月の出を待つ平安京最後の天皇、

孝明天皇の遺勅と救世主 出口王仁三郎聖師 

切紙神示の奇跡編 出口 和明

大阪中央分苑 出口 恒

 

神秘を展く「切紙神示」

二〇一一年二月号掲載の、孝明天皇の遺勅を伝える佐藤紋次郎口述『たまほこのひ可里』。孝明天皇はその妹で有栖川宮熾仁親王の婚約者であった和宮親子内親王を徳川家茂に公武合体のため嫁がせたうえ、皇国の神術「切紙神示」と、「数表」によって神が示した意思に基づき、徹底した攘夷を主張しました。

 さらに「皇紀二千六百年(西暦千九百四十年)、その年に七十になる◎の拇印を持つ男、出口ヲーワニ(図三)(図二十五)に遺勅を託せば、三種の神宝と日の丸を奪いにくる米国から、その男が日本を救ってくれる」と旭形亀太郎に遺勅を託しました。 先月号に記事を掲載した後に、私の元には、何人かの読書の方からご要望をいただきました。そのひとつが、孝明天皇がその遺勅をどのように導き出したかを具体的に教えてほしいというもの。これは少し困難が伴いますが。 また「切紙神示」の具体的な方法を再掲載してほしい、一九〇二年六月十八日に逝去した父、出口和明の一九九八年からの孝明天皇の遺勅に関する誌上講座を再掲載してほしいなど。これには、可能な限り応えさせていただきます。 そして出口和明が後世にその解明を託した、「数表」の奇跡・秘密を追求し、公開してほしい……と。特に「天の立替ならびにノアの洪水から昭和十二年(皇紀二千五百九十七年)で一万二千年になる、この年から世界の大立替え、大峠が始まる」の予言。ここで言う天の立替とは、地球を左から巡る三個の星と右からまわっている三個の星とが地球ともども一直線に並ぶ。これは普通ありえないから、何の謎を示しているのか。 数表の解明には、「ヨハネの黙示録」はもとより、『霊界物語』、切紙神示、大本の歴史、型の思想、ノアとナオの方舟図などさまざまな読み込みが必要となります。それらの中から、今月号では最初に、出口和明の誌上講座(十)神秘を展く「切紙神示」を再編集し、掲載させていただきます。また私の判断により原文に註記をしました。註記についての文責は出口恒にあります。また解説を加え、写真・図を入れ、重複した内容は削除、その場所を明示し、必要により校正しています。また、和明がふれなかったところについては、質問と答えを追加しました。 一九九八年一月号に掲載の、誌上講座(十)「神秘を展く切紙神示」の発表時点では、『たまほこのひ可里』がまだ発見されておらず、和明の講演では孝明天皇には言及されていません。 この文中の、和明との対談での「問」は出口和明自身が設問を設定したものと考えています。  同誌上講座での、和明と問者の想定対談から始めます。
切紙神示を最初に伝えた 「掃き寄せ集」問 関西日本サイ科学会二十周年記念講演会で和明さんが講演し、その席で「切紙神示」を実演したことが本誌(平成九年十一月号)で報道されていましたが、読者から誌上講座で取り上げてほしいという要望があります。はじめに大本で「切紙神示」が紹介されたのは、いつ頃ですか。和明 活字になったのは、『神の国』大正十年一月号の「掃き寄せ集」です(註 P六十八写真参照)。聖師の執筆になるもので、それから一月後の辛酉の紀元節二月十二日、第一次大本事件が勃発する。掃き寄せ集  王仁……東京のやまと新聞本日発行紙上にも、左の記事が載っておったからついでに発表しておこう。 最近ある政客が例の大本教の正体を見届けるとていわゆる教理なるものを取寄せて探究した際、「紙剪り宣伝」なるものを覚えて一枚の白紙をそれぞれの方式に切り分けてまづ、外交関係から国家の将来を占断って見た。ところが世界に傍若無人の振舞をしている米国の勢力を削ぎかかると十字架が中から現われて、それがしまいまで害をする(註 米国の米の字を崩すと、中から神を示す十字架が出てくる)。そこで之に対抗するものはと見ると神サマと出る、何の神かと見ると坤とあって則ち綾部の方角を指す。さてこの二大勢力が衝突するのは何時かと見ると、明かに大正十年九月二十日午後一時と出る、それでは時の内閣は誰かと見ると、こはそもいかに原では厂のノが短くて字にならぬ、後藤の字も現われないのでもしやと仮りに作って見ると、最初の十字架があるためにかえって明かに加藤と現われたので、その政客膝を打って「ナールほど片岡直温の熱心な訳ダ」(註 衆議院議員片岡直温は桂太郎新党(立憲同志会)に参加するが、加藤高明も参加、加藤高明を支持する片岡直温は、加藤が総理になると喜ぶはずと政客は判断。しかし、原敬首相の後継、高橋是清内閣総辞職の際に総理に就任したのは、海軍大臣加藤友三郎であった)  紙切り宣伝については、この記事では、まだまだ要領を尽くしておらぬ。例の方法で切ってみると第一に不思議なのは、大日本。丹波。大本。本宮。出口直。王仁。直日。その他大本に関し、種々の文字が現れて来ることを付記しておく。大正十年は丹波の王仁も一奮発しなくてはなるまいと思う。王仁の隠忍期もいよいよ幕開きとなるのは、大正十年の節分後であろうと思う。(註 王仁の隠忍期の幕開き、変な言葉ですが、第一次大本教事件の発生は大正十年節分後の二月十二日とされており、隠忍期がひらく予言は当たっています。)
切紙神示を実演する問 この記事では「紙剪り宣伝」とか「紙切り宣伝」などと表現されていますが……和明 当時はそういう言い方をしたのでしょうね。だがいつとはなく「切紙神示」という名前で定着したようです。問 切紙神示を、和明さんのように講演などでするのは何が必要ですか。和明 サイ科学から与えられた演題が「王仁三郎の予言」なので、何とかこの機会に実演できないかと考えて、いい方法を思いつきました。大きな黒い紙にできた字を貼りつけて一度に見てもらう方法です。それを思いついたので初めて実演してみました。問 それだけでは、どんなものかわからない。和明 まず半紙ですが、一ハサミでスパッと切り落とすので、できれば洋紙より和紙の方が切りやすい。そこでクイズです。一牧の半紙を一ハサミで切って、三切れ以上の紙切れを作ることができますか。問 (かなり長考の上)二切れなら誰が切ってもできるのは当たり前だけど……まず不可能だ。和明 ところが三切れどころか、九切れの紙切れを作る。そのヒントは折り方です。まず私の言うように折ってみて。和明 一図から三図は飛行機を折るように。四図では下から(点線に沿って)次々と三度折ります。最初に折る幅は全体の五分の一。だから五図のように、上部五分の二が残る。そして一番下の折り目のところにハサミを入れて、一ハサミで切り落とします。(間者、切り落とす)。そう、それで良いのです。九枚に切れたら正解です。(註 飛行機の折り方で、三五教を思い浮かべながら、折る幅五分の一で三度折り、飛行機の底を切る)問 (切り落とした紙切れを何度も数えて)何回数えても七枚だけど、ハサミの入れ場所を間違えたのかな?和明 七枚になれば、正しくハサミが入っています。問 でも……九枚と?和明 そこが筆先で言う「一輪の秘密」じゃないが、肝心の二枚がどこかに潜んでいる。(間者、裏返して調べるが、発見できず)和明 (笑いながら)裏にはありませんよ。まず七枚の紙切れに、長い順に番号をつけてみましょう。タネも仕掛けもない。三番の紙切れを長い方を下にして振ってごらん。間 (はさまれていた紙切れが一枚、フワッと落ちる)あれ、どこから落ちたんだろう?和明 次に四番の紙切れも同じように長い方を下にして振って下さい。問 (七番と同じ形の紙切れがフワッと落ちる)不思議、ちゃんと九枚になった……フ-ン、三枚に切るのも不可能だと思いましたが、まさに神秘!和明 説明の便宜上、後の二枚のうち、太短い方に六番。八番と同じ小さな二等辺三角形に九番と番号を振ってみましょう。そこで六図の六は七に、七は八に番号が変ります。すると七図のようになります (間者は紙切れを開けようとする)。あ、開けずに半開きのままにしておいて下さい。(註 ◎の神とは、天の世では、天之峯火夫神で、そののちは、天之御中主神または神素盞嗚大神を示します。出口王仁三郎聖師は親指に「◎」の拇印をもたれ、主神の地上への顕現であることを示しています……)和明 王仁三郎の拇印は主神の印(図三)をかたどっています。
