだった。 宮飼は、その余韻のまま、岡田播陽に宛てた葉書を書いた。 ――私は今朝からお昼頃まで出口氏と対談し、初めてあなたが、「出口は阿呆だ、偉大なる阿呆だ」と言われた意味が首肯し得られました。阿呆のことを俗に「抜けている」と言いますが、氏は、抜けも抜けも実に底の無いほど抜けている人物です。 もっとも、同じ底が無いと言って、釣瓶と井戸では大いに違いますが、氏が後者の方であることはもちろんです。深くのぞきこめば、むしろ恐ろしいものがありましょう。 とにかく、善人も悪人も、智者も愚者も、富者も貧者も、盗人も慈善家も、氏の前にはことごとく只の人となって底無き井戸に吸い込まれ、種々雑多のガラクタどもを呑下して少しも凝滞せぬ所は、けだしこの偉大なる阿呆にあらずばできがたい芸当でしょう。私は、この人が何故支那に生まれなかったかを、深く恨みとします。   裂帛の気合いが暁闇を走る。梅田信之は、その声で快く目覚めた。床の中で四肢を思い切り伸ばし、美しい鳥のさえずりでも聴くように耳を傾ける。 昨年(大正四年)十一月一日、一少女を預かって以来、日常のすべてがまるきり狂わされてしまったと、梅田はしみじみ思う。「わしの娘を預かってもらえんやろか。……直日や。あの男娘や」 王仁三郎からそう頼まれた時、梅田は我が耳を疑った。さらに王仁三郎は言う。「名古屋の朝倉はんへ剣術修業に直日を預けたが、お米さんの葬式に帰ってからは、教祖さんがどうしても直日の名古屋行きを許しなさらん。ところが、直日の剣術修業の意欲は、ますます激しくなるばかりや。今度は、京都の武徳殿へ通いたいと言い出した」「あ……」「武徳殿のことは、あんたが教えたそうやな」「教えました。京都に剣術を教えるところはないか、言いなさるさかい……そうどすか、武徳殿に……」「だから梅田はんにも責任はある。やっと教祖はんも、京都なら近いさかい承知しなはった。月に一度、顔を見せに帰ることを条件に……だからあんたの家から武徳殿に通わせてやってほしい。ついでに直日の教育係もや」「あてに教育係……あかん、そらできまへん」「わしは、娘をいじりまわした盆栽にしたてとうない。自然に伸び伸びと育ててやりたい。直日が望むことを、助成してくれればよいのや。南へ枝をのばしたいと言えば南へ、北へ枝をのばしたいといえば北へ……どう育とうと、あんたに任す」 梅田は即答を避けた。理由は家庭事情である。いまだに妻妾同居を続けていた。梅田の家は京都市中京区東洞院通二条上ルにあり、大本の京都本部や直霊軍京都分営にあてられていた。二階は八畳三間続きで、一番奥に神床を設け、参拝の信者でいつも賑わっていた。 彼らの非難の眼を充分にわきまえながら、梅田は安子とおあいを傍にひきつけて暮していた。意地もないとは言えぬ。が、心からおあいが可愛く、心から安子が必要なのだ。「稚姫君尊さまさえ夫婦の道をあやまらはって、幽界へ堕とされなはったんどっしゃろ。悪いことは言いまへん。おあいさんと手を切って、天地の律法にかなった正しい夫婦の道に戻りなはれ」 そう誠心から忠告してくれる役員もある。けれど梅田は、天国へ救われたいとも、現世利益が欲しいとも、さらさら思わぬ。芸者の立姿がふるいつきたいほど好きなように、艮の金神さんと出口直と王仁三郎をたまらなく好きなだけだ。そして彼らが望む三千世界の立替え立直しという途方もない大目的も。 王仁三郎から霊界の話をあれほどくわしく聞きながら、妻妾同居の罪で地獄へ堕とされるならそれも結構。安子とおあいを両脇に三途の川を口三味線で渡るのも粋ではないかと居直っていた。梅田の信仰は、そんな信仰であった。 けれど水晶のお種、木花咲耶姫尊の霊魂という直日にだけは、妻妾同居の実態を見せられぬ。種痘でさえはねのけて守り抜いた純粋さを、こんなことで汚させたくはない。 結局、梅田は断わるつもりでいた。気が変わったのは、湯浅仁斎から事情を聞いてからであった。「教祖さまは、三代さんを渡辺梅子さんの家に預けたかったらしい。それを管長さんが、『梅田さんに預かってもらう』と頑張っちゃったげな」 渡辺梅子は明治末年に入信した京都の熱心な信者で、大宮支部を開いていた。直の心にも、確かに梅田の家庭事情についての心配があったのであろう。その反対を押し切って、梅田に預けたいと主張した王仁三郎の心が、梅田にはよくわかった。そういう家庭の事情があればこそ、なおさら他家へ娘を預けて梅田の心を傷つけまいとする。否、それにも増した友情なのだ。梅田は王仁三郎の温情を受けようと思った。 承知の返事をすると、すぐ近くに家を借りて、おあいの実母を呼び寄せ、おあいと二人を住まわせて、毎日梅田家へ通わせることにした。別居させてから、あるいはこうなることも計算ずみで王仁三郎が直日を寄こしたのではないかと気がついたが、後の祭りである。 直日が来てからの、家の中の変わりようといったらなかった。直日は毎朝未明に起き出して、庭の杉の木相手に、打ち込みの稽古である。たちまち三本あった杉の木の下枝は、丸裸となった。四時には朝拝を始める。早起きの習慣がなかった梅田が、いやでも直日の気合いで起こされる。初めは頭の芯が疼いて仕方がなかったのが、近頃はその声を聞かねば淋しいほどになっていた。 京都本部の広間では、毎日、信者たちが集まって筆先を写したり、拝読したりしていた。梅田の楽しみも筆先の筆写で、一節写してはくゆらす煙草の味は何とも言いがたかった。 午前中、直日は、梅田の傍に机を並べて勉強する。勉強するといっても、筆先の写しや好きな読書である。梅田のもう一つの楽しみは、夜、おあいを連れて散歩に出、直日に読ませる本を選んで買い与えることであった。 直日のいわばご学友が二人いた。近所の信者の子で、同じ十四歳の数寄屋大工の息子黒田長次郎と、表具師の息子青根逸造である。それに今年の春から、小学校を卒業した大二少年も綾部から出てきて寄宿した。許嫁同士の二人をできるだけ一緒に住まわせて仲良くさせようという、王仁三郎らの配慮であろう。四人は机を並べて勉強に励み、午後一時になると、竹刀と防具をかついで揃って武徳殿へ出かけて行く。 十五歳になりながら、直日の男装への憧れは相変わらずである。髪を一つに束ねてきつく引き締め、芝居で見る武士のように目尻をきりりと釣り上げねば承知しない。弁慶縞の着物に兵児帯・男袴、寒中でも素足に朴歯の高下駄、それに竹刀と防具をぶら下げ、大股で市中を闊歩するのだから、どう見ても少年だった。 梅田の一人息子、数えで六歳の伊都雄まで感化され、回らぬ舌で「ドウテツ、ドウテツ(豪傑)……」と言い、寒中でも素足で過ごすので、虚弱であった体が風邪もひかぬようになったくらいだ。友だちどうしで喋る時は武士言葉で、「何々氏、さようしからば何々でござる」といった調子である。 御所を抜け、堀川通りを通り、ずっと歩いて北野の武徳殿に通うのだから、かなりの距離だ。もちろん、少女で剣術を学ぶのは、直日一人だった。 誇らしさを隠し切れぬくせに、こぼした口調で直日が語ったことがある。「武徳殿では、黒皮の胴を着けた人やの、いろんな先生方が、竹刀を持って並んどってんです。拙者ら門弟は、そのどの先生でもよいさかい、お辞儀して打ち込んでゆくのやが、拙者は不思議に黒皮胴の持田盛二先生によくあたる。持田先生は天覧試合で優勝されたことのある達人でござるげな。拙者が打ち込むと、先生はゆるく返して下さるつもりじゃろうけど、達人だけあってはね返りがきつい。どの先生に稽古つけてもらうより疲れ申すわ」 疲れると言った口の下から、もう男の子たちを集めて、「相撲じゃ、柔道じゃ」と暴れまわる。「なんのくよくよ徳川の狸親父め、拙者がちょいとひねり潰してくれるわい」 などという傍若無人なはしゃぎ声が、表にまで響き渡る。初めは一週間に一度、洛東の岡崎にあった武道会本部へ薙刀を習いに行っていたが、女子のやる薙刀など性に合わんと言い出し、撃剣一本にしぼってしまった。 安子の話題は、しばしば直日のことに触れる。一度に麦飯を四杯も食べ、大きなお握りを三つ平らげたなどと自慢そうに噂する。 ある日、武徳殿から帰った直日がふくれ返っている。「御所の中を歩いていると、痰が吐き捨ててあった。日本人の分際で、なんであんなことができるのか」「御所の中に唾を吐くような、そんなつつしみのない乱れた世の中ですよって、神さまが出て来られて世界を立替え立直ししなさるのどす。そのために神さまが大本をおつくりやしたんどっせ」「そうや。わたしらが志を集めて、お国を立直すのや」とうなずいて、機嫌が直る。と思うと、今度は、「顔に白粉べったり塗って歩いている女を見かけたが、はいている足袋はどろどろや。あんな女が母親になっても、育つ子はろくな者にならんやろ」と、またふくれ返る。 安子が直日を連れて忠臣蔵を観に行った時のこと、浅野内匠頭が切腹する場面になった。あたりはしんと静まり返っているのに、前の席の三人ばかりが、芝居をよそに食うことやお喋りに夢中になっている。直日は立ち上がり激しい言葉で叱りつけ、席を蹴って帰って来てしまった。 日曜日は剣道の練習が休みなので、たいていは京都周辺にある御陵や霊山の勤皇の志士の墓などを訪ね歩いているらしい。梅田が編笠を手に入れてくると、大喜びでそれをかぶり、薩摩絣の着物に義経袴・草鞋ばき、手には鉄扇と言う異装で、少年たちを従えて外出する。坂本龍馬の墓の前に平伏落涙して動かなかったなどと、少年たちが語っていた。 直日の体内には、確かに異常なほど勤皇の血が昂ぶり育っていた。やはり勤皇家である梅田の感化をなしとしない。梅田の買い与える『歴代御製集』、『万葉集』、『古今集』などの歌集をはじめ、『太平記』などの歴史書・志士の伝記・古武士の言行録などから、武士道や勤皇の志をどんどん吸い取っていた。 まだ綾部にいた頃、直日は西郷隆盛に熱を上げていた。大二は乃木大将が好きと言う。それでどっちが偉いかで口論となった。王仁三郎が仲裁に入り、西郷の方が立派やなと直日に軍配を上げた。何故と大二が口をとがらすと、「同じ切腹にしても、乃木のは女々しゅうていかん」とだけ言ったという。 立川文庫の英雄豪傑から勤皇の志士へと傾斜は激しく、そこに直日の魂の成長が見えるかのようであった。 ある時、梅田はさりげなく言った。「直日さん、歌ぐらい作らなあきまへんで」「そうや、日本人やもの。維新の志士たちも、みな歌を遺しとってや」 直日の眼がきらと光った。以来、熱心に歌を詠み始めた。第一次世界大戦下の好景気に浮かれた軽佻浮華な風潮への、十五歳の少女の悲憤を、三十一文字の中に叩き込んでいる。   神国は皆外国魂になりはてつ       まことの人のなきぞかなしき   国のため心づくしのますらをは       涙の雨の降らぬ日ぞなき   秋の夜の虫にもひとし世の様を       ただ泣くばかりかひもあらずて   世をなげき国をうれひてよもすがら       涙の川に身をひたしぬる   わが心誰にかたりてなぐさめむ       見ればものうし聞けばかなしも   男の子といひをみなとやいふ人の       世の隔ての垣のうらめしきかな 梅田の好きな勤皇の志士は劇的な生涯を送った高杉晋作だが、直日は吉田松陰と高山彦九郎に夢中であった。吉田松陰が好きなのは、大二の兄吉田一の影響ではないかと、梅田はひそかに思う。吉田一は号を吉田松陽とするほど、松陰に憧れていた。直日は分厚い吉田松陰伝を常に座右から離さず、部屋に画像まで掲げている。   啼かざれば誰か知らんとほととぎす       血に叫ぶその声ぞ慕はし   今の世に生きていまさば馳せゆきて       君のみ教仰がむものを 松陰を慕って作った歌である。 祖母の没後を七日間食を絶ち墓前に端座して冥福を祈ったと言う高山彦九郎についても詠んでいる。   世をかこちつくしの国の朝露と       はかなく消へし君ぞ恋しき 尊王の志士の言行に心ひかれながら、同時に直日は、反対の立場にある佐幕派の彰義隊や会津藩の白虎隊にも、魂を揺り動かされているようだ。幕府の運命が誰の目にも救いがたく映っている時、なおかつ旧故を尊び、亡びゆくものの哀れのために惜しみなく若き生命を散らした彼らへの、少女らしい感傷であろうか。ともすれば敵味方と割り切りたがるこの年頃に、幕府に殉じた人たちへも愛情を寄せる直日の魂を、梅田は美しいと思う。 今年の初めであった。直日が真剣な顔で相談を持ちかけてきた。「おじさん、少年は少年らしく、立替え立直しの良き種になるように努力せねばならんと思います。それで大本に少年隊を作りたいんです。応援しとくれなはれ」「そら結構どす。直日さんのしやはることなら、なんぼでも応援しますで」「おおきに。少年隊の名前は、もう決めてあります。男の子は白虎隊……」「ほう、会津白虎隊どすな」「会津の真似やござらん。古い言葉に四神(四方の神)として東は青龍、北は玄武、南は朱雀、西は白虎とありますやろ、その西の白虎です。女の子は娘子軍、小さい子は幼年軍と分けます」「なるほど……それはもう誰かと相談しなはったんどすか」「いいえ、わたしの一存です」「それで大将は?」「もちろん拙者、木花直澄でござる」 直日は当り前ではないかという顔で答える。木花直澄という武張った名前を、直日は使用していた。「けれど綾部と京都では、何かと不便どっしゃろ」「一番上が指揮、これは木花直澄です。常に表には立たんけど、実権を持ち、大事な時の采配は指揮がとる。後は棟梁に任せます」「棟梁に適任者はおりまっしゃろか」「おります。吉田松陽(吉田一)殿です。あんな立派な仁はござらん」 断固とした口ぶりで、直日は答えた。 直日が熱心に繰り広げる構想を聞いているうち、梅田は、それが単に子供らしい夢や遊びとは思えなくなる。彼らの中から大正維新の志士たちが続々巣立つ想像に奮い立つのであった。 二月九日、直霊軍の別動隊として白虎隊が組織され、大本の別荘(龍門館の元臥龍亭)を本丸、京都支部を西丸とした。二月二十日、直霊軍京都分営(梅田邸)で旗上式を挙行。少年少女たちの希望に輝く顔が並んだ。 梅田の部屋の壁には、白虎隊勇士の名が長い巻紙に書き連ねて張りつけられた。男の子は、それぞれ王仁三郎からもらった物々しい名をつけていた。【指揮】木花直澄(十五) 白虎隊勇士【棟梁】吉田一・茂頴(十八)【四天王】出口大二・正地(十四)、湯浅貞次・忠勇(十七)、黒田長次郎・清澄(十四)、湯浅俊一・義澄(十六)【天地人】青根逸三・孝行(十四)、鈴木孝太郎・智信(十五)、榎本博・正澄(十二)【八天狗】福島国太郎・正邦(十四)、中村市松・忠孝(十二)、田中邦次・忠起(十三)、吉村儀一郎・真実(十一)、湯浅寛次郎・大忠(十五)、今井勇太郎・忠直(十三)、市田好郎・忠義(十四)、黒田久治郎・清輝(十二)――以下略 娘子軍勇士【龍】黒田その(十六)【虎】立入きみ(十五)【四天王】近松むめの(十四)、出口梅野(十三)、岡崎たつ(十三)――以下略 幼年軍勇士【棟梁】梅田伊都雄・信行(五)、【龍】黒田富次郎・隆盛(六)、【虎】青根文三・信輝(六)――以下略 彼らの活躍は、梅田の予期以上のものがあった。直霊軍に真似て、肩まで伸びた長髪を根元で一つにくくって垂らす。白木綿の後ろ鉢巻きをしめ、裾を縛った義経袴に草鞋ばきといった凛々しい姿。上に二段の線を入れ十曜の紋と「皇道大本白虎隊」と染め抜いた旗を押し立て、山鹿流の陣太鼓を鳴らし、「ヒラアヒラアと神軍旗……」と合唱しつつ、京都・大阪・神戸などの市中を練り歩く。盛り場に立って勇壮活発な街頭演説もした。可憐な少年少女たちの堂々たる弁舌ぶりは世人を驚かし、時の話題となる。それが大人の直霊軍軍霊たちを刺激、鼓舞もした。 梅田は胸をわくわくさせながら、彼らの後へどこまでもついて行った。王仁三郎の可愛がりようもたいへんだった。何かあると白虎隊を招集している。 彼らの成長ぶりは、指揮の直日と棟梁の吉田一の間の呼吸がしっくり合っているからであろうけれど、まるきり問題がないわけでもないらしかった。四、五日前、梅田は、直日の机上に吉田一に宛てた投函前の手紙を見つけた。差出人は直日である。 保護者としての立場から、つい開いて読んだ。男のような闊達な文字で、激しい言葉が書き連ねてあった。   天下無道世暗黒 乱逆尽得迷暴極   正取立裁断義剣 威風凛然掃国毒 棟梁殿、われわれの行状悪しき故に心外な、と申してをられるとのこと、大二殿より承ってござります。直澄の覚悟は、平生に変はりござりませぬ。また「白虎隊の勇士がちりぢりになっても、われ一人に成りても、正しい道を歩み神国へ仕へ奉るといふ精神の人がない」とて残念がって居られますとのこと。 棟梁どの、ご安心なされませ。直澄は残念なことには女でござります。いにしへから女子は不浄の身といふことが伝はってござります。故に直澄は、平生に死をもって神国に報ひ奉る心底でござります。この心金鉄、わたしの胸、天崩るるとも変はりござりません。この血は赤ふござります。まことに無礼な言葉にござりますれど、根本の大神さまがお心をお変へになりましても、わたしの心は変はりございませぬ。 故に棟梁殿、ご心労なされませずと、ご安堵なされて下されませ。ずいぶんおからだをおいとひ下されませ。   たとへ身はいづこのはてにさらすとも       御国のために尽くしまつらむ   ますらをが誓ひ立てたる真心は       百代へぬとも違はざらまし 大忠殿・忠起殿・忠孝殿、日夜神国のためにおん働き下され、ご心労にござります。なにとぞ棟梁殿の赤き志をうけつぎなされて、ともに神国のためにお尽くし下されませ。  大正五年六月十四日 木花直澄十五歳 どんな事情があったか知らぬが、気負い立った文章の中にも、直日の純情さがむき出していて、梅田は微笑んでしまった。ただ一つ気にかかるのは、吉田一に対する直日の傾倒ぶりである。大人のいやしい目で見れば、直日は無意識のうちに恋文を書き綴ったのだと、受け取れぬこともない。 男ぶりたい直日の心の奥底に、ほんとは、もっともやさしい、乙女らしい魂が息づくのを梅田はとうに見抜いていた。路傍に咲く名もなき花に寄せるひたむきな愛情、美に対する鋭すぎるほどの感受性――。 英雄豪傑への憧れとはうらはらに、直日はまた手づくりの素朴な人形を愛していた。幾通りもの着物を縫って着せ替えたり、蒲団をつくって寝かせたり、人形のために小さな筆先の一節を書写した草紙をつくったり、ひそかに人形との世界に遊んでいるらしい。そういう乙女らしさを心ない人に垣間見られるのを極度に嫌いながら。   世の様をなやめるがごと人形の       ひとみの光しづみて見えぬ   心から楽しき時はものいはぬ       人形さへもゑましげにして   思ふこと露ほどもなき人形を       うらやむあまりもてあそぶかな 男の子と同じ目で見ていても、いつ奥底に潜む女性が頭をもたげぬとは限らない。信頼と尊敬が恋に変わることは、ままあろう。しかし、吉田一に限って、それは困る。婚約者大二の兄であるからだけではなかった。最近、吉田一は直日の妹梅野と婚約している。お筆先拝読に魂を打ち込んでいる一を、ひとしお直はいつくしんでいた。その直のたっての希望からだという。 出口家の長女と吉田家の次男、出口家の次女と吉田家の長男の婚約、それでさえ不自然であるのに、直日が一に愛情を寄せるようにでもなると、どういうことになるか、女心の複雑微妙さを知りすぎるほど知っている梅田だけに、つい先の先まで読んでしまう。 いけない、いけない――大人の不純さを払いのけるように、梅田は首を振った。 杉の木に向かう直日の張りつめた気合いを聞いていると、すべてが杞憂だと思えてくる。甲高い少年たちの気合いが加わって、いっそう朝の空気は澄み渡っていた。
表題:新米審神者  11巻5章新米審神者



 王仁三郎が村野龍洲を連れて横須賀を去ってしまってから、浅野和三郎の真剣勝負が始まった。 常陸国(茨城県)の南端に生まれ、一高から東京帝大英文科へ――浅野は受け持ちの教師であった小泉八雲の下で『帝国文学』誌上に連月創作を発表、帝大を出てからは海軍機関学校に招かれて英語教官の任に着き、かたわら翻訳や英和辞書の編纂に打ち込んで来た。文学士浅野の名は著名であった。 そうした順風満帆の人生航路を過ごした和三郎が、四十の坂を越して、突如として激しい心境の変化を来たした。半生を培って来た学問や理知や常識ではどうにも割り切れぬ、魔訶不思議に出っくわしたのだ。黙殺し得ぬまま、ついに和三郎は綾部の大本を訪ねて教えを請い、さらに王仁三郎を自宅へ招いて、神霊世界へ足を踏み入れる首尾となった。 鎮魂帰神という、神霊交感の実証法を王仁三郎から手ほどきされ、審神者の石笛を授けられたあげく、浅野はただ一人手さぐりで修行に分け入る。いや、それがどんな惨憺たる苦行であるかは、温室育ちの彼にはまだ予測もできなかった。 浅野が実験材料に選んだのは、霊が感応しやすい宮沢虎雄理学士であった。とてつもない高声で口を切り、近所隣を驚かせた宮沢であったが、その後二、三度の王仁三郎の導きで、天言通は急速に進み、しきりに予言めいたことなどしゃべり出していた。気心知れた宮沢なら、新米審神者の浅野の手にも負えそうな、恰好の神主であろう。やはり鎮魂帰神に熱中している宮沢に、否やはなかった。 王仁三郎が去った夜から、さっそく実験は始まった。浅野の書斎で、初心の審神者と神主は、一対一で向きあった。この日まで和三郎は、唇が紫色にはれるほど石笛を吹く練習をとげていた。不十分ながら、音は出た。 心を鎮めて石笛を吹く。鎮魂の法をとる。その時を待ち望んでいたように、宮沢は感応し、かっと両眼を開いた。その眼たるや、平素の二倍はあろうか、烱々たる光を放つ。型通り組んだ手まで離し、居丈高に膝につき立てる。かつてない変貌である。 内心の周章をひた隠し、浅野は、かろうじて威儀をつくろった。「どちらの神さまですか、恐れながらお名乗り願います」「た、た、た……たけみかづちのみこと……」 障子が震え、ぴりりと鳴る。「え、あの……出雲の国譲りの神話に出てこられた……」「おう、武甕槌命といえば、一柱……ほかにおるか」「はっ……」 早くも恐ろしい権幕に呑まれて、審神者先生、憑霊に頭を下げてしまった。いわゆる気合い負けである。 武甕槌命についての乏しい知識をあわてて動員する。天照大神の命を受けて出雲に下り、大国主命とその子らを説いて国土を奉還させた殊勲者。たしか建御名方命の手を握って氷柱と化せしめたおそろしく大力の武神……たいへんな神さまの御降臨じゃと、審神どころか反問の一つ、疑いの寸言も入れる勇気など出ぬ。 こうなると、憑霊はふんぞり返ってしまった。厳然として審神者を見下し、かさにかかって命令する。「浅野和三郎、そなたは鎮魂の修行一つできてはおらんではないか。そんなことで、この神界の審神者がつとまると思うか」「はっ……」「この方が、これからお前の鎮魂をしてやる。そこに手を組み、眼をつぶれ」 和三郎はいわれるままに目をつぶった。 主客転倒もいいところ、自分のつくった神憑りから逆に鎮魂されるというのだから、無気味きわまる。「審神者は絶対的権威を守れ」という王仁三郎の注意など、逆上した浅野の頭から消しとんでいた。「浅野、雑念を去れ、なっとらん」 日頃温厚な機関学校の同僚宮沢が、穏やかな平常の声とは似ても似つかぬ破れ声で、頭からかみついてくる。小言を浴びせながら、二、三十分、真っ赤になって鎮魂をする。第一回目は、いい加減で終わってしまった。 武甕槌命がついていると信ずる宮沢は、意気軒昂として毎晩やってきた。自称武甕槌命は、かかるとすぐ審神者役を浅野から奪い、権柄ずくな態度で、しかしねばり強く浅野の鎮魂を繰り返す。浅野も、武神から審神されると思えば、誉れと感激せざるを得ない。 七回目であったろうか、浅野の組んだ両手から感覚が退いていった。腕・胴・足とやがて総身は存在を失って、宙を漂いだしていた。 ――ははあ、これが禅坊主などのねらっとる境地らしい……肉体の無感覚をしっかり客観し得る自己は確かにある。待てよ、すると霊肉脱離して、ぼくは死んだのかしらん。 あたりを見渡そうとすると、眼蓋の裏が明るく奥深くなってきた。赤や紫が交錯し、それが落ち着くと一面に蒼ずんできて、晴れわたる秋の夕空か大湖を思わせる。 碧水の中に一点、かすかな波紋を描きながら現われた人影があった。「あっ、あの方は……」 知っているようで知らぬ顔――どちらからともなく近寄った。眼は見合わせなかった。年の頃は五十有余、豊頬長髯、衣冠束帯姿、やや斜めに眼を伏せたまま、その人は少しずつ動いて行く。「ああ、どなただったか……」 思いだそうと戸惑ううち、早や焦点がはずれてぼやけていく。 ――しまった、もう少し、もう少し見ておきたい……。と、あせる間に、宮沢の二拍手が響き渡って、現実に引き戻されていた。「誰でした、今のお姿は……」 逆審神者の宮沢に向かって、浅野はせき込んだ。「ばかっ、自分で自分の守護神がわからんのか」 大喝されて、はっとした。これが天眼通なのか。そして、あのお姿が、日夜自分を守り導き給う神霊、守護神であったのか。浅野はこの目で神霊の実在を見、その端緒をつかんだことを、宮沢の憑霊に感謝しなければならなかった。 しかしそれからがたいへんである。武甕槌命は威張る、威張る、さすが武断派らしく、浅野に絶対服従を迫ってくる。心中おそれをなしながら、浅野は口返答一つできず、万事憑霊の仰せのままとなってしまった。 ある日、上村工学士と田中豊頴が来合わせた。宮沢理学士は例によって発動するや、ふんぞり返って命じた。「上村、田中、おまえらは今から海軍機関学校に参って、めぼしい奴を引っ張って来い。即刻招集だ、ぐずぐずするな」 二人はびっくりして、居合せた将校、文官連をかり集めに飛び出していく。何事かと集まって来た六、七人は、日頃おとなしい宮沢理学士に頭から怒鳴りつけられ、何が何やら見当がつかない。「さあ、これからお前らに鎮魂をしてやるのだ。機関学校には、この度の御神業に参加すべき重要なる人物が集めてある。浅野が総大将、宮沢が参謀長である。時節は切迫しているのじゃ、さあ、眼をつぶれ、つぶれったらつぶれ。ええ、姿勢が悪い。浅野、ぐずぐずせんと手の組み方を直してやれい」 説明も抜きにしていきなり叱りつけるのだから、気の弱い者など顔色を変えている。友だちをつかまえて宮沢の奴失敬な、気でも狂ったんではないか、こら危険だぞと構えているから、にわか神主たちはちょいちょいうす眼をあける。 とうとう焦れて、武甕槌命は、一同の頭を平手で一つずつ叩いて回った。「こんなことで立替えの間に合うものか。落第だ、役に立つものは一人もおらん。用はない、みな帰れっ」 赤くなって怒っている憑霊の前には、和三郎も手がつけられぬ。同僚諸氏はそこそこに帰っていった。 機関学校の内部は大騒ぎになった。昼間きちんと講義に出ている浅野や宮沢理学士をつかまえて、「鎮魂は危険だ。催眠術の一種だから発狂してしまうぞ。大本を信ずるのもいい加減にせよ」などと忠告、攻撃の的とする。無論、浅野も宮沢も負けてはいない。「あれは発狂ではない、霊の発動だ」「霊なんかあるものか。君、だまされてるんだ」「いや、ぼくは確実な体験を握っている。神や霊がないという君らこそ、物質主義に毒されているのさ」 議論は沸騰し、噂は横須賀から東京の海軍省まで飛び火した。 正面の敵ばかりでなく、思わぬ伏兵があった。宮沢理学士の両親や妻女が、心配のあまり騒ぎ出したことである。彼らからみれば、浅野和三郎が物好きにも鎮魂などという魔術にこり出し、宮沢をそそのかして熱中させ、ついには半狂人にしてしまったということになる。 審神者の未熟の悲しさで、浅野にもおいそれと弁明はできなかった。「こう腹背に敵を受けてはどうにもならん。しばらく休止しようか」 浅野は妥協をはかり、宮沢を説得して見たが、どうしても承知しない。「やっとぼくらは神霊の実在を体得したんだ。この霊覚でもって、天地の秘奥をさぐって、前人未踏の境地を開こう。少々荒々しくったって仕方ないさ。神懸りと狂人の区別がわからん奴は気の毒なもんだ。ほっといたらよいさ、そのうち真相が知れるだろう」 宮沢の強気にも増して鼻息の荒い憑霊は、数日の後には、浅野の鎮魂も待たずに勝手に発動するようになった。「お前のおやじやおふくろは修行の干渉をするから困る。どうも煩さくっていけない。当分は浅野のところに泊まり込んで帰るな」 これが、宮沢に対する武甕槌命の御神勅であった。宮沢は、すぐさま浅野家の書斎に泊まり込んだ。 言いなりに宮沢を何日も泊めておいたのが事態をいっそう悪くした。火の手は広まり、風説は風説を生んで、ついには海軍本省から実情調査の内命が、機関学校長木佐木少将の手許まで下るに至った。しかし、木佐木少将はじめ、王仁三郎の説話を聞き一度でも鎮魂を受けたものは、見方もまた違っていた。 賛否両論の渦中にあって、浅野家では、ひるまず夜ごとの修行が続けられた。そのうち上村工学士も修行に加わり、毎日欠かさずやって来る。 審神者は例によって宮沢の憑霊である。「さあ鎮魂、みんな不勉強でいかん。浅野の家内も子供もやれ、残らず井戸水をかぶるのだ」 十五、六間もある深い井戸のまわりに、上村工学士と和三郎の家族全員が集まって水をかぶるのだから、水汲み役もたいへんだ。「ぐずぐずするな」とどなられっぱなしの女中芳子は、必死で釣瓶をたぐる。五月の半ばで、そう寒くはなかったが、井戸は数日後には渇水する。 ずいぶん迷惑なばかげたことも多かったが、一週間ばかりの強行鎮魂の効果も捨てたものではなかった。上村工学士が口を切ったのも、この時であった。「さ……さる、さる、さる……」 唇をなめなめ、低く優しく、長いこと「さる」を繰り返す。みんな、てっきり猿の霊だと思い込んだ。それが、数回鎮魂しているうちに、後の方がまだあった。「さる、さる、さるた、さるた、ひこ、ひこ……のみ……こと」 語尾が妙にひっつれて「命」で結んだのには、一同思わず吹き出した。あまりに滑稽なので、猿田彦命ばかりは、誰も信ずるわけにはいかなかった。 一方、浅野家の内側にも幾多の材料が得られた。次男の新樹が鯛の骨を喉に立てて取れなくなった時、真夜中に芳子が猛烈な腹部の痙攣を起こして苦悶した時など、浅野は神力の加護を祈って鎮魂し、わずかの間に治した。些細な体験とはいっても、積み重なるに従って、それは確信となる。好奇心時代、びっくり仰天時代が最初の二週間ばかりで経過すると、修行はますます真剣に、綿密に深まって行く。 宮沢理学士の天言通に対して、浅野の妻多慶は急速に天眼通が開けていった。閉じた目に痛いばかりの鮮紅や青紫が見えたのが数日、それから抜け出ると、審神者の命ずるままの地が忽然として開けてくる。体は目前に坐したまま、多慶はいったことのない富士山頂の景色や綾部の産土神社などのありさまを、実地踏査しているように細かく語るのだ。 浅野は工夫を凝らして、東京在住の知人に手紙を出し、一週間、毎夕八時の家の中の様子を書きとめてもらうことにした。多慶はその時間になると目をつむり、東京の知人の宅に想念を集中する。「今、御主人が書斎で本を読んどられます」「どんな本です」「分厚い、茶色の表紙の本で、まだはじめの四、五ページのところです。あ、本を伏せて……奥様が入っていらっしゃいました。本の表紙の字は……南朝の研究……」「へえ、柄にもない本を読むんだなあ、着てるのは洋服ですか」「いえ、お二人とも和服です。奥様は何かおっしゃってる、ああ、残念ですけど、声は聞こえないわ……」 そんな会話が、鎮魂中の多慶と審神者の浅野の間に交わされる。一週間の後、送ってもらった知人の覚書とこちらの記録を引き合わせて見て、寸分違わぬのを認めた。 東京と横浜とは四十哩弱の距離だから、千里眼とはいえぬだろうが、浅野は次第に距離を伸ばして同じような実験を台湾の友人と交わし、さらにはヨーロッパとも試みた。肉体の疲れもあるのか、決して無制限とはいえぬまでも、天眼はよく時間と空間を超越し得ることを確信した。 物質も難なく透視する。多慶が来る前にふと思い立って、浅野は、書斎の若狭塗りの巻煙草入れの蓋をした。客用の煙草の吸い残りが何本あるか、自分にもわからない。鎮魂中の妻の前にそれを持ち出して、浅野は命じた。「何本入っていますか。巻煙草の数を教えて下さい」 五、六分過ぎてから、鎮魂を止めて聞く。「どうだった、箱の中は……」「変でしたよ、わたしの目には白木の小箱が見えました。形はこれのようですけど、木目がはっきりしてました」「内側は見えないのかい」「ええ、蓋がしてありましたから……」「なんだ、あまり早く止めすぎたんだ。塗ってある漆を通っただけで、木箱を通過する力がまだなかったんだよ。やり直し」 今度は念入りに約三十分。「よく見えました。十七本ありますわ」 蓋を取って勘定して見ると、きちんと十七本の敷島が入っていた。木箱や茶壷くらいは、その後、実験を繰り返すごとに早く確かになっていた。この分では、人体を透視して病根を探るのも、さして難事とは思えぬ。その上、現界の物事ばかりではなく、顕幽界を突破して、神霊世界との直接交流もできるだろう。 浅野は、熱した心で思う。 人間誰しも、自己の感覚を標準としたがる。肉眼に見えぬから存在せぬなど、幼稚な空理屈も、もうおしまいだ。肉眼などは安物の眼鏡だ。望遠鏡や顕微鏡を借りてさえ、無と思ったものが有になる。まして霊的修行の結果は、人間の体的五感の他に、霊的五感が新たに加わってくるのだ。五感と五感で十感となる。古来六神通力などいうようだが、天言・天耳・天眼・天筆と時所位に応じ自在にあやつり、一見何の変哲もなげにすましておられる大本教祖や王仁三郎先生が、現にこの世に実在するのだ。 多慶はもっぱら天眼専門で、今のところ天言は苦手らしい。宮沢の大声に恐れをなしたのか、初めて口を切った時の息のつまるような苦しさのためか、その後も二、三度言語を発したなりで止まっていた。けれど、未知の世界へのあふれるばかりの憧憬と探究意欲は、燃え上がるばかりである。どんな嘲笑悪罵も忠言も、もう自分たち夫妻を元の時点に引き戻すだけの力はないだろう。それでいいのだ……。 日夜に起こる神霊研究への満足は深かったが、他方、失敗に対する苦心痛慮も辛かった。宮沢は、もう一週間も浅野家から学校へ出勤している。本人の宮沢も弱り、浅野も迷惑だったが、帰ろうとするものなら憑霊がどなり始める。「いかんと言ったらいかん。浅野、宮沢を預かっておけ」 ずいぶん無茶だと思いながら、板ばさみとなって苦しんだ。宮沢家からは、のっぴきならぬ談判が来る。殊に母堂は、涙ながらに浅野にかきくどく。「当人はまるで狂人みたいに、母親の言うことなど受けつけてくれません。嫁も可哀想でございます。このまま家へ帰らなくなってはどうしましょう。どうか一旦帰宅させて下さい。あなたからおっしゃって下さらなければ、もう私どもでは……」 浅野は武甕槌命とぶつかる覚悟を決めた。 夕食後、何気なく浅野は言った。「宮沢君、いっぺん家へ帰ってみた方がよくはないか……」「ぼくもそう思うんだが……」 言いもあえず、宮沢の頬は赤くなり、眼はぎらりと光る。「何べん命じたらわかるのだ。あのおふくろに泣きつかれては修行どころかい」 もうその声は宮沢ではなく、憑霊自身なのだ。「いや、お言葉ですが、それではいつまでたっても解決はつきません。宮沢君の家族が怒るのも当然です。家族を説得して神の道に目覚めさせ、それから修行に入るのが順序ではありませんか。一度説得のために、宮沢君を帰してやって下さい。ぼくの立場もあります」 浅野は必死だった。「うむ……」 やや考えて、憑霊は案外素直に折れて出た。「よし、それなら今から行って、みんなを信仰に導いてやろう。浅野も同道せい」 午後八時頃、二人は連れ立って宮沢家へ行った。浅野家とは七、八丁隔てた佐野の練兵場の脇の丘の中腹である。 道々、宮沢は穏やかに「うまく親父がわかってくれればよいがなあ……」などと言ったが、雲行きはそんなに甘くなかった。浅野の挨拶に出てきたのは父親だけ、妻女など、気味悪がって顔も見せぬ。宮沢は平静の温顔はどこかへ消し飛んで、苦り切った顔で父親に対した。 まず浅野は頭を下げる。「御心配をおかけしまして、すみませんでした。いろいろ事情に行き違いがありまして……」「行き違いとはどういうことです。一体どんなわけがあって、伜は一週間もあなたのところにいたのですか。まずその理由から伺いましょう」 まるで、無理やり子供を閉じ込めて帰さなかったと言わんばかりだ。といって、御神勅の結果だなどともいえぬ。仕方ないから、浅野は神懸りの説明から始める。父親は頭からぴしゃっと言った。「いや、神懸りなら私もよく存じてますよ。行者などが御幣を振り回して、くだらん事をやる。愚婦愚民が迷わされて、ありがたがるだけです。それを人もあろうに帝大まで出て相当学問したあなたが……」「待って下さい。大本の鎮魂は、そんな稲荷下げとは違います。日本固有の天授の神法で……第一、目的からして……」「さあ、近頃の伜を見たらどうです。まるで狂人だ。先夜も同僚の方々を呼びつけておいて、まことに失礼なことをしたそうで、面目も何もあったもんじゃない。今日限り、伜を巻き込むのは止めて下さい。とんでもない不心得だ……」 二人の押し問答を黙って聞いていた宮沢が、この時、真っ赤になって怒鳴り出した。「不心得とは汝のことじゃ。だまれっ」 一喝したのは、むろん宮沢本人ではない。憑霊のせいなのだ。しかしそんなことなどわからぬ父親は、伜に負けず真っ赤になってどなり返した。「おのれ無礼な。親に向かって今の言葉は……」「馬鹿もん。この方は武甕槌命であるぞ。注意して口をきけい」「な、なにをぬかすか。お前は、お前は……」 二人は立ち上がり、つかみ合わんばかりとなった。あわてて浅野が中に入る。「ま、待って下さい、お父さん……いや、宮沢君……の守護神、わけのわからぬ人間相手に怒られるとは大人気ない。何と言っても相手は宮沢君のお父さんではありませんか。まずちょっとお坐り下さい……」 こうなっては、審神だか喧嘩の仲裁だか、わかったもんではない。おまけに喧嘩相手は人間対憑霊であって、しかも肉体的には親子ときている。弱りながらもなだめつ、すかしつ、双方を坐らせた。しばらくは荒い息を弾ませて、無言のにらみ合いが続く。「さてさて、人間というもんは、何とわけのわからぬ。やむを得ない、このほうが予言をしてやろう。あたれば神の言うことを信ずるか」 撫然とした口ぶりで、憑霊がいう。「予言……それが当たればたいしたものだ」 父親は鼻であしらう。憑霊はいきり立った。「疑うか、こいつ」 浅野が、あわてて脇から口を添えた。「まあ、お父さん、相手が息子さんと思えばお腹も立ちましょうが、せっかくああ言っているのです。ちょっとそれをお聞きになってはどうです。ひとつ神力というものを、この際しっかり見せてもらおうじゃありませんか。さもないと、人間は誰も信仰などしませんから」 父親もやっとくだけた表情になって、「それもそうだ。わしだって、無茶に反対するのではない。これは不思議だ、ありがたいとわかったら、よろこんで信じますよ。ただ伜のように、やたら怒鳴るのではもっての他だが……」「そうか、よしわかった。そんなら明日から三日間の天候でも教えてつかわそうか……」 案外気軽に憑霊は言い、目をつぶり、首を傾けて、「晴れ・晴れ・小雨だ。雨は三日後の朝のうちから降り出すはずじゃ。他に知りたいことは……」 何を注文すべきか、浅野はちょっと当惑した。二、三日後の天気の予報なら、百発百中はずれたことのないのはすでに何度も実験済みであったし、また、この憑霊の数理的頭脳の正確さも充分知っている。宮沢理学士の守護神として、応分の才能なのであろう。難解な数学の試験など運算なしでいきなり答えを出し、一つとして違わぬのだ。この実験は宮沢自身を驚かせ、ますます信頼の念を深めさせていたのだから。 浅野は父親と相談して切り出した。「それではお尋ねします。ヴェルダンは今度陥落するでしょうか」 ヴェルダンは第一次大戦中の英独両軍の激戦地で、当時ドイツ皇太子軍は、全力をあげてヴェルダン要塞に迫っていた。新聞の外国電報はむろんのこと、海軍機関学校での噂も、この勝敗をかけた一戦に集中していた。