表題:霊界の探険 3巻1章霊界の探険

 憂い松こと上田治郎松が無聊で苦しんでいるところへ、由松がとびこんできた。血相かえて、由松は、兄貴の大阪帰りの顛末を語った。治郎松は色めきたった。久しぶりに血が沸き、肉が躍る。しかも、おあつらえ向きのとんまな話題をたっぷり土産に持ち帰ったのだ。 治郎松は上田家へとびこむなり、思うざま喜三郎を面罵し、毒づき、あとは念入りにいつもの説教をきかせて、あげくにその足で村中駆けまわって宣伝した。足も口もくたくたであった。が、気分はすかっと青空のように晴れていた。さすがのあいつもこたえたろう。だいぶしょんぼりしとったわい。鬼の首でもとったように自然に笑えてくる。帰ってきた時は、もう午後もだいぶまわっていた。 裏口から入ると、おこの婆が妙な手つきで治郎松を引っぱり、奥を指さす。見れば、おこのが、ものも言えずに震えている。 奥の仏間では、何のことはない一人娘の阿栗(二十歳)が、臨月の腹をかかえて、しきりに仏壇を拝んでいるだけだ。「阿栗、どうした、珍しいこともあるのう」と、治郎松はのぞき込んだ。 振りむいて、阿栗はにやっと笑った。口がひどく大きくみえた。異臭が治郎松の鼻を刺す。よくよく見ると、仏壇に供えてあるのは、雪隠に落とすべきものを捏ねくり丸めた団子ではないか。阿栗はけらけらと笑い声をたてて、汚れた両手をつき出した。 治郎松は腰を抜かさんばかりに驚いた。汚物をとりあげようとすれば、かみつきにくる。髪ふり乱してとびはねる。奥の間をぴったり閉めて、治郎松とおこのは真蒼な顔を見合わせた。 おこのが、しゃがれた声を出す。「狐や。高畑の狐がよう雪隠の糞喰らいに来とったじゃろ……喜三が、憑けよったんや。松があんまり邪魔するさけ、仕返ししよったんじゃ」「ど、どうしょう。何とかせな」 人の憂いをやたら喜ぶ治郎松も、降ってわいた可愛い娘の不幸に動転していた。「ともかく、なにしでかすやら分からん。広吉呼んでくるさけ、阿栗が外へとび出さんよう、見張っとりや」 曲がった腰を泳がせるようにして、おこのが婿の広吉を呼びに出ていった。治郎松が押し殺した声で叫んだ。「婆さん、気いつけや。近所のもんに言うなや、あいつら、よってたかって松葉いぶしさらしくさるさけのう……」
 喜三郎は、羽織袴で東穴太の斎藤由之助の大きな黒門をくぐった。宇津根村から養子にきた敬三(二十六歳)が、嫁が肺病で死んで以来、感染して床についていた。今朝、近所のおいよ婆さんが、「敬はんがひどう悪いさけ、神さん拝んで救けたっとくれ」と言いにきたのだ。敬三とは年も近く、知らぬ仲ではなかったから、喜三郎の胸は痛んだ。ともかく見舞いに出かけてきたのだ。 由之助の妻で家つき娘のお悦(五十歳)が、式台から見下ろした。ちょっとした女ボスの貫禄があった。農閑期には人を集めて酒をふるまい、太鼓を叩いて、歌いさわぐのが好き。口が達者で、村人から雲雀のお悦と渾名をとっていた。 喜三郎は、改まって頭を下げた。「敬はんがお悪いそうで」「はい、ぐんと悪おますので。それがどうかしましたんかいな」 目を怒らし、あるかなしかの短いおとがいをぐっと引いて、にらんだ。不吉な雲行きだと、喜三郎はひるみながら、一心に言い出した。「今朝おいよ婆さんに聞きましたさけ……あの……何かさしてもらうことはないかしらんと考えましたが、おいよ婆さんも言うてくれましたし、わしのできるこというたら……」 お悦は、皆まで聞かずさえぎった。「おいよはんが出しゃばって何いうたか知らんが、うち頼んだおぼえはないで、飯綱使いの喜三やん。誰の頼みかて、あんたなんかうちの敬の枕元にも通すかいさ。ああ、いやいや。神さんのかの字きいても胸くそわるい。うちの親類がな、天理はんに呆けて、家も蔵もさっぱりとられてしもた。別の近はんは稲荷下げに呆けて、相場して、家も屋敷も田畑まで売ってしもた。働きもせんと、神、神いう奴にろくな者はない。あんた、人をひっかけよう思て来たんやろが、このお悦がついとるかぎり、そうはいきまへんで。うちがこう言うたからいうて腹立てて、仇んに飯綱つけて帰る気かしらんが、つけるならつけてみよし。へん、うちは、もったいなくも黒住はんを祀ったるんやで。えらいすまんけど、黒住はんは天照皇大神宮はんや。天狗はんや四つ足とは、てんからお顔の段が違うのや。飯綱ぐらい何じゃいな。ああ、この辺がうさうさして来た。また敬の病気が悪うなったらかなんさけ、去んでいうたら去んでいさ」「あのう、ちょっとお悦はん……」「えー、しぶとい男やなあ。蛙切りの子は蛙切りさえしとったらええのんに、どてらい山子起こして、金もないくせして人の金で乳屋をしたり、それもてれんこてれんこで今度は飯綱を使うやなんて、よう恥ずかしないことや。さっきも治郎松はんが来て、何もかもすっぱ抜いたわいな。浪花はどうやったいな。女には逃げられる。未練たらしゅう尻追うてったところが、借りた金は宿屋でふんだくられる。とんびに油揚げさらわれたような面して、手ぶらで戻ってきたやて。色男がさっぱりわややがな」 この調子で村中さえずり廻られてはたまらぬと思い、今度は喜三郎が神の道を説き出すと、お悦は耳をふさぎ、半泣きの声をあげた。「うるさい、うるさい。なんぼ口先で、うまいことまるめようたって、だまされへんで。現在身内の治郎松はんが何よりの証人や。けがらわしい、早う去んで。これ、お留、塩もっておいでえ」「へえい」 奥から言われた通り、表情のない小女の留が、一握りの塩をもって現われた。頭からふりまかれそうな剣幕に、喜三郎は外へ飛び出した。けたたましい女たちの嘲笑がはじける。大阪での失敗に加えて、悦の嘲笑は深く心に刺さった。この調子では、どこへ行っても、相手にしてはくれまい。同じ株内なればこそ、なおさら治郎松のあくどい妨害が憎い。 うなだれて、重い足を小幡橋の上に運んだ。「喜楽先生、どこヘおいでたんです。捜しましたで。ああ、やっと出会えた」 見ると、治郎松である。まるきり人が変わったようにすがりつく眼をしている。驚いて、立ち止まった。「どうしたんや、治郎松はん」「どうしたやて……どうしたやて、よう言わしてもらわんわ。あんまりじゃ……」 治郎松は、上目づかいに睨み上げた。喜三郎は、むかむかと怒りがこみ上げる。「あんまりなんはお前やないけ。わしは腹が立って……お前に一発、ぶちかましたっても気がすまん」「ほれみい、やっぱりそやんけ。まちがいないわい」 治郎松はくしゃくしゃと涙を落とした。「わしが何かしたけ。何やいな。言うてくれなんだら分からへん」 と喜三郎は情けない顔で言った。「いくらわしが何々したからて、それを何も知らん娘の阿栗に仇んせんかて……」 治郎松はたまりかね、橋の上で手ばなしで泣き出した。「阿栗さんが……何かあったんか」「あの娘は今日明日にもお産せんなんからだや。それが二日も三日も糞を丸めて……あ、あ、あんまりやないかい」 喜三郎は憮然となった。橋を通る村人たちが、泣きわめく治郎松に耳を寄せてくる。橋の上で弁解していたのでは、またどう誤解されるか分からぬ。「ともかく行ってみよか」 泣きじゃくる治郎松の肩を押して、喜三郎は急ぎ足になった。 おこの婆さんが、待ちかねたように出迎えた。「これ、喜三郎はん、お腹も立つやろが、こらえてや。ちょっと怒らはって何々したのやろが、なんちゅうても隠居(分家)・主家の間柄やんか。隠居の難儀は主家の難儀、主家の難儀は隠居の難儀や。悪気でしたとは思わんさけ、どうぞ飯綱を連れて去んでえさ。どうぞどうぞこの年寄りにこれ以上嘆きをみせんといて。お前はおもろいか知らんが、たった一人の孫のあのざま……曽孫が無事に産まれなんだら、死んでお前に祟ってやるわい……」 気丈なおこの婆さんが、吊し柿のような眼をむき、本物の涙を流しながら恨んでいる。冗談やない。本気で祟りかねないのだ。「無茶いわんといて。わしが何で飯綱を使うのや。自分のうちに置いた奉公人でさえ、なかなかいうこと聞かぬやろ。たとえそんな狐があるとして、人間のいうこと聞きそなはずがないやんか。わしは、ほんまに腹が立つで、村の者に飯綱使いやと悪う言われるのかて、みんなあんたや治郎松はんが言いふらしているからや。わしも迷惑やし、それより救えるかも知れん人まで救えへんのや。神さまに対しても申し訳ない」「そうや、そうや、お前の言う通りや。何もお狐さまは悪いことないものなあ。正一位稲荷大明神さまや。立派な神さんや。そいでその眷属さまを、ちょこっと阿栗の体からどけて、へえ」 奥の間から、他愛なくけらけら笑う阿栗の声が聞こえる。夫の広吉が出てきて、何も言わず手を合わせた。助けねば恨まれる。助けてやったら、誤解はいっそう解きにくくなる。この一家にかかっては、逃げ道もないのだ。しかし現実に哀れな病人がいる以上、我が身をかえりみているひまはなかった。 喜三郎は心を鎮めて、奥の間へ行った。部屋は雨戸に閉ざされて薄暗く、熱気と異臭がこもっていた。広吉に命じて、戸を開け放った。阿栗はすっかり面変わりして、不安げに釣り上がった目をきょろつかせている。 喜三郎の心は澄んだ。助けたい、の一念しかなかった。病人の前に端座し天津祝詞を奏上、続いて神言を静かに唱え始めると「けん、けん」と鳴きつつ阿栗の体がとび上がり、頭から蒲団の中にもぐり込んだ。 組んだ両掌の人差指を蒲団の上からかたまりに向けて霊力をこめ、天の数歌を四、五回くり返す。と、かたまりはとび出して庭をつっ切り、閉まった門扉に激しく頭を打ちつけた。「きゃーっ」と悲鳴が上がる。追いかけた三人の目前で、仰向けに倒れて動かぬ阿栗の体内から、すうと浮かび上がった狐の幽体が、ぱっと飛びはなれ、門扉をかけのぼって、外に消えていった。真昼の現実であった。 喜三郎は、阿栗の体を抱き上げた。誰もかも裸足であった。「部屋と蒲団を清めてんか……仏壇もや」 失神している阿栗を抱いたまま、喜三郎が命じた。治郎松と広吉があわてて汚れきった蒲団を代え、仏壇を拭く。 おこの婆は憤然とした。「何をしとる。阿栗を早く元の体に戻すのが先や」 喜三郎の言う通り、広吉は阿栗の顔と手足を拭い、髪を直し、すべてが落ち着いた。 間もなく、喜三郎の鎮魂で阿栗は目を開いた。蒼ざめていた頬に血の色がさしてきた。半身を起こしてあたりを眺め、何の変わりもない様子にほっとした風につぶやいた。「なんやうち、おかしな夢を見とったで。ああ、夢でよかった」 部屋の隅にいる喜三郎に気づいて、恥ずかしそうに笑った。以前の健康な阿栗であった。一同が、阿栗回復の喜びに気をとられている間に、喜三郎は、そっと台所から抜けて出た。 翌朝、気になって、喜三郎は治郎松の庭先から入り、阿栗の様子をのぞいた。気がつくと、部屋の壁にも襖にも、戸・窓・縁に至るまでベタベタと金比羅さんの札・札・札……。目を丸くして眺める喜三郎を見つけ、治郎松は、縁先に立ちはだかった。「おう広吉、婆さん、喜三公が庭から来よった。来よったで」 おこの婆がとんで来て、怯えて立ちすくんでいる阿栗をかかえて連れ去った。その怯えの表情に、喜三郎は、せっかくの阿栗への心遣いも無駄であったことを知った。「見たかや喜三公。この通り、金比羅はんのお札を仰山貼ったさけ、狐もおそれてよう近づかんど。おい、お前ちゅう男はなんちゅう悪戯さらすねん。阿栗に狐つけて苦しめくさったが、わしらに看破られて、しょうことなしに追い出しよったな。今度だけはこらえたるが、もういっぺんやりよったら警察へ突き出したるぞ。これからは金比羅はん祈って、お前の魔術が効かんようにしてこましたる。お前もええかげんで改心せい。昔から悪の栄えたためしはないのや。元の乳屋なとして、お宇能はんやお世祢はんを安心さしたれや。お前んとこが難儀すると、やっぱり黙って見捨てておくわけにいかんさけ、親切に気をつけるのやで。恩を仇で返すやないぞ」 覚悟はしていたものの、怒りで、眼の前がくらくらした。何を言う気もしなかった。ただ阿栗が不憫であった。案の定、治郎松の宣伝にはさらに拍車がかかった。「うちの阿栗に、喜三公がド狐つけて苦しめよった。わしらに責めつけられたさけ、骨折ってつけた狐を、しょうことなしに追い出しくさった。阿栗の体からド狐の抜け出すのを、わしはこの眼で確かに見たぞ。喜三公の命令一つでポンととび出しおった。わしばかりやない。広吉もいっしょに見とる。生き証人や。ほんまやど。親類のおれが言うのやさけ、嘘やないど。みな、喜三公に用心せいよ」 雲雀のお悦がそれを聞いて、意を強くした。自慢して、会う人ごとにさえずった。「やっぱりな。うちの敬にも憑けよるところやったで。うちはぴんと感づいたさけ、門前払いくわしてやった。甘い顔したらなめられるさけ、塩ぶっかけて、頭からどやしたるが一番や」 噂は一日で村内を一巡した。
 浪花行き以来、あまりにも失敗の連続であった。それもこれも自分が至らぬせいよと、喜三郎は省みる。渇した者が水を求める如くむしょうに清い清いものを欲した。 ――ようし、もういっぺん、高熊山の修行のし直しや。 けれども、今の喜三郎は昔の喜三郎ではない。喜三郎の周囲には霊学の修行者がいて放置もならず、緒についたばかりの亀岡の霊学会出張所の指導もおろそかにはできぬ。 ――第二回の高熊山修行は、寸暇を見つけて、不連続的にせねばならん。現界の行もつとめながらや。今度の修行で、わしは、さらに何かを、必ず何かをつかんでみせる。
 時鳥が一声鋭く鳴いて雲の低い夕空に飛び立ち、初夏の風が若葉を渡る。 松の枝からもれる月影をあびた喜三郎は、高熊山の岩窟の上の千引岩に端座し、幽斎の行に入っていた。 神を斎き祀るに、顕斎と幽斎の二法がある。 顕斎とは宮・祝詞・供物・御幣などによって荘厳で美しい形式をととのえ、天津神・国津神・八百万の神を祀って神の恩恵を称え、また感謝の心をあらわすの道である。 幽斎とは宮・祝詞・供物・御幣などもなく、ただ、おのが霊をもって誠の神に祈るの道である。 いわば顕斎は祭りの道、幽斎は祈りの道――顕斎にのみかたよるも悪しく、幽斎にのみかたより過ぎるも良くない。 夜が深まるにつれ、身も心も澄みきって、神人感合の境に入り、喜三郎の霊魂は肉体を離れて霊界に遊ぶ。 第一回目の高熊山修行の時、喜三郎はすでに霊界を探険しあらましの知識を得ていたが、もっとくわしく知りたい想いがいやましにつのっていた。 人間は死を境にして霊界に復活し、死後の生活に入る。その霊界は神界・中有界・幽界の三大境域から成る。神界は神道でいう高天原、仏教でいう極楽浄土、キリスト教のいう天国である。中有界は神道での天の八衢、仏教では六道の辻、キリスト教の精霊界だ。幽界は神道の根の国・底の国、仏教では八万地獄、キリスト教のインフェルノ(地獄)にあたる。 喜三郎の霊界探険は、時間空間を無視しておこなわれる。現界では物質的法則によって時間空間の制約を受けるが、霊界は意志想念のおもむくまま自在に時空を超越するからだ。 喜三郎の霊身は、瞬時にして、八衢の米の字形の辻に立っていた。 人は霊魂と肉体とで成り立つ。霊魂は人の本体、肉体はその容器、衣服である。衣服が破損したり、くたびれたりして、つづくろっても縫い直しても使用ができなくなった時、霊魂は「死体」という形で衣服を地上に棄て、独り霊界に復活する。その意味では、死は霊魂と肉体との永遠の訣別といえよう。 人の死後、霊魂がまず行きつくべき所が中有界、すなわち八衢で、善悪あいまじわる霊魂が集まり、ここでその善悪が立てわけられ、天国行きか地獄行きかが決まる。ただし例外はある。極善極真の霊はただちに天国へ昇り、極悪極邪の霊はただちに地獄へ堕ちる。この八衢で、おおかたの霊魂は、天国または地獄へ行くための情態を経る。 外分の情態↓内分の情態↓準備の情態である。 あらゆる事物に内面と外面が存するように、霊魂にも内面と外面があり、それを内分・外分という。内分とは霊魂そのものの想うところ、偽りのないまことの心である。外分とは表面の心というか、本心をよそおい隠す心だ。現界の事物に影響を受けた肉体的感覚とか、記憶とか、知識とか、その知識をもとにした言語・動作などで形成される。 現界の人間は内分を外分でおおい、さらに肉体という仮面をつけているため、内分の真の姿は容易にうかがい得ない。「外面如菩薩内心如夜叉」という場合も多々ある。けれど霊的法則の支配を受ける霊界では仮面の役割を果たす肉体がなく、意志想念そのものが霊身の容貌姿態となる。善を想えば善の顔、悪をなせば悪の顔になり、いささかのごまかしもきかぬ。この原則を「内外両面の一致」といい、霊界が「意志想念の世界」といわれるゆえんである。 死の直後、八衢にくる霊魂の容貌姿態はまだ現界のままであり、貧富教養の差などの外面をとりつくろう習慣も持続している。これが外分の情態である。 やがて「内外両面の一致」の霊的法則により外分がはがれ、内分が表面にあらわれて次第に変化し、ついにその霊身は内分そのままに美しくもなり、醜くもなる。生前、醜女であったものが絶世の美女となるのも、美女が二目と見られぬ醜女となるのも、その内分次第で、ここでおのずから霊界の境域が定まる。これが内分の情態である。 天国行きの霊魂は準備の情態に入り、必要な天国の知識を与えられる。地獄行きの霊魂にその情態はない。 霊魂が八衢にとどまる期間は現界の時間でいえば数日・数週間・数年とさまざまだが、三十年以上いることはない。ふつうは五十日間とされる。この期間の長短の差は「内外両面の一致」の遅速による。偽善者はおのが邪悪な内分の暴露をおそれて抵抗するため、その期間がどうしても長い。やがては外分の鍍金がはがれ落ち、醜陋をきわめた面貌がむき出しとなる。 生前の夫婦・親子・兄弟・朋友・知己といえど、天国や地獄で再び見え、あい識ることはない。ただし同一の信仰・愛・性情にあった者は、天国においてもあい寄ることができる。 八衢の辻に立つ喜三郎は、多くの精霊に出会った。死者の精霊ばかりか、生者のもある。 生きている人の霊魂が中有界にさまようのを見ても、今さら驚かぬ。すでに第一回の高熊山修行において、その理を聞かされていたからである。霊界とは死後に行く世界と思いがちだが、実は現界に即して、一体的・同時的に存在する。現界に生きながら、霊魂は相応する神界にも、中有界にも、幽界にも籍をおいているのだ。 喜三郎の存在に気づかぬのか、誰も声をかけてこない。ゆっくりと道行く人を観察できた。まだ現界に肉体を持っている精霊は、死者の精霊と明らかに判別できた。彼らは思いに沈みつつ黙然として前後左右に徘徊し、あたりをかえり見ない。もし喜三郎が声をかければ、その精霊は忽然と消え去り、現界に存する肉体に戻るであろう。 喜三郎は、八方に分かれた道の一つを選び歩き出す。山を越え、谷川を渡り、荒野を過ぎると、青葉の萌える岡に達した。岡の上には千年を経たと思われる一本の老松が立つ。ここはどうやら天国と八衢の境界らしい。岡の彼方からは、天人が奏でるか、笙の音がそよ風に乗り運ばれてくる。 老松の下の岩に腰かけ、あたりを眺めた。八衢側は小暗く、天国側はまばゆく明るい。八衢が秋の風景ならば、天国は春か夏の風景、地獄は荒原たる冬景色というベきか。 急に喜三郎は眼を凝らした。八衢側の岡を、さびついた古めかしい甲冑姿の老武者が息をあえがせ、よろよろと登ってくる。 老武者は喜三郎の前に立ち、弱々しい微笑を投げかけた。喜三郎は思わず問う。「見かけんお人やが、なんで今ごろ、そんなけったいなもん、つけたはるねん。重たいやろに?」「重とうござる。重とうて、重とうて……」 よろける武者の手をとり、喜三郎は言う。「そんなもん、脱ぎなはれ。敵なんぞ、ここにはおりまヘんで」「それが今となっては、脱ぎとうても脱げぬ。わしの業の深さが、長い長い時とともに、わが肉に食い入ったのかのう」「もしやあんたは……」 恥ずかしげに、老武者はうなずく。「わしが現界にいる時は、徳川家康と名乗っておった」「そうか……あんたがあの……海道一の弓取りとうたわれ、天下を統一して江戸幕府の基礎を築かはった……」「いかにもさようでござる」「けど、けったいなこっちゃのう。三百年も前に死んだはずの征夷大将軍がなんで今ごろ、八衢なんぞをうろついたはるのや。たしか八衢には三十年以上おることはないはずやが……」「三百年……おお、永らく地獄に呻吟しており申したが、それにしても三百年とはのう……。このほどようやく地底の闇を抜けてここまで辿りつくことができ申した」「あんたはんが地獄に堕ちてなはった?……あの血なまぐさい戦国時代とやらを終焉させ、史上まれに見る太平の時代を招いたあんたはんの功績は量り知れぬほど偉大やと思うてたんやが……」「確かにその功績は認められても、道ならぬ道によって天下を握った罪の重みは……これこの通り、焼印のようにわが身に食いこんで消えんのじゃ」 老武者の顔は苦渋に満ちていた。「そうでっか。わしにはまだよう分かりませんが、現界と霊界との価値観はまるきり違うみたいやなあ。けど、あんたの霊は、東照大権現として、日光山に祀られているはず……」「さよう。汚れた身が神として神宮に祀られ、ひとしお苦しい。祈られる度に、忘れてしまいたい現界での罪業がくり返しよみがえってきて、肉を裂かれる思いでござる」 皺深い彼の眼から、涙がこぼれ散った。と、あたりの空気が急に清澄度を増して晴れ渡り、闇の向こうから流れてくる妙なる音楽がさやさやと響いたと思うや、きらめく光茫が空を切って走り降る。その光に打たれてか、老武者は骨ばった掌で両眼をふさぎ、うめいて倒れ伏した。 光輝に包まれ降り立つ神にひざまずき、喜三郎は問う。「何とぞ、み名をお聞かせ願います」「この方は、そなたの幸魂・言霊別神である」 あまりの意外な仰せ言に驚き顔を上げると、すでにそのみ姿はなく、一筋の光が雲のあなたに遠ざかるのが望見された。 ――そんな阿呆な。あの神々しいお方が、わが一霊四魂の一つ、幸魂の顕現やなんて……。 喜三郎は呆然となる。 身を起こした老武者は喜三郎のそばににじり寄り、涙にぬれた面に必死の願いをこめ、言葉まで改めて嘆願した。「三千世界の救い主さま、何とぞわしを天国へお救い下され」 無意識のうちに、喜三郎は口走る。「その方の罪を許す」 瞬間、老武者の霊身から甲冑がはがれ落ち、精気に満ちた三十前後の若者の姿に変貌する。 ――そうか、権力の象徴ともいうべき甲冑をはがすことで、ようやくこの男の外分がとれ精霊はよみがえったか。 はっと吾に返ると、身は高熊山の岩上にあった。松にかかる月はほとんど動いていない。長い八衢探険だと思っていたが、現実にはいくばくの時も経過していなかった。霊界が時間空間を超越し古今のけじめもないことを、身をもって悟るのだった。
 真夜中の月は澄みきり澄みきり、颯々と峰吹く風はいっさいの邪気を吹きはらうかのようだ。松の木の下には、つつじの花が露を含んで咲きにおう。いつとは知らず、喜三郎の霊魂は再び霊界の旅へといざなわれる。 日も月もなく昼とも夜とも知らぬ枯野原を、喜三郎はとぼとぼと行く。途中、同じ曽我部村に住む夫婦づれに出会った。大地主であり、現界ではぴんぴんして小作人いじめも盛んだから、魂だけが肉体を遊離して、さまよい歩いているのだ。声をかけたが、夫婦はかがみこみ、黙ってうつむくままである。 あたりは暗さを増した。茅野の奥から青白い大きな火の玉が近づき、夫婦の頭上に落下した。絶叫が上がった。夫婦は二箇の火の玉に変じ、都合三箇が宙空に入り乱れてもみ合う。初めの火の玉が男の妾の生霊だと、喜三郎は感じた。三角関係のもつれで紛糾している現界の状態そのまま、霊界でもこのようにいがみ合っているかと思うと、恐ろしくなる。喜三郎は静かに神言を奏上する。三箇の火の玉は次第に容量を減じ、ついには全く姿を消した。 道の行手を細く深い泥川がさえぎる。泥川の底から鉢巻きをして眼のただれた大坊主が一人、また一人と浮かび上がり、よじ登って、喜三郎のいる岸に立った。大坊主は六人で、それぞれ長い棍棒をたずさえている。あきれて眺めている喜三郎の目前で、大坊主どもは棒高跳びの要領よろしく棍棒を支えに泥川を跳び越え、向こう岸に単横陣を張る。 彼らは眼をむき、棍棒をふりかざして口々に叫ぶ。「こら、喜楽……この川は渡さぬぞ」「何ぬかしてけつかる。よーし、見事に跳びこえて見せたるわい」 言うなり喜三郎、泥川ばかりか大坊主どもの頭上をひらり跳びこえていた。「こいつ、猪口才な……」 大坊主たちは棍棒をふりかざし向かってくる。天の数歌を宣りながら喜三郎は素手で防ぎ戦う。言霊の威力か、古い壁土がくずれ落ちるように次第に大坊主の肉がそげ落ち、ついには骨と皮ばかりの髑髏になる。髑髏は手をさしのばし、よろめきながら、喜三郎にもたれかかってくる。肉のついている時と違って、おぞけ立つほどいやらしい。たまらず逃げ出した。 六人のがりがり法師はかたまって一つの青い火の玉と化し、喜三郎の頭上で気色悪いうなり声を上げながら、前後左右に荒れ狂い、襲いかかる。 六人の法師――ろっぽう……。 こんな言葉が、せっぱつまったこの刹那に、喜三郎の脳細胞を刺激する。 手を振り上げ、足を高々と六方に踏んで見得を切る顔、隅取った役者の姿が映じる。――しょせんは虚飾――しょせんは約束事――。 次に武装した僧侶の集団――奈良の興福寺の六方衆。 さらには法令の条文を一冊におさめた六法全書の名まで浮かぶ。地中からは、氷のように冷たい骨ばかりの手が幾十本となく生え出て喜三郎の足をつかみ、ひきずりこもうとする。 震える唇に揮身の力をこめて、喜三郎は、ようやく「カンナガラ……」と言霊を発する。空中の火の玉も地中から生えた手も跡かたなく消え失せ、元の枯野の原である。 濁流みなぎる大川まで辿りついた。あたり一面、なまぐさい臭気がただよい、大小幾多の蛇が火焔を吐きながら泳いでいる。どうしてこの川を渡ったものかと思案していると、岸辺の草むらから、渋紙面をした背の高い老婆があらわれた。「やれやれ、今度は婆さんか」と、喜三郎は思わず嘆息する。「姿さんで悪かったのう。ボボ喜三と言われたお前に、女を選ぶ資格があるかい」と、老婆はしゃがれ声で迫る。「やあ、よう知ってけつかる」「お前のことなら何でもお見通しじゃ。さあ、裸になれ」「む、むちゃ言うな。女日照りのない世に、何を好きこのんでお前などと……それに今は、神の道の修行者や。たとえ絶世の美女に迫られたかて……」「まだ助平心が治らぬのか。色恋でなら、わしだってお前など選びはせぬ。お前の着物を剥ぎ奪るのは、三途の川守りとしてのわしの役目じゃ」「ははあ、さては悪名高き三途の川の脱衣婆か。婆のくせに追剥ぎなんて阿漕な稼業からこの川水で足を洗うて、さっぱり改心したらどや。こんな陰気くさい川端でぐずぐずしとらんと、一日も早う天国ヘ行け」「あいにくと、天国はわしの一番きらいな国……人の着物を剥ぐのが、わしの性に合うとる。いっそお前も改悪して、わしに手を貸さんかい」「なんとえげつない婆じゃ。おやおや、向こうからお得意さんが来よるで」「ありがたや、商売繁盛……ひっひっひっ……」 三人の男の亡者が、婆の手招きによって、魅せられたように近寄る。全くの無抵抗だ。婆の手が亡者の体にふれるやいなや、衣被の皮でもはぐように、衣類がするりと脱げ落ちる。その熟練の業に、喜三郎は見惚れた。 脱衣婆は裸でふるえ泣く亡者を心地よげに眺め、今度は喜三郎に向いて長い黄色っぽい舌を出し、嘲笑った。「見たか喜楽、今度はお前の番じゃ」「この寒空に殺生な、風邪ひくやんか。こらえてくれ、頼む」 逃げようとあがくが、足に根が生えたのか、びくりとも動かぬ。 喜三郎もまた、見事に裸にむかれていた。 裸体の四人は川岸に立ち、寒さに震えながら、大小の蛇の群れ泳ぐ三途の川を心細く眺めた。ふいに一人が悲鳴をあげて前のめりに傾いた。背後から、婆が背を押したのだ。濁流に転落した亡者は、たちまち大蛇に呑みこまれる。 とっさに喜三郎は一心不乱に神言を唱え、「惟神霊幸倍ませ」と宣り上げた。大蛇がガッと亡者を吐き出したかと見るや、三途の川も婆の姿も消え、花爛漫の野辺にいた。いつのまに身にまとったのだろう。彼らは元の衣服を着用していたが、ことに喜三郎の着物は、以前にまさる美しいものに変わっていた。 喜三郎の先達で、亡者たちはたどたどしくも感謝の神言を奏上する。 嚠喨たる音楽につれ、崇高い三柱の女神が舞い降りる。かたじけなさに、彼らは地に伏して涙する。喜三郎の問いに答え、三柱の女神は多紀理姫・市寸島姫・多岐都姫とそれぞれの神名を名乗り、須叟にして三神合し、一柱の女神と化される。 ――ありがたや、この女神は素盞嗚尊の佩かせ給う御剣から生まれられた三つの御霊、まさしく瑞の御霊や。 なぜだかむしょうに懐かしく、慕われてならぬ。
 高熊山の岩窟にありと思えば霊界に遊び、霊界にありと思えば現実界に引き戻されて思念をこらす時を待つ。喜三郎の霊魂は、夜明け前の松風の音にふわりふわりと乗って、高山の千引岩の上に安着した。見渡す限り、剣の刃のような岩石だ。谷底を見下ろせば、千丈の断崖絶壁である。寒風吹きすさび、谷底から湧く深霧はふくれ上がって、足を凍らせる。 祝詞を唱えるうち、たちこめた霧がうすらぎ、展望が開ける。岩山にいるはずの喜三郎は、いつしか百花咲き乱れる花園の中に降り立っていた。のどかで爽快な気分に満ち、しばし恍惚の境に入る。 目路はるか向こうの空より、紫の雲を押し分け、歓喜に満ちた言寿に包まれ、黄金の光まばゆい神輿が進んでくる。神輿のまわりには、幾百とも知れぬ旗指物が林立している。 空中を流れるように走る神輿は、喜三郎の前に静かに下る。扉が開き、玉容まばゆいばかりの崇高い神があらわれ給う。 ――あ、国常立尊さま。 第一回高熊山修行で、喜三郎はすでに拝顔している。「上田喜三郎、この方と共に、今より天国に来れ」 かたじけなさにひれ伏す喜三郎の背を、神はやさしく撫で給う。 思わず天地開けた心地し、感激の涙が腮辺を伝う。 この時、空中の一角より、言寿の声に包まれた朱塗の神輿が馳せ来り、紅の扉を押しあけて、きらきらしい女神がほほえみつつあらわれ給うた。 女神は男神に黙礼した後、喜三郎を見つめて静かに宣り給う。「わらわは稚姫君命です。そなたには大地の世界を救う重大な使命があります。そのためには天国の模様を知っておかねばならぬ」 思わず合掌する喜三郎。折しも万歳のどよもす声に顔面を上げるや、銀色に輝く神輿が舞い降る。国常立尊と稚姫君命は左右より手をそえ、喜三郎を神輿に入れた。いぶかしや、風もかつぎ手もないのに、神輿は数知れぬ旗指物に守られて地を離れ、空中に飛翔する。「弥永久世弥長……」 祝言を宣る言霊が天地に鳴轟する中、三台の神輿は五色の雲の階段をつぎつぎに登って最奥天国に達する。天国の太陽は現実界の太陽より遥かに明るい。神輿は黄金山上の長生殿にかき入れられた。長生殿は十字形の珍の宮居だが、その荘厳さ、美麗さは言葉でもあらわせず、絵にもかけぬ。 国常立尊は宣り給う。「この宮をやがて地上にうつし、汝に授ける。いよいよ豊葦原の全地の上に神の国を築くべき時節がめぐりきた。邪神の荒ぶ澆季末法のこの時、上田喜三郎は至粋至純の惟神の大道をきわめ、神の使いとして全世界に神の道を弘め、人類を神のもとに覚醒させよ。身魂を潔めて、真の勇・真の親・真の愛・真の智慧を輝かし、暗黒の世界の光となり、温みとなり、人心を清める塩となり、身魂の病を癒す薬となれ」 稚姫君命はのたまう。「そなたは群芳の中で三柱の女神の姿を拝したであろう。天国に導く前に、そなたの精霊に対面さしたのです。今後は瑞の御霊の神柱なるを自覚し、地上の光となり花となるよう努めなされ」 神言の一つ一つにいぶかり、驚きつつ、喜三郎は衿を正す。 長生殿にかかる真澄の鏡には、頭に輝く宝珠をかざした女神の姿が映っている。その前に突っ立ち、とみこうみしながらも、それが自分と気づくまでには間があった。「これがわしの精霊の姿……あ、つまりその……女や、わしは……」 二柱の神は長生殿の奥殿の御扉深くかくれられ、女神と化した喜三郎一人、惘然と立つ。吾に返ると、神庭には、神人たちが冴え渡る楽の音に歓ぎ舞う。魅き入れられるように踊りの群に分け入った。神人たちは女神の喜三郎をとりまいて踊る。その姿のおもしろさに、喜三郎は大声で歌った。 天地にとどろくわが声に愕然として目ざむれば、身は高熊山の岩上――。東の空はあかあかと紫の雲たなびき、清涼な朝風が五体を浄めるよう。樹々の梢には百鳥がさえずり始めた。やがて東の山の端から真紅の太陽がのぼり、朝露の玉を宝石のように輝かせる。そのすがしさ、美しさはそのまま天国の延長かと思うばかり。 感謝の祝詞を奏上しつつ、喜三郎は、神のもたらしたメッセージの重さに粛然となる。と同時に、心の底から勇みに勇み立つのを押えきれない。 ――わしの霊魂はどうやら女性らしい。なんやけったいなこっちゃ。おまけに瑞の御霊の神柱……。その尊い神柱には世界を救う使命があるそうな。ということはわしが救世主。どえらいこっちゃわい。ま、それもよかろう。 だいそれた救世の使命の自覚を、二十八歳の喜三郎は、さして誇大だとは思わなくなっていた。
 高熊山の岩窟は、巨岩が露頭し谷に面して切り立った崖の中腹にある。その岩窟の上には、まるで人工でうがった台座のような、大小四十八個の天然の凹みがある。第一回の高熊山修行の際、その凹みの中にそれぞれ四十八人の天使が坐ってみろくさまのお話を傾聴しているさまを、喜三郎は霊眼で視ている。以来、喜三郎は、その凹みを「四十八宝座」と勝手に名づけている。 幽斎修行者の指導を琴に任せたまま朝から高熊山に登った喜三郎は、四十八宝座の右手の懸崖から一筋の水がぽとぽとしたたっているのに気づいた。その水を伝って谷底深く下りると、わずかの水たまりができていた。手ですくってむさぼり呑む。渇したのどには甘露とも何とも形容しがたい。 山腹をよじ登って、再び岩窟のある場所に出た。岩窟のななめ右に崖から身を乗り出し突き出ている岩石を、蝦蟇岩という。下から眺めると、巨大な蝦蟇のように見える。その蝦蟇岩に座して鎮魂の姿勢をとった喜三郎の瞳に、一株の三つ葉つつじの花がとびこんだ。「朝日照る、夕日輝く、高倉の、三つ葉躑躅のその下に、黄金の鶏小判千両埋けおいた」 名もしらぬ鳥が里人に告げたという伝説を思い出していた。 ――黄金の鶏、小判千両。あの三つ葉つつじの下に宝が……。 その思いが脳裡に閃いた刹那、喜三郎は激しい頭痛に昏倒し、遊離した霊魂が落ちていく。 見渡す限りの青野原を、喜三郎は急いでいた。いずくともなく、さわやかな声が響く。「汝、つつじの下を掘れ」 はっとして立ち止まり、見廻すと、あたり一面、丹つつじの花が咲きにおう。「つつじの下いうても、どのつつじでっしゃろ」「三つ葉つつじの下を掘れ」 よく観ると、咲き誇るつつじはどれもこれも三つ葉――姿は見えず、すがしい声のみが翼をもって乱舞するように「三つ葉つつじ、三つ葉つつじ」と前後左右に響き渡り、喜三郎を責めさいなむ。 ――そんな殺生な。こんなようけの三つ葉つつじ、とても一人で掘り尽くせへん。 手をつかね、茫然とたたずむ。 清爽な楽の音につれ、紫衣をまとった神々しい女神が現われた。どこかで見たことがある。喜三郎はかしこみ、つつじの野にひれ伏す。 女神は宣る。「醒めてある時、そなたは物質の宝に迷ったであろう」「す、すみまへん。迷ったつもりやなかったんですが、岩窟の傍に三つ葉つつじを見つけて、ちらっと……頭の隅にほんのちょっとだけ、千両の小判のことが……」「よく聞きなさい、喜三郎殿。神界は意志想念の世界、相応の世界ですよ。塵の穢れも許されません。そなたの僅かと思った欲念が、これだけの三つ葉つつじを生んだのです」「ほんまに恥ずかしい限りです」 口先では「顕幽一致」などと簡単に言いながら、行うことの困難さを、喜三郎は思い知った。いっかどそうに惟神の道の修行をしているつもりで、心にはまだ体主霊従の穢れがしつこくこびりついていることを悟る。 言葉しずかに女神は告げる。「わたしはそなたのまことの精霊です」 ――そうか、どこかで見たと思うたら、花園で会った三女神の化神やった。「そなたの心が曇ったが故に居りがたく、たまゆらにそなたから離れました」 清冽無垢な女神の声を聞くにつれ、喜三郎は、おのが心の醜さ、弱さが洗い流されるような気がする。「どうやらそなたの心も晴れたようですね」 女神はほほ笑み、喜三郎の体内に吸いこまれて行く。つつじ野から立ち上がった喜三郎はしなやかな身のこなしで歩き出す。唐紅の薄ぎぬが裾を引いてまといつき、それを包んで紫の雲がたなびいている。 女神と化した喜三郎は、いつとはなく、天教山の頂きに端座していた。満天晴れ渡り、眼下の海には金波銀波が輝き、最奥天国の紫微の宮にいる心地である。 天教山頂にいるはずが、気がつけば富士山頂に変わっていた。霊界と現界が合わせ鏡とすれば、霊界の天教山は現界の富士山に相応する。三保の松原が波の上にただよい、息のむばかり美しい。山頂には深い雪がありながら、少しも寒さを感じない。東方を眺めて、はっと心が曇った。武蔵野から立ち上る黒煙が天にみなぎっている。 ――武蔵野に住む人の心が濁りきっているから、あのような妖雲が立ちのぼるのじゃ。 日本の将来は、あの不吉な黒霧に閉ざされてはならぬ。 一瞬の思いが歌となって、唇をついてでる。   日の光り昔も今も変わらねど       東の空にかかる黒雲 裾野から白雲がむらがり起り、視界をさえぎってくまなく喜三郎を包む。ここが天教山か富士山か、けじめがつかなくなってきた。やがて雲を破って真紅の太陽が昇り、白い雲海は茜色の雲の波に変わる。あまりの壮厳さに、喜三郎は四拍手して天津祝詞を奏上していた。と、忽然として、姫神が顕現される。 姫神はおごそかに名のり給う。「われこそは富士の神山の守護神なる木の花姫です。いついかなる時でも、そなたは惟神霊幸倍坐世の神文を忘れぬように……」「ありがとうございます」 その神文を、喜三郎は夢中でくり返し唱えた。一声、一声が光の波となって、はてしない天界に吸われていく。奥深いところからそれは木霊し、無数に響きあって、天も地も揺れ動くかのようだ。人にも説き、自分でも唱えてきた言霊でありながら、これほど尊い生言霊とは思わなかった。あふれ落ちる涙をそのまま瞳をひらくと、涙の膜の向こうで木の花姫がひざまずき、合掌している。 気がつくと、光の波はわが身をまぶしく巻きこむ黄金の渦となって、速力を増している。颯っと姫神の姿が消え、喜三郎は中空を翔っていた。 夢の間に、饅頭形の平担な山上に安着した。青葉のはざまに百花が匂う花園だ。風の薫りも甘くすがすがしい。周囲には形よい山が重なり並ぶ。中空の月は現界の太陽ほどの明るさで、真昼と変わらぬ。それでもしっとりと夜気がただよい、夜露が花々をぬらしている。みずみずしい青い月光にうっとり見惚れていると、突然声をかけられた。「いかがです、お気に入りましたか」 驚いてふり返る。その視線に出会ったせつな、喜三郎は元の姿に戻っているおのれを感じた。中有界探険の時に出会った言霊別神が立っていた。「これは、言霊別神さま、おなつかしう……」 そして「久しぶり」と続けかけて言葉をのんだ。おのが幸魂と告げられた八衢で言霊別神と別れたのはつい先ほどのような気もするし、遠い昔とも思う。霊界は時間空間がないので、現界みたいにはいかない。喜三郎は、おざなりな言葉で答えた。「ほんまに天国の月夜はすばらしいですなあ」「いや、天界には違いないが、そこは天国ではない」「……とすると?」「天界には天国と霊国の二大境域がある。あなたがすでに行かれた黄金山は天国だが、ここは霊国です」「へえ、ここが霊国……天国とはどう違いますのやろ」「天界は愛善と信真で構成される霊的楽土ですが、愛善中の信真の比重により、おのずから天国と霊国とに分かれます。愛を主とし信を従とする愛主信従の天国と、信主愛従の霊国で、それぞれにかなった天人たちが住んでいます。天人と言いましたが、正確には、天国の精霊を天国天人、霊国の精霊は霊国天人または天使と言別けています」「天使……ははあ……ところで天国にも霊国にも蓮の池をいっこうに見かけまへんが、極楽浄土に住む仏さんたちが蓮の台に坐っとるちゅうのは、どうなりまっしゃろ」「仏教でいう蓮華台ですか。それは方便です。天人といえども、日夜歌舞音曲に酔いしれ、遊んで暮らしているわけじゃない。主神が万の物をお造りになったのには、それぞれ目的がある。用です。用のない生物は、霊界にも現界にも決して存在を許されない。ましてや天人にはその霊格にふさわしい天職がある。それを楽しみつつ神業にいそしみます。天国では祭祀がもっとも重要な神業とされる。この宇宙を生言霊によって造り出され、統べられつつ、今もなお不断に活かさせ給う主神のお働きに合して言霊を宣り、天地に湧きおこる罪けがれ、曲津の妖邪の気を祓い清める」「すべてを活かそうとする神の御意志と、こわそうとする邪神群とのたたかい……そうか、肉体を持たぬ曲津を切るのは、言霊しかない。活かすも切るも言霊や。八衢でわしが見たのもそれやった」 言霊別神は大きくうなずく。「すると霊国天使の役割は?」「主神のみ教えを宣べ伝え、言向け和して悟らせるのが使命です。愛善に充ちた天人と信真に充ちた天使とでは、おのずと役割が違うのは当然でしょう。祭祀は天国でのみ行なわれ、祭典がすむと、霊国の天使が天人たちに愛善を説き信真をさとし、円満なる天人の智慧証覚をいっそう清澄に磨き上げます。また天使はその霊格に応じて、地上のみか地の底まで降りていきます。神の光に背を向け、その声に耳をふさぐ幽冥界の霊魂を、さまざまに身を変えつつ改心させ、救い上げる。天人は、天使のように道を説くことは許されず、天使は天人のように祭祀には奉仕できません」「へえ、きびしいもんですなあ」「天国や霊国は最奥天界から第二、第三天界と三段階に大別され、その中にもまたさまざまな段階があって、団体を作っています。大きなのは十万人、小さいのは五、六十人。愛と信との情動いかんで、相応の理により、自然に集い寄ります」「相応の理ちゅうと……ここは現界と違うて、もともと物質世界やないさけ、今わしの眼に映るこの山や川や草木かて、どうやらあてにはなりまへん。同じ景色かて、仏者が眺めたら蓮華咲く浄土と映るかも知れんのや。ちょっとうかがいますけど、あなたのごらんになってる風景は、わしの見てるのと同じでっしゃろか。つまり霊国のほんまの姿を今わしが見てるのかどうか……」 言霊別神は笑いかけ、「失札ながら、この景観そのままは、まだあなたの眼には見えますまい。わたしはあなたの幸魂ですが、あなたの本霊に今以上の神的智恵が備われば、四魂そろうて私と同じ眼でこのすばらしい御園が見られましょう。けれど天界に相応しない霊魂に天界の真の姿をまともに見せたら、強烈な光に眼が焼きつき、絶景を楽しむどころか、激痛に耐えられますまい」「ぼつぼつ分りかけてきたようやが……、ところでこの輝くような山の御名は?……」「霊国一の名山とされる月照山です。ちょうど月の大神さまの宮殿の入口にあたります」「月照山……ほんならそこからのぞいたら、大神さまのお姿が拝めまっしゃろか」「とてもとても……大神さまのお光が強すぎて、その御本体を誰も拝むことはできない。主神は天国では太陽、霊国では月として顕現されます。ですから天国では日の大神さま、霊国では月の大神さまと称えていますが、元は一つ、主の大神さまのあらわれに他なりません」「おかげで主の大神さまのお働きの一部が分ってきましたが、その御名は?……」「神素盞嗚大神と称えています。現界では、この造物主、独一真神について、いろいろな御神名で呼んでいます」「ところ変われば、呼び名も変わるちゅうわけですなあ。神道では天之御中主大神、キリスト教ではゴッド、ギリシャ神話ではゼウスの神、ユダヤ教ではエホバ、回教ではアラー、支那では天・天主・天帝、易では太極、仏教では阿弥陀如来さまがそれにあたりますかなあ。実は同じ主神を拝んどるのに、互いに憎しみ、争い合う。宗教戦争がいかに無意味でばかげたことか、ようやく悟らせてもろたとこですわ」 喜三郎は、煌々と輝く月に向い、思わず拝跪していた。「少し霊国を案内しましょう」 言霊別神が喜三郎の手を引くや、たちまち身は岩山の上にあった。 岩の間には常磐木が繁り、枝と枝、葉と葉がふれ合い風琴の音をかき鳴らす。眼下の谷間には青々と水をたたえた池があり、鴛鴦が群れ、魚鱗の波が金色にきらめく、いつのまにか言霊別神の姿は消えている。岩山を下り池畔にたたずむ。足下には五色の菖蒲が咲ききそい、水鳥が親しげに近寄ってくる。 ふいに池の面に波紋が立つと見るや、大小の島々が巨浪をまき起こしつつ次々と湧き出る。波が静まり、生まれたばかりの大きな島に、荘厳な檜造りの宮居がそびえる。宮のまわりに生えた小松は見る見る伸び、形よく枝を張って宮を覆う。松の枝には、鶴が巣をかまえて千歳を寿ぐ。 黄金の舟が水面に浮かぶ。神人が舟を岸に漕ぎ寄せ、喜三郎を手で招いた。喜三郎が舟上の人となると、神人は水棹をあやつって舟を大島につけ、汀につないだ。磯辺に下り立って四辺を見廻す。妙なる音楽、魂を洗うさわやかな風、木も草も黄金色に光り輝く。空には数知れぬ鳥が翔し、地には大小無数の緑毛の亀が遊ぶ。「よくごらんなさい。ここが龍宮島ですよ」と、神人が告げた。 そうか、龍宮は昔に聞く宝の島やそうなが、その宝はどこにあるのやろと、喜三郎は眼を凝らす。視界が薄暗くかすんでゆき、ものの形がなびくように流れると、身は高熊山の岩窟にいることに気づく。ふくろうが眠たげに鳴き、岩ヶ根の露の冷えた小夜更だ。 ――しまった。まだ現界の欲が離れんのかいな。 臍をかむ思いだ。見たばかりの龍宮島を名残り惜しく思い返しつつ、岩にへばりついて生える岩梨の黒い実を頬ばってのどの喝きをしめす。鎮魂の形を正すや、再び精霊は霊界へと戻って行く。
 黄金色の翼をひるがえし、鷹が天翔った。目路の限り百花繚乱の野を、木の花姫の先導で、喜三郎は行く。小鳥は歌い、蝶は舞い、山野は生の息吹きに充ちる。 ややあって、大きな川に行きあたった。川には金色燦爛と輝く長く大きな反橋がかかり、その遥か先、うち仰ぐ雲のあなたに、煌く宮殿がある。「あれが月の宮居、この橋を渡れば霊国は間近です」と、木の花姫が教える。 鏡のように滑らかな橋に映る我が姿に、喜三郎は愕然とした。いつしかわが身が、またしても五色の衣をまとった美しい女神に変じている。「この橋を黄金の大橋と申します。神界旅行の旅人は、この橋の袂までくると、その美麗さと荘厳さに肝をつぶし、中には反橋を昇ろうとして滑り落ち、川にはまりこむ者もあります。ですからこの橋を渡るには、いっさいの荷物を捨ててはだしになり、足の裏を平たくくっつけて歩かねばなりません。またこの橋は一点の曇りもなく輝いてそれぞれの身魂を映し出し、本性をさらけ出すのです」 木の花姫の説明によって、「わしの身魂はやはり女性か」と喜三郎は納得した。そう意識したとたん、挙措まで急に女らしくなるのが我ながらおかしい。手ぶらなので荷物を捨てる必要はなく、草履だけを脱いだ。 黄金橋は十二の太鼓橋でつながっており、勾配が急でつるつると滑るのに、身を支える欄干がない。少し油断すると上りにはつんのめり、下りには仰向けに転倒する。その度に、木の花姫が手を取り起こし、後になり先になりしながら気づかってくれる。羞じらいと苦しさにふき出る汗を、涼しい川風がさっと吹き清める。 ようやく六つの太鼓橋を渡り切った中間点に、欄干が設けられていた。それにもたれ、ほっと一息入れて、川面を眺めた。浅瀬の清い流れには小魚が群れ、汀には紫の花菖蒲が咲き誇る。そのそばで、五色に輝く川底の砂利を素足で踏まえ、長い黒髪を風になびかせた白衣の女神たちが衣を洗っている。水は女神たちのすきとおるように白い脛にまとわりつく。「ここが八洲の河原ですよ。ほら、あちらに七乙女があなたをお待ちしています」 木の花姫が指さす橋づめには、七人の乙女が並び待つ。喜三郎は橋を渡る要領を会得していた。「いっさいの荷物を捨てる」とは単に物質上の荷物を指すばかりでなく、あらゆる執着を捨て去ることだと悟った。足の裏がくすぐったいような、眩しいような心持ちで、喜三郎は橋を渡り切る。 七乙女たちは、喜三郎を「ウーピーの神」とたたえているらしい。ウーピーの意味は定かには分らぬながら、乙女たちの朗らかな歌声に、天地の開けゆく心地がする。 七乙女に先導され、木の花姫に手をあずけて恍惚と進む喜三郎の精魂は、天もなく、地もなく、我もなく、有漏路無漏路を超越し、夢にもあらず、現にもあらず――。 いかばかり刻がたったか、気がつくと木の花姫と七乙女の姿が消えていた。 吾一人、神界に捨てられた思いを振り捨て、喜三郎は東雲の空に駆け昇った。四方から雲が寄り集まって喜三郎をふわりと抱き上げ、五色の層に輝きつつ、どこへ誘う気か、ぽかりぽかりとのどかに浮かぶ。 雲のすきまから、下界が垣間見えた。地上では蟻のように小さく見える数多の人々が、せわしなく動き廻っている。瞬間、琴にまかしておいた幽斎修行者のこと、家族の面々などが心をよぎる。と、雲は次第に拡散しかけ、薄れた雲は喜三郎の重みに耐え切れぬのか、つうと落下し始める。 ――そうや、ここは意志想念の世界やのに、現界に執着を向けたら、せっかくの神界旅行ができん。 踏み抜きそうな薄雲の上でひたすら神の御名を唱え、祈る。雲は再び寄りきたり、見事な階段を作る。喜三郎は軽やかに雲の階段をかけ昇った。「上田喜三郎――」 木の花姫の澄み切った御声に続き、四方八方からウーピーの君と呼ぶ七乙女の声が木霊する。 空の一角より、崇高く男々しい神人が天馬を馳せて現われた。 ――日の出別神。 その神名を直観する。 いつしか喜三郎は白馬の背にあった。つぎつぎと天馬にまたがった神人が出現し、喜三郎の前後を囲む。日の出別神を先駆に数知れぬ天馬の列が、天高く天翔る。ふり返れば、木の花姫や七乙女や数多のエンゼルが嬉々として従う。風の奏でる音曲に乗って鈴の音がしゃんしゃんと響き、ひずめの音がカッカッと冴え渡る。駒の蹴ちらす雲の小さなかたまりが、虹色に輝いて舞い上がる。眼下には百千万の星がきらめく。喜三郎が勇めば駒もいななき、まさに天馬の群が空を行く。 この颯爽たる英姿を高熊山に残したわが肉体に見せてやりたいと、喜三郎の胸は熱くなる。そのせつな、駒が前足をはねあげ、狂い出した。夢中でたてがみにしがみつく。駒は天人たちの列を離れ、あがきながら落下していく。 ――しまった。またや。地上のこと思い出したらあかんのに。 再び神を念じ神言を奏上するや、駒は足並おだやかに馬首を立て直す。やがて天人の列に追いついた。喜三郎は列のしんがりについて進む。「ここが霊国の天教山です」 何者とも知れぬ声が響き、喜三郎は、太陽のように輝く天教山の尾根に、木の花姫と並び立っていた。女神であった喜三郎の身が、いつしか言霊別神の姿に変じている。七乙女は陸離たる七色の光と化して巨大な太陽に吸いこまれる。と見るや、太陽の中から崇高い女神が儼然と現われ給う。稚姫君命であった。 太陽はたちまち月と化し、稚姫君命は、月を背に雲路ふみつつ尾の上に降る。待ち受ける木の花姫、言霊別――そして三柱の神々が合したと思うや、喜三郎の霊魂は高熊山に立ち返っていた。