◎の言霊こそ宇宙万有の大根元にして、主の大神の根元大極元和明 紙は音で神に通じますが、何も手を加えない白紙のままの状態を天地剖判以前と想像して、『天祥地瑞』子の巻第一章「天之峯火夫の神」の冒頭部分を拝読します。 天もなく地もなく宇宙もなく、大虚空の中に一点のヽ、忽然と顕れ給う。この「ヽ」たるや、すみきり澄みきらいつつ次第々々に拡大して、一種の円形をなし、円形よりは湯気よりも煙よりも微細なる神明の気放射して、円形の圏を描きヽを包み、初めて◎の言霊生れ出でたり。この◎の言霊こそ宇宙万有の大根元にして、主の大神の根元大極元となり、皇神国の大本となり給う。我が日の本は、この◎の凝結したる万古不易に伝わりし神霊の妙機として、言霊の助くる国、言霊の天照る国、言霊の生くる国、言霊の幸はう国と称するも、この◎の言霊に基くものと知るべし。 キリストの聖書にヨハネ伝なるものあり。ヨとはあらゆる宇宙の大千世界の意なり、ハは無限に発達開展、拡張の意なり、ネは声音の意にして宇宙大根本の意なり。ヨハネ伝首章に日く「太初に道あり、道は神とともにあり、道は即ち神なり。この道は太初に神とともにあり。万物これに由りて造らる、造られたる者に一として之に由らで造られしは無」と明示しあるも、宇宙の大根元を創造したる主の神の神徳を称へたる言葉なり。晴明無比にして、澄切り澄きらいスースースースーと四方八万に限りなく、極みなく伸び拡ごり膨れ上り、遂に◎は極度に達してウの言霊発生せり。ウは万有の体を生み出す根元にして、ウの活動極まりてまた上へ上へと昇り、アの言霊を生めり(註  アの言霊は大物主であります、地であり、顕体であり、大本である。大気津姫の段(三)『霊界物語』十一巻十七章、アの言霊より生まれいでたもうた神が、大本顕津男の神。すなわち 紫徴天界の神で、出口聖師の精霊素盞嗚尊の御本霊) またウは降っては遂にオの言霊を生む。 ◎の活動を称して主の大神と称し、また天之峯火夫の神、又の御名を大国常立神言と奉称す。大虚空中に、葦芽の如く一点のヽ発生し、次第次第に膨上り、鳴り鳴りて遂に神明の形を現じ拾う。◎の神霊は◎の活動力によりて、上下左石に拡ごり、◎極まりてウの活用を現じたり。ウの活用より生れませる神名を字迦須美の神と言う。字迦須美は上にのぼり下に下り、神霊の活用を両分して物質の大元素を発生し給う。今日の天地の発生したるも、字迦須美の神の功なり。ウーウーウーと鳴り鳴りて鳴り極まるところに神霊の元子生まれ、物質の原質生まる。故に天之峯火夫の神と字迦須美の神の妙の動きによりて天津日鉾の神、大虚空中に出現したまい、言霊の原動力となり七十五声の神を生ませ給い、至大天球を創造したまいけるこそ実に畏き極みなりし、再拝。
宇宙の創造問 つまり宇宙は言霊によって造られたと言うわけですね。和明 無から有が生まれた。……だから◎の神を天之御中主大神と、別名を大国常立神言といいますが、ミコトに「神言」の二字が付せられている。そこで宇迦須美の神(ウの言霊)の活動で神霊の原子が生まれ、物質の原質が生まれる。神霊の元素を霊素、物質の元素を体素という。また火素・水素とも呼びます。その霊系の祖神が高皇産霊神、体系の祖神を神皇産霊神と尊称します。大虚空であった半紙に一ハサミ入れることによって活動が始まる。半開、つまり幽の顕の段階の九枚の紙切れによって、言霊が生まれる。 まず造ってみましょう。なお原則として、文字を作るのに、文字を重ねてはならず、九枚の紙切れをすべて使い切らねばなりません。 八図のように火と水、つまり万物の霊と体の根元である火素・水素の出現です。火と水でカミ、水と火でイキ、つまり命の誕生を意味します、また現界でこれに相応する火と水は、開祖出口直(厳霊)と聖師出口王仁三部(瑞霊)に象徴される。伊都能売神諭にも示されています。 変性男子は肉体は水、霊体は火であるなり、女子(聖師)は、肉体は火で霊体が水であるから、男子の旅立ちには水の守護なり、女子の旅立ちには火の守護となりたのであるぞよ。変性男子の霊魂は天の役、夫の役なり。女子の霊魂は地の役、妻の御用であるぞよ。火と水との守護で、天地を開く火水の経論であるから、この先は天と地との神の働きが明白にわかりてくるぞよ (大正七年旧十二月二十九日)。(註 これは開祖の水の洗礼、聖師のアジア諸国などへの巡教である火の洗礼・宣教による霊的救済の理解に役立ちます)
神と地獄の出現和明 宇宙の大元霊である大国常立尊から霊体両系の高皇産霊大神、神皇産霊大神が出現されたので、いよいよ顕の顕の働きになります。今まで半開きの紙切れの御用は終ったので、九枚を全部聞いてみて下さい。 切り紙神示には、まず神と地獄が現われます。ご存知のように地獄は英語でHELL、地獄は悪魔のいるところ、十の字は縦の棒が火の用(働き)で、横の棒が水の用、合わせて神を意味します。(註 饒速日尊は十種の神宝で「十」に関わり「神」を示します「三種の神器と十種の神宝」『新月の光』下巻。)問 大本の裏紋は丸に十字でしたね(註 宇宙に神の意と考えます)。和明 十曜の神紋の略ですね。問 キリスト教でも、十字架は神のシンボルだしね。わからないのは、最初は清かったはずの宇宙になぜ神と地獄が出るのか。和明 そのことは伊都能売神諭にも示されています。 天地の剖判れた初りから、邪気凝まって発生して出た悪の種が、漸次成長して、邪鬼と大蛇と悪狐となり、邪鬼には二本の角が生え、大蛇は八頭八尾一体となり、悪狐は金毛九尾白面の妖魅と化りて、三千世界を魔の国に変化てしまう悪い企みをいたして、ここまではトントン拍子に九分九厘まで自由に致して、今一厘と言う所になりた折に、この世に無いと思うておりた善一筋の生神が現われたのであるから、悪の頭が死物狂いで働いているが、モウ永くは続きはいたさんぞよ。八頭八尾、大蛇は露国の土地に育ちて唐天竺まで混ぜ返し、その国の王の身魂を使うて、色々と体主霊従の経論を致して、終にはその国の王まで苦しめて世に落して、露国と独逸の王をまた道具に使うて、同じくその王を苦しめ世に落して、悪魔は蔭から舌を出して、まだ飽き足らいで大海を越え、さらに仕組を致して、ついには日の本へ渡りて来る、悪い経論を致しておるが、道具に使はれる肉体は誠に気の毒なものであるぞよ……(大正八年一月十九日)