「ヴェルダンか、うむ、あの運命は、もう神界で決まっている」 まるで神界の参謀長と言ったふうに、反身となる。「どう決まりました」「陥落する」「いつです」「時期か……」 ちょっと憑霊は言いよどんだ。「来月の十六日……」「六月十六日ですね。……発表してよろしいんですか」「それは困る。まあ、二、三の友人ぐらいなら仕方ないが……」 宮沢の父親はうなずいた。「まだ一月ほど先だ。それまでは当分、信仰問題はお預けですな。わしは中立ということにしましょう」 仕方なげに、憑霊も宣言する。「それではわしも引き取るぞ」 宮沢の怒った肩が下がり、顔色も元に戻って、ほうっと吐息をついた。「どうも発動してくると、抑え切れないから弱ってしまう。ぼくが言ってるのでもないのに、お父さんがむきになって怒るんだから……」 平生通りの宮沢の声に、妻女もやっと出てきて挨拶する。家庭の空気も和らいでくる。今夜から宮沢は自宅に帰ることになった。 ――うまくこのまま落ち着けばよいが――八分の懸念に胸を痛めながら、一人浅野は夜道を戻ってきた。 翌日登校して、浅野は宮沢が一週間の欠勤届けを出したのを知った。さっそく家を訪ねてみると、昨夜浅野が辞してから、また神憑り状態となって無茶を言い出したとかで、両親が心配のあまり、今朝宮沢を東京へ連れ出したという。東京帝大の精神病科の診療を受けさせるはずと言う。 二、三日は、上村工学士たちと共に不安のうちに過ごしていた。三日目に、宮沢から便りが届いた。 ――みんなが、ぼくを狂人扱いにしているから、馬鹿らしいけれど、黙って好きにさせています。大学病院では○○博士の診察を受けました。極度に神経が興奮しているから全治までに約三週間を要すとのこと、入院は平に御免こうむって、今は親戚にごろごろしています。霊の発動は全く止んだので、みんな安心したようです。この分ならそのうち横須賀に帰れるでしょう。 十日たって、宮沢は東京から帰り、こともなく出勤してきた。無罪放免であった。 浅野はほっと安心したものの、大本の道を天下に布き、世人を霊に目覚めさせることの至難さを、どんなに痛烈に感じさせられたかわからなかった。宮沢のいなかったこの間の心痛を、誰にわかってもらえよう。それでもこりごりだからもう止めようという気にはなれなかった。思いは宮沢も同じであった。「まるで罪人扱いなんだから、ひどいもんさ。とうとう今後、浅野さんところへは絶対行かないと誓わせられてしまった」「残念だが、しばらくは仕方ないさ」「まさか、ぼく一人除け者にする気じゃないだろうね。朝早く寄る手もある。出勤前に来るから、こっそり鎮魂をしてもらえませんか」「さあ、もし見つかったら、また一騒動なければなるまいがね、なにしろ声が凄いんだから……」「その点は、ぼくからも神さんによく頼んでみますし……」 宮沢の熱意に負けて、二人は男女の密会みたいにあたりに気を使って、朝ごとの鎮魂を続けた。憑霊もこりたのか、発動はぐっと抑えて、つとめて平静さを保っていた。以前のように野放図な声を張り上げることも、乱暴な振舞いもなく、もっぱらよき師匠然としている。 鎮魂のたびに、和三郎は、神霊界の状況について突っ込んだ質問を重ねた。「浅野はまだ『古事記』の読み方が浅いぞ。少なくとも五十回は繰り返して読め、神名ぐらいは暗記せい。そうでなくては審神者はつとまらぬぞ」 憑霊の叱咤のおかげで、浅野は真面目に古事記に取り組んだ。わからぬところは、宮沢の現われる朝を待って質問した。時々逃げをうたれることもあった。「この次までに教えてやる。そう質問攻めでは、かえってお前のためにならんぞ」 実はこの頃になって、浅野は、冷静に自称武甕槌命を観察し直していた。神格の高かるべきこの神が、対等に老人風情と喧嘩する。いかに武神といえども短気すぎる振舞い……どこかに背伸びしている風すら見える。正神であれば、もっと品格が高く、落ち着いて、どことなく優美でなければならない……あの目玉のぎょろぎょろした動きなど、人間世界からいっても高貴とは言いがたい。 疑いは次から次と起こって、浅野を不安に陥れた。 浅野は、妻多慶の霊眼を活用して、ヴェルダンの戦況を見させた。もし、六月十六日にヴェルダンが落ちねばどうなろう。宮沢の予言した三日間の天候は的中した。その時点では、浅野は宮沢の憑神を信じていたから、兄浅野正恭(当時少将)や二、三人の友人にその予言を漏らしていたのだ。 多慶は赤土の丘陵、塁々たる死屍を越えて突撃するドイツ軍、その他戦場の局部局部を、手に取るように語ってくれた。「どうだろう、落ちるだろうか。戦いの経過を、文字ででも知らしてはもらえまいか……」 多慶は守護神に向かって目をつぶった。やがて祈り終わり、「あなた、陥落の字はありません。ただ白地の長い旗が見えて、それに大きく『攻』とあります。この意味は……」「攻めるが落ちぬ……かも知れん。宮沢君の予言はどうやら怪しいようだ……」 おずおずと多慶が言った。「わたしもこの頃そんな気がしますの。鎮魂している時、ふっと宮沢さんの守護霊が見えますけど……あれは神さまかしら。私には何だか天狗さんみたいに思えますが……」「天狗?」 息を詰めて、悲しげな多慶の眼を、浅野はのぞき込んだ。 恐れていた日がやって来た。六月十六日、いかにあせっても新聞には陥落の報などない。十七、十八日と待っても無駄であった。あの予言は嘘だ、だまされたのだ……信じて外に漏らした己れの不明が恥じられて、浅野はいたたまれなかった。未熟な自分への嘲罵はかまわぬにしても、それが神霊への否定、大本への信用にかかわることは耐えがたい。浅野の胸は慚愧・悔恨・落胆・憤怒に渦巻き乱れた。 二十一日まで、こらえにこらえて、ようやく浅野は決意した。 ――今日こそ、あの偽神をとっつかまえて、何が何でも化けの皮をはがしてやらねばならぬ。 折も折、二月に去ったきりの飯森中佐と福島久が連れ立って学校へやって来た。浅野は心強い思いで、いっさいを打ち明けて相談した。久は言った。「それはきっと天狗か何ぞですわいな。わたしに一度鎮魂させておくれなはれ」 午後二時、二人は宮沢を連れて学校を出ていった。浅野はとび立つ思いを抑えて、あと一時間、授業の都合で残らねばならなかった。                                       放課後、急いで帰宅し、和服に着替えて書斎にとんでいった。福島対宮沢の鎮魂はすでに白熱化している。浅野は声を呑んだ。とんでもない鎮魂であった。 宮沢は立ち上がり、威圧的にのしかかっていく。久も負けてはいない。下からがっちり受けてこれも中腰、武者震いして応戦する。双方手は組んだままながら額と額はがっちり合うてうんうん押しっくらとなった。 浅野は激しく立ち騒ぐ魂を押し鎮め、下腹に力をこめて鎮魂の形をとり、必死に神助を祈った。それから我ながら奇妙に改まった声を上げる。「拙者が審神者を致す。福島どの、しばらくお控え下されい」 二つの体は、さっと分かれてとびすさった。「それならば、審神者はあなたに……」 久の息も絶え絶えである。宮沢は陣容を立て直して、浅野に向かった。浅野はぎょっとした。体のしびれるような凄い圧迫感、日頃の二倍三倍にも宮沢の体が大きくなって見える。火を吹くような両眼、逆立つ髪、真っ赤な顔に憤怒をみなぎらせて、つかみかからんばかりである。逃げるに逃げられぬまま、浅野は胆を据えた。「どなたであるか。お名を伺いたい」 返事はなかった。ぐいと唇をひき結び、息づかいも荒々しく、じりじり詰め寄ってくる。浅野は叫んだ。「何故返事をなさらぬか。審神者の要求にも答えられぬとは、一体どなたでござる。名乗られい」 いっそう頑なに黙りこくって、宮沢は仁王のような握りこぶしを突き出してきた。和三郎は坐っているのに、向こうは中腰で進んでくるのだ。顔面一尺のところで、そのこぶしは震えている。そのまま、長い長い、果てしのない睨み合いとなった。 気の遠くなるのを励まして、浅野は声をしぼる。「あまりに無法……その態度は何であるか。いやしくも神ともあろうものが腕力沙汰に出ずるとはもっての外、疑わずにはおれぬ。現にあなたは六月十六日と日を切ってヴェルダン要塞陥落を予言されたが、見事失敗したではないか。でたらめではなかったか。それでも神と言えるか。さあ正体を現わして本名を告げい」 はち切れんばかりの怒気は、眼と眼、鼻と鼻とぶつかるばかりに切迫する。もう息苦しさにがまんできぬ。やけくその勇を振って、浅野の方から体当たりを喰らわしていった。 あっと、浅野は目を見張った。がしんと火花が散って投げとばされるかと思いの外、相手はふっと一間ばかりもとび退いたのだ。ふくれ上がっていた風船の気が抜けたように、忽ち宮沢は小さく見えていった。 それからの浅野は勇気百倍、追究に追究を重ねて一時間余、全霊を指先にこめて存分に相手を攻め抜きやり込めた。 武甕槌命とは偽りの名、まことは、これから神界に奉仕せんとする名もなき天狗であること、あの予言は追いつめられたあげくの苦しまぎれのでたらめであること、けれど決して悪意あってしたのではない、何とか浅野夫妻や神界のためお役に立ちたい一心であったことなど、とつとつとして弁明につとめる。初めの権幕の凄じさはどこへやら、だんだんにしょげ返った天狗さんは、浅野の言うなりにうなずくばかり。いささか気の毒になって、浅野はこう言い結んだ。「あなたは私たちにとっては恩師である。おかげでずい分貴重な勉強をさせてもらいました。けれどその恩義のために、罪悪を黙認するわけにはいきませぬ。人間が幽界の事情に暗いのに乗じて真実を曲げ、嘘を教える、だますなど許されぬことである。そのために、宮沢家に加えた迷惑など甚しい。今後はまだ機縁の熟さぬ宮沢氏の両親に向かって、決して焦った行為をとらぬよう、断じて口を切らぬことを希望します」 二拍手と共に、天狗は去った。セルの夏洋服の上まで汗を滲ませていた宮沢は、我にかえった。しばらくは一同、無言で顔を見合わせた。 この時を境に、宮沢は、強烈なる意志をもって天狗の霊の発動を押え切った。時には宮沢は浅野と顔見合わせて、例の天狗さんをなつかしみ苦笑しあうことすらある。 のど元過ぎれば、その折の苦しさ、熱さも忘れるものか。相変わらず宮沢は、機関学校で理学を教授しながら神霊世界への探究は捨て得ず、その方面の本などをあさっている。 浅野は、この息づまる五十日余の霊的体験を通して、たいがいのことには驚かぬ修練だけはできたと思った。その上審神者としての貴重なる心得は、魂にしみわたっていた。 ――神がかりの言は決して軽々しく信じぬこと、予言めきたることは絶対に避け、かりにも外界に吹聴すべからざること、審神者の役目は神聖にして貴重、断々乎として之にあたるべきこと等である。
 六月二十五日、王仁三郎らが神島に参拝、神霊をお供して帰綾してから、宣教意欲はますます盛り上がった。七月三日、直霊軍の別働隊として、青龍隊が組織される。皇道大本を宇内に宣揚し、大本教祖の神示を宣伝することが目的で、隊員資格は、二十歳より三十五歳までの青年であった。大将以下少将まで、さらに準士官を置く軍階制で、少将以上は教主が任命し、以下は互選である。 結成当初は少佐が最高位で、宇佐美武吉であった。大尉は西谷正康・佐藤尊勇(忠三郎)・瑞穂玖仁靖となっている。隊長は宇佐美武吉少佐が任命された。 待ちこがれた夏休みがやって来た。大正五年七月二十九日、浅野和三郎は単身綾部への車窓にあった。五十日余の霊的荒療治を経て神霊世界に体当たりし、謎のいくつかを解いた。神の実在・霊魂の存在・神人感合・霊示霊覚の実際などが、ここ半年足らずの間に急流のように浅野を洗い流した。 浅野は変わった。思想・感情・趣味・嗜好まで自分でも信じられぬだけの変わりようを遂げてしまった。大本を知る前と後でも、別人と言ってもよかった。もっとも、それは俗世間から見れば、気が変になったと言うことらしいのだが……。「あなた、どうぞしっかり調べてきて下さいまし。分かりましたら度々お便りを……」 別れ際の妻多慶の真剣な眼色が思い浮かぶ。二度目の綾部行きの目的は、大本の真髄と言うべき一万巻の筆先の研究一点にしぼられていた。浅野は、自分ら夫婦のとったこの方針について満足していた。神・霊魂の有無さえ分からぬ学者に、何で筆先を論評する資格などあろう。半生の物質中毒の垢をようやく洗い落した今こそ、心を低くして神慮に接することが許されるのではないか。 浅野は、十年をかけて、こつこつと積み上げてきた英和辞書編纂の事業をふっと思い出した。数人の助手を使い、少なからぬ月日と労力をもって、Tの個所まで終わったところであった。それまでに費やした辛苦からみれば、あと一息で完成にこぎつけるはずなのである。思い出した――というのが実感であるほどに、いつか浅野はその仕事から遠のいていた。 ――惜しいけれども仕方ない。 汽車の振動に身をまかせて、浅野は眼をつむった。惜しいと言う残り滓まで捨ててしまいたかった。今、自分の前に置かれた一万巻の筆先の謎を解こうという新たなる使命感に比べれば、辞書編纂など、いかにも味のない、つまらぬ仕事でしかなかった。 横須賀の支部長田中豊頴に私用を頼まれて、彼の縁家である園部の奥村徳次郎宅に立ち寄った。奥村宅の裏の離れ座敷は、明治三十一、二年に上田喜三郎――つまり現大本管長出口王仁三郎の拠点であった話を聞いて、浅野の腰は据わった。「あの方が手前どもに居られなはった時分は、まだほんの若々しい、子供じみたお人でございましてなあ……」「へえ、ほんまに。けど、あの喜三やんの霊術言うたら、現にこのわたしが……」 奥村老夫妻がこもごも語り出す話の面白さに引き入れられて、浅野は離れに一泊、その夜は二十年前、園部霊学会当時の喜三郎の思い出語りに更けていった。 翌三十日綾部着、王仁三郎夫妻はじめ飯森中佐、京都の福中中佐らが待ちかまえていた。浅野の夏休み滞在中の部屋として、新建ちの二室が用意されていた。そこは西石の宮の傍の建物で、龍門館の台所に接する入り口には、漬物樽がたくさん並んでいる。つい先日まで、ここは飯森夫妻の居室であったとのこと。 ともかく机に向かって見たが、早速には仕事も手につかない。 じりじりと西日の照りつける暑さにぼうっとしているところへ、飯森が顔を出した。久し振りに晩飯を共にしようと、飯森の並松の新居に連れ立って行った。狭い二階家であるが、和知川に面していて、涼風がまともに室内を洗っていた。「こりゃいい、すてきな場所を占めたもんだな」「景色だけが御馳走ですのよ。今晩はどうぞごゆっくりなさいませ」 飯森夫人久子がにっこりした。 福中もやってきた。酒盃を重ねるうちに、話題は海軍のことから大本に、横須賀から綾部にと、いつ果てるともなく移って行く。 ――大本では自分を待っているだろう、早く切り上げんといかんと思いつつ、浅野は時を忘れた。久子のすすめるままに、その夜は三人枕を並べて、心地よき和知のせせらぎを子守歌に寝入ってしまった。 翌朝、こうしてはおれぬ感じにとび起きて、浅野は朝食も食わず、急いで大本へ帰った。澄がやってきて、浅野をつかまえた。「浅野はん、『久し振りでお友だちのところへ行かはったんやさかい、一晩くらいは……』と、うちも言うたんですけど、教祖はんはなあ、夜っぴて寝んと、待っとっちゃったんですで」「えっ教祖さまが……」 浅野は意外であった。「へえ、教祖はんより、神さまが待ちかねてひどう急いておられますのや。今度あんたはんがおいでなはったんは、お筆先を調べるという神界の御用のためどす。……浅野はん、今日からは、どうぞ、みっちりとお筆先を腹へ入れておくれなはれ」 毅然とした澄の言い方に、浅野は涙が滲むのを覚えた。ああ悪かったと、衷心から神さまと教祖さんにお詫びをしたい気分になった。 早速、直筆のお筆先が五、六冊、三方に乗せられて浅野の室に運ばれてきた。 一冊を机の上に広げて眺めたが、いざとなると、どうとりついてよいやらわからなかった。読める字が少々はあるが、大半は判読できないのだ。用語・語脈すべてが新奇であるから、意味のつながりがたぐれない。憮然としてみつめることややしばし、誰かに一度読んでもらえば分かるだろうけれど……いや、それではあまりに意気地ない。このお筆先だって、誰かが最初に読み出したにちがいない。どうやってか、とにかく判読できたのだ。やってやれぬはずはないのだから……。 ノートを出して、丹念に模写し始めた。読めても読めなくても、一枚一枚写して行くうちに、手がかりがつかめてくる。難しいと言ったところで、いろは四十八文字と、いくつかの数字の組み合わせに過ぎぬのであるから。どれが何の字という呼吸が、二時間ぐらいのうちにどうやら呑みこめてきた。 文字は判で押したように、きまった型である。半日がかりで一冊を読みあげた。疲労と、それにも増した喜びが浅野の体内を熱くかけめぐっていた。「暑うおすやろ、浅野はん、船で散歩に行きまひょ」 その夕方、王仁三郎が言い出した。
 ――月末には横須賀から浅野和三郎文学士が来られると、宮飼正慶は聞いた。ひどく場ちがいな気がした。英文学者と言えば、ハイカラな、神さまなどとはまるで縁の無さそうな人種に見える。こんな青臭い丹波の山奥へ何だって来るのだろう、物好きな人もあるものだと、宮飼は思った。 水無月祭りの翌々日であった。和知川に遊船を浮かべて、浅野文学士の歓迎会があるという。宮飼もさそわれて船に乗った。船中で浅野から先に声をかけられ、宮飼は、あわてて挨拶を返した。思ったより無造作な感じで、宮武外骨翁の風貌にどこか似ていた。 飯森が櫓を押す。上流の水の深いところへ来ると、王仁三郎はいきなり素裸になって川へとび込んだ。飯森も続いた。二人は楽しそうに泳いでいたが、やがて船の舳先にくくりつけた縄を持って船を曳きだした。川沿いの景色は移り変わって、かなり上流までたどって行く。岸辺の樹木や潅木の影がしっとりと水に浸って、凄いばかり青味がかっていた。船をそこへつないで、涼を入れる。 屋形に下った十ばかりの赤い提灯に火がともった。ほとんど飲めぬ王仁三郎も、浅野・飯森らと盃を交わしながら、嬉しげに談笑していた。やがて船は静かに水を分けて、元の岸辺へと戻って行く。提灯の灯が水に映って、赤く波に砕ける。「あなたなどはもうお筆先はほとんど読みこなしておられるでしょうな」と浅野が言った。「いやどうして……」と飯森は、水棹を操りながら答えた。「十分の一もむずかしいでしょう。実際読んでみると、一日平均五冊はとてもできませんよ。まあ十年がかりでないと、全部に眼は通せませんなあ。そうするうちにも、あとがどしどし出る……」 一同はそのまま黙りこくって、瀬を切って流れる川の響きに耳をすました。
 毎朝祝詞を奏上し、夜には讃美歌をうたい、折々は阿弥陀経を誦していると言うのが、引っ越してからの飯森であった。一枚の葉書を三段に書き分ける。その中には、どっかからとってきたしゃれた英文も挟み込まずにはいられない男なのだ。 一日に数回服を取り替えてめかしこまねば満足できないおれの感覚とも、やっぱり似てやがる……と宮飼は観察する。 ところが同じインテリでも、浅野和三郎はまた気分が変わっていた。あの鼠と蛇の横行するような台所と西石の宮にはさまれた暑苦しい室にこもりきって、朝昼晩とうず高く積みあげた筆先を睨んでいるのだから、それは宮飼にとってどうにも理解できかねる神経であった。 ちょいちょい顔を出しては、「お筆先なんて、つ、つまりませんよ。いい加減になすってはどうです」と、忠告してやる。 浅野は充血した目を振り向けて、「まあここに坐り給え、宮飼君。君はせっかく宝の山に居りながら肝心なことは何もつかもうとはせん、実に欲のない人だとぼくは思うね……」 卓上のランプには、うるさく羽虫の群れがまつわっている。蚊いぶしぐらいでは追っつかぬほどのやぶ蚊がぶんぶんしている。「ぼ、ぼくは、こ、こんな宝の山なら、ご、ごめんですね。ぼ、ぼ、ぼくはとうてい駄目だ」 急いで宮飼は引き下がる。その足で並松の飯森宅の二階に上がりこむ。すっと汗が引いて行くほど涼しかった。 飯森は新訳聖書を開いていた。そう言えば、あのジジジと脳髄を焼いてくれるような福島久の丸顔には、ここではあまり出くわさなかった。 宮飼は、飯森の書棚にある分厚い二冊の書を手にとって、ぱらぱらと拾い読んだ。『シイクレット・ドクトリン』『アイシス・アンブェールド』のどちらも、かつて飯森が熱を上げ、渡米しようとして海軍を捨てさせたほどの霊智学の本であった。難解な術語や古代語がつまっていて、宮飼のおぼつかない語学力では歯が立たない。 いい加減にして書棚に戻してから、おやっと思った。著者の名が、どこかでひっかかったのだ。霊智学会の創立者であり、非凡なる霊能者として世界に知れ渡った露国婦人ブラバッキー……ブラバッキー……久の白い丸顔が突如目に浮かんだ。「ふ、福島のお久さんが……い、いつか言っとった、あ、あれはたしか、縮れ毛の女、ブ、ブラバッキー……」 飯森は聖書から目を上げ、傍の水筒に口をつけて冷酒をあおった。「そうさ、ブラバッキーさ、気がついたかね」 そっけなく彼は言った。 宮飼は口をとがらして、吃音の身を呪うようにのどをひくつかせた。「し、知ってるんですかね、彼女は……」「お久さんは何も知らんさ、ぼくは言ってない」「じゃあ……」 宮飼が言わんとするところは、飯森には分かっていた。昨年の秋、肝川直霊軍分所の旗上式に久と出会って、その話に感動した。久の求める大広木正宗が、はたして自分か否か、そんなことは分からない。しかし久によって自分の心がしっかり大本に結びつこうとした時、悪霊が久を襲った。久は飯森の双刃の剣で切りまくった。その悪霊はブラバッキーと言う露国の魔女だったと、久が告げた。飯森は愕然とした。露国の魔女ブラバッキーと霊智学会のブラバッキーは同一人物だろうか。 田舎育ちの無知な久が、霊智学会のブラバッキーを知るわけはない。古今東西、あらゆる霊学・霊術を網羅し、巧みな霊的交感法をもって、中央アジアの仙人からまで遠隔通報を得るというブラバッキー。 ブラバッキーが世界に卓越した霊的知識をもつことは確かであったが、ただ一つ、日本に関しての見方がいかにも浅かった。 彼女がもし日本を知ろうとして、その超能力を駆使させ、あらゆる通報を得んがために動いているとしたら、飯森は願ってもない男であったろう。そしてまさに渡米寸前の飯森を横からさらったのは、大本であり、久だったと言える。 飯森は、憑かれたように日本の宗教界を遍歴し、次々とあさり歩いたここ数年間を思った。久に会わなかったら、今ごろ飯森は蓄えた知識をもって海を渡り、ブラバッキーの膝下にあったはずなのだ。 ブラバッキーが真実日本を狙う邪神界の魔女であるならば、久から一厘の秘密を聞き出した飯森を、どうでも奪い返したかったのでは――。 久と十カ月、処々を流浪する間中、その考えは飯森に重くねばりついていた。荒唐無稽と自らを嘲笑ってみたが、あっさりと久に告白することはできなかった。いわれのないやましさが、いつか飯森の暗い影となった。「じゃ、じゃあ金比羅さんで、な、なんで戦ったんですか……ブラバッキー女史と、ひ、久女史は、いったい……」「さあ、知らんね。何故だかどうだか知るもんか。相手がロシア女なら日本軍人たる俺がお久さんに加勢するのは当然だろう。まさか見殺しにもできんじゃないか」 答えながら、まだ詮索したげな宮飼の眼をはじくように、横を向いた。 ブラバッキー女史の一件は腑におちぬながら、どこか秘密な匂いがあった。たぐっていけば、ドン・キホーテなどとは異質の、底知れない穴がありそうだった。 数日後、浅野の部屋を訪れた時、宮飼はその話を持ち出したかった。しかし、浅野が納得できるよう説明するだけでも数多くの言葉を要するだろう。言語障害の彼にとって、それは思うだけでも苦痛だった。言い出す勇気も萎えてしまった。 筆先の抜粋をひかえたノートを前に、浅野が新しい講釈を始めた頃、飯森が入ってきた。西日の当る午後、三人は早速酒を汲み交わした。いけぬ口の浅野と宮飼はすぐ酔って、眼をとろんとさせる。飯森一人手酌で飲みながら、おとなしく口数の少ない平生とは何処となく変わった態度で、盛んに意気を揚げている。「どうだい。ドリンキングマッチ(のみくらべ)はもういい加減に止して、昼寝でもしようじゃないか」 飯森は酔眼をふり向けて、うそぶくように巻舌で言い放った。「アイ ヘート ディス オーモト ドクトリン(ぼくは大本教を憎む)。アイ キャン ノット ビリーブ(信じることなんか出来んのさ)」 それから宮飼に向きを変えた。「ドゥ ユー リッスン トゥ ミー(おい、聞くかい)」 何を言い出すのかと、真面目に宮飼は答える。「イエス、アイ リッスン(聞きますよ)」「アイ ベッグ ユアー パードン(失礼だが) アイ ディスライク ユー(ぼくは君が嫌いだ)。アイディスライク ミスターオニ ミスターヘイゾウ エンド ミスターアサノ(王仁三郎さんも、四方平蔵さんも、そして浅野さんも嫌いだ)。アイ ドント ライク ユー オール(君らみんな好かんのだ)」 吐き出すように言ってのける。好い面の皮だと宮飼は思った。浅野はただ笑っている。飯森はなお言いつのった。「ユー セイ トゥ マッチ インポータンス オン カンガカリ(君は神憑りについて、重要そうに言いすぎる)。バット イン マイ オピニオン カンガカリ イズ エ ミア イリュージョン(ぼくの意見は、神憑りなんて単なる幻想にすぎんということだ)」「ノー カンガカリ イズ ノット アン イリュージョン(いや、神憑りは幻想ではない)。バット エファクト シュアー ファクト(真実だ、真実だ、ほんとうなんだ)」 浅野は言い返す。二人の間にはげしい神憑り論争が英語で戦わされた。黙って聞いている宮飼にも飯森は何か言いかけたが、うまく聞き取れなかった。仕方なく、「ワンス モア プリーズ(どうぞもう一度)」「なんだ、まるで機関学校の英会話の稽古じゃないか」 浅野が吹き出したので、三人とも大笑いになってしまった。 笑いおさめると、飯森は何やら捨てぜりふを投げて出て行った。酔いもさめ果てたように仰向けに寝転んで、浅野は呟いた。「サムシング リヒール イッツセルフ(そのうち分かってくるだろうさ)」 同感だと宮飼は思った。飯森がどんな感情をもってここを眺めているか、はからずも今、彼の心の底をのぞきみた気がした。
 霊智学会に熱狂し、今度は福島久を信じて全国布教の旅に出たほどの「夢想家」飯森が、何故急にこうも激しく神憑りを否定するようになったのか。酒の上での戯れと、宮飼は聞き捨ててしまえなかった。飯森の内部がどっかで何かに突き当たり向きを変えたのだと、宮飼は思った。神も霊も信じない、いや、信じられない宮飼にとって、その飯森の変節は好もしいはずであった。大本で教える神も霊魂も神憑りも、いっさいは彼の言うように単なる幻想で片がつくなら、しごく心落ち着くはずではないか。 それなのに暮れ方になると、宮飼は追いたてられるように外へ出た。あてもなく町を出はずれ、福知山へ通ずる街道を往ったり来たりした。頭が燃えるように熱いばかりで、何をどう考えてよいか分からなかった。 ディスライク ユー(お前が嫌い)と言われたことは、そんなに意外でもなかった。だいたい人に好かれるより嫌悪されることの方に慣れている。だから自分は別としても、王仁三郎・四方平蔵・浅野和三郎の三人を、飯森は何故嫌う。福島久の感化に染まって王仁好きになれぬのだろうとは、宮飼にも察せられる。それほど久は管長とことごとに対立していた。けれどそれだけではなく、この三人をくるめて共通するのは、「審神者」というこしゃくな職権ではないか。 広間ではよく病気治しやもめごとの相談をもち込むもののために、「お取次」をしていた。たいていは四方平蔵が鎮魂をして片づけている。型にはまった訓戒の言葉、祝詞の調子、一種異様な気合の声が広間から響いてくる。あの気合が、なぜともなくいやで、宮飼はあまり近寄らない。時には霊が発動して、突飛な現象が起こるらしかったが、王仁三郎が出て行くまでもなく、平蔵の処理にまかされているようだ。 浅野和三郎を大本に導いたのは飯森である。彼は浅野にとって道の恩人であり、先輩に違いなかった。それが、わずかの間に、浅野は審神者としての霊力を王仁三郎から与えられていたのだ。 夏の初め頃、横須賀から帰ってきた飯森が、王仁三郎と宮飼に浅野の噂話をしたことがあった。浅野が鎮魂帰神をやり出してから、ひどく海軍での評判が悪いこと、同僚の一人である宮沢理学士を神憑りにして、とうとう狂人同様暴れさせ、親たちが苦情を持ち込んでいること、最後に身振りを入れて飯森はこう語った。「その宮沢さんの子供さんがまた面白い。近所の子供らを集めてきては、ずらりと並ばせておいて、いっせいに敬礼をさせるんです。そして頭が高いぞと、片っぱしから一つずつ頭を叩いて回る。つまり、お父さんの真似をやっとるわけですな」 そこで三人とも大笑いした。宮飼は笑いながらも、話の底にどこやらひやりとするものを感じていた。今思えば、あの頃すでに審神者――ひいては王仁三郎・浅野への反感を飯森は匂わしていたようだ。 お筆先を信奉しながらも、変性女子・瑞の御霊の働きとしての王仁三郎と霊学を受けつけぬ飯森は、お筆先などつまらないと思う宮飼と、心情的には近かった。けれど、今になって宮飼は迷う。浅野の説は幻想のまた幻想、常識からは考えられぬにしても、自分の信奉している常識とは一体何であろう。たった五つしかない自分一人の感覚だけを信じ、それに触れるもののみを頼りとして編み出したものではないか。触れないものはすべて拒否してきたこれまでの生き方に、誤りはなかったろうか。 考えあぐんでさまよううち日は落ちて、いつしか暗闇に包まれていた。路の両側は桑畑、それを隔てて綾部ステーションの灯がちらちら見える。列車が着くと、駅前から物部村へ通うガタ馬車の笛の音が星のない夜空に鳴り響く。昼間聞くと滑稽でしかない笛の音が妙に胸に泌みて、柄にもなく宮飼は涙をこぼした。 たんぼ道を戻ってくると、不意に顔にかぶさるものがある。ぎょっとしてよくよく見ると、それは天狗の掌ほどもありそうな桑の葉であった。 翌夕、宮飼は金龍殿の広間へ行ってみた。開け放した四十八畳敷の広間の真ん中でずんぐりした男が、四方平蔵の前にかしこまっていた。宮飼は初めてその場に入って、鎮魂なるものの実態をみつめた。 低いが腹の底をふるわすような気合が平蔵の唇から迸ると、ぎゃっと男は叫び声を上げ、いきなりころころ転げ出した。まるで米俵が坂道を転げるようにである。唖然としている宮飼の前で、勢いよく階段を転げ落ち、邪魔物の上をぽんと跳び越えて、まだまだお池の方まで転げていく。平蔵の鋭い気合で、男はようやく止まり、のっそり起き上がった。何が何やら分からぬらしい。神前に戻って頭を下げ、平蔵に説教される間、まだぽかんとしている。 神前を下がってきながら、男は宮飼に聞いた。「すんまへんけど、教祖はんのお部屋、どこどす」 宮飼は、金龍殿から統務閣へ通ずる廊下まで案内した。まもなく四方与平があたふたとその廊下からやってきた。「ちょっと手え貸しとくなはれ。教祖さんのとこへいやらしい狸が一匹のぞきよってなあ……」「狸が……」と、平蔵が立ち上がる。「そうらしい。筆先書いとられた教祖さんが叱りなさると、びっくりして廊下で目を回しよった。みんなで片づけておくれと言われたのやが……」 平蔵について、宮飼も行ってみた。たそがれ時の廊下はひどく暗い。教祖室は三方が廊下と縁で囲まれている。近くの薮には狸や狐などがよく出没する頃であった。 燈明を掲げて、注意しながら廊下を見回った。縁の隅にごろっと転んでいる黒い影があった。燈明の灯でよくよく見ればさっきの男。憑いていた狸がまだ離れきらぬうちに教祖の姿を見て、震え上がって気絶したらしい。平蔵の一喝で男は目をさました。 宮飼は、眼光紙背に徹するどころか、一目で肉を突き抜けその霊性までも見抜くていの教祖直に親しみがもてなかった。ありていに言えば、恐ろしかった。この少々抜けたような男にこそ、宮飼は同情した。 鎮魂や神憑りの原理は、理屈ではなく自らの体験によらねば分かるまいとこの夜、宮飼は思った。けれど自分の体を審神者の前に投げ出す勇気などなかった。イリュージョン(幻想)かファクト(事実)かその一方に極めつけねばおさまらぬ気持ちは、波のように高ぶって来る。彼は、久しく見向きもしなかった哲学や心理学の本をあさった。徒労と知りつつ、次々あさった。果てには、持っている箸を取り落したりするほどぼんやりした。
 熱さと蚊の大群に追い出されて、浅野和三郎は部屋を出た。蚊は、横須賀に比べて、十倍ではきかぬ量であった。これでも、下水工事完成後、金龍海から流出する水が蚊の温存地を洗い流して、さしもの綾部名物も数を減少したという。とすれば、以前はどんなであったろうか。蚊帳も蚊やりもない貧しいあばら屋に、屑買いの母直の帰りを待ちかねて幼い龍と澄が抱きあって寝たという話を、浅野は思いやっていた。 足は決まって和知川へ向かった。 ――大橋越えて、他にたずね行くとこはないぞよ。この経綸問いに行くとこ、どこにも他にはないぞよ……。 お筆先に出て来る綾部大橋が、百数十間にも及んで、和知川とその河原をまたいでいた。巨岩が急流を割くあたり、そうそうたる瀬音を不断にたてつつ、一方豊かな川面には本宮山の丸い姿を穏やかに浸している。砂白く、水清く、左岸の老松は高く低く枝をさしのべ、ゆったりと暮靄に包まれていく。他に人影もない大橋の上に立つと、涼風が袂を払って通り抜ける。昼間の、あの暑熱は夢かと思われるばかりのさわやかさであった。 筆先に満腹し、混乱し、あるいは反撥する浅野をこの大橋にいざなって、思いを鎮め、疲れをいやし、その消化をたすけてくれたのは、実にこの山と川と夜風である。 一口に言えば、大本の筆先は謎の集合体であった。浅く解くも、深く読みとるも、対する者の器量次第と言えよう。日清戦争・日露戦争・欧州大戦、これに引き続く世界的大動乱・地震・雷・洪水・火の雨の襲来・飢饉・疫病・綾部が末で都・日本の世界統一・三十年で世の切り替え―― 先ず浅野の目を奪ったのが、これら一連の予言警告であった。気の弱い者なら、それだけで神経衰弱になりかねない。ところが、どこをどう探してみても、それがいつ起るのか、何年後にやってくるのかは、いっさい明示されてなかった。 ――出口には世界のことを、先にこういうことがあると、気もないうちに書かしておくなり……。 事件が現実に起こってしまってから筆先を見ると、あっと気がつく。明治二十五年から大正五年現在までの二十四年間をふりかえってみれば、筆先の予言と世界の現実はぴったり合一するではないか。 ――こりゃあ大変だ。大本の筆先にかぎって時期を明示してないのが、偽神の偽予言でない証拠なのだ。神人界の大改造を背負って立たれる神さまが、自縄自縛的にその経綸の時期方法順序などを告白なさるはずがあろうか。これしきの予言ですら、避け得る限りは避けたいところを、天下の人心のあまりの聞き分けのなさに、やむを得ぬ警告となったにちがいない。 筆先一流の《ぞよ》でむすんだ断定的教訓が頭に滲み入るには、それでもかなりの抵抗があった。学問をしてきた者の常として、ことごとに疑問が起こり、批判がはさまる。 ――なにほど知恵や学がありても、人民ではわからんことであるぞよ。このしぐみ、わかりてはならず、わからねばならず……さっぱり学や知恵をすててしもうて、うまれ赤子の心にたちかえらんと、見当が取れん、むつかしいしぐみであるぞよ。いままでの腹の中のごもく(ごみ)を、さっぱり放り出してしまわんと、実地まことは、わかりかけがいたさんぞよ……。 冗談じゃない、学問や知恵を捨ていとは、ずいぶん偏狭な野蛮神じゃないか。 ――外国はけものの世、強いものがちの、悪魔ばかりの世であるぞよ……。 こうなると欧米を先進国と崇めて維新以来、万事の理想標準を他に求め、列国の仲間入りに腐心している現代人として、ついていける感覚ではなかった。殊に英文学者たる自負を傷つけられて面白くない。 しゃくにさわって筆先を投げ出したまま、ごろりと横になる。そのうち、横須賀での鎮魂帰神の実習から得た、物質世界の深奥に厳存する神霊世界に思いが至った。 多慶のまだ日の浅い天眼通力にしても、名もない一天狗の霊力にしても、たしかに知恵や学では計ることができぬ。もし内なる霊魂をみず外側しか信じぬ物質主義を「外国」と解釈するなら、けものの世も納得できる。紫の袈裟・金ピカの大礼服・爵位官等だの紅白粉だのがありがたくて、内側の霊性はどうでもよいのは、外国ばかりか日本も変わらぬ。それをまざまざと浮き出して見せるのは、天地間にただ一つ照魔鏡があるばかりだ。それが天授の神法鎮魂帰神ではないか。天下の有象無象が恐ろしがって難くせをつけたがるはずである。 他にも、筆先の中には神界の組織系統に関する暗示が多かったが、その点は、皆目見当がとれなかった。艮の金神・坤の金神・元の国常立尊をはじめ変性男子・女子・みろくさま・龍宮の乙姫だのたくさんの神々の系統・因縁・活動に関しては一切手がかりもなく、こみ入ったところは分からないということが、分かっただけである。 それはそれとして、八月半ばに達した時、浅野の心底は固まった。後半生をして大本と運命を共にしようと決するに至らしめた。初めて大本を知ってから約八カ月、殆ど脇目もふらず突き進んで、教えの門に辿りついた。因縁の身魂は大本に来ぬ先から支度をさせられて居り、さあとなったら不可抗力で丹波の山奥へ連れて来られてしまう。そんな神の綱に身を任せる思いであった。 和知川の夜の散歩から帰ると、浅野は、半紙を広げて筆をとった。先ずすうと川筋を描いて見て、その脇に四角い線を書き込む。背水の陣を布くつもりであった。一たん東に帰って浮世の風に吹かれると、ひょっとして決心の鈍らぬとも限らない。今の中に住居をきめてしまおう。なるべくなら、このなつかしい和知川べりに……。 家の間取りを試みに書き入れている時、王仁三郎が入ってきた。「早い早い、もう引っ越す準備ですかい」 驚きと喜びをかくさぬ笑顔である。「なるべく景色のよいところへ、こんな破屋でも建てて住もうかと思いますが……」 見越していたように、王仁三郎は言った。「並松に売家が一軒あります。和知川縁では一番でっしゃろ。新しく建てるより手っ取り早うてよい。二百坪ほどの宅地付きで六百円言うことやったが……」「宅地付きで……そりゃまたばかに安い。見んでもかまいません。それにしましょう」 話は五分で決まってしまった。何もかも神にまかせきった喜びに、そこらじゅう子供みたいにはね回りたかった。多慶は三日にあげず綾部の様子を尋ねてきたが、わざと詳しい返事は控えていた。とっときの土産話として、家屋敷を買った一件は辛棒強く呑みこんだ。 帰郷間際に浅野を訪ねて来綾したのは、戸沢姑射である。一高時代からの同窓の友で、今は熊本五高の教授であった。夏休みを終えて任地熊本に帰る途中を立ち寄ったのだ。彼は一高在学中に読売新聞の歴史小説懸賞募集に応募し、一等賞を取った。『しのぶの露』の作者藐姑射山人は彼である。二等賞は高山樗牛の『滝口入道』、高山は二高出身の東京帝大生で、ともに文学好きの学生仲間を沸かせたものだ。戸沢は、大本信仰を狂人扱いする他の友人たちとはいささか違っていた。 綾部移住の覚悟を打ち明けると、彼は言った。「君が善いと決めたことは、やれるまでやってみるがよかろう。世間の毀誉褒貶などは頓着するに足りんよ。第三者から何とも言われぬ。はじめから可否の批判など出来ぬ」 もっともな見解であった。王仁三郎に戸沢を推薦した。「私の友だちの中では、戸沢が一番早く大本を理解できると思います」 しかし王仁三郎はちょっと考えて、「分かるお方ですが、それまでにはまだ大分時がいります」ときっぱり言った。 戸沢は綾部に一泊し、翌朝帰郷する浅野と共に綾部を離れた。大阪に用のある王仁三郎が同行した。三人を送って、飯森も宮飼も綾部駅まで行く。「今年の暮にはこちらに引っ越してきますから、どうかよろしく」 そう言って見送りの人々に挨拶する浅野和三郎の信念あふれる笑顔を、羨ましいと宮飼は思った。
