『霊界物語』六巻

第三一章 襤褸の錦〔二八一〕
 彼のウラル山およびアーメニヤの野に神都を開き、体主霊従的神政を天下に流布し、つひには温順にして、かつ厳粛なる盤古神王を追放し、自ら偽盤古神王となり、大蛇の霊魂に使嗾されて、一時は暴威を揮ひたりし所謂盤古神王は、大神の大慈大悲の恩恵の笞を加へられ、アルタイ山に救はれて蟻虫の責苦に逢ひ、ここに翻然として前非を悔い、再びウラル山に立帰り、アーメニヤに神都を開きて、諸方の神人を、よく治め仁徳を施し、天地大変動後の救ひの神として、人々の尊敬もつとも深かりしが、年月を経るに随ひ、少しく夫婦二神は神政に倦み、色食の道に耽溺し、復び、
『呑めよ騒げよ一寸先は闇よ    闇の後には月が出る   人は呑め食へ寝て転べ』  
と、またもや大蛇の霊魂に憑依されて、体主霊従的行動を始むるに致りける。 さしもに悪に強き大蛇の身魂も、金狐および鬼の身魂も、宇宙の大変動に対しては、蠑螈、蚯蚓と身を潜め、神威の赫灼たるに畏縮してその影を潜めゐたが、やや世の泰平に馴れ神人の心に油断を生ずるに及んで、またもや悪鬼邪神は頭を擡げ跋扈跳梁するの惨状となりける。 神諭にも、『この世界は、悪魔が隙を附け狙うて居るから、腹帯をゆるめぬやうに致されよ』と示されたる如く、一寸の油断あれば悪神は風のごとく襲ひきたつて、その身魂を悪化せしめ根底の国に落し行かむとするものなり。 盤古神王(ウラル彦の偽称)は、大蛇の霊魂に身魂を左右され、つひには一派の教を立てた。これを大中教といふ。この教の意味は、要するに極端なる個人主義の教理にして、己一人を中心とする主義である。大は一人である。一人を中心とするといふ意義は、盤古神王ただ一人、この世界の神であり、王者であり、最大権威者である、この一人を中心として、総ての命令に服従せよと云ふ教の立て方であつた。しかるに数多の宣伝使は、立教の意義を誤解し、大蛇や金狐の眷属の悪霊に左右されて遂には己れ一人を中心とするを以て、大中教の主義と誤解するに致つたのである。実に最も忌むべき利己主義のやり方と変りける。 この大中教は、葦原の瑞穂国(地球上)に洽く拡がり渡りて、大山杙神、小山杙神、野槌神、茅野姫神の跋扈跳梁となり、金山彦、金山姫、火焼速男神、迦具槌神、火迦々毘野神、大宜津姫神、天の磐樟船神、天の鳥船神などの体主霊従的荒振神々が、地上の各所に顕現するの大勢を馴致したりける。 ここにおいて国の御柱神なる神伊弉冊命は、地上神人の統御に力尽き給ひて、黄泉国に神避りましたることは、既に述べたる通りなり。 アーメニヤの神都を南に距ること僅かに数十丁の田舎の村を、東西に流れてゐるかなり広き河あり、これをカイン河といふ。春の日の日向ぼつこりに、雑談に耽る四五の乞食の群あり。口々に何事か頻りに語らひ居りぬ。甲『世の中の奴は、乞食三日すりや味が忘れられぬと云うてるさうだ。一体乞食と云ふものは一定の事業もなし、世界中をぶらついて人の余り物を、頭をペコペコと下げて、貰つては食ひ、名所旧蹟を勝手気儘に飛び歩き、鼻唄でも謡つて気楽にこの世を渡るもののやうに考へてゐるらしい。なかなか乞食だつて辛いものだ。三日も乞食するや、万劫末代その辛さが忘れられぬと云ふことを、世の中の利己主義の人間は苦労知らずだから、そんな坊ちやま見たやうな囈語を吐くのだよ。同じ時代に生れ、横目立鼻の神様の愛児と生れて、一方には沢山な山や田地を持ち、家、倉を建て、妾、足懸けを沢山に囲うて綾錦に包まれ、毎日々々酒に喰ひ酔うて、「呑めよ騒げよ一寸先は暗よ、呑め食へ寝て転べ」なんて、盤古大尽を気取りやがつて、天下を吾が物顔してゐる餓鬼と、俺らのやうに毎日々々人の家の軒を拝借したり、樹の下に雨露を凌ぎ、若布の行列か、雑巾屋の看板のやうな誠にどうも御立派な襤褸錦を纏うてござる御方と比べたらどうだらう。お月さまに鼈か、天の雲に沼の泥か、本当に馬鹿々々しい。これを思へば俺はもう世の中が嫌になつてきた。一体盤古大神てな奴は、ありや八岐の大蛇の再来だよ』乙『コラコラ、大きな声で言ふない。それまた向方へ変な奴がきをるぞ。あいつは山杙とか川杙とか云ふ悪神に使はれて居る奴役人だらう。この間も鈍刕が盤古神王のやり方をひそひそ話して居たら、山杙とかの狗が嗅ぎ出しやがつて、無理矢理に鈍刕を踏縛つて、ウラル山の山奥へ伴れて行つて嬲ものにしたと云ふことだ。恐い恐い、鬼の世の中だ。黙つて居れ居れ。言はぬは言ふにいや優るだ』 この時、黒い目をぎよろつかせた顔色の赭黒い目付役が、乞食の群の前に立ち止まり、『ヤイ、貴様は今何を囁いてゐたのか』甲『ハイ、結構なお日和さまで暖かいことでございますな。嬉しさうに四方の山々は笑ひ、鳥は花の木に歌つてゐます。実に結構な天国の春ですな。これも全く盤古神王様の御仁政の賜と思へば、嬉し涙がこぼれます。ハイハイ』と他事をいふ。目付役はやや声を尖らして、『馬鹿ツ、そんなことを言つて居るのぢや無い。今何を囁いてゐたかといふのだ』甲は首を傾け、耳を手で囲ふやうな風して聾を装ひ、『私は一寸耳が遠いので、しつかり貴方の御言葉は聞きとれませぬが、何でも囁くとかささを呑んでゐるとか、おつしやるやうに聴きました。間違ひましたら真平御免なさい。イヤもうこの頃は、日は長し腹は減るなり、喉は渇くなり、甘いささの一杯でも呑ましてくれる人があれば、本当に結構ですが、今このカイン河の水をどつさり呑んで、ささやつとこせいと腹を叩きました。腹はよう鳴りますよ。私の聾でさへ聞えるくらゐですから、貴方がたが御聴きになつたら、本当に面白いでせうよ。尾も白狸の腹鼓、面白うなつておいでたな。ささやつとこせー、よーいやな。なんぼよういやなと云つたつて、水では尚且酔がまはらぬ。よいささ一杯ふれまつて下さい』と屁に酔うたやうな答へに、目付も取つくしまも無く、面ふくらし踵を返して帰り行く。
(大正一一・一・二二 旧大正一〇・一二・二五 外山豊二録)