切紙神示発見のルーツとは問 一枚の紙切れから一ハサミで九枚の紙切れができることも不思議だが、そこから神とHELLが現れるなんて……和明さんは誰から教えられたんです?和明 中学生の頃だったと思いますが、切紙神示は大本の名物講師だった土井靖都先生に教えられてね、興奮しながら大学ノートに書き写して覚えたものだった。それがいつのまにか紛失し残念に思っていたのですが、後に昭和七年三月発行の土井靖都編集の『大本の出現とそのあかし』という小冊子に掲載されていたのを知りました。発見のいきさつはその小冊子に紹介されています。 この十字とHELLの出てくる由来について、一言して置く。かつて時事新報にこの由来について記載されしことがあるということであるが、以前、英国の一新聞社が一剪の下に十字架を切り出す方法を十万ドルで懸賞募集したとき、英国の一婦人が是に当選したのが即ち是であるとの事であるが、早くよりこの十字とHELLとの出現は、あまねく欧米人間に知れ渡っていたことである。間 それはいつ頃のことでしょう。和明 残念ながらそれ以上のことは全く分からない。欧米では十字とHELLの発見にとどまるだけですが、日本では全く別の発展をします。引用文の続きがある。
台湾ルーツの切紙神示 大本においてはこれが創見を異にしている。即ちもと台湾の桃園におられた医家 原登喜治氏(大本信者)が会社の会議の席上で、ゆくりなくも之を切り出して十字とHELLとを得られたるに始まるものである。爾来大本信者間においてこれは実に大本に関する事の説明を綴り出す、深甚微妙なる天啓であることを次第に発見するに至ったものである。問 確かに天啓でしょうね。とても人間の頭脳の産物とは思えない。ほかにどんな文字が出るのですか。和明 HELLでは日本人にはなじみにくい。そこで十一図のように、HELLは悪魔に変化します。和明 この世界は悪魔に支配されている「悪の世」・「獣の世」と筆先は示しますが、九枚の紙切れのうち、八枚までがHELLまたはアクマを構成し、それに対してただ一枚の紙切れで神を表わす。なんだか暗示的に思える。問 まさにこの世は神と悪魔の戦いなんですね。神につくか悪魔につくかという……和明 ぴったりの神諭がある。 ……今の世の中は悪魔が九分あるから、天地の実地の生神が悪魔を平らげるについては、世界中に誠がチットもないようになりてしもうて、世界の掃除が何時まで待ちておりたとて、一時も早く日本の実地の経論を始めねばできんように手を差し出すところも、足片足踏み込むところもないように汚れてしもうておるそよ……(大正五年旧二月三日)問 神の目から見れば、この世は片足を踏み入れるところがないほど汚れている……
神と悪魔との戦い和明 そこで、今まで化けていた天地の実地の生神一柱と、九分まで支配した悪魔との戦いになる。例の小冊子にも、筆先が引用されています。 天の岩戸開きがだんだんと近寄りたから、これまでのようなことにはいかんから、一か八かということを、悪魔の頭に書いて見せるがよいぞよ(年月日不詳)。恒 土井靖都先生の著書『大本の出現とそのあかし』から引用します。……現界を清めんとすれば、まず霊界を清めなければならぬ。聖書にはさすがにこの消息が述べられている。 かくて天に戦起これり。ミカエルその使者を率いて龍と戦う。龍もまたその使者を率いてこれと戦いしが勝つことを能わず。かつ再び天におることを得ず(黙示録十二の七、八)。 ミカエルの起ち上がる時は世の終わりの時であるが、ミカエルはその天軍を率いて「悪魔と呼ばれサタンと呼ばれる」大いなる赤龍、およびその率いる魔軍と戦ってこれに勝つのである。その他、多くの悪魔の頭領や眷属が仕末され、霊界が清められるのであるが、これが相応の理、相応の事実によって人間界に映り、人間界にも必ず神魔葛藤の大事到来を見るべきである。かくて初めて顕幽ともに立替え立直しが完成されるのである。しかし天使の長、ミカエルをダニエル書第十二章には、「汝の民の人々のために立つところの大なる君、ミカエル立ち上がらん」とある。…… 『霊界物語』から引用します。……「ミカエル」とは天地人、現幽神の三大界即ち三を立替る神人の意味なり。詳しく云へば、現幽神三つの世界を根本的に立替る神人、といふ意味なり。また男体にして女霊の活用をなし、女体にして男霊の活用をなす神人を称して「身変定」という(「身変定」『霊界物語』六巻二十八章)。 「神魔葛藤の大事到来」とは、大正十年九月二十日の本宮山神殿の破壊を意図されているのでしょうか。「ミカエル」とは厳の御霊「国祖」を指すというのが土井先生の立場ですが、厳の御霊でありながら瑞の御霊と合体した、みいづの御霊、伊都能売の神、出口王仁三郎聖師の霊ではないかと考えています。
救世神、みろく神、丹波、 大本の文字が顕れる和明 そこで神という字は、十二図のように漢字でも現れる。問 実に堂々とした文字ですね、ところで、薄い紙であれば、半紙でなくても良いのでは。和明 半紙は昔から日本人になじみのある紙で、習字にも使用した。平安時代の「延喜式」の細則に和紙の規格の記載があり、その寸法は、横二尺三寸(七〇cm)、縦一尺三寸(三九cm)でありそれを半分に切って使ったことからこのように呼ぶようになりました。切紙神示に使用するには、この縦横の比例が大事で、ほかの比例では、こんなにぴたりと神の字はできない。問 日本独特の半紙の寸法にも、神意が込められているのかな。和明 その神は救いの神であり、弥勒の大神です。十三図・十四図のように「スクヒ」と「十(神)」、「ミロ九」と示される。問 「ミロク」の「ク」の字が「九」の字になっているのは?和明 筆先の慣用として、「ク」は全部「九」で書かれている。(註 数表も三六九と「九」を使用か)問 なるほど、至れり尽せりですね。和明 そこで弥勤の大神の経論の地はどこかというと、丹波の国(十五図)の綾部(十六図)の大本(十七図)です。問 丹波は「タニハ」になっていますが。和明 それでいいのです。タンバは「タニハ」のなまったので、丹波は丹波・丹後・但馬と合せた広い国でした。本居宣長は「古事記伝」で述べています。 後の世にタンバと唱えるは、字音にひかれて訛れるものなり。迩をンと撥ねるから、音便に波をも濁れるなり。 「日に日に変る大本」という「筆先」の言葉がありますが、大本の文字は三種に変化します。土井端都先生によると、大正八年頃に大本の信者の中で一般的に知られていたのは十七図の形だった。次に十八図の「大本」、最後に十九図の「大本」に落ち着いたようです。間 なるほど、やはり十九図が一番落ち着く。切紙神示が完成される過程が分かるような気がする。原さんが最初に十字とHELLの不思議を発見して、それが信者間に伝えられて、あの字も出る、この字も出ると教え合い、興奮した様子が想像できます。和明 面白いのは、丹波や綾部は十字と対になって現われ、その出現地を示すが、大本は場所ではなく、神の経論される無形の集団だから、大本の中に十字が入っている。間 それで、原さんが天啓を受けられたのは、一番古い形態の「大本」の文字が使われていた大正八年ごろと考えていいのでしょうか。和明 それも大正八年末のことでしょう。台湾の名士だった高木鉄男・岩田久太郎(俳号は鳴球)氏らが大正七年に入信し、翌八年十一月二十八日に浅野和三郎・高木鉄男・岩田久太郎が台湾宣教に旅立ったことで火がつきます。和明 その神はどういう形で顕現したかというと、艮の金神(変性男子)・坤の金神(変性女子)、むろん十字が要になっている。 神が人を教化するために、三千年選び抜かれた神人が現実的には出口直と出口王仁三郎という二大神人です。切紙神示ではまず出口という文字が現れます。次に二十三図のように、「ナヲ」・「ヲニ」の文字が出ます。しかし世間ではワニの方が通用していたので、しからば「ワニ」にもなろうというので、どちらにも変幻する(二十三図)。問 なるほど、大化物と言われるわけだ。