表題:オリオンの星 3巻2章オリオンの星



 駿河から帰ってすぐ、喜三郎は三矢喜右衛門を園部に派遣していた。長沢総理からの辞令書を内藤半吾と下司熊次郎に届けて、ともに園部方面の教勢拡張を計らせるためであった。ところが三矢は、喜三郎の信頼する内藤半吾には近寄らず、下司熊次郎と結んで不穏な動きを示し出した。 熊次郎(四十歳)は船井郡口人村の侠客下司市之助(六十七歳)の長男で、妻はるとの間に二児がある。喜三郎の推薦で稲荷講社社長の資格を得た熊次郎は、鎮魂帰神術を悪用して怪しげな相場占いを始めたのだ。利を以て三矢を篭絡し、喜三郎を出し抜こうと下司市の子分らをかき集めて暗躍中との、内藤の通報である。 事実を知った喜三郎は、その不心得を諭すべく、胆力のある斎藤仲市を使者に送った。説得に来た仲市を囲んで三矢や熊次郎、それに十余人の子分らは無理難題を持ちかけ、逆に主導権を園部に移すように迫る。やがて酒盛りとなって、呑む程に一座の空気はいっそう険しくなるばかり。「わしには喜三やんみたいな神力も弁論もなし、あるのは度胸だけや」と覚悟を決めた仲市は、小刀を抜いて自分の左腕の肉を一寸四方ばかり削ぎ取り、「まあ、これを酒の肴にしてくれや」と満座の中に差し出した。一同は度肝を抜かれ、青ざめて声もない。それきり逆らう者もなく、ようやく服従に傾いた。 園部の反抗は一応おさまったものの、いつまた再燃するか計りがたい。喜三郎は早急に稲荷講社所属の霊学会本部を穴太に設置し、長沢総理の認可を得る必要を痛感した。高熊山修行を一時中断してでも、斎藤仲市を連れて再び駿河を訪ねようと決意する。 留守中、幽斎修行は休むつもりだったが、修行者は続行を希望して承知せぬ。一同かなり上達して、正神の感合もあと一息のところなのだ。「よし、ほんなら改めて心得を書きとめとくわ。お琴やんはちょっと残ってくれ」 人気の去った斎藤家の離れ間で、喜三郎は琴に向かった。「よいか、お琴やん。すでに知っとるところやが、幽斎修行するにあたって七つの基本を忘れるなよ。  一、身体衣服を清潔にする事。  二、幽邃の地、閑静の家を選ぶ事。  三、身体を整え、瞑目静座すること。  四、一切の妄想を除去する事。  五、感覚を蕩尽して、意念を断滅すること。  六、心神を澄清にして感触のために擾れぬよう務めること。  七、一意専心に、わが霊魂の主神の御許に至るよう、黙念すべきこと。 この七章は自修の要件やが、くり返し念じて幽斎に入るんやぞ」 琴は神妙な顔で、うなずきながら聞いている。「次に修行を志す者が常に服膺しておかねばならんことを書いておくさけ、よう読んどいてくれ」 喜三郎は一気に文章をしたため、琴に渡した。  一、霊魂は神界の賦与にして、すなわち分霊なれば、みずからこれを尊重し、妖    魅なぞのために誑かさるることなかれ。  二、正邪理非の分別を明らかにすべし。  三、常に神典を誦読し、神徳を記憶すべし。  四、幽冥に正神界と邪神界のあることを了得すべし。  五、正神に百八十一の階級あり、妖魅またこれに同じ。  六、精神正しければ即ち正神に感合し、邪なればすなわち邪神に感合する。わが    精神の正邪と賢愚はただちに幽冥に応ず。最も戒慎すべし。  七、正神界と邪神界とは、正邪の別、尊卑の差あり。その異なる、また、天淵の    違いあるを知るべし。「いつも言うとることやし、どうや、読めるけ」「むずかしいけど、振り仮名ついたるし……それで喜三やんの留守中、審神者は誰が?……」「鎮魂帰神に最も重要なのは審神者の役や。速やかに憑霊の正邪を判別するには、注意周到でなけらならんし、胆力も学識も必要や。お琴やん、お前にできるか」 琴の頬が誇らしげに燃えた。「必死になってやればできまっしゃろ。うちはやってみる」「頼むで。ほんなら審神者の覚悟せんならんことを言うておく。  一、過去・現在・未来を伺うこと。  二、まことの神か偽神かを明らかにすること。  三、憑霊の上・中・下の品位を知ること。  四、神の功業を知ること。  五、荒魂・和魂・幸魂・奇魂を知らねばならぬ。  六、天神・地祇の分別のあること。  七、神に三等あることを知らねばならぬ。  八、神の公憑・私憑のあることを知らねばならぬ。 よいか、これも書きつけておくで。怖いのは慢心や。お前一人の力でするんやない。神の御加護があってこそやぞ。くれぐれも慢心するなよ」
 五月二十日、喜三郎は無理算段して金をこしらえ、斎藤仲市を連れて東上した。その夕、乗り替えの静岡駅まで着くと、江尻(現清水駅)行きの汽車はもうなかった。小さな平屋建ての静岡駅を出て二分ばかり、紺屋町の延喜式内社・小梳神社(祭神は須佐之男命・奇稲田姫)の入り口に「みどり亭」という蕎麦屋兼業の宿屋を見つけ、そこに泊まることにした。二階の窓からはさえぎる家もなく、一望のもとにたそがれの富士が迫っている。喜三郎は勝手にこの宿に「見晴亭」と命名した。 夕飯も早々に、宿屋の番頭に遊びの穴場を聞き出した仲市は、一人で飛び出して行った。取り残された喜三郎、自室にこもって幽斎に入る。たちまち神と感合した。 茶を運んできた女中が、敷居際で立ちすくんだ。座敷の中央で、喜三郎が瞑目正座している。「あのう、どうかしたずら」と声をかけたが、ぴくりともせぬ。息をしているかどうか、おそるおそる近寄ってのぞきこみ、耳に口をつけ、「お客さん」とどなってみるが、やはり反応なし。鼻をつまんで思いっきりねじっても、涼しい顔。水差しの水をぶちまけると、ようやく喜三郎は平静に復した。「ああ、びっくりした。何したんや。びしょびしょやないか」と、喜三郎はきょとんとした眼で、蒼ざめた女中を眺めた。「こっちの方がびっくりしただよ。せいだってお客さん、まるで地蔵さんみたくじっとして動かないずら。いったいぜんたい、どうしなさったんだね」「あ、そうか。実は神さんがかかってはったんや。心配さしてすんまへん」 女中が報告したらしく、やがて宿の主人や番頭ら数人押しかけてきて、神さまの話をせがむ。喜三郎が神道の大意を語って聞かせると、彼らは「ありがたいお客さんにお泊まりいただいた」と、感激するのだった。 夜が更けても、夜遊びの仲市は帰らぬ。所在なく室内を見廻すと、床柱に扉の把手のようなものがつけてある。使途を確かめるため、指で押したり、引いてみたり――「はーい、はーい」と、遠くでしきりに女中の声がする。ややあって、白髪頭の番頭があらわれた。「お客さん、何か御用でごぜえますか」「なんでや、別に用事はあらへん」「せいだけいどもさっきからしきりにお招きになりましたずら」「あほくさ、わしは一言も呼んでへんで。何かの間違いちゃうか」「いいえ、確かにお客さんは、室内電信でお呼びになりなさったですよ」「室内電信?……何や、それ……」 番頭は腑に落ちたように苦笑した。「つまりその床柱の把手は呼鈴だで、御用がないならどうか触らぬように願います」 事態の呑み込めた瞬間、喜三郎の顔が火になった。 それから半時間程して帰ってきた仲市に失敗談を白状すると、仲市は大いにくやんだ。「喜三やんは田舎者丸出しやさけ、それで困るんじゃ。神さん話のあとやでよけい格好がつかんわ。明日は夜明けにこそっと出発しよやないか」 翌朝五時過ぎの一番列車に乗った。車中で、二人は宿賃の高さに驚き合った。大阪の宿賃の高さにこりたはずの喜三郎だが、静岡は田舎町だし、上等でも五十銭ぐらいとふんでいたのが、中等で一円五十銭。軽くなった懐中をぼやき合う間もなく、三十分足らずで江尻駅に下車、六時には総本部へ着いていた。 長沢は喜三郎と仲市を歓迎し、清水港・三保の松原・御穂神社等へ案内してくれた。当時、長沢は月見里神社他三十社近い村社・無格社の神職を兼ねていたが、また県社の御穂神社の社司でもあったのだ。 巴川口まで歩いて十五分、三、四百メートルも丸太を並べた長い羽衣橋を渡った。この橋は明治二十年代に造られ、大正末期まである。橋を越え、弁天崎、塚間を通って四十分程歩くと三保である。三保の松原はまだ全国的に名を知られてはいなかった。 磯の香を含んだ風が老松の梢に鳴る。白砂を噛んではひく波の音。群青の空、紺碧の海。その間に、白雪のひだひだを深くかつぎ、紫にけむる裳裾を引いて立つ富士。現界の富士を見るのは二度目、その気高さ、清しさに圧倒され見惚れて時を忘れる。 長沢に促され、千年も経たかと思われる羽衣の老松を見、砂丘を越え、松並木の間の長い参道を渡って、御穂神社に詣でる。天女の羽衣のきれ端という宝物を、長沢に許されておそるおそる拝観した。二寸四方ぐらいの、毛のような黒い光沢のある布片である。天界の女神たちのまとう薄衣の美しさに見慣れた喜三郎の目には、何とも奇異にうつる。説明文によると、「推定千二百年以前のものであり、この織物の紋様等の研究から、西域、西蔵渡来の逸品であろう。当時、比礼や裳に使用」とある。「先生、これが世に名高い天の羽衣ですか」 長沢は、まじめな顔で、独特の説を披露した。「さよう、俗にいう天の羽衣です。けれど天の羽衣は、天の羽車の誤伝でしょうな。古代高貴な人の乗物であって、これはその破片であろうと思います」 帰りは漁船に便乗し、夕凪の波間に映える富士をあかず眺めつつ、五十分ほどで下清水に着いた。喜三郎の心は、満ち足りた喜びと、師への感謝で一杯であった。 翌日も、翌々日も、師について幽斎研究に励んだ。夜は深更まで、霊学についてむさぼり学んだ。あい間には、清水次郎長の墓のある梅陰寺に詣で、次郎長・大政・小政の墓石を愛撫し、つい二、三カ月前までは本気で侠客を志していた身の変わりようを思う。長沢の母豊子、妹ひさとも親しく語り合った。 その夜、多田亀吉から至急親展書が届いた。「大そうどうあり、すぐかえるべし」大きな字で、簡単にただそれだけだ。斎藤元市からも同様の信書が届いた。 波立つ胸を押し鎮め、天然笛を吹く。心が澄み切って、やがて声なき声が映ってくる。 ――幽斎修行者に邪神界の霊がかかって混乱が起こっている。恐れ驚くには及ばぬが、急ぎ帰ってとり鎮めよ。 師にその旨を打ちあけて、喜三郎は深く謝し、仲市と共に駿河を後にした。喜三郎の大きな鞄の中には、何通かの辞令が入っていた。「講社規約第五条に拠り鎮魂、帰神の二科高等得業を証す」「講社の中監督(五等役員)を命ず」「京都大阪府下講社事務担任を命ず」「京都府下に於いて霊学会本部設置の件認可し、皇道霊学会会長を命ず」 霊学会本部設置の認可を得たことで、晴れて警察からの干渉をまぬがれる。さらに三矢や下司の策謀を押えることもできる。また亀岡霊学会出張所に関しても、社長に旅篭町の桂熊太郎、井上佐太郎ほか七名を取締・世話役に推し、辞令を下附されていた。喜三郎は、さしあたっての郷里での混乱よりも、将来の希望に勇み立っていた。 京都まで帰って、下京区下寺町東入若宮町の小竹宗太郎家を訪問。弟正一の養家である。明治二十八年に養子となり、十五歳に成長した正一に会うのは久しぶりであった。しかしゆっくりも出来ぬ。番茶を馳走になっただけで辞去。七条駅から列車で嵯峨へ。嵯峨以西は未開通であった。愛宕神社の一の鳥居をくぐり、清滝から新緑を眺めつつ、山伝いに山本村へ出る。谷間は、あちこちで鉄道工事の最中であった。 保津川にかかった仮橋を渡り、亀山城跡のそばを通り、旅篭町の外志筆吉を訪ねた。霊学会亀岡出張所の近況を聞くためである。ちょうど外志宅には役員が集まって協議中であったが、彼らの喜三郎に対する態度は激変していた。駿河から下附された辞令書を受け取らぬばかりか、「以後いっさい信仰をやめる」と言いはる。「穴太で幽斎修行者が大騒動を起こし、警察が拘引した」という噂が伝わり、後難を恐れたのだ。 穴太の混乱が想像以上と知っては、もう安閑としておれぬ。喜三郎と仲市は彼らを説得するひまも惜しく、穴太へ向って走る。 結局、霊学会亀岡出張所の動きは一頓挫し、わずかに外志筆吉・はる夫妻が残ったのみである。 小幡橋を渡り、斎藤家の門前に来て驚いた。門の内外は黒山の人だかり、元市が侵入せんとする見物人を血相変えて制していた。女たちの金切り声・怒号・地響きが門内から洩れて来る。「元やん、どないした」「よう帰ってくれた。とにかくどてらいこっちゃ。あれを何とかしてくれい」 元市・喜三郎・仲市が庭をつっ切る後から、我勝ちに見物人も崩れ入る。修行者が警察に拘引されたという噂はデマであったが、奥の修行場はまさに惨憺。襖は破れ、戸は蹴り倒され、神棚まで乱れ落ちた中に、琴・志津・たか・とくがてんでにわめき、とびはねている。腕におぼえのある岡本巡査・多田亀・由松らが女たちに組みついては手もなく投げとばされ躍起になっている横で、これもわめきつつ有頂天になってとびはねているのは治郎松だ。 喜三郎は神床を直し、その前に坐って朗々と天津祝詞を奏上し始めた。仲市もそれに和する。罵り合っていた男たち、見物人もしんとなって、なりゆきを注視する。「汝、下がれい。いよいよ巴御前が天下をとり、穴太が御所となる。世界を従えるのはこのわらわであるぞ」 琴が芝居がかった、不敬罪にもなりかねぬことを口走り、大見得を切る。志津が小さい体をとびはね、「おもしろや、おもしろや。因縁ある身魂を、この恒富大明神が引き寄せるぞ」などとまだ叫んでいる。 喜三郎は神前を背にして、審神者の姿勢となった。「こら、妖魅ども、神の幽斎の場をけがした罪は重いぞ。直ちに退散せぬ者は霊縛するぞ」 髪ふり乱し、衣紋もしどろな琴は、かっと歯をむき出し、喜三郎にむしゃぶりかかる。とっさに鎮魂の玉をふりかざして、琴に触れる。ぎゃっとすさまじい悲鳴を上げて琴はとび上がり、倒れ伏して動かなくなった。志津・とく・たかは震え上がり、苦悶の余り口々に野狐の霊であることを自白した。やがて、「許す」の一言で、憑霊は肉体を蹴り倒して逃げ帰った。四人の女は起き直り、あたりを見渡して悄然となる。 喜三郎は、まず岡本巡査の尋問に答えねばならぬ。皇道霊学会本部設置の、もらったばかりの認可証を示し、憑霊現象の説明を加えながらも、喜三郎の面は苦しくゆがんだ。「見たかや、聞いたかや、ちゃんと野狐が憑いとると白状したぞ。第一、狐の親玉が帰ったらみな逃げ出しくさった。気いつけなあかんぞ。傍へ寄るなよ。狐を憑けられるぞ」と、治郎松がわめいている。 斎藤元市はかんかんに怒っていた。何日もこんな状態が続いたのでは、無理もない。世間体もある。「妹や娘に狐つけて気違いにしよった。今度こそ許さんぞ。娘を元にして返せ。破れた襖や畳代もすぐ賠償せい」 由松がものもいわず、神床に祀ったお社や供物をひっくりかえす。志津はふくれて、喜三郎を無視し自室にひっこむ。 何もかも一頓挫をきたした。未熟な琴らに気を許し、審神をまかせて出郷したのは、すべて己の責任であった。丹誠苦心の末の幽斎修行も仇となって、大方正神界の神主に仕上げた女たちを再び妖魅らのとりこにさせたのだ。駿河から持ちかえった明るい希望と勇気も、人々の悪罵の前に萎え失せていこうとする。
 気を取り直した喜三郎は、未明に起き出して高熊山に向かう。 高熊山の登り口に小さな滝がある。滝口の岩石に砕かれ、水は数十条の白糸となって落下し、落水の音も松風に和して琴の調べに聞える。喜三郎はそれを琴滝と呼んでいる。連日の日照り続きで、滝水は細い。滝壼にわずかにたまる水をすくい飲む。滝の辺は山風のあたらぬ溪間で、薮蚊と蚋がむらがり、水を飲む間もところきらわず刺す。 竹筒に滝水を入れ、茂る小柴を踏み分けてようやく岩窟にたどりつき、蝦蟇岩に腰を落ちつけた。尻を動かしたはずみに立てておいた竹筒は残らず水を吐き出して、知らぬ顔に転げている。紫の雲を押しのけ、朝日が山王寺の山峡から昇り始めた。水のないまま、何日分かの食料として用意したパンをかじって朝食とし、岩窟の中で幽斎に入る。
 縹緲と限りも知らぬ青野原を、喜三郎は行く。草は匂い、百千花はわらう。青野吹く風は、笛の音をまじえながらやわらかく喜三郎の頬を撫でる。 底まで澄み切った小川があった。せせらぎの音が琴を奏でて鼓膜を洗う。土手に腰かけ、小川に足をひたして休んでいると、愛らしい鰻の群が縒れあって一筋の黒い綱となり、川を上り始める。その後尾に花々で飾った無人の小舟が引かれて来る。「この舟に乗らせ給え」 やさしい囁きがあった。見廻しても誰もいない。「おおきに、ほな失礼して……」と誰にともなく答えつつ、面映ゆい気持ちで、花の小舟に乗る。舟は次第に大きくなり、それにつれて川幅は広く、底深く、紺青の波はゆったりと舟べりを打つ。青黒い背をうねらせ嬉々として連なる鰻の綱に引かれて進む楽しさは、筆舌に尽くせぬ。 左右の青野ケ原はこんもりとして紫蘭の丘となり、白や紅 紫の百千花がところ狭きまでに咲き満ちる。水の面に紫蘭の花かげが揺れ、舟ばたの色さえ微妙に染める。流れはくねりくねり蜒々と続き、八千尋の水底に群泳する魚たちは水面に浮かびより、波のまにまにあぎとう。 気づくと舟の帆先は大亀の頭と化し、広い甲羅は喜三郎を乗せ海原を切って進む。潮汐の奥には朝日を受けてきらめく島山が遠望できる。 天空を真紅に染めた大きな火団が目前に落下したとみるや、火団はたちまち炎をおさめて神人となり、微笑みかける。「わたしは龍宮城の使い、日の出神である」 ありがたさが胸にこみ上げ感謝を述べる間もなく大亀は沈み、喜三郎は日の出神に抱かれていた。二人は海面を滑るように渡って暗礁の上にしばし安らう。やがて海水はふくれふくれて、喜三郎の体を宙高く巻き上げる。 怒涛の響きが急に引くや、喜三郎は海中の一つ島、華頂山に降り立っていた。十曜の神旗をひるがえした数知れぬ舟が、花咲きにおう島をめざして漕ぎ寄って来る。黄金に輝く波間をわけて、むくむくと数万の頭が浮き上がった。眼を凝らすと、笏を持ち白衣をつけた女神たちが、波の秀をふみつつ、華頂山に上陸する。磯端に並ぶ舟からも、みめ麗しい女神たちが上がり始め、華頂山は色とりどりの女神の群にところ狭きまで占領される。 恍惚と見とれていると、日の出神に背を叩かれ、喜三郎はふり返った。日の出神はきびしい表情で女神たちの群をにらみつけている。「喜三郎殿、あなたの眼に映るあれらは何か、もう一度心を鎮めてよくごらんなさい」「え、どの姫神のことでっしゃろ」「ははは……これらは龍宮の使者、この荒海深く棲まうものです」 眼をこすって凝視すれば、女神にはあらず、龍宮の海に潜む鱗族の群れ――わに・すっぽん・ふか・えび・たつのおとしごたちである。 愕然として吾に返れば、華頂山は荒波狂う岩島となり、喜三郎只一人取り残されている。日の出神や幾多の舟、鱗族のかげさえもなく、猛り立つ海の孤島に見捨てられた寂しさが魂を揺さぶる。巨浪が押し寄せ、岩島をひと呑みにせんと襲いかかる。心細さに思わず泣き叫ぶ。「日の出神さま――」 おのが叫びに目覚めれば、青嵐が岩石をも吹き飛ばさんとする高熊山上だ。全身からしぼり出した膏汗で、着物がしめっている。たまらない虚脱感が喜三郎を打ちのめした。 ――いまだに女に迷う心から脱却できんさけ、意志想念の霊界へ行ったら、鱗族までがわしの目に美女に映りよる。なんちゅうあさましさや。 道のため世のためと心身をすりへらした今までの修行が、全く零に帰した思いだ。 のどがむしょうに渇く。倒れた竹筒は空のままだ。岩上に座していた膝の痛みに、立ち上がろうとしてはよろめく。嵐になびき伏した小笹を分け、いざるようにして琴滝に下る。滝壼にわずかに残る清水を竹筒に汲み、喉を鳴らして飲む。その刹那、喜三郎の意識はかすみ、再び霊国の旅に立つ。
 天も地も青い中に、喜三郎は心清しく笛の音を聞く。笛の音は虚空に響き、笙の音は地上を流れ、恋ゆえか虫のすだきも冴えわたる。吹く風に青葉がひるがえる。須叟にして青野ケ原は花園となる。銀の露をおく百花は春秋のけじめも知らず咲き満ち、行く足を踏み迷わせた。惜しむ思いで過ぎた後を振り返ると、いま踏みしだいた跡もない。 百花は何を囁きかけるのか、喜三郎に向かってしきりに揺れる。その言霊の愛らしさ恋しさに歩みも止まる。天地万有みな言霊を発すとは聞いていたが、その言霊の意味を悟りたいと、一心こめて神に願った。 どこからともなく神言の声があり、さっと山風が吹き分けると、花の野は片寄り片寄り道を開く。花かおる小道をそよろそよろ辿りゆけば、道の辺に咲く白梅の花のすがしさに思わずたたずむ。待ちこがれたように白梅の花は梢を離れて舞い上がり、喜三郎の髪に、頬に、胸に、腕にとまといつく。なおも散りかかる花びらは唇をすべって口中にまで入りこみ、全身を花の色に包んでいく。たまゆらに花びらは体内に滲み入り吸いとられ、歩み出す一足ごとに甘い芳香が立つ。 遠い昔、同じ夢を見たと喜三郎は思った。いつであったろう。ひんやりと全身に溶け入ってくる花びらのこの妙なる感覚――。「白梅の君よ」 澄み切った声が響いた。白梅の君はどこにいますのかと、花の野を見廻す。百花は揺れて傾き、喜三郎を見上げて声を揃える。 ――しらうめのきみよ――「白梅の君は汝よ」 み声とともに、桜の花をかざした木の花姫が現われた。「葦原の中津御国はさやぎおり、汝つとめよ、われも努めん」 木の花姫に導かれて、天界の高山の一つ吉祥山に立った。東に輝く大きな月の光で葦原の中津国の有様が手に取るようにつぶさに見える。西に北に妖雲が巻き起こり、東の空に襲いかかる。妖雲は次々広がり、重く地の上にたれこめる。闇にとざされて、島影一つ見えなくなった。日本の国の前途を見る思いに、喜三郎の胸もふさがる。 頭上から一筋の光がさし入り、輝く三つの玉がしずしず降って、喜三郎の掌に落ちる。かしこみいただき、感謝した。見るまに三つの玉は喜三郎の体内に溶け入る。「汝はいよいよ瑞の霊です。三つのみ玉を汝に捧げて、私の役目は終わりました。これで下界に降ります」 雲海にぽつりと一つ島のように浮き上がる弥仙山めざして、木の花姫は舞い降りる。喜三郎もおくれじと後を追う。弥仙山の山頂に祠があり、木の花姫は光となって鎮まった。祠にぬかずき神言を奏上する喜三郎は、今、はっきりと木の花姫の神格を悟っていた。 富士の神霊なる木の花姫は智仁勇の三徳を兼備し、神・顕・幽の三界に出没、三十三相に身を現じ、貴賎貧富・老幼男女・禽獣虫魚とも変化しつつ三界の衆生を救済、地上天国建設のため天地人和合の神と現われ給う。仏者のいう観世音菩薩を西国三十三カ所に配し祀るのも、三十三相に顕現したまう神徳を惟神的に表示したものであろう。子供の頃から、穴太寺の聖観音像がむしょうに慕わしかったのも、こういう因縁があったからか。 思念を凝らす喜三郎の耳に、再び「白梅の君よ」というみ声があざやかによみがえった。 木の花は木に咲く花、特に桜の花の雅称とされる。『古事記』には、「亦、木之花佐久夜毘売を使はさば、木花の栄ゆる如栄え坐さむ」とある。また梅の花の雅称ともいう。『古今集』に「なにはづに咲くやこのはな冬ごもりいまははるべと咲くやこの花」、謡曲『弱法師』にも「所は難波津の梅ならば、ただこの花とこそ仰せあるべけれ」などとある。 喜三郎は、木の花は梅の花と信じている。梅の花を花の兄といい、兄を「このかみ」(この上)という。梅の花は節分をもって花の唇を開き、桜の花は一月おくれて弥生の空にほころびる。桜の花にさきがけて咲く梅の花こそまさに「此(兄)の花」ではないか ――桜の花をかざして現われ給うた木の花姫は仮のみ姿、梅の香かおるこの身を「白梅の君」と言あげし、三つの霊をわが精霊に充たされ、弥仙のみ山に鎮まらはった。……いよいよ神機到来し、地に降られて、この白梅の肉宮にかかってお働き遊ばすのか。 ――途方もない己惚れと言わば言え。これしきの自覚がのうて救世の大神業にお仕えでけるかい。 弥仙山の祠を背に、喜三郎は立ち上がった。足もとを浸して流れる雲海は渦巻きつつ速度を増し、地の上を包んだ闇は次第に薄れて、遥か西に青々とした海が展眸できる。その沖の一点に黄金色に輝く島があった。喜三郎の魂は魅き寄せられて島に向く。その島が少しずつ大きく輪郭を広げて行くのに気がつくと、喜三郎の身は鳥舟に乗って、空を翔けている。たちまち鳥舟は島の磯端に着水した。 渚には白髪の老神と多くの女神たちが出迎えている。老神が先に立って道を開く。喜三郎は女神たちに囲まれながら島山を登る。無数の鯖鳥までが前後に従い、鳴きたてる。草も木も花も黄金色で、いつか来た島と似ている。「この島の名は?……」「龍宮島……」 魅力的な名だ。が、喜三郎は自戒した。 ――そうや。うっかり龍宮の宝と美女に気を奪られたらあかん。 喜三郎は質問をきりかえた。「それであなたさまの御名は?……」 老神は黙して答えぬ。しかしその背中に秘し隠された烈しい光輪をかいま見て、喜三郎ははっとした。 ――このお方や、このお方が三千年もの長い年月、この孤島に在られたさけ、そのみ光に包まれる島も草木も花も黄金色に輝くのや。このお方こそ他でもない、大地の祖神……。「もしかしたら、あの……あなたさまは国常立神さまでは?……」 足を止め振り返った老神は、ほほ笑みを浮かべてうなずかれた。 畏さと嬉しさが胸に迫り、熱い涙が腮辺を伝った。切れ長の深いまなじりに光をたたえられた老神は八握の剣を喜三郎に授け、おごそかに命じた。「上田喜三郎、この剣で葦原の醜草をことごとに薙ぎ払い、元の神代に立ち帰らせよ」 思わず剣を捧げて平伏する。面を上げると、黄金の島はない。老神の影を慕って喜三郎は身を泳がせ、声を上げた。み剣をしっかと握った感覚もまだ掌に在る。よく見れば、竹筒のころがっている琴滝のほとりだ。どれほどの時を霊界に旅したのか。手も足も蚊と蚋に刺され、くまなく腫れ上がっている。名残惜しさに神言を奏上すれば、手足の痒み、痛みが即座に止まった。 再び岩窟に戻り一片のパンをかじって、夕飯をすます。楕円の月は猪の熊の高嶺をかすめて隠れる。猪の熊の山かげはたちまち喜三郎の前に落ちてきて、闇が深まる。小夜嵐まで真向うから吹き颪し、すさまじき咆吼怒号――それに怯えてか、蚊も蚋も雲散霧消して、ちぎれ雲ちぎれぬ雲が低くさまよう。やがて嵐はあともなく止み、星まばらなる中空にオリオンが輝き始める。オリオンなら冬の星座のはず、なぜ今時にと、疑問がかすめる。 しかし喜三郎の眼はすでにオリオンのとりこになっていた。にわかに光輝を増した星座は、まるで七つの月が出たかである。その煌々たる光に見惚れていると、星座は大空にのび広がり、三つ星のあたりから、羽をまとったあでやかで崇高い姫神が浮き出て来る。続いて次々と女神たちが星のまたたきから生まれ出る。高熊山の岩窟かと思えば、いつのまにか魂は霊界に分け入ったらしい。この頃の喜三郎は、現界と霊界のけじめすら判然としなくなっている。 姫神は多くの女神たちを従え、棚引く雲の橋を降って喜三郎の前に立つ。「何神におわしますか、オリオンの星より下らせ給う姫神のみ名は……」 ひざまずき言問いながら喜三郎は面を上げ、まばゆいばかりの姫のみ姿に息をのむ。淡雪の白いみ胸がやわらかく息づいている。透き通る薄衣が肩から胸、くびれた腰へと見事な曲線を画いて流れ落ち、白い素足のあたりであえかに雲と溶けている。美しい女神には数知れず出会った喜三郎だが、その崇高さに加えるあでやかさ、悩ましさ。 高鳴り止まぬ胸、かすれる声を励まして喜三郎は再び問う。「私は霊界修行中の身の上田喜三郎……願わくば御名を宣りませ」 無言でうなずかれ、笑みを浮かべて、姫はそのしなやかな御手をさしのべる。玉の腕をすべって、比礼が風に舞う。 ――御手になりとも触れたいと一瞬願った恋心を、姫は見抜かれたか。 喜三郎はおののき、その御手を握ろうとするが動けぬ。女神らの視線の集まる中で、喜三郎の頬はかっと火照った。 ――気圧されたか、喜三郎。姫神とはいえ女の手一つ、こんな心弱いことで男といえるのか、臆病者――。 渾身の勇をふるって、喜三郎は姫神に抱きついた。とたん、空をつかんでぶざまにも地にころがった。はずみに岩で足を傷つけ、どうしても立てぬ。恥かしさとくやしさに、喜三郎は地に伏した。 姫神の命で、女神らは傷ついた喜三郎をかつぎあげ、大空高く舞い上がる。紫の雲が四辺を包み、妙なる音楽が流れる。女神たちの柔手車の上でだらしなく身を横たえながら、喜三郎は激しい後悔にさいなまれていた。 ――肘鉄や、ほんまに型なしや。いつもながらに何でこう、わしは調子のとれぬ大阿呆やろ。姫神は修行者のわしに握手を許されただけやのに、あろうことか、たくさんの女神の見守る中で抱きつくなど。さぞ姫神はわしをさげすんではるやろ。 そっと姫神を盗み見た。御立腹の様子もなく、美しい横顔には笑くぼさえ浮かべていらっしゃる。喜三郎の魂はまた迷いはじめる。 ――そうや、天国は愛の御園と聞くからは、わしが姫神に恋して悪いはずがない。こんなすてきな姫神に懸想できるやなんて、よくぞ男に生まれてきたもんや。もし姫神を抱いて命を奪られることがあっても、男としてわしは本望やぞ。うん、あの姫となら、一生オリオンの星に封じこめられたかて。 またしても喜三郎は、とどろく胸に姫神をかき抱くシーンを重ねて、うっとりと目を閉じる。何となく淋しい気配に眼を開けると、姫神と女神たちの姿はない。柔手車と思ったのは、流れゆく白雲の上だ。姫神の後を追おうにも星は見えず、方角すら知れぬ。ええままよ、行くところまで行けと、覚悟をきめる。さいわい足の傷は癒えたらしい。喜三郎は雲路を分けて上へ上へと昇り始めた。恋しい姫の名は知れず、呼ぼうにも呼べぬまま、果てしない天界に踏み迷って時が過ぎる。 忽然として一人の女神が現われ、雲上に跪いた。「わたしはオリオンの星の使いでございます。あなたをお迎えに参りました」「おおきに、どないなるやろと、心細い思いでいたとこですわ」 使い神についてしばらく行くと、雲の上に碧瓦赤壁の館が立ち並んでいる。 喜三郎は金銀で飾られた大門の前に呆然と立った。「この御門は瑞月門と呼ばれています」「瑞月門――」と、喜三郎は口に出して呟いてみる。 門内に迎え出ていた女神たちは喜三郎を取り囲み、階段を導き昇る。昇りつめた所に大きな扉が行く手をさえぎる。ためらいもなく拍手を打つと、扉はギーと音たてて開いた。金色燦然、まばゆさに思わず瞼を閉じれば、姫神の声がする。「喜三郎、待ちかねました。ここがオリオン星座ですよ」 そば近く立つ姫神の姿に、喜三郎は驚いてぬかずいた。「どうぞお気楽になさい。よくここまでこられましたね。あなたこそ男の中の男、天界にもあなたほど四魂秀れて豊かな、容子のよい殿方はおられません」 思いもかけぬほめ言葉に、喜三郎は顔を紅に染めながら、手持ちぶさたに黙している。「わらわの方こそ、ほんとうに惚れ惚れしました」 姫神は手をさしのべ、ためらう喜三郎の肩に軽く触れる。光が喜三郎の魂を突き抜け、金色の炎が響きを立てて合したかであった。姫はと見れば、紫摩黄金の肌となって煌いている。共に炎となった感覚に貫かれ、陶然となって、喜三郎は言う。「あのう……どうぞ御名を教えて下さい」「わらわはオリオンのエロスの神です」と姫神は答え、羞らうように袖で顔をかくした。「エロス?……あなたがエロスの……愛の女神」 思いもかけぬ神名に、喜三郎は唖然とした。 ――エロスちゅうと、あのエロチシズム・エロチックのエロやろか。人間はしょせん動物性を離れぬものとみえ、霊界修行中にもエロの気分が出る。いやいや、天界にこそエロスはあるもの、愛の源、尽きぬ愛の泉やさけ。そういえば、わしも長いこと女の肌にふれなんだ。ほい、しもうた、また脱線しそうや。 喜三郎は慌てて頭を下げ、神妙にわびた。「すんまへん、今までの御無礼、どうぞ許して下さい」「あやまることはありません。どうぞこちらへ」 姫神はこぼれるような笑みを残し、衣ずれの音もさやかに奥殿へ入る。二柱の女神が左右から喜三郎の手をとり、姫神の後を追う。姫神は手ずから玉手箱を喜三郎に渡し、やさしく宣る。「この玉手箱はオリオンの宝、天地の心がこめてあります。これからのあなたの神業になくてはならぬものになりましょう。この先どんな苦しみがあろうとも、どうぞ誠心を尽くし、愛を尽くして、御神と共に働かれますよう」 女神たちが宣り上げる歓喜の言霊が一つとなって、オリオン星座をめぐる。その木霊は天地をどよもし、東の空がほのぼのと白むと思えば、松籟の音の颯々たる高熊山上であった。
表題:色ぼけ欲ぼけ 3巻3章色ぼけ欲ぼけ



 松の木洩れ陽が岩におもしろい絵を描き、吹く風は向つ嶺の青葉の裏々を返す。オリオンの女神エロスの妖しいまでの煌きは、まだ喜三郎の霊身に余波を残し、揺れている。それにしても天地の心をこめたという玉手箱は確かに受けながら、現身には影も形も存せぬことが、ひどく頼りない。再びオリオンへ馳せ昇り、エロスの女神の御手をとって、共に玉手箱のふたを開けよう。今度こそしっかり天地のみ心を……あの姫をわがものにしようと、喜三郎は燃え立つ。 山麓の谷のあたりから、牛草を刈るらしい女たちのさんざめきが聞える。梢には山雀が鳴き、女たちの声は百舌に似る。先程から、蝦蟇岩の上で幽斎に入りかけていた喜三郎だが、女たちの嬌声が霊界へ飛び立とうとする魂を引き戻し、精神統一をさまたげる。これではならじと、天津祝詞を高らかに奏上した。 草を刈っていた三人の女たちは、遥か頭上から流れる祝詞の声をいぶかしんだ。物好きにも仕事を中断し、よじ登ってきた。谷に面して切り立った崖の中腹にある蝦蟇岩まで登るのは初めてだ。「あれ、喜三やん、こんなとこで何してはるのん」とあきれた声を上げたのはお仙、かつて喜三郎に「これは女の真心」といって赤毛布をくれた仲だ。あれからお仙は平凡な結婚をしている。後の二人も、喜三郎と顔なじみの穴太の娘たちである。「どんな願い事があるか知らんけど、もう家へ帰りいさ。お琴はんが心配して探してはったえ」「ほっといてくれ。修行の邪魔や、あっちへ行け」「こんな谷に突き出た岩の上で修行やなんて、危ないことないんやろか」と、娘たちが囁く。「変わった男はんやと思てたけど、やっぱり変わっとってやわあ」と、無精髭の伸びた喜三郎の顔をのぞきこみ、お仙が嘆く。 さえぎるもののない岩上で、三方から女の好奇の眼にさらされるのは耐え難い。喜三郎は岩窟に移動し、奥まった一隅で鎮魂の姿勢をとる。それで帰ってくれるものと思ったのは甘かった。岩窟の中をのぞきこみ、「深い」の、「暗い」のと驚いている。現在の岩窟は穴が縮まり身をかがめてようやく入れる奥行きと広さだが、当時は遥かに奥行きも深く高かった。「こんな白衣をつけはった姿、夜中に見たらこわいやろな」と色の黒い娘が言えば、「ほんまやなあ、うちやったら腰抜かすわ」と小肥りの娘が相槌打った。「なあ、あんたら、どんなふうに修行しやはるのか、いっぺん見せてもらわへんか」とのお仙の提案に、娘たちが黄色い声を上げて賛成した。「おい、無茶いうない。頼むさけ一人にしてくれ」 押し問答の間に大空に垂れ込めた雲が破れて、篠つく雨が降り出した。女たちが悲鳴を上げて岩窟になだれ込む。四人も入れば身動きならぬ狭さだ。野良着を通して女たちの体温が伝わり、ほつれ髪がなまめかしく喜三郎の熱い頬に触れる。こういう体験が楽しいのか、女たちは遠慮ない声を上げ、お仙が喜三郎の尻を意味ありげにつねる。喜三郎は手きびしくはねのけた。それでいて、誰かれかまわず押し倒し抱きつきたい激しい衝動に、喜三郎はもだえた。どのような修行をしようとも、たぎる若い血潮は異性を求めて騒ぐのだ。 はしゃぎ疲れて女たちは沈黙し、激しい雨しぶきを見つめる。気づまりを破るように、お仙が話しかけた。「なあ、喜三やん、こんな役にも立たんことに血道を上げんと、元みたいに乳屋して、金儲しやはったらええのに」「金儲してなんぼのもんじゃい。そんなことより、今のわしには、死後の世界の方が大事なんじゃ」「あるかどうか分らん死後のことより、この世の方がよっぽど大事と違うのん。うちら、霞食べては生きていけへんのえ。しっかりしいさ。田植えの準備かてせんなんやないの」と、年下の子にさとすふうに、お仙がいう。喜三郎は相手にならず、目を閉じて合掌する。 女たちのおしゃべりのうちに雨雲が散り、陽が岩窟の入り口までさしこんできた。「ああ、足が痛い」とお仙は膝をなでながら立ち上がり、「こんなごつごつした岩の上に坐るんやったら、なんであの赤毛布、持って来やはらへんの」とへんになれなれしく肩を打つ。「赤毛布」の一言が、不本意にも昂りかけていた欲情を逆に吹き飛ばした。お仙のみでなく、己れの品性の下劣さがたまらない。「そんなことより、頼みがある。村に帰んでも、わしとここで会うたこと誰にも話さんでくれや、頼むさけ」 卑屈さを意識しながらも、喜三郎は心から女たちに願った。「知らん。そんなこと、よう約束せんわ」とお仙はすね、娘たちと去って行く。 お仙らに岩窟内まで踏みこまれたことは、取り返しのつかぬ痛手であった。大切な秘宝を泥まみれに打ち砕かれた思いだ。女たちの跡を潔めようと神言を奏上するが、岩窟にこもった髪油の匂いは去らず、神気は戻らない。それにこうしてはいられなかった。彼女たちが村へ帰れば、わがありかを噂しよう。今日の午後か明日の朝には、村人たちが群がりやってくるに違いない。急いで修行場を変えねばならぬ。 高熊山の急坂を降り、谷川で禊して祝詞を上げ、夏陽を浴びて奥山へ向かう。打越坂は険阻な杣人の道だ。猪が山芋を掘った跡か、ところどころ赤土が現われている。杣道に沿った浅い谷川では、猪が水を呑む。打越坂の頂上は猪熊峠をつなぐ道、そこから西方の山道をしばらく行くと、表面が算盤の玉のようにでこぼこした算盤岩だ。松葉が散り敷いて、格好の座蒲団となり、花盛りの山つつじが周囲を飾る。 喜三郎は算盤岩に座して、鎮魂の姿勢をとった。が、瞑想に入ろうとすれば、草刈る男女の睦び合うらしい声がする。ここもまた浮き世の外ならず。重い腰を上げ、老木の茂みや茨を分けて奥山の道をたどる。馬の背の険・玉子ケ原を過ぎ、昼なお暗い大蛇ヶ滝ヘきた。ここは穴太の隣村の犬飼村の行政区だ。 大蛇ヶ滝は、昔から天狗や大蛇が棲むという伝説があり、杣人も恐れて近寄らぬ。滝は大小数段に別れて落下するため、谷底から見上げると、白龍が曲がりくねりながら昇天するかのように空に伸びている。 滝壼のそばに、耳と片手の落ちた不動尊が立っていた。その横に白衣を脱ぎ、誰も見る者のない気やすさから、全裸となって滝壼に飛び込む。しびれるような冷たさ、凄さに身震いが止まらない。激しい高滝に打たれて心ゆくまで禊すると、煩悩も洗い流される心地がする。 滝壼から上がって身を拭き清め、白衣をまとって草の上に休む。まわりは人の身を没するまでに蕗と三つ葉が茂り合う。空腹を覚えて赤く熟した蔓いちごをむしり食うと、脅えた山鳥が大きな羽音を残して飛び立つ。後は邪魔する者もない。宣る神言は谷に木霊し、滝の音と競う。 やがて喜三郎の霊魂は肉体を離れて霊界へ飛ぶ。太陽は西空に残るが、森林の深さに四辺は小暗い。鬱蒼と天を封じて立つ杉の木下に、日がたそがれる。やがて闇が喜三郎を呑み、梢もむ風の音が激しい。 深夜、草の上で仮眠していた喜三郎は、駒の蹄の音で目覚めた。こんな時間に、こんな場所へとはね起きて目を据えれば、僧形の男が馬を馳せて迫ってくる。不思議や、馬の蹄は地上より一丈ばかり上、頭から押しつぶされる心地して息を呑む。馬はいななき、喜三郎の目の前で前足を跳ね上げ止まった。馬上の怪僧の眼光は烱々とあたりを昼の如く照らし、鼻が見る見る七、八寸も伸びる。「こ、こら、化物、お前はどこのどいつや」と、とどろく胸を押え喜三郎は震え声でわめいた。 怪僧は火のような赤い舌を出し、大口あけて笑いながら、馬の背からとび下りる。思わず喜三郎は逃げ腰になった。「おのれは仏法弘通のさまたげじゃ。今より成敗してくれん」と怪僧は鉄扇振り上げ、大声で迫る。背後の草むらよりは数百の怪僧がむくむくと湧き出し、喜三郎を押し包む。進むもならず、退くもならず、喜三郎は夢中で天地の神に祈り、神言を宣る。妖怪の姿は次第に面前を離れて遠ざかり、夜霧と化す。霧は陰々滅々として喜三郎を濡らし、絶え間なく怪声が耳朶を打つ。 滝壼のかたえの茂みが大きく揺れるや、巨大な獅子が現われ、天地も揺らぐばかりに吠えたけった。祝詞の言霊に力を込めれば、近寄り迫る獅子は虎と化し猫となり、すごすご去る。ほっと息つく間もなく生ぐさい風が吹き荒れ、谷をどよもして大蛇が這い出る。総毛立つ全身を励まして「かんながら……」と祈ろうとしても、唇が動かない。美しい音色を響かせて、霧の中から神人があらわれたと思うや、こわばりきった唇が解け、喜三郎の言霊が大蛇をほうむっていた。 東雲の空をあかあかと染め、霧深い谷間の夜は明ける。蘇生った心地で感謝の祝詞を奏上し、朝霧渦巻く滝壼にとびこんだ。
 夕刻、修行場を打越坂近くの精州の滝に移した。滝壼の、肩まで没するばかりの水で、禊にかかる。初夏とはいえ、滝水の冷たさに歯の根も合わず、がたがた震えた。 夜ふけてたまらぬ眠気に誘われ、滝のそばの広い岩上に横たわった。幾ばくの時がたったか、人声に目ざめた。木の茂みからすかし見ると、十二夜の月光に照らされて、二人の人影が浮かぶ。園部の下司熊次郎と幽斎修行場を拒絶した斎藤元市だ。熊次郎は頭から滝に打たれ、元市は寒そうに浅瀬にひざまずいている。熊次郎が神主、元市が審神者と役割を分担して、見よう見まねで幽斎修行をしているらしい。 喜三郎が熊次郎を知ったのは、斎藤元市の紹介による。鎮魂帰神術に非常な興味を示し、園部に霊学会支部の設置を望んだ。ために喜三郎は稲荷講社に推薦して「社長」の辞令をもらってやった。ところが前述のように、熊次郎は三矢喜右衛門を篭絡し、園部に主導権を奪おうと、喜三郎排斥の動きを示した。喜三郎は元市の息子仲市を使者に立て、その陰謀を一時鎮静させたが、いまだに熊次郎と元市とはひそかに連絡し合い、何かを企んでいるようだ。 一心不乱に祈る彼らの祝詞はどこか濁っている。こんな言霊で正神の憑るはずがないと憂慮するうち、熊次郎の全身があやしくくねり出す。やがて両手を頭上にさし上げ、ものものしく宣言した。「吾こそは正一位久吉大明神でござる。汝の信仰心を愛でて、伺いの筋あらばかなえてとらせる。遠慮のう申してみい」 離れた岩上から、喜三郎がそっと審神してみれば、明らかに偽神がかりだ。けれど体験の浅い元市にはその判別はつかず、浅瀬に座して拍手し、とびつくように問いかける。「これはこれは、ありがたくもかたじけなくも正一位久吉大明神さまでござりまするか」 審神者の基本は、まず憑霊の正邪を見きわめることにある。ところが元市は、最初から正神ときめこみ、随喜しているのだ。熊次郎は調子に乗り、頭上にかかげた両手を左右に振って、「いかにもさよう、こんな霊験あらたかな神は、めったに人の肉体には憑らへんど。下司熊次郎の清き肉体なればこそ、特別に憑ってやったんや。ありがたく思とけよ」と、方言まじりの御託宣――。「ははあ、わしの願いをさっそくお聞き届けになり、ようこそ下司熊次郎の肉体に憑ってくれました。願いちゅうのはほかでもない、村で鼻つまみの安閑坊喜楽に憑った相場の天狗はんの御託宣では、このあたりの山中に五万円の大金が埋まっとるそうでござります。ところがあんた、喜楽の奴、宝のありかを知りながら、富を一人占めにしようと欲ぼけて、何とかかとかごまかしくさる。どうぞ久吉大明神さま、五万円のありかを、わしにだけちょこっと教えていただきとうございます」「五万円のありかか……さて、それはのう……」「さて、それは?……」「うーむ、うーむ」「どうぞどうぞ……」と元市は、白髪頭を水につけては拝み倒している。「斎藤元市よ、肉体がこう寒くては持ちきれぬ。神は引きとる」「そんな殺生な。ま、まっとくれやす。今引きとられてもたら、何のための苦労か分からへん。神さんが金を持ってたかて使い道はなし、出し惜しみせんと気よう教えとくれやすな」「元市、お前はなんぼや」「へえ、五十歳ですわ」「人生わずか五十年、そろそろお迎えも近かろう。現界のお宝はあの世へは持って行けまい。かえって金の執着が重荷になって、地獄の底へ堕ちねばならんぞ。それよりも、この神を熱心に信仰してみい、死んだら極楽のええとこへ導いたる。現界で五万円を掘り出して永遠に苦しむか、それともそんな執着をさらりと捨てて極楽で幸福に暮らすか、どちらを選ぶかはお前次第じゃ」「神さん次第やのうて、よかった。そんならやっぱり五万円や。さて、金のありかは」「うーん、その……奥山の……」「奥山いうても広い広い。奥山のどこですねん」「つまり奥山の……屏風岩の下かげを探してみい」「おおきに、おおきに、ほんまにおおきに……ところでことのついでに、下司熊次郎の肉体を貸しとくれやす」「はて、熊次郎の肉体をどうするつもりや」「奥山の屏風岩まで案内させるんですわ。もし嘘やったらあかんさけ……」「ぶ、無礼者、神示に二言はないぞ。神の肉宮を召使いにする気か」と、熊次郎は声を荒げて叫ぶ。「は、は、はあ」と元市は平つくばりながらも、なお執念深く言葉をつぐ。「決して疑うたわけやおへん。けどでっせ、屏風岩ちゅう名前は聞き初めやし、場所かてかいもく分からへん。ほんでに熊次郎を連れてって、ときどきあなたさまにお指図を――」「しからば熊次郎の肉体を貸してやらんこともない。もとよりこの久吉大明神は神やさけ報酬を求めはせんが、そやけど、そやけどやど、わしに使われる熊次郎の肉体までただ働きさせる気け。それでは熊次郎があまりに気の毒じゃわい」「熊次郎には、さきほどどぶろくを呑ましてやったさけ……」「ばかもん、子供の使いではないぞ。酸っぱなったどぶろくに、ひね沢庵のつまみぐらいでごまかす気か」「そう言わはっても、十円の金もしんどいこの際やさけ……五万円を元手に相場で儲けさしてもろたら、その時に何ぼかお礼さしてもらいますわ」「阿呆んだら、熊次郎の肉体は金などほしがりはせん。欲に目がくらむような男には、神はかからんわい」「ほないったい、何を御礼にやったらよろしいんやろ」「その方の義妹の志津を熊次郎の女房にやれ」「へえ、志津をでっか。そらまあ、あいつも三十三までいまだに嫁かずやさけ、やらんことはないけど、かんじんの熊次郎がもろてくれまっしゃろか」「それはわしに任しておけ。熊次郎は神に絶対服従のまことの信仰者じゃから、たとえ心にそまんでも神の命にはそむかんわい」「けどよう考えたら、熊次郎にははるちゅう嫁はんも子もおりますけど……」「はるは病身で、もう二年越しのわずらい、里に帰しておる。死期が近づいておるわ」「ほんならおはるはんが死んでから志津を後妻に……」「それまで待てん。神業は一刻の遅滞も許さんわい。とりあえず志津を内縁の妻として迎え、はるの死後、正式の妻にすればよい」「そんなことで、志津が承知しまっしゃろか」「そこを承知させるのや。熊次郎と志津は昔からの霊魂の夫婦やさけ、そこの因縁をよう説いて聞かせよ。神が頼む」 話は容易ならぬ方向に進みはじめている。白衣の喜三郎は日漏る岩上にすっくと立ち上がり、大声でうなった。「出、出たあ、天狗が出たあ」と元市は悲鳴を上げるなり、着物つかんで走り出す。熊次郎もわめきつつ元市の後を追う。こけつまろびつしながら、二人は見えなくなった。 しんしんと夜は更けて行く。聞き覚えのある祝詞の声、提灯の光が夏草茂る谷道を見えつ隠れつしながら近づいてきた。喜三郎は木下暗をさいわいに岩上にひそみ、待ち受けた。提灯を滝のそばの木の枝にかけ、着物を脱ぎ捨てる女。二十貫のしろじろした巨体が、谷間の闇に浮び上がる。それが多田琴と気づいて、喜三郎の胸は騒いだ。長い黒髪を肩に垂らし、豊かな乳房を飛沫に打たせて滝あびる女の姿は、悽惨ですらある。うわごとのように叫ぶ琴の祈言を聞けば、何日も帰らぬ喜三郎の行方の詮索だ。 女の執念に怖気立ち、心でわびながら、喜三郎はそっと滝を離れて崖を登る。尾根伝いに松林まで来ると、東の空のほのあかりの下で、熊次郎と元市がまだ何事かを言い争っている。喜三郎はそばの松の老樹に登り、また一声うなった。二人は一目散に逃げ出す。 夜の白々明けに高熊山へ戻った。岩窟の中には村人らが訪ねてきたらしく、飯粒のついた竹の皮が残っている。急に米の飯が恋しくなった。持参のパンも尽きている。あまり琴や家族の者に心配させてもすまぬ。喜三郎は重い足を家へ向けた。
 大半の農家が麦刈りをすませ、田植えの準備をしている。上田家では、喜三郎の神さまぼけで人手が足りず、まだ麦も刈り終わらぬ。弟由松の怒声にあおられ、白衣を野良着に着替えると、喜三郎は山すその小作田へ追いたてられた。 熟れ麦の根方に、雲雀の巣を見つけた。嘴の黄色い雛たちが、親と間違えたか、喜三郎を見上げて可憐に口を開け、鳴き立てる。 ――この麦を刈りとったら、雛は死ぬやろ。けどここだけ残しとくわけにもいかず、どないしょ。 手を止めて思案する間に、由松の怒声が飛ぶ。「何ぼけーっとさらしとるねん、このせわし時に――」 寄ってきて雲雀の巣を見つけるや、由松は兄を押しのけ、巣をけっとばして麦を刈る。羽もそろわぬ雛たちはばたばたもがき、逃げまどう。ふところにかくまってやりたくても、できなかった。博奕気違いの由松まで汗水たらして働いている。母も、琴も、十七歳になった妹の雪も、わきめもふらず麦を刈る。この農繁期に仕事を放擲して山にこもる長男に、彼らは無言で背を向けているのだ。 小さな田を一枚刈り終わり、女たちが次の田へ移動している間に、喜三郎は牛に田をすかせる。だがその間も思いは高熊山へ飛ぶ。霊界であった神々から、もっと深く教えを乞いたい。国常立尊・日の出神・稚姫君命・木の花姫、それにオリオンの玉手箱と……エロスの女神。 がくっと体がつんのめった。気がつけば、牛にひかせた犂の刃先がもろくも折れている。牛が振り返り、あきれたように喜三郎を見る。由松がとんできて、大声でどなった。「おい、兄やん、なんちゅうことさらすねん。神さん祀った罰で、犂が折れたやないけい。この魂抜けが」 理不尽な罵倒にも返す言葉がない。「すまん、すまん、すぐ買うてくるさけ」 穴太に犂先は売っていない。喜三郎は一里先の亀岡に走り、犂先を買ってきた。だがその犂先は大きすぎ、折れた犂に合わぬ。父ゆずりの癇癪持ちの由松は、こめかみに太い青筋をふくらませ、ぶるぶる震えながら怒りの爆発を押えている。「く、くそ、ぼけ兄貴にはもう頼まん」と由松はしゃがれ声で呻くと、犂先を取り替えに亀岡へ走る。 折れた犂を虚脱したように見つめながら、農事に力の入らぬおのれをしみじみ悔いるのだった。
 一日の労働でくたくたに疲労しながら、幽斎修行の誘惑には勝てぬ。この夜もそっと家を抜けだし、十三夜の月明りに魅入られたように高熊山に登った。 琴滝の見下ろせる山腹に大岩があり、その形がどことなし女性の陰部に似ている所から、喜三郎は雌岩と名づけている。その雌岩の背に月が照り、かたえに暗く影を落とすあたりで、喜三郎は瞑想にふける。 ひそひそ声に瞑想を破られた喜三郎は、滝の上にしのび寄り、息をころしてうかがった。裸の熊次郎と元市が細々と落ちる滝を浴びている。肋骨の壁下地が夜目にも見えるほど痩せこけた二人が全裸で滝あびる状は、さながら地獄の亡者である。月光は二人の鰈の如き背を骨も通れとさし貫く。 やがて二人は、怪しげな鎮魂帰神を始めた。神主の熊次郎と審神者の元市は初めは小声で何かやりとりしていたが、急に熊次郎が声を荒げた。「おれさまを疑うとは何事や。おれこそはまことの天狗、ありがたいぞ、もったいないぞよ」「決して疑うてまへんがな。けどですなあ、あなたさまの憑ったはる下司熊次郎の行いがどうにも腑に落ちまへん。博奕を打つわ、悪どいことをして人を泣かせるわ、でっしゃろ。そんな立派な天狗はんやったら、何で熊次郎みたいな男にかからはるのか、どうにも合点がいかん」「神の道にいながら、人をそしるとは何事じゃ。けしからん。たしかに熊次郎は悪事を重ねたけれど、改心したら、神は今日からでも使うのじゃ」「その熊次郎を奥山まで連れ出して探したけど、五万円どころか屏風岩の場所さえかいもく分からへん。わややがな」「ちょっと滝を浴びたぐらいで五万円が手に入ると思うなど、虫がよすぎるわい」「ほんまに天狗はんは、五万円のありかを知ったはるんやろか」と、元市は心細げに呟いた。「また疑う。お前の義妹を熊次郎の妻にするなら、五万円とはいわず、百万円のありかでも教えてやるわい」「そりゃもう、金のありかさえ知らしてくれはったら、志津は今すぐにでもさし上げますわい」「阿呆か、神に頼み事する時は、まず賽銭を上げるのが先やんか。順序が違うやんけ。まず志津をわしの妻に……」「何やて……天狗はんの?……」「いやいや、うん、熊次郎の妻に差し出せ」「そやろなあ、そやけど、もし志津を熊次郎の妻にやった後でだまされたと分かったら、わしの嬶にすまんしなあ」「現金な親父やのう、ほんまに欲ぼけくさって。お前は神第一ちゅうことを知らんのか。どこまでもこの神がかりを疑うんやったら、勝手にさらせ」「何言うたはりまんねん。勝手にするぐらいやったら、誰が好きこのんで真夜中にこんなとこまで来ますかい」 色と欲とに呆けた同士、どっちもどっちやと、喜三郎はこらえきれずにふき出した。しばらく沈黙の後、元市が言う。「天狗はん、どうやらあの笑い声は安閑坊喜楽でっせ」「うん、間違いない。探し出して八つ裂きにせい。神、今より引き取るぞ。うーん」 熊次郎は正気に戻ったふりして、地のどら声で叫ぶ。「喜楽の奴、きっと岩屋に行ったに決まったる。つかまえて、どつき廻したれ」 手早く着物をまとい左右に分かれてよじ登る両人を、喜三郎は雌岩のかげにうずくまり、息を忍んでやり過ごす。見つかったら、今度こそ半殺しにされそうだ。蚊に刺され、夜霧に湿り、苦しさをこらえた。 しんしんと夜は更けわたり、月は高く頭上の木の間に輝く。もうあきらめた頃だろうと、喜三郎は雌岩の影を這い出て、岩窟近く忍び寄った。驚いたことに、二人は執念深くまだ神がかりごっこを続行中だ。「五万円のありか、ありか」を連発する元市の上ずった声に追いつめられ、もて余し気味の、熊次郎のげんなりした声が答えている。「どうや、元市、五万円よりも、さしあたって小判千両のありかで手を打たんか」「小判千両がなんぼの値打ちやらよう知らんけど、それでも結構や。ほんなら千両箱のありかは?……」「高熊山の三つ葉つつじのその下に、小判千両埋けてあるわい」と熊次郎は、もったいぶって託宣した。「そんなん、誰でも知ってるこっちゃ。山の伝説やんか」「確かに伝説はみな知っとるが、三つ葉つつじのありかは知らんやろ。三つ葉つつじのありかを探して、その下を掘れば出る」「そやさけ、そのかんじんの三つ葉つつじはどこにありますのや。あんたが神さんやったら、すぐ知らしとくれやす」「うーむ、そんな無茶いう奴は、神も困る」「何が無茶や。三つ葉つつじのありかも知らん神やったら、偽神がかりやろ」「お前は神信心は表向きで、ぬかすのは金・金・金ばかりじゃ」「お前こそ、神を鰹節(だし)にして、お志津を奪ろうとしてけつかるのや。今夜中に金のありかが分からなんだら、尻くらえ観音じゃ。偽神がかりになど、大事なお志津をやってたまるけい」「ふん、あんなちんこい女……土堤南瓜の、お多福のすべた女を誰がもろたるけい」「ぬ、ぬかしやがったな。ああ、腹が立つ。もこもこ腹が立ってきよった。今までお志津、お志津とぬかしよってから……」「そんな無礼な口をきくなら、絶対に金のありかは知らさんわい」「お前みたいな偽神がかりに聞くなら、喜楽を探して聞くさけ、ほっといてくれ」「こら、くそ親父、喜楽に聞くぐらいやったら、この真夜中になんでおれを引っぱり出したんや、馬鹿たれ」「馬鹿やてか、馬鹿やてか、ようぬかしくさった。言うたらすまんが、この斎藤家はのう、元は持高二十七石六斗三升四合、牛一頭持った穴太の大地主やど。つまり村の公爵さまや」「お、おれかて、尋常大学卒業生や」「そんな大学、知らんわい」 くだらぬ口論の果て、ついに二人はなぐり合い、つかみ合った。組み合ったまま地に倒れ、憎悪むき出しの醜い形相で崖っぷちまで転げていく。見かねた喜三郎が止めにとび出した時、二人は足を滑らして悲鳴と共に視界から消え失せた。思わず喜三郎は、天地の神に両人の無事を祈る。 滑り落ちるようにして谷底に下りると、熊次郎と元市が組みついたまま失神していた。谷水をすくって顔にそそぎ、大声で名を呼べば、ようやく息ふき返す。「あ、喜楽はん、助けてくれたんか。おおきに、おおきに……」 元市は心細げに涙を流して感謝したが、熊次郎の方は意識が戻るや、手足の傷を月明りで確かめながら、ぼつぼつ喜三郎にからみ始めた。「気絶くらい、夜霧にぬれたらほっといても戻るやろ。それを頼みもせんのに顔中べたべたにしやがって。それはまあ、ええとしょうかい。けどこの手足の傷はどうしてくれるねん」「な、なんやて」と喜三郎はぽかんとしている。 元市は泣きながら、熊次郎に食ってかかる。「こら、熊次郎、なんちゅう罰あたりな。この喜楽はんのおかげで命が助かったのに、恩を仇で返す気け」「おっさん、何めでたいこと言うとるねん。精州の滝でおれたちをおどしくさったんは、この喜楽やど。今も魔術を使うて、わしらを突き落としやがった。分からんかい、わしらに恩を売るために、親切ごかしに助けたんじゃ」「ふーん、そう言えばそんな気がする。やっぱり魔術やろか」と、元市は考え込んだ。「決まっとるやんけ。どうでも明日、警察へ訴えたる。この元市はんが生き証人や。いや、元市はんも被害者やぞ。それとも何け、示談金代わりに、奥条に預けたるとかいう乳牛をくれるけ」 乳牛と聞いて、元市が目玉をむく。喜三郎は苦笑した。「えらい言いがかりや」「なあ、喜楽はん、ここはよう思案せいよ。警察ざたになってみい。お前はまた飯綱使いやの魔術使いやのと村中に責められて、あげくはごつい罰金払わんなんど。乳牛一頭の方が何ぼかええで。それともここで五万円のありか白状するかどっちするねん、よう」「五万円のありかは知らんが、千両のありかなら知っとるで」 喜三郎が言えば、二人は急にしんとなり顔見合わせた。 やがて熊次郎がとび上がり、両手を頭上にさし上げて神がかりを始める。「おれは大天狗さまであるぞ、こら、喜楽、大天狗が命じる。千両のありかをたった今、素直に白状せい」「あんたも大天狗はんなら、それぐらいのこと、お見通しやろ」「う、うーむ、おれはその大よりはちょっと下や。喜楽、頼む、金のありかを教えてくれ」「野天狗のうつるような下司熊次郎には教えるわけにいかん。もっと修行してこい」 元市はにじり寄り、両手を合せて涙声になる。「喜楽大天狗さま、頼んます。これ、この通りや。千両がだめなら五百両でも百両でも……」「よっしゃ、教えたる。万両(ヤブコウジ科の常緑小低木)は斎藤元市の屋敷にあるがな。千両(センリョウ科の常緑小低木)ならこの山にもなんぼでもある。赤い実をつけて生えとるわい。警察に訴えたかったら、遠慮なしに訴えてくれ。ほな、さいなら」 わめき立てる二人を谷に残して、喜三郎は身軽に山を駆け上がった。

