『霊界物語』三八巻

第三章 帰郷〔一〇四〇〕
 心なき人の誹も何かあらむ  神に任かせし吾身なりせば
 上谷の修業場で、二十有余人の幽斎修業者の審神者に奉仕しつつある処、自分の郷里から『老母危篤すぐ帰れ』との電信が着いた。祖母の急病と聞いた以上は、是非共一度は帰つて見舞うて来ねばならぬ。しかしながら一方の修業者の様子を見れば、一日片時も目をはなすことが出来ぬことになつてゐる。ぢやと云つて祖母の病気を孫として、そ知らぬ顔に打すてておく訳にも行かず、修業者を見放しすれば、またしても以前の如く邪神が襲来して、修行場をかき乱すに違ひない、喜楽が失敗するのを、鵜の目鷹の目で待構へ、欠点を捜して、機会だにあらば放逐せむとして居る某々がある。喜楽は神さまの御道と祖母の危急の場合を思ふと、どう決心したら良いか、進退谷まつて途方に暮れてゐた。とにも角にも神界へ伺つて見た所、神様のお告によれば、『ここ四五日の間に修業場へ帰つて来れば余り大した邪魔は在るまい……』との事であつた。そして、『祖母の病気は余程重態ではあるが、生命には別状はない、とは言ふものの祖母のことであるから、近所の人々に対しても、帰らずにはおかれまい、早く行つて来るがよい、一心になつて鎮魂をすれば、八九分通りは平癒する』とのことであつた。無論出口教祖さまのお口を通してのお示しである。そこで四方藤太郎を不在中の審神者に依頼しおき、喜楽の帰郷中、修行者一同を托して、一先づ穴太へ行くことになつた。喜楽は出立に際し、四方氏に命じたのは、喜楽『不在中に、綾部から教祖さまが迎へに来られても、福島が来ても、また誰が何と云つて来ても此処の修行者は一人も綾部へやつてはならぬ。わけて四方春三、塩見せい子、黒田きよ子には十分気をつけて貰ひたい』と頼んでおいた。四方藤太郎氏は喜楽の言をよく守つて厳格に審神者を奉仕してゐた。さうすると二三日たつて、教祖さまから神の御命令だからと云つて、右三人の修行者を綾部の金明会へ連れて帰られた。四方氏も教祖の命令には抗弁しかねて、やむを得ず三人を渡してしまうた。三人の修行者は、教祖がワザワザ自分でお迎いに来られる位だから、自分等三人は大変に神界の思召に叶うてゐるに相違ないと、直様慢心をしたために、またもや妖魅が急激に襲来して、恰も気違芝居のやうなことを演じ出し、金明会の広間は、発狂者の巣窟のやうになつてしまつたのである。   ○ さて喜楽は綾部からただ一人で、十四里の山路をボツボツ徒歩で行つて見ると、吾家の軒まで差かかつた時、何とも形容の出来ない一種の悲哀の感じが胸に浮かんで来た。『あゝ祖母の身の上はどうだらう。まだ玉の緒の命は切れずにあるだらうか。母はどうして居るだらう……』とくさぐさの思ひに胸は張裂けるやうであつた。急いで吾家に入り見れば、母は縁先の障子を一枚開けて涼しい風を入れつつ、今年八十六歳になつた祖母の看病をしてゐる処であつた。祖母も今日は殊の外気分が良いといつて、庭の若い松の木を眺めて、勢のよい枝振りなどを褒めて居られた。喜楽の妹の君といふ八歳の幼女が学校から帰つて来て枕許で何だか無理を言つて、母を困らして居る所であつた。 祖母は喜楽の帰つて来たことを知らずに、また何時とはなしにスヤスヤとよく寝入つて居られた。折角寝て居られるのを、目をさましては却て病気の障りになつてはならぬと、母は自然に目のさめるまで、喜楽の帰つて来たことを知らさぬやうにしてゐた。喜楽は先づ母に不在中の辛労を謝したり、祖母の病気の様子などを尋ねて居た。 折しも今迄楽相に眠つて居られた祖母は、何者にか襲はれたやうに、恐ろしい悶絶の声を出し、稍苦みの心が見えた。母も喜楽もあわてて側へ寄り、よくよく見れば、祖母は今正に何者にかうなされて居る様子である。母と喜楽とが左右の手を取つて、静かに起し、背をなでさすりなどして居ると、やうやう目をさまし、正気にかへられた。老の身のやせ衰へた病人の事とて、額も足も手も冷汗にビシヨぬれになつて、見るからにいぢらしく、自然に喜楽の目にも涙が一杯にあふれて来た。稍あつて祖母は力なき目を見ひらき、祖母『あゝ不思議な夢をみたものだ。お米、そこにゐるか。よう聞いておくれ、吾家の御先祖様が、只今の先、孫の喜三郎を殺してしまうとおつしやつて、長い刀を引ぬいて追かけまはして居られる。