二大勢力の激突は、大正十年九月(新十月)二十日午後一時恒 第一次大本教事件は大正十年二月十二日に勃発とされていますが、出口聖師に勾引状が発せられたのは二月十一日です。この日は辛酉の紀元節にあたります。大本教事件はかねてから予言されていました。……辛の酉の年は、変性女子に取りては後にも先にも無いような変わりたことができてくるから、前に気をつけておくぞよ(大正七年十二月二十二日記、同八年一月一日号『神霊界』所載) 辛酉の紀元節、四四十六の花の春、世の立替立直し、凡夫の耳も菊の年、九月八日のこの仕組み(大正八年一月二十七日記、同年二月一日号『神霊界』所載) 辛酉の紀元節に、第一次大本教事件勃発、四四十六の花の春とは、大正十六年(昭和二年)大本教事件免訴を示します。免訴だから花の春ですね。 大本教事件解決までの七年間の荒唐無稽の報道で、子供でも大本のことを知るようになったことが、「凡夫の耳も菊の年」。 菊(聞く)一日前、世間に先駆けて知らせるのが九月八日の仕組みですが、最後の審判を開く『霊界物語』の口述を神が聖師に命じた日付が、大正十年九月八日。京都府知事が九月八日の日付をもって、本宮山神殿破壊のための、出口聖師への呼出し状を作り、聖師が十一日に出頭された際、神殿の破壊を申し渡しをしたのです。 『霊界物語』口述開始が十(神を意味)日後の九月十八日。それを妨害するための、本宮山神殿破壊が、「掃き寄せ集」で予言された九月二十日。 第二次大本教事件の大審院判決が一九四五年九月八日。大審院判決は、二大勢力激突への最後の審判とも解釈できますが、第二次世界大戦敗戦後の判決・審判が、昭和二十六年(一九五一年)九月八日サンフランシスコ講和条約調印。これが九月八日の仕組みの一部ですね。さらに明治維新が九月八日なのですね。 大正八年の時点では、聖師はすべてお見通しだった。問 先に引用の「掃き寄せ集」で「二大勢力が衝突するのは何時かと見ると明かに大正十年九月二十日牛後一時と出る」とありますが、これがどうも分からない。まず二大勢力とは、何を指すのでしょう。和明 大本は三段の雛形を出すところだということは、よく知っていますね。問 はい、大本・日本・世界へと初めて知った時は、体が震えるほど驚き、今まで営々と蓄えたつもりの知識など、ふっとぶ思いでした。和明 大正十年時点での大本教団の置かれた立場でははっきり表現できずぼかされていますが、大本では聖師と未見真実の開祖信仰、日本的には軍国日本と大本教団、世界的には日本と世界に傍若無人の振舞をしている米国という対立になると思います。 そこで日本と米国(図二)が出る(註 掃き寄せ集の中に、「さてこの二大勢力が衝突するのは何時かと見ると、明かに大正十年九月二十日午後一時と出る」という文中で、二大勢力という言葉に注目しました。「二大勢力は一つは極東の一小孤島、一つは極西の一大大陸」という字句が「大相撲」『霊界物語』六四巻上巻十五章にあります。この文では日本と米国に相応します)。和明 大本では、神界に属することはたいてい旧暦で示されます。だからこの神示は旧暦と見るべきです。つまり新暦に直せば大正十年十月二十日です。問 その二日前の十月十八日に『霊界物語』が口述され始めた。和明 ええその二日後の十月二十日に本宮山の神殿破壊が始ります。問 あ、そうか……和明 本宮山の神殿はこの年の七月二十七日に完成し、拝殿はやっと八月に完成したばかりで、まだ木の香も新しい神明造りです。すべて最良の飛州(飛騨)の桧材が使われ、建築費三十九万円、地ならし付帯設備をふくめると六十万円という、当時の教団財政には巨額の出費でした。問 まだ結審もしていないのに、いきなり破壊を命じるなんて。和明 だから十一図なんです。霊界では神と悪魔の戦いだ。切紙神示では、大正十年旧九月、新十月、二十日午後一時(図六)と出る。問 午後一時というのは?和明 神殿破壊作業は午前十一時に始りますが、午前中は瑞垣の除去にとどまり、神殿に手をつけたのは牛後一時から。問 へえ、十一月も前に神殿破壊を予言し、しかも時間までぴったり当たるなんて。和明 本宮山神殿破壊については、『霊界物語』一巻十八章「霊界の情勢」に出ています。霊的には激突といってもいい。問 十八章というと、五六七の数ですね。 ……しかしながら柔順な盤古大神は、神界に対するかかる反逆に賛同されないので、邪神の霊は自ら頭目となり赤色旗を押し立てていろいろの御魂をその眷属に使いつつ、高天原乗っ取り策を講じている(註 高天原とは地の高天原綾部の大本を指すのでしょう。あるいは月宮殿が皇室の型とされたように。皇室そのものを指すのかもしれません。三段の型の思想からは両方か)。問 私が鈍いせいかこの文章が本宮山神殿破壊にかかわるなんて思えない……和明 章の末尾に口述の日時が示されていますね。それには「大正十年十月二十日、旧九月二十日谷口正治録」(図七)とある。問 そうか、神殿破壊の当日だ。しかも筆録者が後足で砂をかけて去っていく谷口雅春(のちの生長の家総裁)というのも妙ですね。和明 聖師は神殿破壊の音を聞きながら、本宮山真下の並松の祥雲閣で霊界に於ける正神と邪神との激しい攻防を口述された。最凶の日。普通なら胸は煮えくり返り、頭はまっ自ですよ。問 世間はそう考えたでしょう。和明 それは神殿破壊を報じた新聞でも察せられます。少し長いが、当時の模様をしのぶために、翌十月二十一日付の『大阪朝日新聞』の記事を抜粋しましょう。先づ玉垣の銅板から剥がし始めた本宮山神殿 柱を抱いて泣き狂う信者の群  大本教本宮山神殿の取り壊しはいよいよ二十日の朝から着手された。京都府警察部からは今江警部が十名の警官、工事請負の鈴木久氏が二十名の人夫を引率し、朝の十時半綾部駅に到着。一同綾部警察署に集合し昼食を終わり、今江警部はまず取り壊しについて人夫に「信者の反感を買わぬようにすること、次に工事は破壊でなくて取除けの心持ちを忘れぬ様にすること」と訓示し、一同は十分の気合いを呑み込み、いよいよ十時十五分、警察署を出発した。各人夫は紺の法被に白襷十文字に綾取り、赤木綿の捩鉢巻きで、何れも掛矢、鶴嘴、金梃、梯子等を担いで行人監視の中を、大本教が神聖不可侵の地と定めた本営山上に乗込んだ。 宛然吉良邸の討入り光景は寧ろ悲惨。