 王仁三郎・戸沢・浅野の一行は、ひとまず大阪・松島の谷前家に落ち着く。谷前家には、村野龍洲が高砂の船頭橋本福太郎の娘八重を連れて来合わせていた。 八重と浅野は初対面ではない。浅野が綾部に滞在していた八月十日頃、八重は村野に連れられて来綾した。そして四方平蔵から鎮魂を受けたのを、浅野は目撃している。 この時の八重の発動状態は猛烈を極め、組んだ手をばたばたさせ激しく体を揺する。髪はまたたくまに乱れ、櫛も簪も二、三間先に吹き飛ぶ。審神者の質問に応じて流暢に口を切り、神島の眷属の龍神だと名乗った。大本のことなどろくに知らぬ少女の口から筆先そっくりの用語が飛び出し、世界大戦、欧州大戦の帰着点などがすらすらと語られた。この十三才の少女の神主としての優秀な素質に、浅野は感動したものだ。 浅野は八重を神主として鎮魂帰神の実地を戸沢に示そうと思いつく。早速、鎮魂を始め、戸沢にその猛烈な発動ぶりを見せた。 戸沢は大いに興味を示したが、先を急ぐため未練を残して熊本に向かう。 戸沢を送った後、浅野は王仁三郎に連れられて大本大阪支部へ行き、初めて大本についての講演をする。住吉公園の村野家を訪問したりして二、三日大阪で過ごし、八月二十二日の晩に、梅田駅から夜汽車に乗って帰宅の途につく。その浅野の頭を占めているのは、今はただ綾部移住のことだけだった。

表題:秋山真之 11巻6章秋山真之



 八月下旬帰宅早々、浅野は海軍機関学校に辞職願を出した。潔く辞職して背水の陣を布けば、あとからどんな故障が出ても決意は変えられまいと思ったからだ。校長・教頭と熟談の末、学年の終わりまで勤め、十二月から自由の身となることに決定した。   家庭内から苦情が起こればどんなにか辛いであろうが、妻も子らも和知川のほとりの家を買った話に雀躍りして喜んだほどの大賛成。現職を放棄して一介の浪人となる夫に、多慶のまなざしは暖かく、勇気を添えてくれた。 郷里常陸に帰って、老父母に告げた。あまりに非常識なことがらなので、一族の心配はたいへんであったが、浅野はひたすら大本を説き、老母・祖母・いとこたちに鎮魂して、二年後には竜ケ崎大本支部を開く端緒をつくった。 戸沢姑射より大本の話を聞いた樗牛会の畔柳芥舟から原稿依頼があり、浅野は、「余が信仰の告白」と題して『人文』誌上に乗せた。ところが『人文』次号で、同誌の主宰者姉崎嘲風が激しく浅野を攻撃し、浅野は更に之を論駁した。のちの世間での大本論争のトップを切ったと言えよう。またキリスト教の機関誌の『六合』にも、浅野は大本について論文を発表した。 七つ違いの次兄・正恭海軍少将は、浅野の大本入りを猛然と反対した。 めんどりとあひるの雛みたいな話だと、浅野はおかしかった。我が子のつもりで孵した雛が、大喜びで池にとび込む。めんどりは大恐慌を来たして、きゃっきゃっと叫びながら、池のまわりを夢中で駆けめぐる……あひるの子が自分なら、めんどり役の第一はさしずめ次兄だと、浅野は思った。 正恭は、赤ん坊時代の和三郎をよく背に負うて守りをしたものという。三人兄弟の長男が亡くなって、今は二人きりなのであった。四十の坂を越しても兄は兄、ざんぶり池にとび込む弟を見てはさあたいへん、見殺しには出来ぬ。 当時呉の軍港にいた正恭から、詰問状が来る。答弁説明を出す。反駁がくる。出す、くる、出す……どれだけ繰り返したか分からない。正恭は、理化学・天文学・哲学その他学問の七つ道具を使い、頭脳を絞って、「お前の言うような、人間に働きかけてくる神だとか霊などはない。馬鹿気た迷信に堕して、父母兄弟を振り捨てるとは……」と、涙ぐましいまでの努力を重ねてきた。 細かい字で、ぎっしりと書き込んだ何枚もの洋紙を受け取るたび、「またか、兄さんにはかなわん」と、よく多慶と苦笑した。 同僚の誰彼から、好意的忠告や善意の非難が浅野に集中した。ことに英人の海軍機関学校英語教師スティブンソンは、長文にわたる書面で抗議してきた。ざっと要点を訳すと、「神霊界というものが存在するのは承知している。またこれと交通の途は種々ありて容易なことも知っている。しかし、スゥエデンボルグの実験でも、その他無数の実験でも、神霊との交通は有害無益な結果を来たし、道徳的、肉体的に医すべからざる悪結果を生じた。神霊の予言などに的中した例は皆無である。鎮魂神憑りの法などは名称の差異だけで、従来世界の各地に存在したものと全然同一である。新名称を付したとて、新発見にはならぬ。霊智学者などは昔から知っている……」 彼スティブンソンは、例のブラバッキー夫人の創立した霊智学の信奉者なのだ。 欧米諸国で行なわれる交霊会や催眠術施行者を指して言うなら、彼の言は正当だ。一口に神霊界と言っても、正邪高低の区別が歴然としてある。彼らの霊界交通というのは全部妖魅界のもので、それが多く虚偽・無益・不正確なのは当然であり、害毒も生むであろう。 大本で行なうところの鎮魂帰神は、決して彼らのように妖魅の予言を聞くのが目的ではない。反対に妖魅を発動せしめてこれに改心を迫り、下らぬ予言などを言わなくせしむるのが現在の目的である。邪神、妖魅といっても、未だ迷夢の醒めざるもの、正神界に帰順せざるものを指すに過ぎぬ。大本の審神者は正神界の神勅加護を受けて、夢深き迷える者を霊肉共に覚醒させ、向かうべき方向を指示するのがその務めである……と、浅野は力説する。 一身の利害得失などもはや眼中にない浅野の言は、スティブンソンも、兄正恭も、友人たちも、ついに翻すことはできなかった。 海軍機関学校に身を縛られている三月の間は、浅野にとって、これまでの人生の中で一番苦しい時期であった。肉体は三浦半島に残っていながら、霊魂は丹波の空に飛んでいるのだ。 朝、目覚めると、うんざりした気分で思う。「やれやれ、今日も窮屈な洋服着て教場へ出て、英語の教科書を講釈し、英文のレターの書き方を教えねばならんか」 そして無理に自分に納得させる。「しかしこれもまあ、あしかけ十七年の仕事の後始末だと思えば、どうであれ尽くすだけの義務は尽くさねばならん」 我慢して一日も欠かさず出勤したが、その虚しさ、今までの十七年よりも長いかと思うほど。いかに努力しても、かつてのように喫煙室に陣取って同僚と浮き世話に興ずる気にもなれぬ。そして暇さえあれば霊学上の疑問を解こうと試みたり、筆先の予言する立替えについて心配したりする。我ながら変われば変わるものだと思う。 一方においては、大本の共鳴者が浅野の周囲に集まりつつあった。 午後三時、退庁の時間が来る。はずむ足取りで白浜から山王町を抜け諏訪神社の脇の坂道伝いに忠魂祠堂の山道にかかる。毎日通いなれた山道だが、やがてお別れかと思えば何となく懐かしく、幾度か杖を止どめてあたりの風景を脳裡に焼きつける。頂き近くこんもりと樹木の茂った武山、なだらかな群丘の上にそびえる大楠山、海を越えて薄くかすむ鋸山……じっと見つめている己れに気づく。 家に帰って書斎に座る間もなく、決まって来客がある。彼らは、神や霊界の話を求めて来るのだ。これは、意に添わぬ出勤の苦痛を償って余りある喜びであった。たいていは海軍将校とその家族だ。 神霊の実在を疑う者には、さればと鎮魂帰神にかかる。浅野の八畳の書斎は幽斎室と化す。羽織袴で審神者の位置に坐ると、日頃の呑気な態度と異なり、浅野の様子が一変する。全身の筋肉が緊張し、顔面には一種の森厳の気がみなぎる。 乞われるままに鎮魂した人数も、三カ月間に百人にはなったであろう。ずいぶんと珍妙なことが多かった。それについて、浅野は回顧録『出蘆』のなかで述べているが、奉職中の人の迷惑を考えて、頭字だけの仮名にしている。 K少将の発動状態は変わっていた。体がまずぐにゃぐにゃになる。金太郎飴が溶け出したような按配で、とうていこれが、日頃は軍服姿もいかめしく、金鵄勲章功四級をぶら下げて濶歩する少将閣下の姿とは思えない。憑霊の名を問うと、口を開けっぱなしにして叫ぶから、さっぱり呂律が廻らぬ。「舌を使え」と教えると、舌を三寸も長くのばしてみたり、巻いて上顎にひっつけてみたり、頬に向かって突き立ててみたり、極端な舌の芸を披露するばかりで、レロレロベロベロと雑音を発する。しかもその面貌の珍無類なこと、時にはひょっとこの笑うが如く、時にはビリケンのくしゃみする如く、不謹慎なようだが、審神者たる浅野まで噴きださずにはおれん。 やがてK少将に憑いているのは、低級霊だと見極めた。K少将の持病の念入りさは、海軍部内でも有名であった。胃も腸も悪く、脱腸で痔疾で、糖尿病で、その他にも二、三の病名がつけられていた。始終どこかに故障があるが、さりとて職務にさしつかえるほどでもない。これはK少将の肉体を巣窟とする憑依物の仕業で、彼の肉体を病気にしておけば滋養物が食えるからだ。 浅野は、何とか憑依物を退治しようと試みたが、すでに二十年来の痼疾で肉体とぴったり抱き合っているから、容易には追い出せない。無理に退却を命ずると直腸辺に激しい疼痛を感じ、肉体が悲鳴を上げる。ついに浅野も憑依物の追放を断念した。 M機関中佐夫人の発動状態も滑稽であった。鎮魂の姿勢をとらせて五分も立たぬ間に、腹の底から笑い出す。審神者の質問には馬鹿笑いするだけで、返事をせぬ。転がったり、反り返ったり、のめったりしてただ笑いに笑う。髪も壊れ、衣紋も乱れて膝も顕になるまで、ただ笑いに笑う。手がつけられない。仕方がないので鎮魂を切り上げると、夫人はけろりと普段の上品な様子に戻り、きまりわるそうに「失礼だと思って一生懸命に笑うまいとするのですけれど、お腹の方から笑えて笑えてどうしようもございませんの」と告白する。その後の長い体験から、浅野は、こういう不真面目ないたずら好きは、狸などの霊に多いことを知る。 K海軍機関大佐は立派な体格の持ち主で、呑気者で、公務に忠実な軍人だ。彼は明照教の信者である。海軍部内には、日蓮をかついでみたり、明照教に走ってみたりする者が妙に多い。主に平生の無邪気と無頓着に起因するもののようだ。上陸中の暇つぶしに、誰かの口から噂でも聞くと、「面白い。行ってみるか」とばかり、玉突きに行ったり料理屋へ行ったりするのと同じお手軽主義で早速出かける。だから入信も早いが、離れるのも早く、恐ろしく諦めがよい。 浅野は思う。『人文』の主催者の姉崎博士などは、この連中を指して迷信遍歴者などと悪口する。確かにそうも言えるが、彼らが迷信遍歴者なら、姉崎博士はさしずめ宗教仲買人というところだ。つかず離れずいい加減の効能を並べ、自分では一つも懐を痛めずしこたま口銭をせしめる……。 話はそれたが、ある晩、K海軍大佐がひょっこり訪ねてきて、大本の話を聞かせてほしいという。彼の性格を知っている浅野は熱意を持って説く気にもなれず、いいかげんにあしらっていると、やがて「鎮魂をやってもらいたい」と言い出した。 鎮魂をはじめて五分もたたぬうち、憑依物が発動し始める。明らかに野狐の霊だ。霊縛すると、苦しがって唸り続ける。 三十分ほどさんざんいじめた上、「許す」と一言、K大佐は充血した赫ら顔をもたげる。「どうでした。少し苦しかったでしょう」「なに、それほどでもなかったが、ただ私の脇の下のところで、もじゃもじゃした柔らかい毛がさわりました。あれはなんでしょうね」「狐ですよ。魔性のものだから姿は見えんが、あなたの懐か袂の中を探してごらんなさい。きっと狐の脱毛がついてるから……」 袂を探すと、狐の毛が見つかった。K大佐はその後、浅野のところへ寄りつかなくなった。 I少将は温厚篤実な人格者だが、信仰面から言えば、やはり迷信遍歴者の部類に属する。何でもかじり、どこでも行って見る。日蓮宗も結構、法運術も賛成、大本も面白いが明照教も悪くないという調子で、中心もなければ統一もない。一視同仁、無差別混淆……また頼りないこともおびただしい。 このI少将も、浅野に鎮魂を求めに来た。一、二回で発動し、口を切り出した。「どなたですか、御名をうかがいます」 憑依物は、乃木大将を名乗った。浅野は噴きだしたいほどおかしかった。「乃木じゃなくて、のぎつねのくせに」と見破ったからだ。 さあらぬ体で、暫くからかうことにする。「乃木大将がどうしてこの肉体におかかりになったのです」「I少将はいつも私を崇拝しておる感心な男だから、ときどき守護してやっておる」 ノギさん、なかなかうまいことぬかすわいと、浅野は思った。わざととぼけて聞く。「大将にお尋ねしますが、お幾つでお亡くなりですか」「そうね、たぶん六十一じゃったかのう」「夫人は?……」「あれはたぶん四十七歳ぐらいじゃった」「確かにそうですか」と畳みかけると、憑依物は慌てて、「いやいや、五十三じゃったかな。いや、五十七かも知れん」 この程度の狐なら、審神者の一喝ですぐに尻尾を現わすが、陰険かつ老獪で審神者を手こずらせるしたたかな狐もいる。十月の中頃、浅野はひどい奴に出会った。 ある日、S中佐夫人が、姉というA夫人を連れて鎮魂をしてもらいに来た。A夫人は日本橋のさる実業家の細君で三十八、九の年増盛り、少し挨拶しただけで、「よほど淑やかな婦人だ」と浅野は感じる。 二人を一緒に並べて鎮魂にかかる。石笛を吹き鳴らす内、早くもA夫人の態度が変わり始める。鎮魂前は上品で温雅であっぱれ淑女の典型と見えたのに、野卑で蓮っぱで行儀の悪い女に変わって行く。きちんと座っていた腰が崩れ、組んだ両手を左右に離して、ひらりひらりと舞いの手ぶりをし、やがて額の辺で芸者が拳を打つ手振りをする。眉根に卑しい皺が寄り、唇が歪み、一目見てぞっとするような顔になる。 あっけに取られ、思わず眼を見張る。冷たい風がどこからともなく背中を襲い、ぞくぞくと寒気がした。「どなたですか、名乗りなさい」 二、三回うながすと、くだけた調子で口を切った。「あたしはねえ、本所なの。本所の女行者に憑いてるこれなのよ」と言い、指で狐の形を作ってみせる。「お狐さんか、いつからこの肉体に憑いたの」「つい今年の春、憑いたばかりさ」「何のために憑いたの」「決まってるじゃないのさ。このせち辛い世の中に、ほかに目算があるものですか。ただこれが欲しいばかりさ」と、今度は指で輪を作って見せた。「なるほど、金銭か。欲ばりだね。で、うまくいったかい」「ところがだめなんですよ旦那、すっかり失敗っちまってさ、さんざ骨折って巻き上げた祈祷料が五円ぽっきりじゃやりきれやしない。この肉体はなかなかの堅物で、きゅっと財布の口をしめちゃってますからね。あたしはとんだ見立て違いしちまったのさ」 憑依物は際限もなく喋りはじめる。ものの一時間も聞いている内、浅野にも前後の事情が次第に明瞭になってきた。 今年の春、A夫人は、他人に余り言えぬ恥ずかしい病気にかかり、人にすすめられて、祈祷を求めに本所の女行者を訪ねた。A夫人を一目見て、女行者は、二十年前の記憶が蘇った。両国の中村楼でお琴のお温習があった時、女行者はA夫人に会った。A夫人は若い頃はなかなかの美人で、人目を引いた。この女をひっかけると金になりそうだと、女行者は思った。が、その時は機会がないまま、今日に及んだ。 ――しめた、これで目的が達せられると、女行者はほくそ笑む。女行者に憑依しているのは、狐の霊だ。気のきいた憑依霊は、常に当人の胸中を察して、その目的を遂げさせようと活動を開始する。 かくてその瞬間、A夫人に憑依したのが、この狐というわけだ。鎮魂中のA夫人の態度がいかにも下品で淪落の魔性の女らしく見えたのは、女行者の前身が田舎廻りの酌婦だったからで、それがそっくり夫人に感染したからだ。 狐はぼやく。「本当に今度はあてがはずれてしまった。このままじっと憑いていても、あまり甘い汁が吸えそうもなし、かといって五円ぽっきりのお土産で帰ってくのも器量がなさすぎるし、どうしていいかわかりゃしない」「お前も目先が見えなさすぎるよ。こんな堅気の人から金銭を絞ろうとしたって、見当はずれもいいとこさ」「ほんにそうですよ。あたしもよほど抜けてます」「おまけにこの人は大本信者になりかけてるからね。大本の神さんの怖いことは、お前だって知ってるだろう」「そりゃ知らなくってどうしましょう。艮の金神さまは怖い神さまです。神主でも行者でもお寺の坊さんでも、ちっとも怖かない。ただ綾部の神さんに睨まれた日にゃ、おたまりこぼし(たまらない、我慢ができないの意)もありゃしない。綾部といったら、ほんにいけ好かない、薄気味悪いところですよ」「全く悪霊から見ればそうだろうね、お気の毒さま……」と、浅野は空うそぶく。 A夫人を連れてきたS中佐夫人は、とうに席を立って部屋の隅に行き、気味悪そうに問答を傍聴している。 浅野の質問につられ、狐は調子に乗っていろんなことを白状する。つまりは、いまいましさの余り、家中の人を片端からひどい目に会わせたというのだ。 浅野は形を改めて狐に改心を迫る。「艮の金神さまはこれから幽界の規律を正されるそうだ。もう今までみたいに悪事は働けんよ。すぐにも改心して、泥足を洗いなさい」「でもさあ、あたしたちは駄目なんですよね。悪戯をするのがあたしたちの性来で、今さらあなた、神さまのお気に召すようにはできませんもの。それにさあ、東京にはまだ面白い種がたくさん転がってますしね」「しかしねえ、いずれ時節がきたら、お前たちは改心せずにおれなくなる。この際、この人の魂から退き給え。お前などの巣食っとる所じゃない」「でもねえ、このままではあんまり……」「そうか、言うこと聞けぬというなら、大神さまにお願いして、懲罰を加えるぞ」「そ、それはちょっと待って下さいよ。えい、仕方ない、あたしも江戸っ子だ。この肉体に見切りをつけちゃうかな」「いい覚悟だ。じゃあすぐにこの肉体から離れなさい」 浅野は組んだ両手に力を込め、うんと気合いをかける。狐の霊はにやりと薄気味悪い笑みを漏らす。さらに掛けた気合いに、A夫人の肉体はぱたりと横に倒れた。 間もなく目を開けて起き上がった夫人は、元の上品で優雅な姿に戻る。 浅野はくれぐれも夫人に注意した。「とにかく一時は出て行きましたが、あいつらの言うことは信用できませんから、くれぐれも油断なさらんように……」「油断するなと言われても、どうすればよろしいのでしょう」と、夫人は心配そうに尋ねる。「信仰です。信仰に油断があると、魔はいつでもさす。一切の我利我欲を捨てて生まれ赤子のような心になり、大神さまにお縋りすれば、世の中に怖いもの無しですよ。ただし実行はむずかしい」 はたして狐の霊は、その後も再三再四夫人の肉体に戻り、種々の悪戯をする。 後日談になるが、大本の役員が東京まで出張し、苦心の末にようやく憑依物を夫人の肉体から引き離すことに成功した。ところが狐の霊は方針を変え、今度は十八になる夫人の長女に憑依する。半ば発狂状態である。 心配のあまり、両親は娘を綾部まで連れて来て約一カ月滞在、ようやく狐の来襲を防いだ。このために一家上げて信仰に入り、大神さまを奉斎した。 横須賀におけるこれらの体験から、浅野は「万物の霊長たる人間さまに、狸や狐などの動物霊が憑いてたまるか」という抗議にも、傲然と胸を張って答えるのだ。「万物の霊長だって、身体を不潔にしておけば、虱だって蚤だって憑くさ。これと同様に、心を不潔にしておけば、狸でも、狐でも、蛇でも、がまでも、猫でも、何でも憑く。君も一度、鎮魂してみて、副守護神と挨拶してみんかね」 鎮魂を求めて集まる人たちの中から、神に目覚めて真剣な信仰を持つに至る人々も、次第に現われてきた。 兄正恭とその妻まつの間には実子がなく、中学三年になる養子遥(十六歳)が一人横須賀に下宿していた。遥は浅野家で神霊の実在を知ってから、学問するより一生を神さまに捧げたいと言い出した。最初は子供の出来心と軽く考えて、正恭は説諭のためにとんできた。しかし、遥は思い詰めていた。親の威光を以ってしても如何ともならぬ。十一月には遥はとうとう中学を退学して、単身、綾部へとび出してしまった。 いよいよ十一月も終わりに近づいて、現職を離れる時期が目前に迫った十八日正午過ぎ、思いもよらず王仁三郎が村野龍洲を従えて横須賀へ現われた。電報をもらった浅野が妻と駅へ駆けつけると、ホームには田中豊頴・成川浅子らが待ちうけている。 王仁三郎と村野は成川浅子の経営する汐留の三浦屋旅館に少憩、次に汐入の横須賀支部に入って信者に面会、続いて浅野家に移って宿泊する。「実は宣教がてら、浅野はんを迎えにきたんやで」 あまりにも唐突な言葉に、浅野はいささか驚いた。十七年間住み慣れた古巣を整理するとなると、山積する書類やがらくた類、住宅・辞書・保険類などを何とかせねばならぬ。綾部へ引っ越すからにはきれいさっぱりしてさばさばした気分で行きたいと思うが、面倒くささについのびのび、十二月一日には自由の身になるからいずれそのうちと思っていたのだ。「何日に引っ越しましょう?……まだ何も片づいていませんが」 王仁三郎はこともなげに答える。「何も心配いらん、神さんがよいようにしてくれはる。十二月十日出発と決めるで」 浅野は即座に腹を決めた。「承知しました。それまでに何とか片付けましょう」 あわただしく万事の整理処分が開始される。運送屋が夜具・書物・家具その他一切の荷造りを始める。家屋敷はすぐ売れた。鎌倉のわずかばかりの地所も買い手が見つかる。がらくた類は、知人や女中たちに分配したから、わけもなくらちがあいた。 十二月一日、ついに晴れて退官。後任として海軍機関学校の嘱託英語教官に就任したのは、浅野の後輩・芥川龍之介である。例の樗牛会の畔柳芥舟の紹介という。芥川は、七月に東京帝大英文科を卒業したばかりだ。この年二月、第四次『新思潮』創刊号に「鼻」を発表して夏目漱石の絶賛を受け、新進作家としても地位を確立していた。月俸六十円。 浅野宅に滞在する王仁三郎を訪ねて、訪客は引きも切らぬ。木佐木機関少将夫妻・岩辺機関大佐の家族・朝永機関大佐・桧貝機関中佐・冨井機関少佐・篠原海軍大尉・宮沢海軍学校教授等である。 七日、王仁三郎は三浦屋旅館に移る。ここで東京に出張中の村野龍洲と合流する。 十二月十日早朝、浅野一家は産土神社に参拝、十七年間にわたる三浦半島での御守護の礼を奏上する。正午頃、住み慣れた家と別れを告げ、三浦屋旅館に行き、横須賀在住の信者らと送別の宴を催す。 眼下に見える軍港は本降りとなった雨に霞んで、別離の情感をさそった。 午後四時、王仁三郎・村野・浅野家の一行は、俥を連ねて横須賀駅へ、木佐木少将夫妻をはじめ数十人の見送りを受ける。鎌倉・大船までついてきてくれた人々も多かった。 無事綾部駅に到着したのは翌十一日早朝。駅には、勝良・遥をはじめ数十人の役員信者が十曜の神旗を持って迎えている。夜来の雨は上がり、丹波霧が深く立ちこめていた。さすがに寒気は凛冽であった。 統務閣に入って、教祖直や澄、役員たちと挨拶、朝食を振舞われて後、並松に購入してある家へ移った。この夏買い取った時は外から一瞥しただけであったが、さて中に入って見ると、いかにも田舎風で、陰気でむさくるしかった。「やはり丹波らしい家だね」と、思わず笑った。「少し手をかければ、これでちゃんとなりますわ」と、多慶が甲斐甲斐しく間取りを調べながら答えた。子供たちは早くも外へ飛び出して、「いい河だなあ。魚も釣れるね、新ちゃん」「そうさ、三郎、泳ぎもできるぞ」 木箱に入れられて車中荷物扱いされ悲鳴を上げていた飼犬トムも、今は子供らとはめを外して跳び回り、はしゃぎきっている。 荷物を積み込んだ貨車も同時に到着したので、早くも運搬が開始される。本部から三、四人の若者が手伝いに来てくれた。「あ、その机を真っ先に二階へ。それからこの荷物をほどいてくれ給え」 荒菰に包んだ荷物から筆記用具を取り出すと、浅野は二階へ上がったまま下りて来ない。家の中は荒菰の包みで足の踏み場もなく、手伝いの若者も指揮者がなくてうろうろしている。 多慶が二階へ上がって見ると、浅野は埃の積もった畳の上に机一つ置き、原稿を拡げて執筆している。「まあ、何をなさっているんです。荷物を運んでほしい、とは言いませんけれど、せめてあなたの物ぐらいどこへどう置くか指示して下さらなきゃ、どうしてよいか分かりませんわ」「冗談じゃないよ、君……ぼくの体は今日から神さまに捧げたんだからね、一分一秒だって無駄にはできないんだ。そうそう、言っておくがね、子供の転校、戸籍の変更、その他もろもろの手続きや雑事が移転にともなってあるだろうが、一切ぼくの耳に入れず君一人でとりしきってくれ給え」 実際、浅野には雑事にかまけている暇はなかった。横須賀にいる頃から、大本入りした上は早晩自分の手で機関雑誌を刊行し、皇道大本の真相を世間に知らしめたいと言う抱負を持っていた。 車中、王仁三郎にその計画を持ち出すと、電光石火的に答えがはね帰って来た。「よっしゃ。『敷島新報』は旬刊やが、こんどは月刊とする。頁数も増やし、内容も刷新すれば読みごたえのある本になりまっしゃろ。先ず誌名やが、現代くさくも古くさくもない特長のあるのに改めとくれやす」「そうですね……」 王仁三郎はかぶせるようにつけ足した。「『敷島新報』の記者をしとる宮飼正慶を使うて下さい。あれは筆が立つ。発行は来年一月一日。それでよろしな」「え!……」 聞き違いではないか、と思った。一月一日と言えば、もう二十日しかない。「間に合いましょうか、そんなに早く……」「間に合うでえ」 ぽつんと言うと、王仁三郎は敷島をくわえながら、目を細めて移り行く車窓を眺めている。これが大本式かも知れない。「では綾部に着いたらすぐ筆を執ることにしましょう。でもぼくは近頃執筆を廃していましたから、はたしてうまく書けるかどうか。それに神界のことはまだ一向に不案内で、まとまった方針も材料もありません」「神さんが助けてくれはる。心配はいらん」 その一言が、逡巡する浅野の心を明るくした。 大事な教団の機関誌を、新米の浅野にいっさい任す気らしい。大変な度量だ。さてこそ奮励一番、すべてを放擲して机に向かっているのだ。 午後には村野龍洲と宮飼正慶が来て、埃だらけの二階座敷に坐り込んだ。創刊号の編集会議である。それより先に十二月二十一日の『敷島新報』に改題予告を載せるのが焦眉の急だが、今日明日中に印刷に回さねば間に合わぬ。三人で頭をひねって『神霊界』という誌名を決定する。 浅野はすぐさま筆を執り、改題予告を書き始めるが、それさえ「遅い」と時間が急き立てているようであった。
 『神霊界』の原稿を書き続けて四日目、十二月十四日の午後、大本から名刺を持って使者が来た。「こんな人が見えてはるさかい、すぐ来ておくれやす」 意外にも秋山真之海軍少将である。「うーむ、秋山さんか、こりゃ面白い。よし、すぐ行きます」 浅野は先に使者を帰すと、名刺を見つめた。秋山兄弟は、日清・日露の戦いで勇名を馳せ、国民に英雄視されている。兄である陸軍中将秋山好古は日本騎兵の育ての親であり、弟真之もまた神算鬼謀、天下無比とうたわれる海軍の名参謀であった。 秋山真之の名を知らぬ人も、日本海海戦における有名な電文は知っている。いよいよ対馬海峡へ出撃の時、三笠艦上の連合艦隊司令部から大本営へ打電する第一報を、若手参謀が起案した。「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす」 これに目を通した秋山は、その末尾にさらさらと一句つけ加える。「本日天気晴朗なれども浪高し」 大本営では、海峡に濃霧がかかり、敵影を見逃すことを恐れていた。また浪が高いことは、戦艦の乾舷の低いことを意味する。遠征途中の訓練不足であるロシア艦隊には不利である。この短い一句は、たんに文学的名句であるばかりか、戦局われに利ありという判断を伝えている。本日を《ほんひ》と特殊な発音をするのも、聞き違いを少なくするための海軍の慣用で、これも秋山の発案になる。 秋山の文章は格調高い美辞麗句で、後世に秋山文学と呼ばれたが、「舷々相摩す」の流行語も秋山が書いた戦況報告の一句である。日露戦争が終わった時、秋山が起草し、東郷司令長官の名で出された「連合艦隊解散の辞」は日本海軍の経典的役割をはたし、ルーズベルト米大統領もこれを英訳して、全アメリカ軍隊に配布した。 長く海軍部内にいた浅野も、まだかけ違って一度も会ったことはない。それが綾部に移って僅か四日目、この丹波の山奥で秋山真之に会おうとは。 この人に大本の価値を認識させれば、いかに頑迷不霊な海軍部内も早急に覚醒しよう。初陣に功名を期する若武者のように、浅野の心は勇み立った。 統務閣では王仁三郎と秋山がまさに会談中であった。入って来た浅野に秋山は鋭いまなざしを投げて、初対面の挨拶を交わす。共に海軍部内の人間として相手の名声だけは知り合っていた。 ――高い湾曲した鼻、やや曲がった口元、鋭いしかし快活な眼光、全体に引き締まった風貌、動作、誰が見ても只者でないだけはすぐ分かる。海軍士官気質と言う一種独特の型にはまっているが、しかしどことなくその型を超越した秋山一流の特色も現われていて、妙に人を魅きつけるところがあった。たしかに僥倖で空名を馳せている人ではない、と首肯された……というのが浅野自身の描いている秋山真之の第一印象である。「どういう御縁で、大本へ来られましたか」と、浅野は訊いた。 すでに王仁三郎に語っているであろうが、まず秋山の口からそれを訊かねば、作戦の立てようがない。 秋山は卒直に答えた。「最近、ふとしたことで『敷島新報』を一部拝見しましてね、それ以来、綾部に一度行ってみたいと思っていたんですよ。ちょうど〃吾妻〃が舞鶴へ入港したんで、さっそく訪問したわけです」 当時秋山は軍艦「吾妻」に座乗、水雷戦隊の司令官をしていたのである。 薄っぺらな、印刷の汚い『敷島新報』一部で大本の見当をつけ、綾部行きを実行する機敏さなど、さすが秋山さんだと、浅野は感じた。 すぐ王仁三郎との対話に戻った。秋山の興味の中心は、神霊問題であるらしい。その質問が核心をついているのも、まさに秋山流である。王仁三郎の答えは無駄なく短く、秋山の胸に十二分に響き返る。浅野は陶然として両者の問答に聞き惚れた。この時、秋山四十九歳、王仁三郎四十六歳、浅野和三郎四十三歳、それぞれ三つ違い、あと十日余で一歳を加える。 質問の矛先を、秋山は浅野に転じた。「あなたが海軍機関学校を辞めて大本入りされるには、かなりの煩悶があったでしょう。それをぜひ聞かせて下さい」 浅野は卒直に今までの経緯を語る。彼が突き当たった鎮魂帰神、筆先の予言警告、立替え立直しなどの難問をどのように受け止め、克服したかを。秋山に対しては、余計な修飾も説明も加える必要はなかった。すらりと何の苦もなく呑み込んでしまう。まさに一を聞いて十を悟り、片鱗を見て全龍を察する趣きなのだ。「失礼ですが、神霊問題についての秋山さんの御造詣の深さは並々ではない。以前に御研究なさったことでもあるのですか」と浅野が訊くと、秋山は、すがすがしい笑顔を向けた。「実はそうなんですよ。ぼくが神霊問題に熱中するようになったのには、それなりの理由があります。誤解されるのが嫌で誰にも言うまいと思っていたのですが、あなた方なら御理解いただけるでしょう。ぼくにとっては重大な霊的体験なのです……」 秋山は身を正し、熱のこもった口調で語り出した。
 明治三十七(一九〇四)年二月八日夜、旅順港に向かった連合艦隊の主力は、駆逐艦隊をもってロシア艦を急襲、新鋭戦艦二隻、一等巡洋艦一隻に大損害を加え、ロシア太平洋艦隊の戦闘力をそぐ。一方第二艦隊は仁川上陸軍を護送し任務を終えた後、仁川港内のロシア艦に挑戦状を送り、九日正午すぎ、港外に出て来た二隻を撃沈する。 敵に先制攻撃を加えて黄海の制海権を握っておき、十日、ロシアに対し宣戦を布告した。 ロシア艦隊は緒戦に大打撃を受けたが、ウラジオストック艦隊はなお健在だった。津軽海峡から日本海沿岸を脅かし、四月二十五日、軍隊輸送中の金州丸を元山沖で撃沈、六月十五日、対馬海峡で陸軍運搬船常陸丸・和泉丸を撃沈、佐渡丸を砲撃、七月二十日、津軽海峡を抜け太平洋岸で汽船・帆船五隻などを撃沈して暴れ廻った。 上村艦隊は敵艦隊撃滅の任に当たったが、敵は出没自在、いかに焦っても敵影を捕捉できないのでは、手の下しようもない。国民の感情は沸騰し、未だに宿敵に遭遇し得ぬ上村艦隊に非難の声さえ浴びせ始めた。 当時、秋山真之は東郷艦隊の中佐参謀として「三笠」に乗り組み、旅順封鎖の任に当たっていた。ウラジオストック艦隊のほしいままの跳梁を無線でひんぴんと報告されても、東郷艦隊としては、一時も旅順沖を離れることはできない。 敵艦隊の予測される行動は、日本海を通過してそのままウラジオへ引き揚げるか、日本の東海岸に進み日本艦隊の空虚をついて津軽海峡か宗谷海峡を抜けて帰航するかである。上村艦隊としては、二者択一の決を迫られていた。勝負はまずこの時点の一断で決する。秋山参謀の苦悩は、実にここにあった。 夜もすがら、考え、脳漿をしぼりつくした末、力つきてふとまどろんだ――瞬間、閉じたはずの瞼の裏が陽光がさしたように明るくなり、海がひらけ、入り組んだ陸地が見え出したのだ。日本の東海岸の全景だ。その向こうに映ずるのは津軽海峡。と、蟻のような三つの黒点が現れ、次第に大きくくっきりと形をあらわす。夢寐にも忘れ難いウラジオ艦ロシア、ルーリック、グロムボイの三艦ではないか。波涛を蹴立て、三艦は津軽海峡目指して北進する。 ――あっ、あいつら東海岸を廻って津軽へ抜けるのか。 直感したと同時に、何もかも霞の奥に閉ざされていた。夢といえば夢、幻といえば幻、これが悪夢かとしばしまどう。明け方であった。ひれ伏して東雲の空を拝した。魂のおののくような感動に、顔中涙となった。 ――神助だ。神はおわす。 それは揺るぎない信念となって、秋山の腹の底へ納まっていた。 霊夢で敵艦の行動を知ったなどと言っても、冷笑を買うのみである。秋山はこのことは胸底に秘し隠し、理性の判断からウラジオ艦隊の行動を推定したことにして進言した。 ――ウラジオ艦隊は必ず太平洋に突出し、津軽海峡を通過してウラジオに帰航するものと確信する。上村艦隊はこの推定の下に行動を起こし、日本海の捷路をとり、津軽海峡の内面に於いて敵艦隊を追撃すべきである。敵艦隊の後を追って太平洋に出るのは、むなしく敵を逸するのおそれがある。 無線電信は軍令部にも上村艦隊にもこの言を伝達した。しかし軍令部はこれを採用せず、上村艦隊をして東海岸方面に出動させた。このため、敵は悠々として津軽海峡を見過ごし、いったんウラジオストックへ入ってしまった。 この時、もし秋山の進言が容れられていれば、八月十四日の蔚山沖海戦を待たず、六月中旬にウラジオ艦隊を撃没し、幾多の尊い人命を彼らの歯牙にかけずにすんだにちがいない。 秋山の霊的体験は、この一度で終わらなかった。身を乗り出し、海軍流のくだけた口調ながら、眼を輝かして秋山は語る。「日本海海戦の時のことです。御承知のように、ロシアは強力なバルチック艦隊を第二艦隊として日本に送り、制海権を奪おうとやってきました。迎え撃つ日本艦隊は、根拠地を鎮海湾において敵の接近を今や遅しと待っていたわけですが、この時の用意と覚悟たるや、実に想像の外です。日露戦争中、何が大事と言ってもこの一戦に勝るものはなかった。まさに『皇国の興廃この一戦にあり』でした。万々一日本艦隊が敗れたとすれば、それは日本の滅亡を意味します。もしこれを逸してウラジオに入港させては、日本の最大の危機となる。よしかなりの勝利を占めても、その一部をウラジオに逃がしたのでは、やはり勝手が悪い。どうでも完璧にやっつけねば、日本の安全は保ち難かった。 しかしここでも、敵の進路の想定がウラジオ艦隊の場合と同様に重大問題で、しかも軽重の差から言えば比較にならぬぐらいでした。もちろん全力を上げて情報の蒐集をしていますが、神ならぬ身の絶対の確報は得られない。五月二十日を過ぎると、心身の緊張は極点に達していました。旗艦〃三笠〃には幾度となく全艦隊の首脳部が集まり、密議を凝らした。ぼくの口から言うのも何ですが、官職こそ一中佐であれ、連合艦隊の作戦は、ほとんどぼくの頭脳にかかっている――その責任の重さに押しつぶされそうになりながら、着のみ着のまま、昼も夜も寝食を忘れて考え続けました」「……」「忘れもせぬ五月二十四日の明け方でした。ぼくは疲労でよろめきながら士官室に行き、安楽椅子にぶっ倒れました。他の連中はとうに寝てしまって、士官室にいるのはぼくだけです。体はどんなにまいっても、頭脳だけは別のように考え続けていて安まらない。それでも、とろりと眠ったのだろうか、例の瞼の裏が明るく深く、果てしなく広がり出した。瞼の色が変わって海の青いうねり、波の白がくっきり見える。――対馬だ。対馬海峡の全景が見える。 ぼくは無意識に心眼を凝らして海上を探った。いや、探るまでもなかった。バルチック艦隊は二列になってのこのこ対馬沖をやってきます。その陣容、艦数までとっさにつかんで、しめた、と思ったとたん、はっと正気に返った。頭は冴えに冴えています。今度は二度目なので、すぐに神の啓示だと感じました。敵の出方がわかれば、作戦はひらめいてきます。 バルチック艦隊は確かに二列を作って対馬東水道を北上する。それに対抗する方策は、第一段は夜戦で駆逐艦・水雷艇による襲撃をかける。第二段はその翌朝の艦隊全力上げての決戦、第三段・第五段はひき続いて夜戦、第四段・第六段は艦隊の大部分をもってする追撃戦、第七段はウラジオ港口に敷設した機雷原に敵艦隊を追い込む。昼夜の海戦を続けようという、ぼくの七段構えの戦法が出来上がりました。 二十七日の夜明けになって、信濃丸からの無線電信で敵の接近を知り、ついにあの歴史的な海戦になるのですが、その時は肝の底から勝利の確信がありました。なぜって、目前に現われた敵の艦形が、三日前に霊夢で見せられたのと寸分の相違も無かったんですからね。ただ予想に反して敵艦隊の海峡通過が昼になったので昼夜が入れ替わり、第一段の艦隊決戦ですでに大勢を決したので、実際には第三段で作戦は終わりましたが……。 いざ戦報を書こうとして筆を執った時、『天佑と神助によりて……』と、まず書き出していたのです。事実、そうなのですから。決しておまけでも形容でもなかったのですよ」 王仁三郎は、感慨深げに言った。「不思議な符合ですなあ。ここの教祖は、明治三十八年の五月十五日から十日間、舞鶴沖の孤島沓島で日本の戦勝を祈願しなはった。二十三日の夜には龍宮の乙姫さんが現われて、『日本を攻める外国の船がたくさん参ったから、これからお手伝いに参る』と言いなはったそうや。 あなたの霊夢は、その明け方、教祖はこの日、『もう日本は大丈夫、私の御用も終わったから、明日は船を呼んで帰ってもよい』と、ついて行った若い者に言っています。日本海海戦の勝敗は、この時点で決まっていたかも知れまへんなあ」「そうですか、そんなことが……ぼくも二度の体験以来、人間に働きかけてこられる神霊の実在を、疑うことができんのです。人間がいくら智嚢をしぼっても決しかねる時、人間が匙を投げて神の前にひれ伏せば、神は必ず誠心の人を助け給う、これがぼくの信仰です。智慧ばかりでは駄目だ。人間が万全の働きをするには、どうしても至誠通神の境地に達せねばならぬと思いますね。 そう言えば、東郷大将も一種の霊覚があると、ぼくは信じますよ。寡黙な方だから自分ではなんとも言われないが、そう信ずべき理由があるのです。旅順封鎖の時でしたが、敵艦隊がその錨地をこっそり奥の方へ移したことがありました。前日まで沖で見ていたのに一夜で姿が消えたのだから、封鎖を破って脱出したのじゃないかと、ぼくなどもうろたえましたよ。 ところが東郷大将はただ一言、『敵は内にいる』と断言されたきり、相手にしないのです。あの時の超然とした態度など、霊覚か何かあったとしか思えません」 話は尽きぬ。日暮れ近く座談も終えた頃、秋山はきびきびした態度で王仁三郎に言った。「ぼくにとっては、実に有意義な一日でした。本当の神さんはたしかにここだと直感します。いずれ出直してきて、みっちり修行にかかりましょう」 秋山を送って、浅野は駅へ向かった。汽車を待つ間にも秋山は話を止めなかった。「何とか、ぼくは体験で知った神霊のお働きの根源をつかみたかったんです。一時は明誠教に凝りましたが、一年足らずでいやになり、次に川面凡児(古神道家、古典考究舎を主宰)に傾倒して同志を集めて講演会を開いたりしましたが、一、二年で熱が冷め、池袋の天然社にも出入りしましたが、それもあまり長く続かなかった。ぼくなんか、迷信遍歴者の部類か、信仰の前科者といわれても、仕方ないでしょうな」さばさば言ってのけ、笑いながらつけ足した。「どこに行って見ても、半年か一年たつうちに、自分の方が偉く思われてくるんですよ」 秋山の長所も短所もこの一語のうちにあらわれていると、浅野は思った。「秋山は参謀としては天下無比だが、統率の器としてはどうであろうか」と言うのが、海軍部内での定評であった。あまりその頭脳が鋭敏なのに任せて、八人芸を演じたがる所がある。一つの仕事をしているうちに他の仕事を幾つも考えていると言う風で、精力の集中、思慮の周到、意志の堅実さにいささか欠けるのではないかという噂も聞いた。 しかし浅野は、秋山のために弁護したい。軍人でも、政治家でも、官吏でも、ある地位に達すると心の門戸を鎖し、いやにとりすまして精神溌剌の気が乏しくなる。ことに知名の士という奴は、その虚名の傷つくのを恐れて、後生大事に納まり返る。 ところが秋山にはそんな臭味は感じられず、日露戦争の輝かしい殊勲を鼻にぶら下げてもいない。しかも真と直感するものに向かい、周囲の一切の顧慮を捨てて突き進む勇気がある。秋山の遍歴も、そのあらわれではないか。 ついに今、秋山は大本に辿りついた。ここを最後の終着点に願いたい。そして犀利な彼の頭脳をもって、ただ一筋に底知れぬ深さの神諭に取り組んでもらいたい。 秋山と別れて大本へ帰った浅野に、王仁三郎はぽつんと言った。「呑み込みが早過ぎると言うのも、危険やのう。あの人は生まれ赤子の心になりきれるかな」