表題:他人の飯粒 3巻4章他人の飯粒



 丹波の国の福知山は、京の都から老の坂を越え、亀山(亀岡)・園部・観音峠・須知・桧山・生野・長田野と京街道を西北へ下ること二十余里、山また山の重なり合う丹波高原の真ん中にある。 平安の昔、この地を過ぐる王朝の歌人和泉式部は詠じた。   丹波なる吹風の山の紅葉は       散らぬ先より散るかとぞ思ふ 一説に、この歌の「吹風」が「福知」の語源という。 福知山は足利時代には公方直轄の地であったが、信長の命を奉じた明智光秀が平定、この地の岡の段に築城した。   福知山出て長田野越えて       駒を早めて亀山へ これは遠く光秀の治政を慕った福知山音頭の一節である。 寛文九(一六六九)年、福知山藩三万二千石は朽木氏の支配下となる。城下の町家は千軒前後、ほかに三百軒余の藩士の家があり、俗に「福知千軒」という。大藩のない丹波・丹後では、朽木氏は譜代の有力大名として、廃藩置県を迎えるまで十三代二百年をこの地に君臨する。 天保期(一八三○~四四)の福知山藩は極度の財政危機に瀕し、大阪その他の商人たちに約十万両の借財があった。藩はあえいでいた。そのしわ寄せは、他藩に類を見ぬほどの苛斂誅求となり、民百姓の頭上にふりかかってくる。 しかも大自然は弱い民衆に味方せぬ。未曽有の天明の大飢饉より半世紀、災害は忘れた頃にやってくる。もっとも、突如として起こったのではない。すでに三、四年前よりきざし始めた全国的な天候不順にともない、じょじょに足並をそろえつつ歩調を高め、ついに無気味な全貌をむき出して、襲いかかった。 まず天保三(一八三二)年――六月二十一日、雨少し降る。七月三日・二十九日小夕立、六月十八日より八月四日まで、残る四十六日間は大日照りが続き、大地はひび割れ、川は底を現わし、稲も草木もぐったり地に這う。 八月四日夕、大雨。乾き切っていた大地はあくことなくむさぼり吸い、ようやく肌が黒くうるおう。万物は生色をとりもどし、稲穂も気味よく出揃う。とどのつまり見事な豊作、「干魃に不作なし」の伝承を実証する。「やっぱりお天道さまはわしらを見殺しにしちゃらへんわいな」とこの地の人たちは胸をなで下ろす。――が、福知山はそうであっても、代表的な米どころ北国筋・出羽・奥州辺が凶作で、全国的に米が払底していたのである。 天保四年――正月中頃より、若狭・丹後方面の米商人たちが不正の利を求めて福知山へぞくぞく米を買いつけにくる。春から秋にかけて年内ずっと淫雨。もちろん大凶作。平年なら米一石が五、六十匁、豊作なら五十匁を割る時代に、綾部藩の蔵米値段が八十七匁にはね上がる。 天保五年――小康。 天保六年――大雪で麦が不作。下米一石最高百二十匁、大麦一石五十七匁より六十五匁、小麦七十匁という大暴騰で、特に大麦の値段は古老も未聞とか。 そして天保七年――。 四月二日・七月一日・八月十三日と三度の大洪水、土用に五日の晴れ間をみたのみで、九月まで雨が降りやまぬ。年中低温、夏でも重ね着するばかりの肌寒さ。作物はことごとく水中に没し、茎はくされ、葉はただれる。西も東も不作で、全国平均四分二厘四毛作。大飢饉の予測に誰しも戦慄する。米価は急騰し、末には米一石なんと二百匁に達した。   福知紺屋町御霊さんの榎       化けて出るげなお多福が 光秀の霊を祀る御霊神社の大榎は裸であった。その名だたる太い幹と長い枝をあらわに灰色の寒空にふるわせて。秋だから、葉が落ちたのではない。   蛇が端蛇が端蛇が出るじゃげな       大きな蛇じゃげな嘘じゃげな 蛇ケ端は京へ上る宿場として栄えたが、ここの竹薮の大とちのきも、またきれいに裸であった。はらはらと舞い散るべき朽ち葉色の葉は、すでに樹上にはない。 榎の葉も、とちのきの葉も、夏の終わりに食われていた。痩せさらばえた人々が木にのぼり、むしった。闌けてごわつく葉をしゃぶり、しがみ、虫のようにむさぼり食った。 飢えた人々は山野をうろつき、手あたり次第に頬ばる。翌年の麦のとれるまで、ただただ生きねばならぬ。蛹となってねむる虫たちをうらやみながら。   朝日受けるが西町で       模様染め出す紺屋町 福知山音頭にうたわれる上紺屋町は、染物屋・ぶりき屋・大工などの多く住む職人町であった。その町を、木枯に追われて乞食が通る。足を引きずって、よろよろと。見向く者もない。この頃のただの風景であった。くすぼった粗末な桐村家の前で乞食はよろけ、低い虫篭窓に指をからませてうずくまる。 家の内側に人の立つ気配があり、間もなく女が一人、湯気の立つ椀を持ち、忍ぶように近寄った。無言で乞食を助け起こし、垢じみ乾ききった冷たい手に、椀を持たせる。薄い草粥であった。 乞食は驚喜の声を上げそうになり、慌てた女に口を制される。「おそよ、おい、そよ……」 家の中から苛立たしげな男の声がとぶ。「はい……」 そよが声を返しておき、手真似で去ぬように頼むと、乞食は舌を焼きつつ椀を傾けて粥をすすりきり、振り向き振り向き去って行く。 どこへ……あてはない。 うるむ目頭を押えて、そよは家へ入った。「どうせ汚ない行き倒れじゃろ、かもたらあかんぞ」 表に面した六畳で寝そべり草双紙を眺めていた桐村五郎三郎が、ごろんと寝返って妻を見上げた。「すんまへん、もう御霊さんの方へ行きましたさかい……」 そよはふくらんだ腹部を袖で夫の目から隠すようにし、通り土間を小走りに抜けて薄暗い台所へ行った。長男の大吉が竃にかかった鍋の蓋をとり、湯気を吹きながら中の粥をのぞきこんでいる。その兄に押しのけられべそをかいている清兵衛を片手で抱き上げ、いそいで竃の火を落とすと、そよの目は板の間にたまった内職の仕立物に走った。夜なべしてもどこまでできるやらと、きりっと胸が痛む。 と、中庭に面した隠居部屋から、絶え入るような咳の音。清兵衛を抱いたまま、そよは隠居部屋の襖をあけてすべり入り、常助の病臥している褥に寄って、波うつ薄い背をさすった。咳と咳のあいまを空気を吸いこむ苦しげな音がつなぐ。 枕元には老妻たけが口元を巾着みたいにすぼめ、白湯をすすっていた。咳きこむ老夫に心を動かされるふうもない。お利口に坐っている孫に目をやるわけでもない。 咳がやむと、たけはまたいつもの繰り言をつづける。「とうとう今年は柿の実ひとつ食えなんだ。庭にはえっと(たくさん)なる柿の木がありながら、色づくのさえ見られなんだわな。ちょっとあんた、見てみなん」 たけはわざわざ廊下に立って、そよを招いた。「見てみなん、あのてっぺんの枝に二つ、道の方に伸びとる枝に三つはついちょったのに、おおかた、近所の若い者がずれっとぼりくさったのじゃ。まだ青うて固うて渋いうちに。おかげで今年は熟柿を食われんわい」 吐きすてるように言うと、たけは常助を見返った。「あんたはんちゅう人は、一日そこに寝とって、柿の番さえできんのじゃさかい……」 盗られずともこのうっとうしい天候では、柿の実は赤くなるまでに腐れ落ちたろう。けれどもたけは盗まれた柿の実を数えてやまぬ。それがよどんだ老いの血を湧き立たせる唯一の方法かのように。 そよは清兵衛を抱いて、そっと部屋を脱け出る。「いんまにどてらいことになるじゃろう、あの天明の大飢饉をそっくりそのまま繰り返そうでよ。めんめに長生きし過ぎたんじゃ、ちっこい頃に見た餓鬼道地獄をもう一度この目で見んなんとはなあ」 たけが自分に言い聞かすように首をふった。常助は苦しげな息づかいの下から老妻の顔を盗み見、むしろ楽しげに言う。「やいや、わしはたぶん……見ずにすもうでよ」 痩せ枯れた常助を、たけはにくにくしげに睨む。「ひん、よい気なもんじゃ。あんたはんは後生を願うて、さっさと成仏しちゃったらよいわいな。わしはまだまだ先があろうさかい、息子や孫らに邪魔されながら、かさかさになって落ちんなんない」 常助は聞こえぬふりで目をつむった。老妻のぐちが激越になりそうだと、この頃は狸寝入りする術をおぼえた。目を閉じると眼窩がいっそう落ちくぼみ、白茶けた頬骨がすけて見えそう。さらに迫真味を加えるために、不規則な高いびきをかいてみせる。「世が世であれば……それをまあ、この爺さまときたら、放蕩息子の好き放題に……ひん、なした貧乏くじ引かされたもんじゃろ」 後に続くだろうせりふは、暗記するほど常助は知っている。 荒々しく畳を蹴ってたけが去った。常助は心の筋をゆるめ、あめ玉をしゃぶるようにおのが多恨の人生を回顧する。
 ――長持にしまってある系図によると桐村家の遠祖は山蔭中納言さまで、文徳・清和・陽成・光孝・宇多の五代の天皇さまに仕え、諸国の国守をして治績をあげ、老後は京都に吉田神社を勧請しちゃった人やそうな。そう言えば、大亀の背にまたがった中納言さまの姿をえがいた額を、どこやらの神社で見たことがあった。 ――その中納言さまの子孫は九州の八代に住んどっちゃったが、足利尊氏の東上の軍に従い、のちに丹波の桐の庄(現京都府園部町)に移ったげな。桐村姓はその桐の庄からつけたちゅうが、明智光秀が丹波を支配していた時代、桐村一族が茶の湯の水を献じたんが縁で、光秀に重用された。けれども良いことばかりは続かへん。光秀が滅びると桐村家もさっぱりで、野鍛冶などで身過ぎをしていたとか……。 ――まあ、そんな古いことはどうでもよいが、享保(一七一六~三六)の頃、桐村の一族は桐の庄から福知山へ移り住んだ。その桐村家を再興しちゃったんは、なんちゅうても父さんの半七、初代の五郎三郎や。父さんは福知山藩のお上大工として名字帯刀を許され、かめ屋という郷宿までいとなむように家運を盛り上げちゃった。兄さんの和助が二代目五郎三郎を襲名したけど、三十六歳の若さでころっと死んでしもうて、思いもかけずわしが三代五郎三郎を継ぐことになった。 ――その桐村家を、わし一代でわやにしてしもうたわい。たけの言うように阿呆げに子を甘やかし過ぎたばっかりに。息子の放蕩を叱りもせず、ただ見のがしてしもうたばっかりに。 常助は渋をなめた顔をした。だが顔ほどに胸が痛んでるわけではない。病臥の間しばしば悔恨をくり返すうち、もはや慢性化して、むしろ灸ほどの心地よい刺戟になっている。 常助は実直な大工棟梁であった。文政五(一八二二)年、息子の角助が十八の年、かしこく心やさしかった妻が死んだ。そして一年たつかたたぬまに、常助は息子とあまり年の違わぬ若い後妻を迎えた。角助がぐれ出したのはその頃からだ。やがて角助は「江戸で修業したい」と言い出した。後妻との新婚生活に酔っていた常助は、むしろほっとした思いで、息子に大金を持たせて江戸へ送った。 文政八(一八二五)年、後妻は男の子を出産したが、産後の肥立ちがわるく他界した。そして男の子も、翌年その後を追う。 孤独になった常助は、急に江戸にいる角助が慕われてならぬ。わざわざ江戸まで行って、だましすかして連れ戻してきた。角助が江戸で腕を上げたのは大工の業ではなくて、遊蕩であった。それ以来、角助はすっかり道楽者になってしまい、気にくわぬことでもあればすぐに家を飛び出す。子に甘い常助は、一人息子の放蕩を強く叱ることもできなかった。 やがてすすめる人があって、常助は七百石村(現綾部市七百石町)の出戻り女たけを三番目の妻に迎えた。郷宿をしていると、奉公人まかせにできぬこともあり、必要に迫られたのだ。たけは気位が高く、贅沢で我の強い女であった。息子の角助との仲もとけ合わなかった。 綾部の上町に住む出口惣右衛門の娘そよの人柄を見こんで息子角助の嫁にもらい受けたのも、息子の放蕩をなんとかしたい親の一念か。これをしおに、家督を角助に譲って隠居した。肉体の衰えもあったが、息子に家長としての自覚を求める意味が強かった。角助は、四代五郎三郎を襲名した。 当時、丸に三柏の定紋を輝かせた郷宿「かめ屋」は繁盛していたし、どっしりした土蔵の中にはたくさんの道具がつまり真っ直ぐには歩けないほどで、土用干しの時など干しきれない衣類や家具などを屋根まで運び上げねばならなかった。郷宿の向いの二階建ての住家には、大工見習いの弟子も何人かは常にいた。そして両隣には貸家もあった。 五郎三郎は嫁をもらった当座だけ神妙にしていたが、間なしに酒に耽溺し、仕事をなまけ、遊ぶ金ほしさに家財・土地・貸家とせんぐり売り払ってしまう。没落は早い。昨年秋には、とうとう郷宿まで人手に渡し、今は「かめ屋」に代わって、「たじま屋」の看板がかかっている。 みっともないことに、この夏には、通り土間に掘られた井戸を中心に、住家を縦に仕切って、南側の半分を二階ごと切り売りしてしまった。その結果、うなぎの寝床のような細長い家になり、井戸も買い手と共同で使わねばならぬ始末だ。 ――この陰気くさい部屋がわしのついの住処となろうわい。婆さんがあのいに苛立ちぐちっぽくなるのも無理はないない。このいになるまで息子を勘当もようせんでおろおろ眺めとった責任は、まっこと婆さんの言う通り、このわしにある。桐村家はまだまだどん底まで落ちるじゃろうが、そんなもん見る前に早う目ねぶりたい(死にたい)わな。 茶の間では食事が始まったのか、息子の怒声が聞こえ、孫の泣き声が上がった。たけがけんけんと小言を並べたてている。 そっと入ってきたのは嫁のそよであろう。行燈の灯がともる。枕元で食器のふれ合う音がした。 ――でけた嫁じゃ。息子にも、わしにも。近所でも意地悪婆が通り名のたけにすら、いなげな(不愉快な)顔一つ見せず、いげちない(いじらしい)ばかり心を尽して仕えてくれる。なかなかあだなこっちゃない。この嫁にだけはすまぬこっちゃ。 常助は目をひらいた。白いそよの顔が、にっこりと微笑みかけていた。
 五郎三郎は、三十三歳の身をもてあますように、ごろごろと無為に過ごしていた。絶えることなく体内でいぶり続ける不満の炎――日がな一日、不機嫌であった。怒ることもようせぬ腑抜けた父、義理の子の非を一つ一つ数え上げながら嘲笑うかのように横目を流す皮肉な継母、小うるさい二人のがき、貞女ぶった女房までが腫れ物にさわるように夫の機嫌をうかがう。癪の種にならぬものとてなかった。 まだ若く独身であった頃、爛熟期の江戸文化の奢侈と退廃の中で思うさま大金を濫費した記憶を、五郎三郎は忘れかねていた。 あれは七年前、天保元(一八三○)年春であった。ほぼ六十年ごとに爆発する集団的伊勢参宮が、この地方をも席捲した。おかげ参り、または抜け参りと称して、子は親に、妻は夫に、奉公人は主人に無断で、一本の柄杓をたずさえ、幟や万灯をおし立て、参宮の旅に加わった。   おかげでさ するりとさ 抜けたとさ 人々は踊り狂いながら、福知山や土師の渡しを、多い時は一日七千人も通ったという。 一日、二日は、五郎三郎は眺める側にあった。が、その狂気の熱風が彼をとらえるのに、さして時はいらなかった。家宝の幾つかを売り払った大金を胴巻きに、彼もまた、するりと抜けたのだ。 その年の秋、五郎三郎が帰ってきた時は、目の下をふくろのようにたるませていた。懐中は無一文。どこで何をしていたのか五郎三郎は語らなかったし、まただれ一人、彼の癇癪を恐れて聞きもしなかった。 江戸に行った時も、おかげ参りの群に投じて抜け出した時も、何か大きなことをしてやろうという意気ごみだけはあったのだ。だが甘やかされて育った極道息子の思惑など、通る世間ではない。絶望と対象のない怒りが内向して、彼はどうしようもない劣等感のとりことなった。 天保元年暮、五郎三郎は父や継母のすすめるまま、そよと結婚して家督を継いだ。五郎三郎二十六歳、そよは二十八歳の婚期のおくれた女だ。二歳も年上の姉さん女房をめとらせた父や継母の腹が見すけるようであった。しかし彼は逆らわなかった。どんな女を妻にしてもしょせん五十歩百歩だという、捨て鉢な気もあった。 結婚した翌天保二年には、大吉、同四年には清兵衛が生まれたが、遊び呆けた空虚な心には、子の存在はただ重いだけだ。 父が病床についたのは、郷宿を手離したせいとは思いたくない。 金子のあるあいだ、五郎三郎は土堤町の遊廓に入り浸った。   福知千軒流りょと焼きょと       一町残れよ土堤町 やけくそに唄った。だが好きな酒も法外に高く、食べ物もまずかった。それすら幾ら金を投げ出しても、求めにくくなっていた。遊女は萎えたように生気がない。金に困った百姓どもが娘を売りとばすのか、めっきり初店の女が多くなったが、土くさいばかりで鼻白む。心を浮き立たせる何ものもありはしない。それでいて、金は指の間からたちまちこぼれ落ちていく。 この頃では、部屋に逼塞して、妻子にあたり散らすばかり。
 そよは、彼女なりに、夫の不機嫌の理由を探りあてていた。 腹の子であった。 夫の焦燥の視線が、憎悪すらこめて、そよの隠しようもなくせり出した腹に突き刺さるのを、身をすくめて耐える。 目ぼしい物は売り尽くしていた。夫は働く気力もない。あったとしても仕事がない。手内職の縫物や糸引きで家計を支えるには限度がある。いもも、干し大根も、わらびも、蓄えは底をついてきた。米価はうなぎ上り。老父母・夫・二人の幼児を飢餓から守るさえ至難の業であるのに、この上、どうして嬰児を育てられよう。 何度も何度もそよは腹の子に詫びを言い、自分を納得させようと思い悩んできた。行きつく道は一つだ。――減児。 減児は江戸時代の後期にはほとんど常識化し、困窮した民衆の間で半ば公然と行われ、ために人口の減少すら見られたぐらいである。減児とは、生児を圧殺して子育ての責を避けることだ。間引く・子つぶし・子がえし・戻した、などと称えた。産声を上げる生児の鼻と口を手でおおいかぶしたり濡れ紙を貼ったりすれば、無抵抗な嬰児はそれだけで窒息死する。 堕胎は、子おろし・おどす・はっさん・半産などと言い、つわぶきや鬼灯の根を深く刺しこんで、その毒(あく)で胎児を流す方法が多く使われた。また山牛蒡や葉蘭の茎、南天や木槿の小枝、吉野杉の箸などを器具として、生育半ばの胎児を引き出した。父なし子をはらんだ娘など、わが手でかんざしを突き刺して出血させ、死産させる者もあった。明治末期でも行われていたことを仄聞する。そのために命を落したり、一生うまず女となる女もいたろう。 子おろしの分別をつけるべき時期はとっくに過ぎていたから、どうでもそよは月満ちた児を産まねばならぬ。その産声を聞くか聞かぬ間に、わが意志で、誰かの非情の手によって、罪のない吾子の息を絶つ。 産褥の女が鉢巻きをして児の上にのしかかる。障子に映った影絵の女には角が……むかし見た絵馬、よく見ると、女の顔は鏡に映ったおのが面ざし……。 幾度その悪夢にうなされたことか――。
「おい、相談やけどなあ……」 うたた寝していると思っていた夫が、寝ころんだまま、ふいに話しかけた。そよは賃仕事の縫い物の手を休め、夫の言葉を待つ。 妻の生唾をのみこむ音が、五郎三郎には聞こえるようだ。相談とは言いながら、これまで妻に口答えを許したことがない。おのずと判決を待つ被告の顔になる妻に、彼はわけもなく癇癖を募らせる。だがそれを強いておさえて――。「このままでは正月も越せせん。そこへもって児産むなんど、とけつもないこっちゃ。わしらには大吉も清兵衛もおる。この二人の子に食わせていけたら、きょうび、よいとせんならん」「…………」「児はもういらん」「…………」「よいか減児じゃ。わかっとろうが……」 五郎三郎はじりじりしていた。いかに飢饉とはいえ、減児せねばならぬほど零落したのは彼の濫費のせいだ。悔恨はある。それだけに妻の返事が待ちきれぬ。 ――もしそよがわしの非をなじり、減児はせぬとぬかしたら。 五郎三郎には、おのが凶暴の発作をおさえる自信はない。胎児がおりるまで、ふくれた腹を蹴りつけ、踏みにじりかねぬ。彼の感情はそれほど荒み、歪み、揺れる。 逃げ場を求めるように、またたく行燈の炎を見つめるそよ。「どうしたんじゃい、どんのいにも思案の余地はあるまい。のう、そよ……」 凍えた空気を揺すって身を起こしかける夫を、そよは濡れた目で受け止め、自分でも驚くほど静かに言った。「こんな時ですさかい、どっちみち育てられしまへん。お腹の児も許してくれまっしゃろ」 言い終わらぬうち、胎児がぐんと蹴上げるように動いた。そよは声もなく呻き、蒼白な顔をひきつらせた。抵抗を覚悟した五郎三郎は、はぐらかされた気持ちだった。感情がたたらを踏む。ようやく踏み止まると、強ばった表情をゆるめようと焦りながら、腕を組んだ。「そうか、うむ……よしよし、もうこのことは忘れちまえ。あとの始末は、わしがよいようにしちゃるわな」 かたっと音を立てて襖が開き、寝着のままのたけが、入ってきた。「えらいしっぽりだすな」 たけは夫婦を見下し、肩をそびやかせる。「……減児してんじゃげななあ。いんえ、立ち聞きしたんやござへんで。えんばと狭い家やさかい、聞かんとことしたかて勝手に聞こえるんやわいな」「そうですか、いつまでもお耳がよろしさかいに……」 頬をひきつらせて、五郎三郎は面をそむけた。たけは険しいまなざしで五郎三郎をにらみすえ、「始末つけたる言うちゃったなあ。なしたことだっしゃいな、あんたはんらがわしの孫を……」「母さん、すみまへん」 そよは手をついて詫びたが、五郎三郎はそっぽを向き続けた。 ――どうせ婆さんを無視して先に女房に相談したんが気に食わんのじゃろうが、ふん、しゃっちもない。 たけはなおも高飛車であった。「わしは反対やで。誰が何ちゅうても反対やで。これ、五郎三郎はん、こっちを向きないな」「母さんにも相談しよと思うとった矢先やでよ。なんしろこの飢饉じゃさかい、母さんかて……」と五郎三郎は言いさし、上目で初めて継母を見た。 たけの唇がわなわな震えている。「苦しいのはよう知ってます。ほんでも、大飢饉の年に生まれる子は出世するそうなな。これもなんかの因縁ごとじゃろ。あんたはんらが捨てる子なら、このわしが拾いまひょ」「拾う?……」「心配は御無用にしてくだはれ。わしも天明の大飢饉の申し子じゃさかい、そこでない命じゃと思うて、わしの食い分をへずってでも育てるわいな。減児だけは、このわしが絶対に許しまへんで」 たけは自分の吐いた言葉に衝き動かされ、涙ぐんでいた。郷宿を売る時もさんざん皮肉を言いぐちをこぼしたが、心のどこかに傍観者の余裕があった。こんなに真摯な気持ちになったことなど、ついぞなかった気がする。もともと、そよの妊娠など関心がなかった。二人の孫もうるさいばかりで、愛情らしいものすら感じない。だが先刻、夫婦が児の生命を放棄する合意に達したのを知った時、眩むばかりの天啓にうたれたのだ。 ――その生命をわしが拾おう。 夫が亡き二人の先妻を忘れかねていることを、三番目の妻として桐村家に嫁して以来、たけはずっと感じとっていた。いずれも美しい、やさしい女であったらしい。けれどもそれは、たけには許せることではなかった。あてつけのように、たけは我が侭に生きてきた。 継子の五郎三郎とも、心はいまだに他人であった。そよの産んだ二人の孫にしても、最初の妻との血を継いでこそすれ、たけとはかかわりない。この家の中でたけ一人、誰とも血はつながらぬ。ずっと長く、たけは孤独であった。今、たけは、突如としておのれにつながる生命の芽生えを見つけ出したのである。 ――そよの腹の中にいるこの子こそ、両親が放擲した無辜の命。わしが救う正銘のわしの孫じゃ。 身も魂も燃え立つような情熱にふるえて、たけはそう思った。 そよがきっと面を上げた。涙にぬれていた。「あなた、お頼ん申します。どうぞ母さんの言うてん通りさしておくれなはれ。どんなことをしても、母さんといっしょに児を育ててみせますさかい……」 夫を直視してひるまぬ妻。思いもかけず、身重な嫁をかばって立ちはだかる継母。五郎三郎はこの逆襲に狼狽し、言葉につまった。 ――ちっ、勝手にさらせい。 自分一人だけが悪者に仕立てられた気がする。舌打ちしてぷいと立ち、肌寒い外に出た。減児の話はそれきりだったが、女二人の力を借りてまで五郎三郎に逆らい固執する、腹の子への憎しみが残った。それは嫉妬に似ていた。
 飢えと寒さにおののきながらやがて本格的な飢饉の年を迎えようとする天保七(一八三六)年極月十六日、そよは月満ちて女児を産んだ。生きがたき苦難の世と知ってか知らずか、嬰児は無心にこぶしを突き出し、呱々の声を上げる。 産湯をつかわすたけの背に喜びが満ちており、五郎三郎は別人を見る思いがした。 嬰児は、直と命名された。 恐るべき凶作の年に斜陽の一家に生を受けた直は、その苦行の生涯にふさわしい出発点を与えられたのだ。
 翌天保八(一八三七)年、飢饉は悽愴の度を加えた。 米価は福知山で二百八十匁(四月)、京都で実に四百匁(六月)にまで達した。 季節はたしかに春なのに、大地は緑にならなかった。緑になる前に、幽鬼さながらの人々にむしり食われた。花も、蝶も、虫けらも絶え果てたように姿を見せなかった。雑食性という人類の特性が、飢饉の時こそ、いかんなく発揮されたのだ。 よめな・れんげ・りょうぶ・よもぎ・えのき・やまなし・ぶどうの葉……青い木の芽や草は血眼で摘まれ、高値で売買された。山々の葛は春には掘りつくされて見あたらなかった。この葛からつくる葛よねが一斗三分から四分で売られた。松葉も奪い合いで、松の皮ははがされ、甘皮は争って食べられた。 御霊神社の前で藩は形ばかりに粥を施したこともあるが、追いつくものではなかった。飢えた人の群は、野山を裸にむき、ついには畳の表まで煮て食べた。同じ畳でも味のよしあしがあった。醤油などが染みついたり、寝小便などで汚れて煮しめたような古畳がうまかった。 まわりに食う物がなくなると、人々は禁令を犯して家を捨て、故郷を離れてさまよい歩いた。別のどこかに生き延びる土地でもあると夢見たのであろうか、瀕死のねずみが光を求めて這い出すように。行く手の野にも路傍にも、行き倒れた死体はころがり重なりあって、ただ烏のたわむれるままに打ち捨てられていた。「大阪ではかつえ死が二万二千四百十六人、京で一万四千三百三十人、その証拠には千人卒塔婆が大阪で二十二本立った」などという噂が、まことしやかに伝えられた。東北地方になると、その惨状は近畿の比ではなかった。 天保八(一八三七)年二月十九日、餓死者の続出する大阪にあって、天満与力大塩平八郎が挙兵、暴利をむさぼり遊楽にふける豪商を襲って、金や穀物を飢えた人々にばらまいた。世にいう「大塩平八郎の乱」である。乱は一日で平定されるが、窮民に与えた打ちこわしの衝撃は大きかった。「徳政大塩味方」などと称する一連の反乱が各地に引き起こされたが、福知山藩はただちに塩津峠に出兵し、警戒を続けた。 この事件を生まれたばかりの直は知らない。しかし母から子へ孫へと語りつがれたであろう天保の大飢饉の思い出とともに、民衆の苦悩を代弁して立った「打ちこわしの乱」の物語もまた、直の心の奥にしみ入っていくのではあるまいか。 この年の三月二十八日、直の出生と引き替えのように、祖父常助が死ぬ。そよが竃で立てる煙は絶え絶えに細く続くが、師走も押し迫った十二月二十八日には、長男大吉が疱瘡にかかって死ぬ。
 飢饉の年は去ったが、暮らし向きは楽にならなかった。五郎三郎は働く気力を失っていた。そよの誠実も、必死の努力も、彼の荒み行く心をやわらげることはできなかった。昔のように遊びに行く金が自由にならぬことは、彼の心をいつもふさぎこませていた。その分、家で安酒を飲み、酔うほどに蒼ざめてかっと怒り、手荒になった。 常助が死んでも、たけのわがままは矯められることはなかった。家族の誰もにいつも自己の存在を意識させたがった。食事は隠居部屋に持ち込んで、一人で食った。晩酌も欠かさなかった。そよは晩酌の肴に、質素ではあっても心をこめた。 五郎三郎とたけは互いに憎み合いながら、めいめいの縄張りを守って、その権益を争わなかった。二人の暴君と二人の幼児を食わすために、病弱なそよの細腕は休むことなく動き続けた。一家の主婦とはそのようなものと、直は思いこんで育った。 愚痴を吐き捨てる夫を失ったたけは、話し相手に不自由していた。よい家の奥さまと語るには今の暮らしに誇る話題はない。近所の愚かな女たちと語るにはたけの自尊心が許さぬ。五郎三郎とはにらみ合うだけ。わき目もふらず働くそよに話しかけるのは、さすがにためらわれた。嫁の手を止めれば晩酌にも響きかねないという分別が働いた。孫の清兵衛はたけを避けてばかりいて可愛げがない。しぜん、たけは幼い直を傍へひきつけておきたがった。 盃をなめながら、たけは物心ついたばかりの直に語ったものだ。「今でもあの時のことはよう忘れんでよ。三つになるやならずのお直をのう、五郎三郎は簀巻にして、雪庭にほうり出したんじゃ。ちょっと泣いたから言うて‥‥虫の居所が悪いばかりに、いちゃいけない(幼い)お直に……おとろしや、酒くらうと鬼じゃ。どだい青鬼じゃわな」 この出来事は直の記憶にはない。けれどもこういった体験が、父に対する潜在的な脅えの因をなしていた。 小さいうちから直は父の酒買いに行かされた。なぜか父は兄清兵衛には甘く、直にはきびしかった。いやなことはきまって清兵衛を素通りして直に命じた。それを直は、自分が女だからあたり前だと思っていた。女とはそういうものなんだと思いこんでいた。 酒買いの途中、いつも兄をいじめて泣かす近所のがき大将に出会った。直はその子の頭を徳利でごつんと叩いて仕返しをし、そ知らぬ顔で酒を買って帰った。気性の激しい子であった。 五歳ごろのこと、父に言いつけられて酒屋へ向かう途中、友達にさそわれて遊んでしまい、使いを忘れて家に帰った。父はわびる直をつかまえて手荒く蒲団にくるみ、押し入れの上段に閉じこめた。真暗闇の中で直は泣きわめいたが、息苦しさのあまり、ふうっと気が遠のいていく。 どれくらい時が立ったことか、仕立物を届けに行った母の帰ってきた気配に直は吾に帰り、夢中で助けを求めた。一条の光がさし入り、その光の中に直は助け下ろされた。 ひなたにほうり投げられた土竜みたいに、直は泣きはれた目を押え、その指の間からおずおずと狭い視界をのぞき見た。蒼黒い唇をゆがませて、無精髭の父が茶碗酒をあおっている。自分で買いに行った酒であろう。その茶碗がいきなり母の頭をかすめて庭にとび、くだけ散った。「こらえとくなはれ」 直をうしろにかばいおどおどと詫びる母に、父はいっそう猛りたった。「わ、わしにことわらんと、なぜ助けた。ごけんたいな(大きな)面さらしやがって」「なんせまだ小んこい子ですで。お直に言い聞かせまっさかい」「吐かしやがんない。おのれがわしをぞんざいにさらすさかい、こんなチビまでなめくさるのじゃ」 父はやにわに母の前に立ちはだかり、長い黒髪のもつれて垂れ下がるのを片手にまきつけ、ずるずると引きずった。直はもう見ていることができなかった。できれば耳もふさぎたかったが、震える小さな十本の指は目をふさぐのにいっぱいだった。 激しく肉を打つ音が続いた。そのほか聞こえるのはただ父の荒々しい息づかいだけ、生きているのか死んだのか、母はうめき声一つ立てない。長い長い恐ろしい時であった。 この時の父のむごい仕打ちは、成人してからも直の脳裡にこびりついていて、父への思慕を絶ち切ってしまう。
 天保十三(一八四二)年、五郎三郎は生活に窮して、ついに甘酒屋を始めた。桐村家の資産を食いつぶして放埒に生きてきた彼が食うために働くのは、この時が始めてだった。 商売初めの日、かいがいしく甘酒を作る母の姿には喜びが満ちあふれていた。珍しく酒気を帯びぬ五郎三郎が、上機嫌で清兵衛や直に味見させてくれた。七歳の直は口にひろがるその甘さにうっとりとなった。気まぐれにせよ、娘に示してくれた父らしい仕種にも直は酔うのだった。 五郎三郎は二つの大きな桶に火鉢を入れ、その上に甘酒の鍋を乗せ、天秤棒でかついでふり売りに出る。「あまざけー」と語尾を長く引くその声が実によく、遠くまですき通るように聞こえた。しかもその声がいつも同時刻で、町内の人たちは「ああ、もう四つだ」などと時計がわりにした。働く喜びを知ったのか、美声をほめられるのが嬉しいのか、五郎三郎は商売に身を入れる様子で、三年も経たずに「甘酒五郎三」の名は遠近に知れ渡った。もとより五郎三郎の稼ぎだけでは暮らしは立たず、そよは内職の糸つむぎをし、直は生まれたばかりの妹りよの子守に追われたが、それでも桐村家にささやかな希望の光がさしそめた。
 弘化三(一八四六)年正月元旦、五郎三郎は「浄土往生など願うて念仏でも唱えるか」と冗談めかして言った。「珍しいことを言うちゃったけど、なんやら胸騒ぎがしてなりまへん」とそよは心配げにたけに告げた。 ただの冗談口ではなかった証拠に、五郎三郎は三月に東の方へ旅して機嫌よく帰り、五月には神妙に伊勢参りに行った。 九月十三日の夜、五郎三郎はそよを揺り起こし、「わしを無情の風が誘いにくるでよう」と怯えて、妻の膝に身を伏せた。そよはぞっとし、目に見えぬ悪霊から夫を守るように五郎三郎を抱きしめつつ、結婚以来、ずっとこうして弱い夫を外敵から守り続けてきたような錯覚にふと陥るのであった。 次の日、五郎三郎は福知山に流行した悪性の霍乱に倒れた。 霍乱は暑気あたりによって起こる諸病の総称で、日射病のことだ。しかし当時は吐いたり下したりする症状を指し、今日でいう急性腸カタルやコレラの呼称であった。徳富盧花の《不如帰》にも「母は安彦が六歳の夏、その頃霍乱と云ひける虎列刺に斃れ」とある。 コレラが世界的に大流行したのは一八一七年が初めで、以来一九二三年まで六回ある。日本では安政五(一八五八)年の流行が有名だが、この時、浮世絵師安藤広重がその病名で死んでいる。 五郎三郎が霍乱にかかった旧九月といえば新十一月、もう肌寒い頃なので、暑気あたりではあるまい。当時福知山に霍乱が流行していたというから、やはりコレラであろうか。ならば、桐村家の中に他の犠牲者が出なかったのは、不幸中の幸いであった。 五郎三郎は高熱に冒され、一日一夜苦しみ抜いて九月十五日に死んだ。享年四十二歳。浄土宗法鷲寺に葬られた。戒名は西岸即往信士。 直は泣かなかった。上からかぶさっていた黒い覆いがはがされたような、さばさばした心境だった。だから隠れて泣く母の涙を見たときは意外でさえあった。 直が自分の誕生にまつわる話を母から聞かされたのは、父の葬儀の夜である。十一歳の少女の胸に、減児という言葉が深く刺さった。 当時の父母にとって、自分は余計者だったのだ。自分の出生自体、すでに悪ではなかったのか。祖母たけが他の人には絶対にみせぬ愛情を直だけに注いでくれるのには、それなりの理由があったのだ。世間では憎まれ者で通っている祖母に胎児を生かす菩薩の心があり、悲母観音のような母にわが子を闇に葬る非情な意志があったとは。 真っ暗な淵に沈んで行く娘の心を揺さぶるように、母は直の手を握りしめ、苦しげに語をついだ。「お前はわたしの産んだ子じゃがええ、わたしには、母といえる資格はないわいな。けど、お直の命を助けてくれちゃったお婆さまの御恩だけは、どうぞ忘れなんすなや」
 五郎三郎の死は一家の窮乏に拍車をかけた。甘酒業のかたわら手内職を続けるそよの体は、直の目にも痛ましく弱ってみえた。 ある日、そよは「こらえとくれ」と手をついて詫び、奉公に出てくれるよう、直に頼んだ。泣き虫だった三つ年上の兄清兵衛はすでに油屋五郎助に奉公していたが、「兄さんと競争で母さんの手助けできる」と、直はむしろ誇らしくてならなかった。たけは兄清兵衛の時は知らぬ顔でいたくせに、「なんちゅうこっちゃいな、わしの孫が人さまに召し使われるなど、思いもよらなんだでよ」とこぼしたが、口減らし以外にどうにもならぬ家計であった。 直は、上柳町のかな屋新兵衛に奉公に出た。十一歳である。母の喜ぶ顔を瞼にえがき、辛いはずの勤めも勇んで陰ひなたなく働き、夜業には糸つむぎにいそしんだ。かな屋の主人も小さくけなげな奉公人に目をかけ、初めの年に本裁ちのひとえ物、明けの年に地白の浴衣を粗物(奉公人にやるお仕着せ)にくれたが、直は手も通さず、そのまま家に届けた。そよはそれを金にかえて、生計の足しにしなければならなかった。 直のけなげな孝養ぶりが町役人の目にとまり、三人孝女の一人として藩から表彰されたのもこの頃である。  年季奉公三年が終わると、直は、川北の衣川清太夫や衣類仕立ての港屋重助に勤めた。  衣川家に婚礼があった日のことである。花嫁つきの女中として従った直がふいに花嫁と衣川家の将来について予言めいたことを口走り、それが後日すべて的中したという。  またこの頃から、直に奇妙な変化がおこった。時おり、現実に見えるもの、聞こえるものがすっと遠のいて、一人別の世界に取り残されるのである。「お直はん、ぼんやりして、どないしちゃったん」 あきれた衣川家の者が直の細い肩をゆさぶると、さまよい出た魂が遠い旅から帰って来たように、はっとしてあたりを見まわす。それらを笑い話にしているうちはよかったが、ふっと姿をかくす。ある時などは三日間もいなくなり、神かくしにあったのではないかと人々が騒ぐうち、夕方ぼんやり帰ってくる。家人が問いつめると、「山の中でなあ、草木や小鳥や獣たちとしゃべくりおうたり、いろいろ修行させられとりましたんじゃな」と答え、唖然とさせた。衣川家の人たちが、長く語り伝えたことである。 このように、少女の頃の直は霊感の強い子であったらしい。「誰それが死ぬ」「どこそこに喜びがある」などと自分でも意表外の予言めいたことを言い、それがまたよくあたると町の評判にもなっていた。 母は娘のその性癖を気に病み、直も子供心に恥ずかしくてならなかったが、成長するにつれてそういうこともなくなった。しかし当時の体験が、「神さまが見ていらっしゃる」という、常に神と向き合った直の生活態度に結びついて行く。 十五歳の年、直は港屋から一軒おいた泉屋清兵衛に奉公した。泉屋は福知山一の大きな饅頭屋で、昼は饅頭、夜はぜんざい餅となんば餅を売った。直は、深夜まで、どんな遠方もいとわず配達して歩いた。毎日二升の小豆を近くの川岸で洗うのが、楽しい日課であった。 十六歳から、上柳町の米久呉服店に奉公した。女子衆十四名をかかえる大きな呉服屋だった。主人の中井久兵衛は町役人をつとめる有力商人で、直を信用し、売上げを入れた銭箱のそばで寝泊りさせた。どこの店でも直の気質や奉公ぶりが気に入られた。母も祖母もそれを我がことのように喜び、誇りにした。 こうして直は寺小屋に学ぶこともなく、目に一丁字なく育ったが、そのかわり他人の飯粒の中から、人生にとって貴重な教訓をどれほど拾いとったか知れなかった。
 嘉永五(一八五二)年九月、十七歳になった直は奉公をやめ、年老いた祖母・病身の母・妹りよの住む上紺屋町の生家に帰ってきた。たけのたっての望みであった。 朝早くから夜おそくまで直は母を助けて働いた。夏は繭を茹で糸を引き、賃金を得て母に渡した。手があけば、たけの肩をもんでやった。どんなに疲れても家族といっしょに暮らす幸福は、何物にも代えがたい。夜なべ仕事を終って夜空を眺め、「このしあわせがいつまでも」と、直は祈るのであった。