リアルタイムで後述された 『霊界物語』 やがて十時四十五分に及んで、さあ始めよとの親方の指揮に、まづ楼門続きの玉垣の上にバラバラとかけあがる態はまるで赤穂義士の吉良邸打入りの光景である。 いよいよ玉垣屋根の銅板を剥ぎ放す音から始まり、メリメリ丁々と異様な響きが空に伝はる。並松橋畔の中野老鉄山氏の別荘に神経衰弱になって寝ている王仁三郎は、これを耳にして、日を瞑り胸を抑えて仰臥していたということである。 この日、警官は本宮山の四面を囲んで一般人の入場を防いでいた…… こうして表面静穏裡にある大本信者も油断はできないとあって、警官隊は出動準備甲斐々々しく警察署に控へていた。天から降ったか地から湧いたか工事開始と同時刻に、突如として三千五百名の在郷軍人団が綾部町に現われた。 これは何鹿郡在郷軍人の総動員で、本宮山下の小学校に集合し、行動ラッパで付近を練り歩く。余所ながら警戒の用意と見られた。綾部町が国旗を掲げたのは折柄の大本教に皮肉に見られた……。 瞬く間に長さ五十九間の透し塀は全部取り壊され、三棟の神明殿、十曜金色の定紋眩き内陣の扉も、異様の音響と共に雨中にホリ出された光景はむしろ悲惨であった。欄干も型なく取穀され、いよいよ楼門の取り壊しに着手されたのは午後二時であった。問 ……ところで引用の記事では、警官や人夫が朝の十時半に綾部駅に到着したと書かれ、すぐその後、十時十五分に綾部警察を出発したとあるのは矛盾ですね。和明 明らかに誤報です。当時は通信網が発達してないので翌朝の新聞に間に合わせようと思えば、読み返す時間もなかったのでしょう。おそらく綾部駅到着はずっと時間が早いはずです。 ところで報道では、神経衰弱の聖師は目をつむり、胸をおさえて仰臥していたと悲嘆にくれているように述べていますが、案に相違で、新教典や『霊界物語』を横になりつつ静かに口述されていた。問 リアルタイムで口述された一巻十八章の先程の部分ですが、「赤色旗を押立てて」という言葉は初めて見ましたが。和明 事件前にはありましたが事件後に再刊された『霊界物語』にはその箇所がけずられている。本当は人夫たちが「赤木綿の捩じり鉢巻きで神殿の破壊にかかったのを、当局の検閲を免れるために、そういう表現になさったのでしょう。ところが戦後は米ソ対立の激しい時なので、あえてけずったと思われます。問 「赤色旗」といえば、誰でも赤旗を連思しますからね。(註 誌上講座(十)『神の国』誌一九九八年一月号掲載、が発表された同月の一月十九日、聖師ご昇天五十周年の当日、孝明天皇の遺勅を記した『たまほこのひ可里』が東京の藤井さんの手を経て、「切り紙神示」の秘密と「数表」とともに熊野館で発見されました。写真の天皇旗(赤色旗か)は、禁門の変のときに孝明天皇が旭形亀太郎に託したもので、明治二十五年に宮内庁に返還されました。以下は発見後の一九九八年五月号誌上講座(十三)から引用します)赤色旗は、旭形亀太郎が孝明天皇から託された天皇旗か和明 ところが孝明天皇から旭形に託された天皇旗について、ある人が私の話を伝え聞いて「赤色旗を押立てて」の赤色旗(図九)は天皇旗のことではないかと言われたそうです。私はそれを聞いて、どきっとした。赤地白菊の天皇旗は赤色が強烈で、まさに赤色旗だから……間 確かにそうだ!私も『照日の影』で天皇旗のカラーの赤で印刷された絵を初めて見た時、そんな印象を持ちました。だがまさか一巻十八章の「赤色旗」とはね……。点、赤旗で象徴される共産党はむしろ弾圧される側にあった。だからそれは遠い将来、共産党が大本を破壊する前兆じゃないかと思っている人もいた。しかし赤色旗が天皇旗であれば、まさに先に引用した物語の通りで、天皇と大本との対決だったということです。(註 神素盞嗚尊と大黒主との対決と読み替えることもできるのでしょうか)
原敬の暗殺と掃き寄せ集 ふたたび、問者と和明の対談に戻ります。問 ところで「掃き寄せ集」では、この時の内閣は、「原では厂のノが短くて字にならん」と書かれ、加藤内閣ができるように読める。だが現実には原敬(図十)内閣だった。この点では予言はハズレですが、加藤内閣は大正十年六月九日に実現していますね。和明 原敬は政友会の政治家で、大正七年九月に政権を獲得し、「掃き寄せ集」の発表された大正十年一月時点も総理で、大本を弾圧します。そして神殿破壊のわずか半月後の十一月四日、中岡艮一の凶刃に倒れる。犯人の名前に、珍しい艮の一字を持つことも団緑めく。和明 前に書きましたが、ヨハネ黙示録の「もし彼らを害はんとする者あらば、必ずかくの如く殺さるべし」の言葉を連想させる。しかし「ノの字が短くて字にならん」というのは、神殿破壊後の内閣が短命であることを暗示しているようだし、ノは中岡の持った短刀を指すとも思える。当時の新聞報道では、凶器は「五寸ばかりの短刀」だそうだからーー(註 原敬の遭難を王仁三郎は先知し、つぎのような話が残っている。当日王仁三郎は面会中であったが、ふいに「あっ!原敬がやられた」とおどろきの声をあげた。人々が訪ねると、「東京駅で青年に襲われた」という。人々が「いまから原首相に気をつけるよう知らせては」というと王仁三郎は、「霊界で起きたことはやがて現実界にあらわれてくるから、今から注意してもあかん」と答えている。原敬が遭難したのは、それから二時間後のことだった(出口京太郎著『巨人出口王仁三郎』講談社刊)。間 切紙神示の記事を掲載したという「やまと新聞』というのは、どんな新聞でしょう。和明 『大本七十年史』上巻を調べていて、次の記述を見つけました。 ……全国の新聞が大本攻撃や中傷などに意欲的となるなかにあって「九州日報」・「愛媛新聞」・「大やまと新聞」(野口如月が関係している)・「茨城新聞」・「北海タイムス」などの地方新聞は、好意的な大本紹介の記事をのせたので宣教にはかえって役立った。和明 これを見て、今までの疑問が一気に氷解しました。切紙神示の記事を掲載した「やまと新聞」は野口如月氏が関係しているとある。野口氏は茨城の主会長まで勤めた熱心な聖師崇拝者ですから、世間の思惑を気にせず大本紹介の記事を書いた。
世界の悪神の棟梁はウィルソンにかかった だが記事の内容ですが、米国が悪魔の代表のように書かれている。原敬内閣は、外交ではアメリカとの協調を重視していました。ところが『神霊界』大正七年十一月十一日号の「編集室より」には、 世界の悪神の棟梁は露国の王(図十一)を捨ててカイゼル(註ドイツ皐帝ウィルヘルム二世 図十二)にかかって荒び廻っておりましたが、過ぐる(大正七年十一月)三日(次号で十一月一日と訂正)からウィルソン(註 第二十八代ウッドロー・ウィルソン米大統領(図十三)国際連盟創設を提唱、但し米国は参加せず)に憑りました(註 十一月三日ドイツ革命始まる。六日なお昇天、九日ドイツが共和国を宣言、十日ドイツ ウィルヘルム二世ドイツに亡命、十一日第一次世界大戦終結)。問 ずいぶん大胆なことが書いてありますが、ウイルソンに憑ったという十一月一日はどんな日ですか。和明 前日の十月三十一日が七十五日の行の上りで、聖師は心身を浄化されて六日後に迫る開祖の昇天を待たれる…… 編集者がこのような記事を独断で掲戟できるはずがないから、当然、聖師の指示だと思われる。アメリカとの協調を重視する原内閣の神経を逆なでするような記事だ。つまり「やまと新聞」の記事も、聖師の主張に添っている。問 どういうことか、よく分からない。