喜三郎は一生懸命に逃げまはす。見るに見かねて私が御先祖様に対し、しばらくの御猶予をと、泣いてお頼みしたら、御先祖さまも少し顔色を和らげて、……そんならお前から喜三郎に諭してやるがよい。上田の家は藤原の鎌足の末である。うつり行く世の慣ひ、家の系図は幾つにも別れてゐるが、中には今に歴然として時めいてゐる子孫もあり、大商人になつてゐる子孫もあり、百姓になつたのも沢山ある。また中途にして家の断絶したのもあるが、吾家こそは百姓になつた人の家筋で、先祖から代々お国のためになることを勤めて来たのである。しかしモウかう百姓に成り下つてしまうては、どうすることも出来ぬと幽界から歎いてゐたのである。しかしながら有難き御代になつて、百姓でも誠があり力さへあれば、どんなことでも出来るやうになつたのだから、どうかして吾子孫から世のためになる者を現はしたいと思ひ、神界の御許しを受けて、神様の尊きお道を明かに世界へ現はし、この世を安楽な神の世にしたいために、喜三郎を神様のお使として、一身を捧げて世のために尽さしたいと思ひ、その身辺を昼夜に守護致して居るのである。かかる重き使命を有つてゐる者が、祖母の病気のために心を紊し、肝賢の神界の御用をすてて、のめのめと吾家に帰り来るとは不届き千万な奴だ。神界へ対して申訳が立たぬから、一層のこと切り捨ててしまふとおつしやつて、大変な御立腹、そこで私がいろいろとお詫をして、しばらくの御猶予を願うたと思ふ折、不意に誰にか揺起されたと思ふたら、ヤツパリ夢であつた。アーしかしながら御先祖さまのお言葉は夢とはいふものの、等閑にすることは出来ぬ。喜三郎もその心得で世のために、神さまの御用を一心に勤めて貰へば、先祖さまに対して申訳が立つから、中途に気をくぢかぬやうに頼むぞ。妾は老木の末短き身の上、お前はまだ血気盛り、半時の間も無益に日を送ることは出来ぬから、妾に構はずお道のために潔く尽してくれ。しかしながら人間は老少不定だから、これが別れになるかも知れぬ。ズイ分身体を大切にせよ』と後は言葉もなく、その目には涙が泛んでゐた。喜楽の目にもいつの間にやら涙が漂ひ、腮辺を伝ふのを押かくし、喜楽『お祖母アさま、そんならこれから綾部へ行つて来ます。どうぞ達者にしてゐて下さい』と門口を出やうとする時、いつの間にか母は株内の次郎松やお政後家サンを伴うて帰り来り、母『喜三郎、お前に一寸相談があるから、今帰ることは出来ぬ。どうぞ二三日待つて貰はねばならぬ』と引とめられた。……サアしまつた。モウ仕方がない。せめて二三分間母の帰宅が遅かつたならば、甘くこの場をぬけて帰られたのに、またもや母や次郎松サンから、沢山の苦情をかまされることだらう……と思ふたが、最早仕方がない。先づ二人に時の挨拶や、不在中お世話になつた好意を陳謝し、座につくや否や、次郎松サンがいきなり、目をむいて、次郎『コレ喜三ヤン、お前は一体全体、何をト呆けて居るのだ。こんな老人や母親を見すてて、如何に百姓が嫌ぢやとて、勝手気儘にいなごのやうに、朝夕そこらを飛あるくとは、余り物が分らぬすぎるぢやないか。それともどうしても内を出て極道がしたいと思うなら、毎月金を送つて来なさい。その金でお前の代りに人足を雇うて百姓さすから、どうぢや、分つたかなア。一体お前が家を出てから、一年余りになるが、金一文送つて来るでもなし、たより一ぺんするでもなし、生きて居るのか死んで居るのか、但は家を忘れて帰つて来る処が知れなんだのか、訳が分らぬといふても余りぢやないか。私は上田家のために先祖に成り代つて意見しに来たのだから、私の忠告をも聞かずに、綾部へ行くなら行つて見なさい。不在中のこの家の御世話は私はお断り申す。私ばかりか株内も近所も皆その通りだ。どんなことが出来しても構はぬから、今ここでキツパリと返答をしてくれ』と真赤な顔して呶鳴つて居る。また一人の別家のお政といふ後家サンが、喧しう泣くやうに綾部へ行くなと口説きたてる。二人共神界のことはテンで頭にない。ただ肉体上から見て、上田家の前途を案じての親切から云ふてくれるのであるから、二人の心情を察してみると、帰りもならず、それぢやと言ふて穴太に居る訳にも行かず、退引ならぬ仕儀となり閉口をした。
(大正一一・一〇・一四 旧八・二四 松村真澄録)