表題:ゆりの怨霊 3巻5章ゆりの怨霊



「えらいこっちゃ、鶏が鳴いた。もう去ななあかん」 去る潮時を見はからっていたように茂作が身を起こしかけると、出口ゆりは慌ててすがりついた。「あきまへん、なあ、あとちょっと……」「そんな無茶言いないな。もう二回も……」「そんなこと言うちゃっても、久しぶりのことやし……」「またすぐ来るわな。お互い、身を考えんと……わしかてもう五十やろ……」 年齢を持ち出されて、ゆりはしんとなった。ゆりは四十八歳――でもこの年で激しく燃えるなんていけないことだろうか。喜びを知ったのが遅すぎたのだから、その分を取り返すのがなぜ悪い。
 初代出口政五郎は大工で、享保(一七一六~三六)の頃、出口幸兵衛から分家し、綾部組坪内村(現綾部市本宮町)に一家を構えたと伝えられる。以来、出口家は、代々「政五郎」を襲名する。 出口家は大きな屋敷と田畑を所有していたが、嗣子に恵まれず、川合村(現京都府天田郡三和町大原字奥山)の太郎兵衛家から養子を迎えて政五郎を襲名させ、娘のさよと結婚させた。 二代目政五郎も大工であったが、さよと力を合わせて働き、資産をさらにふやした。しかし彼らの間に子がなく、親類の出口惣右衛門の娘ゆりを養女にした。文政五(一八二二)年、ゆり十八歳の時である。 ゆりには河守(現京都府加佐郡大江町河守)に住む従兄の茂作という親の決めた婚約者がいたが、話し合いで婚約は解消された。政五郎は自分の実家の太郎兵衛家にいる甥・政平をゆりの婿に望んだからだ。茂作とゆりの間にはまだ愛情が通い合っていなかったし、当時、茂作は村の娘に熱を上げていた。婚約解消に支障はなかった。 政平とゆりは結婚したが、政平は間もなく大病をわずらい、治ってからも病気勝ちで、夫婦生活は淡白であった。彼らの悩みもまた、子に恵まれぬこと。夫婦は相談して、姪の直に白羽の矢を立てた。直の母桐村そよはゆりの実姉である。 政平夫婦は福知山の桐村家を訪ね、「直を養女に」と申し込んだ。直がまだ三、四歳の頃である。五郎三郎は簡単に承諾したが、その表情には「これで一つ口減らしができる」という気持がありありと出ていた。しかしたけとそよが反対で、ようやく「直がもう少し大きくなり、自分の判断で承知すれば」という言質だけを得た。 それからというもの、政平夫婦は、幼い直の愛情をひきつけようと、涙ぐましいばかりに努力した。簪や笄を与えて機嫌をとってみても、なぜだか直は懐かぬ。そよに連れられて直が綾部に来た時も、政平が庭へ下りると直は座敷へ、政平が座敷へ上がると直は庭へと避ける。政平夫婦の願望を本能的に察知して、無意識に拒絶反応を示すのか。養女の話はのびのびになった。
「ねえ、茂作はん、あの晩のこと、覚えとってですかい」「あの晩?……」「ほら、うちの人の通夜の晩のことですわな」 ゆりは蒲団の中で茂作の手を探り、握りしめた。話題をみつけ出して少しでもそばに引きつけておきたい、いじらしい女心だ。「ああ、忘れてなるかいな。あの時の喪服のおゆりはんときたら、とても四十二とは見えんぐらい、若うてきれいなかった。ほんまかいなあ、この女が昔のわしの許嫁やったんかいなあ……そう思たら、目の前の仏さんには悪かったけど、なんやもったいないことをしたような気がしたでよ」「上手言うて……」 ゆりは若やいだ声を上げ、茂作にすり寄る。 政平が死んだのは弘化三(一八四六)年二月八日。その通夜の席、ゆりは遺骸の前に首うなだれ、夫の死にうちひしがれる悲しい女の姿を演じた。だがゆりの頭の中はそれどころではなかった。政平の死を好機として、兄喜兵衛や本家の出口儀助、その分家の出口佐兵衛らが出口家の資産の乗っとりを計っていた。ゆりはそれを肌で感じとっていた。 ――あいつらに奪られる前にお直を養女にして、出口家の財産だけはきっと守っちゃる。 ゆりが昔から見こんでいた通り、直は申し分のない娘に成長していた。弔問客の接待のために台所でかいがいしく立ち働く直の立居振舞を見ても、動きに少しもむだがないばかりか、隠れた所に他人への暖かい思いやりをひそませている。長い奉公生活の苦労を、立派に肥にしている。 ――みんなが帰った後で、姉さんやお直に改めて養女の話を持ち出してみんなん。政平の遺骸の前やったら、いやとはよう言わんやろ。 そう思い決めた時、ふいに遠慮勝ちな男の声が聞こえた。「あのう……おゆりはん……」「……」「茂作です。ほら、わしですがな」 茂作と言われても、とっさには思い出せなかった。失礼にならぬようにと、ゆりは返事をためらった。 この男の存在を、ゆりは通夜の始まった時から意識していた。 ――きりっと筋肉の引きしまった精悍な感じの男やが、政平はんの知り合いやろか。「もう二十年以上むかしになるけど……ほれ、河守の茂作ですがな。もう忘れてでしたかい」「あっ」とゆりは声を上げた。二十四年の歳月が一度に消えた。「あい変わらずうだつの上がらぬ水呑み百姓ですさかい、あれいらい御挨拶にもよう上がりまへなんだ。このたびは出口の本家からお知らせがあったもんで……」 話し合って見ると、茂作の境遇はゆりと似通っていた。茂作も最近妻をなくしたばかりの男やもめで、しかも子供がなかった。思いがけない再会に、ゆりの脳裡からは、直の養女の件など吹っとんでしまった。 それ以来、茂作はゆりの良い相談相手になってくれた。味方村(現綾部市味方町)の太平の息子、十六歳の菊蔵を出口家の養子に世話してくれたのも、茂作であった。ゆりは菊蔵を大工見習いに出し、ゆくゆくは直と一緒にさせるつもりでいた。けれどその菊蔵も、嘉永三(一八五〇)年、二十歳の若さで死んだ。出口家はよくよく子に恵まれぬ。 間もなく、近所の大工辻村藤右衛門の世話で、中筋村岡(現綾部市中筋町)の豊助を養子に迎えた。豊助は石原村(現福知山市字石原)で大工の年季奉公中であったため出口家に来初めするとすぐ、親方の所へ戻った。豊助もまた、直の新しい婿候補であった。ゆりは直をあきらめてはいなかった。 亡夫の四十九日の法要が過ぎていくばくもなく茂作と一線を越えた時、ゆりは生まれて初めて喜びを知った。茂作も女房を失って忍耐が続いていたためか、その求め方は荒々しかった。夫にはないものであった。ゆりの肉体は、病身の夫から開発されぬまま、成熟しきっていたのだ。体の芯からうずき出すような官能にもだえた。終わった後、自分の意志を無視してしばらく痙攣し続ける下半身の筋肉のありようがゆりには奇妙に思えた。茂作の腕に抱かれながら、ゆりは思った。――男と女とはこういうもんやったんか。なんとそれとも知らずに長い間、わたしは何をしとったんやろ。 茂作とゆりの再婚は兄喜兵衛や親戚たちに真向から反対された。しかし茂作とゆりとの逢引きはひそかに続いた。 綾部と河守との距離は近くはなかった。綾部から福知山まで綾部街道を三里、福知山から河守まで宮津街道をさらに三里。福知山から由良川を舟で下る水路もあった。往復十二里といえば、そうしばしば通えない。それでもゆりは、福知山の姉そよを訪ねるのだと自分に言い聞かせて家を出、福知山まで来ると、せっかくここまで来たのだからといそいそと足を伸ばした。長く孤閨に耐えられぬ身になっていた。 茂作も月に一度ならず訪ねてきた。初めの頃は激しくゆりを求め、一晩寝かしてくれぬ。だがこの頃では次第に立場が入れかわり、ゆりが茂作を寝かさぬ。
「さ、もういっぺん寝直しや。ほれ、暖めたげまひょ」 ゆりは茂作の上にのしかかる。「もうこらえとくなはれ。おゆりはんは好きやなあ」「あんまりやわな。あんたが火をつけてこんなにしちゃったんですで。こら、どうしてくれる」「分かった分かった、けどもうくたくたや」「良い子やさかい、ほら、良いもんあげる。寝んね寝んね」 子供を産んだことのないゆりの乳房はまだ十分に張りがあり、形もくずれていない。その自慢の乳房を茂作におしつけ、口では冗談めかして言いながら、ゆりの目はすわっていた。このまま茂作を河守まで帰しては、今日一日、何も手がつくまい。この疼を切り裂く刃物でもない限り、今夜ももだえくるしもう。あの何もかも爆発する感覚の瞬間は、もうここまできている。火をつけてくれればいいのだ。求める時はがつがつしながら愛情をせいいっぱい表現し、満足すると急に心まで遠のいて行くような男の生理の身勝手さが憎い。だがそれがむしょうにいとおしい。 男の野生が回復すると、ゆりはすぐに我を忘れた。どんなに声を上げても聞く人はいない。広い屋敷の二人だけの世界だ。 ようやく満ち足りたゆりは、心配そうに言う。「どうしたんじゃろ、わたしの体は。年が寄るほど、だんだん激しゅうなるみたい」「そのうちわしは、おゆりはんに食い殺されるやも知れん」「いっしょに住めんからですわな。茂作はんと所帯が持てたら、きっとこんなことはござへん」 ゆりはものうげに起き上がり、「すぐ朝御飯作りますさかい、それまで休んでなはれ」「けど早う去なんと……」「そんなに急がんでも……そうや、福知(山)まで送ったげる。姉さんにもお直にも用事があるし……」 少しでも長く茂作といっしょにいたかった。台所に行くつもりで立ち上がりながら、ゆりの足は箪笥の前で止まった。一帳羅の紬を出して肩にかけ、鏡台をのぞきこんだ。そこには寝乱れ髪の、腫れぼったい目をした、それでいてしあわせに酔いしれた女の顔があった。 ――この着物、なんぼも着んうちに、ちょっと派手になったみたいや。 だが女は幾つになっても、美しい着物を見ると心が浮き立つ。
 産土である堀村(現福知山市字堀)の一宮神社の社前にぬかずき祈り終った直は、「おお、さむ」と、師走の風に身をすくめる。境内は樹木がうっそうとして、陽がさしこまぬ。樹齢三百年の大桧にちらと目礼しておいて、預かってきた反物を胸に抱き石畳の参道を急ぎ足で帰りかけると、石段をかけ上がってきた男にぶつかりそうになった。「あ、お直はん――」「まあ、林助はん――」 二人同時に声をかけ合い、思いがけぬ出会いに絶句し、顔を見合わせた。「お参りに来ちゃったんですか」と林助は、ややあって当然のことを聞く。「はい、堀に仕事をいただきに来たものですさかい。それで、林助はんも……」と、直も同じことを聞いた。「福知(山)に用があって、それでお宅へも寄ろうと思うとったとこですわな」「それがなんで一宮はんに……」「ちょこっと願いごとがあったもんで、回り道したんですわな。それにしてもここでお直はんに出会うなんて……。すぐ拝んできますさかい、待っとくれなはれ」 十二月も半ばを過ぎると誰もが忙しいのか、境内に人影はない。真剣に祈りを捧げる林助の背を、直は好もしい思いで眺めた。
 林助と直とは、親からの古いつき合いであった。林助は中村(現福知山市字中)の百姓の次男坊である。 たしか父が甘酒の行商を始める少し前の頃、母に連れられて林助の家を訪ねたことがある。直が七つの時だ。林助は文政十二(一八二九)年の生まれだから、当時十四歳だったはず。 親同志が話しこんでいる間、ずっと林助が相手してくれた。直は林助に手を引かれて、庵我神社に参拝した。神社は小高い地にあり、そこから庵我の里が見渡せた。杉の大木が林立しており、太い枝に小さな神さまが鈴なりになって直を見下ろしているように見えたのは、錯覚だったのであろうか。 二人で並んで拝んだ後、少年林助はひやかすように聞いた。「お直はん、何を真剣に拝んどったんや」「父さんがお酒をやめて、働いてくれて、お婆ちゃんや母さんがもっと楽になりますようにって拝んどったんやな」 林助は急に鼻の奥がくすぐったそうな顔になる。「兄ちゃんは何を祈っちゃったん?」と直が無邪気に聞く。「わしか……わしはな、ま、いろんなことをな……」「すこい(ずるい)。わたしばっかり言わして。なあ、教えてえな」「うん。わしの祈りは、欲ばり過ぎかも知れん」「そやから何やの?」「百姓がな、わしらみたいな百姓が働いたら働いただけのことのある世の中が来ますように、ちゅうて……」 その意味はよく分らなかったが、その言葉だけは覚えておこうと、直は思った。 筈巻の渡しにも乗せてもらった。網を持って小川で小ぶなやもろこも追った。 中村には、鬼ケ崎から流れる川の段丘での落差を利用した水車がたくさんあった。地方の小麦や菜種油を集め、この水車を動力にして素麺を作るのが村の有力な産業であった。お昼に御馳走になった素麺は、びっくりするほどうまかった。 町屋に育った直には、田園に囲まれた中村の自然は、新鮮で、楽しかった。幸福な思い出の少ない直にとり、林助はその幸福を与えてくれた数少ない一人であった。林助が桐村家に来た時など、直は彼にまといついて離れなかった。
 林助は二十四歳、子供の頃の七つ年上と言えばずいぶん大人に見えたが、今はそれほど年のひらきを感じない。若者という同じ世代に住んでいる。 祈り終った林助が生まじめに言う。「待たせてすんまへん。ほな行こか」 直は林助より一歩おくれて歩いた。 京街道の西側は松縄手という見事な松並木が続く。そこを過ぎると蛇ケ端薮。薮といっても竹ばかりではなく、数百年をへた榎や大きな雑木が生い茂っている。洪水の時など、この薮が東方数十キロの上流から流れてくる由良川の水勢を弱めて部落を水から守ってくれる。 暗い空から雪が落ちてきた。立ち止まって林助は見上げる。「この分じゃ、えっと大雪になりそうじゃ」「積もったら、中村までの道が難儀ですなあ」「なあに、雪は穢れを払う瑞祥というさかい……」 林助はさわやかな笑顔を見せた。健康そうな歯が、直には降る雪よりも白く清く見えた。 薮を抜けて京口門の手前、三軒茶屋まで来ると、林助は直を振り返った。「良かったら、腹ん中を暖めていこかいな」 手前の茶店では、三人の武士が昼まから酒を飲んでいた。それを避けて、二人は真ん中の茶店を選ぶ。 茶店の女に汁粉を注文した林助は、改まってぺこんと頭を下げた。「おめでとう、長いあいだ御苦労はん……」 直には林助の言う意味が分らなかった。「ほれ、奉公のことじゃがな。九月に奉公をやめなはったと聞いてすぐにもお祝いに来たかったんやが、秋の穫り入れやら何やかや忙しゅうて今までこられしまへなんだ。五郎三郎はんが死んじゃってから、まだちっちゃいのに奉公に出されて足かけ七年か。ようがんばっちゃった。つらかったやろなあ」 直は首を横に強く振った。奉公中、朝から晩まで身を粉にして働くことに懸命で、つらいなどと思うゆとりもなく夢中で過ぎてきた。その苦労があればこそ、貧しくとも家族でいっしょに住める今の暮らしのしあわせが尊い。 林助はしみじみと言った。「五郎三郎はんが生きとっちゃったら、お直はんの娘っぷりにさぞかし喜んじゃったろう」「わたし、父さんには悪いけど、父さんにはちっとも良い思い出がござへん。あの時死んでくれちゃって、本当によかったと思うとるぐらいですわな」 自分の心を包み隠す器用さは、直にはなかった。林助は驚いて直を見たが、やがて自分に言い聞かすように呟いた。「男ちゅうもんは、誰に尊敬されんでも女房と子供だけには尊敬され信頼されたいんと違うやろか。もしそうしてもらえたら、それを裏切るまいとして余計にがんばる。女の人には分からんやろけど、まあ、そんなもんや。五郎三郎はんかてそうなりたかったやろに、その機会を失うてあせってんうちに、自分で自分がどうにもならんようになっちゃった――死んでからまで娘にそんなふうに言われたら、五郎三郎はんも浮かばれん」 直は耳まで赤くなった。その通りかも知れぬ。いつも父を鬼でも見るように接した。祖母も、母も、そして自分までも。見栄も外聞も投げ捨てて父が甘酒のふり売りに出た時、その姿を立派だと思って上げることができていたら……誰一人にも慕われず、恐がられて生涯を終えた父さんもかわいそう。 取り返しのつかぬ不孝をしたと、直は思った。 ――そうや、甘酒屋を始める時、父さんが飲ましてくれちゃった甘酒のあの甘さ、その感覚をいつまでも大事にして、それを父さんの思い出として育てて行こう。 うつむいた直のほっそりした肩先の震えに気づいて、あわてて林助は言った。「すんまへん、阿呆げなこと言うてしもた。さあ、冷めんうちに汁粉食いまひょ。なんなら汁粉の食いくらべしよか」 その声につられて、直も笑顔でうなずいた。直は涙を見せまいとして、汁粉を一口すすった。あっと言うまに野山を一色に染める雪の白さと汁粉の黒の対照が美しい。 ――それにやっぱり、父さんの甘酒よりも、林助はんの御馳走してくれてんこの汁粉の甘いこと。「お直はん、わし、一宮はんで神さまに何祈ったか、想像ついてか」と林助はとってつけたように言った。直は暗誦の口調で答える。「百姓が働いたら働いただけのことあるようにと……そうでっしゃろ」 林助の顔に、驚きと喜色が広がった。「そんな昔のこと、覚えとってでしたか」「忘れてしまへん。あの頃はまだちっちゃかったさかい、意味までは分かりまへなんだが、今ではよう分かります」 天保の大飢饉の打撃もあって福知山の藩財政は極度に窮乏して借財十万両にもなろうとし、武士の権威は地に落ちていた。嘉永三(一八五〇)年、藩は目付の原井惣右衛門、用人の市川儀右衛門に藩政の改革にあたらせたが、嘉永五(一八五二)年のこの年、物価統制令を強行し、百姓は働いても働いても食えぬ状態にますます追いつめられていたのだ。「残念ながらお直はん、さっき祈ったんはそのことやない。自分のことや。いや、自分のことだけでもござへん」 林助は目をつぶり手を合わせて祈る真似をし、わざとふざけた声を出した。「――神さま、どうぞあなたの氏子のお直はんと結婚させとくなはれ。もしもめでたく所帯がもてましたら、きっときっと、お直はんを泣かせるようなことはしまへん。誰にも負けんほど働いてしあわせ者にしてみせますさかい……」 そして林助は、まだしっかりと目を閉じたまま、続けた。「お直はん、わしの勝手な祈りに腹が立ったら、目をつむって百数える間に黙ってこのまま帰っとくれなはれ。わしはなんにも根に持たんし、今まで通りにおつき合いさせてもらうでよ。けどもう少し聞いてくれてんつもりなら、どうぞこの場におっとくれ」 林助は小声で数えはじめた。 直は動けなかった。逃げようにも動けない。思ってもいない縁談が、予告もなく自分の身に降りかかる。数は追いせまって次第に速度を早めて行く。震え出す指先で耳をふさぎたかった。いや、さっき聞いた林助の声が消えてしまわぬうちに耳をふさいでしまいたかった。「……九十九、百――」 林助は、まぶたを開き、身の置き所のないような直をひたむきに見つめた。「おおきに、お直はん。今から言うことをよう聞いとくれなはれ。わしは百姓の次男坊やろ。そこで父さんが、少しやけど元手を出してくれる言うもんで、思いきって福知で小商いするつもりや。できたらまず身を固めて、夫婦で一からわしらの暮しを築き上げたいんや。つまりお直はん、あんたとや」「……」「あんたのお婆はんも、お母はんも、わしらが引きとる。そして一生懸命働いて、二人に楽させてあげたい」 きっと夢だと直は思う。 ――お婆はんやお母はんのことまで心配してくれて。そうや、夢や。夢でもかまへん。いま感じてるつかのまのしあわせ、それだけでももったいないくらい。 ――でも一宮はんにお参りしてばったり会えたんは、神さまのお引き合わせやないじゃろか。この人こそ神さまの授かりもの。林助はんなら、わたしは一生尊敬し、信頼してついていける。「実はこのことをお願いにお宅へ行こうとしたとこですわな。ところがこうして、じかにわしの気持をお直はんに聞いてもらえるなんて、思ってもみなんだ。どうぞ返事しとくれなはれ」「……そんなこと、あんまりにわかで……」「そらそうでっしゃろ。ほんならこれだけ聞かしとくれなはれ。わしが桐村家にこのことをお願いに行ったら、あんたは後で塩まきなはるか」「いいえ、塩なんて……」と直は口ごもり、燃えるような頬を押さえて、「……わたし、一宮はんへすぐにお礼参りに行かせてもらうことでっしゃろ」「ははは……お礼参りか。ほなわしかてお供せんならん。お直はんの家へは年明けて改めて正式にお願いに上がるとして、今日はひとまず中村へ帰にますわ。おおきに」 林助が大きな掌をさし出した。直ははじかれたように立ち上がる。林助は照れて手を引き、ぺこんと頭を下げた。 去って行く林助の背はすぐ白い粉雪に消されてゆく。 林助と別れて帰ってきた直は、祖母や母に「道で林助はんにぱったり会うて、お汁粉を御馳走になったんじゃな」とさりげなく報告したものの、かんじんのことは打ち明けそびれてしまった。十二歳の妹りよは羨ましがって、その時の様子をしつこく聞きたがる。相手にせず、直は仕立物を広げながら、こみ上げる喜びを抑えかねてしまう。一つ一つ確かめるように今日の出来事をなぞらえて、思うのは林助のことばかり、ときどき仕事をとちって母に笑われた。 けれど暮れ方の雪をふくんだ風が格子戸を鳴らし出すと、すきま風のように直の心を不安がよぎる。 ふいに直の前につき出された林助の武骨な手。なぜすがらなかったろう。あの手に、あの大きな暖かそうな掌に。もう二度とわたしの前には差し出されぬかも知れない、あのいとしい手。雪の中に消えて行った林助の背。 せつない思慕と不安に胸苦しくなった時、凍える風とともに、ゆりが戸口に立った。「姉さん、お直はん、おってかい。話がありますのや、聞いとくれえな」 出口ゆりは祖母と母を相手に、勢いこんで実兄や親戚の悪口を並べ立てた。初老ともいえる茂作とゆりの不倫の恋はもはや隠しようもなく、世間の顰蹙を買っていた。これをきっかけに実兄の出口喜兵衛・本家の出口儀助・分家の出口佐兵衛が共謀、出口政平の遺産を乗っ取りにかかっている。彼らはゆりの再婚の願いを強くはねつけ、執拗に二人の仲を妨害した。最初の養子の菊蔵の死後、ゆりが豊助を二人目の養子に迎えたのは、彼らの思わくはずれであった。しかし豊助は出口家と関係ない男だけに、難くせつけて離別もできる。しかし再婚だけは困る。ゆりが寡婦でなくなれば、出口家の財産は手が届かなくなる。 全く孤立し苦境におちいったゆりの最後の拠り所は、桐村家の人となった姉そよとその家族だけであった。 潔癖な娘心で、直は伯父たちの策謀を憎むとともに、老いの情欲をむき出しにした叔母の取り乱し方にもついていけなかった。夫との甘い思い出一つなかったであろう母が、後家となっても身を持して慎しく生きているのにくらべ、同じ血を分けた姉妹と思えぬゆりの行為がうとましく、不潔に感じられた。 ゆりの涙まじりの訴えに相槌を打ちながら、祖母はあおり立てるように言う。「ほんまやなあ。あんたはんらの父親はなかなか珍しい誠の人じゃし、五人の子のうち四人まではなかなか気立てが良いと感心しとります。けど惣領の喜兵衛だけは、あらあかん。どえらいこすい(悪がしこい)男やでよ。同じ種から善と悪とが出るのじゃさかい、なんともけったいなこっちゃのう」 実兄の悪口を姑から言われて母がつらそうに身をすくめるのが、そばで糸車を繰っている直には肌で感じられる。早う帰ってほしいと直は願っていた。ゆりや祖母の話を聞いていると、直は林助との昼まの甘い思い出まで穢され、かき消されそうな不吉な予感に脅える。 と、話題は急に直に向けられた。「ほれからお直のことじゃがええ、どうや、承知してくれちゃったかい」と、叔母はすがるような口調だ。祖母は気まずげにそっぽを向き、母は口ごもりつつ答える。「それがなあ、かんじんの本人が……」 皆まで聞かず、ゆりは泣き腫れ充血した目を直にあて、にじり寄った。「お直はん、助けとくれえな。一人ぼっちのわたしが頼るのん、お前だけじゃさかい、どうぞどうぞ綾部に来とくんない。豊助ちゅう立派な婿はんまで用意して待っとるんや。豊助はんはまだ石原で年季を勤めとってやが、腕の立つ良い大工やげな。綾部へ来てくれたら、わたしがよかろべしいに(よいように)するわいな」 直はかたくなに黙っていた。人に逆らったことのない直の、必死の抵抗だった。正月になったら林助が正式に結婚の申し入れに来てくれる。それまでどんなことがあっても、拒絶し通さねばならぬ。 ゆりがくどくどと養女の件を頼んで帰ると、母がせつなげに吐息した。「お直に苦労ばっかりかけて親らしいことは何一つようせなんだのに、親の勝手を押しつけるのはすまんけど、綾部へ行ってやっとくれ。あんなに悩んどるゆりがかわいそうで……」「……」「女ならどっちみち嫁に行って、よそさんの姓を継がねばならんやろ。そんなら母さんの最後の頼みじゃと思うて、出口の姓を継いでやっとくれえな。妹が縁あって嫁いだ家を一代で絶やしたとなると、出口家代々の御先祖さまに対しても、どんのいにもすまんこっちゃで。なあ、何事も因縁ごとじゃさかい……」 母は泣いていた。今までの直ならば、これだけの母の頼みをことわれるはずはなかった。だが今日からは違う。 祖母が横から口をはさむ。「この子がいやふうなんは、よっぽどわしらから離れにくいんじゃろ。なんせひっさひっさ(長い間)奉公して、どうぞこうぞわしらといっしょに暮らせるようになったとこやもん。なあ、もうちいとやっと時間かけてみたらどうやいな」 可愛い孫をできるだけ手離したくない祖母。だが祖母にしても、直の幸福を思えばやはり出口家にやった方がよいと、心底では考えていた。ゆりの申し出は悪い話ではない。このまま桐村家にいても嫁入り支度すらできぬばかりか、家族の犠牲になって婚期すら逸してしまおう。資産のある出口家に行けば生活の不自由はない。それが分かっていながら祖母が煮えきらぬ態度をとり続けるのは、老先短いたけの、孫への愛着であろう。「母さん、すんまへん。もうちょっと、もうちょっとだけ返事を待っとくれなはれ」と、直は両手をついて母に頼んだ。夢のような今日の出来事を直の口からはよう言わぬ。「正月よ、早う来て」と不安におののきながら、直は祈る。 嘉永六(一八五三)年正月、林助は仲介人を通して桐村家に縁談を申し入れた。「直を養女に」というゆりの切望を無下にはことわれぬ。即答を避けるうち、今度は林助みずから訪ねてきた。膝をそろえて坐り自分の気持を打ち明ける林助の真摯な態度に、たけもそよも打たれた。何より妹りよが吾がことのように喜んだ。油屋に奉公している兄清兵衛も賛成した。出口家には養女の話を婉曲にことわり、林助との婚約はととのった。しかし双方の事情を考慮して、結婚は来年の秋と決められた。 直の生涯にとって、恋と呼べるのはこの時だけ、つかの間のしあわせに酔う直の青春は短かかった。 安政元(一八五四)年二月、幕府は日米和親条約を結び同様の条約を英露とも締結、幕藩体制の矛盾を一挙に露呈した。幕末の政治的、社会的動乱時代に突入する。 同年八月二十九日、陰暦だから季節は秋だ。 直が使いから帰り玄関の前まで来ると、内から出口ゆりの甲高い声が聞こえた。「姉さん、見とんなはれや。わたしが死んだら、喜兵衛や儀助や佐兵衛に取り憑いて、一家を呪い殺しちゃるさかい――」「これ、なんちゅうことを……」「ほっといてえな。あいつら、どぶ壺にはめちゃる。黒焦げにしちゃる、思い知らしちゃるわいな」 あとは絶叫に近かった。 がたんと激しく戸が開いて母とゆりがもつれるように表へとび出し、続いて祖母と妹が追って出た。ゆりは止める母を突きとばし、不意に狂ったように笑った。背筋の冷える笑いであった。 ゆりが走り去るまで立ちすくんでいた直は、はっとして母を助け起こした。「母さん、何があったん?……」 母は答えもできず、蒼白な面を両手でおおった。 かつて町内から意地悪婆あと綽名されたたけが憤然とした。「親戚のいつもの意地悪や。寄ってたかっておゆりはんをちょうざいぼ(なぶり者)にしよって……」 ふいに、妹りよが激しく泣きじゃくった。「叔母さん、狂うちゃった」 こわばった顔を見合わせながら、誰も否定はできなかった。 祖母の語る所では、四、五日前、伯父の喜兵衛がゆりをたずねて来て、「お前がそれほど好いた男なら、むさんこ(むやみ)に反対しても無駄じゃろう。ほいでも世間体があるさかい、そっと河守へ行って、噂のしずまるまで待っとれ。そのうち株内の者と相談して、きっと晴れて添わしちゃるでよう」と、やさしくすすめてくれた。ゆりは狂喜して、その日のうちに男の元へ行ったという。それが今日になって、近所の者から急報があった。親戚どもがゆりの留守宅から家財を運び出そうとしているので、組内の者が見かねて一応止めているとのこと。ゆりを追い払って、まんまと出口家の財産を横領する企みだったのである。だまされたと知ってかっとなったゆりは、綾部に戻る前にまず福知山まで告げに来たという。 母は無理に微笑んでみせた。「お直になあ、出口家の跡をついで先祖の祭だけは絶やさんでおくれ言うて、うだうだ頼んでいっちゃった」「また……いややなあ。あれだけちゃんと養女の話はおことわりしてあるのに。それに出口家には、豊助はんという立派な養子はんがおってですわな」「ほいでもやっぱり、身内のお直に祀ってもらいたいげな。豊助さんの嫁になってほしいと……」 母は眉をひそめた。「なしたまあ……」「だんない、ほっときなはれ、お直は林助さんとの結婚のことだけを考えてたらよい。大体、喜兵衛さんといい、ゆりさんといい、欲しんぼすぎるばい」 母は祖母の前に身をちぢめてつぶやいた。「兄妹どうしの争いはまるで地獄……恥ずかしゅうてかないまへん」 妹が母にすがって、心細げに言う。「でも叔母さん、あんなに取り乱して、別条ないじゃろか」「死ぬ死ぬちゅう奴に死んだためしはないわいな」と祖母はにべもない。 その夜はむし暑く、誰もが寝苦しげに転々とした。明け方、りよがうなされて、すすり泣いた。
 出口ゆりの死体が発見されたのは二日後であった。ゆりが桐村家を訪ねてきた日の晩、河守の茂作の家の前で彼女らしい姿を見た者がある。福知山からその足で河守まで引き返したが、取り乱した姿を恋人に見せるのを恥じ、ひそかに別れを告げたのち怨念を引きずってさまよい歩いたのであろう。 死体は志賀郷(現綾部市志賀郷町)の野井戸に沈んでいた。 享年五十歳
 出口ゆりの死は直の人生を変えた。出口家を戸閉めしたまま放置もならぬ。錯乱のゆりの心理状態をあらわすように庭も荒れほうだい、家の中も雑然としていた。怨念を残して憤死したゆりの霊も祀らねばならぬ。養子の豊助はまだ年季が終っていない。今までの因縁から言っても、当座、直が出口家を管理する責をおわされた。直は単身、綾部へ移った。
 綾部は京都へ二十二里、大阪へ三十里、福知山へ三里。丹波高原の中心に位する福知山盆地の東端につらなるところ。由良川の上流和知川は激しく山裾をかんで下る急流、山家を経てようやくゆるやかとなり並松の景勝をつくりつつ西にめぐる、そのあたりに小さくひらけた聚落が綾部。由良川にのぞんで西に本宮山、それと並んで町の南には藤山、四尾山が壁のようにそそり立っている。山と川と丹波路のあいまに生まれた、細長くつつましやかな城下町である。 綾部町は、寛永十(一六三三)年、藩祖九鬼隆季が下市場に陣屋を築いたが、慶安三(一六五〇)年に焼失、翌四年、本宮山を中心に陣屋と武家屋敷をつくったのが始まりである。 隆季の祖父は九鬼嘉隆で、豊臣秀吉の朝鮮出兵のさい、水軍の総督として偉功をたてた。徳川家康は九鬼一族が水軍に練達、威力を蔵するのを恐れるあまり、この丹波の山奥綾部の地に隆季をして転封せしめたのである。以後二百七十余年、九鬼氏は綾部二万石を領し、十一代を経て明治維新を迎えている。 直が綾部に嫁入った頃の藩主は、九代の九鬼隆都であった。兄隆度が病身で藩政をとることができず政治が大いに乱れたので、文政五(一八二二)年、二十三歳で藩主となり、家老以下の役人の粛正から改革の手をつけた。隆都は単なる並び大名でなく、内外多事の藩政を改革した歴代中の英主でもあった。 当時、幕府は隆都の存在を高く評価し、一再ならず幕府の公職につかせた。隆都は文政六(一八二三)年以来、日比谷御門番、公家使節接待役、江戸城警備の統率役である大御番頭、京都二条城在番をへて以後もたびたび京都、大阪で番頭をつとめている。また人道的な政治家であり、たとえば天保の飢饉の時など、藩は高値の他国米を買い入れて救民に専念し、領内からほとんど餓死者を出していない。 九鬼の鬼は、正確には角のない《》という字であるが、ここでは鬼の字を使用することにする。綾部には、昔から妙な風習がある。節分の豆まきの時、「福は内、鬼も内」という。九鬼家の鬼をはばかったのであろう。いや、はばかるというより、むしろ九鬼の殿さまを慕った、領民の素直な心のあらわれであるかも知れぬ。 このように、直の来た当時の綾部は、天保の飢饉や江戸・京都等の藩邸の火災の頻発、隆都の幕命による公務等で藩財政は窮乏していたが、藩主と家臣、あるいは領民とのつながりの中に、温かい情が流れていたものと思われる。それは、故郷の福知山とは大きな違いであることに、のちには直も気づくであろう。
 出口家が所在した綾部組坪内村は本宮山の麓にあり、町家からややはずれ、農家と職人の家がぱらぱらと入りまじっていた。 当時の直の思い出は暗い。だだっ広い家の中で叔母の位牌を守って只一人、夜になるのが恐かった。長い間、叔母はこうした孤独に耐えきれず、茂作にすがったのであろうか。直は林助の面影だけを追い求めて忍んだ。きっと来年には晴れて結婚できる。いや、すでに林助は、直の心の夫なのだ。 直がいちばん辛かったのは親戚たちへの応待である。直が若いのと出口家の様子に暗いのを良いことに、遠慮げもなく家へ入りこみ、「これはわしとこの物や」と言って高級な家財を運び出したり、「ゆりに何両貸していたから金を返してくれ」とか、「生前に田を一枚もらう約束があった」と言って、勝手に名義を代えたりする。ゆりをいじめた出口喜兵衛・出口儀助・出口佐兵衛と言った連中である。このままでは出口家の財産はすっかりむしり奪られてしまうと、直は気づいた。 ――あんなに財産に執着しとっちゃった叔母さんにもすまん。出口家を継いでくれてん豊助はんとやらいう人にも申しわけない。 直はそう心に決めると、それからは「どうぞ証文を見せとくれなはれ」と言って、親類たちの貪欲な要求をはねつけた。
 直はふと大事なことを思い出した。叔母が死ぬ前に福知山へ寄った時、直に出口家の跡を継ぐことを懇請したのち、「河守へ行く前に、出口家のたいせつな家宝は、みんな近所の研屋の兵平はんによう言うて預けといたで、わしにもしものことがあったら、直がきっとそれを受けとっといてや」と母に遺言したという。 亡き叔母の執念のこもった品々であろうと思うと、うかつに忘れていたことをすまなく思い、直は四、五軒先の研師の家へ出かけた。藁屋根はひしゃげ、《とぎや》という看板の文字も薄れている。 きしむ戸をあけて声をかけ、直が叔母の遺言を告げると、刀を研いでいた兵平がきょとんとした顔をつくった。まだ若い男である。「そうけ、初耳じゃのう。わしらあ、さっぱり知らんでよ。いやいや、もしかしたら、女房が知っとるかも知れんさかい、ちょっと待っとってよ」 主人は奥へひっこむ。だいぶたって、赤ん坊を抱いた女房の絹を連れてきた。絹は初めから喧嘩腰である。「きしょくいこと言うてくれてや。ひん、預かった覚えのないもん返せやて?……まるで言いがかりやないかいな。証文でもあれば、出して見なん」 高飛車に言い、あとは叔母の悪口をべらべらとまくしたてた。そのくせ夫婦とも直の顔を直視しようとはしない。これ以上叔母を冒涜されまいと、直は慌てて詫びを言い、きびすを返した。薄暗い陰気な研屋から出ると、日ざしがまぶしい。 研屋の女房と叔母はことわけて仲が良かったと聞いている。さてこそ信頼して大事な家宝を預けたのであろう。それだのに、欲がからむと仲の良かった友のことまで悪口になる。 出口家の親戚といい、この研屋といい、叔母を狂気の自殺にまで追いつめた人間の物欲の果てしなさ、貪婪さが恐ろしかった。
 出口家に一か月ほどいて庭の掃除や家の中の整理をすっかり終わると、もう一刻も綾部に我慢できなかった。ここまですれば、後は今年一杯で年季明けという、豊助にまかせればいい。直はしっかりと戸を閉め、十一月の寒空の下、わき目もふらずに福知山へと向かった。背筋がぞくぞく寒い。「風邪のひきかけやろか」と直は思う。それにしても背中に冷たく重く何かがへばりついているようなこの感覚。 福知山に帰って四、五日後、直は胸苦しさに目ざめ、夢中で蒲団をはねのけた。裾の方にぼうっと立っているのは、叔母のゆりではないか。一筋の光もない暗黒の室内に青白く浮き上がるその濡れた髪から、着物から、冷たい雫がしたたり落ちる。「お直や、お前のおかげで出口家の祭は絶えた。あんなに頼んでおいたのに……うらめしいぞえ」 裾から重たくのしかかってきたゆりの氷のような指が、直ののど元にかかる。もがいてももがいても、直の体は金縛りに合って動かぬ。動かぬ唇で直は叫んだ。「神さま……一宮はんの……かみ……さ……ま」 凍りかけた直ののどから、ゆりの指が一本ずつ離れていく。「おのれ……うらめしや……」 ゆりの滅入った声が幽かに遠のくのは、ゆりの幽体が遠ざかるせいか。直の瞳は磁石に吸いつけられたように亡霊の行方を追う。ゆりは裾を乱し、髪をなびかせて、うつぶせの姿のまま浮上し、天井を抜け、屋根を越える。直の瞳は物理的限界を忘れて、ゆりの姿を透視できた。ゆりは屋根の上十間ほどを一気に越え、突然下降して、棟にまたがる。たちまち鬼女の形相に変じたゆりは屋根をきしませ、瓦をはがし、次から次へと直を目がけて投げつける。「今日で三日も四日も、茶も水もくれなんだがええ……」 その声が耳の鼓膜を突き刺すように轟き渡り、恐怖のあまり、硬直した直の体から意識がうすれていく。 そのまま直は四十度の高熱を発して寝こんでしまった。医者も原因が分からず見離した。一時は死亡の噂がとんで香奠まで届けられた。「恐しや、おゆりの死霊の祟りじゃ」とたけは断言する。だが祈祷師を招いてお祓いしても何の効果もない。寝こんでから数日がたつと、誰の目にも直の命が旦夕に迫っていることが見てとれた。それほど衰弱が激しかった。家族の者はひたすら神に祈って、ただ暗涙にむせぶばかり。「ちょっと見てみなん、お直が何か言いたげなで」 枕頭に座したたけの声に、そよもりよも身を乗り出した。急報により中村から駆けつけた林助も、真剣に直の口元を凝視する。 直がもどかしげに熱でひび割れた唇を動かそうとする。そよが綿に水を含ませ、拭ってやる。「ゆ、ゆるして……わたしには……夫が……」 痩せ衰えた直の手が空をつかむ。「お直はん、わしじゃ、林助じゃ、分かるか」 直の手を林助はにぎりしめる。しかし直は強くそれを拒み、「いや、それだけはかんにん……綾部へは……」 ううっと苦悶のうめきが上がり、直は身もだえる。「たすけて……林助はん……りんす……け」 直の両手が切なく宙をさまよい、視点の定まらぬ目を見ひらいて林助を求める。もどかしく林助は直の体をかき抱き叫び続けるが、直の魂魄はどこをどうさまようのか、手応えもない。 男泣きする林助に、りよも涙にむせんで口走った。「あ、あんまりや、ゆり叔母さんは。姉さんから林助はんを奪るつもりや。どうでも綾部へ帰なしたいのや」 障子の桟が音を立てて倒れかかり、行燈の炎がぼうと燃え上がった。たけが夢中で念仏を唱える。 りよの目はすわり、激しくわななきながら見えぬゆりの霊に向って叫んだ。「わたし、りよです。叔母さん、姉さんには林助はんがおってや。叔母さんかて、好きな人とむりに離される苦しみは、よう知っとってのはずや。そうや、わたしが出口へ行く。豊助はんのお嫁になったかてかまへん。そやさかい……」 風もないのに行燈の炎が大きく揺らいで消え、闇の中で直が悲鳴を上げた。「わるいのはわたし……」と直はうめき、「林助はんを……のろうのだけは……やめにして……」 直の体が林助の腕の中で激しく痙攣を始め、断末魔の絶叫がそののどを裂いた。「叔母さん、わたし……綾部へ行く……」 林助は悲愴な声をしぼり出す。「わし、お直はんをあきらめる。わしの体はどうなっとしとくれ。そやさかい、どうぞお直はんの命だけは助けたっとくなはれ」 林助の頬には、涙が止めどなく伝わり落ちていた。
 遠くから誰かの呼ぶ声が聞こえ、その声をたよりに暗黒の海を泳いで岸にしがみつく。幾つかの影が揺らぎ次第に焦点がしぼられると、懐かしい顔があった。「ああ、こわかった」と直がか細い声で言った。「おう、気がついた」とたけがしゃがれた声をしぼり出す。眼を泣き腫らした母を見、妹を見、そして林助を見て、直は弱々しげな微笑を送った。林助が膝の上に揃えた拳をにぎりしめ、耐えきれずに嗚咽した。 直がやっと病床から離れたのは、臥床後四十日目であった。秋も過ぎ、何かとせわしない年の暮になっていた。 愛ゆえに別れた林助への思慕は深く沈潜し、その後の直の生涯かけて、翳りを添えずにはおかなかった。

表題:直の結婚 3巻6章直の結婚



 衰えた体の回復を待ち、翌安政二(一八五五)年、松の内が過ぎて、直は叔母の亡霊との約束をはたすために、林助との縁談をあきらめて綾部へ向った。綾部へ行けば、まだ顔も知らぬ豊助との結婚が運命づけられている。一あし一あし遠ざかる故郷、せつない思い出。よろめく足を踏みしめて、直はもう振り返るまいと心に決める。耳もとを吹き抜けてゆく木枯らしまで、ゆりの叫びのように直を冷たくせきたてる。 出口の屋敷は二ケ月余りの戸閉めのため荒れ果て、いっそう陰に篭っていた。――わたしの今の心の風景みたいと、直は思った。直は極寒の中にすべての戸を明け放ち、神前に灯明をあげ、叔母ゆりの霊を慰めた。 二月三日、豊助と直の婚礼が出口家で行なわれた。この時、豊助は出口家代々の政五郎を襲名する。豊助改め政五郎二十九歳、直二十歳。媒酌人は同じ坪内に住む大工の藤右衛門・つね夫妻。藤右衛門は文化二(一八〇五)年生まれの五十一歳であった。 藤右衛門は気持ち良さそうに高砂を唄い、そのかたわらで女房つねが葬式と取り違えたような気むずかしげな顔で、わき目もふらず料理を口に運んでいた。藤右衛門の長男藤兵衛は、十五歳と思えぬひねこびた面持で盃を傾けている。 喜兵衛・儀助・佐兵衛といった出口家の面々も、近所の衆も、おのおの家族を引き連れて負けずに飲みくらう。花婿側の四方家の人たちも、五番目の子の結婚とあってか、さして感激はない様子だ。 直は座にある誰とも親しくなれそうもなかった。夫のために身を粉にして仕えねばならぬと覚悟はしていても、心は萎えるばかりであった。涙ぐむ祖母や母、親身に気づかってくれる兄清兵衛、淋しそうな妹りよのためにだけ、人身御供の座に耐えているかのようであった。 花婿は始めから隣に坐っているのだが、直はまだ一度も顔見る勇気はなかった。彼は遠慮なく大あぐらをかき、盃をさされるままにぐいぐい飲み、ついには茶碗酒、誰かれとなくたわいないお喋りにうち興じている。どちらも別の地から来て資産のある出口家の後継者の座にすわる新夫婦の幸福など、参列者にとって初めから念頭にないのだろう。やたら喧噪なばかりで、てんでんばらばらの披露宴であった。 宴のなかば、花婿政五郎がひょろひょろと立ち上がり、席の中央に進み出た。 直は夫となる人を初めてちらと見た。ずんぐりした頑丈そうな男のようだった。「ご挨拶させてもらいますで」 政五郎は頭を下げたままくるりと一回転し、酔いに赤らんだ顔を上げ、大声で喋り出した。「今日からわしが、四方豊助改め出口政五郎ですわな。ねっから知らんお顔もたんとござすが、そう渋くった顔せんと、今後とも親子兄弟同然のおつき合いを、ひとえにふたえに七重のひざを八重に折り、いずれもさま、これからお世話はんになりますさかい、よろしゅうお頼ん申します」 まるで芝居の口上口調でうたい上げ、さらに熱っぽく、「わしは、目ねぶった(死んだ)ゆりたらいう後家はんのことは養子の来初めの時に会うたぐらいで、よう知りまへんのや。そいでも縁あって出口家に婿入りしたからには、嫁はんと二人で力を合わせ、がい(立派)に家運を上げるよう念がけますわい」 拍手する者もなく、大部分はその決意を興味なく聞き流す風だった。だが政五郎は平然たるものである。「……といっかどそうに言うても、わしはご覧の通りの子沢山の五男坊、ご披露するような持参金などございまへん。ほれでもまるきり手ぶらで来たわけでもないんじゃな。おい、ちょっと立ってみんかいや」 政五郎が下座に声をかけると、もそもそと三人の少年が立ち上がった。「やっとこさ大工棟梁の端くれにさしてもろうてなあ、それでこれがわしのはじめての大工弟子やわな。安兵衛・吉蔵・三太、どれもよい気もんばかりだす。今日からわしら夫婦と同じ釜の飯を食うことになるさかい、可愛がってやっとくれなはれ。ほかに人にはいえぬ借金がむさくさ(およそ)一貫五百あるのやが、ゆりはんがようけ小金をためこんでおいてくれたげなで、えんごりともなりまへん(びくともしません)。そういうわけで何のあいそもござへんけど、酒なっとご馳走なっと思いきり飲んだり食ったりしておくれんさい」 政五郎は、自慢そうに肉の厚い鼻翼をぴょこつかせる。まだ足手まといのような三人の大工弟子も、一貫五百の借金も、持参金のかわりと勘違いしているようである。 やおら、口のまわりをぺろりとなめ、「さて、挨拶だけでは芸がござへんもんで、一つ陽気に踊らしてもらいますで。めんめにお手拍子たのんます……」 三人の大工弟子が率先して手拍子をとり、声を揃えて音頭をとる。花婿はひょいと尻からげして、剽軽に踊り出す。一座はにわかに浮き立った。 祖母はさっきから念仏のように、「あんまりじゃ、あんまりじゃ」と同じことをぶつぶつ呟き、兄清兵衛は渋面を作り、妹りよは今にも泣きそうな顔をし、母はおろおろしながら直の様子をうかがう。 一座の中で、桐村家の周囲だけ、日陰のように暗くみえた。 直は花婿の言動が胸がつぶれるほどつらく、恥ずかしかった。もし花婿があの林助さんだったら……と、かなわぬことを幾度も願った。「ああ酒に酔った酔った五勺の酒に、一合のんだら由良之助……」 花婿は唄い踊りながら、身を縮めてうつむいている花嫁のあごに手をかけ覗きこむと、頓狂な声をあげた。「あれ、なんちゅう色の白い別嬪じゃいな」「よう、御両人――」 野卑な声が乱れとぶ中を、直の心など頓着なげに、またひょうひょうと浮かれ踊る。はずれかかった褌にも気づかぬのか、まさに法悦の境である。誰かがひきこまれるようについて踊ると、我も我もと後に続き、たちまち踊りの輪ができる。 この杯盤狼藉のさ中で、藤右衛門の妻女だけは息子藤兵衛に手伝わせ、料理の残り物をせっせと集めて折に詰めているのだった。 踊り疲れ、酔いつぶれ、弟子たちに抱えられて寝室に入った政五郎は、二人きりになると新床の上にあぐらをかき、ろれつの廻らぬ舌でいった。「何を隠そう、わしにはな、いつやらごろから、石原村におみとという恋人がおったんやでよ。あんたに負けんぐらいの別嬪でなあ、同じ別嬪でも感じはてんと違う。こうっと……あんたが清楚なら、おみとは色っぽい。あんたが白梅なら、おみとは牡丹や……貧乏後家の娘で、わしにぞっこん参っちもうたわな。それじゃのに、わしの子をはらみよってからが産後の肥立が悪うてひどい熱にやられて譫言を言い続けよったが、暮れには親子ともどもあの世行きじゃいな。かわいそうにのう。おみとが生きとったら、わしは子抱いて、嫁はん連れて出口家に入りこむ算段じゃったがよう」 政五郎は亡き恋人を思い出したか急に涙鼻をすすり上げ、矇朧とした眼の焦点を直の顔に集めながら思いきりおくびを出し、「へいっと……何言うんじゃったいな。そうそう、相手の親は貧乏後家じゃし、それでごてごてするうちに、親にも言えんさかい、つい出来た借銭が一貫五百文。決して疾しい借銭とは違うでよ。そういうわけで、まあよかろべしゅうに……」 言い終わって頭を下げるなり、のめりこむように直の膝にもたれて、花婿は鼾をかき出した。直は行燈の灯を消して寒い闇の中に坐り、震え続ける。 政五郎のことなど、今まで何一つ知らなかった。知ろうともしなかった。今ひらめくように見えてくる恐ろしい疑惑の影――いやいや、そんな……まさかあの叔母さんが……打ち消すそばから疑惑が頭をもたげる。 ――叔母さんが死んじゃった時、わたしには林助はんという婚約者があり、政五郎はんには身篭ったおみとという恋人がおっちゃった。わたしの命と引き替えに林助はんを引き離してみても、政五郎はんに妻子がいては、わたしを綾部にやれぬ。叔母さんの思惑どおりどうでもわたしに出口家を継がせる気なら、林助はんも邪魔……おみとはんとその子も邪魔……。 ――おみとはんが産褥熱にうなされ続けちゃったんは、思えばわたしが四十日も寝こんだ頃……そしておみとはんも子供もとうとう……怖い! 思い出したくないゆりの形相が闇に浮かび、膝に眠る政五郎に思わずすがりつく直であった。
 三日三晩続いた祝宴もようやく果て、新婚らしい生活の第一日が始まる。 直は夜明けと共にそっと起き身支度をしていると、深夜まで酔痴れていた夫もむっくり起き出し、手早く野良着をひっかけ、外へ出て行った。夫がいなくなると、直は、ほっと肩を落とした。身も心も、結婚という嵐の中にもみくちゃであった。気真面目な年若い直にとって、政五郎の一つ一つがすべて驚きであった。生まれてこの方、直の全く知らない種類の男のようであった。 この三日間、直はただただ人形になって耐えてきた。一人になると、虚脱しそうである。しかし一家の主婦としての自覚が、直を叱った。心をはげまして朝食の支度にかかる。弟子三人を加えた五人分の食事である。味噌汁の匂いがただよい出す頃、弟子たちも起き出して、家の中は若者たちの遠慮ない高声で活気づいてくる。 直は夫を探して裏に廻った。冷たい朝靄の流れる向こうでしきりに鍬をふるっているのは、政五郎であった。雪どけの黒い土がぽっこりと長い畦になって掘り起こされている。急には声もかけられず、力強い夫の動きをみているうち、直も共に並んで鍬をつかいたい衝動にかられ、はっとした。「あの……飯の支度が……」 直が口ごもって告げると、大またに歩み寄りながら、政五郎は言った。「ほい、おみと……じゃなかった。はて……と、何じゃったいな」「直ですわな」 羞じらいと悲しみで、直は目をそむける。「ナオか、なんやら呼びにくうてかなわん。おナオ、ほうや、おナにしとき、おナ、おナや。それがよい」「はい……」と直は、真赤になって答えた。 政五郎と弟子たちの健啖な食欲は、給仕する直の身に励みとなった。こんなことに女らしい幸福を感じつつ後片付けをしていると、どやどやと来客があった。喜兵衛・儀助・佐兵衛といった親戚たちで「婿殿に折り入って用談がある」とものものしげに言う。弟子たちを先に仕事に出して、政五郎が応対に出たが、ほどなく一行は、政五郎の案内で土蔵の中へつらなって入った。 さっさと一人で戻って来たのは、政五郎であった。「やれやれ……」と、大きくのびをして、直ににんまり笑いかける。「死人に口なしとは、よう言うたるなあ。先代に田を一枚もらう約束があるやの、金を貸してあるやの、倉に三つ組の盃が預けてあるやのちゅうて、よいころなことをぬかしくさって……けったくそわるいさかい、ほしい物だけ持って去ね言うてやったでよ。あいつら勇み立ってなあ、大将首ねらう初陣の若武者みたいや。なまじ物があると気がつきるわい、ははは……」 政五郎は血まなこで土蔵をあさる親戚を置いたなり、直の作った弁当を腰にぶら下げ、はずむような足取りで出て行った。 直は、昨秋、綾部に来た頃のことを思い出した。叔母や豊助のためにと、直は豺狼のような親類から必死になって財産を守ろうとした。それを政五郎は惜しげもなくくれてやる。ほんまに欲のない……。 直が見送っているとも知らず、政五郎は道ばたの丸い小石を蹴る。はすかいに石がとぶと、慌てて追いかける。狙いを定めて、また蹴る。 直は思わずくすくすと笑った。大きな図体をした子供や、まるで――そして病臥して以来、初めて笑ったことに気づいた。 直の結婚を踏んぎりにしたのか、林助は庵我村字筈巻(現福知山市筈巻七五六)の大島家の養子婿になったと聞く。どうぞしあわせになっとくれなはれと直は祈りながら、夫のためには林助への思いを断ち切らねばならぬと誓うのだった。
 翌朝、直が朝食を告げに裏の畑へ廻った時、政五郎は少し離れた茅だらけの空地に見入っていた。「ここや、ここや。弟子かてまだまだ増えるじゃろし、間数はようけの方がよい。二階はわしらの部屋にする。屋根には瓦を葺いちゃる。土蔵もほしいな。ふふふ……村の奴らに眼えの正月さしちゃるでよ」 直は怪訝な顔で夫を見上げ、「ここにって……誰の家を建ててんです?」「きまっとるわな。わしらの家じゃい。出口政五郎の家じゃがな」 直は顔色を変えた。この草深い空地は昔から恐ろしい祟りがあるといって、今では誰一人住み手のない土地なのである。だが政五郎はこともなげに笑いとばした。「知っとる、知っとる。それでいつやらごろから持ち主も分からず、今は村の所有になっとるそうなな。空信(迷信的)なこっちゃが、そこがつけ目や。安うで買えるでよ」「それでも、叔母さんの残しちゃった立派な家がござすのに……」「あの家はわしは好かん。何ほど立派か知らんが、亡者やおうどうな(横道な)奴らのどうらい妄執がうじゃっとる(群がる)わい。ゆりはんも、あの家があってはいつまでも浮かばれせん。あれは奴らに切りちゃぐましといて(切りきざむ)、わしらはさらつな(新しい)家から出発しようやないか」「なしたまあ……大金がかかりますじゃろ」「仲人の藤右衛門はんに借りたらしまいや。いつでも貸しちゃる言うてくれとってやさかい。なあに、それぐらいなもん、一つ二つ請け負うたら、ちょっとのまに返せるでよ」 政五郎は、自信満々に言いきった。 直は、胸を張る夫を頼もしく感じながらも、金などすぐ転がりこんでくるようなその口ぶりが不安だった。夫が金を借りるという藤右衛門は本業は大工だが、かたわら高利の金も貸していて、副業の方がずっと収入が多いという噂。藤右衛門から高利の金を借り、その容赦ない取り立てに泣く人も多いと聞く。もちろん夫はそれを承知の上だ。 口に出かかった危惧の言葉をのみこんだ。夫に逆らうことを常に母からいましめられていた直である。
 毎日を政五郎は喜々として働いた。朝食前の畑仕事もそうだったが、何をさしても一人前半の仕事をするという評判で、大工の腕も名人芸である。冗談言いながら鼻歌まじりで図面をひくくせに一分一厘狂わぬというのが、弟子たちの親方自慢であった。綾部藩主九鬼家からもたびたび御用を申しつけられ、有力商人や武家屋敷からも注文が殺到した。 江戸時代、職人を代表するのは大工・左官・仕事師のいわゆる三職である。とりわけ大工は職人の王といわれ、もっとも生活程度の高いものとされていた。親方を棟梁と呼び、家造りにかかわる全職人を統轄するため、大きな権限を持っていた。 大工として一人前になるには、十四、五歳の頃から棟梁の下へ年季奉公に行き、飯たき・親方の子の守り・弁当運びなどから修業を始める。ようやく鑿で穴を掘る穴掘りから仕事を覚える。鉋かけ一つとっても、刃のとぎ方、刃の出し方のこつを身につけるまでがひと苦労、墨つけは「見慣れ聞き慣れ」といい、長い体験が物を言う。ひと通り仕事を覚えるのに十年、その後二、三年はお礼奉公するから、大工として一人立ちできるのは三十歳ごろだ。 政五郎が連れてきた三人の弟子のうち、一番弟子が岡村(現綾部市岡町)の安兵衛。天保十二(一八四一)年生まれだから政五郎より十四歳、直より五歳年下で、出口家に来た当時はまだ十五歳の小僧っ子。二番弟子は興村(綾部市興村)の吉蔵、安兵衛と同年輩であり、二人とも筋がいい。そして三太はまだ十三歳、兄弟子にこき使われて、ときどき泣きべそをかいている。 直にとって三人の弟子は可愛い弟のようなもの。食事から洗濯、個人的な悩みの相談事まで親身に及ばぬ世話をした。それが苦にならぬばかりか、生き甲斐であった。どの弟子たちも「さん」づけで呼んだ。そして弟子たちは、直を実の姉のように慕った。 職人は居職と出職に大きく分類される。居職は自分の仕事場で働く建具屋・表具屋などで、戸外へ出て働く大工・左官などは出職である。出職は雨の日、風の日などは仕事にならぬ。大工の場合、屋根が葺ければその下で多少の仕事もできぬではないが、晴天のようなわけにはいかない。 仕事休みで家にいる時、政五郎は惜しげもなく、偉ぶりもせず、大工の秘訣ともいうべきことをたんたんと弟子たちに教えた。直はそれを聞くのが好きであった。人生の神髄にふれるような気がするのだ。「よい大工になろうと思うたら、まず木を知るこっちゃ。下駄なら、美しい木表を上にして、水に強い木裏を下にするやろ。その理屈で、棚板や鴨居は木裏を上にし、水のかかる土台や敷居なんどは木裏を下にする。そやから昔から名人棟梁といわれた者は木の使い道に苦労したんや。しょてい(初め)は材木を切った時期・その木ぶり・木質・木表・木裏・疾病などを見抜く修業が第一、それから一本一本の使い道をきめるのや。可愛い息子の奉公先をきめるようなもんや」「薬草の効き目は特別なもん除けたらまず一年ぽっきり。ところが材木は違うでよ。五十年たった木は五十年、百年たった木は百年もつもんで、これが鉄則やでよ。木の齢は五十年から百年ぐらいが一番強い。けんどそれ以上年とると、木目はきれいなが、ちょろこてあかん」「鴨居・長押・敷居なんか、あたぶさいがわるい(恰好わるい)、弓なりになって建具が動かん家があるわな。これは材木がちぢかんだからで、使い道をまちごうたんや。そやから、群生林やない一、二本立ちの木は注意せいよ。雨や風にさらされて年輪が乱れとるさかい、いららいたら(乾いたら)ねじれ曲がって、うっかり鴨居などに使たらわやになるで。『嫁もらう時は親を見い』いうじゃろ。良い木を選ぶには、まず山林を見るこっちゃ。が、なかなかこれが分かるには、あだなこっちゃない(容易でない)。なんちゅうても経験つまなあかんでよ」「大工の上手下手を見抜く方法かいな。わしなら木の使い道をみるがなあ。素人でも分かる方法は、畳を敷きまわししてみたらよい。かりに八畳の客間とせいや、床前の畳、茶室でいうたら貴人畳のところに八枚ともせんぐり廻してみて、そのたび半紙一枚を貴人畳と客畳、またその敷居のあわさい(あいだ)にはさんでみい。すっぽり抜けるようなら、いくらごついこという大工でも、まだまだやでよ」
 大工の腕にかけては名人といわれる政五郎だが、ほかにも人間的な特質が豊富であった。 まず芝居や相撲好き。旧藩時代の綾部では、町の中では芝居興行は許されず、綾部近郊では主に位田(現綾部市位田町)の河原で興行された。政五郎は巡業の野芝居がくると仕事などそっちのけ、今日は吉美村、明日は位田の河原、次は福知山とどこまでもついて行く。棟梁が行方不明とあって普請先から女房の直へ矢の使い。相撲があっても吾を忘れる。浮かれ節や阿呆多羅が来ても、二里でも三里でもついて行く。 阿呆口や冗談好きの楽天家。直は弟子たちのおかしそうな噂話からそれを知る。 和知川の対岸の味方(現綾部市味方町)で大きな屋敷を作った時、屋根に上がった政五郎、褌をつけず睾丸を風になびかせ働いた。手伝いの若い男女が下から見上げて騒ぐのもおかまいなしで、本人はしごく楽しげであった。 上町(綾部市上町)で普請の時、旅人から道を問われた政五郎、屋根の上から裾をまくって前をくりりと出し、「わしはねっから知らぬで、この伜にたずねておくれ」と答え、一物で方向を示した。 そんな噂を聞く度に、直は耳のつけ根まで真赤になる。 家の中でも政五郎は弟子たち相手に阿呆口を連発し、笑い声の絶え間がなかった。固くるしい気質の直は冗談を好きになれない。悪いと知りつつふいと立って席をはずしたり、つい表情のこわばるのを意識する。座が妙に白けて、いっそう直はすまなさにすくんでしまうのだ。そんな直を政五郎は叱らなかったが、女房の前ではさすがに出かかった阿呆口までひっこめる。 弟子の安兵衛が、家の前で、あお向いて大口あけている政五郎にその理由を問うた。「おナといっしょにおると、口の中に虫が湧きよる。そやさかいお天道さまに口の中を虫干ししとるのや」 酒が三度の飯より好き。日に一升は飲まずにおれぬ。父五郎三郎の怒り酒と違い、政五郎の酒は陽気であった。 仕事先の酒には節度があった。建て前の時のふるまい酒ですら、人が乱れるほど飲んでも、政五郎は二本の銚子なら一本は必ず残すといったふうであった。そのかわり、帰りには並松の虎の屋という煮売り酒屋へ立ち寄り、身銭を切って心ゆくまで飲んだ。おごられて飲むのを好かぬ。へんな所で潔癖だった。 財布の底をはたいて飲んでしまい、小唄にのどをふるわせながら、政五郎は御機嫌で家路をたどる。まだ手元に金が残っている時は彼も人の子、直に土産を思い出す。「おナや、今帰ったでよ」 足で玄関の戸をあけ中へ入ると、よろめく足を踏んばって山ほど抱えてきた土産物を、どさっと式台に投げ出す。ある時は同じ柄の反物十二反も、ある時は串柿十二連(千二百個)も――江戸時代に育った政五郎には、十二が満ち足りた数を現わすらしい。「まあ、このいも(こんなにも)……おおきに」と口では言いながら、直は顔をそむける。夫にいやな顔は見せられない。貧しさに慣れた直には、夫の浪費は身をむしられるほどつらかった。食い盛りの三人の弟子がいれば食費だけでもどれほどかかるか、政五郎は無頓着である。生計のために、直は夫に内緒で、買った店で安く引き取ってもらう。さいわい土産物の行方を穿鑿する政五郎ではなく、その場限りでけろっと忘れているのである。
 半年たって、政五郎の腕をふるった新居ができた。ここは角地で、南北に通じる道を一丁ばかり南へ坂を上がると陣屋があり、さらに南に武家屋敷が立ち並び、北は城下町へと通じていた。また東西の道は、東は並松の由良川畔、西は新町、田町へ通じる。 新邸は広い二階家で、廊下伝いに離れ倉まであった。良い材を使い、目立たぬ所に政五郎らしい趣向が凝らしてあった。当時の綾部では、よほど格式のある家でないと瓦屋根は世間が許さぬ掟であったが、近隣に酒を振舞って、ようやく棟に少しの瓦も葺いた。「もったいない」と直は思った。 政五郎の奇行はともかく、夫の手になる美しい家、匂う青畳の上にいて、夫婦仲もむつまじかった。何かと口実をみつけては出口家の財産をかすめとる禿鷹どもの襲来も少なくなった。「おい、お前ら、先に現場へ行っとれよ」「へえー?」「ちょっとよんどころない用事ができたもんで……後からすぐ追いつくわな」 そう言い捨ててすたすたと並松への小路を曲がって行く政五郎に、弟子たちは思わず顔を見合わせた。「ふーん、どうなっとるんじゃろな、かいもく分からん」とうなったのは、一番弟子の安兵衛。「三日続きじゃでなあ。ただ事ちゃないでよ」と、二番弟子の吉蔵。「やっぱり……これ……」と、小指を出して、にきびだらけの顔でにやりとしたのは三太である。「あほう、そんなどっかい」と三太の頭を小突いておいて、安兵衛ははたと足をとめた。「おい、お前ら……ちょこっと先に行っとけ、用事を思い出した」「こすいぞ、兄貴……」と吉蔵。「わしかて気になるわな」と三太。 三人はたちまち向きをかえ、消えてしまった政五郎の後を我勝ちに追った。何があるのか、政五郎の足取りは早かった。並松を出はずれたあたりに群れていた子供たちが、彼を見かけて遊びを中止し、わいわい騒いでついてくる。 政五郎がやおら大工道具を下ろし、ねじり鉢巻をし出したのは、親子喧嘩で有名な一本木の伊助の門前であった。「さあ、そろそろやっちゃるか」 子供たちを見廻し、政五郎はぐっと胸をそらす。鉋を二つ取り出し、チョンチョンと拍子木代わりに打ち合わせると、うっとりと目を細め、気持ちよさそうに声をはる。「東西東西、おととい、きんのうと引き続き、一本木この所におきましての芝居興行。さて本日は、どうなりますことやらお楽しみ。狂言は鍋釜投げ、鉢割り、擂粉木鍋蓋攻防の秘術、演じまするは伊助の親子、雨が降ろうが降るまいが、つぎつぎ幕なしで相つとめまする。さて皆さまは、近所隣を誘いあい、お子供衆も年寄りも、手に手をとりて御入来、まずは口上のため左様……」 小童どもが近所中にふれ廻ったので、物見高い連中が朝飯途中でとんでくる。たちまち人の山だ。 あきれた三人の弟子が、人垣かきわけて前に出かかると、がらっと伊助の門があく。伊助は擂粉木、息子は箒をふり上げて、政五郎めがけてとびかかってくる。「ひゃあ、こりゃ命がけじゃ」 さっと道具箱を抱え上げ、まくった尻をぴしゃぴしゃ叩きながら、政五郎は人垣ぬって逃げまわる。だが調子にのりすぎて、何かにけつまずいてすってんどう。追いついた伊助が政五郎に馬乗りになってポカポカなぐれば、息子は箒を尻にたたきつける。そこへ弟子ども三人とびこんで、誰が誰やらわけわからずに、野次馬までが入り乱れての大騒ぎ。弟子たちはやっとのことで双方を引き分けて、親方かついで逃げ出した。 芝居でいえば花道あたりで地面に下ろされた政五郎、尻を撫でながら半べそかく。「ふーっ、無茶じゃわな。箒で思いきりどつきくさって、猿のけつよりまだ赤うなったでよ。箒(大き)な災難じゃ」「大事な用とは、まっかなけつ(嘘)……」と安兵衛がまぜっかえす。「ぬかしやがんない。こら、お前ら、なんでここにおるのじゃ。仕事はどうした、仕事は……」 そこまでどなって、政五郎はウヘヘッと笑った。「しかし三日も続けたのは、われながらぬかっとったわな。敵も手ぐすねひいて待ち伏せしよったでなあ。いや、おもろかった」 弟子たちも声を揃えて笑う。実になごやかな師弟ではある。
 安政三(一八五六)年春、近所の人が以前の屋敷に立ち入って、坪を実測していた。不審に思って直が聞くと、政五郎はけろっとして答えた。「おナや、お前にはすまんが、あの屋敷はなあ、藤右衛門はんのすすめで、とうの昔に売ってしもた。そのうちすぐに買いもどすわな。ははは……」 仲人の藤右衛門は、白蟻の如く、出口家に深く食いついていた。あるいは藤右衛門、初めから計画的に、御しやすい大工仲間の政五郎を出口家の婿に仲介したと勘ぐれぬこともない。とすれば、まさに深慮遠謀、思うつぼであったろう。一度恩着せがましく金を貸すことに成功すると、後は骨までしゃぶる意気ごみであった。 この頃になって、直は商売下手という政五郎のもう一つの特質を発見した。人が良いばかりに請け負っては損を重ねるのだ。「おナや、また損じゃった。もう請け負いはやめにしょうかいな」「ほんまに、請け負いだけはやめておくれなされ」 夫婦でこんな会話をすることも、度重なった。だがしばらくすると、また請け負って損を重ねる。その上、藤右衛門からは高利の催促、それも払えぬばかりに出口家の田畑や屋敷は他家へどんどん移っていくのである。
 この年の七月二十日。直は、長女米を出産。当時の綾部地方の出産は、部屋の畳を上げ、わらを敷き、その上に床をつくって、わら三十三把を一つにくくり、それによりかかった。産のあとは毎日わら一把ずつへらし、三十三日間産室で寝たという。宮参りが男の子は生まれてから三十日目、女の子は生まれて三十三日目におこなうし、女の大厄は三十三歳という。そして女の節句が三月三日。 出産には、嫁の里からさらし八尺、紅木綿八尺、重箱四重を持参し、子の百日の食いぞめも、嫁の里から贈られる定紋つきの箱膳で祝う。おそらく米の出産の時も儀式にうるさい祖母がいるからには、そのしきたり通りなされたであろう。 政五郎はやっと人の子の親となり、抱いたり、さすったり、つついたり、見なれぬふにゃふにゃの赤子につきまとい、「どうじゃ、種がよいと、こんな別嬪ができるでよ」と、吹聴して歩いた。直もまた、初めて持ったわが子のいとしさに、われを忘れて陶酔するのだった。
 十一月の半ば過ぎ、直は生後四ケ月の米を連れて久しぶりで里帰りし、四日目の夕刻、坪内の出口家に帰ってきた。夫たちが仕事先から帰らぬうちに急いで夕食の支度をせねばと勝手口から入ると、家の中に誰かがいる気配。不審に思って居間に行くと、無精髭の政五郎が蒲団をすっぽりかぶり、目だけぎょろっと出している。そのまわりを三人の弟子が神妙に見守っていた。「どのいしちゃったんですいな。病気ですかいな」 蒼くなって問いかける直に、政五郎は訴えるように言った。「おナや、とうとう出たでよ」「え、何が?……」「おゆり婆さんやわな。恐しかったでよ」 昨夜半、政五郎は一人で二階に寝ていた。夜半にとん……とん……とん……とゆっくり階段を上がってくる足音が近づき、政五郎の背筋にぞうっと冷気が走った。 ゆりの姿が枕元に浮かび上がる。 ――しもうた。出口家伝来の家売っちもたさかい、怒って化けて出よった。 政五郎は先手を取ってあやまることに決めた。「すんまへん、家売ってもて。そのうち買い戻しますさかい……」 ところが、ゆりの不満の原因は、それではなかったらしい。「わしは今日で三日も四日も、茶も水ももらわんがええ……」と陰にこもったうらめしそうな声――あまりの恐ろしさに政五郎は歯の根が合わずがくがく震え、やっとのことで、「明日は必ず供えますさかい、どうぞ成仏しとくんなはれ」 言うなり蒲団をかぶって息を殺した。腰が抜けたのか、朝まで身動きもできず、助けも呼べぬ。 安兵衛は苦笑しながら言うのだった。「そらもう、びっくりしましたでえ。朝方、わしの蒲団の中にいきなりもぐりこんでしがみつく奴がいまっしゃろ。また三太が寝とぼけくさったかと思うたら親方や。それから親方はずっと蒲団にもぐったままで、わしらを離さはらしまへんのや」「おナや、あんな怖いことなかったでよ。喜兵衛はんの業病かて、やっぱりおゆり婆はんの祟りかも知れん」と政五郎がおずおずと言った。 ゆりの死後、本家の出口儀助家も、分家の佐兵衛家も不幸続きで病人が絶えぬ。ゆりの預けた家宝を横領した兵平家では、ゆりの死の二年後の安政三年六月に長男、七月に妻絹が病没している。 そしてこの春、喜兵衛の家から火が出て屋敷は黒土と化し、一町を焼き尽くすような大火になった。火を出した喜兵衛夫婦は人々の恨みの的になる。その頃から喜兵衛夫婦が同じ病気に倒れた。腹は減るし、食べると激痛が走る。食いたし食えぬで夫婦とも体は衰え、骨と皮がひっついて、腹ばかり大きくふくれ、餓鬼草紙の餓鬼のようになって苦しんでいる。直はひまを見つけては見舞いに行くが、あまりに無慙で、慰めの言葉のかけようもない。 ――叔母さんはまだ成仏しとっちゃらへん。 直は人の妄念の恐ろしさにぞっとしながら、気を引き立てるように弟子たちに聞いた。「それで仏さんには、お供えしたるやろか」「へえ、そらもう……みんなで念のいったお供えしときましたさかい、もう大丈夫ですわ」「おおきに。ほんならわたしも、お参りしてきますわ」 直は奥の間の仏前に行き、思わず吹き出した。茶は土瓶のまま、水は欠けた丼やら茶碗に満々と、飯は大きなお櫃のまま蓋もあけずに供えてあった。
 安政四(一八五七)年より万延元(一八六〇)年まで、直は続けて三人の子を産むが、いずれも二百日、百日、二日と短時日しか生きなかった。直の愁嘆は深かった。 安政五年十二月、綾部藩邸が火災で焼けた。炎は南の空を真っ赤にこがし、舞い上がる火の粉が出口家の瓦屋根にもふりかからんばかりであった。藩邸はこの年二月に新築したばかりで、藩の打撃は大きかった。――建造にまた莫大な費用がかかるであろう。米を背負い、不安にふるえながら、直は思った。いかに慈悲深い九鬼の殿さまとて、その再建には、暮らしに追われて働き続ける民衆の汗と脂からしぼるほかに手はないのである。 なぜだろう――その社会の仕組みが直には不可解であった。
 万延元(一八六〇)年八月、福知山藩領、全六十三か村あげての大一揆が起こり、その日のうちに情報は綾部にも伝わった。寄るとさわるとその噂で持ちきりであった。 直は福知山の実家が心配ですぐ政五郎に様子を見に走ってもらったが、桐村家一同は無事であった。 直の成人した頃の福知山は藩政大改革の途上であり、大飢饉に生き残った人々がその後も為政者によっていかに虐げられてきたか、直自身の肌でも知っている。直が泉屋に奉公していた頃の嘉永三(一八五〇)年、福知山藩には「正直会所」と「札座」が設けられ、「市川御趣旨」と呼ばれる厳重な触れが廻った。この時の家老は市川儀右衛門。御目附役原井惣右衛門に抜擢され二十五俵扶持の足軽から次第に出世し、ついに藩の財政改革を一手に握った能吏であった。 十二か条に分かれる市川御趣旨の一部をとれば、こうである。  一、産物穀物の売買を禁止し、一切を藩で取扱う。  一、百姓副業の代金は藩に強制的にあずける。  一、ときどき城への強制寄付を申しつけるが、それに応じない時には労役千日を    課す。  一、家財衣類の不要なものを売り払い、代金は札座に強制積立てする(積立ては    結局、城への強制献金となる)。  一、上米は藩へ納め、中米以下を家におく。上納米は一粒選りにし、その上、込    米として桝目を多くすること。 無謀な触れというも、おろかである。 正直会所といえば聞えはよいが、特権的な大商人たちと結託した藩権力が、民衆からあの手この手と搾取するための苛酷な機関であった。つまり一切の自由販売を許さず、藩営の物産取扱所で非常に安い値段で強制買上げする。対象となる物品は五穀類・呉服反物・魚・材木・ろうそく・紙屑などに至るまで、何百種にも及んだ。そして掟をすこし破っても、すぐさま罰金と称する多額の金をとられるのである。 今度の百姓一揆の直接の爆発点となったのは、この年に入って出された「飯米一人につき二勺ずつ食いのばし三か年積立てのお達し」という触れだ。領民二万とみて一日四石(十俵)、一年に三千六百俵を、盆と正月のほかは米を食べず、麦めし・粟めし漬物だけという農民から、さらに強制上納させようというのだ。数々の農民いじめの暴政に我慢に我慢を重ねた彼らも、ついに蹶起したのである。
 福知山の一揆(世に市川騒動という)から数日たち、珍しく妹りよが訪ねてきた。初秋のさわやかな陽ざしを受けながら縁先で米の髪を結ってやっていた直は、思いがけぬ喜びに声をはずませた。「まあ、おりよさん……母さんやお婆さんはどないしとってや」「元気にしとってやで」「福知山は大事やったげななあ」「えらい騒ぎじゃった。でも一揆の衆は、みんな引き揚げちゃった。嵐が過ぎたみたい……」 りよは米を抱き上げ、頬ずりした。五歳になった米は、少しはにかんで、抱かれたまま下を向いた。「ちょっと見ぬまに大きゅうなって……可愛いさかりやなあ」 りよは土産の駄菓子を握らせ、米にしきりに話しかける。米の口もほぐれてくる。そんな妹のしぐさを眺めながら、直は急に匂うように女らしくなった妹に目をみはった。りよは二十歳。とかく病気勝ちで、縁談もあるのだが嫁に行かずにいる。 ――「わたしが米を産んだのは二十一歳の時じゃった」と思うと、直の胸は姉らしくふっと痛んだ。 茶菓を出しながら、直は問いかける。「それで綾部へなにしに来ちゃったん、なんぞ用事でもあるんやないの?……」「ううん、遊びにきたんやで。嵐のような騒動ながめてたらなあ、何やたまらなく姉さんと話してみとうなったんじゃな」「そう……でも騒動を起こした人たち、お咎めを受けなんだのやげななあ。百姓一揆というたら、昔から首謀者は打ち首、獄門……」「それが今度の騒動では、百姓側から一人の犠牲者も出なんだんやさかい……」「よかった!」「姉さんにも見せたかった。百姓と菜種はしぼればしぼるほど出ると言うて、いじめられ、こばり(耐え)続けていた弱いお百姓衆が、力を合わせてしゃんと立ち上がっちゃったら、どんなにおとろしいか」 夫や近所の衆から噂に聞き知ってはいたものの、目撃者のりよの口から聞く騒動の模様は、見ぶるいするほど生々しかった。 八月二十一日未明、遠く近く早鐘が鳴り響いてきた。「火事じゃろうか」 真っ先に母がはね起きた。 間もなく表の通りを騎馬が数騎、あわただしく駆け抜けて行く。何かは知らぬが人声でざわつき、ただならぬ気配を感ずる。濃い朝霧の中から湧き上がるような鯨波の声――。「一揆じゃ」 祖母は叫び、母に炊飯を急ぐことを命じ、自分はいざの時に持ち出す物の整理にかかった。何より火事を恐れたのだ。りよは恐怖に震えながら、虫篭窓におでこをつけて食い入るように見つめた。 夜久野郷・金谷郷・豊富郷勢は丹波口御門から、南郷勢は京口御門から、六十三か村の農民数万が東西挟み打ちの形で城下へ殺到した。りよの見たのは、猛りたつ農民の群である。髭面の野良着の男たちの間に、まだあどけない少年や腰の曲がった老爺が、肩いからせ、目をひきつらせて、莚旗をかついで走っていた。熊手・鳶口・鍬・棒など、それぞれ武器を手にしていた。鍋、釜などを打ち鳴らす者もあった。一人一人はどれも生活にくたびれきった顔なのに、一団となると、こうも得体の知れぬ鬼気と恐ろしい爆発力をはらむものか。 真っ先に、「札座」・「正直会所」が打ちこわされた。それから恨み重なる家老市川儀右衛門の屋敷に襲いかかった。藩士らは家族とともに城中に逃げこんでいて、手向かう者一人いなかった。城下は、数万の農民軍の手にゆだねられ、藩の政策に便乗して利益をむさぼり、肥え太った商家が百二十軒、村々では悪辣非情な村役人など約百軒がさんざん打ちこわされた。さいわい、職人街である上紺屋町は、さしたる被害はなかった。 一揆は、三日にわたって荒れ狂った。 ついに城側が折れて出た。農民軍の団結の勢いに抗しきれずと観念したのであろう、一揆の代表がさし出した十三か条の要求をそっくりそのまま聞き入れたのである。 改革の責任を負わされ原井惣右衛門は切腹、市川は国外追放となったが、農民の中からは誰一人咎人は出なかった。権力側の無条件降伏である。「一揆の衆が勝ったのじゃ。丹波の歴史にもない、まっこと珍しいことじゃげな」 りよは得意げに語り、冷えた茶を一気に飲みほした。直の膝から滑り下りた米が、そっとりよのかたわらににじり寄る。りよはほほえんで、米を抱き上げた。 直の瞼に浮かび上がったのは、駕篭も召さず、馬に乗って、雨の日は雨にうたれたなりで自ら村々を巡察なさる大兵肥満の綾部藩主九鬼隆都の姿であった。幾度かその英姿を拝するごとに、直は敬慕の心を深めている。上に立つ者の良し悪しで、民百姓らの幸不幸がこうも違うものかと、しみじみ思った。 それにしても、妹の熱を帯びた語り口の中ににじむ一揆の衆への深い同情、抑えようとしながらも時としてひらめく情熱的な瞳が、腑に落ちなかった。直が桐村家にいた頃のりよは、よく発熱して寝こむ、気も体もひ弱で内気な少女でしかなかった。何が妹をこうも変えたのか。「お婆さんや母さんは、どう考えとってんやいな」「お婆さんはお上に刃向かうなど悪い衆じゃの一点ばり。母さんいうたら、百姓衆も難渋じゃし城中の人たちもご苦労なと……」「おりよさんは、えらい百姓衆を贔屓のような……」 りよは、姉をまっすぐ見つめた。「姉さんは綾部に来ちゃったさかい知っとってないけど、このままでは福知山の民百姓があまりいげちない(かわいそうな)もん。どんなに働いても、お百姓は人なみに生きていけん仕組みなのじゃ。だから心を合わせ、悪政を打ちこわし、ひんぐり返して、暮らしよい世の中に立て戻す。お婆さんたちのように、ただお上に刃向かってはいけんと、こうざいげ(利口そう)に言うてんだけでは、お百姓の暮らしは楽にならんし、世の中もようはならせん。たとえ打ち首、はりつけにされてもよい、苦しんどるみんなのために立ち上がるのじゃ、と……」「おりよさん、あんたは自分の言葉で喋っとっちゃらへんなあ。鸚鵡のように、誰かの言葉を口うつしに喋っとってんみたいな。誰に教わっちゃったん?」 りよの睫毛が二、三度揺れ、たちまち薄紅に染まっていった。かすかに声をあげ、直は妹を見守った。「一揆を……お百姓を指導しちゃった誰かじゃな。おりよさんは、その人を好きになったのじゃな」「……」「おりよさんも年頃じゃさかい、良い人なら姉さんが……」「わし、嫁になどいかん。いきとうない」 静かな声で、そう言いきった。窓辺に寄ったりよの華奢な肩がふるえ、黒い瞳が涙にきらきら光った。
 由良川の畔、並松には当時材木の集積場があり、荷揚げする人たちが多く集まった。彼らのために一本木(熊野新宮社の前に一本の杉の大木があった)に何軒かの飲み屋があった。その中の「虎の屋」という煮売り酒屋が、政五郎の一生変わらぬ飲み場所であった。 虎の屋は、小女二人は山出しで気がきかないが、お内儀のお菊というのがまことに気さくで、口がへらない。酒も吟味し、材料の味を生かした煮物も乙である。ほろ酔い機嫌で阿呆口をたたいていると、それだけで肩の凝りもほぐれ、楽しくなる。口の重たい直からは望めぬ雰囲気なのだ。だから仕事が終わると、政五郎の足はどうでも虎の屋に向いてしまう。 並松の町角で、政五郎は向こうから来る仕事帰りの藤右衛門に出会った。藤右衛門は五十坂越えての大工仕事は肉体にきついのか、肩を落とし、足をひきずって、身につけている半纏と同じにくたびれきった様子、まことに風采が上がらない。「虎の屋でどうや」 政五郎が盃をきゅっと傾けるしぐさをして見せると、藤右衛門は立ち止まって、しかつめらしい思案顔になる。「へえーっと、誘いをかけられたんじゃさかい、こう……とり立てて断わる理由はないんじゃが……」「分かっとるでよ、この政五郎がおごるわいな」「そらそうするのが道理じゃろな、わしはべつに飲まいでもべっちょないにゃさかい……そんならちょこっと着替えてくるで」 藤右衛門は急に元気な足取りで去って行く。 虎の屋の暖簾を分けると、お菊が見つけて、愛嬌よく声をかける。先客が二、三人、みな顔なじみである。政五郎は土間の横につくられた三畳ばかりの座敷に坐った。 お菊が銚子を運んできて、「あら、今夜はこっち?」「そこでばったり藤右衛門に会うたもんで、誘うてやったんじゃ」「またお金借りるつもりだっしゃろ。よいかげんにしてないと、藤右衛門さんに借りた人は、みな首くくらんならんぐらい泣かされるそうですで」「へん、らっちもない」「そう言えば、藤右衛門はんのかみさん、また輪をかけたおしんぼ(吝嗇家)ですってなあ。畑でとれた野菜や果物を倉庫にしまいこんで、家で食べるのはもったいないし、人にやるのはなおもったいないさかい、たいていは腐らせて、夜中に荷車ひいて捨てに行ってんやげな」「ありそうなこっちゃ。そうそう、こっちにもおもしろい噂が立っとる。わしとお前とでけとるんじゃろって……」「まあ、すかんたらし……」「それをご丁寧に、おナに告げに行った奴がおる。ところがおナのやつ、わしには一言もいわん」「へえー、張り合いごだへんなあ」「たまには痴話げんかもしたいのに……」「よい気なもんや。いっそ本気で、政五郎はんと濡れてみちゃろかしらん」 そんな無駄口たたいている所へ、藤右衛門がのっそり顔をあらわした。政五郎が席を立って招くと、なんとその後から、噂の主の女房つねと息子の藤兵衛がすましてついてくる。三人が狭い座をゆっくり占め、政五郎がはじき出されたように体を細める。「家へ帰ったらまだ飯前じゃったさかい、女房、子供を連れて来たでよ。こんな時ぐらいご馳走食わしてやりたいでのう」と藤右衛門は政五郎に言い、鷹揚に家族を見廻した。「さ、政五郎はんのおごりやげなで、うまげなもの、遠慮せんとよばれいや」「ふむ、ふむ、おおきに。わしは物食いがよいでなあ、さしあたり銚子を四、五本、それからたんのうするまで食いだめさしてもらうばい」とまじめくさって、息子藤兵衛が言った。 女房つねはむすっとして口をきかず、さっきからのび上がって、壁にはった料理の献立にきょろきょろと目を泳がせている。 さすがの政五郎、思わずお菊と目を見合わせて、ぐふっと笑った。「熊の胆(健胃剤)も用意しておきますさかい、たんと食べておくれなはれ」 言うなりお菊は吹き出しそうな口を押えて、調理場へ逃げて行く。改めて銚子がつき、次々と注文の料理が運びこまれて、さてと四人が盃をとり上げた時であった。血相かえてとびこんで来たのは、二番弟子の吉蔵である。「お、親方、どてらいこっちゃ。のんきに酒など飲んどる場合やごだへん。早う逃げとくなはれ、早う……」 吉蔵の舌がもつれて、ろれつが怪しい。下駄はどこへやったのか、はだしであった。「冗談いいないな、わし、なんで逃げんならん。なんぞ悪いことしたこ?」 きょとんと、政五郎が言った。 吉蔵が口早に注進に及んだ話のあらましは、こうであった。 現場から帰った吉蔵が、大工仲間の家へふらりと遊びに行った。雨戸がきっちりしまっていたので、妙やなあと思いながら勝手知った庭から入った。座敷では何やらものものしく、かなりの人数の寄り合いがもたれているようだ。吉蔵はそのまま縁に坐って涼みながら何げなく聞いていると、なんと政五郎棟梁暗殺の計画を練っているではないか――。それもどうやら近いうち、数人がかりの闇打ちじゃ――と、話がこう具体的になっては、いかに暢気な政五郎でも酔いがさめはて、真っ青になった。「殺生や、あんまりじゃ……わしはまだ死にとうないわいな」 同じくわなわなと唇をふるわせたお菊が、吉蔵にむしゃぶりついた。「卑怯な……闇打ちなど……棟梁のどこが悪うて、殺さんならんのどす?」「それが……そこまでは聞いとらん。がたがた足がふるえくさって、ここまで注進に来るのがやっとこさじゃい」と、吉蔵が情けない声で言った。 そのすきに藤右衛門は徳利の酒を茶碗にあけ、手の甲で口のまわりを拭きながら、「なるほど、ありそうなこっちゃ」「だからなんで、棟梁が恨まれんなんのやいな」と、お菊は藤右衛門に食ってかかる。「さあ、そこじゃ」と藤右衛門は政五郎に向き直り、「お前さんは、請け負うては損しとる。請け負いちゅうのは、商売じゃろ。商売ちゅうのは、儲けるのが道徳やど。そやのにいつでも損するちゅうのは、出来上がった物が請け負い額より良すぎるちゅうことにならんか」「そんなことあるかい。わしはいつでも、えっと儲けるつもりでかかるのや。それでも、さあ、やり出すとなると、良い材料はつかいたい、気にいるまで手を入れたい……」「それそれ、その名人気質が大工仲間には迷惑なのじゃ。お前はんが計算抜きで気を入れてかかれば、誰かって請け負いは政はんに願いたい。そうじゃろかいやあ。今では見いや、綾部一円の棟梁はずれっと閑古鳥が鳴いとる。良い仕事はみな政はんに落ちるのやさかい、くそうっ暗殺しちゃれってことにもなるじゃろ」「言われて見りゃ、その通りじゃなあ。けど何も殺さいでも……」と、政五郎は頭を抱えてうずくまる。 若い吉蔵には、政五郎が大工として最善を尽くせば尽くすほど損をした上、仲間からまで憎まれねばならぬ成行きがなんとも歯がゆく、納得できない。げんに昨年も本宮村の大工八郎兵衛が政五郎の人気を妬み、妙見さんに呪い殺しの願かけをした。そして願の上がりの一週間目、どうしても大枚の金のいることができ、明日娘を嫁にやるという金持の家に忍びこんで露見、お縄になる事件があった。しょげかえる政五郎親方を吉蔵は気の毒で見ていられない。 藤右衛門は赤い顔を撫でながら、「ほんまのこと言うと、わしかて大工やさかい、その寄り合いに呼ばれとったんや。行く約束をしとったけど、あんたと道でぱったり出会うて誘われたやろ。そこでわしはハタと困ったんじゃが、胸算用すると、やっぱり御馳走になった方が得じゃとわりきってのう。けど同業者としては、あんたがいることはどえらい迷惑や。去年からこっちろくな仕事あらへん。建て増しや改築ぐらいがちょこちょこや」とうらめしげに言い、止めを刺すようににじり寄って、「あんたに金貸しとらなんだらきゅっとくびり殺したいわな」「ひゃあ、助けてえ。何とかしていな、お、お菊はん」 お菊は政五郎のがっしりした体にすがりつかれて、ころがった。「政はんを殺してしもても得にはならんさかい、ま、こらえたるが、あの連中のことは知らんわい。わしには、とても手におえんでよ」 藤右衛門はあっさりつっぱなし、またせっせと飯をかきこみ始めた。藤右衛門の女房と息子はこの騒ぎを知らぬげに一心不乱に飲み食らっている。 突然、お菊が叫んだ。「そうじゃ、四方の旦那に頼んでみなはれ。棟梁の組頭で親方じゃし、九鬼の殿さまとも親しいげなで何とかしてくれてやわいな」 政五郎の顔に生色がもどった。「あほがたらいで(うっかりするにもほどがあって)、なんでそこに気がつかなんだんやいな。藤助旦那なら、きっと一肌ぬいでくれてやでよ。吉蔵、ついてこい」 二人が尻からげして走り出そうとした。お菊は、手元に抱えこんで飲んでいる藤兵衛の徳利をとり上げて二つの茶碗にあけ、政五郎と吉蔵に渡した。「さあ、景気づけに、ぐっとあけなはれ」 この事件は、四方藤助など有力者が仲に入り、政五郎が酒肴を買って仲間にふるまい、ようやく手打ちになった。政五郎の大工の腕がうかがえる、一挿話である。
 文久元(一八六一)年、九鬼隆都は隠居し、長子の隆備が十代綾部藩主となった。 綾部藩の疲弊は幕末に至って決定的となった。藩の財源である農民はすでにしぼりつくされ憔悴していたし、飢饉、火災の頻発は藩財政を枯渇させた。さらに前述した隆都の幕命による公務は小藩にとって非常な負担であった。有能な隆都が藩主である限り公務はまぬがれず、ついに隠居して公務を避けること以外になかったのである。 その秋、直の妹、桐村りよが病臥した。直に頼まれて政五郎が、りよの様子を見に気軽に福知山へ向かった。ところが桐村家に着いてみると、りよは高熱を発して危篤状態におちいっている。「死ぬ前に姉さんに……一目会わせて……」と、りよは熱にうかされて、幾度も口走っていた。「おっと承知じゃ。すぐとんで帰って、早駕篭とばしておナを連れてくるわい」 腰の軽い政五郎は、その足でいま来た道を引き返した。ちょうど綾部・福知山の中間点、真白にふくらんだ棉畑のつづく石原村にかかると、稲刈りの終った秋の田に、トコトントン、トコトントンと例の浮かれ調子の芝居太鼓が響き渡ってくるではないか。これには弱い政五郎、たちまち音律にのって踊り出そうとする手足をからくも抑え、とにかくこの場を走り抜けようとする所へ、「おっと棟梁、贔屓の菊之丞の芸も拝まんと、とちめん棒ふってどこへ行ってんやいな」と芝居ぶれの口上をやめて、源さんがどなった。「いやいや今日はそうしちゃおれんのじゃい。ふだんならむざむざ素通りするほど薄情なわしやない……わなあ。ほんでも浮き世の義理もある。ちょっとひと目、ひと目見さえしたら、じき行くでよ」 そのひと目が悪かった。河原につくられた粗末な小屋に入って一幕二幕とひきこまれて見るうちに、もう政五郎は現実の人ではなかった。瀕死のりよも、その安否を気づかう直も忘れはて、惚けたように次の巡業先までついて行く。 政五郎の芝居好きはすでに病い膏肓に入るの部類であった。でろれんでろれんと拍子木や口三味線を軒別に流して歩く浮かれ節がおもしろく、どこどこまでもつき従い、二十日間も家を明けた記録すらあった。半建ちのまま放っておかれる注文主の迷惑は申すまでもない。 政五郎が直を呼びに綾部に駆けもどってから、桐村家では祖母と母が立ったり坐ったりして、直を待った。兄清兵衛もりよにつききりで、今にも消えそうな妹の生命の灯をかき立てようと懸命に声をはげました。 一夜があけた。時間的には、直は、昨夕のうちに着いていてよかった。明六つの鐘が鳴ると、堪え切れなくなって、飛脚を綾部に走らせた。飛脚が来て初めて、直は妹の危篤を知った。六歳の米を負い、直は急いだ。りよの切ない息づかい、かすかな呼び声が、直の胸をしめつけるように聞こえる。どうぞ間に合わせて下されと、直は神仏に祈った。 上紺屋の町並みを転げるように走ってがらりと生家の戸をあけた。母がわっと泣いて直にむしゃぶりつく。間にあわなかったのだ。 直はすでに冷たくなったりよの手を握りしめ、かき抱いて泣き伏した。うわ言に幾度も姉を呼んだという。りよは何を言いたかったのか。妹の胸に秘めた何かを、直は知りたかった。秘めたまま、すきとおるように白く清らかなりよの死顔に、苦痛のかげはなかった。むせびながら、母はりよの最後の言葉を直に伝えた。「……生まれてきて……幸せやった」と。 そしてりよは確かに笑んだ。その笑みがまだかすかに唇に残っている。 市川騒動のあと綾部まで訪れてくれた時のりよを直は思い出していた。りよは誰かをひそかに愛していた。なのにあの時、すでにりよは己れの死期を悟っていたかのように、報われることを拒んでいた。りよが相手をどんなに深く一筋に愛していたかは、彼女の最後の言葉が語っている。「……生まれてきて……幸せやった」という、りよの最後の言葉を、直は誰とも知れぬ相手に贈ってやりたかった。 りよの死の悲しみと共に、直は夫のことが気が気でなかった。無断で何日も家に帰らぬことなど今さら珍しくはないが、時が時だけに今だに音沙汰なしはどう考えてもおかしい。長田野(現福知山市長田野町)の狐にだまされて山でなぶりものにされているのではないか――。 妹の葬式の日、政五郎は無精髭をのばし、目をしょぼつかせて桐村家にあらわれ、平蜘蛛のように平身低頭してあやまった。政五郎はりよのことなどすっかり忘れ、次の巡業先までのこのこついて行ったのであった。祖母たけと兄清兵衛が「今度ばかりは寺の坊さんが頭を下げてきても直を綾部にはいなさん」と激怒したが、直が夫に並んであやまり、母も取りなしてくれたので、ようやく治まった。 りよの死は文久元(一八六一)年九月二十四日、二十一歳の若さであった。 この年、兄清兵衛は妻てつをめとり、岡の段に家を借りて漆屋を業とし、祖母や母を引き取った。
 文久二(一八六二)年六月八日、直は次女を産んだ。政五郎は嬰児をのぞきみて直に上機嫌で言った。「この子の名前は、おみとと決めたでよ」 おみと……どこかで聞いた名だと直はぼんやり思ううち、はっとした。政五郎の昔の恋人の名ではないか。やはり夫の胸中には政五郎の子を産んだまま共に死んだという、おみとのことが消えてはいない。 政五郎は産褥中の妻の繊細な感情など、あくまで風馬牛である。「死んだおみとのこと、このまま忘れちまうのん、なんや薄情なさかいなあ。冥土でおみとも喜んどるでよ」 おみと、おみと……と抱き上げて相好をくずす夫に、直はしんと胸が冷える思いでうなずくと、ふと浮かび上がった林助の面影を急いで払いのけた。 この年、桜田門外の変、寺田屋事件、生麦事件、文久三年に入って薩英戦争に八・一八政変と幕末のあわただしい政争にも、綾部藩は大勢に順応して、とりたてた動きを見せなかった。だが福知山藩の一部では勤皇派、佐幕派に傾く者があって、政五郎は好きな土俵でも観るように、どっちが勝つだの負けるだのと勝手な理屈をつけて喜んでいた。 翌元治元(一八六四)年、池田屋騒動、蛤御門の変と、血なまぐさい噂は、広がる一方であった。その年の暮の十二月二日、直は長男竹蔵を産んだ。
 慶応元(一八六五)年秋、ついに母そよ、続いて祖母たけとの永別を迎えた。直三十歳の年であった。 母の死の知らせで、政五郎は四歳のおみとを、直は二歳の竹蔵を背おい、十歳の米を中にして福知山へ急いだ。途中、石原村で激しい夕立ちにあい、軒下に雨宿りした。石原村は結婚前の政五郎が年季奉公していた地であった。政五郎の胸にも去来する感慨があるだろう。 直は放心した眼で吹きしぶく太い雨あしを眺めながら呟いた。「石原村って妙なとこですなあ」「なんでや」「おみとはんも、ここで亡くなっちゃったし……」「そうや、可愛い女子やった……」「それにおりよが危篤の時、あんたはこの村で芝居を見て、わたしに知らせてくれてん、ころっと忘れなさった」「ひゃー、もうそれ言わんといて――」「今も、死んだ母さんの傍へ早う行きとうても、この雨が邪魔します」 直にしては珍しく饒舌であった。雨滴がその白い頬にたれている。妻の悲しみが伝わるように、政五郎は唇をへの字に曲げた。「子供さえ連れとらなんだら、雨が嵐でも、わしら二人、手をつないでつっ走るんじゃが……親思いのおナのこっちゃ、さぞ悲しいやろなあ」「それが阿呆みたいで……なんにも考えられまへん。胸の中がふわーっとして、涙も出えしまへん」 母そよの生涯は、苦難の歴史であった。癇の強い酒飲みの夫五郎三郎と、気侭な姑たけに誠実に仕え、子にも怒った顔一つ見せず、身を粉にして働き通した。わがまま勝手でひがみ屋のたけまでが後年はすっかり感化され、「そよや、そよや」と一にも二にも母でなければ治まらぬ人になっていた。「誰か一人素直になって誠を立て通せば、家の内はきっとよくなる」 それが母の信念であったが、母の生き方、考え方は、そのまま直の人生に反映していた。直もまた家庭を省みない政五郎に仕え、愚痴一つこぼさず忍従を重ね、傾こうとする家を支えて苦闘してきた。家に縛られ、封建時代の女性道徳をそのまま生きた二人の母娘であった。 父の淋しかった葬儀と比べて、母のは遥かに盛大であった。たくさんの僧侶も来て、にぎにぎしく読経した。 直は泣いた。「母さん、見ちゃったか。兄さんが、このいにも立派な葬儀を出してくれなさったで」 祖母は亡き母の思い出ばかり慕い続け、かきくどいて、食事ものどを通らなかった。日一日と衰えていく祖母を、もはやこの世につなぎ止めることはできなかった。母が死んで旬日後、まるで後を追うように死んでいった。直は、涙の乾く間がなかった。 母の死は八月二十日、祖母の死は九月一日であった。