聖師の執筆した「やまと新聞」の記事 和明 つまり私の言いたいのは、「やまと新聞」が掲戟した記事は聖帥の執筆になるということです。聖帥は本宮山神殿破壊を予知して、検挙される前に何とかして信者にメッセージを残したかった。だが大本の機関誌に掲載すれば、立ち所に発行停止、流言飛語を流したというので、弾圧の機会を早めることになる。そこで野口氏の新聞を通じて、ニュース・ソースを伏せて掲載させ、それを『神霊界』に転載する。それも「王仁」の署名入りの「掃き寄せ集」にね。これなら聖師に累が及ばない……和明 これが聖師の預言だと自信を持ったので、初めてサイ科学で発表する気になったのです。「やまと新聞」の転載であるならば聖師の予言とは言えず、単なる偶然に過ぎない。それに引用の「やまと新聞」の記事に、切紙神示で占うと「明かに大正十年九月二十日午後一時と出る」とありますが、問 たしかに聖師の予言ですね。和明 そして神殿破壊の時間まで予告する。神業としか思えない。問 ここまで読んでも、偶然だろうと疑う人もあるでしょうね。和明 プロパリティー(蓋然性)の問題からも、ここまで九枚の紙切れで大本や聖師に関したことが現われるというのは、天啓としか表現できない。これをなお偶然と言い張る人なら、大地が逆さになっても偶然ですますでしょう。
霊界物語口述の日付 最近の発見ですが、本宮山神殿破壊と『霊界物語』口述は表裏になっているはずだから、その日にちも切紙神示で出るのじゃないかと思った。間 『霊界物語』の口述開始は大正十年旧九月十八日、新十月十八日でしたね。和明 だから大正十年旧九月、新十月(図六)まではすでに切紙神示で示されている。残るは図六の二十日、これが十八日に変ればいい。そこで二十を逆に十二と置き換えて、一を八に変えれば新暦旧暦とも『霊界物語』口述の日にちが出ることになる。これが図十五です。
一九九八年五月号 誌上講座(十三)より一部転載 宮沢賢治も切紙神示を知っていた問 先日、東京で和明さんの対外講演が行われたそうですが、いかがでした?和明 三月二十二日、有楽町の駅前のマリオン十一階で午後一時半から四時半まで開かれました。「出口王仁三郎の神秘の扉を開く」という演題で。大変な盛況でしたが、私にとっても、いろいろ勉強させてもらった。 切り紙神示の話をしたところ、聴講者の一人が最初の休憩時間に貴重な情報を教えてくれた。神習教で切紙神示が伝わっているというんです。 しかし、切紙紙示は管長相伝ということで、管長が誰から何を伝えられたかはまったくわからないということです。和明 同じ休憩時間に、聴講された帝京大学の宮崎義至先生がこんなことを教えてれた。三年前に台湾に行った時、ある高官が座興に「十字とHELL」を一枚の紙から切り出し、「正しい人は十字架の元へ行き、悪人は地獄に落ちるという教訓だ」と語ったそうです。そして「HELLはまたLOVEとも変化する(図十六)」と言って実際に見せると、みな大変に驚いたそうです。問 台湾なら漢字の国だから、欧米よりもよく理解できるでしょう。 森繁久彌が外人から聞いたように、「十字とHELL」が欧米ばかりか、台湾でも知られているというもうひとつの実証だ。
切り紙神示とオホーツク晩歌和明 さらに宮崎先生は、宮沢賢治の詩集に「十字架とHELL」が歌われているというのです。…… 『宮沢賢治全集』全十四巻(筑摩書房刊)の一巻に収録されていたもので「オホーツク挽歌」という百十九行に及ぶ長い詩の一節です。オホーツク海(図十七)の描写で始まる静かで寂しいトーンで歌われ、思いは前年十一月に死んだ妹とし子に及ぶ。関係部分を抜粋します。鳥は雲のこっちを上下する ここから今朝船が滑って行ったのだ 砂に刻まれたその船底の痕と 巨きな横の台木のくぼみ それはひとつの曲った十字架だ 幾本かの小さな木片で HELLと書きそれをLOVEとなほし ひとつの十字架をたてることは よくたれでもがやる技術なので とし子がそれをならべたとき わたくしはつめたくわらった(貝がひときわ砂にうづもれ白いそのふちばかり出ている)ようやく乾いたばかりのこまかな砂が この十字架の刻みのなかをながれ いまはもうどんどん流れている 海がこんなに青いのに わたくしがまだとし子のことを考えていると なぜおまえはそんなにひとりばかりの妹を 悼んでいるかと遠いひとびとの表情が言い またわたくしのなかでいう(casual ob!server!superficialtraveler!)問 英語の部分は何が書いてあるんです!和明 『宮沢賢治「妹トシへの詩」鑑賞』(青蛾書房刊 著者・暮尾淳)によると、「気まぐれな観察者よ、うわすべりな旅行者よ」ということです。間 宮沢賢治は何時ごろ誰から十字とHELLについて聞いたのでしょう。和明 この詩の作られたのは大正十二年八月四日だから、それ以前。そして木片でとし子とたわむれたのが幻想でないなら、とし子の死んだ大正十一年十一月以前ということになる。大本で初めて切紙神示という言葉が出たのは『神の国』誌大正十年一月号の「掃き寄せ集」ですから時期的には重なります。問 しかし宮沢賢治と切紙神示の取り合わせは意外ですね。……以下は、『たまほこのひ可里』発見後の会話です。
出口ナクセバ日本ホロブ間 ところで前回、孝明天皇から旭形に切紙神示を伝授されたということでしたが、具体的にはどんな?和明 それについて、(旭形亀太郎と、孝明天皇の遺志を受け継ぐ)佐藤紋次郎が伝えている。『たまほこのひ可里』から抜粋します。 この神示に現れまする主なものの一二を左に掲げる事にいたします。一、救世主は「火」霊と「水」霊の二大神であってアジアの日本タニハアヤベに出口ナカ出口ヲーワニと顕現する。一、ヲーワニ神のオヤク、二千六百年で七十のトシ、神が見止めて神が守る一、タンバアヤベ出口ナクセバ日本はホロブ一、大日本の三山はミセン山、ヨツヲ山、ホン九山、一、ヨツヲ山は世をツグカミ山、寺山へコム、十里四方神のミヤコトナル一、日本のミ九サ(三種)の神タカラとヒノマルのミハタをベーコクはウバウタクミ、ユダンスルナ一、日米戦の状態は、天はヒコーキ、ヒコー千、バクダン、地は旭のミハタ、大ホ、タン九、ウミヲクグルマノフネ、 その他米国は日本から日の丸を奪って是を踏み台にして日本を蹂躙する魂胆である事や天皇機関説等反国体思想の事も出ており、そして是を追放すると「日の出」となり、「日の守」となる事も出て参るのでございます。(註 日の丸を奪うということは、日の丸、すなわち「主神」のシンボルを奪うことにつながるのではないか)問 本当にこんないろいろな文字が出るのかなあ!和明 不明の点もありますが、カタカナの箇所はほとんど出るみたい。問 しかし日米戦の状況を伝える切紙神示に飛行機や飛行船などの言葉が出てきますが、孝明天皇の在世中にはそんなものはなかったはずだけど。和明 切紙神示を示した神はすでに知っていたのかも。恒 ライト兄弟の初飛行は一九〇三年、飛行船の初試験飛行は一八五二年だが、一八八四年、初の電動飛行がなされる。第一次世界大戦においては、ドイツ軍により軍用飛行船が用いられ、ロンドン空襲などを行った。初めて「戦車」としての基本形を整えたのは第一次大戦中に登場したフランスのルノーFTー十七という軽戦車。