 秋山の参綾が発火点となり、大正五(一九一六)年十二月中旬から「吾妻」の出港が切迫した大正六年一月七日まで、大本内部は一時海軍村を形成する有様であった。『神霊界』に掲載された主な人名は、次の通りである。 海軍大佐桑島省三、同四元賢助、海軍機関大尉泉富三郎、新藤機関少佐、松本海軍少佐、鮫島海軍大尉、武藤海軍大尉、有岡機関大尉、糸満機関大尉、香椎海軍大尉、立花海軍大尉、渡辺海軍少尉、佐伯機関少尉。 彼らはいずれも元気旺盛な猛者ばかり、大雪をものともせず、大晦日も元日もお構いなくしげしげ通い、たいてい十一時の終列車で舞鶴へ帰って行く。 大本で霊学や筆先の講釈を聞き、大半は鎮魂を希望する。低級霊の多くは、高級な神名を騙ってごまかしたり、おどしにかかったり、よくよく法螺を吹きたがるものなのだが、海軍士官の鎮魂は概してわけなく発動し、猛烈でそのくせ淡白だった。 立花海軍大尉の場合など、単純明快、審神者が名を問うや否や、大音声を張り上げて、「天狗!」と名乗ったものだ。十二月二十八日に三回目の鎮魂の時には、審神者の王仁三郎に猛突撃して、座にいる者を冷やりとさせた。 糸満機関大尉も一、二丁先まで響く大声でどなる。佐伯機関少尉はどなるだけでなく、跳び上がっては転げ、転げては跳び上がる無類の派手さであったし、桑島大佐・四元大佐の発動も激しかった。軍人の守護霊に天狗が多いのは奇妙であるが、事実であった。「天狗なんて、どうも人聞きがよくないな。別の名はないかしらん」と恥ずかしがる者もあったが、それでも発動すれば憑霊自身が天狗と言うのだからどうしようもない。 思いもかけぬ海軍軍人の大挙来襲で、主として応接にあたった浅野は、息つぐ間もない忙しさの中に巻き込まれた。それも引越し荷物の片もつかぬ間からである。 十一時に修行者を送り出して大本を出、三浦半島の暖国とは打って変わった和知川の寒風に吹きさらされ、雪道を歩いて深夜の帰宅となる。それから布団にもぐりこみ、眠い眼と戦い戦い原稿を書きなぐる。 編集主任に頼んだ宮飼正慶は、意外によく働いた。尾羽打ち枯らしてくすぶっていた彼が、大役を与えられて発奮したのであろう。新聞記者の前歴を持つだけあって、口はどもるが、筆は流暢で早い。原稿を書くほかに、校正・発送・紙の買入れ・工場の監督などにとび回った。 この夏来た時には、こんなくだらん男をよく徒食させておくと思ったものだが、この時のために用意しておいたとすれば、王仁三郎の人を活かして使う術も大したものだと、浅野は感心した。 編集もその通りだが、印刷の多忙さも一通りではない。印刷所は西石の宮の道路を隔てた裏手にあった。二階と言っても薄暗い屋根裏の一室なのだが、そこが文選場・植字場で、階下には小さい足踏み回転の印刷機が一台あるだけ。四方平蔵の長男熊太郎(数え十八歳)が工場主任で、湯浅仁斎の長男俊一(十六歳)・秋岡亀久雄の長男光重(十六歳)とが、その下にいた。 三人で文選植字・校正・製版をやる。それがすむと、二人は動力替わりの足踏み運動、熊太郎が紙差しをする。終わると解版してまた八頁組む、刷る。四十頁ぐらいの月刊誌をたった三人の素人少年ばかりでともかく作り上げるのだ。『神霊界』表紙の赤の色刷りと写真版の印刷がうまくいかず、苦労した。蛍のような炭火で手を暖めながら、古毛布などを腰に巻きつけ、厳寒に堪えての連日の夜業である。 製本が一冊出来上がると、警察へ納本に走る。地方発送への帯封をして郵便局へ運び、約束郵便の印を押して発送する。『直霊軍』や『このみち』当時は、王仁三郎一人で原稿書きから活字拾い、印刷もやったが、この頃はまかせきっていて、ときたま様子を見にくるだけであった。見かねて、時々浅野遥(十六歳)が手伝いに来てくれた。八時間労働や、賃金値上げや、ストライキなど思ってもみぬ。少年とはいえ、彼らは徹底した信仰を持っていた。四方熊太郎は殊に不言実行、どんな苦しい時でも笑顔で処していたから、光重も俊一も不平一つ言わずに心服していた。その献身と忍耐と努力は涙ぐましいばかりであった。 大正六(一九一七)年一月一日、『神霊界』正月号は、そうした苦労の中から発刊された。『敷島新報』の号数を受けついで四十三号。 ――『神霊界』新たに世に出づ、けだし時の力なり、神の力なり、しかしてまた人の力なり、吾人は神人両界にわたりて多事なりし大正五年を送り、ここに生気萌え、希望萌え、新緑また萌えなん六の歳の新春を迎へ、読者とともに新たに霊の叫びを交さんとす。赤誠は吾人の本領、厳粛は吾人の主張、的確に神霊の世界の秘奥をさぐりて、しかも堅実に地歩を現実にふまえ、邪をしりぞけ、正を樹て、またいかなる疑義、抗言にも紙面を割きて、もって本誌を広く天下の研究場、告白所たらしむると同時に、他方に於ては、かの愚劣なる軟文学、かの不健全なる悪自然主義、かの亡国的・殺霊的・破壊的・遊戯的、ただしは扇動的なるあらゆる異端・邪説・妄論・魔行の撲滅をもって任じ、もって真理の宣伝、皇道の発揚に努力せんとす。由来大声は俚耳に入らず、真人はしばしば迫害の厄を嘗む。思ふに本誌の前途は決して平々坦々なる能はじ。されど千百の犠牲も迫害も、誤解も、困難も、一たび吾等同人の責任の重大にして、かつその影響の甚深なるに想到せば、固より歯牙にかくるに足らざるを覚ゆ……。 主筆兼編集長浅野和三郎による「発刊の辞」である。 神霊界の発行所は綾部であるが、広く世に出すため、東京の有朋堂を大売捌所とした。 出口直の平仮名ばかりの筆先に王仁三郎が漢字をあててその真意を分かりやすく発表したものを、「大本神諭」と呼ぶ。王仁三郎はその「神諭」をすでに大正三年から用意していたが、発表はひかえていた。それがどんどん掲載され始めたのは、『神霊界』二月号からである。『神霊界』と言う発表の舞台を得て王仁三郎が「時節到来」を判断したことによるが、もっと大きな理由は、大本における王仁三郎の位置の確立であった。大正五年十月、神島参り直後の筆先によって、王仁三郎の精霊は、根本の天の先祖である「みろくさま」の霊統であることが顕示されるに及んで、大本の神観に対する理解が、大きく修正されなければならなくなった。王仁三郎の神格が認められ、筆先の選択や整理が公然と可能になった。 これまでは筆先に外国文字である漢文をあてることは、外国霊魂小松林の悪のやり方だとして、王仁三郎は旧役員たちの頑強な抵抗にあったのだから。かと言って、原文の平仮名ばかりで発表することは、読みあやまって誤解を招くおそれがあった。 この「大本神諭」を通じて世の立替えの予言警告がどしどし発表されたから、その社会的反響は大きかった。神諭の言葉は、素朴で、直截的で、「……ぞよ」で結ぶ断定的な表現であり、人の魂をうつものがあった。 浅野和三郎の大本入りによって、確かに大本は社会的に大きく前進した。鎮魂は、浅野が来るまで、主として四方平蔵が、病人などに頼まれればやむを得ずする程度であった。低級霊のどたばた騒ぎを殊に直が嫌がったし、王仁三郎も鎮魂の弊害面を心配して控えていた。それを浅野は積極的に採り上げ、宣教の有力な武器とした。 浅野は、その著『冬篭』の中で、その理由を述べている。 ――鎮魂の主要目的は、無論、霊魂の存在を証明するなどと言う、安っぽいものではない。遊離放散しやすい霊魂を身体の中府に招集統一して、顕幽一如、神人合一の妙境に到達せしめ宇宙の秘奥を探り、天地の大道を明らかにするのにあるのだが、この修行の第一歩に於て、副産物的に霊魂の存在ぐらいは分かってしまう。理屈で十年かかっても分からぬことが、僅々一日か二日の実験で体得せしめ得る。一時も早く分からせようと言う誠意がこちらにあれば、つい億劫でも鎮魂と言うことになる。よくよく早いのになると、一ぺんで憑依霊が発動する。当人の意識はぜんぜん明瞭で、ぜんぜん覚醒状態にあることだから、文句はない。審神者の方で説明するまでもなく、たちまちに守護神説を承認する。理性が発達し、学識があればあるほど、悟ることも早い。どうしても神霊問題の研究は、そこから出発せねばならぬ……。 第一次世界大戦によって世界や日本の情勢が大きく変動している時、立替え立直しの神諭の発表や鎮魂帰神や浅野の言説などが海軍関係や危機意識を持った知識層に波紋を投げかけ、大本研究に参綾するものがめっきり多くなった。その応接係・説明係は八、九分通り浅野が受け持つことになり、鎮魂に至ってはほとんど浅野の審神者であった。加えて『神霊界』の仕事、浅野の日常はただただ忙殺の一語に尽きた。 王仁三郎もまた、浅野の目から見れば「神変不可思議、縦横無尽」の活動をしていた。熟睡していたかと思うと、いつのまにか神歌の百首も床の中で作っている。起きたとなると、顔も洗わず疾風の如く京、大阪あたりの宣教にとび出していく。大和島の北面に竣成間近の神武館工事現場で、今カミナリを落としていたかと思うと、もう少年隊の子供相手に、きゃっきゃっとはしゃぎながら、金龍海の厚氷を割っている。夜は夜でろうそくを立てた机の前に端座して、青龍隊の若者たちに『古事記』の講釈などしている。 湯浅仁斎はじめ、役員たちはそれぞれ地方へ宣教に出かけていて、大本の中にはほとんど残っていなかった。土工もできず畑もできぬ厳冬の季節は、宣教の季節でもあったのだ。要するに誰もが内なるものに急かされ急かされてじっとしておれず、能力以上に動き廻り、しかも生き甲斐を感じていた。                                      
表題:大正維新 11巻7章大正維新



 大正六(一九一七)年二月二日、飯森正芳は、母たけ帰幽のため郷里の能登へ帰った。 浅野和三郎は綾部駅まで宮飼正慶と一緒に飯森を送る。その帰途、深い雪の中を歩む足取りそのままに、浅野は心重かった。飯森は再び大本へは帰ってこまいという、予感があった。 浅野と飯森の間に感情の齟齬をきたしたのは、すでに昨年六月、飯森が横須賀再訪の頃からで、その感は夏の綾部参篭中に一層濃厚になり、十二月綾部移転後、さらに顕著になった。それは人間的関係からというよりは、信仰観の相違に根ざしている。 口でこそ飯森は筆先を尊重する。が、浅野から見れば、飯森の筆先に対する解釈は不徹底だと批判したくなる。 飯森は言う。 神は唯一な、絶対な、抽象的な存在である。だから出口直の出す筆先は、象徴的な意味に解すべきである。「地震・雷・火の雨を降らす」とあっても、それは抽象的、精神的な警告であり、別に天災地変や大戦争等を想起する必要はない。「世の立替え」にしても、下が上をひっくり返すような革命が現実の世界に起こるのでなく、精神上の立替えであり、世界人心の大改革である。現界とはあくまで没交渉なのだ。 だから筆先を解するのは、聖書からでも、仏典からでも可能だ。筆先の文字は決して文字通りに解釈されるべきでなく、すべて比喩である。比喩でなければ一般には理解しにくい思想である故に、これを比喩的に表現したに過ぎぬ。「綾部都にいたすぞよ」とあっても、何も綾部が日本帝国の首府になるわけではない。精神的王国の建設のことなのだ。同様に「東京が薄野原になる」とあるのも、本当に元の草ぼうぼうの武蔵野原になるのではなく、精神的頽廃を指している。 なるほど、そう考えた方が、理性は承服しやすかろう。しかしそれこそ、筆先が繰り返し戒めているところの、「学」が邪魔をしていると、浅野は思う。 浅野は、飯森の考えとは正反対であった。筆先の文字は人間の浅知恵などはさまず、率直に字義通り解釈すべきだと、信じている。「世の立替え」とは、実際に火水による神の大潔斎が起こって、善と悪が立て分けられる。世界の人心が神にめざめ、独善的な世は終わって、新しい神代がくるのだ。飯森の言うような抽象的な意味でなく、実際に世が変わるのだ。政治ばかりか、社会百般の事物がみなことごとく神界との連絡を保ち、厳正なる意味における祭政一致・神人和合の地上天国を立てるのだ。 宮飼はかつて飯森を「理想家」と呼び、浅野を評して「空想家」と言った。嗤わば嗤え。立替えの現実は歩一歩近づいているのだ。それも遠くないある時を期して。三千年余りの仕組、つまり神界でのプログラムはすでにでき上がっているのだから……。 飯森を条件つき大本信者と、心ひそかにきめつけている浅野も、『神霊界』を引き受けた時、他の誰よりも飯森の協力を期待していた。信仰観に相違があるなら、誌上で堂々と論争するのも教学を深める上でまた面白いではないか。 けれど帰ってきた反応は冷たかった。「神霊界の発行は君の仕事だろう。今更ぼくの助力などあてにせず、君の好きなようにやるさ」 その後、いくら執筆を依頼しても、ついに筆を執ろうとはしなかった。『神霊界』は一浅野個人の雑誌ではなく、大本教宣布のための重要な機関誌ではないか。それならば、信仰観の差異を越えて皆で盛り上げて行くべきで、それをすら拒むと言うことは、すでに大本への情熱の冷却を意味しないか。 そう言えば、初めて浅野が参綾した時は大本の内部の新建ちにいたが、夏には並松河畔に移り、今年の正月には何と思ったか、三尺も雪の積もった本宮山頂の改森藤吉のあばら屋に引き移り、極端に超然主義をとったものだ。 本宮山を高く売りつけることに執念を燃やし続けた改森六左衛門は遂にそれも見ず、大正五年に七十四歳の高齢で死去。今は息子藤吉の代になっており、本宮山頂の家は住む人もなく、荒れるにまかされていた。 飯森の行動は、次第に大本から離れて行く心の動きを表わすようである。「あ、あ、あの人は、もう大本へは、か、帰ってきませんね」 まるで心の中を見透かしたように、宮飼が口を出した。黙っている浅野に、もどかしげにどもりながら、宮飼はその理由を喋った。 飯森が大本へ来た当時、直霊軍を指揮して、一時期は華やかな中心的役割を演じていた。福島久と共鳴しあってから、次第に王仁三郎や役員を批判しだした。そして、久と組んで全国をとび廻っているうち、運動の主流からはずれて行く。最近の噂では、福島久との間もしっくりいかなくなっているらしい。互いに我の強いもの同士である。飯森は久を自由に動かそうとするが、久のような女傑が言いなりになるわけがない。「り、理論と行動が、ず、ずい分矛盾してましたからね。そ、それに……」 そもそも飯森が思想遍歴を繰り返したのは、ある思想が飯森にとって理想であったからではなく、飯森の理想にその思想があったからだ。だからその理想に合わなくなればその思想を捨て、自分の理想にあった新しい思想を身につける。 いささか大本に嫌気がさしていたところへ、飯森の紹介で入信したいわば後輩の浅野が、綾部へ来るなり審神者として大本の指導的立場に立つ。「そりゃ、い、い、飯森さんとすれば、おもしろくありませんよ」 その宮飼の語調に、飯森の失意を悼んでいる風とはうらはらな響きを感じて、浅野は不快であった。飯森の退却を、そういう表面的な理由とは受け取りたくなかった。もっと深い原因を、浅野は推測していた。 昨年六月、飯森が横須賀再訪の時、飯森は、浅野の審神者で鎮魂を受けたことがあった。飯森は発動し、明らかに強力な憑依霊の存在が認められた。もう一、二度すれば、その憑依霊を追いつめ正体をあばくことができたろうが、それ以来、飯森はがんとして鎮魂されることを拒んだ。不治の病と知りながら、医者の宣告を恐れて病院を避けるようなものだ。 鎮魂を一種の催眠術だと言い出したのも、その頃からのような気がする。飯森の憑霊が大本の光を恐れ、鎮魂の照魔鏡を恐れて、飯森を暗い蔭の場所へ連れ去ろうとしているのではないか。そう考えるのは、やはり空想過ぎるのであろうか。 街中を出はずれると、積雪は急に深まる。ぎしぎしときしむ雪を踏みながら、浅野は、半年あまりの時がこうまで自分のすべてを変え得たことを、ふと恐ろしい思いでかみしめていた。 飯森は戻らなかった。二月二十日、飯森の妻久子は家財をまとめて本宮山を引き払い、夫の後を追って郷里能登へ帰った。しばらく能登に蟄居していた飯森はやがて上京、辻潤・武林夢想庵ら文壇人、大杉栄・堺利彦ら無政府主義者、社会主義者と親交を重ね、官憲に追われて京都の愛人はるえ(久子没後、後妻になる)を連れ、約三年間上海に逃れる。帰国後「赤化中佐飯森正芳」としてしばらくは世間を騒がしていた。
 二月十九日、秋山真之の紹介状を持って、豊本景介と言う男が来綾する。統務閣で、浅野は初対面の挨拶をした。 しゃれた背広に包んだ豊本の体は身の丈わずか四尺七寸五分、それに相応してすべてがちまちまと小粒にそろっている。四十五歳という年齢を示すものといえば、かなり目立つ白髪ぐらいであろう。可愛らしいとでも言いたい愛嬌のある笑顔で、如才なく豊本は語る。 以前は薬の行商をやっていたが、この数年間は秋山と共に池袋の新興宗教「天然社」に入り、一人で切り回していたなかなかのやり手らしい。天然社が最近潰れたため閑散の身になり、大本研究にやってきたと言う。 豊本の参綾の裏に、浅野は秋山の意図を読みとる。秋山は昨年暮に参綾したきり本人はあらわれず、部下の将校をどしどし派遣してきた。機略縦横の用兵家の常として、まず実情の威力偵察、第二弾として豊本を送り込み、大本の内情の秘密調査であろう。密偵として、豊本は有能な人物に違いない。「神さまに病気平癒のご祈願をして下さい。私のは質が悪い中耳炎で、昨年の秋から岸博士の病院に通っていましたが、博士も匙を投げています。耳ばかりか、目も鼻も相当に悪いのです。こうなれば、神さまに頼るしかありませんからね」 やんわりとそんなことを言った。なるほど、確かに素人目にも病気の悪化していることは分かるが、そんな病気ぐらいでおたおたするような男ではなさそうだ。「ところで、何日ぐらい御厄介になれば、たいがいは治りましょうか」 何気なく聞く豊本の病む眼が、きらっと底光った。病気が癒ろうが、癒るまいがそれは二の次なのだ。せっかくの病気を種に大本の霊学の程度を試してやろうと言うのが、主要目的に違いない。それならばよし、こちらも相応の神力を見せずにはおかぬ。 浅野は神前に向って鎮魂の姿勢をとり、神示を請うた。 浅野はどちらかと言えば、神がかり的資質に欠けていて、霊感は鈍い方である。だからできるだけ常識的判断に頼り、めったなことで神示を仰ぐことをしなかった。それもこうなっては仕方ない。無理押しに念じ続けて、ようやく「二十八日で全治」と直感がひらめいた。何度も念を押したが、その数字は動かない。腹を決めて、豊本に告げた。 翌二十日から、金龍殿に移って対座した。手応えは早かった。鎮魂四回目になって、豊本ははっきりと口を切り出した。すかさず浅野は紋切型の問いを発する。「どなたです、御守護神さんのお名を伺います」「少彦名命……」 豊本は傲然と胸をそらせる。 浅野はゆるんでくる口もとを正すのに、ちょっと時をおかねばならなかった。少彦名命と言えば、数ある神々のうちでも最も小柄の神である。短期間ではあるが十分の経験を積んだ浅野には、一回目の鎮魂で大体の憑霊の見当はついていた。豊本を少彦名命に見立てた手際は、なかなか隅におけぬ。「少彦名命は、どなたのお子さまでしょう」「この方は神皇産霊神の子である」 体いっぱいに覇気をみなぎらせて、自信たっぷりに答える。「そのお役目は?……」「まず医術じゃな。薬という薬は、みなこの方が授けたものじゃ」「ははあ、それでこの肉体にも薬売りをさせたわけですかな」「修行のためじゃ。山から町から巡り歩いて下々に薬を授ける仕事は、この肉体が元祖であるぞ」 浅野の頭は忙しく回転する。『古事記』に記してあるぐらいのことなら、難なく答えて尻尾を出さぬ。一筋縄ではいかぬ、気のきいた奴ではある。「どう言う理由でこの肉体におかかりになったのか、お知らせ下さい」「豊本はこれでなかなか役に立つ男だからじゃよ」「それでは、少彦名命は他の肉体にもおかかりになるのですか」「そりゃかかったことはある。世界経綸の使命を担うこの方だから、しばしば海を越えて常世国人にもかかってやるのじゃ」「それでは最近御出張になられたお国は……」 悠然と答えが返ってきた。「ドイツだよ。ドイツではカイゼルにかかって大仕事した」「それなら、もちろんドイツ語には御精通で……」「ドイツ語か……うん、そりゃ……知っている」 ドイツ語の知識なら、貧弱ながら、少々のおぼえはあった。とっさに浅野は、でたらめをつきまぜて、ドイツ語で喋りかけてやった。これには憑霊もあわてたらしく、口をもぐもぐさせて当惑するばかり。 ふきだしたいのをこらえて、浅野は問いつめる。「ドイツ語はよく御存じのはずでしょう。どうぞドイツ語でお答え願います」「……」「もうお忘れですか。ぼくもドイツ語はたいてい忘れてしまったが、神さんでも忘れることはあるのですか」「もちろん……神でも忘れる」「でもいくら忘れっぽい神さんでも、ドイツ語の一、二、三、四、ぐらいは御記憶でしょう。ぼくでも覚えているぐらいですから……」「うん、それぐらいなら……」「答えていただきます」 ややあって、尻すぼまりに、「ワン、ツー、スリー、ホー……」 こらえきれずに、浅野は失笑した。「冗談じゃない、それは英語だ。よそでならでたらめも通用するか知らんが、大本の大神さまの前ではそうはいかん。お芝居はここまでで止めて、正直に正体を白状しなさい」「いや、嘘偽りではない。全くの少彦名命じゃ」「黙れ!……そんなことが大本の審神者に通用するか。さあ、ありのままに白状せぬか」「……」 おどしたり、すかしたりしたが、強情な憑霊は、それ以上何を聞いてもだんまりを押し通す。その日は鎮魂を中止した。 続けて二、三度鎮魂を繰り返したが、憑霊はあくまでも少彦名命を固執する。そのうち中耳炎はますます悪化して、じくじく膿が出る。目も鼻も爛れて見るに耐えない。こうなると誰しも不安が昂じて迷い出すものだが、豊本は泰然自若、万事審神者に一任して、心配そうなけぶりも見せぬ。はたして二十八日で治るか治らぬかどちらでもよいが、その結果こそ待ち遠しいといった態度である。 むしろ浅野の方が焦ってきた。もう口先ではどうにもならぬ。最後の手段を執ることに決し、神前に叩頭き、真剣に祈った。 ――大神さまに申し上げます。豊本に憑依している霊は、審神者の追求にあってもあくまで少彦名命の名を詐称し、悔悟の色を見せませぬ。どうぞ大神さまの御威徳で、その正体をあらわさせて下さいませ。 それから二人きりで金龍殿に入った。豊本の名誉を重んじて、他人に見られぬように障子・襖を閉め切り、厳しい覚悟で向かい合う。石笛を吹きならすこと一、二分で、憑霊は早くも発動状態に移った。改めて浅野が神の名を騙る不心得をさとし白状を求めるが、憑霊はあくまで白を切り続ける。もはやこれまでと浅野は問答を中止し、心中深く大神の名をとなえた。 初めての試みであった。じっと相手を注視すると、豊本の面貌がみるみる変わってきた。唇が思い切って前方へ突き出て、目が吊り、耳朶が動き、誰が見ても疑いなしの狐である。「鳴けっ!」 思わず腹の底から気合いがほとばしり出るや、豊本の頭が上下に動き、「ぎゃっ、ぎゃっ、こん! こんこん!」 夜寒の空に聞えるような、淋しい、悲しい狐の鳴き声が続く。「鳴きながら跳べ!」 豊本の体は前に屈し、四尺ばかりも跳ね上がった。鳴きながら、四十八畳の金龍殿の中を、人とも思えぬ身軽さで跳び廻る。けれど三十分も跳ねるうちに、その小柄な体に濃い疲労がしみ出て来る。 浅野が手招くままに跳んできて、ついに神前に倒れ伏した。「どうだ、これでも少彦名命と言いたいか」 豊本はやっと体を起こし、両手をついた。「大神さまの前に何もかも申し上げます。実は手前は王子稲荷の眷属でございます」「王子というと、東京の?……」「さようです。昨年から仔細あって豊本に憑きました。中耳炎や何かの病気はみんな手前の仕業で、最後には命まで奪るつもりでございました」 浅野の追求によって、憑霊の企みはすべて明らかにされた。 豊本は以前熱心な王子稲荷の信者であった。芝の邸内に祠を建立し、王子稲荷を勧請した。その時に選ばれて豊本の守護にあたったのが、現在喋っている白狐であった。 白狐の言によれば、王子稲荷の眷属の数は実に八万三千五百、人間に憑依しているのはそのうち八千ばかりで、他は遊んでいるという。豊本の信仰が堅固な間は、白狐は一心に豊本とその家族を守り、幾多の利益を授けた。 明治四十三年の芝の火災の時など、板塀一つへだてた隣まで燃えつきたのに、豊本の家は類焼をまぬがれ、末っ子は眠ったまま目さえ覚まさなかった。自分の必死の活躍によって、失うべき人命も財産もつなぎ止めてやったのだ。それが大恩を忘れ、豊本は次第に信仰が薄らぎ、無礼にも無断で祠を返納したばかりか、王子とは目と鼻の先の池袋で、天然社などという流行神をかついで中心的役割を果たしだしたのだ。 王子稲荷は関東第一、天然社の羽田稲荷ごときに乗り換えられては、自分ばかりか王子稲荷の面子は丸つぶれである。これでは黙ってなぞいられない。白狐が豊本に憑き、眷属を豊本の女房と子供たちに憑かせてじりじりと懲罰を与えた。一時盛大を誇った天然社があっけなくつぶれたのも、羽田稲荷が王子稲荷の神罰に服した結果である、という。いわば人間界の博徒並の稲荷同士の縄張り争いであった。 浅野は、そのさもしい狭い了見を懇々と説きさとし、豊本が東京へ帰ったらお詫びに王子稲荷に参拝し礼を尽くして踏むべき手続きをとらせることを条件に、豊本一家から引き揚げるよう命じた。 審神者と憑霊との問答を聞いていた豊本は、大神の威力に打たれ、過去の罪を白狐に素直に詫びた。他人からみれば、珍無類の自問自答の形である。それでも立派に用は足りるのだから仕方ない。白狐は納得して肉体を去っていった。 それでも豊本の病気は治らなかった。二十五日過ぎた頃には耳からの分泌物はかえってひどくなる一方で浅野を心痛させたが、約束の二十八日目には、耳と目と鼻が同時に平癒した。 豊本は、今までの経過を秋山真之に報告し、大本に入信する覚悟を書き加えた。
「神諭」の発表とともに社会の注目を集めたのは、王仁三郎の「皇道論」と「大正維新」の主張である。これらは『神霊界』誌上(大正六年~十年)に発表され、さらに浅野らがその主張を発展させ、第一次世界大戦の与える国際的危機感と戦時下の好況、反動としての戦後恐慌を映して、大きな反響を投げかけた。その第一弾が『神霊界』三月号の「大正維新について」である。王仁三郎の主張を要約しておこう。 まず皇道と神道の違いについて述べる。神道は輸入した儒仏の教義を国体的に順化した人工的教義であり、世道人心を教導する資格に欠け、その説く所は真正の皇道とはなしがたい。皇道の本義は、地球上における主・師・親の三徳を具備し給う天津日嗣天皇が天下を安国としろしめされる神法神則であり、それは天理人道であり、人の世に処する根本律則である。「真実世道人心を指導啓発するに適したる宗教は、天下に唯一あるのみ。これを天津誠の道といひ、皇道大本教と称す。これ即ちわが皇祖及び神祖の教示し給へる根本教義にして、大日本国教の真髄とする所なれば、正にもって教育の大本となすべきものなり」 国祖国常立尊が艮へご退隠以来、地上にはありとあらゆる悪と汚濁が生じ、ことに崇神天皇以来二千年、歴代の天皇が和光同塵策を継承され、真正の皇道は隠されてきた。 ――時節には神もかなわんから、神は時節を待って、世の立替え立直しをいたすぞよ。もう何彼の時節が参りたから、昔の元の先祖の経綸通りにいたして、天下泰平に世を治めて、昔の神代にねじ直し、松の世、みろくの世といたすぞよ。 筆先にあるように、国祖出現による立替え立直しは、皇道維新によって実現する。皇道すなわち惟神の大道が完全に実行される時代になれば、国に天災地変なく、人畜に病災なく、政争跡を絶ち、戦乱起こらず、人に盗欲の心なく、生活に困難を来たさず、社会的に不平もない。男女老幼ともに各自天賦の霊能を発揮し、人生の天職を全うし、各天賦の幸福を楽しみ、天国的生活をする。これこそ皇道実現の神世であり、天の岩戸開きであり、みろく大神出現の世である。 みろく神政を成就する実行方策こそ、大正維新・神政復古でなければならない。即ち、国教樹立、金銀為本経済の撤廃、世界の大家族制度の実施である。 まずわが国に大家族制を実施して世界に範を垂れ、それを世界に及ぼす。そのためには、財政経済の根本的革正が必要だ。国家が金銀為本の政策をとっているため、人生の根本義が失われ、富貴功名のみが人生の理想となり、猛獣の如く生存競争に熱中、金銀の多少による人為的区別を生じてきた。つまり、金銀為本の国家経済が国家間の熾烈な競争と人生の不安を醸成する禍因となっている。欧米模倣を廃し、まず天産物自給の国家経済を目ざすべきであり、それには衣食住の根本改革をはからねばならぬ。 動植物もまた天賦自然の使命を有する。むやみに鳥獣を屠殺してその肉に舌鼓をうち、その毛皮や羽毛を着用して少しも怪しまぬ。世界的文明の服装として、国民が競って使用する洋帽・洋服・洋靴などの材料は鳥獣の羽毛や皮革であり、非文明的野蛮を標榜した獣的蛮装である。また唐制遺風の衣冠束帯も袂の長い不便な服装もいけない。より日本的で働きやすい服装を制定すべきである。 人類生活の根本原料である食料は、各自天賦的に発生する土地の生産物をもって需要供給の原則とすることは、世界的通義である。動物中、人生経綸の労力を補助すべき種類のものと、肉体を食用に供すべき種類のものがあり、前者は多く陸上動物、後者は多く水産動物で、その区別をわきまえなければならぬ。 野獣的人欲の究極的標準である富貴や功名は大廈高楼に起臥するをもって付帯的条件にしているかの如くだ。天産自給における国民住宅の根本義は、各人その家族の多寡に応じて造ること、気候風土に適すべきこと、その職務に適すべきことの三点で、全国民中一人の遊民も絶無なるをもって基礎とすべきである。 大正維新の要点は、租税制度の廃絶だ。租税徴収は弱肉強食野蛮制度の遺風である。この汚らわしい悪制を根本より廃絶することが、神聖なる大日本天皇のご天職である済世安民の経綸を始めさせ給う第一歩でなければならない。 そのためには、明治初年に諸大名が競って藩籍を奉還したように、全国民が動産と不動産を問わず一切これを至尊に奉還すべきである。元来、すべての財産は上ご一人のもので、一個人の私有を許されないことは、祖先のご遺訓と開祖帰神の神諭に明らかである。 さらに国民男女の職業の制定をし、産業は国民共同的に従事すること、産業収入はすべて国庫収入とすること、貿易は国営とし、全国交通機関は必要に応じて無料で使用させるなど、かなり具体的に論述している。 皇典『古事記』の精神に発したというこの大正維新論は、「……社会の知者学者輩またはその筋の人々より、色眼鏡をかけて見らるる時は、社会主義者・共産主義者と誤解さるることもあろうかと思うが、日本建国の精神である以上は、いかんともすることはできない」 この経綸を、皇道大本がすべて実行するというのではない。それは天皇の天職であり、使命であって、大本はその理想を解説し、宣伝する使命を持つ。
 浅野和三郎は王仁三郎から廻ってきた「大正維新について」の原稿と筆先を見較べて長い間むずかしい顔をしていたが、やがて立ち上がって、統務閣の王仁三郎の部屋を訪れた。「先生の大正維新論、これの実現こそ大本の大目的であることは異議がないんですよ。けれどこの中には、やたらに天津日嗣天皇の御稜威とか大日本天皇の天職・使命が強調されていますね。それにここの文章……『日本天皇は、先天的に世界の大元首にましまして、世界の国土及び財産の所有権を有し給い、国土財産の行使権及び人類の統治権を絶対に享有し給ふが故に、大日本国に天壌無窮の皇統を垂れ給ふ。神聖なる皇祖ご遺詔の皇謨に循ひ、皇国において統治の洪範を世界に宣揚し、もって範を天下に垂れ、世界を総攬統治し給ふ御事の由来は、皇典古事記に垂示し給へる天下の大憲章である』……日本国に限ってなら納得もしましょうが、世界の人たちが承服するでしょうか。それに……」「それに?……」「お筆先のお示しと、ずいぶん矛盾してはいませんか。筆先によると、国祖であられる艮の金神を押し込めて、そのあとを奪ったのは、歴史を今の世にまで押し進めてきた上に立つ神……日本の天皇はそのお血筋であられましょう。またこういう筆先もあります。『これまで世に出て、上へあがりて守護しておられた守護神が、天賊であると申して、まいど知らしてあろうがな。こんどの二度目の世の立替えをいたすには、賊と鬼とをたいらげてしもうて、このみぐるしき世の中の洗濯いたすのであるぞよ。世界の洗濯いたさんと、みろくの世にはならんぞよ』(明治三十六年旧十月十七日)……天皇が日本ばかりか世界の大元首であることを容認するのでは、筆先の主張とまるきり逆、下ばかり変えたところで上の改心がないことには、みろくの世などにたいした期待は持てません」 王仁三郎は、茫漠とした表情を紫煙のなかにけむらせた。「浅野さん、わしらは日本人や、日本の国に住んでいる」「分かってます。いくら日本人だからといって、天皇を世界の大元首にまで持ち上げてみても、日本人も信じやしませんよ。贔屓のひき倒しじゃありませんか」「日本人やという意味は、天皇を神格化し、神道を国教化し、富国強兵を国策とする大日本帝国に住まわしていただいていると言うことや。日本の恐い恐い法律でがんじがらめに縛られていると言うことや。天皇さまのみ名にかこつけて主張する以外、どんな表現の自由があるのや」「あ、なるほど……」「人類はすべて神の子・神の宮であり、したがって人類はすべて兄弟であり、世界は一つの大家族であるという真理を、世界の人類に自覚させることが肝要や。世界の人類が兄弟であれば、貧富の差があってはならず、そのためには私有財産の観念を否定し、すべてが神のものであるという認識に立たねばならん。 わしが園部にいた頃、岡田惟平翁に出雲神歌の講釈を聞いたことがある。『八雲たつ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を』……わしはその時、日本と外国をへだてるもろもろの八重垣に気がついた。関税・言語・民族意識・国境・思想・宗教……それぞれの国が八重垣を作ってたてこもる。国々ばかりか、小さくは団体が、会社が、家族が……それぞれの利益を主張して争い合う。 この八重垣を取り払わぬ限り、みろくの世はこん。わしはそれを言いたいのじゃ」「天皇に仮託して大本の主張を述べねばならぬことは、分かりました。しかし先生の表現では、純真な信者たちが、天皇絶対と錯覚するのではありませんか」「世界の王にはのう、力で征服して王位についた覇道の王あり、中国に見るように非常に徳の高い人が王位についた徳立君主がある。覇道にせよ、徳によって衆望をになったにせよ、人間であることにかわりはない。 が、わしは主張する。日本の天皇は絶対に違う。惟神に神から定められた王、神立君主や。だからこそ人類の主であり、師であり、親である。つまり主・師・親の三徳を兼ね備えておられる。民は鼓腹撃壌して、その徳を受けぬ者は一人もない」「そんな……暴論です。国民は貧富の差に泣き……」「待ちなはれ」 王仁三郎は浅野の口を封じて、にっと笑った。「それは大きな声で言うもんやない。浅野さんならずとも、『神霊界』の神諭を真剣に拝読しとるものなら、現実との差異には誰でも気がつくはずや。神諭を多くの人に読ませるだけでも、『神霊界』の役割は大きいなあ」「……」 王仁三郎は、煙草をもみ消して、真剣な目色になった。「浅野さん、天皇制は、権力者によって悪用されぬ限り、他の国に類を見ない美風や。わしの日本人の血は、皇室を敬慕して止まぬ。それに、上に立つ神も世に落ちている神も共に手をたずさえてみろくの世に立替え立直すことが、艮の金神の願いなのや。わしは、権力者に悪用されぬ立派な御皇室が、天壌無窮に繁栄されることを心から望んどる」 また元の表情に返ると、王仁三郎は呟いた。「しかし困ったのう。主・師・親の三徳を兼ね備えて人類に君臨されるお方が現実にあてはまらぬとすると、ほかには……」 浅野は、小声で叫んだ。「あ、国祖艮の金神……」 王仁三郎は聞えぬふりをし、明るく大きく笑った。「浅野さん、これだけはよう覚えといとくれやっしゃ。大本はあくまで皇室中心主義団体やで」