表題:家を売る 3巻7章家を売る



 鳥羽伏見の戦いで、明治の幕が切って落とされる。 まだ硝煙のおさまらぬ正月五日、若冠十九歳の西園寺公望は、山陰鎮撫総督として薩長の兵三百余を引きつれ早くも丹波に向けて出発し、亀山・園部と帰順させて行く。 周章狼狽した綾部藩では、京都・綾部間に伝令の乗る早駕篭を用意し、昼夜の別なく注進させていた。《ホイホイ》と呼ばれるその早駕篭に、いつの間にやら藩の伝令と間違えて博徒を乗せて走っていたという珍談も伝えられる。 綾部藩はすでに京都御所の警衛に任じ、京都の入口塚原陣屋を固めていたから、朝廷方としてあっさり帰順を認められている。神札が降って「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂っているうちに気がつけば明治の新政が成っていたというほど、のどかな綾部であった。 明治維新という社会変革の波も、生活に行き詰まった出口家に外面的には何ほどの影響ももたらさなかったが、直は「御一新」・「天朝さま御親政」のありがたいうたい文句が、何かそらぞらしく聞こえてならなかった。 明治元(一八六八)年六月四日、直は、三女久を産んだ。 当時、藤右衛門に借りた金は雪だるま式に増えていた。年季明けよりも早く、一番弟子安兵衛も二番弟子吉蔵も独立させ、何人かの弟子も新しく入ってきたが、今では、もう弟子を置く余裕もなく、他の大工棟梁に預かってもらった。すでに田を売り、畑も手放して、親子六人が食うだけで、せい一杯であった。 世間というものは、ともすれば本人より早く事情を察知するものか、「政五郎はんとこは、とうとう戸を閉めてんじゃげな」という噂が広がって、直の心は、張り裂けるばかりであった。あれだけ望まれて養女になりながら出口家を守りきれぬとあっては、世間へ顔向けできぬばかりか、出口家累代の御先祖さま、憤死した義母ゆりの霊にも申し訳が立たぬ。 家だけは手放すまいと、直は唇をかんでいた。といって、誰に頼れよう。数年前までは、えびす顔で返す気のない金を借りに来た連中もこの頃は直に会えばそっぽを向いてすれ違う。 兄清兵衛にすがってみよう――切羽つまって、直は決意した。いくら漆屋が栄えているとはいえ、兄嫁てつがいい顔しないことは承知だった。てつはこの地方でいう「えぐい女」であった。しかし藤右衛門には明日を期限の返金をせまられ、現実に戸閉めの一歩手前に立たされていた。背に腹はかえられない。 直は生まれて半年の久を背負い福知山を訪ねた。兄清兵衛は事情を聞き、妻てつにはだまって金を出してくれた。今ではたった一人の肉親である兄の情けが、直の心底にじーんと熱くしみ通った。「政五郎はんの家が戸を閉めるというのは、嘘じゃったな。あれだけの家じゃもの、はたけば金はまだ残っているのじゃろう」と世間の評価は変わっていった。が、妻の苦労もおかまいなしで、相も変わらぬのは、政五郎である。飄々として、わが人生のペースを変える気配など微塵もみられない。 子供が四人もいると、みなそれぞれに性格の違いが目立つ。長女の米(十二歳)は心根のやさしい子で、子供ながらに父母へのいたわりをみせ、弟妹の世話も引き受ける。長男の竹蔵(四歳)は男のくせに覇気がなく、ひっこみ思案で、いつも泣きつらである。三女の久は、生まれたばかりでまだ何とも知れぬが、乳の飲みも激しく、眼も利かん気らしい光がある。そして今、直を手こずらせるのは、次女のおみと(六歳)であった。 家運の急速に傾いていく変わり目に物心ついたせいか、おみとには子供らしい無邪気さがなく、どこかひねくれていて、直の気苦労の種であった。 豆を炒って子供たちに同じように分けてやっても、必ずおみとは自分のが少ないといってごね、受け取らずにぐじぐじ文句を言いながら後ずさっていく。縁先から落ちる所まで下がっていって、今度はやにわに竹蔵にとびかかり、頭を小突く。わっと竹蔵が泣き叫んで、こぼれた豆をかき集める。米がなだめて、自分の豆とおみとのとを取り替えようと提案すると、あわてておみとは自分の分をかくす。そのくせ、まだ不平でたまらない。おっとり屋の米が自分の分をけずっておみとにやり、やっと治まるのが常であった。 外へ出ると、おみとはよその子を突き転がし、叩いて泣かす。「おみとはんはえぐい子じゃ、うちの子にこんな傷をつけてくれちゃったが、どうしてくれてんやいな」と近所からの苦情が絶えなかった。 直は久に乳を含ませ終わり、きまっておみとに添い寝しながら、当時の俗謡――親が貧乏すりゃ子は巾着でいかな人にも下げられる――と唄いながら、「もう家も、人並みのおつき合いができぬほど貧乏になったのじゃさかい、よそ様に見下げられぬよう、権太もいいかげんにするんやで」と、しんみり言い聞かせるのだった。 この年、おみとは、琴と改名した。おみとが畑の肥壺に落ち、危ない所を直が駈けつけ助け出した。便所にはまった子は改名しないと早世するというこの地方の風習から、直が夫を説いて改名させたのである。
 明治二(一八六九)年二月、綾部藩は版籍奉還し、九鬼隆備が綾部藩知事となる。 明治四(一八七一)年の廃藩置県により綾部県となったが、十一月、綾部県を廃して京都府何鹿郡に編入され、十二月に綾部に支庁が置かれた。 明治四年初夏、生活の打開のため、直は政五郎の命に従い、他郷へ出稼ぎに行った。兵庫県多紀郡の栗柄(現多紀郡西紀町北河内栗柄)へ、夏の三十日ばかりを糸引きに雇われたのだ。十六歳の米に家事のすべてをゆだね、まだ幼い子らを残して、後髪のひかれる思いであった。 二十畳ばかりの仕事場では、十数人の女たちが並び、七輪で繭を煮ながら糸を引くのだから、ただでさえ暑いのに、まさに酷熱地獄であった。湯気と蛹の猛烈な匂いと女たちの汗くさい体臭が炭火にまじって、むんむんする湿気が立ちこめている。熱湯に浮く繭を先の丸い小さな手ぼうきにひっかけてつまみ出し、熱いうちに素早く糸口から糸をひっぱる。それを細く縒りながら、牛首という坐繰に巻きつけていく。女たちの指は熱い繭を扱うので白くふやけて、大方は水虫に悩まされ、手がむざんに荒れていた。   糸よ切れるな坐繰よ廻れ、晩のしまいがおそくなる 群馬に嫁いだことのあるという出戻り女が、目に流れ入る汗を腕ではらいのけながら、哀切の響きをこめて唄い出した。 蒸れる午後の日ざしに、庭の木も白い葉裏を見せてぐったりしている。毒薬をまかれて水面に浮上し、くたばった魚の腹のように。 肌襦袢一枚の姿で、その中に少しでも風をとりこもうと襟元をくつろげる女たちの中で、直だけは、ねずみ色細縞の木綿の単衣をきちんと着けたまま、膝もくずさず糸を引き続けていた。直の引いた糸は、誰よりも細く、長く、美しい。つらい仕事であるが、少女の頃から糸引きがうまく、好きでもあった。だがいかに一心こめて坐繰を廻していても、つい家に残した夫や幼い子らの顔が浮かんでくる。それを追いやろうと首をふり、手を動かしながら、またいつの間にか愛別離苦の思いに責めさいなまれる。家庭という絆を断ち切れない主婦の、悲しい宿命かも知れない。 二十日ばかり過ぎた頃、三女久が病気との伝言があった。直の手から繭がころげ落ちた。 挨拶もそこそこに夢中で綾部へ向かった。二日目にやっと家に帰りついた。戸をあけ放った玄関から見える板の間に久が一人、けだるそうに坐っている。直は草鞋を脱ぐ間ももどかしく、両手を突き出して招いた。「久や、早うおいで」 立ち上がった久はこわいばかりに手足がやせ細り、腹だけが蛙のようにふくれ上がっている。脾疳という慢性の消化器系の病気であった。 直は息をのんだ。久は立ったまま動こうとせず、白い眼でじっと母をにらんだ。「どうしたんじゃ、苦しいかい」 夢中で這い上がり傍へ寄ると、久の手は激しく母をこばんだ。「わしをほかしといて、よそへ行っちゃった――」 それだけせい一杯あびせかけると、久はたまりかねて母の胸にむしゃぶりつき、わっと声を出した。 母のいない日々、この一言を、どんなにか四歳の幼い胸に繰り返していたことであろう。もうどんなことがあっても子をおいて出稼ぎには出まいと、直は娘を抱きしめて泣いた。 しかし生活は、直を子供らから否応もなく追いやる。毎年、糸引きの時期が来て家を離れねばならぬ間中、この出来事は、直の前にちらつく苦しい幻となった。
 明治の新政になり何より政五郎の嬉しかったことは、綾部に常設の芝居小屋ができたこと。旧藩時代は城下での芝居が許されなかったが、廃藩後、天神町の馬場に芝居小屋が作られた。と言っても、木造草葺き、小屋がけなしの露天、丸太を組んで板を並べただけの舞台、葦すだれをめぐらして莚を敷いただけの粗末な客席である。 綾部町の南端、上野にある藤山(約二百米)俗称寺山の頂上に巨大な松がそびえ立ち、人呼んで扇松――惜しいことに今はない。根元の大きな空洞の中で焚き火して、残り火の不始末から焼いたという。芝居がかかると、この扇松の根方で触れ太鼓が叩かれる。 トトントトントン…………。 ツレントコイコイと聞こえたという。太鼓の音は急調子で、遠く八田、小畑の村里にまで響き渡る。町の辻々には芝居触れがくる。小脇に締太鼓を抱え幟旗を背中に立てた男が、役者の名や外題を口上して廻った。 その太鼓の浮き立つような音を聞くや否や、仕事中の梁の上であろうが、飯の最中であろうが、猿回しの猿よろしく踊り出すのが政五郎だ。「来よった来よった、ほい来よったでよ」 血が騒いでじっとしておれぬ。一目散に家へ馳せ帰るや、直をせかして弁当を作らせ、瓢に酒を入れて腰につけ、焦れる女との逢瀬の時刻に遅れた男のように目の色変えて走り出す。たいていは一番乗りである。 当時は年に三、四回興行されたらしいが、その時こそ政五郎の祭りだ。客は夜業をすましてから観に行くので開演が遅く、夜の十時頃から始まり、翌日の日の出前まで演じられた。けれど政五郎、開演の時刻など頓着せぬ。小屋主のように客入りを気にしながら、瓢の酒をちびりちびり飲む。芝居が始まれば、顔を隅取った役者衆の声色を聞いているだけで十分に幸福、夜露にぬれながら時を忘れて芝居に没入する。
 明治五(一八七二)年、直の細腕に支え切れなくなり、十七年間住み慣れた屋敷も、ついに他人の手に落ちた。藤右衛門を経て、東裏町の味方屋という菓子屋に売られたのである。買い主はこの家を別の地へ移したが、移動のための家の解体は政五郎がした。家を建てる時はみな勇むが、家をつぶすのにも、政五郎は大声張り上げ、楽しそうに唄いながら作業した。 直はゆりの霊に詫びながら、仏壇を胸にかろうじて残った土蔵の二階へ居を移した。しかも十七歳の長女米を綾部西町の忠兵衛へ、十一歳の次女琴を福知山の兄桐村清兵衛へ、それぞれ奉公に出さねばならなかった。直が初めて奉公に出たのも琴と同じ十一歳で、その時の亡母の気持が偲ばれて、いっそう悲しみを深くした。   借金の尻ほど深い物はなし      家うちこめど穴はふさげず 政五郎はそんな狂歌を作るが、没落して行く家運をさほど苦にするでもなかった。直はすべてを忘れようと体を酷使した。八人目の子(三人は生後間もなく死亡)を胎内に宿しながら普請現場へ出かけ、働き盛りを過ぎた政五郎を助け、壁下地作り、土あげ、瓦運びなどの重労働に耐え、夜は遅くまで内職の糸つむぎや草履の鼻緒づくりに励んだ。 六月六日、直は、次男清吉を分娩。 土蔵の篭城暮らしも半年ともたず、最後の砦もついに他人に明け渡して、上町三十番地の借家に移転する。ここで直は煮売り屋を開店、自家製のうどん・ぜんざい・甘酒・煮豆腐などを売った。 上町は本宮村の北側で、当時は福知山街道の本町通りに面していた。 この時より七年後、明治十二年当時の上町辺の模様が、『丹波の話』(磯貝勇著)に出ているので、抜粋しておこう。「福知山街道の本宮通りは、東本町境につづいて今の上町の四辻まで南側は七軒、北側に十軒。この四辻の南側東角が山惣こと山崎屋大槻惣左衛門の広い屋敷で、ここから東へ、南側に八軒、北側に十一軒の民家が軒を並べていた」 この年、綾部では七月から郵便事務が開始され、初代郵便局長は町の素封家である羽室九左衛門が就任している。羽室家の広い屋敷の一隅で事務が取扱われたのであろう。 八月、学制が発布され、綾部は何鹿郡第二区小学区となり、田町の入口の元銀札場に小学校が発足、校名は博約館(後に校)という。
 明治六(一八七三)年一月一日(旧十二月三日)太陽暦が実施される。今までの記述は太陰暦に準じたが、以後は太陽暦で示し、特に旧暦の必要な場合は( )内で示す。
 明治六年一月十日徴兵令発布、七月に地租改正条令布告、十月に征韓論争おこる。不平士族の動向は険悪化し、また徴兵令反対の農民一揆が頻発、世相はいよいよ不安をきわめた。 農民一揆は明治五年冬の兵庫県の篠山に始まり、明治六年正月に大分県下、三月に敦賀附近、六月美作・福岡・鳥取・島根など次々に蜂起して新政府に反対、軍隊が出動して鎮圧した所もあった。 七月二十五日、むし暑い真夏の夕べである。政五郎は、珍しく早く戻ったと思うと、大工道具を上がり框に投げ出した。「おい、おナや。どてらいこっちゃ。一揆じゃ、百姓一揆じゃ。熊野さんにぞろぞろ集まって来よる。わしは、今夜は帰らんかも知れんでよ」 まるで好きな芝居が綾部の常小屋にかかったような意気込みで、返事も待たずに飛び出して行く。四十七歳の分別盛りが、子供じみた好奇心をむき出しに――。 一揆の噂は、直にも数日前から聞こえていた。不穏な動きは周辺の村々で二、三日前から高まっていて、その都度、綾部支庁より区長・戸長が説諭にきて必死に押し止めていた。しかしついに一揆は蜂起し由良川を渡って、熊野神社まで迫って来た。 芝居とは違うのだ。木戸銭を払えば高みで見物させてくれるというものではない。もし血気にはやる一揆の巻きぞえくって、大怪我でもしたら――と思うまに、直はしっかり戸締まりし、竹蔵と久に眠っている清吉の守りを頼み、外には絶対に出ぬように強く言い含め、暮れかかる表に出た。すぐの三叉路を由良川に沿って南へ、ひとっ走りまでもなく熊野さんへ着く。ものの一丁とはかからない。 綾部並松一本木の熊野新宮社は俗に水無月さんという。綾部はむかし平重盛の領地であった。重盛はこの地が三熊野の景色とよく似ている所から、本宮山麓に三熊野を勧請した。寛文十二(一六七二)年秋、新宮を一本木に遷し藩主の援助を受けて社殿を新築、本宮の御神体をともに遷した。六月末日の夜ふけ、由良川の上流に月が昇り、田野川のそそぎ落ちるかさねの滝に影が映じる――その時を合図に祭典が始まり、終夜人々がむらがり参拝し賑やかな祭が行なわれた。それが現在、綾部名物の水無月祭の起こりと言う。 その水無月祭りの宵を思わせるほど、かがり火が明るかった。火取り虫が群れている。祭りの幟に代わって三流れの莚旗がつっ立ち、竹槍や鍬などのふれ合う音がものものしい。人数は五百人はあろう。殺気立っていた。 直は政五郎の姿を求めて汗くさい群衆の中に分け入り、社前の近く、農民にまじって嬉しげに喋っている法被姿の政五郎を見つけた。彼だけが、まさに傍観者の顔であった。けやきの太い幹にかくれて、直は、夫を見失わぬように目を配った。 この騒動の直接原因は、学制令による義務教育の実施と徴兵令の発布である。義務教育の実施は、農民側から言わせれば、今まで農事の一部を負担していた子女にその役には立たぬ勉強を無理強いすることであり、しかも学校経費(学校の建設・維持費・教師の給料など)はすべてその町村民の負担である。そのうえ児童一人につき五十銭までの月謝をとることを認めている。京都府下の尋常小学校では、実際には月十銭から三十銭の範囲内で徴収したらしい。それにしても学制発布六年後の明治十一年、有業者の一人当たり月収一円七十五銭という数字をみれば、鼻たれ小僧にそんな高い銭を出すなどとてもというのが、彼らのいつわらざる心境であったろう。 さらに徴兵令である。風呂屋、床屋などを媒介として、ぱっと妙な噂が全国的に乱れとんだ。徴兵令発布の太政官告諭にある《血税》の二文字が思わぬ誤解を生んだのである。日本国家という観念もさだかに分からぬ当時において、民衆のあいだには、なんのために働き盛りの壮丁が兵隊にならねばならぬのか、なんのために家業を中断して経済的犠牲を強いられねばならぬのかという疑問と不満が根底にくすぶっていた。「血税いうたら人の生血をしぼり取ることじゃ。徴兵でとった若い者を逆さに吊るし、その血をワインという毛唐の酒にして飲むげなで」「赤い毛布や軍服もみな血で染めるちゅうぞ」「十三歳以上の生娘は残らず樺太へ送られるんやて」 これらの消息を伝える記事が明治六年三月発行《東京新報》第四号にみえる。「今般壮丁二十歳ノ者ヲ募リ兵隊トセラルル旨布告アリシ処、寅年(二十歳)ノ者ヲ選ビ朝鮮征伐ニ遣ラルルトノ風評ヲ立テシ者アリテ浴場結髪店等ニテハ妻子アルモノハ徴兵ヲ免ルルトテ二十歳ノ者ガ二、三歳ノ児女ヲ娶リタルアリト。斯ル風説ヲ立テルハ、実ニ無益ナル事ナリ」   徴兵懲役一字のちがい腰にサーベル鉄ぐさり こんなざれ歌も流行した。 御維新になったら世が変わると、期待ばかり大きかった。が、一向に生活は楽にならぬ。加えてこの二つの難題であった。彼らの心は動揺し、積年の不満に火をつけたのである。この徴兵は官公吏、代人料二百七十円を納めた者、戸主と跡継ぎは免除されるので、対象の大半はいわずもがな農民の二男三男であった。どこまでも貧乏くじを引かされる。 だが前記の噂をおろかな誤解と笑ってしまえるだろうか。やがて彼らは学校で農事の役にはたたぬ軍国主義を叩きこまれる。そして朝鮮はおろか満州・支那・台湾の果てまで追いやられる。さかさに血をしぼりとられ、はては軍服を血で染めたのは、やはり彼らではなかったか。この時の一揆側の要求は徴兵免除、小学校入用出し方免除、社倉籾秋迄延引、裸体差免之事(当時、京都府は布達で裸体を禁止していたらしい)等であった。 一揆の指導者であろう三人の男が社前に進み出て一礼し、拝殿のきざはしに上がって、みなを制した。さっと境内の空気が鎮まって、人々は指導者の言葉を聞きもらすまいと耳を傾ける。「あのよう、みな聞いてくれ。いま伝令が入ったでよ。星組は小呂と有岡の同志と合流、莚旗三流を押し立てて、御手槻神社から河原に出、橋を渡って陣取ったぞ。白道路組は莚旗五流、道々仲間を呼びかけて、鳥ケ坪に陣を構えたわ。この熊野神社に陣取る小呂・星原・下八田のわれわれを入れて、三方面に集まる同志の総数およそ二千じゃいや。それに見い、ぐるりの山々には、母ちゃんやがきらの焚いているかがり火があかあかと燃えとるわな。わしらの可愛い母ちゃんやがきのために、願いがかなうまで心を合わせて命がけでがんばろうやないか」「おう――」と一同が叫ぶ。「ごてごてぬかしよったら、どうのこうのない、綾部の町ごと焼き打ちじゃ」と誰かが叫ぶ。 熱気が揺れ動いて、人々からはじき出され、自然に寄りそった政五郎と直を圧した。 直は涙ぐんでいた。お上に楯つき、徒党を組むなど、直の気質ではできないことであった。それでいて、なぜこうも強い感動が身内を揺さぶるのであろう。すべてお上のために民百姓はある――と、直は今まで疑いもしなかった。それがどうだろう。「可愛い母ちゃんやがきのために――」と彼らは身の危険も忘れて、はっきり宣言する。それが悪魔の叫びだろうか。足もとの大地が揺らぐように、固く閉ざされてきたこの世の仕組みを底から突き崩して行こうとするこの叫び――。 死んだ妹りよの心をとらえ、綾部へ来てまで姉に打ち明けずにおれなかったのも、この感動ではなかったか。市川騒動の指導者の中に、りよの愛した人がいたかも知れない。しかしりよの恋うたのは、特定の個人を超えて、この住みにくい世を打ちこわし、少しでもよりよく立て直そうと団結する彼らのひたむきな情熱であったのかも知れない。「伝令じゃ、また伝令が入った。話を聞けい」 別の男が立って、野太い声で喋り出した。「町の奴らはどんどん山の手へ逃げとるぞ。里の河原では、焼き打ちを恐れた富豪らが酒を幾樽も持ちこんで、御機嫌とりにござったげな」「ほう、それは豪儀な……それでは、ますます威勢がつこうでよ」と合の手が入る。「ところがのう、星組の衆はその酒を全部河原へ捨てたさかい、魚が酔うて真っ赤な顔でぷかぷか浮き上がったげなで」「ひょー、それはますます豪儀な。わしらも里の下手へ陣取れば、酔うた魚が手づかみでとれたになあ」 どっと笑った。緊迫感がゆるんでお祭り気分が境内を満たした。 家で待っている子のことを、直はふいに思い出した。直は政五郎の袖をひっぱった。政五郎は、ごくんとのどを鳴らし、未練げにいう。「瓢に酒入れて持ってくるんじゃった。これからがおもろいで……」「帰りましょ。お酒は家に買うてあります。それに子供たちが……」 言いかけて直は、夫の胸元に目を止めた。そこに甲虫が二匹、かがり火に黒褐色の背を赤く光らせている。「よいお土産ができましたなあ。竹が喜びますで」 直が笑いかけると、政五郎はうなずいて、あきらめよくきびすを返した。 神社を出ると物陰からこわばった表情の邏卒が出て立ちふさがったが、甲虫を胸に女房連れで鼻唄まじりの政五郎を見ては、咎め立てる気も失せたのか、また引っこんだ。 事件は七月二十三日に始まり二十九日に一応鎮撫し、一揆は解散させられた。八月二日、首謀者と見られる者二十三人が逮捕されて京都へ送られ、裁判の結果、二、三年の入獄者や獄死者も出た。 世に《明六事件》とも、《七区騒動》とも呼ばれた。
 騒動のあと、直は四、五日ぼんやり考えこんでいた。 直もまた、可愛い子らのために、一家の生き方を立て直す必要に迫られていたのだ。芝居に惚け酒に溺れる夫の収入は、ほとんど生活のあてにならない。零細な煮売り屋では、虎の屋のような煮売り酒屋と違って、常連客があるわけではない。くるかこぬか分からぬ客を待っての商いだけでは、五人家族は養えぬ。 秋口に入ったある朝、直は吊ってあった蚊帳の四隅をはずし、丁寧に皺をのばしてたたむと、手早く風呂敷にくるみ、清吉を背負うた。久が追いすがって、あどけない顔を仰向け聞いた。「母さん、蚊帳もって、どこ行ってん」「そうじゃ、お久や、ついておいで」と直は手を引いた。 同じ町屋の、質屋の暖簾をくぐった。古ぼけた紺色の暖簾には、呉服・古着・質・貸物と白く染め抜いてある。直は出て来た主人に蚊帳を差し出し、幾度か頭を下げて金を貸してもらった。それから足をのばして高野屋という米屋で米を買った。 家へ帰った直は、蚊帳を質入れして買った米を石臼で碾いて粉を作る。小豆は店で売るぜんざい用にすでに仕入れてある。小豆を煮て餡を作る。粉を練って薄く円く延ばして中に餡を入れ、二つに折って編み笠の形にととのえて蒸し、上に食紅で染めた米粒を三粒のせたが、少女のころ福知山一の饅頭屋「泉屋」で奉公した時の体験がはからずも役立った。 最初の日なので、直は試みに四十個だけ饅頭を作り、それを糶箱に並べて久に言った。「お久や、すまぬが、この編笠饅頭を町で売ってきておくれ」 店売りではとても捌けぬ。直が行商に出たのでは煮売り屋が開けぬ。竹蔵は十歳だが病身で気弱く、他人の門に立つ勇気はない。わずか六歳の久に行商させるより手はなかったのだ。酷なのは承知、一家が飢え死にするわけにはいかぬ。 糶箱を背負って出て行く久の小さなうしろ姿を、直は涙ぐんで見送る。お釣を間違わずに渡せるだろうか、お金を落しはしまいか――次々と湧き起こる杞憂をむりに払いのけた。 二時間ほどして帰ってきた久は、四十個の饅頭を見事に売り尽くしていた。顔を紅潮させ、息をはずませながら、久は報告する。「あんなあ、初めに上町で一軒買うてくれちゃって、次に本町で一軒やろ、ほれから北西町へ廻ったら、ぜーんぶ売れたでよ。ほれ、お金……」 饅頭一個で三厘、四十個で十二銭を、久は一銭一厘間違わずに直に渡した。直は「おう、ようやった、ようやった」と久を抱きしめ、頬をすり寄せた。 明治六年時点でこの地方の米価は一升三銭、久の売り上げた十二銭は米四升分に匹敵する。米価の変動の激しい時代で、一升につき明治七年四銭七厘、八年五銭一厘、九年には二銭九厘と安いが、十年十銭二厘に暴騰する。米価の高い時の貧民の困苦が思いやられるが、それが即、材料代に響く直は、さぞ米価の上がり下がりに一喜一憂したであろう。 翌日から久は、午前に二箱、午後に二箱、糶箱せおって饅頭の行商に出かけるのが日課となる。 柏の葉の出る頃には、糶箱には柏餅も並んだ。直が餅を搗く時は、臼の背丈にも足らぬような久が、よじのぼるようにして臼取りをした。 午後の行商が終わると、後は自由に遊ぶことが許された。久は権現さん(熊野新宮社)の神前で遊ぶのが大好きだった。ある日も神前で遊んでいると、烏帽子・直垂をつけた神が、すうと久の前に立った。久は驚いてとんで帰って母に報告する。直は考え深げに言った。「それは神さまじゃ。お久に神さまのお姿が見えたとすると、お久も神さまに近い霊魂かのう。それでも神さまの前で悪さをしてはお気ざわりになるさかい、もう御神前で遊ぶのはやめなはれ」 以後、久は恐れて権現さんの前には行かなかった。
 翌明治七年初春のある日――。 直は糶箱をせおって出かける久を呼び止めた。「お久や、今日は町屋やのうて、御家中(藩士の住む町内)に行ってみな。大隅守さま(九鬼家では、代々大隅守を名乗る者が多い)のお屋敷には美しいお姫さまが住んでいなさる」「お姫さまが?……」と久はつぶらな眼をみはった。 久は間もなく上野の旧領主九鬼家の屋敷の大門を見上げていた。この門は本宮山の大けやき一本で作られていて、九鬼家の自慢の門であったが、久にも思い出がある。 昨年の夏頃、政五郎は夜業でこの御門の修復を頼まれた。久は「一人は淋しいでよう、お久も行くか」と父にさそわれ、肩車に乗せてもらってきた。 父は御門の脇の玉砂利の上に盛んに火をたいてあたらせてくれたが、仕事にかかると娘のことなどすっかり忘れて夢中になった。初めは物珍しく月明かりの庭園をあちこち眺めていた久も、夜がふけると眠くなり、たき火のかたわらでこくりこくりと居眠った。ふっと目をさまし、大門の上にまたがった父の憑かれたような姿をみた。炎の色に照らし出され、まるで天狗さまか物の怪みたいでこわくなり、しゃくり上げて泣いたものである。 御維新前ならいかめしい門番がいて、とても久など中へ入れまい。その門をくぐり、敷石を踏んで広い玄関に廻り、「もうし、お姫さま……」と思いきって声を上げた。しんとした邸内に、細くすき通った久の声が吸いこまれていく。三度目に久が叫んだ時、絹ずれの音が近づいて、十四、五と思えるほっそりした姫が式台に立った。後からお付の婆やも現われてひかえる。 久は頬を染めて一心に申し上げた。「お姫さま、わたしは大工政五郎の子で久というもんでございます。母さんの作ったお饅頭、おいしいさかい買うとくれなはれ」 姫はゆっくりとうなずき、値段も聞かず、箱の中をのぞきもせず、「まあ、かわいい嬢がお饅頭を買うて下されとのことか。これ婆や、あのように申しておる。あるだけ買うておあげ」「はい、かしこまりました」 婆やも饅頭は好きなのか、にっこりして糶箱のすべてをきれいなお重につめかえ、代金を渡してくれる。それを姫はさも珍しそうに眺めている。「嬢や、そなたはななか? ななか?……」 白い頬を傾けて姫は問いかけたが、久はとまどって答えた。「いいえ、わたし、ななではござへん。政五郎の子の久で……」 すると婆やが笑って横から説明してくれた。「お姫さまが、ななかとお聞きなされたのは、年は七つかと問うていなされるのじゃ」「はい、わたし、七つですわな。なんや、年のことかいな」と久は無邪気に笑い、「町方では、下女のことをななどんと言いますさかい、わたし、そのことかと……」 姫はさもおかしげにコロコロと笑い、興味深げに切れ長の目を輝かせた。「かわいやの、七つかそこらで商いに出るとは……そなた、その金子で何を買いやる」「わたし、母さんに渡します」「母上はその金子をどう遊ばすのじゃ」「……あの……母上は、これでお米を買うて、半分は食べて、半分はひき臼で粉にして、明日の分のお饅頭を作って……」「お米なら買わずとも、秋になれば、下の田にたんと実っておろうにの」と姫はすまして言った。 久が返答に困っていると、婆やは笑い出し、「姫さま、この嬢は新宮の政五郎はんの子、家は大工でございますから、田はないのでございましょう。政五郎はんならこの婆やも存じております。お殿さまによう仕えなされて、お屋敷にもお出入りしてなされました。ほんに気の良い、おもしろいお人で……」「そうか、そのよしみでわざわざ売りに来てくれたのじゃの。それはそれは大儀でした。お礼を申しますぞ」 久はぽかんと口をあけた。「そうじゃ、お饅頭のお礼によい物を進ぜよう。しばし待っていやれ」 すっと裾をひるがえして、姫は姿を消した。婆やと二言三言、話しているうちに、姫は懐紙にくるんだ菓子を持ってきて、手ずから久に渡した。 久は夢見心地で、お屋敷を後にした。お姫さまに出会うた一時がこの世の出来事ではなかったかに思える。でも確かに糶箱は空であったし、手には紙包みが――。道端にしゃがんで、久は紙包みを開いてみた。小さな真っ白な星の形、その中には薄紅色や緑の星もまじっている。こわごわ一つを取って舌にのせてみた。星はびっくりするほど甘く、噛むと歯ごたえがあって溶けていく。それが金米糖だと久は知らない。ただ涙の出そうな嬉しさが突き上げていた。母や竹兄や小さな清吉にも早くこの話を聞かせ、甘い宝の星を見せてやろう――。 久は走った。 この金米糖という菓子、子供にはよほど魅力であったらしい。七年後の明治十四年、まだ十歳の島崎藤村は兄に連れられ、金米糖ほしさに木曽山中の馬篭村から中山道を歩き続け、東京に向かう。
 明治七(一八七四)年、直の長女米は十九歳になっていた。綾部北西町の忠兵衛宅に女中奉公に来て、すでに二年の歳月が流れている。年頃を迎えて磨かずとも天性の美しさがあふれ出し、清純というよりはむしろ立ち姿のよいあだっぽさが評判で、玄人好みのする娘といわれた。 この米の前に、熱心な求婚者が現われた。米の奉公先近くの材木商大内屋に働く福知山在の百姓の伜。四股名を宮絹といい、身の丈六尺、筋骨たくましく男ぶり勝れた草相撲の大関として、界隈の人気は高かった。ファンであった政五郎は宮絹の求婚に雀踊りして喜び、直も快く許して、挙式は宮絹の年季明けの来春とまで決まった。 米は年頃の娘たちの羨望を一身に集めて、誇らしかった。 渡し船が、ひっきりなしに往き来している。 祭装束の若衆や娘たちが手に手に提灯を持って降り立ち、笑いさざめきながら笠原神社の下道を通って行く。この杉の木の下に坐ると、由良川の瀬音にまじって、並松の正暦寺と対岸の宝生寺での二つの盆踊りの太鼓の響きが体の中まで伝わってくる。夜を徹してたかれるかがり火が樹々を浮き出し、夜空に緋色の粉を舞い上げていた。 米のきゃしゃな手は、大きくて厚い宮絹の手の中にすっぽりとあった。婚約して初めての、二人だけの逢瀬であった。言いたいこと、聞きたいことは互いに胸一杯にありながら、二人は無言で微笑しあい、幸せに陶酔するばかりであった。やっとのこと、宮絹は朴訥な調子で切り出した。「わし、結婚したら、やっぱし田舎で百姓するつもりだす」「はい……」「ほかに能もござへんが体だけは人並以上やもんで、一生懸命働きますで。夜なか起きしても、お米はんには田の草一本抜かせんつもりや」「いやです。わたしも一緒にお百姓します。子供の頃から働くことは慣れてるさかい……」 ――宮絹はんとなら、どんな苦労かて……と、心の中でつぶやきながら、米は月光にくまどられた宮絹の男らしい眉とやさしく細い眼を、うっとりと見上げた。「こんばんは……」 ふいに背後から声をかけられ、二人ははっと手をはなした。ふりむくと、三つの影があった。明るい月光はその男たちの顔をはっきり識別させた。「ようほめき(蒸し)ますなあ、おそうまでお二人さんともお精が出ます」 ばか丁寧に頭をかがめるのは山家村の銀十、少し離れて綾部北西町の大槻鹿蔵、位田村の儀三郎。「おいそがしいとこ、ご無心言いまっしゃけど、一晩だけ大切なその娘はん、貸してもらえまへんだっしゃろか」と銀十は、商人風にもみ手する。 立ち上がって米をうしろにかばいながら、宮絹は蒼ざめた。いかにも相手が悪すぎる。 彼らは盃を交わしあった義兄弟で、丹波の三幅対といわれる名うての悪党どもだった。三人が肩を並べて町をのし歩けば商店は軒なみ戸を閉めるほど、綾部町民に恐れられ、嫌われていた。 鹿蔵はにんまりし、さらしの腹巻の間にのみこんだ匕首をちらつかせ、一歩前へ進んだ。「宮絹はんよう、そう言うわけで、すまんがお米はん貸してもらうで」 宮絹はぶるっと胴ぶるいし、後ずさり、米の手をくだけるほど握った。「い、いやでよう」 鹿蔵はせせら笑い、「そう世間せばせないやあ、同じ町内じゃろうが。それともなんかいな、わしをどこの誰じゃか知らんのこ」「こ、この人は、……わしの許嫁やさかい……」と宮絹はあえいだ。「ようよう知っとるで。ほんでわざわざ『貸してもらえまへんか』ちゅうて丁寧にお前はんにことわっとる。な、そうじゃろがえ」「ほんまやでよ。そう渋くった顔すないやあ。満更知らん仲やなし、わしらがこのいも頼んどるのやさかい、『へえ、間に合いはしまへんでっしゃろけど、あんたまあ、こんな女でよかったら、貸さんどこじゃござへんでえ』ぐらい言うのが礼儀じゃろ。もっともちょっぴり傷がつくぐらい、覚悟してもらわにゃならんわなあ」と銀十は白い歯を出して、楽しげに浮き浮きとしゃべる。 宮絹は自分の態度を決めかねていた。彼らがただからかっているだけなのか、本気なのか、その真意がつかめない。「そんな、あんた……無茶やわな」とこわばった微笑をつくったが、泣き顔にしか見えぬ。 鹿蔵が高飛車にどなりつけた。「うるさいわい。無茶がわしらの稼業じゃ。貸すのか貸さんのか、どっちじゃい」 米をつかんだ宮絹の腕が目に見えるほど震えていた。米はその手を振りはらって進み出た。怒りが恐怖を忘れさせた。「わたしになんの用がありますのや。あるならさっさと言うて、邪魔せんといとくれなはれ」 きっと鹿蔵をにらんだ米の切れ長の目は、凄絶なほど美しかった。水疱瘡のあとのかすかに残る痘痕もその美しさを損いはしない。 鹿蔵はまぶしそうに眼をそらし、声を落とした。「そんなら言わしてもらうでよ。わしはあんたが好きなんじゃ。嫁にほしいんじゃ」 思いがけぬ鹿蔵の言葉に、米は息をのんだ。そう言えば、道で出会ったりした時の鹿蔵の熱っぽい目付きに思いあたる。鹿蔵は一語一語つかんで投げ捨てるように、力を入れた。「許嫁じゃろうが、人妻やろうが、好きになったらわしは奪う。ほいでもお前はんも惚れた女の前で卑怯なことはしとなかろ。男同士の一騎打ちで負けた方が、すっぽりお米はんを諦めようやないか。宮絹も相撲で大関を張っとる男じゃさかい、まさかいやとは言わんじゃろ」 銀十は、呆然と立つ宮絹の手に匕首をにぎらせ、きんきん響く声で叫んだ。「よいか宮絹。わしは立会人やで。今は手え出さんが、もし兄貴がやられたら別や。改めてわしが仇を討たせてもらうでよ」 さっきから一言も口をきかず懐手をして米の蒼ざめた顔を見ていた儀三郎が、冷たい声で言い放った。「銀十も負けたら、この位田の儀三郎が相手にならしてもらおかい。相手に不足はさせんつもりじゃ。さあ大関、遠慮なくやれい」 三人はぱっと半纏を投げ捨てる。下は純白のさらしを胸まで巻いた手慣れた喧嘩支度だった。 鹿蔵は白鞘の匕首を抜き放った。「や、や、やめてくれい」 押し戻そうとするふうに、宮絹は必死で手を振った。その手から匕首の鞘がとび、ぴかりと抜身が光った。さっと低く身構えた鹿蔵は、獲物を追いこんだ猟師のように殺気をみなぎらせて詰めよる。 ――と、宮絹は、匕首を持ったまま、へなへなと崩れるように坐りこんだ。貧血をおこしたのかその顔に色がなく、顔中は汗をふき出して光っていた。 鹿蔵は拍子抜けして見下ろしていたが、やがて匕首を鞘におさめ苦笑する。「これはどんのいも見かけ倒しじゃなあ。しこぶつ(頑丈)な図体して、中身は張りぼてでござったわな。おい、腰抜け大関、約束通り女はもらって行くでよ」「待ってくれ」と宮絹は絞るような声を出す。 銀十はせせら笑って、「ちょろこいやっちゃ、どれ、二度と女のまわりをうろうろせんように、あちらへ連れてって、ちょこっと可愛がっちゃるか」 儀三郎と銀十に匕首で追い立てられ蹴ころばされながら、宮絹は「お米はん、お米はん……」と泣き声をあげ、米に這い寄ろうとする。 米は夢からさめたように、見栄も体面もかなぐり捨てた宮絹の姿を見下ろした。豪快な上手投げで、相手に土俵の砂をかませる大関の颯爽たる英姿――あれは幻影だったのか。惚れた女を体をはって守る度胸さえないのか。宮絹の巨躯が急に小さくみすぼらしくなり、彼への慕情が白茶けたものに褪せるわが胸のうちを、おののきつつ見る思いであった。 儀三郎と銀十に両脇から抱きかかえられて、宮絹がしゃくり上げながら遠ざかる。 鹿蔵の手がやわらかく米の撫で肩にかかった。「がいに荒くたいことして堪忍やで。わしは極道じゃし、年もなんしょう三十七じゃ。まともな手順を踏んでも、わしらに大事な娘を嫁にくれる親などないわいな。わしはもうとうとうからあんたに岡惚れしとったが、柄にもなく気弱うなって、よう言い出せなんだ。それが宮絹との婚約の噂を聞いて、つい……頼むさかい、わしの嫁になってくれい」 その口説の半分も米の耳に入らなかった。追いすがる鹿蔵の頬に小気味よい平手打ちをくわせ、祭太鼓の響く暗い道をとっとと歩き出していた。どうしてか鹿蔵は立ちすくんだまま、追ってはこなかった。 宮絹の悲鳴が土手下でおこったが、米は振り向かなかった。
 米はその足で、奉公先には無断で、家へ戻ってきた。直がわけを訊いても泣くばかり。町の噂では、翌日、体じゅう傷だらけの宮絹が何かに怯えてこっそり福知山へ逃げ帰ったという。三日ののち、宮絹の親から出口家に婚約破棄の申し出があった。空虚な気持ちで、米はその知らせを受けた。 初めて事情を知った政五郎は鹿蔵の無法を怒り憎んだが、何しろ相手が悪かった。 鹿蔵は大槻佐兵衛長男。天保十年の生まれだから直とは三つちがい、米より十八も年上の三十七歳、未だに独身を通していた。十四の頃、伏見あたりで茶もみ奉公をしているうち博奕打ちの仲間になり、背中一面に弁財天の入墨をして綾部へ帰ってきた極道者であった。後家の母親が息子の不行跡を苦にして自殺したのをいいことに、天下晴れて不逞を働いている。誰彼かまわず因縁をつけるのでいん鹿と呼ばれ、また丹波鹿の異名も持つ。鹿蔵に狙われたらまず無傷で逃げおおせることはむずかしいと言われた。 米のまわりを鹿蔵やその子分たちが執拗につきまとい始めたので、政五郎夫婦は奉公先にことわりを言って、岡の政五郎の実家に一時、米の身をひそめさせた。だがこれ以上やくざ者の追及を断ち切るには、米を早く縁づけるしかなかったのだ。 間もなく捨薮にいる政五郎の弟の世話で、広小路の米利堅粉屋である与喜とあわただしく縁談がまとまった。米は魂を抜かれた人形のように言いなりだった。与喜の方は傷物を買うように恩にきせ、米をもらうことを承知した。米は愛される嫁ではなく、働き者であるというその労働力を買われたに過ぎない。 明治八(一八七五)年春――。 婚礼の日、米は鏡台の前に坐って二十歳の娘の己れに別れを告げた。結婚とは、女にとって、まるきり別の人生に踏み入る厳粛な儀式のはずである。だのに、こんな風にして、喜びどころか嫌悪の情しかわかぬ男のもとへ嫁入るなど、死ぬよりまだつらかった。 宮絹との恋に一度は燃えたち、引き裂かれて冷えたこの心には、もはや二度と愛の灯はともすまい。そう思いつめると涙が膝に散った。 泣いている鏡の中の自分がいとしい。泣くだけ泣くと、この婚礼は死ぬよりいやと激しく拒む思いは確かなのに、ふだん着より多少ましな花嫁衣装であっても、化粧したその身のあでやかさ、美しさに牽きこまれて、そっと笑ってみた。 鏡の中の米は見惚れるばかり艶冶である。「生きていよう」と、鏡に囁いた。 貧乏のため身一つの輿入れだったので、与喜の家では、働き者の嫁の労働から箪笥も長持ちも絞り取ろうとするかのようであった。与喜の家では百姓もしていたので、朝まだ暗いうちから田畑に追いやられ、休む間もなく泥まみれになって働かされた。 働いている時間の方がまだ救われた。家に帰れば気むずかしい舅と姑、笑顔すら倹約する小姑たち、家の中に対話はなかった。そして慣れぬ仕事で骨の髄までくたびれた体をいたわりもなく粘っこく求めてくるだけの夫、鹿蔵や宮絹との仲を疑いぐじぐじ詮索する夫――。結婚とはこういうものと諦めながらも、米は愛のない暮らしに息がつまった。 二月ほどたったある日暮れ、刈りとった麦をいっぱい積んだ荷車の後押しをしながら、米は夫と二人で田圃道を帰ってきた。米の野良着は泥と汗でにじみ、夜ごとの不眠に疲れはてていた。 道は暗さを増した林に入り、蝙蝠がのどを鳴らして低くとんだ。と、首なし地蔵の祠の裏から音もなく荷車の前に立ちふさがった男が三人、いきなり匕首を与喜の鼻先に突きつけた。「ひ、ひえー」 与喜が梶棒を離して尻もちをつく。馬が驚いて前肢をはね上げたように、荷車の重心が後にかかって傾斜し、米も危うく転げそうになった。与喜は手を合わせて何事かをわめいた。男たちは「ほらよ」とかけ声をかけながら、与喜の頭上めがけてどさっと麦の束を落とした。たちまち荷車の麦はからになり、与喜を下敷きにした。「おい、命をもらうか」 鹿蔵がのどをひくつかせて笑った。与喜は麦の中から首だけつき出し、必死でその首を横にふった。「命がいやなら、代わりに嫁をくれるか」 張子の虎のように、与喜は首を縦に何度もふった。 米は思いきり笑いたかった。 三人組はからの荷車に米を押し上げ、がらがらと曳いた。しかし林を出はずれた時、米は荷車からとび降りて、自分から鹿蔵の手にすがった。幸福の絶頂から無惨に引きずり降ろし、みじめな結婚にまでおとし入れた張本人の鹿蔵であったのに、何故だろう。米はただむしょうに鹿蔵にすがった。 乾いた絶望の暮らしから根こそぎひき抜かれ掠奪されて行く運命が、いっそ快かった。ただ、これが宮絹であったらと思った時、ふいに涙があふれた。 この時いらい、鹿蔵と米の姿が綾部から消えた。駈け落ちされてはじめて失ったものの価値を知ったのか、与喜は自殺騒ぎまで起こし、与喜家から出口家へ強硬な抗議が持ちこまれる。仲人をした政五郎の弟は堅い人で、「草の根分けても米を探し出さんと承知でけん」と言い、毎日出口家に押しかけて米の消息を尋ねる。「米が見つからんことには、わしは申しわけに腹切らなならん」と息巻いては、直を苦しめるのだった。 人の噂も七十五日。ほとぼりも冷めた半年後、仲間の家を隠れ歩いていた鹿蔵は、米を連れて綾部に戻り、北西町で今盛屋という綾部で最初の牛肉店を開いた。 鹿蔵は人に恐れられる反面、かなり才覚があり、商魂もあった。東京・横浜で盛んに牛肉を食べるようになるのが明治三、四年頃であるから、田舎町としてはごく尖端的な商売だったのである。 鹿蔵の狙いはあたり、今盛屋は繁盛した。手拭いを姐さんかぶりし、眉をそり、鉄漿をつけて店で立ち働く米の姿は、もはやすっかり女房ぶりが板についていた。鹿蔵と米の行為は、当時の綾部ではさほど珍しいことでもなかったのである。 だが出口家にとっては大きな衝撃であった。政五郎夫婦が理解に苦しむのは、まるで誘拐を望んでいたように抵抗もせずついて行ったという、米のふしだらな行動である。しかも身を恥じてどこかでひっそりと暮らすならともかく、婚家先からさほど遠くない地で、派手に牛肉店を開いたのである。これでは、あの誘拐事件は米と鹿蔵の馴れ合いの行為と言われても弁解のしようもない。「出口家の暖簾に傷をつけくさって!……」と政五郎は激怒した。 誘拐された当時、病みつかんばかりに心配した直も、涼しい顔で鹿蔵の新造におさまっている米をかいま見て、娘の気持が理解できずに苦しんだ。しかも娘が獣肉を素手で扱うこともあろうかと想像すると、あさましさに消え入りたくなるのだった。 出口家は、娘の婚家先や世間への義理からも、米を義絶した。親思いの米はそれを悲しみ、琴や久や竹蔵に道で出会うと飴玉を掌の上に乗せてやり、「父さんや母さんは、どうしとってや」と、実家のことなら茶碗のかけたことまで、知りたがった。 その頃の綾部には髪結いがなかった。器用な米が近所の女たちの髪を親切に結ってやるうち、あちこちから頼みに来るようになった。抜け目のない鹿蔵は、自宅に《おぐしあげ》の看板をかかげさせた。綾部の嫁のこしらえはみな米がするので、ひっぱり凧であった。さらに鹿蔵は牛肉屋の隣に小料理屋を開き、玄人好みのする米の愛矯と牛鍋を売り物に、これも成功した。 こうして大槻家には面白いように金がころがりこみ、反対に沈むが上に沈む出口家とは絶縁の溝が深まるばかりだった。 この頃、出口家の生活は窮迫を加え、上町の借家にも住みかねて、さらに家賃の安い川糸村の借家へ移った。 政五郎はすでに五十に近かった。道具箱はとっくに売り払い、手斧一挺もてば鉋はいらぬ名代の大工棟梁も、いまは日傭いで気随に働きに出ている。道具のたらぬ所は「おい、ちょっと貸せよ」で平気で仲間の物を借りながら、その態度があまり無邪気なので相手は苦笑するばかりである。だが、広い肩を落し、わずかの道具を手拭いで包んで右手にぶら下げ、ややうつむき加減に歩く後姿に、初老の影がさしていた。 見送る直の胸は、淋しさにしめつけられるのだった。