ウミヲクグルマノフネ(潜水艦)、近代潜水艦の登場は、千九百年だが、本格的な活躍は第一次世界大戦から。孝明天皇は兵器の未来までも予言していたのか。 飛行という概念、漢字自体は孝明天皇の時代に当然にあったでしょう。飛行機は天の磐船、天の鳥船でなく飛行機と表現していますが、潜水艦はその言葉がなかったのか、ウミヲクグルマノフネと名付けられていることは興味深いですね。恒 皇室に初めて地球儀・上大地国形表(おおちのくにがたをたてまつるひょう)図十八が献上されたのは、嘉永五年(一八五二)に水戸藩主・徳川斉昭が孝明天皇に贈ったものとされています。二十一歳の頃で、世界の歴史、地誌に興味がなかったはずがありません。さまざまなご進講もあったと考えます。 当然、キリスト教の知識、十字架の知識より「切り紙神示」の「十」をキリスト教における神とも認識されていたはずです。質問の再設定による仮想対談問 『霊界物語』と「掃き寄せ集」に、同じ「大正十年十月廿日(旧九月二十日)午後一時」という文字が出ています。「掃き寄せ集」の「二大勢力の激突」という文字は『霊界物語』の本質とどう関わるのでしょうか。恒 これは大変重要な問題ですね。『霊界物語』は、最後の審判書であることが聖師により書かれています。最後の審判では善と悪が最終的に裁かれるのですから、「アクマ」がその全力をあげて口述を阻止にかかるのは明白です。『霊界物語』の口述開始が大正十年九月(新十月)十八日ですから、その二日後の二十日、めざとくもアクマが本宮山神殿の破壊開始という形で、天の御三体の神様の神殿もろとも、神の教えを葬りさろうとしたのでしょう。だから、最後の審判が開かれ、善と悪を立て分けることを妨害するための、神と悪魔の二大勢力の衝突という見方ができると思います。『霊界物語』を引用しましょう。 霊界物語にとってもっとも由緒深き神山を朝夕打ちながめ、ノアの方舟なす(霊界物語の)口述台に横たわりつつ、四月一日より本日正午にかけ、真善美愛の戌の巻(五十九巻)を編著し了りたり。白砂青松の海岸を四五の信徒と共に逍遥しつつ、松露の玉を拾い拾いホテルの二階に帰り、大山の霊峯と差向い互に黙々として睨みあいつつ認めおわりぬ。大正十二年四月三日 於皆生温泉 (「序」『霊界物語』五十九巻一章)(註 皆生温泉はハルの海、浮島の怪猫の舞台のひとつ) キリストは、最後の審判をなす為めに再臨すると言ったが、彼の最後の審判と言うのは、火の洗礼を施す事の謂いである。彼は火の洗礼を施さんとして、その偉業が中途にして挫折したため、再び来って火の洗礼を、完成せんと欲したのである(「霊界物語は最後の審判書なり」『水鏡』)。 火洗礼とは……天国に入り得るものと、地獄に陥落するものとの【標準】、霊界物語によって示されつつある【神示】を示されること。この標準を示されて後、各自はその自由意志によって、自ら選んで天国に入り、或は自ら進んで地獄に落ちる。それは各自の意思想念の如何によるのである。 また、最後の審判をなしたまうのは、天帝ですが、天帝は瑞の御霊に万物の救いを委ねたとあります。また瑞の霊は世界中の、罪有る霊魂を、清める役目であり、救いの門を開いて、高天原ヘ導く霊魂の唯一つの案内者であるとされています(『道の栞』第二巻上(一)より)。問 天国に行くか、地獄にいくかの標準は『霊界物語』の神示に示されているならば、『霊界物語』を読まず、聖師も信じない人には、高天原への案内者がいないことになりますね。恒 そうですね。アクマにとってみれば、そのほうが仲間が増えて都合が良いとは考えますが。問 『霊界物語』第一巻序ですが、序 この『霊界物語』は、天地剖判の初めより天の岩戸開き後、神素盞嗚命が地球上に跋扈跳梁せる八岐大蛇を寸断し、つひに叢雲宝剣をえて天祖に奉り、至誠を天地に表はし五六七神政の成就、松の世を建設し、国祖を地上霊界の主宰神たらしめたまひし太古の神代の物語および霊界探険の大要を略述し、苦・集・滅・道を説き、道・法・礼・節を開示せしものにして、決して現界の事象にたいし、偶意的に編述せしものにあらず。されど神界幽界の出来事は、古今東西の区別なく、現界に現はれ来ることも、あながち否み難きは事実にして、単に神幽両界の事のみと解し等閑に附せず、これによりて心魂を清め言行を改め、霊主体従の本旨を実行されむことを希望す……大正十年十月廿日 午後一時       於松雲閣 瑞月出口王仁三郎誌(「序」『霊界物語』一巻)とあります。「神素盞嗚命が地球上に跋扈跳梁せる八岐大蛇を寸断し」とあるのは、「掃き寄せ集」にある二大勢力を示しているのかもしまれせんね。恒 そしてこの文中で、「十月廿日午後一時」(図十九)と時刻まで記載しながら、「されど神界幽界の出来事は、古今東西の区別なく、現界に現はれ来ることも、あながち否み難きは事実」とあり、今リアルタイムで進行しつつある午後一時の本宮山神殿破壊が『霊界物語』での神界、幽界での再現であることを示唆しています。問 ところでふと『霊界物語』をみて気づいたことですが、「大正十年十月廿日午後一時」の次に基本宣伝歌の記載(図十九)があり、その次が、真の大本教開教日である「明治三十一年旧二月九日」から始まる、「発端」につながっています。発端の最初は高熊山ですね。そして……恒 私も不思議だと思います。なぜなら、「掃き寄せ集」は同じく「十月廿日午後一時」(図十四)と時刻まで記載し、しかも記事の中でさりげなく、「万世一系」と入れてある。 そして当時の『神の国』誌の八八ページにありますが、見開きになる八九ページに回顧録の文章があり、高熊山王仁となっています(写真六十八ページ掲載)。高熊山は四恩山とも考えられる、(皇室の)高御座が由来の神山ですね。最初の日付が、さきほどの『霊界物語』と同じく、やはり「明治三十一年旧二月九日」から始まっています。真実の開教の日は、明治二十五年ではなく、三十一年であることを、示唆されているのかな。問 私が気にかかったのは、基本宣伝歌の掲載の内容と位置ですね。 基本宣伝歌朝日は照るとも曇るとも 月は盈つとも虧くるとも たとへ大地は沈むとも 曲津の神は荒ぶとも 誠の力は世を救ふ 三千世界の梅の花 一度に開く神の教 開いて散りて実を結ぶ 月日と地の恩を知れ この世を救ふ生神は 高天原に神集ふ 神が表に現はれて 善と悪とを立別ける…… 最初の字句は、ノアの洪水のような天災地変を意味するでしょう……有栖川宮熾仁の子が、「神が表に現れて善と悪とを立て別ける」の神なのですね。そして、ここは、最後の審判、二大勢力の激突とまさに相応していますね。日付がそもそも九月二十日午後一時ですしね。恒 最後の審判とは、キリスト教では、世の終末になされるものです。日の本(元)は、日(◎・す)の本であるように、◎の拇印を持つ出口王仁三郎聖師は「日」を象徴し、「月」も「月神」としての聖師ともとれます。「高天原に神集う」の「高天原」を地の高天原、綾部と解することができます。「神が表に現はれて善と悪とを立別ける」とは、「最後の審判」がなされる時と考えることができると思います。 次に「霊界の情勢」『霊界物語』一巻十八章を見てみましょう。 かくの如くにして国常立尊が、完全に地上の神界を御統一なしたまうべき時節は、既に已に近づいている。