 この春、入れ替わり立ち替わり綾部には新規な人々が来訪した。その主な名をあげよう。 二月二十五日、四元海軍大佐、宮津中学校長鈴木信太郎。三月十六日、浅野和三郎の実兄の海軍少将浅野正恭。彼は、弟一家や養子遥をとりこにした大本の実態を確かめに来たのだが、王仁三郎と話し合ううち、ちょっと大本を見直して一人帰国した。鎮魂はうけなかった。十七日、海軍大尉篠原国彦。三十一日、豊本景介は健康を回復し、信仰を固めて退綾。四月一日、篠崎海軍大佐。七日は東京から高名な医学博士岸一太。 岸一太(四十四歳)は、かつて秋山や豊本と同じ池袋の天然社組の一人であった。岡山県人、岡山医学専門学校を出てドイツに留学、耳鼻咽喉科を修めて博士となった。自分の手に合わなかった豊本の耳鼻が一月足らずで平癒し、帰京したのを見て驚いた。学術的興味にもかられての来綾である。参綾の最初から深く大本神諭に惚れこみ、入信を誓った。たった一度の鎮魂で天眼通も得た。 翌朝、宿屋で一人試みに鎮魂の姿勢をとっていると、閉じたはずの瞼を通して茶盆の上に乗せてあった茶壷が見える。なお凝視するうち、茶壷の中身が見え透いて来る。何も入っていない。目をあけて茶壷の蓋をとると、まさに空。 岸一太博士と入れ替わって、十日には岸の鉱山に勤務する採鉱家金谷謹松が修行に来綾。海外生活十七年の洋行帰りの彼は、膝を屈して坐ることに慣れなかったが、一週間で、その苦痛を克服した。三週間目には霊眼が開け、一カ月滞在の間に入信した。もともと直覚の鋭かった人だけに鬼に金棒、その後、金谷の発見にかかる岸博士の鉱山は幾十にものぼると言う。のち綾部に移住して、信仰一途に生きる程彼の信仰は激しかった。 十六日には、東京から岩下家一子爵が来綾、鎮魂を受けた。 彼らの中でも、海軍大尉篠原国彦の来綾の動機は変わっている。浅野が篠原に初めて会ったのは、大正五年十二月初旬、つまり綾部移住を数日後に控えた横須賀であった。 篠原は、ドイツから奪ったサイパン島無線電信所長として赴任のため、この軍港にいた。あいにく……であろうか、南洋通いの汽船の出発が、予定より数日遅れた。彼は仕方なく汐留の三浦屋旅館に泊まって出船を待っていたのだ。 陸に上がった時の海軍士官は遊ぶことばかり考えるものだが、篠原大尉もその点にかけては人後に落ちぬ。飲みに行くにはちと懐が淋しいが、玉でも突こうか、浪花節でも聞きに行こうかと思案の矢先に、旅館の女主人成川浅子が声をかけた。「いかがです、大尉さん。今ここには有名な大本の出口王仁三郎先生が御逗留中ですけど、一度お部屋へ遊びにいらしたら……」 呑気な篠原は、すぐその気になった。どうせ退屈まぎれだ。 ちょうど王仁三郎は、中里の浅野和三郎宅へ出かけるところだった。大本とやらに惚けて海軍の教官と言う今時羽振のいい地位を捨て、丹波の山奥に引っ込むと言う変わった奴の面を見るのも面白かろうと、物好きにも王仁三郎について行った。 浅野家は引越し荷物でごった返していた。がらんとした書斎で例の如く浅野の審神者で鎮魂。五分とたたぬうちに、篠原は発動し始めた。坐ったまま畳から一尺ばかり跳び上がり、浅野の方に突進する。「どなたですか」「どなたであろうとかまわん。知りたければそっちで調べろ」「審神者は神さまのお名前を質問する資格を持っています。どうぞおだやかにお名乗り下さい」「そんなもんはない。知らん、知らん」 あとは何やら空気焔をあげつつ、どしんどしん跳び狂うのみである。王仁三郎が篠原の背後に廻り、軽く霊縛をほどこす。 鎮魂を終わった篠原は、呆れ返って訊いた。「大変暴れて失礼したようですが、ぼくに憑いているあれは何者です」 王仁三郎が笑いながら説明した。「何か悪霊がかかっているのかと思って、あなたの背後へ廻って調べて見たが、野天狗さんが一人で気焔を吐いているだけでしたで」 これがきっかけで篠原は大本に興味を持ち、二、三度続けて鎮魂する。口を切るのが上手で、ふつうの談話と変わらぬほど流暢に楽に喋った。浅野は移転間際、篠原はサイパン島へ出発間際で、双方ともに意を尽くすいとまもなく別れた。 南洋に勤務中、篠原は鎮魂を自習し、彼を守護する天狗を呼びだしては天言通を利用し、予言やあてものを連発した。部下の水兵たちをつかまえて郷里の様子やら家族のことまで細々と言いあてて、驚嘆させては得意になった。 アラジンの魔法のランプみたいに至極重宝といい気分で濫用しているうち、だんだん的中率が下がって来る。時にとんだ大間違いをやって赤恥をかいた。それはまだよいとして、睾丸が腫れ出したのには弱った。「おい、天狗さん、何とかしてくれい」と悲鳴を上げる。 腹の中から天狗がどなる。「こら、貴様、お前は俺を何だと思ってるんだ。くだらんことにこき使われるのはもうごめんだ。俺は貴様の奴隷ではないぞ。それが分からんうちはこうだ」 とたんに、跳び上がるほど睾丸に痛みを感じる。「放せ、痛い、止めろっ」「篠原、貴様はこんなところでぐずぐずしていい人間ではない。早く綾部へ行って修行し直せ。言うことを聞かんと、まだまだ腫らすぞ」 負けん気の篠原は、天狗に言い返す。「ぼくは官命で来てるんだ。そんな無理言いなさんな」「貴様が官命なら、俺は神命で睾丸をいじめている。痛くてどうせ職務などできはせんから、病気引入れをして内地へ帰れ」「そんな無茶言うお前は、邪神界の天狗だな。邪神の命令など誰が聞くもんか」「きかねばきくようにしてみせる」 何しろ相手に急所を握られているのだからたまらない。鬼の目に涙をこぼしながら、しぶしぶ軍医のところへ行って診察を受けた。軍医もあまりの腫れように心配し、内地でなければ本当の治療はできぬと診断、ついに病気引入れ、内地帰還となる。 軍医の推薦でまず福岡医科大学へ行くと、医者は「睾丸截出の大手術が必要だ」と言い張る。天狗は「そんなことはさせん、すぐ綾部へ行け」と強要する。 睾丸がなければ男子としては死んだも同然だ、癒る癒らんは別問題、ええい、綾部に行くかというのが、篠原の来綾の動機であった。 そんな憐れな身の上でありながら、篠原は相変わらず呑気な顔で、サイパン島滞在中の予言の失敗談など、会う人ごとに面白おかしく物語る。腫れ上がった睾丸を披露して事実の証明をやる。給料が入れば料理屋で痛飲し、一晩で大方使い果たすことも珍しくない。玉突きもする。霊学上の問題をひっさげて議論を吹きかけるかと思えば、筆先を拝読して悔恨の涙を流す。 篠原にかかった憑霊は、審神者に対してでたらめも言えば反抗もするが、どことなく無邪気で愛嬌があり、浅野は本気で怒れなかった。 名前を聞くと、決まってこう言う。「この方は菅原道真だ」「道真公は、いつ亡くなられました」「知るもんか」「なぜ嘘を言う。改心せい」「改心なんか大嫌いだ。そんな窮屈なことぬかされるのは、もう御免こうむる」「縛る!」 浅野が霊縛するや、たちまち天狗は悲鳴を上げる。「いたた、かんにんかんにん……」 何のことはない、浅野が天狗を痛めつけ、天狗が篠原を痛めつける。やり口は似たようなものだと苦笑し、霊縛を解く。「よし、それなら聞こう。篠原君の睾丸をなぜ腫らす」「知らん。神さまが腫らせと言うから腫らすまでだ」「篠原君はもう改心している。そういじめなさんな」「まだこの肉体は改心が足らん。俺が睾丸でも痛めておかんと、どんな道楽を始めるかわからん。俺が憑いていて改心させる」「改心なんか大嫌いのお前が、他人の改心がさせられるか。第一、憑いていて酒を飲むのもお前じゃないか」「天狗だって……酒ぐらいは飲む」「それでは駄目だ。お前から改心の実を示さねば、篠原だって改心はできん」「む、む、分かった、分かった、もう言うな」 篠原はしばしば浅野の家へ泊まりに来たが、一月足らずのうちに際立った変化は酒量の激減であった。一升酒、二升酒を平気で飲んでいた篠原が、升から勺へ二桁も飛ばして落ちた。盃の二杯で陶然となり、三杯目にはそっと盃を伏した。 が、睾丸の方は、そううまくはいかない。治りかけると、海軍生活が恋しくなる。立替え立直しも悪くはないが、なんと言っても現役の青年士官の身、今や大尉の最古参で、この秋には黙っていても少佐に進級する。故郷には千代という妻もあれば、三人の娘もあるのだ。現職を放擲して修行三昧の綾部生活に入るには、まだまだ未練があり過ぎる。 けれどいざ綾部を抜けだそうとすれば、睾丸がふくれ上がって痛み出す。それでも無理に、と幾度も試みたが、たちまち気絶するほど締め上げられる。いくら豪傑でも、腹の中へ入って生殺与奪の権を握る天狗の命令だけには、服従する他はない。仕方なしに、綾部生活を続けるうちに篠原が浅野に申し出た。「どうもぼくの守護神が変わったらしい。なんだか感じが違うのですよ。調べてくれませんか」 確かに今までとは違った。鎮魂を始めるや顔面が紅潮し、意気軒昂の感があったのが、今度はリトマス試験紙のように蒼味を帯び、審神者に対する態度も叮重になった。「私は肝川の龍神にござります」と改まって憑霊は名乗った。「どうして篠原君の肉体にかかられましたか」「上からの御命令です。篠原の肉体にかかって御用をせいと言われました」 龍神の神がかりは浅野の審神者の初体験で、興味が深かった。篠原の肉体にかかったのは、肝川の奥の滝の上に住む龍神の眷属であると言う。 篠原のことはそっちのけで、浅野は貪欲に質問し、龍神界の消息を知ろうと努めた。この龍神は修行半ばのものらしいが、それでも前の粗野な天狗の知識よりはるかに深い。 ある時、訊かれもせぬのに、気がかりな言葉を洩らした。「来年の暮には、大本の中で大事件が起こります。教祖が……」 ここまで喋ると、はっと息を呑むように押し黙った。「何です、教祖さまが……」 浅野は急いで、あとをうながすが、それきりあわてたふうに去ってしまった。 翌日篠原をつかまえて、昨日の気になる続きを聞きただした。多弁なこの龍神はすっかり恐縮していた。「どうも、口が過ぎました。昨日のことは許して下さい。あとで上の龍神からさんざん叱られました」


表題:背教者  11巻12章背教者



 再び桑の葉が茂り、暗紫色の桑の実が熟した。宮飼正慶が綾部の土を踏んで以来もう一年有余になる。雑誌『神霊界』を発行してからは、その編集に参加して、やたらに多忙な時が過ぎた。この頃、しきりに大本を去ることを考える。 小沢惣祐の切腹事件は、宮飼に自分の二度の自殺未遂を思い起こさせた。「曲津にやられた」と小沢は叫んで死んだそうだが、うかうかすると自分もやられかねない危険を感じる。浅野和三郎の鎮魂によって、自分にも良からぬ霊が守護していることを、あばき出された。 今になって宮飼は、飯森正芳が鎮魂を拒否し、大本を去った心境が分かる気がする。「ぼくに何者が憑いていようと、ほっといてくれ。僕はそいつとうまくやってるんだから、鎮魂なんかいらぬお世話だ」と宮飼は叫びたい。 生まれてこの方慣れなじんだ、いわばとけ合った憑霊である。今まで通り仲良くすれば、別に仇をする気づかいはあるまい。 もともと良からぬ霊と言うのも艮の金神の側に立ってみた表現で、反対の側から見れば、艮の金神一派こそ実に良からぬ霊ということになろう。現に世間では、鬼門の金神、祟り神として、昔から忌み嫌い続けてきたではないか。少数に加担して大勢に楯つく不利を思えば、今こそ真剣に考え直すべき時であった。 大本に馳せ参じた人たちは、浅野和三郎はじめ社会にあればそれ相応の地位も財産も得られる人たちだのに、粗衣粗食に耐え、労働に見合うだけの俸給をもらおうともせず、朝夕駆けずり回っている。彼らは、立替え立直しに意義を感じるから、それもよかろう。が、宮飼には、ひどく空しく思える。否、『神霊界』誌上でそれを叫びながら、内心ではその実現を恐れてさえいた。 立替えの時は人類三分になると言うではないか。生き残る三分の側に入れるかとなると、宮飼には全く自信がない。とすれば、これ以上、自分を滅ぼす側に力を貸す愚行は避けよう。 大本へ来て、神霊の実在はどうやら疑い得なくなったが、だからと言って、良からぬ霊を追い出し、艮の金神に服して改心を誓う気になどなれなかった。大本の中に今なお燻っているのは、世間に出て改めて生きるのが億劫なのと、「いや待て、もう少し先まで見届けておけ」という、良からぬ霊の好奇の囁きかも知れなかった。 大体、『神霊界』の編集にたずさわってからの宮飼は、本来の自分ではなかった。どうしたことか、自分でも分からぬ衝動につき動かされて、ただやたらに働きすぎた。ろくなものも食わせられず、しかもほとんど無報酬で。もし世間であれだけ働いていたらどれほどの報酬を得られたろう。その報酬でまかない得る、どれだけの快楽をふいにしたろう。そう思うと、過ぎ去った一年有余が惜しまれさえする。 大本退去を思う理由は、もう一つあった。動物が本能的に危険を予知するあの感覚である。立替えを叫ぶ大本が、その前に立替えられる側から押し潰されはしないか、という不安である。宮武外骨の下にいて、政府の言論弾圧は、いやと言うほど思い知らされていた。が、宮武外骨の叛骨とは比較にもならぬ大叛骨が、ここには埋もれている。神や憑霊問題に振り回されていた宮飼も、やがてそれに気づき始めていた。 艮の金神を奉ずる大本は、筆先の指令のままに日本及び世界の現状を否定し、根本的大変革を目指す思想団体であることに間違いない。かつて王仁三郎と浅野に宮飼はどもりながら言ったことがある。「た、た、立替えは、た、た、た、単純に精神的方面だけのことにしぼった方が、よ、よいのではありませんか」 浅野は即座に断言した。「君、立替え立直しはもちろん精神界においてもだが、現界的には、世界の国々の支配階級が変わり、世の中の仕組みが変わることだよ。筆先をよく拝読すれば、分かることじゃないか」「そ、そんなこと言って、よ、よいんですか。こ、こ、国家の弾圧が……」「弾圧を恐れていて、立替え立直しができるものか。ぼくたちはそのために、命を投げ出して参加しているんだ。ぼくは、もう時期は切迫していると信じとる」 議論したくても、円滑に出ぬ言葉がもどかしく、助けを求めるように王仁三郎を見た。茫漠とした表情で煙草をくゆらしている王仁三郎。その目の先にみつめているのは何か、宮飼には、見当がとれなかった。 弾圧が来る前に、天変地異か何かによってばたばたと立替えが起こると浅野が信じているらしいことは、彼の言動によって察せられる。しかし宮飼は、立替え(もしあったとして)の前に、大本は権力によって叩かれるだろうと予想していた。時を失わずうまく逃げ出さねばならない。 これだけ働かされたのだから、手ぶらでは癪だ。大本にいる間に、『神霊界』の編集子の立場を最大に利用して、できるだけ不敬不逞の証拠を集めておこう。自分もジャーナリストの端くれだ。ことが起こって大本が世間の耳目を集めた時、大本内部に一時なりといた自分の体験が役に立つかも知れないと、宮飼は思った。そのつもりで役員信者たちの会話に聞き耳を立てる。「今に外国から攻めて来て、東京は焼け野原になるぞ」「皇室は男系やが、天つ日嗣を正しく伝えるには女系以外にない」といった類である。その上、皇后の叔母にあたるという鶴殿親子が来綾してから、王仁三郎の出生について皇室との関係をにおわす噂が、誰からともなく囁かれていた。 宮飼は、『神霊界』の編集にさりげなく従事しながら、東京にいる宮武外骨に就職依頼の手紙を送っていた。
 京都の山陰線ホームに降り立った宮飼正慶は、思いがけず見覚えのある青年の後ろ姿をとらえていた。一年ほど前までは薄汚れた大本長髪族の仲間だったのが、今は断髪を櫛目正しく左右に分け、すらりとした長身に洋服を着こなしている。が、少々前歯の出た、顎の張った肉づきの薄い青白い顔は、やはり昨年の秋大本を捨てて去った宇佐美武吉に違いない。ふだんつき合ったことはなかったが、大本を去ったというその一言だけで、妙に親愛の情を感じた。 宇佐美武吉は、わずかの間であったが、管長王仁三郎の秘書役を務め、青龍隊初代の隊長にも選ばれた男だ。神宮皇学館を卒業し一年間伊勢神宮に出仕したというから、当時の大本青年としてはインテリである。第一回目の神島開きに吉田一を背負って従ったのが、印象的であった。昨年(大正五年)の十月二十一日号の『敷島新報』に「世人、祭の意義を知らず」と題して小論文を載せていたが、同年十月四日の教祖・管長夫妻ら一行八十一名の神島参拝の折には参加していなかった。 どういう理由で大本を見限ったか、その真相を知ってみたいものだ。宮飼は、歩調を早めて追いついた。「う、う、宇佐美君、しばらくですね、お、覚えていますか」 足を止めた宇佐美は、呼びかけた相手が『神霊界』の宮飼だと知って、どきっとした顔をした。「お、大本へ参拝でしたか。ちっとも知らなかった」 わざと宮飼が鎌をかけると、宇佐美は気弱く目をそらした。「わたしは背教者ですからね、とてもそんな気持ちには……ただ西の方へ行く用事があったので……綾部は素通りでした」 その言葉には、自嘲的な響きがあった。もしかすると大本へ帰る気になったのではないかと懸念していたが、そうでないと知って、宮飼は嬉しくなった。「ぼ、ぼくもこの頃、大本を去ることを、か、考えているんですよ。い、今も大阪へ、げ、原稿とりかたがた就職の依頼に行くところです。よろしかったら、大本を去られた、ほ、ほ、本当の理由を聞かしてくれませんか」「さあ、私は大本を否定したのではなくて、大本の神業に落伍したのです。参考になるかどうか……」 ちょうど昼飯時であった。宮飼は宇佐美の背を押し、「よかったら、うどん屋へでも入りましょうか」と駅前のうどん屋の暖簾をくぐった。 宇佐美は、つかえていたものを吐き出すように、話し始めた。「結論から先に言いましょう。私の求めるものを大本は与えてくれず、大本は私の性格に合わぬものを押しつけた。私がもう少し辛抱すれば、お互いの希望が一致したのでしょうが、できなかったのですね。それでも大本は、私の人生の旅路の方角を決めてしまったようです。今はそんなゆとりもないが、年をへて振り返って見れば、綾部は私にとって懐かしい思い出深い土地になるでしょう」「ま、まず入信の経路から聞かせてくれませんか」 宮飼の、記者らしい執拗な聞き方に答えながら、まだ二十三歳の若さに似ぬ分別くさい調子で、宇佐美は語り出した。 宇佐美は、三重県三重郡朝上村田光(現在は菰野町)の宇佐美太郎右衛門の次男。家代々の百姓で、家の宗旨は浄土宗であった。太郎右衛門は五十一歳で神主になったが、その発心の理由が風変わりである。 明治四十年代、太郎右衛門の住む田光の小村落で、ちょっとした紛争があった。田光村落の戸数は六十戸余、すべて宇佐美姓と県姓ばかりであった。宇佐美姓の誰かが「田口新田の草分けは宇佐美の先祖だ」とふとしたことから言い出したのがきっかけで、県姓の側も負けておらず「草分けは県の先祖の方じゃ」と言い出し、村落を二分する喧嘩になった。 村としても捨ててはおけず、村会議員らが調停に立った。当時郡会議員をしていた太郎右衛門も、やはり調停者側の一人であった。太郎右衛門の先祖は元は県姓で、四代前に宇佐美姓になった。どちらを贔屓もできなかった。 双方とも頑として譲らず、調停が幾日も夜を徹して続けられた。一週間もたったろうか、調停員も疲れ果て、真願寺という寺の本堂で仮眠をとった。すると太郎右衛門の夢枕に、亡父重兵衛が現われて教えた。「神仏におすがりせよ。人間業じゃ、この喧嘩はとても治まらぬ」 はっと目覚めて、太郎右衛門は、なるほどそうだと思った。お寺の本堂にいて阿弥陀さまを忘れてはうまくいかぬ道理と気がつき、あわてて顔を洗うと、仏壇に手を合わせ一心に祈願した。すると不思議、一時間もたたぬうちに双方から白紙委任状が出された。 人間の考えなどあまりあてにはならぬ、やっぱり神仏、祖先のお力を借りぬと世渡りはできんと言うので、氏神さまに奉仕しようと思い立った。六十の手習いと言うから、五十一なら九歳若い、今からでも遅くはない。 東京の皇典講究所に入学して、神主の勉強を始めた。根が先祖伝来の百姓なので、理解力はにぶい。『古事記』・『万葉集』・『日本書紀』などをめったやたらに詰め込み、ともかく卒業して、目的通り村の産土神社の神主になっている。 明治四十三年春、神主になってほやほやの太郎右衛門は、出口王仁三郎の噂を聞き、霊学の教えを受けに、はるばる綾部まで訪ねている。 まだ山陰線の園部以西は開通していない頃だった。終点の園部で下車して駅前の茶店で休んでいると、ちょうど入って来たのが大本の四方与平である。 二人が連れだって綾部へ着いたのは、町にガス燈のともる夕刻であった。 大本に二、三日滞在する内、王仁三郎に霊性を開いてもらって、帰るなり、憑かれたように鎮魂に熱中した。その故か、太郎右衛門の祈祷は成績が良く、門前は依頼者で賑った。 そんな父をもつ宇佐美は、子供の頃から、神仏の世界に憧れを持って育った。小学校を出ると、滋賀県の神職養成部を経て、神宮皇学館に入学した。父母や自分の体験から神霊の実在を深く認識していた宇佐美は、古今の文献からその例証を得たかった。 寸暇をさいて神宮文庫(当時宇治山田市館町、現在は伊勢市倉田山)の門をくぐり、目新しい神秘的な書を読みあさった。天佑紀聞・稲生物怪録・嘉津間問答・再生奇聞・日本霊異記・仙界真語・霧島山幽界真語・薩藩神変奇録・幸安物語・兎園小説外篇・怪奇老の杖・月見堂見聞集・元禄宝永珍話・亨保日記北陸杖・耳袋・今昔物語・甲子夜話・当代記・山境異聞……それらはすべて神霊の実在を基礎に、それから起こる霊象の記録であるが、後にはそれを否定する立場で書いた井上円了の『妖怪学講義録』も読みふけった。 井上円了は哲学者で、世間からは化物博士と呼ばれる神霊問題の研究家である。今までの宇佐美の認識をくつがえすほど理路整然とした論文であった。『妖怪学講義録』を何度も読み、「それでもなお自分は神霊の実在を信ずる」と呟くまでには、疲弊しきるほどの研鑽を積まねばならなかった。 この病的なほどの研究に加えて、餓鬼が憑いているとしか思えぬまでの暴食が祟り、宇佐美は胃をこわして見る影もなく痩せ始めた。医薬で治らぬとなると、憑霊の仕業ではないかと思い込むほど憑霊党になっていた宇佐美は、父に相談の手紙を出した。 父は早速、綾部の王仁三郎に問い合わせ、「肉体が疲労しているだけだから、やがて全快するが、息子さんの体質は霊感的にできているので、用心しないと低級霊にもてあそばれる危険がある。一度綾部に来てみてはどうか」と言った返信を得て、宇佐美に知らせて来た。 大正元年冬、宇佐美は、やはり神霊問題に興味をもつ学友の塩月清司を誘って、初めて綾部の土を踏んだ。僅か二日間の滞在であったが、感化は大きかった。 大本から次々に送られる出版物は、二人の心を激しく揺さぶった。「今の世は体主霊従の悪の世だから、霊主体従に立替え立直さねばならぬ。霊の中には邪神もあれば善神もある。邪神を見破るためにも霊学を勉強して魂をみがかねばならぬ」と言う王仁三郎の主張は、神霊好きの二人をいっそう夢中にさせた。 大正三年、宇佐美と塩月は皇学館卒業と同時に伊勢神宮に奉職した。塩月は大神宮史編纂部、宇佐美は神宮出仕として儀式課に入った。しかし、塩月は単調な事務に飽きたか、大本への魅力が強すぎたか、奉職後三月で神宮を辞し、綾部の大本へ走った。 言霊学と霊学を学びたさに宇佐美が大本へとび込んだのは、翌大正四年春のこと、一年早く大本入りした塩月清司は、心境の変化でもあったのか、国幣大社の多度神社(三重県多度町)の主典として、すでに大本から去っていた。
「そ、そ、それでは、大本は、き、期待したものを与えてくれなかったのですね」と宮飼は、これぞ聞きたい正念場だ、と言うように身を乗り出した。 宇佐美は、青白い顔に苦笑を浮べた。「大本は忙し過ぎるのです。何もかも混沌としていたのですから」「それは、い、今でもそうです。浅野さんが来てから、いっそう、ひ、ひどくなるばかり……」「そうです。立替え立直しに向かって驀進する、無我的狂熱的集団です。この中に巻き込まれると、個人的な願望など擦り切れてしまう。 昼は御存じのように神苑建設のための重労働です。池を掘る人夫たちの素姓を、四方平蔵さんから説明されて驚きましたね。『あれが京都西陣のお召問屋の息子はん、これが京都の大きな材木屋のぼんぼん、あの女の人は大阪の松島のお茶屋の女将、あの土運びしている人が海軍予備機関中佐の飯森さん……』と言った調子です。私も決然としてスコップを握りましたよ。でも夜は疲れて鎮魂の勉強どころではありません。言霊学の講習を受けてみましたが、受講者はほとんど学問したことのない人たちばかりで、その人たちに合せて進む講義が、まどろっこしくてなりません。 はじめの間は、それでも満足でしたよ。私もまた立替え立直し熱にうかされていたからです。直霊軍が結成されると、私も勇んで街頭にとび出した。小沢惣祐さんと二人で、綾部から京都まで街頭演説しながら一週間かかって歩いたのも、懐かしい思い出ですよ」「お、小沢さんですって。あ、あの人は、最近、じ、自殺しましたよ。十文字に腹を切って……」「切腹……」 ぎくりとした目で、宇佐美は宮飼を見た。 宮飼が小沢の自殺の模様を語ると、宇佐美は、ほっと溜息をついた。「そうですか。あの人は冗談の通じぬ人でした。外に現われる行動は無茶苦茶のようでも、性格は生一本でしたからね。自己を燃焼し尽くして消える流れ星のようですね。私には、それができなかったのです」「お、お、大本が小沢さんを殺したようなものですよ」 憎しみを込めて、宮飼は言った。 が、宇佐美は、宮飼の言葉に同調しなかった。「さあ、そうでしょうか。大本だからこそ、今まで小沢さんを生かしていたとも言えるんじゃないですか。良い人でしたが、性格が激しすぎて、社会の枠には入らない所がありました」 宮飼は、飯に入った砂利をかんだような顔をした。 宇佐美は、さりげなく語り続ける。「立替え立直しの危機を一刻も早く世界の人類に知らさねばならぬと言う義務感が激しくて、布教師は幾らあっても足りはしません。私も布教に出ることになり、インテリだから都会がよかろうと言うので、東京を担当させられました。宮飼さんがいらっしゃる前、昨年(大正五年)の春のことでした。 ご承知のように、大本で布教に出る時の服装は、羽織袴はよいとして、菅笠に茣蓙蓑、『直霊軍』と染め抜いた襷、おまけに長髪を藁しべで結んでいるのですから、どこへ行っても目立ちますよ。今なら恥ずかしくてたまりませんが、あの頃は選ばれた人のような誇りで、薄い胸を張っていたものです。 奇抜な服装の効果はてきめんでしたね。東海道の車中から早くも質問攻めで、初陣に近い私は、その矛先を転ずるだけで精一杯だ。 東京では、池袋の尾寺家が宿舎にあてられ、布教の便をはかってくれました。尾寺家の応接間には、もう四、五人の知人が集められていました。車中ですでに自分の勉強不足を痛感していましたから、下手な理屈をこね回して揚げ足をとられまいと、弱気でしたよ。四、五枚のお筆先を回覧してもらっても、あの筆跡でしょう、誰も妙な顔をするだけで読めはしません」「そ、そ、そうでしょうなあ」「私は躍起になって説明したんです。『今にとうどの鳥がとんできて火の雨を降らし焼け野原になる、東京は元の武蔵野になる、と書いてあります。とうどの鳥というのは、唐土……つまり外国、もしかしたら盗土で国を奪おうとする鳥、飛行機のことじゃないかと大本では解いています。ライト兄弟の飛行機の発明が明治三十六年ですが、それより前に出た筆先だから、こう言う表現になったのでしょう。食う物も、着る物もなくなる時が来るそうです。ぎりぎり一杯の時になると兵隊の撃つ弾までなくなると、教祖さんが言うとられます。元冦のように外国の兵隊が上陸して来ると、外国魂になっている者は、みんなあっち方につきます。ここまで来んと、日本人の目がさめんと言われます。けれどそうなってはもう遅いので、大本では気もないうちに知らせて日本人民の覚醒を叫んでいるのです』、そんなことを、冷汗を流し流し喋りましたよ」「そ、そら冷汗もんでしょう。お察しします。で、あ、相手方は……」「やはり黙っちゃいません。筆先にのっている予言が正しいと、誰が証明できるのか……」「し、然り……」「そんな恐ろしい予言を流して実現しない時、誰が責任とるか」「も、もっともです」「教祖に神がかかって書かせたのなら、何故もっと読みやすい上手な字が書けないのか……」「は、は、は……同感ですなあ」 宮飼が媚びるような笑いを示したが、宇佐美は微笑もしなかった。「私は相手に納得の行く説明ができなかった。私たちの教科書は筆先だけですし、それを拝読する人によって解釈がまちまちでしょう。でもこの日は、尾寺家に好意を持つ人たちが集まったのですから、私の至らぬ話も若輩のせいにして暖かく見逃してくれました。大変なのは、その翌日からです。何せ東京は広い」「た、丹波の、や、山奥とはちがいますとも……」「市内地図を片手に、飯森さんからもらった三十枚ほどの紹介名刺を頼って訪ねて行ったのですが、みじめなものでした。三越の横の細道を入った所でしたが、村田通治さんという下駄の修理屋さんを訪ねた時のことです。炊事場も座敷もない、仕事場も寝室も応接間も一つの部屋という貧乏暮らしです。そこに奥さんが病気で寝ており、五つ、六つの子供が傍に坐って板片を積んだり崩したりしていました。 村田さんは前垂れをかけて、下駄の歯入れの最中でした。私が飯森さんの紹介状を見せ来意を告げると、子供に耳打ちして外へ出し、快く坐る場所を与えてくれたのです。村田家は父祖代々の酒造家で地方で有数の資産家だったそうですが、火事を出したのが元で凋落したんですね。坊ちゃん育ちの村田さんは、さてと言って生活の方法が分からず、立ち上がる力もなかったんでしょう。やむなく東京に出て、下駄の修理でやっと糊口をしのいでいる有様、そんな愚痴を聞いていると、子供が帰って来て、『お父さん、ぼく、いらないから、お客さんの分だけ買ってきたよ』と言って、焼芋包みと一銭玉を差し出すのです。『坊主まで親の貧乏に同情しやがって……』、村田さんは声をつまらせ、その一銭玉をしまいました。目の前に出された二切れの焼芋を、私は呆然と眺めるだけでした」「じ、実際、び、び、貧乏ほどつらいことはありませんからね」「耐乏生活は大本だけの一枚看板じゃあなかったんですよ。東京のど真ん中、華やかな流行の巷三越の軒下にさえこんな惨めな暮らしがあるんだ。彼は単刀直入に聞くんです。『死後の世界よりも、今をどうやって生きのびようかと苦しんでいる人たちの方が多いのですよ。人間界を救うという真の宗教ならば、物心両面を充足されるものでないと意味がない。観念の遊戯だけで事足りるような信仰なら、持ってもつまりませんから。大本はそういう宗教でしょうか』 私は返事に迷いました。『今までは上よくて、下のいけぬ世、新たまりて世をかえして、世界中均すぞよ』と言うお筆先も確かに胸に浮んだのですが、目前のなまの生活苦に圧倒されて、とうとう口に出す勇気もないまま、逃げるように辞したんです。三越の前まで来ると、くそっと、私は菅笠と茣蓙蓑を大地に叩きつけてしまった……」「そ、そういえば今年になって『大正維新論』なんていうのが出ましたよ。私有財産はみんな、て、天に奉還して、一人の遊民も貧乏人もない世にするなんて、きょ、共産党まがいのホラを吹いてますがね」「ほう、そうですか。どんなものであれ、当時はそういった具体論さえなかったんだから……行く先々で、私は自分の未熟さをいやと言うほど味わわされ、信仰が足元からぐらつくのです。 丹波の山の中から出て来ると、めまぐるしい都会に住む人たちとは、気持ちの上で大きな隔たりがあるのを切実に感じました。世間は甘くない。誰一人、皇道大本の生ぬるい紹介ぐらいで満足してくれやしません。神道を国教として唱導しようとするもの、仏教の隆盛を願うもの、既成宗教にあき足らず新興宗教の出現を待望するものと、逆に千差万別の声を聞かされて、自分の視野の狭さを嘆くばかりです。これで人を驚かすだけの霊力でもあれば、また活路もひらけたんでしょうがね。行く先々で新しい壁にぶつかり、しまいには日比谷公園や上野公園のベンチに坐って長い春日を呆然と過ごしていました……」「そ、そ、それでも宇佐美さんの東京宣教は、ず、ずいぶん評判が、た、高かったじゃありませんか」 宇佐美は血色のない顔に浮ぶ汗の玉を急いで拭った。「そうそう、それなんですよ。私にはその評判が、かえって仇でした。重たくてがまんできなかった。今だから言えるんですけど……最後に残った一枚の紹介名刺、それが飯森さんと同期の海軍主計中佐関芳三さんのなんです。長い間、懐中に残っていたのは、その相手が一番強敵に思えたからですよ。 ためらった末、とうとう腰を上げて、上野公園を北に出はずれた所にある、いかめしい門構えの邸宅の前に立ちました。私の通された部屋は、関さんの書斎でした。左右両側の本棚には、ぎっしり一杯の神道関係書が詰められ、畳の上にも書籍が散乱していました。関さんはその書籍を積み上げて、私の坐る場所をあけてくれました。 退役してからは暇を利用して神道を研究している篤学の士と、聞いていた通りです。初対面の簡単な挨拶がすむと、私は今までしてきたと同じように、受身の姿勢で相手の質問を待ちました。ところが関さんは黙っているのです。考えて見れば、神道に造詣の深い関さんが、私ごとき若僧に質問する気など起こらなかったのは当然ですよね。むしろ関さんの方こそ、私の質問を待っていたのかも知れません。五分、十分……だんまりが続きました。初対面の相手と無言の対座をするほど、息の詰まることはありません。今思っても寒気がする……」「め、め、眼を見合ってですか」「私は相手の面に眼をあててはいましたが、その実まともに見ていたわけではありません。まぶしい光に半分まぶたを伏せた感じですわ。三十分もたった頃、関さんは足を組み替えました。それからは、しきりに右に左に膝を崩します。私は伊勢神宮宿衛で六時間連続正座の経験があったぐらいですから、ちっとも苦にならんのですわ。最初に着座したままの姿勢です。けれど、精神的な苦しさと言ったらありません。途中で喋り出すには、タイミングがずれ過ぎています。それに喉がひっついて声なんか出ない。 一時間も過ぎた頃、どうにもたまらなくなって、恥も外聞もなく立ち上がった。すると、関さんが、初めて声を掛けてくれたんだ。『ちょっと待ってくれ。わしの負けだよ、今まで随分と沢山の人にあったが、今日ほど感激したことはないね。君のものに動じない態度といい、一時間あまりぴりりとも膝を崩さないその姿勢に、わしは完全に兜を脱いだ。口に千万言叫ぼうとも、体に備えがなかったらだめだ。しかし君のような若者をここまで育てた大本も、たいしたものだな。わしを一緒に大本へ連れて行ってくれ給え』……」「さ、錯覚だ……」「錯覚です……完全に……」 宇佐美がちょっと言葉を止めると、宮飼は皮肉めいた口調で言った。「そ、そう言うわけで、せ、関さんが入信なさったんですか。お、お、大本では、それこそ、か、か、神のお仕組みということになるのでしょう」「関さんをお連れして帰綾した時は、ちょうど春の大祭でした。大祭後、金龍殿で講演会があり、関さんもその弁士の一人でした。講演会の後で余興があって、関さんは剣舞を舞われましたが、誤って燭台を切り、舞台が油でべたべたになって大騒ぎしたのも今では懐かしい思い出です。 とにかく私の上京は失敗の連続で、大本の恥をさらしに出たようなものでしたが、関さんがどんなふうに話されたのか、会う人ごとに『大成功だったそうですね』と誉められて……」「そ、そ、それで昨年の夏、青龍隊が結成された時、あ、あ、あなたが初代隊長になられたのですね」「ええ、学歴もあるし、こいつなら皆をまとめられるだろう、と言う程度のことだったのでしょう。多少は、東京宣教の誤った噂も選ばれる理由になったのかも知れません。青龍隊は、教祖の神示を宣伝することが目的なのですから、隊長の私が率先指揮しなければならない。おまけに鎮魂や言霊学は、いつまでたっても習える見込みがない。それを思うと、私はたまらなく憂鬱になってきました」「わ、わ、分かりますとも、分かりますとも。宣教には、われわれインテリは不向きなのです。どうしても、て、て、てらいが顔を出しますし、む、無学な連中のように臆面のない態度は、と、とれませんものね。われわれインテリには肉体労働などさせず、本でも読ませて、教義の整理でもさせた方が、よ、よほど有効な使い方というものです。大本という所は、み、み、みそもくそも一緒なんだ」「……学が邪魔しているのは確かでしょうね。それに私はもともと内気なたちで、活動的な青龍隊隊長のような任務にむかないことがよく分かったのです。でも隊員たちからは期待されているのに、弱音は吐けない。本当に悩みました。悩んだ果てには胃病を再発しました。結局、管長が旅行に出られた留守中に、荷物をまとめてそっと抜け出してきた。第一線から退くより、全面的な脱退を選んだのです」「な、何しろ隊長さんが消えたんだからたいへんだ。ぼ、ぼくらは、いろいろ憶測したもんです。けれど、よ、よかったですね。し、心身共に大本を、だ、脱皮できて……」「脱皮できたかどうか、ただ私はとにかく郷里へ引揚げたのですが、日が立つに従ってますます不安で淋しくなる。どうもほかの神さまに手を合わせる気にならない。しばらく放心した日を送っていたのですが、これではだめだと思いましてね、郷里の田光から半里程西の八風神社のお堂にこもって、鎮魂の行に入ったのです。 五日目の明け方、どこからともなく声が聞えました。『仏さまを信じる人は、坊さんの言うことを信じるからだ。神さまを信じる人は、神主さんの言うことを信じるからだ』、続きのように私は呟いていたのです。『大本の神を信じるのは、教祖さんや管長さんの言うことを信じるからだ』 すると、ふっと気が楽になったのです。それなら私は、宇佐美家の先祖を信じよう。祖父を、曾祖父を、代々の祖先たちの働きを、立替え立直しの神業には参加できなくても、先祖の霊を祀り、信仰して生きていこう――私は晴れ晴れと山を降り、その日までのばしていた長髪を、弟に頼んで丸坊主にしてもらいましたよ」「そ、その方が、あなたには、ずっと似合いますよ」「さあ……私は艮の金神さんを捨てて、家の祖霊を拝むことにしました。私個人の安心立命は、それでどうやら得られそうです。しかし、個人の幸福よりみろくの世建設の神業を重しとして、今も叫び続けていられる人たちのことを思うと、やはり一抹の淋しさがありますね。それに心の底に怯えが……」「……」「立替え立直しの予言ですよ。せっかく大神業に参加する機会を与えられながら、私はそれを拒否して逃げた……」「そ、それは矛盾してる。た、た、立替えの実現を信じるのは、筆先を信じるからでしょう。ふ、ふ、筆先を信じるのは、出口直を信じるからだ。お、大本を去った今、あなたに立替え立直しの予言は、じ、実在するわけはない……」「王仁三郎先生は化け物みたいで、傍にいながら見当がとれませんでしたが、教祖さんだけは、今も信じないわけにいかない。初め私は、教祖さんのお居間の燈火係でした。まるで生神としか思えないような御日常でしたよ。だから、金龍海の入れ水の時にいただいた教祖さんの生き毛は、今も肌身から離したことがないのです。筆先はやっぱり神さまがかかって書かされると、思わざるをえない」「ぼ、ぼくなんか、教祖室にさえ、は、は、入ったことはないのですから……だ、だから、筆先は管長さんの、ぎ、偽造じゃないかと、疑り深くもなるんです」「私は幸運すぎたのでしょう。ある日、仕事の都合で、だいぶ遅れて燈火を持って行ったのです。すると教祖さんが闇の中で、机に向かっておられる。夜、真っ暗な所でしばしば筆を執られる、と言う噂は聞いていましたが、初めてこの目で見たんです。 ややあって、私はおそるおそる『燭台をそちらへお持ちしましょうか』と声をかけると、教祖さんのあの澄んだ声が返ってきました。『いまお筆先をいただいている最中ですさかい、明かりはいりません』、手元の紙も筆も見えない暗闇でどうして文字が書けるのか不思議でたまらず、翌朝、思い切ってお訊ねしたのです。すると、教祖さんの説明はこうなんです。『お筆先は夜にせよ、と神さまがおっしゃるのは、わたしには納得いかなんだんですわな。お日さまという結構なお明かりがあるのに、ろうそくを使わねばならぬ夜いただくことは、天地の冥加にそむくような気がしてなあ。それでなるべく明るいうちに机の前に坐って筆先をいただくように心がけていたんやが、ある時、神さまからえっと(大変)叱られてなあ、それで夜いただいて見ると、明かりもないのに、昼よりずっとよく見えるのや。天上から金の糸が下がってきて、紙の上に金の粒々が落ちて、文字を作るのです。わたしが書くことは書くのやが、ただ金の粒を筆でなぞるだけやさかい、暗い時の方がいただきやすいんですわな』 こう教祖さんの口からじかに聞かされては、筆先が神の声だと、信じぬわけにはいかんでしょう。筆先は一貫して立替え立直しを訴えているのですから、やっぱりいつかは実現すると思います。でもその時は、いさぎよく神の裁きを受ける覚悟でいるのですが……大本の人に会って、懐かしさのあまり、つい喋り過ぎました。許して下さい」 宇佐美は立ち上がった。宮飼も立ちながら、問いかける。「それで今、あ、あなたは何をしていられますか」「まだ浪人中です。大本にいた影響で、言霊学にこりましてね、名古屋の水野万年先生から教えを受けています。あなたも迷っていられるようですね。人間、どんな神さんであれ、やはり霊魂相応の神さんを信じている方が、一番安心なような気がしますよ」 立ち去る宇佐美の後ろ姿を眺めながら、宮飼は心で叫んだ。 ――みたま相応? ぼくは神なんか信じない。そうさ、ぼくなんか、よからぬ霊でたくさんだ。

表題:山吹の花 11巻8章山吹の花