表題:澄の誕生 3巻8章澄の誕生



 明治九(一八七六)年、坪内村と新宮村が合併して本宮村になった。以前に出口家のあったあたりは、家を売って立ちのいた翌年に火事があり、十八戸焼失して、かなり様子が変わっていた。この地に四十八坪だけまだ土地が残っていたので、政五郎は小さな家を建てることを決意した。借家に住んで家賃をはらい続けるのは損だと気がついたからであろう。この計画は一家を勇み立たせた。四年ぶりで自分たちの家が持てるのである。 山から木を伐り出して夫婦で運び、家の東側に掘り下げた井戸には由良川から運んだ石を積み上げた。十三になった長男竹蔵も喜んで手伝い、九歳の久も何かと役に立とうと、いじらしいほどこまめに体を動かした。 やがて小さな家が建った。土間を上がると二畳の板の間、その横が六畳、奥が小さな神床のある八畳である。神床には「天照皇大神、八幡大菩薩、春日大明神」の軸を下げ、神床の横に仏さま、御霊さまを祀った。井戸から少し離れた所にある高倉明神を祀った祠は昔のままであった。屋根は藁葺きで、外の板壁と格子は政五郎が紅殻色に彩色して、まことに派手な外観を呈した。直は気恥ずかしくてならなかった。   紅殻の稲荷のような家建てて       鈴はなけれど内はがらがら 政五郎は得意の狂歌を作り、相も変わらぬ天下太平の顔だった。 直はここで本腰を入れて饅頭屋を始めた。といっても、入口に面した土間に幾つかの箱を置き、その中に何種かの饅頭をぱらぱらと並べただけ。そして幼い久が家々を廻って売り歩いた。
 米が婚家先を出て一年ばかりたった頃である。鹿蔵の留守に米は店の女客に呼び出され、何気なく外に出て眼をみはった。 笠に顔を隠し旅姿で立っていたのは、もう見ることもあるまいと思っていた宮絹ではないか。ふくよかだった頬がげっそりこけ、細い眼が異様に光っていた。 二年見ぬ間に落ちついた人妻姿に変わっている米に、宮絹は、と胸をつかれ、苦しげに喘いだ。「お米はん、こらえとくれい。わしはふんとに腰抜けじゃった。さぞ愛想がつきたじゃろ」「もう昔のこってすわな」「今度こそ決心して家を飛び出して来たんだす。頼むさかい、わしと逃げとくなはれ」 米は大きな体をすくめて哀願する初恋の宮絹にたちまち心を動かされ、ひきこまれるようにうなずいた。根は気のやさしい米であった。「綾部街道を上って寺村へんの道端で一服して待ってなはれ、すぐ追いかけますさかい……」 宮絹を先に発たせ、素早く金をかき集めて身支度すると、米は「ちょっと出かけてくるさかい……」と店の者に言いおいて、何気なさそうに家を出た。 町のはずれ、寺村で宮絹と落ち合い、二人は京への街道を追われるように上った。出発が昼をまわっていたので、近くに鍾乳洞のある船井郡三の宮に着いた時は日が暮れていた。旅慣れない米のために、宮絹はここで宿をとることにした。 二人は宿の二階に通された。軒先に夫婦の燕が巣を作り、寄りそって眠っていた。宮絹はしんとした眼で米をみた。「土俵から下りたわしは、からきし意気地のない男じゃった。あの観音祭の晩げなあ、わしは死んでも戦うつもりやった。土俵の上でなら、あいつらが何人かかろうと、あんたを守る自信はあるのじゃ。それがあのぴかぴか光る匕首みたら、背筋がすうっと冷とうなって総毛が立って、急に膝かぶ盗まれたみたいに、かいもく立ってられへん。わしは強い男じゃと自分でも信じとったのに、あの晩はじめて……えんばなことに(都合わるく)、わしの一番大事な女の前で……臆病さを思い知らされてしもたんじゃ」「……」「わしが自分に愛想尽かしたんじゃさかい、お米はんにどんなにさげすまれてもしゃあないわいな。あんたが嫁に行ったと聞いて、二度と顔を見せまいと、いっぺんは覚悟したんでごあす。それなのに鹿蔵が奪いくさったと聞いたら、わしは耐ることができなんだ。あいつはわしとあんたの幸せを踏みにじった奴じゃ。わしをなぶりこにした鹿蔵からなら、あんたを奪い返す権利がある。わしが好いたんは、お米はん一人じゃ。お米はんなしでは、わし、生きる甲斐がないのだす」 顔を紅潮させ欝積した感情を一気に吐き出すと、宮絹はがっくり頭をたれた。 わずか四里ばかりの道行きだったが、米の情熱は高まっていた。米は宮絹の大きな体を抱え、赤ん坊をあやす母親のしぐさで言った。「いやなことは、もう忘れましょいな。どっちみち、もうすんだことですわな。さあ、もっと元気を出しなはれ」 晩飯には女中に注文して一本つけさせ、米の方が姉女房のようにふるまった。宮絹に盃を持たせて酌をしてやり、「これが遅まきの三々九度になるのやねえ」とあでやかに微笑んだ。宮絹は盃をあけ、涙ぐんだ眼でその小さな瀬戸の盃を感慨深げに眺めていたが、やがてきっと顔を上げ、世界中の幸福を一人占めしたような晴れ晴れした顔で力んだ。「わしは強うなる。もう切りちゃぐられても絶対にお米はんを渡さんでよ」 その時であった。階段を乱れた足音が上がりつめ、がらりと襖が開いて、数人の鹿蔵の子分たちが部屋に踏みこんで来たのだ。「お米はんはわしのもんや。初めから、わしだけのもんや」 物凄い形相で立ち上がった宮絹は米を抱えたまま、四股を踏むように勇み立った。子分たちはぱっと四方に散り、大関の勢いにひるみを見せたが、一人が匕首をひき抜くと、誰もがそれに習って抜きつれた。 米は宮絹の逞しい胸に面を伏せ、じりじりと、寄せる刃を見なかった。すべてを宮絹にゆだね、しびれるような恍惚感に酔った。この人と一緒に、このまま刺し殺されたい……。「おい、宮絹、姐さんをはなせい」「返したら、命だけはこらえてやる。『いやがりよったら、不義者は重ねておいて四つにせい』ちゅう親分の命令じゃ」 殺気だった声がとぶ。「はなさへん。誰が鹿蔵などに渡すかい」 足場を求めるように、宮絹は米を抱いたまま、壁ぎわまで少しずつ下がった。刃がすっと間隔をつめる。と、宮絹の図体は、はた目にもはっきり分かるほど大きく痙攣した。「膝が……膝が……あかん、膝が立たん……」と悲痛な声でうめくと、ずるずるとへたりこんでいった。 米はとっさに宮絹の手をふりもいで立った。やるせない悲しみが、米を打ちのめした。「この人に手出しはならんで。帰れというなら帰ってやるさかい、その光る物はしまいなはれ」 子分たちは顔を見合わせ、米の絶望的な叫びに手をひいた。宮絹は顔をくしゃくしゃに歪め、「去なんでくれ、お米はん……」とあえいだ。「わたしには壁蝨がついてます。わたしのことなどあきらめて、よい嫁はんもろうて、幸せになっておくれなはれ」と米はつぶやくと、子分たちの先に立って外へ出た。「殺して……去んでくれ。このわしを……殺してくれ」 宮絹の泣き声が表まで聞こえたが、米は耳をふさぎ、振りきるように綾部に向かった。 深夜まで手酌で飲んでいた鹿蔵は、連れ戻されて不貞腐れた米を見るなり、「阿呆なやっちゃ」と苦笑したが、一言も叱らなかった。その態度には、十八も違う妻への、父親のようなゆとりがあった。米は詫びるきっかけを失ったまま、ずるずると鹿蔵との生活に戻っていった。
 駈け落ちの一日が米の記憶から薄れ去ろうとする頃、見覚えのある宮絹の相撲弟子が料亭の客となった。客は機会を見つけて、口早に米に耳うちした。「宮絹はんが危篤やでよ」「え……」「駈け落ちに失敗しちゃってから、兄貴はふさぎこんで飯も食わんし、ものもよう言わん。医者の薬ものまんと、ただ譫言にあんたの名ばかり呼んどってやで。親御はんは、『こんなに恋いこがれとるんなら死ぬ前に一目会わせてやりたい』言うてなはる」「行きます。裏から脱けますさかい、すぐ連れてって」 米は何もかも打ちすてて福知山へ向かった。一途に思い続けてくれている宮絹にくらべて、自分の薄情さがうとましかった。 福知山の生家に臥床する宮絹の前によろめきくずれ、米はわあっと泣き伏した。宮絹は痩せ衰え、細かった眼がいやに大きくみえた。「お米はん……」 宮絹は現実の米を確かめようと手をのばし、絶え絶えに言った。「駈け落ちが見つかって……旦那はんにひどい目にあわされてなかったか。わし、それが心配でなあ……」 なんという……自分が死にかけているというのに……米はせき上げてくるいとしさに目眩しそうになり、夢中で宮絹の骨ばった手に頬ずりした。「もう……誰にも離されん」 さも嬉しげに宮絹は微笑んだ。それきりであった。微笑んだまま冷えていく宮絹の体にすがって、年老いた母親が号泣した。死者の蒲団の中から、小さな盃が出てきた。誰もその意味を知らなかったが、米だけは知っていた。遅まきながらの三々九度で、宮絹の手に持たした三の宮の宿の盃であった。 右の二の腕につれるような痛みを感じ指頭大の玉ころができたのは、宮絹の死んだその夜であった。不思議に思って米が撫でると、玉ころは薄い皮膚を盛り上げて、くりくりと動いた。「そうか、あんた、宮絹はんの霊やなあ」 米が呼びかければ、仔犬が飼主のまわりでじゃれつくように、玉ころは二の腕のまわりを嬉しげに転げ廻った。その玉の動きにつれて、白い皮膚のあっちがふくれ、こっちがふくれた。痛くはなかった。米は宮絹の愛の証と信じた。
 明治十(一八七七)年三月十一日、直は三男伝吉を出産する。 その噂を耳にした時、米は伝吉を一目みたくて本宮へ行った。生まれたばかりの弟のために縫った肌着を抱えて出口家のまわりをうろうろしたが、敷居の高さについに入れず、悄然として持ち帰った。 秋になった。伝吉ももうお坐りができる頃である。義絶されてから二年余もたったのだから、父は一応苦い顔をしても結局は娘の詫びを入れ、あとはあの懐しい家庭の団欒にとけこめるものと甘い想像に胸をときめかせて、米は出口家の裏木戸から庭に入った。 縁先に止まっていたトンボがすいと離れた。米は裏縁に忍び寄り、手をのばして明るい秋の日ざしを浴びた障子をためらいがちにそっとあけた。 いかつい肩の上に父の胡麻塩頭がみえ、飯台の向こうに、伝吉を膝にした母がうつむいて朝餉の粥をすくっていた。竹蔵、久、清吉……米の胸は懐しさに高鳴った。「母さん……」と声をおし殺して叫んだ。「あ、誰やろ」と頓狂な清吉の声がとび、のび上がって障子の人影を指さす。「お米やないか」と母が浮き腰になる。「なに、米――」 ふり返った政五郎の顔は朝酒に赤かった。その眼が一瞬怒りに燃え立ち、やにわに障子をひきあけて、米の前に立ちはだかった。「なにしに戻って来さらした、この恥さらしめ。亭主を捨てて博奕打ちと駈け落ちしくさって。き、きちゃならしい。そんな娘は三年前に勘当してくれたわい。二度と敷居をまたがしちゃるかい」 米の手から土産の焼き栗がこぼれ落ち、肩をふるわせたかと思うと、ワッと幼い子供のように泣いた。「で、出て行けい。おのれ、成敗しちゃるわい」 政五郎は縁側に立てかけてあった鍬をつかむなり、振りかぶった。 米は木戸までとんで逃げ、「父さん、わたし……しょうがなかったんや。堪忍してえな」と叫ぶ。 直がはだしでとび降り、政五郎の手に必死にしがみついた。「こらえてやって下され。わたしのしつけが悪いのやさかい、米はかわいそうな子やと思うて、許してやっとくんなはれ」 この騒ぎに近所の衆がとび出してきて、たけり立つ政五郎をやっとの思いで押えたが、米は大声で泣きながら町を走った。家族に粥をすすらせ自分は朝酒をくらい酔っている父を、「鬼、鬼!……」とののしりながら。 米の義絶がとけたのはそれから間もなく、米が風邪から肺炎を併発して命が危うくなった時である。近所の人が間に立って「せめて生きとるうちに許してやってくれ」と出口家へ迎えに行ってくれた。直は初めて大槻家へ駈けつけ、寝ずに幾晩も看病した。 そのせいか、めきめき回復に向かった米に、ある日、直はさも嬉しげに囁いた。「父さんいうたらおかしいんやで。お前が病気と聞きなさったら、ほんまにおろおろしちゃってなあ。『この前あれだけわめいたさかい、むさくさ(およそ)世間さまへの義理は立った。早う行ってやれ』とせきたてなさるのや。わたしが帰る度に、お米の容態を心配そうに訊いてやで」「母さん、父さんのよいころ(よいかげん)な言葉を真に受けとってん?……」「え……」「なしたまあ、おめでたい人じゃ。それならあの時、父さんはわざと鍬ふり上げて、わめいちゃったと言うてんかいな。ふん、あほらし。どこぞの芝居のせりふみたいに、いっかどそうなこと言うてくれてや。親子でかかもりついて(抱きついて)嬉し涙にかきくれるのん、もう遅すぎるわいな」「これ、お米、なんというひねくれたことを……」「親に勘当された娘なら、ちいとはひねくれもしますわな。わたし、父さんにだけはねっから許してもらいとうござへん」 くやしげに、米は蒼ざめた面をそらした。父母と和解したいというひたむきな思いは薄らぎ、父の立場からものをいう母にも妙にしらじらしい気持ちしか持てなかった。 ――父さんは、出口家の恥さらしとわたしをののしっちゃったけど、父さんこそ瓦ぶきの立派な家屋敷を人手に渡し、遊びほうけててんと恥じちゃらへん。勝手なもんじゃ。 ――それに、母さんも母さんじゃ。あんなろくでなしの父さんの肩ばかりもって、朝酒まで飲まして、自分らはうすい粥すすってこばっとるなんて、自分はよいか知らんが、そのためにごんたく(わんぱく)盛りの弟や妹たちがどれほど泣きをみとるか。 ――わたしがどんな金持ちになっても、出口家の事などかもうちゃらへん。好きなだけ、落ちるとこまで落ちちゃったらよいのや。 不思議なくらい、米の心は冷えていくのだった。
 明治十一(一八七八)年の夏蚕の時期にも、直は栗柄へ糸引きの出稼ぎにいった。一誕生すぎて間なしの伝吉を、十一歳の久に託して……。 七歳の清吉が直の袂をにぎって寺村までついて来た。「お土産買うてくるでな。竹兄さんや久姉さんの言うこと聞いて、よい子にしとるんやで」と直が頭を撫でると、利発げな瞳に涙をためてうなずいた。 夫と四人もの子をおいて単身出稼ぎに来たからには一刻一秒もむだにはすまいと、直は働いた。例年より長く六十日はつとめたから、稼ぎためた金はかなり重かった。直はそれをしっかり風呂敷包みの中にくるみ、綾部へ向かった。数町帰りかけて忘れ物に気づき、足を止めた。道端に軒の傾いた家があり、狭い庭先で日焼けした五十女が薦げたを前に薦を編んでいる。気がせくままに直は重い荷をその家の縁先に置かしてもらい、糸屋にとって返した。 すぐに戻り、丁寧に礼をのべて預けた荷を受けとる。直は子らへの土産に心をはずませ、道を急いだ。 昼過ぎ、弁当にしようと峠の切株に腰かけ、荷を開いてアッと声を上げた。 ――ない! 六十日間の汗で得た金がまるごと消えている。 直は蒼白になって、立ちすくんだ。かさむ一方の借銭の利子や米・味噌・醤油の支払いにあてるつもりの金だ。ないではすまなかった。母の長い不在に耐えて待つ可愛い子らへの土産どころか、無一文で帰って、どう言いわけのしようがあろう。直は目を血走らせて、ともかく荷物を預けた家まで引き返してみた。薦を編んでいた女が遠くから直をみつけてあわてて家へ入った。 家の前に立つと、この暑いのに、障子が直を拒む鉄扉のようにぴたりと閉めきられている。盗まれたという証拠は何もなかった。言いがかりだと開き直られればそれまでである。しかし黙って引き下がるわけにはいかない。直は祈る思いで、縁先に近づいた。破れ障子の内側から病人らしい咳の音が聞こえ、とがった女の叱り声と子供の泣き声が上がった。 直は後ずさった。 ――わたしのような者の荷まで探らねばならぬほど、この家も苦しいのだ。大事な金の入った荷を不用意に預け、悪い心をひきおこさせたわたしにも落ち度がある。あきらめよう。あの金でこの人たちの息がつげるのなら、六十日間働いたこともまるきり無駄ではなかったのじゃさかい……。 そうは思っても、泣きたかった。しかし歯を食いしばって、直は自分に言い聞かせた。 ――どんなに貧乏しても、心まで貧乏すまい。 帰途、直は、友淵(現京都府三和町字友淵)のある百姓家に頼みこんで田の草とりをさせてもらい、十日目に僅かの賃金を得て帰途についた。この時ほど夫や子らの顔を見るのをつらいと思ったことはなかった。
 次々にふえていく子供を抱え、食べさせることに心身をすりへらしながらも、直は子らのしつけをおざなりにすまいと気をくばっていた。 夕食はまだであった。粥はとうにできて冷えかかっていた。膳は白い布でおおわれていた。家中に重たい石臼のまわる音が響いている。いつもの夜と変わらず、直は伝吉を背負って、明日の商いのために四升の米を石臼でひき始めるのだ。その単調な不断の音が、いつか子らの眠気を誘う。「あーあ、父さんは、まだかいな」 行燈の炎に見いりながら、清吉が溜息をつく。父が帰らねば箸も持てず、寝かしてももらえないのだ。父の傍らで大工見習い中の長男の竹蔵が「いつになるやら分からんでよ。どうせ父さんは虎の屋で飲んどってじゃろ。かなわんなあ」とぼやけば、久も「ほんまや。腹ぺこやし、眠たいし……」と、情けなさそうに訴える。 直は臼をひく手をやめて、子供たちの方に向き直った。「さぞ眠たかろう、御飯も食べたかろうの。それでももう少し我慢しなよ。父さんに『お帰りなさいませ』の言葉もかけず、先に休むようなくせがつけば、家の順序が乱れるさかいなあ」 静かなやさしい母の声ではあるが、そう一言いわれると、子供たちはその上さからえない。「そうは言うても、眠たいものを……そうじゃ、こうしよう。父さんのお帰りの足音が聞こえたら教えるさかい、それで目をさまして、揃うて『お帰りなさい』とご挨拶しなはれ。父さんと御飯を一緒にいただいて、神さまと御先祖さまにお礼して、それから休むのやで」「母さんに教えてもらわんでも、父さんの唄声が一丁先から聞こえて、いやでも目がさめるでよ」と清吉が生意気な口をきいて、竹蔵や久を笑わせるのだった。 しかし夜ふけて政五郎が帰る時はすでにへべれけで、直の気づかいなど通じはしない。たいていは、眠たい目をしょぼつかせた子供たちの前で「やれやれ、飯かい。いらんわ。見るのもかなわん」と着衣もぬがずに床にころがりこみ、高いびきをかくのであった。 母には従順な子供たちも、こうした父には次第に批判の心が芽生えてくる。ある日も政五郎はまだ日の高いうちに帰って来て、土間から大声で言った。「おナや、聞いたかい。四尾山の太鼓が鳴り出したら、行きとうて、もう仕事が手につかへんさかい、ほっぽらかして帰って来たでよ」 直はいそいそとして、「それはようござした。気もそぞろの時に高いとこで仕事して怪我でもしちゃってはどもならんさかい。そうじゃ、急のことやで何もできまへんけど、お弁当はにわか炊きのかやく御飯でよろしやろ」 直は久を呼び、裏の畑から一株の芋と蕪と隠元豆をとってこさせ、手早く飯を炊きつける。さらに上町の山崎屋へ、酒を買いに久を走らせる。 久は瓢箪をぶら下げて酒買いに行きながら思う。 ――父さんはええなあ。お弁当持って、お酒持って芝居見物、わたしは昼はお饅頭売り、夜は父さんが帰るまで御飯も食われん。ほんまに損や。今日こそ父さんに芝居に連れてってもらおう。 家へ帰るや、久はさっそく芝居見物を母にねだった。直は静かに言いさとす。「お久や、それはあきまへん。いまお久が芝居を観に行っても、わけが分からん。役者がきれいな着物を着て芸してるのを観るぐらいのもんじゃさかいなあ。事が解るようになったら芝居見物に行かせてあげるが、それまで待ちなはれ。お前はまだ先が長いから、これからどんな楽しいことでもあるじゃろ。けどなあ、父さんはお前とは違うて先が短いで、『こうしてくれい』と申されたら、どんなことでもかなえてあげるのが親孝行というものじゃで」 直に言われると、久はなぜか言葉が返せぬ。けれど心の中で「そんならなんで母さんは、父さんに芝居に連れて行ってもろてないんや」と呟くのであった。
 明治十二(一八七九)年は自由民権運動が本格的な展開を見せ、翌十三年にかけて大小の政治結社が全国的に結成された。直の懸命の働きにもかかわらず、出口家は先の見通しはおろか、その日の暮らしにすら行き詰まっていた。長男竹蔵は十六歳になっていたが、あい変わらず人がいいばかりで気力の乏しい子だ。やがて竹蔵に家を継がせて大工にさせようと気をつかうが、一向に覚える気はない。二番弟子の興村の吉蔵が「竹蔵はんを一人前の大工にしたい」と言ってくれ、渡りに舟と政五郎は竹蔵を預けたが、竹蔵は半年もたたず逃げ帰ってきた。「興村は飯がもむない(まずい)でかなわん。とてもやないが身がもたん」と竹蔵は泣きべそをかく。それでも無理にやろうとすると、仮病を使って拒絶する。政五郎と直は吐息し、せっかくの吉蔵の好意もしばらく見合わすほかはないとあきらめた。 そうなると今日食うためには口減らしのほかはない。政五郎は実家の兄、岡村の四方治兵衛家に十二歳の久を奉公に出し、久のしていた饅頭の行商は八歳の清吉に代わらせた。 十月九日、四方治兵衛の長男松之助が久を迎えにきた。その留守中、松之助の次男庄太郎が生まれていた。久はこの赤ん坊とすぐ上の二歳の順太郎の守りをしながら、草刈り・農事・牛飼いなどにこき使われる。 岡に来た翌日、久は上安場の四方家の親戚に赤ん坊の出産報告に行くことを命じられた。 岡から山中の上安場まで二里ほどあり、久は方角さえ知らぬ。松之助は道順を教えてくれた。「この上にあがると山裾に道がある。その道を山伝いに行ったら小こい村があって、その向こうに峠があって、それを越すとまた村があって、その先に安場というまた村があって、またもう一つ、榧ノ木峠(約百十五米)という大きな峠がある。それを越えた藤谷がなかなか淋しい所じゃで、一人では心細かろ。そうや、この順太郎を背負うてったらよい。少しは気がまぎれるわな」 親切ごかしに、松之助は久の小さな背に順太郎を背おわせる。 やっとの思いで榧の木峠を越し、俗称・藤谷という峡谷にさしかかる。細い道の片側は険しい山の欝森、片側は深い谷川の水がもの凄い音を立てている。暗い空を見上げると、大蛇が口をあけて呑みこみそうな錯覚に襲われる。背の順太郎がむずかるのへ、久は言葉が通ぜぬ相手と知りつつ言い聞かす。「坊や、ちょこっと淋しいけど、姉ちゃんがついとるさかい、怖いことあらへんで」 藤谷を通り抜けると深い蒼々とした池があり、四十羽ほどの鴛鴦が浮いたり沈んだりして群れ遊んでいた。久はしばらく眺めているうち、急に切なさがこみ上げる。「鳥かってお池をわれの家にしてお父さんやお母さんと仲よう遊んどるのに、わたしは重い赤ん坊を背おわされ、こんな淋しい山道をとぼとぼ歩かなならん」 ふと見ると、道のそばに大岩が乗り出すようにかかっており、その上に七十歳ぐらいのお爺さんが長い錫杖を持って立っていた。権現さんで神さまを見た体験のある久はさして不思議とも思わず、ぺこりと頭を下げ、何となく力づけられて歩き出した。 少し行くと左側の道の脇に御幣さんという村社(生野神社。祭神は天鈿女命)があった。久がお参りすると、社殿の中にきれいな姫神さまが鎮座しておられるのが拝めた。久の行く方向をいつまでも見送って下さるような気がして、いっそう力づけられた。 無事に岡の里まで帰り着いた。今まで綾部しか知らぬ久は何か大役を果たした気になり、この誇らしい気持ちを母に伝えたかった。綾部の方角の巽(南東)の空を眺めやる。暮れなずむ山の上の空に美しい女神の寝姿がぽっかりと浮かんだ。
 松之助の嫁はつましい人で、倉には米・味噌がいっぱい詰まっているのに、食事は三度とも大根飯であった。掌に一握りの米を釜に入れ、あとは大根をどっさり刻んでほうりこむ。焚き上がりは八分が大根で、腹一杯つめこんでもすぐに空腹になった。家の前に桑畑があって、その桑の間に大根がぎっしり植えられていた。大根だけは豊富であった。 この嫁はんのたらし(おやつ)のくれ方も独特であった。久は初めての日からそれを経験させられた。久と順太郎を並べておき、空豆を盛った丼の中に手を入れて大きく握り、こぶしの外になお三粒ばかりはみ出させておいて、「ほうら、お久や、両手をお出し」と、やさしく言う。いそいそと両手をさし出すと、「さ、たらしを持って、あっちで喧嘩せんと食べるのやで」と子らをうながす。久の両手に落ちたのは、なんと、こぶしからはみ出ていた三粒だけで、大きく握った嫁はんのこぶしの中は、空だったのである。順太郎の小さな手でこぼれそうに握ったたくさんの空豆をうらめしげに見ながら、久は頭を下げ、両手をふくらませて下がっていく。 万事がこの調子なのであった。それでいて人をそらさず、嫁はんは、「お久や、お久」と、猫撫で声で上手に追いつかう。
 明治十三(一八八〇)年四月十二日、十番目の子、四女龍が生まれた。 同じ頃、大槻鹿蔵・米の間にひそかな相談がまとまっていた。大槻夫婦には五年たっても子ができなかったので、子沢山で貧乏な出口家から養子をもらおうというのである。鹿蔵は、三男の伝吉をどうでも子にほしいと政五郎に頼み込んだ。長女米と伝吉とは二十も年が違うから、姉弟でも養子にしておかしくはなかった。 政五郎はあっさり承知し、産褥中の妻に告げた。直は顔色を変えたが、生まれたばかりの赤子をかかえては、強くこばむことはできなかった。まだ四歳の伝吉はいったん捨子の形をとって道端におかれ、それを鹿蔵と米が北西町へ連れ帰った。綾部地方の風習に従ったのである。
 明治十四(一八八一)年正月早々、暗い事件の噂が流れた。 出口家にほど近く、本宮町に住む旧綾部藩士安楽島盛春が娘に学校を休ませ、土蔵にこもると、家伝の短刀で娘の胸をさき、かえす刀で自分も割腹し果てたのである。四十六歳の若さだ。 当時の新聞には、次のように報道され、職のない旧士族の貧窮ぶりを嘆いている。 ――安楽島は、旧藩時代は軍務総裁から奉行役をつとめ、維新とともに権大参事とまでなった男である。それが廃藩後は金録を食いつぶし、習いおぼえの写真術で老父母と娘を養ってきた。だがこの頃の写真は、「一回写せば元気を損じ、二回写せば命を縮む」といわれた頃よりいくらか普及はしたが、それでもこの田舎町にたいした客のあるわけがなく、生活はますます逼迫する。先年はやむなく妻を離別したが借金はふえるばかり。債鬼に責め立てられての厭世自殺であった――。 だがうわべはその通りでも、安楽島の自殺の原因には鈿にからみつく藻のようにどうにもならぬ武士の業がこびりついていたのだ。 安楽島の近所に百姓家があり庭に小豆を干していたが、それがいつの間にか減っていた。その夕、安楽島の幼い娘が、「うち、今日は赤い飯たべたで」と、嬉しげに友だちにしゃべっていたのを百姓家の者が聞き、翌朝には、小豆盗人の犯人が安楽島であったという噂が本人の耳まで届いた。安楽島は娘の胸を裂き胃の腑をひろげて、おのが潔白を証明しようとしたのだ。刀を廃し、髷を捨てても、なまじ元武士の意気地が残っていたばかりに……。 娘の胃の中にあったものは、コーリャンであった。本物の小豆の入った赤飯を食べたこともないこの娘は、粥ばかりの暮らしの中でたまさかの薄赤いコーリャンを喜び、赤い飯と思いこみ、友に吹聴せずにはおれなかったのであろう。 直は安楽島と親しいわけではなかったが、身につまされて涙なくして聞くことはできなかった。なぜ貧乏人が貧乏人をいじめねばならぬのかといきどおろしくもあった。 直は近所で起きたこの不幸な出来事に涙流しつつ、現に今、自分の身に振りかかっている心配事に胸ふさがる思いであった。福知山の直の兄桐村清兵衛の家へ奉公していた次女琴が、長女米の嫁ぐ大槻家にそっと荷物を預けて家出したまま、行方知れずになったのである。いかに探しに行きたくても、幼な子を抱えたその日暮らしの直では、ただ神仏にすがって、胸を鋭くえぐる悲しみに耐えるほかはなかった。 琴がまだおみとと称した幼い頃から、政五郎は特に琴を偏愛していた。他の兄妹にはない琴の天邪鬼な性格が男親には逆に手ごたえがあるらしく、政五郎は幼いうちから、よくからかっては楽しんだ。琴は十一歳から親元を離れて福知山の叔父桐村清兵衛の漆屋に今年まで奉公していたが、ひがみっぽい性格が矯められることはなかった。琴は二十歳、小麦色の肌のひきしまった勝気で魅力的な娘に成長していた。 米は琴の家出を直に報告し、うろたえる直を小気味よげに眺めながら告げたものである。「お琴は死ぬほど福知山の田舎暮らしがいやになってましたんや。そら若い娘やし、都の風にも憧れますわな。と言うよりも、その日暮らしのみみっちい出口家から一歩でも遠ざかりたかったんでっしゃろ。鹿蔵も大賛成で、家出に餞別までくれてやっちゃったで」
 明治十四(一八八一)年三月に馬場の木造草葺きの芝居小屋が改造され、「長楽舎」というやや整った芝居小屋が完成し、月一、二回は興行されることになった。ともかく屋根と板囲いのある小屋ができたのだから、政五郎の喜びようは有頂天といってよかった。しかしそれだけ仕事の時間が奪われることでもあった。 この年も終わろうとする頃、ほぼ一年ぶりで琴が男を連れて綾部に帰ってきた。琴は誇らしげにこの十月に結婚した旨を告げ、夫である栗山庄三郎を紹介した。庄三郎は亀岡に近い王子村の良家の息子であったが、色白ののっぺりした長顔に善良そうな瞳がまたたいていた。勝気な琴となら良い取り合わせであろうと、直は愁眉をひらき、婿殿の歓待に心を尽くすのであった。 翌十五年春、今まで何かと理屈をつけては大工仕事をいやがっていた竹蔵がようやく家業を継ぐ決心をして、輿村の吉蔵の元へ再び弟子入りした。もう十九になっていた。その後の吉蔵からの便りでは、竹蔵もなんとか修業してくれているらしい。もともと気力の薄い子だから高望みはしないが、せめて自分の口を養うぐらいには成長してほしいと直は祈る思いであった。
 明治十六(一八八三)年二月三日(旧十二月二十六日)、節分である。綾部は昨夜からひどい雪。梅のつぼみはまだ固い。 清吉・龍の二人の子を宵のうちから寝かしつけ、直は八畳間で今朝生まれたばかりの赤ん坊に添い寝していた。 ふだんの夜なら、背に四歳の龍をおぶり、四升ばかりの米を石臼で粉にひいている時刻である。小豆を煮て練った米粉でくるむ。翌朝蒸して店にならべたり、清吉に売り歩かせるための準備なのだ。その後は夫や子の着物のつくろい、糸つむぎなどで、寝るのはいつも深夜である。 だが出産して半日ばかりの身では、心あせっても重い石臼ひきはむり。後腹のひきつるような痛みも強かった。 昨夜は何かしら予感があった。出産予定日にはまだ三月も間があるのに、直は気ぜわしく古い浴衣をといて、おむつを作った。ふと夜半に目ざめると、壁の破れ目から吹きこむ雪が部屋の隅に一寸も白く積もっていた。 夫政五郎は昨日の朝から福知山へ芝居見物に出かけて、いまだに帰らぬ。珍しいことではない。でもこの大雪にさぞ難渋してなさろと思うと、目がさえてしまい寝つかれぬ。そのまま起き直って寝衣を正し、神床に向かった。しんと冷たい。かすかに腹が痛み、やがて遠のいた。また腹痛がきた。繰り返す。間隔がだんだん近い。そんなはずはない、まだ早い……。 そう打ち消してみても、体験が知っている。直はかまどに枯松葉をくべて湯をわかすと清吉を起こし、雪の降りしきる中を取り上げ婆さんの家まで走らせた。 一番鶏が鳴いた。「七月児やな。七月児は育つというけど、大事にせなあきまへんで。そやけど、お直はんが妊娠しとっちゃったん、ちっとも知りまへなんだわな」と取り上げ婆さんが言った。 それはそうだろう、妊娠のことは近所にも知らせていない。腹帯をきつく締めていたから、ちょっと見には分からなかった。結婚して二十八年、政五郎五十六歳、直四十七歳で産んだ十一人目の子……恥ずかしかったのだ。 王子に嫁入って一子をあげながら産後まもなくその嬰児をなくした次女琴が、つい先だって久しぶりに訪れてくれた。直が「恥ずかしいことやなあ、またできてしもうて……お前の子と代わればよかったのに……」と口ごもりながら打ち明けると、「母さん、ま、ま、ま、まあ……」と琴はあきれたような声を出し、あとは身をよじって笑いころげた。琴は他人の神経にさわることを平気でいう娘だが、実の娘でさえこれでは、世間はさぞ物笑いの種にしよう。 結婚生活の大半は腹に子を宿し、両の乳房に乳飲み子をすがらせ、背に幼な子を縛りつけていた。そして今、十一人目の子の誕生。「貧乏人の子沢山というけれど、ほんまによう産んだなあ」 直は我ながらあきれて苦笑した。 三人の子を死なせ、八人の子を育てる。育てる能力もないくせに、つぎつぎと子を産む。子に対してすまないと心で詫びているが、宿る者はどうしようもない。 子おろし(堕胎)をすすめてくれる人もあったが、直はとりあったことはない。直を減児にしようとしたことで、母の心がどれほど罪の意識に傷ついたか知っている。子は神からの授かりものであり、自分勝手に処置するのは恐ろしい罪業であるといった根深い信仰が、直の胸に育っていた。また生まれてみれば子の可愛さはひとしおであった。 直は枯れた枝に皮をかぶせたような赤ん坊のちっちゃな両足を持ち上げ、おむつを代え終わる。「もったいないが、もう休ませてもらいましょう」と、この頃くせになった一人言をつぶやき、古箪笥の把っ手をつかんでやっと身を起こした。井戸端で手を洗い、口をすすぎ、八畳の間の神床のお軸と仏さま、御霊さまに白湯を献じ、燈明を上げた。すべての妄念をはらい、無我の境に没入できる一時である。「天照皇大神さま、日天さま、月天さま、うれし権現さま、七社大明神さま、日本国中の神々さま、御眷属さま……」 赤ん坊の生まれたことを感謝し、子らの幸福を祈って長々と合掌する背に、さっと冷たい風が吹きつけた。 夫の帰宅を敏感に知ると、直は張りつめた体の芯がゆるむ心地がした。赤児の生まれた今宵、夫の不在のわびしさが身にしみていたのだ。「おナや、ほいさ」 政五郎は、ふり返った直に土産の串柿の束をポイと投げた。「おおきに……」 直は礼を言いながら、せめてこの串柿が行燈の油ならばと思った。最後の油は出産の時に使いきっていたのだ。直は二本の肥松をくどにくべ土瓶をかけると、火吹き竹で吹いた。松脂に火がつき、急に土間を照らした。 政五郎は水瓶から柄杓で水をくむと音高くうがいし、前に垂れ下がったふんどしの端を引き上げ、猫背になって顔をつるりと撫でた。横顔に小鬢の白髪がひときわ目立った。 直は神床に献じた白湯を下げ、黙って戸外に立った。氷柱が軒から林のようにぶら下がっている。道の両側にかき分けた雪の山、人の通るだけの細い道に、夫の乱れた足跡がしるされている。「さあ、餓鬼に進ぜましょう、たんと飲んでくだされよ」 家の前を流れる細い小川に白湯をゆっくりとそそぐ。欠かしたことのない習慣だった。「まだ児の生まれたん、気がついてなさらん」 直はおかしくなって、くすんと笑った。 まるく積もった老松の梢の雪がわずかの風にもくずれて、直の肩にふりかかる。ほのかに甘いかおりが流れた。直は目をみはった。雪あかりの中で、梅がその楚の先にただ一輪の白い花をのせ、直に向かってつつましげに手を差しのべていた。 ――ようまあ……この雪の中を……。 ふと身内に感動が走った。長いあいだ忘れていた不思議な世界が、山中で小鳥と話し、草木の囁きに聞き入った童女の頃の思い出が、一時、直を包んだ。 梅は白く光りながらすきとおって、嬰児の姿に重なっていく。月足らずで貧苦のさ中に生まれ落ちた赤児と、酷寒に耐えて開いたさきがけの一輪の白梅―― 直は、何かそこに言いがたい絆を見ずにはおれなかった。「今晩は」 ふいに声がした。辻村藤兵衛だった。直の頬がこわばった。「おってかいな」 藤兵衛が親指を出してみせ、直がうなずくと、勢いこんで表戸を開けた。敷居で雪沓の雪泥をとんとん叩き落としている。「おう、藤兵衛はんか、よう来てくれちゃった。外は寒いさかい、早う入りい」と政五郎の陽気な声が外まで聞こえた。 ――阿呆らし、あない苦しめられたのに、まだ借金取りを喜んで迎えとってや。 今さらながら直はあきれた。思えば、辻村家との悪縁は長い。藤兵衛の父藤右衛門が仲人であることを除けば、後は彼ら親子から高い金利の金に追いまくられた苦い記憶ばかりである。 政五郎と藤右衛門が顔つき合わせ何かひそひそ話しているかと思うと、必ず二、三日後には、田や畑が人手に渡っていたものだ。明治二年に藤右衛門が隠居し、藤兵衛が戸主になると、息子は親父に負けぬがめつさを発揮した。正月元旦、五十銭の借金をとりに、藤兵衛がやって来たこともあった。よりによってこんな日にこいでもとさすがに悔しくて、涙が出たものだった。 隠居の藤右衛門は七十九歳、もうすっかり耄碌して大小便は垂れ流しとか。当主の藤兵衛は四十三歳、女房ゆかは三十七歳。ゆかは天田郡大原村の産、別嬪さんで「京や大阪にない女房があるは大原の坂の下」と唄われたという。五男一女の子沢山。長男馬之助は十七歳、母親似の美男子だが、親に隠れて忍び遊び、祖父の代から人を泣かせ爪に灯をともして蓄えた辻村の財産も孫が蕩尽するのじゃないかという噂がしきりだ。 土間に入ると、政五郎と藤兵衛が上がり框に腰かけ、小さな手あぶりをはさんで喋っていた。「御隠居はんをひっさ見んけど、ご丈夫さんだしたかい」 藤兵衛は政五郎に愛想よく迎えられて、親父生きうつしの顔に戸惑いをみせて答えた。「へえ、おっきに。まだやっとこさっとこ生きとるわな」「そうけ。せんどあの憎たらしい声きかんと、なんじゃしらん淋してかなんわいな。まあ、あんたも親以上やが……」「ほんなら、覚えてくれとってんじゃな。今日は、借金なしてもらう約束の日やちゅうこと……」「ほんに、そうやったかいなあ。それはまあ、どうでもよいが、福知にかかっとる芝居おもしろかったでよ。猪之助がのう、妹背山の女房になって……」「ごまかしてもあかん。芝居の話やったら、まず金を返してもろうてからや。ゆっくり聞いちゃるわな。わしは銭のかかる芝居などもったいのうて観たことないけど、政はんの身ぶり手ぶり口上つきの芝居の話はほんまにおもろい。後で茶などよばれながらゆっくり聞かしてもらうが、それはこっちゃへ置いといて、今日はどうでも取り立てる気で、大雪承知でのこのこ来たんや。さ、返して」「そうぽんぽん言うない。この雪はわしが降らしたわけやないが、ともかく御苦労はん。けど金はござへんで。あと三日したらおいで」  また!……と、直は、悲しかった。政五郎は、返すあてのない約束をしゃあしゃあとしてのける癖があった。いつだったか鋸屋が掛け取りに来た時も、「あと三日したらおいで」と政五郎は気軽に言った。ばか正直な直は、むだ足を踏ませることが気の毒でならず、後を追って、「うちの人はあない言いますけど、三日後にはとてもできそうにありまへんで。遠い所をたびたび足を運ばせてはすまんさかい、どうか晦日に来とくなはれ」と頼むと、鋸屋は激怒した。「旦那はんが三日後に払うちゅうてくれとってやのに、あんたが陰から払わそまいとしとってんやな。根性悪なお人じゃ」 だが政五郎だって嘘をついている気はない。政五郎にとっての三日後は、三時間後でも、三年後でも、あるいは三十年後でも同じことなのだ。つまり《金のある時》と同義語なのである。金さえあれば、出し惜しみするような男ではなかった。 長期戦を覚悟で藤兵衛は煙管をくわえ、ちらりと切り札を出してみせる。「どうや政はん、金がないなら、抵当にとったるこの家、いよいよ明け渡してもらおか」「えげつない言いようや。お前もご隠居はんによう似て、大工の腕はしょうむないが、取り立てだけはどいらいもんじゃ」「おおきなお世話じゃ。さ、早う返してんか」「そんなむつけな顔すないやあ。わしら夫婦が身ぐるみはがれて子供の手を引いて、綾部の家々を軒なみ三味線片手に流して歩いちゃろか。鬼の藤右衛門・藤兵衛親子が仏の政五郎一家を裸にする段、トッチリシャン、トテチンチン……あたぶさいがわるい(恰好わるい)でえ」 政五郎はにやにや笑って、まるで借金の言い訳を楽しんでいるように屈託がない。藤兵衛の太い眉がぴくりと動き、煙管が手あぶりのふちで高くなった。「これ、よいかげんな物を、ほんのちょっとだすけどお上がりなしておくれなはれ」 直が炒り豆を皿に薄く盛り、甘酒とともに盆に入れて出した。政五郎のために作っておいたものだ。「あ、そう言えば、おおとし(節分)のよんべかいな。もうちっと早うこの豆を撒いとったら、鬼の藤兵衛はんも家には入ってこなんだじゃろに……」 政五郎は豆を口に投げこみ、気持ちよい音をたててかんだ。 藤兵衛は慣れっこになった政五郎の軽口など相手にせず、湯ばかりのように薄い甘酒の椀を両掌に持ってフーッと吹いた。若い頃、ずいぶん政五郎から酒をおごられたものだ。今夜は水っぽい甘酒かと思うと、多少の感慨がなくもない。だが来たからには、親父や女房の手前も手ぶらでは帰れぬ。「辻村はん、頼むさかい三月ばかり待っとくれなはれ。今朝、児が生まれたとことこやで、それで何かと物入りでして……」と直は、たまりかねて口をはさんだ。「へ、なんやて? 何が生まれたと?……」 直を見返った政五郎がすっ頓狂な声を上げた。「ヒャー、ほんまに腹がぺったんこやわな」 藤兵衛も驚いて直を見た。気のせいか面やつれがひどい。政五郎のようなド甲斐性なしにつくす直を内心阿呆な女と思いながら、なぜか藤兵衛にはその生真面目さが苦手だった。「五十坂越えて子をこさえるとは、達者なもんじゃ」 いまいましげに舌うちし、藤兵衛はあきらめて腰を上げた。「近いうちにまた来るさかい、それまでにつもりしときなよ」「あれ、もう去なんすか。遠慮せんと、ゆっくりしていきないな」 と政五郎は話相手ほしさに、まだ暢気なことを言っていた。直は商売物の饅頭を手早く包んで辻村に持たせ、表戸を閉めると、目まいを感じてしばらくしゃがみこんだ。すうっと血が下りるのが分かった。 やっとのことで部屋に戻る。政五郎は腹ばいになり、豆をかじりながら、奥の間から蒲団ごと引っぱってきた赤ん坊を肥松のあかりに照らしてのぞきこんでいた。「どえらいちっちゃな児やなあ。掌の上に乗りそうやでよ」「へえ、なんせ七月児ですさかい」「せっかちな子や。何をあわてて、三月も早う娑婆になど飛び出したんじゃいな」「この子は産声を一度あげたきり、半日以上もたつのに、ちっとも泣きまへんのや。育ちますやろか」 直の脳裡には、米を産んでから続いて三人も次々と早世させた悲しい記憶がよみがえっていた。「さあ、なんせ運のもんやでなあ」と、政五郎は無責任な返事をし、ごろっと仰向けに寝返った。両手の指を頭の下に組み、天井の破れ目から溶け落ちる雪水をぼんやり眺めていた。水は桶で受けているが、かなり溜まった音である。 直は夫の体に薄い蒲団を着せかけてやった。「わしは阿呆げたことばかりして暮らしたけど、子だけはようこさえた。これが種馬なら、たいしたもんや。それでも……ろくに飯も食わせられんようでは、あまり威張れんなあ」 政五郎には珍しい湿った言葉だった。「いつか芽が出ると思うてうかうか生きて来たが、人間、そのうちそのうちと思うとるうちが花や。もうあかんかいなとひょっと思うたら、なんやせつのうてかなんわいな」 政五郎の述懐を聞くうち、直はなぜか初恋の林助を思っていた。思い出せば、きまってどこか心の深いところがきりっと痛む。 林助は直の結婚後、入婿して中村筈巻の大島儀右衛門の名を継いだが、子種がないという噂であった。もし林助と結婚していればこんな所帯の苦労もすまいが、しかし子の可愛さも知らずに一生を終えねばならなかったろう。代々、子宝に恵まれぬ出口家に来て、ともかく血肉をわけて八人の子をなした――。自分の代で出口の家が栄えずとも、八人の子の誰かが家を興してくれよう。これで良かったのだ。「わしもぼつぼつ隠居して竹蔵に相続させちゃるか。そうしたら、竹蔵もちっとはしゃんとするやろ」と、政五郎は、思いがけぬことを言いだした。名人といわれた父と仕事場に出かけても、下働きに満足して、せっかくの父の技術を吸収しようともせぬ竹蔵である。興村に預けてはいるものの、のんき者政五郎も、彼なりに気にかかっているのだろう。「そうですなあ」と、直は受け流し、気を変えていった。「さ、この児に、良い名前つけとくれなされな」「ふーん、政吉ではどうやな」「あんた、女子ですで」「なんちゅうこっちゃ、鉄砲(男の子)ではないのかい。また刀きず(女の子)かいの。ほな……スミにしとき」「スミ……良い名ですなあ。身も心も澄むようにと……」「それもあるけど、子をこさえるのはこれですみ、ちゅう洒落やでよ、ははは……」 その笑いが空虚にひびいた。「祝盃といきたいけど、酒はないかいな」 直は、つらそうに首を横にふった。酒より米櫃が空であった。じゃがいもは数個残っている。明朝はそれですますとして、早速に米を工面せねば米粉は作れず、商売にもならぬ。 わが身より、この澄の乳のために食わねばならぬ。常にも増して働かねばならぬ。力のない体を横たえながら、この疲労が一夜で回復することを祈る思いで、直は眼をとじた。まぶたの裏に、先ほどみた白雪の中の一輪の梅が鮮麗に浮かび上がった。
 七月児で生まれた澄は、産声を上げたきり生まれて三日間一声も泣かず、直を心配させた。五十に近い年の出産と過労、栄養不足のために直の乳の出は細かった。政五郎の一番弟子四方安兵衛は岡村で大工棟梁になっていたが、その妻やすが最近、死産した。直は毎日、岡村の四方家に貰い乳に通った。その近所には政五郎の実家四方治兵衛家があり、時おりはそこに奉公している久の様子もかいま見ることができた。そのほかにも直は、野菜の汁をしぼったり米の粉を練ったりして澄に与えるが、一年たっても澄の体重ははかばかしく増えなかった。
 澄が生まれて間もなくの三月八日、政五郎は隠居し、家督を長男竹蔵に譲った。