神界の有様は現界にうつりきたり、神界平定後は天津日継命が現界を治め給い、国常立尊は幽政を総纜したまい、大国主命は日本の幽政をお司りになるはずである。しかし現在ではまだ、八頭八尾の大蛇、金毛九尾の悪狐および鬼の霊は、盤古大神を擁立して、幽界および現界を支配しようと、諸々の悪計をめぐらしつつあるのである。しかしながら従順な盤古大神は、神界に対するかかる反逆に賛同されないので、邪鬼の霊はみづから頭目となり、赤色旗を押立てていろいろの身魂をその眷族に使ひつつ、高天原乗取策を講じている。 そこで天よりは事態容易ならずとして、御三体の大神が地上に降臨ましまして、国常立尊の御経綸を加勢なしたまうことになり、国常立尊は仮の御息所を蓮華台上に建設して、御三体の大神様を奉迎し給うこととなるのである。したがって、御三体の大神様の御息所ができたならば、神界の御経綸が一層進んだ証拠だと拝察することができる(大正一〇・一〇・二〇 旧九・二〇 谷口正治録)(「霊界の情勢」『霊界物語』一巻十八章)。 この文章は、本宮山神殿破壊の渦中に口述されています。この文からは、国常立尊の完全な地上神界の統一の前に、八頭八尾の大蛇、金毛九尾の悪狐および鬼の霊は、盤古大神を擁立して赤色旗を擁立し、高天原(綾部、あるいは皇室又は両方か)乗っ取り策を講じていることを示しています。この盤古大神が誰かは、大本教事件でも焦点となりました。 ここで注目すべきは、「霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現はれることもあれば、十年後に現はれることもあり、数百年後に現われることもある」という文章。 「見ゆる有様は過去、現在、未来が一度に鏡にかけたごとく見ゆるものであつて、あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別がそれと歴然推断され得るのである」 現実には、リアルタイムに政府による本宮山神殿破壊が行われていることを、たとえば、「過去、現在、未来の区別なきが如くにして」と表現しているのではないでしょうか。問 最後に、二大勢力の激突が世界に拡大したとされる日米の相克を、切紙神示で示してください。恒 日の丸は「日(◎)の丸」、主神の印でした!大切な点は『霊界物語』七十四巻総説にあります。 本来神皇国日本は、大宇宙の中心に永遠無窮の神護を以て、天津神祖の神の生み成し給いし聖域なれば、皇御国と称し奉り、万世一系にこれを統御し給う主権者を、スメラミコトと申し奉るも、◎の言霊の神徳によりて、成り出で給いし神国なればなり。 言霊学上より見る日の本の日は、則ち◎にして◎の本の国なり。故に日の本は日の本なるの意義を知るべし(「総説」『霊界物語』七四巻二章)。 また「日の丸」は図に示されていますが、これが「日の丸」。 世に人たる者はまず第一にこの◎の謂われをまず知るべきものとす。何故ならば◎は皇の極元なればなり(「◎の神声」『霊界物語』七十三巻四章)。 日の丸の赤丸は「◎」(図二十)であり、「ス神」を示します。国旗にこの印を持つものは、日本国だけ。そして拇印に「◎」を持つのは、「月」としての出口王仁三郎聖師。出口王仁三郎聖師はさらに「日」そして「日」の「神」であった。 私が掲載している「二柱の天照大神と饒速日尊」のタイトルのもう一柱の天照大神とは、日(◎)の神、この意味での本当の天照大神、出口王仁三郎聖師を念頭に置いて名付けたものです(饒速日尊も同じです)。このことは、孝明天皇の遺勅で重大な意味を持ちます。恒 図二は、切紙神示で米国と日本を作ったものです。「掃き寄せ集」で、米国の勢力を削ぎかかると十字架が中から現れて、それがしまいまで害をする(図二十一)。切紙神示で作った「米国」を壊すと中から十字架が現れてきます。孝明天皇が、紫宸殿で切紙神示をされた時、二組の切紙神示で、図二十二の文字を表したのではないでしょうか。米国の国の字の中心には、中心がない。しかし「国」という文字を考えれば、「王」のいない米国は、国としては成立できる。日本は、王の王である「皇」が中心にないと国がなりたたない。 土井靖都氏は著書の中でこう語ります。「国家という一大普遍我の中心は、畢竟生命の中心であるがゆえに、同時に道の中心でなければならぬ。すなわち主師親の三徳を具有するものがこの中心に坐すべきである。しかし外国では君主、大統領あるいは議会という中心はあるが、皆、これらは権力関係の中心であるが、実はことごとくカラの国である。大本神諭にはおしなべて外国のことをカラの国といってある。天理教においても同様である。また大本神諭には八頭八尾の大蛇、すなわち悪魔の大将がアメリカに渡ってきていることを記しているが、米国の米という字がその形をしているのは変である。」  米国の「米」という字は、常世の国を表し、ウラル教の印であることは、『神の国』誌二〇一一年一月号で『霊界物語』本文よりご紹介しましたが、神を示す「十」の周囲を八が二つで囲んだのは妙な感じがします。八岐大蛇は、八つの頭と八つの尾を持つことが、『日本書紀』に記されています ……果たして八岐大蛇が現れた。頭と尾はそれぞれ八つずつあり、眼は赤酸醤の如し(『日本書紀』)。 そして『霊界物語』では、ウラル山が八頭八尾の悪竜、八岐大蛇となったことが記されています ……ウラル山はにはかに鳴動をはじめ、八頭八尾の悪竜と化し、あまたの悪竜蛇を吐きだした(「天使の降臨」『霊界物語』二巻四十七章)。 孝明天皇は、日本の文字を切紙神示で出すのに、あるいは図二十三の形を最初に作ったのかもしれません。しかしこの形は、□を縦棒に重ねていますので、切り紙神示のルール、すべて九枚使う、重ねないというルールへの違反となります。 孝明天皇は次の遺勅を旭形亀太郎に指示しました。皇紀二千六百年と相ならば、拇指に◎の紋を印せる七十歳の男子在り、この書を即ち渡すべし 孝明天皇は、日米の激突の中で日本が米国との戦いを避けるためには、日本の「日」の文字の中に出口オーワニの◎の拇印が必要(図二十四)であることを、切り紙神示で知ることができました。 ヒノマルの◎を取り上げなければ、米国は主神の国にならないし、米国に◎が入れば、日本が成り立たないようになります。ここが「大相撲」『霊界物語』六十四巻上巻十五章に示されるハルマゲドンで相対する、日出島日本と常世の国 米国の関係の中に示されています。◎の拇印を持つ男、出口王仁三郎聖師は、日本だけの救世主でなく、世界の救世主でした。しかし日米はすでにともにカラの国になってしまっていたのか。太平洋戦争において、救世主は日本に「えこひいき」せず、米国に日本を立替させることで、日本を敗戦に導くことで、その型を世界に移し、アジア・アフリカ諸国を欧米の植民地から解放するなど世界を新たな統一に向けて立替ることを選びました……。 これ以上のことは、紙面の関係で次号以下でご紹介いたします。今月号では「切紙神示」を主に取り上げました。出口和明の著述の転載で留めるつもりでしたが、それから新しく発見された事実も多く、私自身の見解を追加記載しました。 次号は、遺勅の根幹にある「数表」に少しでも触れたいと思っております。ここまで読んでくださった方にお礼申し上げます。(恒)