 大正六(一九一七)年四月二十三日(旧三月三日)、その人は、なんの前触れもなく単身来綾、出口王仁三郎に面会を求めた。年の頃は五十歳前後、ほっそりした体に半白の束髪、高雅な気品を漂わせた女性である。 この日は珍しく、王仁三郎は、朝風呂をわかせて入浴中であった。取次ぎに出た湯浅小久が、湯殿の外から来客を告げる。「よし、今上がる。統務閣にお通ししておけ」 湯音をさせて、王仁三郎が言った。 受付けから広間を通り、長い廊下を渡って二曲がり、小久はその人を統務閣の奥の間へと導いた。その人は、おっとりと床の間を背に坐った。 次の間の境の襖は開け放たれていた。王仁三郎の居間である。下がろうとして、小久ははっと気づいた。そこに無造作に脱ぎ捨ててあるのは、王仁三郎の衣服ではないか。旧教祖室の西側にある風呂場からこの居間までは廊下続きで、よく王仁三郎は裸のまま往復していたのだ。 あわてて小久が衣服を取り上げた時、湯気に包まれたままの素裸の王仁三郎が入ってきた。境の襖を閉める間もなかった。 悠然と裸で立つ王仁三郎の全身を、小久は急いでぬぐった。烏の行水がくせの王仁三郎が、今日は入念に洗ったのか、女のように白くきめ細やかな肌が上気して、まぶしいばかりの桃色、長い黒髪は巻き上げて、烏帽子のように頭の上に乗っていた。 その人は、奥から、瞬きもせずに見つめていた。はしたない目ではなかった。 小久の着せかける衣服をまとって王仁三郎が奥の間に現われた時、その人は、はじかれたように上座をすべりおり、手をつかえた。「鶴殿親子でございます……お懐しゅう……」 王仁三郎は、当然のように上座についた。「よう来やはった。今日は旧三月三日、この日を待っていましたで」 親子は面を上げ、涙でいっぱいの目を瞠った。「では、わたくしを御存じで……」「いや、現界的には何も知りまへん。けど、あなたが今日こられることは、とっくに神界から知らされとった。神界でのあなたのお名は紫姫、この大本では大宮守子と呼びましょう」「……大宮守子……大宮を守る子で……」 瞠ったままの目を、親子は二、三度まばたいた。何をどう考えて良いか、一瞬の間に起こった心の混乱を整理するゆとりもなく、親子は口走っていた。「わたくし、今日伺いましたのは、あなたさまを確かめに……実は本願寺へ詣った時、綾部の大本の出口王仁三郎と言う人は、ある御方の御落胤ではないか、あまりによく似ているとの風説を伺いまして……ほんとかどうか、一度この目で確かめたいと、前後の考えもなくとんできてしまいました」「ほんまものか、偽ものか、それはわしにとっても知りたい事……で、どう確かめなはった」 二人の視線が激しくからみ合った。「そっくり、そのまま……生き写しでございます。違うのは、その長い長いお髪だけ……」「そうか。今、懐かしいと言うてくれたのは、わしの父……有栖川宮熾仁親王が甦ったと、思うたのやな」 親子の唇から、小さい叫びが上がった。「それを御承知なのですね。ではやっぱりあなたさまは……」 小久は下がっていて、次の間には誰もいない。それでも、あたりをはばかって押えた声が激しく素早く、二人の間を往き来する。「母にはそう聞かされたが、それでも、水呑み百姓の子として育ったわしには、わしの血を信じられぬ時があった。母がそんな途方もない嘘をつくとは思えぬながら、誰一人に打ち明けることもできず、今日まで胸の底に押し込め続けてきたのやで……」「そうでございましたか。面ざしの似通うたぐらいのことなら、世間にはままありましょう。でもお体の肉づきや、お肌の色、あのなされ方までが宮さまそのままでございますもの。わたくしの子供の頃、御風呂上がりの宮さまをちょうどあのようにして見たことがございます。帥の宮さまが今ここに!……と夢に夢を見ているようでございました」 王仁三郎は喉をつまらせた。 ――生きている父に会いたかった。母世祢にすら洩らしたことのない心の叫びであった。今、父を知っている、自分の触れたこともない父を知っている一女性と、初めて出会えたのだ。長い間孤独のうちに抱きつづけてきた重苦しい秘密を、一思いに陽光の下に曝してしまいたかった。 親子の目には、涙があふれていた。「……おいたわしい。こんな御子が立派にお血を受けておられるのも御承知なく……有栖川の宮家はもう絶えてしまいました」 我がことのように親子はかきくどく。 王仁三郎は、大きな息を吐いた。「形の上では高松宮家が継いでおられる。けれど有栖川の霊統を継ぐ者は、わししかおらぬ。鶴殿さん、いや、ここでは大宮さんや。大宮さん、わしの知らん父について、あなたの思い出ある限りを聞かせとくれやす」「はい……もう半世紀近い昔のことになりました、父に連れられて初めてお習字を習いに有栖川の宮家に伺いましたのは……その頃は、貞子妃殿下を失われてまだ日も浅うございました。福岡藩の知事として渡られていた九州からお帰りになられましたので、東京芝浜の元紀州藩邸……今は芝離宮と申しておりますが、その有栖川宮家は有栖川流の書道教授を受ける子女たちでいっぱいでした。 有栖川家は、代々の天皇さまに書道を御指南なさるお家柄でございます。お父さまの幟仁親王さまは、明治天皇さま八歳の時からお手習いを、十六歳からは歌道をご師範なされましたため、書道は熾仁親王さまが見ておられます。わたくしたちも、明治天皇さまと同じに熾仁親王さまのお弟子となれたことを、誇りにしておりました。品川の海のみえるあのお邸と、きびしくおやさしかった若宮さま……私は七つ、熾仁親王さまはまだ三十八か九であられたと思います……」 語り出す親子の瞳も声も、帰らぬ遠い昔への追慕にうるんでいた。 鶴殿親子は、慶応二(一八六六)年八月、正二位権大納言醍醐忠順の次女として京都に生まれた。身分相応の権勢を張ること、嗣子を得ることに汲々たる公卿の家庭の内実は貧しく、淋しく、愛に恵まれた生い立ちとは言えなかった。戸籍には、兄忠貞同様、母の名は記載されず、庶子女とだけある。 孝明天皇が崩御あらせられ、十六歳の明治天皇が践祚したまうや、新帝のため御元服を前に好配が求められた。 慶応三年六月、三姫の候補の中から選ばれた一人が参内する。故左大臣一条忠香の三女、権大納言左近衛大将一条実良の妹勝子(二十歳)である。 翌日、一条家に勅使が下って勝子を女御に治定、間もなく維新大号令渙発、鳥羽伏見の戦いと風雲は急を告げる。 京中動揺の中を妹勝子を守り、入内の準備を進めていた一条実良は、慶応四年四月、晴れの成婚の日を待たず薨去。戸主を失った一条家は、支流醍醐家の次男忠貞を養嗣子に迎え入れた。この時忠貞わずか七歳、親子より五つ年上の実兄である。 一条家の幼い当主は、この年十二月二十八日、叔母にあたる女御御方従三位一条美子(勝子改め)を入内させる。美子は即日立后宣下を受け、皇后となられた。したがって忠貞の妹醍醐親子は、明治帝の皇后美子(のちの昭憲皇太后)の姪になる。 一族は帝に従って京から東京へ移り、麹町に居を定めた。少女時代の親子にとって、一番の喜びは書道を習いに有栖川家へ通うことであった。 熾仁親王には、二度目の妃殿下董子が入輿されたが、やはり御子は一人もできなかった。 利発で可憐な少女親子を、親王は妹か娘のように可愛がった。貧しい内情を察して、よく手習いのお手元品など下さった。親子が何より大切にしているのは、藤とつばめの金蒔絵の黒塗りの机である。この机は孝明天皇が師である幟仁親王に賜わり、長子熾仁親王に伝えられたもの。熾仁親王は、どう思われたのかある日、その机を親子に下さった。(親子はのちに熾仁親王の遺品として、その机を王仁三郎に贈っている) 明治八年、有栖川邸は、芝浜から霞が関邸へ移った。麹町の醍醐家からは間近となった。 明治十年十月十日、西南戦争で征討大総督となられた熾仁親王が、城山の激戦で西郷隆盛らを討って凱旋された時、親子は父にせがんで新橋駅へ出迎えた。雨が降っていた。皇族・華族をはじめ大臣・将軍・護衛の二大隊の歩兵、整然たる一小隊の儀杖騎兵、道筋警衛に十歩ごとに直立する巡査たち、道にあふれながら万歳を繰り返す群衆、駅頭から儀装馬車に乗られて参内する親王の軍服の肩は雨にぬれていた。 凱旋将軍らしい昂ぶりはなく、万歳に応えるお顔もそっけなくて、親子の知らない人のようにきびしかった。 陸軍大将になられてからは、訪日される各国の皇子や公使との絶え間ない応接など、多忙な公務に明け暮れる熾仁親王には、もう子女相手の書道教授の暇など戻ってきそうになかった。その上、明治十五年六月には天皇御名代として外遊され、露国をはじめ西欧各国の皇室、大統領と親交を深められて翌年御帰国、その折の帰朝夜会には、招かれた皇族・華族の中に交じって、十八歳の親子も、胸をときめかせていた。 師への慕情は、親子の成長と共に深まっていった。それは親子にとってのはかない初恋とも言えよう。 この年の十一月には鹿鳴館開館、十七年の夏には華族令が制定され、父醍醐忠順は侯爵、兄忠貞の跡を継いだ一条実輝は公爵となった。 同じ頃、霞ヶ関に有栖川宮の宏壮な新邸が竣成された。シャンデリアのまばゆい華麗な大広間には、外国公使や夜会服に飾り立てた貴顕淑女たちが招かれて舞踏会を開いた。お役目柄とはいえ、親王は次第に親子などの甘えられぬ、手も届かぬ遠いお方になっていかれる。 霞ヶ関の有栖川宮本邸庭には、五月ともなれば重たいばかりの牡丹が色とりどりに咲き乱れた。 ある朝、芳香に誘われて、親子は勝手知った邸内に入っていった。思いがけなく、牡丹の手入れをしていたのは、熾仁親王御自身であった。「おう親子か。どうだ。この八重霞は……」 白地の底に紫のかかった大輪の花を抱くようにして、親王は手招かれた。雪白・緋・紫・紅・桃・黄金色・黒紫の天鵞絨のような花弁の深くうち重なる豪華さ、つややかさ。「牡丹がほんとうにお好きなのですね、宮さまは……」「花の中にいると、何もかも忘れてしまえる」「酔ってしまいそうですわ」 気品高い花の容姿の見事さよりも、牡丹に映える親王の、へだてのない明るい瞳、昔ながらの優しいお声が、親子には何よりうれしかった。 ――やっぱりお変りない帥の宮さま、雨の日の万歳の中にいらした将軍とは別のお人だと、親子は思う。 ――勅命を受けて、賊軍を討つ。世の中には、それに向いた武人もあろう。けれど熾仁親王さまは違う。征討大総督宮として、兵部卿として、負わねばならぬ重圧に耐え、軍務に励まれる宮は、きっとお苦しいのだ。 あの官軍を率いて江戸城を攻めた時、賊軍の側には、かつての恋人和宮がいた。西南戦役での賊軍もまた、その昔江戸城攻めでは苦楽をともにし、宮の片腕として大功のあった西郷隆盛ではないか。討ち取った首を目前にして血の涙を流したのは、宮御自身ではなかったろうか。無残な戦功を誇る数々の勲章より、花一つ、お歌一つの方が、どんなに生来の宮さまにふさわしいことか。 乙女らしい直感と感傷で、親子はそう叫びたかった。胸まで没する牡丹園の中で、花の色香に染まりながら熾仁親王と過ごしたこの束の間の時を、親子は忘れられない。 明治二十年の牡丹の季節には、明宮が、続いて天皇、皇后両陛下が有栖川宮邸に行幸啓、翌日は皇太后が、それぞれ皇族・宮内大臣夫妻・侍従たちを供に牡丹と西洋手品を楽しまれた。その翌日の午後の園遊会には、親子も一つ年上の姉好子と共に招かれていた。 近衛軍楽隊が奏楽する中を、勅奏任官・文武官・華族ら六百余名が、今を盛りと咲き匂う牡丹と艶を競って群れていた。男も女も多くは欧風の洋装に飾り立てている。所々に立食の亭が設けられ、自由に好みのものが飲食できるよう趣向を凝らしていた。近衛軍楽隊が邸内に陣取って奏楽している。殿内では西洋手品師の一団が、巧みに珍奇な術を披露していた。 幾人かの若い公子が、二十二歳の清楚で典雅な醍醐侯爵の娘に近づいてきたが、親子は振り向こうともしない。親子の眼は無意識にこの宴の主熾仁親王を求めていた。 牡丹園の向こうに華やかな色彩があふれて、人目を引く一群がくる。すれ違う誰もが深く頭を下げていた。典侍室町清子・高倉寿子・明宮の御生母である権典侍柳原愛子らのたおやかな歩みに合せて御案内しているのは熾仁親王、その前後を掌侍樹下範子・権堂侍小池道子・薮カネ子・徳大寺侍従長・堀川侍従・随従女嬬らが押し包んでいる。日頃の型にはまりきった御所の大奥から開放された喜びであろう、女官たちの談笑が晴れやかに風に流れる。 親子は少し下がって牡丹の茂みに身を避け、一行をやり過ごした。 日が落ちて、たそがれの苑内のそちこちには青白いガス燈の灯がともる。ガス・シャンデリアの輝く大広間から、やがて心をかきたてる円舞曲が、夜気にのって流れて来る。姉たちは舞踏へと誘ったが、親子は行かなかった。親王のみ腕の中で裳裾を花のように開いて踊るであろう女人を思い浮べるだけで、親子の胸は妖しく震えて来るのだから。 夜露を含んだ牡丹は、ひっそりと花芯を抱いて、花びらを閉じはじめている。どうにもならぬ親王への慕情は、永遠にこの胸に閉じ込めてしまおう。わたくしはお嫁になどゆかない――白い牡丹にくちづけながら、親子は涙を流した。 親子の姉醍醐好子は、久迩宮朝彦親王の第二王子邦憲王妃となって、賀陽宮家を再興した。やがて賀陽宮恒憲王・由紀子女王・佐紀子女王の母となる。邦憲王の弟には邦彦王(久迩宮)・守正王(梨本宮)・鳩彦王(朝香宮)・稔彦王(東久迩宮)がいた。 明治二十四(一八九一)年初春、二十六歳になって、親子はついに父忠順の命に抗し切れず、嫁いで行った。夫は故関白従一位九条尚忠の五男忠善である。 忠善は明治二十二年に分家して鶴殿家を再興し、男爵を授けられ、貴族院議員となっていた。九条尚忠の六女基君、つまり夫の姉は孝明天皇の皇后であり、有栖川宮幟仁親王妃広子(岸君・熾仁親王の嫡母)とは、血のつながるいとこ同士。岸君の父二条斎信は九条尚忠の実兄なのだ。 これには内輪話があった。本当は基君が幼い頃からの約束で幟仁親王に嫁ぐはずであった。基君はある時参内して、はからずも皇太子のお目に留まり、御息所にと強く望まれた。まもなく仁孝帝が薨じられ、皇太子(孝明帝)が践祚した。 嘉永元年十二月、堺町御門内の九条邸の黒木御殿を出た行列は、多くの女官を従えて絵のように美しかった。十二単衣を召した女雛のような基君には、いとこの岸君が付き添っていた。牛車は、大雪の中をきしみながら、ゆるゆると建春門をへ、朔平門へと入って行った。 入内した基君は名を夙子と改め、皇女を二人生まれたが、幼いうちに亡くしている。明治帝の御生母は典侍中山慶子(のちの一位局)だが、孝明帝を失ってから准后九条夙子は一足とびに皇太后宣下を受け、死後英照皇太后の諡名を受ける。 岸君は、いわば皇后夙子の身代りとなって、有栖川家に嫁したのだ。有栖川家は、幟仁・熾仁二代にわたって、基君・和宮と婚約者を時の権力の手に奪われねばならなかった。 鶴殿家に嫁したことで、親子は更にたくさんの姻族とつながりを持った。義姉となった皇太后夙子の他、長兄九条道孝公爵・次兄松園尚嘉男爵・三兄鷹司煕通公爵・四兄二条基弘公爵がいる。また本家の兄道孝の子には、嗣子道実・良政・良致男爵(婦人九条武子)・西本願寺法主大谷光瑞夫人となった二女籌子、光瑞の弟光明夫人となる五女子、のち大正天皇の皇后となる四女節子がいた。道実の五女敏子はやがて親子の姉の子賀陽宮恒憲王妃となるから、縁の糸は二重にからむ。 結婚生活わずか四年にして、明治二十八年四月、親子は夫忠善と死別した。五歳の嗣子家勝と、まだ乳呑み児の娘実子を抱えて、とり残されたのだ。 同じ年に熾仁親王が、三十年には義姉英照皇太后が薨ぜられ、三十二年には頼りとする実家の長兄醍醐忠敬が不慮の災で死去し、翌年父忠順が没した。 醍醐家は十歳の甥忠重が継いで、次兄の忠貞の後を享けた一条実輝公爵が後見人となった。信子、静子の幼い姉妹も一条家の養子となる。 親子のまわりは一度に淋しくなった。誰にもすがるまいと、自分にむち打って二児を育てた。赤坂区赤坂福吉町の鶴殿家の屋敷内を畑にして、親子は慣れぬ野菜作りに精を出した。 未亡人となってからの長い年月、夫の面影は日と共に薄らいで、親子の心を支えてくれるのは、父とも兄とも恋人とも知れぬ熾仁親王への追憶であった。 家勝が京都帝国大学法科へ入学したのをきっかけに、親子は生まれ故郷の京都へ移った。京都には上京区御苑下立売門内に賀陽宮の御本邸があって、妃殿下である姉好子と気さくに会える。 街中を離れた上京区西加茂村の醍醐家の別邸を借りて住んだ。ここでも食べるものは手作りの野菜、野山を歩いて種々の薬草を求め、陰干しにしたり、アルコールにつけたりして常備していた。 娘実子は関西実業界の重鎮藤田組の創立者藤田伝三郎男爵の三男彦三郎に嫁した。藤田男爵の本邸は大阪だが、京都にも左京区下鴨に別荘があり、娘が来ると親子はよくそこで泊まった。 今春(大正六年)、家勝が大学を卒業し、社会に巣立った。家勝は海軍士官となったいとこの醍醐忠重と同い年、成人も婚約も一緒、妻となる女性も七つ下の同い年のいとこどうしだ。公爵毛利元照の長女顕子が醍醐家へ、男爵毛利五郎の長女輝子が鶴殿家へ。家勝の新所帯は赤坂の元の屋敷である。 思えば二十余年、脇目もふらずにただ子供のために生きてきた。鶴の名のように華奢な体つきに似合わぬこの節くれ立った指、この手一つが子らを支えてきたのだ。姫御前の手ではなかった。五十を過ぎてはしまったけれど、子供たちが独立した今、親子は一人になって青春を取り戻したかった。自由奔放に自分のために生きたかった。 日頃は口数の少ない親子が、何もかもさらけ出して一心に自分の過去を物語るのを、王仁三郎も身を入れて聞いた。互いに初対面であることなど、とうに忘れた風であった。 親子という一人の女性の背後にくもの巣をかけたごとく広がっている貴族社会の粘着力のすごい糸。その糸をたぐっていけば、中心に近く亡き父がいる。親子は王仁三郎にとって、くもの上の幻の父をたぐり寄せるただ一筋の糸の端であった。 やがて王仁三郎に呼ばれて、澄・四方平蔵・浅野和三郎らがやってきた。鶴殿親子が床の間を背に、王仁三郎が下座にと、位置が入れ替わっていた。「今日こられた大宮守子はんや。宮中には深い関係のあるお方で……英照皇太后の義妹、昭憲皇太后の姪御……それから今の皇后陛下には叔母君に当たられる……」 浅野和三郎が膝をのり出し、「失礼ですが、それでは九条公爵家のお身内では?」 王仁三郎は重々しくうなづき、「わけがあって、御本名は言えまへんのや。ここでは大宮守子はん、神縁によって大本に入信されることになった。御昵懇願うように……」 澄がびっくりしたように遠慮のない声を上げる。「あれ、今日きちゃって、もう入信……うちなあ、皇后はんの叔母さんなら、とても艮の金神さまのことなぞ分からんやろ思いますがなあ」 澄の言い方は正直すぎて、まわりの者をはっとさせた。 親子はひたむきに両手をついた。「ほんとうにまだ何も分かりません。けれど、今生まれたつもりで、一生懸命ついてまいります。どうぞ今日からお仲間に入れてお導き下さいますよう……」 平蔵も浅野もとまどって、ただこの不思議な女性を見つめた。白い頬がすき透るように燃えている。筆先も、教義も聞いたわけではなかった。けれど一刻を惜しむように、親子は入信を誓う。大本にというより、熾仁親王の忘れ形見と信じ切った王仁三郎の足もとへ、親子は余生のすべてを投げかける。親子自身ですら思いがけない激しい衝動であった。 実は、単身綾部へ参るのでさえ、周囲の人目を忍ばねばならなかった。もともと信仰心の強い親子は、夫・兄・父と続いた身内の死を悼んで本願寺に足繁く通っていたのだ。 王仁三郎の噂をここで耳にした時、同時に大本妖教説も聞かされていた。「大本へ行ったらただでは帰れない。みんな怪しい催眠術でやられてしまう」とおどかされ足止めされた。現人神であられる天皇一族に加わる親子の振舞いは、厳しく律せられねばならない。それが、軽々しくも邪教大本に自ら出向いてとりことなり、即日入信を誓うなど、一族の者が聞いたら何と謗ろう。しかし親子は踏み切ったのだ。貴族としての体面も、姻戚本願寺への義理もかなぐり捨てて。 その夜、教祖出口直に会い、すすめられるままに親子は統務閣に泊まることにした。一汁一菜の食事も大本家族と共にして、嬉しげにくつろいだ。 その座で、王仁三郎は不意に言い出した。「浅野さん、明日から三泊ほどの予定で旅行や。同行しとくれやす。なんなら奥さんも連れて行きなはれ。梅田はん・星田はん・牧はん・村野はんにも電報しといた。やがて現われるやろ」「何事です」「大事な御神業や。行先は吉野山、目的は……山吹の花見とでもしておこう」 東京から二度目の修行に来合わせていた豊本と金谷が口を出した。「ぼくも行きたいな。いけませんか」「山吹の花ならぜひ見たい。どんな山吹か研究に価しますなあ」 金谷のとぼけた言い方に、王仁三郎もにやっとした。まさか三泊かけて吉野まで花見物など誰も信じはしない。が、神界の御用に人間心の詮索は無用だった。「あの……わたくしもお供しとうございます」 そっと親子が王仁三郎を仰いだ。当然という風にうなづく王仁三郎。「三泊ですよ……よろしいんですか」 浅野が驚いて聞き返した。「御迷惑でしょうけれど、足には自信がございます。ぜひ」「それではお宅に電報を打っておきましょうか」「いえ、家には婆やが一人留守しているだけの、至って気楽な身分でございますから」 親子はこともなげに言った。 駆けつけてきた人々で賑う座を抜け、王仁三郎は庭へ下りる。火照った耳元に夜風が快かった。 金龍海の水面に星くずが映っている。王仁三郎はさぐるように夜空を見渡した。「何を探しとられます」 ついてきた湯浅仁斎が、寄り添って天を仰ぐ。「星や。わしの運命を見とる」「へえ、星が人の運命と関係ありまっしゃろか」「地上の人類はそれぞれみな天の星を負うて生まれてくるのやが、多くは暗星やさけ、人の目には見えん。自分のこと、目先の利害ばかりにとらわれ過ぎとる今の世の人間では、光の出ようもないわい。日本人で一等星の大物言うたら、昔は豊臣秀吉、近頃では西郷隆盛くらいじゃのう」「管長はんの星はどれです」「四月の初め頃までは、あの山の端にかかっとったが、冬の星座やさけ今は見えん。もっとも、わしの目にはいつでも浮かんでくる。オリオンの三つ星じゃ」「あ、三つ星……」「そうや。瑞の御霊が千座の置戸を負うて立たれるお姿やで。四隅を封じ込められた形の三つ星……天に描かれた巨大な囚の字形のオリオンが、わしの宿業を語っとるわい」「三つ星が瑞の御霊……するとお供のわしらの星はどれでっしゃろ」「金の砂子みたいな星が、いくつもあのオリオン星座の中に閉じ込められておる。あがないの星たちやで」 仁斎はけげんそうに、「あがないって何の……」「上に立つ神のや。この世の中を、強い者がちの獣の世に持ち荒らした系統のみたまの犯した罪……」 仁斎は星空から目を離し、他のことを言った。「わしにはさっぱり分からしまへんのやが、一体あのお方……皇后さまの叔母さまになると言うような別世界のお方が、何で突然大本に入信しなはったんでっしゃろ」「西と東に別れていた経綸の人を、時が招き寄せたのや」 王仁三郎の暗示めいた言葉に満足せず、仁斎が突っ込んだ。「前からのお知り合いとちがいますか。小久が言うとりましたが、ひどく懐かしがっておられたそうどすなあ」「初対面は確かや。わしがえらい父に似とるいうて、懐かしがっとられた。神さんにつながるより先に、わしの父への慕情から入信しなさった……」「へえ、あの方が、管長はんのお父さん……穴太でとうに亡くならはった人を知ったはるので?……」 仁斎の目は、疑わしげに王仁三郎に迫る。「お前にだけは言うておこう。今日までの二十年間、わしの胸一つに抑えておいたことや。しかし言うとかねば、この先分からぬことがある。どこで誰がわしを見たのか、ある皇族の落胤説が本願寺に流れていたらしい」「落胤説……へええ……」 頓狂な声で、仁斎が叫んだ。「こら、お前はあわてもんやさけ、どんな噂になるか知れん。やっぱり危いのう」「そんな殺生な。言うとくなはれ、その先を。天と地がでんぐり返る大本のこと、めったなことで驚きまへん」 仁斎が王仁三郎の袂にすがった。「つまり、堂上公卿の娘であった大宮守子は、小さい時からその宮さんとは師弟関係で、よう知り合うた間柄やった。本願寺での噂を確かめに大本へ乗り込んできたわけや」「確かめたところが、ほんまもんやった。そうか。すると出口王仁三郎は丹波の土百姓の胤やない。あの人らの仲間の……筆先で言うたら、世に出てこの世をかもうてきた側、わしらが地なら天、わしらが善なら悪の側の……」「そう言うことになるのう」「管長はん、そんな阿呆な。立替えが足下にせまっとるこの時に、大本の管長が、艮の金神を押し込めた側の悪の身魂の系統やと分かったらどうなります。第一、教祖さまやお澄はんはこのこと知っとってんですか」「知らん。穴太の母とわしの他、口に出したのはお前が初めてや」 仁斎は大きく身振いした。「人もあろうに大本のお世継が……教祖さまやお澄はんは騙されとってや。血はもう混ぜこぜになってしもうたあとや。水晶の身魂の直日はんは、どうなりまっしゃろ」「心配せんでもよいわい。世に立つ神と世に落とされた神、天と地の血筋が和合して水晶の種となるのや。教祖はんは知らいでも、教祖はんの神さまはいうとるわい……この者でなけら悪の御用はでけん。天であらため、地であらためて、隅々までも御存じのことや。直日に別条あるかい」 仁斎は無言で後ずさった。「えらいことを聞いてしもた。なんちゅう悪の仕組やろ……。一晩、考えさしとくれやす」 泣声をしぼり出し、仁斎の姿は夜の庭を走り去った。 ――これがわしの星や。宿命や。いつかは囚われて、わしの体に流れる父の血をあがなう時が来るのや……。 立ち尽くす王仁三郎の黒髪に、肩に、夜空の星たちの青い光が冷たく降り注いでいた。
 翌四月二十四日朝、綾部駅を発った十一名の男女一行は、京都駅の人込みで、たちまち衆目を集めてしまった。一行中女性は三人、細面に気品の漂う鶴殿親子(大宮守子)、三十余のすらりと伸びたなよ竹の風情の浅野多慶、五十近い肉づきのよい小柄な婦人は星田悦子、それぞれ華やいだ若い時代は過ぎながら、まだ振り返って見られるほどの残り香は持っている。 しかし、人々の奇異の目は、女性を離れて、どうやら一行中の八人の男性、そのうちでも長髪連に向かって、より凝らされる。わざわざ小走りに前へ出て、振り返って眺める者もいる。つい四、五十年前まではいがぐり坊主やザンギリ髪が話題を呼んだことなどけろっと忘れて、伸びるべき髪を素直に伸ばしただけの頭を、さも奇妙そうに盗み見るのだから、世の中は分からない。 肩に広がる天与の豊かな黒髪、どっしりした頑丈な体格、美男とは言わぬまでも人品卑しからぬ異相の持主出口王仁三郎、容貌も口髭もハイカラ、金縁眼鏡もインテリ風だが、半のびにのびて襟をうずめる頭髪ばかりが非現代式な浅野和三郎、肩先近くまで伸びそろった頭の毛を後へなでつけ、若旦那然と懐手、のべつ幕なし巻煙草の煙を吐いている梅田信之、あご髭・頭髪共に春風にそよがせた力士小常陸を更に小型にしたような村野龍洲、のびかけの髪をようやくつまんで、チョコンと結んだ後ろ姿は可愛らしいが、前に回れば角型面長八文字髭、四十余りの屈強の大男秋岡亀久雄、その脇には小粒でぴりりとさびの効く半白頭の豊本景介、村長然とした着流し姿の牧寛次郎、只一人の洋服男は洋行帰りの採鉱技師金谷謹松、しかしズボンの上には脚絆草鞋という物々しいスタイルである。 京都駅の二階の食堂で昼食をとり、午後二時再び車中の人となって、日暮れ近く吉野駅に下車、桜吹雪の吉野山を横に見て、上市まで俥を走らせる。上市の旅亭で一夜を明かし、翌二十五日朝から吉野川沿いに奥深く進み入った。 五台の俥には三人の女性、二人の長髪族、あとは徒歩連で車上組を柔弱党と称して嘲った。先頭の俥には道案内の王仁三郎、次の俥が鶴殿親子、一里また一里と深まる山河、屈曲した清らかな流れの上を岩々の間を縫って、長さ一丁にも及ぶ筏が巧みに筏夫にあやつられて下ってくる。 杉と桧のほの暗い密林を抜ければ、散りかかる八重桜、岩山に転々と紅を彩る山つつじ、今を盛りの山吹の花、峰々の傾斜地を開いて思いもよらぬ天辺に現われる鳥の巣のような人家など……時折、俥上に振り向く王仁三郎と親子は微笑み交わす。 初めて逢うたなりで、行く先も定かならぬ旅に出た。今までの親子にはなかったはしたなさであり、冒険であろう。それでもいい、どんな非難をも甘受して、親子はこのまま地の果てまでもついていきたいと願った。 七里の山道を走り続けて、夕方柏木の旭月旅館に着く。怪気炎を上げて強がった徒歩連も、さすがに山道に慣れた俥夫たちには差をつけられ、ほぼ一時間おくれて辿り着く。 王仁三郎は礼儀正しく親子を立て、自分は一段下がって親子に仕えた。それは、親子の知っている、よそよそしい儀礼ではなかった。情の通ったさりげない心遣い、細かくゆきとどいた神経が、親子の心を暖めてくれる。 けれども親子は人目のある公の場と、二人きり、あるいは内輪者だけとの場を、おかしいぐらい立て分けていた。私的な時に、決して王仁三郎の上には坐らなかった。熾仁親王の御子に接する態度で、親子は侍女のように振舞った。その方がずっと嬉しそうに。王仁三郎もそれを受ける。ごく自然に、鮮やかに立場がすりかわった。 暗黙のうちの約束ごとか、楽しい芝居のように、この二人の関係は最初から最後まで守り続けられていくのだ。 柏木の宿で一夜の安眠を買って、一行は日の出と共に出発した。俥も入らぬ細道を吉野川の左岸にとって、更に深くわけ上がっていく。地図一つなく、案内人一人雇わずに、王仁三郎は先頭に立つ。吉野川の奥深くにひっそりと鎮まる八幡の古い社が、二十年も昔から王仁三郎の霊眼に映って仕方なかったのだ。山吹の黄金色に咲き乱れるその神域を、一度実地に踏んでみたかった。 左右は岩山、数十丈の断崖が、谷川をはさんで屹立する。人家は絶えていた。種々の岩窟が、あたりに散在していた。吉野行者の古い行場、役の小角の伝説を持つと言う。王仁三郎はあたりの岩面に付着した苔に目を光らし、金谷技師を呼んで、この種の苔と鉱脈との関連などを一くさり講釈している。南朝の恨みも深い吉野山は、また金峯山の名もあるように、金鉱脈の花ざかりなのかも知れぬ。 王仁三郎は、親子の手を引いて崖をよじり、野蕗の茂った細道を伝い歩いた。一里半、ようやく目的の地八幡社に着く。寂莫とした境内には、ところ狭いばかりに山吹のみが咲き溢れ、草深い石垣下を蛇が這っている。 一行は谷川で口をすすぎ、手足を清めて神前に祝詞を奏上、更に浅野が石笛を吹き鳴らし鎮魂に入った。王仁三郎・梅田信之・村野龍洲は、たちまち感合して何事かの神示を得る。もう一人、鶴殿親子が初めての鎮魂で早くも霊眼を授けられていた。恍惚として流れる涙をも拭わず、親子は忘我の境をさまよった。 ここでの神示の内容は、いずれも伏せられたまま伝えられてはいない。その夜は再び上市の宿で夢を結び、翌二十七日、京都着、四泊を重ねたこの旅と別れを惜しんで親子は一人、西加茂の邸へ戻って行った。 『神霊界』六月号 大本通信 四月下旬から五月に掛けては、大本の内部に至重至大なることが陸続として起った。何れも十年も二十年も前から「神諭」中に示されてあった事柄ばかりであるが、時節が来ぬ中は何のことやら明白には人間には分らなかった。それがいよいよ天運循環、大正六年もすでに幾回か月を重ねて、萌の萌なる六月が眼前に切迫して見ると、俄然神界の御活動が峻烈となり、それが直ちに現界にも出現して来た。(中略) 四月二十三日旧三月三日は大本に取りて大に記念すべき日であった。待ちに待たれた三月三日――月日は前から分って居たが年は不明であった。が、いよいよその日が到着して見て、それが大正六年の三月三日であるという事が会得された。神人両界に跨る所の一大事、後になったら天下の一大記念日であろうが、今日では詳報が出来ぬ。ただ西と東に立別れた仕組の人の現界に於ける結合であるということを書くにとどめる。                                                                                                                                                                                                                                    
表題:豪傑天狗  11巻9章豪傑天狗



 五月八日には、法学士小森雄介が東京から参綾した。秋山・岸・豊本らと同じ天然社組の一人である。小森は薩摩の殿さま島津公の家老の子であり、東京帝大法学部の出身。かつて某大臣の秘書官を勤め、大会社の重役にもなった。政界の裏面にも力を蓄え、財閥との縁戚関係も深く、多彩な社会的経歴を有する。 夜九時頃から、例によって金龍殿で鎮魂。二本の蝋燭は、四十八畳の真中に対座する二つの人影を淡く浮き出させる。 石笛がなり出して十分後、小森は閉じていた目をかっとみひらき、眼鏡越しに審神者の浅野を睥睨し始めた。組んでいた両手を解いてズボンの両膝に突き立て、両肩をいやが上にも聳えさせて、口元に一種の豪傑笑いすら漂わせる。審神者の誰何には一言も発せず、まるで「お前など眼中にない」といった態度である。 外は激しい雷雨となった。燭台の灯が心細くゆらめく。再三問答を促してもいぜん黙殺、たまりかねて浅野が一喝食わした。「ばか」 すかさず相手はおうむ返し。「ばか」 これで言語障害の憑霊でないことが証明できたが、後はまた不気味きわまるだんまりである。口を切れば道理で責め、乱暴すれば霊縛もできるが、黙って威張り返っている奴には手の施しようがない。このまま憑霊に翻弄されっぱなしで中止するのも審神者の自尊心が許さぬ。 ――よし、野天狗め、向こうがその気なら一つ睨み倒してくれよう。 浅野は覚悟を決めて、ぐいと一膝乗り出した。相手も負けじと、目に光を増す。眼鏡と眼鏡、洋服対和服の物凄い睨めっこになった。耳をつんざく雷鳴、煌めく稲妻、夜陰は刻々更けていく。 三十分たったであろうか、小森は体を震わせ始め、大きく吐息すると、突き飛ばされたように転倒した。「どうもとんだ失礼をしました」 我に返って、小森は起き直った。「何かが僕を蹴り倒して逃げて行きましたが……」 常識では解しかねる今の現象に、小森は深く考え込んでしまった。 二度目からはもう豪傑天狗の発動はなく、正常な鎮魂状態になっていた。 小森は五月十七日まで滞在してひたむきに大本教義を研究し、入信の上、帰京する。 五月十七日には貴族院議員の子爵水野直が来綾し一泊。さらに六月三日には夫人を同伴、夫妻とも鎮魂を修した。また六月十一日には岩下子爵来綾、十五日まで滞在。いずれも面白い発動があったらしいが、詳細は伝えられていない。 六月三日に来綾して一週間滞在した海軍の飛行家難波大尉の場合、珍無類な発動状態を示し、見物人を喜ばせた。口を切ると何もかも無遠慮にペラペラ喋り、両手を翼のように広げて煽りながら、くるりと頭で逆立ちする。名前を聞くと、「ピーヒョロロ」と、本物の鳶も驚くほど巧妙に喉を鳴らした。 山本英輔海軍大佐の来綾は、六月九日であった。春頃に、神田駿河台下の病院に入院中の秋山真之を見舞い、大本行きをすすめられたのである。六月十日に大阪朝日新聞社で欧州大戦の講演を依頼されたのを奇貨として、一日早く東京を出発して、大本を訪れた。 例によって鎮魂が行なわれたが、この時の状況は、山本も浅野もそれぞれ自伝に書き残している。浅野の発表は山本の生存中の大正十年のことであり、山本の発表は浅野の死後もずっと後年の昭和三十二年のことだから時期的に大きな隔たりがあるのだが、神主と審神者との受け取り方の微妙な食い違いぐらいは比較できよう。
 山本英輔著『七転び八起き智に勇』(昭和三十二年十一月一日発行)より転載。 ――座敷に通されると、当時大阪の某旅館の女将と言う夫人が接待に務めた。しばらくすると王仁三郎が出てこられたので初対面の挨拶をなし、且つ訪問の動機目的などを一通り物語った。 すると王仁三郎おもむろに口を開いて、神界の模様を語り始め、「今に世界の大掃除、世の立替えが始まる。その神業に参加せる人々は何十名ぐらい予定されて居る。これらの人はこちらから招かずとも自然に集まって来る」と述べた。 そこで私は心ひそかに、「甘いことを言うな。人心の機微をつかみ、己惚心を利用しているな。政界の名士連は、我れこそその一人と己惚てやってくるだろう」と考えた。 また、世界の動乱が起きて日本がその領土を半分占領されるようになるなど、色々話された。そこで私は反問した。「神さまがそんなに未来のことがお分かりになって居らるるならば、そんなにならぬ様にお助け下さるのが神さまのお慈悲ではないだろうか」と言えば、「なかなかそう簡単には行かぬ。世の中には善神があると同時に悪神がある。今の世の中は悪神が大いに跋扈しているので、善い神さまが救いたいと思われてもそれが出来ないのに、日本国民が早く自覚して改心すれば、ドン底に陥らない前に救われるけれども、改心しなければどうにも仕様がない。結局ドン底にまで落ち込むより外に方法がない」と言われた。「それなら、これは仕方がないとして、日本が世界を相手として戦い、領土の半分もとられると言われたが、それで日本は滅びるのか」と問えば、「否、そうではない。敵艦隊が駿河湾の辺に押し寄せた際、神風の為め海上大いに荒れ、敵艦隊は覆滅する」と説明したので、私は、「不賛成だ」と述べ、「今の話は、あたかも元寇の役と同じではないか。日本に国難がある度毎に神風が吹いて敵艦隊が全滅するならば、日本には国防は要らぬと言うことになる。国難の度毎に神風が吹いて敵艦隊を屠ると言うことであれば、国民は国防に骨折らずに枕を高うして寝て居ればよいと言うことになる。自分は海軍将校で国防の第一線に任ずるものだから、今のお話には賛成できぬ」と主張した。「日本が世界を相手として戦うようになるのは、何処から起こるのか」と問えば、「それは支那問題からだ」と答えた。 後年、満州事変が勃発したとき、日本の風運急を告げたので、往年の王仁三郎の言うことを思い出して、愈々的中したかと考えたぐらいであったが、その時は大事に至らずして無事済んだので、やれやれと安心した。次に日支事変が起こったが、それがとうとう世界大戦への導火線となったので、今から振り返って見ると、この予言は的確に的中し、敗戦の結果、日本の半分を失った。 当時シベリア出兵中であったので、「これはどうなるか」と問えば、「ずるずるべったりになる」と答えたが、シベリア出兵の最後を見ると、いわゆる龍頭蛇尾に終り、参謀本部の作戦課長大竹大佐等の最初の豪語に似ず、最後は旗を巻いてコソコソ撤兵引揚げとなったところを見ると、やはりズルズルベッタリになったと思う。 それから王仁三郎は私に向かい、「一つ霊動を試みて見ましょう」と言い、両手を組み合わせ剣先の如き形となし、「左の人差指から父方が天の無窮に達し、右の母方に帰り、右の人差指に通うのだ」と説明し、私は瞑目端座して、剣先を胸に捧げ、王仁三郎は傍らにありて、「ヒト、フタ、ミー、ヨー、イツ、ム、ナナ、ヤー、ココノ、タリモモチヨロツー」と日文を唱え、時々石笛をピーピー吹けば、霊動直ちに起こる。 これを見て、「あなたは大変よい霊動が起こる。一つ神殿に行って本式に鎮魂をやって御覧なさい」と言われ、浅野和三郎を呼んだ。 私は浅野和三郎に導かれて、広壮なる金龍殿へ行った。その神殿に端座し、先刻の如く両手を組み合わせて剣先を作り、胸前に保つ。浅野は私の左前に横向きに端座し、日文を唱え石笛を吹けば、たちまち霊動が起こった。 霊動が起こると、審神者たる浅野は、静かに口を開いて問うた。「五十歳の男に宿って居らるる守護神はどなたですか」 私はこの問に対し、如何なる答えが出るのかと思うていると、大声を発して、「スサノヲノミコト……」と怒鳴るや否や、両手を組んだまま、あたかも敵人に突進する如く、前方に切って切って切りまくり、前進するかと思うと今度はクルリと振り返って、今度は今までの後ろの方にエイエイ声して鋭く切り込む。或は右を突き、或は左を突き、縦横無尽に前後左右に飛び回り、切りまくる。あの広い金龍殿を所狭しと立ち回った勢いは凄じいものであった。あたかも十重二十重に取り囲まれた敵の重囲に陥り悪戦苦闘するような有様であったので、私は将来戦争において敵の重囲に陥って難戦する運命を荷うて居るのではないかと感じたが、やがて予は口を開き、ドモリの発音の如く、「ナナナ……イイイ……カカカ……」と言うふうに、連発一連の言葉を発した。 そのドモリの如き重畳せる音の一つずつを並べてつながりを見ると、ナイカクソウリダイジンとなる。私は軍人であるから難戦苦闘するのも当然であり得べきことと肯定するも、この文句は全くお門違いの文官の名称であるので、そんなことがあるものかと否定こそすれ、全く想像だもせぬことで、不思議の感に打たれた。 この騒ぎが何時果つるであろう、どうしたら終止符が打てるであろうかと考えているうち、忽然として左斜上方に約一尺位の直径の紅い盆の如き形でドンヨリとした太陽が現われたので私の活動は瞬間に静まり、手を合わせて平伏し、「畏けなや、天照大神」と伏し拝んだのである。 そこで審神者たる浅野は、近くへ来い、と言われるので瞑目し、両手を組んだままそのそばに進み行き坐ると、そんなに乱暴してはいけぬ云々と説諭された。私は催眠術の暗示のようだなと感じ、割合に下手だなと思った。この時、説法が上手で私を感心させたら、私は大本教の信者になったかも知れぬが、余り感心しなかったから、大本教の訪問はこれが最初であり、最後であった。 この夜十一時より一ぺん神前に連れて行かれ鎮魂をやったが、別段のことはなかった。 かくて二時間ばかりの滞在で行った綾部行きも、とうとう勧められるままに大本教の本部に一泊することになり、翌朝辞して大阪に赴いた。 鎮魂中の発言は予言の如きものだが、これは私の死ぬまでの経歴を見なければ適否は分からぬ次第なるが、昭和十一年二月、二・二六事件のとき一寸これが仮決定となり、新聞にも発表されたるが、これは幻の如く消え去った。その時、重臣達のスイッチのひねり方が反対であったため、一瀉千里の勢いで日支事変、世界戦争へと引きずり込まれ、未曾有の敗戦となり、無条件降伏となったが、しかし神国日本として神の妙縁なる経綸があるならば、最後に本物が出現して、隆々たる日本の雄姿を示すであろうと、期待して居る次第である。