表題:戸閉め 3巻9章戸閉め



 明治十六(一八八三)年八月十六日、三女久は四年間つとめた岡の伯父の家を離れ、懇望されて父の姉の婚家先に養女に行った。 政五郎と米姉につきそわれて船井郡須知町に着いた久は、想像以上に贅沢な伯母の家の暮らしに驚かされた。伯母には一人息子がいて、十六歳の久よりはかなり年上にみえた。ほかに男衆や女中もおり、昨日までは久自身がしていた家事労働のいっさいをしている。 米姉と一緒に早い内風呂に入って茶の間に戻ってくると、政五郎は晩酌の酔いにご機嫌でいつもの軽口を連発し、居合わせた人たちを笑わせていた。久もその団欒に加わる。しばらくすると、「お嬢はん、寝床とれましたで」と手をつかえて、奉公人が言った。伯母が立ってきて廊下伝いに久を案内する。奥の寝間には色鮮やかな夜具が二つ並べて敷いてある。「もうここはお前の家やさかいちっとも遠慮はいらんのや。ゆっくりお休み……」と言って、伯母は去った。 絹夜具に体をすべりこませた。久は岡での暮らしとのあまりの差に、狐に化かされているのではないかと思った。 ――なんという違いであろう。 久は夕食に腹いっぱいつめこんだばらずしの味を思い返し、もう一度手をのばして、頼りないぐらい軽い絹蒲団の手ざわりを楽しんだ。この時まで、横の蒲団には米姉がくるものとばかり思っていた。と、廊下に足音がして、すうっと襖が開いた。久は米姉が入ってきたと思った。行燈の灯はほの暗かったし、入口に背を向けていたので、とっさには間違いに気づかなかった。「姉さん、ものすごい家やなあ」と話しかけて、久はぞっとした。寝巻きのまま枕元にうずくまっているのは見知らぬ男――いや、今日はじめて会ったこの家の一人息子ではないか。あやうく声を立てそうになって、久は頭から蒲団をかぶった。それから、こう思い直した。 ――私は養女になったんや。それやで、あの人はわたしの兄さんじゃ。兄さんやから、ここに寝とっちゃっても別に不思議はないわけや。 そう納得して蒲団から顔を出し、「兄さん――」と呼びかけてみようとした。しかしためらうものがあった。隣の蒲団の中では、兄さんはやはり息を殺してじっとしていた。 そのことさえ気にしなければ夢のような日々であった。父や姉がのんびり構えていて綾部に帰る気配がないのも、別になんとも思わなかった。うかうかと四、五日が過ぎて行った。 その日は早朝から妙に家の中が浮き立つような気配であった。政五郎は朝酒に調子づいて小唄をうなっていたし、米は甲斐甲斐しく近所の女衆を指図して、倉から忙しげに膳やら食器やらを選び出していた。朝食が終わって、久は何気なく伯母に聞いた。「お義母さん、何かお祝いごとでもあるんじゃろうか。わたしも手伝いますで」「よいよい、だんないで。お久はんは髪でも洗うてきれいにやつしといてや。昼すぎにはお米はんに髪結うてもらわんなんさかい……」「なんでわたしだけ……」「お前がこの家の子になる祝言じゃもの……」「なんじゃいな、ちっとも知りまへなんだわな」「それになあ、お前がお嫁さんになるお披露の日やわな」「……」 驚きのあまり、言葉も出ぬ。久はまじまじと伯母をみつめた。 伯母は甘い声で言い足した。「わしの息子の嫁になってもらうのや。きれいな着物も金欄緞子の帯もあるで。お前は色白やさかい、さぞ愛らしゅううつるじゃろ」「どうじゃ、嬉しかろう。三国一の花婿どのじゃで」と政五郎が久の肩をとんと叩き、めでためでたの若松さまよ……と、妙な手ぶりをしてみせた。久はぱっと赤くなり、その赤味が薄れると、今度は蒼ざめていった。初めからこの家の息子の嫁にする魂胆であったのだ。久を眺める息子の目つきのねばっこさに思いあたり、身ぶるいした。 ――だましたのだ、大人たちが寄ってたかって養女だなどと……。 当時としては、女の人格を無視したこういう縁組はとりたてて珍しいことではなかった。だが勝気な久には、どうにも我慢ならなかった。黙って部屋に戻り、さっさと自分の持ってきた荷物をまとめた。事態は刻々と進んでいた。今さら否やをいったとてどうなろう。銘仙の着物をぬいで、ここへ来た時の木綿に着がえた。 ――父さんや姉さんはわたしが逃げ出したと分かったら、うろたえるやろ。人をちょうさいぼ(なぶり者)にした罰や。 未練はなかった。 その日の夜、直は、落ち着けなかった。澄を背負って石臼をひきながら、娘の婚礼にもついて行ってやれぬ腑甲斐ない母親を久は恨んでいようと思うと、気が重かった。米の時も、琴の時も、直は母として、それらしい事を何一つしてやれなかったのだ。ほっと深く吐息した時、がらりと表戸があいて入ってきたのは、婚礼の席にいるはずの久であった。久は母をみるなり、ぷうっと頬をふくらませて、横を向いた。直はおろおろして、「いかなまあ、どうしちゃったん? 今夜は大事な……」「母さんまで、わたしに何も知らさんとだましちゃったんじゃな。わたし、もう子供やないで。婿はんとるならとるとちゃんと承知させてからにしてほしい。それなのに今朝になって……今朝になって……」 久は声をつまらせ、わあっと泣きじゃくった。くやし泣きであった。泣きおさまるまで、直は膝に手をそろえて待っていた。「父さんにおまかせしたのじゃが……よかれと思うてしなさったことじゃろうに、仇になった……。こらえておくれ」 久は泣きやむと、激しく言いきった。「母さん、わたし、自分の婿はんは自分で決めるさかいな。もう岡にも、須知にも行かへんで」「今頃はさぞ須知ではうろたえとってじゃろ、花嫁御寮に逃げられてはなあ」「勝手に困っちゃったらよろしいがな」「しかたない。わたしから、ようお詫びします」「なんで詫びんなりまへん。約束を違えたのは大人の方だすやないか」 直は、娘の抵抗をもてあまして苦笑した。「それでもお久や、お前は合点のゆかぬことは、蕪から菜種になりて灯がとぼるとこまで根問い葉問いせねば気がすまぬ質じゃ。ちゃんと筋道さえ通しておけばしっかりした頼りになるお前じゃが、一つ間違うたらこわい子じゃ」 それにしても須知へは顔向けならぬと直は、事の重大さに血が引く思いだった。
 明治十七年の初め、組頭の四方家では、藤助の初孫文が誕生した。 四方家は明治十年三月五日に藤助が隠居し、長男源之助が十九歳で後を継いでいる。源之助は二十一歳で戸長になったこともあり、町の有力者であった。源之助の妻三津恵は大柄な女で、五斗俵を持ち上げる力があったという。 二十五歳の健康な母体からほとばしる母乳は文一人では飲み尽くせぬほど豊かだった。そればかりか、あふれ出る乳の始末に困って茶碗にあけて捨てねばならなかった。三津恵はその広いゆったりした膝に澄を抱き上げ、生まれて間もないわが子の文と共に、二つの乳房を惜しみなく与えた。今までの不足を取り戻そうとするように、澄の飲みっぷりは激しかった。両手を突っぱってどっちの乳房も独占しようとする澄に時に押しのけられ、文が泣き出す。「こらこら……」と三津恵は澄を叱りながら苦笑する。直は涙が出るほど嬉しかった。 昼と夜と、直は澄を抱いて近所の四方家へ通った。もう遠くの岡村まで通わなくてよくなった。こうして澄は小さいながら健やかに育って行った。
   宇治は茶どころ茶は宇治どころ 娘やりたや婿ほしや   茶摘みすりゃこそ他国の人と お膝並べてつれ節で   大和山城河内に丹波 知らぬお方のお茶の縁 その宇治より北に十キロ、銘酒伏見酒で名高い伏見も、当時はまだ宇治に準じた茶どころであった。 なだらかな丘陵にどこまでも続く茶畑、そのこんもり丸い若みどりの木々の間に紺の着物に手甲脚絆、あかねだすきに菅の笠の茶摘み女が点在する。明治十七年、風かおる五月初旬、歌そのままの、のどかな楽しい情景である。 この茶摘み女の群の中に十七歳の久がいた。「茶摘みに出えへんか、よい銭になるで」と誘ってくれたのは、すでに茶摘みの出稼ぎを何度も経験している岡の四方松子である。須知から逃げ帰って母の膝元で年を越した久は、ちょっとでも家計の助けになればと喜んで同意した。 五月の初め、二十八人の仲間とともに綾部を発ち、その夜は園部の石川屋に宿泊した。久が宿に泊まるのはこの時が初めてであったから、まるで伊勢詣でに旅立つようにはしゃいでいた。 二日目は伏見の大亀谷に着き一泊、翌朝まだ明けやらぬころ、仕事始めの前に、引率者は久たちに言い渡した。「よいかえ、ここには初めて茶摘みに来た人もえっとおってじゃさかい、その人たちのために言うておく。茶摘みはめっぽうしんきい(しんきくさい)仕事じゃ。よそ見せんと一生懸命摘まんことには、一貫目の茶は昼までには摘めん。はなはとても我の食べるだけがやっとで、なんどこじゃないで。この大亀谷で一山すんで、次の笠取に移る時に銭がもらえいでも、必ずぴいぴこ不足いうやないでよ」 他の新参者がうつむいて神妙に聞いているのに、久は立ち上がって憤然と問い返した。「それではわたしら新入りは、銭いただかずに仕事だけするのでござすかいな」「いやいや、もらえることはもらえるばい。ただ摘んだ目方だけより銭もらえん規則じゃさかい、慣れぬうちは仕事がはかどらんと入る銭より食う銭が多い。つまり算用したら出銭が勝つのじゃ。慣れたら一日四貫目も摘んで、ぬしがでに(一人でに)結構な銭のこすわな」「言うたら働き次第でござすかいな。それならよう分かりました」 久は自信に満ちてうなずいた。根気仕事なら人に負けぬ。うんと銭ためて母さんをびっくりさせちゃろと思うのだった。しかし久の自信はその日のうちに怪しくなった。楽しげに見える茶摘みも、やってみれば以外に苦しく、むずかしいのだ。良い芽を素早く選んで、下から上へと摘みとっていくには、慣れが何より必要であった。 目をみはり、指先に力をこめてがんばればがんばるだけ、疲労も早い。生一本な久は教えられた通りに歌一つうたわず、むだ口一つきかずに丹念に摘んでいくのに、先輩は要領よく摘みよい芽だけこぎとって先へ先へと進んでしまう。日暮れまでには身も心もくたくたであった。 摘んだ葉を検査し、秤にかけて、係の男は冷たくいった。「なんちゅうこっちゃい、食いぶちだけの稼ぎもでけとらんわい。手粘ばなやっちゃ」 久は唇をかみ引き下がると、あてがわれた冷たい丼飯をかさかさと食べた。箸を持った人さし指の横腹が、茶のあくに染まって真っ黒であった。 雑魚寝のふとんに疲れきった腰をのばして、久はすぐに寝入った。やがて重苦しい気配に目ざめ、胸に乗っていた他人の手をはらいのけた。歯ぎしりする者、寝言いう者、寝返りうつ者、せま苦しい室内に重なるように幾人かの女が寝ている。 と、手はまた胸元にのびてきた。久は身をすくめた。その手があきらかに意志をこめて、久の肌にもぐってくる。そっと首をまわして月あかりにすかしみた。かけ蒲団を頭までかぶった隣の娘の蒲団の中から、節くれだった手がぬっと出ている。久はその手をぐっとつかんだ。「ほたえたら(騒いだら)あかんで。よいことしちゃる。ほたえたらあかん」 蒲団の中から首をつき出して囁いたのは男だった。言いながら男は息づかい荒くのしかかってきた。とっさに歯をむき出して、久はしたたか腕にかみついた。うめきをあげて、男は久から転げ落ちた。そのはずみに隣の娘をけとばしたのか、黄色い悲鳴があがった。にぶい音がして、柱にでもぶつかったのだろう、男は頭をかかえて、あわてて廊下にはい出していく。くっくっと笑い声がおこって、古参の女が久をつついた。「はあ、胸がすいっとしたで。あれは検査係の男やな。びっつけぴっつけ夜這いしよって、人をなぶりこにしくさる」「そんなら、なんでやっつけてないん?」「あとがおとろしもん。茶もみの男衆は、でけた女子にばっか甘うしてやで」 その言葉通りであった。翌日、久の摘んだ茶の葉を調べる時、係の男は意地悪そうに言った。「もっと軸が入らんようにつまんかい。あんまりさんばら(いいかげん)な仕事すなよ」 目方も、他の女たちにくらべてぐんとはかりがきびしい。   宇治の茶摘みにろくな者はおらぬ 後家かやもめか親なしか   金があったら茶摘みにやるな 大事な娘に傷がつく 茶摘み唄を聞きながら、くやしさ情けなさに久は涙をのんだ。こんなことなら来なんだらよかったと自分の軽率さを悔やむのだが、遠い伏見の地から逃げ帰ろうにも、綾部がどちらか方角の見当さえつかぬ。まして旅費もない。 一山摘み終えて次の谷へ移る時、食費をさしひいて手渡された金はごくわずかであった。笠取では「めいめい自炊するように」と申し渡された。綾部へは帰れぬとあきらめた久は、もち前の勝ち気さで決心した。 ――ここは自炊じゃさかい、食を減らそう。仕事が一人前にならぬのに食べたいだけ食べていては一厘も残らぬ道理じゃ。収入が少なければ、それ以下に出銭を減らせば金は残る。 思いついたら、すぐ実行に移す性格である。飯は粥だけにし、おかずは塩をふりかけて我慢した。たまに梅干しの一つもつけて、ご馳走にした。若い娘の身では、他人の手前、ずいぶん恥ずかしいこともあったが、決心はまげなかった。常に空腹であった。一口でも粥を余計にすすりたいばかりに、寸刻の無駄を惜しんだ。真剣であった。日が経つにつれて久の仕事ぶりは急速にのびていき、終わる頃には古参の熟練者をしのぐ収入をあげるようになっていた。 一番茶しか摘まぬ宇治では茶摘みの時期は二十日ほどしかない。だからこそ生産額はさほど多くなくても、宇治茶は品質のよさと歴史の古さを誇っている。だが伏見近辺では三番茶、四番茶も摘んだらしく、久は転々と場所を変えつつ約三か月を過ごしている。 綾部に帰りついたのは八月も中頃であった。あらゆる冗費をはぶき、九十日かかってためた三円五十銭の金を、久はそっくり母に手渡した。見違えるように日焼けし痩せ細ってしまったが、久の顔は誇らしげに輝いていた。貴重な金であった。押し寄せる生活の波に一人であらがい、疲れはてた直に、それはどんなに嬉しい慰めになったか知れなかった。 久は帰るとすぐ、綾部の広小路の上助(一説には本町の油屋)に奉公に出た。
 明治十七年の秋も深まり、紅葉も色が冴える。政五郎の半白の髪にいつ落ちたか木の葉一枚。上町のところてん屋の店先をひょいとのぞいて、「よう、お歴々、でこちん(額)集めて何むずかしげな顔しとってんや」 主人の喜作と女房、舞鶴在の魚の行商の鶴吉が、いっせいに政五郎を見た。鶴吉は手招きする。「まぁ政はん、お入り。あんたも相談に乗ったげていな」「ほな、一服していこか」 政五郎はお先煙草に火をつけ、のんびりした顔を鶴吉に向ける。「それでどうしたん」「実はな、ここの家の商売、うまいこといかんのや。ほんまのとこ、ところてん屋では、きょう日食われへん。何か商売替えでもと相談受けとるとこやでよ」「なんせせち辛い世の中やさかいなあ。おもろい芝居でもかからんかいな」と政五郎は煙草の煙の輪をつくる。 明治十七年は松方財政のデフレ政策の影響が頂点に達し、旧社会を根底から解体させ、明治社会の編成替えが行われた。物価は下落し、全般的に不況時代を招く。中・小農の窮乏化、士族の没落がいちじるしく、一方、寄生地主の増大がみられる。「それでなあ……」と喜作が目脂のたまった目をしょぼつかせ、「このままでは首吊らんなんわな。ほいで鶴吉はんに相談したらなぁ、親切なことに、魚を卸しちゃるさかい魚屋をしたらどうやと言うてくれてんじゃな。どんなもんやろか」 喜作の女房が鼻水すすりながら陰気くさい声で言う。「けどわしらで魚屋ができるじゃろかと、それが心配なんやな」「そらそうや。この家では魚ちゅうたら目刺ししか知るまい。魚の名前おぼえるだけでも一生かかるやろ。それにこんな不景気な顔した夫婦が店先におってみい、活きた魚も腐ってみえるわな」と政五郎は言いにくいことをきょろんとした顔で言い、「まあ、そんなしょぼくれた顔すないやあ。そこで一首でけた。   草(天草・寒天の材料)をとり所を天(ところてん)と売り払い       銭はとれずに後はさばさば(鯖々)はははは……ほなさいなら」 政五郎がひょうひょうと立ち去る。しばらくぽかんと見送っていた鶴吉は「無茶言いくさる」と言って、ぷっと吹き出す。つられて喜作夫婦も笑い出した。「ほかの奴なら袋叩きにする所やが、政はんにはかなわんわ。人徳やなあ」と喜作がつぶやいた。 政五郎は家の方へ廻りかけて立ち止まる。「他人のことどこかいな、こっちの首が廻らんわい。さて、どうしたもんじゃろ。やっぱりこういう時はさばさばっと虎の屋で飲んで思案するとしょうかい」 踵を返し、鼻唄うたいつつ、いそいそと虎の屋に向かう。
 師走の風は出口家にはことに冷たい。鈍色の空から雪が小やみなく降っていた。大雪になる兆候であった。 日が沈むと、北西町の米がせわしなく駆けこんできた。「あいにくの雪ですなあ」「ほんまになあ、昨年お澄が生まれた日もこんな大雪やったわいな」 鍋蓋をとって大根の煮つけの味をととのえながら、直は言った。「父さんはどこにおってん」と米は、奥の方をのぞいた。「朝から岡の方へ金策に行きなさって、まだ帰って来なさらんのじゃ」「それでも遅いやないの。父さんのことやで、忘れとってないかしらん」「まさか、いくらなんでも……」「そうですなあ。忘れられた義理などござへんなあ、母さんももうちょっとしっかりしてもらわんと、わたしら親戚言うだけで、よい迷惑じゃ」 米の言葉に刺があった。もともと気だてのやさし過ぎるぐらいの娘だったのに、鹿蔵と一緒になってから夫婦は心まで似てくるのか、だんだん性格がいびつになるようだ。 ともあれ、米の言うのも無理はなかった。借金がかさみ、節季の支払いがとどこおり、出口家は破産寸前の状態である。そのため親戚や近所の衆が集まって無尽をしてくれる大切な夜であった。助けられる側は酒肴でもてなし窮状の打開を丁重に依頼するのが、綾部地方の習慣である。まったく、この集会を政五郎が忘れられる義理ではない。 まず組頭の四方源之助が、蓑の雪をはらいながら現れた。辻村藤兵衛がしかめっ面を見せた。大槻鹿蔵のいなせな姿も、親戚側として下座につらなった。梅原・安藤などという近所の衆も顔を出す。この大雪の中を出口家のためにわざわざ人が集まろうというのに、かんじんの本人はどこで何をしているのか。直の不安は胸一杯にひろがって、もはや居ても立ってもおられなかった。 ぷりぷりしている米に、客を酒と煮しめでもてなし何とかこの場をつくろうよう手を合わせて頼むと、直は澄をねんねこにくるんで背にし、裏口からそっと家を抜け出した。途中で行き合うだろう、あの角を曲がれば夫の姿が見えるかも知れないと直は空頼みしながら、いつか町を抜け、人っ子一人みえない雪道を辿っていた。 雪は鋭い吹矢となって、まっこうから突き刺してきた。神宮寺町にかかると視界は灰色に閉ざされ、まともに行手をみることさえできぬ。雪はいっそう激しさを増して、傾げた菅の小笠を吹き上げた。 寝入ってしまった背中の澄は重く、胸やのど元をしめつける。一足一足道をさぐり、ときには膝までもぐる雪によろめき、喘ぎながら進んだ。急速に疲労が襲ってきた。もうここまで来ては行きも戻りもならなかった。八幡神社の鳥居が幻のように浮いている。思わず膝がゆるんでそのまま雪にのめりこんだ。「八幡大菩薩さま、お助け下されませ」 直はたれた頭をそのまま雪にゆだねて目をつむった。疲れ果てた直に、夫は遠い世界の人にうつった。手足の感覚はまるでなく、いつか意識はうすれていった。うずくまったまま動かぬ親子の上に、雪は狂ったように降りつもっていく。 ふいに背中の澄が泣き出した。内から生命がほとばしるような大きな泣き声であった。 直の冷えきった体に熱い血がよみがえった。この時、澄を負うていなかったら、あの積雪の中から直は立ち上がる気力を失っていたに違いない。歩いていくのはもはや足でなく、意志であった。 深夜、ようやく村はずれにある岡の夫の実家に辿りついた。大戸にもたれ、気がねしながら、ほとほとと叩いた。やがて後光がさしたように、行燈の灯が洩れた。「どなたですい」 警戒している声だった。 直は戸にすがり、ふるえる声でいった。「直ですわな、本宮の……。うちの人、来てますじゃろか。ちょっと開けとくなはれ」 がたがたと戸が開いて、寝巻きの上に半纏をひっかけた松之助の嫁が寒そうに眉をしかめて立った。「こんな夜ふけにお邪魔するつもりやなかったんじゃけど……すみまへん。吹雪がひどうて、ちっとも歩けなんだんですわな。それで、うちの人は?……」「叔父さんやったら昼ごろ来ちゃったけど、うちでも都合がわるうてどうにもなりまへんのや。ほったら、『これから石原へ行ってみる』言うて、すぐ出て行っちゃったですわな」 ――かわいそうに、あの暢気な人もさすがに金策に駆けずり廻っとってんじゃろ。 直はうちのめされたようにずるずると土間にへたった。嫁はさすがに気の毒になったのか、直を抱きかかえて、体に積もった雪を払いのけとっつきの板の間に運び、寝こんでいる澄を背からはずした。直はものを言う気力もなかった。嫁も無言で囲炉裏に藁をたき、薄い蒲団を一枚出して、「それじゃ、お休み」と奥の間へ入って行った。 夫の親元とはいえ、昨年まで四年間働いていた娘の久はただの奉公人だった。直に対しても、奉公人の親の扱いとかわらなかった。直はひそやかに凍えた手足を温める。藁が燃えつきると、残り灰を唯一の暖房に、そのぬくみが去るまでそこにうずくまっていた。 朝になると直は澄を背おい直し、深い雪道を石原村さして出て行った。吹雪は嘘のようにやみ、昇る朝日にまぶしく光った。やがて直は石原村の手前の観音寺の茶店で、求める夫を見出した。すでに手遅れであった。無尽のことなどすっかり忘れ、良い気持ちに酔いつぶれている夫の気楽な寝顔を見つめるばかりであった。 無尽に集まった人たちは政五郎の暢気さにあきれはて見はなし、ついに出口家は戸を閉めた。戸を閉めるとは身代限りとすることで、世間にも顔出しできぬ不名誉である。廉恥心の強い直には耐えがたくつらいことであった。 戸を閉めてからも、直は死にもの狂いで働き続けた。子や夫を飢えさすまいとして自分はただ一度も腹を満たしたことがなく、蓄積された体内の疲労を十分にいやしたこともなかった。
 明治十八年の初め、政五郎は日頃の深酒がたたったのか、綾部の寒空がこたえたのか、軽い中風にかかった。寝こむなど陰気くさいことの大嫌いな政五郎は四、五日静養ののち、直の止めるのを振り切って仕事に出た。左の手足が少し不自由で、さすが名だたる政五郎も仕事の技倆が落ちたばかりか、手間賃もぐっと滅った。弱り目に祟り目であった。 しかし貧しいながらも今いる三人の子らは、みな明るく健やかに育っていた。 心にぎやかな朝の食膳である。 三つになった澄が、おませなことをいって皆を笑わせた。澄は生まれてから三日間、産声を上げたきり泣きもせず気をもませたが、知恵づきが早くて誕生前からしゃべり始め、口の重たい直でさえ「この子の口は三年先に生まれましてなあ」と吹聴したりした。 食事時になると、直は、おしゃべりにとめどない澄の口に味噌まぶしの飯を運ぶのが一仕事であった。のび盛りの清吉は横目でおひつをのぞきこみながら、そっと三杯目のおかわりを出した。龍も負けまいとしてあわてて飯をのみこむ。うすい粥の日が続いたのに、今朝は珍しく大豆まじりの麦飯である。久しぶりに晴れた今日の空のように、子供たちの心は晴れ渡っていた。 政五郎は熱い飯に酒をぶっかけてかきこみ、「どれ、行こか」と立ち上がった。いつもなら弁当を持って戸口まで送りに出る直が、どうしてかまだ坐ったまま、夫をふり仰いだ。「あの……」「なんじゃい」「さっきから胸騒ぎがしてなりまへんのや。怪我でもしちゃったら取り返しがつかんさかい、今日ばかりは仕事を休んどくなはれ」 そう言いながらも、直は自分の言葉に迷っている表情だった。「そうやなあ」と、政五郎はしばらく考えていたが、あきらめたように坐り直した。「おナの言うことはよう当たるさかい、今日はよしにしよか」「おおきに、そうしておくれやす」 直は安心して澄を背にくくり、山のような洗濯物を抱えて井戸端に出た。雨続きだったので、今日のような日こそたまった洗濯物を干さねばならないと気がせいていた。 政五郎がごろんと横になっておとなしく庭先を眺めていたのは、ほんのしばらくであった。「あーあ、なんや陰気くそうてかなわん。日天さんはぴかぴかやし、やっぱり出かけることにしよかいな」 道具を包んだ手拭いをひょいと肩にすると逃げるように出ていった。直が止めるひまもなかった。心もち片足ひいて町屋の手前まで来ると、政五郎の表情は急に生き生きと輝く。道ばたから小石を幾つか拾い、腹掛けから紐を出して、一つ一つくくりつけた。ふんどしを引きずり出し、その先に小石をくくった紐をぶら下げて腰を落とし、突き出した尻をあひるのように左右にふり歩き出した。五十八歳の男が、である。 政五郎のあとから小石が跳びはねる。音をたてて、一列縦隊でついてくる。遊びをやめた子供たちがおもしろがってぞろぞろ従う。子供たちに囃したてられて、もう政五郎は楽しくってどうしようもなかった。花道の七三にかかった役者のように、大見得をきって、ちょっと不ぞろいな六法を踏んでみせる。体が不自由なので、その動きはぜんまい仕掛けの人形を見るよう。直の不吉な心配など、青空のどこかに吹きとばしてしまっていた。
 その日の午後である。 道に紅が点々と散っていた。つややかな、大きな花弁であった。目でたどると、一本の椿の木が、根方に深紅の花首を二つ三つころがせて立っている。まだ咲いたばかりを昨夜の強い風がむりにもぎとったのだろう。 清吉は軽くなった二個のせり箱を負い直して、はずみをつけて丸い石を蹴った。石はななめにころがって細い小川に落ちた。小魚が群を散らして走った。その動きがひと頃より敏捷になったのは、水がぬるんできたせいか。 肥桶をかついだ近所の百姓に出合った。清吉はその前に立ちはだかった。「おっさん、饅頭買うてくれいやい」「なんぼやい」「一個たった三厘じゃでよ。うまいでよ」 十四の清吉は、年より小柄な体に売らんかなの闘志をみなぎらせた。きかん気の顔で、瞳がいやに澄んでいた。「そんな高いもの、なに買おうやい。ひとつ、くれてみいな」と百姓は、間抜けな顔にずる笑いを浮かべた。「からかわんと買いさらせ。買わなんだら、こうしちゃるわい」 清吉は、百姓の肩の天秤をゆさぶった。桶の中で固体の浮いた液体がたぶたぶゆれ、四辺に田舎特有の匂いを流した。「ヒャー、無茶すないやあ。買うわな、買うわな」 百姓は悲鳴をあげ、肥桶を地に置いた。あまりいそいで置いたので飛沫がとび散り、乾きかけた地肌を濡らした。「清はんにかかってはかなわん。それなら、一つだけ買うちゃるわい」 百姓は道にしゃがみこみ、舌で唇にしめりをくれて、あうんとかぶりついた。饅頭のへしゃげた姿がいっそう歪んで、中から黒餡がはみ出した。べろりと口のまわりをなめると、舌にのった餡が無精髭にひっかかる。「はよう銭おっけえ」「しょがない、くれちゃるわいな」 残りの饅頭を口にくわえ、百姓は色あせた野良着をはだけて、胴巻から惜しそうに小銭をつまみ出した。「おっさん、よう口のまわりを拭いとけよ。嫁はんに見つかったら、どやされんなんど」 小川に首をつっこみ顔を洗う百姓を残し、清吉はぽかぽか歩き出した。 桑畑の中に、ぼん屋があった。ぼん屋というのは、男女密会の場所を銭をとって提供する家である。清吉は無論まだ利用したことはないが、頬かむりしてひそやかに出入りする男女の姿を幾度か見かけ、いやらしい大人の秘密に触れたように胸が騒ぐ年頃になっていた。 ぼん屋の前に縁台をおいて、ちゃんちゃんこをつけた眼の見えない婆さんが腰を曲げてちょこなんと坐っていた。日なたぼっこの招き猫のように、天気さえよければいつも縁台にいた。景色は眺められないが、耳や鼻や肌で感じる四季の移り変わりは、目あき以上に敏感なのだ。梅の実がふとったろうと口に唾をため、西瓜がそろそろ熟れ頃だと舌なめずりし、おさつのふかしたてを思って胸やけをおぼえ、正月には大根おろしをまぶして幾つぐらい餅を食おうかしらんなどと、関心があるのはもっぱら食物の四季ではあったが……。いまは食物だけが生きる楽しみで、時間さえかければ塩豆を咀嚼できる歯をもち、いつも口をもぐもぐさせている胃袋婆さんであった。 いくらぼん屋とはいえ、真っ昼間なら人にうしろ指をさされる心配はない。商売大事と、清吉は婆さんの胃袋に期待して声をかけた。「婆さん、よいあがり(お天気)になりまして」「おう、清はんやな」と婆さんはすぐ聞きわける。「景気はどうやいな」と清吉は大人ぶって言った。「よいことあれせん。これから暖こうなったら、若い衆は草のむしろに青天井で安直にすませてやさかい。ま、ここへかけや」 清吉は婆さんと並んで腰をかけた。婆さんは話し相手をほしがっていたので、いそいで話題のいとぐちを繰り出した。「政はん、どうしてなはるな」「一本木の喜作はんの普請じゃげな」「そうかいな。けんど政はんみたいなおもしろい人もないない」「なあ、饅頭買うとくれいな」 饅頭と聞くや、婆さんの顔に、下卑た笑いが浮かんだ。「あのええ、お直はんなあ、自分のあそこ手本に見ながら、お饅つくっとってんやげななあ。それで、お直はんの作るお饅、あれそっくりじゃと」 婆さんの言う意味がとっさにはのみこめず、清吉は不審そうに皺のよった口元をぼんやり眺めた。婆さんは、へんに若やいだ声をはずませて、つけ加えた。「政はんが若い衆にそう言うて、笑わせとっちゃったでよ。みんな大喜びや。わしも目え見えたら、どんな形のお饅やら、とっくり拝ましてほしいわな」 清吉の若い顔に、血がのぼった。 彼にとって母ほど神聖な存在はない。昼は子供がかまえないからと、龍を背中に猿くくりし、澄を懐に入れてあやしながら、深夜まで重い石臼をひき続ける……。そんな時でさえ、母は端正に坐っていた。膝をくずした母の姿など、見ようとしても見られない。 ――それを父さんは……あんまりや。 冗談口が好きで人を笑わせたいばかりに、母のことまで捏造し、冒涜する、そんな父がくやしくてならなかった。だがお人好しの父を憎めないばかりに、腹の底からこみ上げる怒りの対象を失って、その思いが涙となりふき出した。「お直はんのお饅と思うて食えば、さぞうまかろうで。二つばかりくだんへ、ぐぐぐぐ……」と清吉の心情など通じない婆さんは濁音で笑った。 清吉は立ち上がった。せり箱を地におき、両手に怒りをこめて、やにわに縁台を持ち上げた。婆さんの牛蒡のような二本の足が空に向かってばたばたともがいた。白いはずのさらしの腰巻は赤茶けたような古色がしみつき、そこからもやもやと温気が立ちこめるようだった。 清吉は嘔吐を感じながら、二個の饅頭を腰巻の中へたたきつけた。「あほうたれ、くれちゃるわい」 家へ向かって走り出した清吉の足がやがてゆるくなり、障害物に出会ったようにぴたっと止まった。箱の中に売れ残っている饅頭を思い出したからである。わずかの口銭しかないのに、怒りにまかせて二個の饅頭をむだにした。全部売り切らなければ明日の米の仕入れにも差し支えるというのに……。 ――怒るなど贅沢やった。 清吉は腰に下げた手拭いで悔やし涙をふきとり、きっと面を上げて、再び町屋へと足を返した。 兄竹蔵や米姉の養子になった弟伝吉と違って、清吉は勝ち気な子である。喧嘩が好きで、めっぽう強かった。若いだけに感情の切りかえも早い。それに芽ぶきはじめた木々の若緑が、清吉の傷心をいやしてくれる。売れそうな家を素早く頭に浮かべると、すでに足取りは軽かった。心地よい春風が清吉の背をやわらかく押した。 ふいに行手の桑畑の前の道に、数人のかたまりが何やら異常な気配で現われた。何かあったなと直感すると、清吉は強い好奇心でもう走っていた。 先頭の男は、左官の友さんだった。「あ、清吉か、はよお直はんに知らしたれ。政五郎はんが廂から落ちて大怪我やでよ」 戸板の上に、父の土色の顔がしなびてはりついていた。それだけ見るなり廻れ右していた。今度は向かい風が、清吉の両耳でピューンと鳴った。「大変や、父さんが怪我しちゃったで」 声が先にとんで、続いて体が土間にころげこんだ。筵の上に坐って藁を打っていた直の手がそれ、木槌はむなしく土間をたたいた。ほつれ毛を頬にたらした直の顔から、みるみる血の気がひいていく。母のそばで泥んこになって土人形を作っていた龍と澄が、きょとんと丸い目で兄を見上げる。乱れた息を整えようとあせりながら、清吉は母に告げた。「父さんが廂から落ちて大怪我や。いま戸板で運ばれてくるで、母さん……」 直は立ち上がり、土間を片づけ、押入れから煎餅蒲団を出して敷くと、ふるえる手でメイタ(つけ木)を持ち、神床に灯をつけた。 清吉は、やさしく澄を抱き上げ、「邪魔やさかい、ちょっと兄さんと外へ行こな」と言い、土人形を離さない龍の背を押した。 すぐに怯えた澄の泣き声が表で聞こえた。その泣き声を蹴散らすようにどやどやと男たちの乱れた足音が戸口にかかり、あらあらしい息づかいと土ほこりが土間に舞った。 政五郎は男たちにかかえられて薄い蒲団に寝かされた。顔をしかめながらも、政五郎の声は意外に元気だった。「ふんどしの垂れたん知らんでなあ、とはつな(そそっかしい)もんで、それを踏んづけてしころ廂から落ちたんや。おいどの骨したたか三べんも打ったわいな。痛かったでえ」「そうだっしゃろなあ」「落っこちてから、『ああ、これやったんかいな』って、出がけにおナの言うたこと思い出したわな。ほんまにわしはド阿呆やなあ」 せっかくお気づけをいただきながら――と、さすがに直は腹立たしく情けなかった。もう年も五十八、少しは思慮分別ができてくれてもと嘆ずる思いをふり捨てるように、直は言った。「でも命に別条のうて、よろしゅござしたなあ」 運んでくれた男たちがひとしきり慰めを言って帰ると、直は清吉から泣きじゃくっている澄を抱きとり、夫の枕元に坐った。「浮き沈みは、この世に七たびあるげな。もうわしらあ一生分沈んださかい、これからは浮くばかりじゃろいや」と政五郎は言ったが、直には子供の強がりにしか聞こえない。 そっと夫の額にさわると、心なしか熱が感じられた。「まだ痛みますか」「ちょっとな。けれど三日もすれば、働きに出られるやろ」「それならよろしいがなあ」「口が乾いてかなわん。何かさっぱりしたもん食わしとくれ」「ほんまに……ご膳の支度せんなりまへん」 直の顔に困惑の色が走るのを、清吉は見逃がさなかった。「そうや、陣屋のそばの溝に、芹が生えとった。まだちっちゃいけど、食べてか」「ほう、もう芹が出たんやなあ」と直は清吉の機転が嬉しかった。「よし、龍も連れてっちゃる」 清吉は龍にかごを持たせ、自分は残りの饅頭をつめたせり箱を抱えて出て行った。おいてけぼりされた澄があと追いして、直の胸の中で足をばたつかせた。
 政五郎は再び元の体に復することなく、手足が不自由のまま、寝たり起きたりの状態になる。こうなっては、口減らしのほかはない。饅頭の行商をしていた十四歳の清吉を紙漉きの見習い奉公に出す。親方は若狭から綾部の上野へ来て紙漉き業を始めた寅吉である。 清吉がいなくては、もう饅頭屋もできぬ。病人と二人の幼児を直一人の働きで食わさねばならなくなった。直は意を決して、政五郎に打ち明けた。「あなた、もうどのいも暮らしの方法が立ちまへんさかいに、屑買いなと始めようと思うとりますのやが……」「なんやて?……」 寝ころんで鼻唄うたっていた政五郎、きょとんと直を見上げる。直はすまなさそうに続けた。「あたぶさい(格好)が悪いことですけど、なんぼ考えても、もう屑買いよりほかに道はござへん。どうぞ許しとくれなはれ」「そらまあ、年も五十に近うて元手もない女ときたら、ほかに仕事もあるまいなあ。それにしても思いきった、屑買いとはのう。おナにできるのかいな」「それがなあ、梅原おきさんが商いの方法を教えてやる言うてくれてんですわな」 梅原家は細い道と畑一枚へだてて、出口家の北向かいにある。おきは正直一筋の人柄で、昔からの直の親しい隣人。夫の与助が盗みを働いて宮津の監獄に入っている間、屑買いをしながら二人の子供を育ててきた。明治十八年のこの年、長男徳之助は十二歳、長女梅子は澄と同じ三歳であった。与助はこの春、出獄してきたが、獄中の生活が祟って病の床に臥し、十一月にはついに不帰の客となる。「梅原はんといっしょなら心強いこっちゃろ」「ただ心配なんは、一反風呂敷いっぱい買わんことにはその日のお米も買えず、明日の元手もでけしまへん。それで帰りがいつになることやら、その間、まことにすまんことですけど、体の不自由なあなたにお龍とお澄の子守りと留守番していただかねばなりまへん」「よいよい、お龍もお澄もわしのよいおもちゃじゃ。退屈すりゃ、誰かが話し相手になってくれるやろ。それよりおナや、新しい商売を始める前祝いに、酒を買ってきてくれんかい」 こうして直の屑買い時代が始まる。毎日、直は他家の軒下に立ちぼろ屑や紙屑を買い集め、かつげるだけかついで家へ帰ると、紙屑・古つぎ・毛屑類と分け、それを建場に運んで金に代える。その金でわずかばかりの米を買って帰り、粥を作っておそい食事。後は山積した雑事を片づけ、寝につくのはいつも深夜であった。 朝早く、直は、一文銭つなぎの二十文を屑買いの元金に懐に包み入れる。前の晩、紙こよりにシュッシュッと通して、くくっておいたものである。 当時、一文銭は正式な通貨ではなかったが、田舎ではまだまだ通用した。明治四年、新貨幣条目で円を新貨幣制の基本単位にし、円以下の少数計算使用に銭・厘がもうけられた。一厘は円の千分の一、銭の十分の一。一銭は一円の百分の一、また一両の百分の一、すなわち永十文と等価にした。したがって一文は一厘に相当したので、直の屑買いの元金は二銭ぐらいであったと思われる。 では二銭はどのぐらいの価値に相当したものか。明治二十年はこの地方では米一升約四銭、二銭といえば米五合分にしか値しない。いかに廃品回収業が利のいい商売とはいえ、二銭の元手で上がる収益では、四人家族を養うに足りないことが知れよう。 現在のような消費時代なら、どの家庭にも、新聞・空びん・空罐空箱・古着の類が処理に困るほど出るが、当時の農村のつつましい生活では廃品などなかなか出なかった。廃品といえば、何度も利用し尽くされて、それこそ形をとどめぬ程の残骸ばかりである。しかも家と家との間隔が遠くてひどく能率がわるく、足をすりへらして歩いても買える屑はごくわずかであった。 では直の一日の資本二銭也でどれほどの利益を得たろうか。残念ながら適切な資料はない。しかし、《風雪京都史》によると、明治二十三年のこととして、「――問屋の買値が下落して、以前は貫当たり二十二銭だったのが、十銭になっていたから、買い集めに骨が折れた。祇園新地、先斗町の花街から出る屑紙は高いが、宮川町、膳所裏、橋下辺のは安かったという。一日の利益は平均十銭――」とある。ちなみに二十三年の綾部地方の米価は一升約五銭一厘、十銭もうけても米二升分にならない。人家の密集した京都市ですらそうであるから、辺鄙な綾部ではなかなかそこまでの利益は求められなかったろう。 慣れない、そして他人にさげすまれながらの労働は、直の肉体ばかりか精神までさいなんだが、ついぞ休むことはなかった。直は幼時からの労働のせいか骨組み太く、小柄ではあるがひきしまった体躯をもっていた。この体と強靱な精神力・責任感が、極度の貧苦と過労の身を支えていたのであろう。だが直を知る人は、この超人的な働きをいぶかしみながらも、よく耐えられるものと感嘆を惜しまなかった。
 明治十九(一八八六)年正月は餅が搗けず、握り飯を作って家族で祝った。それでも年に一度のまざりけなしの白飯に、龍も澄も跳びはねて歓喜する。 政五郎は得意の狂歌を披露した。   隣には餅搗く音の聞こゆれど       吾は青息つくばかりなり
 そしてまた、夏蚕の時期がきた。 直は病人の夫に二人の幼な子を預け、心を残して船井郡和知町大迫の生糸屋に糸引きに出た。三女久は十九歳、夫の実家四方家の奉公を辞めて綾部本町の萩重へ奉公していたから、何かあれば助けてくれるはずである。 一週間ばかりして、糸引き仲間の里という女が綾部に行く所用ができたので、直は生糸屋の主人の市造から前借りした金を夫にことづけた。それからもう五日たつ。里が戻ってくれば留守家族の様子が知れるはずで、その帰りが待たれてならない。日照り続きで、田も畑もひび割れていた。炒るような蝉しぐれである。 鼻の頭に汗の水たまをつくった若い娘が、あえぎながら言った。「ああ、暑い。一雨こんかいな」 もう何度も、同じ言葉を繰り返している。 十数個の七輪の上でことことと煮え続ける繭の鍋、この一室がまるごと、さながら大きな蒸し器といえよう。女たちも蛹とともにしんから茹だっている。 尻の大きいむっちりした女がべったりはりついた前髪をうるさげにはらいのけながら、「なんの暑いぐらいのこと」と、怒ったように言った。「この仕事も、いつまで続くことやろ。世の中が便利になるほど、貧乏人はあごの干上がる仕組みになっとるんや。わしら、この夏の間だけでも糸引きできるのが冥利と思わな」 誰も反論する者はなかった。知りすぎるほど知っていたのだ。 すでにこの地方でも坐繰に代わって機械製糸が幅をきかせ、零細な賃金をあてにして働く細民の職を奪いつつあった。遠からず機械がすべての坐繰を放逐することは誰の目にもあきらかだった。しゅんとなった女たちの間から、坐繰の廻る音だけがからからと続いた。 ――里に持たせた前借りの金子が無事に届かねば、今ごろ子たちは夫とともに飢えていよう。 直はひもじがって泣く子たちの幻を追おうと、熱い繭をつかんだ。ただ休みなく働き続けることだけが、幼い子らを案ずるやるせなさを忘れる手だてであった。夕飯をすませ夜業につく前の一時、十数人の女たちは直のまわりに集まって、その手元をのぞきこむ。 丼に和紙をぴんと貼りつけ、太い針で万べんなく穴をあけ、その上に山盛りの米糠を盛り、てっぺんに炭火をのせる。糠が燃えつきるのを、女たちはお喋りしながら待つ。和紙の穴を通して、丼の底に油がたまる。その米糠の油を、直は、水虫で荒らされ水疱でふくれた女たちの手に丹念にすりこんでやる。「大黄や牛すいすいの根をおろして酢をまぜたのも、水虫や田虫によう効くさかい、いっぺんためしてみなはれ。女子は手足の手入れをおこたってはあきまへんで」とやさしく言いきかす。いつも誰彼にとさからっている女まで素直にうなずき、にっと媚びたように笑ってみせる。「お直はん」 ふり返ると、旅姿のままの里が土間に立っていた。直の腰は思わず浮いた。 直は女たちに糠の油を渡し、土間に下りて里の手をひっぱった。裏に廻る。小川のせせらぎが音高く聞こえ、蛍が二人の目の前を横切った。「寄ってきてくれなはったか」と直は怯えたように聞いた。「へい、ちゃんと寄ってきたわいな」「おおきに、それで……」と直は息をつめて報告を待った。「なんじゃ知らんが、小さな子がよごれた着物きて暗い所でごそごそ動いとったでよ。お爺さんが這うてきて、手をのばして金受けとって、『よう持ってきてくれちゃった』言うて喜んどったわいな」 里の言葉には飾りけがない。それだけに主婦のいない家の暗さが手にとるように浮かび、直をいたたまれぬ気持ちに追いこむのだった。「おおきに、すみまへなんだなあ」と、直は言いつつ顔をそむけた。 一月ほどで糸引きを終わり、直はあかつき発ちでわが家に向かった。日ざしが西に傾いた頃に家に着くや、表から入らず、そっと裏口に廻った。とりつくろわぬ家の内をのぞき見たかったのだ。 雑草がのびていた。貧乏かずらが裏縁まで入っている。開け放った障子の向こうは足の踏み場がないまでに膳やら紙屑やらがちらばり、その中で素っ裸の政五郎が、めっきり増えた皺のひだにあふれるばかりの汗をため、高いびきで寝ていた。「帰ってきましたで、龍や、澄や……」 家の中は、しんとして返事がなかった。 不安にかられ、草鞋のまま縁を上がり、四つんばいになって隣室をのぞいた。龍と澄が投げ捨てられた人形のように破れ畳に伏していた。
 明治十九年九月十六日、政五郎は便所で昏倒した。坐骨の治癒のはかどらぬところへ慢性の酒毒の影響もあり、中風を再発したのである。意識はしっかりしていたが全身不随で、食事を口に運ぶことから大小便の世話までしなければならなくなった。 直は七歳の龍を王子に住む次女栗山琴の家に奉公に出し、萩重に奉公していた三女久を呼び戻して、政五郎と四歳の澄の世話をさせた。どこまで落ちねばならぬのかと直は暗然としながら、挫けてはならぬと自分に鞭打つのであった。 昼間は久が、夜は屑買いの仕事から帰った直が、政五郎の世話をした。いつでも力のある限りを使いきって体を動かしてきた直であったが、いまは短い夜の安息すら奪われた。 看護人として、直ほど行き届いた女もなかった。夫の咳ばらいひとつにも、直は敏感に目ざめる。一枚ずつきちんとたたんで枕元に用意してある反古紙を素早くさし出し痰を取り、吸いさしの水を口元にもっていく。それを政五郎はごくんとうまそうに飲み、甘えて言う。「おナや、昼寝しすぎて寝られんのや」「ちょっと向きを変えてみなはったら――」 直はかいがいしく腕を廻して重い体をそっと寝返らせ、床ずれを防ぐために腰や足をさすり始める。やがて夫の寝息が深まるとほっと手をゆるめ、蒲団にもどるのだった。 寝たきりの状態になっても政五郎の陽気さは変らず、妻の苦労も知らぬげに我がままで、仕事から帰る直を待ち受けては、矢つぎばやにねだるのだった。「おナや、腹ぺこぺこや。酒はないかいなあ。梨がくいたいわい。甘酒こさえとくれえやい」 昼間ほっとかされた子供が腹いせにやたら母にねだってみせるような甘えがあった。それにも直は、一つ一つ笑顔でうなずく。「不自由はかなわんなれど、ちっとも心は病めんので、わしは歌でもうたいたいような……」と、政五郎はろれつの廻らぬ舌で言い、人にわからぬ冗談を言って、アハ、アハと笑った。 さすがに久は腹にすえかねて、台所で母をとらえ、うっぷんをもらしたことがある。「人に大小便の始末までさせて、いつまで暢気に生きとってんつもりやろ。甘やかしたらどこまでもつけ上がるさかい、母さんもいいかげんにしとき。いっそ早う死んじゃったら、母さんも楽できるのになあ」 直の柔和な顔が急にきびしくなり、久をとらえた。「お久や、なんということを言いなさる。たとえ鉄の草鞋はいて探しても、お前の父さんは天地にただ一人、ここに寝てござる出口政五郎というお人しかないのやで。病人はなあ、世話する者があいたら死ぬということがある。わたしはまだまだお世話した気がせんわいな」 久のすべすべした頬がふくらんだ。「母さんは亭主ぼけやさかいな。そのうち看病疲れで、母さんの方が先に参ってしまいますで。わたしは、あんなさんばらな父さんの世話はかなわん。もうあきあきしたわいな」 激しく柴を折り竈に投げこむ久。気まずい沈黙が流れ、やがて直は静かに言った。「ようお聞きなはれや、お久。今はそう思うても、生きとってのうちに誠心をつくしとかなんだら、死んじゃってから涙の止まらんことがある。父さんの肌着一つ見ても、『もう少し孝行しとくんじゃった』と泣けることがある。あとで後悔するのは苦しいもんやさかい、今のうちにたんとやさしゅうしたげなされ」 直の語調には、言葉以上の真実があふれていた。十一歳で死別したとはいえ、ついに心を開くことができなかった父五郎三郎への悼みが、鋭く直の胸を切り裂いた。 久は上がり框に寄せてある父の汚れ物を荒々しく持って井戸端に立ち、音高く水を汲んだ。しかし盥を前にしゃがむ久の背は、無言で母の許しを乞うた。 ――むりもない。あの娘も疲れているんじゃから。娘盛りにきれいな着物一つ作ってやれんで……と直は哀れでならなかった。