 浅野和三郎著『冬篭』(大正十年七月五日発行)より転載。 ――例により一応の説明の後、自分は山本大佐を、金龍殿に伴れて行った。打ち見るところ背丈は低いが、いかにも、ずっしりした頑丈な体格をしており、言語応対もハキハキした人物でさすがに海軍部内の秀才と謳われただけのことはある、と思った。鎮魂の席についたのは、午後一時前後であった。無論一人対一人、全部の障子襖を閉め切り、見物人などは一人も入れなかった。型の如く姿勢を整え、神笛数声、早くも山本さんは発動状態に移ったが、自分は格別の事があろうとは夢にも思わず、むしろゆったりした気分で、口癖のようになって居る質問を発した。「どなたですか? 御名をうかがいます」 言葉未だ終わらず、天地に轟くばかりの大音声で、「素盞嗚尊」と叫んだと思う瞬間には、モウ山本大佐の頑丈な肉体は、大砲の弾丸のように自分の身体に打ちかけて来た。間髪を入れざる、とっさの出来事で、耳にも目にもとまらばこそ、むろん体をかわすどころの騒ぎでなかった。 今から当時の事を考えて見ても、大佐がどんなふうに飛びついて来たか、又自分がその際何をして居たか、到底分からない。「オヤッ」と思って気がついた時は、すでに、山本大佐の身体は、自分の袖を掠めて、三尺ばかりも背後の方に飛んでいた。思うに大佐の身体は、自分の組んだ手端四、五寸の所まで迫り、其処で急に四十五度位の角度をなして、左にそれたものらしい。これなどは、全然審神者に対する神の御加護で、人間の工夫や努力で免れ得る望みの絶無であるは言うまでもない。 自分はびっくりしながら、大佐の方に方向を変更する隙もあらせず、もう洋服姿の大佐はハッと立ち上がった。そして組んだ両手を引き離そうと、二、三度試みる様子であったが、とても離れぬと観念するや否や、組んだままの両手を真向うに振りかざしながら、「エーヤーッ!」猛虎の狂うような勢いで、自分の頭部を望んで打ち込んで来た。「大変な事しやがる」と自分は一旦はひと方ならず驚いたが、神の試練は此処ぞと、漸く下腹部にウンと力をこめ、端座の姿勢を取ったまま、じっと大佐の方を睨みつけた。イヤその時の気分! 大佐の拳固! ピューピュー風を切って打つは殴るは、しかし、一、二寸の所迄迫るだけで、どうしても自分の頭部には当たらない。「もしただの一個でも打たれるなら、自分に審神者の資格がないのである。その時は潔くこの職を返済するまで」と、自分の心の臍を固め、思いきって両目を閉じてしまった。「エーヤーッ!」 掛声とともに大佐の拳固は頭部を掠める、その度毎に風は当たるが、しかしただの一度も拳固は当たらない。何しろ、不意に起こった大叫喚大騒動であるので、さすがに物に動ぜぬ部内の人々も駆けつけて、障子の隙から見物したが、暴れ狂う洋服姿の神憑者と目を瞑ったままの審神者の様子には、いささか驚き呆れた模様であった。この状態は、十分、二十分と続いた。そろそろつかれて中止しそうなものだ、と待って見たが、大佐の体は鍛えた肉体で、容易に疲労の色を見せない。またこれに憑依して居るのは腕に覚えのある天狗の豪の者で、これもあくまで負けじ魂を発揮して居る。両々相俟って、容易に屈する色を見せない。際限がないと思ったから、とうとう自分は大神さまに祈願した。「乱暴な天狗さんで、私だけの手には余ります。なにとぞ神界からの御援助を仰ぎとうござります」 この祈願はただちに神界の容るる所となった。そしてここに無類の活劇の幕が開かれた。審神者の請求もだし難しと認めらるるや、神界からはただちに眷属の天狗さんと龍神さんとを差向けてくだすった。 今しも山本大佐の憑依せる豪傑天狗が「エーヤッ」の掛声すさまじく、自分の頭を目がけて、拳固を打ちおろさんとする一刹那、突如として左手から突撃したのは同じく天狗は天狗ながら、天狗さまの御眷属として幽界にその名を馳せつつある中峰天狗であった。 思いもかけぬ助太刀に豪傑天狗もいささか驚きあわてたものと見え、忽ち自分を打ち捨てて、鉾先を其方に向けた。二打ち三打ち、打ち合うと思う間もなく、右手の方からもまた一人の天狗さんが現われて切先を向けた。大抵ならば左右の大敵と見た丈でひるむべきだが、山本大佐の守護の天狗は、余程きかぬ気の腕ききと覚しく、たちまちこれとも渡り合った。講釈の文句ではないが、右に当たり左に転じ、四十八畳敷の金龍殿裡を駆け廻りつつ、死物狂いの奮闘を続けた。 こうなると、自分の方は呑気なものだ。モウ身構えの必要も何もない。すっかり鎮魂の姿勢を崩してしまって、腕をこまねいて三巴と入り乱るる三天狗の戦いを見物するばかりであった。 この格闘が一時間経っても終わらず、二時間過ぎても引き続いたのは、驚嘆に余りあった。天狗さんの勢力を持続するのは、まだよいとして、天狗さんに使われて居る山本大佐の体力の飽くまで消耗困憊の色を見せなかったのは、殆ど不思議なほどであった。二時間以上にわたりて組んだ両手を間断なく振り回し、また大きな声で間断なく「エーッヤーッ!」と呶鳴り続けた。自分は過去五年間の間にあれくらい根気よく、ねばり強く抵抗を試みた天狗と人間を見たことがない。たしかに一方の雄たるべき十分の素質を具備していると思った。 しかし、さすがの豪傑も、最後に龍神さんが活動を始めるに及んで、とうとう兜を脱ぎかけた。時分を見計って、龍神さんはするすると相手の脚下を窺ったのであった。「ウワーッ!」 大悲鳴を上げて、山本大佐の頑丈な肉体は三尺ばかり飛び上がった。そして今までの元気はたちまち失せて、いかにも薄気味悪そうにタジタジと後ずさりを始めた。龍神さんは面白半分にまたもスルスル接近するので、その度ごとに山本大佐の肉体は何べん飛び上がったか知れぬ。「ヒャーッ!」 最後に情けない声を出すようになった。こうなっては、最早試合どころではない。とうとう金龍殿の右手の隅の太鼓の側にペタリとヘタ張って、しきりに叩頭をし始めた。自分は十分豪傑天狗の油を搾って置こうと決心し、坐ったままで呼びつけた。「叩頭をするのは帰順の意を表するものと認める。苦しうない。元の席について貰いたい」 山本大佐の肉体は立ち上がった。そして暝目したまま、少しも方向を誤らず、戻って来て、審神者を隔たる約三尺の元の位置にピタリと座った。「貴下の態度は余り感心できぬ」と自分はおもむろに訓示を始めた。「不肖ながら大本の審神者として、貴下が天狗であることは最初から分かって居た。しかるに貴下は勿体なくも、大神のお名を騙り、あまつさえ理不尽にも腕力沙汰に及んだ。その手腕の冴えは確かに認める。封建時代でもあらば五百石位の価値はあろう。しかし剣は一人の敵(を倒すのみ?)、神政成就、世界統一の御神業の間に合わぬ。それしきの力量を頼んで、大本の審神者に向って打ってかかるなどは余りに児戯に近い。貴下の気概には感服いたすが、野武士的の自由行動は今日限り止めて戴きたい。遺憾ながら御神業の間には合いません。守護神としても、また人間としても踏まねばならぬ事柄は、明治二十五年以来、神諭の中に繰り返し繰り返し教えられて居る。即刻生まれ赤児の精神になり、御神慮を奉戴し、この優れたる山本氏の肉体を機関として、十分の働きを発揮して戴きたい」 他にも色々耳に痛い文句を並べ立てたが、豪傑天狗もよほど先刻来の荒療治が身に沁みたものと見え、徹頭徹尾謹慎の態度を持続し、一々自分の言葉に対してうなずいていた。「御苦労でした。お引き取りを願います」と言うと、山本大佐は長い夢から覚めたる如く、初めてハッと目を開いた。鎮魂を開始してからその終結まで前後約四時間ばかり、座を立った時は日は全く暮れて、金龍殿の内は真暗くなっていた。晩餐後再び鎮魂したが、懲りたものか、守護神はモウ発動しなかった。 その後、自分は山本大佐と一度も面会の機会を持たぬが、あれぐらいにやっておけば、あの守護神の性行上に確かに顕著な効果があったに相違ないと、確信して居る。


表題:東京大地震 11巻10章・東京大地震



 六月十四日、秋山真之少将が綾部に現われた。初来綾が昨年の十二月十四日だから、ちょうど半年ぶりである。 秋山はこの春健康を害し、重い盲腸炎にかかって、一時は危篤を報ぜられた。ところが奇跡的に一命を取り止め、数日前退院したばかりである。 その病み上がりの身で、丹波まで出て来たのには、理由があった。「手術の後でどうしても大便が出ない。医者はひどく気を揉んでいましたが、ぼくは折よく見舞いにいらした鶴殿親子さんから大本のおひねりを頂戴しましたからね、なあにこれさえあればと、他の薬は飲んだふりをして捨ててしまった。おひねりさんをのどに通して一昼夜たたぬ間にガスが出る、通じがつくで、ふくれていた腹がぺしゃんこになった。それっきりです。殺せば損と思えば、神さんはお見捨てなく助けて下さるものとみえます」 大八洲神社の境内の野苺などを食って、元気なものである。「こんなことをすると、医者はやかましく言いますがね、うん、これはうまい」「ほう、鶴殿さんを御存じで……いまは東京ですか」と浅野が訊く。「御実家の甥御さん、つまり醍醐忠重君とぼくとは海軍仲間ですからね。忠重君が結婚するので、しばらく東京に帰っておられるようでした。あのお方の大本への惚れ込みようも、実にたいへんでしたよ」 盲腸炎の回復が、神力の加護についての秋山の信念を、ますます深めたようであった。 綾部での二泊を、秋山は寸刻も無駄にしなかった。王仁三郎や浅野をつかまえて、神霊問題を鋭く追求した。 二、三度、浅野の審神者で鎮魂する。手応えは早く、すぐに口を切り、また霊眼も開けた。『神霊界』発表の神諭を真剣にむさぼり読んだ。秋山の鋭敏な頭脳には、世界の人心の頽廃と日本の危機が分かり過ぎるほど分かっている。筆先の「立替え立直し」の警告がひしひしと思い当たる。 何人も斥候を放って大本の内情を偵察し、大本への認識は充分であっただけに、その信仰の燃え方は激し過ぎるほどであった。激越な口調で、現代の風潮を罵倒した。 十六日に綾部を辞し去る時、秋山は浅野の手を握りしめて言った。「人間がほとんど獣の心になっておると言う端的な筆先のお示しは、まさにそのままだ。放っておいてはロシア革命の二の舞も演じかねない。まず上流から自覚させ、大洗濯にかからんことには、下々の幸福なんぞあり得ない。幸い、ぼくにはこの方面に便宜がある。東京へ帰ったら、早速上流社会の覚醒に乗り出すことにしましょう。浅野さん、東京へ来られたら、ぜひぼくの所へ来て力を貸して下さい。大いにやろうじゃありませんか」「行きましょう。近いうちに東上りをしなければならぬと言う予感が、しきりに兆していたところです。待っていて下さい」 二人は、白熱した眸をぶつけ合った。 綾部には、浅野を訪ねて来る客は引きも切らぬし、『神霊界』の執筆やその他の用事が待ったなしで浅野を追いかけていた。東に生まれ、東に住み、趣味・感情・気分・習慣の末まで関東人であり、老いたる父母も東にいるから、心の底で東を慕わぬわけはない。が、東のすべてにそむいて西に移った以上、ただでは東へ戻らぬと言う意地がある。しかし秋山真之少将のたっての望みとあらば、浅野の面目も立ち、血肉も躍った。 秋山が去って三日後、浅野は待望の神示を得た。「明日、東京へ向けて発て」 神前に伏したまま、しばし武者震いを押えかねていると、背後から遠慮のない声がとんだ。「浅野先生、僕もお供することになりましたから、よろしく……」 驚いて振り返った。篠原国彦海軍大尉が、この頃たくわえたあご髭をしごきながら笑っている。「馬鹿言い給え、お供って何のことだ」 ぎくっとしながら、浅野が睨んだ。「怒っちゃいけません、僕だって不意打ちで面喰ってるんですから。とにかく例のが、僕の腹の底から怒鳴ったんだ。『篠原、今度は浅野について東京へ行け』とね。どうも肝川の龍神さんは足まめで困ります」 そこまで見抜かれては処置なしである。篠原がこぼすのも道理、天狗に代わって篠原に憑いている肝川の龍神はしばしば発動し、篠原を追い使った。篠原の肉体を肝川に連れ出し、山の中を一日ほっつき歩かせたり、東京・横浜・横須賀などを凄い速度で引っ張り廻した。急所の睾丸をつかまえて号令かけるのだから、否応なしである。この頃ではさすが強情の篠原も観念して、急所をいじめられる先に言いなりになることにしていた。「龍神さんの命令なら、いたし方なしだね」と浅野も苦笑した。「ついでに秋岡はんも連れてきましょうや。東京行きを羨ましがってましたから」 浅野の守護神による命令とは言え、大本を勝手に留守には出来ない。東上の準備を終えてから、浅野は王仁三郎にその旨を告げる。王仁三郎は、しばらく無言で頬の筋肉を緊張させた。「くれぐれも行き過ぎのないよう。今度の御用は、よほど腹を締めてかからねば大変なことになる。行ってほしくはないが、その意気込みでは止めても無駄やろうなあ」
 六月二十一日の朝、浅野和三郎・篠原国彦・秋岡亀久雄の三人は、東京停車場へ下車した。三人とも和服に袴、秋岡は髪をちょこんと結び、浅野は細紐で鉢巻をしていた。いずれも半のびの髪を扱いかねての工夫である。 その足で、四谷信濃町の秋山の居宅に直行した。数日前に別れたばかりの秋山は、玄関まで喜んで出迎えた。「やあ、よくいらっしゃいました。実はぼく一人で少々心細く思っていたところです。これで思い切ってやれる。家内があいにく病気でおかまいもできないが、まあ辛抱して下さい」 秋山は一人で呑み込み、女中に八畳間を片づけさせて浅野たちの部屋とし、心からの歓待を示してくれた。 奥座敷には伊勢の大神宮を祭った神棚がある。三人は真っ先に神前に坐して、敬虔に祈りを捧げた。 秋山が中座すると、秋岡が面長のいかつい顔をしかめて神棚の一方を見上げた。「浅野先生、こんなことで、よろしおまっしゃろか」 浅野も暗い目になって、首を振った。一方には、ある稲荷の祠が祀ってあるのだ。意外であった。豊本景介の目耳鼻を患わした王子稲荷の例が思い浮かんで、胸に不安の影のさすのを禁じ得ない。秋山の宗教遍歴の一端を垣間見るようである。 鰯の頭も信心式に空虚なものを有難がる迷信は、馬鹿らしいだけでさして弊害はない。しかし真の恐るべき迷信は、邪神邪霊界に祈願をこめ、その利益を得て知らぬうちに捕虜となることだ。性悪なあばずれ女に引っかかって一種の腐れ縁を生んだように、手を切るのは容易ではない。 ちょっとした目先の御利益に引きかえて、目に見えぬ害毒は自己の生存中ばかりか、死後の霊魂にも、子々孫々にも及ぶ。さらに始末が悪いのは、あれもこれもとかけ持ちで信じること、邪霊同士の暗闘をも起こしかねない。被害にあうのはいつも信仰者の側である。 数多くの審神者の体験から実例に接する浅野は、そう信じるようになっていた。が、今それを直言しても、反撥を買うだけであろう。秋山ほどの人だ、いずれその錯誤に気づいてくれよう。「血の道で、家内は永らく患っているんです。いっぺん、鎮魂してやってくれませんか」 秋山の申し出を受けて、浅野はすえ子夫人の病室を見舞った。夫人は膝をかき合わせて蒲団の上に坐り、互いに初対面の挨拶をかわす。三十六歳と言うから、秋山より十四も若い。十二歳を頭に、五児の母である。病中でありながらさして面窶れも見えず、肌も白くて美しい。 しばらく大本の話をした後、鎮魂にかかった。五分とたたぬうち、夫人は発動し始めた。その状態を見て、いささか驚きもし、気の毒にも感じた。夫人の心身を占拠して根深い婦人病を患わせているのは、明らかに良からぬ憑霊の仕業と、浅野は直観した。神経過敏の病人のことであり、か弱い体をいたわって早々に鎮魂を切り上げる。 座敷では、秋山を中心に秋岡・篠原が盛んに気焔を上げていた。鋭い目で、秋山は入って来た浅野を見た。「僕は、立替えの時期が切迫していると思えてならんのですよ、大本教祖のお年は、もう八十二の高齢でしょう。教祖さまも肉体をお持ちである以上、やはり寿命というものがおありだ。教祖さまの御存命中に立替えがあるとすれば、そう遠いうちではない」「同感です。僕もそれを信じればこそ、すべてを放擲して綾部生活に入ったのです」「だから、皇道大本の存在と使命のおおよそでも、日本の要所要所に知らせるのが焦眉の急です。まず大正六年前半期の『神霊界』の合本を配ろう。ここに六部ある。四人で明日から行動するとして、まずさしあたって……」 秋山は、てきぱきと数人の政府顕官の名を上げた。その一人でも正しく大本を認識してくれれば、確かに国内の各方面にかなりの影響力をもつに違いない。しかし、焦り気味の秋山の様子に、ふと出発間際の王仁三郎の言葉がひっかかる。 浅野はしばらく考えてから言った。「ひっぱりに行って下さるなと言うお筆先の一部が、僕には気にかかるのです。先方からの招待なしに、本部から来た者が押しかけて行くのは不穏当じゃないでしょうか。なんだかもどかしいが、僕はあくまで受身でいたいと思います」 ちらと篠原の表情を見ると、龍神さんはおとなしく浅野の説にうなずいている。 秋山も呑み込みが早い。「それはそうだ。天下の大本が富山の薬売りみたいに、請われもせぬのに押しかけるのは面白くない。あなた方はここで悠然と構えていて、訪ねて来る者を改心させてやって下さい。斬り込み隊長は、僕がつとめます。政界に顔のきく小森君に同行願いましょう。車は岸君のを借りればよい」 手配は迅速にすまされた。 翌二十二日、運転手つきの岸一太博士の自動車が、入信ほやほやの小森雄介を乗せて秋山邸に着く。話を聞いて用心深い小森は多少躊躇したが、秋山の舌鋒は拒絶の余地を与えない。「説明は僕がするし、あなたはただ一緒に行ってさえくれればよい。二人の方が都合のよいこともあるでしょう。私のためにするのではない、天下国家のためにするのです。なに、気がねなどありますものか。さあ、すぐに出かけましょう」 二人の訪問先は、当時の事情をはばかって、某々顕官と記されているのみである。 留守中、浅野は、すえ子夫人の二回目の鎮魂をした。半ば恐怖、半ば反抗の気配を示しつつ、憑霊は口を切り、問いに答えて喋り出した。浅野はこの時になって秋山一家を握る憑霊群の底深い意図を知ったのだ。 秋山がある稲荷を迎え入れたのは七、八年前のこと。その後、稲荷は力相応の守護を秋山家に与えていたが、昨年の暮、秋山が大本に初参綾してから態度を豹変した。顕幽両界の立替え立直しを叫び、恐ろしい大審判の日の接近を告げる艮の金神などに、社会的影響力の強い秋山が入信しては、一大事である。次々と放った力ある斥候たちも、すべて大本の捕虜となって帰って来る。大恐慌を来たした。稲荷界では、更に強力な後楯を請い、ある邪神界と結託した。 どうでも秋山の大本信仰を突き崩し、破滅させねばならない。彼らも必死になって知恵を集め、作戦を立てた。 復讐の第一段として、まず秋山を盲腸炎にかからせ、命を奪うつもりだった。が、秋山の信念が固く、さらには大神の守護も加わって、秋山はこの危機を切り抜けてしまった。第二策としてすえ子夫人に憑依し、持病の血の道を悪化させるのだという。 夫人に憑いたこの稲荷だけならまだしも、背後には邪神界の頭目が控えていて、浅野の審神者に屈服しようとしない。力限りの説得にも狂乱する一方である。すえ子の病身を気づかって、今度も途中で鎮魂を中止せねばならなかった。 やがて秋山と小森が帰って来て、一同は奥の間の紫檀の大机を囲んで報告を聞いた。「相手の度肝を抜いてやりましたよ。天下太平をきめこんでいた奴らも、これで惰眠をむさぼっている時節でないことが分かってくれたでしょう」 昂ぶった口調で秋山が言うと、小森がそれを引き取った。「いや、烈しいのなんのって、私はわきではらはらしながら聞いていましたよ。それに秋山さんの猛烈な予言……」「なに、予言……どんな予言です」 浅野が思わず声を高める。秋山は、きらっと射る目になって、「実の所、予言した自分が自分で驚いたのです。六月二十六日に東京に大地震が起こると言うんだから……」「え、何ですって、二十六日ならあと四日後だ……それはひどい」「自分では思ってもいなかったんです。とっさに勝手に腹からとび出してしまった。抑えることなんか出来るもんですか。これが天言通というのでしょう。神さまが言わさせたのです」 腋窩に冷たい汗が滲み出てきた。取り返しのつかぬことを――昨年の春、横須賀で宮沢理学士がヴェルダン陥落を予言し、窮地に立たされた苦い体験を思い出したのだ。 あの時以来、神がかりの言は決して軽々しく信じぬこと、予言めいたことは絶対に避けることなどを、浅野は強く自分に言い聞かせていた。とにかく秋山の予言は撤回させねばならぬ。できるだけ冷静に努めて、浅野は言った。「秋山さん、まさかその予言を信じやしないでしょうね」「どうしてです。疑いようがないじゃありませんか。これだけ乱れ切った世の中だ、大掃除大洗濯が始まるのは、当然でしょう」 秋山の目は、澄み切っていた。日露戦争中の二度の霊的体験が、秋山の自信を不動のものにしているのであろう。さらに言葉を強めた。「東京大地震は、もう四日後に迫っている。浅野さん、大正六年六月二十六日、東京一帯は一瞬のうちにがらがらと来ますよ」「あっ……」と、浅野は声を上げた。 そうだ。どこかで聞いたと思えば――宮沢理学士が神がかりし、初めて口を切った時の言葉、「カラカラクルクルロクロクじゃ」の言葉が、とっさに氷解したかに思えた。 カラカラクルクルとは、がらがらっとくる大地震のこと、ロクロクは大正六年六月のことではないか。あの時も、ロクロクは六年六月か六月六日の意味ではないかという説があった。時も人も違え、二人の口を借りて関東地方の大地震を予言するとなると、ことによると本当かも知れぬ。しかも予言者の秋山真之は、鈴木貫太郎・佐藤鉄太郎と並ぶ海軍兵術の三羽烏、天下の知将であり、二度までも日本の危機を救う霊覚を与えられた人だ。 理性では自戒しつつ、本性にひそむ予言好きが頭をもたげたのかも知れぬ。カラカラクルクルロクロクを思い出したことによって、浅野の理性は微妙に狂った。篠原や秋岡はと見ると、秋山の男らしい眉宇を陶然と仰いでいる。 浅野は審神者の責任を思い出した。「とにかく念のためお坐り下さい。ことは重大だ。あなたの守護霊を審神します」「馬鹿な、そんな余裕があるもんですか。ぼくは、一人でも多くの人を救けたい、目前に迫る危険を予告して、今こそ改心を迫らねばならぬ。早く知らせに廻らねば、あとになって恨まれねばなりませんよ」 秋山は、小森をせかして再び出て行った。 秋岡は、きれいな毛筆で、王仁三郎に報告の手紙を書き始める。 浅野は篠原に鎮魂して、肝川の龍神さんに聞くことを思いついた。篠原はすぐ発動して、東京大地震については、「さあ、私の役じゃあないから分かりません」「他ではない。大本や秋山さんの浮沈にかかわる急場なのだ。あなたから管轄の神さまに聞いていただけませんか」「さあ、そう言っても……」と言葉をにごした。 分かっても言えない掟なのかも知れない。あるいは神界の秘密はよほど高位の神霊にしか漏らされぬから、今が今でなければ分からぬのがほんとうか。 もっとも、ちゃんと答えてくれたところで、そのまま鵜のみにはできなかった。篠原の憑霊は本当のことも教える代わり、平然と嘘も言う。 いつだったか、嘘を発見して詰問すると、肝川龍神は落ち着き払ってこう答えた。「神さんが、嘘を言えとおっしゃるから守ったんで、わたしは何も知りません」 この時も、地震などそ知らぬ風に、聞かれもしない別のことを言った。「それはそうとして、あなたは近いうち、もう一ぺん東へ出直す必要がありますな」「いつです」「夏の暑い最中でしょう」「用件は……」「さあ……」 あとは焦燥した気持ちで、秋山の帰りを待つばかりだった。 暗くなってから、秋山は帰って来た。 次々に友人や親戚たちが気負い込んで訪ねて来る。秋山が予言を触れ廻わった結果が早くも噂となって広がり、伝え聞いた人たちが駆けつけたのだ。 彼らの大本批判はかなり激しかった。海軍部内で有名な某将官が真っ先に立って、生半熟の無神論・潜在意識論を振り回し、秋山の若い信仰を揺るがせようと努めた。 同席した浅野は、ほとんど聞くに耐えなかった。「神が有るか無いか分からぬとおっしゃるならば、それが分かるまで研究を遂げるべきでしょう。自分に分からぬから神は無いと主張なさるなら、失礼だが、あなた方も迷信に毒されている部類です。綾部の大本では、神の実在を前後左右、四方八方から証明して見せて、修行者を覚醒させるのに異常な成績を上げています。たとえば筆先という活証文を示したり、言霊の鍵で隠れた古典の真意義を開けて見せたり、各宗教の斬新な比較研究を試みたり、真面目な人たちが寝食を忘れて努力しています。真理を求める気持ちがあるなら、一度綾部にいらっしゃい。その後で秋山さんに忠告なさってこそ、真の友情じゃありませんか」と浅野は主張した。「あんな屁理屈を並べて困る」 忠告者たちが帰ってから、秋山はこぼしていたが、しかしまるきり影響がなかったとは言えないようだ。心なしか、秋山は元気がなかった。 一旦奥の間を去ってから、再び顔をのぞかせたとき、秋山の面は蒼白だった。「家内の様子が変なのです。取り止めのないことばかり言って……ちょっと見てやってくれませんか」 夫人は目を吊り上げ、相貌を変えて喋り立てていた。明らかに発動状態である。浅野が鎮魂の姿勢をとると、一層激しく逆らってきた。 巧妙なる魔軍は、秋山の城を突き崩すためには、搦手からも最も手痛い虚をついてきたのだ。 夫人の狂態に、秋山ほどの男が心の平衡を失い途方に暮れるのは、見るもいたましかった。機略縦横、進んで敵の欠陥を突くことにかけては天下一品の材でも、退いて守備を堅くするのは不得手な質かも知れぬ。もしかすると、秋山自身にもすでに憑霊が……という不安が、浅野の頭をかすめる。神棚に並び立つ大神宮と稲荷の祠が重たくのしかかってくるようだった。 翌二十四日になって秋山をようやく説得し、奥の間に対座、審神した。秋山は口を切り、傲然とある正神の名を告げた。が、浅野は強力なる悪霊の憑依と看破し、押し問答の末、声を励まして叱咤する。それでも相手を屈服させることはできなかった。 平常に復した秋山は、憑霊が正神であることを否定する浅野に、不信任の意を表した。それが二人の間の感情に、いささか罅を入らせた。 論争の集結を見ぬ間に、次々と新手の忠告者が現われる。わざわざ秋山らが出かけていく必要はなかった。本部側三人と秋山は団結して彼らに当たる。秋山はまどろこしい教義の説明など押しやって、真向から二日後の東京大地震説を振りかざし、逆に彼らの改心を求めた。 同席する浅野の心は乱れつつも、予言を否定し切る決断まではつかぬ。秋岡や篠原も、今は秋山の勢いに服し、予言の的中を信じているのだ。それにもし……もし予言通り地震が起これば、論より証拠、大本神の権威を上流階級の間に認識させることができよう。 それは未練であった。秋山の憑霊への疑惑を抱く審神者の浅野自身、あるいは平常の精神状態を失していたのかも知れなかった。 すえ子夫人の狂乱状態は、その夜一層昂ぶってきた。浅野は、できるだけ穏やかに鎮魂し、説得を続けたが、きりがなかった。ついにたまりかねて憑霊に怒鳴った。「莫迦っ、鎮まれ、いいかげん改心せんか」 憑霊は去って、夫人がようやく静かになった。ほっとして浅野は病室を出る。 秋山が襖の外で腕を組み、険しい顔で立っていた。「浅野さん、すえ子は至らぬ女かも知れんが、あなたには、ぼくの家内を怒鳴りつける権利はないはずだ」「冗談じゃない、僕が怒鳴ったのは奥さんを苦しめている憑霊に対してだ。それくらいのことが分からないあなたではないはず……」 浅野の弁解半ばに、秋山は、さっさと自室へ引き篭った。それ以来、秋山邸内の霊的暗雲は息づまるばかりに密度を加える。二十六日はもう明日に迫っていた。
 六月二十四日夜、吉田一(十九歳)が三方を捧げ持ち、不自由な片足を少し引きながら王仁三郎の居間に入って来た。一は恐ろしい骨膜炎に打ち克って、今は元気で少年白虎隊長をつとめている。 王仁三郎は届いたばかりの速達を読み終り巻き収めて、形を改め、三方を受け取る。三方は教祖直からで、今日出た筆先が乗っている。 この頃、筆先が出ると、直は、一の居間まで出向いて手渡す。拝読の後、筆先を王仁三郎の手もとに届けるのが、一の大切な日課の一つになっていた。 王仁三郎は、洋燈の下で急いでそれを開いた。 ――頭の血統と系統、悪魔になりておる眷属とが、一つにかたまりて、悪いことのし放題、艮の金神の誠の善一つの経綸が分かりかけると、悪の霊魂が善の肉体を道具に使うて、まだまだこの大本を悪く申して出口を引き裂きに来ると筆先に毎度知らしてあるが、誠を貫きて一つ心に成りておりたら、どこからこの大本へ詰めかけて参りても、歯節は立たんぞよ。吾ほどの者は無きように思うて慢心をいたすと、悪の守護神に悩められて、この大本の誠の教えが逆さまに悪のやり方に見えて、大きな間違いができるぞよ。「電報を打つ。まだ残っている役員たちを呼んできてくれ」 筆先を三方に戻すなり、王仁三郎はそこに控えていた吉田一に命じた。速達は秋岡亀久雄からの報告だった。王仁三郎はその手紙を握りしめ、東の空へと心を馳せた。 二十五日、二十六日の両日にかけ、西から東へ矢継ぎ早に王仁三郎の電報が秋山邸へ届いた。秋山、浅野に宛てたのを合わせれば十通に及ぶ。「予言を取り消し、即刻綾部へ引き揚げよ、返待つ」 王仁三郎の指令に、浅野は目をつぶった。王仁三郎の神通力を信じぬわけではないが、今更秋山を見捨てて帰れるものではなかった。秋山の心も動かぬ。反目しながらも、二人は予言の実現に一縷の望みをつないでいた。 十通の電報もなしのつぶて、最後に王仁三郎は、急使として豊本景介を東上させる。 二十六日夜の大本内部の緊張は尋常ではなかった。「悪魔が大本を狙っている。今宵は東京が危ない。大難は小難に、小難は無難にと誠を一つに集めて祈ってくれ」と王仁三郎は信者全員に命じ、お宮というお宮の扉を全部開けさせた。 どんより曇った、へんにむし暑い一日であった。この日、多くの役員信者を乗せた船が金龍海で顛覆したり、突如として神苑内に旋風が巻き起こったりしている。霊眼で幽界の混乱状態を見せられるものも続出した。 王仁三郎に素盞嗚尊がかかって、神歌を詠む。   常夜ゆく天の岩戸の開くなる       今宵の空の騒がしきかな 本部役員信者全員が、何事かは知らぬながら、東の空の無事を祈って心を合わせ、夜を徹した。
 秋山邸の空気は、一層凍りついていた。 この日の東京大地震を信じる秋山は、早朝から女中を励まして非常のためにぎり飯をたくさん作らせた。子供たちには、いつでも逃げ出せる服装をさせ、脅えるすえ子夫人にも、いざという時の用意だけはさせた。 午後、豊本景介がとび込んで来て、秋山邸の異様な雰囲気に呆然となった。「今からでも遅くない。世間を騒がせた罪を詫びて、いさぎよく予言を撤回するように」との王仁三郎の伝言を伝えたが、とても無駄であることを知って、豊本は黙った。 軍服姿の秋山、終始忠告して来た友人将校二人、大本の浅野和三郎・篠原国彦・秋岡亀久雄・豊本景介の七人は、奥の間の八畳で重苦しい時を待つ。夜中の十二時が近くなると、その緊張は極限に達し、柱時計の秒を刻む音だけが心臓を叩くように響いた。 ――動いてくれ。しるしだけでもよい、揺れろ、大地よ揺れろ。 焦らだつ秋山の目がそう叫んでいる。 同じつぶやきが、浅野の心にもあった。こうして待つ自分の気持ちが、ふいとおぞましく、浅野は寒気だった。 不幸にして(?)東京大地震が起これば、多くの死傷者が出よう。阿鼻叫喚を目のあたりに見ることになろう。否、それを予期しつつ待つ浅野らも、全く無事であるという保証はない。それでいながら神の権威の実証のためには、心ひそかに地震の勃発を期待する。宗教的利己であろうか。それは、大本神の最も嫌悪する所であるのに。 ついに柱時計の音が十二を打つ。腕を組み、眼をつむった秋山の顔は蒼ざめたまま、死面のように微動もせぬ。浅野は、そっと懐中時計を見た。間違いなく長針と短針は真上を指して重なっている。 何を喋ったにしても、この場合、事実の重みに対して軽過ぎた。 三十分も過ぎてから、某将官が、ついに一同に向かって口を開いた。「ぼくは最後にもう一度断言する。大本は邪教だ。惜しむべし、天下の秋山が大本のために後半生を誤った。浅野さん、あなたは大本を代表して秋山さんに謝罪し、二度と大本の邪説を天下に広めないことを誓いなさい」 頭ごなしにそう命じ、将官は他の友人をうながして席を蹴った。 唇をかみしめて、浅野は彼らを見送った。大本を知ろうともせぬ彼らに、どう弁解しても無駄である。しかし、心の中で呟いた。 ――ああ、大本が秋山さんを誤らせたか。秋山さんが大本を誤ったのか。 秋山の読書は広く和漢洋に及び、眼光紙背に徹する読書力には定評があった。浅野は、以前こんな挿話を耳にしていた。 秋山が海軍制度視察のため、米国留学を命ぜられた。当時(明治三十年六月)、星亨が公使としてワシントンに駐在していた。秋山は、人の敬遠する星亨に少しも遠慮せず、ひんぴんと公使の室に出入りし、勝手に書棚に飾ってある書物を読みふける。 たまりかねて星が抗議すると、秋山は平然と答えた。「公使はいろいろ貴重な書物をお持ちだが、一向に読まれる様子がない。だから私が公使に代わって読んでいるのです」 そのたくましい読書力で、秋山は大正六年度前半期の『神霊界』に発表された神諭に取り組んだ。が、なんとしても信仰は日が浅く、筆先の読み方もそれだけでは十分と言えなかった。「かんじんのことは神が今の今まで教えはせぬゆえ、やたらな神がかりの予言など信ずるな」とあるのに、この重大な訓戒をわきまえぬばかりか焦りに焦り、自ら時節を作ろうとした。 だが、それで秋山を責めることができようか。秋山を助け、審神し、行き過ぎは是正せんがためにこそ自分たちが東上を命ぜられ、側についていたのではなかったか。 一時なりとも秋山の憑霊の言を信じ、曳きずられたばかりか、悪霊と審神した後までも優柔不断の態度をとり続けた自分の無力、腑甲斐なさをこそ、責められるべきではなかったか。その上、王仁三郎よりの指令を無視し、秋山を誤らせ、大本に汚名を着せたのは自分だ。 慙愧の念が、浅野の胸を鋭く締めつけた。 せめては災いを福に転じ、これを神の試練と受け止め、省みて、秋山が大本の正しい信仰をつかんでくれれば……。 ややあって、充血した目を上げ、秋山は浅野たちを見た。「ぼくは君たちを恨むまい。君たちもまた、大本と言う邪教に毒された気の毒な人たちだ。ただしこれ以上害毒を流さぬように、ぼくたちの名で、天下に大本の邪教性を公表しよう」 大きな体を揺るがして、秋岡亀久雄が反駁した。「冗談じゃない。大本のどこが邪教なのです。東京大地震の予言だって、大本の筆先が教えたことではなし、私達があなたに入れ知恵したわけではなし、秋山さん個人の突発的予言でっしゃろ。うっかりあなたを信じかけたわしらは、阿呆やった。わしらの阿呆は何遍もお詫びします。けど大本とは、全然無関係でっしゃないか」「そうだろうか。ぼくが大本を信じたからこそ、天言通を得て、でたらめの予言をしたんじゃないか。もし予言どおり東京大地震が起こって見たまえ。君たちはそれこそこれを奇貨として、君たちの言う秋山個人の予言を大いに大本の宣伝材料にするだろう。それが当たらなければ、手のひらを返して大本神とは無関係で、と言いはる。人の褌で相撲をとる、卑劣きわまる奴じゃないか」 さすがに、秋山の指摘は痛烈であった。 浅野は、弱々しくうなずいた。「たしかに、無意識にせよそんな気持ちがなかったとは言えない。秋山さんの予言をはっきり否定し切れなかったわれわれ三人は、責任を痛感しています。ことに、いやしくも審神者であるぼくは、どんなに責められてもいい。しかしあなたにでたらめの予言を言わせたのは、大本の神業を妨害しようとした邪神群の企みで、われわれはその罠にうまうまとはまり込んだのだ。決して大本神のせいではありません」 豊本が小柄な体に力をこめて、秋山を見上げた。「ぼくが保証しますよ、秋山さん。あなたの予言は大本のせいではありません。大本では今夜何を祈願したと思われます?……地震よ起これではなくって、災いよ起こるな。小難は無難にと、東京の空の平安を、誠心合わせて祈ってますよ」「それこそ詭弁だ。それなら、なぜ大本神は、立替え立直しなど叫ぶんです。汚れ切った東京の大洗濯をしようとするのに、いざとなったら邪神のせいだ、無難にだと……そんなケチな権威のない神ですか」「権威があればこそ、悪神が総がかりで必死に妨害策にかかるのです。この世を創られた国祖を艮に三千年も押し込めたほど、悪の力は強いのです。『……人民を一人改心さすのも、中々に骨が折れようがな。今度の二度目の世の立替えは、昔の始まりからできている霊魂の立替え立直しであるから、悪い霊魂を絶滅してしもうてするなら容易くできるなれど、悪の霊魂を善へ立替えて、この世の一切のことを経綸策をかえて、新つの世の生粋の元の日本魂にしてしまうのであるから……』と筆先にあります。艮の金神の大愛は、地震や天災で一おもいに悪を押しつぶすより、どれだけ手間ひまかけて争いのない和合の世に立て直そうと苦心しているか……」 秋山の強固な意志を示す唇が、ふいと笑った。「争いのない和合の世……それは初耳だ。そんな筆先があったとは知りませんでしたよ。ぼくに言わせれば、それこそ絵に描いた餅です。生物のすべては、他より物質を求めて生命を維持しているのです。生存競争・弱肉強食こそ自然の本領であり、神がすべての生物に与えた本能です。この本能を否定すれば、生者即必滅の寂境を見ることは明らかではありませんか。 言わば生活即戦争です。この個々の生活戦争が、拡大すれば団体・国家間の戦争となる。戦争は永久に絶えるものじゃない。だからわれわれは懸命に軍備を充実しているのです。和合の世など、大本の主張を通せば、軍備をも否定することになる。その思想こそ、神国日本を骨抜きにする邪説で、悪魔が善の仮面を被って、そんな危険な説をなすのだと断じますね」「七王も八王もありては争いが絶えんから世界を一つの王で治めると、筆先にあります。御維新前は、各藩はそれぞれ藩主を擁し、武器を保有して家を出るにも、腰から刀を離さなかった。しかし、廃藩置県後は、その必要もなくなったし、国内戦争などすることもない。世界が一国になり、それぞれ武器を撤廃すれば、やがては国同士の血で血を洗う戦争は絶滅するでしょう」「それは理想だ。いや、空想だ。仮に百歩ゆずってそんな世界が到来しても、競争の範囲を大にして、世界即ち地球は、火星とでも戦争をおっぱじめるでしょう。本能は殺せませんからね」「人間には理性を与えられているではありませんか」「そんな虚しい議論はやめましょう。ぼくも確かに一時は大本の立替え説に迷ったが、ようやく目が覚めた。少なくとも、軍人に大本の教は害あって益なしです。げんに大本の教に触れた軍人たちは、国防の義務を放擲して、退役し始めているじゃないですか。篠原君にも忠告しよう。君はまだ現役で、休職中だ。今からでも遅くない。すぐ職務に復しなさい」 秋山になじられて、篠原は情けない声を出した。「自分はそのつもりでも、そうはいかんのですよ。海軍が恋しくなって、何度も抜け出そうとしたんです。何せ生殺与奪の権は、龍神さんが握っているのだから……あっ、あっ、つぅ」 早速痛み出したらしく、篠原は、前を押えてとび上がった。 浅野は、最後の願いをこめて言った。「審神者としての不見識を暴露するようだが、邪神の企みが今になってようやくはっきりしました。あなたの盲腸炎は第一策、それから奥さんの血の道が第二策、そこまでは奥さんの憑霊が白状しましたが、まだまだ底は深かった。でたらめ予言は第三策、あなたの友人たちの忠告や大本批判が第四策、まだまだ続くでしょう。すべてはあなたを引き落とそうとする七段構えの奴らの企みだと思いませんか。 邪神どもは、あなたの能力・才幹・社会的地位などを百も二百も承知です。あなたに正しい信仰に入られては、神の道が比較的早く日本の上下に分かってしまう。だからこそ、全力あげて信仰をぐらつかせようとかかっているのです。どうぞ負けないで下さい。もう一度心を鎮めて筆先と対決して下さい」「浅野さん、ぼくが邪霊つきのような言い方は失敬じゃないか。あなた方こそ、邪霊をこの秋山家に運び込んだのだ」 絶望的な目で、浅野は、秋山の冷ややかな横顔を眺めた。 二十七日早朝、浅野らは秋山家を辞し、東京を去った。 綾部に戻った浅野と秋岡の自戒の態度とは異なり、篠原は、ずかずかと教祖室へ入って行った。隣室に控えていた吉田一の耳にまで響き渡る大声で、篠原はこう言った。「教祖さま、あなたが、いまに地震・雷・火の雨が降るぞよなんて筆先を書かれるもんだから、わしらはそれを信じて『今に見とれよ、大地震があるぞ』と言って東京で宣伝してきたんですよ。けれどさっぱり地震も火の雨も降りません。教祖さま、どうなってるんです? わしらが困っているのに、あなたは何しとられたのです?」 直は、銀鈴を転がすような声で、面白そうに笑い出した。「篠原さん、あんたらが人にそう言うたさかい言うて、神さまがすぐにそうはなされしまへんわいな。あんた、まだ神さまを使うてん気ですかい」「いやー、どうも……」 大きな体を子供のように縮めて、篠原は直の前にかしこまった。 長い悪罵の手紙が、秋山から王仁三郎に送られてきた。秋山が大本を罵倒していると言う噂も聞こえてきた。 その罵倒も長くは続かなかった。秋山は間もなく盲腸炎を再発し、大正七年一月二十六日より小田原の竹馬の友山下亀三郎の家で静養中二月四日午前五時三十五分逝去。平常口誦していた般若心経と教育勅語を交互に誦し、さらに皇室の御安泰を祈ること両三回、合掌しつつ永眠したと言う。 新聞の伝える趣味の項には、「絵画(特に鯉の水彩画)・禅・神道・法華経・人相・古神道(川面凡児に師事)等を研究」とある。 王仁三郎は自ら喪主となって、秋山真之を大本霊社に祀り、一代の俊傑の霊を慰めている。

表題:時の鳥  11巻11章 時の鳥



 初めて大本に参綾して一年余り、浅野は自分の激変ぶりに驚く。 横須賀にいた当時、まず土曜・日曜にかけて欠かしたことのない散歩遠足がいやになった。三、四年来稽古していた謡曲もやる気がせぬ。海軍機関学校奉職時代、昼飯後に同僚と喫茶室に陣取り、煙草を輪に吹きながら愚談をやるのが得意であったが、今ではそんなことはあまりに無意義で馬鹿らしくて耐えられない。まずそれよりも七時間も八時間も惰眠をむさぼり、寝坊の大将をもって任じていたのに、五時間以上眠ることはなくなった。 それでいて不幸かと問われると、心底から浅野は答えることができる。幸福なのだ。こんな幸福があろうなどと想像できなかったほど、すこぶる幸福なのだ。つまり生き甲斐に浸っている。 その変化は、食物の上にも現われていた。第一回の参綾の帰途、綾部での粗食の腹いせに、京都の鴨川べりの洋食屋に飛びこんだものだ。ところがそれから間もなく、食物の嗜好の変化のきざしがあった。機関学校の昼食は洋食が決まりで、パンにバター、スープの外に二皿ずつの副食が開校以来の献立であった。上等の料理じゃないが、まずくもない。役所の昼食としては、まず上等の部類に入ろう。 ところが鎮魂をやり出してから、どうしたものか洋食が鼻についてならぬ。バターが臭くてたまらず、牛肉などはぼろくずでもかむように味気ない。初めは我慢してナイフやフォークを動かしていたが、やがて半分食ってやめ、四半分に減り、ついにはパンだけ食って肉類には手をつけぬようになった。 栄養思想がわざわいして、野菜が日本人の正食で、その正食に復帰しつつあることなど、夢にも思わぬ。横須賀の肉は品が悪くなったのかしらんなどと考えた。 たまたま上京した時、松喜牛肉店に飛びこんだ。近頃役所の肉がまずいから、今日は一つ東京の飛びきりうまい牛肉を食ってやろうという、魂胆である。 ロース二人前と酒と飯を同時に注文し、二階の一室に陣取った。隣の席でも牛肉を煮ているが、次第にその匂いに吐き気がしてきた。自分の鍋も煮え出すと、ますます匂いに耐えがたい。あわてて漬け物で飯を食い、肉には箸もつけず逃げ出した。これが獣肉との縁の切れ目であった。 王仁三郎も、青年時代は「四つ足で食わぬものは炬燵の櫓ぐらいだ」と威張り、火水の戦いの激しい頃には、反抗的に大槻鹿蔵・米夫妻の牛肉店で肉をむさぼり食ったものという。それがやがて匂いさえかげなくなったというから、やはり自分も偶然ではあるまい。「大本では肉類を禁じるそうですな」とよく嘲笑的に質問される。しかし浅野は決して「肉を食うな」と言ったこともなし、言われた覚えもない。それでも大本の修行に入り鎮魂でも受けると、たいていは肉嫌いになるから妙である。 妻多慶など、十年も前から、牛と豚に限って、一切れでも喉に通すと腹を下すようになっていた。自然、肉食に対する欲望は全く捨ててしまったのだが、今思えば、それは霊覚に対する無意識の準備であったかと思われる。どうも獣肉と霊覚とは両立しかねるようである。 酒も以前よりは飲めなくなった。並松には「組飲み」と称する町内の人たちの懇親会がある。実際は飲んで管まいて、あげくに喧嘩をおっぱじめなければおさまらぬ。引っ越してきた早々、ここに引っ張り出されて大盃でせめつけられ、組飲みの容易でないことを思い知らされた。 三回目には知恵をめぐらし、この道の豪の者を選んで代理とし大本信者の気焔を吐いてもらおうと思った。そこで頭を下げて頼みに行ったのが、本宮山麓に住む教祖直の長男出口竹蔵である。この作戦は壷にはまった。さすがに並松連も兜を脱いで、文句を並べにやってきた。「あんなにがぶがぶ一人飲みなはっては、組飲みも成り立ちまへん。あの人には降参ですわい」 竹蔵はうそぶいた。「他のことなら知りまへんで。けど飲むことにかけては、わしは立派に浅野はんの代理を勤めますわな。ぐずぐず言わんときなはれ」 以来、組飲みは存在しながら、自分に向かって出席を迫ることだけはなくなった。「綾部の奉仕者は穀潰し、非生産者の集まりだ。世の中で働かせれば役立つ男女がもったいない」 こんな至極もっともなお説をよく聞いた。ここが非生産的なら、学校生活も、軍隊も、いや赤ん坊・小児時代も非生産的だから中止せよと言わぬ方が不思議だ。尺取虫は延びんがために屈する。暫時の身魂磨きは、後の大飛躍への堅固な素地を叩き上げるため、いったんすべてを捨てて生まれ赤子に返ることだ。 立替えの際の安全地帯だからと逃げ込んだり、世の中で飯を食いそこねた落伍者が落ち込んで来る所であっては、断じてならん。ここで汚れぬ教育を受けた時こそ、神命のままに何事も辞せぬ、素直で、無欲で、松の緑の変わらぬ真人が生まれるのだから。
 秋山とのやりきれない訣別から一カ月ほどして、浅野は、国元の父元斉から速達を受け取った。母かん危篤の報である。二週間ほど前に梯子から落ちたのが原因で内臓器管に故障を起こし、急に重体に陥ったと手紙は伝える。 母は七十歳の高齢ではあるが病気を知らぬ健康体で、故障といえば老眼鏡の世話になるぐらい、耳も足も頭脳も健全、ほとんど老衰の兆しはなかった。特に記憶力は抜群で、子供の頃に習った四書や唐詩選の全部を今でも一字一句違えず暗記していた。一年に一度は茨城県清田村から横須賀へ来て、よく箱根や江の島や観音崎などへ案内した。 今年は父母ともに綾部へ招きたいと楽しんでいた矢先だけに、衝撃は大きかった。 浅野はすぐ大本へ行き、四方平蔵に祈祷を頼んだ。 話を聞いた王仁三郎も祈願をこめてくれた。「透明な珠が三つ天へ上がって行った。あれは病気が薄らぐしるしかも知れんなあ」 祈り終わった王仁三郎が、慰めるように行った。 浅野はやや安心して並松の自宅へ帰り、旅行の支度をする。そこへ電報。母死すの報に呆然となった。 王仁三郎に母の死を報告した。王仁三郎はしょげかえって、「そうか、亡くならはったか。珠が三つ天へ上がるのは病気が良くなるしるしかと良い方に解釈したが、間違いやった。あれはみたまになって昇天するお告げやったのやなあ。なんぼ天国へ昇らはったと分かっていても、肉親としては悲しかろのう」 丹波から常陸まで二十時間余の汽車の旅であった。「近いうちにもう一ぺん東へ出直すことがある」と言った篠原の守護神の言葉を、浅野は思い起こしていた。 ――龍神さんがあんなことを言ったが、母の死はもう霊界で決まっていたことだろうか。 超能力者と信じていた王仁三郎がついそこまで迫っていた母の死を見抜けなかったことが、浅野には不思議でならなかった。が、汽車に揺られて考えていると、そこに神の摂理を見るような気がする。 生死の鍵はあくまで神が握り、こればかりは人間に貸し与えられることはないようだ。霊示霊覚も、鎮魂帰神も、神人両界の通信機関ではあろうが、これで幽界の秘事のすべてが知れると思うのは早計らしい。神主人従の原則通り、人に知らせて良いか悪いかの審査の権能は、神にある。人間に強制されたからと言って幽界の秘事を漏らすなど、邪神のすることである。死の問題は、まず最後まで人間には分からぬものと覚悟せねばなるまい。 心の平静を取り戻して、浅野はようやく生家に帰りつく。亡母の面上にかけた白布を除けた瞬間、老父が叫んだ。「あれ、鼻血が……」 母の鼻孔から、黒ずんだ血が流れ出している。待ち焦がれていた肉親の者が着いた時は死骸から鼻血が出るという、昔からの言い伝えそのままに。「やはりなあ、仏さんは可愛い人の帰りを待っていたから……」 誰かの感傷的な言葉につられて、浅野はほろりと涙をこぼした。人の精霊が永久に生き続ける事実を知ってから、神は母の死に会わして下さった。今は顕幽に隔つとも、母の霊は存在する。そう思えば、堪えがたい無常感に打ちのめされることはなかった。 老父母は、息子の大本入りに賛成していなかった。両親の願いを踏みにじって綾部に移住した以上、せめて母の生前に大本を認識させられなかったのが、唯一の痛恨事である。 浅野は郷里に一週間いて、綾部に帰った。                         肝川を追われた小沢惣祐は大阪・茨木方面など転々と宣教に廻っていたが、今は園部の後家さんと馴染んで家を借り、八木支部を中心に宣教を担当していた。 八木支部は福島寅之助を支部長として、その妻久を頂点に、信仰を燃え上がらせていた。この支部では、教祖出口直の筆先は絶対であるが、管長出口王仁三郎の言動にはひどく批判的であった。 ここでは三十日間の福島夫婦の度胸試しの時に、久が神から見せられたという状況が信じられている。 王仁三郎の霊魂は、その昔、艮の金神を押し込めこの世を持ち荒らしてきた上に立つ神、悪の側の天照彦であるが、大神様の無限のお恵みで、この世では万人の罪を贖う救い主としてのお役を与えられた。その深いことも分からず、王仁三郎が自分の力で大本が広まったように慢心したので、教祖とともに苦労してきた旧役員は、金の力と学の力においおいと下敷きになってしまった。この結果、王仁三郎は、霊界において神の恵みと罪の重みを計量器にかけられて、根底の国へ転落して行くのだ。 しかし悲しむには及ばぬ。教祖直から弥仙山の頂上で直日とともに因縁の杯を受けた出口大二(十四才)に代わりに神霊が下って、この世を救う。大二が一刻も早く大本三代を継がなければ、この世は水晶にならぬ。 神がかり状態にある久の熱狂的な弁舌に引き込まれて、八木支部の大半はそう信じ込んでいた。それは八木支部から地方へとひそやかに波及して、反王仁三郎派に巻き込んでいった。 大阪北堀江の茶屋の女将星田悦子もその一人であった。福島久の動きに母である直が心を痛め、「どうぞ久の様子を見てやっておくれなはれ」と頼んだ。王仁三郎と久の霊的対立を、中にたってできるだけやわらげてほしかったのであろう。星田は大阪から八木へ通いつめ久と接触するうち、その一徹で激しい情熱に心服しはじめ、次第に久の片腕になっていった。 周山の吉田龍治郎一族も実子大二を担ごうとする八木一派に好意的であり、とりわけ龍治郎の長女八重野の夫である牧寛次郎は、久の神がかり的言動を信じていた。 それにはそれだけの客観的理由がある。直と王仁三郎の思想的相違は、かつて火水の戦いと呼ばれる激しい対立を惹起した。火と水・縦と横・男子と女子、一方がナショナルであれば一方はインターナショナル、それほど異質なのだ。 神島開きによって直が王仁三郎にかかる霊を「天のみろくさま」と認識して以来、王仁三郎の教説はどんどんふくれ上がり、前面に押し出されてきた。古い役員たちがあれほど排斥した漢字を、こともあろうに筆先に混ぜ込み、世間に発表し始めた。それならまだしも、王仁三郎が筆先の添削を自由にするに至っては、もう我慢ならない。 神の言葉を、直は、口で伝える代わりに筆で示し信者に渡した。コピーの機械のない時代だから、幾枚も同意味の筆先が書かれた。それを印刷にする場合、王仁三郎の責任において重複の文章を削るのは、止むをえぬ処置であろう。 特に皇室に批判的と思える筆先は、一部を伏字にしたり、穏やかな漢字をあてはめたり言葉を添えることで、当局の目から真実を隠蔽する必要があった。 ――王天下は長うは続かんと申してあるぞよ。何事も時節が参りてきて、あいた口がふさがらんことが世界には出てくるから、気も無いうちから出口直の手で知らし尽くしてあるが、脚下へ火が燃えてきて、身体に火がついて、じりじり舞わねばならんことができてくるぞよ。(明治三十六年三月二十九日) この筆先の冒頭には王仁三郎はわざわざ『 』入りで『日本の国は別として』と言葉を付け加えねばならなかった。当局がロシア革命に神経を尖らせている折も折、どんな誤解(真解?)を生むか分からぬ。 が、八木派では、それを許せなかった。筆先を一字一句でも変えることは、神への大変な冒涜に思えたであろう。王仁三郎の自由奔放な行動は、彼らの目には、すべて悪の所業と映っていくのだ。 それでも肝心の出口直が王仁三郎を容認する以上、表立って管長追放の火の手は上げられない。水晶の身魂という三代直日の将来の婿大二にすべての期待を寄せるのも、無理ではなかった。 本部から反会長派の八木支部に派遣された小沢惣祐の立場は微妙であった。幾度か久たちに囲まれて理非を説かれ、改心を迫られた。どちらが正しいか小沢には分からなかった。分からぬまま迎合するなど、頑固な小沢にはできぬ芸当である。 八木の中にぽつんと浮き上がる目障りな存在になった小沢は、その渦中に巻きこまれる煩を避け、福島家を離れて借家住まい、対外宣教に力を入れた。 ある日、小沢は重病人のお取次ぎを頼まれた。誰の目にも死期が迫っていて回復不能と思われたが、ひょっとその時、小沢の耳に囁くものがあった。小沢はその示唆を信じ、「病人は回復する」と断言、その日限まで切った。同じようにして小沢は、数えきれぬだけの病人を救ってきたのだから。 疑わしげな家族に、小沢はさらに語調を強めた。「大本の神さんはそれだけ権威のある存在や。もし病人が癒らなんだら、見事にわしが腹切って見せたるわい」 小沢が「カフェーックッ」と叫ぶ不吉な鳥の声を聞いたのは、この瞬間である。 やがて小沢の真心こめた祈祷も空しく、病人は死んだ。病人の家族や親類たちは小沢の借家に押しかけ、しつこく約束の実行を迫った。彼らの中には、無頼漢も混じっていた。 白鞘の小刀をつかむなり、便所へ行くふりをして、小沢は暗闇の中へ飛びこんだ。無頼漢を恐れたのではない。大本ヘよくやくざが強請に来たが、その撃退役はたいてい小沢であった。どこか妖気を発する小沢の一睨みで、相手は縮み上がったものだ。「腹を切れ」と迫る彼らの目的が金であることは、見えすいていた。小沢入信のきっかけを作った小西松元は二年前に宇津で死んだが、松元のように自分の失敗の尻ぬぐいを金で済ませたくはない。誰の助けも借りたくはなかった。小沢の性格は、そんな妥協を受けつけない。「カフェーックッ」 偽りのお告げを囁いたものは、あの怪しい叫びを上げる悪魔であろう。いつの間にか忍び入った不吉な化鳥を切り離そうと、小刀が幾度も声を目がけて宙を切った。しかし鳥は、小沢の手の届かぬ内側に住んでいる。刻々に迫った小沢の終末を告げる時の鳥に違いなかった。 小沢の足は八木へ向かわず、西へと走った。「カフェーックッ」 夜霧を切り裂く鳥の声――片手で確かめるように腰をさぐる。もう一方の手の先には、提灯が揺らめいている。霧が睫毛を濡らして立ちこめ、夜の山道は一層おぼろであった。 小沢惣祐は、追いたてられるようによろめき急ぐ。「カフェーックッ」 またも、鼓膜を突き刺し胸を震わす甲高い叫び。その鳥は小沢の耳元に巣食ってしまったらしい。払いのける術に尽きてしまってから、小沢は、その声の主を『時の鳥』と名付けた。 小沢の腰には白鞘の小刀がある。それを確かめる左手は、もう柄から離れない。 いつであったろう。京都市中京区東洞院二条上ルの床屋・小西庄太郎の妻きみが、声を忍ばせて小沢に囁いた。「今朝、家の前を掃いとったら、こんなもの拾うてしもたんどす。警察に届けるのも億劫やし、何か気色悪いさかい、あんた貰うてくれはらしまへん」 切先は歯こぼれし赤錆はついていたが、鋼の冷たさに引き入れられて、小沢はその小刀を腰に指した。 ただ大本で死にたかった。綾部へ綾部へと、小沢は霧を分けて泳いでいった。
 龍門館の二階では、朝から王仁三郎を囲んで四、五人の若者たちが談笑していた。ここは独身奉仕者の宿泊所である。多忙な王仁三郎がたまにふらっと顔を出すと、彼らは王仁三郎を取り巻き離さなかった。管長の口をついて出るのは大半たあいない諧謔の類に過ぎなかったが、笑い転げているうち、身も心もすっかり晴れる。 王仁三郎は言葉を止め、ちょっと耳を澄ました。数人が振り返って、階下をのぞいた。真昼の炎暑を予感させるように、この朝は風もない。 やがて重い足音を立てて、小沢が入って来た。「おう、お前だったのか」と、王仁三郎が声をかける。「今、八木から帰ってきました」 含み声でもそりといって、小沢は頭を下げた。 顔色の悪さ、にこりともせぬ愛嬌のなさはいつものことであったから、誰も気にしない。早朝の汽車で八木を発って今綾部に着いてもおかしくない時間だった。 夜通し歩き続けた気振りもみせず、小沢は唐突に進み出て、小刀の白鞘を払った。「管長はん、この刀切れまっしゃろか」 王仁三郎は眉をひそめた。「えらい錆やのう。そんなもん持っとったらあかん。すぐ捨ててしまえ」 王仁三郎には珍しい嫌悪の表情であった。「切れるやつと代えとくれやす」「阿呆、そんなんと代えられるかい。よいか、すぐ捨てるのやぞ」 王仁三郎と小沢のやりとりはそれだけだった。抜き身を前にしての会話だけに、同席した佐藤忠三郎には強く印象に残ったという。 二、三日後の八月十八日の朝であった。小沢は、金龍海ほとりの大工小屋の前で、長髪を乱して小刀を砥いでいた。 小沢惣祐が何物で、どこで生まれ、どう育ち、親兄弟があるのかないのか、小沢自身が語らぬ以上、誰も知らぬ。 諸国巡礼の六部であった小沢が大本に居着いてから、もう十年近くなろう。馴染みを重ねた後家さんはいたが、彼女でさえ、小沢の口から故郷を恋うる言葉を聞いたこともない。孤独の悩みを打ち明けられた友もいない。大本の中では、他人のことなど詮索したがる風はなかった。それぞれ立替え立直しの神業に参加するため社会的な一切を放棄して飛びこんできたからには、他人の目にどう映ろうと、神に向かって真剣に生きることがすべてだ。 けれど、十年の努力で築き上げた小沢の世界に何が残ったろう。他人の病気を治し、信仰に導き、支部を開き、あげくに決まって人とぶつかり、開拓の苦労の果ての実りはなかった。冗談一つ通じぬ偏狭さが、どこへ行っても暗い蔭となる。 小沢は小机に向かって筆を執った。このまま消えてしまうのは、やはりどうにもやるせない。と言って、未練たらしい遺書を残すなど、死んでも嫌だ。自らの身魂鎮めのつもりで、小沢は自分の胸底を覗き覗き、その心象風景を文字に写しとっていった。 それは果てしなく広い天地であった。灰色の靄がしんしんと降り込め、幽暗で、陰惨で、静寂は恐ろしいまでに黙していた。 何物かがある。けれどそれを識別できぬほど、その靄は濃い。 無数の何物かがある証拠には、その物の影がぼんやり夢のように、幻のように、異形の姿を淡く薄く表わしていた。けれど不思議にも、はるかはるか遠方の地平線だけが完全に認められた。その上に一方の地平線から起こり一方の地平線に消えこんでいる、枯れた寂しい白さを持った長い長い道が、古びた布を敷いたようであった。 突如、「カフェーックッ」と、黄金の太鼓を叩いたような甲高い声が、この茫漠たる広い天地の隅から隅へ透き通るように響き渡って、その鮮やかな銀線の余韻は、尾を曳いたように地平線のかなたへ消えていった。 刹那、ほの白い道にひょっこり現われた小さな黒い影があった。「時の鳥が鳴いて、人間……」とかすかな声が、どこからともなく陽炎のように沸き上がってきた。
 小沢は憑かれたように書き続ける。 小沢の分身とも思える黒い影は、この世界から抜け出そうと焦り、歩き続ける。やがて黒い影の前に色のある世界、濃藍の空をやわらかな曲線で区切った美しい丘が現われる。美妙な音楽、美妙な香、色とりどりに咲き満ちる青草の園であった。 黒い影はしばらく恍惚の時を過ごし、その草の褥に身を横たえようとすると、「カフェーックッ」……時の鳥の一声と共に美麗な世界は消え、薄暗い不安な天地は、依然として彼の周囲にあった。 ふと気がつくと、骨格たくましい獣が、小さな黒い影の後をつけてくる。黒い影は、その獣の背にまたがる。獣は白い道を疾駆する。目的のある走り方であった。 最初、無意識で乗ったものの、くもの巣のように細い恐怖、不安が後を曳いていた。ことに、時の鳥の声を聞き、雷光のようにぴかぴかっと閃くものをその靄の中に目撃する度、その思いは強くなる。 広い荒野を走った。むらむら生えている草は木枯れ、木立ちの葉はことごとく落ち、枝が魚の骨のように白く褪せて、中空にそびえていた。真黄色に染まった空は頭がつかえるばかり低く垂れ、うるおいのない、単調な、恐ろしいまで不気味な荒涼とした世界――黒い影は目を閉じ、耳を覆い、口を閉じ、獣の背にかじりついていた。時の鳥が鳴いたが、いつになく沈んだ、濁った、不気味な声であった。 ようやく荒野を走り抜けると、獣も黒い影も疲れた。黒い影を乗せた獣は、ぱったりと倒れた。 ――やっと目的地に着いたと、漠然と黒い影は感じた。きっとすばらしい世界がそこにあろう。うっとりと目を開いて、周囲を眺めた……。 繰り返し見た幻覚を的確に捉えようとして、小沢はその情景をぐいぐい書き綴った。長い枚数になって、その作業も倦み疲れた。彼は最後の数行に筆を走らせる。 ――靄はやはりしんしんと閉じ込めていた。薄暗い何物かの影がさしていた。その影は、あの美しかった園のようにも、あの恐ろしかった荒野のようにも思われた。あの獣の亡魂のようにも、あの尊厳な閃きのようにも思われた。次第次第に形は縮まっていった。やがて白い道の中へ、靄の中へ消えこんでしまった。 この天地に動くものは、動く影は、何もなかった。静寂があった。沈黙があった。陰湿があった。平和があった。すべてのものは不可解であった。黒い影は、単にこの世界から幻覚を得たのみであった。そうして蠢き続けていたのであった。 永遠の靄は、今もしんしんと降りこめている。
 筆を投げ出して読み返して見たが、ひどく空虚な文字の羅列に思えた。が、この文章もまた、幻覚の黒い影であることにたいした違いはなかった。小沢は原稿を封筒に入れると、京都日の出新聞の宛先を書き、差出人の住所を省き、ぽつんと宗雄(惣祐の戸籍名)とのみ記した。 この投稿は没になろう。それはどうでもよかった。ただ少しだけ胸が軽くなれば、それでよかった。 大本祖霊社は初め金龍殿の近くにあったが、大正四年四月に綾部町役場前(上野)の元金光教の建物を購入し、そこに移した。設備を拡張したり、隣に責任者の住居を廊下伝いに増設したりで、ようやく形を調えていた。 世木村の小畑貞範(貞吉)が、筆頭責任者として妻子といっしょにここに住みこんでいる。小畑は、日露戦争の時、宇津の小西増吉とともに出口直の肌守りをつけて戦い、右足に負傷はしたが、奇跡的に生還したのである。 その真夏の宵、田中善臣・竹原房太郎ら祖霊社関係者が寄って慰労会を楽しんでいた。酒宴もようやく終ろうとする頃、小沢惣祐がひょっこり顔を出した。「同じ来てんならもうちょっと早う来ちゃったら、お神酒があったのに……」などと言いながら、彼らは小沢に盃を持たせ、残り酒をついだ、小沢は黙念とそれを受けた。 ランプの回りを、太った茶色の蛾が戯れていた。 酔いにふらつきながら、小畑貞範は祖霊社隣の二階建て宿舎に戻り、前後も知らず蒲団にもぐりこんだ。のどの乾きに目ざめたのは、かなり夜も更けてからであった。祖霊社の大広間から、かすかに声が呼んでいる。「おい、小畑、水くれい水を……」 小沢さんや、悪酔いしちゃったんやなあと、思った。 台所で水をくみ、手探りで廊下伝いに祖霊社の大広間に行った。まだ酔い心地であったが、小畑には勝手知ったる場所である。苦しげな息づかいを頼りに小沢に近づき、暗い中で水を飲ませた。足の裏が妙に粘ついた。「こらかなわん、ようけ吐いとるわ」と思いながら、汚れた足を畳にこすって家に戻った。女房を起こして手桶と布巾を受け取り、再び祖霊社へ引き返す。後から女房がランプを持ってついてきた。 今度は用心して足下を照らして見た。畳は一面墨を流したようにどす黒い。「あんた、あんた、こ、これ……」 女房が、指先につけた黒い液体を灯に近づけた。真っ赤ではないか。「血や、血や、うわあ」 その血の中に両手をついて、小沢が笑ったような面を上げ、小畑を見ている。前歯の一本抜けた隙間が暗い洞穴をうがったようで、妙に印象的である。 小畑の女房が、こけつまろびつ大本へ走った。 王仁三郎と澄が血の海へ真っ先に飛びこんできた。「管長はん、へまやりました。切腹はよう切れる刀でやらなあきまへんなあ」 ひょうひょうと笛の鳴るような声で、小沢は言った。その小沢よりも、王仁三郎はもっと苦悶の声を上げていた。 ランプが次々と運ばれてきて、灯の中に小沢の姿が浮き上がった。腹は十文字に口を開き、喉からはまだ血が吹きしぶいていた。「しっかりせなあかんわな。元気を出しなはれや」 気丈にも澄は小沢を叱りつけ、晒を裂いて包帯する。その回りを、後から駆けつけた役員たちが立ち騒ぐ。 ややあって吉川医師も駆けつけてきた。「先生、何とか助かりまへんか」 息も絶え絶えに、小沢は聞いた。生きたいという欲望をむき出しにした、目の色であった。「死ぬつもりで切腹しといて、今さら何を言うのや」と吉川医師は怒鳴りつけ、「だが急所をはずれとるさかい、大丈夫やろ」と、慰めるようにつけ加えた。 小沢はちょっと明るい顔になり、「どっちでもよいけどな、管長はん、『時の鳥』の声だけは、なんとか止めとくれやすな」 譫言のように呟くと、小沢は王仁三郎の腕の中に昏睡した。 吉川医師は、王仁三郎に囁く。「急所がはずれとるのはほんまやが、何しろ出血がひどすぎる。覚悟しとくれなはれ」「覚悟しとります。黎明まで持たんやろ。臨終は夜明け前の四時……」 暗然と王仁三郎が言った。 その四時近く小沢は意識を回復し、もがいた。田中善臣が近寄ると、小沢は力を振りしぼって叫ぶ。「田中君、曲津(悪神)にやられたあ……後を頼むぞ……」 小沢惣祐、八月十九日午前四時絶息――大本で初めて出した自殺者であった。 翌二十日、日の出新聞が「大本伝道師の殉教? 喉を突いて」の見出しで小沢の自殺を三面トップに扱い、皇道大本については「何鹿郡綾部町字本宮大本教会と称するは、出口王仁三郎と言うを管長にいただき、神道鼓吹と称して妖しげなる加持祈祷をなし、たくみに愚民の金銭を絞り上げるやの噂あり。常にその筋の監視する所となりおりしが……」と述べる。小沢の自殺を報じた箇所では、その原因を「迷信の極、精神に異常をきたせるものらしく……」としており、最後に短い遺書を載せている。 ――皆様よりお先にごめんこうむります。世界の悪魔に、誠があるかないか見せる考えであります。拙者は霊界で神の御用を必ず尽くします。さようなら。   小沢の心の中に咲く花は       神よりほかに知るものはなし  大神さま(出口直を指す)  管長さま、皆さま この記事の出た一週間後の日の出新聞文芸欄に、『黒い影』と題する投稿文が大きく掲載された。署名は「宗雄」とあるだけで、投稿者の実名は誰も知らなかった。 小沢の切腹は、大本内部にかなりの衝撃を与えた。 切腹という異常な死に方だけに、青龍隊や白虎隊、娘子軍の中には、若い血を踊らせ、死を賛美する者もあった。さらに死の原因が、男子の一言を守ったためと知って、哀悼のあまり、涙を流す娘たちもいた。 小沢の臨終に立ち会った出口澄もまた、かつて梅田信之殺害を計った小沢への激しい敵意が消えていくのを感じる。小沢を非業の死に追いやったのは誰か。その死を防いでやれなかった王仁三郎への腹立たしさから、澄は夫に食ってかかった、「先生、あんなに純粋に信仰に生きた人が、なんでこんな死に方せんなんのやいな。四方春蔵はんかて若くて死んじゃったし、中村竹吉はんかて狂い死しちゃった。一途な信仰の人が家族にいれられず孤独になったり、不幸な死目にあったりしてん見るの、うちにはたまらん。さわらぬ神に祟りなし言うのんほんまや。先生、艮の金神さんはなんちゅう怖い神さんじゃ」 王仁三郎は澄の方を向き直り、敷島に火をつけた。「お澄、お前の言う通りや。大本は怖い所やぞ。楽に生きたい者は、さわらん方がええ所や」「……」「ここはのう、現世利益をばらまいて人を甘やかすとこやないわい。命を賭けた真剣勝負……戦場と思たらよいのじゃ」「戦場?……誰と戦うんです」「天の賊とじゃ。これまでの世に出ていた守護神たち……『口でうまいこと申して、弱い者からだましとって、われが栄耀のし放題』と筆先にあるやろ。奴らの悪い世をひっくり返して、善一筋の新しい世に立て直す。お澄、どえらい戦いになるぞ」「お筆先に『今の世は鬼と賊ばかりの世』とありますなあ。それなら桃太郎よりもまだ大変や。鬼ヶ島は世界中に広がってまっしゃろ」「戦う相手は大神のお仕組みを妨害する邪神群や。奴らはあらゆる作戦を駆使して襲ってくる。わしらにある武器は言霊だけや。その言霊も封じられたら……無抵抗の戦い。信者の一人一人が大事な志士になる。怖い者は今のうちに逃げ出すやろ。踏み止まって、共に見えぬ邪神群と戦うのは幾人か……その人造りがしんどいのや」「鬼退治ならうちかてついて行きますけどなあ、無抵抗いうのは自信ありまへんで」「お前は筆先を腹に入れて、どっかり坐っとればよいのや。お澄の笑顔はわしらの百万人の味方になるやろ。あとは神さまが良いようにしてくれはるわい」 澄が不満そうに口をとがらした。「うちが笑うたぐらいで、小沢さんが救われたわけでもありまへんやろ。信者になった人たちは、みなみな戦うつもりで寄ってきたんやござへん。誰もが幸せになりたいさかい……やっぱりお蔭が欲しいからですわな」 王仁三郎は激しい口調で言った。「お蔭とは何か。病気が治る、それがお蔭か。金が儲かる、それがお蔭か。わしにはそう思えん。近頃の神さんはやたらに分業が多うなって、どこの神さんはお産の神さん、どこの神さんは金儲けの神さん、どこの神さんは夫婦和合の神さん、どこの神さんは手習いの神さんちゅう具合や。 仮にそれぞれ効き目があったとしても、それはその人の幸福を保証はせん。たとえば病気が治ったばかりに戦争に引っぱり出されて、戦地で屍をさらすことになるかも知れん。金が儲かったばかりに主人が妾狂いして、一家が泣きの涙で暮らすことになるかも知れん。むしろそれなら、ある時期まで病気でいた方が、貧乏でいた方が幸福なぐらいじゃ。いや、病気になったばかりに、誠の神さんをつかんだ者は、沢山いる」「……」「中には狐狸や悪霊の類が、人間を傀儡にしたいばかりに、わざわざお蔭という現世利益を振りまく。それで恩を着せて縛ってしまうのや。背けば罰も当てかねん。低級な霊ならいざ知らず、正しい神なら、お蔭を寄ってくる者にばらまくもんやないやろ。何を基準に神はお蔭を与える?……銭の多寡でか、祝詞や念仏の多少でか。そんなことで左右される神なら、依怙贔屓するやくざ神じゃ」「そう言うちゃっても、現に大本はお蔭がどんどん立ってるやないの」「そうや、立っとる。けれどお蔭は神が与えるものでもなければ、人間が神からむしり取るものでもない。人間の心が正しく神に向かって開く時、いやでもその光を受けて明るく広くなる。 太陽は全人群万類に漏れなく公平に光と熱を与えて下さる。それを受ける受けぬはこちら側の姿勢にある。もぐらはそれを嫌って土にもぐるやろ。太陽に向けば明るいし、そむけば暗い道理や。分かるか」「……」「鐘が鳴るのか撞木が鳴るか、鐘と撞木のあいが鳴ると言う俗謡があるが、神と人との関係も同じことや。鐘と撞木が合することで音が出るように、正しい神と正しく心を向き合わすのや。 病気には、厳密に言うたら、病気と病体がある。病気のうち八、九割は気を病む、いわゆる病気で、一、二割は病体や。病体を治すのは医者や薬の役割で、それまで神信心で治ると思うのは迷信や。その迷信の故に手遅れになって死んでいった人たちは数限りなくある。けれど、八、九割の病気は、気の持ち方を変えることによって治る。 心が明るうなったら、今まで巣食っていた悪霊など、飛んで逃げ出すやろ。暗いじめついた心は奴らの巣にふさわしいが、光には居たたまれんさけのう。そうなれば、『病は気から』と言うように、たいていの病気などふっとぶのじゃ」「そらそうかも知れんなあ」「心が広う明るうなれば、家内も和合する。家の中が明るくなれば、商売も繁盛する。どんな入信の仕方でもよい。とにかく大本の道に入った以上、早く低俗なお蔭信仰から脱却して、正しい信仰をつかまなならん。そうでないと、『艮の金神は病治しの神ではないぞよ。世界の人民の心を治す神であるから……』とくどいほど筆先にあるように、お蔭が立たなくなったというては布教師を攻めたり、別のやくざ神に蔵替えする羽目になる。小沢がそうやったように、大本の道を広める者が正しい光を心に宿しとらなんだら、真先に邪神に狙われるのじゃ」「へえ、むづかしいものやなあ。それなら本当のお蔭ちゅうたら何じゃいな」「全人類がこれだけ日々お蔭をいただいとるやないか。ふんだんに与えられる空気や水や光、海河山野の幸、すばらしい自然の美しさ、すべて天地の創造主から来た恵みやないか。これ以上のお蔭があるかい。 神への祈りは、感謝で始まって感謝で終るべきや。そして『惟神霊幸倍坐世』と祈る。つまり『神さまの御心のままに』と、生死を超えて神に任せた爼板の上の鯉の心境じゃ」「分かった。無欲の信仰ちゅうことじゃろ」「そうや。だが考えようによっては、大欲の祈りといってよいかも知れん。『神さまにお任せします』と祈れるのは、『わしらの信じる神は絶対善、絶対愛の神だから、お任せすれば悪くなさるはずはない』という確信に立つからや。人心で一時悪く見えることがあっても、最終的には必ず良い結果に導いて下さるという信念があってこそ。ところがあまり信用ができぬ神さんを信じている者は、不安のあまり、『ああしてくれ、こうしてくれ』と注文つけることになる。 人間の幸福を願わぬ正神はない。もっと病気をして修行させた方がこの者のためによいと神さまが思われれば、そのまま病気でいればよい。それでこそ心の平安が得られる」「けど、明日のことはどうでも、今この苦しみを救うてほしいということもありまっしゃろ」「その時こそ、瑞の御霊さまに真剣にお願いするのじゃ。瑞の御霊は救いの神さまじゃ。祈りが通じれば、たいていの願いはかなえて下さる」「……」「わずか人生百年たらずやないか。人よりよけいにうまい物を食い、贅肉つけてみたところでどうなる。それよりも神と共になって、永劫に続く魂の幸福を、生きてるうちにつかむことが大事や。 大本はそれを教えるところ、だから日々をつつがなく暮らさしていただくお蔭のほかに、大本を知り得たということが第一のお蔭、綾部の聖地へ来て神さまのお光を浴びたということが第二のお蔭、けれどそれだけではお蔭を取り落すことがある。我や。我はなくてはならず、あり過ぎてはならず、むつかしいのう。 神業より自分の我を立てることに固執するところに、邪神がつけいる隙をつくる。四方春蔵・中村竹吉・小沢惣祐・秋山真之……皆それや。大本を知り綾部の聖地を踏んだ限り、早く大本の教義の本質を理解し、素直になって身も心も立替え立直す、それができた時、一番どえらいお蔭がいただけたと言えるじゃろ」「それやったら、艮の金神さんは怖い神さまじゃないのに」「またとない大愛の親神、善も悪も上も下も救いたいばかりに、どんなに肝胆を砕いておられることか。けどのう、悪神にとっては、こんな始末の悪い怖い神はないのや。大本は生きた教えやさけ、いい加減なお蔭信仰や諦めなどを説くところやない。個人救済を超えて世界を立替え立直し、みろくの世界を築き上げる経綸の宗教やからのう」「ほんまじゃなあ」「みろくの世が来て困るのは、今まで世を持ち荒らしていた邪神たちや。そのためには、隙あらば大本信徒について信仰を堕落させようと狙っとる。だから教祖はんは、常々『抜身の中にいるような気持ちで、ちっとも気許しできん』といましめてはる。 大本が大きくなればなるほど、これからも悪霊は全力挙げて切り崩しにかかるやろ。世界を敵に回して、『死にたい』と思うほど苦しい戦いが次々起こるやろ。お澄や、これだけはよう覚えておけ。神の道で何が悪いというても、自殺ほど悪いことはない」「人を殺すことよりも?……」「場合によっては、そうも言える。自分の体は自分であって、自分の物やない。神から預けられた大切な宝や。寿命が尽きるまで、つまり肉体を神から召し上げられるまで、人の霊魂は、その肉体を充分活用して生きねばならん。 天下国家のためにいさぎよく命を投げ出すというのは、名誉や美名のもとに飾り立てて死ぬことやない。命を神の御手にゆだねきって、死身となって働くことやぞ。どんなにきれいな理屈をつけたところで、自殺など、思い上がりもよいとこじゃ。神から預かった肉体を最後まで活かそうと、力限り努めることこそ美しいのであって、自殺にきれいな自殺などあるかい。