表題:政五郎の死 3巻10章政五郎の死



 政五郎が便所で倒れて一ヶ月目の十月十五日、綾部と福知山のほぼ中間にある興村のある大地主の家では、広い庭の一角に茶室と隠居部屋を建築中で、数人の大工がいそがしそうに立ち働いている。 大工棟梁の吉蔵は図面を片手に大工たちにきびきび指図していたが、ふと思い出して仕事場を眺め廻した。さっきから心の隅にひっかかっていたのだが、もう十時を廻っているのに、竹蔵の姿はまだ現れなかった。「用事があるもんで、すんまへんけど、先に行っておくれなはれ」と出がけに竹蔵が言ったので、吉蔵は他の弟子を連れて先に出た。弟子が棟梁より遅れてくるなどけしからん話だが、大事な恩師政五郎の総領と思えば、頭ごなしには叱れなかった。「おい、ちょっとひとっ走り家へ帰って、竹の様子をみてきてくれいや」と見習いの一人に言ったが、すぐ思い返した。「いや、待て、わしが行こう」 吉蔵は家に向かって歩き出しながら、「甘やかし過ぎたらあかん。ゲンコかましちゃるか」とつぶやいてみた。 竹蔵のことを思うと、吉蔵は、あの闊達自在に生きる天才肌の政五郎棟梁を反対に連想してしまう。――あれはほんまの名人というんじゃろかい。冗談いいながら鼻唄まじりで図面ひいちゃっても、一分一厘狂わへん。「建物なら政はんやないとあかん」とひっぱり凧で、ほかの棟梁たちは飯の食い上げ、仲間からひどく妬まれちゃったもんや。大工仲間が集まって、政五郎棟梁の暗殺計画中を立ち聞きした時にも肝をつぶしたが……。 そうそう、本宮村の大工八郎兵衛も棟梁の腕をいかめがって(妬んで)妙々さまに呪い殺しの願かけくさった。それでも神さまはお見通しや。満願の夜、どう魔がさしたんか八郎兵衛のやつ、分限者の家に忍び入って娘の嫁入り道具を盗み出してつかまった。以来盗みが本職になって、一生牢を出たり入ったりしとったが、最近首を吊って死んだげな。「人を呪わば穴二つやなあ」と生前、八郎兵衛がわしに告白したもんじゃ。――政五郎棟梁は、一代で三百軒も棟上げしながら、人が良すぎて請け負っては損ばかり。家庭のことはちっとも頭にのうて、金があれば派手におごって飲んでしもうてや。あれではおかみさんの苦労もひと通りやあろまい。いまでは戸を閉めてごつう貧乏しとってじゃ。何もでけんが、昔の御恩返しに、せめて竹蔵だけは一人前の大工に育てたいもんや。 竹蔵が両親に説得されてしぶしぶ弟子入りして来たんはあいつが十九の年。それから四年、仕事をなまけるちゅうんでもないが、どのい教えても歯がみしたくなるほど進歩があらへん。親と違うて、ぐんと不出来じゃわい。子が親に似たんは酒の好きなことだけ。だが棟梁の酒には慎みがあった。振舞い酒がきらいで、建前の時も祝いに一本だけは飲んでやが、その後はさっさと並松の虎の屋へ行き、自分の金で心ゆくまで飲んどっちゃった。それが竹蔵ときたらどうや。徳利をそばへひきつけて最後まで居残り、自分の前が空になると、物ほしそうに人の徳利をみてくさる。棟梁が廂から落ちて負傷してから、いちだんとあいつに精彩がない。 親父が病気なら総領の自分が一家をしょって立っちゃると発奮しそうなもんやが、反対にしょぼくれてしもうた。今日だって、もうへい(もはや)日天さんが高いのに、いい若い者が働きにも出ず何さらしてけつかる。もしかすると逃げ出すのやないか。 銀杏並木の下をいそぎ足で歩けば、十分とはかからず家につく。畑仕事をしている女房の変わりない姿を見て、吉蔵はほっと歩みをおくらせた。
「今日こそ死んじゃるわい」と、竹蔵は屋根裏部屋の自室で、胸を張ってつぶやいた。「見てくされ、意気地なしのわしやけど、死んでアフンとさしちゃるわい」と言ってみた。 一度上げた床を敷き直した。 ――同じ死ぬなら、畳の上より蒲団の中が楽やろう。 大の字になって寝ころぶと、がんじがらめの縄目をとかれたように、かってなかった解放感が竹蔵をくるんだ。ごろんごろんと転がってみた。蒲団にしみついている汗と脂の匂いを心ゆくまで吸いこんでみた。希望もなく虫けらのように生きている、一匹の獣の匂いがした。 ――たった今なら、「わしは大工が死ぬほど嫌いやさかい、大工なんかやめさせてくれえ!」と力一杯叫べるかも知れん。そしたら父さんや母さんや棟梁は、あきらめて許してくれるかも。ほいでも、《死ぬほど》ちゅう言葉は、ちょっとけったいやなあ。なぜなら、わしは体がなまけものにできとるさかい、死ぬより汗して働くことがもっとかなわん。それやけど、大工をやめてサテ何になりたいちゅうもんは一つもあらへん。 ――いったい、肉体労働になんの値打ちがあるんやいな。噂にきけば、東京の鹿鳴館たらいう城みたいな建物の中では、男は燕の尻尾みたいな上着、女は蝶みたいなきれいな服を着て色のついた酒を飲み、西洋の音楽を聞きながらひらひらと夜おそくまで踊ったり、遊びたわむれとってんやげな。汗して働かねば生きられへんわしらとは、花とアリのようにてんから生きてる場所が違うのや。わしらみたいな下積み世界の育ちでは、父さんほどの腕ききでも、母さんほどの働き者でも、行きつくところは泥ん中を這いずり廻るような貧乏だけやないか。そやのに働きもなく、悪いことをする甲斐性もないわしなどが、総領に生まれたばっかしに家督をつがんなん。わしの下に多くの弟妹をぶらさげて……この上、どのいに気ばってみても、パッともせん嫁はん貰うて、いやらしいばかりにわしに似た子を産み、そいつを食わすために更に働き続けるだけが関の山やろに。そうまでして気いくばって生きんなんのん、ほんまにしんどい。 ――大工なんぞどのい達者になっても、人さまの家を造るだけでそこに自分が住めるわけやない。それに猿のように身の軽い父さんでも廂から落ちちゃった。そんなこと聞いたら、大工などという荒けない仕事がよけいかなわんくなった。だけどそれが自殺するじかの動機なわけやない。今まで、もやもやと胸の辺にあった死へのあこがれが、ちょっぴり強うなった、というだけのことや。なぜ死ぬのかって? ……そりゃあ、生きてるより死んだ方がちょっとは増しな気がするさかいや。死ぬこともそんなに嬉しいこっちゃないけど、生きてるうちいっつも苦しめられたしんどさと退屈からは逃げられるやろ。死んだらきっと、しょうむもない肉体労働なんかせんでも、この肉体を生かすために味ないものを食わんでも、へんちくりんな言い方やが、楽して死を生き続けることができるやろ。 遺書を書こうにも、竹蔵は文字を学ばなかった。また文字を知っていたにせよ、どう書けばこんなあいまいな動機を理解してもらえよう。 仕事にも熱中できないように、竹蔵は死への姿勢にもどことなくずぼらだった。死ぬために身辺を整理したり、下着を取りかえたりするのは、めんどくさかった。 だが死に踏みきった以上、おめおめ途中で引き返しては、あたぶさいが(格好が)わるい。鑿で死に切れないときの二重の用意は考えてあった。 のっそり起き上がって鴨居の上に縄をかけ、その下に足台を用意した。 ――死ぬための情熱だけが一つ残っていて、それがこの際まにおうて本当によかった。 目が窓外に走った。街道の銀杏並木を渡る風は重たく稔った稲田を黄金色に波うたせ、青く澄んだ秋空には柿の実が誇らしげに色づいている。生きとし生けるものの精気に満ちていることが、かえって竹蔵を生きがたくした。 ――そうや、ここで死んだら蒲団が汚れる。 竹蔵はのろのろ起き上がって、庭を抜けて、木屋に行った。積み重ねてある材木にもたれ、鋭い鑿の刃先を凝視した。ここ興村に来て四年、心を打ちこんでした仕事といえば、昨日ひそかに鑿の刃を研いだことぐらいである。柱をきざむための利器を安っぽい命を絶つための凶器とせねばならぬのが、ふと侘しかった。 刃先を首に滑らせてみた。下半身がスッと涼しくなる。睾丸は団栗ほどに縮こまっていよう。たしかに今は生きている。ようやく、死への実感が湧いてきた。 死ぬ前に誰彼に別れを告げねばならぬと思い、竹蔵は瞼にやさしい母の塑像を画いてしんみり話しかけてみた。「母さん、こらえとくれよ。わしは体がしんどうて生きとるのがつらいんや。こんなことなら、わしの育った二十三年分の乳や飯を弟や妹たちに分けてやったらよかったのに。母さん、ほんまに損したなあ」 考えてみれば、母と心を開いて語り合ったことはなかった。母はいつも竹蔵より手の届かぬ高みにいて声をかけて招くばかりで、竹蔵の所まで下りて来てはくれなかった。だが瞼の母は竹蔵と同じ場所にいて、同じように途方にくれた顔をしていた。 父の名も呼んでみた。だが、こんな深刻な気分のとき、父は茶化して笑いとばしてしまいそうで、あまりそぐわなかった。あわてて通過した。次に弟妹たちの名を呼んだ。上から順に澄までくるとちょっと目頭が熱くなった。気持ちのよいほど悲傷な心境にひたれた。 最後に、棟梁の吉蔵にも別れを告げた。ありがた迷惑ではあったが、やはり吉蔵の好意は身にしみていた。 紺の半纏のぶら下がる板壁をにらみつけ、南無妙法蓮華経といい、南無阿弥陀仏と唱えた。お題目でも、念仏でも、どちらかの宗旨が競争して、少しでも楽な世界に導いてくれればよろしい。 竹蔵は生唾をのみこみ、右手に持った鑿に左手をそえ、頚動脈めがけて、えいっとえぐった。シュッと音をたてて血が吹き出した。血をみるとかっと逆上した。鑿を投げ出し、右手の人さし指でのど笛をさぐった。ぽっかりと口をあけていた。が、広いが浅かった。意外と苦痛は少ない。 ――これではなかなか死なれへん。 うろたえて立ち上がり、鑿を見廻したが、上ずった眼には入らない。 ――そうだ、縄、縄! 竹蔵は血をしたたらせ、よろめきながら、庭を通り、玄関を通り、階段を上がって自室の屋根裏部屋へ戻った。この時のために、梁に縄を吊っていた。踏み台にのぼって、がたがた震えながら縄の輪に首をつっこんだ。夢中で踏み台を蹴った。父に似ぬやせた体がずしんと縄にぶら下がった。ぶらぶら揺れる度に、血しぶきが四方へとび散った。 ――やった!もう生きる道はない。 そう思うと鋭い恐怖が身をつらぬき、生への渇望に手がむなしく空をひっかいた。 助けてくれ、助けてくれ、母さん、何しとるんや、早う助けてくれんかい。暗くなる、暗く、ああ……暗く……。
 この日、直は朝早くから和知川を越え、位田村の家々を廻って屑を買い歩いた。ようやく一反風呂敷に一杯の屑を買い集めて井堰を過ぎ、新宮近くの川糸まで戻ってきたのはもう夕方であった。 家で待ちわびる幼い子らを思ってあとひと足と心がほっとぬくもってきたとき、近所の子供たちがばらばらと駆け寄り、直の前に立ちふさがった。年かさの子が直の袖をひっぱって口を切った。「おばはん、知っとってか。お前とこ、えらいこっちゃでよ」 子供たちは口々に叫んだ。「竹はんや」「えらい悪いげなで」「あかんかも知れん」 直の足はがくがくと震え、心臓だけが激しくうった。「竹が……また高いとこから落ちたかいな、腹でも切りたかいな」「よう知らんけど、死にそうなちゅうて皆が騒いどってやわいな」 ちょうど三十日前の夫の怪我のときと違って、予感など何もなかった。それだけに、直の受けた衝撃は烈しかった。 一日がかりで足を棒にして買い集めた荷を道に投げ捨て、直は人目もかまわず走った。生きてくれ、生きてくれ、生きていてくれ……直は心の中で叫び続けた。 向いの安藤金助の家に組の衆が四、五人集まっている気配――直はそれを察して安藤家にとびこみ、金助の女房お初にしがみついた。「竹は高いとこから落ち申したか」 お初は無言で首を横にふりながら、直の取り乱しように恐れて、夫の金助の背後にさけた。直は金助にすがった。「竹は腹でも切りましたのかいな」「ま、そんなもんや」と山田善太夫があいまいに答え、救いを求めるようにまわりの者の顔をみた。 直はせきこんで聞いた。「竹は、竹はどこにいますのじゃ」「興村の吉蔵はんの二階やわいな」と誰かが答えた。「わたし、興村へやらせてもらいます」 直の眼は瀕死の竹蔵の幻を追った。草履をつっかけてふらふらと歩きかけたが、幾歩も行かぬうちに誰かに抱き止められた。「お前は行かされん。家で待ちなはれ。お直はんの代わりに清吉が行っとるさかい、すぐに様子が知れるわいな」 直の体は二、三人の手でふわりと持ち上げられ、家へかつぎこまれた。「竹や、竹や……」と直はあがきながら叫んだ。「母さん、しっかりしとくれなはれ」と久が土間までとんで出る。 夫の負傷の時すら取り乱さなかった直の今の錯乱ぶりは、尋常とは思えなかった。久に抱き起こされ重ねた蒲団によりかかって、政五郎は苦渋に満ちた顔で直を迎えた。「おナや、落ちつかなあかんでよ。興村ではみながちゃんと手を尽くしてくれとるわな。まあ、ここへ坐りや」 直は炬燵の裾に崩れるようにもたれかかり、乾いた目でみんなを見廻した。「おおきに、もう大丈夫どすさかい、どなたか竹の様子を知らせとくなされな」 近所の畳職人がつらそうに洩らした。「竹蔵はんは自殺しそこなっちゃったんやな」 自殺……。 直はズーンと体が暗いところへ落ちこんで行くのを覚えた。遠いところで誰かがしゃべっている。 竹蔵は、鑿でのどをえぐり、さらに首を吊ったが、縄が切れて蒲団の上で失神していた。さいわいにも吉蔵が戻ってきて、発見はその直後であったらしい。出血が多量で、蒲団も畳も板壁も血みどろであった。それが朝の九時ごろである。 吉蔵は、脈うっているのど元の動脈をとっさに抑え噴き出す血を止めながら、家人を医者に走らせた。医者はどこかに出かけて見つからない。とりあえず傷口を焼酎で拭き、晒でぐるぐる縛り、応急の処置をしたという。これは昼過ぎに報告のあった経過で、上野に知らせがとんで清吉も行っていることであり、いずれその後の詳報がもたらされよう。今はただ待つだけだ。 近所の人たちが帰ると、直は炬燵にもたれて目を閉じ、ぎゅっと左の乳房の上を押さえた。 ――なしたことができたんじゃろう、これはきっと夢やないか、ほんまのように思える夢じゃろう……。 そう思って眼をあけると、澄が壁ぎわに小さくなって、こわごわ母を見上げている。もう一度ぎゅっと眼をつむった。 ――情けなや、情けなや、竹が首などくくって……。 それにしても、竹がひどう悪いげなと聞いた瞬間、「腹でも切りたか」ととっさに口をついて出たのは何故であろう。竹が自殺するなど夢にも思わぬ直であったのに。 それとも心のどこかで直は見ていたのであろうか、死に焦がれている息子の魂を――。同じ死ぬなら、腹を切るなど誇り高い武士なみの死作法を反射的に求める思いが、直には潜んでいたのか。「死にぞこないになったら恥ずかしいさかい、いっそのこと死んでくれたら……」と思わず呟いてハッとなり、身もだえした。 ――神さま、いま申した言葉、取り消して下され。竹の命とひきかえに、どうぞこの身をお召し下され……。 どうも腑に落ちぬというふうに、政五郎は首をかしげて、「てっちもない(しょうがない)。なんで死ぬ気になるんじゃろ。若い時など、なにみても楽しゅうて、心が浮かれてならぬものやがなあ」 直の手は習慣的に石臼に寄り添いひき始めていた。低い、単調な、それでいて魂魄を揺さぶるような不断の音がいつものように家中に響き出し、雪のように白い粉が吹きこぼれる。ほっとしたように、澄が母の脇にすがった。 ――わたしだって、死にたいと願ったことが幾度あったろう……と直は思った。でも死ねなかった。夫や子らへの愛のためにも、どんなにつらく苦しかろうと、前向きに生きるほか道はなかったのだ。 ――それなのに、竹は何故……。 竹蔵の心の内側を探り触れようとして、直は怯えた。深い野井戸の底をのぞくように、暗くて何も見えなかった。 ――母として、わたしは竹のなにを知っていたじゃろ。竹は小さい頃から外遊びがきらいで、いつも家にこもってぼんやりしていた。特に大病を患ったおぼえもないが、弱い子で、何かあればすぐ疲れて熱を出した。何をしても心から喜ばず、ほかの子ならば夢中で頬ばるものも、「うまない」とそっけなく箸をおく。「情けないやっちゃ。金玉あるんかいな」と政五郎はこぼしたが、直にしても、頼りに思う長男がこれではと悲しかった。だからいやがる竹をやっと説き伏せ、興村の吉さんへ修業に出した時は、他人の飯を食えばちっとはしっかりするじゃろうし、これで夫の職を継いでくれると、真実ほっとしたものだ。 ――この盆の藪入りで帰って来た時、竹の顔色はさえなんだ。甘やかしたらどもならん、と見て見ぬふりをしていたが、やさしく胸のうちを叩いてわだかまっているものを吐き出さしてやることこそ、母の態度ではなかったじゃろうか。いや、もっと早く、もっと小さいうちから竹の無気力の原因を突きとめていれば、こんなことにはならなんだかも知れん。 考えてみれば、竹にはいつも長男という意識で対し、気の弱い子やから逞しう育てたいという思いが先立って、いたわり抱擁してやろうという母の愛に欠けてはおらなんだか。頼りにならぬ夫に代わって長男の竹蔵にすがろうと、弱い苗木をむりに陽にあててしもうたのではなかったか。わたしの思いやりが足らなんだ。無学で、馬車馬みたいに働くことしかようせんさかい。わたしが竹をこんなにしてしもたんじゃ。こらえとくれ、こらえとくれ……。 石臼をひきながら、直は、「地獄の釜の焦げ起こしじゃ」とつぶやき、「わたしは何という業人であろう」と嗚咽をかみしめた。
 あたりはもう暗かった。残りわずかな油を気にしながら、久が行燈に灯をつけた。 興村からはまだ連絡がない。直が道に投げ捨ててきた荷を、近所の子らが届けてくれた。久がだまってそれを選り分け、建場に運んでわずかな米と明日の元手に代えてきた。一家は暗い気持ちで草粥をすすった。「竹兄さんが帰って来てやで」 清吉が威勢よく駈けこんできたのは夜半の二時に近かった。直ははじかれたように立ち上がった。 清吉は息をきらせながら言った。「どうしても家へ帰にたい言うてきかんさかい、みんなが駕篭で運んで来てや」 直は戸外へ走り出た。月明かりにすかしてみると、遠くに数人の人影がかたまってみえた。すぐ部屋に戻り、「竹が帰って来ますで」と政五郎を揺り起こし、その横に蒲団を敷いた。余分の蒲団はとうに質に流していた。自分の蒲団しかなかった。寒い季節には、まだ少し間があろう。それにしても、つい昨日のことに思える、戸板の上の夫を迎えた時の悲しみを再び繰り返さねばならぬとは……。 蒲団に寝かされた竹蔵の目尻から、涙がツーと尾を引いてこぼれ落ちた。「母さん……」 あとは何を言ったか聞きとれない。直は息子の髪を撫で、無精髭ののびた頬をさすった。真っ白い繃帯が、いたいたしい。多量の出血のせいであろう、うすい灯の下で唇も頬も黄色くたるんで、別人のように面がわりしていた。「夜の十一時ごろになって、やっとお医者はんが来てくれちゃってなあ、それから大きく開いたのどの傷を縫うてもろたんや。発見が早うて棟梁の処置がよかったもんで、養生さえしたら大丈夫やそうなで」と清吉は報告した。 ――どんな障害があろうと生きていてくれさえすればよい。竹に必要なのは、のどの傷より心の傷を治すこと。それならば金や力はのうても、母の誠心の限りを尽くしてみよう。 直はこみ上げる涙を隠して土間へ立った。はるばる運んでくれた人たちに、せめて茶なりとも進ぜねばすまない。 政五郎は黙って手をのばし、息子の手を探った。親子――というより、生活の不能力者どうしの共感の血が温かく通い合った。 送ってくれた吉蔵は、政五郎の枕元に坐って頭を畳にすりつけた。「棟梁、すんまへん。わしがついていながら、こんな面目ないことになってしもて」「何言うてんじゃいな。親のしつけが悪いさかい子供がでけそこのうてしもて。ほんまにあんたはんこそえらい目にあわせたなあ。こっちこそこらえてくれよ」と政五郎は神妙に頭を下げ、「けれど棟梁といわれると、身がすくむでよ。このざまでは、叩き大工どころか金槌も持てん」「そんな、棟梁……」と頭を下げる吉蔵に、政五郎は楽しげな声で言った。「それでも、めれ(で)たい晩やないかい。吉はんの手当てがよかったさかい、死ぬるはずの者が生き返ったげな。言うたら政五郎は、吉はんのおかげで新しく子を授かったようなもんや。ほんまに結構なこっちゃでよ」 ――そうだ、子が新しく授かったのだ。 直は夫の言葉を素直にかみしめ、うす紫の煙の中で、涙を流しながら火吹き竹を吹いた。めいった空気のきらいな夫がまたおどけ話をはじめたのであろう、座敷では政五郎を取り巻いて明るい笑い声がおこった。 直が茶を入れた盆をささげて行くと、政五郎は陽気な顔をふり向けた。「なんじゃ、番茶かいな、愛想のないこっちゃ」「……」「それよりおナや、竹の生き返った祝いに皆に一杯やってもらうさかい、一升つもりしてこいや」「はい、気がきかんことで……」と直は笑顔をつくって答えた。 地底から湧き上がるような夜霧に直は思わず襟元をかき合わせ、徳利をかかえて、ちびた下駄の音をひそませた。裏の竹林が月の光をさえぎって、酒屋の表戸のあたりは暗く静まり返っている。どぶ板がきしむ。店のくぐり戸をそっとたたいた。草も木も寝静まっているというこんな時刻に誰が起きてくれよう。しかし夫の顔を立て、吉蔵らの労に酬いるためには何としても酒がほしい。それでも考えまいとする明日のことが、明日につながるこれからの長い年月のことが、思わず戸をたたく手をにぶらせる。 この金をいま一升の酒にかえれば明日の元手にも行きづまる。味ないとすぐそっぽを向きそうな竹蔵に、せめて好物の白身魚のひとひらも食べさせ、力をつけてやりたいのに。せまい家に身も心も傷ついた気むずかしい長男と足腰たたぬ我がままな夫を並べて寝かせ、久や澄をかかえた明日からの毎日。 ――どうしたらよいんじゃろ。わたしはよほど業の深い人間じゃ。 直は足元の大地がきりもなく崩れ落ちて行くのを感じながら、戸をたたき続けるのだった。
 夜ふけて繕い物を終え行燈の灯りを消し、直は襖ごしに神床に向かって長いこと伏し拝んでいた。いつの頃からか、直は、神仏に対することが、わがままをきいてくれる親に甘えるように、心の澱を流し明日への生きる力を与えてくれる原動力になっていた。 八畳の神床の間には夫と竹蔵が寝入り、茶の間の六畳には二組の蒲団が並べて敷かれ、一組には久、小さな一組に澄がぐっすりと眠っている。 やがて直は体を細めるようにして澄の蒲団にすべりこみ、澄の前髪をかき上げて、大きなおでこに、ふくよかな頬にと唇をおしあてる。澄は瞼をあけようともがきながら「母たん」とつぶやき、胸の上にのしかかってくる。朝早くから他人の家々の軒をまわり、太陽が落ちてわが家に帰れば、慌ただしく家事に追われる母をしっかりつかんでいられるのは、この夢うつつの間の一時かぎりであった。 安堵したようにすぐまた安らかな寝息をたて始める澄を抱いて、直は眼を閉じた。そのままの形で明け方までひそと寝入るのがいつもなのに、今夜は何故か寝つきにくい。襖の向こうでも、さっきから夫の咳払いが聞こえる。ときどき重いため息とともに寝返りの気配がするのは、竹蔵も寝苦しいのだろうか。日がな一日、床の中にいては、それは無理もなかった。もう抜糸もすんで傷は回復しているのだが、起きろと言われないのをいいことに床から離れようとしない。やがて竹蔵に語りかける政五郎のおさえた声が、ぼそぼそと聞こえてきた。「興村の棟梁がなあ、体さえようなったらいつでも戻ってこいちゅうてくれとっちゃったばい」「うん……」と、竹蔵のにえきらぬ返事。しばらく沈黙があって、あきらめられぬように言う。「わし、どうしても、大工にならなあかんか?……」「そら総領やさかい、わしの跡つぐのん、あたり前のこっちゃな」と政五郎は当然のように答えた。「父さんいうたら、すぐにそれや。わし、その……総領やさかい、ちゅうのがかなわん。あの時、父さんが言うてくれちゃったやろ」「なんやったいな」「新しく子が授かった言うて。そやさかい、甚六のわしは死んで、澄のあとにもう一人やっかいな末子がでけたと思ってえな」 竹蔵の語調にはかってない真剣な響きがあった。直の神経は冴え冴えて、父と子の対話を一言も聞きもらすまいと耳を澄ました。 政五郎は不審そうに聞き返した。「なんでや」「父さんは、五男坊やろ」「そうや。おってもおらいでもわからんような五男坊じゃ」「そやさかい、長男のしんどさなど知っとっちゃらへん」「しんどい?……」「わし、重いんやな。年とった父さん、母さん、下にはまだよちよちの澄までごちゃごちゃと七人の弟妹……それが《ある》と思うだけで、ごつう重いんやな。なんちゅうのかな、その長男の責任ちゅうんじゃろか」「責任!……」と、政五郎は、びっくりした声をあげ、「責任てか……。そういえば、わしかて戸主としての責任があったんやろなあ。そんな面倒くさいこと考えたこともなかったでよ」「考えんと、きこんかいに(気ままに)生きてこれた父さんは幸せや。そのかわり、母さんが一人で三十年間もその責任を背おってきちゃった。あの細い体で……」「痛いことを言うのう……。ほんまに、その通りや……。今ごろ気いついても、もうわしの足腰は立たんわい」と、政五郎は珍しくしんみりした声であった。「父さんの無責任は天下御免や。けれどわしは、母さん見てるとつろうて息がつまりそうや。そのくせこんな甲斐性なしやで、わし、母さんの力になどようならん。弟や妹たちも、兄さんが一本立ちしたらと思うてるやろ。そしてわしが一本立ちしたら、母さんの代わりに、わしにみんなぶら下がるやろ、出口家の総領いうだけで……わしはそれが重い」 竹蔵の声は泣いているようであった。そして思いつめた調子で、「勝手言いまっしゃけど、わし、家族のことなど忘れて一人になりたい。どうせわしのような死にそこないは、あたぶさいわるうて綾部におられんさかい、思い切って誰も知らんとこへ飛び出してみたい」「よう言わんわ」「なあ、お父さん、あかんか」 直の心臓は激しく動悸をうった。政五郎も返事に窮したのか、長く吐息がもれたままである。 竹蔵はもどかしげにつけ加えた。「わしなあ、自由がほしいんや」「自由?……自由党とかいや」「そんなおとろしもんやないでえ。つまり好き勝手に一人で生きてみたいだけや」「なんちゅうこっちゃいな。自由やかって、金がなかったら手に入らへんでよ」「そんな上等の自由やのうてかまへん。着物かて、絹物から木綿のぼろまであるわな。わしはその安物のぼろぼろの自由でよいんや」「安物の自由?……」「食いたい時に食い、怠けとなったら寝て暮らす……」「食いとうても、銭なしでは食われへん」「それでも、食いともない時、味ないもん食わんなんよりましやろ。わし、食わしてもらえんことには子供の頃から慣れとるさかい……」「なんや当てつけみたいやのう。……それで何するつもりや。今の御時世、手に職をつけな生きていかれへんで」「土方でも、人足でも、なんなとするわな。わし一人なら、なんとかなる」「あのええ、お前みたいな大工もしんどい男が、力仕事など何できようわい」「わしがしんどいのん、期待されるこっちゃ。日傭い人足なら誰からも期待されんやろ。きめられた時間だけ働いて、あとはあるだけの銭で好きな酒をのむ。誰をもかまわへんし、誰からもかまわれとうない。もう首くくる度胸もないさかい、あぶくみたいに流されながら消えるまで生きとらなしょうがない」「お前があぶくなら、わしもあぶくか。わしは世の中がおもしろうてたまらん浮かれあぶくやが……」「母さんは違うで。足をしっかり地べたにつけて歩いとってじゃ。……母さんを嫁にして儲けたな、父さんは……」「みな、そう思いよる。確かにおナは、美徳のかたまりみたいに、なに一つあらのない女子じゃろうわい。それでも、そのあらのないちゅうのが、わしみたいな男の女房には大きな欠点じゃ」「なんでや」「たとえばやで、女の無口はよいこととされとるわな。けどおナと一日いっしょにおってみい。口の中に虫がわいて、たまには口あけて、お天道さまに虫干ししとうなる。まじめで、働き者で、我慢強うて、貞節で……そのどれとってもおナの上に出る女子はおるまい。わしがどんなスカタンしようが愚痴一つこぼすわけやない。いっぺんぐらい派手にひっかいてくれたら、かえって張り合いがあるんじゃがなあ。こっちは申し訳のうて顔見とられんもんで、外へ飛び出す。そしたらおナのことなど忘れて、また阿呆なことしでかす。これではまるでイタチごっこじゃ」「勝手な理屈やなあ、それでは母さんが気の毒じゃ」「よう知っちょるでよ。それでも、期待されるのがしんどいから放浪したいちゅうお前の言いぐさも、わしとどっちつかずや。……竹も嫁もろうなら、自分とひきくらべてほどほどの女をもらえ。そこへゆくと、死んだおみとなど欠点だらけで、甘い女やったで。わしがかもてやらなどうにも生きて行けんような……。それがまた不憫で可愛いてなあ。あーあ、なんやおみとが恋しいわいな」 政五郎はあくびまじりに言い、ついでに寝返ったのか、がたんと襖にぶつかる音がひびく。やがて声を低めた竹蔵のつぶやき。「母さんは、許してくれてやろか。わしがどこか遠くへ行く言うたら……怒ってやろなあ。いっそ何も言わんと黙って出て行こか、なあ、父さん……」 かすかに、いびきが応じた。「……お父さん、なあ……」 竹蔵はあきらめ悪げに父を揺さぶる気配だが、鼾は一段と高くなるばかりだった。 直の眼に涙がふくれ上がり、両耳のあたりにあふれ落ちた。あとからあとから湧いてくる涙を、流れるに任せていた。夫の言葉が直を打ちのめしたのではない。親を見捨て去ろうとする竹蔵に傷つけられたのでもない。だが突きはなされたような淋しさが、直の涙を汲み上げた。 直の持っているあるだけの心を傾ければ傾けるほど、竹蔵や夫は遠のいていく。どこかで食い違っていく。夫のほしかったもの、あるいは竹蔵の求めるものも、はじめから直の中にはなかったのではないか。 ――わたしみたいにおもしろうもない女を妻として、三十年もよう辛抱してくだされたと、またしても政五郎にきらわれそうな想いに身を縮めながら、だからと言って、今さらどう改めようもない自分が、うとましく情けなかった。 ――愛されなくても愛して生きよう、夫も子らも。それ以外に能のないわたしなら、そうするほかに道はないのだから……。 まだ乳の匂いの抜けきらぬ甘い寝息が、涙にぬれた直の頬にかかる。小さい手足が、暖かく母の体にまといつく。幼い澄の胸にすがるようにして、直は目を閉じるのだった。
「竹蔵、もうお前には厄介かけんさかい、体が治ったら、どこなと気ままに働きに行ったらよいわな」 それが長男という呪縛から解き放ち、出口家という重石をとりのぞいて、せめて今、直の見せられるせい一ぱいの親心であった。竹蔵は嬉しそうに直にうなずき返し、横に寝ている政五郎に微笑した。 やがて健康を回復した竹蔵は、大槻鹿蔵に連れられて、まだ陽の昇らぬうち、生まれた里を出ていった。隣家にも知られぬよう、出立はひそやかであった。伏見に茶摘みの出稼ぎだ。 直は一反風呂敷に秤を持ち、いつもの屑買いの風で質山峠まで送って行き、そこで別れた。竹蔵は口ごもり、泣くような笑うような表情でちらと母を見上げると、そのまま背を向けた。母の視線を意識してか、首を昂然と上げ、肩いからせて、ぎこちない足どりで離れて行く。虚勢の鎧が重たげだった。「竹蔵!……」 直はのど元まで出かかる叫びをこらえ、涙でぼやける眼をみはって立ちつくした。竹蔵は気丈にふり向かなかった。長い峠道を鹿蔵と二人、次第に小さく、名物の丹波霧の中にとけこんでいった。 これきり竹蔵に会えぬのではないかという不安が、直の胸にも、濃い霧となって立ち騒いだ。 茶摘みの時期が終って大槻鹿蔵は帰ってきたが、竹蔵は帰らなかった。「京都へんで、竹はんらしい人を見かけた者があるげな」という、模糊とした噂が流れた――。が、それきりであった。竹蔵からの音信はなく、まして言伝て一つない。現代の言葉でいえば、まさしく《蒸発》であった。「あぶくみたいに、消えるまで生きていかなしょうがないやろ」 あの夜聞いた竹蔵の言葉が、搦みついて離れない。縁のうすい長男のために蔭膳を供えて、無事を祈ることが直の日課となっていった。
 もう数日で明治二十年の正月になる。出口家では旧正月を祝うが、さりとて新正月はふだん通りにというのも、世間にはばかられる。 ――なんとか餅なりと。うちの人にも、お神酒の一杯なりと飲ましてあげたい。 隣室では政五郎の不規則な高鼾が聞こえる。行燈の灯を頼りに屑物を選り分け、澄の止めどもないお喋りに耳をかしながら、直の頭は暮れのやりくりに占められていた。 突然、表戸が激しい勢いであき、「お母ちゃん」と叫んで直の胸へとびこんできたものがある。「お龍ちゃん」と澄が驚いて立ち上がった。「どうしたのや、お龍、お前は王子に……」 ぐいぐいと頭を押しつけてくる龍に押し倒されそうになりながら、直はわが子の震える背がいたいたしく骨ばっているのに気づいた。遠い王子に預けているはずの龍が予告もなく今ごろ帰ってくるとは、いったい何があったのか。けれど龍は泣きじゃくるばかりで、答えようともせぬ。澄がそばへ寄り、大人ぶって小さな手で龍の背を撫でる。「お龍は先に帰ったかいな」と戸口から声をかけながら、旅姿の米が息をはずませて入ってきた。「お米、これはどうしたこと?……」 直は米を見上げて、一刻も早く事情を知りたげに問いかけた。「ああしんど。まあ、一服吸わして」 米は手あぶりの傍へぺたんと坐ると、煙管に煙草の葉をつめ、埋もれ火をかき立て火をつけた。形の良い鼻孔から器用に白い煙りを吐き出す。米は間もなく三十一歳、みがき上げた女盛りの色っぽさがこぼれるようである。米は部屋を見廻しながら、「おお、いや。あい変わらずこの家には貧乏のにおいがしみついてござる。お茶と言うても無い物ねだりやし、お澄、水くんどいで」「あの……王子へ行きなさったんか」「京都へ用事があったさかい、帰りしなに王子へ寄ってみたら、このお龍ときたら、痩せこけてひょろひょろしてまるで病人じゃ。こき使われるばかりで、ろくに物も食べさせてもらえなんだらしい。これ見てみいな、泣けてしもたでよ」「まあ、何ちゅう……」「いくら何でもあんまりや思うと腹が立って腹が立って、お琴と喧嘩して連れ戻してきたんじゃな」「おおきに、よう連れ帰ってくれなさった」「別にお礼言われる筋合いやない。お龍かてわたしの妹やもん。それであまりかわいそうなさかい、道々、お菓子やら何やら買うて食べさしたら、まるで餓鬼みたいやった。ゆうべ三の宮に泊まった時には、あんまり食べ過ぎて、吐くやらお腹下すやら、えらい騒ぎじゃ。何しろ半病人じゃさかい、手を引いたり、おぶったり、休み休み質山峠を越えて妙見さんまで来たら、お龍がな、わたしの手を振り離して駆け出すのや。憑かれたみたいにな。追いつけるもんやないわいな」「お龍、かんにんやで」 龍をかき抱いて泣く直を米は冷やかに眺め、澄のさし出す水を一気に飲み乾すと、立ち上がった。「子供を口減らしによそへ預けたら親は楽じゃろけど、預けられた子供は地獄や。おかげさんでどの子も、地獄の八丁目まで見物させてもらえるわ。なあ、お龍……」 米が立ち去るのを見すましたように、政五郎が隣室から弱々しい声をかけた。「お龍や、こっちへこいやい。父さんに顔見せんかい」
 明治二十年が明けた。 直の屑買いは、すっかり生業になっていた。近頃めっきり白くなった髪をきっちりと束ね、冬というのに洗いざらしの木綿の単衣一枚で、足には紙巻の古藁草履をはいていた。どんなに貧苦に沈淪しても見苦しくない姿だけはと、心がけていたのだが。 一月二十日(旧十二月二十七日)、直は上八田へ屑買いに行き、たくさんの屑物を背負って下八田まで帰ってきた。直の心は、押しせまった旧正月の用意で屈託していた。「もしもし、小母さん」 ふり返ると、商人風の旅姿の男が立ち、「どこから来なはった?」と問いかけた。「綾部の本宮ですわいな」と直は答えた。「そうか、ここらは結構なとこやなあ。わしらんとこは誰も屑買いに来てくれんさかい、暮(旧暦)にはみな屑物を集めて焼いとりますわい」 一瞬、直は自分の体内に火が走るような苦痛を感じた。 直の屑買いも初めは生業以外のものとは思わなかったが、次男の清吉が紙すきのわざを習い、捨てられた紙屑を白く新しく漉き上げる様を見てからは、心の目のさめる思いがした。清吉は、紙すきの原料としてコウゾやサネカヅラを採集し、それを直の買い集めた紙屑に足して、新しい紙に漉き直した。その再生紙を、直がまた紙屑とかえて歩くのだ。今でいうチリ紙交換である。 不要の品を買い集め、再び世の中に役立たせるよう送り出す屑買い業に、直は、近頃では、言葉で言えぬ喜びをさえ抱いていた。もう五日で旧正月になる。屑物の山が新しい年を前に再使命を果たさずむざむざ燃え尽きることを想像すると、じっとしていられなかったのだ。「なんとまあ、もったいないことでございますのう」と直は嘆息した。「あんた、遠いけど、買いに来ておくれな」「はい、よほど遠うございますかい」「丹後の宮津の近くやが……」 直はその道のりを脳裡で計った。綾部から七里(二十八キロ)余、日のあるうちの往復はとても無理であろう。峠を幾つか越えていっても、背負って帰れる物はいくばくでもない。引きあう商売ではなかった。だが、焼き捨てられる屑物の悲しげな炎がみえる。「仰山ござすじゃろなあ」「そらみんな困ってんねんさかい、仰山あるがなあ」「そんなら寄せてもらいますわい」「来てくれんさるなら正月前じゃで、早い方がよいで」「はい、どうぞ燃やさんと待っとっておくなされ」 直は旅人から詳しい道順を聞くと、心がはやってならなかった。欲得ではなかった。心底からこみ上げる使命感であった。 二日後、一月二十二日(旧十二月二十九日)の未明に出発し、丹後の宮津へ向かった。宮津へ行くには、名高い大江山を越えねばならない。丹後の気候は秋のけむるようなぬか雨と冬の深雪に代表されるが、河守を過ぎると、根雪はかなり深かった。 ほうけた薄が風にゆれる。一口に食えそうな小さな山柿が黒っぽくしぼんで、烏につつかれもせず木のてっぺんに三つ四つ残っているのが、雪の白と対照的に鮮やかである。 二瀬川の渓流が眼下にみえる。蛇行する険しい山道をのぼりつめ、熊笹しげる峠を幾つも越えて最後の普甲峠に立つ。遥かに青く一線をひいて宮津湾の美しい展望がひらけ、疲れた体に蘇生の思いを与えてくれる。直はここで、昼飯に芯まで冷えたじゃがいもを二つ食べ、雪を口にふくんでのどをうるおすと、また歩き出した。後は下り道である。 昼過ぎ、地図を頼りに宮津近在の男の家を探しあてた。男は綾部からはるばる訪ねて来た直の誠実さを喜び、親切に近隣に触れてくれた。直は、金のあるだけ、背に負えるだけ買いこんだ。 日あしの早い季節だ。頭まですっぽり隠れるほどの荷を背負い、村を発った頃は陽がかなり傾いていた。落ちる日と競うように足を早め、根雪の普甲峠にさしかかった。いつしか空は厚い雲にとざされて冷たい風が身を切るように吹きはじめた。すると待っていたように、風に乗って白い雪がとんできた。往きに眺めた宮津湾の展望を闇がとざし、さらに激しい灰色の斜線をひいて雪がかき消している。 夜の山道で吹雪に出会う危険を直はよく知っている。方向を見失うまいと眼をくばり、足をいそがせたが、雪は直を追い、行く手を立ちふさぎ、進む先々の道を素早く埋めていく。だが止まれば死ぬ。直は膝までもぐる雪をかきわけ、険しい山道を必死で登る。両側に迫っていた樹林が切れ、視界は空とも道ともつかぬ灰一色である。心を静め、一足ごとに道を探った。道はにわかに折れ曲がっていた。 そっとさし出した足がふいに崩れた。はっと立ち直る間もなく、重い荷に重心をとられてドドウと落ちこんでいく。必死にのばした腕が固い物にからみつき、夢中でそれにすがった。崖からのびている木の枝だった。這い上がろうとしても傾斜が強く、雪の深さと荷の重みでずるずる滑るばかりだ。叫ぼうにも、荷がのどに食いこんで声が出ない。風呂敷の結び目をけんめいに片手でほどくと、荷は雪崩をさそってゴーッと落ちて行った。どこまで落ちたのか、ただ雪煙が吹き上がるばかりであった。 枝につかまっている腕が、ふるえ、しびれてくる。死ぬわけにはいかない。家で待つ夫や娘たちの顔が浮かぶ。その幻に向かって、直は叫んだ。「助けておくれ、助けて」 声を限りに叫んだが、木霊も返らぬ。それでも知っている限りの神仏に祈りをこめて、絶え絶えに叫びつづけた。 頭上に灯がさした。「おーい」「どこだあ」 口々に呼ぶ声がする。「おう、あそこや」「ここはあぶのうて降りられんわい」 直が涸れた声をふりしぼって救いを求めると、「いま助けてやるぞう」と声が返った。 男たちは全部で五人、各自の帯をほどいてつなぎ合わせ、直の方へ投げてよこした。何度か失敗して、直はようやく帯の端をつかんだ。岩角に頭を打ち、膝をすりむきながら峠道に引きずり上げられた時、命の恩人である男たちの顔を、直はふり仰ぐ力も残っていなかった。「おおきに、おおきに……」 雪に膝をめりこませ、ただ拝むように頭を下げた。「落ちたのは、お前一人かい」と男が聞いた。「はい」と直は答えた。「今叫んどったのはたしかに若い女の声じゃったが……」「見れば婆さんじゃないか」 損したと言わんばかりの口ぶりだ。それでも彼らは、自分たちの帯をしめ直しながら、思わぬ人助けに快い興奮を感じていた。「もうちょっと先に茶店があるさかい、早う行ってお休み」 助けた相手が若い女ならば、茶店に運び入れて介抱し、遭難の事情など聞くかも知れない。あるいはわれ先に手を貸して、親切の押し売りをしたかも……。だが、提灯の灯の下にうずくまるのが木綿の単衣一枚の老女であれば、親切の限界もこれまでだった。男たちは降る雪にせきたてられて、道をいそいで宮津の方面へ去った。 男たちの話し声が遠ざかり消えて行くのを、放心したまま、直は聞いていた。灰色の闇と静寂が、再び直のまわりをとりまいた。 谷底にころがる荷の上にも激しく雪は積もっていよう。わが身が助かってみれば、想いは、ふり捨ててしまった荷に走る。新生の期待と喜びに揺れながら、しばらく直の背にあった血の通う思いの荷である。助ける方法があれば、どんなことでもしたい。 だが、降りやまぬ雪に直はようやくあきらめ、這うようにして茶店へたどりついた。茶店の亭主は土間に立った直を見て、眼を丸くした。「なしたまあ格好しとってんじゃ。どうしちゃったん?……」 乱れた髪から雫が流れ、膝の裂けた単衣をぐっしょりぬらしている。「その先の崖で足を滑らしまして、やっと通りがかりのお方に助けてもらいましたんや。それでも大切な荷を谷へ落としてしもうて、わやですわな。どうぞ納屋の隅なっと貸しとくれなはれ」「ほんにあだなこっちゃない。ま、風呂に火が焚けとるさかい、しゃっても風呂の口で火にあたんな」 亭主は、風呂の焚き口を教えてくれた。太い薪が二本、明るい炎をあげていた。火にあたると、急にたまらない寒さだった。凍っていた感覚が火で溶けてきたせいか、がたがた震えが止まらない。直は炎が肌をなめるまで火に近づいた。   丹波 但馬に妻もたれども 普甲峠の雪中を 風呂場では、客が湯舟につかって、気持ちよさそうに小唄をうたっている。直の髪や着物から湯気が上がったが、身内はぞくぞく寒い。ひどくひもじかった。昼の弁当にじゃがいもを二つ食べただけである。有金でぼろを買いきって、懐中は全く無一文だった。 空腹はともかく、この店の土間でなりと一夜を明かさせて貰えるだろうかと、直は案じた。 客も風呂から上がり焚き口の火もやがて燠となると、直は土間に戻って亭主に礼を言った。すると、風呂上がりの上機嫌で丹前にくつろぎ座敷で飲んでいた客が、声をかけた。「小母はん、ひどい目に会うちゃったげなが、谷へ落とした荷は何ほどのもんかいな」「はい、そんなに問われたらお恥ずかしゅうござすが、風呂敷一杯の紙屑やぼろ布でして……」「なに、ぼろ?……」と客はいぶかしんだ。「ぼろを買わねばその日が暮らせん屑買いでござすさかい、人さまから見ればぼろ屑でも、宮津の先から背おうてきた、わたしには大事な物ですでなあ。明日になって雪がやんだら、なんとか谷にくだってみたいのじゃが‥‥」「あほなこと。あの谷がくだれるかいな。命の助かったんがめっけもんやでよ」と、亭主が呆れたように手を振った。「それぐらいの物に未練をかけなはんな。少しじゃけど立て替えとくでなあ」と、客は紙に包んだ幾許かの金を直ににぎらせ、「遠慮しんとき。ちょっと大きな取引ができたさかい、その心祝いじゃと思うとくれ。明日は大晦日で、どこの家にも金がいる。待ってる子たちもあるのじゃろ」 直は思わず金を押し返そうとした。だができなかった。たとえ一厘の金でも欲しかった。おしいただきつつ泣いていた。人の慈悲への感謝と、それを受けねばならぬ卑屈な感情と……直は恵まれることに慣れてはいなかった。 その夜は土間の隅に縁台をかりて寝、翌朝は一夜の礼に風呂場の周囲をきれいに掃除した。そして河守まで行くという前夜の客と途中まで連れ立ち、雪に包まれた本宮へ着いたのは、大晦日の夕暮れに近かった。 人の情けの金子を二升の餅米に代えて家へ帰ると、母の無事な顔をみて子供たちはおどり上がって喜んだ。直は子供たちを抱きかかえて、夫の枕頭へ寄った。 政五郎は頭を持ち上げるようにし、「よう戻ってこれたなあ。この大雪やさかい、普甲峠は越えられんやろと案じたでよ。これで揃うて正月がでけるわいな」と言ったが、その眼にも語調にも妻の身を案じ喜ぶ気持ちがにじみ出ていた。これまでにないことだった。 直はこみ上げる感情を隠して、明るく笑った。「餅米が買えましたんや。今夜は、お餅搗きますでなあ」 わあっと家中が浮き立った。久は台所へ、直は正月を迎える準備に神床を清めはじめる。 その夜は、ほかに食べる物がないので、神床に供えたお下がりの餅米を煮て食べ、残りを摺り鉢に入れ、練木で搗いて餅を作った。「餅つきや、餅つきや」と、澄がそのまわりをはね廻った。 大晦日の夜は、夫や子供たちの衣服の繕いなどで夜を徹するのが、毎年の習慣だった。はしゃいでいた子供たちも寝て、政五郎と二人しみじみ除夜の鐘を聞いた。 明治二十(一八八七)年一月二十四日、前夜の餅を煮て、家族で旧正月を祝い合った。清吉も三箇日は本宮で過ごし、明るい笑い声に包まれた。しかしすぐきびしい生活が待っていた。
 直が普甲峠で風呂敷に包んだ荷を落としてからは、商売用の一反風呂敷を新しく買い求めることができず、赤茶けた継ぎはぎだらけの蚊帳が風呂敷の代用をした。昔はあざやかな萌黄色で、この中でいろいろな夢をみ、何度か質屋の蔵にも入った蚊帳が――。 出がけに直はいつも夫の枕辺に座し、やさしく声をかける。「なんなと買うてきますさかい、お好きなものを言うとくなはれ」 初めのうちは何かとねだった政五郎も、いつか笑って首を横にふるだけになった。結婚以来、ずっと直の苦闘に目をそむけるようにしてきた彼だが、こうして二年も床に臥し、一家の暮らしに直面させられてみると、さすがに妻の苦労が身にしみた。「もったいないのう、わしのような罰あたりに――」とつぶやきながら、不自由な手を重ねて直の後姿を拝む父に、久はあっけにとられた。久からそれを聞いた直は無性に淋しく、前のようにわがままいう夫になんとしても返ってほしいと願うのだった。 二月の半ばを過ぎて、政五郎の手足に浮腫があらわれた。政五郎も死期の近いことを悟ったとみえ、ある日、直が仕事から帰ってくると、遠慮がちに訴えた。「おナや、長う世話してくれたが、わしはもう死ぬやも知れんで、この世の名残りに酒を飲んでみたいがなあ」「よいとも、よいとも……それでもまだまだ死んでやないわいな。なんでもほしいもの言うて、力つけて下されや」 直は夫の久しぶりのねだりが嬉しくいそいそと土間へ下りたが、急に上がり框にしゃがみこみ、襟の中へ首を深くうずめた。今日は足をすりへらして歩き廻ったが商いが悪く、わずかの米を買ったあと、一文銭十枚しか残らなかったのだ。この金は明日の元手、一家の命の綱であった。家に金目の物などあろうはずがない。見まわした焦燥の眼が商売道具の秤に止まった。 星が凍りついた夜空の下を、直は本町の質屋へ急いだ。明日からの仕事にさしつかえるのは知れたことだが、秤はまたうけ出すことができる。死期の迫った夫の喜びには代えられない。 質屋の暖簾を分け、「これでどうぞ三銭貸しとくれしまへんかい」と直は秤をさし出して頼んだが、質屋の親父は手にとろうともせず、「屑屋の秤なぞ、なに質草になろうわい」と、にべもなかった。自分にこそ秤は大事でも他人には用のない物じゃったとうなだれて歩き出したが、ふと思いついた。 ――そうや、同業者なら、秤の大事さが分ってくれる。 本宮へ帰り、直は梅原おきの家の戸をたたいた。おきは行燈もつけず、囲炉裏にたいた肥松の明かりを頼りに、山と積んだ屑物を整理していた。囲炉裏の横では、澄と同年の娘の梅子が無心に眠っている。 おきは直の頼みを聞くと、怪訝な顔で聞いた。「この秤をかたに三銭貸せってかいな。何につこうてん」「うちの人がなあ、酒を飲みたい、言いますさかい……」「酒?……お酒かいな」「はい……もう、長うはないと思うでなあ」と直がきまり悪そうにうつむくと、おきは無言で背を向け、くすぶっている肥松に松葉を足した。「二銭でも……一銭でも……」と、縋るように直は言った。 ふり向いたおきのにぶい眼が、燃え上がる松葉の炎に光っていた。「うちの亭主が先年死ぬ前になあ、『ぼたもち食いたい』言うたんやな。わし、『なに贅沢ぬかす。棚からころげてくるのん、待ちなはれ』っていけずいうて取り合わなんだら、その晩、ぽっくり死んでなあ。あんなてっちもない亭主やったけど、ぼたもち作って墓に埋めてやったで。それでも、死んでからでは、『おおきに』とも言うてくれんわな。……あれ以来、ぼたもち見るのもかなわん」「……」「三銭は貸せんのや。明日の元手にいるさかい、すまんけど二銭でこらえてえな」「貸してくれなさるか……。おおきに」 直が二銭をにぎりしめ秤を置いて立ち上がると、おきは呼び止めた。「お直はん、この秤は持って行きな」「それでも……」「秤がのうて商売にならなんだら、貸した金も返ってこうへん。せい出して働いてもらわな」「……」「ほいでも、お互いに金がほしいなあ」「ほんまやなあ」「あんた、思わぬ金が入ったら、何につこうてや」とおきは気をひきたてるように笑顔をむけた。「そうですなあ……うちの人を羽二重の蒲団に寝せてなあ……吟味した酒を飲ませて……それでも金があったら、チョンガレの名人に枕元で堪能するまで語ってもらいたい」と直は夢見るように答えた。「女って考えることは亭主か子供のことばっかり……ははは……。たわごというてもしょうがないわなあ」 直が人肌に燗をした盃の酒を口に運んでやると、政五郎は舌の上で惜しむようにいつまでもころがし、深く嘆息した。「ああ、うまい、うまいのう」 酔いの廻りは早かった。「酒飲めばいつも心は春めきて、借銭取りも鶯の声……。ああ、酒に酔った酔った五勺の酒に、一合のんだら由良之助と……」 口癖の唄をうっとりとうたい、踊るつもりか手足を動かそうとしたが、もうその力はなかった。 翌朝、政五郎は餅をほしがった。 直は近所の出口庄右衛門に事情を話し、思いきって頼んだ。「たいへんご無心言まっしゃけど、餅米五合ほど貸して下され」 庄右衛門は気の毒がり、「貸すどころの騒ぎじゃないわい。さあさあ、持っていきな」と快く渡してくれた。 直はそれをよほど徳として、後々まで「あの時、出口庄右衛門さんに餅米五合お借りしましてなあ」と語っている。 政五郎は、餅を飴でもねぶるように楽しんでゆっくりのどへ通し、「もうこの世に、思い残すことはないわい」と幸福そうに言った。 午後になると、足のむくみは一層ひどくなった。股から膝にかけては痩せこけて骨の上に皮がたれ下がるようなのに、直のさする足首から踵の裏まで青白く重たくはれ上がって、どうにも足袋が入らない。 直は政五郎の寝こむのを待って、隣の大島房宅へ走った。「うちの人、足の裏まで浮腫がきてますのや。おしっこもほとんど出んようになったし……、どうしたもんじゃろう」「足の裏に浮腫が廻っとるのなら、お直はん、もうあかんでよ」「どうしょう、お房はん。なんぞ助ける手だてないじゃろか」「あんた、政五郎はんが死んだら、まっことかなわんと思うてか」「かなわん」と直は蒼ざめて、ぽきりと言った。「一体、手数ばかりかかる病人など生かしとっても、どもならんじゃろになあ。お直はん、いいかげん覚悟せな」と房はふるえている直の背を押し、つき合いきれぬと言うように戸口に戻した。 それからの直は仕事にも出て行かず、政五郎の傍を憑き物のように一刻も離れなかった。政五郎の息がせまる度に、「苦しゅうござすかい」と背を撫でさすると、「なんでやい」と政五郎は、不思議そうに見返した。 むくんだ足首がだんだん冷えてくる。直はそれを暖めようと、自分の懐の中にくるみこんだ。足は石のように重かった。「ええ気持じゃ。雲の上に寝とるんかいなあ」と政五郎はつぶやいた。 夕方近く鼾が高くなり、もう呼んでも揺すっても答えなくなった。その夜、米も、清吉も、伝吉も、父危篤と聞いて駆けつけて来た。 王子にいる栗山琴は間に合わず、行方の知れぬ竹蔵には知らせる手だてがなかった。 夜が更けても昏睡は続いた。子供たちはおし黙って、父の肉体の最後のあがきをみつめた。やがて子供たちは疲れてうたた寝をはじめたが、直だけは、何物も見落とすまいとするように見つめ続けた。乾いた唇に、水を含ませた綿をひっきりなしにあてがった。 明け方、清吉が目ざめて直の横に並んでのぞきこんだ。代わって清吉が水を飲ませた。かすかにのど元が動いて水の落ちていく音がした。直と清吉が顔を見合わせ、嬉しそうにうなずき合う。 ぽっかりと瞼がひらいた。眼は直の上をゆっくりと通り過ぎ、清吉に止まった。唇が動いた。清吉が声を聞きとろうと、父の上に顔を寄せた。「竹か、よう帰って……くれたなあ……おナのそば……もう離れなや」 とぎれとぎれに言った。 清吉がこらえきれず、「父さん、父さん……」と泣き声をあげてしがみついた。 その声で、米も久も伝吉もはね起きた。熟睡している龍や澄は目ざめなかった。……ことりと息がやんだ。 瞳はすきとおるように邪気がなく、唇はもう一度冗談でもいいたげに、少し開いていた。直がそっと瞼を撫でると、長い芝居の幕を閉じるように、多少惜しそうにつむるのだった。 政五郎は生涯三百軒を棟上げしたが、ただ一度の失敗といえば柱を一本短く切り損なっただけ、それも素人目には分らなかったと言われる。その名人大工が死んだ。 明治二十(一八八七)年三月一日、享年六十歳であった。 夫の遺体に着せる物がなかった。 直は、工面した金で、質屋から政五郎の着物をうけ出そうとした。が、すでに通知もなく、流れた後であった。そればかりか質屋の親父は、その政五郎の着物をふだん着に着て、平然と応対した。直は古着屋でやっと一枚の着物を買い求め、政五郎の遺体に着せた。 葬式は組内から費用を借りてすませ、遺体は上野町の禅宗西福院に葬られた。当時、西福院は無住寺で、読経してくれる坊さんもなく、戒名もつけられなかった。「それはそれは、淋しい葬式でありましたがええ。少しはおぼえております」と、末子の澄が後年語ったことである。